可児君の面会日
岸田國士



可児かに

可児夫人

女中

織部

木暮妙

鳥居冬

駒井

毛利

斎田


一月十二日午後──

極めて平凡な客間兼書斎


可児君  今日こそゆつくり寝てゝもよかつたんだ。下らないことに気をつかつたりなんかして──見ろよ、一人も来ないうちから、もう草臥れた。(仰向けに寝ころがる)

夫人  そんなに気をおつかひになることはないでせう。二時までに、その辺を綺麗にしておいて、ねえやに、襦袢を着替へさせて、あたくしが、この、カバアを脱ぎさへすればよろしんですもの。

可児君  それでよろしいもんか。座蒲団は借りてあるか。

夫人  五枚揃つてれば沢山ですわ。

可児君  でも、初めての面会日だからね。普段来たこともない奴まで、思ひ出してやつて来るかも知れないよ。

夫人  一々端書なんかおだしになるんですもの。それに、月一度は、いくらなんでも、少な過ぎますわ。それも、一日中とか、午後全部とかなら、まだしもですけれど、二時から三時まで一時間なんていふ面会時間はどこへ行つたつてありませんわ。尤も、その為に、来たい人でも来れなかつたりなにかして……。

可児君  丁度いゝさ。毎週例へば月曜日を面会日と決めてだね。第一月曜は朝から一人きり、第二月曜には夜遅く二人、第三の月曜は、一日待ちぼけを食ふなんていふのは、あんまり気が利くまい。いや、そんなもんだよ。さうして、面会日でもない日に、一寸でよろしい。お手間は取らせませんなんてな客が、ぞろぞろ来てさ。そのうちには、図々しく面会日を無視して、そこまで来た序だなどゝ、昼食から終電車まで尻を据ゑて行く奴がゐるに違ひない。さうなると、面会日には一日縛られ、面会日でない日には、落ちついて仕事が出来ず、結局、面会日を決めたゞけ損といふことになる。面会日の最も有効な利用法は、日を成るべく少く、時間を成るべく短く、と、ね、これだ。おれは、月一回、一時間の制度が、最も機宜に適してゐると思つてゐる。それや、もつと交際でも広くなれば、また別さ。さうなれば、お前を中心にして、月一回ぐらゐ、婦人連だけのサロンを開いてもいゝな。

夫人  あたくしは、さういふことは真平ですよ。面倒なことは出来るだけはぶくといふのが、あたくしの生活のモツトオなんですから……。

可児君  生意気云へ。おれだつて面倒なことは好きぢやないさ。お前は、何かい。おれの地位が、社会的に向上するのを悦ばないのか。おれの周囲に集るおれの崇拝者は、おれのそばにゐるお前を、同時に崇拝するやうになるんだぜ。

夫人  有難いもんですわね。

可児君  冗談でなくさ。お前は、さう思はないかい。

夫人  思はなければどうなんですの。あなたは、もうそんなに偉くなつて下さらない方が、あたくし、安心ですわ。

可児君  どうして?

夫人  あなたお一人が、だんだん高いところへ上つて行つておしまひになるやうな気がするのは、いやですわ。

可児君  ハヽヽヽヽ。高いところはよかつたね。女房といふものは、自分の亭主を買ひかぶるか、世間並にさへ認めないのが、世間一般らしいが、お前は、実によく亭主の正体を掴んでゐるよ。いゝ気にもならず、落胆もせず、さうして、せつせと原稿の清書を手伝つてくれてゐる、その内助振りは、全く感激に価する。

夫人  (さういふ冗談口には馴れてゐるらしく、夫の口先の感激に何等の反応を示さず、机に向つてペンを動かしてゐる)

可児君  昭和二年二月十二日……か、雪は降るまいなあ。

夫人  …………。

可児君  おい、もう一時半だぜ。おれはこのなりでいゝかしら……。かういふ日に、ドテラはどうかね。

夫人  いゝんですよ。

可児君  どうしていゝ? どうしていゝつて云ふんだ。さうかなあ。

夫人  紋付でもお召になりたいんですか。

可児君  なりたかないさ。誰でもさうか知ら。

夫人  誰でもは誰でもでいゝぢやありませんか。あなたはあなた……。一体、誰が来るんですの、あなたは、普段の通りにしてゐらつしやればいゝんですよ。人が来たらお会ひになればいゝんでせう。誰も来るか来ないかわからないのに、こつちばかり、何も、用意をしてゐるわけはないぢやありませんか。

可児君  お前は、女に似合はず、ドオデモイイニストだね。

夫人  …………。

可児君  物事にけじめをつけることが嫌ひだね。

夫人  …………。

可児君  なに、お前さへかまはなけれや、おれは、着物なんか、なんだつていゝさ。

夫人  そら、そんなことおつしやるもんだから、間違つちまひましたわ。こゝはと、……「彼女の眼も、鼻も、唇も、頤も……」……あゝ、唇がぬけたんだ……。

可児君  そこは肝腎な処だから気をつけてくれよ。


(此の時、「御免」といふ声──可児君は、飛び起きる。二人は思はず顔を見合はす。もう一度、「御免」といふ、やゝ急き込んだ声、女中が取り次ぎに出たらしい。やがて──)


女中  (現る)あの、織部さんがいらつしやいました。

夫人  (夫に笑ひかけ)どうしませう。

可児君  どうしませうぢやない。(女中に)お上りなさいつて……。(妻に)そこはいゝから……。早く座蒲団……。

夫人  (座蒲団を出し奥にはひる)

可児君  (机の上を片づけ、さも今まで仕事をしてゐたやうな顔つきで訪問客を待ち受ける)

織部  (女中に案内されて入つて来る)やあ、しばらく……。

可児君  やあ、端書着いた?

