帝展を見ざるの記
寺田寅彦



 夏休みが終って残暑の幾日かが続いた後、一日二日強い雨でも降って、そしてからりと晴れたような朝、清冽せいれつな空気が鼻腔びこうから頭へ滲み入ると同時に「秋」の心像が一度に意識の地平線上に湧き上がる。その地平線の一方には上野たけだいのあの見窄みすぼらしい展覧会場もぼんやり浮き上がっているのに気が付く。それが食堂でY博士の顔を見ると同時に非常にはっきりしたものになってすぐ眼の前にせり出して来るのである。いよいよ招待日が来るとY博士の家族と同格になって観覧に出かける。これが近年の年中行事の一つになっていた。

 ところが今年は病気をして外出が出来なくなった。二科会や院展も噂を聞くばかりで満足しなければならなかった。帝展の開会が間近くなっても病気は一向に捗々はかばかしくない。それで今年はとうとう竹の台の秋には御無沙汰をすることにあきらめていた。そこへ『中央美術』の山路氏が訪ねて来られて帝展の批評を書いてみないかという御勧めがあった。御断りをした積りでいるうちに何時の間にかつかまってしまって、とうとうこの「見ざるの記」を書く事になった。

 見ないものの批評が出来ようはずはない。と始めには考えたが、しばらくするとこの考えは少し変って来た。去年の秋一度逢ったきりで逢わない友達の批評をしたり、三年前に見た西洋を論じたりする人はいくらでもある。しかし誰もその不合理をとがめる人はない。帝展も一つの有機体であって生きているものである以上は去年と同じであるはずはない。「生きるとは変化する事である」という言葉が本当なら、今年は今年の帝展というものがなければならない。しかしこの有機体の細胞であり神経であるところの審査員や出品者が全部入り代らない限りは、変化とは云うものの、むしろ同じもののフェースの変化であって、よもや本質の変化ではあるまい。それで今私が頭の中にっている「帝展の心像」を取り出して、それについて何か書き並べるという事がそれほど不都合な事でもないと思った。

 去年文展が帝展に変った時には大分色々の批評があった。ある人は面目を一新したと云って多大の希望をかけたようであり、またある人は別段の変りもないと云って落着いていた。前者は相に注目したのであり、後者は本質の事を云ったのであろう。今年も多少の相の変化はあるに相違ない。ある意味では変化し過ぎて困るかもしれない。何らの必然性のない万花鏡カレードスコープのような変化は結局本質の空虚を意味する事にもなるのだが、まさか帝展はそうでもあるまい。

 帝展というものに対する私の心像を眺める時に先ず眼につくのはあの竹の台の桜の紅葉で、その次には会場の前に並んだ美々しい自動車の群である。これがあの貧弱な会場の建築と対照して、そしてその中に陳列された美しいものに対するある予感を吹き込む。アリストクラシーないしブールジョアジーと芸術とのある関係を想わせる。この自動車と相対して、おそらく我が日本だけに特有な下足預り所なるものがある。「ステッキはコチラデスヨー」などという極めてプロレタリアンな声が、労働階級の細君ででもあるらしい下足番の口から響いて来る。それからあのいつもの漆喰細工しっくいざいくの大玄関をはいってそこにフロックコートに襟章でも付けた文部省の人々の顔に逢着するとまた一種の官庁気分といったようなものも呼び出される。尤もこんな事は美術とは何の関係もない事ではあるが、それでも感受性の鋭いタイプの観覧者に取っては、彼等が場内にはいって後に作品から受取る表象の同化異化作用に何らかの影響を及ぼさないものだろうか。こんな事を考えているとバーリントンハウスの玄関や、シャンセリゼーやクーアフュルステンダムなどの幻が聯想の糸に引かれて次ぎ次ぎに浮かんで来る。

