氷花
原民喜



 三畳足らずの板敷の部屋で、どうかすると息も窒がりさうになるのであつた。雨が降ると、隙間の多い硝子窓からしぶきが吹込むので、却つて落着かず、よく街を出歩いた。「僕をいれてくれる屋根はどこにもない、雨は容赦なく僕の眼にしみるのだ」──以前読んだ書物の言葉が今はそのまま彼の身についてゐるのだつた。有楽町駅のコンクリートの上に寝そべつてゐる女を見かけたことがある。乳飲児を抱へて、筵も何もない処で臆びれもせず虚空な眸を見ひらいてゐた。それは少し前まで普通な暮しをしてゐたことの分る顔だつた。さういふ顔が何といつても一番いけなかつた。朝、目が覚めると、彼の部屋の固い寝床は、そのまま放心状態で寝そべつてゐるコンクリートになつてゐる。はつとして彼は自分にむかつて叫ぶのであつた。「此処で死んではならない、今はまだ死んではならないぞ」だが、彼を支へてゐる二階の薄い一枚の板張は今にも墜落しさうだつたし、突然、木端微塵に飛散るものの幻影があつた……。

 家の焼跡に建ててゐるバラツクももう殆ど落成しさうだ──。

 広島からそんな便りを受取ると、彼は一度郷里へ行つてみたくなつた。今年の二月、彼は八幡村から広島の焼跡へ掘出しに行つたのだが、あの時の情景が思ひ出された。眼のとどく処には粗末な小屋が二つ三つあるばかりで焼跡の貌ばかりがほしいままに見渡せたが、彼は青い水を湛へてゐる庭の池の底を覗きながら、まだ八月六日の朝の不思議な瞬間のことを思ひ耽つてゐた。だが、長兄はせつせと瓦礫を拾つては外に放りながら、大工たちを指図してゐるのだつた。大工たちは焼残つた庭樹を焚いて、そのまはりで弁当を食べた。すると、すぐ近くに見える山脈に嶮しい翳りが拡がつて、粉雪がチラつきだした。彼が庭に埋めておいた木箱からは、黒い水に汚れた茶碗や皿が出て来た。それは彼が妻と死別れて、広島に戻る時まで旅先の家で使つてゐた品だつた。が、そんなものは差当つて何にもならなかつたので、彼は姉のところへ預けに行つた。

 川口町の焼残つた破屋で最近夫と死別れた姉は、彼の顔を見るたびに、「どうするつもりなの、うかうかしてゐる場合ではないよ」と云ふのであつた。この姉は、これから押寄せてくる恐ろしいものに脅えながら、突落された悲境のなかをどうにかかうにかくぐり抜けてゆく気組を見せてゐた。ところが、彼は罹災以来、八幡村で次兄の家に厄介になつてゐて、飢ゑに苛まれ衰弱してゆく体を視つめながら、漠然と何かを待つてゐたのである。

 新シイ人間ガ生レツツアル ソレヲ見ルノハ婾シイ 早クヤツテキタマヘ と、東京の友は云つて来た。汽車の制限がなくなるのを待つてゐると、間もなく六大都市転入禁止となつた。

 新しい人間が見たいといふ熱望は彼にもあつた。彼があの原子爆弾で受けた感動は、人間に対する新しい憐憫と興味といつていい位だつた。急に貪婪の眼が開かれ、彼は廃墟のなかを歩く人間をよく視詰めた。廃墟の入口のべとべとの広場に出来た闇市には頭髪をてらてら光らし派手なマフラを纏つてゐる青年や、安つぽい衣裳の女を見かけるやうになつた。憩へる場所の一つもない死の街を人はぞろぞろ歩いて居り、ガタガタの電車は軋みながら走つた。彼はその電車のなかで、漁師らしい男が不逞な腕組みをしながら、こんなことを唸つてゐるのをきいた。

「ヘツ! 着物を持つて来て煮干とかへてくれといふやうになりやがつたかツ。もう奴等の底は見えて来たわい」

 それは獲物の血を啜つてゐる蜘蛛の姿を連想さすのだつた。だが、さういふ蜘蛛の巣は今にいたるところに張りめぐらされてくるかもしれなかつた。

「もうこれからは百姓になるか、闇屋になるかしなくては、どつちみち生きては行けませんぞ」

 以前は敏腕な社員だつたが、今は百姓になつてゐる後藤は、皆を前にして熱心に説くのであつた。それは廿日市の長兄のところで、製作所の解散式が行はれた日のことだつた。彼も半年ほどその製作所にゐたので、次兄と一緒にこの席へ加はつた。罹災以来、製作所の者が顔を合はすのは、それが最初の最後であつた。奇蹟的に皆無事に助かつてゐた。ひどい火傷で生死が気づかはれてゐた西田まで今はピンピンしてゐた。だが、これから皆は何を仕始めたらいいのか、かなり迷つてゐるのだつた。

