百姓の足、坊さんの足
新美南吉




 十二月十二日に貧しい百姓の菊次さんは、雲華寺うんげじ和尚をしやうさんが米初穂こめはつほをあつめて廻るのにお供していきました。

 米初穂といふのは、ことしの秋とれた新しいお米のことで、村の百姓達はそれを少しづつお寺にささげて、仏様にのちの世のことを頼んだのであります。

 和尚さんが村の家々の戸口に立つて、短い経を読むと、百姓達はもうちやんと知つてゐて、新しい米をますに入れて奥から出て来ます。そのお米を受取つて袋に入れ、ふごで、になつていくのがお供の菊次さんの役目でありました。

 さて、その年の秋はお米が豊作でしたので、百姓達はをしまずに、たくさんお初穂を出しました。で、ぢき二つの袋はいつぱいになり、そのつど菊次さんは、お寺のお庫裡くり米櫃こめびつまで、お米をあけにいかねばなりませんでした。日暮までに菊次さんは、五へん通ひました。そして、もうすぐ、また袋がいつぱいになるといふところで、日も暮れ、ちやうど村の家も終つてしまひました。

「もう、日が暮れたが、烏谷からすだにの方はどうしようか。」

と和尚さんが、首をかしげながらいひました。烏谷といふのは、十五町くらゐはなれた谷の底の部落で、百姓の家が五軒あるきりでした。けれど烏谷の百姓達はたいそう、うまい酒をつくつて持つてゐたのであります。

「もう米もだいぶ、たまつたやうだが、烏谷の方はどうしようか。」

と和尚さんがまたいひました。

「さアー。」

とお酒の嫌ひでない菊次さんは、ながくひつぱるやうに答へました。

「烏谷にいつて来ると帰りが夜になつてしまふが、行つたものか、どうしたものか。」

と、やはりお酒の嫌ひでない和尚さんは、数珠をつまぐりながら三度いひました。

「さァ──。」

と菊次さんは、まへよりながくひつぱつて答へました。

「ええ、ままよ、行くとしよう。菊次さ、お前、いやなら、一人で戻らつしやい。」

といつて和尚さんは谷の方へ歩き出しました。

「どうしてわしが戻りませう。和尚さんのお供なら、地獄のかまの中でも、いやぢやございません。」

と菊次さんはいひながら、あわてて和尚さんのあとについていきました。

 烏谷にいきつくと、はたしてそこの一軒の百姓家では、おいしい酒をたるから一升枡についで来て、御馳走ごちそうしてくれました。

 和尚さんは、

「酒好きに酒をのませる、こんなくどくはありませぬぞや。これがすなはち仏の説きたまふ慈悲ぢや。」

などと、お説教みたいなことをいつたり、

「この酒は西の泉の水で仕込んだか、東の泉の水で仕込んだか。なに、西の泉の水で? それそれ、うまいはずぢや。あの西の泉の水はただ飲んでもうまいでのう。」

などと、ほめたりして、たくさんのみました。

 菊次さんは菊次さんで、しきゐに腰をおろし、手拭を両手でしぼりながら、

「いえもう、たくさんで、わしはお供でござんすから。」

といつたり、

「いや、和尚さんは荷物がないから、いくら頂いてもようござんすが、わしは荷物がありますで、あんまり頂くと動けなくなりますから。」

といつたりして、やはりたくさんのんだのであります。

 その家を出ると、まだあと一軒残つてゐましたが、和尚さんは、げつぷをしながら、もう帰らう、といつて、細道をのぼりはじめました。

 もう夜でありました。ひるまから空にかかつてゐた月が、輝きはじめて、細道のかどに咲いてゐる山茶花さざんくわのはなが、つめたく白く見えてゐました。

 道は畠をうねくねとまがりまがつて、村の方へのぼつていくのでありました。四五町のぼつて来たときに、二人はうしろから呼ぶ声をききました。

「待つてくだせえ──、をつさアん。」

と誰かが谷底の方で呼んでゐました。

「何だらう。何か忘れ物でもして来たかな。」

と和尚さんは、自分の身のまはりをでたり、抑へたりして見ました。

「いま、すぐに行きますに、待ちなすつてくだせえ──。」

と年寄らしい声はいつてゐました。

 そのうちに、月の光に人の影らしいものが見えて来ました。

「ちんばですね。」

と、またしばらくして菊次さんがいひました。その人影はひよつくりひよつくり近づいて来たからです。

「ああ、苦しい苦しい。いやお待たせ申して、すみません。なんの、わしは、これを持つていつて貰ひたうて追つて来ましただ。」

 息を切らせながらのぼつて来た、びつこの年寄が、二人の前にさし出したのは、お米のはいつたお椀でありました。

「うん、さうか。わしはまた何かと思つた。」

と和尚さんは、つまらなささうに、そのお椀を受けとつて、いひました。

「いや、お待たせして申しわけごぜえませんだ。だが、いま和尚さんが烏谷へお初穂においでなすつてもうお帰りになつたときいて、わしだけお初穂をあげないでゐちや仏様に相すまぬと思ひましただ。どうぞよろしくお願ひしますだ。」

