共産黨宣言
カール・マルクス
フリードリヒ・エンゲルス
堺利彦訳
幸徳秋水訳



日本譯の序


 この日本譯は、最初、第三章を除いて、週刊『平民新聞』第五十三號(明治三十七年十一月十三日發行)に載せられたところ、忽ち秩序壞亂として起訴され、裁判の結果、關係者はそれぞれ罰金に處せられた。しかしその裁判の判決文には、『古の文書はいかにその記載事項が不穩の文字なりとするも、……單に歴史上の事實とし、または學術研究の資料として新聞雜誌に掲載するは、……社會の秩序を壞亂するといふ能はざるのみならず、むしろ正當なる行爲といふべし』とあつた。そこで私は次にその譯文に多少の修正を加へ、および第三章を譯し添へて、今度は『單に歴史上の事實』として、また『學術研究の資料』として、『社會主義研究』第一號(明治三十九年三月十五日發行)に載せた。(その時には、前の共譯者幸徳はアメリカに行つてゐたので、第三章は私ひとりで譯した。)

 しかるに、その『社會主義研究』も程へて後(大逆事件當時)發賣を禁止され、その後今日に至るまで、『共産黨宣言』日本譯の公刊は不可能の状態になつてゐるが、いかに日本が野蠻國で、いかに保守的反動が強いにしても、もう遠からずして、言論自由の範圍が、せめて明治三十九年當時くらゐに復舊する時節は來るだらうと思はれる。その時には、私はぜひともこの『學術研究の資料』を出來るだけ早く世に出したいと思つてゐる。ところが、近ごろその古い譯文を讀み返してみると、第一、文體の古くさいことが厭で堪らない。それにあの時は、單にイギリス譯から重譯したのでもあり、また譯し方の拙いところや、不正確なところや、間違つたところも大ぶんある。そこで私は今度、その古い譯文をドイツ語の原文と引合せ、また部分的には河上肇氏および櫛田民藏氏の譯文をも參照し、出來るだけ精密に訂正を加へて、口語體に書き直すことにした。幸徳が生きてゐたら何といふか知らんが、私はやはりこの新譯に彼と二人の名を署しておく。

 ドイツ語の新版には、一八七二年のマルクス、エンゲルスの序文のほか、一八八三年のと一八九〇年のと、エンゲルスの序文が二つ載つてゐる。しかしその内容は次に記したイギリス譯の序に盡されてゐる。

大正十年五月
堺利彦


(日本では、その後、この私の譯文が何人かの手により、祕密出版として數回發行された。また昨年、大田黒年男氏らの手によつて、『共産黨宣言』と題する四百ページの大册が發行され、禁止にはなつたが、それ以前、少からぬ部數が頒布された。この大册には『宣言』の本文のほか、リヤザノフの『共産主義者同盟』の歴史と、同じくリヤザノフの、二百ページ以上にわたる『評注』と、エンゲルスの『共産主義の原理』──實は『宣言』の草案──等が附録されてゐる。一九三〇年七月追記。堺)


イギリス譯の序


 この『宣言』は、『共産主義同盟』の綱領として發表されたものである。『同盟』は勞働者の團體で、初めはドイツ人に限られ、後、國際的となり、一八四八年以前のヨーロッパ大陸の政治状態の下において、やむなく祕密結社であつた。一八四七年十一月、ロンドンに開かれた『同盟』の大會において、理論上および實踐上の、完備した綱領を發表するため、マルクスとエンゲルスとが起草委員に選ばれた。一八四八年一月、その草稿はまづドイツ文で起草され、二月二十四日のフランス革命の數週前、ロンドンの活版所に送られた。そして一八四八年六月の一揆のすぐ前に、そのフランス譯がパリにあらはれ、一八五〇年、ヘレン・マクファーレン孃の手になつた第一英譯が、ロンドンの雜誌『レッド・レパブリカン』に現はれた。オランダ譯とポーランド譯もまた次いで刊行された。

 プロレタリヤとブルジョアとの最初の大合戰たる、一八四八年六月のパリ一揆が敗北した時、ヨーロッパ勞働階級の社會的および政治的活動は、また暫く後方に押しこまれてしまつた。その後、權勢の爭奪は、二月革命以前とおなじく、また有産階級の諸黨派の間にのみ行はれ、勞働階級は僅かに政治的自由のために戰ふこととなり、中流階級急進派の左翼たる地位に引下げられた。そして獨立のプロレタリヤ運動がなほ多少の生氣を示してゐるところでは、容赦もなく叩き伏せられてしまつた。かくてプロシャの警察は、當時ケルンにおかれてあつた『共産主義同盟』の本部を搜し出した。それで、本部員はみな捕縛され、十八箇月の監禁の後、一八五二年十月、初めて公判に付された。この有名な『ケルン共産黨裁判』は十月四日から十一月十二日まで繼續し、被告のうち、七名は三年から六年まで、それぞれの刑期をもつてある要塞に禁錮する旨を宣告された。この宣告の後まもなく、『同盟』は殘餘の黨員によつて形式的に解散された。從つて『宣言』もそれきり埋沒されたもののごとくであつた。

 ヨーロッパの勞働階級が、更にその權力階級に向つて一撃を加ふべき十分の鋭氣を回復した時、かの『國際勞働者同盟インタナショナル』が勃興した。けれどもこの『同盟』は、もつぱら歐米全體の戰鬪的プロレタリヤを打つて一丸とする目的であつたので、『共産黨宣言』に掲げられた趣旨をとつて、直ちにそれを標榜するわけには行かなかつた。すなはちこの同盟は、イギリスの勞働組合、フランス、ベルギー、イタリー、スペインにおけるプルードン派、およびドイツにおけるラサール派(1)に容認さるべき、漠然たる綱領をもつものでなければならなかつた。マルクスはその綱領を起草して右の諸黨派に滿足を與へたが、彼としては全く、この協同の運動と、相互の討究とから必ず生ずべきはずであるところの、勞働階級の智力的發展に信頼してゐたのであつた。資本に對する戰鬪の事實、およびその戰況の變遷は、殊に敗戰の場合においては勝利の場合よりも甚だしく、種々なる家傳祕法の不十分が感知され、從つてまた、勞働階級解放の眞正の條件について、一そう深奧なる見解に到達させないではおかないはずである。マルクスの見るところはまさに當つてゐた。一八七四年、『インタナショナル』が解散した時、それを創立當時の一八六四年に比べると、勞働者はまるで別人のやうになつてゐた。フランスのプルードン派、ドイツのラサール派はみな既に死滅に瀕し、保守的なイギリスの勞働組合も(その大部分は疾くにインタナショナルと分離してはゐたが)、なほよく漸次にその歩みを進め、去年スワンシーでその會長が、組合の名において、『大陸の社會主義ももはや我々に恐怖を感ぜしめぬ』といつたほどになつて來た。すなはち實際上、『宣言』の趣旨は著るしく各國勞働者の間に侵入してゐたのであつた。


