演劇一般講話
岸田國士



     演劇の芸術的純化


 演劇は最も低級な芸術であるといふ言葉には、一面の真理があります。この言葉は──といふよりも此の事実は、近代の教養ある人士を劇場から遠ざけた。「芝居には行きますか──いゝえ──さう云ふわたしも行きません」──このマラルメの言葉は、殆ど、芸術を尊ぶものより送られた演劇への絶交状であります。

 演劇とは何んぞやといふやうな議論も、随分古くから繰り返され、近代に至つて色々な美学的解説や、定義が下されるやうになりましたが、それは何れも机上の空論であつて、それならば、さういふ演劇がどこにあると云はれゝば、一句も吐けない。演劇は依然、文芸や美術音楽などゝ並んではゐるものゝ、常に面はゆげにその姉妹らの余光を仰いでゐるといふ有様だつたのです。

 凡そ一つの芸術品が、芸術としての存在を主張し得るためには、創造者の霊感が、直接、そして純粋に、美の表現に到達してゐなければならない。そこには、平俗なる感情との妥協や、偶然が齎らす効果の期待などがあつてはならない。演劇は其の性質上、さういふ不純な、間接的な、動機に束縛され、左右され易い。或る程度まで、それが避けられない。そこから、演劇の芸術的存在が危ぶまれ、困難となるのではないか。かういふ立場から、演劇の芸術的純化を試みた最初の人が、誰も知るアンドレ・アントワアヌであります。

 アントワアヌの事業、即ち自由劇場以後の運動については、後に述べることゝし、こゝでは演劇を形づくる諸原素が、如何なる状態と関係に於て演劇の芸術的堕落を導いたか、その問題について、一と通り研究して見ようと思ひます。


       脚本について


 演劇に於ける脚本の位置といふ問題は、今日まで殆ど異論がありません。たゞ一つ、ゴーヅン・クレイグの演劇論が、文学として存在する戯曲の運命を予言して、これを将来の舞台から駆逐しようとしてゐます。然し、これは一つの理想論であつて、今は問題にしなくともいゝ。然しこのことについては勿論、後に述べるつもりであります。

 それでは、演劇に於ける脚本の位置はどうかと云へば、それは音楽に於ける楽譜である。楽譜の演奏が音楽と呼ばれるやうに、脚本の演出が演劇と呼ばれる。従つて演劇の価値は、脚本の価値によつて根本的に左右されるものであります。此の論理は一応、註釈をつけて置く必要があります。といふのは、如何に優れた脚本でも、演出次第ではつまらない演劇になるではないかといふ反駁が出ないとも限らないからであります。然し、此の反駁は更にかういふ反駁を受けはしませんか。即ち、それならどんなに低級な脚本でも、演出さへ巧みであれば、優れた演劇になり得るか。さうは行きません。そこで、やつぱり優れた演劇とは、優れた脚本の優れた演出といふことになります。然し、優れた演出といふことは、結局脚本を完全に舞台の上に活かすといふこと以外に何もないのですから、脚本の演出は、或る程度以下のものであることは許されない。つまり、さういふ演出は、演出と称し得べからざるものであると認めなければならないのです。

 これで、脚本の価値が、演劇の価値を根本的に左右するといふ理由が、判然したらうと思ひます。

 脚本の価値が、演出を離れて存在し得るに反し、演出の価値は、脚本を離れて存在し得ない。これは、近代演劇運動の決定的な発見であります。

 希臘劇、シェクスピイヤ時代の演劇、中世の秘蹟劇、……これら過去の演劇は、今日何によつて、その光輝と偉大さとを知るかと云へば、たゞその時代の脚本、即ち戯曲を通してこれを知るのみであります。その演出が、果して、その時代の演劇に於て、どれだけの位置を占めてゐたかは、殆ど知る術がない。従つてわれわれは、その時代の演劇が、どれだけ演劇としての芸術的な価値を有つてゐたかを云々するにしても、その演出が戯曲の生命を完全に伝へ得たものとしての想像に過ぎないのです。

 それならば、将来の演劇はどうか。これは、誰も何んとも云ふことは出来ません。ゴーヅン・クレイグの理想が実現するまで待たなくてはなりません。しかし、今日、最も新しい演劇革新運動の顕著な傾向は、後に詳しく述べるつもりですが、決して上述の理論を裏切るものではありません。

 繰り返して云ひます。演劇に於ける脚本の位置を正当に認めることは、右の理由によつて、演劇の芸術的覚醒を促す第一歩であります。


       演出について


 脚本の演出者は、云ふまでもなく俳優であります。如何なる名脚本と雖も、演出者にその人を得なければ、演劇としての価値を十分発揮することは出来ない。これは自明の理である。それならば、優れた演出者には、どういふ資格が必要であるかと云へば、先づ……俳優論をこゝでするわけには行きません。だから、これは別の機会に譲ることゝして、こゝでは、たゞ俳優が演劇に於て如何なる位置を占むべきかといふこと、更に芸術家としての俳優の職分について、はつきりした観念を作つて置きたいと思ひます。

 前項で述べたやうに、優れた脚本の完全な演出以外に、優れた演出といふものを予想することは困難でありますが、然し才能ある俳優が、様々な事情で、平凡な、時によると愚劣な脚本の演出を余儀なくせられ、而も彼が才能ある俳優であることを十分認めさせるばかりでなく、屡々、平凡な脚本に一種不可思議な魅力を与へ、愚劣な脚本にさへ一味の生命を盛ることに成功して、恰も、演劇の価値は演出者たる俳優の才能によつて左右されるかの如き観を呈することがあるのであります。処で、かういふ場合に、その演劇が演劇として果して芸術的に、どれだけの価値があるかといふことを考へて見なくてはなりません。こゝで俳優の技芸の独立性が問題になるのであります。こゝからまた俳優のための脚本、俳優のための見物、俳優のための劇場、つまり、俳優のための演劇が生れるのであります。

 俳優の技芸が、実際、独立性を有つてゐるものならば──勿論芸術的に──俳優のための演劇、誠に結構であります。然し、事実は、全くこれに反する。これは証明を要する問題であつて、而も、その証明は一寸困難である。なぜならば、それは勿論、程度の問題であるからであります。これは実際に見ないと結局水かけ論になりますが、例へば、仏国当代の名優リュシャン・ギイトリイは、息子サシャの書いた脚本なら何んでも演つてゐます。父子の情、誠にはたの見る眼もうるはしきことながら、サシャは何んと云つてもまだ大劇作家ではない。佳作も少くないが、未完成な作品もなかなかある。リュシャンは、相当にそれを活かしてゐる。のみならず、リュシャンの扮する役だけ見てゐれば、その人物の表現は恐らく批難の打ち処がない。が、しかし、その芝居が全体として、芸術的の感銘を与へる程度は、即ち、その演劇の芸術的価値は、何んと云つてもその脚本の価値によつて、根本的に左右されないわけに行かない。処で、彼が一度モリエールの『人間嫌ひ』に於て、主人公アルセストに扮するや、そのアルセストは、否『人間嫌ひ』といふ芝居は、「天下の見もの」となるのであります。

 それはやつぱり、リュシャン・ギイトリイが偉いからに相違ないのであります。それなら此のアルセストの役を、凡庸な俳優が演つたらどうなるか。そのアルセストは面白くない。『人間嫌ひ』といふ芝居は見るに堪へないものになる。が然し、こゝで考へなければならないことは、それがために、傑作『人間嫌ひ』は、飽くまでも傑作『人間嫌ひ』であることに変りはなく、天才モリエールは飽くまでも天才モリエールであることであります。

 此の事実から推しても、俳優の技芸は、それ自身に芸術たる要素を備へてゐるといふ考へは、間違つてゐるやうに思ひます。才能ある俳優が、或る役を十分に活かし、そして、その「巧さ」に於て、見物を感動させることに成功するとしても、その役の、即ち、その扮する人物の思想、性格、感情、それ以外にわれわれを惹きつける「或るもの」は、所謂「物真似師」の芸以上には出ない性質のものであつて、それを厳密な意味で、芸術と称することはできないのであります。

 こゝに一つ例外ともいふべきものは、俳優が脚本の価値を実際の価値以上に高め得ることであります。かうなると、俳優はもう単なる俳優ではなくして、作者の領域に足を踏み込んでゐる。一作者の脚本を演出するといふだけでなく、一作者の脚本を改訂又は補足して、それを演じてゐることになるのであります。この事の良し悪しは別として、俳優にとつて、かういふことの出来る才能を持ち合はせてゐることは、大きな強味であると云はなければなりません。然し、これはどの程度まで許さる可きことであるか、それは頗る機微な問題であつて、一々、その結果を見て判断するより外しかたがないのであります。そしてこれは、俳優としての才能、技芸には全く関係のない、特異な場合であることを知らなければなりません。

 従つて、どの俳優にも作者の才能を備へよと要求することは無理である。また、どの俳優にもさういふことをされては危険でしやうがない。而もこれと同じ危険は、他の動機から、常に、従来の演劇を脅かしてゐるのであります。それは云ふまでもなく、俳優の利己的感情の満足、言ひ換へれば、俳優某の技芸を誇らんがために、その役に不必要な粉飾を施すことであります。甲俳優に見物の注意を集中せんがために、乙丙等の俳優を或る程度まで犠牲にすることであります。要するに、俳優の、それ自身に独立性のない技芸を至上のものとして、脚本をそのプレテキストに使ふことであります。これが古今を通じて、演劇の病根であると云へるでせう。然し、このことは、あまり多く論議されました。今では、このことを知らない俳優は一人もないでせう。そして事実は……かう考へて来る時、演劇の前途は正に暗澹たるものであります。

 俳優の芸術は、音楽演奏者のそれの如く、瞬間的のものである。その芸術は、その名とともに後世に伝へることができないといふ一種の悲哀がある。この悲哀から生れる焦慮は、蓋し、他の芸術家の想像し得ないものでありませう。そこから、舞台に立つ俳優の心理は、小説家が原稿紙に向ふ時と、自ら大きな距りが出来なくてはならない。俳優が、如何なる場合と雖も、芸術家の創作的心境を静かに保ち続けることは殆ど不可能であります。小説家が原稿の註文を受けてから、その批評や世論を直接間接に耳に挟んで一喜一憂する、それまでのあらゆる人間的感情──それはしばしば芸術家の心境と相容れない──さういふものを、俳優は、一時に舞台の上で感じると云つても差支へないのであります。かういふ不純な心持を制御、排除して、舞台に真の芸術的雰囲気を作り得る俳優こそ、演劇の芸術的純化に欠くべからざる俳優であります。

 その上もう一つ、俳優の芸術が有つ大きな弱点は、一度舞台に立てば最早推敲を許さないといふことであります。そこにまた、或る魅力もある。──丁度、即興詩のやうな。しかし、人間の肉体は、精神は、瞬間瞬間その状態を変じつゝあるのであります。昨日出来たことが、今日は出来ないことがある。その場合に、明日まで待つて見るといふことが出来ない。従つて、俳優は常に自分の技芸に絶対的信頼をもつことが出来ない。殊に不便なのは、自分のやつてゐることに対し常に適確な批判を下し得ないことであります。自分ではちやんとさうやつてゐるつもりでゐながら、実際はさうなつてゐないことがある。これまた、俳優芸術に完全性が欠ける理由であります。勿論公演に先立つて、十分の用意はするのであるが、人にも見て貰ふのであるが、それをそのまゝ舞台の上で実行してゐるかどうかは、或る程度までしか自分にはわからない。非常に厳密な論じ方のやうであるが、高級な芸術ほどそれ自身に、そこまでの完全性を備へてゐなくてはなりません。

 かういふ見方から云へば、演劇は、たとへ優れた脚本を、優れた俳優が演出するとしても、どこかに、また、ある分量の欠陥、不備、不純さを免れないものだと云へるのであります。さうなると、他の芸術が、勿論理想に於てゞはあるが、完璧であり得るに比して、演劇は理想としても、さういふことは望まれない。まして俳優以外に、色々な物質的条件が附き纏つてゐます。舞台装飾、見物席の設備、さういふものが演劇鑑賞上に、どれだけ不幸な影響を与へてゐるかは、思ひ半ばに過ぎるのであります。


       舞台監督について


 俳優が、単独に自分の技芸を規正することが困難であるところから、殊に、俳優相互の関係から成り立つ舞台効果に相当の注意を払はなければならないところから、そしてなほ、舞台全体の印象を統一指向する必要から、音楽演奏に於ける指揮者コンダクターの役目を果す一人の人間を定めることは、恐らく、演劇始まつて以来の習慣であらうと思ひます。それが、近代に至つて、益々その役目の重大さが認められるやうになり、中には、舞台監督が脚本演出の全責任を負ふべきだと主張するものさへ出来て来たのであります。そして、舞台監督万能の風潮は、一時、演劇の将来を危ぶませるまでに昂進したのであります。

 総て芸術上の理論セオリーなどゝいふものは、それ自身には、常に一つの美しい真理と、新しい香りとを含んではゐるが、その実行に当つて、やゝもすれば極端な反動的偏見を曝露して、自縄自縛に陥り、美の本質を離れて衒学的な奇異を弄ぶに至るものであります。

 舞台監督万能論は、かくて、今日の演劇に──所謂、芸術的演劇に──一種の致命的傷痍を与へたと云へるばかりでなく、明日の演劇が、また動もすれば、俳優万能論に結び附かうとする恐るべき動機を形造つたのであります。然し、それは杞憂に終るでせう。なぜならば、現に欧洲の一角には、演劇の本質主義を標榜して、戯曲の価値に舞台の生命を託し、俳優と舞台監督とをして、その保つべき位置を保たしめ、そこに、演劇的効果の一切を創造しようとする運動が、頭をもたげてゐるのであります。それならば、演劇に於ける舞台監督とは何か。例によつて、これを明かにして置きたいと思ひます。

 その前に、かういふ議論について、一と通り考へて見ませう。それは、演劇は他の芸術と同じく一人の人間が一つの頭から創り出すべき芸術であつて、作者は同時に舞台監督であり俳優でなければならない。これがために、舞台の上の俳優は作者、即ち舞台監督の操縦によつて、その人物の生活のみを生活する「超人形」でなければならない。

 これは誠に傾聴すべき議論であります。然し、傑れた劇作家が、同時に俳優としての優れた素質を恵まれてゐるといふことは、頗る稀であります。稀であれば稀であつて、一向差支へないと云ふかも知れない。傑れた作者、傑れた俳優さへ、そんなにざらにはないのだと云ふかも知れません。かうなると、あくまでも理想論になりますが、実際、作者と俳優とは別々のものであつてもかまはないではありませんか。要はたゞ、両者が一体になるといふことで十分なのです。舞台監督でもさうです。作者が必ずしも舞台監督である必要はない。たゞ、舞台監督が作者の意図を完全に理解すればいゝのです。それが困難だといへばそれまで、そこは、もう程度の問題になります。

