烏瓜の花と蛾
寺田寅彦



 今年は庭の烏瓜からすうりがずいぶん勢いよく繁殖した。中庭の目垣めがき薔薇ばらにからみ、それから更につるを延ばして手近なさんごの樹を侵略し、いつの間にかとうとう樹冠の全部を占領した。それでも飽き足らずに今度は垣の反対側の楓樹かえでのきまでも触手をのばしてわたりを付けた。そうしてその蔓の端は茂った楓の大小の枝の間から糸のように長く垂れさがって、もう少しでその下の紅蜀葵こうしょっきの頭に届きそうである。この驚くべき征服慾は直径わずかに二、三ミリメートルくらいの細い茎を通じてどこまでもと空中に流れ出すのである。

 毎日おびただしい花が咲いては落ちる。この花は昼間はみんなつぼんでいる。それが小さな、可愛らしい、夏夜の妖精フェアリーにぎこぶしとでも云った恰好をしている。夕方太陽が没してもまだ空のあかりが強い間はこの拳は堅くしっかりと握りしめられているが、ちょっと眼を放していてやや薄暗くなりかけた頃に見ると、もうすべての花は一遍に開き切っているのである。スウィッチを入れると数十の電燈が一度にともると同じように、この植物のどこかに不思議なスウィッチがあって、それが光の加減で自働的に作用して一度に花を開かせるのではないかと思われるようである。ある日の暮方くれがた、時計を手にして花の咲くのを待っていた。縁側で新聞が読めるか読めないかというくらいの明るさの時刻が開花時で、開き始めから開き終りまでの時間の長さは五分と十分の間にある。つまり、十分前には一つも開いていなかったのが十分後にはことごとく満開しているのである。実に驚くべき現象である。

 烏瓜の花は「花の骸骨がいこつ」とでも云った感じのするものである。遠くから見ると吉野紙よしのがみのようでもありまた一抹の煙のようでもある。手に取って見ると、白く柔らかく、少しの粘りと臭気のある繊維が、五葉の星形の弁の縁辺から放射し分岐して細かい網のように拡がっている。莟んでいるのを無理に指先でほごして開かせようとしても、この白い繊維は縮れ毛のように捲き縮んでいてなかなか思うようには延ばされない。いて延ばそうとすると千切ちぎれがちである。それが、空の光の照明度がある限界値に達すると、多分細胞組織内の水圧の高くなるためであろう、螺旋らせん状の縮みが伸びて、するすると一度にほごれ拡がるものと見える。それで烏瓜の花は、云わば一種の光度計フォトメーターのようなものである。人間が光度計を発明するよりもおそらく何万年前からこんなものが天然にあったのである。

 烏瓜の花が大方開き切ってしまう頃になると、どこからともなく、ほとんど一斉に沢山のが飛んで来てこの花をせせって歩く。無線電話で召集でもされたかと思うように一時にあちらからもこちらからも飛んで来るのである。これもおそらく蛾が一種の光度計を所有しているためであろうが、それにしても何町何番地のどの家のどの部分に烏瓜の花が咲いているということを、前からちゃんと承知しており、またそこまでの通路をあらかじめすっかり研究しておいたかのように真一文字に飛んで来るのである。

 初めて私の住居を尋ねて来る人は、たとえ真昼間でも、交番やら店屋などを聞き聞き何度もまごついて後にやっと尋ねあてるくらいなものである。

 この蛾は、戸外がすっかり暗くなって後は座敷の電燈を狙いに来る。大きな烏瓜か夕顔の花とでも思うのかもしれない。たまたま来客でもあって応接していると、肝心な話の途中でもなんでも一向会釈えしゃくなしにいきなり飛込んで来て直ちにわしく旋回運動を始めるのであるが、時には失礼にも来客の頭に顔に衝突し、そうしてせっかく接待のために出してある茶や菓子の上にはくの雪を降らせる。主客総立ちになって奇妙な手付をして手に手に団扇うちわを振廻わしてみてもなかなかこれが打落されない。テニスの上手な来客でもこの羽根の生えたボールでは少し見当が違うらしい。婦人の中には特にこの蛾をいやがりこわがる人が多いようである。今から三十五年の昔のことであるが或る田舎の退役軍人の家で大事の一人息子に才色兼備の嫁を貰った。ところが、その家の庭に咲き誇った夕顔をせせりに来る蛾の群が時々この芳紀二八にはちの花嫁をからかいに来る、そのたびに花嫁がたまぎるような悲鳴を上げてこわがるので、息子思いの父親はその次の年から断然夕顔の裁培を中止したという実例があるくらいである。この花嫁は実際夕顔の花のような感じのする女であったが、それからわずか数年の後亡くなった。この花嫁の花婿であったところの老学者の記憶には夕顔の花と蛾とにまつわる美しくも悲しい夢幻の世界が残っている。そう云って彼は私にささやくのである。私には彼女がむしろ烏瓜の花のように果敢はかない存在であったように思われるのである。

