明治開化 安吾捕物
その十五 赤罠
坂口安吾



 年が改って一月の十三日。松飾りも取払われて、街には正月気分が見られなくなったが、ここ市川の田舎道を着かざった人々の群が三々五々つづいて通る。一見して東京も下町のそれと分る風俗。芸者風の粋な女姿も少からずまじっている。

 深川は木場の旦那の数ある中でも音にきこえた大旦那山キの市川別荘へ葬式に参列する人々であったが、それにしては喪服姿が目につかなくて、女姿は遊山ゆさんのようになまめかしいばかりである。それも道理。お葬式とは云え、死んだフリをして生きかえるという趣向のものだ。

 山キの当主、不破喜兵衛は当年六十一。一月十三日というこの日が誕生日で、還暦祝いを葬式でやろうというのである。

 厄払いの意味もあった。甚だ老後にめぐまれない人で、中年に夫人を失ったのが晩年の孤独のキザシであった。彼自身は生れつき頑健な体質で病気知らずと人の羨む体質だったが、死んだ夫人は病弱だったせいか、生れた三名の子供のうち、兄と姉はすでにこの世になく、一人残った清作も病身であった。骨が細くヒョロ〳〵と青白く育って、見るからに長命の相が欠けているから、

「早く嫁をもたせてタネをとらなくちゃア、山キの後が絶えてしまう。美人薄命というが、オレがキリョウ好みをしたのが思えば失敗のモトであろう。若い頃は分別が至らないから、目先の快楽に盲いて、老後も死後も考えないが、家を保つには丈夫で利口な嫁を選ばなければいけないものだ。その上キリョウが良ければ越したことはないが、それは二の次だ」

 不破喜兵衛はこう考えて、まだ清作が二十という若いときに、今の嫁をもたせた。そのときチヨは十六という若い嫁であった。

 幸いに玉之助、信作という二人の孫は母の健康をうけついで無病息災に育つから、喜兵衛も非常に安堵していた。と、去年の秋の季節に、大事な二人の孫がまちがえて毒茸を食し、一夜にそろって死んでしまった。

 豪放な喜兵衛旦那もさすがに一時は寝食を忘れるほどの悲歎にくれたのである。しかし冷静に考えれば希望がなくなったわけではない。長命の望みなしと二十で嫁をもたせた清作は案外にも長持ちして、すでに三十であるが、まだ何年かは持ちそうだ。現に二人の孫を失うと殆ど同時に、あたかもそれを取りかえすようにチヨは妊娠してくれた。死んだ孫の数を取りかえすのも儚い希望ではなかろう。

 そこで喜兵衛は心機一転、年が改ると共に自分の誕生日がくるから、ちょうど還暦に当るを幸い、厄払い、縁起直しに思いついたのが生きた葬式である。いっぺん死んで、生れ変ろうという彼らしい趣向であった。

 いったん心を持ち直せば一時のメソメソしたところはカゲすらも見せない喜兵衛。発心の起りはどうあろうと、葬式のダンドリが陽気で、荒っぽくて、賑やかで、勇ましいこと。準備は年の暮から、木やり音頭と共に着々すすんでいた。

 お隣りのシナでは病人の枕元の一番よく見えるところへ棺桶を飾って病床をなぐさめ、お前さんはこの立派な棺桶におさまるのだから心おきなく死になさいよ、と安心を与えてやる。さすがに大陸の風習はノンビリしているが、日本でこんなことをやると、オレの死ぬのを待っていやがるか。オノレ恨めしや。棺桶を蹴とばしてユーレイになってしまう。だから死ぬまでは何食わぬ顔、ただ生命を保つ工夫にこれ努める心底をヒレキしてユーレイ防止に全幅の努力を払わなければならない。

 そこで、さア死んだとなると、忙しいな。ここにはじめて、にわかに葬式の準備にかかる。けれども、何様の葬式でも一週間か十日のうちには終らなければならないものであるから、精一パイ準備しても、参会者の頭数やお供え物を差引くと、あとには白木のバラックと賃借りの幕が残るぐらいのものだ。

 喜兵衛の葬式は充分に時間をかけて本場の木やりで気合をかけながら着々と念を入れてやったのだから、棺桶だってシナの上物に負けないのが出来ているが、全般の準備に較べれば、それぐらいは物の数ではない。

 知人のもとに刷り物の死亡通知と葬式の案内状が発送されたが、そこには式の次第がちゃんと書いてある。それによると、喜兵衛が死んで生れかわるまでの順序は次のようになっている。

 まず坊さんの読経があって、禅師が喜兵衛の頭をまるめ法衣をきせてやる。そこで喜兵衛は法体となり生きながら自分で歩いてノコノコと棺桶におさまる。

 そこでトビのコマ五郎輩下の若い者が火消装束に身をそろえ、棺桶を担いで木やり勇ましく庭園内に葬列をねって、ダビ所に安置する。このダビ所はコマ五郎が輩下の大工を指図して年の暮から丹精こめて新築したもの。これに棺桶をおさめて火をかける。パッと火がもえあがったときにダビ所の扉を排して現れ出ずるは赤い頭巾にチャンチャンコ。生れかわった喜兵衛である。

 これより葬式変じて還暦の盛宴となる。メデタシ、メデタシ、というダンドリだった。

 こういう葬式だから、喪服の参列者が目につかないのは当然だが、その人々にまじって、ちょッと風俗の変った二人づれ。洋服のヒゲ紳士は花廼屋はなのや、珍しや紋服姿の虎之介。この二人がなんとなくシサイありげに同じ目的地へ向っているのである。花廼屋は野づらを吹く左右の風を嗅ぎとって、

「フム、近づくにしたがって、次第に匂うなア。神仏混合ハナの屋通人という通り、ハナが利くことではハナの長兵衛に劣らぬ生れつきだて。このハナが嗅ぎわけたところでは、もはや疑うところがない。今日は誰か殺される人があるぜ。一人かい? フム、フム。二人かい? フム、フム」

 いつもならば必ず反撃の一矢を報いる虎之介が、花廼屋の言葉も耳につかぬていに沈々と思い余った様子に見えるのは、甚しく同憂の至りであることを表している。にわかに煩悶の堰が切れたらしく、

「ウム。ひょッとすると、三人か。チヨ女のおナカの子を加えると四人……」

 物騒な計算をしている。が、これにはシサイがあったのである。


          


 田舎育ちの通人が都風の粋な情緒に特にあこがれを寄せるのは理のあるところで、花廼屋は大そうな為永春水ファン。深川木場は「梅ごよみ」の聖地、羽織芸者は花廼屋のマドンナのようなものだ。そこで折にふれてこの地に杖をひき、すすんで木場の旦那にも交りをもとめて、文事に趣味もある喜兵衛とはかねてなにがしの交誼をもっている。

 そこで彼は山キの内情とか、木場全体における山キの位置や立場などにも一応通じていた。特に山キの二人の孫が変死して以来は持って生れた根性がムクムクと鎌首をもたげて、多年の聖地に向って甚だ不粋な探偵眼をなんとなく働かせるに至っていたのである。

 それというのが、山キの二人の孫の変死は他殺に相違ないからであった。それもよほど計画的な他殺であろうと彼は睨んでいた。

 清作は病身で、家業に身を入れれば死期を早めるにすぎないようなものであるから、彼と妻子は本宅に住まずに、向島の寮に住んでいた。その近所には海舟の別邸もあり、そこには海舟の娘が住んでいたから、海舟もこのあたりの風土については心得もあるし関心も持っていたのである。三囲みめぐりサマ、牛の御前、白ヒゲ、百花園と昔から風雅な土地であるが、出水が玉にキズの土地でもあった。

 その日、清作はふとなにがしの用を思いついて、珍しく深川の本宅へ顔をだした。実に珍しいことであったが、これを虫の知らせと云うのか、このために、彼とチヨは死をまぬがれた。さもなければ、彼とチヨも二人の子供と運命を共にして親子四名全滅するところであったろう。

 彼の帰宅がやや遅れたので、いつものように四名一しょに晩の食卓をかこむことができなかった。子供たちの食慾は父の帰宅を待ちきれないから、チヨはせがまれるままに子供たちに食事を与えた。ちょうど京都の松茸が本宅から届いていたから、これを鯛チリの中へ入れた。父母に先立ってこれを食したために子供たちは落命したが、父母はイノチ拾いをしたのであった。

 この松茸の中に、松茸と全く同じ形の毒茸がまじっていたのである。

 この松茸は京都方面へ出張した若い番頭の二助が買ってきたものだ。喜兵衛は食道楽で、地方出張の番頭たちは必ず土地々々の季節の名物を買ってくるのが山キの家法のようなものだ。秋の季節の京都ならば松茸と、云わずと定まっているようなものであった。

 二助は背負えるだけの松茸を背負って帰ってきたようなものであった。喜兵衛はこれを近隣へ進物し、向島の寮へも届けさせた。

 ところが、ここに奇怪なのは、他家へ進物した中にも、本宅に残った中にも毒茸は存在しなくて、向島の寮へ届けた小量の中にだけ毒茸が混入していたのである。そこで、京都の松茸の売店も、それを買ってきた二助にも罪がなく、松茸の荷を解き、いくつかに分けて、向島へ届けるのはこれと定まってから、それが向島に届くまでの間に何者かが毒茸を入れたのだろうと考えられたが、それが手から手へ渡る途中には怪しい事実を確認することが全く不可能であった。

 山キは喜兵衛の先代が秋田の山奥から出てきて築いた屋台骨であるが、したがって先代以来、ここの番頭は主として秋田生れの者を使っていた。

 まず大番頭は、先代が秋田から連れてきた番頭の二代目で、重二郎と云う。元来、遠縁に当る家柄の者で、姓も同じ不破である。重二郎は当年三十七。これからが分別盛りで、手腕の揮いどころという大切なところであるが、彼は主家の娘トミ子を妻に与えられ、今までの浅からぬ主従関係はさらに血族の縁に深まり、末代まで主家の屋台骨を背負う重任を定められたのであった。

 これも一ツには彼の父が二心なき番頭として今日の主家の屋台骨を築くに尽した功績の大いさにもよるのであったが、また一ツには、トミ子が生来の病弱で、他家に入って主婦の重任を尽しがたいせいもあったのだ。

 トミ子は重二郎に嫁して、父や良人の心づくしの我ままな結婚生活に恵まれながらも、二児を遺して死んだ。

 この二児は主家の外孫に当る上に、主家の子供が病弱で次々と死ぬから、特に疎略にはできない。そこで重二郎は主家に対して忠実な番頭であるためには、自分の子供に対しても忠実な番頭的存在である必要があって、この二児をまもるために、再婚するわけにゆかない。主人の喜兵衛がその妻を失ってのち妻帯しないから、彼も同じようにしなければ義父に義理が立たないような遠慮も必要だったのである。

