端書
堀辰雄


 何か書きたいと思つて、いろいろ考へてゐるのだけれど、つい怠けて──怠けてゐるくらゐ僕の健康にいいことはないので──なかなか思ひ立つて書けないのです。まあ、一つ小説が書けたらその後で──と思つてゐるのだけれど、そいつが考へ出してからもう一年も立つてゐるのにまだ書き出せないのです。この頃は背水の陣をしくつもりでホテルに一部屋を借りて毎日通ひながら、終日閉ぢこもつて何とか手がかりをつけようとしてゐます。同じホテルにずつと岸田國士さんがやはり仕事のために來ていらつしやるとはちつとも知らなかつた。數日前小林のところへちよつと行つたら三好が來てゐて、これからその岸田さんのところへ遊びにゆくが一しよに行かないかと言はれ、まだ自分もそのホテルにゐることを話してゐなかつたのでそのまま默つて兩君についてゆく事になりました。ホテルに行つてから、とうとう僕はをかしな事になりさうなので白状してしまつた。岸田さんは南を向いたヴェランダつきの部屋に居られた。一週間ばかり同じホテルで仕事をしてゐて、一度も顏をあはさず、はじめて御挨拶しました。曇つた日で、二時頃から綺麗に枯れた芝生に面したヴェランダでビイルをのみながら四人で快談(もつとも僕はビイルが飮めないのでときどき話につかれると硝子窓の向うの松林の上を動くともなく動いてゐる雲をながめながら、ふいと自分の小説の女主人公のことを考へたりしてゐました)──ちよつと話が別になるが、僕は小説がいよいよ書き出せさうになると、さうなるまでは人に會ふのも臆劫なやうな氣のしてゐたのに、急に人に會つたり何かと用事をつくつて町なかへ出てゆくのが好きになる。それがなんだか僕の小説に人生の空氣を入れてくれるやうな氣がされるのかも知れません。──それはともかくもヴェランダでの四人の雜談はおもしろかつた。ことに小林の小説論を僕は傾聽しました。あれを小林が書いてくれるといいと思ひます。なかなか書かないのは臆劫なのでせう。さういふものを書くとなると、みんなに分からせるために言葉をさがすのだけでも大變だらうから。仕合せにも僕らの仲間でならほんのちよつとした符牒のやうな言葉だけでも何かすぐ互の言ひたい事が分かり合へます。ほんとに人間がみんなもつと簡單な少量の言葉でさうやつて心もちの深いニュアンスまで分かり合へるやうになつたらどんなに好いでせう。──ほんたうを言ふとちよつとその小林の小説論を紹介したくてこの端書を書き出したのですが、僕の言葉にそれを飜譯すると、結局僕が受取つただけのイデエになつてしまひさうですから、それは止めます。その代り、いつか小林に書いて貰ふやうに極力勸誘することにしませう。それからヴェランダの雜談は九時まで續きました。──さあ、僕は大ぶおもての空氣を吸つたからこれから、僕の菜穗子に歸らなければならない。

底本:「堀辰雄作品集第四卷」筑摩書房

   1982(昭和57)年830日初版第1刷発行

初出:「文學界 第七巻第四号」

   1940(昭和15)年4月号

入力:tatsuki

校正:染川隆俊

2011年39日作成

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