露肆
泉鏡花



       一


 寒くなると、山の手大通りの露店よみせに古着屋の数がえる。半纏はんてん股引ももひき腹掛はらがけどぶから引揚げたようなのを、ぐにゃぐにゃとよじッつ、巻いつ、洋燈ランプもやっと三分さんぶしん黒燻くろくすぶりの影に、よぼよぼしたばあさんが、頭からやがてひざの上まで、荒布あらめとも見える襤褸頭巾ぼろずきんくるまって、死んだとも言わず、生きたとも言わず、黙って溝のふちに凍り着く見窄みすぼらしげな可哀あわれなのもあれば、常店じょうみせらしく張出した三方へ、絹二子きぬふたこの赤大名、鼠の子持縞こもちじまという男物の袷羽織あわせばおり。ここらは甲斐絹裏かいきうらを正札附、ずらりと並べて、正面左右の棚には袖裏そでうらほっそり赤く見えるのから、浅葱あさぎ附紐つけひもの着いたのまで、ぎっしりと積上げて、小さな円髷まげに結った、顔の四角な、肩のふとった、きかぬ気らしいかみさんの、黒天鵝絨くろびろうどの襟巻したのが、同じ色の腕までの手袋をめた手に、細い銀煙管ぎんぎせるを持ちながら、たなが違いやす、と澄まして講談本を、ト円心まるじんかざしていて、行交う人の風采ふうつきを、時々、水牛縁すいぎゅうぶちの眼鏡の上からじろりとながめるのが、意味ありそうで、この連中には小母御おばごに見えて──

 湯帰ゆあがりに蕎麦そばめたが、この節あてもなし、と自分の身体からだ突掛つっかけものにして、そそって通る、横町の酒屋の御用聞ごようききらしいのなぞは、相撲の取的とりてきが仕切ったという逃尻にげじりの、及腰およびごしで、くだんの赤大名の襟を恐る恐る引張りながら、

阿母おふくろ。」

 などと敬意を表する。

 商売冥利みょうり渡世くちすぎは出来るもの、あきないはするもので、五布いつのばかりの鬱金うこんの風呂敷一枚の店に、襦袢じゅばんの数々。赤坂だったらやっこ肌脱はなぬぎ、四谷じゃ六方をみそうな、けばけばしい胴、派手な袖。男もので手さえ通せばそこから着てかれるまでにして、正札が品により、二分から三両内外うちそとまで、膝の周囲まわりにばらりとさばいて、主人あるじはと見れば、上下縞うえしたしまに折目あり。独鈷入とっこいり博多はかたの帯に銀鎖をいて、きちんと構えた前垂掛まえだれがけ。膝で豆算盤まめそろばん五寸ぐらいなのを、ぱちぱちと鳴らしながら、結立ゆいたての大円髷おおまるまげ、水の垂りそうな、赤い手絡てがらの、容色きりょうもまんざらでない女房を引附けているのがある。

 時節もので、めりやすの襯衣しゃつ、めちゃめちゃの大安売、ふらんねる切地きれじの見切物、浜から輸出品の羽二重はぶたえ手巾ハンケチ棄直段すてねだんというのもあり、外套がいとう、まんと、古洋服、どれも一式の店さえ八九ヶ所。続いて多い、古道具屋は、ありきたりで。近頃古靴を売る事は……長靴は烟突えんとつのごとく、すぽんと突立つったち、半靴は叱られたていかしこまって、ごちゃごちゃと浮世の波にうおただよう風情がある。

 両側はさて軒を並べた居附いつき商人あきんど……大通りの事で、云うまでも無く真中まんなかを電車が通る……

 夜店は一列片側に並んで出る。……夏の内は、西と東を各晩であるが、秋の中ばからは一月置きになって、大空の星の沈んだ光と、どす赤い灯の影を競いつつ、末は次第にながれよどむように薄くまばらにはなるが、やがて町尽まちはずれまでえずに続く……

 宵をちと出遅れて、店と店との間へ、脚がめ込みになる卓子テエブルや、箱車をそのまま、場所が取れないのに、両方へ、叩頭おじぎをして、

「いかがなものでございましょうか、飛んだお邪魔になりましょうが。」

「何、お前さん、お互様です。」

「では一ツ御不省ごふしょうなすって、」

「ええうございますともね。だが何ですよ。なりたけ両方をゆっくり取るようにしておかないと、当節はやかましいんだからね。距離をその八尺ずつというお達しでさ、御承知でもございましょうがね。」

「ですからなお恐入りますんで、」

「そこにまたお目こぼしがあろうッてもんですよ、まあ、口明くちあけをなさいまし。」

難有ありがとう存じます。」

 などは毎々の事。


       二


 この次第で、露店のあわいは、どうして八尺が五尺も無い。蒟蒻こんにゃく蒲鉾かまぼこ、八ツがしら、おでん屋のなべの中、混雑ごたごたと込合って、食物店たべものみせは、お馴染なじみのぶっ切飴きりあめ、今川焼、江戸前取り立ての魚焼うおやき、と名告なのりを上げると、目の下八寸の鯛焼たいやきと銘を打つ。真似まねはせずともい事を、鱗焼うろこやきは気味が悪い。

 引続いては兵隊饅頭へいたいまんじゅう鶏卵入たまごいり滋養麺麭じようパン。……かるめら焼のお婆さんは、小さな店に鍋一つ、七つ五つ、孫の数ほど、ちょんぼりと並べてさみしい。

 茶めし餡掛あんかけ、一品料理、一番高い中空の赤行燈あかあんどうは、牛鍋の看板で、一山三銭二銭にひさぐ。蜜柑みかん林檎りんごの水菓子屋が負けじと立てた高張たかはりも、人の目に着く手術てだてであろう。

 古靴屋の手に靴は穿かぬが、外套がいとうを売る女の、ぼたんきらきらと羅紗らしゃの筒袖。小間物店こまものみせの若い娘が、毛糸の手袋めたのも、寒さをしのぐとは見えないで、広告めくのが可憐いじらしい。

 気取ったのは、一軒、古道具の主人、山高帽。売ってもいそうな肱掛椅子ひじかけいす反身そりみ頬杖ほおづえ。がらくた壇上に張交はりまぜの二枚屏風にまいびょうぶ、ずんどのあかの花瓶に、からびたコスモスを投込んで、新式な家庭を見せると、隣の同じ道具屋の亭主は、炬燵櫓こたつやぐらに、ちょんと乗って、胡坐あぐらを小さく、風除かぜよけに、葛籠つづら押立おったてて、天窓あたまから、その尻まですっぽりと安置に及んで、秘仏はどうだ、と達磨だるまめて、寂寞じゃくまくとしてじょうる。

