映画と音楽
伊丹万作


 映画における音楽の位置をうんぬんするとき、だれしも口をそろえて重大だという。

 なぜ重大なのか。どういうふうに重大なのか。だれもそれについて私に説明してくれた人はない。重大であるか否かはさておき、さらに一歩さかのぼつて音楽は映画にとつて必要であるか否かということさえまだ研究されてはいないのである。

 音楽ははたして原則的に映画に必要なものであるだろうか。

 だれかそれについて考えた人があつたか。私の見聞の範囲ではそういうばからしいことを考える人はだれもなかつたようである。

 ただもう、みなが寄つてたかつて「映画と音楽とは不可分なものだ。」と決めてしまつたのである。原則的に映画が写り出すと同時に天の一角から音楽が聞えはじめなければならぬことにしてしまつたのである。

 何ごとによらず、すべてこういうふうに信心深い人たちであるから、いまさら私が「音楽は必要か」などという愚問を提出したら、それはもうわらわれるに決つたようなものだ。

 ことに音楽家連中は待つてましたとばかり、「これだから日本の監督はだめだ。てんで音楽に対する理解力も素養もないのだから、これでいい映画のできるわけがない」と、こうくるに決つたものだ。

 ここでちよつと余談にわたることを許してもらいたいが、映画において重大なのは何も音楽一つに限つたわけのものではないのだ。音楽家ないしはそのジレッタント諸君が映画をごらんになる場合、ほかのことは何も見ないでもつぱら音楽のあらさがしだけに興味を持たれることは自由であるが、そのあとで、なぜこの監督はその半生を音楽の研究に費さなかつたか、などとむりな駄目を出されることははなはだ迷惑である。

 我々がその半生を音楽の教養に費していたら、いまごろはへたな楽士くらいにはなつていたかもしれぬが、決して一人まえの監督はできあがつていないはずである。

 我々がもしも映画の綜合するあらゆる部門にわたつて準専門家なみの研鑚を積まなければならぬとしたら、少なく見積つても修業期間に二百年位はかかるのである。

 要するに監督という職業は専門的に完成された各部署を動かしながら映画をこしらえて行くだけの仕事である。

 自分で一々オーケストラの前へ飛び出して行つたり、楽士に注文をつけたりする必要はない。気にいらぬ楽隊ならさつそく帰つてもらつて他の楽隊と取りかえればいいのであるが、日本ではなかなかそういうわけには行かないから、せめて音楽のアフレコのときには耳に脱脂綿でも詰めていねむりをしているのが、最も良心的とでもいうのであろう。

 へたな楽隊を一日のうちにじようずにすることは神さまだつてできることではない。まして一介の監督風情が、頭から湯気を立ててアフレコ・ルームを走りまわつてみたところで何の足しにもなりはしない。

 いくらクライスラーでも一日数時間ずつ、何十年の練習が積みかさならなければあの音は出ない仕組みになつているのだから話は簡単である。一般の観察によると映画は音楽がはいつていよいよ効果的になるものとされているらしいが、我々の経験によると、現在の日本では音楽がくわわつて効果をます場合が四割、効果を減殺される場合が六割くらいに見ておいて大過がない。だから音楽を吹きこむ前に試写してみて十分観賞に堪え得る写真を作つておかないと大変なことになる。

 ここは音楽がはいるから、もつと見られるようになるだろうという考え方は制作態度としてもイージイ・ゴーイングだし、実際問題としても必ず誤算が生じる。

 さて、こういうおもしろくない結果が何によつて生じてくるかということを考えてみると、それには種々な原因がある。が、何といつてもまず第一は音楽家の理解力の不足、といつてわるければ、理解力に富む音楽家が不足なのか、あるいは不幸にして理解力に富む音楽家がまだ映画に手を出さないかのいずれかであろう。

 第二に音楽家の誠意の不足である。

 これもそういつてわるければ誠意ある音楽家がまだ映画に手をふれないか、あるいは誠意ある人があまり音楽家にならなかつたかのいずれかであろう。

 第三に準備時間の不足である。

 第四に演奏技術の貧困である。これもそういつてわるければ技術の貧困ならざる楽団は高価で雇いにくいからといいかえておく。

 第五に録音時間の極端な制限。もちろんこれは経済的な理由にのみよるものであるが、多くの場合音楽の吹込みは徹夜のぶつとおしで二昼夜くらいであげてしまう。

 さてここで最も問題になるのは何といつても第一の理解力の不足という点であるが、まず一般的なことからふれて行くと、音楽家は多くの場合、我々の期待よりも過度に叙情的なメロディーを持つてくる傾向がある。

 自分の場合を例にとつていうと、作者はつとめて叙情的に流れることを抑制しながら仕事をしている場合が多いのであるが、これに音楽を持ち込むと多くの場合叙情的になつて作者の色彩を薄らげてしまう。

