燈明之巻
泉鏡花



       一


「やあ、やまかがしやまむしるぞう、あっけえやつだ、気をつけさっせえ。」

「ええ。」

 何と、足許あしもとの草へ鎌首が出たように、立すくみになったのは、薩摩絣さつまがすり単衣ひとえ藍鼠あいねずみ無地のの羽織で、身軽に出立いでたった、都会かららしい、旅の客。──近頃は、東京でも地方でも、まだ時季が早いのに、慌てもののせいか、それとも値段が安いためか、道中の晴の麦稈帽むぎわらぼう。これが真新しいので、ざっと、年よりはわかく見える、そのかわりどことなく人体にんていに貫目のないのが、吃驚びっくりした息もつかず、声を継いで、

「驚いたなあ、蝮は弱ったなあ。」

 と帽子のつばを──薄曇りで、空は一面に陰気なかわりに、まぶしくない──仰向あおむけにがけの上を仰いで、いま野良声を放った、崖縁にのそりと突立つったつ、七十余りのじいさんをながら、蝮は弱ったな、と弱った。が、実は蛇ばかりか、蜥蜴とかげでも百足むかででも、おびえそうな、すわらない腰つきで、

「大変だ、にょろにょろ居るかーい。」

「はああ、あアに、そんなでもねえがなし、ちょくちょく、鎌首をつん出すでい、気をつけさっせるがよかんべでの。」

「お爺さん、おい、お爺さん。」

「あんだなし。」

 と、谷へ返答だまを打込ぶちこみながら、鼻から煙を吹上げる。

煙草銭たばこせんぐらい心得るよ、煙草銭を。だからここまで下りて来て、草生くさっぱの中を連戻してくれないか。またこの荒墓あれはか……」

 と云いかけて、

「その何だ。……上の寺の人だと、悪いんだが、まったく、これは荒れているね。卵塔場へ、深入りはしないからよかったけれど、今のを聞いては、足がすくんで動かれないよ。」

「ははははは。」

 鼻のさきにただよう煙が、その頸窪ぼんのくぼのあたりに、古寺の破廂やれびさしを、なめくじのようにった。

「弱え人だあ。」

「頼むよ──こっちは名僧でも何でもないが、爺さん、爺さんを……導きの山の神と思うから。」

「はて、勿体もったいもねえ、とんだことを言うなっす。」

 とふたさげの──もうこの頃では、山の爺がむ煙草がバットで差支えないのだけれど、事実を報道する──根附ねつけの処を、独鈷とっこのように振りながら、煙管きせる手弄てなぶりつつ、ぶらりと降りたが、股引ももひき足拵あしごしらえだし、腰達者に、ずかずか……と、もう寄った。

「いや、御苦労。」

 と一基の石塔の前に立並んだ、双方、膝の隠れるほど草深い。

 実際、この卵塔場は荒れていた。三方崩れかかった窪地の、どこが境というほどのくい一つあるのでなく、折朽おれくちた古卒都婆ふるそとばは、黍殻きびがら同然に薙伏なぎふして、薄暗いと白骨に紛れよう。石碑も、石塔も、倒れたり、のめったり、台に据っているのはほとんどない。それさえ十ウの八つ九つまでは、ほとんど草がくれなる上に、積った落葉にうもれている。青芒あおすすきの茂った、葉越しの谷底の一方が、水田に開けて、遥々はるばると連る山が、都に遠い雲の形で、蒼空あおぞらに、離れ島かと流れている。

 割合に土が乾いていればこそで──昨日きのうは雨だったし──もし湿地だったら、蝮、やまかがしの警告がないまでも、うっかり一歩もれなかったであろう。

 それでもこれだけ分入わけいるのさえ、樹の枝にも、卒都婆にも、こけの露は深かった。……旅客の指のさきは草の汁に青く染まっている。雑樹ぞうきの影がむのかも知れない。

 蝙蝠こうもりが居そうな鼻の穴に、煙は残って、火皿に白くなった吸殻を、ふっふっと、爺はてのひらしわに吹落し、眉をしかめて、念のために、火の気のないのを目でためて、吹落すと、葉末にかかって、ぽすぽすと消える処を、もう一つ破草履やれぞうりで、ぐいと踏んで、