「たとへまあ商店をやるにしたところで、その脇にちよつと汁粉屋などを兼ねて、二段にも三段にもこまめにせつせと立働くことですな」

 後藤がこんなことを面白をかしく喋つてゐると、縁側に自転車の停まる音がして、誰かがのそつと入つて来た。

「バターぢや、雪印が四十五円、どうぢや、要るかなあ」

 その男は勝誇つたやうに皆を見下ろしてゐたが、「まあ、まあ、一寸休んで行きなさい」と後藤に云はれると、漸くそこへ腰を下ろし、それから人を小馬鹿にしたやうな調子で喋りだした。

「ははん、これからいよいよ暮し難うなると仰しやるのか、あたりまへよ。大体、十あるものを十人に分けるといふのなら道理も立つが、三つしかないものを十人に分けろなんて、あんまり馬鹿馬鹿しいわい。何もこの際、弱い奴や乞食どもを養つてやるのが政府の方針でもあるまいて。……ははん、ところでまあ聞いてもくれたまへ。こなひだも荷物を送出すのに儂はいきなり駅長室へ掛合に行つた。あたりには人もゐたから、そろつと二十円ほど駅長の机の上に差出して筆談したわけさ。駅長もよく心得たもので早速それは許可してくれた。ははん、近頃は万事まあこの調子さ。……ところで、まあ聞いてもくれたまへ。たつたこの間まで儂もよく知つてゐるピイピイの小僧子がひよつくり儂に声をかけて云ふことには、この頃はお蔭で大きな商売やつてます、何しろ月五千円からかかりますつてな、笑はしやあがるが、まあまあ人間万事からくり一つさ」

 その赭ら顔のむかつくやうな表情の男を、彼は茫然と傍から眺めてゐた。喋り足りると、その男は勝誇つたやうに自転車に乗つて去つて行つた。──その時から、彼はその男が残して行つた奇怪な調子を忘れることが出来なかつた。以前も二三度見かけたことはある男だつたが、あれは一体何といふ人間なのだらう。「ははん」と自棄くその調子が彼を嘲るやうであつた。

 煙草に餓ゑて、彼は八幡村から廿日市まで一里半の路を吸殻を探して歩いて行つた。田舎路のことで一片の吸殻も見つからなかつた。廿日市の嫂のところで一本の煙草にありついた時には、さきほどまで滅入りきつてゐた気分が急に胸にこみあげて来た。

「何だか僕は死ぬるのではないかと思つてゐた」彼はふと溜息をついた。

「悪いことは云はないから、再婚なさい。主人とも話してゐるのですが、もし病気されたら、誰が今どきみてくれるでせうか」

 長兄もときどき八幡村に立寄つた序には彼にそのことを持ちかけるのだつた。

「結局、それではどうするつもりなのだ」

「近いうち東京へ出たいと思つてゐる」

 彼は兄の追求を避けるやうに、かう口籠るのであつた。「いつまであそこへ迷惑かけてゐるつもりなのですか。もう大概何とかなさつたらいいでせうね」──彼と一緒に次兄の家で一時厄介になつてゐた寡婦の妹からこんな手紙が来た。……

「誠がよくやつてくれるのよ、お母さんが愚痴云ふと躍気になつて、それはそれは何でもかでも引受けたやうな口振りで、一生懸命やつてくれるよ」

 川口町の姉は彼の顔を見ると、息子のことを話しだした。父親と死別れたこの中学二年生の少年は急に物腰も大人じみてゐたが、いつの間にか物資の穴とルートを探り当てて、それを巧みに回転さすのだつた。さうして得た金では屋根を修繕させたり、鱈腹飯を食べたり、闇煙草を吸ふのであつた。彼は殆ど驚嘆に近い気持で、十六歳の甥を眺めた。かうした少年は、しかし、今いたるところの廃墟の上で育つてゐるのかもしれなかつた。

 彼が漫然と上京の計画をしてゐると、モラトリウムの発表があつた。一体どういふことになるのか見とほしもつかないので、廿日市の長兄の許へ行つてみた。「君のやうに政府の打つ手を後から後から拝んで行く馬鹿があるか」と長兄は彼を顧みて云ふ。何のことか彼にはよく分らなかつたが、「ははん」といふ嘲笑が耳許でききとれた。

