辻野久憲君
堀辰雄


 辻野君のこと、大へん悲しい。仕事の上でも惜しいことをしたと思ひます。辻野君のした仕事の大半は、飜譯だつたけれど、所謂飜譯家にありがちのよそよそしいところがちつとも無くて、いつも熱をもつて、全身的に、普通の人ならてんで齒も立たないやうなものにぶつかつて行つてゐました。だからその選擇した作品を見てゆくと、辻野君といふ人がよく解るやうです。

 ヴァレリイ、ジィド、モオリアック、リヴィエェルとその作者を擧げて見ても、──さう、このリヴィエェルといふ人など、辻野君には一番しつくりしてゐたのぢやないかな。この人の「ランボオ論」など辻野君の飜譯の中でも最も印象ぶかい。リヴィエェルの、佛蘭西などの批評家にはめづらしい位に熱つぽい書きかたが、辻野君自身にも本當にぴつたりしてゐたのだらうと思ひます。その後、リヴィエェルとクロオデルの往復書翰も是非譯したいといつて、それは既に手をつけてゐたやうですが、とうとう完成されずにしまつたのは、返す返すも惜しい。かういふ辻野君を措いては、他にさういふ特殊なものを手がける人もちよつと居ないでせうから。

 モオリアックを譯して「作品」に載せるとき、何がいいだらうと僕も相談を受けましたが、僕はあいにく「テレエズ・デケエルウ」と「癩者への接吻」しか讀んでゐなかつたけれど、どちらにもひどく感心してゐたので、躊躇なくその二つのうちならどつちでもいいだらうと答へましたが、まあ「テレエズ・デケエルウ」の方がいいかなと思つてゐたところ、辻野君は「癩者への接吻」の方を撰びました。勿論その方が短くて雜誌に載せるのに都合よかつたせゐもあつたのだらうけれど、それをしばらく問はないとすれば、その二つのうちの撰擇にも辻野君の一面がよく出てゐるやうな氣がする。さういふモオリアックの初期のものなどから、最近はもつと本格的なカトリック文學にずんずん惹きつけられてゐたやうですが、(さういふカトリック的要素は二つのうちでは「癩者への接吻」の方にずつと多かつたのぢやないかしら、)しまひにはとうとうモオリアックの近作「イエス傳」をすこし我武者羅な位に素早く(それで身體までこはしたやうだが)譯してしまつた。そしてそれが最後の仕事になつた。

 いまだに「テレエズ・デケエルウ」の不安の方を好んでゐる僕は、相も變らず人生のこちら側に立つて、カトリックといつたやうなものはすべてずつと向うに見てゐるものです。そんな僕の不安さうに見てゐる前で、辻野君はずんずん向う側に渡つていつたのでした……。

 辻野君のそれからのいろいろな話、それを知りたいのは僕だけではないでせう。誰かずつと側に附添つてゐた人がそれを聞かせてくれるといいと思ひます。

 辻野君はジィドの「地の糧」を譯したとき、自分自身で譯したそれをいつも片身離さずに旅にも持つて行けるやうな小さな美しい本にしたいと言つてゐたけれど、そんな無邪氣なところもあつた人でした。さういふところが飾り氣がなくさつぱりしてゐて、實に好い感じがしました。

底本:「堀辰雄作品集第四卷」筑摩書房

   1982(昭和57)年830日初版第1刷発行

初出:「四季 第三十一号」

   1937(昭和12)年1020

入力:tatsuki

校正:染川隆俊

2011年39日作成

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