「ようござらっせえました、御参詣ごさんけいでがすかな。」

「さあ……」

 と、妙な返事をする。

南無なむ、南無、何かね、お前様、このお墓に所縁の方でがんすかなす。」

 胡桃くるみの根附を、紺小倉のくたびれた帯へ挟んで、しゃがんで掌を合せたので、旅客も引入れられたように、夏帽を取って立直った。

「所縁にも、無縁にも、お爺さん、少し墓らしい形の見えるのは、近間では、これ一つじゃあないか──それに、近い頃、参詣があったと見える、この線香の包紙のほぐれて残ったのを、草の中にのぞいたものは、一つの灯のように、誰だって、これを見当みあて辿たどりつくだろうと思うよ。山路やまみちに行暮れたも同然じゃないか。」

 碑のおもての戒名は、信士とも信女しんにょとも、苔に埋れて見えないが、三つづたの紋所が、その葉の落ちたように寂しくあらわれて、線香の消残った台石に──田沢氏──とほのかに読まれた。

「は、は、修行者のように言わっしゃる、御遠方からでがんすかの、東京からなす。」

「いや、今朝は松島から。」

 と袖を組んで、さみしく言った。

「御風流でがんす、おたのしみでや。」

「いや、とんでもない……波は荒れるし。」

「おお。」

「雨は降るし。」

「ほう。」

「やっと、お天気になったのが、仙台からこっちでね、いや、馬鹿々々しく、かえって来た途中ですよ。」

 成程、馬鹿々々しい……旅客は、小県おがた凡杯ぼんはい──と自称する俳人である。

 この篇の作者は、別懇の間柄だから、かけかまいのない処を言おう。食い続きは、細々ながらどうにかしている。しかるべき学校は出たのだそうだが、ある会社の低い処を勤めていて、俳句は好きばかり、むしろ遊戯だ。処で、はじめは、凡俳、と名のったが、俳句を遊戯に扱うと、近来は誰も附合わない。第一なぐられかねない。見ずや、きみ、やかなの鋭き匕首あいくちをもって、骨を削り、肉を裂いて、人性じんせいの機微をき、十七文字で、大自然の深奥しんおうこうという意気込の、先輩ならびに友人に対して済まぬ。はばかり多い処から、「俳」を「杯」に改めた。が、一盞いっさん献ずるほどの、余裕も働きもないから、手酌で済ます、凡杯である。

 それにしても、今時、奥の細道のあとを辿たどって、松島見物は、「凡」過ぎる。近ごろは、独逸ドイツ仏蘭西フランスはつい隣りで、マルセイユ、ハンブルク、アビシニヤごときは津々浦々の中に数えられそうないきおい。少し変った処といえば、獅子狩ししがりだの、虎狩だの、類人猿の色のもめ事などがほとんど毎月の雑誌に表われる……その皆がみんな朝夷あさひな島めぐりや、おそれ山の地獄話でもないらしい。

 最近も、私を、作者を訪ねて見えた、学校を出たばかりの若い人が、一月ばかり、つい御不沙汰ごぶさた、と手軽い処が、南洋の島々を渡って来た。……ピイ、チョコ、キイ、キコと鳴く、青い鳥だの、黄色な鳥だの、可愛らしい話もあったが、聞く内にハッと思ったのは、ある親島から支島えだじまへ、カヌウで渡った時、白熱の日の光に、あいの透通る、澄んで静かな波のひと処、たちまち濃い萌黄もえぎに色が変った。微風も一繊雲もないのに、ゆらゆらとその潮が動くと、水面に近く、さっ黄薔薇きばらのあおりを打った。そのおおきさ、大洋の只中ただなかに計り知れぬが、巨大なるえいの浮いたので、近々とあざけるような黄色な目、二丈にも余る青い口で、ニヤリとしてやがて沈んだ。海の魔宮の侍女であろう。その消えた後も、人の目の幻に、船の帆は少時しばしその萌黄の油を塗った。……「畳で言いますと」──話し手の若い人は見まわしたが、作者の住居すまいにはあいにく八畳以上の座敷がない。「そうですね、三十畳、いやもっと五十畳、あるいはそれ以上かも知れなかったのです。」と言うのである。