(1)ラサールは個人として我々に對する時には、常にマルクスの弟子たることを承認し、從つてまた、『宣言』の論據の上に立つてゐた。しかし一八六〇年から六四年までの公の運動においては、彼は、國家の保護を受ける組合工場の要求以上に進まなかつた。


 かくて『宣言』そのものも再び表面に現はれた。ドイツの原文は一八五〇年以後、スヰス、イギリス、およびアメリカで幾度も飜刻され、一八七二年にはニューヨークで英文に譯されて、『ウードハル・エンド・クラフリン週報』に掲載され、そのイギリス譯からして同地の佛文雜誌『社會主義者』にフランス譯が現はれた。その後アメリカで發表された英文の抄譯が少くとも二種あつて、しかもその一種はイギリスで再版された。また、第一のロシヤ譯はバクーニンの手になり、一八六三年頃、ジェネバなるヘルチェンの雜誌『コロコロ』の發行所から出版され、第二は女丈夫ウエラ・サスリッチの手になり(2)、一八八二年、同じくジェネバで出版された。また一八八五年、コペンハーゲン發行の『社會民主主義文庫』の中に、一つの新しいデンマーク譯がある。一八八六年、パリの『社會主義者』にまた一つ新しいフランス譯が出た。そのフランス譯からしてスペイン譯がつくられ、一八八六年マドリッドで出版された。ドイツにおける飜刻は數へきれないほどで、少くとも十二種はあつた。アルメニヤ譯は數月前、コンスタンチノープルで出版されるはずであつたが、發行者はマルクスの名を冠した書籍を出すことを恐れ、譯者はまたそれを自分の著述とすることを拒んだので、たうとう世に出ることが出來なかつたといふ。以上のほか、更に他の國語に譯されたものもあると聞いてゐるが、私はまだ見たことがない。かくてこの『宣言』の歴史は、大體において、近世勞働運動の歴史を反映してゐる。そして今日においては、この『宣言』こそ疑ひもなく、あらゆる社會主義の文書中、最も廣く世に行はれた、最も國際的な産物であつて、シベリヤからカリフォルニヤまでの幾百萬の勞働者によつて承認された共通の綱領である。


(2)ウエラ・サスリッチ云々はエンゲルスの間違ひで、實はプレハーノフによつてロシヤ文に飜譯されたのである。


 しかるにこの『宣言』の起草された時、我々はこれを『社會黨宣言』と呼ぶことが出來なかつた。一八四七年の當時では、社會主義者といへば、一方において種々なる空想的諸制度の信者、すなはちイギリスのオーエン派、フランスのフーリエー派などを意味し、その兩派とも既に單なる『おかたまり』の地位に下り、次第に死滅に瀕してゐた。また一方において、社會主義者といふ名は種々雜多なエセ改良家を意味し、その連中はあらゆる切張りの術を説いて、資本と利潤とには何らの危害をも加へないで、よく社會一切の害惡を除去すると稱してゐた。そしてこの兩者とも、勞働階級以外の運動であつて、むしろいはゆる教育ある人士に向つてその支持を求めてゐた。これらの間に立つて、單純な政治革命の無力を悟り、社會の根本的變革の必要を宣言したものが、勞働階級中のどれだけの部分であつたかは分らないが、その部分だけは自ら共産主義者と稱してゐた。それはもとより粗雜な、荒削りの、純然たる本能的共産主義ではあつたが、それでもその主張はよく急所に當つて、勞働階級の間に有力となり、フランスのカベー、ドイツのワイトリングのやうな、空想的共産主義を産出してゐた。そこで一八四七年においては、社會主義は中流階級の運動であり、共産主義は勞働階級の運動であつた。また少くとも大陸においては、社會主義は『品のよいもの』であり、共産主義は全くそれに反してゐた。そして我々の意見は最初から、『勞働階級の解放は、勞働階級自身の行動でなければならぬ』といふのであつたから、この二つの名稱のいづれを選ぶべきかについて、疑ひの起るはずがなかつた。それに我々は、その後といへども、かつてこの名を排斥したことはないのである。

 この『宣言』は二人の合作であるけれども、その核子を形成する根本の提案が、マルクスに屬することを明言する義務があると私は思ふ。すなはちその提案とは、歴史の各時代において、經濟上、生産および交換の慣行方式があり、また必然にそれから生じてくる社會組織があり、その時代の政治および文明の歴史はこの基礎の上に建設され、またこの基礎によつてのみ説明されるといふこと。故に人類の全歴史は(土地を共有してゐた原始的氏族社會が消滅した以後)階級鬪爭の歴史であり、搾取者と被搾取者、壓伏階級と被壓伏階級の對抗の歴史であること。そしてこれらの階級鬪爭の歴史が進化の諸段階を形成し、それが今日ではまた一つの新しい段階に到達し、この段階では、被搾取被壓伏の階級(すなはちプロレタリヤ)が、搾取壓伏の階級(すなはちブルジョア)の權勢から解放されようとするには、それと同時に、今後永久に一切の搾取、壓伏、階級差別、および階級鬪爭から、社會全體を解放するよりほかに道がないといふこと、である。

 私の見るところでは、この提案は、ちやうどダーヰンの進化説が生物學に與へたと同樣の效果を、史學のうへに與ふべきもので、マルクスと私と二人ともに、一八四五年以前において、漸次それに近づきつつあつたのである。最初、私がひとり、いかなる程度までそれに向つて進んでゐたかは、私の著『一八四四年における英國勞働階級の状態』において、最もよく見ることが出來る。しかるに一八四五年の春、私が再びブリュッセルでマルクスと會つた時、彼は既にそれを完成して、殆んど私が今ここに記してゐるやうな明晰な字句で、それを私に提示したのであつた。

 私はここに、一八七二年のドイツ版に付した我々の合作の序文の中から、左の一節を引用する。

『最近二十五年間において、社會の状態は大いに變化してゐるけれども、この「宣言」の中に開陳されてある根本の趣旨は、大體において今もなほ正確である。細目には所々訂正すべき點もあるだらう。またこの趣旨の實際の適用は、「宣言」中にもいつてあるとほり、すべての處、すべての時において、その現存せる歴史的状態によつて決せらるべきものであるから、第二章の終りに提出されてゐる革命的諸政策には、必ずしも重きをおくに足りない。あの一段は、多くの點において、今日ならばずつと違つた文句で書き現はされるであらう。一八四八年以後における近世産業の長足の進歩、およびそれに伴つて進歩し擴大した勞働階級の團結から見る時、また第一にはフランスの二月革命における實際の經驗、第二にはプロレタリヤが初めて二箇月間、政權を握つたパリ・コンミュンの一層よい經驗から見る時、この「宣言」中の綱領は、ある細目において既に廢物に歸してゐる。特にパリ・コンミュンによつて立證された一事がある。すなはち「勞働階級は單に出來合ひの國家機關を握つて、それを自分の目的に使用することは出來ない」(「フランスにおける内亂」を參照。それにはこの點が一そう敷衍されてゐる)といふことである。またこの「宣言」の、社會主義文書に對する批評は、一八四七年以前に限られてゐるのだから、現時に關して多くの缺點があることは自明である。また共産主義者と種々の反對黨との關係についての評語(第四章)は、その趣旨はやはり正確であるけれども、實際の適用上には既に廢物になつてゐる。今では政治界の形勢が全く變化し、歴史の進歩が、あそこに數へあげてある諸政黨の大部分を、地上から一掃してゐるからである。

