化鳥
泉鏡花



       一


 愉快おもしろいな、愉快いな、お天気が悪くって外へ出て遊べなくってもいや、かさを着て、みのを着て、雨の降るなかをびしょびしょ濡れながら、橋の上を渡ってくのはいのししだ。

 菅笠すげがさ目深まぶかかぶって、しぶきに濡れまいと思って向風むかいかぜ俯向うつむいてるから顔も見えない、着ている蓑のすそ引摺ひきずって長いから、脚も見えないで歩行あるいてく、脊の高さは五尺ばかりあろうかな、猪、としてはおおきなものよ、大方猪ン中の王様があんな三角なりの冠をて、まちへ出て来て、そして、私の母様おっかさんの橋の上を通るのであろう。

 トこう思って見ていると愉快おもしろい、愉快い、愉快い。

 寒い日の朝、雨の降ってる時、私の小さな時分、何日いつかでしたっけ、窓から顔を出して見ていました。

母様おっかさん愉快おもしろいものが歩行あるいてくよ。」

 その時母様は私の手袋をこしらえていて下すって、

「そうかい、何が通りました。」

「あのウ猪。」

「そう。」といって笑っていらっしゃる。

「ありゃ猪だねえ、猪の王様だねえ。

 母様おっかさん。だって、おおきいんだもの、そして三角なりの冠を被ていました。そうだけれども、王様だけれども、雨が降るからねえ、びしょぬれになって、可哀相かわいそうだったよ。」

 母様は顔をあげて、こっちをお向きで、

「吹込みますから、お前もこっちへおいで、そんなにしていると、衣服きものが濡れますよ。」

「戸を閉めよう、母様、ね、ここんとこの。」

「いいえ、そうしてあけておかないと、お客様が通っても橋銭を置いて行ってくれません。ずるいからね、引籠ひっこもって誰も見ていないと、そそくさ通抜けてしまいますもの。」

 私はその時分は何にも知らないでいたけれども、母様おっかさんと二人ぐらしは、この橋銭で立って行ったので、一人ひとり前いくらかずつ取って渡しました。

 橋のあったのは、まちを少し離れた処で、堤防どてに松の木が並んでうわっていて、橋のたもとえのきが一本、時雨榎しぐれえのきとかいうのであった。

 この榎の下に、箱のような、小さな、番小屋を建てて、そこに母様と二人で住んでいたので、橋は粗造な、まるで、間に合せといったような拵え方、くいの上へ板を渡して竹を欄干にしたばかりのもので、それでも五人や十人ぐらい一時いっときに渡ったからッて、少し揺れはしようけれど、折れて落ちるような憂慮きづかいはないのであった。

 ちょうどまちの場末に住んでる日傭取ひようとり、土方、人足、それから、三味線さみせんを弾いたり、太鼓をならしてあめを売ったりする者、越後獅子えちごじしやら、猿廻さるまわしやら、附木つけぎを売る者だの、唄を謡うものだの、元結もっといよりだの、早附木の箱を内職にするものなんぞが、目貫めぬきまちへ出て往帰ゆきかえりには、是非母様おっかさんの橋を通らなければならないので、百人と二百人ずつ朝晩にぎやかな人通りがある。

 それからまた向うから渡って来て、この橋を越して場末のきたない町を通り過ぎると、野原へ出る。そこンとこは梅林で、上の山が桜の名所で、その下に桃谷というのがあって、谷間たにあい小流こながれには、菖蒲あやめ燕子花かきつばたが一杯咲く。頬白ほおじろ山雀やまがら雲雀ひばりなどが、ばらばらになって唄っているから、綺麗きれいな着物を着た間屋のむすめだの、金満家かねもちの隠居だの、ひさごを腰へ提げたり、花の枝をかついだりして千鳥足で通るのがある。それは春のことで。夏になると納涼すずみだといって人が出る。秋は蕈狩たけがりに出懸けて来る、遊山ゆさんをするのが、みんな内の橋を通らねばならない。

 この間も誰かと二三人づれで、学校のお師匠さんが、内の前を通って、私の顔を見たから、丁寧にお辞儀をすると、おや、といったきりで、橋銭を置かないで行ってしまった。

「ねえ、母様おっかさん、先生もずるい人なんかねえ。」

 と窓から顔を引込ひっこませた。


       二


「お心易立こころやすだてなんでしょう、でもずるいんだよ。よっぽどそういおうかと思ったけれど、先生だというから、また、そんなことで悪く取って、お前が憎まれでもしちゃなるまいと思って、黙っていました。」

 といいいい母様おっかさんは縫っていらっしゃる。

 お膝の上に落ちていた、一ツの方の手袋の、恰好かっこうが出来たのを、私は手に取って、てのひらにあててみたり、甲の上へ乗ッけてみたり、

母様おっかさん、先生はね、それでなくっても僕のことを可愛がっちゃあ下さらないの。」

 と訴えるようにいいました。

 こういった時に、学校で何だか知らないけれど、私がものをいっても、快く返事をおしでなかったり、ねたような、けんどんなような、おもしろくないことばをおかけであるのを、いつでもなさけないと思い思いしていたのを考え出して、少しふさいで来て俯向うつむいた。

「なぜさ。」

 何、そういう様子の見えるのは、つい四五日前からで、そのさきにはちっともこんなことはありはしなかった。帰って母様おっかさんにそういって、なぜだか聞いてみようと思ったんだ。

 けれど、番小屋へ入るとすぐ飛出して遊んであるいて、帰ると、御飯を食べて、そしちゃあ横になって、母様の気高い美しい、頼母たのもしい、穏当な、そして少しせておいでの、髪を束ねてしっとりしていらっしゃる顔を見て、何か談話はなしをしいしい、ぱっちりと眼をあいてるつもりなのが、いつか、そのまんまで寝てしまって、眼がさめると、またすぐ支度をすまして、学校へくんだもの。そんなこといってるひまがなかったのが、雨で閉籠とじこもって、淋しいので思い出した、ついでだから聞いたので。