 半日隙はんにちびまとも言いたいほどの、旅の手軽さがこのくらいである処を、雨に降られた松島見物を、山のじじいに話している、凡杯の談話ごときを──読者諸賢──しかし、しばらくこれを聴け。


       二


 小県凡杯は、はじめて旅をした松島で、着いた晩と、あくる日を降籠ふりこめられた。景色は雨にうずもれて、かまどにくべた生薪なままきのいぶったような心地がする。屋根の下の観光は、瑞巌寺ずいがんじの大将、しかもかためにらまれたくらいのもので、何のために奥州へ出向いたのか分らない。日も、懐中ふところも、切詰めた都合があるから、三日めの朝、旅籠屋はたごやを出で立つと、途中から、からりとした上天気。

 奥羽線の松島へ戻る途中、あの筋には妙に豆府屋が多い……と聞く。その油揚が陽炎かげろうを軒に立てて、豆府のような白い雲が蒼空あおぞらに舞っていた。

 おかしな思出はそれぐらいで、白河近くなるにつれて、東京から来がけには、同じ処でがふけて、やっぱりざんざぶりだった、雨の停車場ステエションの出はずれに、薄ぼやけた、うどんの行燈あんどう。雨脚も白く、真盛まっさかりのの花が波を打って、すぐの田畝たんぼがあたかも湖のように拡がって、かえるの声が流れていた。これあるがためか、と思ったまで、雨の白河は懐しい。都をば霞とともに出でしかど……一首を読むのに、あの洒落しゃれものの坊さんが、頭を天日にさらしたというのを思出す……「意気な人だ。」とうっかり、あみ棚に預けた夏帽子の下で素頭すこうべたたくと、小県はひとりでうっかり笑った。ちょっと駅へ下りてみたくなったのだそうである。

 そこで、はじめて気がついたと云うのでは、まことに礼を失するに当る。が、ふとこの城下を離れた、片原というのは、かれの祖先の墳墓の地である。

 海も山も、ひとしく遠い。小県凡杯は──北国ほっこくの産で、父も母もその処の土となった。が、曾祖、祖父、祖母、なおその一族が、それか、あらぬか、あの雲、あの土の下に眠った事を、昔話のように聞いていた。

 ──家は、もと川越かわごえの藩士である。御存じ……と申出るほどの事もあるまい。石州浜田六万四千石……船つきのみなとを抱えて、内福の聞こえのあった松平某氏なにがしが、仔細しさいあって、ここの片原五万四千石、──遠僻えんぺきの荒地に国がえとなった。後に再び川越に転封てんぽうされ、そのまま幕末に遭遇した、流転の間に落ちこぼれた一藩の人々の遺骨、残骸ざんがいが、草に倒れているのである。

 心ばかりの手向たむけをしよう。

 不了簡ふりょうけんな、凡杯も、ここで、本名の銑吉せんきちとなると、妙に心があらたまる。すすつらも洗おうし、土地の模様も聞こうし……で、駅前の旅館へ便たよった。

「姉さん、風呂には及ばないが、顔が洗いたい。手水ちょうず……何、洗面所を教えておくれ。それから、午飯おひるを頼む。ざっとでいい。」

 二階座敷で、遅めの午飯をしたためる間に、様子を聞くと、めざす場所──片原は、五里半、かれこれ六里遠い。──

 鉄道はある、が地方のだし、大分時間がかかるらしい。

 自動車の便はたやすく得られて、しかも、旅館の隣が自動車屋だと聞いたから、価値ねだんを聞くと、思いのほかれんであった。

「早速一台頼んでおくれ。……このちょっとしたものだが、荷物は預けて行きたいと思う。……成るべく、日暮までに帰って、すぐ東京へ立ちたいのだがね、時間の都合で遅くなったら一晩厄介になるとして──勘定はその時と──自動車は、ああ、成程隣りだ。では、世話なしだ、いや、お世話でした。」

