安吾巷談
麻薬・自殺・宗教
坂口安吾



 伊豆の伊東にヒロポン屋というものが存在している。旅館の番頭にさそわれてヤキトリ屋へ一パイのみに行って、元ダンサーという女中を相手にのんでいると、まッ黒いフロシキ包み(一尺四方ぐらい)を背負ってはいってきた二十五六の青年がある。女中がついと立って何か話していたが、二人でトントン二階へあがっていった。

 三分ぐらいで降りて戻ってきたが、男が立ち去ると、

「あの人、ヒロポン売る人よ。一箱百円よ。原価六十何円かだから、そんなに高くないでしょ」

 という。東京では、百二十円から、百四十円だそうである。

 ヒロポン屋は遊楽街を御用聞きにまわっているのである。最も濫用しているのはダンサーだそうで、皮下では利きがわるいから、静脈へ打つのだそうだ。

「いま、うってきたのよ」

 と云って、女中は左腕をだして静脈をみせた。五六本、アトがある。中毒というほどではない。ダンサー時代はよく打ったが、今は打たなくともいられる、睡気ざましじゃなくて、打ったトタンに気持がよいから打つのだと言っていた。

 この女中は、自分で静脈へうつのだそうだ。

「たいがい、そうよ。ヒロポンの静脈注射ぐらい、一人でやるのが普通よ。かえって看護婦あがりの人なんかがダメね。人にやってもらってるわ」

 そうかも知れない。看護婦ともなればブドウ糖の注射でも注意を集中してやるものだ。ウカツに静脈注射など打つ気持にはなれないかも知れない。

 織田作之助はヒロポン注射が得意で、酒席で、にわかに腕をまくりあげてヒロポンをうつ。当時の流行の尖端だから、ひとつは見栄だろう。今のように猫もシャクシもやるようになっては、彼もやる気がしなかったかも知れぬ。

 織田はヒロポンの注射をうつと、ビタミンBをうち、救心をのんでいた。今でもこの風俗は同じことで、ヒロポン・ビタミン・救心。妙な信仰だ。しかし、今の中毒患者はヒロポン代で精一パイだから、信仰は残っているが、めったに実行はされない。

「ビタミンBうって救心のむと、ほんとは中毒しないんだけど」

 などゝ、中毒の原因がそッちの方へ転嫁されている有様である。救心という薬は味も効能も仁丹ぐらいにしか思われてないが、べラボーに高価なところが信仰されるのかも知れない。しかし織田が得々とうっていたヒロポンも皮下注射で、今日ではまったく流行おくれなのである。第一、うつ量も、今日の流行にくらべると問題にならない。

 私は以前から錠剤の方を用いていたが、織田にすすめられて、注射をやってみた。

 注射は非常によろしくない。中毒するのが当然なのである。なぜなら、うったトタンに利いてくるが、一時間もたつと効能がうすれてしまう。誰しも覚醒剤を用いる場合は、もっと長時間の覚醒が必要な場合にきまっているから、日に何回となく打たなければならなくなって、次第に中毒してしまう。

 錠剤の方は一日一回でたくさんだ。ヒロポンの錠剤は半日持続しないが、ゼドリンは一日ちかく持続する。副作用もヒロポンほどでなく、錠剤を用いるなら、ゼドリンの方がはるかによい。

 錠剤は胃に悪く、蓄積するから危険だというが、これはウソで、胃に悪いといっても目立つほどでなく、煙草にくらべれば、はるかに胃の害はすくない。蓄積という点も、私はアルコールを用いて睡ったせいか、アルコールには溶解し易いそうで、そのせいか蓄積の害はあんまり気付かなかった。私の仕事の性質として、一週間か十日は連続して服用する必要がある。あと三四日は服用をやめて休息する。すると連続服用のあとは、服用をやめてからも二日間ぐらいは利いている。その程度であった。しかし私の場合はウイスキーをのむから、これに溶けてハイセツされて蓄積が少いということも考えられ、ウイスキーをのまない人の場合のことはわからない。

