山の神殺人
坂口安吾



   十万円で息子を殺さす

     ──布教師ら三名逮捕──


【青森発】先月二十三日東北本線小湊、西平内間(青森県東津軽郡)線路わきに青森県上北郡天間林村天間館、無職坪得衛さん(四一)の死体が発見され、国警青森県本部と小湊地区署は他殺とみて捜査を進め、去る八日、主犯として青森県東津軽郡小湊町御嶽教教師須藤正雄(二五)を検挙、さらに十八日朝被害者の実父である上北郡天間林村天間館、民生委員、農坪得三郎(六一)と得三郎を須藤に紹介した同、行商坪勇太郎さん妻御嶽教信者しげ(五〇)を逮捕した。……

──(朝日新聞五月十九日夕刊)──


     子を捨てたがる父


 公安委員の山田平作は夜になるのを待って町の警察へ出頭した。長男不二男がヤミであげられていたからである。

「ご苦労さまです」

 署長が気の毒そうに彼を迎えた。不二男が警察の世話になるのは、これで五度目だ。公安委員という肩書の手前、平作は人の何倍も肩身のせまい思いをしなければならない。

 平作は道々思い決して来たものだから、署長を見ると亢奮して云った。

「今度ばかりはつくづく考えました。御先祖様の位牌に対しても顔向けができませんから今度という今度は、思いきって勘当、廃嫡いたそうと思いますが」

「そうですなア。お気持は推察できますが、警察の世話になるような人間には何よりあたたかい家庭が必要なんですな。ここで突き放してしまうと益々悪い方へねじむけるばかりでして」

 署長が云いにくそうに言いかけるのを、小野刑事がひきとって、

「勘当なんてことをしたら、箸にも棒にもかからない悪党が一人生れるばかりでさ」

 いまいましそうに呟いた。父親の責任を忘れるな、と云わぬばかりの語気が感じられて、平作は思わず気色ばみ、

「警察のお力でドショウ骨を叩き直して貰うわけにいきませんかね。親の手に負えないから、お願いするのだが」

「警察の手に負えなくとも、親の手には負えなくちゃアならん理窟ですな。親の心掛けがそうだから子供がねじ曲がるのだね。公安委員ともあろう人が」

 小野の語気が荒立つので、署長が制した。

「小野君は不二男君の事件を担当しているので、情がうつっているんですよ。商売熱心で、とかくムキになり易いのがこの人物の長所でもあり短所でもあり。不二男君も結婚に早いという年でもないのですから、よいオヨメサンでも見つけてあげると落ちつくかも知れませんよ」

 署長はおだやかにこうとりなした。知らない人がきくとただおだやかな言葉のようだが、知る人がきけばそれだけではない。なぜなら、平作の言葉の様子ではまるで二十前後の不良少年を勘当する話のようにうけとれるが、実は不二男は当年三十三にもなっている。

 平作は今の女房に頭があがらないから、先妻の子の不二男にやさしい言葉をかけてやったこともない。不二男は少年時代からまるで作男のように扱われて育った。戦争がなければもっと早くグレてとっくに家出でもしていたろうに、いわば戦争に救われたとでも云うべきか、勇躍出征した。兵隊、戦争の生活は彼にとってはむしろはじめての青春時代であったのである。

 終戦後、グレはじめた。相変らず父の作男のような生活ながら、ヤミをやり、ヤミの仲間と時にはよからぬカセギをもくろむようなこともあって、警察沙汰になることが重なったのである。

 その度に被害を蒙るのは平作で、示談だと云って金をとられ、ヤミでは自分の作物を盗んで売られ、重ね重ねの損失の上に肩身のせまい思いをしなければならぬ。けれども世間は平作に同情どころか、