「なぜだって、何なの、この間ねえ、先生が修身のお談話はなしをしてね、人は何だから、世の中に一番えらいものだって、そういつたの。母様おっかさん、違ってるわねえ。」

「むむ。」

「ねッ違ってるワ、母様。」

 ともみくちゃにしたので、吃驚びっくりして、ぴったり手をついて畳の上で、手袋をのした。横にしわが寄ったから、引張ひっぱって、

「だから僕、そういったんだ、いいえ、あの、先生、そうではないの。人も、猫も、犬も、それから熊も、みんなおんなじ動物けだものだって。」

「何とおっしゃったね。」

「馬鹿なことをおっしゃいって。」

「そうでしょう。それから、」

「それから、(だって、犬や、猫が、口を利きますか、ものをいいますか)ッて、そういうの。いいます。雀だってチッチッチッチッて、母様おっかさんと、父様おとっさんと、こども朋達ともだちみんなで、お談話はなしをしてるじゃあありませんか。僕眠い時、うっとりしてる時なんぞは、耳ンとこに来て、チッチッチて、何かいって聞かせますのッてそういうとね、(つまらない、そりゃさえずるんです。ものをいうのじゃあなくッて囀るの、だから何をいうんだか分りますまい)ッて聞いたよ。僕ね、あのウだってもね、先生、人だって、大勢で、みんなが体操場で、てんでに何かいってるのを遠くンとこで聞いていると、何をいってるのかちっとも分らないで、ざあざあッて流れてる川の音とおんなしで、僕分りませんもの。それから僕の内の橋の下を、あのウ舟いでくのが何だか唄ってくけれど、何をいうんだかやっぱり鳥が声を大きくして長くひっぱって鳴いてるのと違いませんもの。ずッと川下の方で、ほうほうッて呼んでるのは、あれは、あの、人なんか、犬なんか、分りませんもの。雀だって、四十雀しじゅうからだって、軒だの、榎だのにとまってないで、僕と一所に坐って話したらみんな分るんだけれど、離れてるから聞えませんの。だって、ソッとそばへ行って、僕、お談話しようと思うと、皆立っていってしまいますもの、でも、いまに大人になると、遠くで居ても分りますッて。小さい耳だから、沢山いろんな声が入らないのだって、母様が僕、あかさんであった時分からいいました。犬も猫も人間もおんなじだって。ねえ、母様、だねえ母様、いまに皆分るんだね。」



       三


 母様おっかさん莞爾にっこりなすって、

「ああ、それで何かい、先生が腹をお立ちのかい。」

 そればかりではなかった、私の児心こどもごころにも、アレ先生が嫌な顔をしたな、トこう思って取ったのは、まだモ少し種々いろんなことをいいあってから、それから後の事で。

 はじめは先生も笑いながら、ま、あなたがそう思っているのなら、しばらくそうしておきましょう。けれども人間には智慧ちえというものがあって、これにはほかの鳥だの、けだものだのという動物が企て及ばないということを、私が河岸に住まっているからって、例をあげておさとしであつた。

 つりをする、網を打つ、鳥をさす、みんな人の智慧で、何も知らない、分らないから、つられて、刺されて、たべられてしまうのだトこういうことだった。そんなことは私聞かないで知っている、朝晩見ているもの。

 橋を挟んで、川をさかのぼったり、流れたりして、流網ながれあみをかけてうおを取るのが、川ン中に手拱てあぐらかいて、ぶるぶるふるえて突立つッたってるうちは、顔のある人間だけれど、そらといって水に潜ると、さかさになって、水潜みずくぐりをしいしい五分間ばかりも泳いでいる、足ばかりが見える。その足の恰好かっこうの悪さといったらない。うつくしい、金魚の泳いでる尾鰭おひれの姿や、ぴらぴらと水銀色を輝かして跳ねてあがるあゆなんぞの立派さにはまるでくらべものになるのじゃあない。そうしてあんな、水浸みずびたしになって、大川の中から足を出してる、こんな人間がありますものか。で、人間だと思うとおかしいけれど、川ン中から足が生えたのだと、そう思って見ているとおもしろくッて、ちっとも嫌なことはないので、つまらない観世物みせものを見にくより、ずっとまし、なのだって、母様がそうおいだから、私はそう思っていますもの。

 それから、釣をしてますのは、ね、先生、とまたその時先生にそういいました。あれは人間じゃあない、きのこなんで、御覧なさい。片手ふところって、ぬうと立って、笠をかぶってる姿というものは、堤防どての上に一ぽん占治茸しめじが生えたのに違いません。

 夕方になって、ひょろ長い影がさして、薄暗い鼠色の立姿にでもなると、ますます占治茸で、ずっと遠い遠い処まで一ならびに、十人も三十人も、小さいのだの、大きいのだの、短いのだの、長いのだの、一番橋手前のをかしらにして、さかり時は毎日五六十本も出来るので、またあっちこっちに五六人ずつも一団ひとかたまりになってるのは、千本しめじッて、くさくさに生えている、それは小さいのだ。木だの、草だのだと、風が吹くと動くんだけれど、蕈だから、あの、蕈だからゆっさりとしもしませぬ。これが智慧があって釣をする人間で、ちっとも動かない。その間にうおみんなで悠々と泳いであるいていますわ。

 また智慧があるっても、口を利かれないから鳥とくらべッこすりゃ、五分々々のがある、それは鳥さしで。

 過日いつかじゅう見たことがありました。

 余所よそのおじさんの鳥さしが来て、私ンとこの橋のつめで、榎の下で立留まって、六本めの枝のさきに可愛い頬白ほおじろが居たのを、さおでもってねらったから、あらあらッてそういったら、ッ、黙って、黙って。こわい顔をして私をめたから、あとじさりをして、そッと見ていると、呼吸いきもしないで、じっとして、石のように黙ってしまって、こう据身すえみになって、中空を貫くように、じりっと棹をのばして、ねらってるのに、頬白は何にも知らないで、チ、チ、チッチッてッて、おもしろそうに、何かいってしゃべっていました。それをとうとうつッついてさして取ると、棹のさきで、くるくると舞って、まだはげしく声を出して鳴いてるのに、智慧のある小父さんの鳥さしは、黙って、鰌掴どじょうづかみにして、腰の袋ン中へねじり込んで、それでもまだ黙って、ものもいわないで、のっそりっちまったことがあったんで。