 大森の知人から「宿が見つかるまでなら置いてやつてもいい」といふ返事をもらふと、彼は必死になつて上京の準備をした。転入禁止も封鎖も大変な障碍物だつた。それをどう乗越えていいのか、てんで成算もなかつたが、唯めくら滅法に現在ゐる処から脱出しようとした。

「荷造なんか、あんた自分でおやんなさい」村の運送屋は冷然と彼の嘆願を拒まうとした。

「荷を預つておいても集団強盗が来るから駄目ですよ。持つて帰つて下さい」駅の運送屋は漸くの思ひで運んで来た荷を突返さうとした。

 広島発東京行の列車なら席があるだらうと思つて、彼がその朝、広島駅のホームで緊張しながら待つてゐると、その列車は急に大竹からの復員列車になつてゐた。どの昇降口の扉も固く鎖ざされ、乗るものを拒まうとしてゐた。彼は夢中で走り廻り、漸く昇降口の一隅に身を滑り込ますことが出来た。滅茶苦茶の汽車だつたが、横浜で省線に乗替へると、彼は窓の外を珍しげに眺めてゐた。焼けてゐるとはいつても、広島の荒廃とはちがつてゐるのだつた。


 東京へ来たその日から彼は何かそはそはしたものに憑かれてゐた。三田の学校を訪れようと思つて省線に乗ると、隙間のない車内はぐいぐいと人の肩が胸を押して来た。大混乱の電車は故障のため品川で降ろされてしまつた。ホームにはどつと人が真黒に溢れてしまつた。へとへとに疲れながら彼は身内に何か奮然としたものを呼びおこされた。次の電車で田町に降りた時には、熱湯からあがつたやうに全身がすーつとしてゐた。それから三田の学校にO先生を訪ねたのだが不在だつたので、彼はすぐまた電車でひきかへした。帰りの電車も物凄い混雑だ。ふと、すぐ側にゐるジヤンパーの男が、滑らかな口調で、乗りものの混乱を罵倒しだした。彼は珍しげに眺めた。その男の顔は敗戦の陽気さを湛へてゐて、人間と人間とが滅茶苦茶に摩擦し合ふ映画のなかの俳優か何かのやうにおもへた。

 翌日、彼は目白の方へO先生の自宅を探して行つた。焼跡と焼けてゐないところが頻りに彼の興味を惹いてゐたが、O先生の宅も無事に残つてゐる一郭にあつた。静かな庭に面した書斎には、ぎつしりと書棚に本が詰まつてゐる。かうした落着いた部屋を眺めるのも実に彼には久振りであつた。

「教師の口ならあるかもしれない。そのかはりサラリーはてんでお話になりませんよ」

 O先生は気の毒げに彼を眺めてゐたが、「広島にゐた方がよかつたかもしれんね」と呟いた。

 それから二三日して、三田の学校へO先生を訪ねて行くと、その時も先生は不在だつた。まだ転入のとれない彼はひどく不安定な気分だつたが、ふと新橋行の切符を買ふと、銀座へ行つてみる気になつた。……来てみるとそこは柳の新緑と人波と飾窓が柔かい陽光のなかに渦巻いてゐる。飾窓の銀皿に盛られた真紅な苺が彼をハツとさせた。どの飾窓からも、彼の昔の記憶にあるものや、今新しく見るものがチラチラしてゐた。彼はふらふらとデパートに入るとスピード籤を引く人の列に加はつてゐた。まるで家出した田舎娘のやうな気持だつた。これはどうしたことなのだらう、いつたい、これからどうなるのだらう、と彼は人混のなかで見失ひさうになる自分を怪しんだ。

 文化学院に知人を訪ねようと思つて、大森駅から省線に乗ると、その朝は珍しく席がゆつくりしてゐた。だが、次の駅でどかどかとプラツカードを抱へた一群が乗込んで来ると、車内は異様な空気に満たされた。「三菱の婿、幣原を倒せ」そんな文字の読みとられるプラツカードは電車の天井の方へ捧げられ、窓から吹込む風にハタハタと飜つてゐる。背広を着た若い男が小さな紙片を覗き込みながら、インターナシヨナルを歌つてゐる。爽やかな風が絶えず窓から吹込み、電車は快適な速度に乗つてゐた。新しい人間はあのなかにゐるのだらうか……彼も何となしに晴々した気持にされさうであつた。お茶の水駅で電車を降りると、焼けてゐない街が眼の前にあつた。彼はまた浮々とした気分ですぐその方へ吸込まれさうになつた。だが、不意と転入のことが気になりだすと、急に目白のO先生を訪ねようと思つた。彼は駅に引返すと目白行の切符を求めた。


