神楽(その一)
折口信夫



こんなに立派な本が出来たのですから、私の序文など必要がない訣です。たゞ、著者への親しみが、何か言はせずに措かないのです。

かぐらと言ふ語の解釈は、西角井さんにも出来てゐると思ひますが、猶少しばかり申し添へて置いた方が、便利かと思ひます。普通世間の人が言うてゐる解釈は、私たちを刺戟しませんから、こゝに並べる事を止めます。端的に言ふと、日本の神座に移動的なものがあつて、其が一つ、有力なものであつた事を見せてゐるのだと思ひます。

此語の意義は平凡です。音韻変化を持つて来る事は不自然になりますから控へますが、結局、かぐら神座カムクラといふ熟語に過ぎません。かむくらかぐらとなるのは自然の事です。しかし、どの神座でもかぐらと言うたのではなく、或種類の神座を、専らかぐらと言うてゐたのです。若、さうでなければ、其らの人達の持つてゐたものが有力になつて、其人らの持つてゐるものばかりを言ふ様になつたのでせう。其には、条件があります。つまり、旅をして、言ひ換へれば、移動して歩く神座に対して、世間の人が、其らの人の語を認めて、かぐらと言うた訣です。

さて、其かむくらなるものは何かと言ふと、神体を入れる容物です。しかし、其なら何でも神座であつた様ですが、少くとも私どもの考へでは、単に神体が入れてあるだけではいけないので、其がホコラであり、宮殿であると感じられなければ、神座ではなかつたのです。つまり、荷物と同じものではない──もつと詳しく言ふと、旅行中に荷物の中から神体をとり出して、其を臨時に据ゑて拝ませるといふ様なものではない──ので、持つて歩くもの其ものが神座でなければならぬのです。

更に言ひ換へれば、呪術を行ふものが漂泊して、彼方此方アチラコチラで神体をとり出して自分達の宗教的威力を発揮する其ではなく、練つて歩きながら神を人に示すといふ行き方が、まう一つあつたと見なければならぬのです。即、神を隠してあるのと、露出してある──トバリもないといふ事ではない──のと、二通りあつた事を考へねばならぬのです。

私は、其後、方言の採集を怠つてをりますので力強いことは申されないのですが、名古屋附近及び信州の上田附近では、代神楽の獅子の這入つてゐる箱をばかぐらと申してゐます。此は一例ですが、少くとも、獅子頭が旅行するには、其が露出してゐる必要があつたのです。でなければ、精霊を退散させる威力が発揮出来なかつたのです。

此獅子頭の這入つてゐるものを箱と言ひましたが、正確に箱ではなく、実は荷物になつてゐるのです。其の一番適切にあらはれてゐるのが吉田天王(豊橋市)の絵巻物で、此を見ますと、殆、頭にかぶつてゐると見えるほどの低さで、頭上に獅子の這入つた箱を一本の棒で捧げた人がゐるのです。

で、名古屋と上田とでは心細いのですが、ほゞ方言の運搬された径路は想像されます。北信と尾張平野とをつなぐ路線を採訪して見れば、最違つた意味に於てかぐらの意味が見出せませう。先、第一条件として、獅子頭が箱に入れてある事です。獅子頭がかぐら其ものだとは思ひませんが、其が這入つてゐるものをかぐらといふのは、即、次の推理を齎します。

何故獅子の様な猛獣が、昔から日本の祭礼、或は村の式日に出てくるのか、此点を考へて見る必要がありませう。ところが、「信西古楽図」を見ますと、私共が従来もつてをつた或想像が適切な形で胸に再現して来るのです。曳かれながら練つて歩く獅子及び豹の類の猛獣のあつた事です。

一体日本人は、今までの私達の学問では到底理会し得ないほど、大陸の猛獣の名を知り過ぎてゐます。獅子はもとより、象の字をあてゝゐるきさ、或は、陰陽道との交渉をどの点まで切り離せるか訣りませんが、豹を中つ神と言ひ、殊には、態々「カラ国の虎とふ神」など言ひながら、古代から其を知つてゐたのです。勿論、其中には、現実に日本の土地に渡来したものもありますが、概しては、空想味を多く含んでゐます。

どうして、かういふものを知つてゐたか、其は、かういふものが来ると信じてゐたからなのです。此が我々の知らない間に、只今あちこちにある虎踊りの様なものを残す元となつたので、虎に仮装したものを中心とした行列なども行はれてゐた事と思はれます。率直に申すと、其が極めて古いところにもあつたのであらうといふ考へなのです。

此は、言ふまでもなく私どもの常に持つてゐる仮定の一つ、海彼岸ウミノカナタの賓客が此土を来訪して、災厄を未然に祓ひ退けて行つてくれるといふ信仰の分化した、一方面に過ぎないのです。が、又、其獅子が、一面では、仏典の上の高貴な譬喩としての獅子、或は菩薩の乗り物の獅子などを観念にとり込む事によつて、益、向上して行つたのです。しかし、其と共に一方、獅子に対する知識を僅かしか持つてゐない、或は段々と頭の中の形を崩して行つた地方の人々にとつては、何うしても、書物以外の獅子が結びついて、そこに、神と精霊との対立するものといふ考へに錯倒──其は常にあり過ぎるほどの──を起し、駆逐せられる側の猛獣として、獅子なる猛獣が、更に一級上の霊物に対抗する形すら考へて来たのです。だから、日本の側から獅子の知識に割り込んだものは、すべて農村の邪魔ものでした。かのしゝゐのしゝ、いづれも農村の害物です。此考へからさういふものゝ全体、或は一部分に扮装して祭りに参加する様にもなつた訣です。

