散る日本
坂口安吾



 一九四七年六月六日

 私は遠足に行く子供のやうな感動をもつて病院をでた。私の身辺には病人があり、盲腸から腹膜となつて手術後一ヶ月、まだ歩行不自由のため私も病院生活一ヶ月、東京では六・一自粛などと称して飲食店が休業となり、裏口営業などといふ、この影響如何、悪政と思はざるか、新聞記者がそんなことを訊きにくる。つまり私が飲ン平で六・一自粛の被害者の代表選手に見立てられたわけだが、病院生活一ヶ月、私は東京と無縁の生活で、裏口をくゞるはおろか、自粛のマーケットを外から眺めたこともない。

 病人は新らたに胸が悪くなり、腹に水がたまりだしたから、病院の方で匙を投げて、手に負へなくなつたから内科の医者に切りかへる方がいいといふ、病室の隣りがすぐ工場で、金属をきる最高音が火花をちらして渦巻き起つてゐるのだから、私は仕事をすることもできない。私はまつたく一ヶ月ぶりの外出で、私はそれまで二三度外出したが、それは金策とか東京の名医を迎へに行くとか病人の食べ物を依頼に行くとか、私のための外出は始めてであつた。私は子供の遠足と同じやうに竹の皮の握り飯をぶらさげてゐたのである。私は幸福であつた。

 目蒲めかま電車は事故を起して、単線の折返し運転。多摩川園前で乗客を降して、全員を渋谷行きへ乗換へさせる。二つの電車のラッシュアワーの混乱を一時につめこむから、座席も総立ちとなり網棚にぶらさがつても後から後から押しこんで、私の足は宙にういてせり上つて下へ落ちない始末、握り飯に執着して頭上へ持ち上げたのが運のつきで、心臓を防衛する腕を失つたから、全乗客の圧力がぢかに心臓にかゝつてきたが、もう持ち上げた腕を下すことができない。握り飯の代りに心臓をつぶすとは哀れな最後だなどと危篤昏酔のうちに、渋谷へついた。私はしばらく歩行ができず、押しだされるとホームの鉄柱にもたれて、意識の恢復を待たなければならなかつた。

 東中野のモナミへついたのが九時半、塚田八段は来てゐたが、木村名人未だ来らず、東日の記者すらもまだ見えない。応接室のソファーにねて、水をとりよせ、救心といふ心臓の薬をのみ、メタボリンをのみ、ヒロポンをのんで、どうやら人心地ついたとき、倉島竹二郎が、ヤア、しばらくだな、とはいつてきた。

 私は名人戦が三対二と木村名人が追ひこまれたとき、次の勝負はぜひ見たいと思つてゐた。私には将棋は分らないが、心理の闘争があるはずで、強者、十年不敗の名人が追ひこまれてゐる、心理の複雑なカケヒキが勝負の裏に暗闘するに相違ない。私はそれが見たかつた。私は生来の弥次馬だから名人位を賭けて争はれるこの勝負を最も凄惨なスポーツと見て大いに心を惹かれたもので、死闘の両氏に面映ゆかつたが、私は然し私自身の生存を人のオモチャにさゝげることをかねて覚悟に及んでもゐるから、私自身がこの死闘に弥次馬たることを畏れてはゐなかつた。

 病人のことにかまけて第七回戦を忘れてゐたから、この勝負が千日手に終つた時には喜んだもので、翌日さつそく次の勝負の観戦を毎日新聞へ申込む。許可を得たときは子供みたいに嬉しかつた。


          


 私のやうに退屈しきつた人間は、もう野球だの相撲だの、それがペナントを賭けたものでも、まだるつこくて、見てゐられない。臍をだす女だの裸体に近いレビューだの、見る気持になつたこともない。終戦以来、たつた一度アメリカのニュース映画を見に行つたほかは(原子バクダン)映画も劇もレビューも野球も相撲も見たことがない。見たいと思はないから。

 思へば空襲は豪華きはまる見世物であつた。ふり仰ぐ地獄の空には私自身の生命が賭けられてゐたからだ。生命と遊ぶのは、一番大きな遊びなのだらう。イノチをはつて何をまうけようといふ魂胆があるでもない。

 文学の仕事などといふものが、やつぱりさういふ非常識なもので、いはゞそれに憑かれてゐるからの世界であらう。芸ごとはみんなさうで、書きまくつて死ぬとか、唄ひまくつて、踊りまくつて、喋りまくつて、死ぬとか、根はどつかと尻をまくつて宿命の上へあぐらをかいてゐる奴のやることだ。

 俺の芸は見世物ぢやないとか、名も金もいらない、純粋神聖、さういふチャチな根性ぢや話にならない。人様がどう見てくれようと、根は全然そつちを突き放してゐるから、甘んじて人様のオモチャになつて、頭を叩かれようとバカにされようとエロ作家なんでもよろしい、一人芝居、憑かれて踊つてオサラバ、本当の芸人なら生き方の原則はこれだけだ。我がまゝ勝手、自分だけのために、自分のやりたいことをやりとげるだけなのだから。

 将棋名人戦は私のオモチャであつた。

 私が特別気に入つたのは十年不敗の名人が追ひこまれてゐることだ。中には知つたかぶりか木村名人は調子に乗つてるだけで頭抜けて強いわけぢやないといつたりする人もあるが、私も将棋は知らないけれども、この十年間、名人戦ばかりでなく、その他の勝負、これといふ手合に殆ど負けてゐないのだから、調子だけでかうは行く筈のものではない。ほかの芸ごとで誰と誰とどつちが名人か、さういふ水かけ論とちがつて、碁将棋にはちやんと勝負があり、その勝負の示す戦績がケタ外れに頭抜けてゐるのだから、木村名人はたしかに強いに相違ない。

 たしかに強い方が負けて追ひこまれてゐるから、私は気に入つた。

 私は昔から木村名人が好きであつた。いはゞヒイキであつたのである。なぜなら木村名人は闘魂の権化の如き人物で、勝つためには全霊をあげて、盤上をのたくりまはるやうな勝負に殉ずる「憑かれ者」だと信じてゐたからであつた。

 木村名人の一代前は関根名人と云つて、この人は将棋は弱かつたが、将棋がキレイで、さすがに名人の風格、などと称せられたのであつた。弱いけれど名人の風格などといふバカげたことが有るべきものではない。強いから名人、それ以外はない。