 三田の学校の夜間部へ彼が就職できたのは、それから二週間位後のことであつた。ある夕方、そこの運動場で入場式が行はれると、新入生はぞろぞろと電燈の点いてゐる廊下に集まり彼を取囲んだ。声をはりあげて彼は時間割を読んできかせねばならなかつた。

 翌日から出勤が始まつた。大森から田町まで、夕方の物凄い電車が彼を揉みくちやにするのだつた。彼は「交通地獄に関するノート」を書きだした。……長らく彼を脅かしてゐた転入のことも就職とともに間もなく許可になつた。が、こんどは食糧危機が暗い青葉の蔭から、それこそ白い牙を剥いて迫つて来るのだつた。

 雨に濡れた青葉の坂路は、米はなく、菜つぱばかりで満たされた胃袋のやうに暗澹としてゐた。三田の学校の石段を昇つて行くとき彼の足はふらふらと力なく戦く。教室に入ると、彼は椅子に腰を下ろした儘、なるべく立つことをすまいとする。だが、教科書がないので、いやでも黒板に書いて教へねばならなかつた。チヨークを使つてゐると、彼の肩は疼くやうにだるかつた。

 彼は「飢ゑに関するノート」もとつておかうと思つた。だが、飢餓なら、殆ど四六時中彼を苛んでゐるので、それは刻々奇怪な幻想となつてゐた。どこかで死にかかつてゐる老婆の独白が耳にきこえる。どういふ訳で、こんな、こんな、ひだるい目にあはねばならないのかしら……食べものに絡まる老婆の哀唱は連綿として尽きないのだつた。床屋へ行つて、そこの椅子に腰を下ろし、目をとぢた瞬間、ふいと彼が昔飼つてゐた犬の姿が浮かぶ。尻尾を振り振り、ガツガツと残飯に啖ひつく犬が自分自身の姿のやうに痛切であつた。


 ふと、彼はその頃読んだセルバンテスの短篇から思ひついて、「新びいどろ学士」といふ小説を書かうと考へだした。セルバンテスの「びいどろ学士」は自分の全身が硝子でできてゐると思ひ込んでゐるので、他からその体に触られることを何よりも恐れてゐる。そのかはり、彼の体を構成してゐる、その精巧微妙な物質のお蔭で、彼の精神は的確敏捷に働き、誰の質問に対しても驚くべき才智の閃きを示して即答できるのであつた。たとへば、一人の男が他人を一切羨まない方法はどうしたらいいのかと質問すると、

「眠ることだ、眠つてゐる間は、少くとも君は君の羨む相手と同等のはずだからね」と答へる。しかし、この不幸な、びいどろ学士は遂に次のやうな歎声を洩らさねばならなかつた。

「おお、首府よ、お前は無謀な乱暴者の希望は伸すくせに、臆病な有徳の士の希望を断つのか! 無恥な賭博者どもをゆたかに養ふのに、恥を知る真面目な人々を餓死させて顧みないのか!」

 彼はこの歎声がひどく気に入つたので、かういふ人間を現在の東京へ連れて来たら、どういふことになるのだらうかと想像しだした。その新びいどろ学士は、原子爆弾の衝撃から生れたことにしてもいい。全身硝子でできてゐる男を想像しながら、彼が電車の中で人間攻めに遭つてゐると、扉のところの硝子が滅茶苦茶に壊れてゐるのが目につく。忽ち新びいどろ学士の興奮状態が描かれるのであつた。

 夜学の生徒たちも、腹が空いてゐるとみえて、少しでも早く授業が了るのを喜んだ。学校が退けて、彼が電車で帰る時刻は、どうかすると、買出戻りの群とぶつつかる。その物凄い群の大半は大井町駅で吐出されるが、あとの残りは大森駅の階段を陰々と昇つて行く。真黒な大きな袋の群は改札口で揉み合ひながら、往来へあふれ、石段の路へぞろぞろと続いて行く。「かういふ光景をどう思ふか」と、あるとき彼は新びいどろ学士を顧みて質問してみたが、相手は何とも答へてくれないのであつた。……ある時も大森駅のホームで、等身大の袋を担はうとして、ぺたんと腰をコンクリートの上に据ゑながら、身を反り返してゐる女を見かけた。彼はその女が立上れるかどうか、はらはらして眺めてゐたが、うまく起上つたので、「あれは何といふ物凄い力なのだらう」と、彼は彼の新びいどろ学士に話しかけてみた。が、やはり何とも答へてくれないのであつた。

