善いことをした喜び
小川未明



 さよは、叔母おばさんからもらったおあしを大事だいじに、あか毛糸けいとんだ財布さいふなかれてしまっておきました。あきのおまつりがきたら、それでなにかきなものをおうとおもっていました。

 もとよりたくさんのおかねではなかったのです。けれど、さよはそれをたのしみにして、ときどきつくえのひきだしのなかから、あか毛糸けいと財布さいふしては、ってみますと、なかぜにがたがいにって、かわいらしいをたてるのでありました。

 さよは、それでほおずきをおうか、南京玉なんきんだまおうか、それともなにかおままんごとの道具どうぐおうかと、いろいろ空想くうそうにふけったのであります。すると、なんとなく、そのどおしかったのでありました。

 まことに、いい天気てんきで、のら仕事しごといそがしかったときでありました。家々いえいえのものは、みんなそとはたけていて、うちにいるものはほとんどありませんでした。

 うちまえには、おおきな銀杏樹いちょうのきがありました。そのがしだいにいろづいてきました。さよこわれかかった石段いしだんこしをかけて、雑誌ざっしんでいました。そのとき、おなじように、となりのおばあさんが、やはりうちまえて、日当ひあたりのいいあたたかな場所ばしょにむしろをいて、ひなたぼっこをしていました。

 おばあさんは、ごろからたくさんなおかねをためているといううわさがたっていました。けれど、おばあさんは、なかなかのけちんぼうで、めったにそのおかねすということをしませんでした。

 おばあさんは、このごろ、ひまさえあればおかねのことをかんがえていました。自分じぶんんでしまったら、このかねをどうしようかとおもいました。これまでいっしょうけんめいでためたかねを、他人たにんにやってしまうのは、まことにしいことだとおもいました。せがれにも、よめにも、このかねはやれない、みんな自分じぶんんでゆくときには、ってゆかなければならぬとおもいました。

「いったい、いくらあるだろう。今日きょうは、せがれもよめ留守るすだから、ひとつ勘定かんじょうしてみよう。」と、おばあさんは、だれもいないのをさいわいに、ふところからおおきな財布さいふして、くちひらいて、たのしみながらかぞえはじめたのであります。

「なかなかたくさんある。これをせがれめにつけられたら大事だいじだ。しかし、せがれもよめも、まだかえってくるはずがないから安心あんしんだ。」と、おばあさんはひとごとをしながら、しわのったてのひらにぜにならべて、ほそ指先ゆびさき勘定かんじょうしては、前垂まえだれのなかうつしていました。そして、すっかり勘定かんじょうしてしまったら、それを財布さいふなかにしまうつもりでおりました。

 ほんとうにあたたかな、よくれたそら太陽たいようえて、かぜすらない秋日和あきびよりでありました。おおきな銀杏樹いちょうのきうえで、小鳥ことりくほかに、だれもおばあさんをおびやかすものはなかったのです。

「おばあさん。」と、雑誌ざっしきたさよは、あちらの石段いしだんから、こちらをいて、さびしいのでびかけました。

 もし、おばあさんが機嫌きげんがよかったら、そばへいって、いまんだおもしろいおとぎばなしを、おばあさんにかしてやろうとおもったのです。それは金銀きんぎん宝石ほうせきんだ幽霊船ゆうれいぶねが、あるみなといたときに、そのおかね宝石ほうせきがほしいばかりに、幽霊ゆうれい自分じぶんうちにつれてきてめた、欲深者よくふかものはなしでありました。

「おばあさん、おもしろいおはなしかしてあげましょうか。」と、またさよはいいました。

 けれど、おばあさんは、返事へんじをしませんでした。

 これはきっと機嫌きげんがよくないのだろうとおもって、さよは、また雑誌ざっしひらいて、ほかのおはなしんでいたのでありました。

「うるさいだ。何度なんどんでもだまっていてやろう。」と、おばあさんは、くちなかでいって、らんかおをしてぜに勘定かんじょうしていました。

 そのうちおばあさんは、やっとぜに勘定かんじょうしてしまいました。おもったよりもたくさんなのをよろこんで、またもとのように財布さいふうつしました。そして、もしや、周囲まわりぜにとしはしなかったかと、ぐるぐるまわしていました。

 このとき、太鼓たいこをたたいて、一人ひとりあわれなじいさんの乞食こじきが、「南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう。」といって、うちまえって、あわれみをうたのであります。

 けちんぼうのおばあさんは、乞食こじきるのがだいきらいでありました。ことわるのもめんどうとおもって、ににぎっていた財布さいふを、きゅうにむしろのしたかくして、をつぶってねむったふりをしていたのであります。かみしろくなった、のしょぼしょぼとしたじいさんの乞食こじきは、いつまでもそこにって題目だいもくとなえていましたが、おばあさんは、まったくねむってしまったようにをふさいで、じっとして身動みうごきすらいたしませんでした。

 しばらくして、乞食こじきは、もはやのぞみのかなわないものとおもってか、そのいえまえって、さよのいるほうへとあるいてきました。やがて、さようちまえって、太鼓たいこをたたいてあわれなこえ題目だいもくとなえたのであります。

 さよは、おじいさんの乞食こじきると、きゅうなかに、いっぱいのなみだがわいてきました。ほんとうにふしあわせのひとだとおもったからであります。さよは、ふところなかから、あか毛糸けいと財布さいふしました。そして、そのなかぜにをおじいさんにやってしまったのであります。

「ありがとうございます。」と、おじいさんの乞食こじきは、いくたびとなく、さよかっておれいもうしました。

 さよは、自分じぶんは、なんにもわんでいいから、もっとおかねがあったら、このあわれなおじいさんにやりたいものだと、こころうちおもっていました。

「ありがとうございます。」と、また最後さいごかえしていって、おじいさんの乞食こじきは、いえまえりました。

 さよは、石段いしだんうえって、いつまでもあわれな乞食こじき行方ゆくえ見守みまもっていましたが、いつしからず、その太鼓たいこおととおくかすかになっていったのであります。

 その、さよは、おかあさんに昼間ひるま乞食こじきのことをはなしました。

「いまごろ、あの乞食こじきは、どうしたでしょうか。」とききますと、おかあさんも、なみだをためて、

「それでも、おまえのやったおかねで、あたたかいおいもでもってべることができるだろう。」といわれました。

 これをいたさよは、こころから自分じぶんはいいことをしたとおもいました。

 一ぽう、おばあさんは、ほんとうに居眠いねむりをしてしまいました。そして大事だいじ財布さいふを、むしろのしたれたことをわすれてしまいました。

 晩方ばんがたうちかえってきたせがれが、その財布さいふつけて大喜おおよろこびをしました。酒好さけずきのせがれは、そのおかねると我慢がまんすることができなくて、さけみにかけたそうです。

底本:「定本小川未明童話全集 1」講談社

   1976(昭和51)年1110日第1刷発行

   1977(昭和52)年C第3刷発行

初出:「童話」

   1921(大正10)年1

※表題は底本では、「いことをしたよろこび」となっています。

入力:特定非営利活動法人はるかぜ

校正:江村秀之

2013年1214日作成

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