 大きな蛾の複眼に或る適当な角度で光を当てて見ると気味の悪いように赤い、燐光りんこうに類した光を発するのがある。何となく物凄い感じのするものである。昔西洋の雑誌小説で蛾のお化けの出るのを読んだことがあるが、この眼玉の光には実際多少の妖怪味と云ったようなものを帯びている。つまり、何となく非現実的な色と光があるのである。これは多分複眼の多数のレンズの作用で丁度ひかごけの場合と同じような反射をするせいと思われる。

 蛾の襲撃で困った時にはうちの猫を連れて来ると、すぐに始末が着く。二匹居るうちの黄色い方の痩せっぽちの男猫が、他には何の能もない代りに蛾をつかまえることだけに妙を得ている。飛上がったと思うと、もう一遍にはたき落す。それから散々さんざん玩具にした揚句あげくに、空腹だとむしゃむしゃと喰ってしまうのである。猫の神経の働きの速さと狙いの正確さには吾々人間は到底かなわない。猫が見たら人間のテニスやベースボールは定めて間だるっこくて滑稽なものだろうという気がするのである。それで、仮りに猫の十分の一秒が人間の一秒に相当すると、猫の寿命が八年ならば人間にとっては八十年に相当する勘定になる。どちらが長生きだかちょっと判らない。

 これは書物で読んだことだが、樫鳥かしどり山鳩やまばと山鴫やましぎのような鳥類が目にも止まらぬような急速度で錯雑した樹枝の間を縫うて飛んで行くのに、決して一枚の木の葉にも翼を触れるような事はない。これは鳥の眼の調節の速さと、その視覚に応じて反射的に行われる羽翼の筋肉の機制の敏活を物語るものである。もし吾々人間にこの半分の能力があれば、銀座の四つ角で自動車電車の行き違う間を、巡査やシグナルの助けを借りずとも自由自在に通過することが出来るにちがいない。しかし人間にはシグナルがあり法律があり道徳があるために鳥獣の敏活さがなくても安心して生きて行かれる。そのために吾々はだんだんに鈍になり気永くなってしまったのであろう。

 しかし鳥獣をうらやんだ原始人の三つ子の心はいつまでも生き延びて現代の文明人の社会にも活動している。蛾をはたき落す猫を羨み讃歎する心がベースボールのホームランヒットに喝采を送る。一片のを争う池の鯉の跳躍への憧憬がラグビー戦の観客を吸い寄せる原動力となるであろう。オリンピック競技では馬や羚羊かもしかや魚の妙技に肉薄しようという世界中の人間の努力の成果が展開されているのであろう。

 機械的文明の発達は人間のこうした慾望の焔にガソリン油を注いだ。そのガソリンは、モーターに超高速度を与えて、自動車を走らせ、飛行機を飛ばせる。太平の夢はこれらのエンジンの騒音に攪乱かくらんされてしまったのである。

 交通規則や国際間の盟約が履行されている間はまだまだ安心であろうが、そういうものが頼みにならない日がいつ何時来るかもしれない。その日が来るとこれらの機械的鳥獣の自由な活動が始まるであろう。

「太平洋爆撃隊」という映画が大変な人気を呼んだ。映画というものは、なんでも、吾々がしたくてたまらないが実際はなかなか容易に出来ないと思うような事をやって見せれば大衆の喝采を博するのだそうである。なるほどこの映画にもそういうところがある。一番面白いのは、三艘の大飛行船が船首を並べて断雲の間を飛行している、その上空に追い迫った一隊の爆撃機が急速なダイヴィングでつぶてのごとく落下して来て、飛行船の横腹と横腹との間の狭い空間を電光のごとくかすめては滝壷のつばめのごとく舞上がる光景である。それがただ一艘ならばまだしも、数え切れぬほど沢山の飛行機が、あとからもあとからも飛び来り飛び去るのである。この光景の映写の間にこれと相錯綜あいさくそうして、それらの爆撃機自身に固定されたカメラから撮影された四辺の目まぐるしい光景が映出されるのである。この映画によって吾々の祖先が数万年の間羨みつづけに羨んで来た望みが遂げられたのである。吾々は、この映画を見ることによって、吾々自身が森の樹間をかける山鳩や樫鳥になってしまうのである。