「や、こいつア洒落しゃれてら。」

 と往来がめてく。

 黒い毛氈もうせんの上に、明石あかし珊瑚さんご、トンボの青玉が、こつこつとびた色で、古い物語をしのばすもあれば、青毛布あおげっとの上に、指環ゆびわ、鎖、襟飾えりかざり燦爛さんらんと光を放つ合成金の、新時代を語るもあり。……また合成銀ととなえるのを、大阪で発明して銀煙草ぎんぎせるを並べて売る。

「諸君、二円五十銭じゃ言うたんじゃ、えか、諸君、熊手屋が。露店の売品の値価ねだんにしては、いささか高値こうじきじゃ思わるるじゃろうが、西洋の話じゃ、で、分るじゃろう。二円五十銭、可えか、諸君。」

 と重なり合った人群集ひとだかりの中に、足許あしもとの溝の縁に、馬乗提灯うまのりぢょうちんを動き出しそうに据えたばかり。店も何も無いのが、額を仰向あおむけにして、大口をいてしゃべる……この学生風な五ツ紋は商人あきんどではなかった。

 ここらへ顔出しをせねばならぬ、救世軍とか云える人物。

「そこでじゃ諸君、えか、その熊手の値を聞いた海軍の水兵君が言わるるには、よし、熊手屋、二円五十銭は分った、しかしながらじゃな、ここに持合わせの銭が五十銭ほか無い。すなわちこの五十銭を置いてく。直ぐに後金あときんの二円を持って来るから受取っておいてくれい。熊手は預けてくぞ、誰もほかのものに売らんようになあ、と云われましたが、諸君。

 手附てつけを受取って物品を預っておくんじゃからあ、」

俯向うつむいて、唾を吐いて、

「じゃから諸君、誰にしても異存はあるまい。よろしゅうございます。行っていらっしゃいと云うて、その金子かね請取うけとったんじゃ、えか、諸君。ところでじゃ、約束通りに、あとの二円を持って、直ぐにその熊手を取りに来れば何事もありませんぞ。

 そうら、それがって来ん、来んのじゃ諸君、一時間ち、二時間経ち、十二時が過ぎ、半が過ぎ、どうじゃ諸君、やがて一時頃まで遣って来んぞ。

 ほかの露店は皆仕舞うたんじゃ。それで無うてから既に露店の許された時間は経過して、わずかに巡行の警官が見て見ぬふりという特別の慈悲を便りに、ぼんやりと寂しい街路の霧になってくのをながめて、鼻のさきを冷たくして待っておったぞ。

 処へ、てくりてくり、」

 と両腕をはずんで振って、ずぼん下の脚を上げたり、下げたり。

「向うからって来たものがある、誰じゃろうか諸君、熊手屋の待っておる水兵じゃろうか。その水兵ならばじゃ、何事も別に話は起らんのじゃ、諸君。しかるに世間というものはここが話じゃ、今来たのは一名の立派な紳士じゃ、夜会の帰りかとも思われる、何分なにぶんか酔うてのう。」


       三


「皆さん、申すまでもありませんが、お家で大切なのは火の用心でありまして、その火の用心と申すうちにも、一番危険なのが洋燈ランプであります。なぜ危い。お話しをするまでもありません、過失あやまって取落しまする際に、火の消えませんのが、つぼの、この、」

 と目通りで、真鍮しんちゅうの壺をコツコツと叩く指が、てのひら掛けて、油煙で真黒まっくろ

 頭髪かみを長くして、きちんと分けて、額にふらふらとさばいた、女難なきにしもあらずなのが、渡世となれば是非も無い。

「石油が待てしばしもなく、𤏋ぱっと燃え移るから起るのであります。御覧なさいまし、大阪の大火、青森の大火、御承知でありましょう、失火の原因は、皆この洋燈ランプの墜落から転動(と妙な対句で)を起しまする。その危険な事は、硝子壺がらすつぼも真鍮壺も決して差別はありません。と申すが、唯今ただいまもお話しました通り、火が消えないからであります。そこで、手前商いまするのは、ラジーンと申して、金山鉱山におきまして金を溶かしまする処の、炉壺ろつぼにいたしまするのを使って製造いたしました、口金くちがねの保助器は内務省お届済みの専売特許品、御使用の方法は唯今お目に懸けまするが、安全口金、一名火事知らずと申しまして、」

「何だ、何だ。」

 と立合いの肩へ遠慮なく、唇の厚い、真赤まっかな顔を、ぬい、と出して、はたとにらんで、酔眼をとろりと据える。

「うむ、火事知らずか、何を、」と喧嘩腰けんかごしに力を入れて、もう一息押出しながら、

「焼けたら水を打懸ぶっかけろい、げい。」

 とおくびをするかと思うと、印半纏しるしばんてんの肩をそびやかして、のッとく。新姐子しんぞっこがばらばらとけて通す。

 とけんな目をちょっと見据えて、

「ああいう親方が火元になります。」と苦笑にがわらい

 昔から大道店だいどうみせに、酔払いは附いたもので、お職人親方手合てあいの、そうしたのは有触ありふれたが、長外套なががいとうに茶の中折なかおれひげの生えた立派なのが居る。

 辻に黒山を築いた、が北風ならいの通す、寒い背後うしろからやぶを押分けるように、ステッキで背伸びをして、

「踊っとるはだいじゃ、何しとるかい。」

「へい、面白ずくに踊ってるじゃござりません。唯今、鼻紙で切りました骸骨がいこつを踊らせておりますんで、へい、」

「何じゃ、骸骨が、おどりを踊る。」

 どたどたと立合たちあいうしろ凭懸よりかかって、

「手品か、うむ、手品を売りよるじゃな。」

「へい、八通やとおりばかりしたためてござりやす、へい。」

「うむ、八通り、このとおりか、はッはッ、」と変哲もなく、洒落しゃれのめして、

「どうじゃ五厘も投げてやるか。」

「ええ、投銭、お手の内は頂きやせん、たねあかしの本を売るのでげす、お求め下さいやし。」

「ふむ……投銭は謝絶する、見識じゃな、本は幾干いくらだ。」

「五銭、」

「何、」

「へい、お立合にも申しておりやす。へい、ええ、ことの外音声を痛めておりやすんで、お聞苦しゅう、……へい、おきまりは五銅の処、御愛嬌ごあいきょうに割引をいたしやす、三銭でございやす。」

