痴人と死と
ホフマンスタアル Hugo von Hofmannsthal
森鴎外訳



為事室しごとべや。建築はアンピイル式。背景の右と左とに大いなる窓あり。真中まんなか硝子ガラスの扉ありてバルコンにづる口となりおる。バルコンよりは木の階段にて庭に降るるようなりおる。左には広きひらあり。右にも同じ戸ありて寝間ねまに通じ、このぶんは緑の天鵞絨びろうど垂布たれぎぬにて覆いあり。窓にそいて左のかたに為事机あり。その手前に肱突ひじつき椅子いすあり。柱あるところには硝子の箱を据え付け、そのうち骨董こっとうを陳列す。壁にそいて右のかたにゴチック式の暗色のひつあり。この櫃には木彫もくちょうの装飾をなしあり。櫃の上に古風なる楽器数個あり。伊太利亜イタリア名家のえがける絵のほとんど真黒まくろになりたるを掛けあり。壁の貼紙はりがみは明色、ほとんど白色にして隠起いんきせる模様および金箔きんぱくの装飾を施せり。

主人クラウヂオ。(ひとり窓のかたわらに座しおる。夕陽ゆうひ。)夕陽の照すしめった空気に包まれて山々が輝いている。棚引いている白雲しらくもは、上の方に黄金色こがねいろふちを取って、その影は灰色に見えている。昔の画家えかきが聖母を乗せる雲をあんな風にえがいたものだ。山のすそには雲の青い影がいんせられている。山の影は広い谷間にちて、広野ひろの草木くさきの緑に灰色を帯びさせている。山の頂の夕焼は最後の光を見せている。あの広野ひろの女神達めがみたちが歩いていて、手足の疲れるかわりには、とうとい草を摘み取って来るのだが、それが何だか我身に近付いて来るように思われる。あの女神達は素足で野の花のを踏んでく朝風に目を覚し、野の蜜蜂みつばちと明るい熱い空気とに身の周囲まわりを取り巻かれているのだ。自然はあれに使われて、あれがのぞみからまた自然がく。疲れてもまた元に返る力の消長の中に暖かい幸福があるのだ。あれあれ、今黄金こがねたまがいざって遠い海の緑の波の中に沈んでく。名残なごりの光は遠方の樹々きぎの上にまたたきをしている。今赤いもやが立ち昇る。あの靄の輪廓りんかくに取り巻かれているあたりには、大船おおぶねに乗って風波ふうはを破ってく大胆な海国かいこくの民の住んでいる町々があるのだ。その船人ふなびとはまだ船のき分けた事のない、沈黙のうしおの上を船で渡るのだ。荒海あらうみいかりうては、世の常のまよいくるしみも無くなってしまうであろう。おれはいつもこんな風に遠方を見て感じているが、一転して近い処を見るというと、まあ、何たる殺風景な事だろう。何だかこの往来、この建物の周囲まわりには、この世にうまれてから味わずにしまった愉快や、泣かずに済んだ涙や、意味のないあこがれや、あての知れぬ恋なぞが、靄のようになって立ちめているようだ。(窓に立ち寄る。)何処どこうちでも今燈火あかりけている。そうすると狭い壁と壁との間にまよいや涙で包まれた陰気な世界が出来て、人の心はこのうちとりこにせられてしまうのだ。あるいは幾人いくたりあつまって遠い処に行っている一人を思ったり、あるいはたれか一人に憂き事があるというと、みんなが寄って慰めるのだ。しかし己は慰めという事を、ついぞ経験した事がない。ほんに世の中の人々は、一寸ちょっとした一言ひとことをいうては泣き合ったり、笑い合ったりするもので、己のように手の指から血を出して七重ななえ釘付くぎづけにせられたかどの扉をたたくのではない。一体己は人生というものについて何を知っているのだろう。なるほどどうやら己も一生というもののうちに立っていたらしゅうは思われる。しかし己はたかが身の周囲まわりの物事を傍観して理解したというに過ぎぬ。己と身の周囲まわりの物とが一しょに織り交ぜられた事は無い。周囲まわりの物に心をゆだねてわれを忘れた事は無い。果ては人と人とが物を受け取ったり、物をったりしているのに、己はそれを余所よそに見て、おしつんぼのような心でいたのだ。己はついぞ可哀かわいらしい唇から誠の生命せいめいの酒をませてもらった事はない。ついぞ誠のなげきにこの体をゆすられた事は無い。ついぞ一人で啜泣すすりなきをしながら寂しい道を歩いた事はない。どうかした拍子でふいと自然の好いたまものに触れる事があってもはっきり覚めている己の目はその朧気おぼろげさいわいを明るみへ引出して、余りはっきりした名を付けてしまったのだ。