 しかしこれは深く考えてみると必ずしも音楽家の罪ばかりではなく、また実に音楽そのものの罪でもあるのだ。なぜならば、私の考えでは音楽は他の芸術とくらべると本質的に叙情的な分子が多いからである。

 私の経験によると、映画のある部分が内容的にシリアスになればなるほど音楽を排斥するということがいえそうに思える。しかしてそれは音楽の質のいかんには毫も関係を持たないことなのである。そしてこのことは映画の芸術がある意味でリアリスティックであり、音楽があくまでも象徴的であるところからもきていると思うがこれらの問題はあまりに大きすぎるから今は預つておいて、ふたたび実際的な問題にたちかえることにする。

 我々が或る場面の音楽の吹込みに立会つていて、まず最初にその場面の音楽の練習を耳にしたとき(多くの場合、我々は吹込みの現場で始めてその曲を聞かされるのである。)「おや、これはいつたいどこへ入れる曲なんだろう」という疑を持つことは実にしばしばである。そしてよくきいてみるとその曲を今のこの場面に入れるつもりだというので「じようだんじやないよ。てんで画面と合つても何もいやしないじやないか」と呆然としてしまうことは十の曲目のうち六つくらいまではある。

 私はあえて多くを望まないが、せめてかかる場合を十のうち二つくらいにまで減らしてもらえないものだろうかと思う。

 画面に対する解釈の相違ということもあるだろう。あるいはまた音楽というものの性質上、選曲がぴつたりと合致することは望み得ないのが当然かもしれない。しかし、どう考えたらこういう曲が持つてこられるのかと不思議に堪えないような現象に遭遇するのはいつたいどういうわけだろうか。解釈がどうのという小むずかしい問題ではない。画面には必ず運動がある。運動には速度がある。早い運動の画面に遅い速度の曲を持つてきて平然としているのでは、もうこれは音楽家としての素質にまで疑問を持たれてもしかたがないではないか。

 暗い場面に明るい音楽を持つてきたり、のどかな場面に血わき肉おどるような音楽を持つてこられたんではどうにもしようがないではないか。私は諷刺的に話をしているのではない。私の話はまつたくのリアリズムである。画面に桜が出ているからただ機械的に「桜の幻想曲」か何かを持つて行けというのではとうてい画面との交歓は望み得ない。音楽の標題がどういうものか、それは音楽家自身にはよくわかつているはずである。我々は何も音楽家の力を借りて判じものをやろうとしているのではない。感覚的に画面とぴつたり合致さえすれば桜の場面に紅葉の曲を持つてこようと、あるいはなめくじの曲を持つてこようといささかもかまうところはないのである。

 私が何よりも音楽家に望むのはまず画面を感覚的に理解してもらうことである。そしてその第一歩としては、何よりも画面の速度を正確にキャッチすることにつとめてもらいたい。メロディーやハーモニーは二のつぎでよろしい。速度のまちがいのないものさえぴたりとおけば、もうそれだけで選曲は五十点である。画面は全速力で自動車が走つているのに音楽は我不関焉とアンダンテか何かを歌われたんではきのどくに見物の頭は分裂してしまうほかはない。しかもこれはおとぎばなしでなく、実例をあげようと思えばいつでもあげられる「実話」なのである。

 次に映画音楽の特殊な要求として、非常な短時間(といつても十秒以下ではむりであろうが)のうちに一つの色なり気分なりを象徴し得る音楽を欲することがある。むろんそれは、ある曲のある楽章のある小節をちぎつてきたものでもいいし、あるいは五線紙に一、二行、だれかが即興的におたまじやくしを並べたのでも何でもいい。ただし、多くの場合、それは短いが短いなりに一区切りついたものでありたく、必然的に次の音符を予想せしめるようなのはこまるが、要するにたいしてむずかしいものではない。

 しかし、私の経験によるとこれが自由自在にできる人は現在やつている人たちの中にはいないようである。

「こんな短い間へ入れる音楽はありませんよ」というのがその人たちの答である。

「なければこしらえてください」といいたいのはやまやまであるが、いつてむだなことはいわざるにしかず、

「ではなしで行きましよう」

 結局日本の映画監督はますます音痴ということになるのである。

 映画音楽家の場合、最も必要な才能は必ずしも作曲の手腕ではない。まず、何より鋭敏な感覚と巧妙なるアレンジメントの才能こそ最も重宝なものであろう。そしてきわめて制限された長さの中へ最も効果的なメロディーをもりこむ機智と融通性がなくてはとうていこの仕事はやつて行けないだろう。

 私は不幸にしてまだそういうことのできる人にめぐりあわないのである。

底本:「新装版 伊丹万作全集2」筑摩書房

   1961(昭和36)年820日初版発行

   1982(昭和57)年625日3版発行

入力:鈴木厚司

校正:土屋隆

2007年725日作成

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