 精神科のお医者さんの話でも、あれを溶解ハイセツするにはウイスキーがいちばんよいらしいとのことで、私の経験によっても、錠剤を用いる限りは、ウイスキーをのんで眠って、十日のうち三日ぐらいずつ服用を中止していると、殆ど害はないようだ。

 又、服用の量も、累進するということはない。これは多分に気のせいがあって、昨日よりも余計のまないと利かないような気がするだけだ。

 ただ、実際、利かない場合が一度だけある。それは三四日服用を中止したのち、改めて服用しはじめた第一日目で、この時だけは、なかなか利かない。つまり蓄積がきれているせいだろう。したがって、その反対に、蓄積すれば小量のんで利くことが成り立つわけで、事実その通りなのである。だから、第一日目だけ、当人の定量より多い目にのむ必要があるが、翌日はもう定量でよく、三日目、四日目は定量以下へ減らしても利く。多くの人は、このことを御存じない。どうしても定量、又は定量以上のむ必要があると思いこんでいるのである。

 私の場合で云うと、私はゼドリンの二ミリの錠剤を七ツぐらいずつのむ習慣だった。一ミリなら十四のわけだが、どうも、二ミリ七ツの方が利くようである。これは製造元でたしかめると分るだろう。二ミリ七ツというのは普通の定量より倍量ちかく多いが、しかし、私は四五年もつづけていて、これで充分だったのである。織田にしても日に最低三十ミりは注射していたし、現在ダンサーの多くは三十ミリの注射ぐらい、朝メシ前という状態である。注射だと、どうしても、そうなりやすい。

 私は七ツの定量のところ、第一日目だけ、九ツのむ。二日目は七ツでよく、三日目、四日目は、六ツ、五ツと下げ、四ツですむこともあった。利かなかったら、またのめばよいのだから、はじめは小量でためしてみることがカンジンで、覚醒剤は累進して用いないと利かないという信仰を盲信してはいけないのである。

 したがって、私は覚醒剤の害というものを経験したことはなかった。

 害のひどいのは催眠薬だ。


          


 私はアドルムという薬をのんで、ひどく中毒したが、なぜアドルムを用いたかというと、いろいろの売薬をのんでみて、結局これが当時としては一番きいたからである。今日では、もっと強烈なのがあるらしいが、私はアドルム中毒でこりて、ほかの素性の正しい粉末催眠薬を三種類用いて、みんな、また、中毒した。

 現在日本の産業界はまだ常態ではないので、みんな仕事に手をぬいている。当然除去しうる副作用の成分を除去するだけの良心的な作業を怠っているわけで、それで中毒を起し易いのだそうだ。しかし、当今は乱世で、副作用などはどうでもよく、手ッ取りばやく利けばいい、というお客の要求が多いから、益々、副作用を主成分にしたような催眠薬が現れる。一粒のむと、トタンに酩酊状態におちいるような魔法の薬が現れるのである。

 人はなぜ催眠薬をのむか、といえば、このバカヤロー、ねむるためにきまッてらい、と叱られるだろうが、当今は乱世だから、看板通りにいかない。

 私の場合は覚醒剤をのんで仕事して、ねむれなくて(疲労が激しくなってアルコールだけでは眠れなくなった)仕方がないので、ウイスキーとアドルムをのんでるうちに中毒した。このアドルムは、ヒロポンの注射と同じように、のむとすぐ利く、しかし、すぐ、さめる。一二時間でさめる。そこで一夜に何回ものむようになって、中毒するようになるのである。

 しかし、中毒するほど、のんでみると、この薬の作用が、人を中毒にさそうような要素を含んでいることが分ってくる。

 田中英光はムチャクチャで、催眠剤を、はじめから、ねむるためではなく、酒の酔いを早く利かせるために用いていた。この男の苦心は察するに余りがある。あれぐらいの大酒飲みは、いくら稼いでも飲み代に足りないから、いかにして早く酔うかという研究が人生の大事となるのである。この男は乱世の豪傑のシンボルで、どれぐらい酒を飲んだか、ということが分らないと、彼の悲痛な心事は分らないようだ。

