(和)茗荷
三遊亭円朝



 或旅宿あるやど亭主ていしゆふさんで、主「うも宿泊人とまりがなくつてはやうがない、なんとかうま工夫くふういものから……ウム、日外いつぞや説教せつけうで聞いた事が釈迦如来しやかによらいのお弟子でし槃特はんどくふがあつて、いたつて愚鈍おろかにしてわすれつぽい……托鉢たくはつに出て人におまへさんの名はと聞かれても、自分の名さへ忘れるとふのだから、釈迦如来しやかによらい槃特はんどくの名を木札きふだに書き、これを首にけて托鉢たくはつに出したとふ、槃特はんどく相果あひはてゝからこれはうむると、其墓場そのはかばえたのが茗荷めうがだとふ事だ、されば「名をになふ」と書いて「めうが」とませる、だから茗荷めうがへば馬鹿ばかになる、今度こんどお客がとまつたら茗荷めうがはせよう、さうしたら無闇むやみに物を忘れてくだらう、ナニ此方こつち泥坊どろばうたのぢやアないからつみにはならねえや。しきりに考へんでところへ、客「ハイ御免ごめんなさい。主人「へいこれはいらつしやい。客「両掛りやうがけ其方そつちへおあづかり下さい。主人「へい〳〵かしこまりました。客「おいてりますかな。主人「エヽいてります…おくの二番へ御案内ごあんないまうしなよ。客「エヽ此莨入このたばこいれ他人ひとからの預物あづかりものですから其方そつちへおあづかりなすつて、それから懐中ふところちつとばかり金子かねがありますが、これも一しよにおあづかりなすつて。主「へい〳〵かしこまりました。これから湯に這入はいる、御膳ごぜんが出る、おしる向附むかうづけみな茗荷尽目めうがづくめ。客「ハアめううちだ。と思ひながら御飯ごぜんましてねどこく。翌朝よくてうになると早々さう〳〵客人きやくじんは立つてしまつた。妻「モシおまへさん。主「エヽ。妻「のお客は忘れてつたね。主「うだ奇態きたいなものだらう、茗荷めうがふと馬鹿ばかになるとふが、じつに不思議なもんだな。妻「本当ほんたうにさうだね。話をしてところ客人きやくじんがせつせとかへつてて、客「おい〳〵あのね、いま田圃たんぼまで出て肩を取換とりかへようと思つてやると両掛りやうがけいのでおどろいた、あんまり急いだので両掛りやうがけを忘れました。妻「おやまアこれ御座ございます、つひわたしはうでも心附こゝろづきませんでした。客「ナニこれさへあれば大丈夫だいぢやうぶ。とつてしまつた。妻「はー、わたし彼奴あいつが取りにた時びつくりしましたよ、だけれども莨入たばこいれを忘れてつたよ。主「だからよ、不思議ふしぎぢやねえか。客「おい御亭主ごていしゆ。主「おやおかへりなさい。客「アノ今ね、田圃たんぼへ出て一ぷくやらうと思つていた、莨入たばこいれを忘れて出かけたのを…………。主「ヘイ、成程なるほど此品このしな御座ございますか。客「ウム、これさへあれば大丈夫だ。主「ウフ……両掛りやうがけ莨入たばこいれつてつても、肝心かんじん胴巻どうまきを忘れてきやアがつた、なんでも百りやうからるやうだぜ、妻「うも本当に奇妙きめうだね、主「おやまたかへんなすつた。客「昨夜ゆふべまへさんにあづけた、アノ胴巻どうまきしてんな。主「はい〳〵此品このしな御座ございますか。客「イヤこれを忘れちや大事おほごとだ、アヽ有難ありがたい、はい左様さやうなら。主「ア、つちまつた。妻「あれだけ茗荷めうがはせてなにを忘れたんだらう。主「ヤ、彼奴あいつめ、昨夜ゆふべ宿泊料はたごれうはらふのを忘れてきアがつたんだわえ。

底本:「明治の文学 第3巻 三遊亭円朝」筑摩書房

   2001(平成13)年825日初版第1刷発行

底本の親本:「定本 円朝全集 巻の13」世界文庫

   1964(昭和39)年6月発行

入力:門田裕志

校正:noriko saito

2009年619日作成

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