我等の一團と彼
石川啄木



      一


 人が大勢集つてゐると、おのづから其の間に色分けが出來て來る──所謂黨派といふものが生れる。これは何も珍らしいことではないが、私の此間までゐたT──新聞の社會記者の中にもそれがあつた。初めから主義とか、意見とかを立てゝ其の下に集つたといふでもなく、又誰もそんなものを立てようとする者もなかつたが、ただ何時からとなく五、六人の不平連がお互ひに近づいて、不思議に氣が合つて、そして、一種の空氣を作つて了つたのだ。

 先づ繁々往來をする。遠慮のない話をする。内職の安著述の分け合ひをする。時々は誘ひ合つて、何處かに集まつて飮む。──それだけのことに過ぎないが、この何處かに集まつて飮む時が、恐らく我々の最も得意な、最も樂しい時だつた。氣の置ける者はゐず、酒には弱し、直ぐもう調子よく醉つて來て、勝手な熱を吹いては夜更かしをしたものだ。何の、彼のと言つて騷いでるうちには、屹度社中の噂が出る。すると誰かが、赤く充血した、其の癖何處かとろんとした眼で一座を見廻しながら、慷慨演説でもするやうな口調で、「我黨の士は大いにやらにやかんぞ。」などと言ひ出す。何をやらにや可かんのか、はたから聞いては一向解らないが、座中の者にはよく解つた。少くとも其の言葉の表してゐる感情だけは解つた。「大いに然り。」とか、やるともとか即座に同意して了ふ。さあ、斯うなると大變で、れも此れも火の出る樣な顏を突き出して、明日にも自分等の手で社の改革を爲遂げて見せるやうなことを言ふ。平生から氣の合はない同僚を、犬だの、黴菌だの、張子はりこだの、麥酒罎だのと色々綽名をつけて、糞味噌に罵倒する。一人が小皿の縁を箸で叩きつけて、「一體社では我々紳士を遇するの途を知らん。あんな品性の下劣な奴等と一緒にされちや甚だ困る。」と力み出すと、一人は、胡座あぐらをかいた股の間へ手焙てあぶりをかゝへ込んで、それでも足らずにぢり〳〵とにじり出しながら、「さうぢや。徒らに筆を弄んで食を偸む。のう文明の盜賊とは奴等のこつちや。社會の毒蟲ぢや。我輩不敏といへども奴等よりはまだ高潔な心をもつとる。學問をせなんだ者は眞に爲樣がないなあ。」と酒臭い息を吹いてそれに應ずる。──そして我々は、何時誰が言ひ出したともなく、自分等の一團を學問黨と呼んでゐた。

 尤も、醉ひが醒めて、翌日になつて出勤すると、嵐の明くる朝と同じことで、まるで樣子が違つた。誰を見てもけろりと忘れたやうな顏をして濟ましてゐる。「昨夜は愉快ぢやつたなあ。」と偶に話しかけてみても、相手はただ、「うむ。」と言つて妙な笑ひ方をして見せる位のことだ。命令が出ると何處へでも早速飛び出して行つた。惡い顏をする者もなければ、怠ける者もなかつた。他の同僚に對しても同じで、殊更に輕蔑するの、口を利かぬのといふことはしない。ただ少し冷淡だといふに過ぎない。が、何か知ら事があると、連中のうちで、紙片を圓めたのを投げてやつて、眼と眼を見合はせて笑ふとか、不意に脊中をどやしつけて、それにかこづけて高笑ひをする位のことはやつた。意氣地がないと言へばそれまでだが、これは然しさうあるべき筈だつた。反對派と言つた所で、何も先方が此方に對抗する黨派を結んでゐたといふでもない。言はば、我々の方で勝手に敵にしてゐただけの話だ。自分等が自分等の意見を行ふ地位にゐないといふ外には、社に對してだつて別に大した不平を持つてゐたのでもないのだから。──それに、之は餘り人聞きの好いことではないが、T──新聞は他の社より月給や手當の割がずつと好かつた……

 この「我が黨の士」の中に、高橋彦太郎といふ記者があつた。我々の間では年長者の方で、もう三十一、二の年齡をしてゐたが、私よりは二、三箇月遲れて入社した男だつた。先づ履歴から言ふと、今のY──大學がまだ專門學校と言つてゐた頃の卒業生で、卒業すると間もなく中學教師になり、一年ばかり東北の方に行つてゐたらしい。それから東京へ歸つて來て、或政治雜誌の記者になり、實業家の手代になり、遂々とう〳〵新聞界に入つて、私の社へ來る迄に二つ、三つの新聞を歩いた。──ざつとこんなものだが、詳しいことは實は私も知らない。一體に自分に關した話は成るべく避けてしない風の男だつた。が、何かの序に、經濟上の苦しみだけは學生時代から隨分甞めたやうなことを言つたことがある。地方へ教師になつたのは、恩のある母(多分繼母だつたらう)を養ふ爲で、それが死んだから早速東京へ歸つたのだといふ話も聞いたやうに記憶してゐる。細君もあり、子供も三人かあつたが、何處で何うして結婚したのか、それは少しも解らない。此方から聞いて見ても、「そんな下らぬ話をする奴があるものか。」といふやうな顏をして、てんで對手にならなかつた。第一我々の仲間で、その細君を見たといふ者は一人もない。郊外の、しかも池袋の停車場から十町もあるといふ處に住んでゐて、人を誘つて行くこともなければ、又、いくら勸めてももつと近い處へは引越して來なかつた。

 最初半年ばかりは、社中にこれといふ親友も出來たらしく見えなかつた。何方かと言へば口が重く、それに餘り人好きのする風采でもないところへ、自分でも進んで友を求めるといふやうな風はなかつた。「高橋さあん。」と社會部の編輯長が呼ぶと、默つて立つて其の前へ行く。「はい」と言つて命令を聞き取る。上等兵か何かが上官の前に出た時のやうだ。渡された通信の原稿を受け取つて來て、一通り目を通す。それから出懸けて行く。くでもない、急かぬでもない、他の者のやうに、「何だ、つまらない。」といふやうな顏をすることもなければ、目を輝かして、獲物を見附けた獵犬のやうに飛び出して行くこともない。電話口で交換手に呶鳴りつけることもなければ、誂へた辨當が遲いと言つて給仕に劍突けんつくを喰はせることもない。そして歸つて來て書く原稿は、若い記者のよくやるやうな、頭つ張りばかり強くて、結末に行つて氣の拔けるやうなことはなく、おとなしい字でどんな事件でも相應に要領を書きこなしてあるが、其の代り、これといふ新しみも、奇拔なところもない。先づ誰が見ても世慣れた記者の筆だ。書いて了ふと、片膝を兩手で抱いて、頸窩ぼんのくぼを椅子の脊に載せて、處々から電燈の索の吊り下つた、煙草の煙りで煤びた天井を何處といふことなしに眺めてゐる。話をすることもあるが、話の中心になることはない。猶更子供染みた手柄話などをすることはなかつた。つまり、一口に言へば、何一つ人の目を惹くやうなところの無い、或は、ない男だつた。

 私も、この高橋に對しては、平生餘り注意を拂つてゐなかつた。同じ編輯局にゐて、同じ社會部に屬してゐたからには、無論毎日のやうに言葉は交はした。が、それはたゞ通り一遍の話で、對手を特に面白い男とか、厭な男とか思ふやうな機會は一度もなかつた。これは一人私ばかりでもなかつたらしい。ところが或時、例の連中、(其の頃漸く親しくなりかけた許りだつたが、)が或處に落ち合つて、色々の話の末に、社中の誰彼の棚下しを始めた。先づ上の方から、羽振りの好い者から、何十人の名が大抵我々の口に上つた。其の中に高橋の噂も出た。

『おい、あの高橋といふ奴な、彼奴も何だか變な奴だぜ。』と一人が言つた。

『さうぢやのう。僕も彼奴に就いちや考へとるんぢやが、一體あの男あの儘なんか、それとも高く留まつてるんか?』

『高く留まつてるんでもないね。』と他の一人が言つた。

『何うもさうではないやうだね。あれで却々親切なところがあるよ。僕は此間の赤十字の總會に高橋と一緒に行つたがね。』

 最初の一人は、『それは彼奴は色んな事を知つとるぜ。何時か寒石老人と説文の話か何かしとつた。』

『さうぢや。僕も聞いとつた。何しろ彼の男あ一癖あるな。第一まあつらを見い。ぽかんとして人の話を聞いとるが、却々なか〳〵油斷ならん人相があるんぢや。』

 斯う言つたのは劍持といふ男だつた。皆は聲を合はせて笑つたが、心々に自分の目に映つてゐる高橋の風采を思ひ浮かべてみた。中脊の、日本人にしては色の黒い、少しの優しみもないほどに角ばつた顏で、濃い頬髯を剃つた痕が何時でも青かつた。そして其の眼が──私は第一に其の眼を思ひ出したので──小い、鋭い眼だつた。そして言つた。

『一癖はあるね、確かに。』

 然し、それは言ふまでもなくほんの其の時の思ひ附きだつた。

 劍持はしたり顏になつて、『僕はな、以前から高橋を注意人物にしとつたんぢや。先づ言ふとな、彼の男には二つの取柄がある。阿諛おべつかを使はんのが一つぢや。却々なか〳〵頑としたところがある。そいから、我々新聞記者の通弊たる自己廣告をせんこつちや。高橋のべちやくちや喋りをるのは聞いたことがないぢやらう? ところがぢや、僕の經驗に據ると、あした外觀の人間にや二種類ある。第一は、あれつきりの奴ぢや。顏ばかり偉さうでも、中味のない奴ぢや。自己廣告をせなんだり、阿諛を使はなんだりするのは、そんな事する才能がないからなんぢや。所謂見かけ倒しといふ奴ちやな。そいから第二はぢや。此奴は始末に了へん。一言にして言ふと謀反人ぢやな。何か知ら身分不相應な大望をもつとる。さうして常に形勢を窺うとる。僕の郷里の中學に體操教師があつてな、其奴が體操教師の癖に、後になつて解つたが、校長の椅子を覘つとつたんぢや。嘘のやうぢやが嘘ぢやない。或時其の校長の惡口が土地の新聞に出た、何でも藝妓を孕ましたとか言ふんぢや。すると例の教師が體操の時間に僕等を山に連れて行つて、大きな松の樹の下に圓陣を作らしてなあ、何だか樣子が違ふわいと思つとると、平生とはまるで別人のやうな能辯で以つて、慷慨激越な演説をおつ始めたんぢや。君達四年級は──其の時四年級ぢやつた──此の學校の正氣せいきの中心ぢやから、現代教育界の腐敗を廓清する爲にストライキをやれえちふんぢや。』

『やつたんか?』

『やつた。さうして一箇月の停學ぢや。體操の教師は免職よ。──其奴がよ、何處か思ひ出して見ると高橋にとるんぢや。』

『すると何か、彼の高橋も何か大望を抱いてゐると言ふのか?』

『敢てさうぢやない。敢てさうぢやないが、然し肖とるんぢや。實に肖とるんぢや。高橋がよく煙草の煙をふうと天井に吹いとるな? あれまでとるんぢや。』

『其の教師のはなしは面白いな。然し劍持の分類はまだ足らん。』最初高橋の噂を持ち出した安井といふのが言つた。

『あんな風の男には、まだ一つの種類がある。それはなあ、外ではあんな具合に一癖ありさうに、構へとるが、内へ歸ると細君の前に頭があがらん奴よ。しよつちゆう尻に布かれて本人も亦それを喜んでるんさ。愛情が濃かだとか何とか言つてな。あして鹿つべらしい顏をしとる時も、なんぞ知らん細君の機嫌を取る工夫をしとるのかも知れんぞ。』

 これには皆吹き出して了つた。啻に吹き出したばかりでなく、大望を抱いてゐるといふ劍持の觀察よりも、毎日顏を合はせながら別に高橋に敬意をもつてゐたでもない我々には、却つて安井の此の出鱈目が事實に近い想像の樣にも思はれた。

 が、翌日になつて見ると、劍持の話した體操教師のはなしが不思議にも私の心に刻みつけられたやうに殘つてゐた。それは私自身も、劍持と同じく、半分は教師の煽動で中學時代にストライキをやつた經驗をもつてゐた爲だつたかも知れない。何だか其の教師が懷しかつた。そして、それに關聯して、おのづと同僚高橋の擧動に注意するやうになつた。