 ある日、彼は文化学院に知人を訪ねて行つたが、恰度外出中だつたので、暫く待つてゐようと思つて、あたりをぶらついてゐると、講堂のところに何か催しがあるらしく大勢の人が集まつてゐた。彼は階段を昇つて、その講堂が見下ろせるところにやつて来た。すると、そこには下の光景を眺めるために集まつてゐる連中がゐたので、彼もその儘そこへとどまつてゐた。下の講堂では芸術家らしい連中が卓を囲んでビールを飲んでゐた。そして、ステージでは今、奇妙な男女の対話が演じられてゐた。その訳のわからない芝居が終ると、今度は唖のやうな少年がステージにぽつんと突立つてゐた。

「この弟は天才ピアニストですが、そのかはり一寸した浮世の刺戟にもこの男のメカニズムはバラバラになるのです」

 紹介者がこんなことを云ひだしたので、おやおや、新びいどろ学士がゐるのかな、と彼は思つた。やがて、ピアノは淋しげに鳴りだしたが、場内はひどく騒然としてゐた。

「即興詩を発表します、題は祖国。祖国よ、祖国よ、祖国なんかなあんでえ」誰かがこんなことを喚いてゐた。そのうちに、レコードが鳴りだすと、みんな立上つて、ダンスをやりだした。

「おーい、みんな降りて来い」下から誰かが声をかけると、彼の周囲にゐた連中はみんな講堂の方へ行きだした。彼もついふらふらと何気なくその連中の後につづいた。そこはもう散会前の混雑に満たされてゐたが、彼がぼんやり片隅に立つてゐると、「飲み給へ」と見識らぬ男がコツプを差向けた。……何だか彼は既に酩酊気味だつた。気がつくと、人々はぞろぞろと廊下の方へ散じてゐた。彼が廊下の方へ出て行くと、左右の廊下からふらふらと同じやうな恰好で現れて来た二人の青年が、すぐ彼の目の前で突然ふらふらと組みつかうとした。間髪を入れず、誰かがその二人を引きわけた。廊下の曲角には血が流されてゐて、粉砕された硝子の破片が足許にあつた。酔ぱらひがまだどこかで喚いてゐた。殺気とも、新奇とも、酩酊ともつかぬ、ここの気分に迷ひながら、どうして、ふらふらと、こんな場所にゐるのか訳がわからなくなるのだつたが、それはその儘、「新びいどろ学士」のなかに出て来る一情景のやうに想はれだした。


 冷え冷えと陰気な雨が降続いたり、狂暴な南風の日が多かつた。ある日、DDTの罐を持つた男がやつて来ると、彼の狭い部屋を白い粉だらけにして行つた。それは忽ち彼を噎びさうにさせた。それでなくても彼はよくものにむせたり、烈しく咳込んでゐた。咳はもう久しい間とれなかつた。彼は一度、健康診断をしてもらはうと思つたが、いま病気だと云はれたら、それこそどうしやうもなかつた。

 が、たうとう思ひきつて、ある日、信濃町の病院を訪れた。するとまた、彼のなかから新びいどろ学士が目をひらいて、あたりを観察するのだつた。その焼残つた別館の内科診察室の狭い廊下には昼間も電燈が点いてゐて、ぞろぞろと人足は絶えなかつた。彼が椅子に腰を下ろして順番を待つてゐると、扉のところへ出て来た高等学校の学生と医者とがふと目についた。その学生は、先日文化学院で見たピアノを弾く少年とどこか類似点があつたが、見るからに生気がなく、今にもぶつ倒れさうな姿だつた。

「電車などに乗つてやつて来るには及びません。家へ帰つて夜具の上に寝てゐなさい。窓を開け放して、安静にしてゐることです。充分な栄養と、それから、しやんとした気持で、決して決して、悲観しないことです」

 医者が静かに諭すと、その青年は「はあ、はあ」と弱く頷いてゐる。ふと彼は病死した妻のことが思ひ出されて堪らなく哀れであつた。だが、彼の順番がやつて来ると、彼はまた新びいどろ学士にかへつてゐた。

「前からそんなに瘠せてゐたのですか」と、医者は彼の裸体に触りながら訊ねた。

「食糧がないから瘠せたのです」彼はあたりまへのことを返事したつもりだつたが、それは何か抗議してゐるやうでもあつた。見ると今、彼を診察してゐる医者は、配給がなくても、とにかく艶々した顔色だつた。