 年寄のびつこの百姓は、重い役目を果した者のやうに、顔をかがやかせながら、また坂道を下つていきました。

 もう二つの袋はいつぱいでしたので、菊次さんはお椀のまま、ふごのすみにのせました。お酒を三、四合のんだくらゐで、そのお米をこぼすやうな下手なになひ手ではないつもりだつたのです。

 しかし、すこしいつたところで、菊次さんは石につまづきました。お椀はひつくりかへつて、土の上に白くお米が散りました。

「わツ、こりやツ。」

 菊次さんはあわてて、両手でお米をかきあつめました。そしてお椀に入れました。

 すると和尚さんはそのお椀を手にとつて見て、また地べたにぱつとお米を捨てました。

「こりや、土がまじつてをつてだめだ。」

 菊次さんはぼんやりと地めんに散つたお米を見てゐました。

「こりや、かうしとけばよからう。」

と和尚さんは足でそのお米をちらしました。

 菊次さんは眼をまるくしました。何といふことを和尚さんはなさるのだらう。お米を足で蹴散けちらすとは。

 けれど菊次さんもすこしお調子者でありました。それにお酒が頭にまでまはつてゐました。

 菊次さんもやにはに片足を出して、和尚さんのまねをしてしまつたのであります。

 かうして、びつこの爺さんが、息を切らして持つて来たお椀にいつぱいのお米は、お酒に酔つた二人の足でけちらされ、見えなくなつてしまひました。

「ああ、さつぱりした。」

と和尚さんはいつて、よろよろ歩きだしました。

 菊次さんは、空のお椀を力まかせにあちらへ投げました。お椀ははじめ、まつすぐに黒く飛んでいきましたが、きらりと光つたかと思ふと向きをかへて、竹藪たけやぶの中へななめに落ちこみました。

 菊次さんもこれでさつぱりしたやうな気がして、またふごをになひました。



 それから二日のちの、曇つた寒い日に、菊次さんは雲華寺うんげじのおみがきを手伝ひにいきました。雲華寺では、もうすぐ報恩講があつて、毎日おほぜい参詣人があるので、そのしたくに、仏様の前におくいろいろな道具を、ぴかぴか光るやうに磨いたのであります。

 菊次さんは、雲華寺でおひる御飯をいただいて、家へ帰つて来ました。菊次さんの小さい家は、雲華寺の門前の、むくげの木にかこまれた畠の中にありました。

 菊次さんが井戸のところまで来ると、灰部屋はひべやのそばに、菊次さんの子供の清造せいざうが、壁のひげをむしりむしり、立つてゐました。見ると、下駄げたも草履もはいてゐないのでした。

せい、そんなとこで何しとるだ、この寒いに。」

と菊次さんがいふと、清造はくしんくしんと泣きました。

「また祖母ばあさまに叱られたな。来い、来い。おつあんがあやまつてやるに。」

 菊次さんは、くしんくしんと泣いてゐる清造をつれて家にはいりました。

 すると家の中では、菊次さんの年とつた母親と菊次さんのおかみさんが、口あらそひをしてゐました。

 おかみさんは、おばあさんがひどく清造を叱りすぎる、火箸ひばしで背中を叩いたりするのはかはいさうだ、といふのでした。

 また、年とつたお母さんはお母さんで、嫁ごは子供をあまやかしすぎる、子供と猫はあまやかすほどぞうちやうする、とひびのはいつた金だらひを叩くやうな声で、いひはつてをりました。

 いつたい何がもとでそんな喧嘩けんくわをしてゐるのか、菊次さんがきくと、それは清造がおひる御飯をたべてゐたとき二粒ごはんをこぼした、おばあさんがそれを見て、

「ばちがあたるから拾つて喰べよ。」といつた、が清造はほこりがついてしまつたからいやだといつてどうしても喰べなかつた、そしてつひに、その二粒の御飯をむしろの目の中にすりこんでしまつた、といふのでありました。そこでおばあさんが腹を立てて、火箸で清造をぶち、そとへ追ひ出してしまつたのださうです。

「おばあさんもあんまりですよ。むしろのすきまの埃の中に落ちた御飯粒を喰べよといふんだものね。」

とおかみさんは、うつたへるやうに菊次さんにいひました。

「埃がつかうが、砂がつかうが、喰べないでどうするものかい、ありがたいおまんまぢやないか。捨てりやばちがあたるもんを。」

と年とつたお母さんは、大きい口をぱくぱくさせながらわめくのでした。

 菊次さんはだまつてきいてゐましたが、心の中でお母さんに腹を立ててゐました。年寄のくせにいつまでも大きな顔をして、何かにつけ嫁をいぢめる、いやらしいばばアであると考へました。世間で因業婆アといふのは、うちの婆アのことであると考へました。