 四、五日經つと、其の月の社會部會の開かれる日が來た。我々の一團は、會議などになると、妙に皆沈默を守つてゐる方だつた。で、其の日も、編輯長の持ち出した三つか、四つの議案は、何の異議もなく三十分かそこいらの間に通過して了つた。其の議案の中には、近頃社會部の出勤時間が段々遲れて、十一時乃至十二時になつたが、今後晝の勤務に當つてゐる者は、午前九時までに相違なく出社する事、といふ一箇條もあつた。

 會議が濟むと皆どやどやと椅子を離れた。そして、沓音くつおと騷がしく編輯局に入つて行つた。我々も一緒に立つた。が、何時もの癖で、立つた機會に欠伸あくびをしたり、伸びをしたりして、二三人會議室の中に殘つた。すると、も一人我々の外に殘つた者があつた。高橋だ。矢張皆と一緒に立つたが、其の儘窓際へ行つて、何を見るのか、ぢつと外を覗いてゐる。

 安井は廊下の靜かになるのを待ちかねたやうに、直ぐまた腰を掛けて、

『今日の會議は、何時もよりも些と意氣地が無さ過ぎたのう?』

『何故君が默つとつたんぢや?』劍持はさう言つて、ちらと高橋の後姿を見た。そして直ぐ、

『若し君に何か言ひたい事があつたならぢや。』

『大いにある、僕みたいなものが言ひ出したつて、何が始まるかい?』

『始まるさ。何でも始まる。』

『これでも賢いぞ。』

『心細い事を言ふのう。』

『然し、まあ考へて見い。第一版の締切が何時? 五時だらう? 午前九時に出て來て、何の用があるだらう? 十時、十一時、十二時……八時間あるぞ。今は昔と違つてな、俥もあれば、電車もある。乘つたことはないが、自動車もある世の中だ……』

『高橋君。』私は卷煙草へ火を點けて、斯う呼んで見た。安井はふつと言葉を切つた。

『うむ?』と言つて、高橋は顏だけ此方へ捻ぢ向けた。その顏を一目見て、私は、「何を見てゐたのでもないのだ。」と思つた。そして、

『今の決議は我々朝寢坊には大分こたへるんだ。九時といふと、僕なんかまだ床の中で新聞を讀んでゐる時間だからねえ。』

『僕も朝寢はする。』

 さう言つて、靜かに私の方へ歩いて來た。何とか次の言葉が出るだらうと思つて待つたが、高橋はそれつきり口をつぐんで、默つて私の顏を見てゐる。爲方がないから、

『此間うちの新聞の社説に、電車會社が營業物件を虐待するつて書いてあつたが、僕等だつて同じぢやないか? 朝の九時から來て、第二版の締切までゐると、彼是十時間からの勤務だ。』

『可いさ。外交に出たら、家へ寄つてゆつくり晝寢をして來れば同じこつた。』

 これが彼の答へだつた。

 劍持は探りでも入れるやうに、

『僕は又、高橋君が何とか意見をべてくれるぢやらうと思うとつた。』

『僕が? 僕はそんな柄ぢやない。なあに、これも矢つ張り資本ぬしと勞働者の關係さ。一方は成るべく樂をしようとするし、一方はなるべく多く働かせようとするし……この社に限つたことぢやないからねえ。どれ、行つて辨當でも食はう。』

 そして入口の方へ歩き出しながら、獨語のやうに、『金の無い者は何處でも敗けてゐるさ。』

 後には、三人妙な目附をして顏を見合はせた。

 が、其の日の夕方、劍持と私と連れ立つて歸る時、玄關まで來ると、一足先に歸つた筈の高橋が便所から出て來た。

『何うだ飮みに行かんか?』

 突然に私はさう言つた。すると、

『さうだね、可いね。』と向うも直ぐ答へた。

 一緒に歩きながら、高橋の樣子は、何となくさういふ機會を得たことを喜んでゐるやうにも見えた。そして彼は、少し飮んでも赤くなる癖に、いくら飮んでも平生と餘り違つたところを見せない男だつた。飮んでは話し、飮んでは話しして、私などは二度ばかりも醉ひが醒めかけた。それでも話は盡きなかつた。いざ歸らうとなつた時は、もう夜が大分更けて、例の池袋の田舍にゐる高橋には、乘つて行くべき、汽車も、電車もない時刻だつた。

『また社の宿直の厄介になるかな。』と彼は事も無げに言つた。家へ歸らぬことを少しも氣にしてゐないやうな樣子だつた。

『僕ん處へ行かんか?』

めるか?』

『泊めるとも。』

『よし行く。』

 其の晩彼は遂々とう〳〵私の家に泊つた。


      二


 かくして、高橋彦太郎は我々の一團に入つて來た。いや、入つて來たといふは適切でない。此方からちよつかいを出して引き入れて了つた。

 先づ私の目に附いたのは、それから高橋の樣子の何といふことなしに欣々としてゐることであつた。何處が何うと取り立てて言ふほどの事はなかつたが、(又それほど感情を表す男ではなかつたが、)同じ膝頭を抱いて天井を眺めてゐるにしても、其の顏の何處かに、世の中に張り合ひが出來たとでもいふやうな表情が隱れてゐた。私はそれを、或る探險家が知らぬ土地に踏み込んでゐて、此處を斯う行けば彼處へ出るといふ樣な見當をつけて、そしてそれに相違のないことをそつと確めた上で、一人で樂しんでゐるやうなものだらうと思つてゐた。餘りそぐはぬ比喩のやうだが、その頃、高橋が我々と一緒に飮みに行つて、おまけに私の家へまで泊まつたのを、彼自身にしては屹度何か探險をするやうな心持だつたらうと私は忖度してゐたのだ。

 が、そんな樣子は、一月か、二月の間には何時となく消えて無くなつて了つた。これは、私がそんな樣子を見慣れて了つたのか、乃至は高橋自身そんな氣持に慣れて了つたのか、其處はよく解らない。兎に角、見たところ以前の高橋に還つて了つた。然しそれかと言つて、我々と彼との間に出來た新らしい關係には、これと言ふ變化も來なかつた。と言ふよりも、初めは互に保留してゐた多少の遠慮も、日を經るとともに無くなつて行つた。そして、先づ最初に此の新入者に對する隔意を失つたのは、斯く言ふ私だつた。私は何故か高橋が好きだつた。

 親しくなるにつれて、高橋の色々の性癖が我々の目に附いた。それは大體に於いて、今までに我々の見、若くは想像してゐたところと違はなかつた。彼は孤獨を愛する男だつた。長い間不遇の境地に鬪つて來た人といふ趣きが何處かにあつた。彼は路を歩くにも一人の方を好んだ。そして、無論餘り人を訪問する方ではなかつた。

 が、時とすると、二晩も、三晩も續けて訪ねて來ることもあつた。さういふ時彼は何か知ら求めてゐた。たゞ其の何であるかゞ我々に解らぬ場合が多かつた。それから彼は、平生の口の寡いに似合はず、よく調子よく喋り出すことがあつた。そしてそれには隨分變つた特徴があつた。

 例へば我々が、我々の從事してゐる新聞の紙面を如何に改良すべきか、又は社會部の組織を如何に改造すべきかに就て、各自めい〳〵意見を言ひ合ふとする。高橋も初めはちよくちよく口を利いてゐるが、何時とはなしに口を噤んで了つて、煙草をぷかぷか吹かしながら、話す者の顏を交る交る無遠慮に眺めてゐるか、さもなければ、ごろりと仰向けに臥て了ふ。この仰向けに臥て、聞くでもなく、聞かぬでもなく人の話を聞いて居るのが彼の一つの癖だつた。そして、皆があらまし思ふ事を言つて了つた頃に、ひよくと起きて、

『それは夢だ。今からそんな事を言つてゐると、我々の時代が來るまでには可い加減飽きて了ふぞ。』といふやうなことを言ふ。

 其の所謂我々の時代のまだ〳〵來ないこと、恐らくは永久に來る時の無いことをば、我々もよく知つてゐた。我々ももう野心家の教師に煽てられてストライキをやるやうな齡ではなかつた。が、高橋にさう言はれると、不思議なことには、「成程さうだつた。」といふ樣な氣になつた。つまり高橋は、走つて來る犬に石でも抛り附けるやうに、うまく頃合を計つて言葉を挿むから、それで我々の心に當るのだ。そして、妙に一種の感慨を催して來る。それを見て高橋は、「はゝゝゝ。」と格別可笑しくも無ささうに笑ふ。

 一體高橋には、人の意表に出でようとしてゐたのか、或はそれが彼の癖だつたのか解らないが、人が何か言ふと、結末になつて、ひよいと口を入れて、それを轉覆ひつくらかへして了ふやうな、反對の批評をする傾向があつた。その癖、それが必ずしも彼の本心でないやうな場合が多かつた。

 社の同僚に逢坂といふ男があつて、その厭味たつぷりな、卑しい、唾でもひつ掛けてやりたいやうな調子が、常に我々の連中から穢い物か何ぞのやうに取扱はれてゐた。或時安井が其奴から、「君は何時でも背廣ばかり着てゐるが、いくら新聞記者でも人を訪問する時にや相當の禮儀が必要ぢや。僕なんか貧乏はしちよるが、洋服は五通り持つとる。」と言はれたと言つて、ひどく憤慨してゐたので、我々もそれにつれて逢坂の惡口を言ひ出した。すると、默つた聞いてゐた高橋はひよいと吸ひさしの卷煙草を遠くの火鉢へ投げ込んで、

『僕は然しさほどにも思はないね。』

 如何にも無雜作な調子で言つた。

『何故?』と劍持は叱るやうに言つた。

『何故つて、君、逢坂にやあれで却々なか〳〵可愛いところがあるよ。』

 安井は少しむきになつて、

『君はあいふ男が好きか?』

『好き、嫌ひは別問題さ。だが、君等のやうに言ふと、第一先あ逢坂と同じ社にゐるのが矛盾になるよ。それほど彼奴が共に齡すべからざる奴ならばだ、……先あ何方にしても僕は可いがね。』

 さう言つて何と思つたか、ごろりと横になつて了つた。

『可くはないさ。聞かう、聞かう。』安井は追つ掛けるやうに言つた。『君が何故あんな奴をくんか、それを聞かう。』

 高橋は一寸の間、恰度安井の言葉が耳に入らなかつたやうに、返事もしなければ、身動きもしなかつた。「何故斯う人の言ふことに反對するだらう?」私はさう思つた。すると、彈機仕掛ばねじかけみたいにむくりと起き返つて、皮肉な目附をして我々の顏を一わたり見渡した。そして、

『言つても可いがね。……言ふから、それぢやあ結末しまひまで聞き給へ。可いかね? 君等は何といふか知らないが、無邪氣といふことは惡徳ぢやあないね? 賞めるべきことでは決してないが、然し惡徳ぢやないね、可いかね? 逢坂は無邪氣な男だよ。實に無邪氣な男だよ。──』

『それはさうさ。然し──』と私は言はうとした。

 高橋は鋭い一瞥を私に與へて、『例へばだ、社で誰が一番給仕に呶鳴りつけるかといふと、政治部の高見と僕等の方の逢坂だ。高見君はあれあ、鉛筆が削つても、削つても折れると言つて、小刀をゆかたたき附ける癇癪持だから、爲樣がないが、逢坂のまあ彼の聲は何といふ聲だえ? それにの格好よ。まるで給仕を噛み殺して了ひさうだ。さうして其の後で以て直ぐ、○○だとか、だとか、すべて自分より上の者に向ふとの通りだ。世の中にや隨分見え透いた機嫌の取り方をする者もあるが、あんなのは滅多にないよ。はたで見てゐて唾を引つ掛けたくなる。それに、暇さへあれば我々の間を廻つて歩いて、彼の通り幇間染みた事を言ふ。かと思ふと又、機會さへあれば例の自畫自贊だ。でなければ何さ、それ、「我々近代人」と來るさ。ははは。一體彼奴は、今の文學者連中と交際してるのが、餘つ程得意なんだね。そして其奴等の口眞似をして一人でえつに入つてるんだ、淫賣婦が馴染客に情死を迫られて、迯げ出すところを後から斬り附けられた記事へ、個人意識の強い近代的女性の標本だと書いた時は、僕も思はず噴き出したね。ね?

