明治開化 安吾捕物
その十 冷笑鬼
坂口安吾



「隣家に奉公中は御親切にしていただきましたが、本日限りヒマをいただいて明朝帰国いたしますので……」

 と、隣家の馬丁の倉三が大原草雪のところへ挨拶に上ると、物好きでヒマ人の草雪はかねてそれを待ちかねていたことだから、

「この淋しい土地に住んでお前のような話相手に去られては先の退屈が思いやられるな。今夕は名残りを惜しんで一パイやろうと、先程から家内にも酒肴の用意を命じてお待ちしていたところだから、さア、さア、おあがんなさい。水野さんのところへは家内にこの由をお伝えしてお許しを得てあげるから。ナニ、水野さんが面倒なことを仰有おっしゃるようなら、今夜は私のところへ一泊して明朝たちなさい」

「イエ、二日前にヒマをいただいて一昨日から奉公人ではございませんから、今夜はお許しをいただかなくても面倒はございません。まったくの赤の他人で」

 ひどいことを云う奴ですが、これにはワケがある。今日はこんなことをズケズケ云うが、倉三も奉公中はなかなか口の堅い男で、主家の話をしたがらない風があったが、ヒマをもらえば赤の他人、酒に酔わせて語らせて隣家の世にもまれな珍な内幕をききだそうという草雪の物好き。

 隣家の水野左近は維新までは三千六百石という旗本の大身であった。彼の祖先は代々相当の頭脳と処世術にたけていたらしく、今日で云えば長と名のつく重役についたことはないが、局次長とか部長という追放の境界線のあたりで、人目にたたずにうまい汁を吸うのが家伝の法則の如くであったという利口な一家。維新の時にも左近はちょうど休職中で、ために人目にたたずに民間へ没してしまった。しかし彼は小栗上野おぐりこうずけと少からぬ縁故があって、当時も目立たぬ存在であっただけに、幕府の財物隠匿にむしろ重要な一役を演じているのではないかということが一部の消息通に取沙汰されたこともあった。

 高田馬場の安兵衛の仇討跡から、太田道灌の山吹の里の谷をわたって目白の高台を登って行くと、当時は全くの武蔵野で、自然林や草原の方が多くて田畑などはむしろ少いような自然のままの淋しいところだ。

 そこへ家をたてたのは大原草雪が一番早く、次に水野左近が隣に小さな家をたてて移ってきた。それが六年前だ。その翌年に平賀房次郎という官を辞して隠居した人が左近の隣に家をたて、左近の家が三軒のマンナカ、そしてそのほかには附近に人家は一ツもなかった。

 三軒とも隠宅という構えで、敷地も小さく家も小さいが、左近の家は特に小さい。もっとも、広からぬ屋敷内に小さい建物が三ツある。主たるのが左近夫婦の住居。次に小さいのが倉三夫婦の住居、次に馬小屋。

 さて、左近夫婦の住居というのが、変っている。日本中探したって、他にこんな家は有りッこないが、このウチには玄関というものがない。小さなお勝手口が玄関も兼ねてこの一ツしか入口がないのである。もう一ツ小さな潜り戸があるが、これは左近の居間から外部へ通じる出口で彼以外の者には使用することができない。また、この潜り戸は外側からは手がかりがなくて外から開けようがないという用心堅固なもの。さてこの二ツの戸口以外はあらゆる窓が二寸角の格子戸という牢屋のような造りである。

 左近の部屋は二間ある。他に一部屋しかなくて、そこに妻のミネが住んでる。あとは台所と便所があるだけで、湯殿もない。

 なるほど玄関がいらないわけだ。お客の来たのを見たことがない。この六年間に三度か四度は隣にお客があるらしいな、と思われるようなことがあった程度である。

 左近は米・ミソ・醤油の類は全部自分の居間に置く。去年、倉三の女房お清が死ぬまでは、お清が左近の身の廻りの世話をやって、妻のミネは一切夫の生活に無関係である。食事の支度にかかるには、お清が左近の居間へ米やミソをもらいにくると、左近が一々米やミソの量をはかって釜やナベに入れてやる。オカズも左近の指図通りに買ってきて作る。出来たものを左近が検査した上で、ミネに御飯と漬物だけとり分けて与えるが、料理は一ツもやらない。もっとも彼が食べる料理も実にまずしいもので、イワシとか、ニシンとか、ツクダニ、煮豆というもの。

「美食は愚者の夢である」

 というのが左近の説であった。つまり、美味は空腹の所産であるのに、美食の実在を信じるのはバカ者が夢を見ているにすぎん、というのである。一理はあるかも知れん。なるほど彼らの神君家康の思想でもあるらしいが、左近の日常を家康が賞讃するかどうかは疑わしい。

 倉三夫婦は別に自炊し、ミネは自分の副食物やさらに主食をとるために内職しなければならなかった。

 昨年、倉三の女房お清が死んでからは、左近は自炊するようになり、居間の掃除もセンタクも自分でやって一切ミネの手が介入することを許さないばかりでなく、それを機会にミネに御飯を配給するのもやめてしまった。

 倉三は草雪に返盃して、

「私どももその時までは夫婦合わせて四十五銭のお給金をいただいておりました。実は五十銭いただく筈ですが五銭は家賃に差ッ引かれますんで。ところが、お清が死んでから、私のお給金がにわかに二十銭に下落いたしましたんで。男と女の給金が半々同額てえのも聞きなれないが、二十二銭五厘じゃなくって二十銭。当節は男の方が二銭五度安うござんすかと伺いを立てますてえと、五十銭の半分が二十五銭。そこから五銭の家賃を差ッぴいて二十銭。ねえ。半々にわるてえと二銭五厘もうかりますねえ。あの人のソロバンは」

「なるほど。しかし、お前もよく辛抱したが、あの令夫人はお子供衆や身寄りがないのかい」

「サ、そのことで。実の子が三人おありなんですが、むろん、利口者の奥様がジッと御辛抱なさるのも子供のため。少からぬ遺産があるに相違ないとの見込みでしょうが、こいつが実に謎の謎。イエ、お宝の有る無しじゃアございませんよ。そのお宝の持主が人間ではないとなると……イエ、まったくの話で。水野左近は人間ではない。鬼でござんす。しかも明日……」

 酔ってもいたが、倉三の目が光った。


          


 ミネは左近に嫁して三人の子を生んだ。ところが幕府瓦解とともに左近の人柄が変った。イヤ、変ったわけではない。もともと金銭にこまかく、疑り深くて、人情に冷淡。家族泣かせの左近であったが、外部に対しては如才のない社交家で、人のウケは大そうよい。幕府時代は家族の者にも身分相応にちかいことはしてやらなければならないから、さしたることもなかったが、幕府瓦解とともに左近の本性あらわれて、

「徳川あっての旗本だが、主家が亡びては乞食よりも身分が低くなったのだから、世間なみ、人間なみのことはしていられん。子供などを育てる身分ではなくなったし、子供もオレの子ではない方が幸せにきまっているから、今のうちに振り方をつけなければならん」

 こう云って、きかばこそ、長男の正司、そのころまだ十という子供を、玉屋という出入りの菓子屋へデッチ奉公にやってしまった。

「御大身の若様を手前どものデッチなどとは、とても」

 と玉屋は拝まんばかりに辞退したが、

「大身などと昔のことだ。主家を失えば路頭に迷う犬畜生同然、道に落ちた芋の皮も拾って食わねばならん。恥も外聞も云うていられん。せめて子供には手に職をつけて麦飯ぐらいは食えるようにしてやりたいから、よろしくたのむ」