織部  あれを見て、今日ならきつとゐると思つてやつて来たんだが、忙しいんぢやない。

可児君  なに、今日は、どうせ駄目なんだ。しかし、君なんか、面会日を守つてくれなくつたつていゝよ。あの端書は、序に出したんだが、あれで、まあ、きつとゐる日だけはわかるからね。──さう思つて……。

織部  だからさ……。しかし、月一回は少かないか。

可児君  会ひたい人間には何時でも会へるんだからね。

織部  それもさうだ。僕も、そら二三年前に、一度面会日を決めたことがあつたらう。──あん時は、毎週火曜にしたんだ──処が、その日にかぎつて、外へ出る用事ができてね、閉口したよ。用事がなくつても、その日が来ると、なんだか、外へ出て見たくなるんだ。別に、人に会ふのが嫌やなわけぢやないが、うちにぢつとしてゐるのが辛いんでね。妙なもんだよ。結局、何時からともなしに、面会日はなくなつてしまつたわけなんだが、人が折角訪ねて来てくれて、まあ、人にもよるが、こつちも会ひたいやうな人がだね、それに留守だと、実に残念だ。やりきれない気がするよ。

可児君  さういふ時、僕は、こつちから、すぐ訪ねて行くことにしてゐる。そら、君が何時か留守中に来てくれたね、あん時も……。

織部  さうさう。あん時は、こつちが……。──また、生憎なもんでね……。

夫人  (茶を運んで来る)いらつしやいませ。

織部  やあ、先日は。

夫人  瓦斯が、どういふんですか、なかなかつかなくつて……。どうぞ……。(茶を薦める)奥さま、お変りいらつしやいませんか。

織部  ありがたう。だんだん御盛んで結構です。

夫人  は? いゝえ、なんですか……。でも、可笑しいもんですわね。面会日をきめると、一番にいらつしつて下さるのが、一番お心易い方なんですものね。

可児君  実際、君なんかゞきつと来てくれるなら毎週一回にしたつていゝんだね。さうなると、来る方でも、また窮屈だらう。──何時でも会へると思つてゐると、つい、半年も会へなかつたりしてね。皮肉なもんさ。

織部  どうしてまた、十二日としたの。

夫人  可児の誕生日なんですの。

織部  あ、さうだつたか。

可児君  自分でも覚え易いしね。

織部  自分で忘れちや話にならん。十二日、さうか。たしか一月十二日だつたね。それぢや、今日だね、ほんとの誕生日は……。

可児君  満三十三さ。

織部  若いね。

夫人  あら、いくつお違ひになるんですの。

(勿論、相手の年は知つてゐて、さういふのである。眼附でそれがわかる。奥に去る)

織部  処で、実は、少し頼みがあつて来たんだがね。

可児君  まあ、後でいゝぢやないか。あとでゆつくり話さう……。

織部  うん……。まだ誰も来てゐないやうだし、その話さへ出来たら、今日は、少しほかへ廻りたいんでね……。また、そのうち、ゆつくり飯でも食はう。

可児君  まあ、いゝぢやないか。三時には、みんな追ひ返しちまうから、あとは、君……。

織部  それがね、その話といふのが、ほかでもないが……。

(此の時、「御免下さい」といふ女の声)

ぢや、また、のちにしよう。

可児君  (抑へきれぬ微笑)一寸楽しみだよ、これでね……。(耳をそばだてる)

女中  (現る)木暮こぐれさんがいらつしやいました。

可児君  (首をかしげ)木暮……?

女中  あの、若い女の方で御座います。

可児君  …………。

女中  此の前、一度見えたことがおありになるんですけれど……。

可児君  あゝ、さうか……。(一寸考へて)いゝから、お上りなさいつて……。

織部  (察して)愛読者かね。

可児君  うん、いや、作家志望の娘さんだ。

木暮妙  (二十一二の学生風の娘。──会釈して入り来る。その後にもう一人、その友達らしい同じやうな年配の女が、ためらひながらついて来る)先日はお邪魔いたしました。この方、あの、あたくしのお友達で、鳥居冬さんつておつしやいますの。やつぱり、先生の御作品を、なんなもんですから、あの、御一緒にお連れしましたんですけれど、よろしう御座いませうか。

可児君  さうですか、それやどうも……。

鳥居冬  (丁寧にお辞儀する)どうぞよろしく……。

可児君  学校は、おんなじなんですか。

木暮妙  はあ。でも、あたくしの方が、一年前に出ましたんですの。

可児君  へえ、あんたの方が後みたいだが。

木暮妙  あら、さう見えます? あたくし、何時までも子供だつて、みんなに云はれますの。

可児君  鳥居さんですか、あなたも、何か書いてらつしやるんですか。

鳥居冬  いゝえ。

女中  (茶を運んで来る)