そして種々いろいろな余所の物事とそれを比べて見る。そうすると信用というものもなくなり、幸福の影が消えてしまう。たまたま苦労らしいなげきらしい事があっても、己はそれをかんがえの力で分析してしまって、色のめた気の抜けた物にしてしまったのだ。ほんに思えばあのうれしさの影をこの胸にぴったりき寄せるべきであったろうに。あの苦労の影をく味ったら、そのうちからどれ程嬉しさがいたやら知れなんだ物を。ああ、かなしみつばさは己の体に触れたのに、己の不性ぶしょうなためにかなしみかわりに詰まらぬ不愉快が出来たのだ。(物に驚きたるように。)もう暗くなった。己はまた詰まらなくくよくよと物案じをし出したな。ほんにほんに人の世には種々いろいろな物事が出来て来て、たとえば変った子供が生れるような物であるのに、己はただいたずらに疲れてしまって、このまま寝てしまわねばならぬのか。(家来けらいランプをともして持ちきたり、置いて帰りく。)ええ、またこの燈火あかしが照すと、己の部屋のがらくた道具が見える。これが己の求める物に達する真直まっすぐな道を見る事の出来ない時、いや間道かんどうを探し損なった記念品だ。(十字架の前に立ち留まる。)この十字架に掛けられていなさる耶蘇殿ヤソどのは定めて身に覚えがあろう。そのきずのある象牙ぞうげの足の下に身を倒して甘いほのおを胸のうちに受けようと思いながら、その胸はあたたまるかわりに冷え切って、くやみもだえや恥のために、身も世もあられぬおもいをしたものが幾人いくたりあった事やら。(一面の古画の前に立ち留まる。)お前はジョコンダだな。その秘密らしい背景の上に照り輝いて現われている美しい手足や、そのなぞめいた、甘いような苦いような口元や、その夢の重みを持っているまぶたかざりやが、己に人生というものをどれだけ教えてくれたか。己の方からその中へ入れた程しきゃ出して見せてはくれなかったでは無いか。(身を返して櫃の前に立ち留まる。)このさかずきの冷たいふちには幾度いくたびか快楽の唇が夢現ゆめうつつさかいに触れた事であろう。この古い琴の音色ねいろには幾度いくたびか人の胸にひそやかなさざなみが起った事であろう。この道具のどれかが己をそういう目にわせてくれたなら、どんなにか有難く思ったろうに。この木彫きぼり金彫かねぼりの様々なは、かめもあれば天使もある。羊の足の神、羽根のあるけもの、不思議な鳥、または黄金色こがねいろ堆高うずたかい果物。この種々いろいろな物を彫刻家が刻んだ時は、この種々いろいろな物が作者の生々いきいきした心持こころもちうちから生れて来て、譬えば海からあがったうおが網に包まれるように、芸術の形式に包まれた物であろう。己はお前達の美に縛せられて、お前達をもてあそんだおかげで、お前達のたましいを仮面を隔てて感じるように思ったかわりには、本当の人生の世界が己には霧の中に隠れてしまった。お前達が自分でまことの泉のほとりまことの花を摘んでいながら、己の体を取り巻いて、己の血を吸ったに違いない。己は人工を弄んだために太陽をも死んだ目から見、物音をも死んだ耳から聴くようになったのだ。己は何日いつもはっきり意識してもいず、また丸で無意識でもいず、浅いたのしみ小さいなげきに日を送って、己の生涯は丁度半分はまだ分らず、半分はもう分らなくなって、その奥の方にぼんやり人生が見えている書物しょもつのようなものになってしまった。己のよろこびだのかなしみだのというものは、本当の喜や悲でなくって、わば未来の人生の影を取り越して写したものか、さもなくば本当に味のある万有のうつろな図のようなものであって、己はつまり影と相撲を取っていたので、己のよくという慾は何の味をも知らずに夢のうち草臥くたびれてしまったのだ。振返って己の生涯を見れば、走って道がはかどらず、勇をふるって戦いに勝たれず、不幸があっても悲しくないし、幸福があっても嬉しくないし、意味の無い問には意味の無い答が出て来る。やみしきいから朧気な夢が浮んで、幸福は風のようにとらえ難い。そこで草臥くたびれた高慢の中にあるだまされた耳目はべき物をる時無く、己はこの部屋にこの町に辛抱して引きこもっているのだ。世間の者は己を省みないのが癖になって、己を平凡なやつだと思っているのだ。(家来来て桜実さくらんぼう一皿を机の上に置き、バルコンの戸をとざさんとす。)戸はまあ開けて置け。(。)何をそんなに吃驚びっくりするのだ。