 重二郎の下に、一助(二十七)、二助(二十五)、三助(二十二)と順に符牒でよぶ定めになっている三名の小番頭がいる。その下に平吉、半助という小僧がいるが、いずれはこれも何助という小番頭に出世が約束されている。この五名もそろって秋田地方の出身であった。

 松茸に似た毒茸もいろいろあるが、山キの二名の孫のイノチを奪ったものは、特に松茸にそッくりで、タテにさける。これは秋田の山間の限られた地域に見かけることができるもので、山キの主従はその毒茸の発生地域の出身であった。これはその土地の方言で、ヅラダンゴだの、ヘップリコなどゝよばれている猛毒のものだ。

 本宅の者は材木の買いつけに生れ故郷との往復もヒンパンであるから、地方で育った小番頭や小僧は云うまでもなく、東京生れの喜兵衛も重二郎も生地名題なだいの毒茸の知識はあった。台所の主権をあずかるオタネ婆さんも生国の毒茸を見あやまるようなことはない。

 ところが運わるく向島の寮には、この毒茸を見破る能力ある者が一人もいなかった。病身の清作は東京以外を知らないし、チヨも女中たちも生粋の東京人だ。関西とちがって関東の者は概ね松茸についてファミリエルな鑑賞にはなれていない。ホンモノと毒茸とを並べて見比べれば疑問の判定はつくのだが、ヘップリコだのヅラダンゴという概念を持たないから、寮の人たちは怪しまなかった。

 この怪死事件には、警察の手もうごいた。けれども、諸家へ松茸を配分したオタネ婆さんに怪しむべきところはなかったし、それを向島の寮へ届けた半助(十五歳)にも怪しげな節はない。

 オタネ婆さんから半助の手に渡され、半助がそれを持って出発するまでと、向島に至る道中、及び向島の寮の者に渡されてのち料理されるまでの間には、誰の目からも距てられた時間がたしかにあった。

 半助は向島へ至るまでに他の五軒に松茸を届けている。もっとも、向島の分だけは進物用とちがってミズヒキなどがかけられていないから、他家の分ととりちがえる筈はなかった。それらの家はいずれも山キとジッコンのところであるから、まアお茶菓子でもおあがりとカマチに腰かけたり、女中部屋へ引きあげられたり、茶菓をいただき、お返しの半紙など受けとって、順ぐりに五軒をすまして向島に辿りついたものだ。

 この五軒の中にはチヨの実家の三原太兵衛、これはマル三という木場の大旦那の一人だが、その家もある。

 また、高野為右衛門、これは鍵タという木場の旦那。ここが若干問題の家であった。と云うのは、ここは喜兵衛の死んだ女房の生家だからで、喜兵衛の子供がみんな病身で次々に死ぬ。それもみんな母方の体質に欠点があるせいだ、と喜兵衛がもらしたというので、鍵タから厳重抗議の使者が立ち、一時両者の間は甚だ険悪なものがあった。

 もっとも受身の喜兵衛の方には特に含むべきイワレはないのだが、人の盛運は健康の中にあると云われるように、たしかに当主が病弱だった鍵タは日とともに衰運に傾き、破産に瀕するところまで来ているらしい内情であった。家運の傾いたアセリから特にヒガミも生れたのであろう。したがって、喜兵衛の方はインネンをつけられて愉快な筈はないが、先方のヒガミに同情できる気持もあって、亡妻の生家に対する一応の礼は欠かさない。それがまた鍵タのヒガミをそそりたてて、小さな根から大きな怒り恨みを結ばせ、内攻させていたのであった。

 しかし、もしも清作親子四人が全滅したとすれば、実質上の利得をうる者は重二郎であろう。なぜなら、彼の実子たる二人は主家の外孫で、それが主家の後嗣あとつぎの最も有力な候補者であろうからである。

 この疑いは当然誰の頭にも起ることであったから、彼の身辺は最も深く当局の洗うところとなったが、彼が秋田からヘップリコを取りよせたような時間もツテもなく、彼がそれを混入したような証拠はない。

 ところが、密々の捜査につれて、意外なことが分ってきた。それは喜兵衛とトビの頭のコマ五郎とに並ならぬ深いツナガリがあることであった。

 意外にも喜兵衛には、他に一人の実子があったのだ。それも彼の結婚前に、女中にはらませた子供であった。

 喜兵衛はこの女中を熱愛していた。彼は結婚できなければ心中するほどの必死の思いであったが、それを諌めて思いとまらせたのが先代のコマ五郎であったという。

 この女中はいわゆる特殊部落の娘であった。そしてコマ五郎一家はその部落の一族を統率する首長でもあった。先代のコマ五郎は喜兵衛を諌めて、

「若旦那が私と同じような部落の娘を真剣に大切にして下さるお志は涙のでるほど有難いのですが、それだけに、若旦那の身のために私らが私情をはなれてお尽しせずにいられない志も見てやって下さい。私らと同じ生れの娘を女房になさると、山キのノレンに傷がつくどころか、世間が相手にしてくれませぬ。山キは一代でつぶれてしまう。御自分の色恋よりも先ず親孝行を第一に考えなければいけませんよ。ここは私にまかせてあの娘のことは死んだものとあきらめて下さい。あの娘のためにも、オナカの子供のためにも決して悪いようにははからいません」

 と真心をもってコンコンと説いた。そしてついに喜兵衛の決意をひるがえさせ、娘と子供の始末については、悪いようにはしないから何も聞いて下さるな、知って下さるな、と堅い約束を結ばせた。

 いったん密約すればあくまで義理堅いこの社会であるから、喜兵衛にも分らぬように行われた恋人と子供の処置がどのようになったか、まったく外部には分らない。いまのコマ五郎はほぼ喜兵衛と同年配だが、その長男のコマ市が、喜兵衛の子供ではないかという説もある。別に証拠があるわけではないが、義理を重んずる社会のことであるから、悪くははからわぬと堅く約束した以上、この社会で最高の首長の家に育てられるのが穏当の処置とみての想像であった。ちょうどコマ市が似た年頃のせいもあった。

 また一説では、コマ五郎の輩下筆頭の土佐八の女房となった者が昔の喜兵衛の恋人で、長男の波三郎がその子供ではないかとも考えられていた。というのは、土佐八は先代のバッテキをうけて、にわかに重く取り立てられたが、それは他人の恋人と子供を押しつけられて養育を託された理由によるのではないかという想像によるのであった。すべては想像で、確証はない。

 警察がこれを探り当てたのは、船頭舟久によるのである。舟久はすすんで秘密をうちあけて、

「私がこんなことを打ち開けるのは、先代のコマ五郎にカリがあるからでさア。先代には恩義をうけましたなア。キップのいい男だった。恩人が隠したがっていたことを打ち開けるのは悪いようだが、今となっては、そうではありますまい。あの時は隠す必要があったが、今はそうじゃないねえ。放ッときゃア、誰か悪党が山キの子孫を根だやしにして、山キの屋台骨を乗ッとるか、叩きつぶすかしようてえ悪企みがあるところが、山キには、世に隠れた子孫があって、これにコマ五郎の息がかかっているてえことが世に現れてごらんな。悪企みをやってるのがどこの悪党だか知れないが、これが世に現れると、コマ五郎が相手じゃアちょッと山キを叩きつぶすのは容易じゃない、やめとこう、ということに気がつきやしないかねえ」

 これが舟久が秘密を打ちあけた言い分であった。この舟久はすでに八十に手のとどいた老人で、先代のコマ五郎という人物が生きていれば、ちょうどこの年配に当るのかも知れない。

 だが、舟久がこう云ってすすんで秘密をうちあけたときの目つきを見ると、この老いぼれも曲者だぞ、と気のつく者もあった。八十すぎの老いぼれだってモーロクジジイとは限らない。他のことには枯れて邪念のない心境になっていても、一生深く根を結んでいるこれ一ツという妄執だけは益々深まって、その妄執の鬼のようなジジイができあがることはあるし、モーロクして世間への気兼ねを失うにつれて悪企みだけは益々誰に気兼ねもなくマムシの巣のようにもつれた妄執でこりかたまったジジイも居るものだ。

 舟久の言いたてている表向きの理窟にはおよそ信用できないぞと気づいた人は少くなかった。ひょッとすると、コマ五郎一家に根の深い恨みがあって、喜兵衛の隠れた長男がコマ五郎の手で処置されたという秘密を知らせる目的は、山キの孫を殺した犯人が世間の知らないところに居る。コマ五郎一家というちょッと手のつけにくいところに秘密がある。そこを探せ、という謎をかけているようにも思われた。

 ともかく、喜兵衛には結婚前にできた長男があったという意外な事実が判ったことは収穫であったが、実はそれによって謎が深まるばかりで、一向に謎をとくことができない。その隠し子が誰であるか、恋人は誰に嫁したか、それも実は判明しない。

 警察の捜査は行きづまって、この事件はウヤムヤになってしまった。花廼屋は自分の調べだしたことを新十郎に語って彼の判断をもとめたこともあるが、確信がなければ答えない新十郎のことだから、彼からたった一ツのヒントすらもうることができなかった。

 この事件から半年もたたないのに、喜兵衛が生きながら葬式をだすという。そういう暗く血なまぐさい事件があって葬式の趣向も思いついたのであるが、何か悪い事が起らなければよいが……花廼屋にピンときたのもムリのないところであった。同憂の士は虎之介だ。彼はこの葬式の話をきくと、花廼屋にたのみこんで、是が非でもその式場へ連れて行ってくれ、という。そこで推理の迷路を歩き疲れたような怪探偵の二人づれが今しも市川在の田舎道を歩いているということになったのである。

「殺されるのは、あるいは六人……」

 虎之介は、また指を折った。彼の頭脳の複雑なソロバンは凡人の手にあまるものだ。ところで、御両氏の狙いたがわず、奇怪な犯罪が彼らの眼の前で行われるに至ったのだが、その謎をとくに彼らの脳中のソロバンが間に合うや否や。


          


 葬式は案内状に記載の順の通り進行した。

 老師の率いる十六人という多勢の坊さんが様々の楽器を奏しつつ、静々と踊る。踊るというのは妙のようだが、たしかに盆踊りや炭坑節の踊りの手よりは堂に入った踊りの手に見えるのだから仕方がない。禅宗の坊さんはもっぱら坐禅をくむものかと思うと、どう致しまして。踊らせる方がよほど引き立つ。