 文学の方でも秋声先生の縮図などを枯淡の風格とくる。面白をかしくもない、どこと云つて心にしみる何物もあるでもない。ところがその淡々たるところが神業だと云つて、面白をかしくないから、俗ならず、高雅で、大文学だといふ。夢みたいなことを言つて、それを疑りもしないから、バカげてゐる。

 然し文学の方には勝負がないのだから、私がどう言つても水かけ論だが、将棋のやうに勝負のハッキリしたものでも弱いけれども名人の風格、駄ジャレにもならない言葉が誰に疑られもせず通用してゐるのだ。

 将棋の強弱は勝つための「術」によるものだ。剣術も同様、相手に勝つ術が主要なものであり、風格などは問題ではない。

 兵法とか剣術といふものは乱世の所産で、是が非でも勝つため、勝たねば我身を失ふために編みだされた必然の術であつたが、太平になれると戦はずして勝つ、などいふ奇術的曲芸をより大なる兵法なりと称するに至る。

 昔の剣の試合は真剣勝負だから一命にかゝはる。だから剣術や戦争は戦はずして勝つのが第一便利にはきまつてゐるが、それは曲芸的な意味ではなく、真に自分に実力があつて、戦へば勝つ、それがハッキリしてゐるから、戦はずして勝ちうるので、戦つても勝つ、無駄な損害を省くだけの話なのである。

 ところが日本に於ては、実力なき者が戦はずして勝つ、さういふ有りうべからざることを前提として兵法だの剣術が俗物共の真実めかしたオモチャになつたから、そして、それが堂々、国民の性格的な教養信念として通用するに至つたから、あれは、今日の大敗北、破滅を見るにも至つたのである。

 織田信長は兵法の大家、日本に於ける第一人者であつた。種ヶ島伝来の鉄砲を第一番に手に入れたのは武田信玄であつたが、彼は火縄銃といふものが一発打つと二発目までに操作の時間を要することを見て、これでは、この操作の時間に敵た斬りこまれるから兵器としてはダメだと見切りをつけ、一発目を防ぐ楯をつくり、これで一発目をしのいで、二発目までに斬りこむ、かう考へて鉄砲を防ぐ楯の発明に主点をおいた。

 ところが信長は、操作の時間をゼロにする方法を発明、鉄砲隊を三列にして、第一列が射つ、次に、第二列、次に第三列、第三列が射ち終るまでに第一列が第二発目の用意を完了する。然し射ちもらした敵にふみこまれると鉄砲隊は接近戦に無力だから、鉄砲隊の前には壕を掘り、竹の柵をかまへ、少数を射ちもらしても接近にてまどるうちに更に射ちとる、独創的な戦法によつて武田氏を亡してしまつたのである。

 日本の兵法がどんなにバカげたものかと云へば、甲州流だのくすのき流だの、みんな無手勝流、つまり実力なくして、戦はず勝つ、あるひはゴマカシて勝つ戦法。元々、信玄がどう、楠がどうした、信長がどう、人の手法を学んだところで落第にきまつてゐる、問題は信長の心構へで、実質的に優勢でなければならぬこと、実質の問題で、常に独創的でなければならぬ。日本人は独創的といふ一大事業を忘れて、もつぱら与へられたワクの中で技巧の粋をこらすことに憂身をやつしてゐるから、それを芸だの術だの神業だのと色々秘伝を書き奥儀を説いて、時の流れに取り残されてしまふのである。

 信長の死後六十何年か後に島原の乱が起つた時に、島原の反乱の農民軍は鳥銃を持つてをり、おのづから信長の戦法を自得して戦つたのに比べて、幕府軍は甲州流だか何流だか刀をふりかぶつて進撃、死屍ルイルイ、農民軍の弾薬がつきるまで、てんで勝負にならなかつた。しかも尚、その愚をさとらず、弾薬のつきるを待つた松平伊豆を卑怯者と云ひ、弾丸に猪突して全滅、自らも戦死した板倉伊賀守を英雄と称してゐる。これが徳川時代の兵法であり、日本の民族的性格でもあるのである。

 宮本武蔵は勝負の鬼であつた。彼は勝つためにあらゆる術策を用ひ、わざと時間におくれて相手をじらし、あるひは逆に先廻りし、岸柳がんりゅうが刀のさやを投げるのを見て「岸柳の負けだ」と叫んで怒らせる。剣術のレンマに於て細心チミツであるのみならず、あらゆるものを即席に利用し、全霊をあげ、たゞもう勝つための悪鬼であつた。

 然し晩年の武蔵は五輪の書をかき、剣の術ではなくて道をとき悟りをとき、彼は太平といふ時代に負けてしまつたのである。剣術は悟りをひらく手段ではない。剣を用ひて勝つ術であり、悟る手段としては参禅思索ほかにちやんと専門がある。

 木村名人は壮年の宮本武蔵のやうな人だと私は思つてゐた。いつぞや双葉山を評して、将棋では序盤に位負けすると最後まで押されてしまふ、序盤に位を制すること自体が名人たる力量でもあるのだから、横綱だから相手の声で立つべきだといふことは如何なものであらうか、といふ意味のことを述べてゐたのを見て、私は感心したものだ。巷間つたへるところの風聞、もつぱら勝負の悪鬼の如き木村名人のすさまじさであり、これも名人戦であつたか、神田八段との対戦で、神田八段が十五分おくれてきた時、対坐して対局にさしかゝる時に、記録係に向ひジロリと目をむいて、十五分、神田八段の持時間から引いておけ、と言つたといふ。胆汁質の神田八段、ハラワタが煮えくりかへつたであらう、まことに勝負の悪鬼、勝負はさういふものだ。本来和気アイアイなどといふものではあり得ない。なぜなら、将棋は専門棋士にとつては遊びではない。生命をさゝげた仕事、それに憑かれてゐるのだから。