 舞台監督は、前に述べたやうに、作品の精神を尊重すると同時に、俳優の独創力を或る程度まで尊重しなくてはなりません。俳優を「超人形」にしてしまふことは、在来の脚本を上演する時には、考へものである。それならば、さういふ戯曲──と云つてわるければ──台本を、新しく作るより外はない。固より、此の論者の理想もそこにあるのです。

 舞台監督の権限が過大視された余弊は、俳優の技芸練磨に、殊に頭脳の啓発に甚だしい障碍を与へた。これは、当然の帰結と云ふ訳にはいかないでせうが、常に陥り易きことであります。舞台監督は、その職分から云へば俳優を指導、教育すべきものではないのであります。従つて、俳優を生徒扱ひにすべきものではないのであります。俳優の中には、舞台監督と同等の芸術的見識をもち、時に、それ以上の学識才能を備へてゐるものがあつても、ちつとも、かまはないのであります。俳優の技芸について、舞台監督が喙を容れ得る場合は、単に、それが舞台全体の調和を乱すと思惟した場合に限るので、脚本の精神に合してゐるかゐないかについては、二人の意見は異り得るのであります。その場合、俳優は必ず舞台監督の意見に従はなければならないか、これは、もう相互の信頼程度によるもので、これを一概に定めてしまふことは危険を伴ふものであります。

 この機微な問題を解決するために舞台監督は、一座の首脳たる俳優で、その芸術的才能及び経験に於て、殊にその徳望に於て、他の俳優の畏敬する人物であることが最も便利なのであります。さもなければ、作者が舞台稽古に立ち会つて、舞台監督と俳優との異つた見解に判決を下すのがよろしい。俳優としての経験を実際に有つてゐない舞台監督が、その空虚な美学的理論乃至純客観的批判者の立場から、俳優の技芸を矯正することは、俳優の芸術、殊に演劇そのものに対する一種の冒涜であるとさへ云へます。

 然し、これは、俳優と称し得べき俳優に対する場合のことで、俳優自身がその技芸に対する十分の自信もなく、舞台監督もこれに対して相当の信頼を置き得ない場合は、これは別であります。舞台監督が教師の役目を兼ぬることは、一つの例外であると思はなければなりません。

 舞台監督の役目は、かう詮じつめれば甚だ軽いものゝやうに思はれますが、決してさうでない。たゞ、俳優対舞台監督を問題とする以外に、舞台全体の効果を規正する舞台監督の職能は正に、俳優が、人物の役を演じ活かすのと同様──少くとも──重大な職能であります。然し、重ねて云ひます。これは、如何なる意味に於ても、俳優の威信を傷けるものでなく、却つて俳優の優れた理解力、感受性と相期せずして一致すべき性質のものであつて、それは、俳優が常に、また自分自身の舞台監督でなければならないからです。

 舞台に於ける俳優以外の要素、これは舞台監督の想意に基いて実現されるものであります。この要素は、舞台装置機械化、更に演劇の綜合芸術説(後に述べます)に刺激されて、その役割が重大視されるやうになり、勢ひ舞台装飾の研究が近代演劇の著しい特色を示すものとなりました。従つて、これがまた、舞台監督万能主義を支へる有力な根柢となつたのであります。


       舞台装飾について


 この問題については、後段で詳しくお話しをするつもりでありますが、そして、此の問題が、恐らく近代演劇の様々な運動の骨子となつてゐるのでありますが、こゝではたゞ、演劇に於ける舞台装飾の実際的価値について、一つの論断を下して置きたいと思ひます。

 舞台装飾は、由来、脚本の上演に当つて屡々上演者のナイーブな誇示的欲望の道具に使はれたのであります。希臘劇に於ては、まだ左程でなかつたやうでありますが、羅馬時代には其の頂点に達した。仏蘭西では、中世紀に於て幼稚ながら豪奢な舞台が盛んに見物の喝采を博し、十七世紀に至つて、その傾向は殆ど後を絶つたが、十八世紀の終りから十九世紀にかけて、所謂「地方色」の尊重を口実として舞台装飾に凝り出したのであります。その結果は、浪漫派演劇の壮麗ではあるが、悪趣味の舞台装飾を生み、その反動として、自然主義の、これまた真実の名を藉りた悪写実の弊に陥つたことは周知の事実であります。舞台装飾を職業的背景画家の手に委すことを欲しない、そしてまた、自然主義的の実物排列に慊らない多くの舞台研究者は、一斉に起つて舞台の様式化に走つたのであります。そして、これらの熱心な舞台改良家は、恰も脚本と俳優の存在を忘れてゐるかの如き感がありました。

 舞台の幻影は色彩のリズムである。大小の画家が劇場につめかけました。舞台の生命は光線である。電気技師が招聘されました。舞台監督たるヘル・プロフェソルは、近眼鏡を曇らせながら、舞台意匠の下図に見入つてゐました。そして、俳優が、詩劇の台詞を一句飛ばしてゐるのも知らずに、衣裳の襞に、臀の角度に、椅子の置き方に、あれこれと細かい注意を与へました。

 近代の舞台革命は、かくて、演劇から言葉の位置を奪はうとしました。

 ヘル・プロフェソルは眼鏡を拭いて外に出ました。そこには活動写真の看板が、時を得顔に突つ立つてゐました。


       劇場について


 近代の劇場が最も恐るべき経営上の敵と見做してゐるのは活動写真であります。これは、芸術としての演劇に、極めて痛切な教訓を垂れたと同時に、娯楽本位の演劇に、少なからぬ打撃を与へたのであります。興行主乃至劇場主は、少し眼の覚め方が遅かつたのです。彼等は演劇の本領について、勿論確乎たる自覚をもつてゐない。活動写真が何故に劇場の観客を吸収しつゝあるか、そのことについて殆ど明瞭な判断さへ下すことができないのであります。

 徒らに見物の劣情を挑発し、低級な趣味に媚びることを以て唯一の対策としてゐる。作者、俳優はその頤使にあまんじて、益々演劇の堕落を助けてゐる。

 演劇革新者を以て自任する舞台芸術家は、経済的窮乏と戦ひつゝ、それぞれ新しい道を開拓しようと努めてはゐるが、その事業は一朝一夕に達し得られるものではない。疲れる者がある。倦む者がある。倒れるものがある。さもなければ、かの誤つた理論、又は尊大にして軽佻な態度を固守する処から、心ある者の嘲笑を買つてゐるのであります。

 この中で、真に正しい道によつて、堅実な歩みによつて、着々演劇の芸術的純化に力を尽した、又は尽しつゝある劇団が、三つ五つ、過去三十年以来欧洲の南北に現はれたのであります。


     舞台表現の進化


       一


 今日までの演劇の進化を戯曲史から離して考へることは無意味であります。そして、戯曲そのものゝ変遷は、小説、詩などの変遷と並行して、文学史の重要な内容を形造るものである以上、演劇の史的研究は、勢ひ文学史の基礎的知識の上に立脚しなければなりません。

 たゞこゝに、近代劇運動の一現象として、演劇を文学より独立させようとする運動が、理想として、舞台芸術家の一部によつて、提唱されつゝあることに、注意しなければなりません。

 しかしながら此の理論も、演劇は各種芸術の綜合的表現であるといふワグネルの主張から一歩踏み出して、文学なり、美術なり、音楽なりは、それ自身として演劇の一要素であることはできない──文学的な部分、美術的な部分、音楽的な部分、さういふ分析的な見方を許さない一個の独立的存在でなければならない──かういふ名義論に過ぎないのであります。

 文学史的に観れば、浪漫主義より写実主義へ、写実主義より象徴主義へ、これが、近代文芸の進化の大勢であります。言ひ換へれば、想像と誇張より観察と解剖へ、更に綜合と暗示へ──であります。

 而も、或る時代の反動的気運──その気運から生れた過激にして単調な戦闘芸術を除いては、常に前の時代は次の時代に好ましい影響を与へ、漸次美の内容を豊富にしてゐることを忘れてはなりません。

 今、舞台表現の進化を論ずるに当つて、少くともそれだけの前置きをしてかゝる必要があります。

 浪漫主義の戯曲は勢ひ浪漫的演出を要求し、写実的戯曲は写実的演出を要求することは自明の理であります。

 たゞこゝで考へなければならないのは、演劇の本質から云つて、如何なる場合にも、舞台に「活きた人間」を現はさうとする努力、舞台に「まことらしさ」を与へようとする工夫は、絶えず行はれてゐた一事であります。

 それならば、浪漫的演出が、写実的演出と異る点は何処にあるかと云へば、これはそれぞれ、その傾向に属する戯曲を読んで、その舞台を想像して見るのが一番近道で、結局浪漫主義なる言葉の説明になりますが、先づ演出法といふ限られた範囲で、戯曲の内容と無関係にこれを論ずれば、つまり、見物に与へる効果エフエクトを演伎の根本条件としてゐることでありませう。一つの台詞を云ふにしても、人物相互の関係によつて生じる自然な調子よりも、見物に向つて、「聴いて下さい」といふ心持が主になる。或る動作を行ふにしても、その人物がさういふ場合に、実際行ふであらうところの動作よりも、見物に「これを見て下さい」といふ心持が主になつた動作をする。

 舞台装飾もその通りであります。古典劇への反抗として、地方色などゝいふ問題を、やかましく云ひはしましたが、やはり見物の眼を奪ひ、魂を魅し去れば、それでいゝのであります。

 かう云ふと、浪漫的演出は、何等芸術的価値の無い俗悪なものと、一概に見做される恐れがありますが、これは実際に俗化した演劇が、たまたま浪漫主義的色彩をもつてゐたからで、そこをまた、例の写実主義者が指摘、排斥したからであります。今日から見れば、浪漫主義的戯曲に古今の名作逸品があると同様に、浪漫主義的演出必ずしも卑俗な演劇ではなく、却つて、低級な悪写実の趣味を凌駕して、芸術的演劇の重要な一部門を成す観があるのであります。

 浪漫主義の芸術が近代芸術に与へた最も貴重な要素は、云ふまでもなく「幻想の遊戯」であります。而も、これを排斥したところに、極端な写実主義者──自然主義者の弱点が潜んでゐたのであります。

 写実主義的演出──更に自然主義的演出の特長は、全然浪漫主義的演出への反動と見て差支へない。

 そこから、所謂「舞台は生活の断片なり」といふ議論に基く戯曲が生れ、所謂「第四壁論」が演出の根本主義となるのであります。

 この舞台上の革命は、恐らく、演劇の芸術的誕生とも見るべきもので、先に云つた浪漫主義的演劇の真価も、此の反動的運動なしには、遂に芸術的に純化されることはなかつたかも知れません。

 舞台上の写実主義──これは必ずしも、近代の産物ではない。然し、これが近代の文学的傾向と結びついて、始めて完全な表現に達した──アンリ・ベックなどの作品にヒントを与へられた自由劇場の運動は、写実的演劇の樹立以外に、舞台から芸術的に不純なものを駆逐することに努力した。その功績は第一にこれを認めなければなりません。

 例へば、或る人物に扮した俳優が、その役の如何に拘はらず、なるべく「目立たう」とする習慣の如き、それがために見物に背を向けてゐなければならない場合にでも、わざわざ見物の方を向いて物を言つたりする因襲の如き、これは浪漫的演出の余弊であります。

 写実的演出に於ては、かういふ「わざとらしさ」を全然排斥した。人生の真相、生活のありのまゝの姿を舞台に描き出すことが目的であるところから、少しでも「芝居をする」ことは許されない。舞台にゐる──見物に見られてゐるといふ頭があつてはならない。舞台と見物席との間には、やはり壁があるものと思つてゐなければならない。これが写実的演出の信条たる第四壁論であります。

 端役も無言役も、「生活の断片」たる舞台の上では、その生きてゐる点に於て、一つの役割を有つてゐる点に於て、即ち、その生活の一部を成してゐる点に於て、少しも変りはない。一人でも芝居をするものがあつてはならないと同時に、一人でも舞台を呼吸してゐないものがあつてはならない。こゝから舞台的訓練の必要と効果が生れるのであります。

 舞台装置は見物の眼を欺く仕掛けであつてはならない。為し得る限り実物を配置しなければならない。

 扮装はうつくしい必要はない。真に迫つてゐなくてはならない。

 この議論を極端に実行すると、いろいろな滑稽を演じることになる。自由劇場は実際に、滑稽を演じたのであります。

 舞台が牛肉屋の店である。ほんたうの生肉を──皮を剥いだ牛を──吊して見せた。樹木も厚紙ではいけない。本物のを樹てた。葉が萎れて来たので、大いにまごついた。噴水を仕掛けてよろこんだ。寄席ミユジツク・ホールあたりではとつくにやつてゐることである。

 舞台上の写実主義は、かくて、見物の期待を裏切るやうになつたのであります。それは、自然主義の小説が、その悪趣味と平坦さによつて読者を飽かせつゝあつたのと同様であります。

 此の時代は(十九世紀末葉)既に、ボオドレエルの名が詩壇を風靡し、若き象徴派が自由詩のために戦ひ、ワグネルの演劇論が欧洲の一角に、時ならぬ閃光を投げかけてゐた時代であります。

 自由劇場の首脳アントワアヌも、「今や、出づべきものは出で尽した」と叫ぶやうになつた。

 なるほど出づべきものは出で尽したでありませう。然し、完成さるべきものが、まだ完成されずにゐることを彼は知つてゐたに違ひない、自由劇場は経済的窮乏の極に陥つて、志士の最後にも似た悲壮な死を遂げましたが、その当時、彼の後継者であり、同時にその事業の完成者であるところの一劇団が、露西亜に現はれた。云ふまでもなくモスコオ芸術座であります。

 固より経済的基礎も自由劇場の如く貧弱なものではない。スタニスラフスキイ並にダンチェンコの芸術的才能が必ずしもアントワアヌの上にありと断言は出来ないが、しかし、劇団としての素質は遥かに自由劇場の比ではない。その上、団体的訓練、俳優としての芸術的精進に於て、芸術座の右に出づる劇団は未だ嘗てない──それは事実であります。

 仏蘭西に於ける自由劇場の運動が、これに決定的勝利を与へるやうな偉大にしてポピュラアな劇的作品に遭遇しなかつたことは、たしかに遺憾であります。これに反してモスコオ芸術座は、チェホフによつて、永遠の生命を見出したと云へます。

 これによつて見ても、一つの演劇運動が、優れた戯曲を見出すことによつて確乎たる基礎を与へられ、その戯曲の価値を発揮させることによつて美果を結ぶことは、論議の余地がないのであります。

 アントワアヌが、自由劇場の没落後、古典劇の演出に手を染めた──これと同じ意味で、モスコオ芸術座も、写実主義的作品の演出に終始してゐないことは勿論でありますが、次の時代は、やはり新しい人の手によつて生れようとしてゐるのであります。