 と、菓子屋の小僧に住みこませてしまった。次のリツという八ツの娘は子供のないお寺の坊主に養女にやる。ミネは悲歎にくれて、養子養女にやるならせめて同じ旗本のとこへと頼んだが、左近は怖しい剣幕で、

「旗本というのはみんなオレ同様、野良犬だ。坊主や菓子屋は白米もヨーカンもたべられる。貴様も米の飯がたべたいなら、オレのウチにいるな」

 しかし、ミネもそのときは必死であった。自分の実兄、月村信祐に子がなかったから、左近に懇願して、次男の幸平を月村の養子にすることができた。そのとき左近は月村の前で、

「どうせ貴公も道におちた芋の皮を食うようになるだろう。芋の皮を食うようになっても、野良犬に親類はないから、どっちの軒先にも立ち寄らんことにしよう」

 月村が顔色を変えると、

「野良犬が道で会って挨拶するのはおかしいが、せめて噛み合わんようにしたまえ」

 と言いすてて、さッさとその場を去った。奉公人にもヒマをやって、残ったのは倉三、お清の夫婦とその一子常友であった。

 常友はお清の子だが、父は倉三ではなかった。左近にはミネの前に死んだ先妻があった。先妻には一男一女があったが、その長男が女中のお清に孕ませたのが常友で、それを知ると、左近はお清を馬丁の倉三と一しょにさせ長男を勘当して大阪へ追放した。というのは、左近はそのころ船舶通運を支配するような職にあったが、大阪の船問屋が事故を起して彼の取調べをうけていた。左近はその船問屋を懲罰釈放するに当って、オレの勘当したせがれを大阪へ連れて行って、町人にしてしまえ。もうオレの倅ではないから大事にするには及ばんが、自分で働いて食えるように取りはからえ、と放りだしてしまったのである。この倅は大阪へ住んでから幕府が瓦解するまでの十年間は、親の威光があるから遊んで暮して遊里に通じ遊芸を身につけ、維新後は東京へ戻って幇間ほうかんとなり、志道軒ムラクモと号している。

 常友の父はムラクモだ。左近の孫である。けれども戸籍の上でも実生活の上でも倉三お清の子供。ところが左近は維新のとき自分の子供たちを処分した際に、倉三お清にも命じて、お前たちのような貧乏人が子供を手もとに、育てゝおくバカはない。奉公に出してしまえ、と命じて、料理屋へ小僧にださせた。

 今や左近は七十五。ミネは五十。先妻の子ムラクモはミネと同年の五十。ミネの長男正司は三十。次男月村幸平は二十五。常友が三十であった。

「八九年前のことですが、菓子屋の玉屋が没落しまして正司様が路頭に迷ったことがありましたが、そのとき玉屋の主人が正司様をお連れして旦那様にお詫びを申上げ、せっかく御子息様をお預りしながら店じまいするような面目ないことを致しまして相済みません。しかし御子息様も今では一人前の立派な職人、どこへ出しても恥しくない腕ですから、本来ならば手前がノレンをわけて差上げなければならないのですが、それが出来ない事情になりましたので、手前に代って店を持たせてあげていただきたい。こう頼んであげたんですが、このときの旦那の返事がよく出来ていましたなア」

 倉三は酒にほてった顔をツルリとなでて、妙な笑い方をした。彼は酒をあまり飲まないが水野左近に奉公した身の不運に一生うまい物も食いつけないから、草雪のもてなすあたり前の料理がうまくて大そう食いッぷりがよい。

 そのとき左近は玉屋の主人にこう云ったそうだ。

「お前さんが没落すれば職人が路頭に迷うのは当り前だな。主家がそうなれば、職人がそうなる。それは仕方がない」

 ミネも涙を流して頼んだが、そんなことでちょッとでも心が動くような左近ではなかった。彼はキセル掃除のために常時手もとに用意しておく紙をとってコヨリを二本つくって、

「主家の没落でオレも路頭に迷っているが、お前さん方は手に職があるから、将来に希望が託せる。オレには貯えもなければ希望もない。お前さん方に何もあげるものがないが、このコヨリを一本ずつあげよう。コヨリのようにいろいろの役に立つものは珍しいな。下駄のハナオにもなるし、羽織のヒモにもなるし、魚のエラを通せば何匹もぶらさげることができて大きな紙もフロシキも使わずにすむ。紙やフロシキで魚をつつむと汁がにじみでて悪臭がうつッて困るものだが、たった一本のコヨリで都合よく魚をぶらさげて運ぶことができる。これをあげるから大事に使いなさい」

 コヨリを二人のヒザの上へ一本ずつのせてやって、

「もう午ぢかいから、食事どきには早く帰るのが礼儀だね。礼儀をわきまえてなければ益々路頭に迷う」

 路頭に迷ったわが子に一食を与えることも許さない。

「菓子屋を一軒ずつ廻って歩けば使ってくれるとこがあるはずだ。それをせずにここへくるのが心得ちがい。主家が没落したにせよ三食や四食のゼニぐらいは貰ったはずだろう」

 とミネの涙ながらの懇願にも全くとりあわなかった。

 なるほどそれで理窟は通っているようだ。正司は彼が云うように一軒ずつ菓子屋を廻って歩いて、玉屋の主人の口添えもあって、就職することができた。しかし子飼いからの店ではないから、居づらい事情が多くて、店から店へ転々として、三十にもなりながらまだ住みこみの一介の平職人。妻帯する資力もない。

 ミネの兄、月村信祐の養子となった幸平は、多少の学問もさせてもらって、銀行員となった。資本金三十万円ほどの小さな国立銀行であるが、はからずも彼は、そこに実父左近の預金が一万七千余円あることを知った。当時としては相当の大金と云わなければならない。

 ところが左近の預金は他の銀行にもあった。なぜなら彼は月末になると馬に乗っていずれへか金を引き出しにでかけるが、それは幸平の銀行ではなかった。彼は極端のリンショクにも拘らず、乗馬の趣味だけは今もってつづけているが、一つには実用のために相違ない。老人の足代りに当時としては馬が一番安直だったかも知れないのである。馬丁に手綱をとらせず、一人で走り去る時は、散策もあるかも知れぬが、銀行通いのような人に知られたくない用件があってのことだ。彼はこまかい金で一ヶ月の生活費をチョッキりうけとってきて、概ねツリ銭のいらないように小ゼニを渡して買物を命じた。しかし、左近は幸平の銀行へ現れたことはなかったのである。

 幸平の養父母は他界して、彼が一人のこされたが、十七の若年から銀行員となった彼は二十の年には一ぱし経済界の裏面に通じたような錯覚を起し、株に手をだして失敗した。すでに父母がないのを幸いに家財をもって穴をうめたが、こりるどころか益々熱をあげてひきつづいて、相当の穴をあけてしまった。そのとき万策窮して、実父の預金があることを知っているから、ミネに事情をあかして借財をたのんでもらった。

 左近は自分の子供がどこで何をしているか、そんなことは気にかけたことがないから、幸平が銀行に勤めているときいたのもそれがはじめて。彼の預金がその銀行に一万七千円あると知って幸平が借財を申しこんだときいて、さすがに彼の目の色がちょッと動いたようであった。