 しかしこの「宣言」は、今ではもう歴史的文書になつてゐるので、我々はもはやそれに變更を加へる權利がない。』

 このイギリス譯は、マルクスの『資本論』の大部分を譯したサミュエル・ムーア氏の手になり、氏と私と一緒に校訂をなし、私は更に、歴史的用語を説明する二三の註釋をつけ加へた。


一八八八年一月三十日、ロンドンにて
フリードリヒ・エンゲルス



共産黨宣言      堺利彦
幸徳秋水
共譯



 一個の怪物がヨーロッパを徘徊してゐる。すなはち共産主義の怪物である。古いヨーロッパのあらゆる權力は、この怪物を退治するために、神聖同盟を結んでゐる。ローマ法皇もツァールも、メッテルニヒもギゾウも、フランスの急進黨もドイツの探偵も。

〔譯者註〕メッテルニヒはオーストリーの宰相、ギゾウはフランスの首相。

 見よ。在野の政黨で、在朝の政敵から、共産主義的だといつて誹毀されないものがあるか。また見よ、在野の政黨で、他の一そう急進的な反對諸黨派に對して、ならびにその保守的な政敵に對して、共産主義の燒印をつけた詰責を投げ返さないものがあるか。

 この事實から二つのことがわかる。

 共産主義はあらゆるヨーロッパの權力者から、既に一個の勢力として認識されてゐること。

 共産主義者が全世界の面前にその見解、その目的、その傾向を公然と表示し、黨自身の宣言をもつて、共産主義の怪物のお伽噺と對抗すべき時機が熟してゐること。

 この目的のために、諸國の共産主義者がロンドンに集まつて、次の宣言を起草した。そしてそれをイギリス語、フランス語、ドイツ語、イタリー語、フレミッシュ語、およびデンマーク語で公表することにした。


第一章 ブルジョアとプロレタリヤ(1)


 在來一切の社會の歴史は、階級鬪爭の歴史である(2)

 自由民と奴隷、貴族と平民、領主と農奴、ギルド(同業組合)の親方(3)と徒弟職人、一言にすれば壓伏者と被壓伏者とが、古來常に相對立して、或ひは公然の、或ひは隱然の鬪爭を繼續してゐた。そしてその鬪爭はいつでも、社會全體の革命的改造に終るか、或ひは交戰せる兩階級の共仆れに終るのであつた。

(1)ブルジョアとは、近世資本家の階級、社會的生産の諸機關(あるひは諸手段)の所有者、および賃銀勞働の雇用者を意味する。プロレタリヤとは、自分で生産機關(あるひは生産手段)をもつてゐないので、生活のためには自分の勞働力を賣るほかはない近世賃銀勞働者を意味する。

〔譯者註〕ブルジョアは初め我々によつて『紳士』と譯され、ブルジョアジーは『紳士閥』と譯された。そして、プロレタリヤは初め『平民』あるひは『平民勞働者』と譯された。

(2)精密にいへば、記録された歴史である。一八四七年には、有史以前に存在した社會組織は殆んど全く知られてゐなかつた。その後、ハクスタウゼンはロシヤにおける土地共有制を發見し、マウレルはすべてのチュートン人種が歴史に入るまへ、土地共有を社會の基礎としてゐたことを論證し、それから次第に、村落共産制がインドからアイルランドまで到る處において、社會の原始的形態であること、もしくはあつたことが分かつて來た。そしてこの原始的共産社會の内部組織は、氏の眞性質、および氏と種族との關係についての、モルガンの完成的大發見によつて、初めて標本的の形態で明示された。この原始的共産制の解體とともに、社會はべつべつの、そして遂には相反目する諸階級に分れはじめたのである。

〔譯者註〕モルガン著『古代社會』およびエンゲルス著『家族・私有財産および國家の起源』を見よ。

(3)ギルドの親方とは、正式の組合員たる職人のことで、組合の頭ではない。

 上古の諸時代にあつては、殆んど到る處に、社會を種々な等級に分けた複雜な排列法、社會的地位の種々雜多な區分が行はれてゐるのを見る。すなはちローマの古代には、貴族、騎士、平民、奴隷があり、中世には、領主、家來、親方、徒弟、農奴がある。そしてなほその諸階級の殆んどすべてに、またそれぞれの小區分がある。

 封建社會の滅亡から發生した近世のブルジョア社會も、階級對立を除去してはゐない。ただ新しい階級をつくり、新しい壓伏條件をつくり、新しい鬪爭形式をつくつて、昔のに代へただけである。

 けれども、我々の時代、すなはちブルジョアの時代は、この階級對立を單純化したといふ特徴をもつてゐる。全社會は次第々々に、相敵視する二大陣營、直接相互に對立する二大階級に分裂しつつある。すなはちブルジョアとプロレタリヤである。

 そもそも中世の農奴の中から、最初の都市における特許市民(あるひは廓外市民)が出て來てゐる。そしてその特許市民の中から、ブルジョアジーの最初の要素が發達してゐる。

 アメリカの發見、喜望峰の廻航は、この新興のブルジョアのために新しい地盤をつくり出した。東インドおよび支那の市場、アメリカの植民、植民地との貿易、交換手段および商品の増加は、商業に、航海に、工業に、空前の刺戟を與へ、それによつて、既に崩壞しかけてゐた封建社會内の革命要素に急激な發達を起させた。

 そこで從來の、封建的もしくはギルド的の工業經營法は、もはや新市場とともに増大するところの需要に應ずることが出來なくなつた。工場的手工業がそれに代つて起つて來た。ギルドの親方は工場手工業的中産階級のために押しのけられた。種々なる組合と組合との間の分業は、單一なる工場内の分業の前に消滅した。

 しかるに市場はいよいよ擴大し、需要はいよいよ増加した。工場的手工業ももはやそれに應ずることが出來なくなつた。そこで蒸氣と大機械が工業生産を革命した。工場的手工業の代りに近代的大産業が起り、工場手工業的中産階級の代りに産業的大富豪、全産業軍の首長、すなはち近代的ブルジョアが起つた。

 この近代産業が世界市場を建設した。アメリカの發見は既にその準備をしてゐたのである。この世界市場は商業に、航海に、陸上の交通に、絶大の發達をなさしめ、その發達がまた、産業の擴大に逆影響を及ぼし、つまり工業、商業、航海、鐵道の擴大するその同じ度合ひにおいて、ブルジョアジーが發達し、その資本が増加し、中世から殘存してゐるすべての階級を後ろの方に押しやつてしまつた。