可児君  あゝさうさう、御紹介しときませう。これ、織部九郎君……識つてるでせう。名前は……。

織部  いやあ……。

可児君  (少女らが識らぬらしいのを見て取つて)駄目だなあ、織部九郎君の名前も知らなくつちや……文学は落第だ。有名な劇作家ですよ。そら、「運命の喇叭」つていふ脚本を去年の夏、読売講堂で、上演したでせう、未来座つていふ劇団が……。知りませんか。知らないはずはないがなあ。尤も、先生の作品は、非常に先駆的で、今の文壇ぢや殆んどわかる奴なんかゐないことはゐないんだが……。

織部  もういゝよ、君、紹介はそれくらゐで……。(何気ないやうに笑ふ)戯曲はあんまり読まないでせう。

木暮妙  戯曲は読んでもわかりませんもの……。先生はどういふ雑誌にお出しになりますんですの……。

織部  僕ですか。さあ、あなたがたには縁のない雑誌ですよ。

木暮妙  「花園」へはお書きになりませんわね。

織部  あゝ、あゝいふ方へは……。

可児君  「花園」ばかりが文芸雑誌ぢやありませんよ。

木暮妙  えゝ、それはさうですけれど……。

織部  (思ひ出したやうに)ハヽヽヽヽ。

木暮妙  あの、先生が今月の「花園」へお書きになりましたもの、あたくし、少しわからないところがあるんですけれど……。

可児君  えゝ、まあ、それは此の次にしませう。今日はなんだから……。それより、織部君に、芝居の話でも聞かせてお貰ひなさい。

木暮妙 えゝ……。でも、あたくし、どんなこと伺つていゝかわかりませんわ。ねえ、鳥居さん。あゝ、さうだわ、あなた脚本好きだつて云つてゐらしつたぢやないの。


(長い沈黙)

(此の時、また玄関で、「御免」といふ声。やがて、女中が名刺を持つて来る)


可児君  (それを受け取り)今日はね、面会日でお客さんがあるから、何時か別の日に来てくれつて……。あゝ、奥さんにさう云つて、出て貰へ。

女中  はい。

線部  今日は面会日だから、別の日に来いは可笑しいぢやないか。

可児君  うむ。


(女中去る、長い沈黙)


夫人  (現る)その方ね、(と、名刺を見て)今日は御面会日だつていふことを承知して伺つたのですが、一寸でよろしいんですからつて、さうおつしやるんですよ。

可児君  どんな用か聞いて御覧。よし、おれが行かう。(起つて出て行く)

織部  (名刺をのぞき)関東土地株式会社……。土地でも買はれたんですか。

夫人  いゝえ、さうだとほんとに結構なんですけれど……。

夫人  (女たちに菓子を薦めながら)どうぞお一つ……。(織部に)此の頃、碁はなさいませんの。

織部  碁ですか。碁もね……。あれで飯が食へるといゝんですけれど……。

可児君  (客を伴ひて入り来る)ほかにお通しする部屋がないから、ぢや、此処で……。かまはないでせう、別に秘密の用件と云ふんぢやないでせうから……。

客  はあ、いえ、別に、こちらはなんですけれど……。(座につく)

可児君  (織部に)此の人はね、関東土地株式会社の駒井さん……。こちらが劇作家の織部君……。そちらのお嬢さんたちは……まあ、名前は聞かなくつていゝでせう。

駒井  はあ、いえ……。(頭を掻く)

可児君  それで早く云ふと、土地を買へつて云ふんでせう。僕んとこにや、そんな金はありませんよ。

駒井  はあ、いえ……。実は、社長がお伺ひする筈だつたんですが、社長は、まるで文学などわからないんですし、お伺ひ致しましても、まあ、つまり、お話のしかたに困ると申しますやうな次第で、私に是非と云はれましたもんですから……。それと申しますのが、私は、かう云つちやなんですが、少しばかり文学の方が好きで、先生の御作品など愛読さして頂いてゐるものですから、かういふ機会に、先生にお目にかゝつて置くのもと思ひまして、伺ひましたやうなわけで……。何もわからないもので御座いますからどうぞよろしく……。

可児君  そのお話といふのは、何か、文学と関係があるんですか。

織部  「土の文学」といふのがあるね、近頃……。

駒井  はあ、いえ……。今日伺ひましたのは、早速ですが、私共の経営いたしてをります土地と申しますのが、つまり、分譲地で御座いますが、場所と致しましては、東京近在では、何処にも負けないつもりでをります。眺望と云ひ、気候と云ひ、交通の便と云ひ……。

可児君  わかりました。広告文を書けつて云ふんでせう。

駒井  はあ、いえ……。広告文と云ふわけぢやないんで御座います。一つ、何時でもよろしう御座いますから、そのうちに、先生の御作品の中へ、さういふ処があるといふことをお書き願ひたいと思ひまして……。