家来。申上げてもうそだといっておしまいなさいましょう。(半ば独言ひとりごとのように、心配らしく。)ははあ、あの離座敷はなれざしきに隠れておったわい。

主人。たれが。

家来。何だかわたくしも存じません。厭らしい奴が大勢でございます。

主人。乞食こじきかい。

家来。如何いかがでしょうか。

主人。そんなら庭から往来へ出る処の戸を閉めてしまって、お前はもう寝るがい。おれには構わないでも好いから。

家来。いえ、そのお庭の戸はとっくに閉めてあるのでございますから、気味が悪うございます。何しろ。

主人。どうしたと。

家来。ははあ、また出て来て、庭で方々へすわりました。あのアポルロの石像のある処の腰掛に腰を掛ける奴もあり、井戸のわき小蔭こかげしゃがむ奴もあり、一人はあのスフィンクスの像に腰を掛けました。丁度タクススの樹の蔭になってくは見えません。

主人。みんな男かい。

家来。いえ、男もいますし女もいます。乞食らしいきたな扮装みなりではございません。銅版画どうばんえなんぞで見るような古風な着物を着ているのでございます。そしてそのじいっと坐っている様子の気味の悪い事ったらございません。死人しにんのような目で空をにらむように人の顔を見ています。おお、気味が悪い。あれは人間ではございませんぜ。旦那様だんなさま、おおこりなすってはいけません。わたくしは何とおっしゃっても彼奴あいつのいるそばへ出て行く事は出来ません。もしか明日あしたの朝起きて見まして彼奴あいつが消えて無くなっていれば天のたすけというものでございます。わたくしは御免をこうむりまして、おうち戸閉とじまりだけいたしまして、錠前の処へはお寺から頂いて来たお水でも振り掛けて置きましょう。何にいたせわたくしはついぞあんな人間を見た事もございませんし、また人間があんな目付めつきをいたしているはずがございません。