「高い!」

 としかって、

「手品屋、負けろ。」

「毛頭、お掛値かけねはございやせん。よろしくばお求め下さいやし、三銭でごぜいやす。」

「一銭にせい、一銭じゃ。」

「あッあ、推量々々。」と対手あいてにならず、人のの底にかすれた声、つちの下にて踊るよう。

「お次は相場の当る法、弁ずるまでもありませんよ。……我人われひとともに年中おけらでは不可いけません、一攫千金いっかくせんきん、お茶の子の朝飯前という……次は、」

 と細字さいじしたためた行燈あんどんをくるりと廻す。綱が禁札、ト捧げたていで、芳原被よしわらかぶりの若いもの。別にかすりの羽織を着たのが、板本を抱えてたたずむ。

「諸人に好かれる法、嫌われぬ法も一所ですな、愛嬌のおまもりという条目。無銭で米の買える法、火なくして暖まる法、飲まずに酔う法、歩行あるかずに道中する法、天に昇る法、色を白くする法、おんなれる法。」


       四


「おいてえ、痛え、」

 尾をつまんで、にょろりと引立ひったてると、青黒い背筋がうねって、びくりと鎌首をもたげる発奮はずみに、手術服という白いのをはおったのが、手を振って、飛上る。

「ええ驚いた、蛇がくらい着くです──だが、諸君、こんなことでは無い。……この木製の蛇が、僕の手練に依って、不可思議なる種々の運動を起すです。急がない人は立って見てきたまえよ、奇々妙々感心というのだから。

 だが、諸君、だがね、僕は手品師では無いのだよ。蛇使いではないのですが、こんな処じゃ、誰も衛生という事を心得ん。生命いのちが大切という事を弁別わきまえておらん人ばかりだから、そこで木製の蛇の運動を起すのを見てきたまえと云うんだ。歯の事なんか言って聞かしても、どの道分りはせんのだから、無駄だからね、無駄な話だから決して売ろうとは云わんです。売らんのだから買わんでも宜しい。見てきたまえ。見物をしてお出でなさい。今、運動を起す、一分間にして暴れ出す。

 だが諸君、だがね諸君、歯磨はみがきにも種々いろいろある。花王歯磨、ライオン象印、クラブ梅香散……ざっとかぞえた処で五十種以上に及ぶです。だが、諸君、言ったって無駄だ、どうせ買いはしまい、僕も売る気は無い、こんな処じゃ分るものは無いのだから、売りやせん、売りやせんから木製の蛇の活動を見てきたまえ。」

 と青い帽子をずぼらにかぶって、目をぎろぎろと光らせながら、憎体にくてい口振くちぶりで、歯磨を売る。

 二三軒隣では、人品骨柄じんぴんこつがら天晴あっぱれ黒縮緬くろちりめんの羽織でも着せたいのが、悲愴ひそうなる声を揚げて、ほとんど歎願に及ぶ。

「どうぞ、お試し下さい、ねえ、是非一回御試験が仰ぎたい。口中に熱あり、歯の浮く御仁、歯齦はぐきゆるんだお人、お立合の中に、もしや万一です。口の臭い、舌の粘々ねばねばするお方がありましたら、ここに出しておきます、この芳口剤で一度うがいをして下さい。」

 と一口がぶりとって、悵然ちょうぜんとして仰反のけぞるばかりに星を仰ぎ、頭髪かみを、ふらりとって、ぶらぶらとつちへ吐き、立直ると胸を張って、これも白衣びゃくえ上衣兜うわかくしから、綺麗きれい手巾ハンケチを出して、口のまわりを拭いて、ト恍惚うっとりとする。

さわやかにすずしき事、」

 と黄色い更紗さらさ卓子掛テエブルかけを、しなやかな指ではじいて、

「何ともたとえようがありません。ただ一分間、一口含みまして、二三度、口中をそそぎますと、歯磨楊枝ようじを持ちまして、ものの三十分使いまするより、はるかに快くなるのであります。口中には限りません。精神の清く爽かになりますに従うて、頭痛などもたちどころに治ります。どうぞ、お試し下さい、口はわざわいかど、諸病は口からと申すではありませんか、歯は大事にして下さい、口は綺麗にして下さいまし、ねえ、私が願います、どうぞ諸君みなさん。」

「この砥石といしが一ちようありましたらあ、今までのよに、たらいじゃあ、湯水じゃあとウ、騒ぐにはア及びませぬウ。お座敷のウ真中まんなかでもウ、お机、卓子台ちゃぶだいの上エでなりとウ、ただ、こいに遣って、すぅいすぅいとこすりますウばかりイイイ。菜切庖丁なっきりぼうちょう刺身庖丁さしみぼうちょうウ、向ウへ向ウへとウ、十一二度、十二三度、裏を返しまして、黒い色のウ細い砥ウもちイましてエ、やわらこう、すいと一二度ウ、二三度ウ、なでるウ撫るウばかりイ、このウ菜切庖丁が、面白いようにイきれまあすウる、切れまあすウる。こいに、こいに、さッくりさッくり横紙が切れますようなら、当分のウ内イ、誰方様どなたさまのウおやしきでもウ、きれものに御不自由はございませぬウ。このウこまかい方一挺がア、定価は五銭のウ処ウ、特別のウ割引イでエ、あらのと二ツ一所に、名倉なぐらかけを添えまして、三銭、三銭でエ差上げますウ、剪刀はさみ剃刀磨かみそりとぎにイ、一度ウ磨がせましても、二銭とウ三銭とは右から左イ……」

 とさいの目に切った紙片かみきれを、膝にも敷物にもぱらぱらと夜風に散らして、しまの筒袖しいのをと張って、菜切庖丁に金剛砂こんごうしゃ花骨牌はながるたほどな砥を当てながら、余り仰向いては人を見ぬ、包ましやかな毛糸の襟巻、頬の細いも人柄で、大道店の息子株。

 押並んで、めくら縞の襟のげた、袖に横撫よこなでのあとの光る、同じ紺のだふだふとした前垂まえだれを首から下げて、千草色の半股引はんももひき、膝のよじれたのをねじって穿いて、ずんぐりむっくりとふとったのが、日和下駄で突立つったって、いけずなせがれが、三徳用大根皮剥かわはぎ、というのをわめく。