 そこで菊次さんはとうとう口をきつていひました。

「御飯粒を捨てたぐらゐでばちがあたるもんかい。」

 年とつたお母さんは、息子がひどく落著きはらつて、へんなことをいひだしたので、どぎもをぬかれてまじまじと相手の顔を見ました。それから、

「お前は、御飯をそまつにしてもばちがあたらんといふだかや。」

とききました。

 菊次さんはなほも落著いて、

「ああ、さういふだ。それが証拠にわしはこなひだ雲華寺の和尚をつさんと白米を足で蹴ちらして来たが、べつだんばちもあたらんらしいて。わしも雲華寺のをつさんも。」

といひました。

 それをきくと年とつたお母さんの顔から、さつと血の気がひいていきました。

「そ、そりや、こなひだの米初穂の日のことかや。」

とお母さんは声をふるはせてききました。

「さう、さう。」

と菊次さんはじようだんのやうに答へました。

 お母さんはごくつとのどを鳴らして、しばらくだまつてゐてから、苦しい息といつしよに、

「ど、どの足で。」

とはき出すやうにききました。

「この足で。」

と菊次さんは、きがるに左足をお母さんのひざの前に出して見せました。

 お母さんは血の気の消えた顔で、ちやうど人の首を見でもするやうに、菊次さんの左足を見つめてゐました。そして、

「ばちがあたらにやいいが。」

と低い声で祈るやうにいひました。

「ばちなんかあたるもんかい。わしも和尚をつさんも白米をかうしてふみにじつただ。ばちがあたるならこの足がいたむだらうに、ちくりともしませんだ。」

「ばちがあたらにやいいが。」

とお母さんはなほも祈るやうにいひました。

「あたるもんかい。ちくりとも……」

と菊次さんがいつたとき、菊次さんは左足に、何かちくりとした痛みをおぼえたのであります。けれど気のせゐだらうと思つて、

「ちくりとも……」

といひかけると、こんどはさきの何十倍もの痛みが、足の中をいなずまのやうに走りました。

 こんなはずはないが、と思つて、がまんして、

「くそツ、ちくりとも……」

といひかけると、こんどは足の中へきりでももみこむやうに痛くなつてきましたので、もうたへられなくなり、

「あいててて、しイ──ツ。」

といつて足をかかへこみました。

「それ見よ。いはんこつちやない、ばちがあたつたに。」

と、年とつたお母さんは、自分のことばの正しかつたことがわかつたので、勝ちほこつていひました。しかし今は勝ちほこつてゐるときではないことにすぐ気がつきました。大事な息子が、足をかかへてうんうん苦しんでゐるのです。

 それから菊次さんの家では、上を下への大騒ぎがはじまりました。菊次さんの左足の痛みをしづめるために、手拭に熱い湯をしませてしばつて見たり、芥子粉からしこを湯でこねて足にべつたりぬりつけて見たり、ひざの下にそら豆くらゐのきうをすゑて見たり、たね茄子なすを焼いて二つに割り、まだ熱いうちに足のうらにはりつけて見たり、そのほか、貧しい百姓家としてできるかぎりの手当をして見たのであります。しまひには思案にあまつて、わらすべのきれつぱしにつばをつけて、額にはつてまで見ました。これはしびれのきれたときにするおまじなひであります。

 いろいろやつて見たのですが、どれもこれもききめがありませんでした。菊次さんはもう歩くこともできないのでした。痛む足をかかへこんだまま、床の中にねころがつて、うなつてをりました。これではどうも、お米を踏みちらしたばちがあたつたのだと、承知しないわけにはまゐりませんでした。そこで菊次さんはかういひました。

「とうとう、ばちがあたつてしまつたわい。」

 そして、一粒のお米をつくるために、自分達百姓が、どれほど汗を流し苦心するかを思へば、その貴いお米を踏みつけた足が、天罰で痛むのも、あたりまへのことだと考へたのであります。



 人間は不幸なめにあふにしても、仲間があるときは、少しは心強いものであります。菊次さんも、米を踏んだのは自分だけではない、雲華寺うんげじの和尚さんが仲間であると思ふと、足の痛みも少しはがまんができました。