 この男が、二年ほど前、私が熱海で仕事をしていたとき、女の子をつれて遊びに来て、三日泊って行ったことがある。

 朝、一しょにのむ。私が一睡りして目をさますと、彼は私の枕元で、まだ飲んでいる。仕方がないから、私も一風呂あびてきて、また相手をすると、酔っ払って、ねむくなる。又、ねむる。目をさますと、もう、とっぷり夜になっていて、私の枕元では、益々酒宴はタケナワとなっているのを発見するのである。仕方がないから、また相手になって、ねむたくなって、

「オイ、もう、とてもダメだから、君は君の部屋へひきあげて、のんでくれよ」

 と云うと、

「ヤ、そうですか。じゃア、ウイスキーもらって行きます。それから、奥さんに来ていただいていゝですか」

 といって、田中と女二人が行ってしまう。田中の部屋では、田中と女二人でトランプをして、その間中、田中はウイスキーとビールをあおりつゞけているのである。

 ロスアンゼルス出場のオリムピック・ボート選手、六尺、二十貫。彼は道々歩きながらウイスキーをラッパのみにするのが日常の習慣で、したがって、コップに波々とついだウイスキーを、ビールのようにガブガブのむ。

 私は胃が悪いので、小量で酔う必要があって、ウイスキーをのんでいたが、あの当時は、熱海にはウイスキーがないので、東京の酒場からウイスキーとタンサンを運んでもらっており、いつも一ダースぐらいずつストックがあった。そのストックを田中英光は三日間で完全に飲みあげてしまったのである。

 田中と飲んでいると、まったくハラハラする。貴重なるウイスキーがビールのように目に見えてグングン減るからである。三十分とたゝないうちに、一本カラになる。ウソみたいである。本当だから、尚、なさけない。

 私が旅館をひきあげるとき、勘定を支払う時に、また驚いたが、田中は私のウイスキーをのみほしたほかに、ビール二ダースと日本酒の相当量をのみほしていたのである。これはみんな、私の部屋から追ッ払われて、自分の部屋へひきあげてから、寝酒にのんだのだ。眠っている時間のほかは完全に酒をのみつゞけており、私のところへ来た時ばかりではなく、概ね彼の日常がそうであったらしい。

 一日に三四本のウイスキーを楽々カラにして、ほかにビールも日本酒ものむ胃袋であるから、彼がいくら稼いでも、飲み代には足りなかったろう。いかにして早く酔うかということが、彼の一大事であったのは当然だ。そこで催眠薬を酒の肴にポリポリかじるという手を思いついたのはアッパレであるが、これは、どうしても田中でないと、できない。

 今、売りだされているカルモチンの錠剤。あれは五十粒ぐらい飲んでも眠くならないし、無味無臭で、酒の肴としても、うまくはないが、まずいこともない。田中がカルモチンを酒の肴にかじっているときいたときは驚かなかったが、カルモチンでは酔わなくなって、アドルムにしたという話には驚いた。あの男以外は、めったに、できない芸当である。

 アドルムは、のむと、すぐ、ねむくなる。第一、味の悪いこと、吐き気を催すほどであるが、田中は早く酔うためには、なんでもいい主義であったらしい。それにしても、酒の肴にアドルムをかじることが可能であるか、どうか。まア、いっぺん、ためして、ごらんなさい。そうしないと、この乱世の豪傑の非凡な業績は分らない。