 かくて我々は、近代的ブルジョアジーが、長い發達行程の産物であり、また、生産および交換方法におけるいくた連續せる諸變革の産物であることを知る。

 このブルジョアジー發達の各段階は、またそれに相應する政治的進歩を伴つてゐた。すなはち初めは封建的領主の支配下に抑壓された一階級であり、また武裝した自治團體のコンミュン(4)であり、あるところでは(イタリーおよびドイツにおけるごとく)獨立の都市共和制となり、あるところでは(フランスにおけるごとく)王政治下の第三階級(租税負擔階級)となり、次に工場的手工業の時代にあつては、半封建的もしくは專制的王國内における貴族との均衡物となり、また一般大王國の主要なる地盤となり、最後には、大産業および世界市場の發現以後、近世的代議制國家において、全くその掌中に政權を把握した。近世國家の政府なるものは、ブルジョア階級全體のためにその共同事務を處理する委員會に過ぎない。


(4)イタリーおよびフランスの都市の住民は、その都市的共同組織をコンミュンと呼んでゐた。そしてそれによつて、封建領主から最初の自治權を買ひ取り、もしくは捩ぢ取つた。

 コンミュンとは、フランスの都市がその發生時代からもつてゐる名稱で、彼らが第三階級として封建領主から、地方自治制と參政權とを獲得したその以前、既にこの名稱があつた。大體上ここでは、ブルジョアの經濟的發達にはイギリスを標本國とし、その政治的發達にはフランスを標本國としてゐる。


 ブルジョアジーは歴史上において、最も革命的な任務を果たしたものである。

 ブルジョアジーが政權を握つたところでは、すべての封建的、主從的、牧歌的なる諸關係が破壞された。(從來)人を、その生れながらの目上と結びつけてゐた封建的の色絲は、無殘に引きちぎられて、人と人とを結びつけるものは、ただ赤裸々の利益、冷酷な現金勘定よりほかには何ものもないことになつた。宗教的の熱情や、武士的の感激や、町家的の人情などいふ神聖な渇仰心は、氷のやうに冷たい主我的な打算の中に溺らされてしまつた。個々の人物の値打ちは交換價値の中に消え去り、永く確保された無數の特許的自由の代りに、ただ一つの無茶な商業的自由が設定された。これを一言にすれば、ブルジョアジーは、宗教的および政治的の幻影をもつて覆はれた搾取の代りに、公然たる、恥知らずの、直接な露骨な搾取を設定したのである。

 ブルジョアジーは、從來名譽と尊敬とを博してゐたすべての職業から、その後光を剥ぎ去つてしまつた。醫師も、法律家も、僧侶も、詩人も、學者も、みな彼らに雇はれる賃銀勞働者に變化されてしまつた。

 ブルジョアジーは、家族關係からそのしほらしいセンチメンタルなヴェールを破り取つて、純然たる一個の金錢關係に引き戻してしまつた。

 ブルジョアジーは、保守主義者がいたく感嘆してゐる、あの中世時代の蠻勇的行動が、懶惰を極めた安逸生活といかに似合ひの相棒であるかを明示した。それは實に初めて、人間の活動がどこまでのことをなしとげうるかを示したものである。すなはち實にエジプトのピラミットや、ローマの水道や、ゴチックの堂塔にも優る大工事を起し、また昔の民族移住や十字軍を凌駕する大遠征を決行したものである。

 ブルジョアジーは、生産機關を、從つて生産關係を、從つてまた一般の社會關係を、絶えず革命することなしには存在することが出來ない。これに反し、古い生産方法を何らの變化なく保存することが、前代におけるすべての工業階級の第一の生存條件である。故に、生産の絶えざる革命、あらゆる社會状態の不斷の動搖、永久の不安と擾亂、それがすなはちブルジョア時代がすべての前代と異なる特徴である。すべての確立し凝固した諸關係は、それに伴ふ大切な舊説古傳とともに一掃せられ、すべての新式の事物も、それがまだ固定せぬ前に廢物となつてしまふ。堅牢なものは悉く氣化し、神聖なものは悉く褻涜され、そして人間は遂に自分の生活状態と、自分と同類との關係を、冷靜な目で見つめるよりほかはないことになる。

 ブルジョアジーは、その生産物のために絶えず市場を擴大する必要があるので、地球表面の全部に追ひやられる。それは到る處に巣をつくり、到る處に住みつき、到る處に因縁を結ばねばならぬ。

 ブルジョアジーは、世界市場の搾取によつて、各國各地の生産および消費にコスモポリタン的性質を附與した。産業の足のしたから國家的地盤を引き拔いて、保守主義者の大なる悲嘆を招いた。古來の國家的産業は既に破壞され、なほ日々破壞されつつある。そしてそれに代る新産業を輸入することは、すべての文明國にとつて生死の問題であり、またその新産業は、もはや内國の原料でなく、最も遠隔した諸地方からの原料に加工し、またその生産物は内國ばかりでなく、世界のあらゆる方面で消費される。昔の、内國産によつて充足された需要の代りに、今は最遠隔の國土の産物でなければ充足されない、新しい需要が生じてゐる。昔の、地方的國家的の自足と閉居との代りに、今は諸國民相互の間における、各方面の交通、各方面の依頼が生じてゐる。そして精神的生産もやはりこの物資生産と同じである。個々の國民の精神的作物は、世界共通の所有となる。國民的の偏執と僻見とは、次第々々に不可能となる。そして多數の國民的、地方的の文學の間から、一個の世界的文學が起る。

 ブルジョアジーは、すべての生産機關を急速に改善することによつて、また交通機關を絶えず進歩させることによつて、すべての國民を(野蠻國民をすらも)文明に引き入れる。彼らはその商品の廉價を重砲として、あらゆる支那の城壁をも撃破した。彼らはまたそれによつて、頑固に外人を憎惡する野蠻人をも降伏させた。すべての國民は、もし滅亡を欲しないならば、ブルジョアジーの生産方法を採用することを餘儀なくされる。いはゆる文明を自國に輸入すること、すなはち自らブルジョアとなることを餘儀なくされる。これを一言にすれば、ブルジョアジーは自分の影像に從つて世界をつくるものである。

 ブルジョアジーは、地方を都會の支配下に屈せしめた。彼らは都會の人口を、農村に比べて著るしく増加させた。そして全人口の多大な部分を、農村生活の愚昧から奪ひ去つた。彼らは農村を都會に屈せしめたと同じく、野蠻國および半野蠻國を文明國に、農業國民をブルジョア國民に、東洋を西洋に從屬させた。