 こういう飛行機の操縦をするいわゆる鳥人の神経は訓練によって年とともに次第に発達するであろう。世界の人口の三分の一か五分の一かがことごとくこの鳥人になってしまったとしたら、この世界は一体どうなるであろうか。

 昔の日本人は前後左右に気を配る以外にはわずかにとんび油揚あぶらげさらわれない用心だけしていればよかったが、昭和七年の東京市民は米露の爆撃機に襲われたときに如何なる処置をとるべきかを真剣に講究しなければならないことになってしまった。襲撃者は鳶以上であるのに爆撃される市民は芋虫以下に無抵抗である。

 ある軍人の話によると、重爆撃機には一キロのテルミットを千箇搭載し得るそうである。それで、ただ一台だけが防禦の網をくぐって市の上空をかけ廻ったとする。千箇の焼夷弾しょういだんの中で路面や広場に落ちたり河に落ちたりして無効になるものが仮りに半分だとすると五百箇所に火災が起る。これは勿論水をかけても消されない火である。そこでもし十台飛んで来れば五千箇所の火災が突発するであろう。この火事を呆然として見ていれば全市は数時間で火の海になる事は請合いである。その際もしも全市民が協力して一生懸命に消火にかかったらどうなるか。市民二百万としてその五分の一だけが消火作業に何らかの方法で手を借し得ると仮定すると、四十万人の手で五千箇所の火事を引受けることになる。すなわち一箇所につき八十人あてということになる。さて、何の覚悟もない烏合うごうの衆の八十人ではおそらく一坪の物置の火事でも消す事は出来ないかもしれないが、しかし、もしも十分な知識と訓練を具備した八十人が、完全な統制の下に、それぞれ適当なる部署について、そうしてあらかじめ考究され練習された方式に従って消火に従事することが出来れば、たとえ水道は止まってしまっても破壊消防の方法によって確実に延焼を防ぎ止めることが出来るであろうと思われる。

 これは極めて大ざっぱな目の子勘定ではあるが、それでもおおよその桁数けたすうとしてはむしろ最悪の場合を示すものではないかと思われる。

 焼夷弾投下のために怪我をする人は何万人に一人くらいなものであろう。老若ろうにゃくの外の市民は逃げたり隠れたりしてはいけないのである。空中襲撃の防禦は軍人だけではもう間に合わない。

 もしも東京市民が慌てて遁げ出すか、あるいはあの大正十二年の関東震災の場合と同様に、火事は消防隊が消してくれるものと思って、手をつかねて見物していたとしたら、全市は数時間で完全に灰になることは確実である。昔の徳川時代の江戸町民は永い経験から割り出された賢明周到なる法令によって非常時に処すべき道を明確に指示され、そうしてこれに関する訓練を十分に積んでいたのであるが、西洋文明の輸入以来、市民は次第に赤ん坊同様になってしまったのである。考えると可笑おかしなものである。

 何箇月か何年か、ないしは何十年の後に、一度は敵国の飛行機が夏の夕暮れに烏瓜の花に集まる蛾のように一時に飛んで来る日があるかもしれない。しかしこの大きな蛾をはたき落すにはうちの猫では間に合わない。高射砲など常識で考えても到底頼みになりそうもない品物である。何か空中へ莫大な蜘蛛くもの網のようなものを張ってこの蛾を喰い止める工夫は無いものかと考えてみる。あるいは花火のようなものに真綿の網のようなものを丸めて打ち上げ、それが空中でぱっと烏瓜の花のように開いてふわりと敵機を包みながらプロペラにしっかりとからみ付くというような工夫は出来ないかとも考えてみる。蜘蛛くものあんなに細い弱い糸の網で大きなせみが捕られることから考えると、蚊帳かや一張りほどもない網で一台の飛行機が捕えられそうにも思われるが、実際はどうだか、ちょっと試験してみたいような気がするのである。