       五


 その鯉口こいぐち両肱りょうひじ突張つっぱり、手尖てさきを八ツ口へ突込つっこんで、うなじを襟へ、もぞもぞと擦附けながら、

小母おばさん、買ってくんねえ、小父的おじき買いねえな。千六本に、おなますに、皮剥かわはぎと一所に出来らあ。内が製造元だから安いんだぜ。大小でいしょうあらあ。でいが五銭で小が三銭だ。皮剥一ツ買ったっておめえ、三銭はするぜ、買っとくんねえ、あ、あ、あ、」

 と引捻ひんねじれた四角な口を、額までかつと開けて、猪首いくび附元つけもとまですくめる、と見ると、仰状のけざま大欠伸おおあくび。余り度外どはずれなのに、自分から吃驚びっくりして、

「はっ、」と、突掛つっかかる八ツ口の手を引張出して、握拳にぎりこぶしで口のはたをポン、とふたをする、トほっと真白まっしろな息を大きく吹出す……

 いや、順に並んだ、立ったり居たり、凸凹としたどの店も、同じように息が白い。むらむらと沈んだ、くすぶった、その癖、師走空に澄透すみとおって、蒼白あおじろい陰気なあかりの前を、ちらりちらりと冷たい魂が徜徉さまよう姿で、耄碌頭布もうろくずきんしわから、押立おったてた古服の襟許えりもとから、汚れた襟巻の襞襀ひだの中から、朦朧もうろうあらわれて、揺れる火影ほかげに入乱れる処を、ブンブンとうなって来て、大路おおじの電車が風を立てつつ、さっ引攫ひっさらって、チリチリと紫に光って消える。

 とどの顔も白茶しらちゃけた、影の薄い、衣服前垂きものまえだれ汚目よごれめばかり火影に目立って、すすびた羅漢の、トボンとした、寂しい、濁った形が溝端みぞばたにばらばらと残る。

 こんな時は、時々ばったりと往来が途絶えて、その時々、対合むかいあった居附いつきの店の電燈瓦斯がす晃々こうこうとした中に、小僧のかげや、帳場の主人、火鉢の前の女房かみさんなどが、絵草子の裏、硝子がらすの中、中でも鮮麗あざやかなのは、軒に飾った紅入友染べにいりゆうぜんの影に、くっきりとあらわれる。

 露店はぼうとして霧に沈む。

 たちまち、ふらふらと黒い影が往来へいて出る。その姿が、毛氈もうせんの赤い色、毛布けっとの青い色、風呂敷の黄色いの、さみしいばあさんの鼠色まで、フト判然はっきりすごい星の下に、漆のような夜の中に、淡いいろどりして顕れると、商人連あきゅうどれんはワヤワヤと動き出して、牛鍋ぎゅうなべ唐紅とうべにも、飜然ひらりゆらぎ、おでん屋の屋台もかッと気競きおいが出て、白気はくきこまやかに狼煙のろしを揚げる。翼ののろい、大きな蝙蝠こうもりのように地摺じずりに飛んで所を定めぬ、煎豆屋いりまめやの荷に、糸のような火花が走って、

「豆や、煎豆、煎立豆や、柔い豆や。」

 と高らかにえて、思いもつかぬ遠くの辻のあたりに聞える。

 また一時ひとしきり、がやがやと口上があちこちにはじまるのである。

 が、次第に引潮が早くなって、──やっとしがらみにかかった海草のように、土方の手に引摺ひきずられた古股引ふるももひきを、はずすまじとて、ばあさんが曲った腰をむずむずと動かして、溝の上へ膝を摺出ずりだす、そのかいなく……博多の帯を引掴ひッつかみながら、素見ひやかし追懸おっかけた亭主が、値が出来ないで舌打をして引返す……煙草入たばこいれ引懸ひっかかっただぼはぜを、鳥の毛の采配さいはいで釣ろうと構えて、ストンと外した玉屋の爺様じいさまが、餌箱えさばこしらべるていに、財布をのぞいてふさぎ込む、歯磨屋はみがきや卓子テエブルの上に、お試用ためし掬出すくいだした粉が白く散って、売るものの鰌髯どじょうひげにもうっすり霜を置く──初夜過ぎになると、その一時ひととき々々、大道店の灯筋あかりすじを、霧で押伏おっぷせらるる間が次第に間近になって、盛返す景気がそのたびに、遅く重っくるしくなって来る。

 ずらりと見渡した皆がしょんぼりする。

 勿論、電燈の前、瓦斯の背後うしろのも、寝る前の起居たちいせわしい。

 分けても、真白まっしろ油紙あぶらっかみの上へ、見た目も寒い、千六本を心太ところてんのように引散ひっちらして、ずぶぬれの露が、途切れ途切れにぽたぽたと足を打って、溝縁みぞぶちに凍りついた大根剥だいこんむきせがれが、今度はたまらなそうに、かじかんだ両手をぶるぶると唇へ押当てて、貧乏揺びんぼうゆるぎをせわしくしながら、

「あ、あ、」

 とまた大欠伸おおあくびをして、むらむらと白い息を吹出すと、筒抜けた大声で、

「大福が食いてえなッ。」


       六


「大福餅が食べたいとさ、は、は、は、」

 と直きそのそばに店を出した、二分心にぶしんの下で手許てもと暗く、小楊枝こようじを削っていた、人柄なだけ、可憐いとしらしい女隠居が、黒い頭巾ずきんの中から、隣を振向いて、かすれ掠れ笑って言う。

 その隣の露店は、京染正紺請合しょうこんうけあいとある足袋の裏を白くかえして、ほしほしと並べた三十ぐらいの女房にょうぼで、中がちょいと隔っただけ、三徳用の言った事が大道でぼやけて分らず……但し吃驚びっくりするほどの大音であったので、耳を立てて聞合わせたものであった。

 会得えとくくとさも無い事だけ、おかしくなったものらしい。

「大福を……ほほほ、」と笑う。

 とその隣が古本屋で、行火あんかの上へ、ひげの伸びたせたおとがいを乗せて、平たくうずくまった病人らしい陰気な男が、釣込まれたやら、

「ふふふ、」

 とさみしく笑う。

 続いたのが、例の高張たかはりを揚げた威勢のい、水菓子屋、向顱巻むこうはちまちの結び目を、山から飛んで来た、と押立おったてたのが、仰向けにそりを打って、呵々からからと笑出す。次へ、それから、引続いて──一品料理の天幕張テントばりの中などは、居合わせた、客交じりに、わはわはとわらいゆする。年内の御重宝ごちょうほう九星売が、恵方えほうの方へ突伏つっぷして、けたけたとたまらなそうに噴飯ふきだしたれば、苦虫と呼ばれた歯磨屋はみがきやが、うンふンと鼻で笑う。声が一所で、同音に、もぐらもちが昇天しようと、水道の鉄管を躍り抜けそうな響きで、片側一条ひとすじ、夜が鳴って、どっと云う。時ならぬに、の葉が散って、霧の海に不知火しらぬいと見えるともしびの間を白く飛ぶ。