可児君  はゝあ、宣伝をしろと云ふんですね。

駒井  はあ、いえ……。宣伝といふわけでなくつても、土地の名前だけでもよろしう御座いますから……。例へば、主人公が恋人を連れて散歩に行つたとか……。

織部  何処です、その土地といふのは……。

可児君  恋人なんか連れて行きさうもないところだよ。きつと……。

駒井  はあ、いえ……。中央線武蔵境で降りますと、すぐで御座います。お天気のよろしい日などは、散歩には持つて来いの処で御座います。三百年前の武蔵野の面影が、そのまゝ残つてをりまして、雑木林の間に、富士山が絵のやうに浮んで見えます。

可児君  その文章は君が作つたんですか。

駒井  はあ、いえ……。(また頭を掻く)

木暮妙  (袖で顔をかくして笑ふ)

織部  その広告文ぢや、君、荻窪や吉祥寺と変つたところはないぢやありませんか。

駒井  はあ、しかし、ずつと東京から離れますからして……。

可児君  それぢや、なほ……。

駒井  いえ、近頃は、それくらゐ離れた方が静かでいゝとおつしやる方が、大分殖えて来たやうで御座います。

織部  離れててもいゝが……。さうすると……小説に書くと……。お礼はどうなるんです。

駒井  はあ、その点はまた更めて御相談いたしますが……。

織部  土地を只でくれるんぢやないんですか。

駒井  はあ、いえ……。うんと割引ぐらゐ致してもよろしう御座います。

織部  割引か……。それぢやつまらん。

駒井  (織部にはかまはず)如何で御座いませう、可児先生、一つ、枉げて御承諾願へませんでせうか。社長とも相談いたしましたんですが、先生にさう願へれば、建物附で極く安く……御都合次第では……。

可児君  駄目です、僕は……。小説は、君、小説さ、作者が行かうと思ふ処へ、主人公は行きたがらないかもわからんのですからね。

駒井  御冗談……。作者は、それこそ、主人公の運命を握つておいでになるんですから……。

織部  それやさうだ。僕ぢやどうです。可児君がいやなら、僕が脚本の中へ書きませうか。大劇場で上演されゝば、それこそ宣伝になりますよ。その代り、百坪でも、五十坪でもいゝから、土地を只でくれなくつちや……。

可児君  さうし給へ、織部君に頼み給へ。

織部  僕は、かう書くよ。つまりね、その土地が、いろいろの点から見て、理想的な土地なので、或る金持が買ひ占めにかゝる。するとですね、その土地会社の一青年社員で、まあ、名前は、駒井でもなんでもいゝが……。

駒井  (惶てゝ)はあ、いえ……。

織部  その青年社員が、社長の意に反して、金持の契約申込を拒絶する。そこで、社長は、その青年を解雇しようとするんですね。勿論、青年は、自分の所信を述べて、社長の再考を求めるが聴かれない。青年は、仕方がなく、自分が日頃、慕つてゐる社長の一人娘、これが絶世の美人さ、その娘さんのところへ、それとなく暇ごひに行く……。少し新派かな。

駒井  いえ、結構です。社長に娘はありませんが……。それに土地の方のことをもう少し……。

織部  いづれゆつくり考へてからにしませう。僕の処はね、一寸、君、書くもの……。あ、(番地を書き)此処……。すぐわかります。近いうちに来て下さい。

駒井  はあ、いづれ、社長に話しまして……。しかし、社長のことは、なるべく悪くお書きにならないやうに……。

織部  その心配は御無用……。なんて、嘘ですよ、そんな話は……戯談ですよ。


(駒井を除いたほかのもの、みんな笑ふ。此の時「御免下さい」といふ声)

(沈黙)


駒井  もう少しお邪魔さしていたゞいてよろしう御座いませうか。

可児君  もう、その話は打ち切りにしませう。それでよけれや……。

女中  (笑ひながら現る)あの毛利さんでいらつしやいます。

可児君  お上りつて……。

女中  あんまり大勢さんならばつておつしやるんで御座いますよ。

可児君  お客さんがかい。いゝからお上んなさいつて……。

女中  (去る)

木暮妙  あのあたくしたち、お暇いたしますわ。

可児君  どうして……。まだいゝぢやありませんか。丁度いゝお話相手ができたから……。

木暮妙  でも……男の方でせう。

可児君  男だといけないんですか。

鳥居冬  (木暮に)ほんとに、お邪魔だといけないわ。

木暮妙  ぢや、もう少し……。(腕時計を見ながら)もう十分……。

織部  どつちへお帰りですか。

木暮妙  あたくしは、赤坂……。この方、本郷でいらつしやるんですの。

織部  僕も本郷ですから……、それぢや……。本郷は何処です。


(大学生少し恐縮して入り来る)


毛利  今日は、こんなことだらうと思つて、余程此の次にしようかと思つたんですけれど……。

可児君  このつぎだつて、おなじことだよ。学校はもう済んだの。

毛利  僕はまだ行かないんです。あ、先生の今度の拝見しました。

可児君  (それに頓着なく、又は頓着せぬ風をして)紹介しとかう。これ、織部九郎氏……。(間)識つてるだらう。(間)劇作家のさ……。

毛利  (考へて)あ、さうですか。

可児君  毛利君、学校の後輩だ……。それからと、そこにをられるレデイースは、こつちのグリーンの方が木暮妙さん、そつちのオレンヂつて云ふかね、それが、えゝと……。

木暮妙  (引き取つて)鳥居冬子さま……。

可児君  若い人達を引き合はすのは、好い気持だね。なんとなくビリビリと来るもんがあつてね。

駒井  先生方にかゝつちや敵ひませんな。

女中  (茶を運んで来る)