 この一二年、田中が書きなぐっている私小説に現れてくる飲みっぷりの荒っぽさは、けっして誇張でなく、むしろ書き足りていないのである。事実の方がもっとシタタカ酒をのんでいた。あの男が、六尺、二十貫のからだにコップをギュッとにぎりしめて、グビリグビリとビールのようにウイスキーをのみへらすのを見ると、とてもこの豪傑と一しょに酒は飲めないという気持になる。こうして朝から夜中まで五軒でも十軒でもまわる。ともかく、いくらか太刀打ちできたのは郡山千冬で、この男も、五日でも十日でも目をさましている限りは酒をのんでいられる。しかし酒量に於ては田中の半分には達しない。最後までツキアイができた悲しさに、田中の小説の中でいつも悪役に廻って散々な目にあわされているが、田中の小説は郡山に関する限り活写されてはいる、しかし、田中自身が活写されていないからダメである。両雄相からみ相もつれるに至った大本のネチネチした来由、それはツマラヌ酒屋の支払いの百円二百円にあることで、三銭の大根を十銭だして買ってオツリが一銭足りなくて、オカミサンが八百屋に恨みを結ぶに至るというような、それと全く同じ程度にすぎない俗な事情にあることを、彼は彼自身の場合に於ては、その俗のまま書くことを全く忘れている。ただ相手のことだけ書いているのである。

 こういう田中だから、友達ができなかったのは仕方がない。自分だけ人に傷けられてると思っているのだから、始末がわるい。

 女を傷害して、その慰藉料ということで、彼は悪戦苦闘していたそうだが、こういうことは友達にたのめば一番カンタンで、友達というものは、こういう時のために存在するようなものである。

 我々文士などゝいうものは、人のことはできるが自分のことはできない。人の借金の言い訳はできるが、自分の借金の言い訳はできない。福田恆存が税務署へ税金をまけてもらいに行こうとしたら、隣家の高田保が、

「自分の税金のことは云いにくいものだから、ボクが行ってきてあげよう」

 と、たのみもしないのに、こう言って出かけてくれたそうだ。さすがに保先生は達人で、まったく、保先生の云う通りのものなのである。

 困った時には友達にたのむに限る。私が二度目の中毒を起したとき、私は発作を起しているから知らなかったが、女房の奴、石川淳と檀一雄に電報を打って、きてもらった。ずいぶん頼りない人に電報をうったものだが、これが、ちゃんと来てくれて、檀君は十日もかかりきって、せっせと始末をしてくれたのだから、奇々怪々であるが、事実はまげられない。平常は、この人たちほど、頼りにならない人はない。檀一雄は、私と約束して、約束を果したことは一度もない。たぶん、完全に一度もないが、本当に相手が困った時だけ寝食忘れてやりとげるから妙だ。

 田中英光の場合は、友だちに頼めば、なんでもなかったのである。その友だちが居なかった。

 私自身が田中と同じ中毒を起こしたことがあるから、よく分るが、孤独感に、参るのである。ほかに理由はないが、孤独感から、ツイ生ききれない思いで、一思いに死にたくなる。その誘惑とは私もずいぶん、たゝかった。一度、本当に死ぬつもりになったことがある。そのときは、女房が郡山千冬に電報をうって来てもらって、どうやら一時をしのいだが、それ以来、発作の時は親しい人をよぶに限ることに女房が気付いて、二度目の時には石川淳と檀一雄に来てもらったのである。そして、渡辺彰、高橋正二という二人の青年を泊りこませ、その他、八木岡英治や原田裕やに、夜昼見廻りに来てもらうというような、巧妙な策戦を考えてくれた。

 そうして私が気がついたとき、私は伊東に来ており、私の身辺に、四五人の親しい人たちが泊りこんでいるのを発見した。

 結局中毒などというものは、入院してもダメである。一種の意志薄弱から来ていることであるから、入院して、他からの力や強制で治してみても、本来の意志薄弱を残しておく限りは、どうにもならない。入院療法は、治るということにれさせるばかりで、たいがい再中毒をやらかすのは当然だ。結局、自分の意志力によって、治す以外に仕方がない。

 私は伊東でそのことに気付いたから、あくまで自分で治してみせる決意をたてたが、しかし、自由意志にまかせておいて中毒の禁断苦と闘うのは苦痛で、大決意をかためながらも、三回だけ、藤井博士から催眠薬をもらった。二度はきかなくて、三度目に、特にオネダリして強烈な奴をもらったが、それだけでガンバッて、とうとう禁断の苦痛を通過し、自分で退治ることができた。今はもう、一切薬を用いていない。