 そこで菊次さんは、今に和尚さんも自分のやうに足が痛みはじめるかと、それとなく心のうちで待つてゐました。

 二日、三日とすぎていきました。床の中で菊次さんは、

「雲華寺の石段をさつき誰かがのぼつていくやうな音がしたが、あれは医者ぢやなかつたかや。」

とおかみさんにきいたりしてゐました。

 縁側にぽかぽかと日のあたる、風のない昼には、そこへゐざり出て、自分の目で雲華寺の門を見はつてゐました。今にそこから、おくりさんか、小僧さんが、医者を呼びにとび出して来はしないか、と心ひそかに待つてゐたのであります。

 だから、あるとき、とつぜん門内で、ぎやおぎやおとさわがしい音がしたときには、そら和尚さんの足が痛み出したと思つて、菊次さんは自分の足の痛みも忘れて、立ちあがり、おまけに爪先立ちまでして見たのですが、それは近所ののら犬が境内で喧嘩をしただけのことだとわかつて、菊次さんはがつかりしました。

 その翌日の朝、待ちに待つてゐた小僧さんが、門から姿をあらはしました。しかし小僧さんは四斗たるくらゐの大きい提燈ちやうちんを、門ののきばにつるしに来たのでありました。それには報恩講と書かれてありました。今日から報恩講がはじまつたのです。

 報恩講には和尚さんが、お御堂みだうの壇の上にのぼつて、お説教をすることを菊次さんは知ってゐました。壇にあがつたり下りたりするところをよく見てゐれば、和尚さんの足がどんなぐあひかよくわかるだらう、と菊次さんは思ひました。さう思ふと、菊次さんは報恩講に行つて見たくなりました。

 参拝者がおひおひあつまつて来ました。参拝者といつても腰のまがつた老人ばかりでした。みんな杖をついて、あごを地にひきずるやうにしてやつて来ました。そしてあまり高くもない石段なのに、とちゆうで三べんか四へん休んで、のぼるのでした。ですから、菊次さんが、杖にすがつて、痛む足をひきずりひきずりのぼつていつたからとて、べつだんそれが人目をひくやうなことはなかつたのです。

 お御堂では菊次さんは、よくみがかれてぴかぴかと光つた太い柱のかげに坐りました。なぜなら、菊次さんは、和尚さんのお説教をきくのがもくてきではなく、和尚さんの足の様子をこつそり見るのがもくてきであつたからです。こつそり人のやうすを見ようとするものは、自分の姿をかくしたがるものであります。

 やがて和尚さんが、お御堂の横の入口に、柿色の美しいけさを着てあらはれました。そして、さらさらと、よい布のすれあふ音をさわやかにさせながら、奥まつたところの本尊さまのまへに行きました。べつにびつこもひきませんでした。本尊さまにむかつて、しかつめらしく手をあはせてお辞儀をすると、こんどはあかるい方に出て来て、三尺ばかりの高さの壇に何の苦もなくのぼり、坐つたのであります。

 これまでの様子を、息をのみこんでみつめてゐた菊次さんは、がつかりしてかう思ひました──やれやれ、和尚さんの足には何の故障もないらしい。して見るとばちのあたつたのはわしだけだ。

 和尚さんが壇にのぼると、お御堂にいつぱいのお爺さんお婆さん達の中から、「なむあみだぶ」、「なむあみだぶ」、といふ低い声が、やぶの中の風の音のやうにおこりました。菊次さんもついつりこまれて、「なむあみだぶ」といつてしまひました。じつさい和尚さんは、台の上に柿色のけさをきて坐ると、仏様の使ひかなにかのやうに、りつぱにありがたく見えたのでありました。このりつぱな尊げな和尚さんが、酒によつてゐて、米を踏みにじるやうなことをしたとは、とても思へませんでした。

 和尚さんはまづ、ひとわたりお御堂の中を見まはしてから、かあツ、かあツと、おそろしく大きな咳払せきばらひを二つしました。虎が二声えたやうなぐあひでした。お爺さんやお婆さん達の中には、閻魔えんまさんをおもひ出したのか、また、なむあみだぶ、なむあみだぶ、といつて丸い背中をよけい丸くしたものがありました。

 それから和尚さんは、ゆつくりと口をひらいて、

「爺さまも婆さまも、けふはようお参りだのオ。」

といひました。これがお説教のはじめでありました。

 お説教は長くつづきました。和尚さんは大きい声をはりあげて、地獄やごくらくや仏様の話をしました。ここぞと思ふやうなところになると、和尚さんは、台を手でぱんぱんと叩き、二つの目をかにのやうにむき出して、台のすぐ下にゐる老人達を喰ひつかんばかりに大口でしやべりました。それからまた、仏様のことを話すときには「ありがたい」といふ言葉を「ありがたア──い」と飴のやうにひきのばしてきかすので、それはいかにもありがたいやうにきこえ、そのたびに老人達は念仏をとなへました。