 そして、その新しい演劇時代は、一斉に写実主義よりの離脱に向つてゐることを注意しなければなりません。

 然しながら、過去三十年間に、欧洲の劇壇はさほど動いてはゐません。一つの理論は他の理論を生み、一つの主張は他の主張を生んで、舞台は恰も美学の研究室であるかのやうな観を呈したのでありますが、最近に於てあれだけの才能を生み出した写実主義文学、その上に樹てられた写実主義の舞台は、なかなか根を張つてゐる。しかも、写実主義──自然主義として一時顧みられなかつた作品のうちに、その反対者が要求し、鼓吹するところの非写実的要素を見出し、加ふるに観察の鋭さが常に与へるところの表現の魅力を味ひ得るに当つて、所謂写実主義の古典的価値が知らず知らず、その反動的運動の中にさへ根を下ろしてゐる事実に気がつかないものはないでありませう。

 要するに、これらの新らしい運動の動機とも云ふべきものは、写実主義の運動が排除した浪漫主義の「美」を、云ひかへれば「幻想の世界」を、写実主義的な眼で見直さうとする慾望であると云へます。これはパラドクサルな言ひ方かも知れませんが、もつと詳しく云へば、想像を裏づけるに観察を以てし、誇張の根柢に解剖を置かうとするのであります。そしてその窮極は、現実と夢とを超越した人生の神秘な存在を、最も綜合的に暗示しようとするのであります。

 こゝで、近代の演劇美学者乃至舞台革命家の主張を一々解説することは、恐らく無意義のやうに思はれます。何となれば、甲の理論は乙の理論の不備を補ひ、丙の理論は乙の理論を別な言葉で云ひ、丁の理論は丙の理論に注意線アンダーラインをを引いてゐるに過ぎないからであります。

 そして、結局舞台芸術家は、脚本の内容をそのまゝ舞台に再現することは不可能であるのみならず、それは却つて効果を減ずるものであるから、何よりも先づ、作者の理想を舞台上で「暗示」する手段を考へなければならないといふ点で一致してゐる。処でそれがためには──さあ、こゝで問題が分れるのであります。彼等の独創も亦、こゝにあると云へば云へるのであります。

 然しながら、理論と実行とは必ずしも一致しない。機械的装置の改良、絵画的表現の工夫、照明の絶対価値が論ぜられ、その点では殆んど奇蹟的な効果を挙げながら、演劇の生命は刻々に狭められつゝある事実をどうすることも出来ない。活動写真と舞踊劇バレエの出現は、そしてその完成は、演劇に取つて大なる脅威であります。過去四十年間の舞台的革命は、演劇そのものゝ進化にどれだけの実績を残したか、この疑問は、真に演劇を愛し、演劇を理解するものゝ均しく抱いてゐる疑問であります。

 今日欧洲の劇壇を通じて、著しい傾向と見るべきは、「演劇をして再び演劇たらしめよ」といふ観念であります。演劇の伝統が論議され、その本質が探究されつゝあることであります。

 前回にも一寸述べたゴオヅン・クレイグの理論は、当時、既に時流を擢んでゝゐたと云はなければなりません。

 然しながら、これも前に述べた通り、クレイグの演劇本質論は、理想としては誠に立派な議論でありますが、現在に於ては甚だ危険な思想だと云はなければならない。何となれば、今日までの作者、今日までの俳優、今日までの舞台装飾家、今日までの音楽家、今日までの舞踊家、今日までの舞台監督、それらのものを打つて一丸としたやうな舞台芸術家が、たとへ出るとしても、そして、その人間の頭一つから、一つの舞台が創造されるのはよいとしても、さういふ芸術家が生れるまで、今日の演劇はどうすればよいのですか。クレイグ自身も、さういふ理想論を唱道する傍ら、在来の脚本を上演してゐる。なるほど、彼の理論は、出来るだけ生かしてはゐる。然し、彼がシェクスピイヤなりミュッセなり、マアテルランクなりの戯曲を解釈するに当つて、聊か衒学的な独断が交つてはゐないでせうか。それらの作品の調子を一つ二つの色で示さうとするが如きは、甚だ児戯に類することであります。殊に、シェクスピイヤの人物、ミュッセの人物を演ずる俳優が、舞台監督の意志のみによつて動く人形であればいゝなどゝ云つても、それは一笑に附せらるべき暴言であります。

 在来の脚本を上演する──即ち戯曲の存在を否定し得ない現在の状態に於て、演劇に何ものかを与へようとすれば、それは勢ひ演劇の本質を戯曲のうちに見出すより外はないのであります。戯曲とは、取りも直さず、劇的詩であります。主題と結構と文体──この三者の融合から生れる雰囲気の流れであります。言葉の幻象イメージを透して感じ得る生命の躍動であります。戦慄の波であります。言葉──それは広義の言葉であります。直接間接の思想、意志、感情の表示であります。俳優の演伎一切は此の意味で、言葉の全的表現でなければなりません。

 戯曲の精神を完全に舞台に表現する──このことは、新しい発見でも何んでもない。たゞ今日まで、その手段を誤つてゐた、少くとも消極的手段に甘んじてゐたのであります。間接手段に気を取られ過ぎてゐたのであります。

 演劇に於ける「言葉」の位置と本領とを正しく認め、これに舞台の生命を託する──此の平凡な真理に気がついた先覚者は、ヴィユウ・コロンビエ座の首脳ジャック・コポオであります。


       二


「演劇をして再び演劇たらしめよ」といふ主張──これは演劇の本質問題と密接な関係があります。

 演劇の本質といふ問題については、次章に詳しく述べるつもりですが、現代の演劇運動を通じて、二つの大きな流れとも見るべきその一つに、演劇より「文学」を排除しようといふ傾向、言ひ換へれば、演劇の本質を感覚的要素の中に見出さうとする努力があることを注意しなければなりません。

 この主張は美術、音楽などの近代的傾向から多少の示唆を受けてゐることは慥かである。即ち音楽で云へば、旋律派メロヂストに対する交響楽派シンフオニストの運動、美術、殊に絵画の方で云へば、古典派に対する印象派の運動が、それぞれ「音」乃至「色」そのものゝ感覚的効果に、音楽又は絵画の美的要素を求め、そこに本質的の独自性を認めさせようとした、その運動こそ音楽乃至絵画から「心理的要素」たる「詩的情緒」を排除して、音楽は音楽それ自身の美に、絵画は絵画それ自身の美に、それぞれ存在価値を見出さうとするものであります。

 こゝで演劇も亦音楽絵画の如く、「演劇それ自身の美」を独立させるために、その本質を感覚的要素の中に求め、「心理的要素」たる「言葉」、即ち「文学」を排除するのが当然だ、かう云ふ議論が生れたのであります。

 一寸面白い議論に違ひない。然し、この議論には矛盾がある。なぜならば若し演劇から「文学的要素」を排除し得たとしても、その所謂「感覚的要素」と称へるものは、果して、美術又は音楽の領域を犯してはゐないでせうか。

 こゝまで考へて来れば、演劇それ自身の美は、必ずしもこれらの論者の考へてゐるやうなものではないと云ふことが、わかるのであります。

 そこで、兎も角も、無言劇の完成と相俟つて、文学としての戯曲の上演も、立派な演劇の一部門であると云へる。のみならず、最も特色ある芸術としての演劇は、古来幾多の天才によつて立派な形式を与へられてゐる戯曲そのものゝ中に、「演劇それ自身の美」を見出すに如くはない、かういふ議論も、今日に於ては成立するのであります。

 この見地から、「演劇の本質は裸の舞台に於ても十分に表現し得べきものである」といふジャック・コポオの理論が生れてきたのであります。「一切の舞台的装飾、舞台的設備は、演劇の内容としては、全く第二義的のものである」と、彼は云ふのであります。

 言葉の関係から生じるあらゆる表現上の美しさから、劇的要素を見出す──これが古きが如くにして最も新しい舞台上の発見であることは前にも述べました。

 こゝから一つの戯曲の演出にまつはる一切の舞台的拘束を離れて、新しい「舞台上の言葉の研究」が始まるのであります。「或る台詞の最も正しい、唯一つの表現法」が俳優の工夫の対象となるのであります。二た通りしか云ひ方が無いと思はれてゐた一つの句が、十通りに使はれてゐることを発見したのであります。「然り」といふ語が「否」の意味に用ひられてゐることさへ発見したのであります。

 かういふことを等閑に附して、何が背景だ、何が光線だ、何が衣裳だ、かういふ説は、あまり当然すぎて新奇な魅力がない。然し、戯曲の上演を演劇と称へる以上、舞台上の革命は、こゝから出発しなければならないといふ事実を否認するものはありますまい。

 実際、ジャック・コポオは、所謂「伝統」なる古来の型から一歩も出ようとしなかつた古典劇の演出法に、形式の上でなく、内容の上に新しい「或るもの」を加へたことによつて、先づ欧洲劇壇の注意を惹きました。

 露西亜カメルヌイ劇団がラシイヌのフェードルを立体派風に変形上演した。コポオは流石に演劇の本質を上演する戯曲の内容から引離すことの危険を知り抜いて、「新しき演出とは、必ずしも戯曲の新しい解釈ではなく、戯曲の一層深い理解から生じる、一層正しい舞台的表現である」といふ真理をつゝましく遵奉してゐる芸術家なのであります。この古めかしい真理が、今日までヴィユウ・コロンビエ座の中で、どれだけ新しい創造を生んだか、これは単に古典劇ばかりでなく、未熟な俳優を以てする近代劇の上演に、驚くべき「確かさ」と、未だ嘗て見ざる「生彩」とを与へてゐることを見ればわかります。

 之を要するに演劇の舞台的進化は、近代に於て三つの大きな階梯を経て来たことになります。第一は浪漫的演出の悪傾向に反対して写実的表現による合理的演出が提唱され、第二にはそれがまた実物排列の悪趣味と現実模倣の平坦さに陥つて、象徴的舞台の要求となり、暗示と綜合を標榜する演劇の審美的発達を促し、劇的効果の間接手段が舞台革命の主潮となつた。処で、第三にそれが衒学的独断に陥る危険があるのみならず、演劇の向上はそれのみによつて望むことが出来ない事実を看破して、最近一部の舞台芸術家は一斉に「演劇をして再び演劇たらしめよ」と叫び出した。これは演劇の本質が「言葉」にあることを発見して、一切の劇的効果を「声と動作とによる」幻象イメージの中に求めようとする運動であると云へます。

 即ち最近の演劇は、感覚的要素の舞台表現に行きづまつて、再び心理的要素の完全な、一層直接的な表現を企図し、その要素の最も優れたものを選ぶ傾向になつたのであります。演劇はこゝで一と先づ、あらゆる舞台上の旅行を終つて、安住の一地点を見出さうとしてゐる。然し此の旅行は決して無意義ではなかつたのであります。「舞台上の言葉」は、新しき象徴的内容を与へられて、散文より詩への飛躍となり、説明より暗示への極めて顕著な進化を促されつゝあることは、何と云つても「明日の演劇」の有すべき価値ある特質であります。「新しい戯曲」が、此の意味で要求されてゐるのであります。

 扨て「演劇をして再び演劇たらしめよ」といふ主張には、もう一つ重要な傾向が含まれてゐる。それは「舞台より考証家と美学者を駆逐せよ」といふことであります。「真の舞台芸術家の手に舞台を返せ」といふことであります。更に言ひ換へれば「写実万能と衒学的誇示を排除して、舞台を生気ある幻想の世界たらしめよ」といふことであります。

 こゝで自然主義的第四壁論は、もう絶対の真理ではなく、舞台と見物席の境界は必要に応じて何時でも撤廃することができる。これは過去の浪漫的演出に新しい精神を附与したことになるのであります。

 不自然のうちに「自然さ」を与へ、有り得べからざることに「まことらしさ」を与へることによつて、見物を「演劇のみがもつ陶酔境」に引き入れることは、確かに古来の舞台芸術家が企図したことであります。然しそれが真に芸術的効果を齎すためには、その不自然さが決して誇張のための誇張であつてはならない。有り得べからざることが、決して想像のための想像であつてはならない。新しい浪漫的演出の生命は、実にその象徴的精神に在るのだと云へます。


     演劇の本質


       一


 近代演劇の運動は一面から見て、過去一世紀に亙る芸術運動の後を遥かに追つて来た観があります。

 そして今日、演劇は──少くとも芸術的演劇は、明かにその進むべき道を示されてゐる。われわれはもはや、演劇の本質について何等論議を戦はす余地はないのであります。

 音、形、運動、色、光、これらの要素を以て絵画ならざるもの、音楽ならざるもの、彫刻ならざるもの、建築ならざるもの、舞踊ならざるもの、文学ならざるもの、さういふものを創り出す芸術家を仮に舞台芸術家といふ名で呼びませう。そしてその舞台芸術家は、恐らくそれぞれの理論と趣味と才能とに基いて、絵画に近きもの、音楽に近きもの、彫刻に近きもの、建築に近きもの、舞踊に近きもの、扨ては、文学に……近きものを創造することが出来るでありませう。或るものは、それを「光の舞踊」と名づけるでせう。或るものはそれを「色彩の音楽」と名づけるでせう。或るものは又それを「動く浮彫」と名づけるでせう。或るものはなほそれを「見える詩」「物語る絵画」と名づけるでせう。然しながらそれらのものが、何れも他の芸術と区別されるために、何等かの共通点を必要とするのは、それらのものが一概に「演劇」と名づけられなければならないと思ふのである。

「舞台の上で公衆を前にして見せ、或は聞かせるもの」──これだけが共通点の全部でないことは、わかりきつてゐる。音楽や舞踊もその中にはひる。もつと本質的な共通点を求めようとすると、結局、それは不可能であることがわかる。

 こゝで演劇学者は、演劇の歴史に遡って、その本質を探究しようとする。

 演劇と云ふものを社会学的に観て、その起原を説くことは論者の目的ではありません。従つてそれは別の機会に譲るとして、先づ希臘劇は二つの美学的要素から成立つてゐたことは明かである。即ち「物語ミトス」と「動作アゴウン」がそれであります。何れが主になつてゐたかそれは軽々しく論断することは出来ませんが、少くとも或る美学者の称へる如く、希臘では──日本に於ける如く──「芝居テアトロン」は「観る物」であつた故に「動作」が主で、「物語」は従である。といふ説は今日誰も信用するものがありません。現に希臘劇場で「見物席」のことを「聴聞席オーデイトリウム」と呼んでゐたのであります。また「俳優」といふ言葉も羅馬以来現在使はれてゐる「アクタア」即ち「動作をする人」になつたのですが、希臘では「答へる人ウポクリテス」──即ち「合唱団」と問答をする役であつた。今日では「芝居を観る」といふ言葉は平気で使はれてゐる。「芝居の見物」と云つて、「芝居の聴き手」とは云はない。然しそれは、演劇の歴史的研究に、相当の準拠を与へはするでせうが、現代の演劇を論じ、その本質を究める上に、さほど、重要な根拠にはならない。まして「明日の演劇」は、歴史への反逆であるかも知れない。故に言葉の上の因襲を楯にとつて、芸術の本質を云々することは考へものである。