 ブルジョアジーは、いよいよますます、生産機關(生産手段)の、財産の、および人口の散在を抑止した。人口は集團され、生産機關は集中され、そして財産は少數者の手に集積された。それの必然な結果は、政治上の中央集權であつた。べつべつの利害、法律、政府、税制をもつてゐた獨立の諸地方、殆んど單なる聯合に過ぎなかつた諸地方が、一個の國民、一個の政府、一個の法律、一個の全國的階級利益、一個の關税區域に押し堅められてしまつた。

 ブルジョアジーは、僅かに百年ばかりの階級的支配の中に、過去一切の諸時代を合したよりも、一そう多量な、一そう巨大な生産力をつくり出した。自然力の征服、大機械、工業および農業における化學の應用、汽船、鐵道、電信、全世界各地の開墾、河川航路の開鑿、呪文をもつて地下から呼び起したやうな全人口の増殖、──およそこれほどの生産力が社會的勞働の胎内に眠つてゐたとは、いかなる前時代にもかつてその徴候がなかつたではないか。

 かくて我々は知る。ブルジョアジーの成長の基礎であつたところの、生産および交換機關は、既に封建社會のうちにつくられてゐたのである。この生産および交換機關の發達のある段階において、封建社會が生産し交換したその諸關係、すなはち農業および工業の封建的組織、これを一言にすれば、封建的財産關係が、既に發達した生産力と、もはや適合しないことになつたのである。彼らは生産を促進しないで、それを妨害することになつた。彼らはまさにいくたの邪魔物になつた。彼らは爆破されねばならないのであつた。そして爆破された。

 彼らの代りに現はれたものは自由競爭であつた。それと同時に、それに適合する社會的および政治的の組織も起つて來た。ブルジョア階級の經濟的および政治的支配も起つて來た。

 これと同樣な運動がいま我々の眼前にも行はれてゐる。この偉大な生産および交換機關を呼び出したところの、ブルジョア的の生産および交換關係、すなはちブルジョア的の財産關係、すなはち近代のブルジョア社會は、恰かもあの魔術師が、呪文を唱へて地の底からさまざまの魔物を呼び出しながら、今は既にそれを制御する力を失つたのに似てゐる。この數十年來の工業および商業の歴史は、近代の生産力が、近代の生産關係に對し、ブルジョアジーとその支配との生存條件たる財産關係に對し、叛逆した歴史に過ぎない。その證據としては、かの商業恐慌が、一定の期間を隔ててその襲來を繰返し、その一回ごとにますます甚だしくブルジョア社會の全體の存在を脅威してゐる事實を擧げれば足りる。この商業恐慌の際には、現存の生産物の大部分が定期的に破壞されるばかりでなく、その以前につくられた生産力の大部分もまた同じである。またこの恐慌に際しては、過去のあらゆる時代ならばいかにも不道理と思はれるはずの、一種の社會的流行病、すなはち生産過剩といふ流行病が發生する。そのとき、社會は突如として、一時的の野蠻状態に返つたやうに見える。饑饉が起り、大破壞が起つて、社會一切の生活資料を杜絶したかのやうに見える。工業も商業も悉く破壞されたやうに見える。それは何故か。ほかでもない、社會があまり多くの文明、あまり多くの生活資料、あまり多くの工業、あまり多くの商業をもつたからである。社會の用を務むべき生産力は、もはやブルジョアの財産關係を促進させる役には立たない。否、かへつてその財産關係に對してあまりに有力となり、その財産關係のために妨害を蒙ることになる。そこで生産力がその妨害を突破するたびごとに、ブルジョア社會の全部を無秩序に陷れ、ブルジョア財産の存在を危くするのである。ブルジョアの諸關係は、自分のつくり出した富を包容するのに、あまり狹隘になつて來たのである。しからばブルジョアジーは何によつてこの恐慌を切り拔けるか。一面には生産力の大額を強壓的に破壞し、一面には新市場を征服し、および舊市場の搾取を一そう根本的にやる。さうしてどうなるか。それはすなはち、一そう廣大な、一そう猛烈な恐慌を準備し、恐慌を防遏する手段方法を極度に減少することになる。

 ブルジョアジーが封建制度を顛覆したその武器が、今はブルジョアジー自身に向けられてゐる。

 ただしブルジョアジーは、自分を殺すべき武器を鑄造したばかりでなく、またその武器を使用すべき人物をつくりだした。すなはち近代の勞働者、プロレタリヤがそれである。

 かくてブルジョアジー(すなはち資本)が發達すればするほど、その同じ比例をもつて、近代勞働者の階級(すなはちプロレタリヤ階級)が發達した。このプロレタリヤは、仕事を見つけた間だけ生活することが出來、またその勞働が資本を増大する間だけ仕事をもつことが出來る。彼らは自分の身を切賣りにするよりほかないもので、他のあらゆる商品と同じく一個の商品である。從つて競爭上の諸變化と、市場内の諸變動とに曝されるものである。

 プロレタリヤの勞働は、機械使用の増大と分業とのために、全くその個人的性質を失ひ、從つてまた勞働者の興味を失つた。すなはちプロレタリヤは單なる機械の附屬物となり、その機械に對して彼の要求されるところは、ただ最も單純な、最も單調な、最も容易に習得される手業である。從つてその勞働者を産出する費用は、ただ僅かにその一身を維持し、およびその種を蕃殖させるに必要なだけの生活資料に制限される。しかるに商品の價格は、從つて勞働の價格も、その生産費と等しいものである。そこで勞働の沒趣味が増加すればするほど、それと同じ程度において賃銀は減少する。それにまた、機械の使用と分業とが増大すればするほど、或ひは勞働時間の延長により、或ひは一定の時間内に要求される勞働の増加により、或ひはまた、機械の運轉力の増加等により、その同じ程度において勞働の總量が増大する。

 近世産業は、族長的な親方の下にあつた小さな職場を、工業資本家の大工場に變更したものである。その工場に詰めこまれる勞働者の群は、軍隊的に編成されてゐる。彼らは産業軍の兵卒として、多數の士官、下士官などを有する完全な統御組織の下におかれてゐる。彼らはブルジョア階級、ブルジョア國家の奴隷であるばかりでなく、機械のために、監督者のために、殊にはその製造家たるブルジョア個人のために、日々刻々、奴隷として使役されてゐる。そしてその專制政治の目的が單に營利であることが明示されればされるほど、その賤しむべく、厭ふべく、憎むべきことが甚だしさを加へて來る。

 手の勞働が熟練と力とを要することが少くなるに從つて、すなはち近世産業がいよいよ發達するに從つて、男子の勞働が女子と小兒の勞働にとつて代られる。性の差異と年齡の差異とは、勞働階級にとつては、もはや何らの社會的價値をもつてゐない。彼らはみな等しく勞働器具であつて、ただその年齡と性とにより、使用上に費用の多少を生ずるだけである。