主人。どうともお前の勝手にするが好い。もう用事はないからさがって寝てくれい。(しばらく物を案ずる様子にてあちこち歩く。舞台の奥にてヴァイオリンの聞ゆ。物懐しげに人の心を動かす響なり。初めは遠く、次第に近く、ついにはそのおと暖かに充ち渡りて、壁隣かべどなりの部屋より聞ゆるごとし。)音楽だな。何だか不思議に心にみ入るような調べだ。あの男が下らぬ事を饒舌しゃべったので、己まで気が狂ったのでもあるまい。人の手でくヴァイオリンからこんなの出るのを聞いたことはこれまでに無いようだ。(右の方に向き、耳をそばだてて聞く様子にて立ちおる。)何だか年頃としごろ聞きたく思っても聞かれなかった調しらべででもあるように、身に沁みて聞える。かぎりなきくいのようにもあり、限なき希望のようにもある。この古家ふるいえの静かな壁のうちから、れ自身の生涯が浄められて流れ出るような心持がする。譬えば母とか恋人とかいうようないなくなってから年を経たものがまた帰って来たように、己の心のうちあたたかいような敬虔けいけんなようなかんがえが浮んで、己を少年の海に投げ入れる。子供の時、春の日和ひよりに立っていて体が浮いて空中を飛ぶようで、際限はてしも無いあくがれが胸に充ちた事がある。また旅をするようになってから、ある時は全世界が輝き渡って薔薇ばらの花が咲き、鐘の声が聞えて余所の光明に照されながら酔心地えいごこちになっていた事がある。そういう時はあらゆる物事が身に近く手に取るように思われて己も生きた世界の中の生きた一人と感じたものだ。そういう時はあらゆる人の胸を流れる愛のながれが、己の胸にも流れて来て、胸が広うなったような心持がしたものだ。今はそんな心持は夢にもせぬ。この音楽がもう少しこのまま聞えていて、己の心を感動させてくれれば好い。これを聞いているあいだは、何だか己の性命が暖かく面白く昔に帰るような。そして今まで燃えた事のある甘い焔がことごとく再生して凝りかたまった上皮を解かしてしまって燃え立つようだ。この良心の基礎から響くような子供らしく意味深げな調を聞けば、今まで己のうなじ押屈おしかがめていた古臭い錯雑した智識ちしきの重荷が卸されてしまうような。そして遠い遠い所にまだ夢にも知らぬ不思議の生活があって、限無き意味を持っている形式に現われているのが、鐘ので知らされているような。(ほとんど突然と音楽の声む。)や、音楽が止んだ。己の心を深く動かした音楽が、神と人との間の不思議をきかせるような音楽が止んだ。大方おおかた己のために不思議の世界を現じた楽人は、詰らぬ乞食か何かで、かどに立って楽器を鳴らしていたのが、今は曲をおわったので帽子でも脱いで、その中へ銅貨を入れて貰おうとしているのだろう。(右手の窓の処に立ち寄る。)この窓の下の処には立っていない。どうも不思議だ。何処どこにいるのか知らん。あっちの方の窓からのぞいて見よう。(右手扉の方へかんとする時、死あらわれ、しずか垂布たれぎぬうしろにはねて戸口に立ちおる。ヴァイオリンは腰に下げ、弓を手に持ちいる。驚きてたじたじとさがる主人を、死はしずかに見やりいる。)まあ、何という気味の悪い事だろう。お前のいとはあれほど優しゅう聞えたのに、お前の姿を見ると、体中からだじゅうが縮みあがるような心持がするのはどうしたものだ。それに何だかのどが締るようで、髪の毛が一本一本上に向いて立つような心持がする。どうぞ帰ってくれい。お前は死だな。ここに何の用がある。ええ気味の悪い。どうぞ帰ってくれい。ええ、声を立てようにも声も立てられぬわい。(へたへたと尻餅しりもちを突く。)命の空気が脱け出てしまうような。どうぞ帰ってくれい。誰がお前を呼んだのか。帰れ帰れ。誰がお前をこのうちに入れたのか。

死。立て。その親譲りの恐怖心をててしまえ。わしは何もそう気味の悪い者ではない。わしは骸骨がいこつでは無い。男神おがみジオニソスや女神めがみウェヌスの仲間で、霊魂の大御神おおみかみがわしじゃ。わしのそよぎはすべて世の中の熟したものの周囲めぐりに夢のように動いておるのじゃ。其方そちもある夏の夕まぐれ、黄金色こがねいろに輝く空気のうちに、の一ひらひらめき落ちるのを見た時に、わしの戦ぎを感じた事があるであろう。およそ感情の暖かい潮流が其方そちの心にみなぎって、其方そちが大世界の不思議をふと我物と悟った時、其方そち土塊つちくれから出来ている体がふるえた時には、わしの秘密の威力が其方そちの心の底に触れたのじゃ。

主人。もう好い好い。わかった。まだ胸はつかえているが、かくお前を歓迎する。(間。)しかし何の用があってへ来たのだ。

死。ふむ。わしの来るのには何日いつでも一つしか用事はないわ。

主人。まだそれまでにはがあるはずだ。一枚のでも、枝を離れて落ちるまでには、たっぷり木の汁を吸っている。己はそこまでになってはいぬ。己はまだ生きるというように生きて見た事がないのだ。