 子供の時分に蜻蛉とんぼを捕るのに、細い糸の両端に豌豆えんどう大の小石を結び、それをひょいと空中へ投げ上げると、蜻蛉はその小石を多分えさだと思って追っかけて来る。すると糸がうまい工合に虫のからだに巻き付いて、そうして石の重みで落下して来る。あれも参考になりそうである。つまりピアノ線の両端に重錘おもりをつけたようなものを矢鱈やたらと空中に打ち上げれば襲撃飛行機隊は多少の迷惑を感じそうな気がする。少なくも爆弾よりも安価でしかも却って有効かもしれない。

 戦争のないうちは吾々は文明人であるが、戦争が始まるとたちまちにして吾々は野蛮人になり、獣になり鳥になり魚になり、また昆虫になるのである。機械文明が発達するほど一層そうなるから妙である。それで吾々はこれらの動物を師匠にする必要が起って来るのである。潜航艇のペリスコープは比良目ひらめの眼玉の真似である。海翻車ひとでの歩行は何となくタンクを想い出させる。ガスマスクを付けた人間の顔は穀象こくぞうか何かに似ている。今後の戦争科学者はありとあらゆる動物の習性を研究するのが急務ではないかという気がして来る。

 光の加減で烏瓜の花が一度に開くように、赤外光線でも送ると一度に爆薬が破裂するような仕掛も考えられる。鳳仙花ほうせんかの実が一定時間の後に独りではじける。あれと似たような武器も考えられるのである。しかし真似したくてもこれら植物の機巧はなかなか六かしくてよく分らない。人間の智慧はこんな些細ささいな植物にも及ばないのである。植物が見ても人間ほど愚鈍なものはないと思われるであろう。

 秋になると上野に絵の展覧会が始まる。日本画の部にはいつでも、きまって、色々の植物を主題にした大作が多数に出陳される。ところが描かれている植物の種類が大抵きまり切っていて、誰も描かない植物は決して誰も描かない。例えば烏瓜の花の絵などついぞ見た覚えがない。この間の晩、床に這入ってから、試みに宅の敷地内にある、花の咲く植物の数を数えてみた。二、三十もあるかと思って数えてみたら、実際は九十余種あった。しかし帝展の絵に現われる花の種類は、まだ数えてみないが、おそらくずっと少なそうである。

 数の少ないのはいいとしても、花らしい花の絵の少ないのにも驚歎させられる。多くの画家は花というものの意味がまるで分らないのではないかという失礼千万な疑いが起るくらいである。花というものは植物の枝に偶然に気紛れにくっついている紙片や糸屑のようなものでは決してない。吾々人間の浅墓あさはかな智慧などでは到底いつまでたっても究め尽せないほど不思議な真言しんごん秘密の小宇宙なのである。それが、どうしてこうも情ない、紙細工のようなものにしか描き現わされないであろう。それにしても、ずっと昔私はどこかで僧心越しんえつの描いた墨絵の芙蓉ふようの小軸を見た記憶がある。暁天の白露を帯びたこの花の本当の生きた姿が実に言葉通り紙面に躍動していたのである。

 今年の二科会の洋画展覧会を見ても「天然」を描いた絵はほとんど見付からなかった。昔の絵描きは自然や人間の天然の姿を洞察することにおいて常人の水準以上に卓越することを理想としていたらしく見える。そうして得た洞察の成果を最も卑近な最も分りやすい方法によって表現したように思われる。然るにこの頃の多数の新進画家は、もう天然などは見なくてもよい、か、あるいはむしろ可成的なるべく見ないことにして、あらゆる素人よりも一層皮相的に見た物の姿をかりて、最も浅薄なイデオロギーを、しかも観者にはなるべく分りにくい形に表現することによって、何かしら大したものがそこにありそうに見せようとしている、のではないかと疑われても仕方のないような仕事をしているのである。これは天然の深さと広さを忘れて人間の私を買いかぶり思い上がった浅墓な慢心の現われた結果であろう。今年の二科会では特にひどくそういう気がして私にはとても不愉快であった。尤もその日は特に蒸暑かったのに、ああいう、設計者が通風を忘れてこしらえた美術館であるためにそれが更に一層蒸暑く、その暑いための不愉快さが戸惑いをして壁面の絵の方につかって行ったせいもあるであろう。実際二科院展の開会日に蒸暑くなかったという記憶のないのは不思議である。大正十二年の開会日は朝ひどい驟雨しゅううがあって、それが晴れると蒸暑くなって、竹の台の二科会場で十一時五十八分の地震に出遇ったのであった。そうして宅へ帰ったら瓦が二、三枚落ちて壁土が少しこぼれていたが、庭の葉鶏頭はげいとうはおよそ天下に何事もなかったように真紅しんくの葉を紺碧こんぺきの空の光の下に耀かがやかしていたことであった。しかしその時刻にはもうあの恐ろしい前代未聞ぜんだいみもんの火事の渦巻が下町一帯に拡がりつつあった。そうして生きながら焼かれる人々の叫喚きょうかんの声が念仏や題目の声に和してこの世の地獄を現わしつつある間に、山の手では烏瓜の花が薄暮の垣根に咲き揃っていつもの蛾の群はいつものようにわしく蜜をせせっているのであった。

