行乞記
(一)
種田山頭火



このみちや

いくたりゆきし

われはけふゆく


しづけさは

死ぬるばかりの

水がながれて


 九月九日 晴、八代町、萩原塘、吾妻屋(三五・中)


私はまた旅に出た、愚かな旅人として放浪するより外に私の行き方はないのだ。

七時の汽車で宇土へ、宿においてあつた荷物を受取つて、九時の汽車で更に八代へ、宿をきめてから、十一時より三時まで市街行乞、夜は餞別のゲルトを飲みつくした。

同宿四人、無駄話がとり〴〵に面白かつた、殊に宇部の乞食爺さんの話、球磨の百万長者の慾深い話などは興味深いものであつた。


 九月十日 晴、二百廿日、行程三里、日奈久温泉、織屋(四〇・上)


午前中八代町行乞、午後は重い足をひきずつて日奈久へ、いつぞや宇土で同宿したお遍路さん夫婦とまたいつしよになつた。

方々の友へ久振に──ほんたうに久振に──音信する、その中に、──

……私は所詮、乞食坊主以外の何物でもないことを再発見して、また旅へ出ました、……歩けるだけ歩きます、行けるところまで行きます。

温泉はよい、ほんたうによい、こゝは山もよし海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、──いや一生動きたくないのだが(それほど私は労れてゐるのだ)。


 九月十一日 晴、滞在。


午前中行乞、午後は休養、此宿は夫婦揃つて好人物で、一泊四十銭では勿躰ないほどである。


 九月十二日 晴、休養。


入浴、雑談、横臥、漫読、夜は同宿の若い人と共に活動見物、あんまりいろ〳〵の事が考へ出されるから。


 九月十三日 曇、時雨、佐敷町、川端屋(四〇・上)


八時出発、二見まで歩く、一里ばかり、九時の汽車で佐敷へ、三時間行乞、やつと食べて泊るだけいたゞいた。

此宿もよい、爺さん婆さん息子さんみんな深切だつた。

夜は早く寝る、脚気が悪くて何をする元気もない。


 九月十四日 晴、朝夕の涼しさ、日中の暑さ、人吉町、宮川屋(三五・上)


球磨川づたひに五里歩いた、水も山もうつくしかつた、筧の水を何杯飲んだことだらう。

一勝地で泊るつもりだつたが、汽車でこゝまで来た、やつぱりさみしい、さみしい。

郵便局で留置の書信七通受取る、友の温情は何物よりも嬉しい、読んでゐるうちにほろりとする。

行乞相があまりよくない、句も出来ない、そして追憶が乱れ雲のやうに胸中を右往左往して困る。……

一刻も早くアルコールとカルモチンとを揚棄しなければならない、アルコールでカモフラージした私はしみ〴〵嫌になつた、アルコールの仮面を離れては存在しえないやうな私ならばさつそくカルモチンを二百瓦飲め(先日はゲルトがなくて百瓦しか飲めなくて死にそこなつた、とんだ生恥を晒したことだ!)。

   呪うべき句を三つ四つ

 蝉しぐれ死に場所をさがしてゐるのか

・青葉に寝ころぶや死を感じつゝ

 毒薬をふところにして天の川

・しづけさは死ぬるばかりの水が流れて

熊本を出発するとき、これまでの日記や手記はすべて焼き捨てゝしまつたが、記憶に残つた句を整理した、即ち、

・けふのみちのたんぽゝ咲いた

・嵐の中の墓がある

 炭坑街大きな雪が降りだした

    □

・朝は涼しい草鞋踏みしめて

 炎天の熊本よさらば

・蓑虫も涼しい風に吹かれをり

 熊が手をあげてゐる藷の一切れだ(動物園)

・あの雲がおとした雨か濡れてゐる

・さうろうとして水をさがすや蜩に

・岩かげまさしく水が湧いてゐる

・こゝで泊らうつく〳〵ぼうし

・寝ころべば露草だつた

・ゆふべひそけくラヂオが物を思はせる

・炎天の下を何処へ行く

・壁をまともに何考へてゐた

・大地したしう投げだして手を足を

・雲かげふかい水底の顔をのぞく

・旅のいくにち赤い尿して

・さゝげまつる鉄鉢の日ざかり

単に句を整理するばかりぢやない、私は今、私の過去一切を清算しなければならなくなつてゐるのである、たゞ捨てゝも〳〵捨てきれないものに涙が流れるのである。

私もやうやく『行乞記』を書きだすことが出来るやうになつた。──

私はまた旅に出た。──

所詮、乞食坊主以外の何物でもない私だつた、愚かな旅人として一生流転せずにはゐられない私だつた、浮草のやうに、あの岸からこの岸へ、みじめなやすらかさを享楽してゐる私をあはれみ且つよろこぶ。

水は流れる、雲は動いて止まない、風が吹けば木の葉が散る、魚ゆいて魚の如く、鳥とんで鳥に似たり、それでは、二本の足よ、歩けるだけ歩け、行けるところまで行け。

旅のあけくれ、かれに触れこれに触れて、うつりゆく心の影をありのまゝに写さう。

私の生涯の記録としてこの行乞記を作る。

………………


 九月十五日 曇后晴、当地行乞、宿は同前。


けふはずゐぶんよく歩きまはつた、ぐつたり労れて帰つて来て一風呂浴びる、野菜売りのおばさんから貰つた茗荷を下物に名物の球磨焼酎を一杯ひつかける、熊本は今日が藤崎宮の御神幸だ、飾馬のボシタイ〳〵の声が聞えるやうな気がする、何といつても熊本は第二の故郷、なつかしいことにかはりはない。

あはれむべし、白髪のセンチメンタリスト、焼酎一本で涙をこぼす!

この宿はよい、若いおかみさんがよい、世の中に深切ほど有効なものはない、それにしても同宿の支那人のやかましさはどうだ、もつと小さい声でチイ〳〵パア〳〵やればよいのに。

鮮人はダラシがないことは日本人同様、ツケアガルことは日本人以上、支那人は金貯め人種だ、行商人の中で酒でも飲んでゐる支那人をみたことがない。

昨夜は三時まで読書、今夜もやつぱり寝つかれないらしい。


 九月十六日 曇、時雨、人吉町行乞、宮川屋(三五・上)


けふもよく辛抱した、行乞相は悪くなかつたけれど、それでも時々ひつかゝつた、腹は立てないけれど不快な事実に出くわした。

人吉で多いのは、宿屋、料理屋、飲食店、至るところ売春婦らしい女を見出す、どれもオツペシヤンだ、でもさういふ彼女らが普通の人々よりも報謝してくれる、私は白粉焼けのした、寝乱れた彼女からありがたく一銭銅貨をいたゞきつゝ、彼女らの幸福を祈らずにはゐられなかつた、──不幸な君たち、早く好きな男といつしよになつて生の楽しみを味はひたまへ!

今夜はさびしい、広い二階に飴売の若い鮮人と二人きりである、彼は特におとなしい性質で好感が持てる、田舎まはりの仲買人から、百姓衆の窮状を聞かされた、此旧盆を迎へかねた家が多いさうな、此辺の山家では椎茸は安いし繭は安いし、どうにもやりきれないさうな、桑畑をつぶしてしまひたいけれど、役場からの慰撫によつて、やつと見合せてゐるさうな、また日傭稼人は朝から晩まで汗水垂らして、男で八十銭、女で五十銭、炭を焼いて一日せい〴〵二十五銭、鮎(球磨川名産)を一生懸命釣つて日収七八十銭、──なるほど、それでは死なゝいだけだ、生きてゐる楽しみはない、──私自身の生活が勿躰ないと思ふ。

向ひのラヂオが賑かだ、どこからかジヤズのリコードが響いてくる、ジヤズ〳〵ダンス〳〵、田舎の人々でさへもう神経衰弱になつてゐる。

都会のゴシツプに囚はれてはゐなかつたか、私はやつぱり東洋的諦観の世界に生きる外ないのではないか、私は人生の観照者だ(傍観者であらざれ)、個から全へ掘り抜けるべきではあるまいか(たまたま時雨亭さんの来信に接して考へさせられた)。

鰯の新らしいのを宿のおかみさんに酢漬にして貰つて一本いたゞく、鰯が五銭、酢醤油が二銭、焼酎が十三銭。

一昨夜も昨夜も寝つかれなかつた、今夜は寝つかれるいゝが、これでは駄目だ、せつかくアルコールに勝てゝも、カルモチンに敗けては五十歩百歩だ。

二三句出来た、多少今までのそれらとは異色があるやうにも思ふ、自惚かも知れないが。──

・かな〳〵ないてひとりである

 一すぢの水をひき一つ家の秋

・焼き捨てゝ日記の灰のこれだけか

今日は行乞中悲しかつた、或る家で老婆がよち〳〵出て来て報謝して下さつたが、その姿を見て思はず老祖母を思ひ出し泣きたくなつた、不幸だつた──といふよりも不幸そのものだつた彼女の高恩に対して、私は何を報ひたか、何も報ひなかつた、たゞ彼女を苦しめ悩ましたゞけではなかつたか、九十一才の長命は、不幸が長びいたに過ぎなかつたのだ(彼女の老耄と枝柿との話は哀しい)。


 九月十七日 曇、少雨、京町宮崎県、福田屋(三〇・上)


今にも降り出しさうな空模様である、宿が落着いてゐるので滞在しようかとも思ふたが、金の余裕もないし、また、ゆつくりすることはよくないので、八時の汽車で吉松まで行く(六年前に加久藤越したことがあるが、こんどは脚気で、とてもそんな元気はない)、二時間ばかり行乞、二里歩いて京町、また二時間ばかり行乞、街はづれの此宿に泊る、豆腐屋で、おかみさんがとてもいゝ姑さんだ。

こゝには熱い温泉がある、ゆつくり浸つてから、焼酎醸造元の店頭に腰かけて一杯を味ふ(藷焼酎である、このあたり、焼酎のみでなく、すべてが宮崎よりも鹿児島に近い)。

このあたりは山の町らしい、行乞してゐると、子供がついてくる、旧銅貨が多い、バツトや胡蝶が売り切れてゐない。

人吉から吉松までも眺望はよかつた、汽車もあえぎ〳〵登る、桔梗、藤、女郎花、萩、いろんな山の秋草が咲きこぼれてゐる、惜しいことには歩いて観賞することが出来なかつた。

なんぼ田舎でも山の中でも、自動車が通る、ラヂオがしやべる、新聞がある、はやり唄が聞える。……

宮崎県では旅人の届出書に、旅行の目的を書かせる、なくもがなと思ふが、私は「行脚」と書いた、いつぞや、それについて巡査に質問されたことがあつたが。

今日出来た句の中から、──

 はてもない旅の汗くさいこと

・このいたゞきに来て萩の花ざかり

 山の水はあふれ〳〵て

・旅のすゝきのいつ穂にでたか

・投げ出した足へ蜻蛉とまらうとする

 ありがたや熱い湯のあふるゝにまかせ

此地は県政上は宮崎に属してゐるが、地理的には鹿児島に近い、言葉の解り難いのには閉口する。

藷焼酎をひつかけたので、だいぶあぶなかつたが、やつと行き留めた、夜はぐつすり寝た、おかげで数日来の睡眠不足を取りかへした、南無観世音菩薩。


 九月十八日 雨、飯野村、中島屋(三五・中)


濡れてこゝまで来た、午後はドシヤ降りで休む、それでも加久藤を行乞したので、今日の入費だけはいたゞいた。

此宿は二階がなく相客も多く、子供が騒ぎ立てるのでかなりうるさくてきたない、それにしても昨日の宿はほんとうによかつた、何もかも一切がよかつた、上の上だつた。

・濡れてすゞしくはだしで歩く

・けふも旅のどこやらで虫がなく

 ひとり住んで蔦を這はせる

 身に触れて萩のこぼるゝよ

朝湯はうれしかつた、早く起きて熱い中へ飛び込む、ざあつと溢れる、こん〳〵と流れてくる、生きてゐることの楽しさ、旅のありがたさを感じる、私のよろこびは湯といつしよにこぼれるのである。

けふは今にも噛みつくかと思ふほど大きな犬に吠えられた、それでも態度や音声のかはらなかつたのは自分ながらうれしかつた、その家の人々も感心してくれたらしい、犬もとう〳〵頭を垂れてしまつた。

同宿の人が語る『酒は肥える、焼酎は痩せる』彼も亦アル中患者だ、アルコールで自分をカモフラージしなくては生きてゆけない不幸な人間だ。

鮮人か内地人か解らないほど彼は旅なれてゐた、たゞ争はれないのは言葉のアクセントだつた。

同宿の人は又語る『どうせみんな一癖ある人間だから世間師になつてゐるのだ』私は思ふ『世間師は落伍者だ、強気の弱者だ』

流浪人にとつては食べることが唯だ一つの楽しみとなるらしい、彼等がいかに勇敢に専念に食べてゐか、その様子を見てゐると、人間は生きるために食ふのぢやなくて食ふために生きてゐるのだとしか思へない、実際は人間といふものは生きることゝ、食ふことゝは同一のことになつてしまうまでのであらうが。

とにかく私は生きることに労れて来た。


 九月十九日 晴、小林町、川辺屋(四〇・中)


いかにも秋らしいお天気である、心もかろく身もかろく午前中三時間、駅附近を行乞する、そして十二時の汽車で小林町へ、また二時間行乞。

此宿は探しまはつて探しあてたゞけあつてよかつた、食べものは近来にないまづさであるが、一室一燈を占有してゐられるのが、私には何よりうれしい。

夜はだいぶ飲んだ、無何有郷を彷徨した、アルコールがなくては私の生活はあまりにさびしい、まじめですなほな私は私自身にとつてはみじめで仕方がない。


 九月廿日 晴、同前。


小林町行乞、もう文なしだからおそくまで辛抱した、かうした心持をいやしいとは思ふが、どうしようもない、もつとゆつたりとした気分にならなければ嘘だ、けふの行乞はほんとうにつらかつた、時々腹が立つた、それは他人に対するよりも自分に対しての憤懣であつた。

夜はアルコールなしで早くから寝た、石豆腐(此地方の豆腐は水に入れてない)を一丁食べて、それだけでこぢれた心がやわらいできた。

このあたりはまことに高原らしい風景である、霧島が悠然として晴れわたつた空へ盛りあがつてゐる、山のよさ、水のうまさ。

西洋人は山を征服しようとするが、東洋人は山を観照する、我々にとつては山は科学の対象でなくて芸術品である、若い人は若い力で山を踏破せよ、私はぢつと山を味ふのである。

・かさなつて山のたかさの空ふかく

 霧島に見とれてゐれば赤とんぼ

 朝の山のしづかにも霧のよそほひ

 チヨツピリと駄菓子ならべて鳳仙花

 旅はさみしい新聞の匂ひかいでも

 山家明けてくる大粒の雨

 重荷おもかろ濃き影ひいて人も馬も

 朝焼け蜘蛛のいとなみのいそがしさ

・泣きわめく児に銭を握らし

 蒸し暑い日の盗人つかまへられてしまつた

 こんなにたくさん子を生んではだか

 死にそこなつて虫を聴いてゐる


 九月廿一日 曇、雨、彼岸入、高崎新田、陳屋(四〇・上)


九時の汽車で高原へ、三時間行乞、そして一時の汽車で高崎新田へ、また三時間行乞。

高原も新田も荒涼たる村の町である、大きな家は倒れて住む人なく、小さい家は荒れゆくまゝにして人間がうようよしてゐる、省みて自分自身を恥ぢ且つ恐れる。

霧島は霧にかくれて赤とんぼ

病人連れて秋雨のプラツトホーム

霧島は霧にかくれて見えない、たゞ高原らしい風が法衣を吹いて通る、あちらを見てもこちらを見ても知らない顔ばかり、やつぱりさびしいやすらかさ、やすらかなさびしさに間違いない。

此宿は満員だといふのを無理に泊めて貰つた、よかつた、おばあさんの心づくしがうれしい。

此宿のおかみさんは感心だ(今の亭主は後入らしい)、息子を商業学校に、娘を女学校にやつてゐる、しかし息子も娘もあまりよい出来ではないらしいが。

今の旅のヱピソードとしては特種があつた。──

小林駅で汽車を待合してゐると、洋服の中年男が近づいてきた、そしていやににこ〳〵して、いつしよに遊ばうといふ、私が菩提銭を持つてゐると思つたのか、或は遊び仲間によ□□思つたのか、とにかく、奇怪な申出である、あまりしつこいので断るに困つた、──何と旅はおもしろい事がある!


 九月廿二日 晴、曇、都城市、江夏屋(四〇・中)


七時出立、谷頭まで三里、道すがらの風光をたのしみながら歩く、二時間行乞、例の石豆腐を食べる、庄内町まで一里、また三時間行乞、すつかりくたぶれたけれど、都城留置の手紙が早くみたいので、むりにそこまで二里、暮れて宿についた、そしてすぐまた郵便局へ、──友人はありがたいとしみ〴〵思つた。

けふはぞんぶんに水を飲んだ、庄内町の自動車乗場の押揚ポンプの水はよかつた、口づけて飲む山の水には及ばないけれど。

こゝへ来るまでの道で逢つた学校子供はみんなはだしだつた、うれしかつた、ありがたかつた。

けふもまた旅のヱピソードの特種一つ、──宿をさがして急いでゐるうちにゆきあつた若い女の群、その一人が『あう』といふ、熊本のカフヱーでみたことのある顔だ、よく覚えてゐましたね、いらつしやいといひましたね、さてあなたはどこでしたかね。

同宿十余人、同室一人、隣室二人、それ〴〵に特徴がある、虚無僧さんはよい、ブラ〳〵さんもわるくない、坊さんもわるくない、少々うるさいけれど。


 九月廿三日 雨、曇、同前。


八時から二時まで都城の中心地を行乞、こゝは市街地としてはなか〳〵よく報謝して下さるところである。

今日の行乞相はよかつた、近来にない朗らかさである、この調子で向上してゆきたい。

一杯二杯三杯飲んだ(断つておくが藷焼酎だ)、いゝ気持になつて一切合切無念無想。

   きのふけふのぐうたら句

 糸瓜の門に立つた今日は(子規忌)

・旅の宿の胡椒のからいこと

羽毛ハネむしるトリはまだ生きてゐるのに

・しんじつ秋空の雲はあそぶ

 あかつきの高千穂は雲かげもなくて

 お信心のお茶のあつさをよばれる

 芋虫あつい道をよこぎる

 竹籔の奥にて牛が啼いてるよ

・露でびつしより汗でびつしより

夜は教会まで出かけて、本間俊平氏の講演を聴く喜びにあつたが、しかし幻滅でないとはいへなかつた、予期したよりも世間並過ぎ上手過ぎてゐはしないだらうか、私は失礼とは思つたが中座した。

やつぱり飲み過ぎた、そして饒舌り過ぎた、どうして酒のうまさと沈黙の尊さと、そして孤独のよろしさとに徹しえないのだ。

同宿の坊さんはなか〳〵の物知りである、世間坊主としては珍らしい、たゞ物を知つてゐて物を味はつてゐない、酒好きで女好きで、よく稼ぎもするがよく費ひもする、もう一人の同宿老人は気の毒な身の上らしい、小学校長で敏腕家の弟にすがりつくべくあせつてゐる、煙草銭もないらしい一服二服おせつたいしてあげた。

酔ふた気分は、といふよりも酔うて醒めるときの気分はたまらなく嫌だけれど、酔ふたゝめに睡れるのはうれしい、アルコールをカルモチンやアダリンの代用とするのはバツカスに対して申訳ないが。


 九月廿四日 晴、宿は同前。


藷焼酎のたゝりで出かけたくないのを無理に草鞋を穿く、何といふウソの生活だ、こんなウソをくりかへすために行乞してゐるのか、行乞してゐて、この程度のウソからさへ脱離しえないのか。

昼食の代りにお豆腐をいたゞく、そして幾度も水を飲んだ、そのおかげで、だいぶ身心が軽くなつた。

今日は彼岸の中日、願蔵寺といふかなり大きな寺院の境内には善男善女がたくさん参詣してゐた、露店も五六あつた、私はそこでまたしても少年時代を思ひ起して、センチになつたことを白状する。

・投げ与へられた一銭のひかりだ

・馬がふみにじる草は花ざかり

朝一杯、昼一杯、晩一杯、一杯一杯また一杯で一杯になつてしまふのだらう。

心境はうつりかはつてゆく、しかしなか〳〵ひらけない、水は流れるまゝに流れてゆけ。

けふも旅のヱピソード──行乞漫談の材料が二つあつた、或るカフヱーに立つ、女給二三人ふざけてゐてとりあはない、いつもならばすぐ去るのだけれど、こゝで一つ根くらべをやるつもりで、まあユーモラスな気分で観音経を読誦しつゞけた、半分ばかり読誦したとき、彼女の一人が出て来て一銭銅貨を鉄鉢に入れやうとするのを『ありがたう』といつて受けないで『もういたゞいたもおなじですから、それは君にチツプとしてあげませう』といつたら、笑つてくれた、私も笑つた、少々嫌味だけれど、ナンセンスの一シーンとしてはどうだらうか、もう一つの話は、お寺詣りのおばあさんが、行きずりに二銭下さつた、見るとその一つは黒つぽくなつた五銭の旧白銅貨である、呼びとめてお返しするとおばあさん喜んで外の一銭銅貨を二つ下さつた、彼女も嬉しさうだつたが、私も嬉しかつた。

今晩は特別の下好物として鰯と茗荷とを買つた、焼鰯五尾で弐銭、茗荷三つで一銭、そして醤油代が一銭、合計四銭の御馳走也。


 九月廿五日 雨、宮崎市、京屋(三五・上)


たいして降りさうもないので朝の汽車に乗つたが、とう〳〵本降りになつた、途中の田野行乞もやめて一路宮崎まで、そして杉田さんを訪ねたが旅行中で会へない、更に黒木さんを訪ねて会ふ、それからこゝへ泊る。

けふは雨で散々だつた、合羽を着けれど、草鞋のハネが脚絆と法衣をメチヤクチヤにした、宿の盥を借りて早速洗濯する、泣いても笑つても、降つても照つても独り者はやつぱり独り者だ。

こゝは水が悪いので困る、便所の汚ないのにも閉口する、座敷は悪くない、都城でのはれ〴〵しさはないけれど。

列車内で乗越切符書換してくれた専務車掌さんには好感が持てた、どこといつていひどころのないよさがあつた、禅の話は好きで得るところが多いなどゝも語つた。

宮崎県の文化はたしかに後れてゐる、そして道を訊ねても教へ方の下手、或は不深切さが早敢ない旅人を寂しがらせる、たゞ町名標だけは間違ひなく深切だつたが。

隣室の若夫婦、逢うて直ぐ身の上話を初める、失敗つゞきの不運をかこつ、彼等は襤褸を着て故郷に帰つたところだ、まあ、あまり悲観しないで運のめぐつてくるをお待ちなさい、などゝ、月並の文句を云つて慰める。

雨そのものは悪くないけれど、雨の窓でしんみりと読んだり考へたりすることは好きだけれど、雨は世間師を経済的に苦しめる、私としては行乞が出来ない、今日も汽車賃八十銭、宿料五十銭、小遣二三十銭は食ひ込みである、幸にして二三日前からの行乞で、それだけの余裕はあつたけれど。

子供が泣く、ほんたうに嫌だ、私は最も嫌ひなものとしては、赤子の泣声を或る人の問に答へたことがある。

夜になつて、紅足馬、闘牛児の二氏来訪、いつしよに笑楽といふ、何だか固くるしい料理屋へゆく、私ひとりで飲んでしやべる、初対面からこんなに打ち解けることが出来るのも層雲のおかげだ、いや俳句のおかげだ、いや〳〵、お互の人間性のおかげだ! だいぶおそくなつて、紅足馬さんに送られて帰つて来た、そしてぐつすり寝た。

旅のヱピソードの一つとして、庄内町に於ける小さい娘の児の事を書き添へておかう、彼女はそこのブルの秘蔵娘らしかつた、まだ学齢には達しないらしいけれど、愛嬌のある茶目子だつた、私が家の前に立つと、奥へとんでいつて一銭持つてきてくれた、そして私に先立つて歩いて家々のおくさんを探し出しては一銭を貰つてきてくれた、附添の女中も何ともすることが出来ない、私はありがたいやら、おかしいやらで、微苦笑しつゝ行乞をつゞけた。

草鞋の時代錯誤的価値、──草鞋を探し求める時にはいつもこんな事を考へる、けふも同様だつた。

此宿でも都城でも小林でも晩飯にきつとお汁を添へる、山家、或は田舎ではさういふやり方らしい(朝は無論どこでも味噌汁だ)。


 九月廿六日 晴、宿は同前。


九時から三時まで、本通りの橘通を片側づゝ行乞する、一里に近い長さの街である、途中闘牛児さんを訪ねてうまい水を飲ませて貰ふ。

宮崎は不景気で詰らないと誰もがいつてゐたが、私自身の場合は悪くなかつた、むしろよい方だつた。

夜はまた招かれて、闘牛児さんのお宅で句会、飲み食ふ会であつた、紅足馬、闘牛児、蜀羊星(今は故人)みんな家畜に縁のある雅号である、牛飲馬食ですなどゝいつて笑ひ合つた。

昨日はあれほど仲のよかつた隣室の若夫婦が、今日は喧嘩して奴鳴つたり殴つたりしてゐる、それを聞くのが嫌なので、運悪く仲裁でもしなければならないやうになつては困るので早々湯屋へゆき、ぶら〳〵散歩する。

 秋暑い窓の女はきちがひか

 物思ふ雲のかたちのいつかかはつて

 草を草鞋をしみ〴〵させるほどの雨

 うまい匂ひが漂ふ街も旅の夕ぐれ

 傾いた屋根の下で旅日記書いてゐる

・蚤が寝せない旅の星空

こゝの名物、地酒を少し飲む、肥後の赤酒と同種類のものである、口あたりがよくて酔ふことも酔ふらしい、私には一杯でたくさんだつた、(地酒に対して清酒を上方酒といつてゐる)。


 九月廿七日 晴、宿は同前、宮崎神宮へ。


今日は根気よく市街を行乞した、おかげで一日や二日、雨が降つても困らないだけの余裕が出来た。

帰宿したのが四時、すぐに湯屋へ、それから酒屋へ、そしてぶら〳〵と歩いて宮崎神宮へ参拝した、樹木が若くて社殿は大きくないけれど、簡素な日本趣味がありがたかつた。

この町の名物、大盛うどんを食べる、普通の蕎麦茶碗に一杯盛つてたつた五銭、お代りするのはよつぽど大きな胃の腑だ、味は悪くもなければ良くもない、とにかく安い、質と量とそして値段と共に断然他を圧してゐる、いつも大入だ。