 私の想像は無論群集に押されて第一室へ流れ込む。先ず何かしら大きな屏風びょうぶの面に散布した色彩が期待に緊張した視線につかる。近くで見てはどうも全体の統一した感じが得られないと思って引下がって見ようとすると、その絵の前に立ちはだかった人々の群が邪魔になったりする。多くの場合にこの室の屏風からは何物をも受取る事が出来ないので、今度はその隣りにある洋画臭い風景画に移って行くと、その新しい描き方に少時足を止めさせられたりする。しかしそれと同じような絵で、もっと好いのを前にどこか他所よそで見たような気がし出して来ると、私の眼は自然にその隣りの小型の美人画や花鳥画に移って行ったりする。

 二室三室と移って行くうちに、始めの緊張した心持は孔のあいた風船玉のようにしぼみ縮んで行く。そうして時々ちょっとしたスキルラやカリブディスに遭遇しても大抵たいていは無事に通過してしまう。最後に私の頭に残った日本画部全体の印象は、干からびた灰色の、無秩序な些細ささいな抑揚の交錯であある。

 批評でも書いてみようという成心を持っていない、通り一遍の観覧者の多数は、おそらくこういう感じを抱いて洋画の方へ移って行くに相違ない。新聞雑誌に現われる短評などにも随分こういう心持をそのままに云い表わしたのが多いように見える。それで多くの人の口からは「今年のもつまらない」という概括的な歎息がもらされる。出品者に取っておそらくこれほど残念な張合いのない事はあるまいと思う。こういう批評は恐ろしく無責任な冷酷なものとして神経過敏な出品者の不快な反感を買うかもしれない。しかしこの種の批評は必ずしも無責任とは云えない、ただ当然な事実の正直な告白に過ぎない。赤と緑の光を混じたものを見て灰色だというのはどうにもならない科学的の事実である。しかし全体の合成的レザルタント効果が灰色であるという事は、それを分光器で分析した時に色彩の現れないという事にはならないと同様に、日本画部に傑作がないという事はうっかり云われない。

 かなりな作品があるのに観覧者の印象が空虚だとすれば罪は展覧会という無理な制度にあるのだろう。こういう意味で個人作品展覧会というものの有難味が今更のように深く味わわれる。

 分光器にかけて分析した帝展の日本画が果してみんなそれぞれに充分飽和サチュレートした特色を含んでいるだろうか。それともいくら分析してもどこまでも不飽和な寝惚ねぼけた鼠色に過ぎないだろうか。この疑問に答える前には先ず分光器それ自身の検査が必要になる。

 批評の態度には色々ある。批評家自身の芸術観から編み上げた至美至高の理想を詳細につ熱烈に叙述した後に、結論としてただ一言「それ故にこれらの眼前の作品は一つも物になっていない」と断定するのもある。そういうのも面白いが、あまり抽象的で従って何時の世のどの展覧会にでも通用する批評である。先ず普通は眼前の作品を与えられた具体的の被与件データとして肯定してから相対的の批評で市が栄えるとしたものであろう。

 芸術の技巧に関する伝統が尊重された時代には、芸術の批評権といったようなものは主に芸術家自身か、さもなくば博学な美術考証家の手に保存されて、吾々素人は何か云いたくなる腹の虫を叱り付けていなければならなかった。ところが何時の間にか伝統の縄張りが朽ちて跡方もなくなって、普通選挙の広い野原が解放されてしまった。これはいい事だか悪い事だか見当が付かないが、ともかくもどうする事も出来ない事実である。

 そうなると、批評というものの意味はもう昔とは大分違ったものになってしまう。民衆批評家は作品の客観的価値よりはむしろ自分の眼の批評をするのであり自分の要求を自白する、だから、自分さえ構わなければ何を云っても構わないと同時に、被批評者は何を云われても別に自分の信条に衝動を感じる必要はないかもしれない。