 なごりに煎豆屋いりまめやが、かッと笑う、と遠くですさまじく犬がえた。

 軒のあたり通魔とおりまがしたのであろう。

 北へも響いて、町尽まちはずれの方へワッと抜けた。

 時に片頬笑かたほえみさえ、口許くちもと莞爾にっこりともしないえんなのが、露店を守って一人居た。

 縦通たてどおりから横通りへ、電車の交叉点こうさてんを、その町尽れの方へさがると、人も店も、の影も薄く歯の抜けたような、間々を冷い風が渡る癖に、店を一ツ一ツ一重ひとえながら、ぼうと渦を巻いたような霧で包む。同じくすぶった洋燈ランプも、人の目鼻立ち、眉も、青、赤、鼠色のの敷物ながら、さながら鶏卵たまごうちのように、渾沌こんとんとして、ふうわり街燈の薄い影に映る。が、枯れた柳の細い枝は、幹に行燈あんどうけられたより、かえってこの中に、処々すっきりと、星にあおく、風に白い。

 その根に、茣蓙ござを一枚の店に坐ったのが、くだんおんなで。

 年紀としは六七……三十にまず近い。姿も顔もやつれたから、ちと老けて見えるのであろうも知れぬ。綿らしいが、銘仙縞めいせんじまの羽織を、なよなよとある肩に細く着て、同じ縞物の膝を薄く、無地ほどに細い縞の、これだけはお召らしいが、透切すきぎれのした前垂まえだれめて、昼夜帯の胸ばかり、浅葱あさぎ鹿子かのこ下〆したじめなりに、乳の下あたりふっくりとしたのは、鼻紙も財布も一所に突込つっこんだものらしい。

 ざっと一昔は風情だった、肩掛というのを四つばかりに畳んで敷いた。それを、つまは深いほど玉は冷たそうな、膝の上へ掛けたら、と思うが、察するに上へは出せぬ寸断ずたずた継填つぎはぎらしい。火鉢も無ければ、行火あんかもなしに、霜の素膚すはだは堪えられまい。

 黒繻子くろじゅすの襟も白く透く。

 油気あぶらけも無く擦切るばかりの夜嵐にばさついたが、つやのある薄手な丸髷まるまげがッくりと、焦茶色の絹のふらしてんの襟巻。房の切れた、男物らしいのを細く巻いたが、左の袖口を、ト乳の上へしょんぼりとき込んだたもとの下に、利休形りきゅうがた煙草入たばこいれの、裏の緋塩瀬ひしおぜばかりが色めく、がそれもせた。

 生際はえぎわの曇った影が、まぶたして、面長おもながなが、さしてせても見えぬ。鼻筋のすっと通ったを、横にかすめて後毛おくれげをさらりと掛けつつ、ものうげに払いもせず……きれの長い、まつげの濃いのを伏目ふしめになって、上気して乾くらしい唇に、吹矢の筒を、ちょいと含んで、片手で持添えた雪のようなひじからむ、唐縮緬とうちりめんの筒袖のへりを取った、継合わせもののその、緋鹿子ひがのこなまめかしさ。


       七


 三枚ばかり附木つけぎの表へ、(ひとくみ)も仮名で書き、(二せん)も仮名で記して、前に並べて、きざ柿の熟したのが、こつこつと揃ったような、昔はたにしが尼になる、これは紅茸べにたけさとりを開いて、ころりと参った張子はりこ達磨だるま

 目ばかり黒い、けばけばしく真赤まっか禅入ぜんにゅうを、木兎引ずくひきの木兎、で三寸ばかりの天目台てんもくだい、すくすくとある上へ、大は小児こども握拳にぎりこぶし、小さいのは団栗どんぐりぐらいな処まで、ずらりと乗せたのを、その俯目ふしめに、トねらいながら、くだんの吹矢筒で、フッ。

 カタリといって、発奮はずみもなくひっくりかえって、軽く転がる。その次のをフッ、カタリとかえる。続いてフッ、カタリと下へ。フッフッ、カタカタカタと毛を吹くばかりの呼吸いきづかいに連れて、五つ七つたちどころに、パッパッと石鹸玉シャボンだまが消えるように、上手にでんぐり、くるりと落ちる。

 落ちると、片端から一ツ一ツ、順々にまた並べて、初手しょてからフッと吹いて、カタリといわせる。……同じ事を、絶えず休まずに繰返して、この玩弄物おもちゃを売るのであるが、玉章ふみもなし口上もなしで、ツンとしたように黙っているので。

 霧の中にわらいにじが、ぱっと渡った時も、独り莞爾にっこりともせず、傍目わきめらず、同じようにフッと吹く。

 カタリと転がる。

「大福、大福、大福かい。」

 とちと粘ってなまりのある、ギリギリと勘走った高い声で、亀裂ひびらせるように霧の中をちょこちょこ走りで、玩弄物屋のおんな背後うしろへ、ぬっと、鼠の中折なかおれ目深まぶかに、領首えりくびのぞいて、橙色だいだいいろの背広を着、小造りなのが立ったと思うと、

「大福餅、あったかい!」

 また疳走かんばしった声の下、ちょいとしゃがむ、とはやい事、筒服ずぼんの膝をとんと揃えて、横から当って、おんな前垂まえだれ附着くッつくや否や、両方の衣兜かくしへ両手を突込つっこんで、四角い肩して、一ふり、ぐいと首を振ると、ぴんと反らした鼻の下のひげとともに、砂除すなよけの素通し、ちょんぼりした可愛い目をくるりとったが、ひょんな顔。

 ……というものは、その、

「……あったかい!……」を機会きっかけに、行火あんかの箱火鉢の蒲団ふとんの下へ、潜込もぐりこましたと早合点はやがってんの膝小僧が、すぽりと気が抜けて、二ツ、ちょこなんと揃って、ともしびに照れたからである。