夜はまた作郎居で句会、したゝか飲んだ、しやべりすぎた、作郎氏とはこんどはとても面接の機があるまいと思つてゐたのに、ひよつこり旅から帰られたのである、予想したやうな老紳士だつた、二時近くまで四人で過ごした。


 九月廿八日 曇后晴、生目社へ。


お昼すぎまで大淀──大淀川を東に渡つたところの市街地──を行乞してから、誰もが詣る生目様へ私も詣つた、小つぽけな県社に過ぎないけれど、伝説の魅力が各地から多くの眼病患者を惹きつけてゐる、私には境内にある大楠大銀杏がうれしかつた、つく〳〵ぼうしが忙しくないてゐたのが耳に残つてゐる、帰途は近道を教へられて高松橋(渡し銭三銭)を渡り、景清公御廟所といふのへ参詣する、人丸姫の墓もある(景清の墓石は今では堂内におさめてある、何しろ眼薬とすべく、その墓石を削り取る人が多くて困つたので)。

今日はしつかり労れた、六里位しか歩かないのだが、脚気がまた昂じて、足が動かなくなつてしまつた、暮れて灯されてから宿に帰りついた、すぐ一風呂浴びて一杯やつて寝る。

また一つ旅のヱピソード、──この宿は子沢山で、ちよつと借りて穿くやうな下駄なんぞありやしない、やうやく自分で床下からチグハグなのを片足づゝ探し出したが、右は黒緒の焼杉、左は白緒の樫、それも歩いてゐるうちに、鼻緒も横も切れてしまつて、とう〳〵跣足にならなければならなかつた。

大淀の丘に登つて宮崎平原を見おろす、ずゐぶん広い、日向の丘から丘へ、水音を踏みながら歩いてゆく気分は何ともいへないものがあつた、もつともそれは五六年前の記憶だが。

昨日、篤信らしい老人の家に呼び入れて、彼岸団子をいたゞいたこと、小豆ぬり、黄粉ぬり、たいへんおいしかつたことを書き漏らしてゐた、かういふ場合には一句なければならないところだ。

これは闘牛児さんの話である、氏の宅の井戸水はおつとりとした味を持つてゐる、以前は近隣から貰ひにくるほどの水だつたさうなが、厳父がヨリよい水を求めて掘り下げて却つてよくない水としたさうな、そしてまたそれを砂利で浅くして、やうやくこれだけの水が出るやうになつたとのことである、このあたりは水脉が浅いらしい、とにかく、掘りさげて水が悪くなつたといふ事実は或る暗示を与へる、どん底まで掘ればいゝが、生半端に掘つたところよりも、むしろ浅いところによい水が湧くこともあるといふことは知つておくがよからう。

けふは大淀駅近くの、アンテナのある家で柄杓に二杯、生目社の下で一杯、景清廟の前で二杯、十分に水を飲んだことである。

   途上即事

 笠の蝗の病んでゐる

・死ぬるばかりの蝗を草へ放つ

 放ちやる蝗うごかない

今夜同宿の行商人は苦労人だ、話にソツがなくてウルホヒがある、ホントウの苦労人はいゝ。


 九月廿九日 晴、宿は同前、上印をつけてあげる。


気持よく起きて障子を開けると、今、太陽の昇るところである、文字通りに「日と共に起き」たのである、或は雨かと気遣つてゐたのに、まことに秋空一碧、身心のすが〳〵しさは何ともいへない、食後ゆつくりして九時から三時まで遊楽地を行乞、明日はいよ〳〵都会を去つて山水の間に入らうと思ふ、知人俳友にハガキを書く。

此宿は座敷も賄も、夜具も待遇もよいけれど、子供がうるさく便所の汚いのが疵だ、そしていかにも料理がまづい、あれだけの材料にもう少しの調理法を加へたならばどんなに客が満足することだらう。

今日の行乞中に二人、昨日は一人の不遜な中年女にでくわした、古い型の旧式女性から、女のしほらしさ、あたゝかさ、すなほさを除いて、何が残るか!

子供が声張りあげて草津節をうたつてゐる、「草津よいとこ一度はおぢやれ、お湯の中にも花が咲く」チヨイナ〳〵、ほんとうにうまいものである、私はぢつとそれに耳を傾けながら物思ひに耽つてゐるのである、──此間の年数五十年相経ち申し候だらうな。

両手が急に黒くなつた、毎日鉄鉢をさゝげてゐるので、秋日に焼けたのである、流浪者の全身、特に顔面は誰でも日に焼けて黒い、日に焼けると同時に、世間の風に焼けるのである、黒いのはよい、濁つてはかないない。

行乞中、しば〳〵自分は供養をうけるに値しないことを感ぜざるをえない場合がある、昨日も今日もあつた、早く通り過ぎるやうにする、貧しい家から全財産の何分一かと思はれるほど米を与へられるとき、或はなるたけ立たないやうにする仕事場などで、主人がわざ〳〵働く手を休ませて蟇口を探つて銅貨の一二□を鉄鉢に投げ入れてくれるとき。……

同宿の修行遍路──いづれ炭坑夫などのドマグレで、からだには鯨青のあとがある手合だらう──酔ひしれて、宿のものを手古摺らし同宿人の眉を顰めさせてゐる、此地方では酔うて管を巻くことを山芋を掘るといふ、これも面白い言葉である。

言葉といへば此辺の言葉はアクセントが何だか妙で、私には解らないことが多い、言葉の解らない寂しさ、それも旅人のやるせなさの一つである。


 九月三十日 秋晴申分なし、折生迫、角屋(旅館・中)


いよ〳〵出立した、市街を後にして田園に踏み入つて、何となくホツとした気持になる、山が水が、そして友が私を慰めいたはり救ひ助けてくれる。

こゝまで四里の道すがら行乞したが、すつかり労れてしまつた、おまけにボクチンに泊りそこなつて(あのボクチンのマダムは何といふ無智無愛嬌だつたらう)旅館に泊つた、一室一燈を占有して、のんびりと読んだり書いたりする、この安らかさは、二十銭三十銭には代へられない、此宿はかなり広い家だが、お客さんとしては私一人だ、主人公も家内もみな好人物だけれど、不景気風に吹きまくられてゐるらしい。

青島を見物した、檳榔樹が何となく弱々しく、そして浜万年青がいかにも生々してゐたのが印象として残つてゐる、島の井戸──青島神社境内──の水を飲んだが、塩気らしいものが感じられなかつた──その水の味もまた忘れえぬものである。

久しぶりに海を見た、果もない大洋のかなたから押し寄せて砕けて、白い波を眺めるのも悪くなかつた(宮崎の宿では毎夜波音が枕にまで響いた、私は海の動揺よりも山の閑寂を愛するやうになつてゐる)。

今日、途上で見たり聞いたり思ひついたりしたことを書きつけておかう、昔の客馬車をそのまゝ荷馬車にして老人が町から村へといろ〳〵の雑貨を運んでゐた、また草原で休んでゐると、年とつたおかみさんがやつてきて、占い(ウラカタ)はしないかといふ、また、或る家で、うつくしいキジ猫二匹を見た、撫でゝやりたいやうな衝動を感じた。

今日、求めた草鞋は(此辺にはあまり草鞋を売つてゐない)よかつた、草鞋がしつくりと足についた気分は、私のやうな旅人のみが知る嬉しさである、芭蕉は旅の願ひとしてよい宿とよい草鞋とをあげた、それは今も昔も変らない、心も軽く身も軽く歩いて、心おきのない、情のあたゝかい宿におちついた旅人はほんとうに幸福である。

いはゞ草鞋は時代錯誤的な履物である、そこに時代錯誤的な実益と趣味とが隠されてゐる。

このあたりの山も海もうつくしい、水も悪くない、ほんの少しの塩分を含んでゐるらしい、私のやうな他郷のものにはそれが解るけれど、地の人々には解らないさうだ、生れてから飲みなれた水の味はあまり飲みなれて解らないものらしい、これも興味のある事実である。

夜おそくなつて、国勢調査員がやつてきて、いろ〳〵訊ねた、先回の国勢調査は味取でうけた、次回の時には何処で受けるか、或は墓の下か、いや、墓なぞは建てゝくれる人もあるまいし、建てゝ貰ひたい望みもないから、野末の土くれの一片となつてしまつてゐるだらうか、いや〳〵まだ〳〵業が尽きないらしいから、どこかでやつぱり思ひ悩んでゐるだらう。

元坊にあげたハガキに、──とにかく俳句(それが古くても新しくても)といふものはやつぱり夏爐冬扇ですね、またそれで十分ぢやありませんか、直接其場の仕事に役立たないところに俳句のよさがあるのではないでせうか、私共はあまり考へないでその時その時の感動を句として表現したいと思ひます。

 夕日まぶしい銅像を仰ぐ

 涸れはてゝ沼底の藻草となつてしまつて

 波の音たえずしてふる郷遠し

 波音遠くなり近くなり余命いくばくぞ

 お茶を下さる真黒な手で

   青島即事

・白浪おしよせてくる虫の声


 十月一日 曇、午后は雨、伊比井、田浦といふ家(七〇・中)


よう寝られて早う眼が覚めた、音のしないやうに戸を繰つて空を眺める、雨かも知れない、しかし滞留は財布が許さない、九時から十一時まで、そこらあたりを行乞、それから一里半ほど内海ウチウミまで歩く、峠を登ると大海にそうて波の音、波の色がたえず身心にしみいる、内海についたのは一時、二時間ばかり行乞する、間違ひなく降り出したので教へられた家を尋ねて一泊を頼んだが、何とか彼とかいつて要領を得ない(田舎者は、yes no をはつきりいはない)、思ひ切つて濡れて歩むことまた一里半、こゝまで来たが、安宿は満員、教へられてこの家に泊めて貰ふ、この家も近く宿屋を初めるつもりらしい、投込だから木賃よりもだいぶ高い、しかし主人も妻君も深切なのがうれしかつた、何故だか気が滅入りこんでくるので、藷焼酎三杯ひつかけて、ぐつすりと寝てしまつた。

労れて宿に着いて、風呂のないのは寂しくもあり嫌でもある、私は思ふ、日本人には入浴ほど安価な享楽はない。

朝夕の涼しさ、そして日中の暑さ。

今日此頃の新漬──菜漬のおいしさはどうだ、ことに昨日のそれはおいしかつた、私が漬物の味を知つたのは四十を過ぎてからである、日本人として漬物と味噌汁と(そして豆腐と)のうまさを味はひえないものは何といふ不幸だらう(さういふ不幸は日本人らしい日本人にはないけれど)。

酒のうまさを知ることは幸福でもあり不幸でもある、いはゞ不幸な幸福であらうか、『不幸にして酒の趣味を解し……』といふやうな文章を読んだことはないか知ら、酒飲みと酒好きとは別物だが、酒好きの多くは酒飲みだ、一合は一合の不幸、一升は一升の不幸、一杯二杯三杯で陶然として自然人生に同化するのが幸福だ(こゝでまた若山牧水、葛西善蔵、そして放哉坊を思ひ出さずにはゐられない、酔うてニコ〳〵するのが本当だ、酔うて乱れるのは無理な酒を飲むからである)。

今日、歩きつゝつく〴〵思つたことである、──汽車があるのに、自動車があるのに、歩くのは、しかも草鞋をはいて歩くのは、何といふ時代おくれの不経済な骨折だらう(事実、今日の道を自動車と自転車とは時々通つたが、歩く人には殆んど逢はなかつた)、然り而して、その馬鹿らしさを敢て行ふところに、悧巧でない私の存在理由があるのだ。

自動車で思ひ出したが、自動車は埃のお接待をしてくれる、摂取不捨、何物でも戴かなければならない私は、法衣に浴せかけられた泥に向つても合掌しなければならないのだらう。

今日の特種としては、見晴らしのいゝ路傍に蹇車を見出した事だつた、破れ着物を張りまはした中から、ぬつと大きな汚ない足が一本出てゐた(その片足は恐らく見るかげもなく頽れてしまつてゐるのだらう)、彼は海と山との間に悠々として太平の夢を楽しんでゐるのだ、『おい同行さん』とその乞食君(私としては呼び捨てには出来ない)に話しかけたかつたが彼の唯一の慰めともいふべき睡眠を妨げることを恐れて、黙つて眺めて通り過ぎたが。

 泊めてくれない村のしぐれを歩く

 こゝろつかれて山が海がうつくしすぎる

 岩のあひだにも畠があつて南瓜咲いてる

・波音の稲がよう熟れてゐる

・蕎麦の花にも少年の日がなつかしい

 労れて足を雨にうたせる


 十月二日 雨、午后は晴、鵜戸、浜田屋(三五・中)


ほんたうによう寝られた、夜が明けると眼がさめて、すぐ起きる、細い雨が降つてゐる、けふもまた濡れて歩く外ない、昨日の草鞋を穿いて出かける、途中、宮ノ浦といふ部落を行乞したが、どの家も中流程度で、富が平均してゐるやうであつた、今は養蚕と稲扱との最中であつた、三里半歩いて鵜戸へ着いたのが二時過ぎ、こゝでも二時間あまり行乞、それから鵜戸神宮へ参拝した、小山の石段を登つて下る足は重かつたが、老杉しん〳〵としてよかつた、たゞ民家が散在してゐるのを惜しんだ、社殿は岩窟内にある、大海の波浪がその岩壁へ押し寄せて砕ける、境地としては申分ない、古代の面影がどことなく漂うてゐるやうに感じる。

今夜はボクチンに泊ることが出来た、殊に客は私一人で二階の六畳一室に寝そべつて、電燈の明るさで、旅のたよりを書くことが出来た、寥平、緑平の二君へ、そして吉田、石次、中山の三氏へ神宮絵葉書を出したのでほつとした。

句はだいぶ出来た、旅で出来る句は無理に作つたのでないから、平凡でも、その中に嫌味は少ない。

・お経あげてお米もらうて百舌鳥ないて

 露草が露をふくんでさやけくも

・一りん咲けるは浜なでしこ

・鵜しきりに啼いて何を知らせる

・われとわれに声かけてまた歩き出す

・はてしない海を前にして尿する

・吠えつゝ犬が村はづれまで送つてくれた

 殺した虫をしみ〴〵見てゐる

 腰をかける岩も私もしつとり濡れて

・けふも濡れて知らない道を行く

 穴にかくれる蟹のうつくしさよ

・だるい足を撫でては今日をかへりみる

 暗さおしよせる波がしら

 交んだ虫で殺された

 霽れてはつきりつく〳〵ぼうし

此附近の風景は土佐海岸によく似てゐる、たゞ石質が異る、土佐では巨巌が立つたり横はつたりしてゐるが、こゝではまるで平石を敷いたやうな岩床である、しかしおしよせ、おしよせて、さつと砕け散る波のとゞろきはどちらも壮快である、絶景であることには誰も異論はなからう。

現在の私には、海の動揺は堪へられないものである、なるたけ早く山路へはいつてゆかう。

私の行乞のあさましさを感じた、感ぜざるをえなかつた、それは今日、宮ノ浦で米一升五合あまり金十銭ばかり戴いたので、それだけでもう今日泊つて食べるには十分である、それだのに私はさらに鵜戸を行乞して米と銭を戴いた、それは酒が飲みたいからである、煙草が吸ひたいからである、報謝がそのまゝアルコールとなりニコチンとなることは何とあさましいではないか!

とにもかくにも、どうしても私は此旅で酒を揚棄しなければならない、酒は飲んでも飲まなくてもいゝ境界へまで達しなければならない、飲まずにはゐられない気分が悪いやうに、飲んではならないといふ心持もよくないと思ふ、好きな酒をやめるには及ばない、酒そのものを味ふがよい、陶然として歩を運び悠然として山を観るのである。

岩に波が、波が岩にもつれてゐる、それをぢつと観てゐると、岩と波とが闘つてゐるやうにもあるし、また、戯れてゐるやうにもある、しかしそれは人間がさう観るので、岩は無心、波も無心、非心非仏、即心即仏である。

猫が鳴きよる、子供が呼びかける、犬がぢやれる、虫が飛びつく、草の実がくつつく、──そしてその反対の場合はどうだらう、──犬に吠えられる、子供に悪口雑言される、猫が驚ろいて逃げる、家の人は隠れる、等、等、等。

袈裟の功徳と技巧! 何といふ皮肉な語句だらう、私は恥ぢる、悔ゐる、願はくは、恥のない、悔のない生活に入りたい、行うて悔ゐず、そこに人生の真諦があるのではあるまいか。

同宿の或る老人が話したのだが(実際、彼の作だか何だか解らないけれど)、

一日に鬼と仏に逢ひにけり

仏山にも鬼は住みけり

鬼が出るか蛇が出るか、何にも出やしない、何が出たつてかまはない、かの老人の健康を祈る。

鵜戸神宮では自然石の石だゝみのそばに咲いてゐた薊の花がふかい印象を私の心に刻んだ、今頃、薊は咲くものぢやあるまい、その花は薄紅の小さい姿で、いかにも寂しさうだつた、そして石段を登りつくさうとしたところに、名物『お乳飴』を売つてゐる女子供の群のかしましいには驚かされた、まさかお乳飴を売るからでもあるまいが、まるで、乳房をせがむ子供のやうだつた、残念なことにはその一袋を買はなかつたことだ。

宿の後方の横手ヨコテに老松が一本蟠つてゐる、たしかに三百年以上の樹齢だらう、これを見るだけでも木賃料三十五銭の値打はあるかも知れない、いはんや、その下へは太平洋の波がどう〳〵とおしよせてゐる、その上になほ、お隣のラヂオは、いや蓄音機は青柳をうたつてゐる、青柳といへば、昔、昔、その昔、KさんやSさんといつしよにムチヤクチヤ遊びをやつた時代が恋ひしくなる。

こゝの枕はめづらしくも坊主枕だ、茣蓙枕には閉口する、あの殺風景な、実用一点張の、堅い枕は旅人をして旅のあはれを感ぜしめずにはおかない、坊主枕はやさしくふつくらとして、あたゝかいねむりをめぐんでくれる。

宮崎の人々は不深切といふよりも無愛想らしい、道のりのことをたづねても、教へてくれるといふよりも知らん顔をしてゐる、頭もよくないらしい(宮崎の人々にかぎらず、だいたい田舎者は数理観念に乏しい)、一里と二里とを同一の言葉で現はしてゐる、腹を立てるよりも苦笑すべきだらう。


 十月三日 晴、飫肥町、橋本屋(三五・中)


すこし寝苦しかつた、夜の明けきらないうちに眼がさめて読書する、一室一燈占有のおかげである、八時出立、右に山、左に海、昨日の風景のつゞきを鑑賞しつゝ、そしてところ〴〵行乞しつゝ風田といふ里まで、そこから右折して、小さい峠を二つ越してこゝ飫肥の町へついたのは二時だつた、途中道連れになつた同県の同行といつしよに宿をとつた。

此宿の老主人から、米を渡すとき、量りが悪いといふので嫌味をいはれた、さては私もそれほど慾張りになつたのか、反省しなければならない、それにしても宮崎では良すぎるといはれ、こゝではよくないといはれる、世はさま〴〵人はそれ〴〵であるかな。

今朝、宿が豆腐屋だつたので、一丁いたゞいたが、何とまづい豆腐だつたことか、いかに豆腐好きの私でも、その堅さ、その臭さには、せつかくの食慾をなくされてしまつた。

朝、まだ明けきらない東の空、眺めてゐるうちに、いつとなく明るくなつて、今日のお天道様がらんらんと昇る、それは私には荘厳すぎる光景であるが、めつたに見られない歓喜であつた、私はおのづから合掌低頭した。

今は障子の張替時である、張り替へて真白な障子がうれしいと同様、剥がしてまだ張らない障子はわびしい、さういふ障子をよせかけたまゝの部屋へ通されて、ひとりぽかんとしてゐるのは、ずゐぶんさびしいものである。

 午後は風が出た、顔をあげてゐられないほどの埃だつた、かういふ日には網代笠のありがたさを感じる、雨にも風にも雪にも、また陽にもなくてはならないものである。

休んでゆかう虫のないてゐるこゝで

一椀の茶をのみほして去る

子供ら仲よく遊んでゐる墓の中

魚籃ビクひきあげられて秋雨のふる

墓が家がごみ〴〵と住んでゐる

すげない女は大きく孕んでゐた

その音は山ひそかなる砂ふりしく

けふのつれは四国の人だつた

暮れの鐘が鳴る足が動かなくなつた


 十月四日 曇、飫肥町行乞、宿は同前。


長い一筋街を根気よく歩きつゞけた、かなり労れたので、最後の一軒の飲食店で、刺身一皿、焼酎二杯の自供養をした、これでいよ〳〵生臭坊主になりきつた。

この地方には草鞋がないので困つた、詮方なしに草履にした、草鞋といふものは無論時代おくれで、地下足袋にすつかり征服されてしまつたけれど、此頃はまた多少復活しつゝある、田舎よりも却つて市街で売つてゐる。

此宿の老爺は偏屈者だけれど、井戸水は素直だ、夜中二度も腹いつぱい飲んだ、蒲団短かく、夜は長く、腹いつぱい水飲んで来て寝ると前に書いたこともあつたが。

昨日から道連れになつて同宿したお遍路さんは面白い人だ、酒が好きで魚が好きで、無論女好きだ、夜流し専門、口先きがうまくて手足がかろい、誰にも好かれる、女には無論好かれる。

夕方になると里心が出て、ひとりで微苦笑する、家庭といふものは──もう止さう。

この宿の老妻君は中気で動けなくなつてゐる、その妻君に老主人がサジでお粥を食べさせてゐる、それはまことにうつくしいシーンであつた。

わづか二里か三里歩いてこんなに労れるとは私も老いたるかなだ、私は今まであまりに手足を虐待してゐなかつたか、手足をいたはれ、口ばかり可愛がるな。

わざ〳〵お婆さんが後を追うて来て一銭下さつた、床屋で頭を剃る、若い主人は床屋には惜しいほどの人物だつた。

焼酎屋の主人から、焼酎は少し濁つてゐるのが本当だと聞かされた、藷焼酎の臭気はなか〳〵とれないさうだ、その臭気の多い少いはあるが。

今日は行乞エピソードとして特種が二つあつた、その一つは文字通りに一銭を投げ与へられたことだ、その一銭を投げ与へた彼女は主婦の友の愛読者らしかつた、私は黙つてその一銭を拾つて、そこにゐた主人公に返してあげた、他の一つは或る店で女の声で、出ませんよといはれたことだ、彼女も婦人倶楽部の愛読者だつたらう。

白髪シラガ剃りおとすうちに暮れてしまつた

・こゝに白髪を剃りおとして去る

れて垂れて稲は刈られるばかり

 秋晴れの屋根を葺く

 秋風の馬に水を飲ませる

 水の味も身にしむ秋となり

・お天気がよすぎる独りぼつち

・秋の土を掘りさげてゆく

 誰もゐないでコスモスそよいでゐる

 いでもらつた柿のうまさが一銭

行乞記の重要な出来事を書き洩らしてゐた──もう行乞をやめて宿へ帰る途上で、行きずりの娘さんがうや〳〵しく十銭玉を一つ報謝して下さつた、私はその態度がうれしかつた、心から頭がさがつた、彼女はどちらかといへば醜い方だつた、何か心配事でもあるのか、亡くなつた父か母でも思ひ出したのか、それとも恋人に逢へなくなつたのか、とにかく、彼女に幸あれ、冀くは三世の諸仏、彼女を恵んで下さい。


 十月五日 晴、行程二里、油津町、肥後屋(三五・下)


ぶらり〳〵と歩いて油津で泊る、午前中の行乞相はたいへんよかつたが、午後はいけなかつた。

此宿の人々はみな変人だ、あとで聞いたら変人として有名なさうだ、おかみさんは会話が嫌ひらしい。

乞食にも見放された家、さういふ家がある、それは貧富にかゝはらない、人間らしからぬ人間が住んでゐる家だ、私も時々さういふ家に立つたことがある。

その一銭をうけて、ほんたうにすまないと思ふ一銭。

秋は収穫のシーズンか、大きな腹をかゝへた女が多い、ある古道具屋に、『御不用品何でも買ひます、但し人間のこかしは買ひません』と書いてあつた、こかしとは此地方で、怠けものを意味する方言ださうな、私なぞは買はれない一人だ。

同宿のエビス爺さん、尺八老人(虚無僧さんのビラがない)、絵具屋さん、どれも特色のある人物だつた。

例のお遍路さんから、肉体のおせつたいといふ話を聞いた、ずゐぶんありがたい、いや、ありがたすぎるおせつたいだらう。

親子三人連れのお遍路さんも面白い人だつた、みんな集つて雑談の花が咲いたとき、これでどなたもブツの道ですなあといつた、ブツは仏に通じ、打つに通じる、打つは勿論、飲む買ふ打つの打つである、またいつた、虱と米の飯とを恐れては世間師は出来ませんよと、虱に食はれ、米の飯を食ふところに世間師の悲喜哀歓がある。

秋暑い乳房にぶらさがつてゐる

よいお天気の言葉かけあつてゆく

旅は気軽い朝から唄つてゐる

ふる郷忘れがたい夕風が出た

子供と人形と猫と添寝して

日向子供と犬と仲よく

秋風の鶏を闘はせてゐる


 十月六日 晴、油津町行乞、宿は同前。


九時から三時まで行乞、久しぶりに日本酒を飲んだ、宮崎鹿児島では焼酎ばかりだ、焼酎は安いけれど日本酒は高い、私の住める場所ぢやない。

十五夜の明月も観ないで宵から寝た、酔つぱらつた夢を見た、まだ飲み足らないのだらう。

油津といふ町はこぢんまりとまとまつた港町である、海はとろ〳〵と碧い、山も悪くない、冬もあまり寒くない、人もよろしい、世間師のよく集るところだといふ。

 小鳥いそがしく水浴びる朝日影

・秋が来た雑草にすわる

 子供握つてくれるお米がこぼれます

八月十五夜は飫肥、油津、大堂津あたりでは全町総出で綱引をやる、興味ふかい年中行事の一つだと思ふ。

明月の大綱をひつぱりあつてゐる


 十月七日 晴、行程二里、目井津、末広屋(三五・下)


雨かと心配してゐたのに、すばらしいお天気である、そここゝ行乞して目井津へ、途中、焼酎屋で藷焼酎の生一本をひつかけて、すつかりいゝ気持になる、宿ではまた先日来のお遍路さんといつしよに飲む、今夜は飲みすぎた、とう〳〵野宿をしてしまつた、その時の句を、嫌々ながら書いておく。

