探偵の巻
坂口安吾



       (一)


 去年、京都の伏見稲荷前の安食堂の二階に陣どつて「吹雪物語」を書いてゐたころ、十二月のことだつた。食堂の娘が行方不明になつた。

 娘は女学校の四年生だつたが、専ら定評ある不良少女で、尤も僕はその心根却々なかなか見どころのある娘だと思つてゐたから、娘の方も信用してゐた。

 そのころ京都には二人の友人があつた。一人は某大学の先生山本君。一人はその春学校を卒業して京宝撮影所の脚本部員となつて下洛した三宅君といふ威勢の好い若武者。大変恐縮な申分だが、当時小生専ら「吹雪物語」を考へつづけて暮してゐたから、老若二友がしきりと酒女へ誘惑するにも拘らず、毅然として──も大袈裟だが、時にそのやうなことがあつたのだから、見上げたものだと思ひなさい。

 老若二友、僕を誘惑しても、その日の虫加減で見込なしと判断すると、ひそかに食堂の娘をそそのかすといふ穏かならぬことを働く。尤も娘を誘惑できるやうな有為な騎士ではないから、実は、娘に案内させて、あやしげな喫茶店へ赴くのである。即ちこれ不良少女の巣窟である。そこで二人のもぐりの騎士は、京都くんだりの不良少女からひどく慇懃なもてなしを受けて、有卦うけに入つてゐるのであつた。

 食堂の親父は珍妙な人物だから、流石に先生は見上げたもんぢや、と益々僕を尊敬するばかり。目出度い話であつたが、まづ聞きたまへ。

 娘は養女であつた。食堂の主婦の姉の子だが、主婦なる女人が天下に稀なお天気屋で、朝は娘を甘やかし、夜は娘を打擲ちょうちゃくするめまぐるしい変転ぶり。娘は養母を軽蔑すること限りもなく、ひとごとながら、先の危なさが思ひやられて頼りない有様で、はじめから娘は家出するやうに出来てゐた。

 十二月のことだ。路上で中学生と立話してゐるところを見つかつて、母に叱られ、その夜行方不明になつたのである。

 お天気屋だから、さて娘が帰らないとなると、騒ぎが芝居もどきになる。当時食堂の二階は碁会所を開いてゐたから、碁席の番人関さんだとか、元巡査山口さん、祇園乙部見番けんばんのおつさん杉本さん等々、額を集めて町内会議がひらかれる。この元巡査がアルコール中毒で、頼りにならないこと夥しく、会議は専ら猥談の方へ進行するばかり、とても埒があかないのである。然らば先生に頼めといふので、親爺の奴山のやうな捜査資料を僕のところへ担ぎこんだ。流石大磐石の先生も目を廻しさうな、大変な手紙の山だ。

 渋々手紙の山を受取つて、さて、読んでみると、驚いた。手紙は大方不良少女同士の文通だが、昨日スケート場で中学の三年生の可愛い子をひつかけたから見せてあげるとか、予科のこども譲つてくれてメニサンクス。貴女に紹介された大学生、つきあつてみると、せんど厭らしい奴やないの。あたしの少年奪つた何子さんに、うち復讐せんならん、等々々。

 不良少女なんぞいふてあいを最も月並に考へて、老若二人のもぐりの騎士を常々ひやかすことにのみ専念してゐた小生も、俄に彼女等の非凡きはまる天才に驚き、「吹雪物語」もうつちやらかして、悦に入つて手紙の山を読みほぐし、遂に夜の白むのも忘れてしまふといふていたらくであつた。

「先生、てがかり、おまへんか」と翌朝親爺が現れた時、小生徹夜つづきの尚も法悦極まりない最中だから「まてまて、今に見つける」などと血走つた眼をして勿体ぶれば、親爺はへえーと敬々うやうやしく引退るといふ上乗の首尾である。かくして、名探偵の活躍がはじまることになつた。


       (二)