 ところがだ、考へてみると、それが皆僕の前提を肯定する材料になる。無邪氣でなくて誰があんな眞似が出來る? 我々自身を省るが可い。我々だつて、何時でも逢坂を糞味噌にけなしてゐるが、底の底を割つてみれば彼奴と同じぢやないか? 下の者には何も遠慮をする必要がない。上の者には本意、不本意に拘らず、多少の敬意を表して置く。これあ人情だ。同時に處世の常則だよ。同僚にだつてさうだ、誰だつて惡く云はれたくはないさ。又自分の手柄は君等にしろ、無論僕にしろ、成るべく多くの人に知らせたいものだよ。流行はやり言葉もつかつて見たしな。たゞ違ふのは、其の同じ心を、逢坂が一尺に發表する時に、我々は一寸か二寸で濟まして置くだけのことだ。何故其の違ひが起るかと云ふと、要するに逢坂が實に無邪氣な人間だといふに歸する。所謂天眞爛漫といふ奴さ。さうしてだね、何故我々が、其の同じ心を逢坂のやうに十分、若くは、十分以上に發表することを敢てしないかといふと、之は要するに、何の理由か知らないが、兎に角我々には自分で自分に氣羞かしくそんな事が出來ないんだ。そして其の理由はといふと、──此處ではつきり説明は出來ないがね。──正直にあ自分の心に問うて見給へ。決して餘り高尚な理由ではないぜ。──』

『君は無邪氣、無邪氣つて云ふが、君の言ふのは畢竟教養カルチュアの問題なんぢや。』劍持はしたり顏になつて言つた。

『さうぢやないか? 教養と人格の問題よ。其處が學問黨と、非學問黨の別れる處なんぢや。』

『すると、何か? 人格といふ言葉は餘り抽象的な言葉だから、暫く預かるとして、教養といふことだね。つまるところ、教養があるといふことと、自己を欺く──少くとも、自己を韜晦たうくわいするといふことと同じか?』

『高橋君。』安井が横合から話を奪つて、『君は、無邪氣は惡徳だとか、惡徳でないとかいふが、そんなことは我々に全く不必要ぢやないか? 我々の言つとつたのは、善惡の問題ぢやあ無い。好惡の問題だよ。逢坂の奴の性質が無邪氣であるにしろ、ないにしろ、兎に角奴の一擧一動に表はれるところが、我々の氣に喰はん。頭の先から足の先まで氣に喰はん。氣に喰はんから、氣に喰はんといふに、何の不思議もないぢやないか?』

『それがさ。──あゝ面倒臭いな。──あ考へてみるさ。氣に喰はんから氣に喰はんといふに何の不思議はない。それは、我々が我々の感情を發表するに何の拘束も要らんといふことだ。それも可いさ。然し發表したつてどうなる? 可いかね? 君はまさか逢坂がいくら氣に喰はんたつて、それで以て逢坂と同じ日の下に、同じ空氣を吸つてることまで何うかしようとは思はんだらう? 現に同じ社にゐる。同じ社會部に屬してゐる。誰だつてあんな奴と一緒に生きてるのが厭だと言つて死ぬ莫迦はないさ。先方を殺す者もない。さう言ふと大袈裟だが、實際我々が、感情の命令によつて何れだけ處世の方針を變へて可いかは、よく解つてる話ぢやないか?──逢坂が昨日、自分の方が先に言ひ附けたのに、何故外の用を先にしたと言つて給仕をいぢめてゐたつけが、感情を發表するに正直だといふ點では、我々は遠く逢坂に及ばないよ。さうだらう? 若し其の逢坂が我々の唾棄すべき人間ならばだ、我々の今の樣な言動を同時に唾棄しなくつちやならんぢやないか? あんな奴の蔭口を利くより、何かもう少し氣の利いた話題はないもんかねえ。』

 高橋は一座を見廻した。我々は誰も皆、少し煙に捲かれたやうな顏をしてゐた。

『それはさうさ。話題はいくらでもあるが、然し可いぢやないか? 我々は何も逢坂を攻撃して快とするんぢやない。言はば座興だもの。』と私は言つた。

『座興さ、無論。それは僕だつて解つてるよ。僕が言つたんだつて矢張座興だよ。故意に君等を攻撃したんぢやないよ。』

『此奴は隨分皮肉に出來てる男さね。──つまり君のいふのは平凡主義さ。それはさうだよ。人間なんて、君、そんなに各自めい〳〵違つてるもんぢやないからねえ。』

 安井は妙な所で折れて了つた。一人、劍持だけはまだ何かおだやかでない目附をしてゐた。

『ははゝゝ。』と高橋は、取つて着けたやうに、戯談らしい笑ひ方をした。『然し僕は喋つたねえ。僕はこんなに喋ることは滅多にないぜ。──然し實を言ふと、逢坂は僕も嫌ひだよ。あんな下劣な奴はないからねえ。』

『さうだらう?』安井は得意になつた。

『君も何だね、隨分彼奴を虐待しとるのう?』

 逢坂がぶく〳〵肥つた身體を、足音を偸むやうにして運んで來て、不恰好な鼻に鼻眼鏡を乘せた顏で覗き込むやうにしながら、「君の今朝の記事には大いに敬服しましたよ。M──新聞で書いとるのなんか、ちつとも成つちよらん。先刻彼處の社會部長に會つたから、少し僕等の方の記事を讀んでみて下さいと言つてやつた。」などと言ふと、高橋は、先づしげ〳〵對手の顏を見て、それから外方そつぽを向いて、「いくらでも勝手に敬服してくれ給へ。」といつたやうな言ひ方をするのが常だつた。

 私は横合から口を出して、

『君は一體、人に反對する時に限つて能辯になる癖があるね。──餘つ程旋毛曲つむじまがりだと見える。よく反對したがるからねえ。』

『さうぢやないさ。』

『さうだよ。』

『僕は公平なんさ。物にはすべて一得、一失有りつてね。小學校にゐる頃から聞いたんぢやないか? 兩面から論じなくちやあ議論の正鵠は得られない。』

『嘘をけ!』

『嘘なもんか。──と言ふとまた喧嘩になるか!──尤もさういふ所もあるね。僕にはね。人が何か言ふと、自分で何か考へる時でもさうだが、直ぐそれを別の立場に移して考へる癖があるんだ。其の結果が時として好んで人に反對するやうに見えるかも知れない。』

『それは何方が正直で言ふ言葉か?』

『僕は何時でも正直だよ。──然し、正直でも不正直でも可いぢやないか? 君は一體餘り單純だから困るよ。此處にゐる連中は、れだつて多少不穩な人間共にや違ひないが、就中なかんづく不穩なのは君だよ。人の言葉を一々正直か、不正直か、極めてかゝらうとするし、言つたことは直ぐ實行したがる。餘り單純で、僕から見ると危險で爲樣がない。危險なばかりぢやない、損だよ。單純な性格は人に愛せられるけれども、また直ぐ飽かれるといふ憂ひがあるからね。』

『それはさうぢや。よく當つとる。』と劍持も同意した。

『それが龜山(私の名)の長所で、同時に缺點よ。』

あいたら勝手に飽くさ。』と私は笑つた。


      三


 その頃だつた。

 或晩高橋が一人私の家へやつて來て、何時になくしめやかな話をした。「劍持は豪いところが有るよ。彼の男は屹度今に發展する。」そんな事も言つた。それが必ずしもわざとらしく聞こえなかつた。其の晩高橋は何でも人の長所ばかりを見ようと努めてゐるやうだつた。

『僕にもこれで樗牛にかぶれてゐた時代が有つたからねえ。』

 何の事ともつかず、高橋はそんな事を言つた。そして眼を細くして、煙草の煙を眺めてゐた。煙はすうつと立つて、緩かに亂れて、机の上の眞白な洋燈の笠に這ひ纒つた。戸外には雨が降つてゐた。雨に籠もつて火事半鐘のやうな音が二、三度聞こえた。然し我々はそれを聞くでもなかつた。

『僕はこれで夢想家ドリイマアに見えるところがあるかね?』

 高橋はまたそんなことも言つた。そして私の顏を見た。

『見えないね。』私は言下に答へた。『然し見えないだけに、君の見てる夢は餘程しつかりした夢に違ひない。……誰でも何かの夢は見てるもんだよ。』

『さうかね?』

『さう見えるね。』

 高橋は幽かに微笑んだ。

 稍あつてまた、

『僕等は、まだまだ修行が足らんね。僕は時々さう思ふ。』

『修行?』

『僕は今までそれを、つまり僕等の理解が、まだ足らん所爲せゐだと思つてゐた。常に鋭い理解さへ持つてゐれば、現在の此の時代のヂレンマから脱れることが出來ると思つてゐた。然しさうぢやないね。それも大いに有るけれども、そればかりぢやないね。我々には利己的感情が餘りに多量にある。』

『然しそれは何うすることも出來ないぢやないか? 我々の罪ぢやない、時代の病氣だもの。』

『時代の病氣を共有してゐるといふことは、あらゆる意味に於いて我々の誇りとすべき事ぢやないね。僕が今の文學者の「近代人」がるのを嫌ひなのも其處だ。』

『無論さ。──僕の言つたのはさういふ意味ぢやない。何うかしたくつても何うもすることが出來ないといふだけだ。』

『出來ないと君は思ふかね?』

『出來ないぢやないか。我々が此の我々の時代から超逸しない限りは。──時代を超逸するといふのは、樗牛が墓の中へ持つて行つた夢だよ。』

『さうだ。あれは悲しい夢だね。──然し僕は君のやうに全く絶望してはゐないね。』

「絶望」といふ言葉は不思議な響を私の胸に傳へた。絶望! そんな言葉を此の男はつかふのか? 私はさう思つた。

 二人は暫らく默つてゐた。やがて私は、

『そんなら何うすれば可い?』

『何うと言つて、僕だつてさう確かな見込がついてるんぢやないさ。技師が橋の架替かけかへの設計を立てる樣にはね。──然し考へて見給へ。利己といふ立場は實に苦しい立場だよ。これと意識する以上はこんな苦しい立場は無いね。さうだらう? つまり自分以外の一切を敵とする立場だものね。だから、周圍の人間のする事、言ふ事は、みんな自分に影響する。善にしろ、惡にしろ、必ず直接に影響するよ。先方が其の積りでなくつても此方の立場がそれだからね。そしてしよつちう氣の休まる時が無いんだ。まあ見給へ。利己的感情のさかんな者に限つて、周圍の景氣が自分に都合がよくなると直ぐ思ひ上る。それと反對に、少しでも自分を侵すやうな、氣に食はんことが有ると、急に氣が滅入つて下らない欝霽うさはらしでもやつてみたくなるんだね。そんな時は隨分向う見ずな事もするんだよ。──それや世の中にはさういふ人間は澤山有るがね。有るには有るけれども、大抵の人はそれを意識してゐないんだね。其の時、其の時の勝手な辯解で自分を欺いてるんだね。』

『それやさうだ。』

『ところが氣が附いて見給へ。こんな苦しいことは無いだらう? 一方では常に氣を休めずに周圍の事に注意しながら、同時に常にそれによつて動く自分の感情を抑へつけてゐなくちやならんことになるんだ。だから一旦さういふヂレンマに陷つた者が、それから脱れよう、脱れようとするのは、もう君、議論の範圍ぢやないよ。必至だよ。出來る、出來ないは問題ぢや無いんだ。時代の病氣だから何う、斯うと言ふのは、畢竟まだ其處まで行かん人の言ふこつたよ。或は其處まで行く必要の無い人かね。』

「敗けたな!」と私は思つた。そして、『いや、僕も實は其處ん處まで行つてゐないよ。──然し可いぢやないか? 僕は可いと思ふな。感情が動いたら動いたで、大いに動かすさ。誰に遠慮もらん。──要するに僕は、自由に呼吸してゐさへすれば男子の本領は盡きると思ふね。』