可児君  (毛利に)此の間の問題はどうなつたの。

毛利  あのまゝです。

可児君  それや困るね。なんとかなりさうなもんだね。


(長い沈黙)

(また「御免遊ばせ」といふ声)


織部  なかなか来るね。

木暮妙  あたくしたち、失礼いたしますわ。

可児君  まあいゝでせう。

織部  僕も、失敬しようか。

可児君  まだよからう。

女中  (現る)佐伯さんつておつしやる御婦人の方で御座います。

可児君  どんな人?

女中  あの、三十ぐらゐの、品のいゝ方で御座います。

可児君  あゝ、さうか。(一寸当惑して)それではと……。兎に角お通しして……。しかし、こゝぢやなんだから奥さんにさういつて……。(奥に向ひ)おい、一寸……。

夫人  (現る)は?

可児君  佐伯の細君らしいんだがね。わざわざ今日でなくつたつていゝのに……。どこか通す部屋はないか。

夫人  さあ。

可児君  ないね。こゝでもいゝか。あの話だらうと思ふんだがね。こつちから伺ふからつて、帰つて貰はうか。よし、兎に角、おれが出よう。(起ち上つて出て行く)

夫人  (織部に)ですから、あたくしが云はないことぢやなかつたんですよ、月に一度ぢや無理だつて……。でも、今日は特別で御座いませう。

織部  第一、十二日なんていふ日を選んだのが間違ひですよ。いくら誕生日だつて、月半ばつて云へば、誰でも人ぐらゐ訪ねたくなる時分ですからね。これで、三十日とか、なんとかといふ日だとね。それ、一寸、出にくい、そこを面会日にするんですね。客が多くて困るなら……。

夫人  でも、可児は、十二といふかずを、それや、有りがたがるんですのよ。二でも三でも四でも割り切れるなんて申しましてね。

織部  それから、六でも割り切れますな。

夫人  どうですか……。それに一年は十二ヶ月で御座いませう。

織部  それから、子丑寅の十二支といふ奴ね。

夫人  はあ。それに、可児の兄弟と、あたくしの姉妹とを寄せますと、丁度十二人なんで御座いますの。

織部  そんなこと云へば、わたしと家内とは十二違ひですよ。

夫人  あら、不思議ですわね。

可児君  (現れ)ちつとも不思議ぢやない。だから、円満なんだ。(座につき)十二といふ数はね、七だとか、十三だとかいふやうに、ある神秘的な感じをもつた数ぢやないが至極朗らかな、整然たる感じのする数だ。従つて、少し常識的だが、実生活を律する上には、却つて安全な気持を与へるんだ。僕は好きだよ。此の数が……。

織部  僕はどつちかといふと七とか十三とかいふ数が好きだね。(毛利に)あなたはどうです。

毛利  さあ、僕は、さういふことを考へたことはありませんが……。(木暮と鳥居に)あなた方はどうですか。

木暮  (鳥居と顔を見合せながら)あたくし、やつぱり十二が好きですけれど……。十六もよろしう御座いますわね。

織部  なるほどね。あなたは……。

鳥居  あたくし、一が好きですわ。

織部  これや、よほど深い意味がありさうだな。君はどうです。

駒井  はあ、いえ……。私なんかは別に……。なるべく多い数がいゝくらゐなもんで……。

棚驚 こりや名言だ。


(一同笑ふ)


駒井  (名誉恢復を思ひたち)十は如何でせう。


(誰も相手にしない。長い沈黙)

(「頼まう」といふ大きな声)


女中  (現る。名刺を差し出す)

可児君  (それを受け取り)とまり六郎……。へえ、これは珍しい。(奥に向ひ声をかけようとするが、やめて起ち上り一寸考へて)兎に角、お上りなさいつて……。(誰にともなく)どうもはや……。

織部  誰だい。

可児君  (新しい客を坐らせる場所をこしらへながら)此処ぢや、ちよつと狭いね。

夫人  (現る)毛利さん、恐れ入りますが、その座蒲団を一寸……。あなたはよろしいでせう。

毛利  (敷いてゐるのを外し)僕、もう、帰りませうか。

可児君  うん、まあ、いゝさ。気の毒だなあ。

泊  (訝しげに、あたりを見廻しながら入り来る。何処に坐つていゝか一時ためらつてゐる)

織部  さあ、どうぞ、あちらへ……。

泊  (入り口に坐り、織部に向ひ、割合に打ち解けた調子で)やあ、しばらく……。

織部  (間誤ついて)可児君はあちらです。

泊  (落ちつき私つて)あ、さうですか。(一座を見廻し可児君を見つけ)やあ、しばらく……。つい、どうも……。

可児君  さうかね。君、泊君かね。

泊  変つたかね。さういふ君も……なるほど、声を聞けば、たしかに昔の君だ。

可児君  今、どうしてゐる。

泊  まあ、それは、ゆつくり話すが、今日は何か、寄合日かね。(改めて一座を見廻す)