 この十六名のいと心にくき踊り手が円陣をつくって楽を奏し読経しつつ静々と舞い歩く中央には、今しも老師が喜兵衛の頭をまるめ終って、坊主のコロモを着せてやったところである。そこでひとしきり読経の声が賑やかになって、生きた亡者の心境は成仏に近づきつつあるのかも知れん。

 円陣がとかれると、さらに新たな読経が起って丸坊主姿の喜兵衛が手前の足で歩いて行って静々と棺桶に横たわる。達者な亡者である。

 老師が喜兵衛の頭をまるめているうちから焼香が行われていたから、彼が棺桶に横たわって間もなく、一順の焼香を終える。

 型の如くに喪主の清作と外孫の当吉(十三)金次(十)が現れてフタをとじてクギをうった。清作の妻チヨは妊娠中であるから、オナカの子にもしものことがあってはとの心づかいで、向島の寮に居残り、重二郎は木場の本宅に留守を預っているから、この場へ姿を見せていない。清作と二人の孫は各々一本ずつ細い釘をうった。

 いよいよ火葬場に向って葬列の出発であるが、そのとき火消装束いかめしく立ち現れた五六十名の一隊。コマ五郎の率いる当日の人足である。

 老師の率いる坊主の一隊につづいて、火消装束の一隊が棺桶をとりまいて守り、ここより坊主は口をつぐんで、木やり音頭の行列となる。一族縁者、会葬者がそれにつづく。葬列は庭園をねり、庭の広場中央につくられたダビ所に到着したのである。

 ダビ所は間口二間、奥行三間ほどの神社のような造りであった。(線画参照)床下の高さが一間の余もあるが、それは縁の下に薪をつめる必要のためだ。

 葬列がダビ所の前で止ると、人足頭のコマ五郎がカギを持って進みでて階段を登り、扉を左右に押しひらく。火消装束の一隊が棺桶をミコシのようにかつぎこみ、安置し終って勇ましく木やり音頭、シャン〳〵としめて、安置の礼式は終りをつげる。人足退去。最後にコマ五郎が扉を元の如くに締めてガチャ〳〵と大きな錠をおろした。本当に錠をおろしたのだ。

「ハテナ? 火がまわってのちに喜兵衛が棺からとび起きて扉をあけて出てくる筈だが、錠をおろしてしまっちゃア、グアイが悪くないかなア」

 こう思ったのは花廼屋と虎之介だけではなかったろう。コマ五郎がふりむいて階段を降りると、その背後の扉に大きな錠がぶら下っているのが見えるから、二人は思わず顔を見合わせた。

「いよいよ、はじまりか……」

 火消人足はダビ所の正面をのこして三方をぐるりと包囲した。坊主の一隊が正面へ進みでて座を占め、再び読経がはじまる。終って、老師が引導を渡す。

「喝!」

 老師の大音声。武道の気合に似たものがあって、それよりも急所に力がこもったオモムキがあり、禅坊主の威風はこの一声にとどめをさす。が、一発の大砲のハラワタにしみる力にはとても勝てないな。

 この一喝を合図に包囲の火消人足がバラバラとダビ所の三方の縁の下にとりつく。この時代には珍しいポスポル(舶来の蝋マッチ)を用いて、一時に三方から火をかけた。

 モウモウと煙があがる。これを見ると参会者はにわかに緊張を通りこし、自分たちが火につつまれたように生きた心持を失って、思わず一心不乱に合掌して、

「ナンマイダブ。ナンマイダブ」

「ナムミョーホーレンゲキョウ」

 どッと念仏やお題目の声があがって、坊主の読経を消してしまった。

 六尺の余もある縁の下にギッシリとつめた枯れ柴だから、火がまわると物凄い。パチパチと火のはぜる音。やがて、ゴウゴウたる火勢の音。火の音に負けまいと期せずして高まる念仏の音。各々が一つずつのかたたまりとなって、互に敵音を打ち消そうと、もみあい、くみあい、ひらめきあがる。

「もう、そろそろ出てこなくッちゃア……」

 と、虎之介はジリジリしはじめた。もちろん、これだけの趣向をやる仁だから、舞台効果を考えているのは当然だ。相当に火がまわってから、赤い頭巾にチャンチャンコ、ヒョッコリ生きて現れるところに値打があるのは分っているが、そろそろ出てこなくちゃア出おくれてしまう。と、一陣の風と共にどッと燃えあがった火焔。一時にダビ所をつつみ、火勢あまって赤い舌は大地をたたき、めるように地面を走った。

 風が落ちてみれば、まだ火は縁の下の上方にはかかっていないが、火勢に追われて、逃げまどった坊主の一団から騒ぎが起った。

 足もとのたしかでない老師は逃げおくれてアタフタしたあげく、ようやく他の坊主たちに抱かれて退いたが、ふと坊主たちを突き放して火の方へ戻りかけて、何事か叫びたつ様子に、一同は我にかえって、

「そうだ。いま、出なくッちゃア」

 一足出おくれると死んでしまう。一同はにわかに喜兵衛の身にせまる危険をさとって、思わず立ち上りかける。と、コマ五郎がとびだしてきて、

「静かに! 静かに!」

 老師を押しとめ、一同を制し、

「旦那は出おくれるようなお方ではなく、足腰は二十はたちの火消人足と同じぐらい確かなんで、火にまかれて死ぬようなドジをふむお方ではございません。特に本日は特別の行事、私なんぞが、とやかく指図に出ちゃアいけないと心得て、今か、今か、と待っていましたが、今もって旦那が出てこないのは、出られないのじゃなくて、出ない覚悟ときまっています。旦那は、こうして死ぬつもりだったんだ。もう、私らがジタバタしても仕様がないから、皆さん、どうか旦那が心おきなく成仏なさるように念仏をとなえて下さいませ」

「このズクニューめ。坊主の言うようなことを言ってやがる。こんな時には坊主はそうは言わないものだ」

 と、小さな老師はシワだらけの顔をくもらせて呟くと、にわかにダビ所の扉に向って階段を駈けのぼった。逃げるときのタドタドしい足どりとは打って変った素早さ。

「危い!」

 コマ五郎が後を追う。数名の坊主につづいて十名ちかい火消人足の一団が、

「危い! 危い!」

 連呼して、もつれつつ駈け上り、扉の前で押しひしめく。一かたまりの人むれに押されて、扉がドッと中へ倒れた。同時にドッとあおりたつ煙につつまれた。全てはまったく一瞬とも云うべき短い時間の出来事だった。

 煙に追われて一同は、ナダレを打って逃げ降りた。コマ五郎は老師をシッカと抱きかかえていた。それが「動」の終りであった。火に包まれた仁王様を「不動」とはうまくんだもの。ダビ所はエンエンたる火焔につつまれ、はげしい不動の時間の後に燃え落ちたのである。もはや誰もどうすることもできない。ただ、見まもっているばかりである。棺桶の上には扉が倒れかかっていたが、やがて火焔につつまれて、全ては姿を没してしまったのである。

 喜兵衛は生きながら焼け死んだが、呻き声もきこえず、姿も見せなかった。そして、不動の悲劇のテンマツを二人の怪探偵もカタズをのんで見終ったのである。


          


 ここに、まず問題になったのは、火消装束に身をかため、まるでこの場にあつらえ向きに勢揃いのコマ五郎及び輩下の五六十名という夥しい人数が、手をつかねて燃えるにまかせ、死する喜兵衛をむなしく見送ったのはナゼかということであった。参会者の疑念は、そこに集中した。焼け落ちてしまってから、ようやく焼跡をほじくって、中央のまさに在るべきところから喜兵衛の焼屍体を探しだして茫然たるコマ五郎一党に向って、人々の怒りの視線はきびしくそそがれた。

 所轄の警察のほかに、急報をうけて駈けつけたのは深川警察の精鋭。かねて舟久の話によって、先代コマ五郎が喜兵衛の恋人と子供をひきとって然るべく振り方をつけてやったことまでは判明しているから、これは怪しいとまずピンときたのは当然だった。

 取調べの急所は云うまでもなくなぜ喜兵衛を助けださなかったか、という点である。コマ五郎は悪びれもせず、

「失礼ながら、先代以来特別の目をかけていただいたコマ五郎、旦那の気質は一から十までのみこんでるつもりです。こんな風変りの趣向をなさるからには、御自分の胸にたたんだ何かがなくちゃアいけませんや。コチトラが口をだすはおろか、指図もないのに手をだすことはできません。若旦那や坊ちゃん方が一本ずつ軽く打った釘はフタの役に立つようなものじゃアありません。軽くひじを突っぱっただけでも開く仕掛けになっていましたよ。ヨイヨイじゃあるまいし、火にまかれるまで出場を失うような旦那じゃありませんや。ちゃんと覚悟があってのことだ。私はこう見たから、旦那のお心に背かないのが、最後の御恩返しと心に泣いて旦那にお別れを告げていましたぜ。思慮と云い、胆力と云い、衆にすぐれた旦那がこうときめたこと。木場の旦那の数あるうちでも音にきこえた山キの旦那ともあろうお方が、ヨイヨイやモウロクジジイじゃあるまいし、自分で趣向をたてた葬式に火にすくんでトビの者に助けだされたなどと、旦那の名を汚すような外聞のわるい評判がたつようなオチョッカイをはたらくほど慌て者のコマ五郎じゃアありませんぜ。はばかりながら、死水をとってあげる気持で、ジッと火を見つめていたんでさア」

「口は調法なものだなア。ところで、コマ五郎にきくが、お前の方の大工の流儀じゃア、扉というものは人間の出入口にはつけないものかえ」

「ヘッヘッヘ。壁に扉をつけた大工が居ましたかえ」

「お前の大工の流儀でも、扉を開けなくちゃア出入できないというわけか」

「ユーテキはそうでもないそうで」

「コレ。コマ五郎。山キの主人を殺した者はキサマにきまったぞ。キサマが扉に錠をおろして火をかけたことは八百人の会葬者がチャンと見ていることだ。ソレ、縄をうて」

 コマ五郎は顔色も変えず手をまわして縄をうたれつつせせら笑って、

「錠をおろしたのは御見物の皆様をハラハラさせてパッと出ようてえ旦那の趣向さ。内から扉をひけば錠の釘がぬけるように仕掛けたものさ。焼けてからじゃア錠の仕掛けが分らないかも知れないが、かほどの趣向を立てるからにゃアゾッとすくむところまでやりたいのが当り前というものだろうね」

「ハッハッハ。キサマもトビのかしらだが、扉をひけば外れる錠なら外から押しても外れる筈と分らないのがフシギだなア。人のかたまりが扉に当って、二枚の扉ごと外れたのは、錠がシッカリかかっていたという言いぬけられぬ証拠だ」