 血沈の検査が済むと、彼は白血球──原子爆弾の影響で白血球が激減してゐる場合もあるから一度診察してもらふ必要は前からあつたのだ──を検べてもらふことになつた。彼は窓際のベツトに寝かされ、医者は彼の耳から血を採らうとした。メスで耳の端を引掻き廻すのに、血はなかなか出て来なかつた。「をかしいな、どうしたのかしら」と医者は小首を捻つてゐる。硝子の耳だから血は出ないのだらう──と彼は空々しいことを考へてゐた。だが、あふのけになつてゐる彼の眼には、窓硝子越しに楓の青葉が暗く美しく戦いてゐた。それはもし病気を宣告された場合、彼がとり得る、残されてゐる、たつた一つの手段を暗示してゐるやうだつた。……病院を出ると、彼は外苑の方へふらふらと歩いて行つた。強い陽光と吹き狂ふ風が青葉を揺り煽つてゐた。それに、あたりのベンチはみんな無惨に壊されてゐた。

 彼が二度目にそこの病院を訪れると、医者は先日の結果を教へてくれた。血沈は三十、白血球の数は四千──これはやはりかなりの減少ではあつたが──差当つて心配はなからうといふのであつた。

「まあ、用心しながらやつて行くのですな」さう云はれると、彼は吻として、それから彼の新びいどろ学士も忽ち元気を恢復してゐた。だが、体がふらふらして、頭が茫としてゐることは前と変りなかつた……。「とてもいま書きたくてうずうずしてゐるのだが……」と、彼はある日、若い友人を顧みて云つた。「ものを書くだけの体力がないのだ。二週間でいいから飢ゑた気持を忘れて暮せたら……何しろ罹災以来ずつと飢ゑとほしなのだからね」

 彼とその友とはお茶の水駅のホームに立つてゐた。電車が発着するすれすれのところに、片足は靴で片足は草履で、十歳位の蓬髪の子供がぼんやり腰を下ろして蹲つてゐる。

「あんな子供もゐるのだからね」と彼は若い友を顧みて呟いたが、雑沓する人々は殆どそんなものには気をとられてゐないのであつた。

 狂気の沙汰は募る。──と彼はその頃、ノートに書込んだ。電車の混乱は暑さとともに一層猛烈を加へ、屋根に匐ひ上る人間、連結機から吹出す焔、白ずぼんに血を滲ませてゐる男、さういふ光景を毎日目撃した。さうして、彼は車中では、

〈饑饉ノ烈シキ熱気ニヨリテワレラノ皮膚ハ炉ノゴトク熱シ〉

といふ言葉を思ひ泛べてゐた。

 休暇になつて、電車に乗る用がなくなると、漸く彼ものびのびした気持だつた。が、今度は硝子一重の狭い部屋に容赦なく差込む暑い光がどうにもならなかつた。新びいどろ学士は蒸殺しになりさうな板の上で昼寝と読書の一夏をすごした。夜あけになると、奇怪な咳が彼の咽喉を襲つた。さうして、漸く爽やかな秋風も訪れて来た頃、銭湯の秤で目方を測つてみると、彼の体重は実に九貫目しかなかつたのである。


 あるとき彼は思ひ屈して、大森駅の方へ出る坂路をとぼとぼと歩いてゐた。ふと、電柱に貼られた「衣類高価買入」といふ紙片が彼の目についた。気をつけてみると、その札は殆どどの電柱にも貼つてあつた。急に彼は行李の底にある紋附の着物を思ひ出した。それは昔彼が結婚式のとき着用した品だつたが、たまたま疎開させておいたので助かつてゐたのだ。次の日、彼はその紋附の着物を風呂敷に包むと、金融通帳を持つて、はじめてその店を訪れた。

 金はつぎつぎに彼を苦しめてゐた。彼は蔵書の大半を焼失してゐたが、残つてゐる本を小刻みに古本屋へ運ぶのであつた。

 書物と別れるのは流石につらかつた。だが、今はただ生きて行けさへすればいいのだ、と彼は自分を説得しようとした。だが、朝目が覚めるたびに、何ともいへぬ絶望が喰ひついてゐた。「ははん、『新びいどろ学士』か、嗤はせるない。もうお前さんの底は見えて来たわい」と、まつ黒のぬたぬた坊主の嘲笑がきこえた。