 そういう民衆批評家の一人として何か云う前に自分の芸術観を内省してみた。

 その内省の結果をここに告白しようとは思わないが、ただこれだけ云っておきたいと思う事がある。

 絵画がる有限の距離に有限な「完成」の目標を認めて進んでいた時代はもう過ぎ去ったと私は思う。今の絵画の標的は無限の距離に退いてしまった。無限に対しては一里も千里も価値は大して変らない。このような時代に当って「完成の度」に代って作品の価値を定めるものは何であろう。それはたとえて云わば、無限に向かって進んで行く光の「強度インテンシチー」のようなものではあるまいか。無限の空間に運動している物の「運動量モーメンタム」のようなものではあるまいか。

 こういう立場から見た時にセザンヌやゴーホの価値が私には始めて明らかになると同時に、支那や日本の古来の名画までも今までとちがった光の下に新しく生きて来るような気がする。

 こういう眼で見た帝展の日本画はどうであろう。美術院の絵画はどうであろう。完成を標準として見た時にあらの少ない絵はやはり大家の作に多いが、「強度」の大きい絵が却って割合に無名の若い作者のに多いという事はおそらく大多数の人の認めるところであろう。前者の例は差控える事にして、後者の例を試みに昨年の帝展から取ってみると、例えば「雪」という題で、二曲屏風一双に、枯枝に積った雪とその陰から覗く血のような椿とを描いたのがあった。描き方としては随分重苦しく厚ぼったいものである。軽妙な仕上げを生命とする一派の人の眼で見ればあるいは頭痛を催す種類のものかもしれない。それだけに作家の当該の自然に対する感じあるいはその自然の中に認めた生命が強い強度で表わされていると思った。それからまた「清水きよみず」と「高瀬川たかせがわ」という題で、絵馬か覗きからくりの絵からでも進化したような絵があったが、あれにもやはり無限に近づこうとする努力の第一歩がないとは云われなかった。それからゴーホを煮しめたとでも云ったしょうな「深草ふかくさ」や、田舎芝居の書割かきわりを思い出させる「一力いちりき」や、これらの絵からあらを捜せばいくらもあるだろうし、いたずらに皮相の奇を求めるとけなす人はあるだろうが、しかし何と云ってもどこか吾人の胸の奥に隠れたある物、ある根強い要求に共鳴をさせるところがありはしまいか。感覚的な外観の底にかくれた不可達の生命をつかもうとする熱望衝動インパルスが同じ方向に動こうとする吾々の心にもいくぶんかの運動量を附与しないだろうか。無論私は作家自身の心のアスピレーションと作品の上に現れたそれとを混同していない積りである。努力だけを買うという意味ではないのである。

「樹を描くにしても、画家自身がある度までその樹にならなくてはいけない。」こんな事をエマーソンに云った画家があった。この条件に及第する樹の画があるかと思ってみても「雪」の枯枝などがやはり先ず心に浮かぶ。

 見ている自分が「その絵の中に這入はいって行ける」ような絵はあるまいか。こう思った時に私は「上井草かみいぐさ附近」という絵を想い出した。これに反して大変評判のよかったある二、三の風景画などには、あまりにあらわな眩目的げんもくてきな見せつけ場所や、眼を突くような技巧の鉄条網が邪魔になって私にはどうしても絵の中へ踏み込めなかった。これから思うと例えば大雅堂たいがどう高陽こうようなどの粗雑なような画が見る人を包み込む魔力を今更のように驚かないではいられない。

 それにしても私にはどうして世間から承認された大家の作品の多くのものに共鳴が出来ないだろう。そういう絵の多くは実によく「完成」されている。そして題材の採り方もさすがに気が利いている。しかし大概の場合にしばらく見詰めているときっと何かしら一つの「見付けどころ」が見つかる。そしてなるほどと感心すると同時にあらゆる美しい夢は消えてしまう。何だか批評者がそれを見付けて、そして簡単な誰にも分る概念的な言葉で讃美するに恰好なような趣向や設計がありあり眼につく。それを見付けた時には丁度絵捜しをさがしあてたような理知的の満足は得られても、それから後は却ってその点ばかりが眼について仕方がない。これが暗礁になって私の美しい幻の船は難破してしまう。