『君の面目が躍如としてる。君は羨むべき男さ。』さう言つて高橋は無遠慮に私の顏を眺めた。まるで私を弟扱ひにでもしてるやうな眼だつた。

『失敬な事を言ふな。』言ひながら私は苦笑ひをした。

『僕はまだこんな話をしたことは無いがねえ。』とやがて又彼は言ひ出した。『僕はこれでしよつちゆう氣の變る男だよ。僕みたいに氣の變り易い男はまあ無いね。しよつちゆう變る。』

『誰だつてそれはさうぢやないか?』

『さうぢやないね。──それにね、僕はこれでも自惚うぬぼれを起すことがあるんだぜ、自惚れを。滑稽さ。時々斯う自分を非凡な男に思つて爲樣が無いんだ。ははは。尤も二日か、三日だがね。長くても一週間位だがね。さうして其の後には反動が來る。──あんな厭な氣持はないね。何うして此の身體からださいなんでやらうかと思ふね。』

 高橋は拙い物でも口に入れたやうな顏をした。

『ふむ。』と私は考へる振りをした。然しいくら考へたとて、私の頭腦あたまは彼の言葉の味を味ふことが出來なかつた。「何して斯う自分を虐めてるんだらう? たゞこんなことを言つて見るのか知ら?」私はさう心の中で呟いた。

「意志だ。意志を求めてゐるんだ。然し意志の弱い男ぢやないがなあ。」やがて又私はさう思つた。すると私の心は、恰度其の頃内職に飜譯しかけてゐた或本の上に辷つて行つた。其の本の著者はロオズヴェルトだつた。意志といふ言葉とロオズヴェルトといふ名とは、不思議にも私の頭腦の中で結び着き易かつた。

 高橋は堅く口を結んで、向ひ合つた壁側の本箱を見てゐた。其處には凹凸のある硝子戸に歪んだなりの洋燈の影が映つてささやかな藏書の脊革の金字が冷かに光つてゐた。單調な雨滴の音が耳近く響いた。

『大きい手を欲しいね、大きい手を。』突然私はさう言つた。『僕はさう思ふね。大きい手だ。社會に對しても、自分に對しても。』

「然うだ。」といふ返事を期待する心が私にあつた。然し其の期待は外れて了つた。

 高橋は眉も動かさなかつた。そして前よりも一層堅く口を結んだ。私は何かしら妙な不安を感じ出した。

『大きい手か!』稍あつて彼は斯う言つた。何となく溜息を吐くやうな調子だつた。『君ならさう言ふね。──今君と僕の感じた事は、多分同じ事だよ。ね? 同じでなくても似たり寄つたりの事だよ、それを君の形式で發表すると、「大きい手」といふ言葉になるね。』

『君ならそれぢやあ何と言ふ?』

『僕か? 僕なら、──要するに何方でも可い話だがね。──僕なら然しさうは言はないね。第一、考へて見給へ。「大きい手」といふ言葉には誇張が有るよ。誇張はつまり空想だ。空想が有るよ。我々の手といふものは、我々の意志によつて大きくしたり小さくしたりすることは出來ない。如何に醫術が進んでもこれは出來さうがない。生れつきだよ。』斯う言つて、人並みはづれて小さい、其の癖ぼく〳〵して皮の厚さうな、指の短い手を出して見せた。

『つまり大きい手や大きい身體は先天的のものだ。露西亞人や、亞米利加人は時としてそれを有つてるね。ビスマアクも有つてゐた。然し我々日本人は有たんよ、我々が後天的にそれを欲しがつたつて、これあ畢竟空想だ。不可能だよ。』

『それで君なら何と言ふ?』私は少し焦り出した。

『僕なら、さうだね。──假に言ふとすると、まあさうだね、兎に角「大きい手」とは言はないね。──冷い鐵の玉を欲しいね、僕なら。──「玉」はまづいな。「鐵の如く冷い心」とでも言ふか。』

『同じぢやないか? 大きい手、鐵の如き心、強い心臟……つまり意志ぢやないか?』

『同じぢやないね。大きい手は我々の後天的にもつことが出來ないけれども、鐵の如き冷い心なら有つことが出來る。──修行を積むと有つことが出來る。』

『ふむ、飽くまでも君らしい事を言ふね。』

『君らしい?』反響こだまのやうにさう言つて、彼はひたと私の眼を見つめた。其の眼……何といふ皮肉な眼だらうと私は思つた。

『君らしいぢやないか。』

 高橋はごろりと仰向けて臥て了つた。そして兩手を頭にひながら、

『君等は一體僕を何う見てるのかなあ。何んな男に見えるね? 僕は何んな男だかは、僕にも解らないよ。──誰か僕の批評をしとつた者は無いか?』

 私は肩の重荷が輕くなつて行くやうに感じた。此處から話が變つて行くと思つたのだ。

 そして、思出した儘に、我々がまだ高橋と親しくならなかつた以前、我々の彼に就いて語つたことを話して聞かせた。例の體操教師の一件だ。そればかりではない。高橋が話の途中から起き上つて、恰度他人の噂でも聞くやうに面白さうにしてゐるのに釣り込まれて、安井の言つた無駄口までつひ喋つて了つた。──後で考へるに、高橋が其の時面白さうにしてゐたのも無理は無い。彼は自分に關する批評よりも、其の批評をした一人、一人に就いて何か例の皮肉な考へ方をしてゐたに違ひない……

 が、私の話が濟むと、彼は急に失望した樣な顏をして、また臥轉んで了つた。そして言ふには、

『其の批評は、然し、當つてると言へば皆當つてるが、當らないと言へば皆當らないね。』

『ははは。それはさうさ。僕等がまだ君に接近しない時の事だもの。──然し當つたとすれば何の程度まで當つてる?』

『さうさね。先づ其の細君の尻にかれるといふ奴だね。此奴は大分當つてるよ。僕は平生、平氣で尻に布かれてるよ。全くだよ。尤も餘り重いお尻でも無いがね。夫婦といふものが君、互ひに自分の權利を主張して、しよつちゆう取つ組み合ひをしたり、不愉快な思ひをしたりしてるよりは、少し位は莫迦らしくても、機嫌を取つて、すかして置く方が、差引勘定して餘つ程とくだよ。時間も得だし、經濟上でも得だよ。それ、芝居を好きな奴にや、よく役者の眞似をしたり、聲色をつかつたりして得意になつてる奴があるだらう? 僕はあいふ奴にや、目の玉を引繰返して妙な手附をしてるところを活動寫眞につておいて、何時か正氣でゐる時見せてやると可いと思ふね。さうしたら大抵の奴は二度とやらなくなるよ。夫婦喧嘩もそれだね。考へるとこれ程莫迦らしい事は無いものな。それよりや機嫌を取つておくさ。先方がにこ〳〵してゐれや此方だつて安んじてゐられる。……といふと大分あまく取れるがね。然し正直のところ、僕は僕の細君を些とも愛してなんかゐないよ。これは先方もさうかも知れない。つまり生活の方便さ。それに、僕の細君は美人でも無いし、賢夫人でも無いよ。無くつても然し僕は構はん。要するに、自分の眼中に置かん者の爲に一分でも時間を潰して、おまけに不愉快な思ひをするのは下らん話だからね。』

『そらあ少しひどい。』

『酷くても可いぢやないか? 先方がそれで滿足してる限りは。』と言ひながら起き上つた。

『尤も口ではさう言つても、其處にはまた或調和が行はれてゐるさ。』

『それはさうかも知れない。──然し兎に角我々の時代は、もう昔のやうな、一心兩體といふやうな羨ましい夫婦關係を作ることが出來ない約束になつて來てるんだよ。自然主義者は舊道徳を破壞したのは俺だといふやうなつらをしてゐるが、あれは尤も本末を顛倒してる。舊道徳に裂隙ひびが割れたから、其の裂隙から自然主義といふ樣なものも芽を出して來たんだ、何故其の裂隙が出來たかといふと、つまり先祖の建てた家が、我々の代になつて玄關の構へだの、便所の附け處だの、色々不便なところが出來て來た樣なものだ。それを大工を入れて修繕しようと、或は又すつかり建て代へようと、それは各自の勝手だが、然しいくら建て代へたつて、家其のものの大體には何の變化も無い。形と材料とは違つても、土臺と屋根と柱と壁だけは必ずる。破壞なんて言ふのは大袈裟だよ。それから又、其の裂隙を何とかして彌縫しようと思つて、一生懸命になつてる人も有るが、あれも要するに徒勞だね。我々の文明が過去に於て經來つた徑路を全然變へて了はない以上は、漆を詰めようが砂を詰めようが、乃至は金で以て塗りつぶさうが、裂隙は矢張り裂隙だ。さうして我々は、其の裂隙を何うすれば可いかといふ事に就いちや、まだまるで盲目なんだ。あか、斯うかと思ふことは有る。然しまだそれに決めて了ふまでには考へが熟してゐない。また時機でもない。あ東京の家を見給へ。今日の東京は殆どあらゆる建築の樣式を取込んでゐる、つまりれなんだ。何時とはなく深い谷底に來て了つて、何方へ行つて可いか、方角が解らない。そこで各自勝手に、木の下に宿を取る者もあれば、小屋掛けをする者もある。それからそれ、岩窟いはあなを見つける者もある。ね? 色々の事をしてゐるが、たゞ一つ解つてるのは、それが皆其の晩一晩だけの假の宿だといふことだ。明日になれば何方かへ行かなければならんといふことだ。』

『君の言ふことは實に面白いよ。──然し僕には、何うも矢つ張り唯面白いといふだけだね。第一、今の日本が君の話のやうに、さう進歩してるか知ら──若しそれが進歩といふならだね。それに何だ、それあ道徳にしろ、何にしろ、すべての事が時代と共に變つては行くさ。變つては行くけれども、其の變り方が、君の言ふやうな明瞭な變り方だとは僕は思はんね。我々が變つたと氣の附く時は、もう君、代りのものが出來てる時ぢやないのか? そして、其の新舊二つを比較して、我々が變つたと氣が附くのぢやないのか? ──例へば我々が停車場に人を送つて行くね。以前は皆汽笛がぴいと鳴ると、互ひに帽子をつて頭を下げたもんだよ。ところが今は必ずしもさうでない。現に僕は、昨日も帽子を脱らず、頭も下げないで友人と別れて來たよ。然しそれを以て直ぐ、古い禮儀が廢れて新しい禮儀がまだ起らんとはいへん。我々は帽子を脱る代りに握手をやつたんだからな。──しかもそれが、帽子を脱ることを止めようと思つてから握手といふ別の方法に考へ及んだのか、握手をするのも可いと思つてから帽子を脱るのを止めたのか解らないぢやないか。そればかりぢやない。僕は現在時と場合によつて帽子を脱ることもあれば、握手することもある。それで些とも不便を感じない。──世の中といふものは實に微妙に推移して行くものだと僕は思ふね。常に新陳代謝してゐる。其の間に一分間だつて間隙を現すことは無いよ。君の言ふ裂隙ひびなんて、何處を見たつて見えないぢやないか!』