 モナミの応接室にひつくりかへつてゐるところへ倉島君がやつてきたが、こいつは君、単に名人位だけぢやないんだ、生活の問題があるんでね、名人位を失ふと収入が違ふ、一度ボーチョウした生活をちゞめるのは辛いからな、文壇の老大家連はこの点でこぞつて木村名人に同情してゐるんだね、と言ふ。このことは朝日新聞のK氏からもきいてゐた。妻子の生活がかゝつてゐるから必死ですよ、と木村名人は言つてゐたさうだが、私は不覚にして、そこまでは思ひ至つてゐなかつた。私は変に切なくなつた。金銭といふ奴はまつたく切ない奴だ。老大家のみならず私の如き青二才でもその点では木村名人に同情するにヤブサカであるべき筈はない。

 私は何分もうすこしで心臓がつぶれるところであつたのだから、名人戦がこんなにセチガライ性質のものぢやア、どうも心細くなつてきた。然し案ずるに、勝負は本来かくの如きものであるべきで、そこに生存が賭けられてゐる一生の術であり仕事だから、それぐらゐ、当然の筈でもあつた。往年武蔵の真剣勝負、生命を賭けたあの構へが、つまり勝負本来のもの、芸本来の姿なのである。

「然し、君」

 と倉島君は言つた。

「君の狙つてゐることはね。こいつは、外れるぜ。名人はもう大人になつてしまつたからな。勝負の鬼といふのは、昔のことだ。今は君、政治家、人格円満な大成会党主だよ」


          


 倉島君の言葉の通りであつた。心理の闘争、闘志が人間的に交錯するといふことが、この勝負には完全になかつた。たゞ沈痛な試合であり、まつたく沈黙の勝負であつた。

 始まるからといふので倉島君の案内で手合の日本間へ通り、名人と塚田八段に挨拶して座につく。坂田八段をモデルの芝居を上演中の辰巳柳太郎、島田正吾、小夜福子三氏が見学に来てつゞいて座につく。

「では、もう、そろそろ」

 と、木村名人。小学校の一年生の徒歩競走の出発のやうなとりとめもない気配のうちに勝負がはじまつてゐる。十時二分。

 先手の塚田八段、第一手に十四分考へる。途中で便所へ立つ。木村名人は私達に向つて、あなた方は洋服だし先が長いことだからどうぞお楽に、と言つたりする。

 塚田八段七六歩(十四分)木村名人三四歩(三分)間髪を入れず塚田五六歩、木村七分考へて五四歩、それから間髪を入れず二五歩、五五歩、二四歩、同歩、同飛、三二金。

 私は碁の大手合は時々見たが、間髪を入れず、といふのはメッタにない。碁の定石じょうせきは極めて不定多岐多端だが、将棋の定跡はある点まで絶対のものらしい。然し終盤に及んでからも、四五手間髪を入れず応酬し合つた時があつた。碁の方では分りきつた当りを継ぐのでも四五十秒は考へるやうだ。名人位がひつくりかへるといふ終盤の勝負どころへきて、全く間髪を入れず、スースースーと駒が一本の指に押へられて横へ前へすべつて行く。私は変な気がした。ひどく宿命的なものを感じさせられたからである。名人が駒を動かしてゐるのぢやなしに、駒が自らの必然の宿命を動いて行く。名人の力がその宿命をどうすることもできない。そして名人が名人位から転落しつゝある……私はその時はもう名人の顔を見るのが苦痛であつた。名人はもう駒へ指一本当てておくのが精一ぱいで、駒の方が横へ前へスースー動いてゐたのだ。どうにも仕様がないよ、名人の顔がさう語り、全身の力がくづれてゐた。あれは深夜の一時、二時頃であつたらう。

 塚田八段が六分考へて三四飛、横歩を払つた。そのとき、辰巳、島田、小夜氏ら両棋士に別れを告げて立つ。手番の名人盤面から目を放してあたりを見廻し、立上つて三氏のあとを追つた。戻つてきて、

「わからないもんだなア。僕の非常に懇意な医者の家へ泊つてるんだ」

「誰ですか」と塚田八段、

「小夜さん」

 十分考へて、名人五二飛、

 木村名人は小夜福子に色紙を頼んできたのである。女学生の娘が小夜ファンで欲しがつてるから、喜ぶだらうな、と言つてる。塚田八段が毎日の記者に、私にも、と色紙をたのむ。

 塚田八段、五十四分考へて二四飛。指すと同時に、苦笑して、

「ひどい将棋をさしちやつた。三十八手かなんかで負かされちやつた」

 と呟いた。この意味は私には分らなかつた。

 名人の大長考が始まつたのはその時からで、まもなく正午、休憩となる。両棋士がまづ立ち去ると、記録係の京須五段が私に、

「この手は読売の手合か何かで塚田八段が三十八手で名人に負かされてゐるのです」

 と盤へ駒を動かして教へてくれた。塚田八段の二四飛についで、

 五六歩、同歩、八八角成、同銀、三三角、二一飛成、八八角成、七七角、八九馬、一一角成、五七桂、五八金左、五六飛、四八金上ル、七九馬、五七金スグ、同馬、四九王、五八金、同金、同馬、三八王、二六歩、二七歩、四八銀まで、三十八手、

 この時まではまことにノンビリしたものだ。これから両棋士、まつたく喋らなくなる。芝居の三氏、こんなところを見学したのは全く無意味で、芝居がハネてから、深夜に見学すべきであつた。


          


 昼食が終つて、十二時五十分、再開。

 名人痰をはきに立つてモーローと戻つてきて盤面を凝視してゐたが、便所へ立つた記録係が戻つてくると、ひよいと顔をあげて、魂のぬけたやうな目附でビックリ見て、それから庭に向つてア、ア、アと大あくびをした。坐り直して盤面にかがむ。

 そのとき塚田八段が記録係に、

「芝居の初日つて、いつもたくさんやるのかね」

 ときく。初日にたくさんやる、意味が分らないから記録係が返事に困つてゐると、

「初日に行くと、トクだね。いつもだと、三時間ぐらゐ。正味二時間半で帰つてくるからね」

 と呟いてゐる。なるほど初日は長くかゝる。長くかゝるから通例人は初日の観劇が厭なんだが、塚田八段は退屈を知らないのかも知れない。ほかの人間が自分とあべこべの考へ方をしてゐようと、気にかけたこともなかつたといふ顔付だ。そして、それつきり、黙つてしまつた。以下深夜、手合の終るまで、喋らなかつたのである。