「ノータリンの作男でもタダで雇えやしまいし、一人前に成人した長男にヨメもとらせずタダを幸いコキ使うから、こうなるのさ」と批評はつめたい。

 平作はかねてこの世評に腹を立てているところへ、署長が不二男君にヨメを、と云ったものだから、面白くない。

「あんな奴のヨメになる女がいるものですかい。なりたいという女があれば、色キチガイさね」

 腹立ちまぎれに、百年の仇敵を呪うようなことを呟いた。

 と、そのとき平作は警察の奥から賑やかな音が起っているのに気がついた。

「ナム妙法蓮華経。ナム妙法蓮華経。ナム妙法蓮華経。ナム妙法……」

 まるで滝の音のようにキリもなく湧き起るお題目の声。女の声だが、必死の気魄がみなぎっている。

「あれは何ですか。警察の中と違いますか」

 署長は苦笑して、

「朝から夜中までですよ。ほれ、例の山の神の行者お加久ですよ」

「人殺しの……」

「イエ、人殺しの方は、どうやらお加久に罪はなさそうです。あんまりうるさいから、今日にも釈放のつもりですが」

 数日前に、農家の甚兵衛方で娘殺し事件が起った。キ印の娘ヤス子(当年十八歳)を一室に監禁し、食事を与えずチョウチャクして死に至らしめたという事件である。一家の者が心を合せて謀殺の疑いがあったが、これに山の神の行者お加久が一枚加わっている。ヤス子に憑いている狐を落してやると云って、十日間も泊りこんで祈った。ヤス子に食事を与えなかったのも、後手にいましめてチョウチャクしたのも、狐を落すためというお加久の指金さしがねだったという町の噂であった。

「ところが取り調べてみると、どうやら、そうじゃないんですよ。お加久の所業と見せかけて罪をまぬがれようという甚兵衛一家の深い企みがあるのです。お加久は体よく利用されたにすぎないようです。どうも、邪教を利用して殺人罪をまぬがれようという奴がいるのですから、正気の人間はとにかく役者がさすがに一枚上ですよ」

 署長はイマイマしげに説明した。すると小野がふと気がついたらしい様子で、

「不二男の奴、山の神の信者になったらしい様子ですぜ。また、お加久の奴が、どういうものか、不二男に目をつけたんですね。不二男に死神がついてると云うんです。それを払ってやるというんですな。昨日まではそうだったんだが、今朝方から、不二男の奴、合掌して、お加久に合せてお題目を呟いてる始末ですよ」

 それをきくと平作の目の色が変った。

「すると、お加久にたのむと、不二男の性根を叩き直してもらえますかな」

「神様のことは警察には分りませんや」

「ひとつ、お加久に会わせていただけませんかな。もしも不二男の性根が直るものなら」

「ハッハッハ。会わせてあげないこともありませんが、それ、そこのベンチに腰かけて合掌してる怪人物をごらんなさい。兵頭清という二十五の若者ですが、お加久の大の信者でしてな。教祖の身を案じてあのベンチに坐りこみです。性根が直ってあんな風になるのも、困りものかも知れませんぜ」

 普通に背広をきて、一見若い事務員風の男。それがジイッと合掌している。青白い病的な若者じゃなくて、運動選手のような逞しさ。それがジイッと合掌しているから、かえって妖気がただよっている。平作はつぶさにそれを観察したのち、

「イヤ、あの方が何より無難です。ぜひお加久に会わせていただきたい」

 そのあげく、お加久が不二男の性根を叩き直してくれることになり、お加久は兵頭清とともに当分平作の家に泊りこんでお祈りをすることになった。そこで不二男とお加久はその晩同時に釈放となり、これに兵頭清を加えた三名が平作にひきつれられて警察を出た。

 ところがそれから三四十分後に、濡れ鼠の平作がただ一人蒼い顔で警察へ駈けこんだ。


     神様をだます人々


 平作の語るところによると、こうである。

 その日は暮れ方から降りだした雨が、平作の立ち去るころにはドシャ降りになっていた。平作の家は町からかなり離れていて、小さいながらも一山越えなければならない。

 平作はチョウチンを持ち先頭に立って山径を歩いた。どうにも一列でしか通れない道だ。ドシャ降りではあるし、お加久はお題目を声はりあげて唱えつづけているしで、ほかの物音はきこえない。平作は滑る山径を歩くだけが精一パイであったが、ようやく登りつめたところでふと振向いてみると、後にしたがってるのはお加久と兵頭だけで、不二男の姿が見当らない。

「オレのすぐ後が不二男の順であったが、まさか突然姿が掻き消えたわけではあるまい」

「坂の途中で小便の様子だから通り越して来たんですよ」

「バカヤロー。不二男の策にはまってズラカられたのだ。それで死神を落してやるの、性根を叩き直してやるのと、気のきいたことができるものか。もうキサマらに用はないから、とッととどこへでも消えてなくなれ。不二男の奴、もう、カンベンならねえ。警察で勘当の話をつけてもらう」