 菊次さんは、柱のかげから、こつそり和尚さんを見ながら、和尚さんの話になんかだまされるものか、とはらをきめてゐました。和尚さんが、どんな殊勝げな顔をして、どんなりつぱなことをいはうと、それは口先だけのことで、ほんたうの和尚さんがどんな人であるか、自分はちやんと知つてゐる、と菊次さんは心のうちでいつてゐました。

 けれど、和尚さんが、

「嫁と年寄が喧嘩をするのは、のオ、爺さまや婆さま、よう聞かつしやれ、嫁が悪いのぢやない。お前達年寄が悪いのぢや。いくら念仏を申したとて、嫁をいぢめるやうな年寄はごくらくへはいけぬぞよ。」

と説教したときには、菊次さんも、ほんたうにさうだと思ひました。そして、こんな説教なら、うちの祖母ばあさんにきかせたかつたと思ひました。その祖母さんは、足のわるい菊次さんのかはりに、けふは前山へ麦ふみに行つてゐたのであります。

 それから和尚さんは、物は何でもだいじにしなければならない、といふ話もしました。そしてこんなふうにいひました。

「一本のらふそく、一枚の紙、一滴のびんつけ油、一粒の米や麦の中にも、目には見えねど、みな仏様がはいつていらつしやるぞや。一枚の紙をむだにすれば、仏様をそまつにしたことになりますぞや。一粒の米をこぼせば、それだけばちがあたりますぞや。」

 菊次さんは、まつたくその通りだと思ひました。お米を踏んだ自分の足が、今も痛んでゐるのでした。だが、それにしても、和尚さんはよくもしらじらしく、そんなことが言へたものだ、と菊次さんは思ひました。──これでばちがあたらぬとはどうしたことだらう……。

 和尚さんの太いくびと、あぶら汗でてかてか光る顔を見ながら、この人は運が強いのだ、あんな悪いことをして、人人の前ではこんなしらじらしいうそをいつて、それでゐながら、すこしもばちがあたらないのだ、だが、わしにだけばちがあたつてこの人には何のとがめもないといふのは、天が不公平だ、天のなさり方が片手落ちだ、と菊次さんは考へたのでありました。

 もうその先きく気がなくなつたので、菊次さんは杖をひいて家に帰りました。

 菊次さんは、仲間などなくて自分だけで不幸なめにあつたのだと思ふとさびしい気がしました。そして自分だけにばちをあたへた天をうらめしく思ひました。

 夕飯のときに、菊次さんはとうとうがまんできなくなつて、いつてしまひました。

「こげな、あほくさいことは、ねえだ。和尚さんもわしも同じことをして、わしだけ足がわるくなり、和尚さんはぴんぴんしてゐるぢやねえか。天はちつとばか、目がきかねえとしか思へねえ。」

 それをきくと、年とつたお母さんは、箸を持つた手と茶わんを持つた手を二つのひざの上において、

「お前は、何といふ心得違ひをしてをるだ。自分が悪いことをしておいて、天をうらむといふことがあるものかい。そんなことをいつて天をうらんでをつたとて、どうなるものでもないぞや。」

といひました。

 その夜、あんどうの火を消してから、菊次さんは、長い間、やみのなかで眼をあいてゐました。

 菊次さんの眼には黒い土が見えてゐました。その上にひとつかみのほの白いものが散らばつてゐました。それはこぼした米でした。たいせつな米でした。

 こぼした米のまぼろしを見てゐるうちに、とつぜん菊次さんには、自分にだけばちのあたつたわけがわかりました。

 ──菊次さんは百姓です。百姓だからお米をとるのにどれほど苦労がいるかを知つてゐます。そして又、苦労をしてとつたお米がどんなにおいしいかも知つてゐます。つまり米のねうち、ほんたうのねうちといふものをよく知つてゐます。その菊次さんが、米を足でふみつけたからばちがあたつたのです。ところで、和尚さんは百姓ではありません。口ではお米はありがたアいものだぞよ、などと説教はしても、米を作つたことがないから、米を作る苦労も、ほんたうの米のうまさも知らないのです。だから、知らずにしたことだから、米を踏みにじつても和尚さんにはばちがあたらなかつたのでせう。……

 菊次さんは、かうわかつて見ると、もう天をうらむ気はなくなりました。──かへつて天にお礼をいひたいやうに思ひました。──自分は米のねうちといふものを知つてゐるのです。和尚さんは人とうまれて、米のほんたうのねうちを知らないのです。

 それならば、足がばちで痛むことも悲しむ必要はありません。これは菊次さんが米のねうちを知つてゐる証拠ではありませんか。

「ほんたうに、すまなかつただ。ほんたうにすまなかつただ……。」

と菊次さんは、ほの白い米のまぼろしに向かつてわびました。それから、びつこをひきひき坂道を追つかけて来て、その一椀の米をとどけた年よりの百姓にもわびました。そして天にもわびました、地にもわびました。お母さんにもわびました。十五年前に死んだお父さんにもわびました。みんなに心の中でわびました。