 また「ドラマ」と云ふ言葉についても、同様の語原学的詮索から出発して、偏狭な理論を立て鑑賞上の錯誤を導くことが往々あるのであります。なるほど「ドラマ」とは「活動」或は「動作」の意味から転じた言葉である。

 然しそれが必ずしも、「眼に見える動作」でなければならないことはない。

 また「活動」とは「意志の動き」である。「意志の動き」は「障碍」に遭つて始めて表面に表はれる。故に、「劇」の本質は「意志の争闘」に在る。

 或は「劇」は『最も「動き」に富む人生の一局部』である。即ち「事件」である。「葛藤」である。「危機」である。

劇的ドラマチツク」といふ言葉の内容は、かくて「小説的ロマネスク」といふ言葉と同様、コンヴェンショナルな「境遇」を意味するに過ぎないやうになつたのであります。

 実際、近代に於て芸術の各部門は、殆ど無制限にその表現の範囲を拡大しました。

小説的ロマネスク」ならざる小説が、小説の本流とまでなつた。これは所謂「劇的ドラマチツク」ならざる劇の発生を暗示してゐるかも知れない。少くとも「劇的」なる言葉に、一層広い一層自由な内容を附与すべき時代を予想させます。

 現にわれわれが、演劇と称へ得る、或はさう呼ぶより外、別の名称を与へられてゐない様々な舞台芸術が、従来演劇の本質と見做されてゐた要素と殆ど関係なく、立派に芸術的存在を主張してゐる。

 そこで演劇といふ言葉を、その意味の広狭によつて区別する必要が生じて来る。

 然しながら、問題は演劇が如何なる方向に進みつゝあるかといふこと、これがわかつた以上、演劇に志すものは自ら、自分の進路をはつきり見分けて、「これが演劇と云へるだらうか」といふ心配などせずに、先づ何よりも「これが芸術と云へるだらうか」といふ点に、思ひを潜めればいゝわけなのです。

 演劇といふ迷宮は、近代の芸術家を多く誘惑して、一度はその中に引き入れた。そしてそれらの芸術家の或るものは、元の入口である出口に辿り着いて息を吐き、或るものは、遂に一生を暗中摸索に過し、或るものは──ほんの僅かの或るものは、やうやく、それぞれの「憩ひ場」を見出しながら、それでもなほ、かつて自分が第一歩を踏み込んだ、その「入口」に向つて、かすかなノスタルジイを感じてゐるのであります。

 此の入り口は、或るものに取つては美術である。或るものに取つては音楽である。或るものに取つては文学である。殊に戯曲である。演劇そのものは、どこかに一つの特別な入り口──演劇より出でゝ演劇に入るといふやうな一つの門を備へてゐていゝ筈である。然し、その門とても、またそこに到る一つの小道が、案外文学などゝいふやうな国に通じてゐないとも限らないのであります。

 そこで、さういふ面倒な問題は当分抜きにして、われわれが今日まで知つてゐる演劇といふもの、演劇と呼ばるべきもの、そのさまざまな形式について、一と通りそれぞれの本質を吟味して見ませう。

 先づ順序から云つて、最も単純な感覚的要素を主とするものから、次第に、複雑な心理的要素を主とするものに進みます。お断りして置きますが、もともと此の分類のしかたも、決して純然たる科学的分類法ではないやうです。要するに常識的説明の便法に過ぎない。芸術の科学的解説といふものを信じない論者は、それで満足することにします。

 扨て「感覚的要素のみより成る演劇」といふものは、理論として存在するに過ぎない。音、色、形、運動、光、なほ附け加へれば香──これらの要素が単に感覚のみに訴へる美感から如何なる形式の芸術が生れるか。これは読者諸君の想像に任せるより外はない。試みに、これ等の要素を結合排列して、或る「場面」を作つて御覧なさい。それは自然現象の成るものを聯想させる光景でなければ、立体派の絵画、未来派の音楽、ダダイストの詩を想はせる一種の舞台表現である。而もそれが心理的に何等の情緒を誘起するものであつてはならないとすると、その印象の範囲は極めて局限されることになります。

 次にこれらの感覚的要素を以て、或る心理的効果、例へば喜悦、恐怖、悲哀等の感じから、進んで、なほ一層複雑な印象を与へようとする、これも亦、どの程度までそれが成功するか疑問である。殊にどの程度まで、それが芸術的であり得るかゞ疑問である。雷と風の音を出し、電光を見せ、雲らしき色と形を示して、「嵐」と題をつけても、それは「見せ物」以上の何ものでもないやうな気がする。恐怖とか凄愴とかいふ印象は与へ得るでせうが、それがどこまで芸術的感銘を伴ふかは問題であります。それならば、まだしも、単に感覚的美感に止めて置いた方が意味深長ではありませんか。

 そこで「感覚的要素のみによる演劇」から「感覚的要素を主とする演劇」に遷ります。心理的要素を加味するといふことは、即ち「声」及び「動作」を要素として与へることになる。そのうち最も単純なのは純舞踊を形造る肉体又はこれに代るものゝ様式的運動である。それに「身振り」(ミミック)が加はつて複雑味を増し、「主題」が「筋」さては「物語」に発展して益々完全な心理的要素となるのであります。そこから所謂舞踊劇が生れることになる。

 舞踊劇バレエは、多少複雑な心理的要素を「主題」として具へてゐるのでありますが、それも、抒情詩の程度を超えてはゐない。殊に「身振り」よりも「舞踊」を主とする点に於て、殊に背景、衣裳、音曲等の感覚的要素によつて、寧ろ「主題」の有つ心理的要素を暗示する企図が主要な部分を占めてゐる点に於て、「感覚的要素を主とする演劇」の出発点に位置すべきものであります。

 その「主題」が漸次複雑となつて遂に純然たる「物語」となり、「舞踊」よりも「身振り」が主となり、音曲に「歌曲」が加はつて「歌詞」を用ふる「物語」の発展に終る時、それが歌劇オペラといふ形式になる。これはもう「感覚的要素を主とする演劇」といふよりも「感覚的要素が心理的要素と、その地位を争ひつゝある演劇」と云ふ、変な名前をつけなければならなくなる。「舞踊」が皆無となり、「身振り」が「しぐさ」となり、「歌詞」の一部が「せりふ」となる喜歌劇よりヴォードヴィルに至つて、益々此の傾向が著しくなる。

「感覚的要素が心理的要素とその地位を争ふ」といふことは、取りも直さず、印象の混乱を招き、美的効果を傷け、芸術としての純一と完全性を欠く結果になる。

 そこで歌劇オペラなるものゝ芸術としての存在価値は、屡々問題にされるのであります。

 ヷグネルの綜合芸術説は、その当時こそ、暗夜の燈明として多くの劇芸術家を随喜させはしましたが、そして、その所説は、今日までなほ鈍感な野心家を惹き附けてはゐますが、演劇の本質問題が真面目に考へられ、「演劇をして再び演劇たらしめよ」といふ摯実な叫びが挙げられるに当つて、劇的効果の源泉が、感覚的要素と心理的要素の何れかを主とする統一ある表現形式に在ることを発見したのであります。

 扨て、これからが「心理的要素を主とする演劇」にはひります。

 歌劇オペラから歌詞即ち心理的要素の大部を除いて、立派な芸術的存在となり得た舞踊劇は、確かに、「心理的要素を主とする演劇」に一大教訓を垂れたことになる。即ち感覚的要素を取り入れるのは止むを得ないとしても、その役割を過大視して、心理的要素の与へる美的効果を妨げるやうな結果に陥つてはならないといふことであります。言葉を換へて云へば、「心理的要素を主とする演劇」に於ては、感覚的要素を飽くまでも、第二義的に従属的に置かなければならない。為し得れば、それさへも、常に心理的要素の暗示に役立たしめなければならない──といふことになる。この理論は、今日劇芸術家の常識になつてゐながら、前回にも述べた通り、実際はまだ声を大にして叫ぶ必要があるのであります。

 そこで「心理的要素を主とする演劇」にはどういふ形式のものが含まれてゐるかと云へば、これは、今日まで使はれて来た演劇といふ言葉の一層狭義の意味さへはつきりさせればいゝ。平易に考へて、われわれは、狭義の「演劇」といふものをかう定義することが出来る。「俳優又はそれに代るべきものを以て、或る仕組まれた物語を、言葉、身振り、又は科によつて実在化する一種の芸術である。」

 この定義は、学者から抗議が出るかもわからない。背景や道具や衣裳や光線は演劇の内容ではないかと云ふかもわからない。

 この抗議は簡単に片づけませう。──俳優は必ずしも裸で舞台に立つ必要はない。物語と云ふ以上、その物語の行はれる場所がわかつてゐる。その場所がどんな処か、それを知らせないで物語りが出来るか。時刻も同様である。つまり、それらの要素は、ちやんとこの定義の中に含まれてゐる。

 之を要するに、かういふ定義に当て嵌る演劇の本質は、物語りの中に在る。誤解を防ぐために、もつとはつきり云へば、「物語りの仕方」にある。

 此の物語は、文学として存在する或る形式のうちに求める場合と、文学の形を成さない「主題」または「筋」の中にのみ求める場合とがある。前者は、その一端を最も簡単な舞台表現である「朗読」に発し、後者は一端を台詞を用ひない人形劇又は影絵に発してゐる。その次に無言劇が来る。活動写真それ自身「タイトル」を除けば影絵と無言劇の中間に位すべきものであります。そして、此の両端を結びつけるものとして、身振りまたはしぐさをする役と、せりふ、即ち台詞を云ふ役とを同時に併用する一種の形式が存在する。日本の歌舞伎劇にもそれがあります。希臘劇にもある。近代ではポオル・クロオデルの或る戯曲を、さうして演じたことがある。更に、俳優を使はないで、人形、影絵または幻燈を用ひ、その陰で台詞を云ふといふやうな演出上の試みもありました。活動写真に説明や台詞をつけるなども、此の部類に属するものと云へます。

 これから漸次、物語の内容に比例して言葉の複雑な表現が要求される。そこで戯曲即ち脚本が、此の種の演劇に必要欠くべからざるものとなり、文字としての「戯曲の言葉」が、そのまゝ声又は動作としての「演劇の言葉」となり、演劇の本質を勢ひ戯曲の中に求めるといふ段取りになる。最も普通に用ひられてゐる演劇といふ言葉は、即ち、此の種の演劇を指してゐるのであります。これだけのことは、はつきり知つて置く必要がある。

ドラマ」といふ言葉の有つ内容も、実は此処から出発して考へなければならない。然しながら、これとても、徒らに語原的詮索や、伝統的解釈に甘んぜず、進んで近代の演劇が生んだ様々の舞台表現から、もつと広い自由な「劇芸術の本質」を探究することは、必ずしも無意義ではないと思ふのです。

 われわれが厳密な意味で、演劇と称へ得るものは、どの部類に属するものかと云ふ問題は、自ら、明瞭になつたと思ひます。

 同じ事を繰り返すやうですが、演劇をして真に「芸術」の名に背かしめないために、われわれの求むべきものは、美術にも音楽にも舞踊にも文学にも求め得られない「演劇それ自身の美」であります。

 戯曲の有つ美は、例へば空想の楽しさであります。演劇の有つ美は、例へば現実の快楽でなければならない。それほどの違ひがあるのであります。これは、空想は現実よりも美しいといふやうな哲学と何も関係はありませんが、空想よりも楽しい現実の瞬間があつてもいゝではありませんか。

 文字が形になり、声になり、動作になる。これは成る程、同じものゝ異つた表はれではありますが、その印象は美の本質に於て異つたものであります。

 文字による表現の方が効果の多い「もの」と、声、形又は動作による表現の方が効果がある「もの」とが、実際われわれの「生活」の中にあるのであります。戯曲は決して文字のみによる表現が目的ではない。文字によつて声、形又は動作を暗示する文学の一形式であると云つて差支へないと思ひます。そこで戯曲の言葉といふものが、小説又は詩の言葉に対して、一種特別な内容を要求する所以なのであります。然し此の文字による声と形と動作の暗示は、たとへそこに戯曲の生命があるとしても、文字が文字である以上の力を戯曲の中に求めることは不可能である。まして、文字で書かれた戯曲が、文学としての存在を主張する以上、書かるべき文字の或る限られた能力以外に、劇作家は自ら駆使し得る何ものもないのであります。

 演劇は戯曲の頼りとする文字の生命から、新しく声、形及び動作の生命を創造し、魔術師の如く公衆の前に現はれる。声、形及び動作の生命、これはなるほど戯曲のどこを探してもない。たゞ声となるべきもの、形となるべきもの、動作となるべきものがあるばかりである。それをさへなほ他人の作つた戯曲の中に求めることを潔しとしない舞台芸術家は唯一つの取るべき道しかないのであります。即ち自作自演……。それも自分一人で演じられないとすればやつぱり他人の力を藉らなければならないではありませんか。総ての俳優が、自作自演を主張し、他人の作品を演じることを肯んじないならば、今度は各自が舞台の上で、自分の役を創作するより仕方がない。

 動機は違ひますが、「即興劇」又は「即興的演出」といふものがあるにはあります。俳優がめいめい舞台の上で自分の役を作りながらそれを演じるのです。準備なしでこれがうまく行けば、それこそ演劇の一大革命と云へるでせう。いや、準備をしても、なかなかうまく行くものではありません。

 こゝまでゞ、一と通り、演劇と呼ばるべきあらゆる舞台芸術の、本質的要素を検べて来たわけであります。

 これからは最後に述べた「最も厳密な意味に於ける演劇」──即ち「戯曲の演出」──から、如何なる「美」が生れるか、その「美」は、「演劇それ自身の美」として、如何なる本質を具へてゐなければならないか、更に、戯曲の中に、如何なる状態に於て「演劇それ自身の美」が含まれてゐるか、かういふ問題について、少し述べて見ようと思ひます。


       二


 扨て、「戯曲の演出」を「演劇」とする最も狭義の解釈は、「演劇」なるものゝ本質を探究する上に極めて便利な手がかりを与へます。

 こゝで問題を二つに分けて、「戯曲」とは如何なるものか、また「演出」とは如何なることを指すか、かういふ風に考へて見ることも出来る。然し、かういふ研究法は、文芸の一般論からはいつて行かなければならず、「戯曲」といふものを、一度舞台から引離して見るやうになる。これは、本論の目的ではないのみならず、その問題は、他に論ずる機会があると思ひますから、こゝでは、あくまでも舞台を中心として、戯曲のうちに含まれてゐる「劇的美」の本質を突き止めて見ようと思ひます。