死。兎に角、誰も歩く命の駅路うまやじ其方そちも歩いて来たのじゃ。

主人。己も若い時はあったに違いないが、その時は譬えば子供のむしった野の花が濁ったながれの上に落ちて、我知らず流れるように、若いあいだの月日は過ぎ去って、己はついぞそれを生活だと思った事は無い。それから己は生活の格子戸の前に永らく立っていたものだ。そして何日いつかはかみなりのようなおとがして、その格子戸がくだろうと、甘いあくがれを胸に持って待っていて見たけれど、とうとう格子戸はかずにしまった。そうかと思えばある時己はどうしてはいったともなく、その戸の中にはいっていた事もある。しかしその時は己の心が何物かに縛られていて、深い感じは起さずにしまった。そういう時は見ても見えず、聞いても聞えず、心は何処どこか余所になってしまっていて、とうとい熱も身をあたためず、貴い波も身を漂わさず、ほかの人が何日いつか出会って、一たびは争って、ついには恵みを受けるならいの神には己は逢わずにしまった。

死。いや。この世の生活をこの世らしゅう生きて通る事だけは、誰にも授けられているように、其方そちにもたしかに授けてあった。其方そちの心の奥にも、このあらゆる無意味な物事の混沌こんとんたる中へ関係の息を吹込む霊魂は据えてあった。この霊魂を寝かして置いて混沌たる物事を、生きた事業や喜怒哀楽の花園に作り上げずにいて、それを今わしが口から聞くというのは、其方そちの罪じゃ。人というものは縛せられてもおり、またある機会にはそのばくを解かれもするものじゃ。夢のうちに泣いて苦労に疲れて胸にはあくがれの重荷を負うて暖かい欲望を抑えながらも、熟すればわしの手に落ちるのが人生じゃ。

主人。その熟している己ではないから、どうぞ許して貰いたい。己はまだこの世の土にかじり付いていたいのだ。お前に逢うてのおそろしさに、己のばくが解けてしまった。どうやらこれからは本当に生きて見られそうな。今のように強い欲望があるからは、この世の物事にたましいを打入れて見る事も出来よう。これからさき生かして置いてくれるなら、己は決しての人間を物の言えぬ着物のように、または土偶でくか何かのように扱いはせぬ。どんな詰まらぬよろこびでも、どんな詰らぬなげきでも、己はしんから喜んで真から歎いて見るつもりだ。人生の柱になっている誠というものもこれからは覚えて見たい。これからは善と悪とが己を自由に動かして、己を喜ばせたりおこらせたりするようにしようと思う。そうしたならば今まで影のように思っていた世の中の物事が生きて働くようになろう。そうしたら受ける身も授ける身も今までのようにひややかになっていないで、いたる処生きた人間に逢われよう。(死は冷然として取り合わぬ様子ゆえ、主人は次第におそれいだく。)どうぞどうぞ思い返して見てくれい。お前は己が愛をもにくみをもけみして来たように思うであろうが、己はただの一もその味を真からめた事がない。つい表面うわべの見えや様子や、空々しいことばを交して来たばかりだ。その証拠にお前に見せる物がある。この手紙の一束を見てくれい。(忙がしげに抽斗ひきだしを開け、一束の手紙を取りいだす。)恋の誓言せいごん、恋の悲歎ひたん、何もかもこの中に書いてはある。己が少しでもそれを心に感じたのだと思って貰うと大違いだ。(主人は手紙の束を死の足許あしもとに投げ付く。手紙床の上に飛び散る。)これが己の恋の生涯だ。誠という物をあざみ笑って、己はただ狂言をして見せたのだ。恋ばかりではない。何もかもこの通りだ。意義もない、幸福もない、苦痛もない、慈愛もない、憎悪もない。

死。阿房たわけものめが。いわ。今この世のいとまを取らせる事じゃから、たった一本当の生活というものをとうとばねばならぬ事を、其方そちに教えて遣わそう。あっちに行って黙って立っていてここの処を好く見て、凡そこの世に生きとし生けるものは、みんな慈愛を持っているのに、其方そち一人がうつろな心でたわけながらに世を渡ったのじゃという事をしかと胸に覚えるがい。

(死は物を呼び寄するが如きおとをヴァイオリンにてたんいだす。この時死は寝室の扉のかたわら、舞台の前のかた、右手に立ちおり、主人は左手壁のかた、薄暗き処に立ちおる。右手の扉を開きて主人の母きたる。更けたりという程にはあらず。長き黒き天鵞絨の上着を着し、顔の周囲まわりに白きレエスを付けたる黒き天鵞絨の帽子をかむりおる。白き細き指にレエスの付きたる白き絹の紛帨ハンカチイフを持ちおる。母はしずかに扉を開きて出で、しずかに一うちをあちこち歩む。)