       四



 頬白は智慧ちえのある鳥さしにとられたけれど、さえずってましたもの。ものをいっていましたもの。おじさんはだんまりで、そばに見ていた私までものを言うことが出来なかったんだもの。何もくらべっこして、どっちがえらいとも分りはしないって。

 何でもそんなことをいったんで、ほんとうに私そう思っていましたから。

 でも、それを先生が怒ったんではなかったらしい。

 で、まだまだいろんなことをいって、人間が、鳥やけだものよりえらいものだとそういっておさとしであったけれど、海ン中だの、山奥だの、私の知らない、分らない処のことばかりたとえに引いていうんだから、口答くちごたえは出来なかったけれど、ちっともなるほどと思われるようなことはなかった。

 だって、私、母様おっかさんのおっしゃること、虚言うそだと思いませんもの。私の母様がうそをいって聞かせますものか。

 先生は同一組おなじクラス小児こども達を三十人も四十人も一人で可愛がろうとするんだし、母様は私一人可愛いんだから、どうして、先生のいうことは私をだますんでも、母様がいってお聞かせのは、決して違ったことではない、トそう思ってるのに、先生のは、まるで母様のと違ったこというんだから心服はされないじゃありませんか。

 私がうなずかないので、先生がまた、それでは、みんなあなたの思ってる通りにしておきましょう。けれども木だの、草だのよりも、人間が立ちまさった、立派なものであるということは、いかな、あなたにでも分りましょう、まずそれを基礎どだいにして、お談話はなしをしようからって、聞きました。

 分らない、私そうは思わなかった。

「あのウ母様おっかさん(だって、先生、先生より花の方がうつくしゅうございます)ッてそうつたの。僕、ほんとうにそう思ったの、お庭にね、ちょうど菊の花の咲いてるのが見えたから。」

 先生は束髪に結った、色の黒い、なりの低い巌乗がんじょうな、でくでくふとった婦人おんなの方で、私がそういうと顔を赤うした。それから急にツッケンドンなものいいおしだから、大方それが腹をお立ちの原因であろうと思う。

「母様、それで怒ったの、そうなの。」

 母様は合点がってん々々をなすって、

「おお、そんなことを坊や、お前いいましたか。そりゃお道理だ。」


 といって笑顔をなすったが、これは私の悪戯いたずらをして、母様のおっしゃることかない時、ちっとも叱らないで、恐い顔しないで、莞爾にっこり笑ってお見せの、それとかわらなかった。

 そうだ。先生の怒ったのはそれに違いない。

「だって、虚言うそをいっちゃあなりませんって、そういつでも先生はいう癖になあ。ほんとうに僕、花の方がきれいだと思うもの。ね、母様、あのおやしきの坊ちゃんの、青だの、紫だのまじった、着物より、花の方がうつくしいって、そういうのね。だもの、先生なんざ。」

「あれ、だってもね、そんなこと人の前でいうのではありません。お前と、母様のほかには、こんないいこと知ってるものはないのだから。分らない人にそんなこというと、怒られますよ。ただ、ねえ、そう思っていればのだから、いってはなりませんよ。可いかい。そして先生が腹を立ってお憎みだって、そういうけれど、何そんなことがありますものか。それはみんなお前がそう思うからで、あの、雀だってって、拾ってるのを見て、嬉しそうだと思えば嬉しそうだし、頬白がおじさんにさされた時悲しい声と思って見れば、ひいひいいって鳴いたように聞えたじゃないか。

 それでも先生が恐い顔をしておいでなら、そんなものは見ていないで、今お前がいった、そのうつくしい菊の花を見ていたら可いでしょう。ね、そして何かい、学校のお庭に咲いてるのかい。」

「ああ沢山。」

「じゃあその菊を見ようと思って学校へおいで。花はね、ものをいわないから耳に聞えないでも、そのかわり眼にはうつくしいよ。」

 モひとつ不平なのはお天気の悪いことで、戸外おもてには、なかなか雨がやみそうにもない。


       五


 また顔を出して窓から川を見た。さっきは雨脚あめあしが繁くって、まるで、薄墨でいたよう、堤防どてだの、石垣だの、蛇籠じゃかごだの、中洲なかすに草の生えた処だのが、点々ぽっちりぽっちり、あちらこちらに黒ずんでいて、それで湿っぽくって、暗かったから見えなかったが、少し晴れて来たから、ものの濡れたのがみんな見える。

 遠くの方に堤防どての下の石垣の中ほどに、置物のようになって、かしこまって、猿が居る。

 この猿は、誰が持主というのでもない。細引ほそびきの麻縄で棒杭ぼうぐいゆわえつけてあるので、あの、湿地茸しめじたけが、腰弁当の握飯を半分ったり、坊ちゃんだの、乳母ばあやだのが、たもとの菓子を分けて与ったり、あかい着物を着ている、みいちゃんの紅雀べにすずめだの、青い羽織を着ている吉公きちこうの目白だの、それからおやしきのかなりやの姫様ひいさんなんぞが、みんなで、からかいに行っては、花を持たせる、手拭てぬぐいかぶせる、水鉄砲をあびせるという、好きな玩弄物おもちゃにして、そのかわり何でもたべるものを分けてやるので、誰といって、きまって世話をする、飼主はないのだけれど、猿の餓えることはありはしなかった。

 時々悪戯いたずらをして、その紅雀の天窓あたまの毛をむしったり、かなりやを引掻ひっかいたりすることがあるので、あの猿松が居ては、うっかり可愛らしい小鳥を手放てばなしにして戸外おもてへ出してはおけない、誰か見張ってでもいないと、危険けんのんだからって、ちょいちょい縄を解いて放してやったことが幾度もあった。