 高橋は笑つた。『さう言ふ見方をしたつて見えるものか。──そして其の例は當らないよ。』

何故なぜ當らん?』

『君の言ふのは時代の社會的現象のことだ。僕の言つたのは時代の精神のことだよ。』

『精神と現象と關係が無いと言ふのか?』

『現象は──例へば手だ。手には神經はあるけれども思想はない、手は何にでも觸ることが出來るけれども、頭の内部には觸ることは許されない。──』

『さうか。そんならあそれでも可いよ。──さうすると今の細君問題は何うなるんだ?』

『何うと言つて、別に何うもならんさ。』

『矢つ張りその何か、甘くない意味に於て尻に布かれるといふことになるんか?』

『つまりさうさ。夫婦關係の問題も今言つた一般道徳と同じ運命になつて來てるんだ。個人意識の勃發は我々の家庭組織を不安にしてる。──不安にしてるが、然し、家庭其のものを全然破壞するほど危險なんぢやないぜ。之は僕は確實に主張するよ。──これだけは君も認めるね? 今は昔と違つて、未亡人の再婚を誰も咎めるものはないからな。それから何んだ、何方か一人が夫婦關係を繼續する意志を失つた際には、我々はそれを引止める何の理由も有たん。──之は君の言葉を一寸拜借したんだぜ。此間佐伯が細君に逃げられた時、君はさう言つたからな。──尤もこれらは誰にも解る皮相の事さ。然し兎も角、我々の夫婦といふものに就いての古い觀念が現状と調和を失つてるのは事實だ。今もさうだがこれからは益々さうなる。結婚といふものゝ條件に或修正を加へるか、乃至は別に色々の但書を附加へなくちやあ、何時まで經つてももう一度破れた平和が還つて來ない。考へて見給へ。今に女が、私共が夫の飯を食ふのはハウスキイピングの勞力に對する當然の報酬ですなんて言ふやうになつて見給へ。育兒は社會全體の責任で、親の責任ぢや無いとか、何とか、まだ、まだ色々言はせると言ひさうな事が有るよ。我々男は、口では婦人の覺醒とか、何とか言ふけれども、誰だつてそんなに成ることを希望してゐやせんよ。否でも、應でも喧嘩だね。だから早く何とかしなくちやならんのだが、困ることには我々にはまだ、の條項を何う修正すれば可いか解らん。何んな但書を何處に附け加へれば可いか解らん。色々考へが有るけれども、其の考と實際とはまだ却々なか〳〵距離が有る。其處で今日のやうな時代では、我々男たる者は、其の破綻に對して我々の拂はねばならぬ犧牲を最も少くする方法を講ずるのが、一番得策になつて來るんだ。さうして其の方法は二つある。』

『一つは尻に布かれる事だ。』

『さうさ。も一つは獨身で、宿屋住ひをして推通すことだ。一得、一失は有るが、要するに此の二つの外に無いね。──ところが此處に都合の可い事が一つ有るんだよ。ははは。それは外では無いが、日本の女の最大多數は、まだ明かに自分等の状態を意識してはゐないんだ。何れだけ其の爲に我々が助かるか知れないね。布かれて見ても案外女のお尻の重くないのは、全く其のお蔭だよ。比較して見たんぢやないがね。』

 私は吹き出して了つた。『君は實に手數のかゝる男だね。細君と妥協するにまでそんな手數がかゝるんか?』

『手數のかゝる筈さ。尻に布かれるつてのは僕の處世のモットオだもの。』

『これであ安井の批評は片が附いた譯か。──それあ當らなかつたのは無理が無いね。第一僕等は、君がこんな巧妙なる説話者だとは思ひ掛けなかつたからなあ。』

『巧妙なる説話者か! 餘り有難い戒名でも無いね。』

『はゝゝ。──それからも一つは何うなんだ? 野心家だつて方は?』

『ストライキの大將か! それも半當りだね。──いや、矢つ張り當らないね。』

『然し君が何か知ら野心を抱いてる男だつてことは、我々の輿論だよ。』

『何んな野心を?』

『それは解るもんか、君に聞かなけれあ。』

『僕には野心なんて無いね。』

『そんな事が有るもんか。誰だつて野心の無い者は無いさ。──野心と言ふのが厭なら希望と言つても可い。』

『僕には野心は無いよ。たゞ、結論だけはある。』

『結論?』

『斯くせねばならんと言ふのではなく、斯く成らねばならんと言ふ──』

『君は一體、決して人に底を見せない男だね。餘り用心が深過ぎるぢやないか? 底を見せても可い時にまで理窟の網を張る。』

『底? 底つて何だ? 何處に底があるんだ?』

『心の底さ。』

『そんなら君は、君の心の底はこれだつて僕に見せる事が出來るか?』

 高橋は疊みかけるやうに、『人はよく、少し親しくなると、心の底を打明けるなんて言ふさ。然しそれを虚心で聞いて見給へ。内緒話ないしよばなしか、僻見ひがみか空想に過ぎない。厭なこつた。嬶の不足や、はたで聞いてさへ氣羞かしくなる自惚れを語つたつて何うなる? 社の校正に此の頃妙な男が入つて來たらう? 此の間僕は電車で一緒になつたから、「何うです、君の方の爲事しごとは隨分氣がつまるでせうね?」つて言つたら、「いや、貴方だから打明けて言ひますが、實に下らないもんです。」とか何とか、役者みたいな抑揚をつけて言つたよ。郷里の新聞で三面の主任をしたとか何とか言ふんだ。僕は「左樣なら。」つて途中で下りて了つた。』

 私はそれには答へないで、

『君は社會主義者ぢやないか?』

『何故?』

『劍持が此間さう言つとつた。』

 高橋は昵と私を見つめた。

『社會主義?』

『でなければ無政府主義か。』

 世にも不思議な事を聞くものだと言ひさうな、眼を大きくして呆れてゐる顏を私は見た。其處には少しも疑ひを起させるやうなところは無かつた。

 やがて高橋は、

『劍持が言つた?』

『ぢや無からうかといふだけの話さ。』

『僕は社會主義者では無い。』と高橋は言ひ澁るやうに言ひ出した。『──然し社會主義者で無いといふのは、必ずしも社會主義に全然反對だといふことでは無い。誰でも仔細に調べて見ると、多少は社會主義的な分子を有つてるもんだよ。彼のビスマァクでさへ社會主義の要求の幾分を内政の方面では採用してるからね。──と言ふのは、社會主義のセオリイがそれだけ普遍的な眞理を含んでゐるといふことよりも、寧ろ、社會的動物たる人間が、何れだけ其の共同生活に由つて下らない心配をせねばならんかといふことを證據立ててゐるんだ。』

『よし。そんなら君の主義は何主義だ?』

『僕には主義なんて言ふべきものは無い。』

『無い筈は無い。──』

『困るなあ、世の中といふものは。』高橋はまた寢轉んだ。『──言へば言つたで誤つて傳へるし、言はなければ言はんで勝手に人を忖度する。君等にまで誤解されちや詰らんから、それぢや言ふよ。』さう言つて起きて、

『僕には實際主義なんて名づくべきものは無い。昔は有つたかも知れないが今は無い。これは事實だよ。尤も僕だつて或考へは有つてゐる。僕はそれを先刻結論といつたが、假に君の言ひ方に從つて野心と言つても可い。然し其の僕の野心は、要するに野心といふに足らん野心なんだ。そんなに金も欲しくないしね。地位や名譽だつてさうだ。そんな者は有つても無くても同じ者だよ。』

『世の中を救ふとでも言ふのか?』

『救ふ? 僕は誇大妄想狂ぢや無いよ。──僕の野心は、僕等が死んで、僕等の子供が死んで、僕等の孫の時代になつて、それも大分年を取つた頃に初めて實現される奴なんだよ。いくら僕等が焦心あせつたつてそれより早くはなりやしない。可いかね? そして假令それが實現されたところで、僕一個人に取つては何の増減も無いんだ。何の増減も無い! 僕はよくそれを知つてる。だから僕は、僕の野心を實現する爲めに何等の手段も方法も採つたことはないんだ。今の話の體操教師のやうに、自分で機會を作り出して、其の機會を極力利用するなんてことは、僕にはとても出來ない。出來るか、出來ないかは別として、從頭てんでそんな氣も起つて來ない。起らなくても亦可いんだよ。時代の推移といふものは君、存外急速なもんだよ。色んな事件が毎日、毎日發生するね。其の色んな事件が、人間の社會では何んな事件だつて單獨に發生するといふことは無い。皆何等かの意味で關聯してる。さうして其の色んな事件が、また、何等かの意味で僕の野心の實現される時代の日一日近づいてる事を證據立ててゐるよ。僕は幸ひにして其等の事件を人より一日早く聞くことの出來る新聞記者だ。さうして毎日、自分の結論の間違ひで無い證據を得ては、獨りで安心してるさ。』

『君は時代、時代といふが、君の思想には時代の力ばかり認めて、人間の力──個人の力といふものを輕く見過ぎる弊が有りはしないか? 僕は佛蘭西の革命を考へる時に、ルッソオの名を忘れることは出來ない。』

『さうは言つて了ひたく無いね。僕はただ僕自身を見限つてるだけだ。』

『何うも僕にははつきり呑め込めん。何故自分を見限るんか? それだけ正確と信ずる結論を有つてゐながら、其の爲めに何等實行的の努力をしないといふ筈は無いぢやないか? 僕は人間の一生は矢張自己の發現だと思ふね。其の外には意味が無いと思ふね。』

『さうも言へないことは無いが、さうばかりでは無いさ。生殖は人間の生存の最大目的の一つだ。可いかね? 君の言葉をそれに適用すると、墮胎とか、避姙とかいふ行爲の説明が出來ないことになる。』

『それとこれとは違ふさ。』

『僕は極めて利己的な怠け者だよ。──其の點を先づ第一に了解してくれ給へ。──人間が或目的の爲めに努力するとするね。其の努力によつて費すところと、得るところと比べて、何方が多いかと言ふと、無論費すところの方が多い。これは非凡な人間には解らないか知れないが、凡人は誰でも知つてゐる。尤も、差引損にはなつても、何の努力もしないで、從つて何の得るところも無いよりは優つてゐるか知れないが、其處は怠け者だ。昔はこれでも機會さへ來るなら大いにやつて見る氣もあつたが、今ぢやもうそんな元氣が無くなつた。面倒くさいものね。近頃ではそんな機會を想像することも無くなつちやつた。──それに何だ。人類の幸福と──ぢやなかつた。僕は人類だの、人格だの、人生だの、凡てあんな大袈裟な、不確かな言葉は嫌ひだよ。──ええと、うんさうか、人類ぢやない、我々日本人がだ。可いかね? 我々日本人の國民的生活が、文化の或る當然の形式にまで進んで行くといふ事とだ──それが果して幸福か、幸福でないかは別問題だがね──それと、僕一個人の幸不幸とは、何の關係も無いものね。僕はただ僕の祖先の血を引いて、僕の兩親によつて生れて、そして、次の時代ネクストゼネレエションの犧牲として暫らくの間生きてゐるだけの話だ。僕の一生は犧牲だ。僕はそれが厭だ。僕は僕の運命に極力反抗してゐる。僕は誰よりも平凡に暮らして、誰よりも平凡に死んでやらうと思つてる。』

 聞きながら私は、不思議にも、死んだ私の父を思ひ浮べてゐた。父は明治十──二十年代に於て、私の郷里での所謂先覺者の一人であつた。自由黨に屬して、幾年となく政治運動に憂身をやつした擧句、やうやう代議士に當選したは可かつたが、最初の議會の會期半ばに盲腸炎に罹つて、閉院式の行はれた日にはもう墓の中にあつた。それは私のまだ幼い頃の事である。父が死ぬと、五、六萬は有つたらしい財産が何時の間にか無くなつてゐて、私の手に殘つたのは、父の生前の名望と、其の心血を濺いだといふ「民權要義」一部との外には無かつた──。

 次の時代の犧牲! 私は父の一生を、一人の人間の一生として眺めたやうな氣がした。父の理想──結論は父を殺した。そして其の結論は、子たる私の幸福とは何の關係も無かつた。……

 高橋は、言つて了ふと、「はは。」と短い乾いた笑ひを洩らして、兩膝を抱いて、髯の跡の青い顋を突き出して、天井を仰いだ。その顋と、人並外れて大きく見える喉佛とを私は默つて見つめてゐた。喉佛は二度ばかり上つたり、下つたりした。私は對手の心の、靜かにしてゐるに拘はらず、餘程いらいらしてゐることをそれとなく感じた。私の心は、先刻からの長い會話に多少疲れてゐるやうだつた。そして私は、高橋の見てゐる世の中の廣さと深さに、彼と私との年齡の相違を乘じてみた。然しそれは單に年齡の相違ばかりではないやうでもあつた。父に就いての連想は、妙に私を沈ませた。

『君はつまり、我々日本人の將來を何うしようと言ふんだ? ──君はまだそれを言はんね。』ややあつて私はさう言つた。

『夢は一人で見るもんだよ。ねえ、さうだらう?』

 それが彼の答へだつた。そして俄かに、これから何か非常に急がしい用でも控へてるやうな顏をした。


      四


 連中のうちに松永といふ男が有つた。人柄の穩しい、小心な、そして蒲柳の質で、社の畫工の一人だつた。十三、四の頃から畫伯のB──門に學んで、美術學校の日本畫科に入つてゐる頃は秀才の名を得てゐたが、ひそかに油繪に心を寄せて、其の製作を匿名で或私設の展覽會に出した。これが知れて師畫伯から破門され、同時に美術學校も中途で廢して、糊口の爲に私の社に入つたとかいふことだつた。