 橙背広のこの紳士は、通りがかりの一杯機嫌の素見客ぞめきでも何でもない。冷かし数の子の数には漏れず、格子から降るという長い煙草きせるに縁のある、煙草たばこ脂留やにどめ、新発明螺旋仕懸らせんじかけニッケル製の、巻莨まきたばこの吸口を売る、気軽な人物。

 自から称して技師と云う。

 で、衆を立たせて、使用法を弁ずる時は、こんな軽々しい態度のものではない。

 下目づかいに、晃々きらきらと眼鏡を光らせ、額でにらんで、帽子を目深まぶかに、さも歴々が忍びのてい。冷々然として落着き澄まして、しわぶきさえ高うはせず、そのニコチンの害を説いて、一吸ひとすいの巻莨から生ずる多量の沈澱物をもって混濁した、恐るべき液体をアセチリンの蒼光あおびかりかざして、と試験管を示す時のごときは、何某なにがしの教授が理化学の講座へ立揚たちあがったごとく、風采ふうさい四辺あたりを払う。

 そこで、公衆は、ただわずか硝子がらすの管へ煙草を吹込んで、びくびくとると水が濁るばかりだけれども、技師の態度と、その口上のぱきぱきとするのに、ニコチンの毒の恐るべきを知って、戦慄せんりつに及んで、五割引がさかんに売れる。

 なかなかどうして、歯科散しかさんが試験薬を用いて、立合たちあいの口中黄色い歯から拭取ふきとった口塩くちしおから、たちどころに、黴菌ばいきんを躍らして見せるどころの比ではない。

 よく売れるから、益々ますます得意で、澄まし返って説明する。

 が、夜がやや深く、人影の薄くなったこうした時が、技師大得意の節で。今までくしゃみこらえたように、むずむずと身震いを一つすると、固くなっていた卓子テエブルの前から、早くもがらりとたいを砕いて、飛上るようにと腰を軽く、突然いきなりひょいと隣のおでん屋へ入って、煮込を一串ひとくし引攫ひっさらう。

 こいつを、フッフッと吹きながら、すぺりと古道具屋の天窓あたまでるかと思うと、次へ飛んで、あの涅槃ねはんに入ったような、風除葛籠かざよけつづらをぐらぐらゆすぶる。


       八


 その時きゃっきゃっと高笑たかわらい、靴をぱかぱかとわきれて、どの店と見当を着けるでも無く、脊をかがめてうずくまった婆さんの背後うしろへちょいとしゃがんで、

「寒いですね。」

 と声を掛けて、トントンと肩を叩いてやったもので。

「きゃっきゃっ、」とまた笑うて、横歩行よこあるきにすらすらすら、で、居合わす、古女房のせなをドンとくらわす。突然いきなり年増としま行火あんかの中へ、諸膝もろひざ突込つっこんで、けろりとして、娑婆しゃばを見物、という澄ました顔付で、当っている。

 露店中の愛嬌あいきょうもので、総籬そうまがき柳縹りゅうひょうさん。

 すなわちまた、その伝で、大福あったかいと、向う見ずに遣った処、手遊屋おもちゃやおんなは、腰のまわりに火の気が無いので、膝が露出むきだしに大道へ、茣蓙ござの薄霜に間拍子まびょうしも無く並んだのである。

 橙色だいだいいろの柳縹子、気の抜けた肩をすぼめて、ト一つ、大きな達磨だるまを眼鏡でぎらり。

 おんなは澄ましてフッと吹く……カタリ……

 はッとおとがいを引く間も無く、カタカタカタと残らず落ちると、直ぐに、そのへりの赤い筒袖の細い雪で、ひとびとツ拾って並べる。

たまらんですね、寒いですな、」

 とひげひねった。が、大きに照れた風が見える。

 斜違はすッかいにこれをながめて、前歯の金をニヤニヤと笑ったのは、総髪そうがみの大きな頭に、黒の中山高ちゅうやまたかを堅くめた、色の赤い、額に畝々うねうねと筋のある、頬骨の高い、大顔の役人風。迫った太い眉に、でっかい眼鏡で、胡麻塩髯ごましおひげを貯えた、おとがいとがった、背のずんぐりと高いのが、かすりの綿入羽織を長く着て、霜降のめりやすを太く着込んだ巌丈がんじょうな腕を、客商売とて袖口へ引込ひっこめた、その手に一条の竹のむちを取って、バタバタと叩いて、三州は岡崎、備後びんごは尾ノ道、肥後ひごは熊本の刻煙草きざみたばこ指示さししめす……

「内務省は煙草専売局、印紙御貼用済ごちょうようずみ。味は至極えで、んで見た上で買いなさい。大阪は安井銀行、第三蔵庫の担保品。今度このたび、同銀行蔵掃除について払下げに相成ったを、当商会において一手販売をする、抵当流れの安価な煙草じゃ、喫んでかんばしゅう、香味こうみ、口中にあまねうしてしかしてそのいささかもやにが無い。わし痰持たんもちじゃが、」

 と空咳からせきを三ツばかり、小さくして、竹の鞭を袖へ引込め、

「この煙草を用いてから、とんと悩みを忘れた。がじゃ、荒くとも脂がありとも、ただ強いのを望むという人には決してこの煙草は向かぬぞ。香味あって脂が無い、抵当流れのきざみはどうじゃ。」

 と太い声して、ちと充血した大きなひとみをぎょろりと遣る。その風采ふうさい、高利を借りた覚えがあると、天窓あまたから水を浴びそうなが、思いの外、温厚な柔和な君子で。

 店の透いた時は、そこらの小児こどもをつかまえて、

「あ、じゃでの、」などと役人口調で、眼鏡の下に、一杯のしわを寄せて、髯の上をで下げ撫で下げ、滑稽おどけた話をして喜ばせる。その小父おじさんが、

「いや、若いもの。」

 という顔色がんしょくで、竹の鞭を、トしゃくに取って、さきを握って捻向ねじむきながら、帽子の下に暗い額で、髯の白いに、金があらわ北叟笑ほくそえみ

 附穂つぎほなさに振返った技師は、これを知ってなお照れた。

「今に御覧ごろうじろ。」

 と遠灯とおびばたきをしながら、揃えた膝をむくむくとゆすって、

「何て、寒いでしょう。おお寒い。」

 と金切声を出して、ぐたりと左の肩へ寄凭よりかかる、……体の重量おもみが、他愛ない、暖簾のれんの相撲で、ふわりと外れて、ぐたりと膝の崩れる時、ぶるぶると震えて、堅くなったも道理こそ、半纏はんてんの上から触っても知れた。