   酔中野宿

・酔うてこほろぎといつしよに寝てゐたよ

 大地に寝て鶏の声したしや

 草の中に寝てゐたのか波の音

・酔ひざめの星がまたゝいてゐる

・どなたかかけてくださつた莚あたゝかし

此宿はよくないが、便所だけはきれいだつた、久しぶりに気持よくしやがんでゐることが出来た。

竹を眺めつゝ尿してゐる

ちらほら家が見え出して鵙が鋭く

今日の珍しい話は、船おろしといふので、船頭さんの馴染女を海に追ひ入れてゐるのを見たことだつた、そして嬉しい話は、或る家の主人から草鞋をいたゞいたことだつた、油津で一足買つたことは買つたが。

このあたりの海はまつたく美しい、あまり高くない山、青く澄んで湛へた海、小さい島──南国的情緒だ、吹く風も秋風だか春風だか分らないほどの朗らかさだつた。


 十月八日 晴、后曇、行程三里、榎原、栄屋(七〇・上上)


どうも気分がすぐれないので滞在しようかとも思つたが、思ひ返して一時出立、少し行乞してこゝまで来た、安宿はないから、此宿に頼んで安く泊めて貰ふ、一室一人が何よりである、家の人々も気易くて深切だ。

やうやく海を離れて山へ来た、明日はまた海近くなるが、今夜は十分山気を呼吸しよう。

・こんなにうまい水があふれてゐる

・窓をあけたら月がひよつこり

日向の自然はすぐれてゐるが、味覚の日向は駄目だ、日向路で食べもの飲みものゝ印象として残つてゐるのは、焼酎の臭味と豆腐の固さとだけだ、今日もその焼酎を息せずに飲み、その豆腐をやむをえず食べたが。

よく寝た、人生の幸福は何といつたとて、よき睡眠とよき食慾だ、こゝの賄はあまりいゝ方ではないけれど(それでも刺身もあり蒲鉾もあつたが)夜具がよかつた、新モスの新綿でぽか〳〵してゐた、したがつて私の夢もぽか〳〵だつた訳だ、私のやうなものには好過ぎて勿躰ないでもなかつた。


 十月九日 曇、時雨、行程三里、上ノ町、古松屋(三五・上)


夜の明けないうちに眼がさめる、雨の音が聞える、朝飯を食べて煙草を吸うて、ゆつくりしてゐるうちに、雲が切れて四方が明るくなる、大したこともあるまいといふので出立したが、降つたり止んだり合羽を出したり入れたりする、そして二三十戸集つてゐるところを三ヶ所ほど行乞する、それでやつと今日の必要だけは頂戴した、何しろ、昨日は朝の別れに例のお遍路さんと飲み、行乞はあまりやらなかつたし、それにヤキがなくてリヨカンに泊つたので、一枚以上の食ひ込みだ(かういふ世間師のテクニツクを覚えて使ふのも、かういふ境涯の善し悪しだ)。

二時過ぎには宿についた、誰もが勧めるほどあつて、気持のよい家と人であつた。

傘を借り足駄を借りて、中ノ町を歩いて見る、港までは行けなかつた、福島町といふのは上ノ町、中ノ町、今町の三つを合せて延長二里に亘る田舎街である。

隣室は世間師坊主の四人組、多分ダフのゴミだらう、真言、神道、男、女、面白い組合だ。

今日の道は山路だからよかつた、萩がうれしかつた、自動車よ、あまり走るな、萩がこぼれます。

昨夜の女主人公は楽天家だつた、今夜の女主人公は家政婦らしい、子を背負うて安来節をうたふのもわるくないし、雑巾で丹念に板座を拭くのもよろしい。

一昨日、書き洩らしてはならない珍問答を書き洩らしてゐた、大堂津で藷焼酎の生一本をひつかけて、ほろ〳〵機嫌で、やつてくると、妙な中年男がいやに丁寧にお辞儀をした、そして私が僧侶(?!)であることをたしかめてから、問うて曰く『道とは何でせうか』また曰く『心は何処に在りますか』道は遠きにあらず近きにあり、趙州曰く、平常心是道、常済大師曰く、逢茶喫茶、逢飯食飯、親に孝行なさい、子を可愛がりなさい──心は内にあらず外にあらず、さてどこにあるか、昔、達磨大師は慧可大師に何といはれたか、──あゝあなたは法華宗ですか、では自我偈を専念に読誦なすつたらいゝでせう──彼はまた丁寧にお辞儀して去つた、私は歩きつゝ微苦笑する外なかつた。

 まゝよ法衣は汗で朽ちた

・ゆつくり歩かう萩がこぼれる

   訂正二句

 酔うてこほろぎと寝てゐたよ

 大地したしう夜を明かしたり波の音

昨夜は榎原神社に参詣し、今日は束間神社に参詣した、前者は県社、後者は郷社に過ぎないが、参拝者はずゐぶんに多いと見えて、そこには二三十軒の宿屋、飲食店、土産物店が並んでゐた、かういふ場所には地方的特色が可なり濃厚に出てゐる。

同室三人、箒屋といふむつつり爺さん、馬具屋といふきよろきよろ兄さん、彼等にも亦、地方的特色が表現されてゐる。


 十月十日 曇、福島町行乞、行程四里、志布志町、鹿児島屋(四〇・上)


八時過ぎてから中町行乞二時間、それから今町行乞三時間、もう二時近くなつたので志布志へ急ぐ、三里を二時間あまりで歩いた、それは外でもない、局留の郵便物を受取るためである、友はなつかしい、友のたよりはなつかしい。

 旅の子供は夕べしく〳〵泣いてゐる

 旅はおかしい朝から夫婦喧嘩だ

・親によう似た仔馬かあいやついてゆく

 みんな寝てしまつてよい月夜かな

・月夜の豚がうめきつゞけてゐる

 月光あまねくほしいまゝなる虫の夜だ

 月の水をくみあげて飲み足つた

 明月の戸をかたくとざして

 故郷の人とはなしたのも夢か

 伸ばした足に触れた隣りは四国の人

 秋の白壁を高う〳〵塗りあげる

 松葉ちりしいてゐますお休みなさい

・松風ふいて墓ばかり

 踏むまいとしたその蟹は片輪だ

 志布志へ一里の秋の風ふく

・こゝまできてこの木にもたれる

・秋風の石を拾ふ

・人里ちかい松風の道となる

 泣く子叱つてる夕やみ

 飲まずには通れない水がしたゝる

 砂がぽこ〳〵旅はさみしい

   ヨタ一句

 こんなところにこんなシヤンがゐる波音

安宿の朝はおもしろい、みんなそれ〴〵めい〳〵の姿をして出てゆく、保護色といふやうなことを考へざるをえない、片輪は片輪のやうに、狡いものは狡いやうに、そして、一は一のやうに!

今日の行乞相はよくもわるくもなかつた、嫌な事が四つあつた、同時にうれしい事が四つあつた、憾むらくは私自身が空の空になれない事だ、嫌も好きもあるものか。

米価の安くなる事実は私のやうなものをも考へさせる、──飫肥では弐十八銭、油津では二十五銭、上ノ町では弐十弐銭となつた(新白米では弐十銭以下だとさへ聞いた)。

今町から志布志まで三里強、日本風の海岸佳景である、一里ばかり来たところに、宮崎と鹿児島との県界石標が立つてゐる、大きなタブの樹も立つてゐる、石よりも樹により多く心を惹かれるのは私のセンチメンタリズムか、夏井の浜といふところは海水浴場としてよいらしかつた、別荘風の料理屋もあつた、浅酌低唱味を思ひ出させるに十分だ。

自動車が走る、箱馬車が通る、私が歩く。

途上、道のりを訊ねたり、此地方の事情を教へてくれた娘さんはいゝ女性だつた、禅宗──しかも曹洞宗──の寺の秘蔵子と知つて、一層うれしかつた、彼女にまことの愛人あれ。

草鞋がないのには困つたが、それでもおせつたいとしていたゞいたり、明月に供へるのを貰つたりして、どうやらかうやらあまり草履をべた〳〵ふまないですんだ、私も草鞋の句はだいぶ作つたが、ほんたうの草鞋の名句が出来さうなものだ。

同室三人、松葉ヱツキス売の若い鮮人は好きだつたが、もう一人は要領を得ない『山芋掘』で、うるさいから、街へ出て飲む、そしてイモシヨウチユウの功徳でぐつすり寝ることが出来た。


 十月十一日 晴、曇、志布志町行乞、宿は同前。


九時から十一時まで行乞、こんなに早う止めるつもりではなかつたけれど、巡査にやかましくいはれたので、裏町へ出て、駅で新聞を読んで戻つて来たのである(だいたい鹿児島県は行乞、押売、すべての見師の行動について法文通りの取締をするさうだ)。

今日は中学校の運動会、何しろ物見高い田舎町の事だから、爺さん婆さんまで出かけるらしい、それも無理はない、いや、よいことだと思ふ。

隣室の按摩兼遍路さんは興味をそゝる人物だつた、研屋さんも面白い人物だつた、昨夜の「山芋掘り」も亦異彩ある人物だつた、彼は女房に捨てられたり、女房を捨てたり、女に誑されたり、女を誑したりして、それが彼の存在の全部らしかつた、いはゞ彼は愚人で、そして喰へない男なのだ、多少の変質性と色情狂質とを持つてゐた。

畑のまんなかに、どうしたのか、コスモスがいたづらに咲いてゐる、赤いの、白いの、弱々しく美しく眺められる。

今日はまた、代筆デーだつた。あんまさんにハガキ弐枚、とぎやさんに四枚、やまいもほりさんに六枚書いてあげた、代筆をくれやうとした人もあるし、あまり礼もいはない人もある。

夕べ、一杯機嫌で海辺を散歩する、やつぱり寂しい、寂しいのが本当だらう。

行乞してゐる私に向つて、若い巡査曰く、托鉢なら托鉢のやうに正々堂々とやりたまへ、私は思ふ、これでずゐぶん正々堂々と行乞してゐるのだが。

隣室に行商の支那人五人組が来たので、相客二人増しとなる、どれもこれもアル中毒者だ(私もその一人であることに間違ひない)、朝から飲んでゐる(飲むといへばこの地方では藷焼酎の外の何物でもない)、彼等は彼等にふさはしい人生観を持つてゐる、体験の宗教とでもいはうか。

コロリ往生──脳溢血乃至心臓麻痺でくたばる事だ──のありがたさ、望ましさを語つたり語られたりする。

人間といふものは、話したがる動物だが、例の山芋掘りさんの如きは、あまり多く話す、ナフ売りさんはあまりに少く話す、さて私はどちらだつたかな。

酒壺洞君の厚意で、寝つかれない一夜がさほど苦しくなかつた、文芸春秋はかういふ場合の読物としてよろしい。

支那人──日本へ来て行商してゐる──は決して飲まない、煙草を吸ふことも少い、朝鮮人はよく飲みよく吸ひ、そしてよく喧嘩する(日本人によく似てゐる)、両者を通じて困るのは、彼等の会話が高調子で喧騒で、傍若無人なことだ。

夢に、アメリカへ渡つて、ドーミグラスといふ町で、知つたやうな知らないやうな人に会つて一問題をひきおこした、はて面妖な。


 十月十二日 晴、岩川及末吉町行乞、都城、江夏屋(四〇・中)


九時の汽車に乗る、途中下車して、岩川で二時間、末吉で一時間行乞、今日はまた食ひ込みである。

・年とれば故郷こひしいつく〳〵ぼうし

 安宿のコスモスにして赤く白く

 一本一銭食べきれない大根である

・何とたくさん墓がある墓がある

 海は果てなく島が一つ

・はだかでだまつて何掘つてるか

 秋寒く酔へない酒を飲んでゐる

 今日のうれしさは草鞋のよさは

 一きれの雲もない空のさびしさまさる

 波のかゞやかさも秋となつた

 砂掘れば砂のほろ〳〵

 線路へこぼるゝ萩の花かな

 秋晴れて柩を送る四五人に

・岩が岩に薊咲かせてゐる(鵜戸)

・何といふ草か知らないつゝましう咲いて

 まづ水を飲みそれからお経を

・言葉が解らないとなりにをる

 秋晴れの菜葉服を出し褪めてゐる

・こころしづ山のおきふし

・家を持たない秋がふかうなつた

・捨てゝある扇子をひらけば不二の山

 旅の夫婦が仲よく今日の話

   行乞即事

 秋の空高く巡査に叱られた

・その一銭はその児に与へる

今夜は飲み過ぎ歩き過ぎた、誰だか洋服を着た若い人が宿まで送つてくれた、彼に幸福あれ。

藷焼酎の臭気はなか〳〵とれないが、その臭気をとると、同時に辛味もなくなるさうな、臭ければこそ酔ふのだらうよ。

世を捨てゝ山に入るとも味噌醤油酒の通ひ路なくてかなはじ、といふ狂歌(?)を読んだ、山に入つても、雲のかなたにも浮世があるといふ意味の短歌を読んだこともある、こゝも山里塵多しと語句も覚えてゐる、田の草をとればそのまゝ肥料コヤシかな──煩悩即菩提、生死去来真実人、さてもおもろい人生人生。

夕方また気分が憂欝になり、感傷的にさへなつた、そこで飛び出して飲み歩いたのだが、コーヒー一杯、ビール一本、鮨一皿、蕎麦一椀、朝日一袋、一切合財で一円四十銭、これで懐はまた秋風落寞、さつぱりしすぎたかな(追記)。


 十月十三日 晴、休養、宿は同前。


とても行乞なんか出来さうもないので、寝ころんで読書する、うれしい一日だつた、のんきな一日だつた。

一日の憂は一日にて足れり──キリストの此言葉はありがたい、今日泊つて食べるだけのゲルトさへあれば(慾には少し飲むだけのゲルトを加へていたゞいて)、それでよいではないか、それで安んじてゐるやうでなければ行乞流浪の旅がつゞけられるものぢやない。

この宿はひろ〴〵として安易な気持でゐられるのがよい、電燈の都合がよろしいと申分ないが。

昨日今日すつかり音信の負債を果したので軽い気になつた、ゲルトの負債も返せると大喜びなのだけれど、その方は当分、或は永久に見込みないらしい。

句もなく苦もなかつた、銭もなく慾もなかつた、かういふ一日が時になければやりきれない。


 十月十四日 晴、都城市街行乞、宿は同前。


八時半から三時半まで行乞、この行乞のあさましさを知れ、そこには昨日休んだからといふ考へがある、明日は降るかも知れないといふ心配がある、──こんなことで何が行乞だ、行脚と旅行の目的欄に記したが(宿帳に)、恥づかしくはないか。

どこの庭にも咲いてゐる赤い花、それはサルピヤといふのださうな、何とかふさはしい和名がありさうなものだ、花そのものが日本的だから。

同宿の薬屋さん、とう〳〵アクセントで鮮人といふことが解つた、どんなに内地化したつて鮮人は遂に鮮人だつた、こにも民族的問題が提供されてゐる。

例の饒舌僧とまた同宿した、知つたかぶりといふ言葉は彼のために出来たかと思はれるほどだ、人間はいゝけれど舌が長すぎる、下らない本を読んで、しかもそれを覚えすぎてゐる、『知る』といふことの価値が解らなければ宗教は解らない、といつてゐる私自身も知解情量の亜流だが。

都城で、嫌でも眼につくのは、材木と売春婦とである、製材所があれば料理屋がある、木屑とスベタとがうよ〳〵してゐる、それもよしあし、よろしくあしく、あしくよろしく。

 皮膚が荒れてくる旅をつゞけてゐる

 すこしばかり買物もして旅の夫婦は

 石刻む音のしたしくて石刻む

 朝寒に旅焼けの顔をならべて

・片輪同志で仲よい夫婦の旅

・ざくりざくり稲刈るのみの

・秋晴れの砂をふむよりくづれて

 トリを叱る声もうそ寒う着いた

 いそがしう飯たべて子を負うてまた野良へ

・木葉落ちる声のひととき

・貧乏の子沢山の朝から泣いてゐる

・それでよろしい落葉を掃く


 十月十五日 晴、行程四里、有水、山村屋(四〇・中・下)


早く立つつもりだつたけれど、宿の仕度が出来ない、八時すぎてから草鞋を穿く、やつと昨日の朝になつて見つけた草鞋である、まことに尊い草鞋である。

二時で高城、二時間ほど行乞、また二里で有水、もう二里歩むつもりだつたが、何だか腹工合がよくないので、豆腐で一杯ひつかけて山村の閑寂をしんみりヱンヂヨイする。

宿の主人は多少異色がある、子供が十人あつたと話す、話す彼は両足のない躄だ、気の毒なやうな可笑しいやうな、そして呑気な気持で彼をしみ〴〵眺めたことだつた。

途上、行乞しつゝ、農村の疲弊を感ぜざるを得なかつた、日本にとつて農村の疲弊ほど恐ろしいものはないと思ふ、豊年で困る、蚕を飼つて損をする──いつたい、そんな事があつていゝものか、あるべきなのか。

今日は強情婆と馬鹿娘とに出くわした、何と強情我慢の婆さんだつたらう、地獄行間違なし、そしてまた、馬鹿娘の馬鹿らしさはどうだ、極楽の入口だつた。

村の運動会(といつても小学校のそれだけれど、村全体が動くのである)は村の年中行事の一つとして、これほど有意義な、そして効果のあるものはなからう。

宿の小娘に下駄を貸してくれといつたら、自分の赤い鼻緒のそれを持つて来た、それを穿いて、私は焼酎飲みに出かけた、何となく寂しかつた。

友のたれかに与へたハガキの中に、──

やうやく海の威嚇と藷焼酎の誘惑とから逃れて、山の中へ来ることが出来ました、秋は海よりも山に、山よりも林に、いち早く深まりつゝあることを感じます、虫の声もいつとなく細くなつて、あるかなきかの風にも蝶々がたゞようてゐます。……

物のあはれか、旅のあはれか、人のあはれか、私のあはれか、あはれ、あはれ、あはれというもおろかなりけり。

清酒が飲みたいけれど罎詰しかない、此地方では酒といへば焼酎だ、なるほど、焼酎は銭に於ても、また酔ふことに於ても経済だ、同時に何といふうまくないことだらう、焼酎が好きなどゝいふのは──彼がほんたうにさう感じてゐるならば──彼は間違なく変質者だ、私は呼吸せずにしか焼酎は飲めない、清酒は味へるけれど、焼酎は呻る外ない(焼酎は無味無臭なのがいゝ、たゞ酔を買ふだけのものだ、藷焼酎でも米焼酎でも、焼酎の臭気なるものを私は好かない)。

相客は一人、何かを行商する老人、無口で無愛想なのが却つてよろしい、彼は彼、私は私で、煩はされることなしに私は私自身のしたい事をしてゐられるから。

湯に入れなかつたのは残念だつた、入浴は、私にとつては趣味である、疲労を医するといふことよりも気分を転換するための手段だ、二銭か三銭かの銭湯に於ける享楽はじつさいありがたいものである。

薩摩日向の家屋は板壁であるのを不思議に思つてゐたが宿の主人の話で、その謎が解けた、旧藩時代、真宗は御法度であるのに、庶民が壁に塗り込んでまで阿弥陀如来を礼拝するので、土壁を禁止したからだと。


 十月十六日 曇、后晴、行程七里、高岡町、梅屋(六〇・中)


暗いうちに起きる、鶏が飛びだして歩く、子供も這ひだしてわめく、それを煙と無智とが彩るのだから、忙しくて五月蠅いことは疑ない。

今日の道はよかつた、──二里歩くと四家シカ、十軒ばかり人家がある、そこから山下まで二里の間は少し上つて少し下る、下つてまた上る、秋草が咲きつゞいて、虫が鳴いて、百舌鳥が啼いて、水が流れたり、木の葉が散つたり、のんびりと辿るにうれしい山路だつた、自動車には一台もあはず、時々自転車が通ふばかり、行人もあまり見うけなかつた、しかし、山下から高岡までの三里は自動車の埃と大淀川水電の工事の響とでうるさかつた、せつかくのんびりとした気持が、どうやらいら〳〵せずにはゐないやうだつた。

今日はめづらしく辨当行李に御飯をちよんびり入れて来た、それを草原で食べたが、前は山、後も山、上は大空、下は河、蝶々がひらりと飛んで来たり、草が箸を動かす手に触れたりして、おいしく食べた。

この宿は大正十五年の行脚の時、泊つたことがあるが、しづかで、きれいで、おちついて読み書きが出来る、殊に此頃は不景気で行商人が少ないため、今夜は私一人がお客さんだ、一室一燈、さつぱりした夜具の中で、故郷の夢のおだやかな一シーンでも見ませう。

『徒歩禅について』といふやうな小論が書けさうだ、徒歩禅か、徒労禅か、有か無か、是か非か。

今夜は水が飲みたいのに飲みにゆくことが出来ないので、水を飲んだ夢ばかり見た、水を飲めないやうに戸締りをした点に於て、此宿は下の下だ!

 朝の煙のゆう〳〵としてまつすぐ

 茶の花はわびしい照り曇り

 傾いた軒端にも雁来紅を植えて

 水音遠くなり近くなつて離れない

・水音といつしよに里へ下りて来た

 休んでゐるそこの木はもう紅葉してゐる

 山路咲きつゞく中のをみなへしである

 だん〳〵晴れてくる山柿の赤さよ

 山の中鉄鉢たゝいて見たりして

・しみ〴〵食べる飯ばかりの飯である

 蝶々よずゐぶん弱つてゐますね

   或る農村の風景(連作)

 アカるいところへ連れてきたら泣きやめた児だつた

 子を負うて屑繭買ひあるく女房である

 傾いた屋根の下には労れた人々

・脱穀機の休むひまなく手も足も

・八番目の子が泣きわめく母の夕べ

・損するばかりの蚕飼ふとていそがしう食べ

・出来秋のまんなかで暮らしかねてゐる

 こんなに米がとれても食へないといふのか

 出来すぎた稲を刈りつゝ呟いてゐる

 刈つて挽いて米とするほこりはあれど

 豊年のよろこびとくるしみが来て

・コスモスいたづらに咲いて障子破れたまゝ

・寝るだけが楽しみの寝床だけはある

・暮れてほそ〴〵炊きだした

・二本一銭の食べきれない大根である

・何と安い繭の白さを□□る

勿論、これは外から見た風景で、内から発した情熱ではない、私としては農村を歩いてゐるうちに、その疲弊を感じ、いや、感じないではゐられないので、その感じを句として表現したに過ぎない、試作、未成品、海のものでも山のものでも、もとより畑のものではない。

かういふ歌が──何事も偽り多き世の中に死ぬことばかりはまことなりけり──忘れられない、時々思ひ出しては生死去来真実人に実参しない自分を恥ぢてゐたが、今日また、或る文章の中にこの歌を見出して、今更のやうに、何行乞ぞやと自分自身に喚びかけないではゐられなかつた、同時に、木喰もいづれは野べの行き倒れ犬か鴉の餌食なりけりといふ歌を思ひ出したことである。


 十月十七日 曇后晴、休養、宿は同前。


昨夜は十二時がうつても寝つかれなかつた、無理をしたゝめでもあらう、イモシヨウチユウのたゝりでもあらう、また、風邪気味のせいでもあらう、腰から足に熱があつて、倦くて痛くて苦しかつた。

朝のお汁に、昨日途上で貰つて来た唐辛を入れる、老来と共に辛いもの臭いもの苦がいもの渋いものが親しくなる。

昨日といへば農家の仕事を眺めてゐると、粒々辛苦といふ言葉を感ぜずにはゐられない、まつたく粒々辛苦だ。

身心はすぐれないけれど、むりに八時出立する、行乞するつもりだけれど、発熱して悪感がおこつて、とてもそれどころぢやないので、やうやく路傍に小さい堂宇を見けて、そこの狭い板敷に寝てゐると、近傍の子供が四五人やつて声をかける、見ると地面に茣蓙を敷いて、それに横はりなさいといふ、ありがたいことだ、私は熱に燃え悪感に慄へる身体をその上に横たへた、うつら〳〵して夢ともなく現ともなく二時間ばかり寝てゐるうちに、どうやら足元もひよろつかず声も出さうなので、二時間だけ行乞、しかも最後の家で、とても我慢強い老婆にぶつかつて、修証義と、観音経を読誦したが、読誦してゐるうちに、だん〳〵身心が快くなつた。

 大地ひえ〴〵として熱あるからだをまかす

・いづれは土くれのやすけさで土に寝る

 このまゝ死んでしまふかも知れない土に寝る

 熱あるからだをなが〳〵と伸ばす土

前の宿にひきかへして寝床につく、水を飲んで(こゝの水はうまくてよろしい)ゆつくりしてさへをれば、私の健康は回復する、果して夕方には一番風呂にはいるだけの勇気が出て来た。

やつと酒屋で酒を見つけて一杯飲む、おいしかつた、焼酎とはもう絶縁である。

寝てゐると、どこやらで新内を語つてゐる、明烏らしい、あの哀調は病める旅人の愁をそゝるに十分だ。

たつた一匹の蚊で殺された

病んで寝て蠅が一匹きたゞけ


 十月十八日 晴、行程四里、本庄町、さぬきや(三〇・上)


夜が長い、いくども眼がさめた、今日もお天気、ようお天気がつゞく、ありがたいことである、雨は世間師には殺人剣だ。

高岡から綾まで二里、天台宗の乞食坊さんと道づれになる、彼の若さ、彼の正直さを知つて、何とかならないものかと思ふ。

綾を二時間ばかり行乞する、このあたりは禅宗が多いので、行乞には都合よろしい、時々嫌なことがある、その嫌なことを利用してはいけない、善用して、自分の忍辱がどんなものであるかを試みる。

先日来、お昼の辨当を持つて歩くことにした、今日は畦草をしいて食べた、大根漬がおいしかつた、それは高岡の宿のおみかさんの心づくしであるが。

綾から本庄までまた二里、三時間ばかり行乞、やうやく教へられた、そして大正十五年泊つたおぼえのある此宿を見つけて泊る、すぐ湯屋へゆく、酒屋へ寄る。……

相客は古参のお遍路さんだ、例の如く坑夫あがりらしい、いつも愚痴をいつてゐる、嫌な男だと思つたが、果して夕飯の時、焼酎を八本も呷つて(飲むのぢやない、注ぎ込むのだつた)不平を並べ初めた、あまりうるさいので、外へ出てぶら〳〵してゐるうちに、私自身もまたカフヱーみたいなところへはいつた、ビールを久しぶりに味ふ、その余勢が朝鮮女の家へまで連れていつた、前には五人の朝鮮淫売婦、彼女らがペチヤ〳〵朝鮮語をしやべるので私も負けずにブロークンイングリツシユをしやべる、そのためか、たゞしは一銭銅貨ばかりで払ふのに同情したからか、五十銭の菓子代を三十銭に負けてくれた、何と恥づかしい、可笑しい話ではないか。

アルコールのおかげで、隣室の不平寝言──彼は寝てまで不平をいつてゐる──のも気にかけないで、また夜中降りだした雨の音も知らないで、朝までぐつすり寝ることができた。

此宿はよい、待遇もよく賄もよく、安くて気楽だ、私が着いた時に足洗ひ水をとつてくれたり、相客の喧騒を避けさせるべく隣室に寝床をしいてくれた、老主人は昔、船頭として京浜地方まで泳ぎまはつたといふ苦労人だ、例の男の酔態に対しても平然として処置を誤まらない、しかし、蒲団だけは何といつてもよろしくない、私は酔うてゐなかつたらその臭気紛々でとても寝つかれなかつたらう、朝、眼が覚めると、飛び起きたほどだ。

酔漢が寝床に追ひやられた後で、鋳掛屋さんと話す、私が槍さびを唄つて彼が踊つた、ノンキすぎるけれど、かういふ旅では珍らしい逸興だつた、しかし興に乗りすぎて嚢中二十六銭しか残つてゐない、少し心細いね──嚢中自無銭!