可児君  いや、面会日なんだ。

泊  さうか。そいつは、丁度よかつた。二三年前から、新聞や雑誌で、ちよいちよい名前を見るのでね、一度訪ねたいと思つてゐたのだが、十年近く会はずにゐて、だしぬけに訪ねたんでは、と思つてね。何かいゝ機会がありさうなものだと、実は、今日まで待つてゐたやうな次第だ。処が、昨夕、偶然、「クイン」といふ雑誌を読んだら、君の小説が出てゐる。──実は、君の書いたものを読むのは、これが始めてだ、それは断つて置くが──。すると、中に書いてあることが、どうも、僕のことらしい。あの「彼」といふ男は、確かに僕だ。──いや、かまはんよ。あれは、小説だ。ね、さうだらう。だから、事実とは違ふ。違ふのがほんとだ。それくらゐのことは、僕だつて知つてゐるよ、しかし、僕をモデルにしたものに違ひない。あの時の僕は、たしかに、あゝ見える男だつたらう。そこでだ、君があれほど僕に好意を持つてゐてくれるなら、今、訪ねて行つても、まんざら、いやな顔はされまいとね、なに、皮肉ぢやないよ、これは……。近頃の小説で、主人公があんなに優遇されてゐる小説はないよ。僕は自分をあれほど善人だとは思つてゐないだけに、聊かくすぐつたい気持にはなるが、君が僕を善人に見立てゝくれたことに腹は立たない。──おや、こんなに独りで喋舌つていゝのかい。

可児君  それや、かまはないが、その話は、まあ、もつと、後でしようぢやないか。それより、君の、その後の様子を聞きたいもんだなあ。

泊  それこそ、何時でも話せる。僕はね、昨夕、あれを読んでから、今日此処へ来るまで、そのことを考へつゞけたんだ。──君が一体、僕といふ男を──あの時、あんなことをした男を、なぜ、あれほど寛大な心で見てゐてくれるかといふことが、僕には、どうしてもわからないんだ。

可児男  まあ、いゝぢやないか、そんなことは……。

泊  いゝや、よくない。それを聞きに来たんだ。聞かしてくれ。

可児君  今日はね、月に一回の面会日で、此の通り大勢お客さんが見えてゐるんだから、君一人と話をしてゐるわけに行かないんだ。

泊  (悄げて)さうか。しかし、もう一と言云はしてくれ。君は、あの小説の中で、僕の今の家内と、以前何処かで……(かう云ひかけてあたりに気がつきやつと)さうか……。こいつはまづいな。

可児君  まづいとも……。君は、まだ、こゝにゐる人たちに挨拶もしてゐないんだぜ。

女中  (現る。名刺を差し出す)

可児君  (名刺を見ながら)原稿なら、当分駄目だ……。あ、奥さんに一寸つて……。

女中  (去る)

夫人  (現る)

可児君  これ、用事を聞いてね、原稿ならことわつてくれないか。

夫人  (笑ひながら去る)

可児君  (更めて、泊に)さういふ訳だから、もう少し落ちついて、順序よく話をしようぢやないか。先づ、紹介をして置かう。これが、僕の友人、織部九郎君……。

泊  (それには応へず)面会日は何曜と何曜だね。

可児君  これが劇作家の織部九郎君だ。挨拶をし給へ。

泊  此の次の面会日は幾日……?

可児君  おい、君、織部君に挨拶をしろ。

夫人  (現る)あの……原稿も原稿ですけれど、一寸お目にかゝつて伺ひたいことがあるつて云ふんですけれど……。

可児君  忙しいつて云へ。

夫人  でも面会日なんですから……。

可児君  だから、人なんかに会つちやをられん。

夫人  そんな無茶なことおつしやつたつて……。ねえ、織部さん。

可児君  そんなら、どうとも勝手にしろ。

夫人  (起ち上りながら)上つて頂いてもようござんすね。

可児君  上る奴は勝手に上れ。

夫人  (去る)

織部  僕は、ぢや、失敬するから……。(起ちかける)

可児君  いや、君はまだ帰つちやいかん。

毛利  僕、お暇します。

可児君  君も帰つちやいかん。


(長い間)


木暮妙  あの、あたくしたち、もうなんですから……。(手をついて、お辞儀をしかける)

可児君  えゝと、あなた方はゐたつてかまひませんよ。


(間)


駒井  (仕方がなしに)ぢや、私が……。(坐り直す)

可児君  あ、さうして呉れ給へ。折角だが……。

駒井  どうも御邪魔を致しました。ぢや皆さん、お先へ……。(起ち上る)あの……先生、一寸……お顔を拝借……。

可児君  なんですか。顔ですか。

駒井  (廊下へ出ながら)はあ、一寸、お顔を……。

可児君  (廊下へ出る。駒井の後ずさりする方へ機械的について行く。便所の戸口である)

駒井  (声をひそめて)先程お願ひしました一件で御座いますが……。


(此の時新しき客座敷に通る)


可児君  まあ、考へて置きませう。

駒井  はあ、どうぞ一つ……。お礼の点は、充分なにするつもりで御座いますから……。それに……。

可児君  兎に角、今日は、こんな風だから、明日にでも来て見て下さい。明日、さうですね……明日なら、何時でもかまひません。

駒井  はあ、どうも……。では、明日……。(便所の戸を開けかける)

可児君  帰るんなら、こつちですよ。

駒井  はあ、いえ……一寸……。(戸を開けてはひる)

可児君  (手持無沙汰さうに一つ時駒井の出て来るのを持つてゐる。がやがて座敷に帰る)

新しい客  わたくし、「亜細亜文学」の斎田で御座います。

可児君  もう沢山です。

斎田  は?