 そこで一つお断りして置かなければならないことは、「芸術学」といふものが常に陥る弊についてゞあります。

 美学者は例の定義癖から「戯曲とは如何なるものか」といふ問題を解決しようと努める。然し、われわれが実際知らうと思ふのは、知る必要があるのは「優れたる戯曲とは如何なるものか」であります。

 絵画とは如何なるものか、彫刻とは、音楽とは……小説とは、詩とは……かういふ問題に答へることが、さほど困難でせうか。戯曲とは……これまた、十分とは行かなくでも、正当な答案は、少し文学の道に頭を突つ込んだものから求め得るのであります。

 絵といふものを全く習つたこともなく、その才能も全然持ち合せてゐないものが、或る景色なり、動物なりの「絵らしきもの」を描き、これは「絵」だと云ふ。誰がそれを「絵ではない」と断言できるでせう。それと同様に、「これは戯曲だ」と云つて示された一篇の「書きもの」を見て、「これは戯曲ではない」と云ひ得るためには、単なる形式以外、何等審美的法則を必要としないのであります。

 普通用ひられてゐる「劇的」または「戯曲的」といふ言葉は、戯曲の本質とどれだけ関係があるか、これは前にも述べた通り、もう一度考へ直して見なければなりません。

ドラマ」といふ語が、「活動」又は「動作」を意味する語から出てゐるといふ事実は希臘語の知識さへあればわかることです。前章に述べたことを、もう一度繰り返すことは避けますが、結論として「劇」の本質を「争闘」の中に見出し「争闘のない処に戯曲はない」といふ真理に到達した。そこから、あらゆる人生の危機が、人事の葛藤が、事件の発生、展開、結末が、戯曲の主題として選ばれなければならないといふ作劇術の要諦が、古来の演劇論者によつて提唱されたのであります。

 従つて人生のうちには、「劇的な部分」と「劇的ならざる部分」とがある──かういふ説が生れて来る。そして表面、「極めて劇的ならざる境遇」も、その裏に、その奥底に、時として「極めて劇的な要素」が流れてゐることがある──と云つて、「劇的ならざる」而も優れた戯曲の「劇的本質」を説明しようとするのであります。

「争闘の無いところに戯曲はない」といふ言葉は、なるほど真理に近い言葉である。然しながら、「争闘の無いところに人生は無い」と云へないでせうか。更に「人生は戯曲なり」とも云へないでせうか。これは要するに、人生を観るものゝ眼である。人生のあらゆる局面、あらゆる瞬間は、小説家の眼には小説であり、詩人の眼には詩であり、劇作家の眼には戯曲である──といふことこそ、一層切実に真理を物語る言葉ではないでせうか。

 人生のうちには「劇的な部分」と「劇的ならざる部分」とがある──といふ説は、一応尤ものやうでありますが、これまた、「劇的」といふ意味から決めてかゝらなければなりません。

 われわれは、既に「美しい」といふ言葉について、多くの疑ひをもつてゐる。「芸術的な美しさ」は「醜いもの」のうちにさへあることを知つてゐながら、何故に、芸術的作品たる戯曲の「劇的」であるか否かを論ずる場合に、恰も一人の女が、一輪の花が、「美しい」か否かを評するやうな評し方をするのでせう。「詩的」といふ言葉が、ロマンチック乃至センチメンタルといふ語に近い意味に於て用ひられる時、此の言葉は、決して「詩」の「美しさ」を伝へる使命は果し得ない。これと同じ理由で、「劇的」といふ言葉が、若し、従来われわれが使つてゐるやうな意味に用ひられるならば、「劇的」であることは、必ずしも「戯曲」の本質的価値を高めることにはならないのであります。近代の小説が「小説的」でなくなつたと同じやうに、「劇」が、或る意味で、「劇的」でなくなる時代が、そろそろ来やうとしてゐるのではありませんか。

 以上の議論は、決して所謂「劇的」な戯曲を斥けるためではありません。たゞ従来、戯曲の評価が屡々そのために誤られ、「劇的な境遇」が、戯曲の生命であるかの如き偏見を生み、所謂「劇的感動」の大小を以て、直ちに戯曲の本質的な「美しさ」が云々されがちであつた。これは演劇そのものゝ発達を致命的に阻止してゐた。これだけのことが云つて置きたかつたのであります。

 今日まで、どうしてかういふ問題が等閑に附せられてゐたか、どうして、優れた劇評家や、演劇学者が、此の点を指摘しなかつたか、寧ろ不思議なくらゐであります。

 恐らく、希臘劇以来、天才名匠の手に成つた戯曲が、此の「劇的」と云ふ一点で、多くは、「及第点」に達してゐるために、或は、その「劇的」なる「印象」が、「芸術的」なる「感銘」によつて高められてゐるために、その区別がはつきりつけられなかつたかも知れません。然し、近代に至つて、「メロドラマチック」といふ語が既に冷笑を含んだ意に用ひられだしたではありませんか。「劇的」といふ言葉から、「お芝居式」といふ語を区別するやうになつたではありませんか。そしてソフォクレスにも、シェクスピイヤにも、コルネイユにも、シルレルにも、イプセンにさへも「メロドラマチック」な、「お芝居式」なものを発見して、それを弁護しようとするものがもうないではありませんか。

 言葉に拘泥するやうですが、こゝで論者は、所謂「劇的」といふ語から、「戯曲的」乃至「舞台的」といふ語を区別したい。さもなければ、「劇的」といふ言葉の意味を、新しく定義する必要があると思ひます──少くとも芸術を論ずる場合に。

 これから、戯曲が──人生の劇的表現であるところの戯曲が──真に芸術的であり得るために、如何なる要素を具へてゐなければならないか、かういふ問題について議論を進めて行きます。

 戯曲は、云ふまでもなく、文学的創作の一形式である。従つて、小説や詩と同じく、先づ、文学の審美的規範──若しかういふものがあれば──によつて律せらるべきものであります。

 次に小説的表現、詩的表現に対して、戯曲的──劇的──表現といふことが考へられる。

 こゝで一応注意しなければならないのは、芸術的作品たる戯曲が、文学的に優れたものでありながら、戯曲的に──劇的に──それほど価値がない、といふやうな場合があり得るのに反して、その反対に戯曲として、劇として傑出した作品が、文学的に、価値の劣つてゐるやうな場合があり得るかといふ問題が起り得るかも知れない。

 かうなると、戯曲の或るものは、文学の一形式として存在を拒否して差支へないことになる。然しながら文学としての戯曲が他の文学の部門から分離する一点は、前章で述べた通り、文字の表現を通して、音、形及び運動(言葉及び動作)の表現を企図するところに在る。即ち、文字が文字そのものゝ生命から離れて、声及び動作の生命を暗示するところに在る。これは詩に於て、文字が文字としての生命を離れて、音声から成る韻律リズム及び諧調ハアモニイの効果を企図してゐるのと少しも変りはないのであります。

 たゞ、これだけの理窟はつきます。つまり、戯曲の文学的価値は、文字によつてのみ表はされる「ト書」や、「舞台の説明」の中に於ても論ぜられなければならないのであるが、これは、戯曲的──劇的──価値と少しも関係はない。そんなものは、舞台上で演出された戯曲には、文学的表現として残つてゐない。なるほど、この説には一言もない。

 然し、これだけの理由で、戯曲として傑れた作品が、文学的に価値の少いものであつてもいゝなどゝは云へますまい。対話の部分にそれほど立派な戯曲的才能を示し得る作家が、「ト書」だからと云つて、好い加減な文章を綴るやうな骨惜しみはしない筈であります。

 まあ、此の議論は、大した問題にしなくてもいゝ。次に、文字による表現に於て、読者に与へ得る感銘と、言葉や動作による表現を以て、観客なり、聴手なりに与へ得る感銘とは、本質的に異つたものである。故に、文字で書かれた戯曲が、たとへ、文学的に欠点が多く、価値が少くとも、上演された劇の、耳や眼に訴へる魅力はまた別もので、その点、文学に於て示されない、または、平凡にされてゐる「美しさ」が、舞台の上で、溌剌たる生気を示すことがある──といふ議論もあるにはある。

 これまた、一を知つて十を知らない議論であります。何となれば、文学としての戯曲を評価する場合にも、舞台的効果即ち、声と動作の幻象をはつきり掴むことが出来なければ、その評価は戯曲評として全然権威のないものであり、従つて戯曲の全体的価値は、飽くまでも、「戯曲を感じ得る」批評家によつてのみ、定めらるべき性質のものであるからであります。

 これで略々、戯曲といふものゝ本体が明かになつたと思ひます。

 途中の説明が大分長くなりましたが、要するに戯曲のもつ「美」は、文学の他の種類に於ては、求め得られない、──少くとも第一義的ではない──「語られる言葉」のあらゆる意味に於ける魅力、即ち、人生そのものゝ、最も直接的であると同時に最も暗示的な表現、人間の「魂の最も韻律的な響き(動き)」に在ると云へるのであります。そして此の、「響き」は、或る時は『マクベス』の如く高く烈しく、或る時は「桜の園」の如く低く微かに、而も常に調和と統一の美感を保ちつゝ全篇を貫き流れてゐる。主題と結構と文体、此の三者の渾然たる融合がそこに在るのであります。そこで、人生の神秘な竪琴は、戯曲といふ楽譜を通して、舞台の上で奏でられる──といふ段取りになる。


       三


 そこで、もう少し、戯曲の本質美について云へば、或る意味に於て人生の再現と称し得べき戯曲の幻象イメージは「現はされてゐる人生」そのものが如何なる人生であるかといふ興味と、「現はされてゐる人生」が如何に現はされてゐるかといふ興味とから、芸術的感銘を与へるに違ひない。そこで前者は、小説にも戯曲にも共通の興味であり、後者は小説にも戯曲にも共通な部分と、小説には必要でなく、戯曲のみに必要な部分とがある。この最後の部分に属する興味、これが戯曲の本質を形造るものであるといふわけになるのであります。

 そこで、此の戯曲のみに必要な興味──即ち「劇的美」は、前章にも述べた通り、一種の心理的波動である。それは何から生れるかと云へば「語られる言葉」と「行はれる動作」との最も韻律的な排列以外のものからではない。

 われわれの日常生活、たとへそれが如何に波瀾曲折に富んだものであらうと、われわれは、その中で実に平凡な、制限された、不調和な、殊にお座なりな曖昧な、時とすると虚偽に満ちた言葉を語り、動作を行つてゐる場合が多い。さういふ生活を描いて、而も、そこに或る芸術的な美を盛るためには、様々な選択、様々な説明(悪い意味でなく)、殊に多くの暗示が必要になる。処で、小説の方なら、それは作者が、自ら読者に対して、その総てを「語り」得るのであります。然るに戯曲は、作者が舞台に出てかういふ役割を演じることは例外である。従つて、それぞれの人物が語り、行ふ事柄は、それ自身に、作者が示さうとするものを間接に示してゐなければならない。つまり、われわれが日常語る言葉の裏を語らせなければならない。それはどういふことになるでせう。つまり人々が、或る場合に口にする言葉、行ふ動作、さういふものを通して、実際、表面には現はれない、又は常人には感じられないやうな「心の動き」を捉へなければならない。そして、その「心の動き」が、如何に暗示されてゐるか、そこに、戯曲の文体が有つ独特の魅力が潜んでゐる。これは「対話の呼吸」といふやうなものから一歩進んで「対話の心理的機微」に触れるのであります。此の心理的機微が、性格的興味と結びついて、人物の構成コンポジシヨンが生れる。これらの人物の排列と関係から主題の発展が行はれ、「魂のオーケストラ」が奏せられる。


 戯曲の演出と楽曲の演奏とは、よく比較論議されますが、これは結局或る程度までの問題だと思ひます。

 俳優対劇作家の関係は、演奏家対作曲家の関係よりも一層複雑で而もデリケートである。此の比較論も亦こゝで長々と述べる必要はありませんが、一口に云へば、演劇に於ては、俳優と劇作家の間に、更に作中の人物といふ一個の存在が現はれる。公衆は舞台の上から三つの異つた生命の「浸出」を感受するのであります。そして此の三つの生命は、如何なる状態と関係に於て、演劇の興味を形造つてゐるか、これは稍々分析的な見方ではありますが、演劇鑑賞の基礎知識となるべきものですから、一と通り論じて見ることにします。

 先づ、劇作家は、自分の「立場」に公衆を立たせようとする。少くとも作者が人生を観てゐる、その観方が見物に分かり、見物も亦その位置から人生を観ようと努める。その「立場」に対する見物の同感乃至反感は、直ちに劇そのものゝ興味を左右します。また、作者の「立場」が見物にわからないとなると、今度は舞台の印象が混乱して、結局、興味がもてないことになる。今度は作中の人物、これがまた直接に興味の対象になる。最も簡単な例をあげれば、善人、悪人、強者、弱者、と云ふやうな概念的な批判から生れる一種の感情で、それらの人物の相互関係、又は運命に対する期待なども此の中に含まれる。これがつまり劇の(劇とは限らない。物語文学全般の)通俗的興味であります。一歩進んで人物の性格、教養、趣味などに対するさまざまな価値感情が生れる。

 次に、それらの人物に扮する俳優に対して抱き得る個人的感情、殊に肉体的条件に対する批判的興味、これは屡々その扮する人物から離れて考へられる問題であります。あの役者は丈が高いとか低いとか、顔が綺麗であるとか姿がどうであるとか、甚だしくなると、頤が長いとか、口が大きいとか、さういふ印象は、必然的に劇の興味に結びついて来る。俳優の箇癖も亦看過すべからざるものであります。

 以上述べたやうな興味は、厳密に云つて演劇鑑賞の内容を形造るものではないに拘はらず、実際は、かういふ興味が一般公衆の注意を惹くことになる。


 作者が如何に人生を観るか、これは必ずしも哲学的乃至倫理的の立場をいふのではない。従つてその点から云へば如何に立場を異にした見物も、芸術家としての作者の、人生に対する態度乃至希望、興味乃至幻想を理解し得て、始めて、その作品の魅力なり価値なりを味ふことが出来るのであります。

 さうした上で、作者の企てが、どの程度まで成功してゐるか、作者の霊感が如何なる表現に到達してゐるか、つまり作者の戯曲家的才能がどれほど発揮されてゐるか、かういふ点に眼を向けるべきであります。

 作中の人物が、それ自身として与へ得る興味は、作者の創造力と無関係にこれを論じることは不当であります。作者が如何なる人物を描いてゐるかといふこと、その人物が如何に描けてゐるかといふことは、その実、切り離すことの出来ない問題でありながら、これは、或る程度まで別々に論ぜられないことはない。

 そこで、俳優はまづ作者が如何なる人物を描かうとしたかについて、はつきりした観念をもつてゐなければならない。これが演出批評の主眼点になるのであります。

 作者が描かうとした人物と、俳優が扮してゐる人間との間に、或る隔りが生じるのは已むを得ないとしても、その隔りが如何に大きいか、そしてそれがどうして出来たか、これを見逃しては演出の批評は出来ない。