 平作はジダンダふんで警察へ戻ってきたのである。

 話をきいて、小野刑事はフッとタバコの煙をふいて、

「お題目の様子が神妙すぎると思ったら、やっぱりね。邪教が人をだますというが、この町の連中は邪教をだますのが流行だね。お加久はだませても、オレの目はだませないぞ。不二男の行き先ぐらいは、考えるヒマもいらないさ。一しょに来なさい。つかまえてあげる」

 小野は立ち上ると、いきなり外出の支度をはじめた。

 小野は平作をうながして、ドシャ降りの中へとびだした。裏通りから露地へまがる。

「シッ。静かに」小野は平作を制しておいて、小さな家の戸口の方へ進んだが、にわかに立ち止った。

「アッ。誰か、人が」

 平作にはそんな気配は分らなかった。

「え? どこに? 誰もいないようだが」

「イヤ。たしかに誰かがあッちへ逃げたような気がするが。……こうドシャ降りじゃア、どうも、仕方がない」

 小野はあきらめて、小さな家の戸口に立った。表戸をドンドンと叩いて、

「今晩は。大月さん。今晩は」

 二十回も戸を叩いたと思うころ、ようやく屋内で人の気配がうごいた。

「夜中に、なアに? 女の一人住いに」

「まだ夜中じゃないよ。九時に二十分前だ。これから三時間もたつと、そろそろ夜中だが」

「誰だい? 酔ッ払いだね」

「警察の者だ。ちょッと訊きたいことがある」

「警察? フン、誰だい、酔ッ払って」

「戸を開けろ。山田不二男のことで訊きたいことがある」

 にわかに小野が大音声でキッパリ云うと、屋内の女はあわてた。戸があいた。

「なんだい。小野さんか。なんの用さ?」

 三十三四の女。後家のヒサというカツギ屋である。ちょッと渋皮のむけた女。なにかと噂のたえない人物である。

「不二男が来てるだろう」

「来てませんよ」

「フン。誰とねてた? 奥の男は誰だい?」

「誰も来てやしないよ」

「ほんとか。上ッて見るぞ」

「ええ、どうぞ。あんまり人を侮辱しないで下さいよ。近所隣りがあることだから」

「御近所は、もう慣れッこだ」小野はいきなりズカズカ上りこんだ。ガラリとフスマをあけると、奥は一部屋しかないから逃げ場もない。フトンの中の男がもっくり起き上って、観念の様子。

「ヤ。鈴木か。鈴木小助クン、意外な対面。カカアに云いつけてやるぞ」

 小野は小助を見下してニヤリと笑った。この町のカツギ屋の大将格のオヤジである。

「悪いことをした覚えはないよ。とッとと行っとくれ」

「ウン。よいことをしただけだな」

 小野は皮肉を浴せたが、諦めて靴をはいた。

「一ツだけ教えてくれ。さッき不二男がここへ来たろう」

「誰も来やしないッたら」

「誰もじゃない。不二男だ。二三十分前に表の戸を叩いたはずだ」

「知らないよ。グッスリねてたから」

 小野はドシャ降りの表へでた。うしろで戸がピシャリとしまって、カギをかける音がしている。

「さッき、逃げたのが、不二男さ。奴サン、せっかく恋しい女のところへ駈けつけたのに、先客アリでしめだされ、そッと中をうかがっていたらしいや。このドシャ降りにご苦労な話さね。カツギ屋の後家なんぞ張るもんじゃないよ。カゼをひくだけだ」

 不二男に女がいるという噂をきいていた平作は、さてはそれがあの女かと思った。

「あの女は後家ですかい?」

「後家のヒサさ。村一番の働き者で、イタズラ女さ。何人男がいるか分りゃしない。いまに血の雨が降らなきゃいいが、不二男なんぞも、気をつけないと……」

 本通りで、平作は小野に別れた。いまに血の雨が降らなきゃいいが……小野の一言が彼の頭にしみついている。

「悪い女にかかりあっていやがる」

 不二男のおかげで、わが家がメチャ〳〵になるような気がした。終戦後、二町歩の田畑を五町歩にふやし、山林も買いつけ、町では押しも押されもしない歴とした旦那の一人となり、公安委員にもなったのに、不二男のおかげで、とかく人々の尊敬がうすい。