可児君  御覧の通りの有様ですから、とても原稿なんか書けやしませんよ。

斎田  いえ、今日は、その、実は、談話筆記をさして頂きに上りましたので……。今度、各方面から、少し変つた姓名の方に、御自分の姓名についての御感想、又は御意見を伺つて、それを一つの欄に集めて見ることになりまして……。

可児君  僕の姓名は、そんなに変つてやしませんよ。

斎田  いえ、どう致しまして……。大分変つておいでになります。「可児」と申します姓は、やはり琉球の……。

可児君  そんなことはどうでもいゝぢやありませんか。

斎田  でも……。さう致しますと、「可児」といふ字は、なぜ……。

可児君  なぜも糞もない。可児だから可児です。君はなぜ、斎田ですか。え、なぜです。斎田……斎田……何が斎田だい。なぜ織部です。なぜ、木暮です。なぜ……。(つまる)

木暮妙  (手伝つて)鳥居……。

可児君  うん、なぜ鳥居です。え、なぜ、毛利です。なぜ泊です。泊……、泊……。泊なんていふ名があるもんか。

斎田  それや、さうおつしやられゝばそれまでゞすが……。

可児君  それまでなら、それまでゞいゝぢやないですか。僕は、今日は、君なんかの相手になつてをれんのですからね。悪しからず……。それではと……用事を段々に片づけようぢやありませんか。木暮さんはなんでしたつけな。

木暮妙  いえ、あたくしは、別に……。(と云ひながら包みをひろげ)これ、お暇の時に、また、御覧下さいませんでせうか。(原稿を出す)

可児君  (受け取り)……「冬は橇に乗つて」……(首をひねり)どうも、何かで見たことのあるやうな題だな。よろしい。拝見しときませう。

木暮妙  どうぞ……。(鳥居冬に眼くばせして)それでは、また……。(一同に会釈して起ち上る)

鳥居冬  (これも会釈して起つ)

可児君  (座を起たうとせず)ぢや、これで失礼……。

木暮妙  (廊下に出て)あの……先生、一寸……。

可児君  なんですか。(起つて行く木暮妙について、また便所の戸口に行く。此の時便所の戸が開いて駒井が現れる)あ、わかりましたか。

駒井  (恐縮して)は、どうも、失礼……。(逃げるやうに玄関に去る)

木暮妙  (云ひ出しにくさうに)あの、あたくし、今、一身上の重大問題にぶつかつてゐるのですけれど、そのことについて、是非先生に御相談して、解決をつけたいと思ひますの。それで……。

可児君  さう……。なんなら此の次にお話を伺ひませう。

木暮妙  はあ、でも、なるべく急いでその方の始末をつけませんと……。

可児君  そんなら明日と……明日は駄目か。ぢや、明後日、もう一度いらつしやい。ゆつくり、お話をしませう。

木暮妙  はあ。で、そのことにつきましては、詳しいことは、あの只今の小説に書いて置きましたけれど……。なんですか、うまく書けませんの。

可児君  兎に角拝見して置きませう。

木蓉妙  どうぞよろしく……。(鳥居冬と二人玄関の方に去る。可児座敷に戻る)

泊  今の二人はなんだね。

可児君  (それには答へず毛利に)君は、何か用事はないの。

毛利  いえ、別に……。たゞ、一寸……。

可児君  なに? 此処ぢや云へないの。

毛利  えゝ。さつきの問題なんですけれど……。

可児君  そんなら、此処だつていゝぢやないか。聞かれて悪いやうな人はゐやしないよ。もう男ばかりだ。

毛利  でも……。

可児君  駄目だなあ、そんなことぢや……。そんなら、もう少し待ち給へ。


(長い沈黙)


織部  僕は、また出直して来よう。

可児君  君は急ぐ必要はないぢやないか。

織部  いや、それが、大いにあるんだ。

可児君  さうか。それぢや、君の方から片づけようか。此処でかまはないんだらう。

織部  うん、それがやつぱり、なんなんだ。

可児君  秘密を要するのか。君にも似合はないな。それぢやと……。(奥に向ひ)おい、そつち片づいてゐるか。

夫人の声  (奥から笑ひながら)こちらは、今、一寸、困るんですの。

織部  かまはないぢやないか、どこだつて……。

可児君  何してゐるんだい。それぢや、ねえやの部屋は、……あんまりかな。

女中の声  あら、どうしませう。

夫人の声  いけないんですつて……。ぢや、失礼して、玄関になすつたら……。今、お火を入れますわ。

可児君  ぢや、さうしよう……。(起ち上る)