 夕刻五時半からの勤めなのに、彼は三時頃から部屋を出て、よくとぼとぼと歩き廻つた。晩秋の日が沈んでゆく一刻一刻の変化が涙をさそふばかりに心に迫ることがあつた。夕ぐれの教室の窓から、下に見える枯木や、天の一方に吹寄せられてゐる棚雲に三日月が懸つてゐて、靄のなかに人懐げに灯が蠢いてゐる、さうした、何でもない眺めがふと彼を慰めた。心を潤ほすもの、心を潤ほすもの、彼はしきりに今それを求めてゐた。ある日、思ひついて、上野の博物館へ行つてみた。だが博物館は休みだつたので、広小路の方へぶらぶら歩いて行くと、石段のところに、赤ん坊を抱へた女がごろんと横臥してゐるのだつた。


 それはもう霜を含んだ空気がすぐ枕頭の窓硝子に迫つてゐたからであらうか、朝の固い寝床で、彼は何か心をかきむしられる郷愁につき落されてゐた。人の世を離れたところにある、高原の澄みきつた空や、その空に見える雪の峰が頻りと想像されるのだつた。すると、昔みたセガンテイニの絵がふと思ひ出された。あの絵ならたしか倉敷に行けば見られるはずだつた。ふと、彼は倉敷の妹のことも思ひ浮べると、無性にそこへ行つてみたくなつた。そこの一家だけが、彼の身内では運よく罹災を免がれてゐるのだつた。

 広島からの便りでは、焼跡に建てたバラツクは、まだ建具が整はず、そこで棲めるやうになるのは年末頃だらう、と云つて来た。彼もその頃、旅に出掛けたいと思ひだした。旅費にあてるために、大島の袷をとり出した。かうして年末の旅を目論んでゐると、石炭不足のため列車八割削減といふ記事が新聞に出た。その新聞もタブロイド版に縮小されてゐた。また行手を塞がうとする障碍物が現れて来たのだが、石炭が足りなくて汽車を減らすといふことは、何か人を慄然とさすのだつた。だが、彼はどうしても旅に出たいと思つた。切符を手に入れるため夜明前から交通公社の前に立つた。汽車に乗るためには六時間ホームで待つてゐなければならなかつた。


 ……混濁した空気の夜が明けると、窓の外には清冽な水や青い山脈が見えてゐた。倉敷駅で下車すると、彼ははじめて、静かな街にやつて来たやうな気持で、あたりの空気を貪るやうに吸つた。妹の家はすぐ駅の近くにあつた。彼はその家の座敷に腰を下ろすと、久振りに畳の上に坐れる自分を懐しくおもつた。松の樹や苔の生えた石の見える、何でもない、ささやかな庭も彼の眼には珍しかつたが、長らく見なかつたうちに、姪たちはすくすくと伸びてゐるのだつた。まだ国民学校の三年だといふのに、木綿絣のずぼんを穿いてゐる背の高い姪は女学生のやうに可憐だつた。

「諸人 こぞりて 讃へまつれ 久しく待ちにし……」と、その姪は幼稚園へ行つてゐる妹と一緒に縁側で歌つた。

「誰にそんな歌教へてもらつた」と彼はたづねてみた。

「お母さんよ、この、ひさあしいくう……といふところがとてもいいわね」

 翌日、彼が大原コレクシヨンを見て、家に戻つて来ると、小さな姪が配給で貰つた五つの飴玉のその一つを差出して、

「をぢさん、あげませう」と云ふ。

「ありがたう、をぢさんはいいから、あなた食べなさい」

 さう云ふと、この小さな児は円い眼を大きく見ひらいて何だか不満さうな顔だつた。

「配給を分けてあげたい折角の心づくしだから、もらつておきなさい」と妹は側から彼に口を添へた。

 ……彼はその翌日、また汽車に乗つてゐた。夕刻広島へ着く頃になると、雨がポチポチ降りだした。駅の広場からすぐバラツクの雑沓がつづいてゐた。彼は橋を渡り、両側にぎつしり立並ぶ小さな新しい平屋建のごたごたした店を見すごしながら路を急いだ。その次の橋を渡ると、そこからはバラツクも疎らで、まだあまり街の形をなしてゐなかつた。道路からひどく引込んだ空地に、小さな家が見えて来た。

 彼はその家に近寄つて、表札を確かめると、すぐ玄関の戸を開けようとした。だが、戸は鎖してゐて、内には人がゐるのかゐないのか、声をかけてみても反応がなかつた。まだ、廿日市から引越してはゐなかつたのかしら、それにしても今日はもう大晦日だといふのに、どうしたことかしら……と、彼は家のまはりの焼跡の畑を見ながら、ぐるりと縁側の方へ廻つてみた。すると、そこには雑然と荷物が取りちらかされてゐて、その間に立働いてゐる甥たちの姿が見えた。漸くその日、荷物を運んで来たばかりのところだつた。