 病院へ入院し、強制的に薬を中絶された場合には、私のように三度オネダリすることも不可能で、完全に一度も貰えないのであるが、自分の自由意志によって、そうなるのではないから、ダメなのである。だから精神病院の療法はこの点に注意する必要があって、二度や三度は薬を与えても、患者の自由意志によって治させるような方向に仕向けることを工夫すると、中毒の再発はよほど防ぐことができるのではないかと思う。これは中毒のみではなく、精神病全般について云えることで、分裂病などでも、あるいは自覚的にリードできる可能性があるのではないかという気がするのである。

 とにかく、精神病(中毒もそうだろう)というものは、親しい友だちに頼むに限る。私は幸い、女房が石川淳と檀一雄をよんで急場をしのいでもらって、その後も適当の方策をめぐらしてくれたので、伊東へきて、大決意をすることができた。

 私の中毒にくらべると、身体がいいせいもあって田中英光は、決して、それほど、ひどい衰弱をしてはいない。彼は一人で、旅行もし、死ぬ日まで東京せましととび歩き、のみ廻っていたほどだ。

 私ときては、歩行まったく困難、最後には喋ることもできなくなった。

 田中英光のように、秋風の身にしむ季節に、東北の鳴子温泉などゝいうところへ、八ツぐらいの子供をつれて、一人ションボリ中毒を治し、原稿を書くべく苦心悪闘していたのでは、病気は益々悪化し、死にたくなるのは当りまえだ。孤独にさせておけば、たいがいの中毒病者は自殺してしまうにきまっている。

 しかし私のように、意志によって中毒をネジふせて退治するというのは、悪どく、俗悪きわまる成金趣味のようなもので、素直に負けて死んでしまった太宰や田中は、弱く、愛すべき人間というべきかも知れない。

 田中の場合がそうであるが、催眠薬はねむるためだと思うとそうでなく、酩酊のためだ。そして、このことは、案外一般には気付かれずに、しかし多くの人々が、その酩酊状態を愛することによって、催眠薬中毒となっているようである。

 私自身も、自分では眠るためだと思っていたが、いつからか、その酩酊状態を愛するようになっていた。

 催眠薬は、一般に、すべて酩酊状態に似た感覚から眠りに誘うが、アドルムは特にひどい。先ず目がまわる。目をひらいて天井を見れば天井がぐるぐるまわっている。

 私は中学生のころ、はじめて先輩に酒をのませられて、いきなり部屋がグル〳〵廻りだしたのでビックリしたが、そんなことは酒の場合は二度とはない。ところが、アドルムは、常にそうだ。

 私は若いころスポーツで鍛えたせいか、足腰がシッカリしていて、酒をのんでも、千鳥足ということが殆どない。ところが、アドルムは、テキメンに千鳥足になる。

 頭の中の感覚が、酒の酩酊と同じようにモーローとカスンでくるのであるが、酒より重くネットリと、又、ドロンと澱みのようなものができて、酒の酩酊よりもコンゼンたる経過を経験する。睡眠に至るこの酩酊の経過が病みつきとなり、それを求めるために次第に量をふやして、やがて、中毒ということになるらしい。私はそうだった。

 いったん中毒してしまうと、非常に好色になり、女がやたらに綺麗に見えて、シマツにおえなくなる。これは中毒になってから起ることで、単にアドルムをのんでるうちは、こうはならない。

 私は単に睡るためにアドルムを用い、常に眠りを急いでその為のみに量をふやす始末であったから、気がつかなかったが、アドルムをのむと愛撫の時間が延びるという。これは田中が書いている。田中は睡るためでなく、酔うためにのんだアドルムだから、そういう経験に気付いたのであろうが、あの薬の酩酊状態はアルコールと同じで、アルコールよりも強烈なのだから、そういう事実が起るのは当然かも知れない。

 ある若い作家の小説にも、たくましい情人に太刀打ちするのにアドルム一錠ずつのむというのがあったが、してみると、その効能は早くから発見されて、ひろく愛用されているのかも知れない。

