長谷川時雨



 秋雨のうすく降る夕方だつた。格子戸の鈴が、妙な音に、つぶれて響いてゐるので、私はペンをおいて立つた。

 臺所では、お米をいでゐる女中が、はやり唄をうたつて夢中だ。湯殿では、ザアザア水音をさせて、箒をつかひながら、これも元氣な聲で、まけずに郷土くにの唄をうたつてゐる。私は細目に、玄關の障子をあけてみた。

「冬子は見えてをりませうか?」

 洋服で、骨の折れた傘を、半開きに、かしげてゐた。

「戸澤ですが──」

 と、中年の、小柄な男は、小腰をかがめて上眼づかひにいつた。

「冬子が、あがつてゐないとすると、大變なことになりました」

 私は格子をあけて、その人を迎へ入れなければならなかつた。

「大變なことと、おつしやると──」

「あれは、死んでゐます」

 これは變だと、さう聞いた刹那に思つた。だが、その人は、眞劍で、青白い顏に、オドオドした大きな眼が、うつろで、まぶちの赤いのが目立つてゐた。

「時間からいふと、今ごろは──」

 彼は唇を噛むやうにしてうつむいた。立つたままでも聞いてゐられないので、あがつてもらふと、彼はいひつづけた。

「つまらないことで別れてゐて、けふ歸つて見ると、家の中の樣子が變つてゐるのです」

「變つてゐるといふと?」

彼女あれは、もう、二度と、あの家へは歸らないつもりなのです。僕は──」

 と、顏を赤くしてどもつたが、

「あのひとなしには、實際、今、ゐられないのですが──」

 伏せた眼はうるましてゐる。別段、書置きも何もないが、壁にかけてあつた彼女の古い雨外套のカクシを探ると、ある男へやる、打合せの手紙の書きかけが丸めて入れてあつて、それを讀み解くと、冬子は、けふの丁度いまごろの時間に、函館海峽で、投身自殺をしてゐるのだ。

「僕が惡いのです。僕が、彼女あのひとを苦しめるものだから──だが、僕は堪らないのです。冬子が選んだ相手が、ニヒリストの、あの詩人であるなら、まだ耐へることが出來るが、僕の──僕の先輩、日本でたつた一人の先覺者、アナキズムの、大學者の×氏を、僕があるために、空しく海峽の藻屑としてしまふのは忍びない、そのくらゐならば、僕が死んであげる──」

 その人は歔欷したが、私は吃驚した。

「心中なのですか?」

 ときくと、冬子の夫はコツクリした。

「誰と?」

「それが、わからないから、堪らんのです。ニヒリスト詩人なんぞなら、彼一人死ぬがいいのです。だが、×氏なら惜しい、實に、實に惜しい、死なせたくないのだ。」

 彼はいふ。冬子とニヒリスト詩人とが、お互に變名して、手紙を託しあつてゐる古本屋へ、ニヒリスト詩人が、きのふの朝か、をととひ、冬子の手紙をとりに來たか、または冬子に手紙を渡したか、それを電話で、こちらから問合せてくれれば、けふ、函館海峽で命を落したのは、冬子と誰とだかがわかるのだと。

 これは困つたことだと、私は思つた。どんな氣持で、冬子がそんな手紙の書きかけを、古外套のカクシなどに入れておいたのであらう。そのニヒリスト詩人と彼がいふ詩人も、私は知つてゐる。なるほど、さうした對手を求めるやうな、熱烈な、死と愛の詩は發表してゐるが、しかし、冬子とどんな關係があるのだらう。しかもきのふは、冬子が帝展をゆつくりみてゐた姿を、見て來たものがあつたのだ。

 そんなことはおくびにもいへない。彼女の夫は、熱心に電話帳を繰つてゐる。

 と、門の潜戸があいて、敷石を蹈んでくるヅツシリした靴の音は、彼女のものだつた。私は、口のうちであつといつて、そこで、物凄い爭鬪が起らなければいいがと、逞しい彼女の腕を、目に見た瞬間、いとも朗らかに、彼女は叫んだ。

「あら、來てゐるの?」

 彼は、上衣のポケツトへ兩手を突つぱらして、そして、毛絲のセーターの濡れてゐる、彼の妻を見詰めた。

「厭だわ、なんだつて、來たの」

「なんだつてつて、僕は、何もかも申上げちやつた」

「あらま、呆れた」

 彼女が睨んで、笑ふと、かねて彼女からよく聞かされてゐる、英雄であるはずの彼は、從順にはにかんで、連れ立つて、一つ傘で歸つていつた。

(「大阪毎日新聞」昭和九年十二月)

底本:「桃」中央公論社

   1939(昭和14)年210日発行

初出:「大阪毎日新聞」

   1934(昭和9)年12

入力:門田裕志

校正:仙酔ゑびす

2009年117日作成

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