 放すがはやいか、猿は方々をかけずり廻って勝手放題な道楽をする。夜中に月があかるい時、寺の門を叩いたこともあったそうだし、人の庖厨くりやへ忍び込んで、なべおおきいのと飯櫃めしびつを大屋根へ持って、あがって、手掴てづかみで食べたこともあったそうだし、ひらひらと青いなかから紅いきれのこぼれている、うつくしい鳥の袂を引張ひっぱって、はるかに見える山をゆびさして気絶さしたこともあったそうなり、私の覚えてからも一度誰かが、縄を切ってやったことがあった。その時はこの時雨榎しぐれえのきの枝の両股になってる処に、仰向あおむけに寝転んでいて、烏のあしつかまえた。それからびくに入れてある、あのしめじたけが釣った、沙魚はぜをぶちまけて、散々さんざ悪巫山戯わるふざけをした挙句が、橋のつめの浮世床のおじさんにつかまって、額の毛を真四角まっしかくはさまれた、それで堪忍をして追放おっぱなしたんだそうだのに、夜が明けて見ると、また平時いつもの処に棒杭にちゃんと結えてあッた。蛇籠の上の、石垣の中ほどで、上の堤防どてには柳の切株がある処。

 またはじまった、この通りに猿をつかまえてここへ縛っとくのは誰だろう誰だろうッてひとしきり騒いだのを私は知っている。

 で、この猿には出処がある。

 それは母様おっかさんが御存じで、私にお話しなすった。

 八九年前のこと、私がまだ母様のおなかん中に小さくなっていた時分なんで、正月、春のはじめのことであった。

 今はただ広い世の中に母様と、やがて、私のものといったら、この番小屋と仮橋のほかにはないが、その時分はこの橋ほどのものは、邸の庭の中の一ツの眺望ながめに過ぎないのであったそうで。今、まちの人が春、夏、秋、冬、遊山に来る、桜山も、桃谷も、あの梅林も、菖蒲あやめの池もみんな父様おとっさんので、頬白だの、目白だの、山雀やまがらだのが、この窓から堤防どての岸や、柳のもとや、蛇籠の上に居るのが見える、その身体からだの色ばかりがそれである、小鳥ではない、ほんとうの可愛らしい、うつくしいのがちょうどこんな工合に朱塗しゅぬりの欄干のついた二階の窓から見えたそうで。今日はまだお言いでないが、こういう雨の降ってさみしい時なぞは、その時分ころのことをいつでもいってお聞かせだ。


       六


 今ではそんな楽しい、うつくしい、花園がないかわり、前に橋銭を受取るざるの置いてある、この小さな窓から風がわりな猪だの、希代なきのこだの、不思議な猿だの、まだその他に人の顔をした鳥だの、獣だのが、いくらでも見えるから、ちっとは思出おもいでになるといっちゃあ、アノ笑顔をおしなので、私もそう思って見るせいか、人があるいてく時、片足をあげた処は一本脚の鳥のようでおもしろい。人の笑うのを見るとけだものが大きな赤い口をあけたよと思っておもしろい。みいちゃんがものをいうと、おや小鳥がさえずるかとそう思っておかしいのだ。で、何でも、おもしろくッて、おかしくッて、吹出さずには居られない。

 だけれど今しがたも母様おっかさんがおいいの通り、こんないいことを知ってるのは、母様と私ばかりで、どうして、みいちゃんだの、吉公だの、それから学校の女の先生なんぞに教えたって分るものか。

 人に踏まれたり、られたり、後足で砂をかけられたり、いじめられてさいなまれて、煮湯にえゆを飲ませられて、砂をあびせられて、むちうたれて、朝から晩まで泣通しで、咽喉のどがかれて、血を吐いて、消えてしまいそうになってる処を、人に高見で見物されて、おもしろがられて、笑われて、なぐさみにされて、嬉しがられて、眼が血走って、髪が動いて、唇が破れた処で、口惜くやしい、口惜しい、口惜しい、口惜しい、蓄生め、けだものめと始終そう思って、五年も八年もたなければ、ほんとうに分ることではない、覚えられることではないんだそうで、おなくなんなすった、父様おとっさんとこの母様とが聞いても身震みぶるいがするような、そういうひどいめに、苦しい、痛い、苦しい、辛い、惨酷なめに逢って、そうしてようようお分りになったのを、すっかり私に教えて下すったので、私はただ母ちゃん母ちゃんてッて母様の肩をつかまえたり、膝にのっかったり、針箱の引出ひきだしを交ぜかえしたり、物さしをまわしてみたり、裁縫おしごと衣服きもの天窓あたまからかぶってみたり、叱られてげ出したりしていて、それでちゃんと教えて頂いて、それをば覚えて分ってから、何でも、鳥だの、けだものだの、草だの、木だの、虫だの、蕈だのに人が見えるのだから、こんなおもしろい、結構なことはない。しかし私にこういういいことを教えて下すった母様は、とそう思う時はふさぎました。これはちっともおもしろくなくって悲しかった、勿体ない、とそう思った。

 だって母様がおろそかに聞いてはなりません。私がそれほどのおもいをしてようようお前に教えらるるようになったんだから、うかつに聞いていては罰があたります。人間も、鳥獣も草木も、昆虫類も、みんな形こそ変っていてもおんなじほどのものだということを。

 とこうおっしゃるんだから。私はいつも手をついて聞きました。

 で、はじめの内はどうしても人が、鳥や、けだものとは思われないで、優しくされれば嬉しかった、叱られると恐かった、泣いてると可哀相だった、そしていろんなことを思った。そのたびにそういって母様にきいてみると何、みんな鳥が囀ってるんだの、犬がえるんだの、あの、猿が歯をくんだの、木が身ぶるいをするんだのとちっとも違ったことはないって、そうおっしゃるけれど、やっぱりそうばかりは思われないで、いじめられて泣いたり、でられて嬉しかったりしいしいしたのを、その都度母様に教えられて、今じゃあモウ何とも思っていない。

 そしてまだああ濡れては寒いだろう、冷たいだろうと、さきのように雨に濡れてびしょびしょくのを見ると気の毒だったり、つりをしている人がおもしろそうだとそう思ったりなんぞしたのが、この節じゃもう、ただ、変な蕈だ、妙な猪だと、おかしいばかりである、おもしろいばかりである、つまらないばかりである、見ッともないばかりである、馬鹿々々しいばかりである、それからみいちゃんのようなのは可愛らしいのである、吉公のようなのはうつくしいのである、けれどもそれは紅雀がうつくしいのと、目白が可愛らしいのとちっとも違いはせぬので、うつくしい、可愛らしい。うつくしい、可愛らしい。


