無題
太宰治



 大井広介というのは、実にわがままな人である。これを書きながら、腹が立って仕様が無い。十九字二十四行、つまり、きっちり四百五十六字の文章を一つ書いてみろというのである。思い上った思いつきだ。僕は大井広介とは、遊んだ事もあまり無いし、今日まで二人の間には、何の恩怨おんえんも無かった筈だが、どういうわけか、このような難題を吹きかける。実に、困るのだ。大井君、僕は野暮やぼな男なんだよ。見損っているらしい。きっちり四百五十六字の文章なんて、そんな気のきいた事が出来る男じゃないんだ。「とても書けない」と言って、お断りしたら、「それは困る。こっちの面目丸つぶしです」と言って来た。「丸つぶれ」でなく、「丸つぶし」と言っているのも妙である。これでは僕が、大井広介の面目を踏みつぶした事になる。ものの考えかたが、既に常人とちがっている。実に、不可解な人である。僕は、いったい、なんの因果で、四百五十六字という文章を書かなければいけないのか。原稿用紙を三十枚も破った。稿料六十円を請求する。バカ。いま払えなかったら貸して置く。

底本:「太宰治全集10」ちくま文庫、筑摩書房

   1989(平成元)年627日第1刷発行

   1998(平成10)年615日第4刷発行

底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集第十巻」筑摩書房

   1977(昭和52)年225日初版第1刷発行

初出:「現代文学 第五巻第七号」

   1942(昭和17)年628日発行

入力:増山一光

校正:土屋隆

2006年127日作成

2016年712日修正

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