 先日、田中英光の小説を読んで感これを久うした含宙軒師匠がニヤリニヤリと、フウム、あの薬をのむと、勃起しますかなア、とお訊きになったが、勃起はどうでしょうか。私は中毒するまで気がつかなかった。完全な中毒に至ると、一日中、勃起します。しかし、もうその時は、歩行に困難を覚え、人の肩につかまって便所へ行くようなひどい中毒になってからで、これでは差引勘定が合わない。人の肩につかまって歩きながら、アレだけは常に勃起しているというのは、怪談ですよ。

 病院へいって治せるなら、すぐにも、入院したいと思う。又、事実、中毒というものは持続睡眠療法できわめてカンタンに治ってしまう。鉄格子の部屋へいれて、ほッたらかしておいても、自然に治る。けれども、カンタンに治してもらえるというのは、カンタンに再び中毒することゝ同じことで、眠りたいから薬をのむ、中毒したから入院する、まことに二つながら恣意的で、こうワガママでは、どこまで行っても、同じくりかえしにすぎない。

 この恣意的なところが一番よく似ているのは宗教である。中毒に多少とも意志的なところがあるとすれば、眠りたいから催眠薬をのみたい、苦しいから精神病院へ入院したい、というところだけであるが、人が宗教を求める動機も同じことだ。どんな深遠らしい理窟をこねても、根をたゞせば同じことで、意志力を失った人間の敗北の姿であることには変りはない。

 教祖はみんなインチキかというに、そうでもなく、自分の借金の言い訳はむつかしいが、人の借金の言い訳はやり易いと同じような意味に於て、教祖の存在理由というものはハッキリしているのである。

 教祖と信徒の関係は持ちつ持たれつの関係で、その限りに於て、両者の関係自体にインチキなところはない。たゞ意志力を喪失した場合のみの現象で、中毒と同じ精神病であるところに欠点があるだけだ。

 麻薬や中毒は破滅とか自殺に至って終止符をうたれるが、宗教はともかく身を全うすることを祈願として行われているから、その限りに於て健全であるが、ナニ麻薬や中毒だって無限に金がありさえすれば、末長く酔生夢死の生活をたのしんでいられるはず、本質的な違いはない。両者ともに神を見、法悦にひたってもいられるのである。

 精神的な救いか、肉体的な救いか。肉体的な救いなどゝいうものは、空想上のみの産物で、現世に実存するものではない。しかし、精神的な救いを過度に上位におくのも軽率の至りで、あるとすれば無為の境涯があるだけだ。

 救いなどゝいうものはない、こう自覚することが麻薬中毒を治す第一課で、精神病院へ入院してもダメ、こと精神に関しては、自分の意志で支配して治す以外に法がないとさとる。救いは実在しないこと、自分の力で生きぬく以外に法がないと知って、お光り様へ出かけて行くバカはいない。もっとも、ヒヤカシ、というのはある。アソビ、というのもある。徒然だし、野球やタマツキや三角クジもあきたし、ひとつお光り様と遊んでみよう、という。これは甚だ健康だが、しかし、ヒロポン中毒のダンサーや浮浪児なども、もとはといえば、そういう健全娯楽の精神でイタズラをはじめて、中毒してしまったのである。宗教にもこれが非常に多いのである。まア徒然だし、人にさそわれて、退屈しのぎにヒヤカシにでかけて行くうちに、宗教中毒してしまう。

 麻薬中毒が、ヒロポンからコカインへ、アヘンから催眠薬へ、又ヒロポンへというように、相手はなんでもいゝから中毒すればよいという麻薬遍歴を起すと同じように、宗教の場合も大本おおもと教から人の道へジコー様へお光り様へというように宗教遍歴を起す。すべて同一系列の精神病者と思えばマチガイはない。