 翌朝、彼は原子爆弾に逢ふ前訪ねて以来、まだその後一度も行つたことのない妻の墓を訪れようと思つて外に出た。その寺へ行く路の方にもだいぶ家の建つてゐるのが目についた。墓地は綺麗に残つてゐて、寺の焼跡にはバラツクの御堂が建つてゐた。

 彼はぶらぶらと、昔、賑やかな街だつた方向へ歩いて行つた。その昔の繁華街は、やはり今度もその辺から賑はつて行くらしく、書店、銀行、喫茶店などが立並ばうとしてゐた。軒ばかり揃つて、まだ開かれてゐない、マーケツトもあつた。彼はその辺に、八幡村の次兄がバラツクを建ててゐる筈なので、その家を探すと、次兄の書いたらしい表札はすぐ目についたが、表戸は鎖されてゐた。横の小路から這入れさうなところを探すと、風呂場のところが開いてゐた。家のうちはまだ障子も襖もなく、毛布やカーテンが張りめぐらされてゐた。薄暗い狭い部屋には荷物が散乱し、汚れた簡単服を着た痩せ細つた小さな姪や、黝ずんだ顔の甥たちがゴソゴソしてゐた。窶れ顔の次兄は置炬燵の上に頤を乗せ、

「ここでは正月もへちまもないさ」と呟いてゐた。ここでは、彼にも罹災当時の惨澹とした印象が甦りさうであつた。

 彼はその家を辞すと、川口町の姉を訪れてみた。縁側の方から声をかけると、部屋の隅でミシンを踏んでゐた姉は忙しさうな身振りで振向いた。それからミシンのところを離れると、

「とつと、とつと、と働くのでさあ。だが、まあ今日はお正月だから少し休みませう」と笑ひながら、火鉢の前に坐つた。

「兄さんたちは、それはそれはみんな大奮闘でしたよ。とつと、とつと、と働いて、あんなふうにバラツク建てたのです」

 姉はそんなことを喋りだした。それは以前、彼に、「どうするつもりなの、うかうかしてゐる場合ではないよ」と忠告した調子と似てゐた。……彼が東京で、まだ落着く所も定まらず、ふらふらと途方に暮れてゐるうちに、兄たちは、とにかく、その家族まで容れることのできる家を建てたのであつた。

 彼は長兄の家に二三日滞在してゐた。八畳、六畳、三畳、台所、風呂場──これだけのこぢんまりした家だつたが、以前近所にゐた人が訪ねて来ると、嫂は、

「とにかく便利にできてゐて、落着けさうですよ」と云つてゐた。この家にくらべれば焼ける前の家はまるで御殿のやうであつたが、その家を「こんな、だだつ広い家では掃除に日が暮れてどうにもならない」と嫂はよく苦情云つてゐたのだ。嫂の顔は何となく重荷をおろしたやうな表情で、それは彼に母が亡くなつた頃の顔を連想させた。疎開以来、他人の家を間借してゐたので、嫂も気兼の多い暮しだつたのだらう。

「これは、そこの畑にできたのですよ」と嫂は食卓の京菜を指した。家のまはりの荒地は耕されて、菜園となつてゐたが、庭のあとの池はまだそのまま残つてゐた。土蔵のあつた場所は石で囲まれて、一段と高くなつてゐたが、そこも畑にされてゐた。昔、彼が二階の窓から、樹木や家屋の混り合つた向うに眺めてゐた山が、今は何の遮るものもなく、あからさまに見渡せた。長兄は物置の方の荷を整理したり、何か用事を見つけながら、絶えず働いてゐた。


 慌しい旅を畢へて、東京へ戻つて来ると、彼の部屋はしーんとして冷え返つてゐた。火の気のない一冬が始まるのだつた。あんまり寒いときは彼は夜具にくるまつて寝込んだ。彼は震へながら、こんどの旅のことを回想してゐた。どういふわけか倉敷の二人の姪の姿が心を温めてくれるやうであつた。

「諸人、こぞりて……」といふ歌が彼の耳についた。あの小さな姪たちが、素直に生長して、やがて、立派な愛人を得て、美しいクリスマスの晩を迎へるとき、……さういふ夢がふと頭をかすめるのであつた。

底本:「日本の原爆文学1」ほるぷ出版

   1983(昭和58)年81日初版第一刷発行

初出:「文学者会議」

   1947(昭和22)年8月号

※連作「原爆以後」の2作目。

入力:ジェラスガイ

校正:門田裕志

2002年920日作成

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