 不幸な男だつた。もう三十近い齡をしてゐながら獨身で、年とつた母と二人限りの淋しい生活をしてゐたが、女にでも有りさうな柔しい物言ひ、擧動の裡に、常に抑へても抑へきれぬ不平を藏してゐた。從つて何方かといふと狷介けんかいな、容易に人に親しまぬ態度も有つた。

 或時風邪を引いたと言つて一週間ばかりも社を休んだが、それから後、我々は時々松永が、編輯局の片隅で力の無い咳をしては、頬を赤くしてゐるのを見た。妙な咳だつた。我々はそれとなく彼の健康を心配するやうになつた。

 二月ばかり經つと、遂に松永はまた社を休むやうになつた。「松永さんは肺病だとよ。」給仕までがそんな噂をするやうになつた。そろそろ暑くなりかける頃だつた。間もなく一人の新しい畫工が我々の編輯局に入つて來た。我々は一種の恐怖を以て敏腕な編輯長の顏を見た。が、其の事は成るべく松永に知らせないやうにしてゐた。

 高橋が或日私を廊下に伴れ出した。

『おい、松永は死ぬぞ。今年のうちに屹度死ぬぞ。』

『何故? そんな事は無いだらう?』私は先づ驚いてさう言つた。

『いいや、死ぬね。』高橋は何處までもさう信じてゐるやうな口調だつた。

『然し肺だつて十年も、二十年も生きるのがあるぢやないか? 僕の知つてる奴に、もう六七年になるのが有る。適度の攝生さへやつてゐれや肺病なんて怖いもんぢやないつて、其奴が言つてるぜ。』

『さういふのも有るさ。』

『松永はまだ咯血もしないだらう。』

『うん、まだしない。──僕はこれから行つて見てやらうと思ふが、君も行かんか?』

『今日は夜勤だから駄目だ。』

『さうか。それぢや明日でも行つてやり給へ。──死ぬと極つた者位可哀さうなものは無いよ。』

 さう言つて、もう行きさうにする。私は慌てゝ呼止めて、

『そんなに急に惡くなつたんか? 四、五日前に僕の行つた時はそんなぢや無かつたぜ。』

『別段惡くも見えないがね。──實はね、僕は昨日初めて見舞に行つたが、本人は案外暢氣のんきな事を言つてるけれども、何となく斯う僕は變な氣がしたんだ。それから歸りに醫者へ行つて聞いたさ。』

『そら可かつた。』

『ところが可かないんだ。聞かない方が餘つ程可かつた。醫者は松永のやうな不完全な胸膈は滅多に見たことが無いと言つた。君、松永の肋骨が二本足らないんだとさ。』

『それは松永が何時か言つてたよ。』

『さうか。醫者は屹度七月頃だらうと言ふんさ。今迄生きてゐたのが寧ろ不思議なんださうだ。それに松永の病氣は今度が二度目だつて言ふぜ。』

『へえ!』

『尤も本人は知らんさうだ。醫者が聞いた時もそんな覺えは別に無いと言つたさうだね。何でも肺病といふ奴は、身體の力が病氣の力に勝つと、病氣を一處に集めてそれを傳播させないやうに包んで了ふやうな組織になるんだつてね。醫者の方のテクニックでは何とか言つたつけ──それが松永の右肺に大分大きい奴があるんだとさ。自分の知らないうちに病氣をしてるなんて筈は無いつて僕が言つたら、醫者が笑つてたよ。貴方のお家だつて、貴方の知らないうちに何度泥棒に覘はれたか知れないぢやありませんかつて。』

『ふむ。すると今度はそれが再發したんか?』

『再發すると同時に、左の方ももう大分侵されて來たさうだ。の身體で、の病氣で、咯血するやうになつたらもう駄目だと言ふんだ。長くて精々三月、或は最初のから咯血から一月とたないかも知れないと言ふんだ。──人間の生命なんて實に劍呑なもんだね。ふつと吹くと消えるやうに出來てる。──』

 私はとかうの言葉も出なかつた。

 何故高橋が、それから後、松永に對してれだけの親切を盡したか? それは今だに一つの不思議として私の胸に殘つてゐる。松永と高橋とは決して特別の親しいなかではなかつた。また高橋は美術といふものに多くの同情を有つてゐる男とも見えなかつた。「畫をいたり、歌を作つたりするのは、僕には子供らしくて兎てもそんな氣になれない。」さう言ふ言葉を私は何度となく聞いた。そして、松永が高橋と同じやうな思想を有つてゐたとも思はれず、猶更二人の性格が相近かつたとは言はれない。にも拘らず、その頃高橋の同情は全く松永一人の上に傾け盡されてゐた。暇さへあれば彼は、市ヶ谷の奧の松永の家へ毎日のやうに行つてゐる風だつた。

 初めは我々は多少怪んでも見た。やがて慣れた。そして、松永に關する事はすべて高橋に聞くやうになつた。彼も亦松永の事といへば自分一人で引受けてゐるやうに振舞つた。脈搏がいくら、熱が何度といふことまで我々に傳へた。「昨日は松永を錢湯に連れてつてやつた。」そんなことを言つてることもあつた。

 或日私はまた高橋に廊下へ連れ出された。應接間は二つとも塞がつてゐたので、二人は廊下の突當りの不用な椅子などを積み重ねた、薄暗い處まで行つて話した。其處には晝ながら一疋の蚊がゐて、うるさく私の顏に纒つた。

『おい、松永は到頭咯血しちやつた。』さう彼は言つた。

 醫者が患者の縁邊みよりの者を別室に呼んで話す時のやうな、事務的な調子だつた。

遂々とう〳〵やつたか?』

 言つて了つてから、私は、今我々は一人の友人の死期の近づいたことを語つてゐるのだと思つた。そして自分の言葉にも、對手の言葉にも何の感情の現れてゐないのを不思議に感じた。

 それから彼は、松永を郷里へ還すべきか、否かに就いて、松永一家の事情を詳しく語つた。不幸な畫工には、父も財産も無かつたが、郷里には素封家の一人に數へられる伯父と、小さいながら病院を開いてゐる姉婿とがあつた。彼の母は早くから郷里へ歸るといふ意見だつたが、病人は何うしても東京を去る氣が無く、去るにしても、房州か、鎌倉、茅ヶ崎邊へ行つて一年も保養したいやうな事ばかり言つてゐたといふ。

『それがね。』と高橋は言つた。『僕は松永の看護をしてゐて色々貴い知識を得たが、田舍で暮らした老人を東京みたないな處へ連れて來るのは、一寸考へると幸福なやうにも思はれるが、さうぢやないね。寧ろ悲慘だね。知つてる人は無し、風俗が變つてるし、それに第一言葉が違つてる。若い者なら直ぐ直つちまふが、老人はさうは行かない。松永のお母さんなんか、もう來てから足掛四年になるんださうだが、まだ彼の通り藝州辯まる出しだらう? 一寸町へ買物に行くにまで、笑はれまいか、笑はれまいかつておど〳〵してゐる。交際といふものは無くね。都會の壓迫を一人で脊負つて、毎日、毎日自分等の時代と子供の時代との相違を痛切に意識してるんだね。』

『そんな事も有るだらうね。僕の母なんかさうでも無いやうだが。』

『それは人にもよるさ。──それに何だね、松永君は豫想外に孤獨な人だね。あまでとは思はなかつたが、僕が斯うして毎日のやうに行つてるのに、君達の外には誰も見舞に來やしないよ。氣の毒な位だ。畫の方の友達だつて一人や、二人は有つてもささうなもんだが、殆ど無いと言つても可い。境遇が然らしめたのだらうが、好んで交際を絶つてゐたらしい傾きも有るね。の子との御母さんと──齡が三十も違つてゐてね。──毎日淋しい顏を突き合はしてゐるんだもの、彼んな病氣になるも無理は無いと僕は思つた。』

『それで何か、松永君はまだ畫の方の野心は持つてるんだね?』

『それがさ。』高橋は感慨深い顏色をした。

『隨分苦しい夢を松永君も今まで見てゐたんだね。さうして其の夢の覺め際に肺病に取つ附かれたといふもんだらう。』

『今はもう斷念したんか?』

『斷念した──と言つて可いか、しないと言つて可いか。──斷念しようにも斷念のしようが無いといふのが、松永君の今の心ぢやないだらうか?』

『さうだらうね。──誰にしてもさうだらうね。』

 言ひながら私は、壁に凭れて腕組みをした。耳の邊には蚊が唸つてゐた。

『此の間ね。』高橋は言ひいだ。『何とかした拍子に先生莫迦に昂奮しちやつてね、今の其の話を始めたんだ。話だけなら可いが、結末しまひにや男泣きに泣くんだ。──天分の有る者は誰しもさうだが、松永君も自分の技術に就いての修養の足らんことは苦にしなかつたと見えるんだね。さうして大きい夢を見てゐたんさ。B──の家から破門された時が一番得意な時代だつたつて言つてたよ。それから其の夢が段々毀れて來たんで、せば可いのに第二の夢を見始めたんだね。作家になる代りに批評家になる積りだつたさうだ。──それ、社でよく松永君に展覽會の批評なんか書かしたね。あんなことがいづれ動機だらうと思ふがね。──ところが松永君は、いくら考へても自分には、將來の日本畫といふものは何んなもんだか、まるで見當が附かんと言ふんだ。さう言つて泣くんだ。つまり批評家に成るにも批評の根底が見附からないと言ふんだね。焦心あせつちや可かんて僕は言つたんだが、松永君は、焦心あせらずにゐられると思ふかなんて無理を言ふんだよ。それもさうだらうね。──松永君は日本畫から出て油畫に行つた人だけに、つまり日本畫と油畫の中間に彷徨してるんだね。尤もこれは松永君ばかりぢやない、明治の文明は皆それなんだが。──』

 聞きながら私は妙な氣持に捉はれてゐた。眼はひたと對手の顏に注ぎながら、心では、健康な高橋と死にかゝつてゐる肺病患者の話してゐる樣を思つてゐた。額に脂汗を浸ませて、咳入る度に頬を紅くしながら、激した調子で話してゐる病人の衰へた顏が、まざ〳〵と見える樣だつた。そして、それをじろ〳〵眺めながら、ふん〳〵と言つて臥轉んでゐる高橋が、何がなしに殘酷な男のやうに思はれた。

 さうした高橋に對する反感を起す機會が、それから一週間ばかり經つてまた有つた。それは松永が退社の決心をして、高橋に連れられて社に來た時である。私は或る殺人事件の探訪に出かけるところで、玄關まで出て私の車夫を呼んでゐると、恰度二人の俥が轅を下した。松永はなつかしさうな眼をしながら、高橋の手を借りて俥から下りた。そして私と向ひ合つた。私はこの病人の不時の出社をいぶかるよりも、先づ其の屋外の光線で見た衰弱の甚だしさに驚いた。朝に烈しい雷鳴のあつた日で、空はよく霽れてゐたが、何處か爽かな凉しさがまだ空氣の中に殘つてゐた。

 私は手短かに松永の話を聞いた、聲に力は無かつたが、顏ほど陰氣でもなく、却つて怡々いそ〳〵してゐるやうなところもあつた。病氣の爲に半分生命を喰はれてゐる人とは思はれなかつた。

『そんなにしなくたつて可ささうなもんだがなあ。秋になつて凉しくなれば直ぐ恢復するさ。』

 私はそんな風に言つて見た。

『病氣が病氣ですからねえ。』

『醫者も秋になつたらつて言ふんだ。』と高橋は言つた。

『だから松永君も僕も、轉地はあ病氣の爲に必要な事として、茅ヶ崎あたりが可いだらうつて言ふんだが、御母さんが聞かん。松永君も何だよ、あ夏の間だけ郷里で暮らす積りで歸るんだよ。』