 意外や、不敵なコマ五郎がチラと顔色をかえて、目が鋭く光った。

「なるほど。そうかい。いいところへ気がついたねえ。ハッハッハ。こいつァいけねえ。オレの負けだ。旦那、お手数をかけやした」

 コマ五郎はカラカラと笑った。取調べの警官の方が毒気をぬかれてギクリとしたのだ。ちょッと、変だった。

 しかしコマ五郎は引ッ立てられてしまったが、その後に至って妙な情報が集ってきた。

 燃え落ちてまもないころ、焼け跡から戻ってきたばかりのトビの者が三々五々、

「オイ。見たか。誰かが本当に死んでやがるぜ」

「シッ!」

 気転のきいた者が目顔で制する前に、トビの者にはアチコチにこういう動揺があった。それを目にとめ耳にとめた参会者が二十人ほども現れた。

 警官もすててはおけないから、コマ五郎の輩下をよび集めて、一々訊問したが、

「バカバカしい。死人のいるのが当り前さ。誰がそんなことを言いますかい」

 いずれも歯ぎれよく一笑に附するばかりであるから、むろんそうあるべきことと警官はもとより参列者も納得して、それなりになって事はすんだかに見えた。

 と、翌日の朝に至って、重二郎の姿がどこにも見えないのが、はじめて問題になってきた。重二郎は当日本宅に留守を預っていた筈であるが、実はそこに居なかったことが本宅の女中の言葉で明らかとなった。重二郎の私宅を調べると、お加久という老婆が、

「旦那はその前日出たきりですよ。翌る日はオトムライの日だから、今夜は泊りだよ、と私にもそう仰有おっしゃって出たきりですよ。本宅か市川にお泊りのことと思っていましたがどうかしましたか」

「出かける時はふだんの姿と同じだったな」

「ええ。そうです。もっともオトムライに着るための紋附は一そろいフロシキに包んで持っておいででしたね。だから、その晩は本宅か市川へお泊りの予定でさアね」

「本宅の留守番に紋附はいるまい」

「そんなこたア私ゃ知りません。本宅の留守番だって、オトムライの日は紋附ぐらい着ちゃアおかしいかねえ」

「隠すと為にならないぞ。妾が七人もいるそうだが、オトムライの留守番をいいことに、妾のところへ籠っていやがるのだろう。妾の名前と住居をみんな有りていに申しのべろ」

「ヘエ七人もお妾がいましたかねえ。世間の旦那は飯たき婆アにお妾のノロケを言うものですかえ。私ゃウチの旦那からそんなノロケを承ったことがないね」

 ちょッと海千山千という目附の老婆。

 重二郎の妾が七人というのは警官のデタラメだ。重二郎は身持ちがよくて、妾があるような噂も近所に云う者はいなかった。

 それから二日すぎても重二郎は姿を現さなかった。しかし、そこに、喜兵衛焼死とむすびつく曰くがあるかも知れないということは、まだ考えた者がなかった。そこに最初に目をとめたのは、新十郎であった。


          


 花廼屋と虎之介の心眼は直覚的に犯人はコマ五郎と見破ったが、その狙いあやまたず、コマ五郎の逮捕を見たから、ちかごろの警官もチョイとやるようになったなア、とアゴをなでつつ、帰京した新十郎に報告した。新十郎はきき終って、

「コマ五郎の輩下の者どもが、焼跡に誰かが死んでいると口々にフシギがって言い合ったのは、あなた方もききましたか」

「いえ。私らはきかないねえ。そんなこたア問題じゃアない」

「それを見た聞いたと云った人は、どんな人ですか。たとえば、女中、芸者。旦那衆……」

「そう。旦那衆も五六人、いたねえ」

「その旦那衆とは?」

「木場の旦那さ」

 新十郎はジッと二人を見つめて、

「山キの主人が頭をまるめ法衣をまとって棺桶にねてから、フタをとじて担ぎだしてダビ所に安置してコマ五郎が扉をしめ錠を下すまで、あなた方は目を放さず見ていたのですね」

「そこは、あなた、本日必ず事件ありとチャンと見ていた私らだねえ。参列者の最前列へでて、一部始終を寸刻も目を放さずに見てとりましたねえ」

「人の姿にさえぎられて、喜兵衛の姿があなた方の目を放れた瞬間は?」

「それは、あなた、十六人の坊主がとりまいてクルクルとまわる。五六十人の火消人足が棺桶をかついでダビ所へ送りこんで木やりを歌う。時には見えない時もあろうさ。だが喜兵衛はたしかに棺桶にはいりました。そのままフタを釘づけにしましたねえ。ここを見落すほどモウロクもしないつもりだが」

「棺桶の大きさは?」

「当り前の大きさだね。材木は上物だろうが、大きさは並より大きいものではない。喜兵衛はガッシリした身体つきだが、並以上の大男じゃアないねえ。再びロッテナム美人術の手口とのお見立てらしいが、二重底の仕掛けにだまされる私らじゃアないらしいようだなア。ハッハッハア」

 それから三日目。新聞の片隅に、重二郎の姿が見えないという記事を見て、新十郎は花廼屋と虎之介をさそい、

「重二郎の姿が見えないそうですが、探しに行ってみませんか」

 こう云われて二人はにわかに思い入れよろしく、

「そこだよ。私もねえ。当日ここをたつ時から本日の被害者は一人じゃないと見ていたね」

 三名は本宅を訪ねて使用人一同にきいてみると、小僧の平吉と半助が、

「番頭さんは葬式の前日の午後二時ごろ向島の寮からの使いが来て、そッちへ出むいたようです」

 というのが、本邸で最後に彼の姿を見たという者の言葉であった。

「使いの者を覚えているかね」

「寮の車夫の房吉ですよ。番頭さんはその車にのって出かけました」

 喜兵衛が死んでから、清作が本邸へつめているというので、新十郎は面会をもとめ、

「突然妙なことを伺うようですが、父上の御遺言はありましたか」

「いえ。覚悟の自殺ではないようで、別に遺言はございません」

「父上の落しダネと名乗って当家へユスリに現れた者はございませんか」

「そういう話はついぞ聞いたことがございません」

「大番頭の重二郎は父上の信用がありましたでしょうか。本当のことを打ちあけていただきたいのですが」

「特に信用があったとは思われませんが、先代が当家の基礎をかためてくれた忠義一徹の番頭で、その子ですし、私の死んだ姉の聟に当る者ですから、他人ではありません。信用のあるなしというよりも、身内ですから」

「信用はなかったが、身内だから、仕方なく使っていたという意味でしょうか」

「いえ。ただ身内の者だと申す意味です」

 清作はやや顔をくもらせて、吐きすてるように呟いた。

「すると、重二郎の子供が御当家をつぐのでしょうか」

「いえ。私の家内が身ごもっておりますから、生れた子供が男なら当然私のあととりですが、女であっても、ほかに子供が生れなければ聟を迎えて後をつがせるつもりです」

「聟は重二郎の子供?」

「イトコ同士はいけません。同業者の子供からでも聟を選ぶことにしますか。とにかく、生れてみた上の話で」

「コマ五郎は当家に恨みがあるのですか」

「いえ。とんでもない。先代のコマ五郎以来、当家の無二の忠臣で、父を殺すワケがあろうとは思われませんが」

「コマ五郎輩下の土佐八の倅の波三郎という者を御存じですか」

「土佐八はコマ五郎が目をかけている一の輩下ですから、彼とその子の波三郎だけはコマ五郎同様板の間まで上って挨拶できることになっております。それでコマ五郎輩下では土佐八と波三郎だけ見知っております。口をきいたことはありません」

 そこで清作との話をきりあげて、幸い寮の車夫の房吉が清作を迎えにきて待っているから、これに会った。

「葬式の前日、重二郎を迎えにきて寮へ案内したのはお前だったね」

「へえ、左様で。大旦那の言いつけで」

「重二郎をどこへ案内したのだえ」

「向島の寮でござんす」

「そこから後のことだよ」

「私の役はそこまでですよ。次には大旦那をおのせして市川の別荘へ突ッ走りました」

「それは何時ごろだね」

「番頭さんを案内する。それから三十分とたたないうちで。まだ明るい時刻でした」

「そのとき番頭は寮に居たのだね」

「そうですよ。大旦那のお立ちを見送りにでていましたよ」

「そのとき寮に残ったのは誰々だね」

「若旦那と、奥さんと、番頭さんと、二人の女中が見送りましたから、それだけ残ったのでしょうね。私は大旦那を市川の別荘へお送りすると、その夜のうちにとって返して、翌日の朝くらいうちに若旦那をのせてまた市川へブーラリ、ブーラリさ」

「ブーラリ、ブーラリとは何のことだえ」

「若旦那をのせる時のことさ。走ると叱られるからね」

「番頭はどうしたのだろう?」

「私は番頭さんのおモリ役ではないのでね。あの人には足があるようですよ」

「寮には泊らなかったのだね」

「へえ、泊りません。そうだっけ。足じゃアなかったね。近所の車夫にたのんで、夕食のあとで市川へ行ったそうで。私とは行きちがいでさア」

「その近所の車夫の名は分っているかね」

「知りませんねえ。車夫なんぞは掃いて捨てるほど居るそうで」

「翌日、市川で番頭の姿を見なかったかね」

「あのオトムライの当日は別荘中がゴッタ返しで誰をどこで見かけたてえようなことは分りやしないねえ」

 どうやら、重二郎は市川へ向って車で出かけたところまで判明したようである。

 次に新十郎の一行は向島の寮を訪問した。寮にはチヨと二人の若い女中のお鈴とお宮のほかに、チヨの兄の三原保太郎という若旦那が泊りこんでいた。これは事件以来、清作が本宅に泊ることが多いから、大事の後ツギを身ごもっているチヨの不安をまぎらしてやるために泊りにきているのである。チヨの実家の三原家は家号をマル三というこれも木場の大旦那。チヨの父三原太兵衛は喜兵衛の無二の親友。ゆくゆくは共同の会社にと両名が考えているうちの事件であった。

 チヨの兄保太郎はマル三の自慢の倅で、清作と同じ年だが、これはガッシリと精気あふれ、木場にふさわしいりりしい若旦那。

 新十郎一行がチヨに対面をもとめると、保太郎が附きそっており、

「妹は身ごもっておりまして、この腹の子が今では山キの一粒種。今度の不幸な出来事にはなるべく触れさせたくありませんので」

「まことに礼儀をわきまえぬことで申訳もございません。実は番頭の重二郎さんの行方が分らないそうですが、葬式の前日当家へ見えて、夕食後市川の別荘へ行かれたままその後のことが知れません。そのときの車夫に会わせていただきたいのですが」