 シャーロック・ホームズに於けるワトスンの如く、私立探偵は助手が入用ときまつてゐる。翌朝早速京宝撮影所へ電話をかけ、三宅君にサボつてもらふことにした。直に駈つけた三宅君、不良少女の手紙の山を読みはじめると、ウームと痛烈な呻きを発して喰ひつくやうに手紙を握り、あとは小生の言葉も耳にはいらぬ有様である。

「こりや、いいな。早速片つぱしから、不良少女を訪問しませうや。男の子譲つてくれてメニサンクスなんてのは、こりや、どうせシャンぢやないな。かういふ奴は後まはしにして、このスケートは相当のシャンだね。まづ最初にこの子のところへまはつて──」

 と、勇み立つこと限りもない。これは大変な助手を頼んでしまつたと小生甚だ怖れをなしたが、小生以上に慌てたのが食堂の親爺夫婦で「うちの娘探すついでに、よその嬢さん口説かれては、わやや」と大義名分の通つた煩悶、即ちおかみさんが一緒についてくることになつた。も舌に及ばず、三宅君地団駄ふんだが、後の祭で、及ばない。

 かくして怪しげな三人連れがそれからの三日間、不良少女をあれからこれへと戸別訪問したのだが、皆目手掛りがない。

 甲は乙さんなら知つてる筈だといふ。乙は丙さんならと言ひ、丙はまたあら乙さんひどいわ自分知つてやはるくせにと言ふ。堂々めぐりである。よくもうまで自分ひとり好い子になれると呆れ返つて文句もないほど、他人のスキャンダルは洗ひざらひ喋べつてきかせる。中学生とどうして大学生とどうした等々。自分だけ聖女のやうな顔してゐる。どこへ行つても、さうなのだ。こつちはメニサンクスだの復讐せんならんを読んできてゐるのだから、大いに可笑しくて仕方がないが、先生達まことに悠々たるものである。

 小娘相手に立腹するのも大人げないが、皮肉のひとつも言ひたくなるので、手紙で見た男の名前やあひびきの場所をすつぱぬいて冷やかしてみると、あら、うち、よう言はんわ、など洒蛙々々しゃあしゃあたるもの、他人の話のやうに小気味良く笑ひだしたりするのである。ことごとく変幻自在意外極まる応接に、俄探偵二の句もでないていたらくであつた。

 小娘乍ら流石に不良少女だけのことはあつて、きかれもしない他人のスキャンダルはぺらぺらと喋べりまくるが、こつちの訊ねる急所となると、金輪際口を開かぬ。

 三宅君、不良少女の訊問を酒の肴に、気持よく一杯のんで、人生二十何年かの悪運つづきの鬱憤を一気に晴らす魂胆でゐたのであつたが、肴になりかねないのは、こつちの方で、翌日のこと、正装した二人の不良少女が手みやげの最中もなかかなんかぶらさげて、まだ戻らはらしまへんか、どんなことどすな、なんぞと敵情偵察かたがたお悔みにやつて来られた時には、俄探偵面目玉を踏みつぶして、遂に悲鳴をあげたのであつた。

 どこそこでおききやしたら、など二人の不良少女殊勝げに嘘八百の忠言までまくしたてて颯爽と帰つたあとには、二人の探偵腕を組んで顔見合せ、お互に三町離れて眺めたやうに小さく縮んで見える姿に悲嘆にくれ、酒だ酒だと、その晩はまんまと不良少女の肴になり終つて、やけ酒に酔ひつぶれた次第であつた。

 俄探偵の口ほどもない無能ぶりに呆れ果てたのが食堂の親爺夫婦で、こつちが鴨になる有様だから、口説くどころの話ぢやない。これは飛んだ罪なことを致しました、と安心して、四日目からは監視もつけなくなるといふ軽蔑ぶりであつた。

 三宅君世の無常を歎じて、京都の不良少女は二流でさあ。人間の心意気といふものが分らねえ、なぞ負け惜みを言つたが、意気揚がらざること夥しく、専らやけ酒を飲みたがるのも、また惨たる姿であつた。


       (三)


 数日前、河原町四条の洋品店のショップガールから電話があつてお宅の娘さんが金借に来たが、様子が変だから、二時間後に又来ておくれやすと一応帰したからといふ知らせであつた。それといふので、食堂の親爺が張込みにでかけ、漸く娘を連れて帰つた。