       七


 また憎らしいのがある、腹立たしいのもほかにあるけれども、それもある場合に猿が憎らしかったり、鳥が腹立たしかったりするのとかわりは無いので。詮ずれば皆おかしいばかり、やっぱり噴飯材料ふきだすたねなんで、別に取留めたことがありはしなかった。

 で、つまり情を動かされて、かなしむ、うれうる、たのしむ、喜ぶなどいうことは、時に因り場合においての母様おっかさんばかりなので。余所よそのものはどうであろうとちっとも心には懸けないように日ましにそうなって来た。しかしこういう心になるまでには、私を教えるために、毎日、毎晩、見る者、聞くものについて、母様がどんなに苦労をなすって、丁寧に深切に、飽かないで、熱心に、ねんごろんで含めるようになすったかも知れはしない。だもの、どうして学校の先生をはじめ、余所のものが少々ぐらいのことで、分るものか、誰だって分りやしません。

 ところが、母様と私とのほか知らないことを、モ一人ほかに知ってるものがあるそうで、始終母様がいってお聞かせの、それはあすこに置物のようにかしこまっている、あの猿──あの猿のもとの飼主であった──老父じいさんの猿廻さるまわしだといいます。

 さっき私がいった、猿に出処があるというのはこのことで。

 まだ私が母様のおなかに居た時分だッて、そういいましたっけ。

 初卯はつうの日、母様が腰元を二人連れて、まち卯辰うたつの方の天神様へお参んなすって、晩方帰っていらっしゃった。ちょうど川向うの、いま猿の居る処で、堤防どての上のあの柳の切株に腰をかけて猿のひかえ綱を握ったなり、俯向うつむいて、小さくなって、肩で呼吸いきをしていたのがその猿廻のじいさんであった。

 大方今の紅雀のその姉さんだの、頬白のその兄さんだのであったろうと思われる。男だの、女だの、七八人寄って、たかって、猿にからかって、きゃあきゃあいわせて、わあわあ笑って、手をって、喝采かっさいして、おもしろがって、おかしがって、散々さんざなぐさんで、そら菓子をやるワ、蜜柑みかんを投げろ、もちをたべさすわって、みんなでどっさり猿に御馳走ごちそうをして、暗くなるとどやどやいっちまったんだ。で、じいさんをいたわってやったものは、ただの一にんもなかったといいます。

 あわれだとお思いなすって、母様がおあしを恵んで、肩掛ショオルを着せておやんなすったら、じいさん涙を落して拝んで喜びましたって、そうして、

(ああ、奥様、わたくしけだものになりとうございます。あいら、みんな畜生で、この猿めが夥間なかまでござりましょう。それで、手前達の同類にものをくわせながら、人間一ぴきわたくしには目を懸けぬのでござります。)とそういってあたりをにらんだ、恐らくこのじいさんなら分るであろう、いや、分るまでもない、人がけだものであることをいわないでも知っていようと、そういって、母様がお聞かせなすった。

 うまいこと知ってるな、じいさん。じいさんと母様と私と三人だ。その時じいさんがそのまんまで控綱ひかえづなをそこンとこ棒杭ぼうぐいに縛りッ放しにして猿をうっちゃってこうとしたので、供の女中が口を出して、どうするつもりだって聞いた。母様もまたそばからまあ棄児すてごにしては可哀相でないかッて、お聞きなすったら、じいさんにやにやと笑ったそうで、

(はい、いえ、大丈夫でござります。人間をこうやっといたら、えもこごえもしようけれど、けだものでござりますから今に長い目で御覧ごろうじまし、此奴こいつはもう決してひもじい目に逢うことはござりませぬから。)

 とそういって、かさねがさね恩を謝して、分れてどこへか行っちまいましたッて。

 果して猿は餓えないでいる。もう今ではよっぽどの年紀としであろう。すりゃ、猿のじいさんだ。道理で、功を経た、ものの分ったような、そして生まじめで、けろりとした、妙な顔をしているんだ。見える見える、雨の中にちょこなんと坐っているのが手に取るように窓から見えるワ。


       八


 朝晩見馴みなれて珍しくもない猿だけれど、いまこんなこと考え出して、いろんなこと思って見ると、また殊にものなつかしい。あのおかしな顔早くいって見たいなと、そう思って、窓に手をついてのびあがって、ずっと肩まで出すとしぶきがかかって、眼のふちがひやりとして、冷たい風が頬をでた。

 その時仮橋ががたがたいって、川面かわづら小糠雨こぬかあめすくうように吹き乱すと、ながれが黒くなってさっと出た。といっしょに向岸から橋を渡って来る、洋服を着た男がある。

 橋板がまた、がッたりがッたりいって、次第に近づいて来る、鼠色の洋服で、ぼたんをはずして、胸を開けて、けばけばしゅう襟飾えりかざりを出した、でっぷり紳士で、胸が小さくッて、下腹したっぱらの方が図ぬけにはずんでふくれた、脚の短い、靴の大きな、帽子の高い、顔の長い、鼻の赤い、それは寒いからだ。そして大跨おおまたに、そのたくましい靴を片足ずつ、やりちがえにあげちゃあ歩行あるいて来る。靴の裏の赤いのがぽっかり、ぽっかりと一ツずつこっちから見えるけれど、自分じゃあ、そのつまさきも分りはしまい。何でもあんなに腹のふくれた人は、へそから下、膝から上は見たことがないのだとそういいます。あら! あら! 短服チョッキに靴を穿いたものが転がって来るぜと、思って、じっと見ていると、橋のまんなかあたりへ来て鼻目金はなめがねをはずした、潵がかかって曇ったと見える。

 で、衣兜かくしから手巾ハンケチを出して、きにかかったが、蝙蝠傘こうもりがさを片手に持っていたから手を空けようとして咽喉のどと肩のあいだへ柄を挟んで、うつむいて、たまぬぐいかけた。

 これは今までに幾たびも私見たことのある人で、何でも小児こどもの時は物見高いから、そら、婆さんが転んだ、花が咲いた、といって五六人人だかりのすることが眼の及ぶ処にあれば、必ず立って見るが、どこに因らず、場所は限らない。すべて五十人以上の人が集会したなかには必ずこの紳士の立交たちまじっていないということはなかった。