 三ヶ月ほどは彼はそれに何の返答も与えなかったが、ある日ミネをよんで、

「幸平に命じて、一万七千円の預金をおろして土曜の午後こゝへ来るように言うがよい。土曜の午後早いうちに来るのだよ」

 と印鑑を渡した。

 ミネは大そう喜んで幸平に知らせたから、生活の破局に瀕していた幸平の感激は話の外である。

 一万七千円の現金をおろして宙をふむ思いで実父のもとを訪れたのである。

 来てみると、すでに来客が二人いる。一人は常友である。料亭の小僧に出された常友は実直に板前をつとめて一人前の職人になっていたが、イナセな板前たちの中ではグズでノロマで、気立ては一本気で正直だが、腕と云い、頭の働きと云い仲間の中でパッとしない存在だった。そのうち吉原の娼妓の一人と相愛の仲となって結婚しようと堅い約束をむすんだが身請けの金がない。当時は実母のお清も健在だから、何十年はたらいても三百円という大金がたまるわけはない。しかし、たった一人の息子が身をかためるという話であるから、お清はワラにすがっても何とかしてやりたい胸の中思いきって左近にたのんでみた。

 左近はその借金の申込みが吉原の娼妓の身請けの金ときいて、興がった。彼は馬にのり、倉三に手綱をとらせ、常友に案内させて、吉原へ出かけて行った。

 彼は遊里というものを知らなかった。傾城けいせいにマコトなし、などと云うのに、相思相愛というのが解せない話で、そういうものが実在するにしても一興だが、行ってみてコトワザの方の真実を裏づけるような事実を見るのも一興である。ナニ、吉原見物そのものが一興。身請けとは古風な話。乙な理由にかこつけて傾城の部屋を訪ねて傾城をあッちこッちからユックリ眺めて、マコトありや、マコトなしや、否、そういうことは二の次、三の次、傾城を肌ちかくトックリ眺めて遊里の生活にふれてみるのがたのしい。見物料も別にいらないらしい。いるかも知れぬが、それは常友が払う金だ。

 さて吉原へ乗りこんで常友の女に会ってみると、大そう良い女だ。常友のようなグズで人のよい男を選んで一生の男ときめるのは、むしろ利口で勝気でシッカリしている女だからで、いかにも小股の切れあがった感じ。社交性があって、当りがよい。左近は自分がムコになったようにニタリニタリとなんとなく相好をくずすていたらく。三百円貸していただいて身請けはさせていたゞいても常さんの板前の稼ぎではいつ返済できるか分らない。それを思うと板前さんの稼ぎなんて心細くて、たよりない。吉原で相当格式のある貸座敷の主人がワケがあって近々廃業帰国することになり、家財も娼妓もついたまゝ八千円で売りに出ているが、この商売なら五年もかゝれば元利をきれいに返済出来る見込みがある。自分も悲しい苦界づとめのおかげで、この商売の経営には自信があるのだが、アア、お金がほしい……。

 左近はこの言葉を小耳にとめたが、それは知らぬ顔。とにかくポンと気前よく三百円だしてやって、二人を結婚させた。さて八千円かして二人に貸座敷をやらせると、どう云う事に相成ろうか。月々貸した金の利息をとりに行って、その日はゆっくりとたゞで傾城の部屋へ坐っていろ〳〵と女の話をしたり、手や膝がふれるとか、まアなにかのハズミでいろいろ思わぬタノシミができるであろう。左近はそう考えめぐらすだけで、なんとなく楽しい毎日をすごした。

 彼は勿論本当に八千円の金を貸してやろうなぞと考えていたわけではなかったが、ちょうどそこへ勘当して以来二十五年も音沙汰のなかった志道軒ムラクモが女房子供をつれて親不孝のお詫びにと訪ねて来た。女房は芸者あがりの恋女房、春江といって三十。久吉という十になる一人息子をつれて高価な手みやげを持って訪ねて来た。自分は幇間をやり、女房にはチョッとした一パイ飲み屋をやらせて生活には困っていない。たゞなつかしさに一目だけでも拝顔して重なる不孝のお詫びをしたいと矢も楯もたまらずという、そこは多年の幇間できたえた弁舌、情味真実あふれて左近の耳にも悪くはひゞかない。

「ペラペラとよく喋るな。その舌でお金をかせぐのか。薄気味のわるい奴だ。お茶坊主のように頭をまるめているが、腹は黒いな」

「恐れ入ります」

「金が欲しかろう」

「慾を云えばキリがありませんが、毎日の暮しには事欠いておりません」

「慾を云えばいくら欲しい」

 ムラクモは父の薄笑いを満身にあびてゾッとした。その薄笑いは悪い病気をやんでいるようだ。笑いが病気をやむというのはおかしいが、水野左近が笑っているのではなくて、一ツの薄笑いが彼の顔にのりうつっているように見える。その薄笑いが何か悪い業病につかれているようだ。ひょッとすると左近の顔は死んでいるのかも知れない。あの薄笑いをはいでみると、左近の顔の死相がハッキリとして、そっくり死神の顔かも知れない。薄笑いはその上にひッついて、影を落したように、ジッとしているように見える。なんという病気なのだかとても見当はつけられないが、その薄笑いが彼の満身にジッとそそがれて、その冷さが満身にかゝっているのである。

 志道軒は油のような暗いモヤがたちこめた夕暮れの墓場に坐っているような気がした。あの人間は誰だろう? あの人間の膝の下にも、自分の膝の下にも草が生えているように思われる。あの人間はオレに何を告白させようというのだろうか。それから、どうしようというのだろうか。志道軒はその薄笑いで首をしめられるような気がした。彼は必死にその薄笑いに目をすえて、

「そう大それた慾ではございませんが、一万円もあれば、一流地に待合、カッポウ旅館のようなものをやってみとうございます。お宝がありさえすれば、モウケの確かな商売はあるのですが、目のきく者にはお宝が授かりません」

「一万円、かしてやろう」

 薄笑いが、そう言った。いったい、それが、言葉というものなのだろうか。その言葉にも病気があるようだ。死にかけているような病気がある。

「五年目に返せるならかしてやる」

「それは必ず返します」

 志道軒は何かにひきこまれるように、とッさに叫んでいた。必死であった。彼はうろうろと春江の顔をさがして、彼女にも何か頼めということを必死の目顔で訴えようとすると、驚いたことには、春江はピタリと坐って、三ツ指をついて、薄笑いの方に向って、伏目がちではあるが、ジッと気息を沈めて相対している。春江も草むらの上に坐っているとしか思われない。春江にも病気がのりうつッているように見えた。春江! もうちょッとで彼は叫び声をたてそうであった。

 すると春江は静かな声で、

「一万円拝借できますれば、子々孫々安穏に暮すことができましょう。主人も今では落ちつきまして、後生を願い、静かな余生をたのしみたいと申すような殊勝な心に傾いているようでございます。しがない暮しはしておりますが、物分りのよい世話好きなどと多少は人様にも信用され、人柄を見こんで目をかけて下さるお客様もおいおいつくように見うけられます。開業さえいたしますれば当日から相当に繁昌いたそうと思われますので、五年で元利の返済はむつかしいこととも思われません。なにとぞ御援助下さいませ」

 志道軒はこの場のおのずからの対話、そのおのずから感得されひきこまれた何物かを考えて、これをやっぱり墓場の対話とよぶべきであろうと考える。あの相対する人の薄笑いをはいでみると、その下には、どうしても死んだ顔があったのだと考えるのである。