 これがつまり、俳優の演技に二つの重要な基準を与へる動機になるのであります。

 即ち、先づ作中の人物を理解すること、そして、その人物を自分の理性に当て嵌めて、それを活かす、肉体化する(Incarnation)こと、この二つの努力から、俳優の演技一切が生れる。

 処で、俳優の技芸論は、別にこれをする機会があらうと思ひますが、こゝで戯曲の演出といふ問題を一層はつきりさせて置くために、そして芸術としての演劇を、単なる娯楽としての演劇から区別するために、俳優の最も意を用ひなければならない点は、あくまでも戯曲の本質からのみ、一切の舞台効果を挙ぐべきことであります。

 これはもう、一つの戯曲を、一人の人物を如何に演ずるかといふ問題ではなく、優れた戯曲の中に常に見出し得る生命の韻律、此の韻律に対して最も敏感であると同時に、一つのせりふ、一つのしぐさ、一つの姿勢、一つの動作、それが、決して或る「やま」に到達すべき径路ではなく、此の韻律の一モオメントを形造る、貴重な要素であることを知つてゐることであります。


 此の韻律といふ語は、演劇に関して屡々、音楽のそれと混合され、白を音楽的ならしめる必要が説かれました。その結果、俳優の音声を歌劇に於ける歌手のそれと一致させ、甚しきは音階によつてこれを規整し得るものと信じてゐる人さへあります。これは寧ろ滑稽な誤りで、戯曲のもつ韻律といふものは云ふまでもなく官覚的のそれではなく、全然心理的の韻律であります。そして、此の心理的の韻律が、自然に、俳優の白及び科を規整するので、それ以外に、官覚的美感を求めようとすれば、それは、舞台効果の統一上、却つて弊害があると云はなければなりません。たゞ、俳優の音声が、それ自身に具へてゐる特質は、決して軽視すべきものではない。これは、その他の肉体的乃至性格的条件についても同様であります。

 こゝから、俳優の「柄」といふ問題が生じる。「適役はまりやく」とか、「無理な役」とかいふ見方が、才能技芸と関係なく許される。これが又、演劇批評の一部をなすもので、同時に、舞台的興味の有力な動機を形造ることになるのであります。

 かういふ風に述べて来ると、それでは一体、芝居を観に行くといふのは何を観に行くのかといふ疑問が起るかも知れません。

 こゝがつまり、演劇は芸術なりや娯楽なりやといふ問題の分れる処で、論者は、此の問に対して結局今までのことを繰り返すより外ないのであります。

 賢明なる読者は、勿論、既に「演劇の芸術的存在」を疑つてをられることゝ思ひます。かく云ふ論者も亦、演劇の芸術的本質について縷々長広舌をふるつたに拘はらず、今日までの演劇は畢竟、人間の遊戯衝動からそれほど遠い仕事ではないと断定を下さない訳には行かないのであります。従つて、厳密な意味で、芸術的演劇が生れるとしても、それはこれからの話である。

「芝居を観に行く」ことが、「音楽を聴きに行く」程度まで進まなくてはならないと思ひます。

 演劇の芸術的本質は、この意味で、戯曲の本質から一歩も離れることは出来ないといふ論理が成り立つと思ひます。

 上に述べた三つの異つた生命の「浸出」、作者と人物と俳優、此の三つの異つた生命が、群集の一人としての見物の魂に如何なる交感を誘起するか、そこから果して印象の統一が得られるか、純粋な芸術的感銘が生じ得るか、かういふ問題は、演劇の本質を戯曲の本質と結びつけて考へることに依つて、やゝ満足な解決が求め得られるのであります。

 舞台の上を流れる生命──それが仮へいくつの生命から成り立つてゐるものであつても──その生命を一つの生命として感じ得る時に、演劇の本質的な「美」が生れるといふことに注意しなければなりません。これは俳優にとつても見物に取つても必要なことである。作者の才能、作品の価値、俳優の技倆が、或る一点で渾然と融け合つてゐる、そこには、たゞ人生の真理を語る活きた魂の、諧調ハアモニイに満ちた声と姿とがあるばかりであります。それは人間の凡ゆる感情の旋律であり、凡ゆる心理的表示の交響楽であります。此の舞台の幻象イメージ(眼と耳を通じて心に訴へる一切のもの)は見物のイリユウジョン乃至想像イマジネエシヨンと相俟つて、一つの陶酔境を実現する、そこまで行けばいゝのであります。

 この演劇の本質は、所謂「気分劇」といふやうなものにのみ当て嵌めて考へられ易いのですが、それは偶々、此の種の「劇」が思想的背景とか、心理解剖の鋭さとか、事件の興味とか、機智の閃きとか、さういふ特殊な内容から遊離した戯曲の一面を代表してゐるからで、戯曲としてその本質的な部分が最も強調され、露出されてゐる結果、何人もその点以外に興味を繋ぐことが出来ないからであります。然しこれだけで「気分劇」が劇として上乗なものであり、最も芸術的なものであるといふ理由にはならない。人生の真理は決して「気分」だけによつて、物語られるものではありません。「本質」といふものは、常にそれ自身、或るものを形造る上に「必要」なものであつて、而もそれだけで「十分」なものではないのであります。本質をして優れた本質たらしむるものは、そこに「加へられるもの」であることを忘れてはなりません。此の意味で悲劇可なり、喜劇可なり、悲喜劇可なり、笑劇可なり、また思想劇可なり、心理劇可なり、社会劇可なり、諷刺劇可なり、史劇可なり、神秘劇可なり、夢幻劇可なり、更に浪漫劇可なり、写実劇可なり、象徴劇可なり、表現派劇可なり、詩劇可なり、散文劇可なり、序に野外劇可なり、立廻り劇可なり、翻訳劇可なり(何といふ出鱈目な名称!)。

 たゞ、不可なるものは、劇の本質を無視したイカモノ劇であります。劇的生命のない骸骨劇であります。その中では、思想も心理も、事件も機智も、何もかも、たゞ「それだけの興味」しかない。文学にはなるかも知れません、が戯曲にはならない。演劇にはならないのであります。

 こゝで一つ、考へて見るべきことがあります。考へなくても判つてゐればこれに越したことはありません。それはこゝに一人の傑れた小説家がある。偶々戯曲を書いた。その戯曲は戯曲として大きな本質的の欠陥を蔵してゐる。こゝに多くの平凡な劇作家がある。絶えず戯曲を書いてゐる。それらの戯曲の一つを取つて見れば、平凡ではあるが兎に角戯曲になつてゐる。此の二つの戯曲が同時に上演された。上演されなくてもいゝ。此の二つの戯曲を同時に読んだ。そして、此の小説家の書いた戯曲が、劇作家の書いた戯曲よりも面白く、美しく、人を撃つ力があり、芸術的魅力に富んでゐる。かういふ場合に、此の小説家の戯曲を何んと云つて褒めたらいゝでせう。

 論者は、例へば、フロオベエル、ゾラ、ゴンクウル、モオパッサン、又はユウゴオ、ロマン・ロオラン等の戯曲が、ベック、ルナアル、ポルト・リシュ、キュレル、扨てはミュッセ、ロスタン等の戯曲の傍らで、あまり大きな顔が出来ない仏蘭西の劇壇を一寸御覧なさいと云ふ外はありません。

 結局、前章でも述べた通り、戯曲の文学的価値と、戯曲的価値とが、或る場合には別々に論ぜられる訳であります。そして、傑れた戯曲とは、常に、傑れた戯曲的本質が傑れた文学的価値の中に融け込んでゐなければならないことになるのであります。


 最後に「舞台」といふものについて、一言して置きたいのは、素人の眼から見ると、舞台は戯曲の演出に必要欠くべからざるもので、舞台があつて始めて戯曲が活き、舞台があつて始めて俳優が美しく見え、舞台があつて始めて壮麗な宮殿も、眼の覚めるやうな風景も、立ち処に出来上るんではないか。それ故、舞台といふものは有難いものだ。かう思へるでせうが、実際はそれどころでなく、舞台といふものは、常に戯曲の生命を狭め、俳優の自由を束縛し、見物の幻想を妨げる厄介物であります。

 しかし、これはどうも仕方がない。それなら舞台に代るものは何かと云へば、そんなものが外にある筈はないのであります。そこで、此の厄介な舞台を「利用」する工夫が必要になる。そして、此の「利用」といふことは、第一に舞台を征服することである。舞台に「譲歩」してはならない。舞台的拘束を転じて舞台的魅力としなければならない。「無理」と「不自然さ」を転じて、「それはそれとしての面白さ」にしてしまはなければなりません。これが詮り「舞台の雰囲気」となるのであります。この雰囲気にも亦、芸術的の香ひがあつてこそ、演劇は愈々「演劇としての美」を発揮することになる。劇作家も俳優も、此の呼吸を呑み込んでゐなければ真の舞台芸術家とは云へない。舞台監督も亦、徒らに見物の眼を欺くことに腐心する代りに、見物の心を「舞台の雰囲気」の中に引きずり込む手腕がなければならない。現代の最も進歩した舞台装飾は前にも述べた通り、「美しき背景」を捨て、「実物の排列」を斥け、「独断的美学者の所謂様式的装飾」を離れて、一に「戯曲を感じ得る舞台監督の優れた趣味に基づく暗示的舞台装飾」に如かずといふ議論に到達してゐるのであります。

 演劇の本質は、かくの如き舞台に於て、最も完全に表現し得ることは云ふまでもありません。

 これで聊か支離滅裂ながら「演劇とは如何なるものか」といふこと、並びに「芸術的演劇の本質とは何を指すか」といふこと、此の二つの大きな問題について、一と通りの観念が造られたと思ひます。

 実を云ふと、論者自身も亦、演劇の本質といふ問題で、いろいろ考へてゐる時代なのです。これからその考へを纏め上げるまでに、相当の年月を要するに違ひありません。然し、今まで述べた事柄は、なほ敷衍する必要はあるにしても、それぞれ演劇研究者の進路に横はつてゐる大きな問題の一端を示してゐるつもりであります。

 演劇の本質といふ問題に関しては、先づこれくらゐに止めて、次には、新劇運動が齎した諸種の問題について一応解説をして置きたいと思ひます。


     近代演劇運動の諸相


       (一)小劇場主義と大劇場主義


 前の講話で、演劇の芸術的純化、舞台表現の進化並びに演劇の本質を論じましたが、それぞれの機会に、努めて、演劇そのものゝ史的考察を忘れなかつたつもりであります。

 これから述べようとする近代演劇運動の諸相は、一面、舞台表現の進化に伴つて、その消長を示してゐることは勿論でありますが、こゝでは、前章との重複を避けて、単に近代演劇の審美的傾向が、劇場そのものゝ上に与へた影響、言ひ換へれば、芸術的劇場が様々な形に於て、他の劇場と区別されるために、如何なる「存在の意義」を主張したか、かういふ点について研究して見ようと思ふのであります。

 これはやゝ独断に近い議論でありますが、同じく近代劇運動の名で呼ばれる様々な演劇運動を通じて、論者は、二つの大きな傾向を発見し得るやうに思ひます。而もそれは、直接文芸上の流派と結びつけて考へることの出来ない性質のものである。もつと詳しく説明しなければわかりませんが、一方は、芸術的貴族主義と呼ぶことが出来るに反して、もう一方は、芸術的民衆主義と名づけることが出来ます。これは必ずしも演劇に限つたことではありませんが、元来、民衆的なものとされてゐた演劇が、芸術的に純化され、選ばれたものを対象とするところから、演劇にも、芸術的貴族主義が唱道され出したことは自然の理であります。ところが一方、演劇の芸術的向上を認め、それに力を注ぎながら、なほ且つ、演劇は民衆の糧なりと主張するものが出来て来ることも当然の結果であります。此の両者は、固よりその結果に於て、全然相容れないものとは思ひませんが、努力の焦点が何れか一方に偏することは免れない。そこで、これを別の言葉で云へば、小劇場主義と大劇場主義とになるわけであります。つまり、芸術的演劇は、小劇場に於て始めて実現し得るものであると主張するのが前者で、いや、芸術的演劇と雖も、大劇場で多くの観衆を満足させるのでなければ、演劇本来の存在意義に反する、大劇場の舞台に於て、ほんたうに芸術的価値を発揮するものこそ、真に偉大なる演劇であると主張するのが後者であります。

 こゝで注意しなければならないのは、今日まで、欧米各国に擡頭した芸術的劇団が、大抵は「小さな劇場」に拠つてゐた。観客席六百といふのが普通であり、中にはそれ以下の座席しかない小屋に拠つてゐたのであります。然しながら、これらを見て、直ちに、彼等が何れも「小劇場主義者」なりと断ずることは甚だしい誤りである。

 元来、小劇場運動といふ名は、「写実劇」乃至「自然主義劇」勃興時代に、当時の世間、殊に批評家たちが、いろいろの理由で、普通の劇場に拠ることが出来ない、つまり間に合せの小屋、または、金のかゝらない舞台を利用して、兎も角も一生懸命に芝居をやつてゐる半素人劇団の、健気な努力に向つて附けた名なのであります。大きな劇場を借りても、そんなに見物が来ないのはわかつてゐる。舞台が広ければ装置にそれだけ金もかゝる、まあ、今のうちはこれで我慢しなくては、かう思つて「小劇場」を選んでゐた。見物の方では、広い見物席にばらばらツとばら撒かれて、しよんぼりと動きの無い舞台を見せられてゐるよりも、かうした芝居を見るからには、小ぢんまりした見物席に、数は少くても相当の密度で、どつちを向いても知つた顔といふ気持に、落ちつきと親しみを感じながら、動きはなくてもしみじみとした舞台の味を、心行くまで噛みしめるといふ満足に浸りたい。これが、「Théâtre Intime」の名の起りであります。この「テアトル・アンチイム」を、すぐに「小劇場」と訳しては語弊があります。寧ろ「家族的劇場」である。しかし「家族的」と云ふのは、必ずしも劇場内の空気に親密さを感じるといふ意味ばかりでなく、舞台そのものから「近い」といふ感じが大いにあります。自然主義的舞台の信条である「第四壁論」から云へば、見物席と舞台との間には一つの壁があるといふ理論に対して、見物は、その壁が自分たちの後ろにあるといふイリュウジョンをさへ浮べ得るのであります。

 扨て、今日から見て、是等の「小劇場」──「テアトル・アンチイム」は、決して悉く、大劇場主義に対する小劇場主義の所産ではない。仏蘭西で云ふならば、「小劇場」の濫觴と思はれてゐる自由劇場の創始者アントワアヌは、夢にも「小劇場主義者」ではなかつたのであります。今日のヴィユウ・コロンビエは、成る程、「小さな劇場」でありますが、首脳ジャック・コポオは、将来、二千人を収容し得る劇場を欲してゐます。