 十月十九日 曇、時々雨、行程五里、妻町、藤屋(  )


因果歴然、歩きたうないが歩かなければならない、昨夜、飲み余したビールを持ち帰つてゐたので、まづそれを飲む、その勢で草鞋を穿く、昨日の自分を忘れるために、今日の糧を頂戴するために、そして妻局留置の郵便物を受取るために(酒のうまいやうに、友のたよりはなつかしい)。

妻まで五里の山路、大正十五年に一度踏んだ土である、あの時はもう二度とこの山も見ることはあるまいと思つたことであるが、命があつて縁があつてまた通るのである、途中、三名サンミヤウ、岩崎、平郡ヘグリといふ部落町を行乞して、やつと今日の入費だけ戴いた、明日は雨らしいが、明日は明日の事、まだ〳〵何とかなるだけの余裕はある。

此宿はボクチンでなくてリヨカンであるが、賄も部屋も弟たり難く兄たり難しといつたところ、ただ宿の事を訊ねたのが機縁となつて、信心深い老夫妻のお世話になることになつたのである、彼等の温情はよく解る。

今夜は酒場まで出かけて新酒を一杯やつたゞけ(一合十三銭は酒がよいよりも高すぎる)、酒といへば焼酎しか飲めなかつた地方、そのイモシヨウチユウの桎梏から逃れたと思つたら、こんどは新酒の誘惑だ、早くアルコール揚棄の境地に到達しなければ嘘だ。

 行手けふも高い山が立つてゐる

 白犬と黒犬と連れて仲のよいこと

 山の水のうまさ虫はまだ鳴いてゐる

・父が掃けば母は焚いてゐる落葉

 蔦を這はせてさりげなく生きてゐるか

 駄菓子ちよつぴりながらつてゐる

 あるだけの酒はよばれて別れたが

・豊年のよろこびの唄もなし

・米とするまでは手にある稲を扱ぐ

 茄子を鰯に代へてみんなでうまがつてゐる

留置郵便は端書、手紙、雑誌、合せて十一あつた、くりかへして読んで懐かしがつた、寸鶏頭君の文章は悲しかつた、悲しいよりも痛ましかつた、『痰壺のその顔へ吐いてやれ』といふ句や、母堂の不用意な言葉などは凄かつた、どうぞ彼が植えさせたチユーリツプの花を観て微笑することが出来るやうに。──

此宿はよい宿ではないけれど、木賃宿よりはさすがに、落ちついて静かである、殊に坊主枕はよかつた、小さい位は我慢する、あの茣蓙枕の殺風景は堪へられない。

隣室は右も左も賑やかだ、気取つた話、白粉臭い話、下らない話、──しかし私は閑寂を味うてゐる、ひとり考へひとり書いてゐる、友人へそれ〴〵のたよりを書いてゐると、その人に逢つて話しかけるやうな気さへする、ひとり考へ、ひとり頷くのも面白い、屁をつて可笑しくもない独り者といふ川柳があるが、その独り者は読書と思索とを知らなかつたのだらうと思ふ、──とにもかくにも一室一燈一人はありがたいことである。

夜は予期した通りの雨となつた、いかにも秋雨らしく降つてゐる、しかし明日はきつと霽れるだらう。

   ヨタ二句

・腰のいたさをたゝいてくれる手がほしい

 お経あげてゐるわがふところは秋の風

(まことに芭蕉翁、良寛和尚に対しては申訳がないけれど)


 十月廿日 晴、曇、雨、そして晴、妻町行乞、宿は同前。


果して霽れてゐる、風が出て時々ばら〳〵とやつて来たが、まあ、晴と記すべきお天気である、九時から二時まで行乞、行乞相は今日の私としては相当だつた。

新酒、新漬、ほんたうにおいしい、生きることのよろこびを恵んでくれる。

歩かない日はさみしい、飲まない日はさみしい、作らない日はさみしい、ひとりでゐることはさみしいけれど、ひとりで歩き、ひとりで飲み、ひとりで作つてゐることはさみしくない。

昨日書き落してゐたが、本庄の宿を立つ時、例の山芋掘りさんがお賽銭として弐銭出して、どうしても受取らなければ承知しないので、気の毒とは思つたけれど、ありがたく頂戴した、此弐銭はいろ〳〵の意味で意味ふかいものだつた。

新酒を飲み過ぎて──貨幣価値で十三銭──とう〳〵酔つぱらつた、こゝまで来るともうぢつとしてはゐられない、宮崎の俳友との第二回会合は明後日あたりの約束だけれど、飛び出して汽車に乗る、列車内でも揷話が二つあつた、一つはとても元気な老人の健康を祝福した事、彼も私もいゝ機嫌だつたのだ、その二は傲慢な、その癖小心な商人を叱つてやつた事。

九時近くなつて、闘牛児居を驚かす、いつものヨタ話を三時近くまで続けた、……その間には小さい観音像へ供養の読経までした、数日分の新聞も読んだ。

放談、漫談、愚談、等々は我々の安全辨だ。


 十月廿一日 晴、日中は闘牛児居滞在、夜は紅足馬居泊、会合。


早く起きる、前庭をぶらつく、花柳菜といふ野菜が沢山作つてある、紅足馬さんがやつてくる、話がはづむ、鮎の塩焼を食べた、私には珍らしい御馳走だつた、小さいお嬢さんが馳けまはつて才智を発揮する、私達は日向の縁側で胡座。

招かれて、夕方から紅足馬居へ行く、闘牛児さんと同道、そのまゝ泊る、今夜も話がはづんだ、句評やら読経やらで夜の更けるのも知らなかつた。

闘牛児居はしづかだけれど、市井の間といふ感じがある、こゝは田園気分でおちつける、そして両友の家人みんな気のおけない、あたゝかい方々ばかりだつた。

   闘牛児居即詠

・ひとりで生え伸びて冬瓜の実となつてゐる

 花柳菜たくさん植えて職が見つからないでゐる

 垣根へ□□げられた芙蓉咲いて

・朝の茶の花二つ見つけた

・菊一株のありてまだ咲かない

 可愛いには人形として観音像

 すこし風が出てまづ笹のそよぐ

 子供むしつては花をならべる

 日を浴びて何か考へてござる

   紅足馬居即事

 お約束の風呂の煙が秋空へ

・夕顔白くまた逢うてゐる


 十月廿二日 曇、行程三里、福島、富田屋(三〇・上)


おだやかな眼ざめだつた、飲み足り話し足り眠り足つたのである、足り過ぎて、疲れと憂ひとを覚えないでもない、人間といふものは我儘な動物だ。

八時出立、途中まで紅闘二兄が送つて下さる、朝酒の酔が少しづゝ出てくる、のらりくらり歩いてゐるうちに、だるくなり、ねむくなり、水が飲みたくなり、街道を横ぎらうとして自動車乗りに奴鳴りつけられたりする(彼があまりに意地悪い表情をしたので、詫の言葉が口から出なかつた)、二里ばかり来て、路傍の林の中へ分け入つて一寝入り、それからお辨当を食べる、バツトと朝日とをかはる〴〵喫ふ、みんな紅足馬さんからの贈物である。

少しばかり行乞して、この宿の前へ来たので、すぐ泊る、合客は多いけれど、みんな好人物、そして家の人々も好人物、のんきに話し合ひ笑ひ合ふ、今夜は飲まなかつた、さすがに昨夜は飲み足りたのだ。

油津で同宿したことのある尺八老とまた同宿になつた、髯のお遍路さんは面白い人だ、この人ぐらい釣好きはめつたにあるまい、修行そつちのけ、餌代まで借りて沙魚釣だ、だいぶ釣つて来たが自分では食べない、みんな人々へくれてやるのである、──ずゐぶん興味のある話を聞いた、沙魚の話、鯉の話、目白飯の話、鹿打失敗談、等、等、等──彼はさらに語る、遍路は職業としては二十年後てゐる、云々、彼はチヤームとか宣伝とか盛んにまた新しい語彙を使ふ。

・ふりかへらない道をいそぐ

・吠える犬吠えない犬の間を通る

・何となくおちつけない顔を洗ふ

 草の中の犬ころはもう死んでゐる

 落葉しいて寝て樹洩れ日のしづか

 山に寝そべれば山の蚊が

・草鞋かろく別れの言葉もかろく

 そのおべんたうをかみしめてあなたがたのこと

 いたゞいたハガキにこま〴〵書いておくる


 十月廿三日 曇、雨、佐土原町行乞、宿は同前。


あぶないお天気だけれど出かける、途中まで例の尺八老と同行、彼はグレさんのモデルみたいな人だ、お人好しで、怠け者で、酒好きで、貧乏で、ちよい〳〵宿に迷惑もかけるらしい。

降りだしたので正味二時間位しか行乞出来なかつた、やつと宿銭と飯米とを貰つて帰つてきた、一杯ひつかけたのと尺八老に一杯あげたのとだけは食ひ込みだ、煙草は貰つてきた朝日とバツト、それも一本づつ同宿者におせつたいした。

行乞中、不快事が一つ、快心事が一つ、或る相当な呉服店の主人の非人情的態度と草鞋を下さつたお内儀さんの温情とである(草鞋は此地方に稀なので殊に有難かつた)。

シヨウチユウと復縁したおかげで、朝までぐつすりと寝た、金もなく心配もなしに。

めくらの爺さんで唄うたうてゐる

穿いて下さいといふ草鞋を穿いて

笠に巣喰うてゐる小蜘蛛なれば

まだ孤独気分にかへれない、家庭気分を嗅いだ後はこれだから困る、一人になりきれ、一人になりきれ。


 十月廿四日 雨、滞在、休養、宿は勿論同前(上)


雨、風まで吹く、同宿者七人、みんな文なしだから空を仰いで嘆息してゐる、しかし元来のんき人種だから、火もない火鉢を囲んで四方八方の話に笑ひ興じる(たゞし例の釣好きのお遍路さんはお札くばりの爺さんから餌代五銭出して貰つて出かけた、そして沙魚三十尾ばかりの獲物を提げて得々として帰つて来た、私もその一二尾の御馳走になつた)。

長い退屈な一日だつた、無駄話は面白いけれど、それも続けると倦いてくる、──ヤキ宿で死んでいつた人の話はみんなをしんみりさせた、そしてめい〳〵の臨終の有様を心に描かせらしい、鯉を盗んで、それをその所有者に食べさせた話はみんなを腹から笑はせた、旅籠に泊つて金が足らないでびく〳〵した話、雨に濡れながら門附けした話、テキヤとヘンロとの合同金儲けの話などもとりどりに興味ふかく聞くことが出来た。

晩酌には、同病相憐むといつた風で、尺八老に一杯おせつたいした、彼の笑顔は焼酎一合のお礼としては勿躰ないほどよかつた。

明日は晴れる、晴れてくれ、晴れなければ困るといふ気分で、みんな早くから寝た、私だつて明日も降つたら、宿銭はオンリヨウだ(オンリヨウとはマイナスの隠語である)。


 十月廿五日 晴曇、行程三里、高鍋町、川崎屋(三五・中上)


晴れたり曇つたり、かはりやすい秋空だつた、七時過ぎ出発する、二日二夜を共にした七人に再会と幸福を祈りつゝ、別れ〳〵になつてゆく。

私はひとり北へ、途中行乞しつゝ高鍋まで、一時過ぎに着く、二時間ばかり行乞、此宿をたづねて厄介になる、聞いた通りに、気安い、気持よい宿である。

山風澄みわたる笠をぬぐ

蓮の葉に雨の音ある旅の夕ぐれ

今日は酒を慎しんだ、酒は飲むだけ不幸で、飲まないだけ幸福だ、一合の幸福は兎角一升の不幸となりがちだ。

今夜は相客がたつた一人、それもおとなしい爺さんで、隣室へひつこんでしまつたので、一室一人、一燈を分けあつて読む、そして宿のおばあさんがとても人柄で、坊主枕の安らかさもうれしかつた。

世間師がいふ晩の極楽飯、朝の地獄飯は面白い、晩はゆつくり食べたり飲んだり話したりして寝る楽しみに恵まれてるが、朝はいそがしく食べて嫌がられる労働をくりかへさなければならないのである、いね〳〵と人にいはれつ年の暮(路通)のみじめさを毎日味ははなければならないのである。

修行者の集つたところでは、その話題はいつもきまつてゐる、曰く宿のよしあし、手の内のよしあし、そしてお天気のよしあし、また世間師の享楽もきまつてゐる、寝る事と食べる事、少し甲斐性のあるのが、飲む事、景気のいゝのが、買ふ事打つ事。


 十月廿六日 晴、行程四里、都濃町、さつま屋(三〇・中上)


ほんとうに秋空一碧だ、万物のうつくしさはどうだ、秋、秋、秋のよさが身心に徹する。

八時から十一時まで高鍋町本通り行乞、そして行乞しながら歩く、今日の道は松並木つゞき、見遙かす山なみもよかつた、四時過ぎて都濃町の此宿に草鞋をぬぐ、教へられた屋号は「かごしまや」だつたが、招牌には「さつまや」とあつた、隣は湯屋、前は酒屋、その湯にはいつて、その酒屋へ寄つて新聞を読ませて貰つた。

此宿もわるくない(昨日の宿は五銭高い以上のものがあつたが)、掃除の行き届いてゐるのが何よりも気持がよい、軒先きを流れる小川の音がさう〳〵として聞えるのもよい。

米の安さ、野菜の安さはどうだ、米一升十八銭では敷島一個ぢやないか、見事な大根一本が五厘にも値しない、菜葉一把が一厘か二厘だ、私なども困るが──修業者はとてもやつてゆけまい──農村のみじめさは見てゐられない。

行乞相はよかつたりわるかつたり、恥づかしいけれどそれが実相が仕方がない、持寂定ならばそれは聖境だ、私は右したり左したり、上つたり下つたり、倒れたり起きたり、いつも流転顛動だ。

たま〳〵鏡を見る、──何といふ醜い黒い顔だらう、この顔を是認するほど私の心地はまだ開けてゐない、可憐々々。

途上、店頭で柚子を見つけて一つ買つた、一銭也、宿で味噌を分けて貰つて柚子味噌にする、代二銭也。

・まつたく雲がない笠をぬぎ

 よいお天気の草鞋がかろい

 警察署の芙蓉二つ三つ咲いて

・秋空、一点の飛行機をゑがく

・見あぐればまうへ飛行機の空

・けふのべんとうは橋の下にて

 旅の法衣で蠅めがつるむ

 刈田の青草ぐい〳〵伸びろ

・大石小石かれ〴〵の水となり

 もぎのこされた柿の実のいよ〳〵赤く

早く寝たが、蚤がなか〳〵寝せない、虱はまだゐないらしい、寝られないまゝに、同宿の人々の話を聞く、競馬の話だ、賭博本能が飲酒本能と同様に人生そのものに根ざしてゐることを知る(勿論、色、食の二本能以外に)。


 十月廿七日 晴、行程三里、美々津町、いけべや(三〇・中)


いゝお天気である、午前中は都農町行乞、それからぼつ〳〵歩いて二時過ぎ美々津町行乞、或る家で法事の餅をよばれる、もつと行乞しなければ都合が悪いのだが、嫌になつたので、丁度出くわした鮮人の飴売さんに教へられて此宿に泊る、予期したよりもよかつた。

けさはまづ水の音に眼がさめた、その水で顔を洗つた、流るゝ水はよいものだ、何もかも流れる、流れることそのことは何といつてもよろしい。

同宿者の一人、老いかけやさんは異色があつた、縞のズボンに黒の上衣、時計の鎖をだらりと下げてゐる、金さへあれば飲むらしい、彼もまた『忘れえぬ人々』の一人たるを失はない。

途上、がくねんとして我にかへる──母を憶ひ弟を憶ひ、更に父を憶ひ祖母を憶ひ姉を憶ひ、更にまた伯父を憶ひ伯母を憶ひ──何のための出家ぞ、何のための行脚ぞ、法衣に対して恥づかしくないか、袈裟に対して恐れ多くはないか、江湖万人の布施に対して何を酬ゐるか──自己革命のなさざるべからざるを考へざるを得なかつた(この事実については、もつと、もつと、書き残しておかなければならない)。

村の共同浴場、一銭風呂といふのを宿のおばさんに教へられて、行つてみたが駄目だつた、まだ沸いてゐなかつた、それにしても丘をのぼり、墓場を抜け、農家の間を抜けて、風呂場へ行くとは面白いではないか。

今日も此宿で、修行遍路ではやつてゆけない実例と同宿した、こんなに不景気で、そしてこんなに米価安では誰だつて困る、私があまり困らないですむのは、袈裟の功徳と、そして若し附け加へることを許されるならば、行乞の技巧とのためである。

入浴、そして一杯ひつかける、──これで今日の命の終り!

・ひとりきりの湯で思ふこともない

 旅のからだでぽり〳〵掻く


 十月廿八日 曇、雨、行程三里、富高町、成美屋(特二五・上)


おぼつかない空模様である、そしてだいぶ冷える、もう単衣ではやりきれなくなつた、君がなさけの袷を着ましよ!

行乞には早すぎるので(四国ではなんぼ早くてもかまはない、早くなければいたゞけない、同行が多いから)、紅足馬さんから貰つてきた名家俳句集を読む、惟然坊句集も面白くないことはないけれど、隠者型にはまつてゐるのが鼻につく、やつぱり良寛和尚の方がより親しめる。

八時から十一時まで美々津町行乞、とう〳〵降りだした、濡れて峠を越える、三度も四度も雨やどりして、此宿についたのが四時、お客さんでいつぱいなので裏の隠宅──といへば名はいゝがその実はバラツク小屋──に泊めてもらう、相客は老遍路さん一人、かへつて遠慮がなくてよろしい。

今日の行乞相は、現在の私としては、まあ満点に近い方だつた、我といふものがなかつたとはいへないが、ないに近い方だつた、そして泊つて食べる(その上に酒一本代)だけは頂戴することが出来た。

・墓がならんでそこまで波がおしよせて

 いざり火ちら〳〵して旅はやるせない

 やるせない夢のうちから鐘が鳴りだした

 朽ちてまいにち綻びる旅の法衣だ

 眼がさめたら小さくなつて寝ころんでゐた

 覗いてる豚の顔にも秋風

・けふのべんたうも草のうへにて

 波の音しぐれて暗し

 食べてゐるおべんたうもしぐれて

 朝寒夜寒物みななつかし

 しぐるゝやみんな濡れてゐる

 さんざしぐれの山越えてまた山

ずゐぶん降つた、どしや降りだ、雷鳴さへ加はつて電燈も消えてしまつた、幸にして同宿の老遍路さんが好人物だつたので、いろ〳〵の事を話しつゞけた、同行の話といふものは(或る意味に於て)面白い。

夜長ゆう〳〵として煙管をみがく──といふやうなものが出来た、これは句でもない、句でないこともない、事実としては、同行の煙管掃除の金棒を借りて煙管掃除をしたのである。


 十月廿九日 晴、行程二里、富高、門川行乞、坂本屋(三〇・中上)


降つて降つて降つたあとの秋晴だ、午前中富高町行乞、それから門川まで二里弱、行乞一時間。

けふの行乞相もよかつた、しかし一二点はよくなかつた、それは私が悪いといふよりも人間そのものの悪さだらう! 四時近くなつたので此宿に泊る、こゝにはお新婆さんの宿といつて名代の宿があるのだが、わざと此宿に泊つたのである、思つたよりもよい宿だ、いわしのさしみはうまかつた。

 あぶないきたない仕舞湯であたゝまる

・からりと晴れた朝の草鞋もしつくり

なか〳〵よい宿だが、なか〳〵忙しい宿だ、稲扱も忙しいし、客賄も忙しい、牛がなく猫がなく子供がなく鶏がなく、いやはや賑やかなことだ、そして同宿の同行は喘息持ちで耄碌してゐる、悲喜劇の一齣だ。


 十月三十日 雨、滞在、休養。


また雨だ、世間師泣かせの雨である、詮方なしに休養する、一日寝てゐた、一刻も早く延岡で留置郵便物を受取りたい心を抑へつけて、──しかし読んだり書いたりすることが出来たので悪くなかつた、頭が何となく重い、胃腸もよろしくない、昨夜久しぶりに過した焼酎のたゝりだらう、いや、それにきまつてゐる、自分といふ者について考へさせられる。

今日一日、腹を立てない事

今日一日、嘘をいはない事

今日一日、物を無駄にしない事

これが私の三誓願である、腹を立てない事は或る程度まで実践してゐるが、嘘をいはない事はなかなか出来ない、口で嘘をいはないばかりでなく、心でも嘘をいはないやうにならなければならない、口で嘘をいはない事は出来ないこともあるまいが、カラダでも嘘をいはないやうにしなければならない、行持が水の流れるやうに、また風の吹くやうにならなければならないのである。

行乞しつゝ腹を立てるやうなことがあつては所詮救はれない、断られた時は、或は黙過された時は自分自身を省みよ、自分は大体供養を受ける資格を持つてゐないではないか、応供は羅漢果を得てゐるものにして初めてその資格を与へられるのである、私は近来しみ〴〵物貰ひとも托鉢とも何とも要領を得ない現在の境涯を恥ぢ且つ悲しんでゐる。

そして物を無駄にしない事は一通りはやれないことはない、しかししんじつ物を無駄にしない事、いひかへれば物を活かして使ふことは難中の難だ、酒を飲むのも好きでやめられないなら仕方ないが、さて飲んだ酒がどれだけの功徳(その人にとつては)を発揮するか、酒に飲まれて酒の奴隷となるのでは助からない。……

今日は菊の節句である、家を持たない私には節句も正月もないが、雨のおかげでゆつくり休んだ。

降る雨は、人間が祈らうが祈るまいが、降るだけは降る、その事はよく知つてゐて、しかも、空を見上げて霽れてくれるやうにと祈り望むのが人間の心だ、心といふよりも性だ、こゝに人間味といつたやうなものがある。

・いつも十二時の時計の下で寝かされる

 いちにち雨ふり故郷のこと考へてゐた

 夕闇の猫がからだをすりよせる

 牛がなけば猫もなく遍路宿で

・餓えて鳴きよる猫に与へるものがない

 どうやら霽れるらしい旅空

・尿するそこのみそはぎ花ざかり

けふまでまとまらなかつたものがこれだけまとまつた、これも雨で休んだゝめである、雨を憎んだり愛したり、煩悩即菩提だ、といへないこともあるまいよ。

同宿の老遍路さんが耄碌してゐると思つたのは間違だつた、彼は持病の喘息の薬だといふので、アンポンタン(いが茄子の方語)を飲んだゝめだつた、その非常識、その非常識の効験は気の毒でもあり、また滑稽でもあつた、──いづれにしても悲喜劇の一齣たるを免かれないものだつた。

此宿には猫が三匹ゐる、どれも醜い猫だが、そのうちの一匹はほんたうによく鳴く、いつもミヤアミヤア鳴いてゐる、牝猫ださうなが、まさか、夫を慕ひ子を慕うて鳴くのでもなからう。

今晩のお菜は姫鮫のぬた、おいしかつた、シヨウチユウ一本なかるべからざる次第である。

一日降りつゞけて風さへ加はつた、明日の天候も覚束ない、まゝよどうなるものか、降るだけ降れ、吹くだけ吹け。


 十月卅一日 曇后晴、行程四里、延岡町、山蔭屋(三〇・中上)


風で晴れた、八時近くなつて出発、途中土々呂を行乞して三時過ぎには延岡着、郵便局へ駆けつけて留置郵便を受取る、二十通ばかりの手紙と端書、とり〴〵にうれしいものばかりである(彼女からの小包も受取つた、さつそく袷に着換へる、人の心のあたゝかさが身にしみこむ)。

今日は風が騒々しかつた、少し熱のある身体で行乞するのは少し苦しかつた、これも死ねない人生の一片だらう。

此地方の子供はみんな跣足で学校へゆく(此地方に限らず、田舎はどこでもさうだが)、学校にはチヤンと足洗ひ場がある、ハイカラな服を着てハイカラな靴を穿いた子供よりもなんぼう親しみがあるか知れない、また、此地方にはアンテナを見ることが稀だ、それだけ近代文化は稀薄だともいへやう。

此宿も悪くない、二三年前山蔭で同宿したことのある若い世間師に再会した、彼は私をよく覚えてゐた、私も彼をよく覚えてゐた、世の中は広いやうで狭い、お互に悪い事は出来ませんなあ、といつて挨拶をかはしたことだつた。

 ゆき〳〵て倒れるまでの道の草

・酔ひざめの星がまたゝいてゐる(野宿)

 風が出てうそ寒い朝がやつてきた

・夕寒の豚をひきずりまはし

・すこし熱がある風の中を急ぐ

 跣足の子供らがお辞儀してくれた

三日振に湯に入つて髯を剃つて一杯ひつかけた、今夜はきつといゝ夢をみることだらう!