 土居八段がビッコをひきひきMボタンをはめながら「一局碁を観戦してきたんぢやけど却々なかなか面白い」大きな声で登場、隣室の間の襖をしめる。隣室には毎日の記者がゐる。襖をしめても、記者を相手に途方もない大声でキイキイ喋りまくつてゐるから、何にもならない。

 倉島、三谷両君が昼食後二階で碁を打つてゐる。いづれも僕と互先、文人囲碁会のなじみであるが、まもなく村松梢風さんがやつてきて、将棋の方には顔をださず、二階へあがつて碁を打ちはじめ、これまた僕とは互先で、倉島君がそッと来て、

「村松さんがきたぜ。碁をやらないか」

 木村名人四時間十三分の大長考。記録係まで退屈して居なくなり、私がたつた一人。ところが私は退屈ではないのである。三十八手の勝負とどこで違つた手を指すか、どつちが指すか、その時の二人の様子が私は見たくて仕方がない。何かしらが有るだらう。どんな退屈を賭けても、私はその何かしらが見たいのだ。

 然し、四時間十三分の大長考、この結果は分りきつてゐるのださうだ。五六歩突き。それにきまつてゐるからその先を先の先まで読んでゐる由、持久戦のつもりなら、こゝでは考へないのださうだ。京須五段も土居八段もさう教へてくれた。

「まだ当分は変らん。一一角成、こゝで変るかな。桂があるから、二四へ打つ。そんな手もあるぢやろ。いろいろと、むつかしいところぢや」

 土居八段は満悦の様子である。

「研究に研究を重ねてるんぢや。負けた将棋を、自信がなくては同じ将棋を指しやせん。どこで変るか、今に変る。面白い」

 土居八段は珍しい人だ。勝負師の気むづかしさが全然なく、人見知りせず、誰とでも腹蔵なく喋る。好々爺である。

 木村名人一門の外はたぶんあらゆる高段棋士が名人の敗北をひそかに期待してゐたであらう。絶対不敗の名人とか実力十一段とか、伝説的な評価が我々素人の有象無象うぞうむぞうに軽率に盲信される、自らひそかにたのむところのある専門棋士には口惜しい筈で、

「名人も高段者も、実力は違やせん。研究ぢや。研究が勝つんぢや」

 土居八段は言ひすてたが、

「わしら老人はダメぢや。若い者はよう研究しよる」

 塚田八段の深い研究、三十八手といふ異例の負け将棋を名人戦といふ大事の際に買つてでた自信の程が、たのもしくて仕方がないといふ様子であつた。

 毎日新聞には速報板がでて加藤八段が解説してゐる由だが、四時間十三分の長考ぢや解説が持ちきれない、一時間半ひきのばし喋つたが後がつづかない、ネタを送れといふ飛電が係の記者にくる由だけども、これは無理だ。記録係まで散歩にたつ、両棋士は動きも喋りもしやしない。

 それでも木村名人は十分おきぐらゐに構へが動く。

 左手を前へついてグッと盤面へのしかゝり、右手にタバコを持つて頭の高さにマネキ猫みたいにかざしてゐる。

 今度は左手を後について、手によりかゝり、あらぬ空間を見つめてタバコをふかす。両膝を立て、それを両手でおさへて、タバコを口にくはへてパクパクやつてる。

 すると次に坐り直して、上体をグッと直立、腰をのばし、左手を袂に入れ腰に当て、そのヒヂを張り、右手にタバコを高くかゝげて盤面をにらむ。

 庭を眺めて、アクビをしたり、セキバラヒをしたり、急にフラ〳〵立上つて、ぼんやり庭を見てきたり。

 塚田八段は殆どからだを動かさない。概ね膝へ両手をのせ、盤面を見下してゐる。別に気力のこもつた様子ぢやないが、目が疲れてにぶく光り、ショボ〳〵してゐる。

「どれくらゐ考へたア」

 名人がさうきいた。だるさうにタバコをくはへて、かすんだ目で記録係を見た。

「三時間三十三分です」

 名人便所へ立ち、戻つてきて、タオルで顔をふき、口の上を押へてゐる。茶をのみ、茶碗を膝の上にだいてる。膝を立て、両手を廻して膝をおさへ、クハヘタバコ、パクパク。坐り直して、袂から左手をさしこみ、腰に当てグッとヒヂを張り、上体直立胸をそらして、

「どれくらゐ考へました」

「二百五十二分です」

 そのとき記録員の顔ぢやなしに、頭の上の空間をボンヤリ見て、

「あゝ」

 舌つゞみのやうな音を口中に、そして、すぐ指した。五六歩。四時間十三分が終つたのである。塚田八段すぐ同歩。そのとき木村名人、

「考へても……」

 何か呟いたが、きゝとれない。そして、すぐ八八角成、同銀、三三角、二一飛成、八八角成、バタバタとまるで夕立に干物ほしものをとりこむ慌たゞしさ。名人茶碗をとりあげて一口のんで、

「その手はどれだけ考へたつて?」

「二百五十三分。計二百七十三分です」

「ウワ」

 塚田八段右手をタタミにつき、左手膝の上、盤を見つめて六分、キュッと駒をとりあげて、七七角、打ち終つて、ウウ、セキバラヒ、打たない前と同じ姿勢でジッと盤を見つめる。いつまでたつても見つめてゐる。まだ自分の手番のやうに、眉にシワをよせ、今の手の効果が気がかりで思ひきれない様子であつたが、ふとボンヤリ顔をそらして灰皿のタバコをつゝいて煙を消して、ウ、ウンとセキバラヒをした。その時チラリとあげた目にひどく決意がこもつてゐた。

 フーッと息をして、背のびをした。塚田八段の姿勢がそのとき始めて揺れたのである。

 木村名人は上体直立、胸をはつて腕組み、口にタバコをくはへて盤上を直視してゐたが、腕組みをといて、フウワリと手がのびて、八九馬。間髪を入れず一一角成、五七桂。打ち終つて木村名人庭を見る。つゞいて、チョッチョッと舌つゞみを打ちながら、部屋のあちこちを見廻す。その目は腫れたモーローたる目である。