 すると、次の朝、菊次さんは、左足から痛みがぬけてゐることに気がつきました。ただ中風の人のやうに、その足に力がはいりませんでした。だからそちらの足はひきずりひきずり歩かねばなりませんでした。痛みをとつてこれだけにしてくれたことに対しても、菊次さんはどれほど天にお礼をいつたか知れません。菊次さんはうまれかはつたやうに、美しい心になつてゐたのです。

 そしてその日から、年とつたお母さんのかはりに、前山へ麦ふみに出かけて行きました。



 それからのち菊次さんは、四十年も生きてゐました。そのあひだにはいろいろ変つたこともありました。明治の御維新で、今まで頭のうしろに結んでゐた丁髷ちよんまげをとつてしまひました。また街道をば、人を乗せて通つたかごがなくなり、そのかはりに人力車が走るやうになりました。けれど菊次さんが、貧しい百姓であることはいつまでもかはりませんでした。そして左の足が不具であることもかはりませんでした。

 長い生涯を、左足をひきずりひきずり、せつせと働いてだんだん年をとり、しわがより、とうとうある年の五月三日の午後に、菊次さんは死んだのであります。

 ところで同じその日の午前に、菊次さんと縁の深かつた雲華寺の和尚さんも死んだのでした。和尚さんは、菊次さんが思つたとほり運のつよい人であつたと見えて、べつだんびつこにもならずに、いつも元気で、顔をあぶら汗でてらてらさせながら、酒くさい息でお経をよんで、年をとり、死ぬ前の晩にも一升二合ばかりのんで、死ぬときは何の苦もなく、ころりと死んでしまつたのでありました。


 さて、ここまで私は元気よく話して来ましたが、これから先の話をするのは気がすすまないのです。あなたがたが信じてくれないだらうと思ふからであります。信じてくれないだけならいいが、ばかばかしくなつて笑ひだすのぢやないかと思ふのです。しかしまだ話は終つてゐないのですから、ここでやめてしまふわけにはいかないのであります。


 ……菊次さんは歩いてをりました。

 りやうがはに紫の菖蒲しやうぶの花が咲いてゐる長い路でありました。それはばかに長い路でありました。菊次さんはもうずゐぶん歩いて来たやうに思ふのですが、いつかう路がつきるやうすもありません。ふりかへつて見ると、歩いて来た路は、菖蒲の紫の花にふちどられてまつすぐにつづき、遠くなるほど細くなり、乳色のもやの中に消えこんでゐました。これから行かうとする方の路もまたさういふぐあひで、はては乳色のもやの中に消えこんでゐます。なにしろ奇妙な路であると思ひながら、菊次さんは歩いてをりました。

 うららかに日は照つてゐました。しかしお天道さんはどこにあるかと思つて、よく畑で仕事をしてゐて腹が空いて来たときするやうに、菊次さんがふりあふいで見ても、お天道さんといふものはどこにも見えないのでした。そして光だけがどこからといふことなく流れて来て、こころよくうららかでありました。自分の影を見ても、影らしいものがちつともないのには、菊次さんもおどろかされました。しかしかういつて自分を慰めながら菊次さんは歩いてゐました、「ところかはれば品かはる、だ。」

 菊次さんは、まだ自分がびつこをひいてゐることに気がつきました。そこでかうひとりごとをいひました、「わしは死んだはずだが、死んでもびつこなんてこたア生きてるときからかはらないと見える。」そしてそれは馬鹿らしいことであると思つたのであります。

 そのうちに、はるか先の方に人影が見えて来ました。どうやら路ばたの石にでも腰をかけて菊次さんを待つてゐるやうです。道連れができればたいそういいと思つて、菊次さんは急ぎはじめましたので、左足をひきずる音がやかましくしました。

 ちかづいて見ると、雲華寺の和尚さんでした。和尚さんは眠さうな眼で菊次さんを見るとかういひました

「どうか、その辺で水の湧く音がしとるが、菊さ、いつぱいんで来てくれ。わしア、昨夜酒をのみすぎて、まだ頭がぼんやりしてゐるんでのオ。」

 菊次さんは、へい、といつて、音をたよりに泉を探しにいきました。泉のそばには、よくしやばの泉のそばにあるやうに、小さいひしやくがおいてありました。これで見るとこの路も旅の人間が通り、のどがかわけばこの泉でうるほして行くのです。