 十一月一日 曇、少雨、延岡町行乞、宿は同前。


また雨らしい、嫌々で九時から二時まで延岡銀座通を行乞、とう〳〵降りだした、大したことはないが。

例の再会の人とは今朝別れる、彼は南へ、私は北へ──そして夕方また大分で同宿したことのあるテキヤさんと再会した、逢うたり別れたり、さても人のゆくへはおもしろいものである。

同宿の土方でテキヤさんはイカサマ賽を使ふことがうまい、その実技を見せて貰つて、なるほど人はその道によつて賢しだと感心した。

昨日も今日も行乞相は悪くなかつた、しかしまだ〳〵境に動かされるところがある、いひかへれば物に拘泥するのである、水の流れるやうな自然さ、風の吹くやうな自由さが十分でない、もつとも、そこまで行けばもう人間的ぢやなくなる、人間は鬼でもなければ仏でもない、同時に鬼でもあれば仏でもある。

隣室の老遍路さんは同郷の人だつた、故郷の言葉を聞くと、故郷が一しほ懐かしくなつて困る。……

空たかくべんたういたゞく

光あまねく御飯しろく

女房に逃げられて睾丸を切り捨てた男──その男が自身の事をしやべりつゞけた、多分、彼はその女房の事で逆上してゐるのだらう、何にしても特種たるを失はなかつた。

Gさんに、──我々は時々『空』になる必要がありますね、句は空なり、句不異空といつてはどうです、お互にあまり考へないで、もつと、愚になる、といふよりも本来の愚にかへる必要がありますね。

どうやら雨もやんだらしい、明日はお天気に自分できめて寝る、私にもまだ明日だけは残つてゐる、来月はないが、もちろん来年もないが。


 十一月二日 曇、后晴、延岡町行乞、宿は同前。


九時から一時まで辛うじて行乞、昨夜殆んど寝つかれなかつたので焼酎をひつかける、それで辛うじて寝ついた──アルコールかカルモチンか、どちらにしても弱者の武器、いや保護剤だ。

同宿の同郷の遍路さんとしみ〴〵語つた、彼は善良なだけそれだけ不幸な人間だつた、彼に幸福あれ。


 十一月三日 晴、稍寒、延岡町行乞、宿は同前。


だいぶ寒くなつた、朝は曇つてゐたが、だん〳〵晴れわたつた、八時半から三時半まで行乞する、近来の励精である。

今日の行乞相はたしかに及第だ、乞食坊主としてのすなほさほこりとを持ちつゞけることが出来た、勿論、さういふものが残つてゐるほど第二義的であることは免れないけれど。

いよ〳〵シヨウチユウとも縁切りだ。

うるかを買はうと思つたがいゝのがなかつた、松茸を食べたいと思ふが、もう季節も過ぎたし、だいたい此地方では見あたらない、此秋は松茸食べなかつたゞけぢやない、てんで見ることも出来なかつた、それにしても故郷の香り高い味はひを思ひださずにはゐられない。

新来のお客さん四人、みんな同行だ、話題は相変らず、宿の事、修行の事、そしてヨタ話。

ふる郷の言葉なつかしう話しつゞける

けふも大空の下でべんたうをひらく


 十一月四日 晴、行程十里と八里、三重町、梅木屋(三〇・中上)


早く起きる、茶を飲んでゐるところへ朝日が射し込む、十分に秋の気分である、八時の汽車で重岡まで十里、そこから小野市まで三里、一時間ばかり行乞、そして三重町まで八里の山路を急ぐ、三国峠は此地方では峠らしい峠で、また、山路らしい山路だつた、久振に汗が出た、急いだので暮れきらうちに宿へ着くことが出来た。

今日の道はほんたうによかつた、汽車は山また山、トンネルまたトンネルを通つた、いちだなしげをかとの間は八マイル九分といふ長さだつた、歩いた道はもつとよかつた、どちらを見ても山ばかり、紅葉にはまだ早いけれど、どこからともなく聞えてくる水の音、小鳥の声、木の葉のそよぎ、路傍の雑草、無縁墓、吹く風も快かつた。

峠を登りきつて、少し下つたところで、ふと前を見渡すと、大きな高い山がどつしりと峙えてゐる、祖母岳だ、西日を浴びた姿は何ともいへない崇美だつた、私は草にすはつてぢつと眺めた、ゆつくり一服やつた(実は一杯やりたかつたのだが)、そこからまた少し下ると、一軒の茶店があつた、さつそく漬物で一杯やつた、その元気でどん〳〵下つて来た。

汽車賃五十銭は仕方なかつたが、『みのり』はたしかに贅沢だつた、しかしそれが今日は贅沢でなくなつた、それほど急いで山を楽しんだのである、山を前に悠然として一服、いや一杯やる気持は何ともいへない。

小野市といふ村町では、見事な菊を作つて陳列してゐる家が多かつた、菊はやつぱり日本の花、秋の花だと思つた。

山道が二つに分れてゐる、多分右がほんたうだらうとは直感したが、念のために確かめたいと思つて四方を見まはすけれど誰もゐない、たゞ大きな黒い牛が草を食んでゐる、そして時々不審さうに私を見る、私も牛を見る、私はあまり牛といふ動物を好かないが、その牛には好感が持てた、道を教へてくれ、牛よ。

行乞してゐると、人間の一言一行が、どんなに人間の心を動かすものであるかを痛感する、うれしい事でも、おもしろくない事でも。

此宿はよくないだらうと予期して泊つたのだが、予期を裏切つて悪くなかつた、何でも見かけにはよらないものだ。

・休む外ない雨のひよろ〳〵コスモス

・しぐるゝや道は一すぢ(旧作)


・ほがらかさ一家そろうて刈りすゝむ

・秋の山路のおへんろさん夫婦づれ

・秋はいちはやく山の櫨を染め

・崖はコンクリートの蔦紅葉

 いたゞきの枯すゝきしづもるまなし

 旅の人々が汽車の見えなくなるまでも

 山路下りて来てさこんた

 嫌な声の鴉が一羽

・山の一つ家も今日の旗立てゝ(旗日)

・峰のてつぺんの樹は枯れてゐる

・さみしさは松虫草の二つ三つ

 枯草に残る日の色はかなし

 日が落ちかゝるその山は祖母山

 暮れてなほ耕す人の影の濃く

 軒も傾いたまんま住んでゐる

さすがに山村だ、だいぶ冷える、だらけた身心がひきしまるやうである、山のうつくしさ水のうまさはこれからである。

『空に遊ぶ』といふことを考へる、私は東洋的な仏教的な空の世界におちつく外はない。

台湾蕃婦の自殺記事は私の腸を抉つた、何といふ強さだ。


 十一月五日 曇、三重町行乞、宿は同前。


昨夜は蒲団長く夜長くだつた、これからは何よりもカンタン(フトンの隠語)がよい宿でなければかなはない、此宿は主婦が酌婦上りらしいので多少、いやらしいところがないでもないが、悪い方ではない。

山の町の朝はおくれる、九時から二時まで行乞、去年の行乞よりもお賽銭は少なかつたが、それでも食べて飲んで寝るだけは十分に戴いた、袈裟の功徳、人心の信愛をありがたく感じる。

行乞相はだん〳〵よくなる、おちついてきたからだらう、歩かない日は──行乞しない日は堕落した日である。

此地方ではもう、豆腐も水に入れてある、草鞋も店頭にぶらさげてある、酒も安い、──何だか親しみを覚える。

豪家らしい家で、御免と慳貪にいふ、或はちよんびり米を下さる(与へる方よりも受ける方が恥づかしいほど)、そして貧しい裏長屋でわざ〳〵よびとめて、分不相応の物質を下さる、──何といふ矛盾だらう、──今日も或る大店で嫌々与へられた一銭は受けなかつたが、通りがゝりにわざ〳〵さしだされた茶碗一杯の米はほんたうにありがたく頂戴した。

入浴三銭、酒弐十銭、──これで私は極楽の人となつた。

今日は一句もない、句の出来ないのは気持の最もいゝ時か或は反対に気持の最もよくない時かである。

今日は酒屋で福日と大朝とを読ませて貰つた、新聞も読まないやうになると安楽だけれど、まだそこまではゆけない、新聞によつて現代社会相と接触を保つてゐる訳だ。

今日はまた湯屋で、ほんたうの一番風呂だつた、湯加減もよかつたので、たつたひとり、のび〳〵と手足を伸ばした気持は何ともいへなかつた、殊にそこの噴井の水はうまかつた、腹いつぱい飲んだことである。

アルコールのおかげで、ぐつすり寝た、お天気もよいらしい、いゝ気分である、人生の最大幸福はよき食慾とよき睡眠だ。

いつ頃からか、また小さい蜘蛛が網代笠に巣喰うてゐる、何と可愛い生き物だらう、行乞の時、ぶらさがつたりまひあがつたりする、何かおいしいものをやりたいが、さて何をやつたものだらう。


 十一月六日 晴后曇、行程六里、竹田町、朝日屋(三五・中)


急に寒くなつた、吐く息が白く見える、八時近くなつてから出発する、牧口、緒方といふ村町を行乞する、牧口といふところは人間はあまりよくないが、土地はなか〳〵よい、丘の上にあつて四方の連山を見遙かす眺望は気に入つた、緒方では或る家に呼び入れられて回向した、おかみさんがソウトクフ(曹洞宗の意味!)といつて、たいへん喜んで下さつたが、皮肉をいへば、その喜びとお布施とは反比例してゐた、また造り酒屋で一杯ひつかけた、安くて多かつたのはうれしかつた、そこからこゝまでの二里の山路はよかつた、丘から丘へ、上るかと思へば下り、下るかと思へば上る、そして水の音、雑木紅葉──私の最も好きな風景である、ずゐぶん急いだけれど、去年馴染の此宿へついたのは、もう電燈がついてからだつた、すぐ入浴、そして一杯、往生安楽国!

竹田は蓮根町といはれてゐるだけあつてトンネルの多いのには驚ろく、こゝへくるまでにも八つの洞門をくゞつたのである。

・すこしさみしうてこのはがきかく(元寛氏、時雨亭氏に)

・あなたの足袋でこゝまで三十里(闘牛児氏に)

 百舌鳥ないてパツと明るうなる

・飯のうまさもひとりかみしめて

・最後の一粒を味ふ

・名残ダリヤ枯れんとして美しい

 犬が尾をふる柿がうれてゐる

 腰かける岩を覚えてゐる

・よろ〳〵歩いて故郷の方へ

・筧あふるゝ水に住む人なし

 枯山のけむり一すぢ

 かうして旅の山々の紅葉

・ゆきずりの旅人同志で話つきない

此宿はよいといふほどではない、まあ中に位する、或る人々は悪いといふかも知れないが、私には可もなく不可もなし、どちらかといへばよい方である、何となくゆつくりしてゐておちついてゐられるから。

また主人公も妻君も上手はないが好人物だ、内証もよいらしく、小鳥三十羽ばかり飼うてゐる、子がないせいでもあらうけれど。

坊主枕はよかつた、こんな些事でもうれしくて旅情を紛らすことができる、汽車の響はよくない、それを見るのは尚ほいけない、こゝからK市へは近いから、一円五十銭の三時間で帰れば帰られる、感情が多少動揺しても無理はなからうぢやないか。

夜もすがら水声が聞える、曽良の句に、夜もすがら秋風きくや裏の山、といふのがあつたやうに覚えてゐるが、それに同じて

夜をこめて水が流れる秋の宿

同宿の老人はたしかに変人奇人に違ひない、金持ださうなが、見すぼらしい風采で、いつも酒を飲み本を読んでゐる。


 十一月七日 曇、夕方から雨、竹田町行乞、宿は同前。


雨かと思つてゐたのに案外のお天気である、しかし雨が近いことは疑はなかつた、果して曇が寒い雨となつた。

九時から四時まで行乞、昨年と大差はないが、少しは少ないが、米が安いのは的確にこたえる、やうやく地下足袋を買ふことができた、白足袋に草鞋が好きだけれど、雨天には破れ易くてハネがあがつて困るから、感じのよいわるいをいつてはゐられない。

こゝの唐辛の砂糖煮、味噌汁、煎茶はうまい、九州ほど茶を飲むところは稀だが、私も茶飲み連中の一人となつてしまつた。

今日の行乞相も及第はたしかだ、行乞相がいゝとかわるいとかいふのは行乞者が被行乞者に勝つか負けるかによる、いひかへれば、心が境のために動かされるか動かされるかによる、随処為主の心境に近いか遠いかによる(その心境になりきることは到底望めない、凡夫のあさましさだ、同時に凡夫のよさだ、ともいへやう)。

町の酒屋で二杯ひつかけたので、ほろ〳〵酔うた、微酔の気地は何ともいへない、しかしとかく乱酔泥酔になつて困る、もつともさうなるだけ酒がうまいのだが!

今夜も夜もすがら水音がたえない、階下は何だか人声がうるさい、雨声はトタン屋根をうつてもわるくない、──人間に対すれば憎愛がおこる、自然に向へばゆう〳〵かん〳〵おだやかに生きてをれる。

月! 芋明月も豆明月も過ぎてしまつた、お天気がよくなので、しばらく清明の月を仰がない、月! 月! 月は東洋的日本的乃至仏教的禅宗的である。

寝ては覚め、覚めては寝る、夢を見ては起き、起きてはまた夢を見る──いろ〳〵さま〴〵の夢を見た、聖人に夢なしといふが、夢は凡夫の一杯酒だ、それはヱチールでなくてメチールだけれど。


 十一月八日 雨、行程五里、湯ノ原ユノハル、米屋(三五・中)


やつぱり降つてはゐるけれど小降りになつた、滞在は経済と気分とが許さない、すつかり雨支度して出立する、しようことなしに草鞋でなしに地下足袋(草鞋が破れ易いのとハネがあがるために)、何だか私にはそぐはない。

九時から一時間ばかり竹田町行乞、そしてどし〴〵歩く、村の少年と道づれになる(一昨々日、毛布売の青年と連れだつたやうに)、明治村、長湯村、赤岩といふところの景勝はよかつた、雑木山と水声と霧との合奏楽であり、墨絵の巻物であつた、三時近くなつて湯ノ原着、また一時間ばかり行乞、宿に荷をおろしてから洗濯、入浴、理髪、喫飯(飲酒は書くまでもない)、──いやはや忙しいことだ。

竹田といふところはほんたうにトンネルが多い、入るに八つくゞつたが、出るに五つくゞつた、それはトンネルと書くよりは洞門と書いた方がよい。

・雨だれの音も年とつた

・一寝入してまた旅のたより書く

 酔ひざめの水をさがすや竹田の宿で

 朝の鶏で犬にくはれた

 谷の紅葉のしたゝる水です

・しぐるゝ山芋を掘つてゐる

 ぼう〳〵として山霧につゝまれる

・いちにちわれとわが足音を聴きつゝ歩む

・水飲んで尿して去る

こゝは片田舎だけれど、さすがに温泉場だけのよいところはある(小国には及ばないが)、殊に浴場はきたないけれど、解放的で大衆的なのがよい、着いてすぐ一浴、床屋から戻つてまた一浴、寝しなにも起きがけにもまた〳〵一浴のつもりだ! 湯の味は何だか甘酸つぱくて、とても飲めない、からだにはきけるやうな気がする、とにかく私は入浴する時はいつも日本に生れた幸福を考へずにはゐられない、入浴ほど健全で安価な享楽はあまりあるまい。

造り酒屋へ行つたら、酒がよくてやすかつたので、おぼえず一杯二杯三杯までひつかけてしまつた、うまいことはうまかつたが、胃が少々悪くなつたらしい、明日はたくさん水をのまう。

夜もすがら瀬音がたえない、それは私には子守唄だつた、湯と酒と水とが私をぐつすり寝させてくれた。


 十一月九日 晴、曇、雨、后晴、天神山、阿南アナミ屋(三〇・中)



暗いうちに眼が覚めてすぐ湯へゆく、ぽか〳〵温かい身心で七時出発、昨日の道もよかつたが、今日の道はもつとよかつた、たゞ山のうつくしさ、水のうつくしさと書いておく、五里ばかり歩いて一時前に小野屋についたが、ざつと降つて来た、或る農家で雨宿りさせて貰ふ、お茶をいたゞく、二時間ばかり腰かけてゐるうちに、いろんな人々が来て、神様の事、仏様の事、酒の事、等々々、そのうちにやうやく霽れてきた、小野屋といふ感じのわるくない村町を一時間ばかり行乞して、それから半里歩いて此宿へついた。

昨夜の湯の原の宿はわるくなかつた、子供が三人、それがみんな掃除したり応対したりする、いただいてゐてそのまゝにしてゐた密柑と菓子とをあげる、継母継子ではないかとも思ふ、──とにかく悪くない宿だつた、燠を持つてくる、めづらしく炭がはいつてゐる、お茶を持つてゐる、お茶受としてはおきまりの漬物だが、菜漬がぐつさり添へてある、そして温泉には入り放題だ。

朝湯──殊に温泉──は何ともいへない心持だ、湯壺にぢとしてゐる時は無何有郷の遊び人だ、不可得、無所得、ぼうばくとしてナムカラタンノウトラヤヤ……。

今日は草鞋をはいた、白足袋の感じだけでも草鞋はいゝ、いはんや草鞋はつかれない、足についてくる(地下足袋にひきずられるとは反対に)、さく〳〵として歩む気持は何ともいへない。

歩いてゐて、ふと左手を見ると、高い山がなかば霧にかくれてゐる、疑ひもなく久住山だ、大船山高岳と重なつてゐる、そこのお爺さんに山の事を訊ねてゐると──彼は聾だつたから何が何だか解らなかつた──そのうちにもう霧がそこら一面を包んでしまつた。

家々に唐黍の実がずらりと並べ下げてあるのは、いかにも山国らしい、うれしい風景である(唐黍飯には閉口だけれど)。

道ゆく人々がみんな行きずりに、お早うといふ、学校生徒は只今々々といふ(今日は日曜だが、午後は只今帰りましたといふ)、これも山国らしい嬉しい情景の一つである(その癖、行乞の時は御免が割合に多い、未就学児童が、御免々々といふのは何としても嬉しくない)。

山々樹々の紅葉黄葉、深浅とり〴〵、段々畠の色彩もうつくしい、自然の恩恵、人間の力。

このあたりは行人が稀で、自動車はめつたに通らない、願はくは風景のいゝところには山路だけあれ、車道を拓くべからずだ!

頬白、百舌鳥、鵯、等々、小鳥の歌はいゝなあ。

どこへいつても道路がよくひらかけてゐるのに感謝する、そして道路の事だつたら道路工夫にお訊ねなさい、其地方の道路については彼はよく知つてゐる、そしてよく教へてくれる、決して田舎の爺さん婆さんに道路のことを訊くものぢやない、なあに二里か三里だよといふ、労れた旅人に二里か三里かは大した相違ぢやないか、彼等はよくいふ、ついそこだといふ、そのついそこだが五丁の時もあり、十丁の時もあり、一里の時もないことはない、まあ仕方のない時は小学生の上級生に訊ねると、大した間違はない、もつとも、そこの停車場を知らない生徒もないではないが(因みにいふ、その地方の山の名、川の名を知つてゐる地方人が稀なのにはいつも驚かされる)。

今日の道はよかつたが、下津留附が最もよかつた、これについては別に昨日の赤岩附近の景勝といつしよに書く、それはそれとして、今朝、湯ノ原から湯ノ平へ山越しないで幸だつた、道に迷ふばかりでなく、こんな山水を見落すのだつた。

 明けはなれゆく瀬の音たかく

 あかつきの湯が私ひとりをあたゝめてくれる

 壁をへだてゝ湯の中の男女さゞめきあふ

 見る〳〵月が逃げてしまつた

・物貰ひ罷りならぬ紅葉の里を通る

 一きわ赤いはお寺の紅葉

 電線の露の玉かぎりなし

・脚絆かはかねど穿いて立つ

 ホイトウとよばれる村のしぐれかな

・手洟かんでは山を見てゐる

 枯草の日向の蝶々黄ろい蝶々

・しつとり濡れて岩も私も

・蝶々とまらう枯すゝきうごくまいぞ

 枯草、みんな言葉かけて通る

 剃りたてのあたまにぞんぶん日の光

 さみしい鳥よちゝとなくかよこゝとなくかよ

 日をまともに瀧はまつしぐら

・青空のした秋草のうへけふのべんたうひらく

・あばら屋の唐黍ばかりがうつくしい

 まだ奥に家がある牛をひいてゆく

 山家一すぢの煙をのぼらせて

 ぬかるみをとんでゐる蝶々三つ

 去年コゾの色に咲いたりんだう見ても(熊本博多同人に)

・宿までかまきりついてきたか

・法衣吹きまくるはまさに秋風(改作)

 ずんぶりぬれて馬も人も働らく

山はいゝなあといふ話の一つ二つ──三国峠では祖母山をまともに一服やつたが、下津留では久住山と差向ひでお辨当を開いた、とても贅沢なランチだ、例の如く飯ばかりの飯で水を飲んだゞけではあつたが。

今日の感想も二三、──草鞋は割箸と同じやうに、穿き捨てゝゆくところが、東洋的よりも日本的でうれしい、旅人らしい感情は草鞋によつて快くそゝられる。

法眼の所謂『歩々到着』だ、前歩を忘れ後歩を思はない一歩々々だ、一歩々々には古今なく東西なく、一歩即一切だ、こゝまで来て徒歩禅の意義が解る。

山に入つては死なゝい人生、街へ出ては死ねない人生、いづれにしても死にそこないの人生。

雑木山の美しさは自然そのもの、そのまゝの美しさだ、殖林の美しさは人工的幾何学的の美しさだ、前者を日本的とすれば後者は西洋的ともいはうか。

酒はたしかに私を世間的には蹉跌せしめたが、人間的には疑ひもなく生かしてくれた、私は今やうやく酒の繋縛から解脱しつゝある、私の最後の本格が出現しつゝあるのである、呪ふべき酒ではあつたが、同時に祝すべき酒でもあつたのだ、生死の外に涅槃なく、煩悩の外に菩提はない。

おしまひにユーモラスな揷話を二つ(それは行乞漫談の資料としておもしろい)、──或る小さい料理屋の前に立つ、そこの階段の横で、鏡台を前に、あまりシヤンでもない酌婦がしきりに髪を撫でたり顔を撫でたりしてゐる、時々横目で私の方を見るが、御免とも何ともいはないので、私も観音経を読誦し続けた、しかしずゐぶん長く立つてゐるのに、依然として同じ状態だ、とう〳〵私は根気負けして立ち去つた、ユーゴーか誰かの言葉に、女は弱く母は強しとあつたが、鏡の前の女は何といふ強さだらう、とても敵はない、或はまた思ふ、彼女の布施は横眼でちよい〳〵見たこと、いひかへれば色眼ではなかつたらうか知ら! もう一つは、或る店の前に立つ、老婆がすぐ立ちあがつて抽出しの中を探し初めた、お断りをいはないから読経しつゝ待つてゐる、しきりに探しまはすが見つからないらしい様子、気の毒さうに私を見ては探しつゞけてゐる、暫らくしてやつと見つかつたらしい、それを持つてきて鉄鉢に入れて下さつた、見ると五厘銅貨である、多分お婆さん、その銅貨をどこかで拾ひでもしてその抽出しに入れておいたのだらう、そして私が立つたので、それを思ひだして喜捨して下さつたのだらう、空気の報謝──これも一揷話──よりも罪はないが、少々慾張りすぎてゐますね、お婆さんは多分五厘で極楽へゆくつもりだらう、慾張り爺さんが一銭で大願成就を神様に押しつけるやうにさ!

此宿も悪くないけれど、いや、良い方だけれど、水に乏しく風呂を立てないのは困る、今夜も私は五六里歩いてきた身体そのまゝで寝なければならなかつた、もちろん湯屋なんかありはしないから。

今夜も水声がたえない、アルコールのおかげで辛うじて眠る、いろんな夢を見た、よい夢、わるい夢、懺悔の夢、故郷の夢、青春の夢、少年の夢、家庭の夢、僧院の夢、ずゐぶんいろんな夢を見るものだ。

味ふ──物そのものを味ふ──貧しい人は貧しさに徹する、愚かなものは愚かさに徹する──与へられた、といふよりも持つて生れた性情を尽す──そこに人生、いや、人生の意味があるのぢやあるまいか。


 十一月十日 雨、晴、曇、行程三里、湯ノ平温泉、大分屋(四〇・中)


夜が長い、そして年寄は眼が覚めやすい、暗いうちに起きる、そして『旅人芭蕉』を読む、井師の見識に感じ苦味生さんの温情に感じる、ありがたい本だ(これで三度読む、六年前、二年前、そして今日)。

冷たい雨が降つてゐるし、腹工合もよくないので、滞在休養して原稿でも書かうと思つてゐたら、だん〳〵霽れて青空が見えて来た、十時過ぎて濡れた草鞋を穿く、すこし冷たい、山国らしくてよろしい、沿道のところ〴〵を行乞して湯ノ平温泉といふこゝへ着いたのは四時、さつそく一浴一杯、ぶら〳〵そこらあたりを歩いたことである。

秋風の旅人になりきつてゐる

こゝ湯ノ平といふところは気に入つた、いかにも山の湯の町らしい、石だゝみ、宿屋、万屋よろづや、湯坪、料理屋、等々々、おもしろいね。

ルンペンの第六感、さういふ第六感を、幸か不幸か、私も与へられてゐる、人は誰でも五感を通り越して第六感に到つて、多少話せる。

朝寒夜寒、山の谷の宿はうすら寒い、もう借衣ではいけないらしい、どなたか、綿入一枚寄附してくだされ、ハイカシコマリマシタ、呵々。

これは行乞ヱピソードの一つで──嘘を教へる、しかも母が子に嘘を教へる、──さういふ微苦笑劇の一シーンに時々出くわす──今日もさういふことがあつた、──御免、お御免、留守、留守と子供がいふ、子供はさういふけれど母親はゐるのだ、ゐて知らない顔をしてゐるのだ、──子供は正直にいふ、お母さんが留守だといへといつたといふ──多分、いや間違ひなく、彼女は主婦の友か婦女界の愛読者だらう、そして主婦の友乃至婦女界の実現者ではないのだらう。

・いちにち雨ふり一隅を守つてゐた(木賃宿生活)

 あんたのことを考へつゞけて歩きつゞけて

・大空の下にして御飯のひかり

・貧しう住んでこれだけの菊を咲かせてゐる(改作)

 阿蘇がなつかしいりんだうの花

人生の幸福は健康であるが、健康はよき食慾とよき睡眠との賜物である、私はよき──むしろ、よすぎるほどの食慾を恵まれてゐるが、どうも睡眠はよくない、いつも不眠或は不安な睡眠に悩んでゐる、睡られないなどゝはまことに横着だと思ふのだが。

此温泉はほんたうに気に入つた、山もよく水もよい、湯は勿論よい、宿もよい、といふ訳で、よく飲んでよく食べてよく寝た、ほんたうによい一夜だつた。

こゝの湯は熱くて豊かだ、浴して気持がよく、飲んでもうまい、茶の代りにがぶ〳〵飲んでゐるやうだ、そして身心に利きさうな気がする、などゝすつかり浴泉気分になつてしまつた。


 十一月十一日 晴、時雨、──初霰、滞在、宿は同前。


山峡は早く暮れて遅く明ける、九時から十一時まで行乞、かなり大きな旅館があるが、こゝは夏さかりの冬がれで、どこにもあまりお客さんはないらしい。

午後は休養、流れにはいつて洗濯する、そしてそれを河原に干す、それまではよかつたが、日和癖でざつとしぐれてきた、私は読書してゐて何も知らなかつたが(谿声がさう〳〵と響くので)宿の娘さんが、そこまで走つて行つて持つて帰つて下さつたのは、じつさいありがたかつた。

こゝの湯は胃腸病に効験いちじるしいさうなが、それを浴びるよりも飲むのださうな、田舎からの入湯客は一日に五升も六升も飲むさうな、土着の人々も茶の代用としてがぶ〳〵飲むらしい、私もよく飲んだが、もしこれが酒だつたら! と思ふのも上戸の卑しさからだらう。

今夜は同宿者がある、隣室に支那人三連れ(昨夜は私一人だつた)大人一人子供二人の、例の大道軽業の芸人である、大人は五十才位の、痘痕のある支那人らしい支那人、子供はだいぶ日本化してゐる、草津節をうたつてゐる、私に話しかけては笑ふ。

暮れてから、どしや降りとなつた、初霰が降つたさうな、もう雪がふるだらう、好雪片々別処に落ちず。──

今夜は飲まなかつた、財政難もあるけれど、飲まないでも寝られたほど気分がよかつたのである、それでもよく寝た。

繰り返していふが、こゝは湯もよく宿もよかつた、よい昼でありよい夜であつた(それでも夢を見ることは忘れなかつた!)