 チヨは利口そうな目をあげてジッと新十郎を見つめて、

「この寮の車夫はその日あいにく父をのせて市川へ参りまして、重二郎さんを市川へ御送りした車は当家のものではございません。私は奥におりまして、誰が車を探しに出たやら存知ませんが、女中にでも訊いてみましたら……」

 チヨが兄の顔を見て、女中に訊いてきて、という目顔に、保太郎は気軽に立ち上って、やがて二人の女中を連れて戻ってきた。

「お鈴の話では、門を一足でると、ちょうど通りかかった車があったから呼びこんだのだそうです。その車夫を見覚えているかえ」

 まだ十八のお鈴は赤くなって「いいえ」と首をふり、

「夜でしたのに、その車夫はまだチョウチンもつけておりません。私が門を一足でると、ぶつかるようにすれちがったハズミに私のチョウチンがはじかれて、地へ落ちて消えました。その消えたチョウチンは車夫が拾ってくれましたが、顔形も見るヒマがなく闇になってしまいました」

「重二郎さんが乗って出かける時は、チョウチンもつけていたろうから、年かっこうぐらい見えたろうね」

 と保太郎に問われて、お鈴はまた赤くなって、首をふった。

「番頭さんがお乗りになる時もチョウチンなしで、暗闇でおのせしてからチョウチンをつけてカジを上げたんです。番頭さんにチョウチンはときかれて、市川までは遠いから、できるだけローソクをケンヤクしなくッちゃアと、言い訳をのべていました。ローソクなら持ってきてあげようと私が云いますと、それには及ばないと、チョウチンをつけて走り去ったのです。後姿をちょッと見ただけで、年かっこうも、何も分りません」

「このへんにお住いの方々はモーロー車夫を信用なさるのですか」

 と、新十郎の澄んだ目で見つめられたが、お鈴は案外ハッキリと、

「番頭さんは若い頃剣術や柔術の先生について大そう腕自慢でしたから、モーロー車夫ぐらいに驚きません。そんな奴はオレの方が身ぐるみはいでやると、ふだんからそんな強がりを言っていた方です」

「そう、そう。ちょうどオレが子供のころ、木場の若い者に武ばったことがはやったものだ。オレの年ごろで町道場へ通わなかったのはここの清作さんぐらいなものさ。重二郎さんの手並は知らないが、ひところ木場の若い衆が、私も実はその一人でしたが、むやみに腕自慢を鼻にかけたのは、よい図じゃアありませんでしたよ」

 新十郎は、なるほど、とうなずいて、

「威勢のよい土地はサスガですなア。ところで、番頭さんは御主人の信用がおありでしたろうか」

「それは、もう、大変な信用でしたよ」

 と、保太郎は力をこめて、

「なにぶん、清作さんは病身で家業の方には関係なく、たのむ身内は重二郎さん一人ですから、杖とも頼むようでした。心底から力とたのんで、深く信頼しておりました」

「すると清作さんの仰有ることが嘘でしょうか。信頼できない男だが、身内だから仕方なしに、というようなお話でしたが」

 と、こう云いながら、新十郎の見つめているのは二人の女中たちの顔だった。保太郎はそれを見ても生き生きした顔に変化もなく、

「そうですか。清作さんは家業の方に無関係でしたから、父上の気持がお分りにならないところがあるのも当然かも知れません。山キと私どものマル三とは合併して新式の会社をやろうなどゝ話がありまして、山キの御主人と私どもと寄々話合っておりましたが、重二郎さんへの信頼は大そうなもので、会社の方へは清作さんでなく、重二郎さんを代表に入れようとのお考えだったほどです」

「すると、山キのあとは、重二郎さんか、もしくはそのお孫さんがつぐ筈でしたのですね」

「他家のことですから、そこまでは分りませんが、それはやっぱり嫡男嫡孫ですから、山キの後をつぐ者は清作さんかその子供のお考えでしたろう。実は……」

 兄は妹の顔色をうかがったが、言葉をつづけて、

「葬式の前日、山キの御主人がこの寮へ見えられたのは、系図一巻を清作さんへ手渡すためだそうで、清作さんとチヨを前によびよせて手渡されたそうですが。──その系図をごらんに入れては」

 と、兄にうながされ、チヨは立って、仏間から系図を持参し、中をひらいて示して、

「御自分の次の代に、三代目不破喜兵衛として良人清作、また四代目喜兵衛として、男ならば清作の子喜十郎、女ならば同じく喜久子の配偶。喜十郎、喜久子はいま私のおナカにいる子供なのです。よその系図は過去のものだが、未来の系図は珍しかろう、とお父上は高笑いを遊ばして、この証人のワリ判はお寺の老禅師のものだが、ついでにお寺の過去帳の方にも未来の分を書いておいたぜ、と大笑いでした。葬式のマネゴトをやるについては、これも浮世の仕来しきたりだから受けて置けと気軽な様子でお手渡しになったのです」

 なんとなく深い意味があるような、ないような、曰くありそうな系図であった。とにかく老禅師に問いただすと、製作のイキサツは分ることだ。新十郎は一礼して系図を返し、

「よく分りました。ところで、そのとき御尊父は寮の車で市川の別荘へ立ち去られたそうですが、ここへおいでの時にも寮の車で?」

「いえ、御本宅のお車です。ですが、そのお車は何かの用でどこやらへ遣わされたようでした。なにぶん葬式の前日ですから、何かと諸方と往復の御用やら何やらがありましたようです」

 新十郎はさッきから保太郎の手のホータイに気をつけていたが、

「どうやら、あなたも重二郎さん同様、今も武ばったことがお好きのようで。モーロー車夫と組打ちなさったのではないでしょうな」

 と笑いながち冗談を云った。両手の手首から掌にかけて同じようにホータイしている。保太郎もくすぐったそうに笑顔で答えて、

「つまらぬものが目にとまりましたな。どうも恐縮なことで……」

 と、ごまかした。

 新十郎はあつく礼をのべて、保太郎やチヨにイトマをつげたが、待たせておいた馬車に乗って、お寺へ行く道で、

「三原保太郎さんは両足の足クビにもホータイをまいていましたね。手のホータイは隠せないが、なにも、あの足クビのホータイまで見せなくとも良かったんだなア。あの方は自分の居間に坐ったまま私たちを迎え入れ、帰る時には立って送って下さったが、私たちの後から歩いてくる分には足クビのホータイは見えない。玄関で私たちが振りむいてイトマをつげた時にはあの方々は坐って見送っていましたからね」

 虎之介は呆れて、

「それが、どうしたね」

「ナニ、あの人が女中をよびに立ったとき、足クビのホータイが見えたのですよ」

 新十郎はそう答えて笑った。


          


 老師の話は淡々とあくまでも禅問答めいて呆気ないものだった。

「ああ。あの系図に過去帳のことか。故人がそのときここで書いたに相違ないが、ワシに花押かおうをかけというから、ハンコで間に合わせてやったな。お経もあげてやらなかったな。浮世のことはハンコでタクサンのものだ。お経などはモッタイない」

「老師が故人の危険をさとって扉に向って走られたと承りましたが、コマ五郎があくまで止めだてしたことについては、どのようにお考えでしょうか」

「そんなことが分るかよ。あのズクニューめが。ワシを軽々と抱えて降りたバカ力はたいしたものだが、力持ちに利口がいたタメシはないものだ。アッハッハ」

 何をきいても、この調子であった。

 土佐八とその子波三郎を訪問したときはもッとひどい。

「コマ五郎親分が犯人だとは思われないが、どうして黙って手を後にまわしなすッたんでしょう」

 と新十郎がきいても、

「知らないねえ」

 まるでよその人の話をしているようだった。ただ反応があったのは、ダビ所の建築の仕掛をきいたときで、

「ダビ所の抜け道はどこに、どのように、仕掛けられていたのでしょうか」

 ときくと、土佐八と波三郎は心底から呆れ顔に新十郎を見つめて親子は目を見合わせ、

「抜け道なんぞ、あるかい。抜け道どころか、蟻の這いでる隙もないように念を入れて造ったものだ」

「蟻の這いでる隙もないように。……するとなるべく煙の吹きこむ隙がないように、というためにですね」

「そんなこたア知らないが、床も羽目も内と外から二重に厚板を合わせてピッタリと蟻の出入りの隙もなく念を入れた仕上げだよ。はばかりながらコマ五郎一家の仕事はタネも仕掛もありやしねえ」

「親分の話では、内から扉をひくと錠が外れて落ちるように浅く錠を使っていたそうですが」

「そこは親分だけが手を施しなすッたところだろうから、親分がそう言うなら、その通りだろうじゃないか」

 土佐八の返答はうるさそうだった。波三郎はハナから一言も語らず、土佐八ももう返答をしなくなったので、新十郎はイトマを告げた。

「ロッテナム美人館以来、犯人は西洋奇術使いとオキマリのようだが。ハッハッハア」

 と虎之介がからかったが、

「そうなんですよ。大の男が自在に出入できるだけが奇術の仕掛ではないのですよ。蟻でも出入できないという奇術の仕掛もあるようです。念には念を入れまして、ね」

 新十郎はすまして答えた。

 それから数日して重二郎の失踪は確定的となったが、それにつれて帳簿の整理が行われ、喜兵衛の親友でありチヨの実父たる三原太兵衛が家業に不馴れな清作をたすけて指図する。と、重二郎の不正は続々と現れてきた。架空の山が買いつけられたことになっており、万をこす金が一時に彼のフトコロにころがりこんでいる例もあった。

「かほどの大金を一時に握るほどの大胆な不正をはたらいているのに、長屋に毛の生えたような家作に住んで調度品に金目の物もなく、ヤモメ暮しのくせに浮いた話もなく、御近所の目にたつような派手なことが一ツもないというのは妙だ。どこかに豪奢な二重生活のアナがなければ話が合わないではないか」

 当然この疑問が起って人々が調べてみると、予想たがわず彼の二重生活が現れてきた。女中のお加久という老婆の妹の娘お染というのが彼の二号で、すごいほど豪奢な別宅を構えていたことが分った。お染の伯母のお加久が重二郎の本宅の女中となって妾宅とレンラクし、サイハイをふるっているのだから、シッポがでなかったのはムリもない。

 お染お加久らを訊問して重二郎の行方を追求したが、

「旦那の行方を知りたいのは私の方ですよ。あの物静かな旦那が悪いことなんぞ出来るものですか。お店のお金をくすねたなんて、人ぎきのわるい。山キの聟だもの五万十万のお小遣いを持ちだすのは長屋のガキが三文持ちだすようなものですよ。私のウチじゃアかけがえのない旦那だから、早く旦那を返しておくれ」

