イーハトーボ農学校の春
宮沢賢治



 太陽たいようマジックのうたはもう青ぞらいっぱい、ひっきりなしにごうごうごうごう鳴っています。

 わたしたちは黄いろの実習服じっしゅうふくて、くずれかかった煉瓦れんが肥溜こえだめのとこへあつまりました。

 冬中いつもくちびるが青ざめて、がたがたふるえていた阿部時夫あべときおなどが、今日はまるでいきいきした顔いろになってにかにかにかにかわらっています。ほんとうに阿部時夫なら、冬の間からだがわるかったのではなくて、シャツを一まいしかもっていなかったのです。それにせいが高いので、教室でもいちばん火に遠いこわれた戸のすきまから風のひゅうひゅう入って来る北東のすみだったのです。

 けれども今日は、こんなにそらがまっさおで、見ているとまるでわくわくするよう、かれくさもくわばやしの黄いろのあしもまばゆいくらいです。おまけに堆肥小屋たいひごやうらの二きれの雲は立派りっぱに光っていますし、それにちかくの空ではひばりがまるで砂糖水さとうみずのようにふるえて、すきとおった空気いっぱいやっているのです。もうだれだって胸中むねじゅうからもくもくいてくるうれしさに笑い出さないでいられるでしょうか。そうでなければ無理むりに口をよこに大きくしたり、わざとひたいをしかめたりしてそれをごまかしているのです。

(コロナは六十三万二百

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 ああきれいだ、まるでまっな花火のようだよ。)

 それはリシウムの紅焔こうえんでしょう。ほんとうに光炎菩薩こうえんぼさつ太陽たいようマジックの歌はそらにも地面ちめんにもちからいっぱい、日光の小さな小さなすみれだいだいや赤のなみといっしょに一生いっしょうけんめいに鳴っています。カイロ男爵だんしゃくだって早く上等じょうとうきぬのフロックをて明るいとこへびだすがいいでしょう。

 やなぎの木の中でもかばの木でも、またかれくさの地下茎ちかけいでも、月光いろのあま樹液じゅえきがちらちらゆれだし、早い萱草かんぞうやつめくさのにはもう黄金きんいろのちいさな澱粉でんぷんつぶがつうつういたりしずんだりしています。

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 コロナは三十七万十九

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 くずれかかった煉瓦れんが肥溜こえだめの中にはビールのようにあわがもりあがっています。さあ順番じゅんばんおけもう。そこらいっぱいこんなにひどく明るくて、ラジウムよりももっとはげしく、そしてやさしい光のなみが一生けん命一生けん命ふるえているのに、いったいどんなものがきたなくてどんなものがわるいのでしょうか。もうどんどんあわがあふれ出してもいいのです。青ぞらいっぱい鳴っているあのりんとした太陽たいようマジックの歌をおきなさい。

(コロナは六十七万四千

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 さあ、ではみんなでこいつを下台しただいの麦ばたけまでって行こう、こっちのがけはあんまりきゅうですからやっぱり女学校のうらをまわってやなぎの木のあるとこのさかをおりて行きましょう。大丈夫だいじょうぶ二十分かかりません。なるべくせいのたような人と、二人ふたりで一つずつかついで下さい。そうです、町の裏を通って行くのです。阿部君あべくんはいっしょに行くひとがない、それはぼくといっしょに行こう。ああ鳴っている、鳴っている、そこらいちめん鳴っている太陽マジックの歌をごらんなさい。

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 コロナは八十三万五百

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 まぶしい山の雪の反射はんしゃです。わたくしがはたらきながら、またおもいものをはこびながら、手で水をすくうことも考えることのできないときは、そこから白びかりがこおりのようにわたくしの咽喉のどせてきて、こくっとわたくしの咽喉のどを鳴らし、すっかりなおしてしまうのです。それにいまならぼくたちのひざはまるで上等じょうとうのばねのようです。去年きょねんの秋のようにあんなつめたい風のなかなら仕事しごともずいぶんひどかったのですけれども、いまならあんまり楽でただ少しかた重苦おもくるしいのをこらえるだけです。それだってかえってむねがあつくなっていい気持きもちなくらいです。

(コロナは六十三万十五

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 おおこまどり、鳴いて行く鳴いて行く、音譜おんぷのようにんで行きます。赤い上着うわぎでどこまで今日はかけて行くの。いいねえ、ほんとうに、

かえれ、こまどり、アカシヤづくり。

赤の上着うわぎに野やまをえて

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 コロナは三十七万二千

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 そこの角から赤髪あかげ子供こどもがひとり、こっちをのぞいてわらっています。おい、大将たいしょう証書しょうしょはちゃんとしまったかい。筆記帳ひっきちょうには組と名前を楷書かいしょで書いてしまったの。

 さあ、春だ、うたったり走ったり、とびあがったりするがいい。風野又三郎かぜのまたさぶろうだって、もうガラスのマントをひらひらさせ大よろこびでかみをぱちゃぱちゃやりながら野はらをんであるきながら春が来た、春が来たをうたっているよ。ほんとうにもう、走ったりうたったり、飛びあがったりするがいい。ぼくたちはいまいそがしいんだよ。

(コロナは八万三千十九

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 砂土すなつちがやわらかいにおいいきをはいています。いままでやすんでいた虫どもが、ぼんやりといまをさまし、しずかに息をするらしいのです。麦はつやつや光っています。雪の下からうまくとけて出て青い麦です。早く走って行こう、かけさえしたらすぐに麦はむのだ。

(コロナは八万三千十九)

 わたくしたちが柄杓ひしゃくこえを麦にかければ、水はどうしてそんなにまだ力も入れないうちに水銀すいぎんのように青く光り、たまになって麦の上に飛びだすのでしょう、また砂土がどうしてあんなにのどのかわいた子どもの水をむように肥を吸い込むのでしょう。もうほんとうにそうでなければならないから、それがただひとつのみちだからひとりでどんどんそうなるのです。

(コロナは十万八千二百

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 こんどは帰りはわたくしたちは近みちをしてあのきゅうさかをのぼりましょう。あすこの坂ならすぎの木が昆布こんぶかびろうどのようです。阿部君あべくん、だまってそらを見ながらあるいていて一体何を見ているの。そうそう、青ぞらのあんな高いとこ、巻雲けんうんさえうかびそうに見えるとこを、三羽のたかかなにかの鳥が、それともつるかスワンでしょうか、三またのやりのようにはねをのばして白く光ってとんで行きます。

(コロナは三十七万二百

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 おや、このせきの去年のちいさな丸太のはしは、雪代水ゆきしろみずながれたな、からだだけならすぐべるんだが肥桶こえおけをどうしような。阿部君、まず跳びえてください。うまい、少しぐちゃっとこけにはいったけれども、まあいいねえ、それではぼくはいまこっちで桶をつるすから、そっちでとってくれたまえ。そら、おもい、ぼくは起重機きじゅうき一種いっしゅだよ。重い、ほう、天びんぼうがひとりでに、磁石じしゃくのようにきみの手へいて行った。太陽たいようマジックなんだほんとうに。うまい。

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 やなぎの木でもかばの木でも、燐光りんこう樹液じゅえきがいっぱいみゃくをうっています。

底本:「イーハトーボ農学校の春」角川文庫、角川書店

   1996(平成8)年325日初版発行

底本の親本:「新校本 宮澤賢治全集」筑摩書房

   1995(平成7)年5

入力:ゆうき

校正:noriko saito

2009年822日作成

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