 それならば、純粋の「小劇場主義者」といふものは、どんな人たちかと云へば、実際、そんなにないのであります。また、「小劇場主義者」にあらざるものは、当然、「大劇場主義者」であると速断してはなりません。「大劇場主義」は、決して今日存在してゐるやうな普通劇場では満足しない。五千人とか一万人とか、なほ、実現さへ出来れば、二万人でも三万人でも容れられるやうな劇場を理想としてゐる処に、此の「主義」の特色があるのであります。さうして見ると、此の「大劇場主義」も一面の傾向に過ぎない。結局、近代劇運動を全然、此の二つの範疇カテゴリイに入れてしまふことは不可能といふことになる。

 そこで、これから、兎も角も、此の二つの相反した傾向を、いろいろの立場から比較吟味して見ることにします。


 小劇場主義とは、前にも述べた通り、芸術的演劇は「小さな劇場」に於てのみ存在し得るといふ主張である以上、経済的その他の理由と関係なく、舞台並びに観客席の広さについて、芸術的効果を標準とする、一定の理想がなければならない。これは勿論、数字を以て示すほど窮屈なものではないのでありますが、結局は、所謂「室内劇」の精神に到達すべきものであります。


 広い意味に於ける「室内劇」は、決して、近代の所産ではありません。これが近代劇一面の傾向と結びついて、今日では、演劇の芸術的貴族主義を代表する一運動となつた。

 仏蘭西では、ララ夫人の組織する『芸術と活動』社は、正に「室内劇」を以て、演劇の純芸術的形式とするものゝ一つであります。(ララ夫人並びに同人の多くは、政治的には左傾思想の支持者であることも注意すべきである)

「室内劇」の精神とも云ふべきものは、所謂、芸術的貴族主義の思想にその根柢を置いてゐることは勿論で、此の思想さへわかれば、「室内劇」の何ものであるかは、おのづから明かになるのですが、それをなほ説明すれば、演劇といふ芸術形式から、その中に含まれがちである所の不純な分子、更に通俗的分子を取り除けば、あとには「俗衆」のために何ものも残らない。それはマラルメの詩であり、セザンヌの絵であり、ワグネルの音楽であります。高級な芸術ほど、純粋な芸術ほど、鑑賞者の資格が要求せられる。鑑賞の時と処とを選ぶ必要がある。美的印象を妨げる一切の空気を排除しなければならない。芸術家の方でも「不必要なもの」で舞台の空虚を埋めることを好まない。殊に、物質的乃至肉体的努力を最も効果的に利用するために、適度な制限を超えたくない。かういふ要求は、勢ひ少数の観客を相手とする演劇を生むのは当り前であります。

 こゝで戯曲と舞台、劇作家と演出者とを引離して考へるのは変であるが、正確に云へば、別々に論ぜらるべきであらうと思ひます。即ち「小劇場向きの戯曲」、「小劇場主義の劇作家」といふものがある筈であるし、如何なる戯曲をも「小劇場主義」の立場から、演出しようとする演出者もあつていゝのであります。このことは「大劇場主義」についても云へることであります。しかし、結局「小劇場向きの戯曲」を大劇場に、「大劇場向きの戯曲」を小劇場の舞台に上演することは、如何なる点から見ても不合理であり、不自然であつて、結局「小劇場」のための「戯曲」が「大劇場」のための戯曲乃至一般普通の劇場のための戯曲からさへも独立して、存在するといふわけになる。絶対的とまでは行かなくても、原則として、さういふことが許されるのであります。

 さて、それならば「小劇場主義者」の云ふ如く、純芸術的演劇は、果して、「小劇場」でなければ存在し得ないかといふ点について、しばらく、「大劇場主義者」の説に耳を傾けませう。


「大劇場主義」は「小劇場主義」の如く、全然芸術的の立場から演劇を見てゐない。寧ろ、社会的見地に立つて、演劇の使命、本領といふやうなものに力点を置いてゐるやうに思はれます。

 民衆劇運動が、大劇場主義の有力な一面を代表してゐるのを見ても解る通り、芸術の貴族的存在を認めない所謂民衆芸術の唱道者が、演劇を以て、民衆芸術の好目標とした処に、此の新運動の意義が潜んでゐるのであります。

 民衆劇運動と、大劇場主義そのものとを、全く同一視することはやゝ無謀である。なぜなら、例へば最近のラインハルトの如く、大劇場の舞台を、単に演出者としての芸術的欲求(純粋なものであるかどうかは別問題として)を満たすために利用してゐるものもある。「大がかりな芝居」を趣味として、或は個人的傾向として、或は少くとも、「演劇そのもの」のために主張する一派の人々は、決して、民衆劇運動に参与する必然的資格を備へてゐるとは云へないからであります。ただ結果に於ては、飽くまでも、演劇の芸術的民衆主義者であるといふことが出来ます。

 此の区別をはつきりさせて置いて「大劇場主義」の批判に遷ります。

 その立場の如何に拘はらず、大劇場主義は、要するに出来るだけ広い場所に、出来るだけ多くの見物を収容して、出来るだけ大規模の芝居を演じる、これが理想とする所である。それと同時に、出来るだけ多くの見物に満足を与へるやうな脚本と、演出者とを要求するのであります。ここで、芸術の根本的議論が生じる。芸術は果して民衆的なりやといふ問題であります。

 これは一つ読者諸君の裁断に俟つことゝして、芸術美といふものを、芸術的作品から引離して考へることが既に空論である以上、或る芸術的作品を、「芸術的な部分」と「通俗的な部分」とに概念的な区別をすることが、もう実際的でないのであります。たゞかういふことは云へます。線の太い芸術と線の細い芸術──単色による芸術とニュアンスに富む芸術──叫び歌ふ芸術と囁き口吟む芸術──揺ぶる芸術と撫でる芸術──熱狂させ、眼を見張らせる芸術と、しんみりさせ考へさせる芸術──判然境界を設けることは出来ませんが、此の区別は、その極端に於て確かに演劇の場合、一は大劇場主義に、一は小劇場主義にそれぞれの立場を見出し、それぞれの特色を結びつけることができると思ひます。

 小劇場主義が、窮極は「室内劇」に到達すると同様、大劇場主義の窮極は「野外劇」に帰着することは云ふまでもありません。

 論者はこゝで、両者の芸術的価値について、その優劣を論断しようとは思ひません。またそんなことが出来るわけのものではない。要は、両者の主張が、単に理論のための理論に終ることなく、また偏狭な趣味や、山師的の煽動思想に乗ぜられることなく、真に演劇それ自身の芸術的完成に向つて、それぞれの特色、魅力を発揮すればよいのであります。

 最後に、大劇場主義を支へる有力な一運動である民衆劇運動に言及して置きたいと思ひます。

 お断りをして置きますが、「民衆劇」といふ言葉は、所謂「民衆芸術」といふ言葉と同様に、その唱道者らによつて極めて明確な定義が与へられてゐるに拘はらず、多くの誤解と偏見とを全世界に散布してゐます。

 民衆芸術論はこゝでする必要もありますまい。兎に角、理論の上から、論者自身は、民衆芸術そのものゝ反対者ではないことを告白して置きます。たゞ今日まで、真の民衆劇は、民衆劇の名を口にするものゝ手によつて創造されてゐない事実を指摘し、芸術は、飽くまでも芸術のために存在するといふ観念に、しばらく真理を認めて置きたいと思ひます。そして、芸術は、永遠に「芸術家のもの」であることを認めて置きたいと思ひます。こゝで「芸術家」といふのは「芸術を解するもの」の謂であることは云ふまでもありません。かういふ機会に持ち出すのも如何かと思ひますが、論者は最近、芸術的作品の絶対的価値といふものについて、可なり疑ひを抱くやうになつてゐます。芸術美とは、畢竟「作品」を通じて表はれる作家の暗示力と、「作品」によつて喚起される鑑賞者(批評家)の想像力とが、「作品」と「鑑賞する心」との間に造り上げる一つのイメージに外ならないとさへ思ふやうになつてゐます。つまり、作家がなければ作品が存在しないやうに、鑑賞者があつて、始めて芸術美そのものが生れるといふ考へ方に傾いてゐるのです。言ひ換へれば、作家は作品を媒介者として、鑑賞者と共に、鑑賞者の協力を俟つて、始めてそこに一つの芸術を創り上げるのだといふ考へ方であります。従つて厳密に云へば、制作に於て、作家は同時に鑑賞者であり、批評家であらねばならず、一度作品が発表された上は、その作品がそれ自身に芸術であることは出来ないばかりでなく、少くとも、作家と同等な鑑賞眼を有する人の「芸術的感性」に触れて、そこに一つの芸術が生れ、作品に新しい価値が与へられるのだといふ考へ方であります。例へば、作品は鏡のやうなものであります。作家は自分の顔を映しながら鏡を磨く、彼の鏡師のやうなものであります。そして、人間の顔が正しく映る鏡を作り上げる。然し、美しい顔が美しく映る鏡は、醜い顔が醜く映る鏡であります。その鏡の「佳さ」は、醜い顔の持主に取つて、遂に「永遠の呪ひ」でなければならない。そして芸術は、つまり、「鏡に映る顔」そのものなのであります。

 この例は少し極端で、どうかするとわかり悪いかも知れません。もつと卑近な例を挙げれば、芸術そのものは「火」のやうなものであります。作品は「燃焼物」であり、鑑賞者は「熱」である。「燃焼物」にもいろいろあるやうに、「熱」にもいろいろある。或る「燃焼物」が、或る「熱」に会つて始めて「火」を発するやうに、或る「作品」も或る「鑑賞者」を俟つて始めて「芸術的価値」を生ずるのであります。

 とんだ芸術論になりましたが、この考へ方は、演劇といふ芸術形式を決定的に否定するものゝやうに思はれるのみならず、少くとも、大劇場主義の根柢に大きな不安を投入するものであります。

 しかし、これは、「美的感情」の極めて厳密な分析の上から立論した場合のことであつて、「芸術美」が「通俗美」または「自然美」から区別される一点に、それほど重きを置かないならば、演劇の芸術的存在も、固より、左程、悲観さるべきものではないのであります。それと同時に、演劇のみがもつ一種の牽引力が、偉大な舞台芸術家によつて、極度の抱擁性を与へられ、何時か大劇場主義者の夢想を実現する日が来ないとも限りません。「民衆」はまさにその日を待つべきであります。


       (二)本質主義と近代主義


 芸術上の近代主義(モデルニスム)とは、あらゆる既成美学への挑戦であり、伝統の破壊運動であり、新奇と自由の探究であり、客観より主観への突入であります。

 未来派、立体派は既に輝やかしい歴史を有つてゐる。ダダイスムは漸次其の勢力を拡大しつゝある。表現主義の消長も社会的現象と関聯して一つの芸術的存在と認め得べきものである。その他何々主義、その他何々派、そして遂に近代主義は、これらの諸分派を一丸として、堂々、今日の芸術界を濶歩してゐるのであります。

 演劇も、勿論近代主義の洗礼を受けずにはをられない。ただ種々の条件から、その歩みが遅々として目立たないだけである。その中で、兎も角も独逸の表現派、露西亜のカメルヌイ劇団、仏蘭西の「アール・エ・アクション」などは、演劇をして近代主義の運動に参加させた顕著な例であります。

 演劇のみとは限らないが、此の近代主義と一見相容れないものゝ如く思はれる傾向が、これも現代の芸術界に一面の勢力を植ゑつゝある。即ち復古主義である。原始芸術の讃美である。古代並に中世への顧望である。異国殊に未開への憧憬であります。

 然しながら此の傾向は、決して近代主義と相対峙すべき性質のものではなく、寧ろ流転止むことなき近代主義の気まぐれな一現象と見るべきもので、そこには、やゝ皮肉な矛盾をさへ発見するでありませう。

 近代主義の立場から真に敵視すべきは、昨日の芸術に恋々たる保守的、退嬰的、微温的官学主義者であります。法則と軌範を墨守して知らず識らず因襲の虜となつてゐる似而非芸術家であります。

 たゞ、われわれは、近代主義の溌剌たる魅力に心は惹かれながら、既に、その病根の憂ふべきを気づいてゐるのであります。

 それは、自由と放縦、「新しさ」と「珍しさ」の混同、没批判から生じる病根であります。

 幸か不幸か、演劇は、最も、「独りよがり」の許されない芸術である。それが一方、天才的飛躍を妨げる原因であると同時に、凡庸にして衒気ある野心家を自滅させることに役立つてゐるのであります。そして、聡明にして、「美を愛する」新時代の芸術家、わけても、節度と婉曲を尊ぶ仏国人の中から、進歩的なる点は、近代主義と結び、不変を求める点は、伝統主義に附くとも思はれる一部の新劇運動者が現はれたことは、寧ろ当然でありませう。

 これが、前講『舞台表現の進化』並びに『演劇の本質』中で述べたジャック・コポオ一派の主張であります。

 此の主張は、まだ、特別な名で呼ばれてゐないやうであります。然し、既に、立派な芸術上の一理論であることは云ふまでもありません。そしてこれを所謂近代主義からも、所謂伝統主義からも区別して考へる時、先づ「本質主義」とでもいふやうな名が許されさうに思ひますが、元来、「何々主義」と呼ぶためには、あまりに傾向的な色彩が薄く、寧ろ常道または本道そのものであるといふ感が深いのであります。

 近代主義が過去の芸術を否定し、伝統主義が新奇を厭ふ、その間にあつて、古典を愛し「美の永遠性」を信じ、革命よりも完成を、因襲よりも独創を、理論よりも霊感を尊び、時代の推移と共に「変る部分」よりも、時代と国境とを超越して「変らざる部分」を作品のうちに求めようとするのであります。

 かくて、舞台より流行と因襲とを排除し、演劇をして、真に本質的の美を発揮せしめ、劇場を芸術的に純化しようとするのであります。

 此の運動から、劇作家としても多くの有為な詩人が生れ、文学的流派に囚はれない「明日の演劇」が、希望ある未来を示してゐるのであります。

 劇団としては、巴里のヴィユウ・コロンビエ座、アトリエ座、ピトエフ一座、ブルュッセルのマレエ座、これらは何れも純然たる近代主義的傾向に走らず、而も芸術の進化に敏感な同情の眼を向けつゝ、徐ろに劇的本質の探究とその完全な舞台表現の工夫に努力しつゝあるのであります。

 例へば古典の演出に際して、彼の近代主義者は、これに近代的表現を与へなければ承知しない。カメルヌイ一座がラシイヌを演じた時がさうであります。希臘神話を主題とした仏国十七世紀の悲劇を、大胆にも立体派風に演出したのであります。近代主義者が古典の演出を試みる理由が、抑も疑問でありますが、それはまあ許すとして古典悲劇は古典悲劇としての美に生きるものであることが、どうしてわからないのでせう。