『それにしても、退社までしなくつたつて可いぢやないか?』

『それは此の病人の主張だから、爲方が無いんだ。今出て來る時まで僕は止めたんだけれど、頑として聞かん。』

『ははは。』と松永は淋しい笑ひ方をした。

 それから二、三分の間話して私は俥に乘つた。そして七八間も挽き出した頃に、振り返つて見たが、二人の姿はもう玄關に見えなかつた。その時私は、何といふこともなく、松永のの衰へ方は病氣の所爲せゐではなくて、高橋の殘酷な親切の結果ではあるまいかといふやうな氣がした。醫學者が或る病毒の經過を兎のやうな穩しい動物によつて試驗するやうに、松永も亦高橋の爲に或る試驗に供されてゐたのではあるまいかと……。

 後に聞いたが、編輯長は松永の退社に就いて、最初却々なか〳〵聞き入れなかつたさうだ。半年なり、一年なりゆつくり保養してゐても、社の方では別に苦しく思はない、さう言つたさうだ。松永は大分それに動かされたらしかつた。然し遂に退社した。

 間もなく我々は、もう再び逢はれまじき友人と其の母とを新橋の停車場に送つた。其の日高橋はさつぱり口を利かなかつた。そして一人で切符を買つたり、荷物を處理したりしてゐた。やがて我々はプラットフォームに出た。松永の母は先づ高橋にくど〳〵と今までの禮を述べた。それから我々にも一人々々にそれを繰り返した。恰度私の番が濟んだ時だつた。不圖私は高橋の顏を見た。──高橋は側を向いて長い欠伸をしてゐた。そして急がしく瞬きした。涙のやうなものが兩眼に光つた。

 汽車が立つて了つて、我々はプラットフォームを無言の儘に出た。そして停車場の正面の石段を無言の儘に下りた。

『ああ。』高橋は投げ出すやうな調子で背後うしろから言つた、

『松永も遂々行つちやつたか!』

『やつたのは君ぢやないか?』

 安井が調戯からかふやうに言つて振り返つた。

『僕がやつた? 僕にそれだけの力が有るやうに見えるか?』

 安井は氣輕な笑ひ方をして、『誰か松永君の寫眞を持つてる者は無いか? 何時か一度撮つとくと可かつたなあ。』

『劍持のところに、松永の畫いた鉛筆の自畫像があつた筈だ。』と私が言つた。

 其の日我々の連中で見送りに來なかつたのは、前の日から或事件の爲に鎌倉へ出張してゐる劍持だけであつた。


      五


『龜山君、君は碁はやらないのか?』

 高橋は或日編輯局で私にさう言つた。松永に別れて、四、五日經つた頃だつた。

『碁はちつとも知らん。君はやるか?』

『僕も知らん。そんなら五目竝べをやらうか? 五目竝べなら知つとるだらう?』

『やらうか。』

 二人は卓子の上に放棄うつちやらかしてあつた碁盤を引き寄せて、たわいの無い遊戯を始めた。恰度我々外勤の者は手が透いて、編輯机の上だけが急がしい締切時間間際だつた。

 側には逢坂がゐて、うるさく我々の石を評した。二人はわざと逢坂の指圖の反對にばかり石を打つた。勝負は三、四囘あつた。高橋は逢坂に、

『どうだ、僕等の五目竝べは商賣離れがしてゐて却つて面白いだらう?』と調戯からかつた。

『何をしとるんぢや、君等は?』言ひながら劍持が來て盤の上を覗いた。『ほう、何といふこつちや! 髯を生やして子供の眞似をしとるんか?』

『忙中閑ありとは此の事よ。君のやうに賭碁をやるやうに墮落しちや、かういふ趣味は解らんだらう?』と私は笑つた。

『生意氣をいふなよ。知らんなら知らんと言ふもんぢや。さうしたら僕が本當の碁を教へてやる。』

『僕に教へてくれ給へ。』高橋が言つた。

『僕は以前まへから稽古したいと思つてるんだが、餘り上手な人に頼むのは氣の毒でね。──』

『何? 僕を下手だと君は心得をるんか? そらあ失敬ぢやが君の眼ん玉が轉覆ひつくりかへつちよる。麒麟未だ老いず、焉んぞ駑馬視せらるゝ理由あらんやぢや、はは。』

『初めから駑馬なら何うだ?』私が言つた。

『僕の首が短いといふんか? それは詭辯ぢや。凡そ碁といふものは、初めは誰でもざるに決つとる。笊を脱いで而して麒麟は麒麟となり、駑馬は駑馬となつて再び笊を被る。──』

『中には其の二者を兼ねた奴がある。』私は興に乘つて無駄口を續けた。

『我々みたいに碁を知らん者に向つては麒麟で、苟くも烏鷺の趣味を解した者の前には駑馬となる奴だ。つまり時宜じぎに隨つて首を伸縮させる奴よ。見給へ。君はさうしてると、胴の中へ頭が嵌り込んだやうに見えるが、二重襟だぶるからあをかけた時は些とは可い。少くとも、頭と胴の間に多少の距離のあることを誰にでも認めさせる程度に首が伸びる。』

な事を言ふなあ。烏鷺の趣味を解せん者は、そんな事を言うて喜ぶんぢやから全く始末に了へん。』

『劍持君。』と高橋は横合から言つた。『君本當に僕に碁を教へてくれんか? 教へるなら本當に習ふよ。』

 さう言ふ顏はあながち戯談ばかりとも見えなかつた。

『本當か、それは?』劍持は一寸不思議さうに對手の顏を見て、『……ああ、何か? 君は松永君が郷里へ歸つたんで、何かまた別の消閑法ひまつぶしを考へ出さにやならんのか?』

 私はひやりとした。

『戯談ぢやない。肺結核と碁と結び附けられてたまるもんか。』さう言つて高橋は苦笑ひをした。

 幸ひと其の時、劍持は電話口へ呼び出された。高橋は給仕に石を片附ける事を云ひ附けて、そして卷煙草に火を點けて、何處へともなく編輯局を出て行つた。

 其の頃から彼の樣子はまた少し變つた。私は彼の心に何か知ら空隙すきの出來たことを感じた。そして其の空隙を、彼が我々によつて滿たさうとしてはゐないことをも感じてゐた。

 松永の病氣以前のやうに、時々我々の家へ來ることは無くなつた。社の仕事にも餘り氣乘りのしないやうな風だつた。人に目立たぬ程度に於て、遲く出て來て早く歸つた。急がしい用事を家に控へてゐて、一寸のがれに出歩いてゐる人のやうに私には見えた。

とやつて來ないか? 高橋さんは何うなすつたらうつて僕の母も言つてる。』などと言ふと、

『ああ、君ん處にも隨分御無沙汰しちやつたねえ。宜敷言つてくれ給へ。今日は可かんが何れ其の内に行く。』さう言ひながら矢張來るでもなかつた。たまにやつて來ても、心の落着かぬ時に誰もするやうに、たわいの無い世間話を態と面白さうに喋り立てて、一時間とは尻を据ゑずに歸つて行つた。

『おい、龜山君、僕は此の間非常な珍聞を聞いて來たぞ。』或日劍持がさう言つた。二人の乘つた電車が京橋の上で停電に會つて、いくら待つても動かぬところから、切符を棄てて直ぐ其處のビイヤホールで一杯やつた時の事だつた。

『何だい、珍聞た?』編輯局の笑ひ物になつてゐるあるか無しかの髭をナフキンで拭きながら私は聞いた。

『珍聞ぢや。はは。然も隱れたる珍聞ぢや。』

『持たせるない。』

 二人が其處を出て、今しも動き出したばかりの電車の、幾臺も、幾臺も空いた車の續くのを見ながら南傳馬町まで歩く間に、劍持は氣が咎める樣子で囁くやうに私に語つた。──高橋の細君が美人な事。然も妙な癖のある美人な事。彼が嘗て牛込の奧に室借まがりをしてゐた頃、其の細君と隣室にゐた學生との間に變な樣子が有つて、其の爲に引越して了つた事──それが其の話の内容だつた。

 何處から聞き込んだものか、學生の名前も、其の學生が現在若い文士の一人に數へられてゐる事も、又其の頃高橋の細君には既に子供の有つた事も、劍持はよく詳しく知つてゐた。

『何時聞いた?』電車に乘つてから私は言つた。

『一月ばかり前ぢや。』

『もう外の連中も知つてるんか?』

『莫迦言へ。僕をそんな男と思ふか?……社で知つとるのは僕一人ぢや。君もこんな事人に言つちや可かんぞ。安井なんか正直な男ぢやが、おつちよこちよいで可かん。』

 私は誓つた。劍持は實際人の祕密を喋り散らして喜ぶやうな男では無かつた。無遠慮で、口が惡くて、人好きはしなかつたが、交際つきあつて見ると堅固な道徳的感情を有つてゐる事が誰にも解つた。彼は自分の職務に對する強い義務心と共に、常に弱者の味方たる性情を抱いてゐた。我々が不時の出費などに苦む時の最も頼母しい相談對手は彼だつた。ただ彼には、時として、善く言へば新聞記者的とでもいふべき鋭い猜疑心を、意外な邊に働かしてゐるやうな癖があつた。私は時々それを不思議に思つてゐた。

 それから間もなくのことであつた。或晩安井が一人私の家へ遊びに來た。

『君は今日休みだつたんか? さうと知らずに僕は社で待つてゐて、つまらん待ぼけを喰つちやつた。』坐るや否や彼はさう言つた。

『何か用か?』

『いゝや。ただ逢ひたかつたんだ。劍持は田舍版の編輯から頼まれて水戸へ行つたしな──我が黨の士が居らんと寂寥たるもんよ。それに何だ、高橋の奴今日も休みやがつたよ。僕は高橋に大いに用が有るんだ。來たら冷評ひやかしてやらうと思うとつたら、遂々とう〳〵來なかつた。』

『さうか。それぢやもう三日休んだね。──一體何の用が起つたんだらう、用なんか有りさうな柄ぢやないが!』

『用なもんか。社の方には病氣屆を出しとるよ。』

『假病か?』

『でなくつてさ。彼の身體に病氣は不調和ぢやないか?』

『高橋君の假病は初めてだね。──休んだのが初めてかも知れない。』

『感心に休まん男だね。』

『矢つ張り何か用だらう?』

『それがよ。』安井は勢ひ込んで、そして如何にも面白さうに笑つた。『僕は昨日高橋に逢つたんだよ。』

『何處で?』

『淺草で。』

『淺草で?』

『驚いたらう? 僕も初めは驚いたよ。何しろ意外な處で見附けたんだものな。』

『淺草の何處にゐたんだ。』

『まあ聞き給へ。昨日僕は○○さんから活動寫眞の弊害調査を命ぜられたんでね。早速昨夜淺草へ行つて見たんさ。可いかね? さうして、二、三軒歩いてから、それ、キネオラマをやる三友館てのが有るだらう? れへ入つたら、先生ぽかんとして活動寫眞を見てゐるんぢやないか。』

『ははは。活動寫眞をか! そして何と言つた?』

『何とも言はんさ。あ可いかね。僕が入つて行つた時は何だか長い芝居物をやつてゐて、眞暗なんだよ。それが濟んでぱつと明るくなつた時、誰か知つてる者はゐないかと思つて見𢌞してゐると、ずつと前の腰掛に、絽の紋附を着てパナマを冠つた男がゐるんだ。そして其奴が帽子を脱つて手巾で額を拭いた時、おや、高橋君にてるなと僕は思つたね。頭は角刈りでさ。さうしてると、其奴がひよいと後を向いたんだ。──何うだい。矢つ張りそれが高橋よ。』

『へえ! 子供でも連れて行つたんか?』

『僕もさう思つたね。さうでなければ田舍から親類でも來て、それで社を休んで方々案内してるんだらうと思つたね。』

『さうぢやないのか?』言ひながら私は、安井の言ふ事が何となく信じられないやうな氣持だつた。

『一人さ。』安井は續けた。『何うも僕も不思議だと思つたね。さうして次の寫眞の間に、横手の、便所へ行く方のずつと前へ行つてゐて、こんだよく見屆けてやらうと思つて明るくなるのを待つてゐると、矢張まがひなしの高橋ぢやないか。しかも頗る生眞面目な顏をして、卷煙草を出してすぱすぱ吸ひながら、花聟みたいに濟まあしてゐるんぢやないか! 僕は危く吹き出しちやつたね。』