 地震があれば壊れるような家を建てて住まっていれば地震の時にこわれるのは当り前である。しかもその家が、火事を起し蔓延させるに最適当な燃料で出来ていて、その中に火種を用意してあるのだから、これは初めから地震に因る火災の製造器械を据付けて待っているようなものである。大火が起れば旋風つむじかぜを誘致して焔の海となるべきはずの広場に集まっていれば焼け死ぬのも当然であった。これは事のあった後に思うことであるが、吾々には明日の可能性は勿論、必然性さえも問題にならない。

 動物や植物には百千年の未来の可能性に備える準備が出来ていたのであるが、途中から人間という不都合な物が飛び出して来たために時々違算を生じる。人間が燈火を発明したためにこれに化かされて蛾の生命が脅かされるようになった。人間が脆弱ぜいじゃくな垣根などを作ったために烏瓜の安定も保証されなくなってしまった。図に乗った人間は網や鉄砲やあらゆる機械を工夫しては鳥獣魚虫の種を絶やそうとしている。因果はめぐって人間は人間を殺そうとするのである。

 戦争でなくても、汽車、自動車、飛行機はみんな殺人機械である。

 この頃も毎日のように飛行機が墜落する。不思議なことには外国から遠来の飛行機が霞ヶ浦へ着くという日にはきまって日本のどこかで飛行機が墜落することになっているような気がする。遠来の客へのコンプリメントででもあるかのように。

 蜻蛉とんぼからすが飛行中に機関の故障を起して墜落するという話は聞かない。飛行機は故障を起しやすいように出来ているから、それで故障を起すし、鳥や虫は決して故障の起らぬように出来ているから故障が起らなくても何も不思議はない訳である。むしろ、一番不思議なことは落ちるときに上の方へ落ちないで必ず下に落ちることである。物理学者に聞けば、それは地球の引力によるという。もっと詳しく聞くと、すぐに数式を持ち出して説明する。そんならその引力はどうして起るかと聞くと事柄は一層むつかしくなって結局到底満足な返答は得られない。実は学者にも分らないのである。

 吾々が存在の光栄を有する二十世紀の前半は、事によると、あらゆる時代のうちで人間が一番思い上がって吾々の主人であり父母であるところの天然というものを馬鹿にしているつもりで、本当は最も多く天然に馬鹿にされている時代かもしれないと思われる。科学がほんの少しばかり成長して丁度生意気盛なまいきざかりの年頃になっているものと思われる。天然の玄関をちらと覗いただけで、もうことごとく天然を征服した気持になっているようである。科学者は落着いて自然を見もしないで長たらしい数式を並べ、画家はろくに自然を見もしないでいたずらに汚らしい絵具を塗り、思想家は周囲の人間すらよくも見ないで独りぎめのイデオロギーを展開し、そうして大衆は自分の皮膚の色も見ないでこれに雷同し、そうして横文字のお題目を唱えている。しかしもう一歩科学が進めば事情はおそらく一変するであろう。その時には吾々はもう少し謙遜けんそんな心持で自然と人間を熟視し、そうして本気で真面目に落着いて自然と人間から物を教わる気になるであろう。そうなれば現在の色々なイズムの名によって呼ばれる盲目なるファナチシズムの嵐は収まって本当に科学的なユートピアの真如しんにょの月を眺める宵が来るかもしれない。

 ソロモンの栄華も一輪の百合の花に及ばないという古い言葉が、今の自分には以前とは少しばかりちがった意味に聞き取られるのである。

(昭和七年十月『中央公論』)

底本:「寺田寅彦全集 第七巻」岩波書店

   1997(平成9)年65日発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:Nana ohbe

校正:noriko saito

2004年1213日作成

青空文庫作成ファイル:

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