 また、巴里の国立劇場では、古典劇の演出に「伝統」といふものを作つてゐます。つまり、「型」に類するものである。同時に、古典の解釈は全然官学的の解釈に従つてゐる。それは芸術家の感受性を欠いたものであることは勿論である。此の「伝統」なるものは、古来の名優がそれぞれ案出した「型」に違ひないのでありますが、それはその俳優によつてのみ活かさるべき「型」であつて、今日、他の俳優がそれを真似ることは必ずしも当を得てゐるとは云へないのであります。それは俳優の個性を無視することになるからであります。これくらゐのことがどうしてわからないのでせうか。

 そこで、古典の演出は、古典そのものゝ美を、演出者の優れた趣味と感性による、自由にして新鮮な表現に盛ることである。これは何人かによつて企てられなければならなかつたのであります。

 これだけのことで、もう「本質主義」の特色が明かになつたことゝ思ひますが、なほ、上演目録選定の上に、見逃すことの出来ない一着眼点は、一つの作品が、思想的に又は審美学的に、劃時代的な何物かを有つてゐるために、所謂傑作と称せられてゐる場合、それは必ずしも採択の主要条件とはならないのであります。それより、同じ作者のものでも、「戯曲として完成されたもの」「戯曲としての魅力に富むもの」、つまり演劇それ自身のために好ましい要素を多分に含んでゐるものを、先づ選ばうとするのであります。何は無くとも、これだけあれば演劇になる──さういふものを、先づ見出さうとしてゐるのであります。そして、それだけを先づ、完全に舞台化しようとしてゐるのであります。

 前章『演劇の本質』に於て述べたことを、また繰返すやうになりますが、「本質」といふものは、「必要」ではあるが、それだけで「十分」なものではない。従つて「本質」を他の部分から遊離して考へることは不可能でありますが、要するに、或る作品の魅力は、芸術的価値は、さう単純に決められるものではない。いろいろな点で特色を示してゐる。全体的に優劣を定め得られる二つの作品が、或る点では、却つて反対な価値批判を与へ得る場合が少くないのであります。例へば、ラシイヌの数ある作品で、最も傑れたものと定評のある『フェードル』は、或る一点、たゞその一点のみで、普通第四位または第五位に置かれる『ベレニイス』にやゝ劣つてゐると云ひ得るのであります。その一点とは、ニュアンスに富む文体の快き諧調である。渾然たる韻律の美である。この見解は、或は幾分趣味の問題に触れてゐるかもわからない。しかし『ベレニイス』の真価が、その一点で、戯曲の本質と結びつけられる時、「本質主義者」は、『フェードル』を選ぶ前に『ベレニイス』により以上の演出慾を感じるに違ひない。ここで注意すべきは、『ベレニイス』は、ラシイヌの戯曲中、最も「非劇的」な戯曲とされてゐることであります。「非劇的」必ずしも「非戯曲的」ならず、まして「非舞台的」ならずといふ、前章の論旨を裏書するために、此の例は極めて適切であると思ひます。

 しかしながら、論者は一面に、近代主義的運動の功績と大なる未来とを信じ、あくまでも、その上に相当の期待をかけてゐるものであります。「演劇に革命の必要はない。古来の天才が、吾人の上に君臨してゐることを、吾人は寧ろ、光栄とするものである」といふ本質主義者の言に、論者は、やゝ片意地な、反動的な調子をさへ感じるのであります。たゞ、これは欧洲のやうな、殊に、今日の欧洲のやうな、目まぐるしい芸術的流行の渦中に於てこそ、スノビスムの旋風中に於てこそ、此の宣言は、力ある真理として響かなければなりません。

 顧みて日本現代の演劇界を観ると、そこには何等の運動らしい運動はない。自ら主義を振りかざす必要は勿論ありませんが、現在の演劇をどういふ方向に導いて行かうといふ努力さへ判然と示されてゐないのであります。「より以上優れた演劇」を生むためには、今日の演劇に対して、先づ決定的な批判を下すことが必要であります。今日の演劇に対するあらゆる不満が、何等かの方法で指摘され、「明日の演劇」に与へらるべき特色が、何等かの方法で暗示されてゐなければなりません。さういふ努力を払つてゐる劇芸術家が、俳優が、舞台監督が、劇場主が、劇評家がどれだけあります。そこでは、一切が模倣と踏襲である。形骸の模倣と未完成の踏襲である。そこには、近代主義の溌剌にして大胆な発見もなく、「本質主義」の堅実にして純粋な創意もなく、徒らに怠惰因循空騒ぎを以て、日に日を継ぐ有様であります。

 論者が機会ある毎に、日本の現代劇を何んとかしなければならないと説く所以も亦こゝにあるのであります。

 演劇論がいやに悲憤憤慨めいて来たことは恐縮です。

 結論を急がなければなりません。

 次章を以て、此の平凡な演劇論を終るつもりです。


     結論──明日の演劇


 これであらまし演劇一般に関する諸問題の研究を終つたつもりであります。

 各問題について、一層細密に、一層深く、而も色々の立場からこれを論究詮議すれば、更に完全な演劇論を組立てることが出来るでせう。

 例へば脚本の方面から、俳優の立場から、舞台の構造及び装置の点から、劇場の建築及び組織、観客席の設備、かういふ方面からも、それぞれ演劇の存在に触れる問題が限りなく生じて来るのであります。その一々についてはこれから機会ある毎に私見を発表するつもりでありますが、本講話は、主として演劇そのものゝ本体、芸術的存在としての演劇が、今日如何なる運命に置かれてあるか、この点を明かにし得ればそれでいゝのであります。

 そこで読者諸君は、論者とともに、「今日の演劇」から、眼を「明日の演劇」に向ける必要を、感じられたことゝ思ひます。

 この欲求は、やがて、日本現代劇に対する不満と結びついて、何人かの手によつて起されるであらうところの「新劇運動」──真の意味に於ける、「新劇運動」を支へる有力な根柢とならなければならない。

 恐らく「明日の演劇」を──それが「理想的な演劇」を意味するにしても──たゞ一つの型に嵌めてしまふことは大きな誤りでありませう。前講『舞台表現の進化』に於て述べた通り、様々な芸術上の主義主張は、その理論に於て何れも特色ある美の表現を目ざしてゐる。独断と衒気を去り、姑息と停滞とを戒めたならば、流派そのものに優劣があるとは思はれません。

「偉大にして光輝ある演劇」の将来は、かゝつて、演劇の芸術的純化に在るものと云へるでせう。そして、その芸術的純化は、一に演劇の本質に徹した先見ある舞台芸術家の、真摯なる努力に俟たなければならない。しかも、演劇はその構成の上から、如何に天才と雖も、一人の手でこれを造り上げることは絶対に不可能な性質をもつてゐる。そこで、一つの演劇は、幾人かの協同動作といふことになる。従つて、演劇の「創造者」は一人の作家でも、一人の舞台監督でも、一人の俳優でもなく、結局一つの「劇団」なる有機的組織の精神的並びに肉体的存在であります。此の存在は、恰も一個人の存在と異るところはない。そこに一切の秘密がある。一切の希望、一切の苦悶、一切の歓喜、一切の意志と運命があるのであります。

 一つの「劇団」は一個人の如く活きてゐる。──この事実は、「劇団を組織する人々」の所謂合議制を認めないのみならず、君主の専制に対する盲目的服従をも認めないのであります。

 かうなると、実際に一つの劇団を統率する人格は、その劇団の首脳として、一般社会の、あらゆる組織中に見出し得ない、一個特別な職能と地位とを与へられてゐるわけである。今日まで、幾多の劇団が、大きな抱負をもつて生まれ、その抱負を実現し得ずして瓦解した、その原因の主なる一つは、「劇団の組織」に対する明確な観念を欠いてゐたためであります。

 やうやくモスコオ芸術座が、此の点で理想に近い劇団であると云ふことが出来ませう。然し、一つの劇団も、一個人の如くあらゆる意味に於て、「若さ」と「力」とを失つて行きます。それと同時に、「未来」がなくなる。

 一劇団存在の条件はいろいろ数へられるでせうが、それは別に研究するとして、われわれは全世界を通じて、今「明日の演劇」の曙光を認めようとしてゐる。「明日の演劇」が必ずしも「未来永劫に続く演劇」であり得ないことはわかつてゐますが、少くとも、一時代を倶に活きる世界人として、われわれもその伝統を棄てる棄てないに拘はらず、兎も角、欧洲の劇壇に動きつゝある眼ざましい傾向──演劇の芸術的進化を目標とする意義ある運動に参与する覚悟を持ちたいと思ひます。

 そこで先づ、「明日の演劇」が、如何なる方向に進んで行くか、これは今までの講義が大体を暗示してゐると思ひますが、更に繰り返して云へば、先づ例の本質主義は、益々演出の上で舞台独特の魅力を発揮し、演劇の芸術的純化に強固な地盤を与へると同時に、将来の戯曲をして、新たなと云ふよりも、より一層豊富にして純粋な、「劇的美」の表現形式を発見せしめ、文学的にも完全な近代的詩劇の誕生を告げさせるに至るでありませう。

 一方、演劇の独立を唱へるクレイグの理論は、文学としての戯曲を排し、俳優の人形化による様式的舞台表現に成功さへすれば、演劇の一部門として、決して生命の短かいものではあるまい。たゞ、一人の実行的天才が出るまでは、理想論として、単に、演劇研究者の一顧を値するに止まるでありませう。

 文学史的進化に伴ふ演劇の将来は、今のところ、写実主義の離脱より、新しい象徴的舞台の完成へ進むべきでありますが、此の間に、本質主義の研究的努力とあらゆる近代主義の勃興とが、その発展をそれほど著しく表面には出させないでせう。しかし、暗示と綜合の観念は、本質主義の堅実な調子と、近代主義の革命的色彩とに交つて、いよいよ鮮やかな舞台表現を見せるでありませう。そしてその窮極は、大いに高踏的な、貴族的な、小劇場主義と提携するか、或は壮大な、素朴な、民衆的な大劇場主義的演劇の発生を来すでありませう。この二つの傾向は、恐らく永遠に平行して存在するに違ひない。論者も亦、それを希望するのであります。

 これは単なる予想であつて、偉大なる天才の出現は、何時でも新しい時代を劃することが出来る。而もその天才は、不幸にしてその時代にはそれだけの価値を認められないといふことがある。われわれは、新しい傾向を追ふ前に、先づ自分のもの、自分の佳しとするものを作り上げなければなりません。日本の現代劇は、進む前に先づ存在せよといふ論者の主張も、そこから出発してゐる。われわれは、今浪漫的戯曲を書き、写実的戯曲を書いても、それはまだ完成への意義ある一歩たり得る時代に生れてゐる。なぜなら、日本現代劇は、何十年来、まだほんたうの芸術的作品を一つも生んでゐないと云へるからであります。西洋に於ける写実的演劇の行詰りは、「もう此の上佳いものが出ない」からである。日本では、何んと云つても、「まだ出てゐない」時代であります。現在、象徴的演劇その他の近代主義は、何れも完成された写実主義の上に築かれようとしてゐるのです。相反した傾向も、実は互に好ましい影響を与へ合つてゐる、この事は前講でも述べた通りです。西洋の写実劇が、例へば日本の現代劇になつてゐると見れば見られないこともありませんが、そして日本人として、その写実主義を脱却した新傾向を開拓することも面白いには違ひありませんが、また、一方日本の現代劇に日本人の手に成つた写実劇の傑作を残して置くことも、まんざら無意義ではないやうに思はれます。たゞ、それがためには、写実の妙境を味得して在来の作品を遥かに凌駕する体の完成品を造り出す才能と覚悟がなければなりません。

 演出の点から云つても、写実的舞台、必ずしも時代遅れではない。日本では殊にさうです、調和と統一ある舞台の現実味、これは、未だ嘗て何人も完全に表現し得なかつたのであります。日本の現代劇は、演出の根本を写実に置き、その完成から出発しても決して遅くはない。徒らに様式の奇に走るのは、却つて舞台の生命を稀薄にするものであります、但しこれも亦、在来の演出から一歩も出ない現実模倣の平坦さに陥つては何んにもならない。所謂「芸の細かさ」は写実劇本来の美からはなほ数百歩の処に在る。して見ると、日本に於ける「明日の演劇」は、或は西洋に於ける「昨日の演劇」であつてもかまはないことになる。要するに、われわれは、いろいろな意味での新しい演劇──新日本の現代劇を作るために、面倒でも、もう一度基礎工事をしなければならないのです。それでなければ、われわれは、遂に世界を通じての「明後日の演劇」を有つことが出来なくなるでせう。それはつまり、われわれの「現代劇」がいつまでも西洋劇の模倣から脱し得ないといふことになる。われわれは、自分たちの手で、われわれが満足するやうなものを生み出すことが出来ないといふことになる。それでは、如何なる表面上の変化があらうと、ほんたうの進み方はしてゐないのであります。

 現在の日本でこそ、演劇の本質問題が真面目に論議せらるべきではありませんか。

 この講話の力点をそこに置いたのも、畢竟、研究者の注意を、先づさういふ方面に向けさせようとする論者の意図だつたのです。

 既に演劇の専門的研究を進めてをられる方々には、この講話は、或は平易に失したかも知れません。

 然し、いろいろの学問にそれぞれの概論があるやうに、此の講話も、云はゞ演劇概論に過ぎない。やゝシステムを無視した嫌ひはありますが、それは論者が、純然たる学者でないことゝ、演劇そのものが、どう見ても一つの学問にならないことゝに起因すると思つて頂きたい。

 論者は、自分自身一個の立場を有する芸術家として、これ以上公平な物の観方はできないと思つてゐます。

 不備の点は多々あると思ひますが、此の講話に関する責任は、決して回避しません。反駁なり質問なりは悦んでお受けするつもりでをります。

底本:「岸田國士全集19」岩波書店

   1989(平成元)年128日発行

底本の親本:「新選岸田國士集」改造社

   1930(昭和5)年28日発行

初出:演劇の芸術的純化「文芸講座 第一号」文芸春秋社

   1924(大正13)年920日発行

   舞台表現の進化(一)「文芸講座 第二号」文芸春秋社

   1924(大正13)年1010日発行

   舞台表現の進化(二)「文芸講座 第四号」文芸春秋社

   1924(大正13)年1110日発行

   演劇の本質(一)「文芸講座 第五号」文芸春秋社

   1924(大正13)年1130日発行

   演劇の本質(二)「文芸講座 第六号」文芸春秋社

   1924(大正13)年1215日発行

   演劇の本質(三)「文芸講座 第九号」文芸春秋社

   1925(大正14)年216日発行

   近代演劇運動の諸相(一)──小劇場主義と大劇場主義「文芸講座 第十号」文芸春秋社

   1925(大正14)年37日発行

   近代演劇運動の諸相(二)──本質主義と近代主義「文芸講座 第十一号」文芸春秋社

   1925(大正14)年318日発行

   結論──明日の演劇「文芸講座 第十二号」文芸春秋社

   1925(大正14)年43日発行

入力:tatsuki

校正:門田裕志

2009年95日作成

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