 こういうわけで、志道軒はひょッと老父を二十五年ぶりに訪ねたおかげで、どういうワケだか分らないが、大金をかりるようなことになった。

 志道軒は父よりの知らせによって、土曜日の午後に証文を持参して、父を訪れた。すでに一人先客があるのは、これが彼には初対面の自分の子供、お清の生んだ常友なのだ。お清の気質をうけたのか、育った環境のせいか、自分の子供のように思われるところは全くなかった。なんと挨拶の仕様もない困った気持であるが、左近はそういう俗世の小事には全く無関心の様子で、その冷さは人情の世界に住みなれている志道軒のハラワタを凍らせるような妖しさだった。

 そこへ流れる汗もふき忘れた如くに急ぎ来着したのが幸平である。この一族には父子の交りも行われていないから、近い血のツナガリある人たちであるが、みんな初対面である。左近が黙っているから、ミネがたまりかねて、幸平に志道軒や常友を紹介する。母の違う兄だの甥だのと云っても、一人は兄どころか親父にしても若くはないような変った風態の大入道。一人は甥だというが自分よりも年上の無学文盲のアンチャンだ。そんなものを一々気にかけてはいられない。実に幸平はそれどころの話ではないから、初対面の人々への挨拶などはウワの空。

 持参の包みを急いで開いて、預金帳と印鑑を一万七千円の包みの上に重ねて差出して、

「御命令によりまして一万七千円ひきだして参りました。どうぞお改め下さい」

 左近はアリガトウも云わなければ、軽くうなずきもしなかった。実にただ薄笑いをうかべて、幸平の差出したものを黙ってつかんで、まず預金帳を懐中にしまいこみ、次に印鑑をつまんでヘコ帯の中へ入れてグルグルまきこみ、それを帯の一番内側へ指で三四度押しこんでから、札束を掴みあげた。

 一万円の束から千円かぞえてひきぬいて、それを七千円にたして、

「この八千円は常友にかしてやる。こッちの九千円はタイコモチにかしてやる。タイコモチのは一万円から千円天引いてあるが、高利貸しにくらべればなんでもない。その代り、ほかの利息はぬいてやるから、五年目に一万円返すがよい。分ったな」

 志道軒、常友がうなずくと、証文をとって、

「用がすんだら、帰れ」

 左近の顔には、相変らず薄笑いが浮んでいた。

 志道軒は待望の大金をわが手におさめた喜びも大方消しとんだようだった。彼は恐しいものを見たのである。恐らく鈍感な常友は気がつかなかったであろうが、人の顔色をよむのが商売のコツでもある志道軒には、こんな恐しいことはむしろ気がつかずにいたいもの、いろいろと人の顔色を見ていたが、こんなムザンな顔を見たのは生れてはじめてのことだ。

 左近が札束を二つにわけて常友と志道軒に渡した時の幸平の顔というものは、突然あらゆる感情が無数の鬼になって一時に顔の下からとび起きて毛穴から顔をだして揃って大きな口をあけて首をふりまわしたようだった。幸平の目だの口だの鼻だのへ誰かが棒をさしこんでグリグリまわしているのに、その棒を突ッかえして飛びだしてくる無数の小鬼がいるのだ。彼は本当に大きな口をアングリあけて、二ツの目玉がとびだしたままだった。

 幸平がいそいそと来着して、初対面の人たちへの挨拶もウワの空に包みを解きはじめた様子を思いだすと、志道軒には全ての事情が察せられたのである。この男は自分に貸してくれる金だと思って、喜び勇んで持参したものにきまっている。左近はフンとも云わずに受けとって、それを直ちに他の二人に、彼の目の前で分け与えたのである。

 幸平のムザンな顔もさることながら、それに相対するものとして左近の薄笑いを考えると、それは人間のものでもなければ、鬼のものですらもない。

 二十五年ぶりに老父を訪れたときに、いきなり一万円貸してやろうと云いだした時、父の顔には悪病にかかった薄笑いがついていて、それをはぐと、下には死んだ顔、青い死神の顔があるような気がした。その顔と今日の顔とが結びついているのだ。

 常友や自分に金をかしたのは、常友と自分に金を貸すことが目的ではなく、幸平にそれを貸さずに、彼の目の前で他の二人に分ち与えるのが目的だったのである。

 左近が自分に一万円貸そうと云ったとき、彼が薄笑いを浮べて見ていたのは、この日の瞬間の幸平の顔だったのだ。

 志道軒は幸平の顔ばかりでなく、彼の実母ミネの顔も見た。それはやや時をへて後のことであったが、うちひしがれても、うちひしがれても、怒りの逆上するものがこみあげてくるような悲しくすさまじい顔であった。

 左近が一万七千円を投じて眺めてたのしみたかったのは、それらの顔であったらしい。それらの怒りや逆上や憎しみであったのだろう。彼にとって血のツナガリや家族とはクサレ縁、むしろ悪縁ということだ。悪縁の者どもが己れに向って人間の発しうるうちでその上のものはないという憎しみや怒りや逆上に狂うのを彼は眺めたいのであろうか。彼の冷い血は、それを眺めてはじめて多少の酔いを感じうるのであろうか。まったく彼の体内に赤い血があるとは思われない。青い血や黒い血が細い泥のように流れているかも知れない。これが人間だということも、自分の父だということも、考えることができなかった。

「これが五年前のことでござんすよ」

 と、倉三は長い話を一と区切りして、冷い杯をなめた。

 彼の顔は妙にゆがんだ。はげしい嫌悪が、とつぜん彼の顔に現れたのである。草雪が瞬間ギョッとしたほど生々しいものであった。倉三は平静にかえった。

「さて、五年前は、とにかく、これで済みましたが、五年後に何が起ると思いますか。その五年後が、実はあしたなんで。イエ、あしたが五年目の同月同日てえワケではありませんがね。五年前に輪をかけたことがオッぱじまろうてえ段どりで、私は永の奉公の奉公じまいという三日前に、旦那の云いつけで、一々案内状を持ってまわって来ましたんで。明日は水野左近の息子と孫がみんなあそこへ集りますが、そこで何がオッぱじまるかてえと、これが五年前にチャンと水野左近の頭の中に筋書ができていたのでさアね。呆れた話で」

 倉三はムッと怒った顔になって、ちょッと口をつぐんだ。


          


 五年前のあの時には、何事にもジッと堪え忍ぶことに馴れているさすがのミネも血相を変えた。わが身のことに堪え得ても、子供のことには堪えられぬ母の一念であろう。

 あまりと云えばムゴタラしい仕打ちです。それではこの子があまり気の毒です、と、日頃の我慢を忘れて泣き狂い叫び狂うミネの狂態を半日の余もじらしたあげく、左近は薄笑いをうかべて、こう云ったのである。

「なるほど、片手落ちはいけないな。五年目にお前の子にも、なんとかしてやろう。五年ぐらいは夢のうちだな」

 その五年目が明日であった。

 その三日前、倉三が当日限りでヒマをもらうという最後の日によびよせて、

「今日がお前の奉公じまいの日だな。奉公が終ってから、あと三ヶ日だけタダで泊めてやるから、三ヶ日のうちに荷物の整理をつけて立ち去るがよい。その三ヶ日はもはや奉公人ではないからウチの用はしなくともよい。さて、最後に一とッ走りしてもらおう」