 表階子おもてはしごを下りかけて、

「ねえさん。」

「へい。」

「片原に、おっこち……こいつ、棚から牡丹餅ぼたもちときこえるか。──恋人でもあったら言伝ことづけを頼まれようかね。」

「いやだ、知りましねえよ、そんげなこと。」

「ああ、自動車屋さん、御苦労です。ところで、料金だが、間違はあるまいね。」

「はい。」

 とうやうやしく帽を脱いだ、近頃は地方の方が夏帽になるのが早い。セルロイドの目金めがねを掛けている。

「ええ、大割引で勉強をしとるです。で、その、ちょっとあらかじめ御諒解を得ておきたいのですが、お客様が小人数こにんずで、車台が透いております場合は、途中、田舎道、あるいは農家から、便宜上、その同乗を求めらるる客人がありますと、御迷惑を願う事になっているのでありますが。」

「ははあ、そんな事だろうと思った。どうもお値段の塩梅あんばいがね。」

 女中も帳場も皆笑った。

 ロイドめがねを真円まんまるに、運転手は生真面目きまじめで、

「多分の料金をお支払いの上、お客様がですな、一人で買切っておいでになりましても、途中、その同乗を求むるものをたって謝絶いたしますと、独占的ブルジョアの横暴ででもありますかのように、階級意識を刺戟しまして──土地が狭いもんですから──われわれをはじめ、お客様にも、敵意を持たれますというと、何かにつけて、不便宜、不利益であります処から。……は。」

「分りました、ごもっともです。」

「ですが、沿道は、全く人通りが少いのでして、乗合といってもめったにはありません。からして、お客様には、事実、御利益になっておりますのでして。」

「いや、損をしても構いません。妙齢としごろの娘か、年増の別嬪べっぴんだと、かえってこっちから願いたいよ。」

「……運転手さん、こちらはね、片原へ恋人に逢いにいらっしゃったんだそうですから。」

 しっぺい返しに、女中にトンと背中を一つ、くらわされて、そのはずみに、ひょいと乗った。元来おもみのある客ではない。

「へい御機嫌よう……お早く、お帰りにどうぞ。」

 番頭の愛想を聞流しに乗って出た。

 おしいかな、阿武隈あぶくま川の川筋は通らなかった。が、県道へかかって、しばらくすると、道の左右は、一様に青葉して、こずえが深く、枝が茂った。一里ゆき、二里ゆき、三里ゆき、思いのほか、田畑も見えず、ほとんど森林地帯をはしる。……

 座席の青いのに、濃い緑が色を合わせて、日の光は、ちらちらと銀の蝶の形して、影も翼も薄青い。

 じん、時々飛々とびとびに数えるほどで、自動車の音は高く立ちながら、鳴くはもとより、ともすると、驚いて飛ぶ鳥の羽音が聞こえた。

 一二軒、また二三軒。山吹、さつきが、淡いあかに、薄い黄に、その背戸、垣根に咲くのが、森の中のがあけかかるように目に映ると、同時に、そこに言合せたごとく、人影があらわれて、かどに立ち、まがきに立つ。

 村人よ、里人よ。その姿の、わだちの陰にかくれるのが、なごりおしいほど、道は次第に寂しい。

 宿に外套がいとうを預けて来たのが、不用意だったと思うばかり、小県は、幾度いくたびも襟を引合わせ、引合わせしたそうである。

 この森の中をくような道は、起伏凹凸が少く、たいらだった。がしかし、自動車の波動の自然に起るのが、波に揺らるるようで便りない。ほこりたず、雨のあとの樹立こだちの下は、もちろん濡色がはるかに通っていた。だから、たまに行逢う人も、その村の家も、ただ漂々蕩々とうとうとして陰気な波に揺られて、あとへ、あとへ、漂って消えてくから、峠の上下うえした、並木の往来で、ゆき迎え、また立顧みる、旅人同士とは品かわって、世をかえても再び相逢うすべのないような心細さが身にみたのであった。

 かあ、かあ、かあ、かあ。

 鈍くて、濁って、うら悲しく、明るいようで、もの陰気で。

「烏がなくなあ。」

「群れておるです。」

 運転手は何を思ったか、口笛を高く吹いて、

「首くくりでもなけりゃいいが、道端の枝に……いやだな。」

 うっかり緩めた把手ハンドルに、と動きを掛けた時である。ものの二三町は瞬く間だ。あたかもその距離の前途ゆくての右側に、真赤まっかな人のなりがふらふらと立揚たちあがった。天象、地気、草木、この時に当って、人事に属する、赤いものと言えば、読者は直ちに田舎娘のおば見舞か、酌婦の道行振みちゆきぶりを瞳に描かるるであろう。いや、いや、そうでない。