『驚いたね。高橋君が活動寫眞を見るたあ思はなかつた。──それで何か、君は言葉を懸けたんか?』

『懸けようと思つたさ。然し何しろ四間も五間も、離れてるしね。中へ入つて行かうたつて、の通りぎつしりだからはひれやしないんだ。汗はだく〳〵流れるしね。よく彼んな處の中央まんなかへ入つてるもんだと思つたよ。』

『それぢや高橋君は、君に見られたのを知らずにゐるんか?』

『知らんさ。彼れ是れ一時間ばかり經つて入代りになつた時、先生も立つて歸るやうな樣子だつたから、僕も大急ぎで外へ出たんだが、出る時それでも二三分は暇を取つたよ。だからやつと外へ出て來て探したけれども、遂々とう〳〵行方知れずさ。』

『隨分振つてるなあ! 一體何の積りで、活動寫眞なんか見に行つたんだらう?』

『解らんね、それが。僕は默つて、寫眞よりも高橋君の方ばかり見てゐたんだが、其の内に段々目が暗くなるのに慣れて來てね。面白かつたよ。惡戯小僧の寫眞なんか出ると、先生大口開いて笑ふんぢやないか? 周圍の愚夫愚婦と一緒にね。』

 話してるところへ、玄關に人の訪ねて來たけはひがした。家の者の出て挨拶する聲もした。

『ああ、さうですか。安井君が。』さういふ言葉が明瞭はつきりと聞えた。

『高橋だ。』

『高橋だ。』

 安井と私は同時にさう言つて目を見合はした。そして妙に笑つた。

『やあ。』言ひながら高橋は案内よりも先に入つて來た。燈火の加減でか、平生いつもより少し脊が低く見えた。そして、見慣れてゐる袴を穿いてゐない所爲せゐか、何となく見すぼらしくも有つた。

『やあ。』私も言つた。『噂をすれば影だ。よくやつて來たね。』

『僕の噂をしてゐたのか?』さう言つて縁側に近い處に坐つた。『病人が突然やつて來て、喫驚びつくりしたらう? 夜になつても矢つ張り暑いね。』

『君の病氣はちやんと診察してるよ。』それは安井が言つた。

『當り前さ。僕が本當の病人になるのは、日本中の人間が皆、梅毒と結核の爲に死に絶えて了つてからの事だ。』

『それなら何故社を休んだ?』私は皮肉な笑ひ方をして聞いた。

『うむ。……少し用が有つてね。』

『其の用も知つてるぞ。』

『何の用だい?』

『自分の用を人に聞く奴があるか?』

『知つてると云ふからさ。』

『君は昨夜ゆうべ何處へ行つた?』

昨夜ゆうべか? 昨夜は方々歩いた。何故?』

『安井君、れは何時頃だつたい?』私は安井の顏を見た。

 安井と態と眞面目な顏をしながら、『さうさのう、八時から九時までの間頃だ。』

『八時から九時……』高橋は鹿爪らしく小首をかしげて、

『ああ、其の頃なら僕は淺草で活動寫眞を見てゐたよ。』

 二人は吹きだして了つた。

 高橋は等分に二人の顏を見て、『何が可笑しいんだい? 君等も昨夜行つてたのか?』

『何うだ、天網恢々疎にして洩さずだらう?』安井は言つた。

『ふむ、それが可笑しいのか? さうか。君等も行つてたのか? 龜山君も?』

『僕は行かんよ。安井君が行つたんだよ。』

『道理で?……安井も大分近頃話せるやうになつたなあ。』さう言つて無遠慮に安井の顏を見た。

 安井は對手の平氣なのに少し照れた樣子で、『戯談ぢや無い。僕はまだ君のやうに、彼處へ行つて大口開いて笑へやしないよ。』

『高橋君。』私は言つた。『君こそ社を休んで活動寫眞へ行くなんて、近頃大分話せるやうになつたぢやないか?』

 高橋は私の顏に目を移して、その子供のやうな聲を立てゝ笑つた。

『そんな風に書くから社の新聞は賣れるんだよ。君等は實に奇拔な觀察をするなあ。』

『だつてさうぢやないか?』私も笑つた。

『そんなら活動寫眞と、君が社を休んだ理由と何れだけ關係があるんだ?』

『莫迦な事を言ふなあ! 社を休んだのは少し用があつて休んだんだよ。實は四、五日休んで一つ爲事しごとしようかと思つたんだよ。それが出來なかつたから、ぶら〳〵夕方から出懸けて行つたまでさ。』

『何んな爲事だい?』

『爲事か? なあに、何うせ下らんこつたがね。』

『ははは、活動寫眞よりもか?』

 一寸間を置いて、高橋は稍眞面目な顏になつた。『君等は僕が活動寫眞を見に行つたつて先刻さつきから笑ふが、そんなに可笑しく思はれるかね? 安井君は何うせ新聞の種でも探しに行つたんだらうが、あ一度、そんな目的なしに彼處へ入つて見給へ。好い氣持だよ。彼處には何百人といふ人間が、彼の通りぎつしり詰まつてるが、奴等──と言つちや失敬だな──彼の人達には第一批評といふものが無い。損得そんとくの打算も無い。各自急がしい用をもつた人達にや違ひないが、彼處へ來るとすつかりそれを忘れて、ただもう安い値を拂つた樂しみを思ふさま味はうとしてる。尤も中には、女の手を握らうと思ふ奴だの、掏摸すりだの、それから刑事だのも入り込んでるだらうが、それは何十分の一だ。』

『僕は其奴等を見に行つたんさ。』と安井が口を入れた。

『さうだらう、僕もさう思つてゐた。新聞記者といふ者はそれだから厭だよ。ころんでも只は起きない工夫ばかりしてる。』

 私は促した。『それで活動寫眞の功徳は何處邊どこいらに在るんか?』

『つまり批評の無い場處だといふところにあるさ。──此の間まで内の新聞に、方々の實業家の避暑に就ての意見が出てゐたね。彼れを讀むと、十人の八人までは避暑なんか爲なくても可いやうに言つてる。ああ言つてるのはつまり、彼等頭取とか、重役とか、社長とかいふ地位にゐるものは、周圍の批評に比較的無關心で有り得る境遇にゐるからなんだよ。山へ行きたいの、海へ行きたいのといふのは、畢竟僕の所謂批評の無い場所へ行きたいといふ事なんだからね。ところが僕等のやうな一般人はさうは行かん。あ誰にでも可いから、其の人の現在に於ける必要と希望とを滿たして、それでもまだ餘る位の金をくれて見給へ。屹度海か、山へ行くね。十人に九人までは行くね。人がよく夏休みになると、借金してまで郷里へ歸るのは、一つは矢張りそれだよ。さうして復東京へ戻つて來ると、屹度、「故郷は遠くから想ふべき處で、歸るべき處ぢやない。」といふのも、矢張りそれだよ。故郷だつて、山や河ばかりぢやない。人間がゐる。然も自分を知つてる人間ばかりゐる。二日や、三日は可いが、少し長くなると、其處にもまた批評の有る事を發見して厭になるんだ。』

 高橋は入つて來た時から放さなかつた扇を疊んで、ごろりと横になつた。そして續けた。

『僕なんかも、金と時間ひまさへあつたら、早速何處かへ行くね。成るべく人のゐない處へ行くね。だが、自然といふものには、批評が無いと同時に餘り無關心過ぎるところが有る。我々が行つたつてちつともかまつちやくれない。だから僕みたいな者は、海や、山へ行くと、直ぐもう飽きちやつて、爲る事に事を缺いて自分で自分の批評を始めるんだ。其處へ行くと活動寫眞は可いね。──僕は今迄、新聞記者の生活ほど時間の經つに早いものは無いと思つてゐたら、活動寫眞の方はまだ早い。要らないところはぐんぐん飛ばして行くしね。それに何だよ、活動寫眞で路を歩いてる人を見ると、普通に歩いてるのが僕等の駈足位の早さだよ。駈けるところなんか滅法早い。僕は昨夜ゆうべ自動車競走の寫眞を見たが、向ふの高い處から一直線の坂を、自動車が砂煙を揚げて鐵砲玉のやうに飛んで來るところは好かつたねえ。身體がぞくぞくした。あんなのを見ると些とも心に隙が無い。批評の無い場所にゐるばかりでなく、自分にも批評なんぞする餘裕が無くなる。僕は此の頃活動寫眞を見てるやうな氣持で一生を送りたいと思ふなあ。』

『自動車を買つて乘り廻すさ。』安井は無雜作に言つた。


      六


 松永に別れた夏──去年の夏は其のやうにして過ぎた。高橋の言草では無いが、我々新聞記者の生活ほど慌しく、急がしいものは無い。誰かも言つた事だが、我々は常に一般人より一日づつ早く年をつてゐる。人が今日といふところをば昨日と書く。明日といふべきところを今日と言ふ。朝起きて先づ我々の頭腦あたまに上る問題は、如何に明日の新聞を作るべきかといふ事であつて、如何に其の一日を完成すべきかといふ事では無い。我々の生活は實にただ明日の準備である。そして決してそれ以上では無い。日が暮れて爲事の終つた時、我々にはもう何も殘つてゐない。我々の取扱ふ事件は其の日、其の日に起つて來る事件で有つて、決して前から豫期し、乃至は順序を立てて置くことを許さない。──春がさうして過ぎ、夏がさうして過ぎる。一年の間、我々は只人より一日先、一日先と駈けてゐるのだ。

 さういふ私の身體にも、秋風の快さはそれとなく沁みた。もう町々の氷屋が徐々そろ〳〵店替をする頃だつた。私にも新らしい脊廣が出來た。或朝、私は平生より少し早目に家を出て電車に乘つた。そして、ただ一人垢染みた白地の單衣を着た、苦學生らしい若い男の隅の方に腰掛けてゐるのを見出した。「秋だ!」私は思つた。──實際、其の男は私が其の日出會つた白地の單衣を着たただ一人の男だつた。私はそれとなく、此の四、五日の間に、東京中の家といふ家で、申し合せたやうに、夏の着物を疊んで藏つて了つたことを感じた。

 其の日私は、何の事ともなく自分の爲事を早く切り上げて、そして早々さつさと歸つて來た。恰度方々の役所の退ける時刻だつた。

『貴方は龜山さんぢやありませんか?』

 訛りのある、寂びた聲が電車の中でさう言つた。

『ああ、君でしたか!』私も言つた。彼は私の舊友の一人だつた。然も餘り好まない舊友の一人だつた。然し其の時、私は少しも昔の感情を思出さなかつた。そしてただ何がなしに懷しかつた。

『三、四年振りでしたねえ。矢つ張りずつと彼時あれから東京でしたか?』私は言つた。

『は。ずつと此方こつちに。遂々とう〳〵腰辨になつて了ひました。』

 恰度私の隣の席が空いたので、二人は竝んで腰を掛けた。平たい、表情の無い顏、厚い脣、黒い毛蟲のやうな眉……其れ等の一々が少しも昔と違つてゐないのを、私は何故か嬉しいやうに見た。そればかりではない。彼の白襯衣ホワイト・シャツの汚れ目も、また周圍あたり構はぬ高聲で話しかける地方人の癖をも、私は決して不快に思はなかつた。二人は思出す儘に四、五人の舊友に就いて語つた。そして彼は、長く逢はずに、且つ私の方では思出すこともなく過してゐたに拘らず、よく私の近況を知つてゐた。

『先月でしたか、靜岡の製紙工場を視察にいらしたやうでしたね?』そのやうに彼は言つた。

『ええ。』私は輕く笑つた。彼はT──新聞の讀者だつた。

 家へ歸つて來ると、何の理由もなく私は机の邊を片附けた。そして座蒲團から、縁先に吊した日避けの簾まで、すべて夏の物を藏はせて了つた。嬉しいやうな、新しい氣持があつた。さうして置いて、私は其の夜、新橋で別れて以來初めての手紙を、病友松永の爲に書いた。

底本:「石川啄木作品集 第三巻」昭和出版社

   1970(昭和45)年1120日発行

※底本の表記に疑問がある箇所は、「現代日本文学全集 第四十五篇」改造社、1928(昭和3)年710日発行を参照して正し、その箇所に注記を加えました。

※「廻」と「𢌞」の混在は、底本通りです。

入力:Nana ohbe

校正:林 幸雄

2005年1123日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。