正月の思い出
岡本綺堂



 ある雑誌から「正月の思い出」という質問を受けた。一年一度のお正月、若い時から色々の面白い思い出がないでもないが、最も記憶に残っているのは、お正月として甚だお目出たくない、暗い思い出であることを正直に答えなければならない。

 明治二十八年の正月、その前年の七月から日清戦争が開かれている。すなわち軍国の新年である。海陸ともに連戦連捷れんしょう、旧冬の十二月九日には上野公園で東京祝捷会が盛大に挙行され、もう戦争の山も見えたというので、戦時とはいいながら歳末の東京市中は例年以上のにぎわしさで、歳の市の売物も「負けた、負けた」といっては買手がないので、いずれも「勝った、買った」と呶鳴どなる勢いで、その勝った勝ったの戦捷気分が新年に持越して、それに屠蘇とそ気分が加わったのであるから、去年の下半季の不景気に引きかえて、こんなに景気のよい新年は未曾有みぞうであるといわれた。

 その輝かしい初春を寂しく迎えた一家がある。それは私の叔父の家で、その当時、麹町こうじまちの一番町に住んでいたが、叔父は秋のはじめからのわずらいで、歳末三十日の夜に世を去った。明くれば大晦日、わたしたちはひつぎを守って歳を送らなければならないことになったのである。こういう経験を持った人々は他に沢山あろう。しかもそれが戦捷の年であるだけに、私たちにはまたひとしおの寂しさが感ぜられた。

 二、三日前に立てた門松も外してしまった。床の間に掛けてある松竹梅の掛物も取除けられた。特別に親しいところへは電報を打ったが、他へは一々通知する方法がない。大晦日に印刷所へ頼みに行っても、死亡通知の葉書などを引き受けてくれるところはない。電報を受け取って駆けつけて来た人々も大晦日では長居は出来ない、一通りの悔みを述べて早々に立去る。遺族と近親あわせて七、八人が柩の前にさびしい一夜をあかした。晴れてはいるが霜の白い夜で、お濠の雁や鴨も寒そうに鳴いていた。

 さて困ったのは、一夜明けた元旦である。近所の人はすでに知っているが、他の人々は何にも知らないので、早朝から続々年始に来る。今日と違って、年賀郵便などのない時代であるから、本人または代理の人が直接に回礼に来る。一々それに対して「実は……」と打ち明けなければならない。祝儀と悔みがごっちゃになって、来た人も迷惑、こちらも難儀、その応対には実に困った。

 二日の午前十時、青山墓地で葬儀を営むことになった。途中葬列を廃さないのがその当時の習慣であるから、私たちは番町から青山まで徒歩で送って行く。新年早々であるから、碌々ろくろくに会葬者もあるまいと予期していたが、それでも近所の人々その他を合わせて五、六十人が送ってくれた。

 旧冬以来、幸いに日和つづきであったが、その日も快晴で、朝からそよとの風も吹かない。前にもいう通り、戦捷の新年である。しかもこの好天気であるから、市中の賑わいはまた格別で、表通りには年始まわりの人々が袖をつらねて往来する。家々の国旗、殊にこの春は新調したのが多いとみえて、旗の色がみな新しく鮮やかであるのも、新年の町を明るく華やかにいろどっていた。松飾りも例年よりは張り込んだのが多く、緑のアーチに「祝戦捷」などの文字も見えた。

 交通の取締が厳重でないので、往来で紙鳶たこをあげている子供、羽根をついている娘、これも例年よりは威勢よく見える。取りわけて例年より多いのは酔っ払いで、「唐の大将あやまらせ」などと呶鳴って通るのもある。

 青々と晴れた大空の下に、この新年の絵巻がひろげられている。その混雑の間をくぐりぬけて、私たちは亡き人の柩を送って行くのである。世間の春にくらべて、私たちの春はあまりに寂しかった。私は始終うつむき勝ちで、麹町の大通りを横に切れ、弁慶橋を渡って赤坂へさしかかると、ここは花柳界に近いだけに、春着の芸者が往来している。酔っ払いもまた多い。見るもの、聞くもの、戦捷の新年風景ならざるはない。

かゝる夜の月も見にけり野辺送り

 これは俳人去来が中秋名月の夜に、甥の柩を送った時の句である。私も叔父の野辺送りに、かかる新年の風景を見るかと思うと、なんだか足が進まないように思われた。

 ここにまた一つの思い出がある。葬式を終って、会葬者は思い思いに退散する。私たちは少し後れて、新しい墓の前を立ち去ろうとする時、若い陸軍少尉が十四、五人の兵士を連れて通りかかった。彼は私が中学生時代の同期生吉田君で、一年志願兵の少尉であるが、去年の九月以来召集されている。その吉田君に偶然ここで出逢ったのは意外であったが、叔父の死を聞いて、彼も気の毒そうに顔をしかめた。

「葬式に好い時節というのはないが、新年早々は何ともいいようがない。」

 いずれお目にかかりますといって別れたが、私はその後再び吉田君に逢う機会がなかった。吉田君は台湾鎮定に出征して、その年の七月十四日、桃仔園で戦死を遂げた。青山墓地の別れがこの世の別れであった。同じ日に二つの思い出、人の世には暗い思い出が多い。

底本:「岡本綺堂随筆集」岩波文庫、岩波書店

   2007(平成19)年1016日第1刷発行

   2008(平成20)年523日第4刷発行

底本の親本:「思ひ出草」相模書房

   1937(昭和12)年10月初版発行

入力:川山隆

校正:noriko saito

2008年1024日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。