 と、倉三を走らせて、志道軒、正司、幸平、常友のところへやり、倉三が立ち去る日の午すぎに当日財産を分与するからと参集を命じた。志道軒と常友は当日約束の貸金元利とりそろえて持参のこと、いずれも、心得ましたという返事があった。志道軒も常友も営業は格別のこともないが、まア順調のようであった。倉三が立ち戻って、承知しましたという一同の返事を伝えると、左近はニヤリと実に卑しげな笑みをもらして、にわかに抜き足さし足、自分の部屋へ泥棒にはいるようなカッコウで歩きながらチョイ〳〵とふりかえりつつ手まねきで倉三をよぶ。倉三がやむなく中へはいると、自分は一番奥の壁にピッタリひッついて尚もしきりに手まねきで自分の前まで呼びよせて、「シイー」口に指を当てて沈黙を示し、膝と膝をピッタリつき合わせて尚も無限ににじり寄りたげに、そして倉三の上体にからんで這い登るように延びあがって、倉三の耳もとに口をよせて尚、手で障子をつくり、

「お前はその朝ヒマをとって出かけるから見ることが出来ないから、面白いことを教えてやる。財産を分けてやるというが、実は誰も一文にもならない。おまけに銘々が憎み合って仲がわるくなるだけだ」

 左近はそこまで云うと、たまりかねてクックッと忍び笑いをもらすのだった。

 幸平は五年前に公金で株を買って穴をあけ、あてにしていた左近からの借金は目の前で人のフトコロへ飛び去ってしまい、まもなく公金横領が発覚してしまった。亡父の遺産を全部売り払っても数千円の穴がのこり、ミネが然るべき筋へお百度をふみ、母の慈愛が実をむすんで、とにかく表沙汰にならずにすんだ。五年後に実父から財産分与があることになっているから、そのとき残額およびに当日までの利子をつけて支払う。そういう一札をいれて、銀行の方はクビになった。その後はソバ屋の出前持に落ちぶれて辛くも糊口をしのいでいた。

 兄の正司も三十となり、なんとかして嫁をもらって一戸をたて、自分の店も持ちたいと思うが、最初の主家が没落したために、その後の奉公は次々とうまくいかず、まだ住み込みの平職人で、間借りして独立の生計をたてるのもオボツカなく、店をひらくどころか嫁をもらう資力すらも見込みがない有様であった。そのために元々陰鬱な性格が益々暗くひねくれて無口となり動作が重い。二十一二の若造がいっぱし高給をもらって面白おかしく暮しているのに、彼は女中や小僧どもにもナマズなどと渾名でよばれて、ちょッと目をむくが、どうすることもできない。立腹して暴力をふるい、店をしくじって路頭に迷ったことも再度あって、今では我慢がカンジンと思うようになった。彼がヒゲをたくわえたのも主人の訓戒をうけたからで、腹の立つときはヒゲに手を当てて自分の齢を考えるように、その訓戒をまもってヒゲに手を当てて大過なきを得ているが、そのおかげでナマズなどと呼ばれもする。

 左近は常友が返済する八千円を幸平の公金横領の穴ウメには与えずに、兄の正司に与えるツモリであった。ただしそれには次の誓約書が必要である。正司はその八千円から弟の公金横領の穴ウメに要する金額を貸し与える。弟は兄と談合の上二十年なり三十年なりの月賦によって借金を返済する。この約を守らなければ正司は八千円の所有者とはなり得ない。

 ところが幸平が穴ウメに要する金は五ヶ年の元利七千八百五十円ほどになっている。それを弟に貸し与えると、彼の手にのこるのはたった百五十円にすぎない。せっかく八千円の財産をもらっても、百五十円だけ握って、あとは捨てるようなものだ。三十の年配になってもたった一部屋の城主にもなれずナマズヒゲに手を当てて小僧や女中の嘲弄に胸をさすらなければならぬ正司の煩悶は尽きるところを知らぬであろう。

 さてこの借金を兄に返済する段になると、月に十円の大金を支払っても六十五年もかかる。ソバ屋の出前持の給金は、住みこみ月額三円五十銭というから、月に五十銭か、せいぜい一円の支払い能力しかなく、実に元金の返済だけでも六百五十年を要するのである。

 幸平はこの七千八百五十円をわが物としなければ、ついに法の裁きをうけて牢舎にこめられ、世間の相手にされなくなって暗い一生をいつも葬式のようにヒソヒソと歩いて送らなければならなくなる。是が非でも、これをわが物としなければならないのである。

 骨肉を分けた実の兄弟がこの問題をめぐってどのような結果に相成るか、左近の興はつきるところがない。

 さて一方、志道軒は命によって不足分を諸方の借金でようやく間に合わせた一万円をフトコロに、一子久吉をつれて到着する。本夕財産の分与をすると云い、一子久吉をつれて参れとあるから、志道軒こそは勘当をうけたとは云え、左近の嫡男である。よしんば自分の過去にはかんばしからぬ歴史があっても、一子久吉はまぎれもない水野家の嫡流、当然家をつぐべきはこの子供だ。フトコロの一万円ぐらい返しても、その何倍、何十倍という財宝が本日ころがりこむだろう、と胸算用をしながら到着するに相違ない。

 そこで左近は志道軒から一万円をうけとって、証文を返してやる。それから久吉の頭をなでてやったりしながら、志道軒に向って、

「その方はオレの長男ではあるが、勘当をつけた身であるから、後をつぐことはできない。しかし貴様の長男は、当然の嫡流で、わが後をつぐものはこの者だ。よってその方の長男たる常友にこの一万円を与える。これがオレの全財産だ」

 こう云って一万円を常友に与えるが、これにまた条件がある。

「常友が当家の嫡流であることはこのオレがその事実を承知しているが、表向きはよその戸籍の人間だから、その戸籍を訂正するまではこの一万円はお前にはやれぬ。それまではお前の弟の久吉に預けておく。お前が戸籍を訂正しないうちに万が一のことがあれば、弟の久吉が当家をつぐことになる。とにかくお前が当家の戸籍に返るまで、この一万円を久吉に預けて、その久吉の身柄は一万円ごとオレが当家に、このオレの室内に当分預っておくことにする。これで当家の相続問題と財産の分配はすんだが、本日は歴代の当主にとって一番大事な相続者がきまった日だから、オレにとってはこれほど目出たい日はない。特別に酒肴をだすから、今夕は存分に酩酊して、一同当家に一泊するがよかろう」

 そこで用意の酒肴をとりだして一同にふるまう。ここに意外にも最も当が外れたのは志道軒ムラクモであろう。若いころのふとした出来心、イタズラ心の所産で、常友が自分の子のような気は毛頭しないばかりでなく、生れた時から倉三の倅で、倉三のウチの畳の上で生れたガキではないか。オレの子と知っているのは内輪の四人五人だけで、親類縁者でもオレのオトシダネとは知らないのが普通だ。これがオレの嫡男とは迷惑な話。実にどうも思いもよらぬ。月にムラクモ。どうもオレの名が悪いや。しかし、彼奴あいつが水野家の戸籍の人間になる前に万が一のことがあれば、久吉がオレの嫡男、代って当家をつぐ嫡流はこれだと言ったな。一思いに彼奴をバラしてしまえば、当家の財産は久吉のもの、つまりオレの物だ。老いぼれ狸は白ッぱくれて当家の財産はこの一万円だけだなどと云っているが、オレは昔この目で見て知っている。もっと大財産がある筈だし、爪で火をともすようなケチンボーがその財産を一文たりとも減らしている筈はない。老いぼれが死んでみれば分ることだが、とにかく、常友の奴が水野の戸籍の人間になる前に万が一にしてしまえばいいわけだ。なに、オレの実子だなどと笑わせるな。オレはあんなバカな子供を生んだ覚えはないな。こッちがわが子とは思わないのに、わが子と称する怪物は尚のこと万が一にした方が清々としてよろしいようなものだ。