「せっかくオレがこれほどの身代を築きあげたのに、あの野郎がいるばかりに……」

 平作のハラワタは煮えるようだ。彼の望みは大きい。彼の眼中に新しい農地法なぞはない。彼の頭にしみついているのは、昔からの農村伝説だ。

 太陽がこッちの山からでてあッちの山へ沈むまでの土地をそっくり我が物とし、鶏がトキをつくるたびに黄金が一升ずつふえていくような分限者になりたいのだ。そして人々に百姓の王様と仰がれ、彼が野良を歩くと、案山子以外の全ての人間が泥の中へうずくまって土下座する。見渡す全てのミノリも、全ての山々の緑も、彼自身のものである。

「オレがママにならないのは太陽だけだ。人間のウジムシどもなぞが、オレにオソレ多くも話しかけることもできないようにならなくちゃア……」

 夢のようなことを考える。ふと我にかえると、夢を裏切る現実に、まず何よりもハラワタが煮えたつのは不二男のことなのである。


     術にかかる神様


 平作がドシャ降りの中を疲れきってわが家へ戻ると、わが家の土間では大騒動がもちあがっている。土間にお加久と兵頭ががんばっていて、入れろ入れないで女房お常と争っているのである。

 お常は平作を見るより駈けよって、

「どうしたのさ。いつまでも、どこをうろついてきたのさ」

「不二男の姿をさがしていたのだが」

「不二男ならとっくに戻ってきて、ねちまったよ」

「そうか。一足先に帰りやがったか」

「この人たちを、どうするツモリなんだよう。不二男についてる死霊とかメス狐とかを落すんだって? お前さんが頼んだッてのは本当なのかね」

「イヤ、一度はたのんだが、あとで断わったのだ。しかし、まア、このドシャ降りに突き放すのも気の毒だから、今夜だけは馬小屋へ泊めてやろう。お前ら、表へでろ。ウチへ上りこもうなんて、ふとい奴らだ。お情けに今夜だけは馬小屋へ泊めてやるから、ワラをかぶって寝てろ」

 平作はお加久と兵頭を馬小屋へ連れこんだ。

 もともと平作がなぜお加久をわが家へ連れこむ気持になったかというと、不二男の性根を直そうという考えじゃなくて、甚兵衛のウチで起った事件にヒントを得たせいなのである。

 不二男がお加久の信者になったときいて、こいつはシメタと考えた。

 平作は新興宗教なぞに特に関心はもたないから、教祖だの行者なぞというものを、ただの人間、むしろウジムシと考えている。易者はお客を妄者とよぶそうだが、その易者も自身の未来が占えずシガない暮しを立てているとこは、妄者以下、ウジムシじゃないか。ウジムシの神通力なぞバカバカしくて考えることもできない。

 けれども世間にはウジムシ以下のバカが存在することも確かで、たとえばウジムシの信者になるバカがいる。こういうバカに対して、ウジムシが一応の神通力があるのも確かである。

「信者は教祖の意のままになるものだ。お加久に鼻グスリをかがせ、不二男を思うようにあやつらせて、できることなら一思いに……」

 甚兵衛は自分たちも手を下したからロケンしたが、万事神サマの神通力にまかせてしまえばロケンする筈がないと考えた。

 こう考えてお加久をわが家へ招く気持になったのであるが、不二男の信心が警察をあざむく手段で、帰宅の途中まんまと平作もだしぬかれてズラかられてしまったから、平作は怒り心頭に発してお加久を咒ったのである。

 けれども、また平作の心が変った。不二男にああいう悪い女や仲間がいては、いよいよ早々と不二男を片づけてしまう必要がある。平作の頭には小野の言葉がしみついていた。

「いまに血の雨が降らねばよいが……」

 あの疑り深い刑事でも、ヒサのことでは血の雨が降りそうだと考えているのである。

「こいつは、利用できるぞ。ヒサのことで不二男が殺されたと見せかけさえすれば……」

 新しい考えが平作の頭にうかんだのである。

 平作はお加久と兵頭を馬小屋へ連れこんでワラの上へ坐らせた。平作はチョウチンをマンナカに立てて、二人をジッと見つめて、

「お加久はさすがに相当な行者と見えて、不二男についた死神とメス狐が見えるらしいな」

「見えるとも。憑かれた人間には影がたちこめているものだ。狐の鳴く声もきこえる」

「なんだ。影や声しか見たり聞いたりできないのか。オレには不二男についてる死神もメスの狐もハッキリ姿が見える。死神もメスの狐も不二男の背にしがみついて、両手を首にまき両足を腰にからみつけて藤のツルのようにシッカリしがみついている。死神の奴が右肩から、メス狐の奴が左肩から、不二男の顔をマンナカにまるで顔だけ三ツある化け物のようだが、身体は一ツで、何百年も年を経た藤ヅルのようにくいこんで一体となり、とても放す見込みがない」