 そう云うのもムリはない。つもりつもって、どれだけの大金をつぎこんだのか知れないが、妾宅の構えといい、調度類といい、ゼイタク三昧の暮しぶり。重二郎の行方を知りながら隠しているようではないから、取り調べがすむと釈放された。

 新十郎一行も妾宅を訪問して、お染、お加久らと会見し、

「あなた方にとってはかけがえのない旦那だから御心配のことでしょうが、重二郎さんの行方不明についてはどのようにお考えですか。誰かが座敷牢へ閉じこめるとか、殺すとか……」

 海千山千のカングリのはたらきそうなお加久の顔にも、座敷牢だの殺されるという言葉から、さしせまった反応は見られなかった。

「ほんとに旦那はどうしたんでしょうね。人の恨みを買うようなお方じゃなし……」

「大旦那に帳簿の不正を知られたというようなことで、御心配の様子は見えませんでしたか」

「とんでもない。山キの聟がお店の金を五万十万持ちだすのは当然ですよ。心配そうな様子なんぞ一度だって見せたことはありません。陽気で、気さくで、オーヨーな旦那ですよ」

「ほかに重二郎さんが身を隠しそうな御婦人は?」

「私が女中に附きそって旦那の身の廻り一切やっているのですよ。お店とお染ちゃんのところ以外に三十分寄り道しても私の目はごまかせませんや。お染ちゃんのほかには女もいなきゃア、仲間もいません。旦那にとってはお染ちゃんだけがかけがえのない恋人。そして、このお加久がかけがえのない親類で親友ですよ。旦那が私に相談せずに、身を隠す筈はないんだけど……」

「お加久さんは秋田生れですか」

「先祖代々の江戸ッ子で」

 新十郎はお染に向って、

「お加久さんのお言葉を信用しないわけではありませんが、旦那はあなたに対してはお加久さん以上に遠慮も気兼ねもなかったと思いますが、なにか身にあまる不安がおありで、それが思わずふともれるような御様子は見えませんでしたか」

「見えませんでしたねえ。いつも陽気で、明るくッて」

「大旦那が生きながら葬式をなさることについて、どんなことを仰有ってましたか」

「木場の旦那らしい趣向で、結構だと、大そうほめていましたよ。木場のお金はそんな道楽に使うものだ、なんて、ウチの旦那もそんなことがお好きな性質なんですね」

「重二郎さんがここを最後にお立ちになったのは?」

「お葬式の三四日前ですね。それが済むまで忙しくッて、ちょッと五六日はぬけられそうもないなんて、そう言って出て行きました」

 妾宅での質問はそれだけだった。

 虎之介は新十郎のタドタドしい捜査方針が甚しくあきたりないらしく、

「重二郎の妾宅なんぞでムダのやりとりをしなくッたッて、心眼で、ピタリ。話はハッキリしているなア。重二郎は市川の別荘で殺されてるよ」

「えッ。あなたはそう思いますか」

「そうさ。向島の寮をでて市川の別荘へ向い、あとの行方が知れないとあれば、市川の別荘で殺されたのさ」

「殺したのは?」

「コマ五郎さ。山キの血統を根絶やしにして一味の隠し子をたてようてえ寸法だが、ここに恐しいオトシアナがあるのだよ。余計なところにグズグズと手間どってると、山キの血統が根絶やしになる」

「ですが、コマ五郎は牢屋にいるじゃアありませんか」

「ハテサテ、衰えたものだア! 紳士探偵の評判が泣くなア。コマ五郎が落ちつき払って腕を後にまわした図太い様子をなんと見る? このタクラミを捉える心眼がなくて、どうするのだえ。コマ五郎には多勢の一味があるよ。土佐八も波三郎もおれば、その他多数の決して口をわらない輩下の命知らずもいるよ。犯人は牢屋にありと安心させて、山キの血統を根絶やしにする。するてえと、牢屋のコマ五郎が無罪だという結着まで出てくるてえ寸法さね。このタクラミが見破れなくて、神楽坂から市川在までの埃ッぽい道を御大儀にも三度も四度も息がつづくてえのは、昔からバカは精がつづくと云うが、牛は牛づれと思われちゃア私が甚だつらいじゃないか」

「ヤ。実に敬服すべき心眼です」

 新十郎は顔を赤らめて恐縮して、

「コマ五郎が落ちつき払って腕を後にまわしたところを見ていらッしゃるとは恐しい。牛づれなどとは、とんでもない。ですが、もう一ヶ所だけ、善光寺へ参詣のつもりで、牛にひかれて下さいな」

 新十郎の善光寺は、木場のヤマ甚という旦那のところであった。喜兵衛や太兵衛と同年輩の友達で、これまた思慮と胆力に富んだ代表的な木場の旦那であった。新十郎は快く奥へ招ぜられたが、

「ダビ所が燃え落ちた直後に、トビの者が三々五々、本当に誰かが死んでいるぜ、といぶかしそうにヒソヒソ話をしていたそうですが、それは彼らがどのような驚きから発したように見えたのですか。たとえば、本当に焼死者の姿があるべきではないのに、予期に反して確かに誰かが死んでいたという意味か……」

 ヤマ甚は深くうなずいて、

「さすがに天下の結城さん。そこを見て下されて、私も満足です。私もあなたの仰有る意味のように見たのですが、会葬者も警察もそう見てくれる者がないので、さては私の心の迷いかと、いささかわが身のモウロクをはかなんでいたところです。結城さんがそこを見て下されば、私は確信して申上げることができますよ。トビの者は、たしかに焼け死ぬ者がいない筈だと思いこんでいたのですよ。あの機敏な判断にとんだコマ五郎が火消装束に身をかためて見張っていながら、人の生死にかかわる火勢の判断や助ける時期を失う筈はない。よしんばコマ五郎はこれを山キの覚悟の自殺ととッさに判断したにしても、火消し商売の輩下が何十人と火消装束で身をかためて見ていながら、山キの危険をさとって飛びこもうとした者が一人もないのはフシギだ。ジャンと音をきいたとたんにハネ起きて装束をつかんで走っている江戸の火消人足じゃアありませんか。こうと見てとれば誰が止めようと火の中へとびこむように生れついている勇ましい奴らですよ。親分の指図がないから、人がみすみす死ぬと知って動かないというような、おとなしい奴らじゃありませんよ。その奴らが、焼跡に屍体を見て、オイ、本当に誰かが死んでいるぜ、と怪しんだとすれば、一目リョウゼンじゃアありませんか。いくら燃えても死ぬ人間が中にいないと思いこんでいたから、平気で、動かなかったんですよ。奴らが口止めされた以上は、もはや誰がどうやっても口を開かせることはできませんが、山キとコマ五郎のとりきめた趣向では、誰も死ぬ者がでない筈だったにきまっています。散々人々をハラハラさせて、本当に焼け死んだとみせて、生きて出てくる。案内状の予告通りにやらないところが、本当の趣向だったのですよ。生きて火葬になるほどのシャレた趣向をする以上は、そこまで人を食ってイタズラもしたくなろうというもの、まア、私が山キの立場でも大きにそれぐらいはしかねませんとも。チョイと燃えかけたところで、赤い頭巾にチャンチャンコをきて皆さん今日はと現れ出でても、そのあとでボウボウ威勢よく燃えさかっている火焔の方になんとなく面映ゆくって、せっかく生れ変った人間の方には威勢の良いところが少いねえ。予定狂って、本当に死んだと見せて、アレヨアレヨという焼跡にノコノコと現れ出でてこそ、趣向というものさ。山キとコマ五郎はチャンとそこを狙っていたと思いますよ。しかるに、本当に死んだてえのは、ナゼだろうねえ。どうしても、誰か殺した奴が居なくちゃア合わない理窟だ。八百人の見物人の目があったにしても、この目は正面の一方にしか利かない目だ。三方はこれをとりまいた火消人足の目がきくだけだから、ヌケ道からそッちへでても八百人の見物人には分らないという趣向だったと思いますねえ。このヌケ道をふさいだ奴があったんだ。コマ五郎はわざと見物の人にこれ見よがしに錠をおろしたが、それは錠のおろされていないヌケ道があったという証拠でしょうね。扉に錠をおろしたコマ五郎が犯人ではなくて、誰かヌケ道に錠をおろした奴が本当の犯人だと思いませんか」

 新十郎は同感をあらわして、うなずいた。

「御明察の如く、元来の趣向は予定狂って死んだと見せて、ノコノコと現れる筈でしたろう。すくなくとも火消人足が信じていたのは、そうでしたろう。ですが、どこにヌケ道があったのでしょう。また三方をとりまいた火消人足の目をかすめて、誰かがそこに錠をおろしうるでしょうか」

「前夜のうちなら出来ませんか」

「ところで、お説のように火消人足たちが実は誰も死なないという裏の趣向を心得ていたとすれば、たぶんヌケ道の所在も心得ていたでしょう。ところが危険がせまる火勢になってもヌケ道から現れる姿がなければ、そのヌケ道の出口に見張っていた火消人足に何かの動きがあった筈ではありますまいか」

「すでに煙がモウモウとあたりを包んでいるし、その日の風の方向を予知してヌケ道をつけておくわけにいかないから、運わるく出口が風下に当ると、出てくる人の姿なんぞはてんで見えやしますまい」

「そこが甚だ問題です。出てくる姿が分らないほど煙のたちこめた中を出てくることができるでしょうか。ヌケ道は縁の下になければならないが、そこは枯れ柴がギッシリつまっていますから、いったん煙や火がまわると、役者が花道を歩くように歩けるとは限りませんが。そのときの危険にそなえて見張っている者の用意を忘れるほど木場の火消が火をあなどっていたように考えられるでしょうか。火や煙をくぐって出てくる筈の人は商家の旦那でお年寄です。火になれた火消人足とはワケがちがう。万一にそなえる用意も必要だし、さすれば危険の火勢がせまったとき、当然見張りの人足たちから先ず騒ぎが起ったろうと思われますが」

 ヤマ甚は聞き耳をたてていたが、考えあまったような顔をあげて、

「なるほど。仰有る通りのようだ。煙をくぐって縁の下を出るとすれば、万一にそなえる用意は必要だなア。そこにヌカリのあるコマ五郎ではないはずだ。するてえと、どういうことになるのです。私の目で見たところでは、コマ五郎の輩下の者が、中に死人は居らぬ筈だと思いこんでいたことは確かだと思いますが」

