金銀小判
小川未明



 ひともの幸作こうさくは、うちなかはな相手あいてもなくそのらしていました。北国きたぐには十二がつにもなると、しろゆきもります。そのうちに、としれがきまして、そこ、ここの家々いえいえではもちをつきはじめました。

 となり地主じぬしでありまして、たくさんもちをつきました。幸作こうさくは、そのにぎやかなわらごえきますと、どうかして自分じぶん金持かねもちになりたいものだと空想くうそうしたのであります。

 やがて、わずかがたつとお正月しょうがつになりました。けれどひともの幸作こうさくのところへは、あまりたずねてくるきゃくもなかったのです。結局けっきょくそのほうが気楽きらくなものですから、幸作こうさくは、こたつにはいってていました。

 そとにはゆきがちらちらとって、さむかぜいて、コトコトとまどや、やぶれた壁板かべいたなどをらしていました。元日がんじつも、こうして無事ぶじれてしまったよるのことであります。

両替りょうがえ両替りょうがえ小判こばん両替りょうがえ。」と、んである子供こどもこえこえたのであります。

 毎年まいねんこのは、お宝船たからぶねや、餅玉もちだまむすびつける小判こばんをこうしてってあるくのでありました。

 けれど、このばんゆきっていましたから、いかにもそのなかをこうしてんであるいている子供こどもこえあわれにこえたのであります。

両替りょうがえ両替りょうがえ小判こばん両替りょうがえ。」というこえは、かぜのまにまにとおくになったり、ちかくになったりしてこえてきたのであります。

 こうして、子供こどもんであるきましたけれど、だれもってくれるようなひとがないとみえて、そのこえはとぎれなくつづいていました。どんなにそとさむかろうか? こたつにあたってていました幸作こうさくおもいました。そして、子供こどもはもう我慢がまんがしきれなくなったとみえて、今度こんどは、一けんけんごとにはいって、

小判こばんってください。」と、たのんでいるようでありました。

 おそらく、うちなかには、人々ひとびとさけんだり、かるたをとったり、また、いろいろなおもしろいはなしをしてわらっているのだとおもわれました。しかし、だれもこの貧乏びんぼう子供こども同情どうじょうをしてくれるものがないとみえました。その子供こども地主じぬしうちでもことわられたとみえます。

 子供こどもは、しそうなこえをしながら、

両替りょうがえ両替りょうがえ小判こばん両替りょうがえ。」といいながら、こっちにあるいてきました。やがて、幸作こうさくうち戸口とぐちで、げたについたゆきをはらうちいさな足音あしおとがしました。

今晩こんばんは、どうか小判こばんってください。」と、子供こどもは、そとでいいました。

 幸作こうさくはかわいそうにおもって、こたつからのそばにいきました。そして、ほそめにひらきますと、そとるようなさむかぜいてゆきっています。まだ八つか九つになったばかりの子供こどもが、しろからだをして、すすけたうすくらいちょうちんをさげていました。

「おおかわいそうに。」とおもって、幸作こうさくは、小判こばん一包ひとつつみをってやりました。

 子供こどもは、いくたびもおれいをいってていきました。幸作こうさくは、せんべいでつくった小判こばんをねずみにわれてはつまらないとおもって、それをだなのなかにしまって、またこたつにはいって、いつしかグーグーと寝入ねいってしまいました。

 幸作こうさくゆめました。それは、った小判こばんがほんとうの金銀きんぎん小判こばんで、自分じぶん大金持おおがねもちになったというゆめたのであります。かれおどろきとよろこびからをさましました。そして、自分じぶんはいつしかこたつにはいってねむったことにづきますと、すべてがゆめであったとおもわれてがっかりとしたのであります。

 しかし、どうしてもそれでは、なんとなくあきらめられないような気持きもちがして、わざわざて、だなをけて、小判こばんしてみますと、それはげられないほどのおもみがありました。幸作こうさくは、ますます不思議ふしぎおもって、それを両手りょうてでつかんでたたみうえろしてみますと、いつのまにわったのか、まったくほんとうの金銀きんぎん小判こばんつつみでありました。

 こうなると、幸作こうさくは、きゅう欲心よくしんこりました。あのとき、もう一包ひとつつみもっておけばよかった。そうすれば、自分じぶんむらじゅうでだい一の金持かねもちとなったのだとおもいました。

 かれは、あの子供こどもがどこへいったろうとおもいました。まださがしたら、いないこともないとおもいまして、かれは、子供こどもさがすためにうちしました。そして子供こどもつけたら、みなその小判こばんろうとかんがえました。ちょうど、まち二日ふつかりぞめになっていまして、くらいうちからきていました。また、みなはいぞめのあさであったから、夜中よなかからまちへいって、ふくにありつこうとしていました。いわば元日がんじつはこの地方ちほうでは、みんなないといってよいくらいで、まちほうはもうにぎやかでありました。幸作こうさく雪路ゆきみちあるいてまちへいきました。すると、

両替りょうがえ両替りょうがえ小判こばん両替りょうがえ。」というごえがほうぼうでかれました。かれは、もしや、その子供こどもではないかとはしっていきましたが、それは、まったくちがったひとってあるくのでありました。

「これは、おれはふだん正直者しょうじきものだから、かみさまがきっとかねをおさずけくだされたのだ。」と、幸作こうさくおもいました。

かみさま、どうかもうすこしおかねさずけてください。わたしむらじゅうでのいちばん金持かねもちになって、いままでいばっていたやつらを見下みおろしてやりますから。」と、幸作こうさくねがいました。

 そのうちにがほのぼのとけると、あわれな小判売こばんうりの子供こどもは、あるおおきな素人屋しろうとやのきしたつかれてねむっていました。ゆきからだにもあたまにもしろきつけていました。そして、はこなか小判こばんは、すこしもれずにいました。ちょうどそこへとおりかかってこれをつけた幸作こうさくは、おおいによろこんで、これはまったくかみさまのおさずけにちがいないといって、ねむっている子供こどもこして、みんなはこなか小判こばんりました。子供こどもねむそうなをこすって、びっくりしたかおつきで幸作こうさくをながめました。かれは、いさんでうちかえりました。そして、だなのなかから、昨夜ゆうべった金銀きんぎん小判こばんしてみようとしますと、また、いつわったものか、やはりせんべいの小判こばんであったのであります。

底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社

   1976(昭和51)年1210日第1

   1982(昭和57)年910日第7

初出:「良友」

   1920(大正9)年1

※表題は底本では、「金銀小判きんぎんこばん」となっています。

入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班

校正:江村秀之

2013年1013日作成

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