 そこに、就中なかんずく巨大なる杉の根に、揃って、つくばっていて、いま一度に立揚ったのであるが、ちらりと見た時は、下草をぬいて燃ゆる躑躅つつじであろう──また人家がある、と可懐なつかしかった。

 自動車がハタと留まって、窓を赤くおおうまで、むくむくと人数にんずが立ちはだかった時も、ひとしく、躑躅の根から湧上わきあがったもののように思われた。五人──その四人は少年である。……とし十一二三ばかり。皆真赤なランニング襯衣しゃつで、赤い運動帽子をかぶっている。彼等を率いた頭目らしいのは、独り、年配五十にも余るであろう。脊の高い瘠男やせおとこの、おなじ毛糸の赤襯衣を着込んだのが、法衣ころもらしい、坊主袖の、ぶわぶわするのを上にまとって、すねを赤色の巻きゲエトル。赤革の靴を穿き、あまつさえ、リボンでも飾ったさまに赤木綿のおおいを掛け、赤いきれで、みしと包んだヘルメット帽を目深まぶかに被った。……

 頤骨あごぼねとがり、頬がこけ、無性髯ぶしょうひげがざらざらとあらく黄味を帯び、その蒼黒あおぐろ面色かおいろの、鈎鼻かぎばなが尖って、ツンとたかく、小鼻ばかり光沢つやがあって蝋色ろういろに白い。まなじりが釣り、目が鋭く、血の筋が走って、そのヘルメット帽の深い下には、すべての形容について、角が生えていそうで不気味に見えた。

 この頭目、赤色せきしょくの指導者が、無遠慮に自動車へ入ろうとして、ぎろりと我が銑吉をて、むなさきで、ぎしと骨張った指を組んで合掌した……変だ。が、これが礼らしい。加うるに慇懃いんぎんなる会釈だろう。けれども、この恭屈頂礼をされた方は──また勿論されるわけもないが──胸を引掻ひっかいて、はらわたでもむしるのに、引導を渡されでもしたようで、腹へ風がとおって、ぞッとした。

 すなわち、手を挙げるでもなし、声を掛けるでもなし、運転手に向ってもまた合掌した。そこで車を留めたが、勿論、拝む癖に傲然ごうぜんたる態度であったという。それもあとで聞いたので、小県がぞッとするまで、不思議に不快を感じたのも、赤い闖入者ちんにゅうしゃが、再び合掌して席へ着き、近々と顔を合せてからの事であった。樹から湧こうが、葉から降ろうが、四人の赤い子供を連れた、その意匠、右の趣向の、ちんどん屋……と奥筋でもとなうるかどうかは知らない、一種広告隊の、林道を穿うがって、赤五点、赤長短、赤大小、点々として顕われたものであろう、と思ったと言うのである。

 が、すぐその間違いが分った。客と、銑吉との間へ入って腰を掛けた、中でも、脊のひょろりと高い、色の白い美童だが、かんの虫のせいであろう、……優しい眉と、細い目の、ぴりぴりと昆虫の触角のごとく絶えず動くのが、何の級に属するか分らない、折って畳んだ、猟銃の赤なめしの袋に包んだのを肩にななめに掛けている。且つこれは、乗込もうとする車の外で、ほかの少年の手から受取って持替えたものであった。そうして、栗鼠りすが(註、この篇の談者、小県凡杯は、兎のように、と云ったのであるが、兎は私が贔屓ひいきだから、栗鼠にしておく。)後脚あとあしで飛ぶごとく、嬉しそうに、ねつつ飛込んで、腰を掛けても、その、ぴょん、がまないではずんでいた。

 ──後に、四童、一老が、自動車を辞し去った時は、ずんぐりとして、それは熊のように、色の真黒まっくろな子供が、手がわりに銃を受取るとひとしく、むくむく、もこもこと、踊躍ようやくして降りたのを思うと、一具の銃は、一行の名誉と、衿飾きんしょくの、旗表はたじるしであったらしい。