「そこなんです。どうして死人がでる筈はないと思いこんだのでしょうか」

「山キはたしかに棺桶にはいりましたなア。私は式のはじまる前に、あんまり立派な木を用いた棺桶だから、見せてもらったが、底に仕掛のあるような棺桶じゃアありませんでしたよ。山キはたしかにその中にねましたね。そしてそこから出るヒマがないうちに棺桶は担ぎだされたのですから、どうしてもヌケ道の用意がなくちゃア出られない」

「どうしてもヌケ道がなければ出られないときまっていますか」

「すると、ヌケ道がなくとも出られると仰有るのですか」

「そう。出られないかも知れません。しかしヌケ道というものは、決して空間の通路とは限らないのですよ。通路とちがったヌケ道から出てくる予定だったかも知れません」

「通路でないヌケ道から出る方法がありますか」

「あります」

「失礼だが、あの建物と同じようなものを造って、床にも羽目板にも扉にも屋根にも通路がないのに、あなたはその中から出られますか」

「ハイ。出られます」

「これはおもしろい。私の庭にあれと同じ物をつくって、あなたを棺桶に入れて担ぎこんで火をかけても、あなたはヌケ出ることができると仰有るのでしょうか」

「ハイ。ぬけでることができます。そして、人の居るべき筈のない建物が焼けたのに、そこに誰かが死んでいることもできます」

「実におもしろいぞ」

 と木場の旦那はスッカリ喜んでしまった。

「するとあなたは犯人も御存知ですな」

「存じております」

「それは何よりです。あんまりフザケたようで、故人の霊を傷けては困るが、そのために犯人をあげていただくことができれば、故人も成仏してくれるでしょう。さっそく同じ物をつくらせますから、カラクリのタネをあかして犯人をあげて下さい」

「心得ましたが、その前に約束があります。この実演はここに居る四人だけの秘密にして、御家族にも口外をひかえていただきたいのですが」

「よろしい。堅くお約束いたします」

 そこでコマ五郎の輩下に命じて、ただちに同じ建物と棺桶をつくらせた。コマ五郎一家のものは、これによって親分を助けることができるというヤマ甚の堅い約束によって、よろこんで仕事に応じ、また秘密をまもった。


          


 設備終って、実験の当日がきた。

 集ったのは約束通り四人のほかには、あの当日と同じ人数のコマ五郎の輩下だけだった。新十郎は一同に向って、

「まず私が棺桶の中にねますから、あの日と同じようにそれをダビ所に担ぎこみ、木やりを歌いシャンシャンと手をしめて、あの日と同じように立ち去り、最後にコマ五郎親分が錠を下して下へ降りたところまでやって下さい。コマ五郎親分の代役は土佐八さんにやっていただきます。あの日とちがって、本日は縁の下には薪木がありませんから、火をかけるには及びません。ダビ所を降りてきた皆さんは、まっすぐ、この位置へ戻ってきて、代表者の土佐八さんから、全くあの日と同じことが行われて無事完了したことをヤマ甚さんに報告していただきたい。つまり、コマ五郎親分が錠をかけ終ったところまでは、あの日と同じダンドリのように行われたということを報告なさればよろしい。ただし当日と違った点があったら、その通り仰有って下さい」

 こう言い渡して、新十郎は棺の中にねた。花廼屋と虎之介が清作らの代りに三本の釘をうった。

 火消装束の一同が棺を担ぎあげる。木やり音頭をうたいつつダビ所へ運びこんで中央に安置して、そこでまた木やりをやって、シャン〳〵と手をしめて室内から立ち去る。最後に土佐八が扉をしめ、錠をおろし、一同はヤマ甚や花廼屋らの見ている前へ戻ってきて列をつくって、

「あの日と同じことが終りました」

 と、土佐八が報告した。

 ヤマ甚はうなずいて、

「すると、あの建物には、たしかにヌケ穴はないな」

「ございません」

「扉に錠をおろしたあとでは誰も出入はできない筈だな」

「できない筈だと思います」

「大工の術ではどうしても人の出入が考えられないと云うのだな」

「そうです」

「ところが結城さんは中から出てみせるそうだぞ」

 土佐八は苦笑して、

「旦那、とんでもねえ話だ。結城さんはとっくに出ているのですよ。私らにどうしても腑に落ちないのは、あの中から出た筈の山キの旦那があの中へ再び戻って死んでいたことでさア。旦那は私たちと一しょに出て来たのだから、ダビ所の中はカラッポの筈でさアね」

 土佐八の真うしろにいた火消人足の一人が進みでて、火消しの頭巾をぬいだ。

「ヤ。結城さん!」

 新十郎はニッコリ笑って、

「ごらんの通り、ヌケ道は空間の通路じゃなくて、火消装束ですよ。これぐらい区別のつかない制服も珍しい。第一、この頭巾は、目の上にもフタがあって、顔についた小さな唯一の窓にすらもフタをとじて、顔も身体もスッポリと包み隠してしまう。この装束にちょッとでも露出の可能性のあるところは、両手の指先と、モモヒキとタビの合せ目に当る足クビだけですよ」

 新十郎は意味ありげにヤマ甚の目をじッと見つめたが、

「さて、あの日、山キの主人は棺桶が安置されると、棺桶の中から立上って火消一同が彼をかこんで木やりをうたっているとき、用意の火消装束に着代え、脱いだ法衣だけ棺桶に入れて元通りフタをとじ、火消人足にまじって外へでてしまったのです。ですからコマ五郎はじめ輩下の全員は、棺桶の中はカラだということをチャンと目で見て知っていたのです。おまけに、その建物の扉に錠をおろせば完全に人の出入ができないことも知っていました。コマ五郎親分は扉に錠をおろしたカドによって喜兵衛さんの出口をふさいだと見られて犯人になりましたが、事実はアベコベに入口をふさいだのです。なぜなら中はカラだから出る人はある筈がなく、したがって、中へはいる方が不可能となった……」

 こう云って新十郎は微笑して、

「さッきから錠がおろされたまま、誰もあそこに近づいた者の姿はありません。また、床も羽目も屋根も蟻の出入の隙もなく念を入れて二重張りに密閉されていますから、誰も中へ入ることはできない筈なのですよ。この構造を自分の手でつくったコマ五郎一家の人々は誰よりもよくそれを知っていました。ユーレイでなければ中へ入ることはできないのです」

「そうか。わかった!」

 ヤマ甚は叫んだ。

「年寄の坊主が走って行きましたね。それにつづいて、三四名の坊主と十名あまりの火消人足が追っかけて駈け登って、扉が倒れたなア。あのとき中へ誰かが入ったのだな」

「そうでしょうか」

 新十郎は微笑して、

「二枚の扉は錠のおろされたまま外れて、棺桶の上へ倒れたのです。そして、そのあとで室内に人の姿が見えたことはありませんでした。しかるに全てが焼け落ちると、焼跡の中央に、そして、たしかに棺桶の位置に、焼死体がありました」

「そうか! すると縁の下に、ちょうど棺桶の位置の下にすでに死体が隠されていたのですね。薪木の中央に!」

「ところが、縁の下で焼けた屍体か、床の上の棺桶の中で焼けた屍体か、火消や刑事が焼跡を見れば忽ち分るのですよ。おまけに縁の下の薪木だけは当日の朝になってつめこみました。前もって入れておくと雨で濡れる怖れがあるからです。そのとき死体がなかったことは火消人足の方々が知っています」

 新十郎はこう云って、ダビ所を指し、

「あの扉の錠はさっきおろしたままですし、あの近辺へ近づいた人の姿もなかった筈です。また縁の下は、カラッポで、見通しです。したがって、土佐八親分が錠をおろしてから後は、誰もあの中に入り得ない筈です。ところがあの室内には現に誰かが居ます。私の出たあとの棺桶の中に。つまり死体があるのです。しかし皆さんはそういうことが信じられますか。土佐八親分、いかがです?」

「そんなことは考えられない」

 と土佐八はムッとした顔で答えた。

「よろしい。では親分に私と一しょに来ていただきましょう。私のでたあとカラッポの筈の棺桶中に、どんな変化があるかどうか、確かめて、皆さんに報告して下さい。大勢で確かめに行くと、また人群れにまぎれてカラクリをしたように思われるから、二人だけで参りましょう」


          


 二人は扉を全開し、一同に内部がよく見えるようにした上で、土佐八は棺桶のフタをあけた。呆れ果てて中をのぞきこんだまま、しばし呆然と目を放すことができない土佐八の様子。やがて彼は中の物に手で触れてみた。人間大の人形だ。

 土佐八は長い無言の後、いぶかしげに人形を抱き起して担ぎあげた。そして二人は元の如くに扉をしめて一同の前へ戻ってきた。

「私が棺桶から出たあとはカラでした。そして、あのとき最後に室内から出て扉をしめて錠をおろしたのは土佐八親分ですが、そのときこの人形はありませんでしたね?」

 土佐八は無言のまま、いまいましげにうなずいて、人形を地上へ投げだした。

 新十郎は人々の呆然たる顔を面白そうに見まわしつつ、

「さて、今度は波三郎さんに、もう一度、あの室内を確めていただきましょうか。皆さんも御覧の如くに、いま私たちがでてきてから、誰もあそこに近づいた人影はなかった筈です。しかし、室内は無人でしょうか? どうぞ、波三郎さん」

 と、うながされて、波三郎はナニを畜生めとばかり扉に向ってすすんだ。彼は扉をあけた。半分あけて、立ちすくんだ。気をとり直して一枚ずつ扉を全開した。彼は一同に内部が見えるように、一足横に身をひいた。

 棺桶の上に、黒装束の人が立っているのだ。火消装束の人である。立っている。棺桶の上に。直立して、生きているのだ。うごきはじめた。棺桶を降りて、一同の前まで進みでた。深く頭巾をたらしているから、かすかに目が見えるだけで、まったく人相は分らなかった。直立不動、無言のまま一同を見まわした。

 新十郎は猛獣のオリの前で小学生の団体に説明する先生のように、

「私がここにチャンとこうして居りますように、私、つまり、あの日の不破喜兵衛さんも火消人足に変装して室内をでてから、再び室内へは戻りません。戻ることはできないのです。ヌケ道もなく、扉には錠がおろされているのですから」

 新十郎は怪人同様一同を見廻して、

「だから中で焼死した人があるとすれば、とにかく喜兵衛さんでないことは確かです。そして喜兵衛さんと皆さんが室内から出て以来、扉には錠がおろされて誰も再びはいる姿がなかったとすれば、実に真相はカンタンです。どこにも謎や仕掛はあり得ません。要するにあの室内にはその前から死体があったのです。しかしホンモノの死体が自分で歩いて行ってカラの棺桶の中にはいるわけには行きません。さすれば、これもカンタンです。死体とともに、それを棺桶の中へ入れた人間も一しょに前から居たのです。そして皆さんが出たあとで死体を棺桶に入れたのです。皆さんもこれを疑うわけに行きますまい。ごらんの通り、カラの筈の棺桶の中には屍体に代る人形がありましたし、生きた一人の人間も、こうしてチャンと中に実在していたではありませんか」