 志道軒はこう考える。酒の酔いにつれて益々殺意がたかぶるにきまっている。

 左近は一万円と久吉をつれて自分の部屋へひきこもる。四名の男と一名の女が酔っ払って一室にのこる。この夜、この機会を失えば、実の兄弟、父子といえども、再び一室に宿泊するはおろかなこと、たまたま同席するたった十分間の機会があるかどうかも疑わしい。

 左近は夢中にのびあがって倉三の耳に益々口を近づけて、手の障子をかたく張りまわして、

「ナマズと出前持は八千円のことで酔えば酔うほど気が気じゃないぞ。その八千円はナマズのフトコロにあるが、明朝までには出前持に七千八百五十円貸すか貸さぬかきめなければならんな。出前持はその金を借りなければ牢屋へ入れられるからこれは一生の大事だからな。ミネにしてみれば、二人の子供のどちらにもいいようにしてやりたいが、自分がその金を盗んだフリをして井戸へでも飛びこむかなア。タイコモチと女郎屋を殺してしまえば、二人の子供によいかも知れんが、久吉がオレと一しょに別室にいては一度にカタがつかなくてこまる。タイコモチは自分の倅の女郎屋を万が一にしてしまえばオレのものだと思いつのる一方だから頭に血がのぼって心臓が早鐘をうつようになる。そのとき」

 左近はまた、たまりかねてクツクツ忍び笑いをしはじめた。さすがの倉三もここに至って、まさにミイラになったように怖しさに身動きができなくなってしまった。

 左近は己れに最も血の近い五名の骨肉が盗み、殺し、自殺する動機をつくり機会を与えて、それを見物し、結果いかんと全身亢奮に狂っているのだ。人でもなければ、鬼も遠く及ばない。彼はもはや最も親しい者どもが血で血を洗い、慾に狂い、憎しみにもえて、殺し合うのを見て酔うほかには生きる目的がないのであろう。

 左近はようやく忍び笑いを噛み殺して、

「そのとき、な。オレが、なにか、やる。一ツのキッカケをな」

 彼はまた、たまりかねて忍び笑い、それを噛み殺すために幾条もの涙の流れをアゴの下まで長くたらした。

 彼はもう言わなくとも分るだろうというように、いかにも、さもあるべしというかの如くに、いくつとなく、うなずいた。

「な。面白いことになるぞ。これは、誰にも云うな。見たかったら、お前も夜中に窓の外へ忍んでこい。その音がきこえるだけでも、おもしろいぞ」

 そうささやいて、自分の口に指を当てて、沈黙を命じ、手ぶりで去れと命じたのである。それが明晩、水野家に於て起る予定の出来事であった。

 倉三は語り終って、酔いもさめ、ぐったり疲れきってしまった。

「怖しくって誰にも打ちあける勇気がありませんでしたが、はじめてあなたに打ち開けて、自分でもこんなことを物語っているだけでも夢を見ているようでさア。私はとても窓の外へ忍んでくるほどの度胸はありませんが、大原の旦那、明晩はとにかくタダじゃアすみませんぜ」

 草雪も聞き終って、しばしは呆然と口をつぐんでいるのみであった。ようやく、ホッと息をついたが、このようなケタの外れた話については、きいたり、語ったりすることが見当らなかった。

「お前さんは常友さんの吉原の貸座敷とやらへ落着くのじゃないのかね」

「とんでもない。お清はとにかく、私はアイツの子供の時から、親のようにしてやったことは一度もありませんので」

 云い終ってから倉三は、思いだしたようにちょッと頭をかいて、

「実は野郎が嫁をもらって女郎屋をやるときに、私と野郎の親子の縁は──戸籍の上のことではありませんが、旦那の前で起請をとって、フッツリ手を切るようにさせられましたようなわけで。ヘッヘッヘ」

 倉三の最後の笑いは、なんとなく未練がましくひびいた。


          


 翌朝、倉三は帰国の旅についた。

 そのあとで、水野家へどのような人が訪ねてきたか、物好きの草雪も一日見張りをつづけるほどの根気があるわけではないから、来客の姿を目で見たものはなかったのである。

 なるほど夜になってから数名の声がきこえはじめたのは、酒宴のせいらしい。ケチンボーの左近はランプもローソクも用いずに、いまだにアンドンを使っていた。

 酒宴は長くつづいて、いつまでもキリがなく人声がきこえてくるが話の内容は分らないし、果して酒宴の人声であるか、口論だか交驩こうかんだか、そういうこともシカとは見当がつけられない。酔っ払って唄をうたうようなのは一度もきこえなかったが、酒宴の事情が事情だから、唄のないのが自然であろう。もっとも、志道軒ムラクモというその道の専門家がいるから、この人物は親父の死に目やムシ歯の痛む最中でも唄って唄えない仁ではなかろう。左近の声だけは一度もきこえないが、地声が低いからきこえないのが当然だった。

 隣家にあまり険悪な様子もないので、早寝の草雪は自然にねむくなって、いつのまにやらねむりこんで、翌朝、太陽が高くあがるまで目がさめなかった。

 おそい朝食をすまして、ゆっくりお茶をのんでいると、着流しの平賀房次郎が窓の外からヌッと顔をさしこんで、

「相変らず早寝の朝寝のようですなア。ゆうべは珍らしく隣家に多勢の来客があって、おそくまで賑かでしたが、どうも、それで、ちょっと気になることがあってなア」

 草雪はハッとして、

「エ? 気になることがありましたか。それは、いつごろのことで」

「イエ、今のことですよ。三日前から馬丁の倉三君の奉公が終ったとかで、早起きの老人が早朝から馬にカイバをやって、馬小屋の世話を念入りに見ていたものですが、今日はまだ誰も馬の世話をしてやった者がない。馬が腹をすかして羽目板を蹴っているが、早起きでキチョウメンの老人がどうしたのやら。多勢の来客も泊ったようだが、誰か起きてきそうなものですがなア」

 午後になっても誰も起きてくる者がない。妙だというので、二人の隣人が警察へ知らせて、警官とともに、中へはいろうとすると、勝手口も、居間の潜り戸も内からカギやカンヌキがかかっているらしく、外からはあけられない。窓をしらべても、頑丈な格子がはまっている上に雨戸も堅く閉じられていて、猿や猫でも出入できるような隙間がなかった。ようやく勝手口をこじあけて中へはいると、実にサンタンたるものである。

 台所の次の部屋にはミネがノドを突いて血の海へうつぶしてことぎれている。ヒザをシッカとヒモでむすび、自らノドを突いた覚悟の自殺のようであった。

 さて、この部屋につゞいて左近の専用室が二つあるそうだが、出入口は一ヶ所幅三尺、高さが六尺の厚い板戸によって仕切られている。この一枚の板戸以外は厚い壁になっていた。板戸は左近の側から左右にカンヌキがかかるようになっている。しかし、そのカンヌキはかゝっておらず、開けることができた。

 戸口にちかいところに、左近が妙なカッコウにゆがみながら俯伏して死んでいた。背後から左近の背のほゞ中央を突いた小太刀が、ほとんどツバの附け根まで指しこまれ、肝臓の下部のあたりを突きぬいて一尺ほども刀の尖がとびだしていた。