 げっそり懐手ふところでをしてちょいとも出さない、すらりと下った左の、その袖は、何も支えぬ、おんなは片手が無いのであった。


       九


 もうこの時分には、そちこちで、徐々そろそろ店を片附けはじめる。まだ九時ちっと廻ったばかりだけれども、師走の宵は、夏の頃の十二時過ぎより帰途かえりを急ぐ。

 で、処々、張出しがれる、からかさすぼまる、その上につめたい星が光を放って、ふっふっと洋燈ランプが消える。突張つっぱりの白木しらきの柱が、すくすくと夜風に細って、積んだ棚が、がたがた崩れる。その中へ、炬燵こたつが化けて歩行あるき出したていに、むっくりと、大きな風呂敷包を背負しょった形が糶上せりあがる。消え残ったあかりの前に、霜に焼けた脚が赤く見える。

 中には荷車がむかいに来る、自転車を引出すのもある。年寄には孫、女房にはその亭主が、どの店にも一人二人、人数がえるのは、よりよりに家から片附けに来る手伝、……とそればかりでは無い。思い思いに気の合ったのが、帰際かえりぎわの世間話、景気の沙汰さたが主なるもので、

「相変らず不可いけますまい、そう云っちゃ失礼ですが。」

「いえ、思ったより、昨夜ゆうべよりはちっとましですよ。」

「またわたくしどもと来た日にゃ、お話になりません。」

「御多分には漏れませんな。」

「もう休もうかと思いますがね、それでも出つけますとね、一晩でも何だか皆さんの顔を見ないじゃ気寂きさみしくって寝られません。……無駄と知りながら出て来ます、へい、油費あぶらづいえでさ。」

 と一処ひとところかたまるから、どの店も敷物の色ばかりで、枯野にした襁褓むつき光景ありさま、七星の天暗くして、幹枝盤上かんしはんじょうに霜深し。

 まだ突立つったったままで、誰も人の立たぬ店のさみしい灯先ひさきに、長煙草ながぎせるを、と横に取って細いぼろ切れを引掛ひっかけて、のろのろと取ったり引いたり、脂通やにどおしの針線はりがねに黒くうねってからむのが、かかる折から、歯磨屋はみがきやの木蛇の運動よりすごいのであった。

 時に、手遊屋おもちゃやひややかにえんなのは、

「寒い。」と技師が寄凭よりかかって、片手の無いのに慄然ぞっとしたらしいその途端に、吹矢筒をそっと置いて、ただそれだけ使う、右の手を、すっと内懐うちぶところへ入れると、繻子しゅすの帯がきりりと動いた。そのまま、茄子なすひしゃげたような、せたが、紫色の小さな懐炉かいろを取って、黙ってと技師の胸に差出したのである。

 寒くば貸そう、というのであろう。……

 挙動しぐさ唐突だしぬけなその上に、またちらりと見た、緋鹿子ひがのこ筒袖つつッぽの細いへりが、無い方の腕の切口に、べとりと血がにじんだ時のさま目前めのまえに浮べて、ぎょっとした。

 どうやら、片手無い、その切口が、茶袋の口を糸でしめたように想われるのである。

「それには及ばんですよ、ええ、何の、御新姐ごしんぞ。」と面啖めんくらって我知らず口走って、ニコチンの毒を説く時のような真面目まじめな態度になって、衣兜かくしに手を突込つっこんで、肩をもそもそとゆすって、筒服ずぼんの膝を不状ぶざまに膨らましたなりで、のそりと立上ったが、たちまちキリキリとした声を出した。

嫁娶よめどり々々!」

 長提灯ながぢょうちんの新しい影で、すっすと、真新しい足袋を照らして、紺地へ朱で、日の出を染めた、印半纏しるしばんてん揃衣そろいを着たのが二十四五人、前途ゆくてに松原があるように、せなのその日の出を揃えて、線路際をしずかに練る……

 結構そうなお爺さんの黒紋着くろもんつき、意地の悪そうな婆さんの黄色い襟もまじったが、男女なんにょ合わせて十四五人、いずれもくるまで、星も晴々と母衣ほろねた、中に一台、母衣を懸けたのが当のの縁女であろう。

 黒小袖の肩を円く、但し引緊ひきしめるばかり両袖で胸を抱いた、真白まっしろな襟を長く、のめるように俯向うつむいて、今時は珍らしい、朱鷺色ときいろ角隠つのかくし花笄はなこうがいくしばかりでもつむりは重そう。ちらりとくれないとおる、白襟をかさねた端に、一筋キラキラと時計の黄金鎖きんぐさりが輝いた。

 上が身を堅く花嫁の重いほど、乗せた車夫は始末のならぬ容体ようだいなり。妙な処へかじめて、曳据ひきすえるのが、がくりとなって、ぐるぐると磨骨みがきぼねの波を打つ。


       十


 露店の目は、言合わせたように、きょときょとと夢に辿たどる、この桃の下路したみちくような行列に集まった。

 おんなもちょいと振向いて、(大道商人あきんどは、いずれも、電車を背後うしろにしている)蓬莱ほうらいを額に飾った、その石のような姿を見たが、むきをかえて、そこへ出した懐炉かいろに手を触って、上手に、片手でカチンと開けて、じっ俯向うつむいて、灰を吹きつつ、

「無駄だねえ。」

 とすずしい声、ひややかなものであった。

「弘法大師御夢想のおきゅうであすソ、利きますソ。」

 と寝惚ねぼけたように云うとひとしく、これも嫁入を恍惚うっとりながめて、あたかもその前に立合わせた、つい居廻りで湯帰りらしい、島田の乱れた、濡手拭ぬれてぬぐいを下げたしんぞすそへ、やにわに一束の線香を押着おッつけたのは、あるが中にも、幻のような坊様で。

 つくねんとして、一人、影法師のように、びょろりとした黒紬くろつむぎの間伸びた被布ひふを着て、白髪しらがの毛入道に、ぐたりとした真綿の帽子。扁平ひらったく、薄く、しかも大ぶりな耳へ垂らして、環珠数わじゅずを掛けた、鼻の長い、おとがいのこけた、小鼻と目が窪んで、飛出した形の八の字眉。大きな口の下唇を反らして、かッくりと抜衣紋ぬきえもん。長々と力なげに手を伸ばして、かじかんだ膝を抱えていたのが、フト思出した途端に、居合わせた娘の姿を、男とも女とも弁別わさまえるひまなく、れてぐんなりと手の伸びるままに、細々と煙の立つ、その線香を押着おッつけたものであろう。