 新十郎は笑ってヤマ甚を見て、

「本日の私たちの実験は扉をあけて、人形と生きた人間を中から出してきました。ところが、あの日は、扉に錠がおろされたまま衆人環視のうちに燃え落ちたのですから、屍体は取りだすヒマがなく当然中で焼けました。しかし、屍体は一ツでした。すると、生きた人間は、どこへ消えたのでしょうか? 開かれた扉のほかには外へ出る通路が確実にないのです。ヤマ甚さん。お分りでしょう。お年寄の坊さんが助けに駈け登ったのは、喜兵衛さんのためではなくて、第二の人物、即ち、棺桶が安置される前から、たぶん前夜からすでに室内に屍体とともに居た人、その人を助けだすためでした。老師とコマ五郎さんはわざともつれるようにして扉にぶつかって、扉を倒しました。そして第二の人物は、モウモウたる煙と火消の群にまぎれて無事退去した……」

 新十郎は一息ついて微笑して、

「全然無事でもないようでしたがね。なんしろ、その人物は喜兵衛さんではないから、自分が扉をあけて出てくるわけに行かない。相当に火が廻ってから、かねての打ち合わせ通り誰かが喜兵衛さんを救いだすフリをして扉を破ってくれるまで待たなければならない。相当に火傷やけどの危険があるのです。もっともコマ五郎さんはそれを承知していたからなるべく煙のはいらぬように、蟻のいや、煙の出入のスキをふせぐために念を入れて仕上げましたし、中の人物も火消装束に身をかためて危険に備えていた。そして床上にうつぶして救いを待っていたが、さすがの火消装束でも完全には露出を防ぎきれないので、全身に四ヶ所だけ火傷をまぬかれませんでした。もうその火傷も治ったようですがね。すると、中にいた第二の人物が誰かということは、もはや見分ける証拠がありますまい。なぜなら、この人間は誰か? 皆さんはそれを知りたがるようなヤボな人ではないでしょうから。また、どこにも犯罪はなかったからです。喜兵衛さんがチャンと室外へでたことは皆さんが知っています。しかし、あなた方以外の人が目で見たことは、喜兵衛さんは室内から出られなかった、そして死んだということです。そして六十人のあなた方よりも八百人の多くの目が正しいにきまっています。つまり、喜兵衛さんは出られなくて死にました。しかし六十人の皆さんだけが、事実に楯ついて、喜兵衛さんは生きていると信じたって、差支えはないでしょう。要するに、それだけのことですよ。さて、最後に」

 と新十郎は声を改め、

「その室内には前から一ツの屍体と一人の人間が実在していました。それにも拘らず、皆さんには全く見えなかった。それは、なぜでしょうか? 私が説明する代りに、本人にやって見せてもらいましょう。さア、どうぞ。名なしの誰かさん」

 こうよびかけられて、無名氏はふりむいた。そして魔人の如くにシッカリと歩いた。そのふるさとへ戻るように。

 彼は一枚ずつ扉を押しあけた。たったそれだけのことである。内部の全てが見えた。云うまでもなく中央の棺桶も。しかしもはや人の姿は見えなかった。

「ごらんの通り」

 と新十郎は指して、

「彼の人は隠れるために飛び上ることも走ることも一切の特殊な動作が必要ではなかったのです。中へギイーッと扉を押しあけてしまえばよろしいのです。すでに室内の空間には彼の人の姿は全く実在いたしません。ただ、そのとき室内はちょッとだけ小さくなっていました。つまり押し開けられた扉を壁の代りに、左右の隅に独立してしまった二ツの三角形の分量だけ。そして二ツの小さな三角形はもはや棺桶を安置した部屋の一部ではなかったのです。すくなくともこのダビ所の場合に於てはそうでした。扉を左右に押しあければ誰しも部屋の全部が開放されたと思います。そして、押し開けられた扉によって区切られた左右二隅の小さな三角形の中の屍体と人間は、すでに隠れたのではなかった。つまりそこはすでにその部屋の一部ではなくなっていたのです。だから、すでにその部屋に存在した屍体も人もなく、隠れている屍体も人もなかったのです。あッけないほどカンタンで、そのために完全でした」

 火消人足の中に大きな息をもらす者が二三あった。それにつれてヤマ甚も大息をホッともらして、

「フーム。そうでしたかい。実に、どうも、ありがとうございました。私を男と見こんでこの秘密をあかして下さった以上、ただもう山キが成仏するように、冥福を祈ることだけしか考えますまい。お前たちも、ただもう山キの冥福を祈ることに精を入れて余計なことを考えちゃアいけないぞ」

 こうトビの者に言い渡し、

「しかし、殺された者がないのに犯人ができちゃア困るが、またコマ五郎の奴め、なんだって自分で助けに飛びこむフリをしなかったのかねえ。気のきかねえ野郎だ」

「自分でとびこむと、山キの旦那でない人を連れて出なくッちゃアなりませんから。火消の親分が人を救いにとびこんで手ブラで生きて戻るわけに行きません。まして、恩義ある旦那ですし、自分で火をかけた仕事ですもの、旦那は覚悟の自殺だから諦めろ諦めろと云って、ヨボヨボの老師に飛びこみ役を引き受けてもらう必要があったのです」

 そうであったか、という深い感動が溜息となって諸方から起った。

「コマ五郎を助けるためには、この建物を用いて、もう一度実験をやるとよろしいでしょう。警察の人々をまねいて今度は本当に火をかけて実験をやるのです。コマ五郎は訊問に答えて、扉の錠は内へチョットひくだけでクギが外れて落ちるほど浅く仕掛けておいたものだと申しました。ところが二枚の扉は錠が外れないために蝶番いが外れて倒れました。たしかにツジツマが合いません。そのために殺意ありと疑われたのです。そこでコマ五郎を助けるには、浅く錠を仕掛けても錠が外れずに蝶番いの方が外れて倒れる場合もあるという実験をしてみせればよろしいでしょう。その仕掛けはそうメンドウではありますまい。蝶番いの方にちょッと策を施せばよろしいでしょう。手の職に覚えの皆さんにヌカリはありますまい。それから、これは蛇足ですが、かの室内の人物は、夜中に来て夜中に立ち去る習慣だそうで、彼の人物の退去まであすこに近づかないことに致した方がなんとなくよろしいようです」

 そして新十郎は一同に別れを告げた。

 帰りの道々、花廼屋は、

「間のわるい時は仕方がないものだねえ。ちょッとひくと外れるように浅く仕掛けた錠が外れずに、蝶番いの方が外れるとは」

「浅く仕掛ける筈があるもんですか」

 と、新十郎はふきだした。

「まさかその揚足をとられて犯人になるとは思わずに口がすべったのでしょう。内から扉をひらいて出てくる人がいないのだから浅く錠を仕掛ける必要はなかったのです。むしろ事実はアベコベに非常に頑丈な錠をしかける必要があったのですよ。なぜなら前夜から人と屍体が隠されていたのですから。そこにまもるべき秘密があるために、錠の仕掛をアベコベにウッカリ口走ったのかも知れません」

 すると虎之介が思わず嘆声をもらして、

「実に驚き入った人物だなア。木場の旦那とは、町人ながらも、こういうものかねえ。あの火焔をくぐって事を行うには、思慮分別だけで済みやしないねえ。血気だけでも、むずかしい。六十一の老人じゃア塚原卜伝ぐらいの鍛錬がいる仕事だね。私は喜兵衛という人物のあの気合には、ことごとく驚いたねえ。すさまじいさッきの姿が目にちらついて、三四日はうなされそうだね。棺桶の上に立っていたあの姿。発ッ止、発ッ止、打ちこむような勢いで我々の方へ歩み進んだあの姿。実にどうも驚き入った気合だねえ。ふりむいて元の場所へ戻って行った後姿にも寸分のスキもありやしない。あの歩みの若々しさ。実におそれ入った神業だねえ」

 新十郎は目をまるくして、

「さッきの名なしの権兵衛さんが喜兵衛さんだと仰有るのですか」

「当り前じゃないか」

「なるほど私が牛なら、あなたはどうしても牛ではないです」

 新十郎はベソをかきそうに呟いたが、やがて気をとり直して、

「喜兵衛さんは先刻私が演じたように、棺桶にねてダビ所へ担ぎこまれ、火消人足が棺をかこんで木やりを歌ってる最中に素早く変装し、火消人足と一しょにダビ所を出てしまったのです。さッきの人物は前夜のうちに重二郎を殺して屍体とともにダビ所の中にひそんでいたのですよ」

 新十郎は懇願するように説明々つづけた。

「両手の指と、両足のクビにホータイをしていた人物を思い出して下さい。その人物は手のホータイは仕方がないが、足クビのホータイは見せたくなかった筈です。どうしてそれを見せてしまったのでしょう? 女中をよんでくるためにです。そして、モーロー車夫をつかまえたテンマツを女中に語らせるためです。それは足クビのホータイを隠すことよりも重大でした。なぜなら、モーロー車夫は彼だったからです。彼は車夫に化けて重二郎をのせ、どこかで殺して、ダビ所にひそんでいたのです。すべては予定の手筈でした。ヘップリコを用いて山キを乗ッとろうとした悪人をたおして妹夫婦をまもるために、彼は魔人の如くに力強く行動したのでした」

 うなだれた虎之介を花廼屋が慰めた。

「牛に負ける虎もいるものだ。クヨクヨするなよ」

 輩下一同の技をこらした仕掛と、新十郎のとりなしなどもあって、コマ五郎は無罪放免になったということである。また喜兵衛によく似た老人が秋田山中に隠棲してヘップリコを食うこともなく大正末期に至るまで長生きしたという話を私は風の便りにきいた。

底本:「坂口安吾全集 10」筑摩書房

   1998(平成10)年1120日初版第1刷発行

底本の親本:「小説新潮 第六巻第四号」

   1952(昭和27)年31日発行

初出:「小説新潮 第六巻第四号」

   1952(昭和27)年31日発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※表題は底本では、「明治
開化
安吾捕物」となっています。

※初出時の表題は「明治
開化
安吾捕物 その十五」です。

入力:tatsuki

校正:松永正敏

2006年523日作成

2016年331日修正

青空文庫作成ファイル:

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