かういふ風に言ふのは、実は、逆な言ひ方であるかも知れません。とにかく、農村の祭りには、一方明らかに田苑を荒す猛獣が来服する形を示す芸能が行はれてゐたので、此、攻めるものと服するものとの名が、一つ語のしゝで暗合してゐる事に、結びつかねばならぬ結合を完全にしたに違ひありません。どの獅子舞を観ても、全然獅子を邪霊と見なしたものもなし、又、完全に村落家屋を祝福するものと言ひ切る事も出来ない有様です。

獅子に関して話が長引きましたが、村ごと家ごと、殊に一町内ごとに一つづゝ獅子頭を持つてゐる事の本意でない事を申し添へて置きませう。必、元は、週期的或は突発的に来り過ぐる獅子があつて、其を、その村専有のものにしようと企てた事から、かうした形が出来たのだと思はれます。

獅子にすらいろ〳〵な獅子がある様に、獅子以外の動物も、きつと度々通り過ぎた事でせうが、其が段々獅子に傾いて行く理由が、必、あつたに違ひありません。

かやうに、来訪するものが、神の形から動物の形に至るまで、幾種類あつたか知れぬと同時に、その姿、その行列、その装飾の末々に至るまで千差万別であつた事が考へられます。

必しも獅子とは限らないのですが、さうした霊物がものに容れられて運ばれて行く。其を往き過ぎる邑落の人々が拝する事が出来る様になつてゐた。さうした輿・車の類の一種に、かぐらと特別に呼ばれる様になつたものがあつたと思ふのです。

次に、さうした神の旅行が段々意義を変化して、邪悪を誘導するものといふ風に感じられて来たのですが、此が進んで、禊ぎの式を施して通つて行く神、或は神人の姿になつたので、其次に起つて来たのが代参の形です。私たちの考へてゐる代神楽・太々神楽といふ語は、簡単な様で、猶幾様かの用語例を考へる事が出来るのですが、かうした代参の意味も含んでゐるに違ひないのです。即、過ぎ行く村の人々に禊ぎせしめ、其を一括して運び出す訣です。だから、此西角井さんの書物に多く類例が見出される筈の神楽と祓へとの関係が生じて来るのです。

祓へと禊ぎとは、区別ある語と考へられながら、既に古く、日本の神道が神学を持つた時代には、一つ事の様に、或は、僅かに開きのある事を想像しながら遣はれてゐたのです。一括して携へ行くといふ形は、実は禊ぎにあるので、其で同じ様な場合に、此二つの語を遣つた訣です。又、此書物に見出される様に、神楽と禊祓とが密接な理由も、かういふ処に根元がなければなりません。

私どもには、何う考へても、譬へば、三河の花祭りに於ける神楽の断片が、ゆまはりきよまはりの合理的解釈なる、生まれ清まりにあるとする様な系統の考へ方は、神楽そのものにとつては第二次の変化だと思はずにはゐられないのです。即、禊祓によつて復活すると観らるゝ様な方法を言ふのです。何と言うても、最初は、鎮魂舞踊を意味する神遊びの一種であつた事を忘れる事は出来ません。私の古くからの想像をもつてすれば、かぐらは多くの神遊びの中、恐らく八幡系統の神遊びであつたといふ事になつてゐます。其が、前に申した神座にのせられて、西国から東へ上つて来る途中の行装をもつて名づける様になつた名称だ、と考へてゐるのです。謂はゞ、特殊な神座カムクラを曳き、或は舁いて鎮魂法を施して行く神人のする舞踊を意味したほど、それほど目立つた神座をたづさへてゐたのに相違ないと思ふのです。たゞ、私どもには、其神座に乗つた神体が、果して獅子頭であつたやら、どうやらといふ決定が出来ないのです。

神霊を運ぶ容物はたくさんありますが、大体分類すると、首に懸けるもの、頭にのせるもの、背に背負ふもの、或は、手に持つものなど、一荷にして担ぐもの、躰につけた場合と、輿の様に舁くもの、一人で捧げる──淡島願人がついて歩いた棒のさきに祠のついた形にもなつた──もの、車につけて曳くもの等が主なるもので、其中特に人の目についたものは、意味は多少違ふが、鉾・山・屋台の形であつて、いづれも其中に神体がはひつてゐるのですが、前に言うたのは、神体がこゝにあるといふ事を皆に示して拝ませるものだつたのです。私の話はさういふ事を言ひたかつたのですが、話がごちや〳〵になつて、よく徹底しなかつたのは遺憾です。この遺憾の筋をお感じ下さる方々の為に、此本がある訣なのです。

底本:「折口信夫全集 21」中央公論社

   1996(平成8)年1110日初版発行

底本の親本:「折口信夫全集 第十七卷」中央公論社

   1967(昭和42)年325日発行

初出:「神楽研究」壬生書院

   1934(昭和9)年5月刊行

※底本の題名の下に書かれている「昭和九年五月刊、西角井正慶著「神楽研究」序」はファイル末の「初出」欄に移しました。

入力:門田裕志

校正:フクポー

2018年426日作成

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