 枯草山に夕日がいつぱい

 しぐるゝや人のなさけに涙ぐむ

 山家の客となり落葉ちりこむ

 ずんぶり浸る一日のをはり

・夕しぐれいつまでも牛が鳴いて

 夜半の雨がトタン屋根をたゝいていつた

・しぐるゝや旅の支那さんいつしよに寝てゐる

・支那の子供の軽業も夕寒い

・夜も働らく支那の子供よしぐれるな

 ひとりあたゝまつてひとりねる


 十一月十二日 晴、曇、初雪、由布院湯坪、筑後屋(二五・上)


九時近くなつて草鞋をはく、ちよつと冷たい、もう冬だなと感じる、感じるどころぢやない、途中ちら〳〵小雪が降つた、南由布院、北由布院、この湯の坪までは四里、あまり行乞するやうなところはなかつた、それでも金十四銭、米七合いたゞいた。

湯の平の入口の雑木山もうつくしかつたが、このあたりの山もうつくしい、四方なだらかな山に囲まれて、そして一方はもく〳〵ともりあがつた由布岳──所謂、豊後富士──である、高原らしい空気がたゞようてゐる、由布岳はいい山だ、おごそかさとしたしさとを持つてゐる、中腹までは雑木紅葉(そこへ杉か檜の殖林が割り込んでゐるのは、経済的と芸術的との相剋である、しかしそれはそれとしてよろしい)、中腹から上は枯草、絶頂は雪、登りたいなあと思ふ。

此地方は驚くほど湯が湧いてゐる、至るところ湯だ、湯で水車のまはつてゐるところもあるさうな。

由布院といふところは──南由布院、北由布院と分れてゐるが、それは九州としては気持のよい高原であるが、こゝは由布院中の由布院ともいふべく、湯はあふれてゐるし、由布岳は親しく見おろしてゐる、村だから、そここゝにちらほら家があつて、それがかなり大きな旅館であり料理屋である、──とにかく清遊地としては好適であることを疑はない。

山色夕陽時といふ、私は今日幸にして、落日をまともに浴びた由布岳を観たことは、ほんたうにうれしい。

この宿は評判だけあつて、気安くて、深切で、安くて、よろしい、殊に、ぶく〳〵湧き出る内湯は勿体ないほどよろしかつた。

・刺青あざやかな朝湯がこぼれる

 洗うてそのまゝ河原の石に干す

 寝たいだけ寝たからだ湯に伸ばす

 別れるまへの支那の子供と話す

・水音、大声で話しつゞけてゐる

 支那人が越えてゆく山の枯すゝき

 また逢うた支那のおぢさんのこんにちは

同宿三人、みんな同行だ、みんな好人物らしい、といふよりも好人物にならなくてはならなかつた人々らしい、みんな一本のむ、私も一本のむ、それでほろ〳〵とろ〳〵天下泰平、国家安康、家内安全、万人安楽だ(としておく、としておかなければ生きてゐられない)。


 十一月十三日 曇、汽車で四里、徒歩で三里、玖珠町、丸屋(二五・中ノ上)


早く起きて湯にひたる、ありがたい、此地方はすべて朝がおそいから、大急ぎで御飯をしまうて駅へ急ぐ、八時の汽車で中村へ、九時着、二時間あまり行乞、ぼつ〳〵歩いて二時玖珠町着、また二時間あまり行乞、しぐれてさむいので、こゝへ泊る、予定の森町はすぐそこだが。

山国はやつぱり寒い、もうどの家にも炬燵が開いてある、駅にはストーブが焚いてある、自分の姿の寒げなのが自分にも解る。

北由布から中村までの山越は私の好きな道らしい、前程を急ぐので汽車に乗つたのは残念だつた、雑木山、枯草山、その間を縫うてのぼつたりくだつたりする道、さういふ道をひとり辿るのが私は好きだ、いづれまた機縁があつたら歩かせてもらはう。

今日もべんたうは草の上で食べたが、寒かつた、冷たかつた。

このあたりの山はよい、原もよい、火山型の、歪んだやうな荒涼とした姿である、焼野焼山といつた感じだ。

これは今日の行乞に限つたことではないが、非人間的、といふよりも非人情的態度の人々に対すると、多少の憤慨と憐愍とを感じないではゐられない、さういふ場合には私は観音経を読誦しつゞける、今日もさういふ場合が三度あつた、三度は多過ぎる。

吊り下げられた鉤にひつかゝる魚、投げ与へられた団子を追うて走る犬、さういふ魚や犬となつてはならない、さうならないための修行である、今日も自から省みて自から恥ぢ自から鞭つた。

寒い、気分が重い、ぼんやりして道を横ぎらうとして、あはや自動車に轢かれんとした、危いことだつた、もつともそのまゝ死んでしまへば却つてよかつたのだが、半死半生では全く以て困り入る。

 あふるゝ朝湯のしづけさにひたる(湯口温泉)

・こゝちようねる今宵は由布岳の下

 下車客五六人に楓めざましく

 雑木紅葉のぼりついてトンネル

 尿してゐる朝の山どつしりとすはつてゐる

・自動車に轢かれんとして寒い寒い道

昨日の宿は申分なかつたが、今日の宿もよい、二十五銭でこれだけの待遇をして貰つては何だかすまないやうな気がする、着くと温かい言葉、炭火、お茶、お茶請(それは漬物だけれど)そして何でも気持よくやつて下さる。……

同宿の坊さん、彼は真言宗だといつてゐたが、とにかく一癖ある人間だつた、今は眼が悪く年をとつたのでおとなしいが、ちよいちよい昔の負けじ魂を押へきれないやうだ。


 十一月十四日 霧、霜、曇、──山国の特徴を発揮してゐる、日田屋(三〇・中)


前の小川で顔を洗ふ、寒いので九時近くなつて冷たい草鞋を穿く、河一つ隔てゝ森町、しかしこの河一つが何といふ相違だらう、玖珠町では殆んどすべての家が御免で、森町では殆んどすべての家がいさぎよく報謝して下さる、二時過ぎまで行乞、街はづれの宿へ帰つてまた街へ出かけて、造り酒屋が三軒あるので一杯づゝ飲んでまはる、そしてすつかりいゝ気持になる、三十銭の幸福だ、しかしそれはバベルの塔の幸福よりも確実だ。

森町は、絵葉書には谿郷と書いてあるけれど、山郷といつた方がいゝ、末広神社へ詣つて九州アルプスを見渡した風景はよかつた、町の中に森あり原あり、家あり石あり、そこがいゝ。

岩扇山といふはおもしろい姿だ、頂上の平ぺつたい岩が扇を開いたやうな形をしてゐる、耶馬渓の風景のプロローグだ、私は奇勝とか絶景とかいはれるものは好かないが、その山は眺めて悪くない。

此宿も悪くない、広くて静かだ、相当の人が落魄して、かういふ安宿をやつてゐるらしい、漬物がおいしい、お婆さんが深切だ。

今日は雑木山でおべんたうを開いた、よかつた。

朝が冷たかつたほど昼は暖かだつた。

浜口首相狙撃さる──さういふ新聞通信を見た時、私は修証義を読みつゝ行乞してゐた、──無情忽ちに到るときは国王大王親眤従僕助くるなし、たゞ独り黄泉に赴くのみなり、己れに随ひゆくは善悪業等のみなり。──

 おべんたうをひらく落葉ちりくる

 大銀杏散りつくしたる大空

・落葉散りしくまゝで住んでゐる

 ゆふべ、片輪の蜘蛛がはいあるく

・また逢うた支那の子供が話しかける

 西へ北へ支那の子供は私は去る

 歩いても眺めても知らない顔ばかり

 鉄鉢、散りくる葉をうけた

 水飲んでルンペンのやすけさをたどる

 支那人の寝言きいてゐて寒い

・虱よ捻りつぶしたが

明日の事──深耶馬の渓谷美や、昧々さんとの再会や何や彼や──を考へて興奮したからだらう、二時頃まで寝られなかつた、かういふ身心では困るけれど、どうにもしようがない。

今夜も例の支那軽業師と同宿、また同宿の同郷人と話した、言葉の魅力といつたやうなものを感じる。

近来しみ〴〵感じるのであるが、一路を辿る、愚に返る、本然を守る──それが私に与へられた、いや残された最後の、そして唯一の生き方だ、そこに句がある、酒がある、ともいへやう。

このあたりも菊作りがさかんだ、小屋までかけて観せるべく並べてある、私も観せて貰つた、あまり好きではないが。

一室一人(但し半燈)もよかつた、宿の人々、同宿の人々がやさしいのもうれしかつた。


 十一月十五日 晴、行程七里、中津、昧々居(最上々々)


いよ〳〵深耶馬渓を下る日である、もちろん行乞なんかはしない、悠然として山を観るのである、お天気もよい、気分もよい、七時半出立、草鞋の工合もよい、巻煙草をふかしながら、ゆつたりした歩調で歩む、岩扇山を右に見てツイキの洞門まで一里、こゝから道は下りとなつて深耶馬の風景が歩々に展開されるのである、──深耶馬渓はさすがによかつた、といふよりも渓谷が狭くて人家や田園のないのが私の好尚にかなつたのであらう、とにかく失望しなかつた、気持がさつさうとした、観賞記は別に『秋ところ〴〵』の一部として書くつもり──三里下つて、柿坂へついたのが一時半、次の耶馬渓駅へ出て汽車に乗る、一路昧々居へ、一年ぶりの対面、いつもかはらない温情、よく飲んでよく話した、極楽気分で寝てしまつた。……

 霜をふんであんなの方へ

・山を観るけふいちにちは笠をかぶらず

・山の鴉のなきかはす間を下る

・小鳥ないてくれてもう一服

 その木は枯れてゐる蔦紅葉

 もう逢へまい顔と顔とでほゝゑむ

 山の紅葉へ胸いつぱいの声

 けふのべんたうは岩のうへにて

・藪で赤いのが烏瓜

・岩にかいてあるはへのへのもへじ

・寝酒したしくおいてありました(昧々居)

・また逢へた山茶花も咲いてゐる(昧々居)

・蒲団長く夜も長く寝せていたゞいて( 〃 )


 十一月十六日 曇、句会、今夜も昧々居の厄介になつた。


しぐれ日和である(去年もさうだつた)、去年の印象を新らたにする庭の樹々──山茶花も咲いてゐる、八ツ手も咲いてゐる、津波蕗もサルピヤも、そして柿が二つ三つ残んの実を持つたまゝ枯枝をのばしてゐる。

朝酒、何といふうまさだらう、いゝ機嫌で、昧々さんをひつぱりだして散歩する、そして宇平居へおしかけて昼酒、また散歩、塩風呂にはいり二丘居を訪ね、筑紫亭でみつぐり会の句会、フグチリでさん〴〵飲んで饒舌つた、句会は遠慮のない親しみふかいものだつた。

 晴れてくれさうな八ツ手の花

・朝、万年青の赤さがあつた

 しぐるゝや供養されてゐる

・土蔵そのそばの柚の実も(福沢先生旧邸)

・すゝき一株も植ゑてある(  〃   )

 座るよりよい石塔を見つけた(宇平居)

 これが河豚かと食べてゐる(筑紫亭句会)

・河豚鍋食べつくして別れた(  〃  )

・ならんで尿する空が暗い

 世渡りが下手くそな菊が咲きだした(闘牛児からの来信に答へて)

 芙蓉実となつたあなたをおもふ(     〃     )

枕許に、水といつしよに酒がおいてあるには恐縮した、有難いよりも勿躰なかつた(昧々さんの人柄を語るに最もふさはしい事実だ)。


春風秋雨 花開草枯

自性自愚 歩々仏土


メイ僧のメンかぶらうとあせるよりも

  ホイトウ坊主がホントウなるらん


酔来枕石 谿声不蔵

酒中酒尽 無我無仏


見たまゝ、

聞いたまゝ、

感じたまゝの、

野衲、

山頭火


 十一月十七日 晴、行程一里、宇ノ島、太田屋(三〇・中ノ上)


朝酒は勿躰ないと思つたけれど、見た以上は飲まずにはゐられない私である、ほろ〳〵酔うてお暇する、いつまたあはれるか、それはわからない、けふこゝで顔と顔とを合せてる──人生はこれだけだ、これだけでよろしい、これだけ以上になつては困る。……

情のこもつた別れの言葉をあとにして、すた〳〵歩く、とても行乞なんか出来るものぢやない、一里歩いて宇ノ島、教へられてゐた宿へ泊る、何しろ淋しくてならないので濁酒を二三杯ひつかける、そして休んだ、かういふ場合には酔うて寝る外ないのだから。

此宿はよろしい、木賃宿は一般によくなつたが、そして客種もよくなつたが、三十銭でこれだけの待遇をうけると、何となくすまないやうな気もする、しかも木賃宿は、それが客の多い宿ならば、みんな儲けだしてゐる。

友人からのたより──昧々居で受け取つたもの──をまた、くりかへしくりかへし読んだ、そして人間、友、心といふものにうたれた。

同宿七人、同室はおへんろさんとおゑびすさん、前者はおだやかな、しんせつな老人だつたが、後者は無智な、我儘な中年者だつた、でも話してゐるうちに、私といふものを多少解つてくれたやうだつた。

・別れて来た道がまつすぐ

 酔うて急いで山国川を渡る

・つきあたつてまがれば風

・別れきてさみしい濁酒ドブがあつた

 タダの湯へつかれた足を伸ばす


 十一月十八日 曇、宇ノ島八屋行乞、宿は同前、いゝ宿である。


行乞したくないけれど九時から三時まで行乞、おいしい濁酒を飲んで、あたゝかい湯に入る、そして寝る、どうしても孤独の行乞者に戻りきれないので閉口々々。


 十一月十九日 晴、行程三里、門司、源三郎居、よすぎる。


嫌々行乞して椎田まで、もう我慢出来ないし、門司までの汽車賃だけはあるので大里まで飛ぶ、そこから広石町を尋ね歩いて、源三郎居の御厄介になる、だいぶ探したが、酒屋のおかみさんも、魚屋のおやぢさんも、また若い巡査も(彼は若いだけ巡査臭ぷん〳〵であつたが)私と源三郎さんのやうな中流以上の知識階級乃至サラリーマンとを結びつけえなかつたのはあたりまへだらう。

源三郎さんは──奥さんも父君も──好感を持たないではゐられないやうな人柄である、たらふく酒を飲ませていたゞいて、ぞんぶん河豚を食べさせていたゞいて、そして絹夜具に寝せていたゞいた。

 けふのべんたうは野のまんなかで

 なつかしくもやはらかいフトンである(源三郎居)

・蒲団ふうわりふる郷の夢( 〃 )

駐在所で源三郎居の所在を教へられて、そこへの石段を上つてゆくと、子を負つた若い奥さんが下つて来られる、それが源三郎さんのマダムだつた、これは句になりさうで、なか〳〵まとまらない、犬の方はすぐ句になつたが!


 十一月廿日 曇、時雨、下関市行乞、本町通り、岩国屋(三〇・中ノ上)


朝風呂に入れて下さつたのはありがたかつた、源三郎さんといつしよに出かける、少し借りる(何しろ深耶馬を下るためにといふので二円ばかり貯つてゐたのだが、宇島までにすつかり無くなつた、宇島で行乞したくないのを無理に行乞したのは、持金二十銭しかないので、食べて泊るだけにも二十二銭の不足だつたからである)、駅で別れる、しぐれがなか〳〵やみさうもない、気分もおちつかないので、関門を渡る、晴間々々に三時間ばかり行乞、まだ早すぎるけれど、昨春馴染の此宿へ泊る、万事さつぱりしてゐて、おちつける宿、私の好きな宿である。

酒は心をやはらげ湯は身体をやはらげる、身心共にやはらげられて寝たのに、虱の夢をみたのはどうしたことだらう!(もう一杯飲みたい誘惑に敗けたからかも知れない!)

下関はなつかしい土地だ、生れ故郷へもう一歩だ、といふよりもすでに故郷だ、修学旅行地として、取引地として、また遊蕩地として──二十余年前の悪夢がよみがへる。……

秋風の関門を渡る──かも知れませんよと白船君に、旅立つ時、書いて出したが、しぐれの関門を渡る──となつたが、こゝからは引き返す外ない、感慨無量といふところだ。

 しぐるゝ朝湯もらうて別れる(源三郎居)

・ふる郷の言葉となつた街にきた

・ふる郷ちかい空から煤ふる


 十一月廿一日 晴曇定めなくて時雨、市街行乞、宿は同前。


夢現のうちに雨の音をきいたが、やつぱり降る、晴れる、また降る、照りつゝ降る、降つてゐるのに照つてゐる、きちがい日和だ、九時半から一時半まで行乞する、辛うじて食べて泊つて一杯飲むだけは与へられた、時雨の功徳でもあり、袈裟の功徳でもある。

さんざ濡れて働らく、かういふ人々の間を通り抜けて行乞する、私も肉体労働者であることに間違いない。

下関の市街は歩いてゐるうちに、酒屋、魚屋、八百屋、うどん屋、餅屋(此頃は焼芋屋)、等々の食気屋の多いのに、今更のやうに驚かないではゐられない、鮮人の多いのにも驚ろく、男は現代化してゐるけれど、女は固有の服装でゆう〳〵と歩いてゐる、子供を腰につけてゐるのも面白い(日本人は背中につけ、西洋人は籃に入れてゐる)。

昨日も時化、今日も時雨だ、明日も時雨かも知れない、時化と関門、時化の関門と私とはいつも因縁がふかいらしい。

街頭風景としては、若い娘さんが、或る魚屋の店頭で、手際よく鰒を割いてゐた、おもしろいね、月並臭はあるけれど、おもしろいことはおもしろい(シヤンとフグとヂヤズ)。

・片輪同志で濡れてゆく

 ぬれてはたらいてゐるは鮮人

 ぬれてひとりごというて狂人キチガヒ

・それは私の顔だつた鏡つめたく

 日記焼き捨てる火であたゝまる

 あんまり早う焼き捨てる日記の灰となつた

今宵も我慢しきれなくなつて、ドブ一杯、シヨウチユウ一杯、その二杯の最大能力を発揮させて寝る、どうぞ明日は降つてくれるなよ、昨夜はよう寝られたのに、今夜はどうしても寝つかれない、十二時過ぎるまで読んだ、読物はみんな友からの贈物である。

しぐれの音が聞える、まつたく世間師殺しの天候だ、宵のうちに、隣室の土工さんが、やれ〳〵やつと食ふだけは儲けて来た、土方殺すにや刃物はいらぬ、雨が三日降りやみな殺し、と自棄口調で唄つてゐたのを思ひだす、私だつて御同様、わがふところは秋の風どころぢやない、大時化のスツカラカンだ。

 旅のみなし児砂糖なめてゐる

 寄りそうてだあまつて旅のみなし児は

 旅の子供はひとりでメンコうつてゐる

    □

・久しぶり逢つた秋のふぐと汁(源三郎居)

 鰒食べつゝ話が尽きない( 〃 )

    □

・濡れて寒い顔と顔がしづくしてゐる

 バクチにまけてきて相撲見の金を借り出さうとしてゐる

 時化でみづから吹いて慰む虚無僧さん

・空も人も時化ける

 冬空のふる郷へちかづいてひきかへす

 追うても逃げない虫が寒い


 十一月廿二日 晴曇定めなし、時々雨、一流街行乞、宿は同じ事。


お天気は昨日からの──正確にいへば一昨日からの──つゞき、降つたり晴れたりだ、十時近くなつて、どうやら大して降りさうもないので出かける、こんな日は、ひとり火鉢をかゝへて、読書と思索とに沈潜したいのだけれど、それはとうてい許されない。

草鞋ではとてもやりきれないので、昨日も今日も地下足袋を穿いたが、感じの悪い事おびたゞしい。

二時過ぎまで行乞、キス一杯の余裕あるだけはいたゞいて、地橙孫さんを訪ねる、不在、奥さんに逢つて(女中さん怪訝な顔付で呼びにいつた)ちよつと挨拶する、白状すれば、昨春御馳走のなりつぱなしになつてゐるし、そのうへ少し借りたのもそのまゝになつてゐる、逢うて話したいし、逢へばきまりが悪いし、といつてこゝへ来て黙つてゐることは私の心情が許さないし、とにもかくにも地橙孫さんは尊敬すべき紳士である、私は俳人としてゞなく、人間として親しみを感じてゐるのである。

宿に戻つて、すぐ入浴、そして一杯、それはシヨウチユウ一杯とドブ一杯とのカクテルだ、飲まずにはゐられないアルコール(酒とはいはない)、何とみじめな、そして何とうまいことだろう!

下関は好きだけれど、煤烟と騒音とには閉口する、狭くるしい街を人が通る、自動車が通る、荷馬車が通る、オートバイが通る、自転車が通る、……その間を縫うて、あちらこちらと行乞するのはほんたうに嫌になります。

生きてゐることのうれしさとくるしさとを毎日感じる、同時に人間といふものゝよさとわるさとを感ぜずにはゐられない、──それがルンペン生活の特権とでもいはうか、それはそれとして明日は句会だ、どうかお天気であつてほしい、好悪愛憎、我他彼此のない気分になりたい。

   改作二句(源三郎居即事)

・吠えて親しい小犬であつた

・まづ朝日一本いたゞいて喫ひこむ

    □

・旅はきらくな起きるより唄

・雨をよけてゐるラヂオがきこえる

 ハジカレたが菊の見事さよ(ハジカレは術語、御免の意味)

 お経とゞかないヂヤズの騒音(或は又、ヂヤズとお経とこんがらがつて)

 風の中声はりあげて南無観世音菩薩

・これでもお土産の林檎二つです

 火が何よりの御馳走の旅となつた

  改

 紅葉山へ腹いつぱいのこし

・藪で赤いは烏瓜

 坐るよりよい石塔を見た

・ならんで尿する空が暗い

 また逢ふまでの山茶花を数へる

・土蔵そのそばの柚の実も(福沢旧邸)


 十一月廿三日 曇、時雨、下関市、地橙孫居。


相変らずの天候である、朝の関門海峡を渡る、時雨に濡れて近代風景を観賞する、舳の尖端に立つて法衣を寒風に任した次第である、多少のモダーン味がないこともあるまい。

門司風景を点綴するには朝鮮服の朝鮮人の悠然たる姿を添へなければならない、西洋人のすつきりした姿乃至どつしりした姿も、──そして下関駅頭の屋台店(飲食店に限る)、門司海岸の果実売子を忘れてはならない。

約束通り十時前に源三郎居を訪ふたが、同人に差閊が多くて、主客二人では句会にならないで、けつくそれをよい事にして山へ登る、源三郎さんはりゆうとした現代紳士型の洋装、私は地下足袋で頬かむりの珍妙姿、さぞ山の神──字義通りの──もおかしがつたであらう。

下関から眺めた門司の山々はよかつたが、近づいて見て、登つて観て、一層よかつた、門司には過ぎたるものだ。

『当然』に生きるのが本当の生活だらうけれど、私はたゞ『必然』に生きてゐる、少くとも此二筋の『句』に於ては、『酒』に於ては!