 塚田八段十分考へて、五八金左。すぐ五六飛、六八桂、三分考へて四九桂成、同王、五八飛成、同王、六二王。

 例の夕立に干物のバタバタバタで、私のかねての狙ひ、どこで手が変るか、その手が変つてゐたのだが、私にはそれが分らぬ。私は手を見てゐるのぢやなしに、打つ人の顔を見て、顔で判断してゐるのだが、劇的な何物もなく、たゞバタバタバタの一瀉千里、片がついてゐたのだ。五六飛の次、二十七手目、六八桂で変つてゐた。

 私は将棋が分らないから、どこで変るか、そんな見世物みたいの興味で見てゐるほかに手がないのである。加藤八投の解説によると、六八桂、今までにある手、当然の指し手で、三十八手負けの塚田八段の指し手がひどすぎたのださうだ。こつちはさうとは知らないから、どこで変るか、ウノ目夕カノ目、面白づくで打ち込んでゐて、バカを見た。

 塚田八段の長考がはじまる。ちやうど三十分すぎたとき、木村名人が記録員に、

「相撲へ行つたかい」

「ハア?」

「相撲へ行つた」

「いゝえ」

 そこで、とぎれる。名人膝をたて、手をまはして膝を抱へて、口をあけてゐる。今度は記録員から、

「先生、相撲のケンリ、どうなつてますか」

「ケンリ? いゝや、ケンリなんて」

 やゝあつて、

「僕はケンリなんか、あつたつて、行かないよ。千代山や強いのが休んでるから」

 それからキチンと坐り直して、タバコを握つてゐたが、ふと、ひとりごと、

「負けちやア、しやうがないね」

 よく聞きとれない。それから膝をくづして、目をつぶつて、タバコをくはへてゐたが、便所へ立つ。戻つてきて、廊下から、

「君、ヌルマユを貰つてきてくれないか」

「ハ?」

「ヌ・ル・マ・ユ。少しね」

 と大きな声。そして隣室へ。薬をのんだのである。そして休憩になつた。正六時。一同立つ。

 倉島君と私がふと対局室へもどつてみると、部屋の隅に人が一人ねてゐる。仰向けに長くのび、目をとぢ、額に手をくんでゐる。塚田八段であつた。

「気分が悪い? 薬があるよ」

 倉島君が言ひかけると、起き上つて、

「いえ、薬はいりません」

 ふらふら、モーロー、食堂へ歩き去つた。

「薬つて、何の薬だい?」と私がきく。

「いや、君の薬だよ。気の毒だからな。あれを飲ませたら、と思つたんだ」

 私の薬といふのはヒロポンのことだ。この朝、のびてモナミへたどりついた私が薬をのんで応接室のソファーにひつくりかへつてゐたとき、彼がきて、ゆうべ徹夜で、ねむくて今日は持ちさうもないと言ふから、私のヒロポンをのませた。彼はこの薬品を知らなかつたのである。効果テキメンだから、塚田八段にも飲ませようと思つたのだらう。

 気の毒だから、と倉島君が言つたが、両棋士、まつたく無慙に疲れきつてゐる。然し将棋界ではヒロポンが全然知られてゐないらしい。疲労見るも無慙だから、こんな時ヒロポンのむのが、ヒロポンの最大の使ひ場所といふところで、私は二人に教へてやらうかと思つたが、塚田八段は虚弱な体質で、私がすゝめたばかりにヒロポンで命をちゞめたなどとなつてはネザメが悪いと思つたから、やめた。夜になるとニュース映画の一隊が勝負の結末を待つて詰めてゐたが、この連中は頻りにヒロポンを注射してゐた。


          


 夕食後、夜になり、ガラス戸の向ふの庭が真ッ暗で、何もなくなる。宇宙がこの部屋一ツになつたやうな緊張が、部屋いつぱい、はりつめる。

 木村名人端坐黙想してゐたが、ふところからメタボリンの錠剤をとりだしたとき、夕食前からひきつゞいて考へてゐた塚田八段、五三歩(六十八分)

 名人チラと見ただけ、メタボリンをのんで便所へ立つたが、廊下でふりむき戻つて火鉢の火からタバコをつけて、立ち去る。塚田八段も立ち上つて去る。名人戻つてきて、一分間ぐらゐ盤を睨んで、

 七二王。人差指一本で王を押へてスーと横にずらす。そして両手を火鉢にかざしたが、顔をねぢむけて、盤を見つめる。塚田八段が考へはじめた。

「オーセツマへ知ちせて下さいネ」

 と記録係に言つて、木村名人立つ。

 私が応接間をのぞいてみると、奥の肱掛ひじかけ椅子に腰を下して、タバコを右手に持ちあげて、例のマネキ猫の恰好で目をとぢて考へてゐる。

 五分後に又のぞいてみると、もうタバコを持つてゐない。両手をだらりと垂れて、ぐつたり目をとぢて、のびてゐる。全然考へつゝある顔ではない。大きな疲れ。大きな苦悩そのものに見える。

 十分後、又のぞいてみる。全然同じ姿、たゞ、口がだらしなく開いてゐる。

 食堂で加藤八段の解説をきいてゐると、倉島君がはいつてきて私の肩をたゝいて、

「おい、ひどいぜ。名人が応接間にのびてゐるぜ」

「あゝ、知つてる」

「見ちや、ゐられないな」

 塚田八段九十六分考へて、五五馬、これが新手であつたさうだ。

 今度は名人が考へこんで十分ほど後、

「名人、あと二時間五〇分です」

 名人かすかに、ウン、と云ふ。その時、九時四十分であつた。

 両棋士、酒に酔つ払つてゐるやうに見える。顔が薄く赤らんで、目がトロンとして、額にシワ、眉根をよせ、脂が浮いてゐるやうだ。

 塚田八段、腹痛のやうに左手で腹をおさへ、やゝうつむいて、眉をよせ、目をとぢてゐる。雨だれの音が一つ、ひどくキワ立ちはじめた。外は霧雨なのである。

 塚田八段が立ち上つた。足がしびれてゐるらしい。立ち上つて、ふらふら、ふみしめて、ひきずりながら、モーローと立ち去る。そのとき、

「名人、二時間半です」

 名人全然返事なし。口をあけてゐる。タバコの右手をかざしてゐる。その手と、あいた口が、かすかに、ふるへてゐる。

 塚田八段が戻らない。新手の五五馬に名人の長考が分りきつてゐるのだらう。名人例の持ち時間いつぱい使ひきつて考へこむんぢやないかと私も素人考へに思つた。塚田八段が何をしてゐるのだか様子を見ようと思つて、私も便所へ立つたが、便所にゐない。応接間にも、食堂にもゐない。ソファーに袴がぬいである。私が廊下に立つてゐると、コック場の方から帯をしめながら現れてきた。