 この坊様ぼんさまは、人さえ見ると、向脛むこうずねなりかかとなり、肩なり背なり、くすぼった鼻紙を当てて、その上から線香を押当てながら、

「おだだ、おだだ、だだだぶだぶ、」と、歯の無い口でむぐむぐと唱えて、

「それ、利くであしょ、ここでえるは施行せぎょうじゃいの。もぐさらずであす。熱うもあすまいがの。それ利くであしょ。利いたりゃ、利いたら、しょなしょなと消しておいて、また使うであすソ。それ利くであしょ。」とめ廻すていに、足許あしもとなんぞじろじろと見て商う。高野山秘法の名灸。

 やにわに長い手を伸ばされて、はっと後しざりをする、娘の駒下駄こまげた、靴やら冷飯ひやめしやら、つい目が疎いかして見分けも無い、退く端のつまを、ぐいと引いて、

「御夢想のお灸であすソ、施行じゃいの。」

 となまずが這うように黒被布の背を乗出して、じりじりと灸を押着おッつけたもの、たまろうか。

「あれえ、」

 と叫んで、ついと退く、トはぎが白く、横町のやみに消えた。

 坊様ぼんさま、眉も綿頭巾わたずきんも、一緒くたに天を仰いで、長い顔で、きょとんとした。

「や、いささかお灸でしたね、きゃッ、きゃッ、」

 と笑うて、技師はこれを機会きっかけに、殷鑑いんかん遠からず、と少しくすくんで、浮足の靴ポカポカ、ばらばらと乱れた露店の暗い方を。……

 さてここに、膃肭臍おっとせいひさ一漢子いっかんし

 板のごとくにこわい、黒の筒袖の長外套なががいとうを、せた身体からだに、爪尖つまさきまで引掛ひっかけて、耳のあたりに襟を立てた。帽子はかぶらず、頭髪かみ蓬々ぼうぼうつかてたが、目鼻立のしい、頬はやつれたが、屈強な壮佼わかもの

 渋色のたくましき手に、赤錆あかさびついた大出刃を不器用に引握ひんにぎって、裸体はだかおんな胴中どうなかを切放していぶしたような、赤肉と黒の皮と、ずたずたに、血筋をかがった中に、骨の薄く見える、やがて一抱ひとかかえもあろう……頭と尾ごと、丸漬まるづけにした膃肭臍おっとせいを三頭。縦に、横に、仰向けに、胴油紙とうゆがみの上に乗せた。

 正面まむきあばらのあたりを、庖丁ほうちょうの背でびたびたと叩いて、

「世間ではですわ、めっとせいはあるが、膃肭臍は無い、と云うたりするものがあるですが、めっとせいにも膃肭臍にも、ほんとのもんは少いですが。」

 無骨な口で、

「船に乗っとるもんでもが……現在、膃肭臍をった処で、それが膃肭臍、めっとせいという区別は着かんもんで。

 世間で云うめっとせいというから雌でしょう、勿論、雌もあれば、雄もあるですが。

 どれが雌だか、雄だか、黒人くろうとにも分らんで、ただこの前歯を、」

 と云って推重おしかさなった中から、ぐいと、犬の顔のような真黒まっくろなのをもたげると、陰干のにおいぷんとして、内へ反った、しゃくんだような、霜柱のごとき長い歯を、あぐりとく。

「この前歯の処ウを、上下うえした噛合かみあわせて、一寸のすきも無いのウを、雄や、(と云うのが北国ほっこく辺のものらしい)と云うですが、一分一寸ですから、いていても、ふさいでいても分らんのうです。

 私は弁舌はまずいですけれども、膃肭臍はたしかです。膃肭臍というものは、やたらむたらにあるものではない。東京府下にも何十人売るものがあるかは知らんですがね、やたらむたらあるもんか。」

 と、何かさも不平に堪えず、向腹むかっぱらを立てたように言いながら、大出刃のさきで、繊維をすくって、一角ウニコールのごとく、薄くねっとりと肉をがすのが、──遠洋漁業会社と記した、まだ油の新しい、黄色い長提灯ながぢょうちんの影にひくひくと動く。

 その紫がかった黒いのを、若々しい口をとがらし、むしゃむしゃと噛んで、

「二頭がのは売ってしもうたですが、まだ一頭、脳味噌もあるですが。脳味噌は脳病に利くンのですが、膃肭臍の効能は、誰でも知っている事で言うがものはない。

 疑わずにお買い下さい、まだたしかな証拠というたら、後脚の爪ですが、」

 ト大様にながめて、出刃を逆手さかてに、面倒臭い、一度に間に合わしょう、と狙って、ずるりと後脚をもたげる、藻掻もがいた形の、水掻みずかきの中に、くうつかんだ爪がある。

 霜風は蝋燭ろうそくをはたはたとゆする、遠洋と書いたその目標めじるしから、濛々もうもうわだつみの気が虚空こくうかぶさる。

 里心が着くかして、さみしく二人ばかり立った客が、あとしざりになって……やがて、はらはらと急いで散った。

 出刃を落した時、かッと顔の色に赤味を帯びて、真鍮しんちゅう鉈豆煙草なたまめぎせるの、真中まんなかをむずと握って、糸切歯で噛むがごとく、引啣ひっくわえて、

「うむ、」

 と、なぜかうなる。

 処へ、ふわふわと橙色だいだいいろあらわれた。脂留やにどめの例の技師で。

「どうですか、膃肭臍屋さん。」

「いや、」

 とただ言ったばかり、不愛想。

 技師は親しげに擦って、

「昨夜は、飛んだ事でしたな……」

「お話になりません。」

「一体何の事ですか、」

なにやいうて、やいうて、まるでお話しにならんのですが、誰が何を見違えたやら、突然いきなりしらべに来て、膃肭臍の中を捜すんですぞ、真白まっしろな女の片腕があると言うて。」……

明治四十四(一九一一)年二月

底本:「泉鏡花集成4」ちくま文庫、筑摩書房

   1995(平成7)年1024日第1刷発行

底本の親本:「鏡花全集 第十三卷」岩波書店

   1941(昭和16)年630日発行

入力:門田裕志

校正:土屋隆

2006年130日作成

青空文庫作成ファイル:

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