 見る時にいつもはたものを誰かしらつかまえて、尻上りの、すました調子で、何かものをいっていなかったことはほとんど無い。それに人から聞いていたことはかつてないので、いつでも自分で聞かせている。が、聞くものがなければひとりで、むむ、ふむ、といったような、承知したようなことを独言ひとりごとのようでなく、聞かせるようにいってる人で。母様も御存じで、あれは博士ぶりというのであるとおっしゃった。

 けれどもぶりではたしかにない、あの腹のふくれた様子といったら、まるで、鮟鱇あんこうているので、私は蔭じゃあ鮟鱇博士とそういいますワ。この間も学校へ参観に来たことがある。その時も今かむっている、高い帽子を持っていたが、何だってまたあんな度はずれの帽子を着たがるんだろう。

 だって、目金を拭こうとして、蝙蝠傘をおとがいで押えて、うつむいたと思うと、ほら、ほら、帽子が傾いて、重量おもみで沈み出して、見てるうちにすっぽり、赤い鼻の上へかぶさるんだもの。目金をはずした上へ帽子がかぶさって、眼が見えなくなったんだから驚いた、顔中帽子、ただ口ばかりが、その口を赤くあけて、あわてて、顔をふりあげて帽子を揺りあげようとしたから蝙蝠傘がばったり落ちた。おっこちるといきおいよく三ツばかりくるくると舞った間に、鮟鱇博士は五ツばかりおまわりをして、手をのばすと、ひょいと横なぐれに風を受けて、斜めに飛んで、はるか川下の方へ憎らしく落着いた風でゆったりしてふわりと落ちると、たちまち矢のごとくに流れ出した。

 博士は片手で目金を持って、片手を帽子にかけたまま、はげしく、急に、ほとんど数えるひまがないほど靴のうらで虚空を踏んだ、橋ががたがたと動いて鳴った。

母様おっかさん、母様、母様。」

 と私は足ぶみした。

「あい。」としずかに、おいいなすったのが背後うしろに聞える。

 窓から見たまま振向きもしないで、急込せきこんで、

「あらあら流れるよ。」

「鳥かい、けだものかい。」と極めて平気でいらっしゃる。

蝙蝠こうもりなの、からかさなの、あら、もう見えなくなったい、ほら、ね、流れッちまいました。」

「蝙蝠ですと。」

「ああ、落ッことしたの、可哀相に。」

 と思わず歎息をしてつぶやいた。

 母様はえみを含んだお声でもって、

れんや、それはね、雨が晴れるしらせなんだよ。」

 この時猿が動いた。


       九


 一まわりくるりとにまわって、前足をついて、棒杭ぼうぐいの上へ乗って、お天気を見るのであろう、仰向あおむいて空を見た。晴れるといまに行くよ。

 母様おっかさんは嘘をおっしゃらない。

 博士はしきりゆびさししていたが、口が利けないらしかった。で、一散にけて来て、黙って小屋の前を通ろうとする。

「おじさんおじさん。」

 と厳しく呼んでやった。追懸けて、

「橋銭を置いていらっしゃい、おじさん。」

 とそういった。

「何だ!」

 一通ひととおりの声ではない。さっきから口が利けないで、あのふくれた腹に一杯固くなるほど詰め込み詰め込みしておいた声を、紙鉄砲ぶつようにはじきだしたものらしい。

 で、赤い鼻をうつむけて、額越ひたいごしにらみつけた。

「何か。」と今度は鷹揚おうようである。

 私は返事をしませんかった。それは驚いたわけではない、こわかったわけではない。鮟鱇あんこうにしては少し顔がそぐわないから何にしよう、何にているだろう、この赤い鼻の高いのに、さきの方が少し垂れさがって、上唇におっかぶさってる工合といったらない、うおより獣よりむしろ鳥のはしによく肖ている。雀か、山雀やまがらか、そうでもない。それでもないト考えて七面鳥に思いあたった時、なまぬるい音調で、

「馬鹿め。」

 といいすてにして、沈んで来る帽子をゆりあげてこうとする。

「あなた。」とおっかさんがきっとした声でおっしゃって、お膝の上の糸くずを、細い、白い、指のさきで二ツ三ツはじき落して、すっと出て窓の処へお立ちなすった。

わたしをお置きなさらんではいけません。」

「え、え、え。」

 といったがじれったそうに、

おれは何じゃが、うう、知らんのか。」

「誰です、あなたは。」とひややかで、私こんなのを聞くとすっきりする。眼のさきに見える気にくわないものに、水をぶっかけて、天窓あたまから洗っておやんなさるので、いつでもこうだ、極めていい。

 鮟鱇は腹をぶくぶくさして、肩をゆすったが、衣兜かくしから名刺を出して、ざるのなかへまっすぐにうやうやしく置いて、

「こういうものじゃ、これじゃ、俺じゃ。」

 といって肩書の処をゆびさした、恐しくみじかい指で、黄金きんの指環の太いのをはめている。

 手にも取らないで、口のなかに低声こごえにおよみなすったのが、市内衛生会委員、教育談話会幹事、生命保険会社社員、一六会会長、美術奨励会理事、大野喜太郎。

「この方ですか。」

「うう。」といった時ふっくりした鼻のさきがふらふらして、手で、胸にかけた何だか徽章きしょうをはじいたあとで、

「分ったかね。」

 こんどはやさしい声でそういったまままたきそうにする。

「いけません。おはらいでなきゃアあとへお帰んなさい。」とおっしゃった。

 先生妙な顔をしてぼんやり立ってたが少しむきになって、

「ええ、こ、こまかいのがないんじゃから。」

「おつりを差上げましょう。」

 おっかさんは帯のあいだへ手をお入れ遊ばした。


       十


 母様おっかさんはうそをおっしゃらない。博士が橋銭をおいてげてくと、しばらくして雨が晴れた。橋も蛇籠もみんな雨にぬれて、黒くなって、あかるい日中ひなかへ出た。榎の枝からは時々はらはらとしずくが落ちる。中流へ太陽がさして、みつめているとまばゆいばかり。