 そこへ二階から倉島君が降りてきて、村松さんが待つてる、一戦やらう、と言ふ。名人大長考と思つたから、よろしい、二階へのぼる。握つて私が黒。観戦、倉島君、土居八段。村松さんは文壇随一、名題の長考。ふだんでもこの長考には悩まされぬ者なしといふ音にきこえた大陸的な三昧境で、階下に心の残る私の焦躁、すると又運わるく劫争こうあらそいばかり、私は悪手の連発で、形勢大不利、えゝ面倒アッサリ負けようと考へもせずポイポイ置くうちに、村松さん沈思長考、私以上の悪手を打つて勝手に負けてしまつた。私が五目勝つてしまつた。もう一局といふのを辞退に及んで階下へ駈け下りる。

 名人の応手が五四歩(八十九分)同馬(三十七分)六四金、三六馬(十二分)五七歩(二十四分)同王(二十一分)

 これだけ進行してゐた。合計百八十三分。ヘボ碁の一局に、こんな長時間、あるものぢやない。これを村松大人、全然おひとりで考へたのだから、怖しい。

 私はつまりこの対局のカンジンカナメ、勝負どころを見逃した。五五馬の新手に対する、名人の五四歩、これが決定的な敗着であつたといふ。それまで、名人がくづれるやうに駒を投じたとき、五四歩がいけなかつた、六四金と打つんだつた、とすぐ呟いた。

 私が対局室へ戻つたとき、両棋士面色益々赤く、全く態度が変つてゐる。全くもう疲れきつてゐるのだ。気力も精魂も尽き果ててもう心棒がないくらゐグニャ〳〵した様子である。そのくせ部屋いつぱい、はりさけるやうに満ちてゐるのが、殺気なのだ。だらしなく向ひ合つてゐる膝をくづした両棋士、必死のものを電流の如く放射する、それは二人の人間のからだからでも精神気魂からでもなく、私にはそれがもうたゞ宿命、のがれがたい宿命、それが凝つて籠つてゐるからだ、と思はれた。

 もう勝負がきまつてゐるのだ。勝負ぢやない。名人が名人でなくなつたといふ、たとへば死刑囚が死の台へ歩いて行きつゝあるやうな。

 それでも、木村名人の態度が、改まる。悪党が居直る凄み、にはかに構へに力がこもつて、手を延しざま王をとりあげ、八二王、コマ音高くパチリと叩きつける。すぐタバコに火をつけ、塚田八段をジロリと見て、立ち上り去る。

 塚田八段、左手を膝に、右手を袖口から差しこんで、フトコロ手で左の腕を抑へて、盤にのしかゝつてゐる。

 木村名人手をふきながら戻つてきて、ワキ目もふらず、すぐ坐り、盤面に見入る。厳然端坐、口を一文字、モーローたる目に殺気がこもり、盤を睨んで待つうち、塚田八段五分考へて、

 六六香

 喧嘩腰、パチリと叩きつけて、すぐ立ち上つて、去る。

 今度は木村名人がグッと盤へのしかゝる。顔ばかりぢやない。そのくびの根まで、真ッ赤なのだ。タバコをつけ左手にもち、例のマネキ猫、空間をにらんで、口をひらいて、考へてゐる。手と口が、かすかにふるへてゐる。

 五九銀(六分)

 木村名人、又、パチリと叩いて、天井を仰ぎ、ウ、ウ、ウ、と大きく唸る。左手にタバコをかざしたまゝ。塚田八段、グイと膝をのりだして

 六四香(一分)

 音なく、指で抑へてスーと突きだす。

 同歩。これも音なし。名人キュッと口をしめてゐる。

 塚田八段、眼鏡を外してふく。顔面益々紅潮、左手を膝につき、右手をフトコロ手、左腕を抑へて、前かゞみに、からだを幽かにゆすつてゐる。五分。七五桂打。パチリと打ち、もう一度とりあげて、パチリと叩く。

 木村名人、小手をかざして眺めるといふ、あの小手をかざして、眉を掻きながら、盤を睨んで、何か呟いたが、きゝとれず、すぐそのあとで、イカンナ、と呟く。

 顔面朱をそゝいだやうである。シヤウガナイナ、とかすかに呟いて、首をひねりながら、七二銀上ル(四分)指して胸をそらし、両腕を袖口から差しこんで腰に当てて肱をはり、厳然盤をにらむ、が、やゝあつてチラと人々の顔を見廻して、チョッ、舌ツヅミ、何か呟いたが、……タナ、最後のタナだけしか聞きとれない。

 六三金(五分)

 名人又呟やく、きゝとれず。

 十二分。同銀。塚田八段考へこむ。目をショボ〳〵させてゐる。

 名人右手で口のあたりをつかみ、むしる。次第に下つて、アゴをつまむ。耳をつまみ、耳をかく。やがて眉毛をひつぱりながら盤を睨む。やうやく手を膝に下して組んだと思ふと、お茶を飲まうと湯呑みを持ち上げて、こぼして、ア、と小さく叫んで、こぼした場所を見る。タバコをつけ、口にくはへ、手は膝に、プカプカふかす。このとき、七日、午前一時五分だ。名人タバコをすてて、大アクビ、左手をうしろに突いて、ぐつたりもたれてしまふ。

 塚田八段もアグラをくむ。タバコをプップと音をたてて、ふく。二十七分考へて、同馬。

 名人すぐ、七二金打。同時に呟く、シヤウガナイナ、それだけ、きこえる。

 塚田八段、五二歩ナリ(一分)

 名人腕を組み、サウカと呟いて、そのまゝ口をあけてゐる。塚田八段、タオルをとつて鼻の下をゴシゴシこすり、私をチラと見て、便所へ立つた。すると名人、盤にかゞみこんで、