 勞働者が、既に製造家から搾取されて、その勞働賃銀を受取ると、今度はブルジョアジーの他の部分、すなはち家主、小賣商人、質屋などが彼に襲ひかかる。

 從來の中産階級の下層、すなはち小さい工業者、小商人、および小金持、職人と農夫、すべてこれらの諸階級は漸次プロレタリヤに陷る。その原因の一半は、彼らの小資本が大産業の經營に引き足りないで、より大なる資本家との競爭に負けるからであり、また他の一半は、彼らの專門技術が新しい生産方法に對して無效になるからである。かくてプロレタリヤは國民のあらゆる方面から徴募されてゐる。

 プロレタリアートは種々な發達の段階を經過する。彼らのブルジョアジーに對する戰ひは、その存在とともに始まる。最初は個々の勞働者が、次には一工場内の勞働者が、次には一地方における一勞働部門の勞働者が、直接に彼らを搾取する個々のブルジョアに對して戰ふ。彼らはまだブルジョアの生産關係に對して攻撃を向けるのでなく、生産器具そのものに對して攻撃を向ける。すなはち彼らは外國の競爭品を破壞し、機械を叩きこはし、工場を燒き拂ふ。彼らは既に亡びた中世勞働者の地位を取り戻さうとする。

 この段階にあつては、勞働者はまだ全國に散在して、競爭のために分裂してゐるところの集團である。當時、勞働者が多數團結の實を示した場合があるのは、それはまだ彼ら自身が結合したのではなく、ブルジョアジーの結合した結果である。ブルジョアジーとしては、自分の政治上の目的を達するために、全プロレタリアートを動かす必要があり、そして、一時はそれをなしうるのである。故にこの段階にあつては、プロレタリヤは自分の敵と戰はないで、自分の敵の敵と戰ふ。すなはち專制王國の遺物、大地主、非工業的のブルジョア、小ブルジョアなどと戰ふ。かくて歴史的運動の全部はブルジョアの手に集中され、それによつて獲得されるすべての勝利は、ブルジョアの勝利である。

 しかるに産業の發達とともに、プロレタリヤはその數を増加したばかりでなく、ますます大なる集團に押し堅められ、從つてその力が増大し、また彼らがその力を感知する。機械が次第々々に勞働の差異を消し、殆んど到る處において、賃銀を同一の低い水準に引下げると同時に、プロレタリヤの利害、プロレタリヤの内部における生活状態が次第々々に平均して來る。ブルジョア同志の間におけるますます激烈な競爭、およびそれから生ずる商業恐慌が、いよいよ勞働者の賃銀を動搖させる。不可避の勢ひをもつてますます急激に發達する機械の改善が、いよいよ勞働者の全生活を不安にする。個々の勞働者と個々の資本家との衝突が、次第々々に兩階級の衝突たる性質を餘計に帶びて來る。そこで勞働者は資本家に對して組合をつくりはじめる。彼らは勞働賃銀を維持するために結合する。彼らは臨機の反抗運動のために、かねてその資力を養ふべく、永續的の團體を組織する。それがをりをりは破裂して一揆となる。

 勞働者はをりをり勝利を得るが、それはただ一時的に過ぎない。彼らの鬪爭の眞の效力は、その直接の結果にあるのではなく、ただ勞働者の團結が絶えず擴大するところにある。勞働者の團結は、大産業がつくり出した交通機關の發達によつて助長される。交通機關の發達は、諸地方の勞働者をして互ひに聯絡をとらしめる。ただこの聯絡のおかげで、到る處に同性質を有する無數の地方的鬪爭が、一個の全國的鬪爭、一個の階級鬪爭に集中される。そして階級鬪爭は必ず政治的鬪爭である。もしこれが、あの道路の不便な中世の町人であつたなら、かういふ團結のためには數百年を要したであらうに、鐵道のある近代のプロレタリヤは、僅々數年の間にそれを成就したのである。

 プロレタリアートのかういふ階級的組織、從つてまたその政黨組織は、また絶えず勞働者自身の間の競爭のために破壞される。けれども、それは必ずまた勃興して、一そう強く、一そう堅く、一そう有力となる。彼らはブルジョアジーの間における黨爭を利用して、勞働者の特殊の利益に對する立法的認識を強要する。イギリスにおける十時間勞働法のごときがすなはちそれである。

 舊社會における一般の諸衝突は、また種々の點においてプロレタリヤの發達を促す。ブルジョアジーは不斷の鬪爭の中に立つてゐる。初めは貴族と戰ひ、後には産業の進歩と利害を異にする、ブルジョアジー自身の他の部分と戰ひ、また常にあらゆる外國のブルジョアジーと戰ふ。かういふいろいろの鬪爭において、ブルジョアジーはプロレタリヤに訴へ、その助力を借る必要があるので、從つてプロレタリヤを政治運動に引きいれねばならぬことになる。故にブルジョアは自分の教育的要素、すなはち自分と戰ふべき武器をプロレタリヤに供給することになる。

 また、前にいつたとほり、支配階級の一部分が、産業發達のために、擧つてプロレタリヤに落ち込む。或ひは少くとも、その生活條件を脅威される。彼らがまた多量の教育的要素をプロレタリヤに附與する。

 最後に、この階級鬪爭がいよいよ決戰の時期に近づく時には、支配階級の内部(すなはち舊社會全體の内部)における分解の過程が、すこぶる激烈大膽な性質を帶び、支配階級の一小部分は自らその所屬を脱して、革命階級(すなはち將來をその手の中に握つてゐる階級)に投ずる。故に、むかし貴族の一部分がブルジョアに投じたと同じやうに、今はブルジョアの一部、殊にこの歴史的運動の全體を學理的に理解しうるに至つたところの、思想家的ブルジョアの一部が、プロレタリヤに投ずる。

 今日、ブルジョアと對立してゐるすべての階級の中で、ただプロレタリヤのみが眞實の革命階級である。他の諸階級は大産業のために衰頽し、滅亡するものであるが、プロレタリヤはすなはち大産業に特有な産物である。

 中産階級の下層たる、小製造家、小商人、職人、農夫等もまたみなブルジョアジーと戰ふ。けれどもそれは、中産階級としての滅亡を免れんがために戰ふのである。故に彼らは革命的でなく、保守的である。いなむしろ彼らは反動的である。彼らは歴史の車輪を後ろにまはさうとするものである。もし彼らが革命的であるとすれば、それは彼らがプロレタリヤに落ちこみかけてゐることを悟つたからである。彼らは現在の地位を防衞するのではなく、將來の利益を防衞するのである。すなはち彼らはプロレタリヤの地位に立つために、自分の特殊な地位を棄てるのである。

 ルンペンプロレタリヤ、すなはち舊社會の最下層にある、腐敗墮落した貧民もまた、場合によつてプロレタリヤの革命運動に誘ひ込まれるだらう。けれども彼らの生活状態から見ると、彼らはむしろ喜んで反動的陰謀のために買收されるだらう。