・燃えてしまつたそのまゝの灰となつてゐる

 風の夜の戸をたゝく音がある

 風の音もふけてゐる散財か

 更けてバクチうつ声

 あすはあへるぞトタン屋根の雨

・しんみりぬれて人も馬も

 夢がやぶれたトタンうつ雨

・きちがい日和の街をさまよふのだ

・ま夜中の虱を這はせる

 あの汽車もふる郷の方へ音たかく

 地図一枚捨てゝ心かろく去る

    □

 すこし揺れる船のひとり

 きたない船が濃い煙吐いて

 しぐるゝ街のみんなあたゝかう着てゐる

 しぐるゝや西洋人がうまさうに林檎かじつてゐる

 あんな船の大きな汽笛だつた

 しぐれてる浮標ブイが赤いな

    □

 風が強い大岩小岩にうづもれ□□

 吹きまくられる二人で登る

 好きな僕チヤンそのまゝ寝ちまつた(源三郎居)

・このいたゞきにたゞずむことも


・水飲んで尿して去る

 水飲めばルンペンのこゝろ

・雨の一日一隅を守る


 十一月廿四日 曇、雨、寒、八幡市、星城子居(もつたいない)


今日も亦、きちがい日和だ、裁判所行きの地橙孫君と連れ立つて歩く、別れるとき、また汽車賃、辨当代をいたゞいた、すまないとは思ふけれど、汽車賃はありますか、辨当代はありますかと訊かれると、ありませんと答へる外ない、おかげで行乞しないで、門司へ渡り八幡へ飛ぶ、やうやく星城子居を尋ねあてゝ腰を据える、星城子居で星城子に会ふのは当然だが、俊和尚に相見したのは意外だつた、今日は二重のよろこび──星氏に会つたよろこび、俊氏に逢つたよろこび──を与へられたのである。

俊和尚は予期した通りの和尚だつた、私は所謂、禅坊主はあまり好きでないが、和尚だけは好きにならずにはゐられない禅坊主だ(何と不可思議な機縁だらう)。

星城子氏も予期を裏切らない、いや、予期以上の人物だ、あまり優遇されるので恐縮するほどだ、訪問早々、奥さんの温情に甘えて、昼御飯をうんと食べたほど、身心をのび〳〵とさせた。

ずゐぶんおそくまで飲みつゞけ話しつゞけた、飲んでも〳〵話しても〳〵興はつきなかつた、それでは皆さんおやすみ、あすはまた飲みませう、話しませう(虫がよすぎますね!)。

 逢ひたうて逢うてゐる風(地橙孫居)

 鰑かみしめては昔を話す( 〃 )

 風の街の毛皮売れない鮮人で

・けふもしぐれて落ちつく場所がない

・しみ〴〵しみいる尿である

 買ふでもないものを観てまはる

 ふる郷ちかく酔うてゐる

 朝から酔うて雨がふる

・ありがたいお金さみしくいたゞく

 供養受けるばかりで今日の終り

・しぐるゝや煙突数のかぎりなく(八幡風景)

 風の街の朝鮮女の衣裳うつくしい

 また逢ふまでの山茶花の花(昧々氏へ)

 標札見てあるく彦山の鈴(星城子居)

 しぐるゝやあんたの家をたづねあてた( 〃

省みて、私は搾取者ぢやないか、否、奪掠者ぢやないか、と恥ぢる、かういふ生活、かういふ生活に溺れてゆく私を呪ふ。……

芭蕉の言葉に、わが句は夏爐冬扇の如し、といふのがある、俳句は夏爐冬扇だ、夏爐冬扇であるが故に、冬爐夏扇として役立つのではあるまいか。

荷物の重さ、いひかへれば執着の重さを感じる、荷物は少くなつてゆかなければならないのに、だんだん多くなつてくる、捨てるよりも拾ふからである。

八幡よいとこ──第一印象は、上かんおさかなつき一合十銭の立看板だつた、そしてバラツク式長屋をめぐる煤煙だつた、そして友人の温かい雰囲気だつた。


 十一月廿五日 晴、河内水源地散歩、星城子居、雲関亭、四有三居。


ほがらかな晴れ、俊和尚と同行して警察署へ行く、朝酒はうまかつたが、それよりも人の情がうれしかつた、道場で小城氏に紹介される、氏も何処となく古武士の風格を具へてゐる、あの年配で剣道六段の教士であるとは珍らしい、外柔内剛、春のやさしさと秋のおごそかとを持つ人格者である、予期しなかつた面接のよろこびをよろこばずにはゐられなかつた、稽古の済むのを待つて、四人──小城氏と俊和尚と星城子君とそして私と──うち連れて中学校の裏へまはり、そこの草をしいて坐る、と俊和尚の袖から般若湯の一本が出る、殆んど私一人で飲みほした(自分ながらよく飲むのに感心した)、こゝからは小城さんと別れた、三人で山路を登る、途中、柚子を貰つたり、苺を摘んだり、笑つたり、ひやかしたり、句作したりしながら、まるで春のやうな散歩をつゞる、そしてまた飲んだ、気分がよいので、景色がよいので──河内水源地は国家の経営だけに、近代風景として印象深く受け入れた(この紀行も別に、秋ところ〴〵の一節として書く)、帰途、小城さんの雲関亭に寄つて夕飯を饗ばれる、暮れてから四有三居の句会へ出る、会する者十人ばかり、初対面の方が多かつたが、なか〳〵の盛会だつた(私が例の如く笑ひ過ぎ饒舌り過ぎたことはいふまでもあるまい)、十二時近く散会、それからまた〳〵例の四人でおでんやの床几に腰かけて、別れの盃をかはす、みんな気持よく酔つて、俊和尚は小城さんといつしよに、私は星城子さんといつしよに東と西へ、──私はずゐぶん酔つぱらつてゐたが、それでも、俊和尚と強い握手をして、さらに小城さんの手をも握つたことを覚えてゐる。

・朝日まぶしく組み合つてゐる(道場即時)

・ほがらかにして草の上(草上饗宴)

 よい家があるその壁の蔦紅葉

 蓬むしれば昔なつかし

 水はたゝへてわが影うつる(水源地風景)

・をり〳〵羽ばたく水鳥の水(  〃  )

・水を前に墓一つ

 好きな山路でころりと寝る

・そよいでるその葉が赤い

 小皿、紫蘇の実のほのかなる(雲関亭即事)

・さみしい顔が更けてゐる

 風が冷い握手する

 竹植ゑてある日向の家

 まつたく裸木となりて立つ(雲関亭即事)


 十一月廿六日 晴、行程八里、半分は汽車、緑平居(うれしいといふ外なし)


ぐつすり寝てほつかり覚めた、いそがしく飲んで食べて、出勤する星城子さんと街道の分岐点で別れる、直方を経て糸田へ向ふのである、歩いてゐるうちに、だん〳〵憂欝になつて堪へきれないので、直方からは汽車で緑平居へ驀進した、そして夫妻の温かい雰囲気に包まれた。……

昧々居から緑平居までは歓待優遇の連続である、これでよいのだらうかといふ気がする、飲みすぎ饒舌りすぎる、遊びすぎる、他の世話になりすぎる、他の気分に交りすぎる、勿躰ないやうな、早敢ないやうな心持になつてゐる。

山のうつくしさよ、友のあたゝかさよ、酒のうまさよ。

今日は香春岳のよさを観た、泥炭山ボタヤマのよさも観た、自然の山、人間の山、山みなよからざるなし。

 あるだけの酒飲んで別れたが(星城子君に)

 眼が見えない風の道を辿る

・十一月二十二日のぬかるみをふむ(歩々到着)

・夜ふけの甘い物をいたゞく(四有三居)

 傷づいた手に陽をあてる

 晴れきつて真昼の憂欝

 はじめての鰒のうまさの今日(中津)

 ボタ山ならんでゐる陽がぬくい

・ひとすぢに水ながれてゐる

・重いドアあけて誰もゐない

 枯野、馬鹿と話しつゞけて

 憂欝を湯にとかさう

・地下足袋のおもたさで来て別れる

 ボタ山の下でまた逢へた(緑平居)

 また逢うてまた酔うてゐる( 〃 )

・小菊咲いてまだ職がない(闘牛児君に)

 留守番、陽あたりがよい

駅で、伊豆地方強震の号外を見て驚ろいた、そして関東大震災当時を思ひ出した、そして諸行無常を痛感した、観無常心が発菩提心となる、人々に幸福あれ、災害なかれ、しかし無常流転はどうすることも出来ないのだ。

緑平居で、プロ文士同志の闘争記事を読んで嫌な気がした、人間は互に闘はなければならないのか、闘はなければならないならば、もつと正直に真剣に闘へ。

此二つの記事が何を教へるか、考ふべし、よく考ふべし。


 十一月廿七日 晴、読書と散歩と句と酒と、緑平居滞在。


緑平さんの深切に甘えて滞在することにする、緑平さんは心友だ、私を心から愛してくれる人だ、腹の中を口にすることは下手だが、手に現はして下さる、そこらを歩い見たり、旅のたよりを書いたりする、奥さんが蓄音機をかけて旅情を慰めて下さる、──ありがたい一日だつた、かういふ一日は一年にも十年にも値する。

夜は二人で快い酔にひたりながら笑ひつゞけた、話しても話しても話は尽きない、枕を並べて寝ながら話しつゞけたことである。

・生えたまゝの芒としてをく(緑平居)

・枝をさしのべてゐる冬木( 〃 )

 ゆつくり香春も観せていたゞく( 〃 )

・旅の或る日の蓄音機きかせてもらう( 〃 )

・風の黄ろい花のいちりん

 泥炭車スキツプひとりできてかへる

 泥炭山ボタヤマちかく飛行機のうなり

 夕日の机で旅のたより書く(緑平居)

・けふも暮れてゆく音につゝまれる

 あんなにちかいひゞきをきいてゐる(苦味生君に)

糸田風景のよいところが、だん〳〵解つてきた、今度で緑平居訪問は四回であるが、昨日と今日とで、今まで知らなかつたよいところを見つけた、といふよりも味はつたと思ふ。


 十一月廿八日 晴、近郊探勝、行程三里、香春町(二五・中)


昨日もうらゝかな日和であつたが、今日はもつとほがらかなお天気である、歩いてゐて、しみ〴〵歩くことの幸福を感じさせられた、明夜は句会、それまで近郊を歩くつもりで、八時緑平居を出る、どうも近来、停滞し勝ちで、あんまり安易に狎れたやうである、一日歩かなければ一日の堕落だ、などゝ考へながら河に沿うて伊田の方へのぼる、とても行乞なんか出来るものぢやない(緑平さんが、ちやんとドヤ銭とキス代とを下さつた、下さつたといへば星城子さんからも草鞋銭をいたゞいた)、このあたりの眺望は好きだ、山も水も草もよい、平凡で、そして何ともいへないものを蔵してゐる、朝霧にほんのりと浮びあがる香春、一ノ岳二ノ岳三ノ岳の姿にもひきつけられた、ボタ山が鋭角を空へつきだしてゐる形もおもしろい(この記事も亦、別に書かう、秋ところ〴〵の一節として書くに足るものだ)、ぶらりぶらり歩く、一歩は一歩のうらゝかさやすらかさである、句を拾つて来なさいといつて下さつた緑平さんの友情を思ひながら、──いつのまにか伊田まで来たが、展覧会があつた後で、何だかごた〳〵ゐる、おちついて寝られるやうな宿がありさうにもないので、橋を渡つて香春へ向いてゆく、この道も悪くない、平凡のうれしさを十分に味ふ、香春岳はやつぱりいゝ、しかし私には少し奇峭に過ぎないでもない、それに対してなだらかな山なみが、より親しまれる、そのところ〴〵の雑木紅葉がうつくしい(香春岳は遠くからか、或は近くから眺めるべき山だ、緑平居あたりからの遠山がよい、また、こゝまできて見あげてもよい)、十一時にはもう香春の町へ着いた、寂れた街である、久振に蕎麦を食べる、宿をとるにはまだ早すぎるので、街を出はづれて、高座寺へ詣る、石寺とよばれてゐるだけに、附近には岩石が多い、梅も多い、清閑を楽しむには持つてこいの場所だ、散り残つてゐる楓の一樹二樹の風情も捨てがたいものだつた(この辺は今春、暮れてから緑平さんにひつぱりまはされたところだ、また、因に書いておく、香春岳全山は禁猟地で、猿が数百匹野生して残存してゐる、見物に登らうかとも思つたが、あまり気乗りがしないので、やめた、二三十匹乃至二三百匹の野生猿が群がり遊んでゐる話を宿の主人から聞かされた)。

此宿は外観はよいが内部はよくない、たゞ広くて遠慮のないのが気に入つた、裏の川で洗濯をする、流れに垢をそゝぐ気分は悪くなかつた。

一浴一杯、それで沢山だつた、顔面頭部の皮膚病が、孤独の憂欝を濃くすることはするけれど。

 すくひあげられて小魚かゞやく

 はぎとられた芝土の日だまり

・菊作る家の食客してゐる

 そこもこゝも岩の上には仏さま(高座石寺)

 谺谺するほがらか

 鳴きかはしてはよりそふ家鴨

 枯木かこんで津波蕗の花

 つめたからう水底から粉炭ビフン拾ふ女

 火のない火鉢があるだけ

 落葉ふんでおりて別れる(緑平君に)

・みすぼらしい影とおもふに木の葉ふる(自嘲)


 十一月廿九日 晴、霜、伊田行乞、緑平居、句会。


大霜だつた、かなり冷たかつた、それだけうらゝかな日だつた、うらゝかすぎる一日だつた、ゆつくり伊田まで歩いてゆく、そして三時間ばかり行乞、一週間ぶりの行乞だ、行乞しなくてはならない自分だから、やつぱり毎日かゝさず行乞するのが本当だ。

行乞は雲のゆく如く、水の流れるやうでなければならない、ちよつとでも滞つたら、すぐ紊れてしまふ、与へられるまゝで生きる、木の葉の散るやうに、風の吹くやうに、縁があればとゞまり縁がなければ去る、そこまで到達しなければ何の行乞ぞやである、やつぱり歩々到着だ。

伊田で、八百屋の店頭に松茸が少しばかり並べてあつた、それを見たばかりで私はうれしかつた、松茸を見なかつた食べなかつた物足りなさが紛らされた(その松茸は貧弱なものだつたけれど)。

糒川の草原にすわつて、笠の手入れをしたり法衣のほころびを縫ふたりする、ついでに虱狩もした、香春三山がしつとりと水に映つてゐる、朝の香春もよかつたが、夕の香春もよい。

河岸には(伊田の街はづれの)サアカスが興業してゐた、若い踊子や象や馬がサーカス気分を十分に発散させてゐた、バカホンド、ルンペン、君たちも私も同じ道を辿るのだね。

枯草の上で、老遍路さんとしみ〴〵話し合つた、何と人なつかしい彼だつたらう、彼は人情に餓えてゐた、彼は老眼をしばたゝいてお天気のよいこと、人の恋しいこと、生きてゐることのうれしさとくるしさとを話しつゞけた(果して私はよい聞手だつたらうか)。

夜は緑平居で句会、門司から源三郎さん、後藤寺から次郎さん、四人の心はしつくり融け合つた、句を評し生活を語り自然を説いた。

真面目すぎる次郎さん、温情の持主ともいひたい源三郎さん、主人公緑平さんは今更いふまでもない人格者である。

源三郎さんと枕をならべて寝る、君のねむりはやすらかで、私の夢はまどかでない、しば〳〵眼ざめて読書した。

日が落ちるまへのボタ山のながめは、埃及風景のやうだつた、とでもいはうか、ボタ山かピラミツドか、ガラ炭のけむり、たそがれる空。

オコリ炭、ガラ炭、ボタ炭、ビフン炭(本当のタドン)、等、等、どれも私の創作慾をそゝる、句もだいぶ出来た、あまり自信はないけれど。

 けふは逢へる霜をふんで(源三郎さんに)

 落葉拾ふてはひとり遊んでゐる

 ボタ山もほがらかな飛行機がくる

 枯草に寝て物を思ふのか

 背中の夕日が物を思はせる

 たゞずめばおちてきた葉

 かうして土くれとなるまでの

・橋を渡つてから乞ひはじめる

 鶏が来て鉢のお米をついばもうとする

 いつも動いてゐる象のからだへ日がさす(サーカス所見)

 口あけてゐる象には藷の一きれ(  〃  )

 日向の餅が売り切れた

 何か食べつゝ急いでゐる

 枯草の日向で虱とらう

・乞ふことをやめて山を観る

 香春見あげては虱とつてゐる

・いつまでいきる蜻蛉かよ

 ボタ山の下で子のない夫婦で住んでゐる

・逢ひたいボタ山が見えだした

・法衣の草の実の払ひきれない

 枯草の牛は親子づれ

 ほゝけすゝきもそよいでゐる

 即きすぎるすゝきの方へ歩みよる

 落ちる陽のいろの香春をまとも

 鳴きやまない鶏を持てあましてる

・ボタ山のまうへの月となつた

 もう一度よびとめる落葉

 みんなで尿する蓮枯れてゐる

 夕空のアンテナをめあてにきた


 十一月卅日 雨、歓談句作、後藤寺町、次郎居(なつかしさいつぱい)


果して雨だつた、あんなにうらゝかな日がつゞくものぢやない、主人公と源三郎さんと私と三人で一日話し合ひ笑ひ合つた、気障な言葉だけれど、恵まれた一日だつたことに間違はない。

夕方、わかれ〳〵になつて、私はこゝへきた、そして次郎さんのふところの中で寝せてもらつた、昨夜約束した通りに。

飲みつゞけ話しつゞけだ、坐敷へあがると、そこの大机には豆腐と春菊と密柑と煙草とが並べてあつた、酒の事はいふだけ野暮、殊に私は緑平さんからの一本を提げてきた、重かつたけれど苦にはならなかつた、飲むほどに話すほどに、二人の心は一つとなつた、酒は無論うまいが、湯豆腐はたいへんおいしかつた。

 あんな月が雨となつた音に眼ざめてゐる

 ほどよい雨の冬空であります

・ボタ山のたゞしぐれてゐる

 ふとんふか〴〵とあんたの顔

・いくにち影つけた法衣ひつかける

 ふりかへれば香春があつた

 ボタ山もとう〳〵見えなくなつてしまつた

・冬雨の橋が長い

 びつしより濡れてる草の赤さよ

・音を出てまた音の中

 重いもの提げてきた冬の雨

 水にそうて下ればあんたの家がある

・笠も漏りだしたか(自嘲)

 おわかれの言葉いつまでも〳〵

 炭坑町はガラ焚くことの夕暮

 あの木がある家と教へられた戸をたゝく

 ひとりのあんたをひとり私が冬の雨

 逢うてまだ降つてゐる

次郎さんはほんたうに真面目すぎる、あまりつきつめて考へては生きてゐられない、もつとゆつたりと人間を観たい、自然を味はひたい、などゝ忠告したが、それは私自身への苦言ではなかつたか!


 十二月一日 曇、次郎居滞在、読書、句作、漫談、快飲、等々。


 朝酒したしう話しつゞけて

・落葉掃かない庭の持主である(次郎居)

・撫でゝやれば鳴いてくれる猫( 〃 )

 猫はいつもの坐布団の上で

捨炭車スキツプひとりで上下する月の捨炭ボタ山(改作)

次郎さんは今日此頃たつた一人である、奥さんが子供みんな連れて、母さんのお見舞に行かれた留守宅である、私も一人だ、一人と一人とが飲みつゞけ話しつゞけたのだから愉快だ。

猫が一匹飼うてある、きいといふ、駆け込み猫で、おとなしい猫だ、あまりおとなしいので低脳かと思つたら、鼠を捕ることはなか〳〵うまいさうな、能ある猫は爪をかくす、なるほどさうかも知れない。


 十二月二日 曇、何をするでもなしに、次郎居滞在。


毎朝、朝酒だ、次郎さんの厚意をありがたく受けてゐる、次郎さんを無理に行商へ出す、私一人猫一匹、しづかなことである、夜は大根膾をこしらへて飲む、そして遅くまで話す。

   次郎居即事

 朝の酒のあたゝかさが身ぬちをめぐる

 ひとりでゐて濃い茶をすゝる

 物思ふ膝の上で寝る猫

 寝てゐる猫の年とつてゐるかな

 猫も鳴いて主人の帰りを待つてゐる

 人声なつかしがる猫とをり

 猫もいつしよに欠伸するのか

 猫もさみしうて鳴いてからだすりよせる

 いつ戻つて来たか寝てゐる猫よ

 その樅の木したしう見あげては

・なつかしくもきたない顔で

 徹夜働らく響にさめて時雨

 家賃もまだ払つてない家の客となつて

・痒いところを掻く手があつた

 機械と共に働らく外なし

・機械まはれば私もまはる

・機械動かなくなり私も動かない

 人は動かない機械は動いてゐる

・今夜のカルモチンが動く

・投げ出された肉体があざわらつてゐる

寸鶏頭君、元寛君に、先日来方々から寄せ書をしたが、感情を害しやしなかつたか知ら、あまりに安易に、自己陶酔的に書き捨てゝ、先方の感情を無視してゐた、慙愧々々。

或る友に与へて、──

私はいつまでも、また、どこまでも歩きつゞけるつもりで旅に出たが、思ひかへして、熊本の近在に文字通りの草庵を結ぶことに心を定めた、私は今、痛切に生存の矛盾、行乞の矛盾、句作の矛盾を感じてゐる、……私は今度といふ今度は、過去一切──精神的にも、物質的にも──を清算したい、いや、清算せずにはおかない、すべては過去を清算してからである、そこまでいつて、歩々到着が実現せられるのである、……自分自身で結んだ草庵ならば、あまり世間的交渉に煩はされないで、本来の愚を守ることが出来ると思ふ、……私は歩くに労れたといふよりも、生きるに労れたのではあるまいか、一歩は強く、そして一歩は弱く、前歩後歩のみだれるのをどうすることも出来ない。……


 十二月三日 晴、一日対座懇談、次郎居滞在。


今日は第四十八回目の誕生日だつた、去年は別府附近で自祝したが、今年は次郎さんが鰯を買つて酒を出して下さつた、何と有難い因縁ではないか。

次郎さんは善良な、あまりに善良な人間だ、対座して話してゐるうちに、自分の不善良が恥づかしくなる、おのづから頭が下る──次郎さんに缺けたものは才と勇だ!

ポストへ行く途上、若い鮮人によびとめられた、きちんとした洋服姿でにこついてゐる、そしておもむろに、懐中時計を買はないかといふ、馬鹿な、今頃誰がそんな詐欺手段にのせられるものか、──しかし、彼が私を認めて、いかさま時計を買ふだけの金を持つてゐたと観破したのならば有難い、同時に、さういふイカサマにかへらる外ない男として、或は一も二もなくさういふものを買ふほどの(世間知らずの!)男と思つたのならば有難くない。

夜は無論飲む、次郎さん酔うて何も彼も打ち明ける、私は有難く聴いた、何といふ真摯だらう。

 雑巾がけしてる男の冬

 鰯さいても誕生日

・侮られて寒い日だ

 飛行機のうなりも寒い空

 話してる間へきて猫がうづくまる

 涙がこぼれさうな寒い顔で答へる


 十二月四日 晴、行程六里、汽車でも六里、笹栗町、新屋(三〇・下)


冷たいと思つたら、霜が真白だ、霜消し酒をひつかけて別れる、引き留められるまゝに次郎居四泊はなんぼなんでも長すぎた。

十一時の汽車に乗る、乗車券まで買つて貰つてほんたうにすまないと思ふ、そればかりぢやない、今日は行乞なんかしないで、のんきに歩いて泊りなさいといつて、ドヤ銭とキス代まで頂戴した、──かういふ場合、私は私自身の矛盾を考へずにはゐられない、次郎さんよ、幸福であつて下さい、あんたはどんなに幸福であつても幸福すぎることはない、それだのに実際はどうだ、次郎さんは商売の調子がよくないのである、日々の生活も豊かでないのである。

飯塚へ着いたらもう十二時近かつた、濁酒一杯の元気で八木山峠を越える、そして七曲りの紅葉谷へ下りる(笹栗新四国八十八ヶ所、第三十四番の薬師堂)、このあたりの山と水とは悪くない。

途中、村の老人連の放蕩話は面白かつた、博多柳町で、仕切一円、一円六十銭といつたやうな昔がたり、また途上の狂女は嫌だつた、若いだけ、すつかり調子外れでないだけ気味悪かつた。

此宿はよくない、お客さんは私一人だ、気儘に読んだり書いたりをすることが出来たのは勿怪の幸だつたが。

 別れの畳まで朝日さしこむ

 別れともない猫がもつれる

 また逢ふまでの霜をふみつゝ

 霜の消えないうちに立つ

・もういちど濃いお茶飲んで別れませう

 二三歩ついてきてさようなら

・ちつとも雲のない空仰ぎつゝ別れた

 廃坑の霜がぬくうとけてゆく

・みんな活きてゆく音たてゝゐる

・古い墓に新らしい墓のかゞやかさ

 朝日まぶしう枯山たかく

・いたづらに真昼の火が燃えてゐる

・曲つて旧道のしづけさをのぼる

 耕す下を掘つてるか

・これでも生活くらしのお経あげてゐるのか

 そこら音ある水をたづねる

 秋風の石を祀つて拝んでゐる(追加)

さみしいなあ──ひとりは好きだけれど、ひとになるとやつぱりさみしい、わがまゝな人間、わがまゝな私であるわい。


 十二月五日 曇、時雨、行程三里、福岡市、句会、酒壺洞居。


お天気も悪いし、気分もよくないので、一路まつすぐに福岡へ急ぐ、十二時前には、すでに市役所の食堂で、酒壺洞君と対談することが出来た(市役所で、女の給仕さんが、酒壺洞君から私の事を聞かされてゐて、うろ〳〵する私を見つけて、さつそく酒壺洞君を連れて来てくれたのはうれしかつた)、退庁まではまだ時間があるので、後刻を約して札所めぐりをする、九州西国第三十二番は龍宮寺、第三十一番は大乗寺、どちらも札所としての努力が払つてない、もつと何とかしたらよさゝうなものだと思ふ。

夜は酒壺洞居で句会、時雨亭さん、白楊さん、青炎郎さん、鳥平さん、善七さんさんに逢つて愉快だつた、散会後、私だけ飲む、寝酒をやるのはよくないのだけれど。……

さすがに福岡といふ気がする、九州で都会情調があるのは福岡だけだ(関門は別として)、街も人も美しい、殊に女は! 若い女は! 街上で電車切符売が多いのも福岡の特色だ。

存在の生活といふことについて考へる、しなければならない、せずにはゐられないといふ境を通つて来た生活、『ある』と再認識して、あるがまゝの生活、山是山から山非山を経て山是山となつた山を生きる。……

役所のヒケのベルの音、空家の壁に張られたビラの文字、──酒呑喜べ上戸党万歳!

……たゞこの二筋につながる、肉体に酒、心に句、酒は肉体の句で、句は心の酒だ、……この境地からはなか〳〵出られない。……

・ボタ山も灯つてゐる

 別れる夜の水もぞんぶんに飲み

・しぐるゝ今日の山芋売れない

 親一人子一人のしぐれ日和で

 新道まつすぐな雨にぬれてきた

 砂利を踏む旅の心

 焼き捨てる煙である塵である

 車、人間の臭を残して去つた

 地下室を出て雨の街へ

 飾窓の人形の似顔にたゝずむ

 大根ぬいてきておろして下さるあんただ(次郎さんに)

・濡れてもかまはない道のまつすぐ

 窓をあけた明るい顔だつた

 水を挾んでビルデイングの影に影

 お寺の大銀杏散るだけ散つた

・ぬれてふたりで大木を挽いてゐる

 しぐるゝやラヂオの疳高い声

 買ふことはない店を見てまはつてる

・窓の中のうまいもの見てゐるか

 どの店も食べるものばかりひろげて

・よんでも答へない彼についてゆく

 十二月の風も吹くにまかさう(寸鶏頭さんに)


 十二月六日 雨、福岡見物、彷徨五里、時雨亭居。


眼がさめて、あたりを見まはすと、層雲文庫の前だ、酒壺洞君は寝たまゝでラヂオを聞いてゐる、私にも聴かせてくれる、今更ながら機械の力に驚かずにはゐられない、九時、途中で酒君に別れて、雨の西公園を見物する、それからまた歩きつゞけて、名島の無電塔や飛行場見物、ちようど郵便飛行機が来たので、生れて初めて、飛行機といふものを近々と見た。

時雨亭さんは神経質である、泊るのは悪いと思つたけれど、やむなく今夜は泊めて貰ふ、酒壺洞君もやつてきて、十二時頃まで話す。

今日は朝のラヂオから夕の飛行機まで、すつかり近代科学の見物だつた、無論、赤毛布! いや黒合羽だつた!