母。この部屋の空気を呼吸すれば、まあ、どれだけの甘い苦痛を覚える事やら。わたしがこの世に生きていたあいだの生活の半分はラヴェンデルの草の優しいにおいのように、この部屋の空気に籠っている。人の母の生涯というものは、かなしみが三一で、あとの二は心配と責苦せめくとであろう。男というものにはそれがちっとも分らぬわいの。(櫃のそばにて。)この櫃の隅はまだ尖っているやら。日外いつぞや、あの子がここで頭を打って血を出した事がある。まだ小さいのに気が荒かったゆえ、走りまわってばかりいて、あれ危ないと思ってもめる事が出来なんだ。ああ、この窓じゃ。あの子が夜あそびに出て帰らぬ時は、わたしは何時いつもここに立って真黒まっくろな外を眺めて、もうあの子の足音がしそうなものじゃと耳を澄まして聞いていて、二時が打ち三時が打ち、とうとうの明けた事も度々ある。それをあの子は知らなんだ。昼間も大抵一人でいた。盆栽の花に水を遣ったり、布団のちりはらったり、扉のつまみ真鍮しんちゅうを磨いたりする内に、つい日はってしもうた。そのあいだ、頭のうちには、まあ、どんな物があったろう。夢のような何とも知れぬ苦痛の感じが、車の輪のまわるように、頭のなかに動いていた。あの何とも言えぬ心持は、この世界の深い深い秘密と関係している人の母の心であろう。しかしもうわたしにはあの甘いくるしみを持っている、ここの空気を吸う事は出来ぬ。わたしはもう行かねばならぬ。(真中まんなかの戸口より出で去る。)

主人。お母様かあさま

死。黙れ。其方そちが母はもう帰らぬわ。

主人。お母様。お母様。どうぞ今一へ戻って来て下さりませ。このわたしの唇は何日いつしっかり結んでいて高慢らしく黙っていたのだが、今こそは貴女あなたの前にひざを突いて、この顫う唇を開けてわたくしの真心が言って見たい。ああ、何卒どうぞ母上を呼んでくれい。引きめてくれい。何故なぜお前は母上の帰ってくのを見ていながら引留めてはくれなんだか。

死。わしの知った事では無い。母に対してどうするのも、みんな其方そちの思うままであったのじゃ。

主人。ええ、この胸に何の感じもなかったか。この身の根差ねざしはあのお母様であるのを、あのお母様のお側にいるのは、神のかたわらにいるのと同じわけであるのを、己は一も知らなんだ。もうこうなっては取返しがつかぬわい。

(死は主人の煩悶はんもんを省みず、古民謡の旋律をたんいだす。娘一人、しずかに歩みる、派手なる模様あるあっさりとしたる上着を着、ひもを十字に結びたる靴を穿き、帽子を着ず、くび周囲まわりにヴェエルをまとえり。)