 舊社會の生活條件は、今は既にプロレタリヤの生活條件の中に滅却されてゐる。プロレタリヤは無財産である。彼らがその妻子に對する關係は、もはやブルジョアの家族關係と少しの共通點をももつてゐない。近世的工業勞働、資本の下における近世的屈從は、イギリスはフランスに同じく、アメリカはドイツに同じく、すべてプロレタリヤからその國民的特徴を剥ぎ去つてゐる。法律、道徳、宗教、彼らにとつてはみな悉くブルジョア的偏見であつて、その背後には必ず、それだけのブルジョア的利益が隱されてゐるのである。

 從來、政權を握つたすべての階級は、全社會を自分らの收益條件に屈從させて、そして自分らの既得の地位を確保しようとした。しかるにプロレタリヤは、從來の自分の所得方法(從つてまた、從來一般の所得方法)を廢止して、初めて社會的生産力を握ることが出來る。プロレタリヤは自分のものとして保護すべきものが一つもない。彼らはただ、あらゆる從來の、私有的保證、私有的保護を破壞すれば足りるのである。

 從來のすべての運動は、みな少數者の運動、もしくは少數者の利益のためにする運動であつた。プロレタリヤの運動は、大多數の利益のためにする、その大多數の獨立の運動である。しかるに、現社會の最下層たるこのプロレタリヤは、外面の正式社會を構成してゐるところの、上層全部を空中に吹き飛ばさなくては、自立し自營することが出來ないのである。

 プロレタリアートのブルジョアジーに對するこの鬪爭は、形式上(實質上はさうでないが)、最初は一國的である。各國のプロレタリアートは、必ずまづ、自國のブルジョアジーを處分せねばならぬのである。

 我々は今、プロレタリアートの發達について、その最も一般的なる諸段階を叙述し、現社會の内部における、大なり小なり覆面された内亂から、遂にそれが爆破して公然の革命となり、ブルジョアジーを顛覆してプロレタリアートの支配を樹立するところまで到達した。

 從來のすべての社會は、前に述べたとほり、壓伏階級と被壓伏階級との敵對の上に立つてゐた。けれども一階級を壓伏するためには、その階級が少くとも奴隷的存在を續けうるだけの、ある生活條件が保證されてあらねばならぬ。農奴は農奴制の下において、その村邑の公民に立身することが出來たし、小町人はまた、封建的專制政治の抑壓のもとにあつて、ブルジョアになることが出來た。しかるに近世の勞働者は、産業の進歩とともに向上するのではなく、却つて自分の階級の生活條件より以下にだんだん深く沈んで行くのである。すなはち勞働者は貧民となり、貧民は人口と富との増加に比し、一そう急速に發達する。そこでブルジョアジーがなほ永く社會の支配階級となること、そしてその階級の生活條件を定法として社會に強ひることの不適當が明瞭となる。彼らが支配者たるに不適當な所以は、すなはちその奴隷制の内部において、奴隷に生存そのものをすら確保することが出來ないといふ點にある。また彼らが奴隷から養はれるのでなく、却つて奴隷を養はねばならぬほどの境遇に、奴隷を沈ませるのやむなきに至つた點にある。社會はもはやブルジョアジーの下に生活することが出來ない。換言すれば、ブルジョアジーの生活はもはや社會と兩立しえないのである。

 ブルジョア階級の存在、およびその支配權の根本條件は、私人の手の中に富を集積することである、資本の形成および増大である。そして資本の條件は賃銀勞働である。そして賃銀勞働は全く勞働者間の競爭の上に立つてゐる。しかるにブルジョアジーが無意識に、そして無抵抗に促進した産業の進歩は、競爭による勞働者の孤立を改めて、協力による彼らの革命的結合をつくる。だから大産業の發達は、ブルジョアジーが生産をなし、産出物を領有するその基礎自體を、ブルジョアジーの足の下から引き拔くものである。故にブルジョアジーが産出するものは、第一に自分の墓堀り人である。ブルジョアの沒落と、プロレタリヤの勝利とは、共に不可避である。


第二章 プロレタリヤと共産主義者


 共産主義者は一般のプロレタリヤに對して、どんな關係にあるか。

 共産主義者は勞働者の諸黨派に反對して、別個の一黨派をつくるものではない。

 彼らは全プロレタリヤ階級の利害から分離した、何らの利害をもつものではない。

 彼らは特殊の原則を定めて、プロレタリヤの運動をその型に入れようとするものではない。

 共産主義者が、プロレタリヤの他の諸黨派と異なるところは、ただこれである。すなはち、一面においては、プロレタリヤの種々なる一國的鬪爭に對して、その國籍から獨立した、全プロレタリヤ階級の共通利益を指示し、標榜する。そして他の一面においては、プロレタリヤとブルジョアジーとの鬪爭が經過する種々なる發展段階に對して、常に運動全體の利益を代表する。

 故に共産主義者は、一面、實際上には、全世界の勞働諸黨派の中において、最も大膽な、いつでも全黨を推進させる一部分である。そして一面、理論上には、プロレタリヤ運動の條件、進路、およびその總結末に關し、プロレタリヤの他の大部分よりも、一そう明晰な洞察をもつてゐるものである。

 共産主義者の直接の目的は、他のすべてのプロレタリヤ諸黨派のそれと同一である。すなはちプロレタリヤを一階級に結成すること、ブルジョアの支配權を顛覆すること、プロレタリヤの手に政權を握ること。

 共産主義者の理論的根據は、決して某々社會改良家たちの發明し、もしくは發見した、理想や原理の上に存するものではない。

 彼らはただ、現存せる階級鬪爭の實際的諸關係、すなはち我々の眼前に起りつつある歴史的運動の、一般的表現に過ぎない。從來の財産關係を廢絶することは、必ずしも共産主義者の特徴ではない。

 あらゆる過去の財産關係は、絶えず歴史的の轉換を受け、また絶えず歴史的の變化を蒙つてゐる。

 例へばフランス革命は、ブルジョア的財産の便宜のために、封建的財産を廢絶した。

 故に共産主義の特徴とするところは、一般財産の廢絶ではなく、ただブルジョア財産の廢絶である。しかし近世ブルジョアの私有財産は、階級反目の上に立ち、少數者による多數者の搾取の上に立つところの、生産および生産物領有方法の、最後にしてかつ最も完全なる表現である。

 この意味において、共産主義者はその理論を一言に約することが出來る。いはく、私有財産の廢絶。

 世人は我々共産主義者を非難していふ。共産主義者は、人が自己の勞働によつて獲得したところの個人的財産を廢絶しようとする。すなはちあらゆる個人的の自由、活動、および獨立の根底たる財産を廢絶しようとする、と。

 自己の勞働によつて、自己の獲得した、自己の儲けだした財産といふのか。それはブルジョア財産の以前にあつた、職人の財産、農夫の財産のことをいふのか、それならば我々が廢絶するには及ばない。産業の發達が既にそれを廢絶し、なほ日々廢絶しつつある。