「イエ、オレが法力で落してみせる」

「キサマ、影ぐらいしか見えないくせに、大きなことを云うな。オレにはチャンと見えているのだが、それでもどうすることもできないのだぞ。こう執念深くガッチリくいこんでしまっては、もう普通では落すことができないものだ。ヤ。待て、待て」

 平作は袖でチョウチンの火を隠すようにしながら、ジイッと聞き耳をたてていたが、

「フン。どうやら、ソラ耳であったらしい。死神や狐は疑り深いから、近所で相談していると、すぐカンづいて、足しのばせて立ち聞きにくるのだ。大声をたてると悟られるから、お前らモッと前の方へ寄ってこい。チョウチンの火があるとグアイが悪いから、火を消すが、お前ら片手をだせ。めいめいの片手を握りあって、心を合せて相談しよう。こうしないと、死神や狐が間へはさまって立ち聞きされてしまう。いいか」平作は左手でお加久の片手をとり、右手で兵頭の片手をとった。

「お前らもめいめいの手をシッカリ握り合うのだ。まちがって死神や狐の手をつかまされないように、チョウチンの火のあるうちによーく改めて確めるがよい。火が消えてからは、どんなことがあっても手をはなしたり、握り変えたりしてはならぬ。ちょッとでも力をゆるめると、死神や狐の手にすりかえられてしまうから。いいか。シッカリ握ったな。それではチョウチンの火を消すぞ」

 平作は顔を押し当てるようにしてチョウチンの火を吹き消した。にわかに馬小屋はくらやみとなり、ローソクのシンに残った小さな赤い一点だけがチョロ〳〵している。

「さて、これでよい。それでは云うが、死神と狐の両手両足は不二男の首と腰に肉の中までくいこんでいるから、放すこともできないし、死神と狐だけ殺すということもできない。三位一体のようなものだ。不二男を助けるために、不二男の身体だけそのままにしておいて助けるというのが無理なのだ。心臓も首もそっくり重なって一ツになって息をしているのだから、どうしても一度は不二男の息をとめないと死神も狐も落すことができない。不二男の背から心臓のところをグッサリ突き刺す。短刀の刃先が心臓を突きぬいて向う側へとびでるまで突き刺さなければならない。こうして横に倒してから、次には不二男の首を斬り落す。一分でも皮がついてるようではいけない。スッパリと斬り落して胴体と首をバラバラにしなければならない。そうすると、死神と狐の首が落ちるのだ。こうすれば死神と狐を落すことができる。こうしなければ、ほかに落す方法はないのだ。どうだ。お前らにはそれが分らないか」

 お加久が歯をガタガタふるわせながら、

「そうだ。そうだ。その通りだ。そうすれば死神と狐を落すことができる。どうしても、そうしなければ落すことができない。三ツ重ねておいて心臓をブッスリ刃の根本まで突き刺す。三ツの首を重ねておいて一ツに斬り落す。こうしなければならない。こうすれば必ず死神も狐も落ちるぞよ」

「そうだ。しかしな。人に見られると、どうにもならぬ。不二男を山におびきだして、誰も見ている人のない山奥でやらなければならない」

「そうだとも。オレは山の神の行者だから、山の神のお膝元へおびきよせてやらなければならぬぞ。日光の奥山がよい。日光へおびきよせてやらなければならぬぞ」

「そうだ。日光の男体山の奥山でやらなければならぬ。中宮祠の裏のずッと奥の沢へでて藪の中でやらねばならぬ。それをやるのは兵頭の役だが、兵頭はやることができるか」

「そうだ。そうだ。それをやるのは清の役だ。清はきっとやることができる。うしろから心臓をブッスリ突き刺して、首を斬り落すのだ。きっとやることができるぞよ」

 兵頭も寒気と亢奮とで石のように堅くなってブルブルふるえていたが、こう云われると膝からガクガクとゆれはじめて、カチカチと時計のように歯を鳴らしながら、

「ハイ、オレが必ずやってみせます。オレも昔のオレではない。いまでは、神様を見ることも、声をきくこともできるようになりました。もう一とふんばりで、立派な行者になってみせます。不二男の死神と狐はオレがスッパリ落してみせます」