「どうもいけねえこと(ショウブ)した」

 と呟いたが、コト、ショウブ、よくきゝとれない。眼鏡を外して、タオルを顔に当て、目のところを抑へてゐる。頸をふく。

 塚田八段、便所から戻り、この時分から、決然たる色がハッキリ顔にきざまれたのである。そして、どうにでもしてくれといふやうに、腕を組み、からだをよぢらせてゐる。

 木村名人アクビ。又タオルをとり、顔をふき手をふき、アーと言ひ、つゞいて何かつぶやく。ボーイがあついコーヒーを運んできたが、冷えきつたお茶の方をとりあげて飲み、ウウーンと唸り、タバコの箱をとりあげたがカラだから、

「タバコはないか」

 倉島君がタバコを渡す。

「名人あと三十分です」

 かすかに、うなづく。

 ドウモ……何かつぶやく、きゝとれぬ。坐り直す。又、呟く。

「名人、あと二十分です」かすかに、ウン。

 何か、つぶやく。きゝとれぬ。又、何かつぶやく。きゝとれない。

「カチガネエカ」と言つたやうだ。

 塚田八段、ウウ、ウウ、頻りにうなる。ン、ウン、といふセキバラヒのやうな唸り方もする。姿勢はキチンとしてゐる。

 木村名人、二十八分、六三金、これも負けずに、ウ、ウウ、ウウ、せきばらひする。

 六一と。

「……ガアスコニ……ネエカ」

 名人かゞみこんで考へながら呟く。又、何か、一言。又、何か。腕組みながら。

 三五角。二度コマをたゝく。すると、すぐ、四六歩、これも二度たゝく。

「名人あと十分です」

「ウン」

 それから、

「何分でもいゝ」

 たぶん、さう呟いたのだらう。名人に最も近く坐を占めてゐるのが私なのだが、その私に、すべて、きゝとれない呟きなのである。顔に右手を当ててゐる。額に当てて、さすつてゐる。たぶん名人すでに顛倒、為しつつあることが、呟きつゝあることが、すべて自ら無自覚ではないかと思はれる様子である。

「マア、かうやつとかうか」

 と、七九馬。そしてアゴを押へる。

 塚田八段、セキバラヒ、かゞみこみ、自陣を見てゐたが、次に敵陣を見て、それからバタバタ一瀉千里。

 三二龍、同銀、八三桂成、同王、八四銀。

 同時に名人の姿態がぐらりとゆれて右に傾いた。骨のない軟骨だけのからだのやうにグニャ〳〵とゆれて、

「それまで」

 グニャ〳〵のまゝ、コマをつかんでパラリと落した。一秒の沈黙も苦痛の如くに、すぐ語をつけたして、

「五四歩がいけない。こゝへ金を打つんだつた」

「どこ?」

「こゝ。六四」

 それまで、と駒を投じた名人の声は、少し遠く坐を占めた人にはきこえなかつたのぢやなからうか。グニャ〳〵くづれる肉体のキシム音、かすかな、それ自体グニャ〳〵したやうな音だつた。その時、二時二十四分。

 こゝをかう指すべきであつた、こゝがいけない、かう指して、かうきたら、かう、名人、喋りまくる。どこから出てくる声だらう。日本紙をハリつけたやうな声だ。かすれて、ひきつり、ひからび、ザラザラし、喉よりも奥から出てくる音ぢやない。すぐ喉のあたりで間に合せに製造してゐる声で、喋りまくらなければいけないのだらう。声がとぎれなくとも、時々フッと、諦めきれない泣き顔になる。どうしていゝのか、自然にからだが、グニャ〳〵くづれて、へこみ崩れしぼむのを、ともかく、押へてゐる様子であつた。

 指した手のおさらひだから、塚田八段、このお喋りにともかく一々相手にならなければならない。時々目がピカリと光つて名人を見つめ、ぢやア、かう、その時はかう、ヂッと見つめる、然し、勝つたといふ喜びの心の翳が、ほのかにすら、浮かばない。

 あとでみんなで酒を飲んだとき、この試合、見てゐて切なかつた、と私が云つたら、塚田新名人グイと首をもたげて、いえ、名人戦のうち、今日ほどエキサイトしない勝負はなかつたんです、と言つた。

 将棋としては、その通りなのだらう。つまり半ばすぎる頃から勝負の数ハッキリして、逆転の余地がなかつた。夜の零時といふ頃には、恐らく運命のサイコロすでに定まり、人力による転換の余地もなかつたから、エキサイトせず、木村名人がコマを投じた時、その時に至つてこと新しく勝利を自覚するに及ばなかつたのだらう。

 然し、私にとつては将棋そのもののコマの動きが問題ではなかつた。それは見てゐて、元々私に分りやしない。十年不敗、なかば絶対と云はれた王者が、王者の地位から転落した。そのサイコロが対局のなかばすぎからほゞ動かしがたくなり、悪魔に襟首をつかまれながら、名人、必死に居直つてゐた、それはもう、塚田八段との争ひではなく、転落の王者が、運命の悪魔との争ひ、勝つべくもないムダな争ひ、凄惨見るに堪へざるものであつた。私は近親の臨終を見るよりも苦しかつたのだ。

 徹夜で待ちかまへてゐたニュース映画の一隊が時を移さず撮影にかゝる。ごた〳〵ひつくりかへる騒ぎ。名人そんなことも気がつかぬらしくひきつり、うはずつた顔、声、コマを動かしつゞける。二十分すぎて、二時四十五分、はじめて名人の顔に、つくり物ではあつたが、笑顔の一種が浮かぶことができた。

 私はもうウンザリした。村松さんを探しだして、

「一戦やりませう」

「アヽ、やりませう」

 二階へあがつた。


          


 新聞社のウイスキー、土居八段持参の自慢の銘酒、二〇度あるんぢや、水に一割、わつて飲む、といふ品物、あけがた、いくらか酒がまはつて、新旧名人、赤い顔、木村名人も人心地をとりもどしてゐた。

 私はたしかに名人よりも弱いのです。弱いのに、勝つちやつたから、ボンヤリして、うれしいといふ気持がうかばなかつたんです、と塚田新名人が言つた。強者が追ひこまれた時の心理上の負担は大きく、深刻だから、強者の方が自滅する、その傾きがこの名人戦にあつたであらう。木村名人弱しとは言へない。