娘。あの時の事を思えば、まあ、どんなに嬉しかったろう。貴方あなたはもう忘れておしまいなされたか。貴方はわたしを非道ひどい目におあわせなさいました。ほんにほんに非道いめに。だが、世の中の事は何でも苦痛に終らぬ事は無い。ほんにわたしの嬉しいと思ったその数は、指を折って数えるほどであるけれど、その日の嬉しかった事は夢のようでございました。この窓の前の盆栽の花は、今もやはり咲いている。ここにはまたその頃のがたがたするような小さいスピネット(楽器)もある。この箪笥たんすはわたしが貴方に頂いた御文おふみを貴方の下すった品物と一しょに入れて置いた処でございます。わたしのためには御文も品物も優しい唇で物をいってくれました。何日いつやら蒸暑い日の夕方に、雨が降って来た時に貴方と二人でこの窓の処に立って濡れた樹々のこずえから来るかおりを聞いた事があります。ああ、何もかもみんな過ぎ去ってしまいました。そしてみんはかない恋の小さい奥城おくつきの中に埋まってしまいました。しかしその埋まったものは何もかも口でいわれぬ程美しゅうございました。それは貴方のせいで美しかったのでございます。それなのに貴方はとうとうわたくしを無慙むざんにもてておしまいなさいました。丁度花を持って遊ぶ子が、遊びあきてその花を打捨うっちゃってしまうように、貴方はわたしを捨てておしまいなさいました。悲しい事にはわたくしは、その時になって貴方の心をつなぐようなものを持っていませんでした。(間。)貴方の一番しまいに下すったあの恐ろしいお手紙が届いた時は、わたしは死のうと思いました。それを今打明けて申すのは、貴方に苦しい思いをさせようと思って申すのではございません。それからわたしは貴方に最後の御返事ごへんじを致そうかと存じました。その手紙には非道く悲しい事も書かず、うらみがましい事も書かず、つい貴方のお心にわたしの心がよう分って、貴方が今一わたしを可哀く思って少しばかり泣いて下さるように書きたいと存じました。しかしわたしはとうとうその手紙を書かずにしまいました。そんな手紙が何になりましょうぞ。何故なぜと申しまするのに、貴方の下すったお手紙はわたしの心のうちを光明と熱とで満したようで、わたしはあれを頂く頃は昼中ひるなかも夢を見ているように、うろうろしておりましたが、あれがどれだけの事であったやら、後で思えばわたくしには分りません。仮令たといお手紙を上げたとて、うそまことになりもせず、涙をどれ程そそいでも死んだものが生き戻りはいたしますまい。世の中は不患議なもので、わたしもそのまま死にもせず、あれから幾十いくその寂しさ厭苦つらさをけみした上でわたしは漸々ようよう死にました。そしてその時わたしは何卒どうぞ貴方のおしになさる時、今一お側へ来たいと心に祈って死にました。それは貴方に怖い思をさせたり、貴方をいじめたりしようというのではございませぬ。譬えて申せば貴方が一杯の酒を呑乾のみほしておしまいなさる時、その酒のがいつか何処どこかであった嬉しさのにおいに似ていると思召おぼしめすように、貴方が末期まつごにわたくしの事を思い出して下されば好いと思ったばかりでございます。(娘去る。主人は両手にて顔を覆いいる。娘の去るや否や、一人の男すぐに代りて入来いりきたる。年齢はおよそ主人と同じ位なり。旅路にてよごれたりと覚しき衣服を纏いいる。左の胸に突込つっこんだるナイフの木の現われおる。この男舞台の真中まんなかに立ち留まり主人に向いて語る。)

男。はあ。君はまだこの世に生きているな。永遠の洒落者しゃれものめ。君はまだホラチウスの書なぞを読んで世をあざけっているのかい。僕が物に感じるのを見て、君は同じように感じると見せて好くも僕をだましたな。君はあの時何といった。実にこの胸に眠っているものを、よる吹く風が遠い便たよりを持って来るようにお蔭で感じるといったのう。実に君は風の伝える優しい糸のだったよ。ただその風というものが実はたれかの昔いた息であったのだ。僕の息でなければ外の人の息であったのだ。ほんに君と僕とは大分だいぶ長い間友人と呼び合ったのだ。ははあ、何が友人だ。君が僕と共にしたのは、夜昼とない無意味の対話、同じ人との交際つきあい、一人の女を相手にしての偽りの恋に過ぎぬ。共にしたとはいうけれど、譬えば一家の主僕しゅうぼくがその家を、輿こしを、犬を、三の食事を、むちを共にしていると変った事はない。一人のためにはその家は喜見城きけんじょうで、一人のためには牢獄ろうごくだ。一人のためには輿は乗るもので、一人のためには輿は肩から血を出すものだ。一人のためには犬は庭へ出て輪をくぐって飛ばせて見て楽むもので、一人のためには食物しょくもつをやって介抱をするものだ。僕のたましいの生み出した真珠のような未成品の感情を君はとっ手遊おもちゃにして空中になげうったのだ。たちましたしみ、忽ちうとんずるのが君のならいで、み合せた歯をめったに開かず、真心を人の腹中に置くのが僕の性分であった。不遠慮に何にでも手を触れるのが君の流儀で、口から出かかった詞をも遠慮勝えんりょがち半途はんとめるのが僕の生付うまれつきであった。この二人の目の前にある時一人の女子おなごが現れた。僕の五官は疫病えやみにでも取付とりつかれたように、あの女子おなごのために蹣跚よろめいてただ一つの的をねらっていた。この的この成就はやみうち電光いなずまの閃くような光と薫とを持っているように、僕には思われたのだ。君はそれをはたから見て後で僕に打明うちあけてこうった。あいつの疲れたような渋いような威厳が気に入った。あの若さで世のいつわりに欺かれたのを悔いたような処のあるのを面白く感じたと云った。そこでだましてうぬが手に入れて散々弄んだ揚句にかすを僕に投げてくれた。姿も心も変り果てて、渦巻いていた美しい髪の毛が死んだもののように垂れている化物にして、それを僕に授けたのだ。それまでは、何処どこやら君の虚偽を感じてはいてもはっきり君を憎むという心もなかったが、その時から僕は君を憎み始めて、君から遠ざかるようにした。そののち僕は君とまじわっている間、君の毒気どくきてられて死んでいた心を振い起して高いのぞみいだいたのだが、そのお蔭で無慙な刺客しかくの手にかかって、このやいばを胸に受けて溝壑こうがくに捨てられて腐ってしまったのだ。しかし君のように誰のためにするでもなく、誰の恩を受けるでもなく、むなしく生きて空しく死ぬるのに比べて見れば、僕は死んでも死甲斐しにがいがあるのだ。(男去る。)