「母様遊びにこうや。」

 この時はさみをお取んなすって、

「ああ。」

「ねえ、出かけたっていの、晴れたんだもの。」

「可いけれど、廉や、お前またあんまりお猿にからかってはなりませんよ。そう可い塩梅あんばいにうつくしい羽の生えた姉さんがいつでもいるんじゃあありません。また落っこちようもんなら。」

 ちょいと見向いて、すずしい眼で御覧なすって、莞爾にっこりしてお俯向うつむきで、せっせと縫っていらっしゃる。

 そう、そう! そうだった。ほら、あの、いまっぺたを掻いて、むくむく濡れた毛からいきりをたてて日向ひなたぼっこをしている、憎らしいッたらない。

 いまじゃあもう半年もったろう。暑さの取着とッつきの晩方頃で、いつものように遊びに行って、人が天窓あたまでてやったものを、業畜ごうちく悪巫山戯わるふざけをして、キッキッと歯をいて、引掻ひっかきそうな剣幕をするから、吃驚びっくりして飛退とびのこうとすると、前足でつかまえた、放さないから力を入れて引張ひっぱり合ったはずみであった。左のたもとがびりびりと裂けてちぎれて取れた、はずみをくって、踏占ふみしめた足がちょうど雨上りだったから、たまりはしない。石の上へすべって、ずるずると川へ落ちた。わっといった顔へ一波ひとなみかぶって、呼吸いきをひいて仰向あおむけに沈んだから、面くらって立とうとすると、また倒れて、眼がくらんで、アッとまたいきをひいて、苦しいので手をもがいて身体からだを動かすとただどぶんどぶんと沈んでく。なさけないと思ったら、内に母様の坐っていらっしゃる姿が見えたので、またいきおいづいたけれど、やっぱりどぶんどぶんと沈むから、どうするのかなと落着いて考えたように思う。それから何のことだろうと考えたようにも思われる。今に眼が覚めるのであろうと思ったようでもある、何だかぼんやりしたがにわかに水ん中だと思って叫ぼうとすると水をのんだ。もう駄目だ。

 もういかんとあきらめるトタンに胸が痛かった、それから悠々と水を吸った、するとうっとりして何だか分らなくなったと思うと、𤏋ぱっと糸のような真赤まっかな光線がさして、一幅ひとはばあかるくなったなかにこの身体からだが包まれたので、ほっといきをつくと、山のが遠く見えて、私のからだはつちを放れて、その頂より上の処に冷いものに抱えられていたようで、大きなうつくしい目が、濡髪をかぶって私の頬ん処へくっついたから、ただすがり着いてじっとして眼を眠ったおぼえがある。夢ではない。

 やっぱり片袖なかったもの。そして川へおっこちて溺れそうだったのを救われたんだって、母様のお膝に抱かれていて、その晩聞いたんだもの。

 だから夢ではない。

 一体助けてくれたのは誰ですッて、母様に問うた。私がものを聞いて、返事に躊躇ちゅうちょをなすったのはこの時ばかりで、また、それは猪だとか、狼だとか、狐だとか、頬白だとか、山雀だとか、鮟鱇だとか、さばだとか、うじだとか、毛虫だとか、草だとか、竹だとか、松蕈まつたけだとか、湿地茸しめじだとかおいいでなかったのもこの時ばかりで、そして顔の色をおかえなすったのもこの時ばかりで、それに小さな声でおっしゃったのもこの時ばかりだ。

 そして母様はこうおいいであった。

(廉や、それはね、大きな五色ごしきはねがあって天上に遊んでいるうつくしい姉さんだよ。)


       十一



(鳥なの、母様おっかさん。)とそういってその時私が聴いた。

 これにも母様は少し口籠くちごもっておいでであったが、

(鳥じゃあないよ、はねの生えた美しい姉さんだよ。)

 どうしても分らんかった。うるさくいったら、しまいにゃ、お前には分らない、とそうおいいであったのを、また推返おしかえして聴いたら、やっぱり、

はねの生えたうつくしい姉さんだってば。)

 それで仕方がないからきくのはよして、見ようと思った。そのうつくしい翼のはえたもの見たくなって、どこに居ます〳〵ッて、せッついても、知らないと、そういってばかりおいでであったが、毎日々々あまりしつこかったもんだから、とうとう余儀なさそうなお顔色かおつきで、

(鳥屋の前にでもいって見て来るがい。)

 そんならわけはない。

 小屋を出て二町ばかりくと、直ぐ坂があって、坂の下口おりくちに一軒鳥屋があるので、樹蔭こかげも何にもない、お天気のいい時あかるいあかるい小さな店で、町家まちやの軒ならびにあった。鸚鵡おうむなんざ、くるッとした、露のたりそうな、小さな眼で、あれで瞳が動きますよ。毎日々々行っちゃあ立っていたので、しまいにゃあ見知顔で私の顔を見てうなずくようでしたっけ、でもそれじゃあない。

 駒鳥こまはね、丈の高い、籠ん中を下から上へ飛んで、すがって、ひょいとさかさに腹を見せて熟柿じゅくしおっこちるようにぼたりとおりて、をつついて、私をばかまいつけない、ちっとも気に懸けてくれようとはしなかった、それでもない。みんな違ってる。はねの生えたうつくしい姉さんは居ないのッて、一所に立った人をつかまえちゃあ、聞いたけれど、笑うものやら、あざけるものやら、聞かないふりをするものやら、つまらないとけなすものやら、馬鹿だというものやら、番小屋のに似て此奴こいつもどうかしていらあ、というものやら。みんなけだものだ。

はねの生えたうつくしい姉さんは居ないの。)ッて聞いた時、莞爾にっこり笑って両方から左右の手でおうように私の天窓あたまでて行った、それは一様に緋羅紗ひらしゃのずぼんを穿いた二人の騎兵で──聞いた時──莞爾にっこり笑って、両方から左右の手で、おうように私の天窓をなでて、そして手をひきあって黙って坂をのぼって行った。長靴の音がぽっくりして、銀の剣の長いのがまっすぐに二ツならんで輝いて見えた。そればかりで、あとは皆馬鹿にした。