 和尚さんが水をうまさうにのんでしまふと、二人は歩きはじめました。

「和尚さん、わしはさつきから、どうも変だ変だと思つてゐるのでございますがな。」

と菊次さんがいひました。

「何が。」

「どこまでいつても菖蒲が、かう両側に生えてゐますのイ。」

「うん。」

「これが、どうもわしにはに落ちませんので。仏様のくにへ行く路なら、何もかう菖蒲ばかり植ゑなくても。ちつとははすを植ゑたらどうかと思ふのですがのイ。」

「馬鹿なこといふもんぢやない。」

といつて和尚さんは眠いと見えて眼をとぢました。

「いや、ごめんなせえ。」

と菊次はすまないやうな顔をしました。

 しばらくすると菊次さんがまたいひました。

「わしは子供の時分から、菖蒲の花とあやめの花とかきつばたの花の区別が、どうしてもつかんのですが、こりやどうしたもんでござりませう。」

「お前はいくつまで生きてをつた。」

「へえ、七十三まで生きてをりました。」

「七十三。七十三年もしやばに生きてをつて、だね。」

「へえ。」

「それでまだ菖蒲とあやめとかきつばたの区別のつかんのは、だね。」

「へえ。」

「お前が馬鹿だからだよ。」

「ああ、さやうで。」

 こんなことをいひ出さねばよかつたと菊次さんは思ひました。

 もうだまつてゐようと思つて、菊次さんは口をつぐんで歩きました。菊次さんの左足をひきずる音だけが、ばたり、ばたりとしました。

 すると和尚さんが顔をしかめて、

「やかましいのオ。ちつと足をあげて歩けぬのかい。ほこりが立つてしやうがないぜ。」

といひました。

「へえ、まことにすみません。これでなるべくあげるやうにしてをりますだが。」

と菊次さんは、いたみいつてあやまりました。

「これで、わしらはどこへいくのでごぜえませう。」

と、しばらくして菊次さんがまたききました、「閻魔えんまさんの前へはどうせ行くでせうな。」

「うん。」

「わしは、お坊さん方とちがつて、えらい人の前に出ると口がきけなくなりますだ。閻魔さんの前では、ひとつわしのために、うまいことをいつてもらひたうござりますだ。」

「うん。まあ、できるだけうまくいつてやらう。しかしお前は生きてるときあまり寺参りしなかつたらう。」

「へえ。」

「寺へあまりお米や銭の寄進もしなかつたらう。」

「へえ、何しろ貧乏で、お寺参りするやうな暇もなけりや、お寺さんにあげるやうな銭も米もなかつたので。」

「そんな言ひわけは立つまい。」

「まことに申しわけありませんだ。」

と、菊次さんはまたあやまらねばなりませんでした。

「しやばでよくないことをしたものは、やつぱり地獄とやらへ行くのでござりますかな。」

と、菊次さんが、しばらくしてからまたききました。

「そりやさうだらう。」

と和尚さんは酒くさい息をはきながら、そつけなくいひました。

 菊次さんはそこで、しやばでしたいろいろなことを思ひだして見ました。ところが菊次さんは、米を踏みにじつたのをはじめとして、悪いことばかりを思ひ出すのでした。たとへば、越後から来た獅子舞ししまひの子供達にいろいろ芸当をさせたあとで、お銭があいにくないからといふので、そのまま追つぱらつてしまつたことだとか、畑から帰るとき土橋の下で猫のを拾つたが、とちゆうで、猫は生物だから物を喰べるといふことをおもひ出して、またもとの土橋の下へ捨てて来たこと、などであります。

 すると和尚さんも笑ひながら、自分がしやばでしたことを思ひ出して見ました。しかし和尚さんはまだお酒で頭がぼんやりしてゐるせゐか、米を菊次さんといつしよに踏んだことなどどうしても思ひ出せませんでした。そしてさすがにお坊さんだけあつて、りつぱな一生であつたといふことが、菊次さんに納得できたほど、和尚さんが思ひ出したのはよいことばかりでありました。