 いったい、この世に精神病者でないものが実在するか、というと、これはむつかしい問題で、実在しないと云う方が正しいかも知れない。程度の問題だからだ。すべての人間が犯罪者でありうるように、精神病者でありうる。麻薬中毒と宗教中毒は、アリウルの世界をすぎて、アルの世界に到達した場合で、精神病院へ入院してみると、病室は概して平和で、患者はつつましく生活しており、麻薬中毒や宗教中毒のような騒音はすくない。麻薬中毒も幻視幻聴が起きるが、宗教中毒もそうである。

 私は日本人は特に精神病の発病し易い傾向にある人種だと思うが、どうだろう。

 私は東大神経科へ入院しているとき、散歩を許されて、ほかに行く場所もないので、再三後楽園へ野球を見物に行った。私は長蛇の列にまじって行列しながら、オレが精神病者であることはハッキリしているが、ほかの連中もそうなんじゃないかな、この連中はその自覚がないのだから何をするか見当がつかないし、薄気味わるくて困った。

 私は野球を自分で遊ぶことは楽しいが、見るのは、そんなに好きでない。単にそれだから云うわけではないが、ほかに見ること為すことタクサンあるのに、なぜ、あんなにタクサンの人間が野球を見物しているか、ということだ。つまり、流行だからである。新聞が書きたてるからだ。面白くても面白くなくても、かまわない。流行をたのしむ精神である。

 これを私は集団性中毒と名づけて、初期の精神病と見るのである。麻薬中毒や宗教中毒は二期に属し、集団性中毒はこれよりは軽く、一歩手前の状態である。

 自分で見物したいと意志してはいるが、根本的には自由意志が欠けている。好きキライをハッキリ判別する眼力が成熟せず、自分の生活圏が確立されていない。新聞の書きたてるものへ動いて行く。動いて行くばかりで停止し、発見することがない。これがこの中毒患者の特長である。

 シールズ戦を見物の帰り、池島信平が、ウーム、あれだけの人間に二冊ずつ文藝春秋を持たせてえ、と云ったが、これだけ商売熱心のところ、やや精神病を救われている。私は伊東からわざわざ見物に行ったから、まだ精神病かも知れないが、こうして原稿紙に書きこんで稼いでいるから、やっぱり商業精神の発露で、病気完治せりと判断している。

 私はヤジウマではあるが流行ということだけでは同化しないところがチョットした取柄であった。戦争中、カシワデのようなことをして、朝な朝なノリトのようなものを唸る行事に幸い一度も参加せずにすむことができたし、電車の中で宮城の方向に向って、人のお尻を拝まずにすんだ。

 ベルリンのオリンピックでオリムポスの神殿の火を競技場までリレーするのは一つの発明で結構であるが、それ以来、やたらと日本の競技会で、なんでもいゝから、どこからか火を運ぶ。なにかを運んでリレーをしてからでないと、今もって日本の競技会はひらくことができないのである。海の彼方からは、赤旗の乱舞とスクラムとインターの合唱をやってみせないと気がすまないという宗教団体が船に乗って渡ってくる。

 この競技会の主催者や日本海を渡ってくる宗教団体は、悪質な宗教中毒の親玉であり、ノリトやカシワデが国を亡したように、こんな宗教行事が国家的に行われるようになると国は又亡びる。国家的な集団発狂が近づいているのである。

 美とは何ぞや、ということが分ると、精神病は相当抑えることができる。ノリトやカシワデや聖火リレーや天皇服やインターナショナルの合唱は、美ではないことが分るからである。しかし一方、狂人は自らの狂気を自覚しないところに致命的な欠点があるから、ここが非常にむつかしい。狂人には刃物を持たせないこと。最後にはこれだけしかない。権力とか毒薬とか刃物とかバクダンとか、すべて危険な物を持たせないことが、狂人を平和な隣人たらしめる唯一の方法なのである。

底本:「坂口安吾全集 08」筑摩書房

   1998(平成10)年920日初版第1刷発行

底本の親本:「文藝春秋 第二八巻第一号」

   1950(昭和25)年11日発行

初出:「文藝春秋 第二八巻第一号」

   1950(昭和25)年11日発行

入力:tatsuki

校正:宮元淳一

2006年110日作成

青空文庫作成ファイル:

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