 この娘、家へ戻つてから頑として口を開かぬ。何処にどうして暮してゐたか、なんと手をつくしてみても無言の業で、先生になら話すといふ御挨拶ださうである。

 ところで先生、探偵では面目玉を踏みつぶし、不良少女に舐められて、いささかならず世を儚なんでゐる最中ではあり、家出だの道行だのといへば七八年来この先生とは親類づきあひの心安い間柄で専ら悪徳の講釈に憂身をやつしてゐる御仁だから、大いにてれて、その儀ばかりはと、ひらに辞退したのであつたが、食堂の親爺といふ稀代な人物、思ひ込んだら雷が鳴つても放さない守宮やもりの生れ変りだから、狙ひをつけて食ひつかれたら、もはや万事休すである。娘を一室へ呼び入れて、訊問致すことになつた。

 訊問が、どうせ訊問にならないのは、先刻御察しの通りで、娘の奴め、先生道行と親類づきあひしてゐることを見抜いてゐるから、家出のあひだ男と一緒にゐたことを問はれぬ先に白状したが、それを両親に知られると困るから、先生の力でなんとか巧く捌いてくれとぬかす。

 即ち先生、再びこゝに、見事に鴨となり果てたのである。先生悲嘆にくれること限りなく、ベロナールにしようか、いつそピストルにしてくれようかと、思ひつめたほどであつたが、娘帰宅の報にこれも面目玉を踏みつぶした三宅君にやにやてれながら現れて、悲嘆の小生に血涙したゝる同情を寄せ、然らば河豚ふぐに致さうと、河原町四条へ、生れて始めての河豚くひに出掛けたのは、まさしくこの時であつたのである。

 祇園乙部の界隈に、名高い豆腐屋があつて、隠岐おき和一の話(これが時々大いにあてにならないのだが)によると、日本一の豆腐ださうだが、東京のさる高名の料理屋が、この豆腐の製法をつぶさに模して作つたところ、一丁が五十銭につくので断念したといふ話があるのださうである。一流人の大精神は京都くんだりの不良少女づれに分らう筈のものではない。ますらをは花と咲き、また花と散るものぢやよ。ちよつとしても、日本一の豆腐ぢやなきや食はないから、ザマ見やがれ、と意気揚々、まづ祇園乙部の見番に杉本のおつさん(これは小生の碁敵だ)を訪れ、日本一の豆腐の由来を説明して、案内を頼んだ。

 さて、おつさんの案内で、まんまと日本一を手に入れた御両人、これを河豚料理屋へ持参に及んで、これで「てつちり」こしらへておくれやす、と見事に通なる註文をだし、なに河豚の毒血なんざあ搾らねえでも構はねえと大きなことをぬかしながら、大いに酔つたね。

 この時以来京都の街が狭くなつて大いに弱つた。人口百万もあるくせに、盛り場がたつたひとつで、新京極まで行かなければ活動写真も見られない町である。東京には友達が何万人──はちと桁が違つたが、ゐる小生、銀座で友達にめつたに会はぬが、友達がたつた二人の京都では屡々新京極でかちあつたのだから、だらしないほど小さな街だ。さて不良少女といふもの、年中盛り場を流してゐるものと見え、散歩のたびに必ず奴等にぶつかるのである。奴等を見れば、そぞろに身のふがひなさを思ひ知り、世の無常を感じること限りもなく、坊主にならうか、いつそ京都の警察へ志願して奴等のどぎもを抜いてくれようかと煩悶しながら、慌ただしく小説を仕上げて、一目散に東京指して逃げのびてきた次第であつた。

底本:「坂口安吾全集 02」筑摩書房

   1999(平成11)年420日初版第1刷発行

底本の親本:「都新聞 第一八三四二~一八三四四」

   1938(昭和13)年112426

初出:「都新聞 第一八三四二~一八三四四」

   1938(昭和13)年112426

※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。

入力:tatsuki

校正:noriko saito

2008年1116日作成

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