織部  (毛利に)では、失礼。(外に出る)


(両人玄関に行く)


泊  (毛利に)あなたは、まだお独りですか。

毛利  と云ひますと……。

泊  独りかと云へば、独身かといふことですよ。可児君は、あれで評判はいゝんですか。

毛利  さあ……。

泊  (奥に向ひ)奥さん。

夫人の声  (しばらくしてから)はあ。(現る)

泊  (にや〳〵笑ひながら)わたくしは、可児君の旧友です。これから、ちよい〳〵寄せて頂きますから、よろしく……。奥さんは、何時、こちらへおいでになりましたか。

夫人  あの……一昨年で御座いますの。

泊  一昨年……。さうすると、丁度、わたしが上の子供を失くした年ですな。

夫人  まあ。

泊  さつきも云つたことですが、わたしは、可児君に感謝してゐるんです。わたしは、かう見えても、世間に顔向けのできない男なんです。何れ、あとからお聞きになることでせうが……いや、或は、もう、お聞きになつてるかも知れませんが、わたしは、学校にゐる頃、不図した動機から、親しくしてゐた可児君の金を盗んだんです。勿論、可児君は、それを表沙汰にはしてくれなかつた。たゞ、それからといふもの、わたしの方から、自然遠ざかつて行つたのです。なぜ遠ざかつて行つたか。それはおわかりでせう。しかし、心のうちに罪の重荷を引摺つて、一人の親友から離れて行つたわたしは、生活が日に日に荒むばかりでした。学校もやめました。

夫人  そんなお話は、もうよろしいぢや御座いませんか。わたくしには何も関係はありませんもの……。かうして久々でいらしつて下さつたからには、可児さへ心が解けてゐれば、もともと通りの親しいおつきあひができる筈で御座いませう。ねえ、毛利さん……。

毛利  …………。

泊  いま、そこで、どつかの子供が荷馬車に轢かれましたよ。ついそこの酒屋の角で……。

夫人  え、子供が……。

泊  (黙つて腕組みをして考へ込む)

夫人  (茶碗などを片づけ始める)

斎田  先生は今、お忙しいですか。

夫人  はあ、なんですか、時間がないやうで御座いますよ。お茶が冷めましたらう。(去る)

可児君の声  それぢや、明日……はいけないと、明後日もなんだから、明々後日しあさつてにしてくれ給へ。(間)いや、朝のうちがいゝな。(間)うん、それぢや、失敬。どうも今日は取り込んでゐて……。(座敷へ帰つて来る)そこでと……。(斎田に)君、また此の次来て貰ひませうか。今日はもう疲れた。それに、名前のことなんか、僕はちつとも興味はないんだから、勘弁して下さい。

斎田  どうも弱りましたな。先生のがないといふことになると一寸、此の企てが無意義になりますんで……。

可児君  そんなことはないでせう。第一、頭が悪いよ、そんなことを企てるなんて……。もつと気の利いた題目はいくらだつてあるぢやないか。今日は君、頼むから、引き取つてくれ給へ。

斎田  はあ、今、一寸、もう一杯熱いお茶を戴いてから……。

可児君  さうか。(奥に向ひ)おい、熱いお茶を一杯……。

夫人の声  はい、只今……。

毛利  お疲れになつてるなら、僕も、これで……。

可児君  さう……。それぢや、さうしてくれ、君の方もいそぐんだね。明日、明後日、明々後日……みんな塞つてるから、その次の日……(指を折りながら)十六日だね、さうしてくれ……。

毛利  何時頃……?

可児君  何時でもいゝ。朝でも、晩でも……。

毛利  それぢや、さう願ひます。お邪魔しました。

夫人の声  毛利さん、只今、珈琲を入れますから……。

毛利  はあ、有りがたう。

女中  (珈琲を運んで来る)


(一同黙つて珈琲をすゝる)

(長い間)


泊  西洋では珈琲なんか飲む時、こんなに音を立てちや、いかんのださうだね。


(長い間)


斎田  東の海の林と書いて、なんと読むか御存じですか。

可児君  知らんよ、僕は、そんなことは……。

毛利  どうも御馳走さま……。ぢや先生……十六日に……。


(一同に挨拶して起ち上る)


可児君  は、よろしい。さよなら……。

毛利  (去る)

斎田  では、わたくしも……。いづれ、また、そのうち、何かお願ひに出ます。

可児君  …………。

斎田  御免……。

可児君  ぢや、こゝで失敬……。

斎田  どうぞ……。(笑ひながら去る)


(極めて長い沈黙)


泊  今日は、もう暇なんだらう。

可児君  あゝ暇だよ……。(力なく両手で頭を抱へ机の上に肱をつく)

泊  ぢや、ゆつくりしてつてもいゝかい。

可児君  あゝ、いゝとも……。


──幕──

底本:「岸田國士全集2」岩波書店

   1990(平成2)年28日発行

底本の親本:「新選岸田國士集」改造社

   1930(昭和5)年28日発行

初出:「女性 第十一巻第三号」

   1927(昭和2)年31日発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:tatsuki

校正:門田裕志

2012年14日作成

青空文庫作成ファイル:

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