 これではとても和尚さんのお供をして、ごくらくとやらへはいけまい、と菊次さんは思つて情けなくなつたのであります。

「菊さ、あまり足をひきずらんでくれ。埃が立つてしやうがない。」

とまた和尚さんはいひました。

「へえ、申しわけござりません。」

と菊次さんはひたひの汗をぬぐひながらあやまりました。

「だが、和尚さんも片足ひきずつてござらつしやるだ。」

と菊次さんはつけたしました。

 その通りでありました。和尚さんもさつきから片足をひきずつてをりました。

「さういへば、こつちの足がどうやら痛むやうだ。」

と和尚さんは顔をしかめていひました。

 しばらくして和尚さんの足の痛みはひどくなつて来ました。

「和尚さん、わしに負ぶさつて下さりませ、なあに、年はとつても和尚さんの一人や二人は負へますだに。」

と菊次さんは自分の足のことも忘れて、和尚さんの前にしやがみました。

 そこで和尚さんは遠慮しませんでした。菊次さんの背中に負はれました。

 菊次さんは和尚さんの重みでよろけながらすすんで行きました。

 やがて向かふから人力車が一台やつて来たのです。

「ははあ、迎へにおいでなさつたな。うまいうまい、ゴム輪の人力車と来てゐる。」

と和尚さんはいひました。

「お迎ひに参りました。」

と、人力車をひいて来た男はいひました。

 そして、

「五月三日の午後死んだお方はどなたですか。」

とききました。

「五月三日の午前ぢやらう。わしはたしかひるまへに死んだやうな気がする。」

と和尚さんがいひました。

「いや、五月三日の午後ときいて参りましたが。そいぢや、雲華寺といふお寺の門前に住んでおいでになつたお方は?」

と人力ひきはききました。

「雲華寺のお寺の中のことでござりませう。」

と菊次さんがききかへしました。

「いや、たしか、門前とききましたが。」

と人力ひきはくびをかしげました。

「門内といふのを門前とききちがへて来たのだらう。」

と和尚さんは、もう車にのりかけていひました。

「そんなことはないつもりですが。」

と人力ひきはくびを起して反対側へかしげました。

「もつとしつかりきいて来なきや、だめぢやないか。」

と和尚さんは人力ひきを叱りつけて、どつしりと車に腰をおろしました。

 しかたがないので、人力ひきは、ながえを持つてひきはじめました。

 菊次さんは人力車のうしろからびつこをひきながらついていきました。そしてときどき、

「和尚さん、足はまだ痛みますか。」

ときくのでした。

 とうとう、路が右と左とにわかれてゐるところに来ました。そこにまた一人誰か立つてゐました。

 人力車がそばへいくと、

「百姓の菊次といふのはお前さんですか?」

と人力車の上の和尚さんにききました。

「いや、わしは雲華寺の和尚ぢや。百姓の菊次ならうしろからついて来るのがそれぢや。」

と和尚さんは答へました。

「それではまちがつてゐます。和尚さんは車からおりて下さい。菊次さんがのるのです。」

 すると和尚さんは怒つていひました。

「わしは足が痛いぢやないか。こんな足で歩かれると思ふか。」

「わしは百姓ですだ。いくらでも歩けますだ。人力車みたいなものにのるとかへつて気持が悪くなりますで、どうぞ和尚さんが乗つていかつしやるやうにねがひますだ。」

と菊次さんもたのみました。

 そこで、わかれみちに立つてゐた人は、しぶしぶ承知しました。だが、かういひました。

「菊次さんは右の方、和尚さんは左の方の路を行つて下さい。」

 それでは困る、と菊次さんはいひました。

「わしは、しやばではいつでも和尚さんのお供をさせて貰ひましただ。五十年の間いつぺんもかかさず米初穂や麦初穂のお供をしましただ。」

 しかし、いくら菊次さんが頼んでもこれだけは許してくれませんでした。

「さうですかな、」と菊次さんは力をおとしていひました。「考へて見りや、わしはしやばでわるいことばかりしましただ。お経一節ろくによめないやうなわしと、一生がい仏様につかへて来なさつた和尚さんと、同じところへ行けないのはあたりまへかも知れません。」

 そこで菊次さんと和尚さんはわかれました──菊次さんは右の路へ、人力車にのつた和尚さんは左の路へ。

 和尚さんは人力車にゆられていきました。しばらくして、ふりかへつて見ました。菊の馬鹿が名残を惜しんでこちらをまだ見てゐることだらう、と思つて。

 すると和尚さんはびつくりして眼を見はりました。

 向かふへとぼとぼと歩いていく菊次さんのからだが、さんらんと金色に輝いてゐたのであります。もう菊次さんはびつこをひいてはゐませんでした。年寄らしい歩きぶりでもありませんでした。それは絵や彫物でよく知つてゐる仏様のすがたでありました。……和尚さんは思はずその後姿に手をあはせました。

「ああ、」

と和尚さんはためいきをついていひました。

「今となつてはわかつたわい。あつちの路がごくらくへつづき、こつちの路がろくでもないところへつづいてゐることが……。」

 菊次さんのすすんでいく方の空は、美しい真珠の色に晴れわたつてゐました。

 和尚さんが自分の行手を見ると、そこには夕立でもあるのか、黒雲がむくむくとわだかまつて、その中にいなびかりがひらめいてゐました。

 ……また和尚さんの片足が痛みはじめたのであります。

底本:「日本児童文学大系 第二八巻」ほるぷ出版

   1978(昭和53)年1130日初刷発行

底本の親本:「花のき村と盗人たち」帝国教育会出版部

   1943(昭和18)年9

初出:「花のき村と盗人たち」帝国教育会出版部

   1943(昭和18)年9

入力:菅野朋子

校正:小林繁雄

2012年1031日作成

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