 それとも彼らは、近世のブルジョア的私有財産のことをいふのか。

 しかし、賃銀勞働(すなはちプロレタリヤの勞働)は勞働者のために財産をつくるのか。決してつくらない。それはただ資本をつくる。資本は賃銀勞働を搾取する財産である。そしてそれが更に賃銀勞働をつくり、更にそれを搾取するといふ條件の下においてのみ、増大しうるところの財産である。現今の形態における財産は、資本と賃銀勞働との對立の中に生存してゐる。我々をしてこの對立の兩面を檢せしめよ。

 資本家たることは、生産界において、單純なる個人的地位をもつばかりでなく、また一の社會的地位をもつことである。資本は協力的産物である。多數部員の共同作業によつてのみ、いな、それを究極すれば、社會全員の共同作業によつてのみ働かされうるものである。

 故に資本は決して個人的の力でなく、一つの社會力である。

 故に資本が共有財産(すなはち社會全員の財産)に變更される場合、それは個人的財産が社會的財産に變更されるのではない。ただその財産の社會的特質が變更されるのである。すなはち財産の階級的性質が失はれるのである。

 次に賃銀勞働を檢せしめよ。

 賃銀勞働の平均價格は、勞働賃銀の最低である。すなはち、勞働者が勞働者としての生命を保つに必要なだけの生活資料の額である。故に賃銀勞働者が自分の勞働によつて獲得するところは、ただその赤貧の生活を再製するに足るだけのものである。我々は決して、この直接な生命の再製のためにする、勞働産物の個人的所得を廢絶しようとするのではない。すなはち他の勞働を支配すべき何らの餘剩を生じないところの、この所得を廢絶しようとするのではない。我々はただこの所得の悲慘な性質、すなはち勞働者が資本を増大するためにのみ生活し、支配階級の利益がそれを要求する間だけ生活しうるといふ、その悲慘な性質をなくしようとするのである。

 ブルジョアの社會にあつては、生きた勞働者は、ただ、集積された勞働を増大する一つの手段になる。共産主義の社會にあつては、集積された勞働が、ただ勞働者の生活を擴大し、豐富にし、増進させる手段になる。

 故にブルジョアの社會にあつては、過去が現在を支配し、共産主義の社會にあつては、現在が過去を支配する。ブルジョアの社會にあつては、資本は獨立的であり、個性的であるのに、生きた人間は從屬的であり、非個性的である。

 しかるにブルジョアジーは、かういふ諸關係の廢絶を目して、個性の廢絶! 自由の廢絶! といふのである。しかし無理もない。これはいかにも、ブルジョアの個性、ブルジョアの獨立、ブルジョアの自由の廢絶なのである。

 現在のブルジョア的生産關係の下にあつては、自由とはただ自由貿易を意味し、自由賣買を意味してゐる。

 しかし賣買といふことがなくなれば、自由賣買もなくなつてしまふ。一體、ブルジョアの自由賣買といふこと、およびその他一切の自由よばはりは、中世時代の制限された賣買、束縛された商人に對してこそ意義もあるが、共産主義が主張する賣買の廢絶、ブルジョア的生産關係の廢絶、およびブルジョアジーそのものの廢絶に對しては、何らの意義もないものである。

 諸君は、我々が私有財産を廢絶しようといふのに驚いてゐる。しかし諸君のこの現在の社會において、人口の十分の九は既に私有財産を失つてゐるではないか。そしてそれが(少數者のために)存在してゐるのは、實にそれがその十分の九のために存在してゐないからではないか。故に諸君が我々を非難する、その財産の廢絶といふのは、社會全員の大々多數の無財産を必要條件とする、その財産の廢絶なのである。

 要するに諸君は、我々が諸君の財産を廢絶しようとするのを非難するのである。いかにも我々はそれを欲するのである。

 諸君は、勞働がもはや資本に變ぜず、貨幣に變ぜず、地代に變ぜず、つまり獨占的社會力に變じえないことになるその瞬間から、すなはち個人的財産がもはや、ブルジョア的財産に變形しえないことになるその瞬間から、諸君は個性が廢絶されるといふのである。

 故に諸君は白状してゐるのである。諸君のいはゆる個性とは、ブルジョア以外の、ブルジョア的財産所有者以外の、何ものをも意味してゐないのである。そして、それらの個性はもとより廢絶すべきである。

 共産主義は誰人に對しても、社會的産物を獲得する力を奪ふものではない。ただその獲得によつて、他の勞働を屈服させる、その力を奪ふのである。

 ある者は反對していふ。私有財産が廢絶されるなら、それとともに一切の活動が廢絶され、從つて一般的怠惰に陷るであらう、と。

 もしさうとするなら、ブルジョア社會は疾くの昔、怠惰のために滅亡してゐるはずである。ブルジョア社會では、働く者は儲からないし、儲ける者は働かないではないか。だからこの反對論は結局、資本がなくなれば賃銀勞働がなくなるといふ、分かりきつた重複語を、別の意味で使つたに過ぎない。

 物質的産物に對する、共産主義的の獲得方法および生産方法に向けられたすべての攻撃は、更に精神的産物の獲得および生産にまで延長されてゐる。階級的財産の廢絶が、ブルジョアにとつて、生産そのものの廢絶であるのと同じく、階級的文化の廢絶は、彼らにとつて一般文化の廢絶と同意義である。

 彼らがしかくその消滅を悲しんでゐる、その文化なるものは、大々多數の人にとつては、ただ機械として働くことの教育である。

 しかし諸君が、自由、文化、權利等に關する諸君のブルジョア的見解を標準として、ブルジョア財産の廢絶を律しようとする間は、論爭は無益である。諸君の思想そのものは、ブルジョア的の生産關係および財産關係の産物である。それと同じく、諸君の權利もまた、諸君の階級的意志を法律としたものに過ぎない。そしてその意志の内容は、諸君の階級の物質的生活條件から生じたものに過ぎない。

 諸君の利己的謬想──すなはち諸君の生産關係および財産關係は、生産の進歩に從つて生滅する歴史的關係であるのに、それを永劫の自然法および道理法に變更させる──その諸君の利己的謬想は、すべての滅亡した過去の支配階級が、みな諸君と同じくもつてゐたものである。諸君が古代の財産に對して理解したところ、また封建的財産に對して理解したところのものを、諸君はいま、ブルジョア的財産に對しては理解しようとしないのである。

 家族制の廢絶! 共産主義者のこの不名譽な提案に對しては、最急進派の人々すらも憤激する。

 しかし、現在の家族制度、ブルジョアの家族制度はいかなる基礎の上に立つてゐるか。資本の上、私收入の上に立つてゐる。完全に發達したこの家族制度は、ただブルジョアジーの間にのみ存在してゐる。そしてプロレタリヤの強制的無家庭と、公娼制度とが、その補足物になつてゐる。

 ブルジョアの家族制は、もとよりこの補足物の消失とともに消失する。そして兩者とも、資本の