一言(「道遠からん」について)
岸田國士


 わたくしは劇作といふ仕事を通じて、現代における、「喜劇」の存在理由をますます強く感じるやうになり、その精神の探究と、形式の確立のために、おぼつかない努力をしつづけて来た。その努力はいまもつて実を結んだとはいえないけれども、どうやら、ひとつの方向だけは、これできまつたといふ気がする。それは、必ずしもまつたく新しい方向ではないかもしれない。しかし、わたくしは、わたくしの視角のなかにとらへ得たその方向をもう見失つてはならない年齢なのである。

 喜劇はまづなによりも、人間と時代とに対する深いかなしみから生れるものだといふことを、わたくしは、かねがね信じてゐる。かなしみがかなしみのままに終れば、それは絶望につながるほかはない。わたくしは、そこで立ちどまらないために、あらゆる鞭を自分のうへに加へた。灰色のかなしみから、褐色の憤りが煙のやうにたちのぼるのを、自然の結果とみてゐた。だが、その時、はじめて、自分のうちに、鬱積した「笑ひ」がこみあげて、ひとつの出口をもとめてやまないのを知つた。「喜劇」は、外になくして、内にあつたのである。

 人世批判が諷刺のかたちをとつて「喜劇」を生むことも事実にはちがひない。しかし、その事実は、また、批判者がいつさいの批判に堪へなければならぬといふ意味をふくんでゐる。しよせん、喜劇は、他のすべての文学作品と同様、あるひは、それ以上に、鏡にうつる作者の像なのである。

 こんど文学座で上演する「道遠からず」は、分析的な解釈を必要としないほど、主題は単純明瞭であつて、わたくしは、ただ、現実の一瞬から、この主題のヒントを得たことだけ言つておきたい。

 この春、ある海岸地方を旅行した際、ちやうど、代表的な海女のいくたりかを、伝説的な註釈づきでみせられたこと、その地方の町で、観光事業の一つの催しとして、海女の海中作業をコンクールの形式で一般に公開するといふ計画をきかされ、これはどんなものかと考へさせられたこと、この二つの動機から、わたくしの創作慾が刺激されたのである。

 これは、なんとしても現実の問題としてそのまま取扱つては、いかに誇張を試みたところで、喜劇にはならぬ性質のものである。ただ、現実が提出してゐる問題を、さまざまな仮設のうへに展開させていくと、そこから、慄然とするやうな情景のなかに、ある種のをかしみが湧いて来ることを発見した。

 この戯曲は、文学座からも俳優座からも、前後して上演の申込みがあつた。先口の文学座にこれをゆるした。そして「人間」に発表したテキストが甚だ不備なものであつたから、更に、十分手を加へる約束をしたのであるが、結局、この程度のもので我慢するよりほかなかつた。それでも、第二稿は第一稿の倍に引き伸ばされた。

 配役もほぼ、わたくしの頭のなかで考へられてゐた。

 演出を引受けてくれた福田恆存君は、「キテイ颱風」の作者として、既に文学座愛好者のおなじみの顔である。演出ははじめての仕事なので、わたくしも手伝ふことにしたが、この頭脳よりもむしろ肉体の労働ともいふべき任務はまつたくご苦労というほかはなかつた。

 清水崑君の協力を得たことは、作者として、また演出者の一人として、非常に心強かつた。

底本:「岸田國士全集28」岩波書店

   1992(平成4)年617日発行

底本の親本:「文学座十一月公演・道遠からん パンフレット」

   1950(昭和25)年112日発行

初出:「文学座十一月公演・道遠からん パンフレット」

   1950(昭和25)年112日発行

入力:門田裕志

校正:Juki

2011年827日作成

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