主人。誰のためにするでもなく、誰の恩を受けるでもない。(しずかに身を起す。)譬えば下手な俳優があるきっかけで舞台に出て受持うけもちだけのせりふ饒舌しゃべり、周匝まわりの役者に構わずにうぬが声をうぬが聞いて何にも胸に感ぜずに楽屋に帰ってしまうように、おれはこの世に生れて来て何の力もなく、何の価値もなく、このままこの世を去らねばならぬか。何でこれ程のおもいを己はせねばならぬのか。何で死が現われて来て、こうまざまざと世のさまを見せてくれねばならぬのか。実在のものがはかな思出おもいでの影のように見えるまで、まことの生活の物事にこの心を動かさねばならぬのか。何故なぜお前のいた糸のが丁度石瓦いしかわらの中にめられていた花のように、意識の底に隠れている心の世界を掻き乱してくれたのか。ええ、こうなる上はたる浮世の事に乱されずに、何日いつもお前の糸のを聞いてお前の側にいるも好かろう。己を死に導いてくれるなら己は甘んじていてこう。今までの己はせいとはいってもまことの生ではなかったから、己は今から己の死を己の生にして見よう。死も生も認めぬ己が強いて今までを生といって、お前を死と呼ばねばならぬはずがない。お前はわずか一秒のうちに生涯を籠めて見せてくれた。そのお前の不思議な威力に己の身を任せてしまって、今までの影のような生涯を忘れてしまおう。(暫く物を案ずる様子。)思えばこう感じるのも死にかかっての一の事かも知れぬが、兎に角今までにこれ程感じた事はないから、己のためには幸福だ。このまま死んでしもうても、今わが胸に充ちたものは、今までの色ももない生活にははるかまさっているに違いない。己は己の存在を死んで初めて知るのであろう。譬えば夢を見る人が、夢の感じのあふれたために、の覚めるのと同じように、この生活の夢の感じの力で、己は死に目覚めさめるのか。(息絶えて死の足許あしもとに伏す。)

死。(首を振りつつしずかに去る。)思えば人というものは、不思議なものじゃ。すべからざるものをもし、ふみに書かれぬものをも読み、乱れて収められぬものをも収めて、ついには永遠の闇のうちに路を尋ねてくと見える。(中央の戸より出で去り、詞の末のみ跡に残る。室内せきとして声無し。窓の外に死のヴァイオリンをたんじつつ過ぎ行くを見る。その跡にきて主人の母き、娘き、それに引添いて主人しゅじんに似たる影く。

○幕)
(明治四十一年十二月)

底本:「於母影 冬の王 森鴎外全集12」ちくま文庫、筑摩書房

   1996(平成8)年321日第1刷発行

入力:門田裕志

校正:米田

2010年85日作成

2011年423日修正

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。