葉と幹
小川未明




 あるやまに一ぽんのかえでのがありました。もうながいことそのやまえていました。はるになると、うつくしい若葉わかばし、あきになるとみごとに紅葉こうようしました。

 まちからやまあそびにゆくものは、そのをほめないものはなかったのであります。

「なんといういいかえでのだろう。」と、子供こども年寄としよりも、みなほめたのであります。

 けれど、はがけのほとりっていましたので、みなはしいとおもっても、ることができませんでした。

 あるとき、そんなに人々ひとびとがほめるのを、かえでのいたところから、みきとがけんかをはじめました。

「こんなに評判ひょうばんになったのも、おれ幾年いくねんものあいだ、こんなにさびしいけわしいところに我慢がまんをして生長せいちょうしたからのことだ。おれ姿すがたてくれい。ゆきのためには、あるとしはおされてあやうくれそうになったこともあり、また、あるとしなつには、大雨おおあめあらわれて、もうすこしのことで、この地盤じばんくずれて、奈落ならくそこちるかと心配しんぱいしたこともある。いま、おまえがたが、おどったり、ねたり、のんきに太陽たいようらされてわらったり、かぜかれてうたをうたったりすることができるのも、だれのおかげだとおもうか。けっしておれのごおんわすれてはならんぞ。」と、みきは、かっていいました。

 すると、にしげっているはいいました。

「それは、一ときだって、あなたのごおんわすれはいたしません。けれどわたしたちだって、ただおどったり、わらったり、ねたりしているのではありません。いくらずつか、あなたのおためにもなっているのでございます。もしわたしたちがなかったら、やはりあなただって、そうしていつまでも達者たっしゃきてはいられないのでございます。」

「そんなら、おまえたちはおれまもっているというのか。」と、みきさけびました。

「さようでございます。」

「ばかばかしい。はやんでせろ。いくらでもおまえがたのわりはまれてくるわ。」と、みきからだふるわしておこったのであります。



 ある、くわをかついだおとこと、もう一人ひとりおとことが、がけのうえちました。二人ふたりは、うえあおいで、かえでのをながめていました。

「ここからは、とうていがれない。あちらからまわってゆかなければだめだ。」

と、二人ふたりはいっていました。

 これをいたはびっくりしました。

「あんまりわたしたちがうつくしいもので、とんだことになってしまいました。」

と、みきにいいました。

「うぬぼれてはいけない。おまえたちぐらいのは、このやまにざらにあるじゃないか。人間にんげんどもは、おれ姿すがた値打ねうちにしようとおもっているのだ。」と、みき冷笑れいしょうしました。

「しかし、わたしたちは、このやまからどこへゆくのでしょう。もううみることもできません。あちらの平野へいや見下みおろすこともできません。たいへんなことになりました。」と、をもみはじめました。

「おまえたちのことをおれるものか。人間にんげんどもはおれ大事だいじにするだろう。くるしいのもすこしのあいだだ。じきにどこかいいところへうつして、おれよわらないようにするにちがいない。そして、また来年らいねんあたらしいして、おれ威厳いげんがいっそうくわわるだろう。」と、みきはいいました。

「そんなら、わたしたちはどうなるのですか?」と、おおくのは、ごえしてうったえましたが、みきだまっていました。

「ああ、ここまでのぼると、よい景色けしきだ。うみえる。」と、先刻さっきのくわをかついだおとこは、かえでののそばにあらわれていいました。

 二人ふたりおとこは、ついにかえでのしました。一人ひとりはそのをかついで、一人ひとりはくわをかついで、ともにやまくだりました。そして、かえでのくるまうえせて、ガラガラと田舎路いなかみちいてまちほうへとゆきました。

「ああ、みずみたい。ああ、息苦いきぐるしくなった。」と、道々みちみちうったえましたけれど、みきは、だまっていました。このおとこは、あまり植木うえきについて巧者こうしゃでなかったとみえて、すっかりよわらしてしまいました。晩方ばんがたみきは、ろされましたけれど、がすっかりれてしまったために、まったくちからがなくなってしまって、ついにれてしまいました。

底本:「定本小川未明童話全集 2」講談社

   1976(昭和51)年1210日第1

   1982(昭和57)年910日第7

初出:「読売新聞」

   1920(大正9)年5月7~8日

※表題は底本では、「みき」となっています。

入力:ぷろぼの青空工作員チーム入力班

校正:江村秀之

2013年1029日作成

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