 それをきくと平作は力一パイ二人の手を握りしめて波のように揺さぶりながら、

「ナム妙法蓮華経。ナム妙法蓮華経」

 お題目を唱えはじめた。二人の狂信者がそれにつれて、ここをセンドと合唱しはじめたことは云うまでもない。


     王様誕生


 それから十日ほど後のことである。日光男体山の山中で心臓を刺され、首を斬り落されて死んでいる男が発見された。

 一定の日でないと行者が通ることもない山だが、その日に限って里人がそこを通ったので、兇行の翌日に死体が発見された。これも一ツの幸運。

 殺された男の懐中から一通の手紙がでてきたので、被害者の身許も分った。重ね重ねの幸運だ。被害者は云うまでもなく不二男。隣りの県の人間だ。この手紙が現れなければ、事件は永遠に解決されなかったであろう。

 手紙はヒサからのもので、日光で待っているから来てほしい。迎えの人を馬返しにだしておくから、その人の案内通りに安心してついてきて欲しい。日光の山中でつもる話をして縁を結びたい、という味なことが書いてあった。

「すると、情痴の殺人か。それにしては、わざわざ首を斬り落すほどテイネイなことをしながら、懐中を改めないとはマヌケの犯人がいるものだ。常識では考えられないようなマヌケだね」

 ところが日光からのレンラクで、小野刑事がヒサを取り押え、取り調べてみると、ヒサは当日他の場所にいたことが、多くの人々の証言もあってハッキリ分ったのである。

 ヒサはそんな手紙は書いた覚えがないと云った。

「チョイト、旦那。この手紙は男の手だわね。女の手に似せるために、わざとヘナチョコに曲げて書いたのよ。私はね。カツギ屋渡世はしてますけどさ。これで書は小学校の時から然るべき先生について、書道の奥儀をきわめているんですからね。スズリと筆をかしてごらんな。水茎の跡を見せてあげるから」

 書かせてみると、なるほど達筆、どこの姫君が書いたかと思うような能筆である。捜査はやり直しということになったが、被害者の身許は判明したし、証拠の手紙があるから、犯人の所在はきわめて限定されている。ヒサをめぐる男を洗って行けばよい。ところが、ヒサの情夫をしらべてみると、みんなアリバイがある。みんなカツギ屋のことだから、それぞれ当日の所在にはハッキリした証人があげられるのである。

 小野刑事は考えた。

「そうだ。男を迎えにだすと書いてある。情夫が迎えにでるわけはないから、迎えにでた男というのは情夫のうちの誰でもない別の人間でなければならぬ」

 駅へ行って調べてみると、その前日日光行きの切符を買って翌日戻ってきた人間の居ることが分った。これが兵頭清である。

「そうだ。兵頭なら警察で不二男に対面しているから迎えの使者の役目が果せるわけだ。使者は兵頭ときまったぞ」

 小野はコオドリして、兵頭の行方をさがして、平作の馬小屋でお加久と共に祈りをあげているところを捕えたのである。

 兵頭が白状したので事件は解決した。このお礼に、平作は十万円を投げだして、お加久のためにお堂を立てることになっていたのである。

 平作は捕えられたが、黙秘権を行使して一言も物を云わない。たぶん彼はこの世で実現できなかった夢を牢屋の中へ持ちこんでいるのだろう。むしろ牢屋の中での方が、彼の夢は実現し易いのかも知れない。

「オレは王様だ。王様を牢にとじこめるとは何事だ」

 彼は時々格子にしがみついて、歯ぎしりして叫んでいるそうである。

底本:「坂口安吾全集 14」筑摩書房

   1999(平成11)年620日初版第1刷発行

底本の親本:「講談倶楽部 第五巻第一〇号」

   1953(昭和28)年81日発行

初出:「講談倶楽部 第五巻第一〇号」

   1953(昭和28)年81日発行

入力:tatsuki

校正:藤原朔也

2008年510日作成

青空文庫作成ファイル:

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