 左近の屍体の近所には、フシギにも、八本の刀のサヤと七本の刀身がちらかっているが、いずれも刀身はサヤから抜き放れて別になって散らかっており、サヤが一本多いのは、刀身の一本が左近の身体にさしこまれているせいであった。

 その奥の部屋には、二ツの寝床がしかれていた。

 ミネが死んでいる部屋は全てがキレイに片づけられて、整頓されており、多数の人が泊ったあとは見られない。寝床は左近の奥の部屋に二ツしかれているだけだ。枕も各々に一ツずつ。どちらも一度は人がねたらしい形跡があった。

「おそくまで多勢の話声がしていたが。あの時刻から帰宅できるとすれば、近所に住む人々に限るようだが」

「多勢の客がいた跡がないのはフシギだね」

 と、昨夜の意外な来客の様子が特に深く印象されている二人の隣人がいぶかりながら台所を通って出ようとすると、──あった。おびただしい食器類がタライの中にゴチャ〳〵つめこんであり、その中にはこのウチでふだん用のない筈のカン徳利もタクサンある。そして台所の片隅に一升徳利が三本もあった。

 場所が近いので、結城新十郎は古田巡査の迎えに応じて直ちに出動した。

 新十郎がビックリしたのは、抜身の刀が左近の屍体の附近にしこたま散らかっていることだった。散らかっている抜身のどの一ツにも新しい血の跡はなかった。新十郎は左近の部屋と、ミネの死んでいた隣室との唯一の通路たる厚い板戸をしらべ、板戸の左右、三尺ほどの高さにあるカンヌキをしらべ、そのほかに、左近の屍体のあたりの壁の上方に欄間があって、二寸角もあるようなガンコな格子がはまっているのに注意したが、その格子に手をかけて揺さぶると、それはシッカリはまっていて、一度も取り外されたような形跡は見られなかった。

 そのとき、そッと顔をだしたのは大原草雪である。彼はキマリわるそうに、

一寸ちょっとお知らせしたいことがあるんですが」

 と新十郎に挨拶して、倉三からきいた左近のフシギな実験についての計画を物語ったのである。ここに於て局面は一変し、当日の出席者たる志道軒、常友、正司、幸平、ならびに久吉も呼ばれて各々別室に留置され、また、いったん小田原在の生国へ立ち戻った倉三も呼びだされた。彼は事件のあった日の夕刻、まちがいなく生国へ戻っており、その夜のアリバイはハッキリしていた。彼の無罪は明らかになったが、その証言が重大であるために、彼は最も鄭重ていちょうな扱いをうけて警察に宿泊することとなったのである。

 ところが、こんな奇妙な事実はあるものではない。倉三の証言によって、当日水野の家に参集した筈の人物は全部個別的に取調べをうけたが、彼らの全ては、当日たしかに水野家へ参集したことをアッサリ認めたばかりでなく、酒宴となって夜更けまで酒をのんだこと、左近と久吉がその専用室へ立ち去って、そのとき厚い板戸は左近の手で閉じられて直ちに内側からカンヌキをかける音がハッキリきこえたこと、とりのこされた四名の男とミネは各自ミネに手伝って部屋の食事を片づけて、終ってミネが部屋を掃きだしてから五名の寝床をしいたこと、板前の職人だった常友が甚だ熱心に食器洗い等に立ち働いて甚だしくミネの感謝をかい、出前持の幸平はそれが目下の本職であるにも拘らず手伝いに加わらないので、

「だから、お前は……」

 と、ミネに云われた。その言葉の終りは聞きとれなかったが、すると幸平はいきなり手の近くにあった皿をとって台所の方へ投げつけた。それは台所に接する壁にぶつかって割れたが、それまで幸平と同じように手伝うことを怠っていた正司は、それにハッとして立ち上ったが、にわかに台所へ歩いていって、然し皿洗いに働く常友や食器の運搬に立ち働く志道軒には目もくれず、一升徳利のところへマッシグラにすすんで、それを両手に持ち上げてラッパ飲みにしはじめた。

 倉三が左近から打ちあけられた話であるが、常友の持参した八千円と志道軒の持参した一万円を予定通りの方法で予定の人に授与したのは事実で、相続者としては常友が正当な嫡流であり、ただし水野家の籍に直るまで一万円は次の相続者たる久吉に預けてその身柄を左近が預る、ということも、実際そのように左近の指定発言が行われたのであった。

 一同は後を片づけてから寝床をしいて眠った。特にねる場所に注意したのはミネで、彼女は正司と幸平の中間に場所をしめ、二人の実子に己れの左右にねむることを指定した。その注意は他の二人にも彼ら自身の注意を喚起させ、志道軒は三名の足の方の寝床にねむり、常友は三名の頭の側の寝床にねむった。左近の居間への板戸に近い位置には正司と常友が近く、ミネも遠くはなかった。最も離れているのは志道軒と幸平であった。また常友は欄間をはさんで、左近の屍体と壁の左右に位置していた。

 何物かが寝しずまった部屋の中へ天井から降ってきた。誰ともなく一同は総立ちになった。そして騒いだ。暗闇の中を誰がどのように騒いで行動したか分らなかったが、そのうちに降ってくる物が抜身の刀であることに気附いた人々が益々狼狽し、誰かが刀だと一言云うと、やがて誰かが斬り合いをしたかのように、人々は生きた心地を失いフトンを楯の代りに構えて用心しつつ、壁に吸いついてすくんでたり、ジリジリ移動したりした。二人の身体がちょッとふれると二人は無言でパッとはじかれて飛び放れたり、地上にふしてフトンをかぶって構えたりするのであった。

 誰も自分でアンドンを探して燈火をつけることを考えたものがなかった。身をまもることに必死だったのである。ついに燈火をつけたのはミネであった。あまり緊張のはげしい異常な時間であったから、どれぐらいの時間が経過したか自信をもって言いうる者はいないが、十五分か二十分か三十分か、気分的には一時間以上のようだと思ってみることも不可能ではなかった。

 室内の五人には誰も異常がなかった。ミネだけはそうではなかったが、志道軒も、正司も、幸平も、常友も、みんな抜身を片手にもって、片手にフトンをかざしていた。

 フシギなことには、左近の居間へ通じる板戸が開け放たれているのだ。四名の者は改めてギョッと恐怖に立ちすくんだ。四名は各自羞じらったり、てれたりして刀とフトンを下へ落して、左近の居間へはいった。

 左近は背後から一刀のもとに突き伏せられて死んでいたのである。その物音に気附いた者は一人もいなかった。久吉は寝床の中から首をだして、ビックリと目を光らせていた。彼の寝床の位置から、左近の屍体は見えなかったのである。

 一同は相談の結果、夜明け前に逃げ去ることにきめた。全員にげだした筈だが、いつかバラバラになり、ミネが後に残って自害したことは、それが発見されるまで四名の男は知らなかった。彼らが立ち去るとき、寝床も抜き身もほッたらかしたままであった。それを片づけて、抜き身を左近の身辺へ捨ててきたのはミネの仕業であったろう。

 同室の四名の男はかねて答弁を言い合わした様子もないのに、まったく同じような返事であった。四人は各自が人に狙われているとカンチガイして、隣室で左近が殺されたのに気附いた者は一人といえどもいなかったし、その疑いを起したものもいなかった。自分の一個の大事に逆上して取りみだしていたのだ。