 私は作家が自覚してこのような絵をこしらえるとは思わない。しかし私の望むところは、そういう安直な見どころをむしろ故意になくするようにつとめるくらいにしてもらいたいと思うのである。元来簡単な「言葉」で云い表わす事の出来ないある物を表わすための「美術」ではあるまいか。賞めたくて堪らないが賞め場所の見付からない絵は出来得ないものだろうか。

 反対にけなしたくてもどこと云ってけなす点の見付からないほどつまらないと思う絵もないではない。例えば毎年必ず二つ三つはある、同じ樹の葉を百枚もかいたのや、同じ顔の人物を十人も並べたというだけのものである。そういう絵に限って大概価値と反比例に大きな壁面を占有していると思う事もあった。そういう絵はむしろ小形の下絵を陳列した方がいいかもしれない。私はある種の装飾的の絵は実際そうした方が審査員にも作家にもまた観賞者にも双方便宜ではないかと考えている。

 このような色々の考えを人に話した時に、私は何でも新しいもの変ったものでさえあればいいとするもののように思われる事が多い。しかし事実はむしろ反対かもしれない。その証拠にはならないまでも、私はいわゆる新しい大和絵や歴史画を見ると、せっかく頭の中にもっている「過去」の幻影を無残に破壊される場合が多い。宗教や伝説や偉人やその他一般に過去を題材とした新しい画から「新しい昔の幻像」を吹き込まれた例を捜してみたが容易に思い出せない。帝展以外の方面もひっくるめてやっと思い出しのが龍子りゅうしの「二荒山ふたらさんの絵巻」、誰かの「竹取物語」、百穂ひゃくすいの二、三の作、麦僊ばくせんの「湯女ゆな」などがある。それから少し方面はちがうがあまり評判のよくなかった芋銭うせんの「石人せきじん」などからも何事かを教えられた。まだ外にも数えてみれば存外あるかもしれない。しかし例えば神代や仏教を題材にとったのや武将や詩人を題にしたので失望しなかった例は思い出せない。今の人間には崇高や壮大と名づけられる種類の美は何らかの障礙しょうがいのために拒まれているのだろうか。


 日本画部から受けた灰色の合成的印象をもって洋画部へはいって行くと、冬枯れの野から温室の熱帯樹林へはいって行くような気持がするのは私ばかりではあるまい。製作のミリウ〔milieu 環境〕がちがうとは云え、培養された風土民俗が違うとは云ってもあまりに著しい相違である。同じような原始的芸術から進化する途中に偶然分れた二つ道が幾千年の後に再びここに相会してお互いに驚き合っているような気もする。ソマトーゼを服用した人としなかった人が十年振りで逢ったようなところもあると、誰かが云った。

 このような差違の生じた原因の進化論的考究や、両者の美学的価値の比較をここで並べようとは思わない。そういうむつかしい問題は別として、現在日本の画界におけるふたつの分派の作品を対照した時に感ずるあるデリケートな差別の裏面には、両派の画家の本来の素質のみならず、画家の日常生活における精神的栄養の摂取し方の差違が隠れているのではないかと疑われる。無論個人個人についてではなくただ平均アヴェレージの上でそうでないかと思われるだけである。しかしこれはただそう思われるだけの事である。

 帝展の洋画については私はあまり取りたてて云うほどの変った考えを持ち合せない。それだけ私は全体として一種の軽い満足を感じているのかもしれない。大概の絵からはある程度の真面目さがうかがわれ、ある程度の同情が誘発される。日本画部では好きなのが除外例エキセプションであるのに反して洋画部では悪い方のが特に眼につく。これは私固有の趣味から生じる差別かもしれないがどうする事も出来ない。

