初孫
国木田独歩



 このたび貞夫さだおに結構なるおんおん贈り下されありがたく存じ候、お約束の写真ようよう昨日でき上がり候間二枚さし上げ申し候、内一枚は上田の姉におん届け下されたく候、ご覧のごとくますます肥え太りてもはや祖父じい様のお手には荷が少々勝ち過ぎるように相成り候、さればこのごろはただおひざの上にはい上がりてだだをこねおり候、この分にては小生が小供こどもの時きき候と同じ昔噺むかしばなしを貞坊が聞き候ことも遠かるまじと思われ候、これを思えば悲しいともうれしいとも申しようなき感これありこれ必ず悲喜両方と存じ候、父上は何を申すも七十歳いかに強壮にましますとも百年のご寿命は望み難く、去年までは父上父上と申し上げ候を貞夫でき候て後われら夫妻がいつとなく祖父じい様とお呼び申すよう相成り候以来、父上ご自身も急に祖父様らしくなられ候て初孫ういまごあやしホクホク喜びたもうを見てはむしろ涙にござ候、しかし涙は不吉不吉、ご覧候えわれら一家のいかばかり楽しく暮らし候かを、父上母上及びわれら夫妻と貞夫の五人! 春霞はるがすみたなびく野といえどもわがののどけさには及ぶまじく候

 ここに父上の祖父じい様らしくなられ候に引き換えて母上はますます元気よろしくことに近ごろは『ワッペウさん』というあだ名まで取られ候て、折り折り『おしゃべり』と衝突なされ候ことこれまた貞夫よりの事と思えばおかしく候、『おしゃべり』と申せば皆様すぐと小生の事におぼし召され候わば大違いに候、さいのことに候、あの言葉少なき女が貞夫でき候て以来急に口数多く相成り近来はますますはげしく候、そしてそのおしゃべりの対手あいてが貞夫というに至っては実に滑稽こっけいにござ候、先夜も次の間にて貞夫を相手に何かわからぬことを申しおり候間小生、さような事を言うとも小供にはわからぬ少し黙っていておくれと申し候ところ

『ソラごらん、坊やがやかましいことをお言いだからとう様のご用のお邪魔になるとサ』

『坊やがやかましいのではないお前がしゃべるのだよ』

『オヤオヤ今度は母様かあさんがしかられましたよ、ね坊や父様が、「やかましッ」て、こわいことねえ、だから黙ってねんねおし』

「困るね、そんな事を言っても坊にゃわからないのだからお前さえ黙ればいいんだよ』

『貞坊や、坊やはお話がわからないとサ、「わかりますッ」てお言い、坊やわかりますよッて』

 右の始末に候間小生もついに『おしゃべり』のあだ名を与えてもはや彼の勝手に任しおり候

 おしゃべりはともかくも小供のためにあの仲のよいしゅうとめと嫁がどうして衝突を、と驚かれ候わんかなれど決してご心配には及ばず候、これには奇々妙々の理由わけあることにて、天保てんぽう十四年生まれの母上の方が明治十二年生まれのさいよりも育児の上においてむしろ開化主義たり急進党なることこそその原因に候なれ、妻はご存じの田舎者いなかものにて当今の女学校に入学せしことなければ、育児学など申す学問いたせしにもあらず、言わば昔風の家に育ちしただの女が初めて子を持ちしまでゆえ、無論小児を育てる上に不行き届きのこと多きに引き換え、母上は例の何事もあとへは退かぬご気性なるが上に孫かあいさのあまり平生へいぜいはさまで信仰したまわぬ今の医師及び産婆の注意の一から十まで真っ正直に受けたもうて、それはそれは寝るから起きるから乳を飲ます時間から何やかと用意周到のほど驚くばかりに候、さらに驚くべきは小生が妻のためにとて求め来たりし育児に関する書籍などを妻はまだろくろく見もせぬうちに、母上は老眼に眼鏡めがねかけながら暇さえあれば片っ端より読まれ候てなるほどなるほどと感心いたされ候ことに候、右等の事情より自然未熟なる妻の不注意をはなはだ気にしたもうという次第しかるに妻はまた『かあさまそれは「母の務め」の何枚目に書いてありました』などとまぜ返しを申し候ことなり、いよいよ母上はやっきとなりたもうて『お前はカラ旧癖きゅうへいだから困る』と答えられ候、『世はさかさまになりかけた』と祖父じい様大笑いいたされ候も無理ならぬ事にござ候

 先日貞夫少々風邪かぜありし時、母上目を丸くし

『小児が六歳までの間に死にます数は実におびただしいものでワッペウ氏の表には平均百人のうち十五人三分としるしてござります』

と講義録の口調くちょうそっくりで申され候間、小生も思わずふきだし候、天保生まれの女の口からワッペウなどいう外国人の名前を一種変てこりんな発音にて聞かされ候ことゆえそのおかしさまた格別なりしかば、ついに『ワッペウさん』の尊号を母上に奉ることと相成り候、祖父様の貞夫をあやしたもう時にも

『ワッピョーワッピョー鳩ッぽッぽウ』

と調子を取られ候くらい、母上もまたあえて自らワッペウ氏をもって任じおられ候、天保できの女ワッペウと明治生まれの旧弊人との育児的衝突と来ては実に珍無類の滑稽こっけいにて、一家常に笑声多く、笑うかどには福来たるのことわざで行けば、おいおいと百千万両何のその、岩崎三井みついにも少々融通してやるよう相成るべきかと内々ないない楽しみにいたしおり候

 しかし今は弁当官吏の身の上、一つのうば車さえ考えものという始末なれど、祖父じい様には貞夫もはや重く抱かれかね候えば、乳母うば車に乗せてそこらを押しまわしたきお望みに候間近々大憤発をもって一つ新調をいたすはずに候

 一りょうのうば車で小児も喜び老人もまた小児のごとく喜びたもうかと思えば、福はすでにわがの門内に巣食いおり候、この上過分の福はいらぬ事に候

 今夜は雨降りてまことに静かなる晩に候、祖父じい様と貞夫はすでに夢もなげに眠り、母上とさいは次のにて何事か小声に語り合い、折り折り忍びやかに笑うさま、小児こどものことのほか別に心配もなさそうに候

底本:「武蔵野」岩波文庫、岩波書店

   1939(昭和14)年215日第1刷発行

   1972(昭和47)年816日第37刷改版発行

   2002(平成14)年45日第77刷発行

底本の親本:「武蔵野」民友社

   1901(明治34)年3

初出:「太平洋」

   1900(明治33)年12

入力:土屋隆

校正:蒋龍

2009年48日作成

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