 私には然し名人の敗北が当然に見えた。

 名人は言つた。天命だ、と。又言つた。時代だ、と。時代の流れがあらゆる権威の否定に向つてゐる、その時代を感じてゐた、と。

「私はショーオーですよ。自分で法律をつくつて、自分がその法律にさばかれて死んだといふショーオーね、私が規則をつくつて、規則に負けた、私は持時間八時間ぢやア、指せないね。読んで読みぬくんだから。私は時間に負けた。ショーオーなんだね」

「ショーオー。僕は学がないからね。字を教へてよ。どんな字かくの?」

 倉島竹二郎がヅケヅケ言ふ。

「商業の商。オーはねオーは面倒な字だ、リッシンベンかな」

 商怏とでも書くのか。自分でつくつて、自分でやられた、つまり、ムッシュウ・ギョタンだらう。

 私は然し、名人の敗因は、名人が大人になつて、勝負師の勝負に賭ける闘魂を失つたこと、それだけだと思つた。それは「負ける性格」なのだ。闘志は技術の進歩の母胎でもあるが、木村名人の場合は、それが衰へたといふよりも、大人になつたといふこと、そつちの方がもつとひどい。

 木村名人は升田八段に三連敗した。苦しい旅行の休むまもない無理な対局であつたさうだが、なぜそんな無理をして悪コンヂションで戦ふのですかと倉島君がきいたら、

「いや僕はね、自分を悪いコンヂションに、相手には良いコンヂションに、それで戦ふタテマヘなんだ。こつちは無条件、相手の望む条件通り、うけいれて、指す。私からは注文をつけない、相手の希望はみんな通してやる、それで戦ふ、それでなきやいけないと思つてるんだ」

 名人戦の第六局だかで、千日手になるのを名人からさけて出て、無理のために、破れた。自分を犠牲にして、負けた。その意気や壮、名人の大度、フェアプレー。それは嘘だ。勝負はそんなものぢやない。千日手が絶対なら、千日手たるべきもので、それが勝負に忠実であり、将棋に忠実であり、即ち、わが生命、わが生き方に忠実なのである。名人にとつては将棋は遊びではない筈で、わが生命をさゝげ、一生を賭けた道ではないか。常に勝負のギリギリを指し、ぬきさしならぬ絶対のコマを指す故、芸術たりうる。文学も同じこと、空虚な文字をあやつつて単に字面をとゝのへたり、心にもない時局的な迎合をする、芸術たりうる筈はない。

 千日手が絶対たるべきものなら、それを避けて出た名人はフェアプレーどころではなく、将棋に忠実誠実でなかつたもので、即ち、負ける当然な性格だつた。

 往年木村名人が覇気横溢のころ双葉山を評して、将棋は序盤に負けると勝負に負ける。序盤に位を制することが名人横綱たる技術でもあるのだから、敵の声に立ち上るのは解せない、と言つた。この心構へを名人はすでに自ら見失ひ、自ら逆に双葉山の愚に化してゐた。

 元々相撲の横綱などといふものが、最も日本的な一匹の奇怪な幽霊で、その位置に上ると、もはや負けても位置が下らない、かういふ形式的な権威を設定するところに、日本的な間違ひがあつた。

 現在の将棋名人戦が最も勝負の本道で、名人、チャムピオンは常に一人、挑戦され、負ければ落ちねばならぬ。常に実力のみが権威でなければならぬ。風格の名人などとは、つまり横綱の世界で、実力なくして権威たりうるから、風格によつて地位を維持する。すると人々は(日本人は)実力よりも風格を信じ、風格があるから、偉い、といふ。

 日本の政治が、政治家がさうだ。文学まで、さうなのである。政治は政策が主要なもので風格など問題ではないのだけれども、日本では政治といふと人心シューラン術のやうなもので、敵と妥協し、商談して、まとめあげる手腕などが政治だと思ひ、政策、政策の実行、その信念、それを二の次にしてゐる。

 棋士が将棋に殉ずる如く、政治家はわが政策に殉ずべきもの、千日手をさけて、わが道に殉ずる誠意を犠牲にし、敵と巧みに妥協して四畳半的にまとめあげて、それが手腕、風格、政治だなどと、これを日本的幽霊といふ。

 日本の軍人は戦争の真の性格を知らず、戦争の勝利は、武器によること、武器の威力が戦争の威力であることを知らず、廻れ右前へ進め兵隊は教練に大半暮し鉄砲のタマを当てる技術に費す時間はいくらもなく、原子バクダンなど考へてもみない。戦争の始めから、勝つことぢやなしに、どこで巧く媾和こうわするか、そんなことばかりを当にしてゐる。

 すべて日本のかゝる哀れサンタンたる思想的貧困が、この戦争の敗北と共に敗れ去らねば、新しい日本は有り得ない。権威の否定とはさういふことで、日本を誤らしめてゐた諸々の日本的幽霊をその根本に於て退治することであり、木村名人は十年不敗の権威によつて否定されるのではなく、将棋に不誠実なること、将棋以外の風格によつて名人的であつたこと、架空の権威と化しつつあつたために、負けるべき性格にあつたのである。精神にたより神風にたよつた日本が破滅した如くに、名人は敗れて、自ら天命也といふ。まことにバカバカしい。だから負ける性格であつた。

 将棋に殉じ、その技術に心魂さゝげるならば、当然勝負の鬼と化す筈、政治家は政策の実行の鬼と化し、各々その道に倒れて然るべきもの、風格の偉さなどといふものは、どこにも有りやしない。将棋は将棋の術によつて名人たるのみ。

 名人の言ふ如く時代だ。然り、亡ぶべきものが亡びる時代だ。形式が亡び、実質のみが、その実質の故に正しく評価されるために。新しい、まことの日本が生れるために。

 実質だけが全部なのだ。

底本:「坂口安吾全集 05」筑摩書房

   1998(平成10)年620日初版第1刷発行

底本の親本:「群像 第二巻第八号」

   1947(昭和22)年81日発行

初出:「群像 第二巻第八号」

   1947(昭和22)年81日発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、次の箇所では、大振りにつくっています。

「種ヶ島」

※新仮名によると思われるルビの拗音、促音は、小書きしました。

入力:tatsuki

校正:深津辰男・美智子

2009年420日作成

2016年415日修正

青空文庫作成ファイル:

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