 ただ不思議に思われるのは、今でもあの単に道徳上の功利的価値だけを目標とした歴史画や、最もバナールな〔banal 陳腐な〕題材を最もバナールな技巧で表現したというだけの無遠慮に大きな田園風俗画などや、一昔前の臨画帖りんがちょうから取り出したような水彩画などが保存されている事である。

 そうかと云って一概に私は嚙んだら歯の欠けそうな林檎りんごや、切ったら血のかわりに粘土の出そうな裸体や、夕闇に化けて出そうな樹木や、こういったもの自身に対して特別な共鳴を感ずる訳ではない。しかし、もう少しどうにかならないものかと思う時に私の心は自然に作家の胸に接近して行く。そして行手の闇の中にまたたく希望の灯影ほかげといったようなものを作家とともに認めてささやき合うような気がする。

 明るく鮮やかであった白馬会時代を回想してみると、近年の洋画界の一面に妙に陰惨などす黒いしかもその中に一種の美しさをもったものの影が拡がって来るのを覚えるのは私ばかりではあるまい。古いドイツやスペインあたりを思わせるような空気が、最も新しい西欧芸術の香と混合してそこに一種のグロテスクに近いものが生れている。同じ事はある派の日本画についても云われる。

 ロシアのバレー作家のマッシンがある人の問に答えて、「見玉え。今の世界の大立者おおだてものと云えばみんなグロテスクではないか。例えばカイゼルでもチャップリンでも……」と云ったそうである。それはとにかく、グロテスク美術が自然や文明の脅威から生れるものとすれば、あらゆる意味で不安な現代日本で産み出される絵画がこういう傾向をとる事は怪しむに足らないかもしれない。今の人間が鉄と電気の文明から受ける脅威は、未開時代の蛮民が自然から受けたものに比べて「量」においても優るとも劣らぬばかりでなく「質」においても更に怖ろしいものではあるまいか。

 こういう芸術上のグロテスクな傾向が、循環的に吾々の倫理思想や人生観に与える反応はどんなものであろうか。これもその方面の人々の深く考えてみるべき問題の一つではあるまいか。


 彫刻部に関する私の心像は空虚である。ただ意味のありそうな表題と作物との関係を考えさせられるだけである。これは多分私が彫刻を全然理解しないためであろう。私には古いギリシアか仏像以外のものは分らない。ロダンでさえ分らないくらいである。それで帝展の彫刻から受取るものの総和はむしろやはり一種の怪奇の感だけである。

 ここまで書いた時に私はふとあの有名な西郷の銅像や広瀬中佐の群像を想い出した。それと同時に、いつかスイスで某将軍の銅像を真赤に塗りつぶして捕えられ罰金を課せられた英国の学生の話を想い出した。……しかしこれは帝展とは何の関係もない事である。

 これで筆をこうと思ってふと縁先の硝子障子ガラスしょうじから外を見ると、少しもう色付きかかった紅葉の枝に雀が一羽止ってしきりに羽根を繕っている。ひる過ぎの秋の日を一杯に浴びて気持のよさそうに羽根をふるわせたり、可愛らしい頭をかしげてみたりしている。紅葉の葉にはスペクトラムのあらゆる光彩が躍っている。しばらくじっと見ていたが、やっぱり天然の芸術は美しいと思った。この雀や紅葉の中へなら何時でも私の「私」を投げ込む事が出来る。

「お前にはそれくらいものが丁度いいだろう」と云われればそれまでである。私はそれくらいの絵をいまだ発見しない。

(大正九年十一月『中央美術』)

底本:「寺田寅彦全集 第八巻」岩波書店

   1997(平成9)年77日発行

底本の親本:「寺田寅彦全集 文学篇」岩波書店

   1985(昭和60)年

初出:「中央美術」

   1920(大正9)年111

※初出時の署名は「有平糖」です。

入力:Nana ohbe

校正:松永正敏

2006年713日作成

青空文庫作成ファイル:

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