民俗芸能の春
折口信夫



日本青年館の長い履歴の間に、人は、その多くのよい成績をあげるであらう。だが若し、曾て数年間連続して春秋毎に催した郷土舞踊・民謡の会をあげることを忘れたら、私など、その人の採点法を大いに疑ふだらう。日本青年館本来の目的から派生した枝葉の事業ではあつたらうけれど、あの為事などは、かう言ふ団体でさうしさうで居て、かう言ふ団体が、さうしないで過すやうな種類のものであつた。日本の農山海村の持つてゐる古典的な生活文化を、一往吟味し直さうと言ふ気持ちから出て、結局日本人の芸能文化に通ずる、普遍的な要素を発見して驚くことが屡であつた。我々にさう言ふ心持ちの起る毎に、青年館の存在にどれほど意義を感じたか知れない。さうして其は却て、あり難迷惑に思つた人があつたとしたら、どうだらう。併し戦争前の世間には、さうした庶民生活に理会乏しい人たちが居た。それが民間事業などに関係して、こじれた固定した理論を以て、自分の識者らしさを誇示しようとした。さう言ふ考へ方からは、国の芸能文化などは、何の反省の資料にもならないのである。

今はかう言ふ世の中になつた。我々は出来るだけ早く、和やかで礼譲深い、而も節度ある生活をとり戻さなければならない。宗教はかう言ふ時の為に用意せられた救ひである。だが日本の国の様に、前からある宗教に権威は感ぜず、新しく興り来る信仰は無難に育てあげて行かない国、かう言ふ状態で完備した宗教生活など、急に求めて得ることは出来ない。我々が宗教に期待する所は単に其だけでは勿論ないのだが、かう言ふ際、一等宗教からとり入れることの出来る救ひは、その与へる和やかで、礼譲があり、節度を欠かぬ、生活の基になる力である。今のところ急に新しい宗教から、其を受容することが出来ぬとすれば、せめて古い宗教からでも、或は、宗教系統のものからでも、さうした生活を導いて来る外はなからう。

御存じのとほり、我が国土に散在する農山海村には、古い信仰が生活規範となつて、匂はしく、懐しい、手堅い習俗を作つて来てゐる。たとへば、ある村の冬の山祭りには、巨人が出て来て踊り遊ぶ芸能が行はれる。ある部落の山の堂の初春の仏事には、田楽や猿楽の俤の、身に沁みて感ぜられるやうな舞踊や、歌謡が残つてゐる。又盂蘭盆の法会に伴ふ、国中到る処の踊りや、踊り唄は、殆すべてがかはつてゐると言つてよいほど、個々の特色を示してゐながら、いまだに催されてゐる。さう言ふ年中行事に触れる村びとは、その都度村人としての感情を深く身に沁ませるのであつた。此がどんなに、過去の地方人を、美しく古い文化に生きる地方人として、生きかたを感じさせて居たことであらう。

今我々の中、誰が生きかたを深く思うてゐるだらうか。生き甲斐なき世に生きのたつきを見出して行かねばならぬ。詮なくて生きねばならぬと言ふやるせない境遇に忽然として我々は居ることになつたのである。地方人の生きかたは都会に浮き草の様な生活を営む月給とりや、日なしの職人のやうな根のない生活はして居ない筈だ。値廉い耳目口舌の娯しみは、都会人を和やかで礼節ある生活から離れさせた。其上今度は、過去の文化からきりほどいた様な紛乱が襲つて来た。かう言ふ生活様式が、野山海川の際々までおしひろがつて行つた。

がつしりした生活の根を失はぬ農山海村の人々が何よりも望ましいのは、過去の生きかたをとり戻して、深く輝く生活に這入ることである。

以前戦争最中に、ともあれ戦争がすんだら、村々の青年層は、荒んだ生活様式を、外地から齎し還つて来るだらう、もとの美しい生活が再現せられるのは、容易であるまいと想像してゐた。其推測よりも、もつとわるい状態に我々はなつて居るのである。どんなにか努力をせなければならないだらうが、どれ程苦心をしてゐても、もとの匂はしい地方の古典文化を、生活の上に再とり戻さなくてはならない。もう此上、日本の国をわるくしては、ならぬのである。青年を守れと言ひたい。その心ぐみを、国民は持たねばならぬ。年よりは年よりで、世の中の中堅になつてゐる中年階級は、次代に深い望みを寄せてよい。女性たちは女性たちで、母の心又は、世の中を幸福にする娘ごゝろを以て、青年たちによい望みを持たせるやうにせねばならぬ。其中殊に中年階級の人たちは、後続者に対して、よい継承者として之に信頼する心を持つて欲しいものである。或は、自分等の、其年代にあつて、疎かにして居た方面などへも、十分に向はせる気になつて貰ひたいものである。さう言ふ方面に殊に、民俗芸能が、大きく出て来る。地方の青年が、戦争中からの関心が、戦後に引き続いて高まつて来てゐるのは、演劇である。此は相当に価値のある為事であり、ある方面では効果もあがつてゐるが、思ひの外に不満の声も聞えて来る。指導者がない、脚本がない、意欲がない……ない〳〵尽しの抗議がある。此は一つに、世間に堪へじやうがないことを示してゐる訣だが、──主として、歴史がないと言ふことに基いた欠陥が、あげられて来てゐるのである。用意が乏しく、演技者の欲望が、劇団や劇を支配してゐると言ふ点に、問題がある訣だ。かう言ふ際は、「だから此方の方にしたがよいのだ」と言つた言ひ方が行はれるのが通例である。だが、すべてにさう言ふものではない。地方演劇には、さう言ふ欠陥があつても、今に其は矯正せられて行くだらう。だが其と同時に、今暫らくの間、其点の補ひとなり、又別に独立して繁栄してゆく筈の命を持つたものがある。其が民俗芸能なのだ。此方に多くの場合、不用意に行うても、大して破綻の起らぬだけの馴れと言ふものを持つてゐる。演技者の素朴な欲望が、芸を破らないだけの整備が保たれて来てゐる。相当な年月を、村々の間に経過して来てゐるので、こと新しく演出指導も、台本もいらない。唯草の香や、山霧や、波の響きの中に、長い年月を通してゐるので、意欲などは、夙くの昔に消耗してゐる。新世代の適応性を求めるのは、聊か無理を感じる部分もある。

が一方、年齢文化その他其相応の古典と言ふものが、人々に与へられねばならぬ。地方の若者は地方の若者なりに、古典的な喜びを与へると言ふことが、どうかすると忘られ勝ちである。さう言ふ適度の古典的生活を与へないことが、青年の心をどれだけ、塵埃にし、泥土にして来てゐるか知れないのである。こゝに心づいて、出直す時が今なのではないか。乱離・流寓・飢餓・困憊の最なかにあつて、何の古典だと言ふ人があるかも知らぬ。併し今なればこそ、急速に其を求めねばならぬのである。

又其だけの効果も、今なればこそ、目に見えてあがつて来ようといふものである。民俗芸能興るべき時である。民俗舞踊民謡が、まづ地方生活を匂はしくするはずの時が来向うてゐるのである。

底本:「折口信夫全集 21」中央公論社

   1996(平成8)年1110日初版発行

底本の親本:「折口信夫全集 第十七卷」中央公論社

   1967(昭和42)年325日発行

初出:「青年 第三十二巻第三号」

   1947(昭和22)年3・4月発行

※底本の題名の下に書かれている「昭和二十二年三・四月「青年」第三十二巻第三号」はファイル末の「初出」欄に移しました。

入力:門田裕志

校正:フクポー

2019年129日作成

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