 朝の木の実のしゞま

 降るまゝ濡れるまゝで歩く

・赤い魚すぐ売れた

 泥をあびせられつゝ歩くこと

・雨の公園のロハ台が見つからない

・すさんだ皮膚を雨にうたせる

・ふけてアスフアルトも鈴蘭燈もしぐれます

・さんざしぐれる船が出てゆく

・死ねない人のレイが鳴る

 墓をおしのけレールしく

 松原ほしいまゝな道を歩く(名島風景)

・正しく並んで烟吐く煙突四本( 〃 )

 飛行機着いたよ着いたよ波

 飛行機飛んで行つた虹が見える

 無電塔、またしぐれだした

 蚤も虱もいつしよに寝ませう

 暮れ残る頂の枯すゝき

 すさまじい響の大空曇る

時雨亭さんは近代人、都会人であることに疑いない、あまり神経がこまかくふるへるのが対座してゐる私の神経にもつたはつて、時々私自身もやりきれないやうに感じけれど、やつぱり好意の持てる人である。


 十二月七日 晴、行程四里、二日市町、わたや(三〇・中)


早く眼は覚めたが──室は別にして寝たが──日曜日は殊に朝寝する時雨亭さんに同情して、九時過ぎまで寝床の中で漫読した、やうやく起きて、近傍の大仏さんに参詣して回向する、多分お釈迦さんだらうと思ふが、大衆的円満のお姿である、十一時近くなつて、送られて出立する、別れてから一時頃まで福岡の盛り場をもう一度散歩する、かん酒屋に立ち寄つて、酢牡蠣で一杯やつて、それでは福岡よ、さよなら!

ぽか〳〵と小春日和だ、あまり折れ曲りのない道をこゝまで四里、酔が醒めて、長かつた、労いた、夕飯をすまして武蔵温泉まで出かけて一浴、また一杯やつて寝る。

 朝日かゞやく大仏さまの片頬

 まともに拝んで、まはつて拝む大仏さま

 師走の街のラヂオにもあつまつてゐる

・小春日有縁無縁の墓を洗ふ

 送らるゝぬかるみの街

 おいしいにほひのたゞよふところをさまよふ

 ぬかるみもかはくけふのみち

・近づいてゆく山の紅葉の残つてゐる

・どつかりと腰をおろしたのが土の上で

・三界万霊の石塔傾いてゐる

 ころがつてゐる石の一つは休み石

・酔がさめて埃つぽい道となる

 からだあたゝまる心のしづむ(武蔵温泉)

福岡の中州をぶら〳〵歩いてゐると、私はほんたうに時代錯誤的だと思はずにはゐられない、乞食坊主が何をうろ〳〵してると叱られさうな気がする(誰に、──はて誰にだらう)。

すぐれた俳句は──そのなかの僅かばかりをのぞいて──その作者の境涯を知らないでは十分に味はへないと思ふ、前書なしの句といふものはないともいへる、その前書とはその作者の生活である、生活といふ前書のない俳句はありえない、その生活の一部を文字として書き添へたのが、所謂前書である。


 十二月八日 晴后曇、行程四里、松崎、双之介居。


八時頃、おもたい地下足袋でとぼ〳〵歩きだした、酒壺洞君に教へられ勧められて双之介居を訪ねるつもりなのである、やうやく一時過ぎに、松崎といふ田舎街で『歯科口腔専門医院』の看板を見つける、ほんたうに、訪ねてよかつた、逢つてよかつたと思つた、純情の人双之介に触れることが出来た(同時に酔つぱらつて、グウタラ山頭火にも触れていたゞいたが)、まちがいのないセンチ、好きにならずにはゐられないロマンチシズム、あまりにうつくしい心の持主で、醜い自分自身を恥ぢずにはゐられない双之介、ゆたかな芸術的天分を発揮しないで、恋愛のカクテルをすゝりつゝある人──さういつたものを、しんみりと感じた。

開業所、宿泊所、飲食所、それがみんな別々なのも面白い、いかにも双之介的らしい、このあたりは悪くない風景だが、太刀洗が近いので、たえず爆音が聞えるのは困る。……

昨日今日は近代科学に脅やかされた、その適切な一例として、右は汽車が走る、左は電車が走る、そのまんなかを自動車が走る、法衣を着て網代笠をかかつた私が閉口するのも無理はあるまい、閉口しなければウソだ。

道を訊ねる、答へる人の人間的価値がよく解る、今日も度々道を訊ねたが、中年の馬車挽さんは落第、若い行商人は満点だつた、教へるならば、深切に、人情味のある答を望むのは無理かな。

 しんせつに教へられた道の落葉

・つめたい雨のうつくしい草をまたぐ

 大木に腰かけて旅の空

 立札の下手くそな文字は「節倹」

 山茶花散つて貧しい生活

 坊さん二人下りたゞけの山の駅の昼(追加)

 大金持の大樅の木が威張つてゐる

・空の爆音尿してゐる(太刀洗附近)

・たゝへた水のさみしうない

 また逢つた薬くさいあんたで(追加)

・降るもよからう雨がふる

 夕空低う飛んで戻た(飛行機)

 暮れてもまだ鳴きつゞける鵙だ

今夜は酔ふた、すつかり酔つぱらつて自他平等、前後不覚になつちやつた、久しぶりの酔態だ、許していたゞかう。


 十二月九日 雨后晴、双之介居滞在(本郷上町今村氏方)


よい一日だつた、勧められるまゝに滞在した、酒を飲んで物を考へて、さてどうしようもないが、どうしようもないまゝでよかつた、日記をつけたり、近所のお寺へまゐつたりした、……そして田園情調を味はつた、殊に双之介さんが帰つて、床を並べて、しんみり話し合つてゐるところへ、家の人から御馳走になつた焼握飯ヤキムスビはおいしかつた。

双之介さんと対座してゐると、人間といふものがなつかしうなる、それほど人間的温情の持主だ、同宿の田中さん(双之介さんと同業の友達)もいゝ人物だつた、若さが悩む悶えを聞いた。

みあかしゆらぐなむあみだぶつ(お寺にて)

自動車まつしぐらに村の夕闇をゆるがして行つた


 十二月十日 晴、行程六里、善導寺、或る宿(二五・中)


九時近くなつて、双之介さんに送られて、田主丸の方へ向ふ、別れてから、久しぶりに行乞を初めたが、とても出来ないので、すぐ止めて、第十九番の札所に参拝する、本堂庫裡改築中で落ちつきがない、まあ市井のお観音様といつた感じである、こゝから箕ノ山の麓を善導寺までの三里は田舎路らしくてよかつた、箕ノ山といふ山はおもしろい、小さい山があつまつて長々と横はつてゐるのである、陽をうけて、山脈が濃淡とり〴〵なのもうつくしかつた、途中、第十八番の札所へ詣るつもりだつたが、宿の都合が悪く、日も暮れかけたので、急いで此宿を探して泊つた、同宿者が多くてうるさかつた、日記を書くことも出来ないのには困つた、床についてからも嫌な夢ばかり見た、四十九年の悪夢だ、夢は意識しない自己の表現だ、何と私の中には、もろ〳〵のものがひそんでゐることよ!

・旅は雀もなつかしい声に眼ざめて

・落葉うづたかく御仏ゐます

・行き暮れて水の音ある


 十二月十一日 晴、行程七里、羽犬塚、或る宿(二〇・中ノ上)


朝早く、第十八番の札所へ拝登する、山裾の静かな御堂である、札所らしい気分になる、そこから急いで久留米へ出て、郵便局で、留置の雑誌やら手紙やらを受け取る、こゝで泊るつもりだけれど、雑踏するのが嫌なので羽犬塚まで歩く、目についた宿にとびこんだが、きたなくてうるさいけれど、やすくてしんせつだつた。

霜──うらゝか──雲雀の唄──櫨の並木──苗木畑──果実の美観──これだけ書いておいて、今日の印象の備忘としよう。

・大霜の土を掘りおこす

 枯草ふみにじつて兵隊ごつこ

 うらゝかな今日の米だけはある

 さうろうとしてけふもくれたか

 街の雑音も通り抜けて来た


 十二月十二日 晴、行程六里、原町、常盤屋(三〇・中)


思はず朝寝して出立したのはもう九時過ぎだつた、途中少しばかり行乞する、そして第十七番の清水寺へ詣でる、九州西国の札所としては有数の場所だが、本堂は焼失して再興中である、再興されたら、随分見事だらう、こゝから第十六番への山越は□□□にない難路だつた、そこの尼さんは好感を与へる人だつた、こゝからまた清水寺へ戻る別の道も難路だつた、やうやく前の道へ出て、急いでこゝに泊つた、共同風呂といふのへはいつた、酒一合飲んだらすつかり一文なしになつた、明日からは嫌でも応でも行乞を続けなければならない。

行乞! 行乞のむづかしさよりも行乞のみじめさである、行乞の矛盾にいつも苦しめられるのである、行乞の客観的意義は兎も角も、主観的価値に悩まずにゐられないのである、根本的にいへば、私の生存そのものゝ問題である(酒はもう問題ではなくなつた)。

・日向の羅漢様どれも首がない(清水寺)

・山道わからなくなつたところ石地蔵尊

 明日は明日のことにして寝ませうよ

遍路山道の石地蔵尊はありがたい、今日は石地蔵尊に導かれて、半里の難路を迷はないで巡拝することが出来た。

今夜の宿も困つた、やつと蝋燭のあかりで、これだけ書いた、こんなことにも旅のあはれが考へられる。……


 十二月十三日 曇、行程四里、大牟田市、白川屋(   )


昨夜は子供が泣く、老爺がこづく、何や彼やうるさくて度々眼が覚めた、朝は早く起きたけれど、ゆつくりして九時出立、渡瀬行乞、三池町も少し行乞して、普光寺へ詣でる、堂塔は見すぼらしいけれど景勝たるを失はない、このあたりには宿屋──私が泊るやうな──がないので、大牟田へ急いだ、日が落ちると同時に此宿へ着いた、風呂はない、風呂屋へ行くほどの元気もない、やつと一杯ひつかけてすべてを忘れる。……

 痰が切れない爺さんと寝床ならべる

・孫に腰をたゝかせてゐるおぢいさんは

・眼の見えない人とゐて話がない

 水仙一りんのつめたい水をくみあげる

 水のんでこの憂欝のやりどころなし

 あるけばあるけば木の葉ちるちる

先夜同宿した得体の解らない人とまた同宿した、彼は自分についてあまりに都合よく話す、そんなに自分が都合よく扱へるかな!

私はどうやらアルコールだけは揚棄することが出来たらしい、酒は飲むけれど、また、飲まないではゐられまいけれど、アルコールの奴隷にはならないで、酒を味ふことが出来るやうになつたらしい。

冬が来たことを感じた、うそ寒かつた、心細かつた、やつぱりセンチだね、白髪のセンチメンタリスト! 笑ふにも笑へない、泣くにも泣けない、ルンペンは泣き笑ひする外ない。

夜、寝られないので庵号などを考へた、まだ土地も金も何もきまらないのに、もう庵号だけはきまつた、曰く、三八九庵(唐の超真和尚の三八九府に拠つたのである)。


 十二月十四日 晴、行程二里、万田、苦味生居、末光居。


霜がまつしろにおりてゐる、冷たいけれど晴れきつてゐる、きょうは久振に苦味生さんに逢へる、元気よく山ノ上町へ急ぐ、坑内長屋の出入はなか〳〵やかましい(苦味生さんの言のやうに、一種の牢獄といへないことはない)、やうやくその長屋に草鞋を脱いだが、その本人は私を迎へるために出かけて留守だつた、母堂の深切、祖母さんの言葉、どれもうれしかつた、句稿を書き改めてゐるうちに苦味生さん帰宅、さつそく一杯二杯三杯とよばれながら話しつゞける、──苦味生さんには感服する、あゝいふ境遇であゝいふ職業で、そしてあゝいふ純真さだ、彼と句とは一致してゐる、私と句とが一致してゐるやうに。

入浴して散歩する、話しても話しても話し飽かないほど、二人は幸福であり平和であつた、彼等に幸福と平和とがつゞくことを祈る。

夜は苦味生さんの友人末光さんのところへ案内されて泊めていたゞいた、久しぶりに、ほんたうに久しぶりに田園のしづけさしたしさを味はつた、農家の生活が最も好ましい生活ではあるまいか、自から耕して自から生きる、肉体の辛さが精神の安けさを妨げない、──そんな事を考へながら、飲んだり話したり作つたりした。

・霜の道べりへもう店をひろげはじめた

 大霜、あつまつて火を焚きあげる

 つめたい眼ざめの虱を焼き殺す

・師走ゆきこの捨猫が鳴いてゐる

 よい事も教へられたよいお天気

・霧、煙、埃をつきぬける

・石地蔵尊へもパラソルさしかけてある

 のぼりくだりの道の草枯れ

 明るくて一間きり(苦味生居)

・柵をくゞつて枯野へ出た

 子供になつて馬酔木も摘みます

 夕闇のうごめくは戻る馬だつた

 八十八才の日向のからだである(苦味生さん祖母)

さびしいほどのしづかな一夜だつた、緑平さんへ長い手紙を書く、清算か決算か、とにかく私の一生も終末に近づきつゝあるやうだ、とりとめもない悩ましさで寝つかれなかつた、暮鳥詩集を読んだりした、彼も薄倖な、そして真実な詩人だつたが。

我儘といふことについて考へる、私はあまり我がまゝに育つた、そしてあまり我がまゝに生きて来た、しかし幸にして私は破産した、そして禅門に入つた、おかげで私はより我がまゝになることから免がれた、少しづゝ我がまゝがとれた、現在の私は一枚の蒲団をしみ〴〵温かく感じ、一片の沢庵切をもおいしくいたゞくのである。


 十二月十五日 晴、行程二里、そして汽車、熊本市、彷徨。


けふも大霜で上天気である、純な苦味生さんと連れ立つて荒尾海岸を散歩する(末光さんも純な青年だつた、きつと純な句の出来る人だ)、捨草を焚いて酒瓶をあたゝめる、貝殻を拾つてきて別盃をくみかはす、何ともいへない情緒だつた。

苦味生さんの好意にあまえて汽車で熊本入、百余日さまよいあるいて、また熊本の土地をふんだわけであるが、さびしいよろこびだ、寥平さんを訪ねる、不在、馬酔木さんを訪ねて夕飯の御馳走になり、同道して元寛さんを訪ねる、十一時過ぎまで話して別れる、さてどこに泊らうか、もうおそくて私の泊るやうな宿はない、宿はあつても泊るだけの金がない、まゝよ、一杯ひつかけて駅の待合室のベンチに寝ころんだ、ずゐぶんなさけなかつたけれど。……

・あてもなくさまよう笠に霜ふるらしい

 寝るところがみつからないふるさとの空

・火が燃えてゐる生き物があつまつてくる

    □

 起きるより火を焚いて

 悪水にそうて下る(万田)

 磯に足跡つけてきて別れる

 耕す母の子は土をいぢつて遊ぶ

 明日の網をつくらうてゐる寒い風

 別れきてからたちの垣

 身すぎ世すぎの大地で踊る

・夕べの食へない顔があつまつてくる

・霜夜の寝床が見つからない


 十二月十六日 晴、行程三里、熊本市、本妙寺屋(四〇・下)


堅いベンチの上で、うつら〳〵してゐるうちにやうやく朝が来た、飯屋で霜消し一杯、その元気で高橋へ寝床を探しにゆく、田村さんに頼んでおいて、ひきかへして寥平さんを訪ねる、今日も逢へない、茂森さんを訪ね、夫婦のあたゝかい御馳走をいたゞく、あまりおそくなつては、今夜も夜明しするやうでは困るので、いそいで本妙寺下の安宿を教へられて泊る、悪い宿だけれど仕方がない、更けるまで寝つかれないので読んだ(書くほどの元気はなかつた)。

こんど熊本に戻つてきて、ルンペンの悲哀をつく〴〵感じた、今日一日は一句も出来なかつた。


 十二月十七日 霜、晴、行程六里、堕地獄、酔菩薩。


朝、上山して和尚さんに挨拶する(昨夜、挨拶にあがつたけれど、お留守だつた)、和尚さんはまつたく老師だ、慈師だ、恩師だ。

茅野村へ行つて土地を見てまはる、和尚さんが教へて下さつた庵にはもう人がはいつてゐた、そこからまた高橋へゆく、適当な家はなかつた、またひきかへして寥平さんを訪ねる、後刻を約して、さらに稀也さんを訪ねる、妙な風体を奥さんや坊ちやんやお嬢さんに笑はれながら、御馳走になる、いゝ気持になつて(お布施一封までいたゞいて)、寥平さんを訪ねる、二人が逢へば、いつもの形式で、ブルジヨア気分になりきつて、酒、酒、女、女、悪魔が踊り菩薩が歌ふ、……寝た時は仏だつたが、起きた時は鬼だつた、ぢつとしてはゐられないので池上附近を歩いて見る、気に入つた場所だつた、空想の草庵を結んだ。……

今日も一句も出来なかつた、かういふあはたゞしい日に一句でも生れたら嘘だ、ちつとも早くおちつかなければならない。

自分の部屋が欲しい、自分の寝床だけは持たずにはゐられない、──これは私の本音だ。


 十二月十八日 雨、后、晴、行程不明、本妙寺屋(悪いね)


終日歩いた、たゞ歩いた、雨の中を泥土の中を歩きつゞけた、歩かずにはゐられないのだ、ぢつとしてゐては死ぬる外ないのだ。

朝、逓信局を訪ねる、夜は元寛居を訪ねる、煙草からお茶、お酒、御飯までいたゞく、私もいよ〳〵乞食坊主になりきれるらしい、喜んでいゝか、悲しのか、どうでもよろしい、なるやうになれ、なりきれ、なりきれ、なりきつてしまへ。


 十二月十九日 晴、行程二里、川尻町、砥用屋(四〇・中)


まつたく一文なしだ、それでもおちついたもので、ゆう〳〵と西へ向ふ、三時間ばかり川尻町行乞、久しぶりの行乞だ、むしやくしやするけれど、宿銭と飯代とが出来るまで、やつと辛抱した。

宿について、湯に入つて、ほつとする、行乞は嫌だ、流浪も嫌だ、嫌なことをしなければならないから、なほ〳〵嫌だ。

安宿といふものは面白いところだ、按摩さん、ナフタリン売、土方のワタリ、へぼ画家、お遍路さん、坊主、鮮人、等、等、そして彼等の話の、何とみじめで、そして興ふかいことよ。


 十二月二十日 雨、曇、晴、行程四里、本妙寺屋(可、不可、四〇・下、上)


雨に間違いない空模様である、気の強い按摩さん兼遊芸人さんは何のこだはりもなく早く起きて出ていつた、腰を痛めてゐる日本的鮮人は相かはらず唸つてゐる、──間もなく降りだした、私は荷物をあづけて、雨支度をして出かけた、川尻──春竹──砂取──新屋敷──休みなしに歩いたが、私にふさはしい部屋も家もなか〳〵見つからない、夕方、逓信局に馬酔木さんを訪ね、同道してお宅で晩餐の御馳走になる、忙しい奥さんがこれだけの御馳走をして下さつたこと、馬酔木さんが酒好きの私の心持を察して飲まして下さつたこと、そして舅さんが何かと深切に話しかけて下さつたこと、ありがたい、〳〵、そしてまた同道して元寛居へ推参する、雑談にも倦んでそれ〴〵の寝床へいそぐ、おちつけない一日々々である、あはたゞしい一日々々である、よき食慾とよき睡眠、そしてよき食物とよき寝床。

・今夜の寝床を求むべくぬかるみ

 与へられた寝床の虱がうごめく

・降つたり照つたり死場所をさがす

 狂人キチガイが銭を数へてるま夜中の音

嫌な夢から覚めたら嫌な声がするので、何ともいへない気分になつた、嫌な一夜、それはおちつかない一日の正しい所産だ。


 十二月廿一日 晴后曇、行程五里、熊本市。


昨夜、馬酔木居で教へられた貸家を見分すべく、十時、約束通り加藤社で雑誌を読みながら待つてゐたら、例のスタイルで元寛さんがやつてきた(馬酔木さんはおくれて逢へなかつたので残念)、連れ立つて出町はづれの若い産婆さん立石嬢を訪ね、案内されて住む人もなく荒れるにまかした農家作りの貸家へ行く、とても住めさうにない、広すぎる、暗すぎる──その隣家の一室に間借して独占してゐる五高生に同宿を申込んで家主に交渉して貰ふ、とても今日の事にはない、数日後を約して、私は川尻へ急行する、途中一杯二杯三杯、宿で御飯を食べて寝床まで敷いたが、とても睡れさうもないし、引越の時の事もあるので、電車でまた熊本へ舞ひ戻る、そして彼女を驚かした、彼女もさすがに──私は私の思惑によつて、今日まで逢はなかつたが──なつかしさうに、同時に用心ぶかく、いろ〳〵の事を話した、私も労れと酔ひとのために、とう〳〵そこへ寝込んでしまつた、たゞ寝込んでしまつたゞけだけれど、見つともないことだつた、少くとも私としては恥ざらしだつた。

 枯草ふんで女近づいてくる

 枯草あたゝかう幸福な二人で(元寛君へ)

・住みなれて枯野枯山

・道はでこぼこの明暗

・ふりかへるふるさとの山の濃き薄き


 十二月廿二日 曇、晴、曇、小雪、行程五里、本妙寺屋。


一歩々々がルンペンの悲哀だつた、一念々々が生存の憂欝だつた、熊本から川尻へ、川尻からまた熊本へ、逓信局から街はづれへ、街はづれから街中へ、そして元寛居であたゝかいものをよばれながらあたゝかい話をする、私のパンフレツト三八九、私の庵の三八九舎もだん〳〵具体化してきた、元坊の深切、和尚さんの深切に感謝する、義庵老師が最初の申込者だつた!

寒くなつた、冬らしいお天気となつた、風、雪、そして貧!


 十二月廿三日 曇、晴、熊本をさまよふてSの家で、仮寝の枕!


けふも歩きまはつた、寝床、寝床、よき睡眠の前によき寝床がなければならない、歩いても〳〵探しても〳〵寝床が見つからない、夕方、茂森さんを訪ねたら出張で不在、詮方なしに、苦しまぎれに、すまないと思ひながらSの家で泊る。


 十二月廿四日 雨、彷徨何里、今夜もSの厄介、不幸な幸福か。


また清水村へ出かけてA家を訪問する、森の家を借りるために、──なか〳〵埓があかない、ブルヂヨアぶりも気にくはない、パンフレツトをだすのに不便でもある、──すつかり嫌になつて方々を探しまはる、九品寺に一室あつたけれど、とてもおちつけさうにない、それからまた方々を探しまはつて、もう諦めて歩いてゐると、春竹の植木畠の横丁で、貸二階の貼札を見つけた、間も悪くないし、貸主も悪くないので、さつそく移つてくることにきめた、といつて一文もない、緑平さんの厚情にあまえる外ない。


 十二月廿五日 晴、引越か家移か、とにかくこゝへ、春竹へ。


緑平さんの、元寛さんの好意によつて、Sのところからこゝへ移つて来ることが出来た。……

 大地あたゝかに草枯れてゐる

・日を浴びつゝこれからの仕事考へる

   追加一句

 歩きつかれて枯草のうへでたより書く

だん〳〵私も私らしくなつた、私も私の生活らしく生活するやうになつた、人間のしたしさよさを感じないではゐられない、私はなぜこんなによい友達を持つてゐるのだらうか。


 十二月廿六日 晴、しづかな時間が流れる、独居自炊、いゝね。


寒い、寒い、忙しい、忙しい──我不関焉!

枯草原のそここゝの男と女

葬式はじまるまでの勝負を争ふ

枯草の夕日となつてみんな帰つた

明日を約して枯草の中

これらの句は二三日来の偽らない実景だ、実景に価値なし、実情に価値あり、プロでもブルでも。

 やつと見つけた寝床の夢も

・餅搗く声ばかり聞かされてゐる

・いつも尿する草の枯れてゐる

・重たいドアあけて誰もゐない


 十二月廿七日 晴、もつたいないほどの安息所だ、この部屋は。


ハガキ四十枚、封書六つ、それを書くだけで、昨日と今日とが過ぎてしまつた、それでよいのか、許していたゞきませう。

……やうやく、おかげで、自分自身の寝床をこしらへることができました、行乞はウソ、ルンペンはだめ、……などとも書いた。

前後植木畠、葉ぼたんがうつくしい、この部屋には私の外に誰だかゐるやうな気がする、ゐてもらひたいのではありませんかよ。

数日来、あんまり歩いたので(草鞋を穿いて歩くのには屈托しないが、下駄、殊に足駄穿きには降参降参)、足が腫れて、足袋のコハゼがはまらないやうになつた、しかし、それもぢきよくなるだらう。

・師走のポストぶつ倒れゐた

 自分の家を行きすぎてゐたのか

 タドンあたゝかく待つてゐてくれた

 夜ふけてさみしい夫婦喧嘩だ

附記、昨日Iさんを訪ねたが会へなかつた(先日も訪ねたが、さうだつた)、多分居留守をつかつてゐるらしい、Iさんは私と彼女との間を調停してくれた人、私がこんなになつたから腹を立てゝ愛想をつかして、面会謝絶と出たのかも知れない、子供は正直だから取次に出た子供の様子で、そんなやうに感じた、──とにもかくにも、それでは、Iさんはあまりに一本気だ、人間を知らない、──私はIさんのために、居留守が私の僻みであることを祈る、Iさんだつて俗物だ、俗物中の最も悪い俗物だ、プチブル意識の外には何物も持つてゐない存在物だから。

底本:「山頭火全集 第三巻」春陽堂書店

   1986(昭和61)年525日第1刷発行

   1989(平成元)年320日第4

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:さくらんぼ

校正:門田裕志、小林繁雄

2008年320日作成

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