歌の口調
寺田寅彦



 歌の口調がいいとか悪いとかいう事の標準が普遍的に定め得られるものかどうか、これは六かしい問題である。この標準は時により人により随分まちまちであってその中から何等かの方則といったようなものをき出すのは容易な事とは思われない。

 しかし個人的には、たとえそれは自覚されないにしても、何かしら自ずから一定の標準をもっていて、それに当嵌あてはめて口調の善し悪しを区別している事だけは否定し難い事実である。

 それでもし各個人の標準を分析的に研究して、何等かの形でその要素といったようなものを抽出する事が出来れば、次には色々の個人の要素を綜合して、帰納的にやや普遍な方則を求める事が出来そうにも思われる。

 口調というものの最も主要な要素の一つは時間的のリズムであるが、和歌や俳句のようなものでは、これは形式上の約束から既にある範囲内に規定されている。勿論その範囲内でも、例えば七、五の「七」を三と四に分けるか二と五に分けるかというような自由があるのでそれらのコンビネーション、パーミュテーションでかなり複雑な変化が可能になる。

 しかし、この要素は最も純粋な音楽的の要素であってこれを研究するには勢い広く音楽やまたあらゆる詩形全体にわたって考える事が必要になる。これはなかなか容易な仕事ではない。

 次に重要な要素は何と云っても母音の排列である。勿論子音の排列分布もかなり大切ではあるが、日本語の特質の上からどうしても子音の役割は母音ほど重大とは考えられない。これがロシア語とかドイツ語とかであってみれば事柄はよほどちがって来るが、それでも一度び歌謡となって現われる際にはどうしても母音の方の重みが勝つ。いわんや日本語となると子音の役目はよほど軽くなると云っても差しつかえはない。

 母音の重要なという事には根本的な理由がある。一体口調の惹き起す快感情緒といったようなものは何処から来るかというと、ちょっと考えた処では音となって耳から這入はいる韻感の刺戟が直接に原因となるように思われるが、実は音を出す方の口の器官の運動に伴う筋肉の感覚を通じて生ずるものである。立入った理論はぬきにして、試みにある一つの歌を一遍声を立てて、読み下した後に、今後は口をむっと力を入れてつぶって黙読してみるといい。あるいはもっと面白いのは口を思い切ってあんと開いて黙唱してみるといい。するとせっかくの歌の口調が消えてしまって「ムヽヽヽヽ」とか「アヽヽヽヽ」とかいう妙なものになってしまう。そこで今度は声を立てないで口を自由に且つ充分に動かして読む真似をしてみると、その歌の口調のあらゆる特徴が驚くほど鮮明に頭に響いて来るのである。その際における口のまわりの運動の仕事の大部分が何に使われるかと思ってみると、それは各種の母音に適応するように口腔の形と大きさを変化させるために使われているのである。そしてこういう声を出さずに口だけ動かす読み方では子音を発するに必要な細かい調節はよほど省略されている。云い換えてみると、ただ母音だけを出す真似をすれば歌の口調の特徴がかなりよく分るのである。

 それでもし各種母音に相当する口腔の形状大小を規定する若干の数量が定められれば、歌の口調というものはこれらの量を時間の函数として与える数個の方程式で与えられることになるので、従って口調というものの科学的研究がとにかくも可能になる訳である。

 こういう事を完全に仕遂げる事はなかなか容易な事ではないが、そういう方向への第一歩として、私は試みに次のような事を考えてみた。

 先ず従来の例にならって母音をイエアオウの順に並べる。そしてイからウに至る間に唇は順に前方に突き出て行くものとする。また唇の開きはイからアまで増し、アからウへ向ってまた減ずると仮定する。

 今唇の前後の方向の位置をXで表わし、唇の開きをYで表わすとるると、イエアオウと順に発音する場合にXYで表わされる直角坐標図の上の曲線はざっと半円形のようなものになる。次にXYの面に垂直なZ軸の方向に時間を取る。そうすると色々の母音を順々に発音する状況は一つの空間曲線として表わされる。その曲線は前に云った半円形を基とした半円筒の面の上をあちこち動きながらZの方向に延びて行くのである。

 実際にこういう空間曲線を作る事は厄介であるから、その代りにこの曲線をXZ面とYZ面に投射したものと二つを画いて調べる外はないのである。

 こんなような考えから、私はいつぞや先ずこのXZ面の射影、すなわち唇の出方のいろいろと変る方だけを二、三十首の歌について画いてみた事がある。手近な歌集の中から口調のいいと思うのと、悪いと思うのとを選り分けて、おのおのに相当する曲線を画いてみて両者の間に何か著しい特徴が線の上から見えるかと思って調べてみた。何しろ僅少な材料であるから何事も確かな事は云われないが、ただ一つ二つ気の付いた事がある。

 この曲線は上がったり下がったり、不規則な波状を画いているが、この波の一つの峰から次の峰までの文字数がかなり広い範囲内で色々に変っている。このような波の長さの長いのが多ければ峰の数が少なく、波が短ければ峰の数が多くなるのは勿論である。

 先ずこの波の峰の数を数えてみると、この数のあまり多いのやあまり少ないのはどうも口調があまりよくないらしく思われる。

 それから波の長さがあまり一様なのもいけないらしい。

 私の調べた中で口調のいいと思ったのには、初めに長い波がつづいて終りに短いのがあるか、あるいはその反対のが多いようであった。

 もっと沢山の材料について調べてみたいと思ったきりでそのままになっている。

 そしてもう一方YZ曲線の方はまるで手をつけないでしまったのである。

 もし出来るならば、多数の歌人が銘々に口調のいいと思う歌を百首くらいずつも選んで、それらの材料を一纏めにして統計的に前述の波数や波長の分配を調べてみたら何かしら多少ものになるような結果が得られはしないかと考えるのである。

 このような研究はあるいは実験心理学上の一つの題目にならない事もなさそうに思われる。あるいはもう誰か試みた人があるかも知れないと思われる。

 尤もこういう研究が仮に出来上がったとしたところで多くの歌人には何の興味もない事ではあるかも知れないが、しかし歌人にして同時に科学者であるような人にとっては少なくも消閑の仕事としてこんな事をつついてみるのも存外面白いかも知れない。

 口調がよくてもいい歌とは限らず、口調が悪くてもそのために却って妙味のある歌もあるかも知れないが、歌の音楽的要素を無視しない限り口調の研究は一般の歌人にも無駄な事ではないであろうと思う。

 以上は口調というちょっとつかまえ処のないようなものを何とかして系統的に研究しようとする方法の第一歩を暗示するものだとして見てもらわれれば仕合せである。

(大正十一年三月『朝の光』)

底本:「寺田寅彦全集 第十二巻」岩波書店

   1997(平成9)年1121日発行

底本の親本:「寺田寅彦全集 文学篇」岩波書店

   1985(昭和60)年

初出:「朝の光」

   1922(大正11)年3

入力:Nana ohbe

校正:松永正敏

2006年1016日作成

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