 五日ばかり学校から帰っちゃあその足で鳥屋の店へ行って、じっと立って、奥の方の暗い棚ん中で、コトコトと音をさしているその鳥まで見覚えたけれど、はねの生えた姉さんは居ないので、ぼんやりして、ぼッとして、ほんとうに少し馬鹿になったような気がしいしい、日が暮れると帰り帰りした。で、とても鳥屋には居ないものとあきらめたが、どうしても見たくッてならないので、また母様にねだって聞いた。どこに居るの、翼の生えたうつくしい人はどこに居るのッて。何とおいいでも肯分ききわけないものだから母様が、

(それでは林へでも、裏の田圃たんぼへでも行って、見ておいで。なぜッて、天上に遊んでいるんだから、籠の中に居ないのかも知れないよ。)

 それから私、あの、梅林のある処に参りました。

 あの桜山と、桃谷と、菖蒲あやめの池とある処で。

 しかし、それはただ青葉ばかりで、菖蒲の短いのがむらがってて、水の色の黒い時分、ここへも二日、三日続けてきましたっけ、小鳥は見つからなかった。烏が沢山たんと居た。あれが、かあかあ鳴いて一しきりして静まるとその姿の見えなくなるのは、大方そのはねで、日の光をかくしてしまうのでしょう。大きなはねだ、まことにおおきつばさだ、けれどもそれではない。


       十二


 日が暮れかかると、あっちに一ならび、こっちに一ならび、横縦になって、梅の樹が飛々とびとびに暗くなる。枝々のなかの水田みずたの水がどんよりしてよどんでいるのに際立って真白まっしろに見えるのはさぎだった、二羽一ところに、ト三羽一ところに、ト居て、そして一羽が六尺ばかり空へななめに足から糸のように水を引いて立ってあがったが音がなかった、それでもない。

 かわずが一斉に鳴きはじめる。森が暗くなって、山が見えなくなった。

 宵月よいづきの頃だったのに、曇ってたので、星も見えないで、陰々として一面にものの色が灰のようにうるんでいた、蛙がしきりになく。

 仰いで高い処に、朱の欄干のついた窓があって、そこが母様おっかさんのうちだったと聞く。仰いで高い処に、朱の欄干のついた窓があって、そこから顔を出す、その顔が自分の顔であったんだろうにトそう思いながら破れた垣の穴んとこに腰をかけてぼんやりしていた。

 いつでもあのはねの生えたうつくしい人をたずねあぐむ、その昼のうち精神の疲労つかれないうちはいんだけれど、度が過ぎて、そんなにおそくなると、いつも、こう滅入めいってしまって、何だか、人に離れたような、世間に遠ざかったような気がするので、心細くもあり、うら悲しくもあり、覚束おぼつかないようでもあり、恐しいようでもある。嫌な心持だ、嫌な心持だ。

 早く帰ろうとしたけれど、気が重くなって、その癖神経は鋭くなって、それでいてひとりでにあくびが出た。あれ!

 赤い口をあいたんだなと、自分でそうおもって、吃驚びっくりした。

 ぼんやりした梅の枝が手をのばして立ってるようだ。あたりをみまわすと真暗まっくらで、遠くの方で、ほう、ほうッて、呼ぶのは何だろう。冴えた通る声で野末をおしひろげるように、鳴く、トントントントンとこだまにあたるような響きが遠くから来るように聞える鳥の声は、ふくろうであった。

 一ツでない。

 二ツも三ツも。私に何をはなすのだろう、私に何を話すのだろう。鳥がものをいうと慄然ぞっとして身の毛が弥立よだった。

 ほんとうにその晩ほどこわかったことはない。

 かわずの声がますます高くなる、これはまた仰山な、何百、どうして幾千と居て鳴いてるので、幾千の蛙が一ツ一ツ眼があって、口があって、足があって、身体からだがあって、水ン中に居て、そして声を出すのだ。一ツ一ツ、トわなないた。寒くなった。風が少し出て、樹がゆっさり動いた。

 蛙の声がますます高くなる。居ても立っても居られなくッて、そっと動き出した。身体からだがどうにかなってるようで、すっと立ち切れないでつくばった、すそが足にくるまって、帯が少しゆるんで、胸があいて、うつむいたまま天窓あたまがすわった。ものがぼんやり見える。

 見えるのは眼だトまたふるえた。

 ふるえながら、そっと、大事に、内証で、手首をすくめて、自分の身体からだを見ようと思って、左右へ袖をひらいた時、もう、思わずキャッと叫んだ。だって私が鳥のように見えたんですもの。どんなに恐かったろう。

 この時、背後うしろから母様おっかさんがしっかり抱いて下さらなかったら、私どうしたんだか知れません。それはおそくなったから見に来て下すったんで、泣くことさえ出来なかったのが、

母様おっかさん!」といって離れまいと思って、しっかり、しっかり、しっかり襟んとこへかじりついて仰向あおむいてお顔を見た時、フット気が着いた。

 どうもそうらしい、はねの生えたうつくしい人はどうも母様であるらしい。もう鳥屋には、くまい。わけてもこの恐しい処へと、そののちふっつり。

 しかしどうしてもどう見ても、母様にうつくしい五色ごしきはねが生えちゃあいないから、またそうではなく、ほかにそんな人が居るのかも知れない、どうしても判然はっきりしないで疑われる。

 雨も晴れたり、ちょうど石原もすべるだろう。母様はああおっしゃるけれど、わざとあの猿にぶつかって、また川へ落ちてみようかしら。そうすりゃまた引上げて下さるだろう。見たいな! 羽の生えたうつくしい姉さん。だけれども、まあ、い。母様がいらっしゃるから、母様がいらっしゃったから。

明治三十(一八九七)年四月

底本:「泉鏡花集成3」ちくま文庫、筑摩書房

   1996(平成8)年124日第1刷発行

底本の親本:「鏡花全集 第三巻」岩波書店

   1941(昭和16)年1225日第1刷発行

※疑問点の確認にあたっては、底本の親本を参照しました。

入力:門田裕志

校正:カエ

2003年830日作成

2005年31日修正

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