 とにかく、いくらか違った返事のできるのは、左近とねていた久吉だけであった。

 しかし久吉の返答は実にカンタンであった。つまり目がさめたら人がドヤ〳〵部屋の中へはいってきた。そのちょッと前に目がさめていたが、暗闇で何も見えないので、何かの音がするけれども、フトンをかぶっていた。何かの音は左近の死んだ音ではなくて、多勢の人の音のようであった。久吉がポツン〳〵と語ることはそれで全部で、一そうワケが分らなくなるばかりであった。

 警察の断定はハッキリしていた。ミネの夫殺しであり、そのための自殺であった。アンドンをつける落着きをもつ唯一の人物ミネが、かかる冷静な犯行をなしうることはフシギではない。彼女が夫を殺したい気持は鬼といえども同情の涙をもって許したであろう。この住家に左近以外の唯一の同居者たるミネが、カンヌキを外すコツも心得ていたのはフシギではない。

「ミネが夫を殺して自殺したものと断定しますが、結城さんの御意見は?」

 と署長に訊ねられた新十郎はカンタンにうなずいて、

「それで不満はありません。世間の人がそれに不服を言うこともありますまい。誰かが殺さなければ、私が殺したかも知れません。わざわざこの犯人を探すぐらいなら、武田信玄が自然死であるか、他殺であるか、自殺であるか、その犯人でもさがした方がマシなぐらいですよ」

 と新十郎は苦りきって答えた。


          


 海舟の前に、珍しや新十郎と花廼屋はなのやと虎之介がズラリと並んで坐っていた。

 海舟は事件の状況をこまかに聞き終って、例の如くナイフを逆手に悪血をしぼっていた。海舟は水野左近にはツキアイがなかったが、旗本の大身であるから、その名を知らないわけはない。虎之介は志道軒ムラクモの少年時代の剣術の同門で、年配も同じぐらいであった。もっとも志道軒は二十の年で勘当されたから、虎之介も彼について深い記憶があるわけでもない。

 海舟は悪血をとりながら新十郎に向って、

「板戸のカンヌキは外側から工夫してあけられる仕掛けがありそうかい」

 新十郎はニッコリ笑って、

「全然ございません。板戸は柱を通りこして溝の中へピッタリはまるようにできておりますから外部からは隙間というものがございません」

「すると内側の者でなければカンヌキを外すことはできないな」

「その通りです」

「左近はカンヌキをしめるのを忘れたか、または左近がカンヌキを外したか」

「なぜでしょうか」

 海舟は新十郎の澄んだ目を見てフフンと笑って、

「奴メ、かねて用意の八本の刀をみんな隣室へ投げこんで、だんだん騒ぎがはじまったから、ソッと板戸をひらいてみたと考えられないかな」

「ハハア。天の岩戸でげすか。汚らしい大神様だね。力持の神様は誰だろう」

 花廼屋は遠慮なく海舟先生をまぜッ返している。ここがこの男の身上である。

 新十郎はややはじらって、

「先生の推理も一理ですが、部屋はいずれも真の闇で、左近といえども視覚によって愉しむことは思考外でありましたろう。それに、左近が殺された位置は、彼が隣室へ抜身を投げこみつつあった位置で、そこは欄間の下でもあって、隣室の音をききわけるには最も適した位置のようです」

 花廼屋はウッと驚き、膝を一打。

「さては犯人は、久吉!」

 新十郎はいささか困惑。

「左近を突き刺した者は、子供でもなければ女でもあり得ますまい。相当に腕のたつ人。正司と常友は幼児から菓子屋と料亭へ小僧にあがった根からの町人で腕が立つとも思われませんし、幸平も武道には縁のない優男やさおとこ。ツカの根元までクラヤミの気配を狙って一刺しにできるのは相当の使い手でありましょう。剣術に手練てだれの者は泉山先生の同門、志道軒一人のようです」

 新十郎はニッコリ笑って推理にとりかかった。

「内側からカンヌキを外した者が左近でないと分れば、この謎は解けましょう。カンヌキを外したのは久吉の他に有る筈がございません。そして久吉がカンヌキを外したことを全然否定している事実をお気づきになれば事件の謎は一目リョウゼンです。父親志道軒の云いつけ以外に、久吉が嘘をつく筈はありません。そして久吉がカンヌキを外したことを志道軒が隠さねばならぬ必要があるのは、彼がそれを利用して左近を殺したからでありましょう」

 それだけの推理では彼も甚だ不満の様子であった。彼は言葉をつづけて、

「倉三の話によりますと、骨肉相食む地獄図の実演を創案した左近の設計には些か狂いがあったようです。その最も甚しいのが、いったん常友を相続者と定め、但し水野の戸籍に直った時を相続人の時期と定めて、それ以前に彼に万が一のことがあれば、久吉を以て相続人と定める旨を言い渡しました。倉三の語るところではこれは、志道軒をして、常友が水野の戸籍に直る前に殺させようとの企みで、常友と志道軒が他日再会することも容易でないから、その晩殺すに極っていると一方的に思いこんでいたようです。これが左近の大失敗でありました」

 新十郎は愉しげに笑って、

「正司や幸平には常友を殺す動機はありませんから、もしも常友が殺されればその犯人は志道軒と自ら白状しているようなものではありませんか。しかし、常友の相続を妨げるもっともカンタンな方法があるのですよ。それはその晩、左近を殺してしまえばよろしいのです。さすればその晩は常友が水野の籍に直る前にきまっておりますから、相続者は久吉たること、決定的ではありませんか。おまけに常友が殺された場合とちがって、左近が殺された場合には、ミネも幸平も正司も彼を殺すに充分で、また強烈な動機があります。左近は人が殺し合うことにばかり熱中して、自分が殺されるに最も適当な条件がでていることを全く失念していたのですよ。さて、久吉は常友の相続が確定するまで、一万円とともに左近の室に同居することに昼のうちに定まりました。よってその晩からすでに左近と寝室を同じくするに相違ないから、酒宴が長時間つづいているうちに、久吉に命じてカンヌキを外すように言い含める時間や機会はいくらもあった筈でしょう。左近が抜身の雨を降らせたのは願ってもないことで、志道軒は己れの目的がハッキリしていて板戸のカンヌキが外れているのも知っているから、他の人々のように狼狽することもなく、まッすぐに左近の居室へのりこんで、彼を刺し殺してしまったのでしょう。なお、ミネが自害したのは、二人の実子のいずれかが犯人であろうと疑ってその罪をきるつもりであったのでしょう。幸平と正司が酒宴のあとで示した逆上的なフルマイなどは、母親にその疑いを起させるに充分の理由があったのでしょうね」

 新十郎が語り終ると海舟がうなずいて、

「なるほど。だが、左近を必ずしも悪しざまには云えまい。人が悪魔たることはボンクラにまさること数千倍。非凡であるな」

 虎之介がギョッとしてマンまるい目の玉をむいた。

底本:「坂口安吾全集 10」筑摩書房

   1998(平成10)年1120日初版第1刷発行

底本の親本:「小説新潮 第五巻第一〇号」

   1951(昭和26)年81日発行

初出:「小説新潮 第五巻第一〇号」

   1951(昭和26)年81日発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

※表題は底本では、「明治
開化
安吾捕物」となっています。

※初出時の表題は「明治
開化
安吾捕物 その十」です。

入力:tatsuki

校正:松永正敏

2006年511日作成

2016年331日修正

青空文庫作成ファイル:

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