 猟期は過ぎている。まさか、子供を使って、洋刀ナイフや空気銃の宣伝をするのではあるまい。

 いずれ仔細しさいがあるであろう。

 ロイドめがねの黒い柄を、耳のさきに、?のように、振向いて運転手が、

「どちらですか。」

「ええ処で降りるんじゃ。」

 と威圧するごとくに答えながら、双手を挙げて子供等を制した。栗鼠ばかりでない。あと三個も、補助席二脚へ揉合もみあって乗るとひとしく、肩を組む、頬を合わせる、耳を引張ひっぱる、真赤まっか洲浜形すはまがたに、鳥打帽を押合って騒いでいたから。

 いましめは顕われ、しつけは見えた。いまその一弾指のもとに、子供等は、ひっそりとして、エンジンの音立処たちどころに高く響くあるのみ。そのしずかさは小県ただ一人の時よりも寂然ひっそりとした。

 なぜか息苦しい。

 赤い客はしわぶき一つしないのである。

 小県は窓を開放って、立続たてつけて巻莨まきたばこを吹かした。

 しかし、硝子がらすを飛び、風にいて、うしろざまに、緑林になびく煙は、我が単衣ひとえの紺のかすりになって散らずして、かえって一抹いちまつ赤気せっきはらんで、異類異形に乱れたのである。

「きみ、きみ、まだなかなかかい。」

「屋根が見えるでしょう──白壁が見えました。」

「留まれ。」

 その町の端頭はずれと思う、林道の入口の右側の角に当る……人はまぬらしい、壊屋こわれやの横羽目に、乾草ほしくさ粗朶そだうずたかい。その上に、おしむべし杉の酒林さかばやしの落ちて転んだのが見える、わきがすぐ空地の、草の上へ、赤い子供の四人が出て、きちんと並ぶと、緋の法衣ころもの脊高が、枯れた杉の木のゆらぐごとく、すくすくと通るに従って、一列に直って、裏の山へ、夏草のこみちを縫ってく──この時だ。一番あとのずんぐり童子が、銃をになった嬉しさだろう、真赤なおおきしりを、むくむくと振って、肩で踊って、

「わあい。」

 と馬鹿調子のどら声を放す。

 ひょろ長い美少年が、

「おうい。」

 と途轍とてつもない奇声を揚げた。

 同時に、うしろ向きの赤い袖がひるがえって、頭目はてのひらを口に当てた、声をおさえたのではない、笛を含んだらしい。ヒュウ、ヒュウと響くと、たちまちしずかに、粛々として続いてく。

 すぐに、山の根に取着いた。が草深い雑木の根を、縦に貫く一列は、殿しんがりの尾の、ずんぐり、ぶつりとした大赤楝蛇おおやまかがしうねるようで、あのヘルメットが鎌首によく似ている。

 見る間に、山腹の真黒まっくろ一叢ひとむら竹藪たけやぶくぐって隠れた時、

「やーい。」

「おーい。」

 ヒュウ、ヒュウとかすかに聞こえた。なぜか、その笛に魅せられて、少年等が、別の世、別の都、別の町、あやしきかくれ里へさらわれてきそうで、悪酒に酔ったように、凡杯の胸はふさがった。

 自動車たるべきものが、スピイドを何とした。

 茫然ぼうぜんとしたさまして、運転手が、汚れた手袋の指の破れたのをじっている。──掌に、銀貨が五六枚、キラキラと光ったのであった。


「──お爺さん、何だろうね。」

「…………」

「私も、運転手も、現に見たんだが。」

「さればなす……」

 と、爺さんは、粉煙草こなたばこを、三度ばかりに火皿の大きなのにつまみ入れた。

 ……根太の抜けた、荒寺の庫裡くりに、炉の縁で。……


       三


 西明寺さいみょうじ──もとこの寺は、松平氏が旧領石州から奉搬の伝来で、土地の町村に檀家だんかがない。従って盆暮のつけ届け、早い話がおとむらい一つない。如法にょほうの貧地で、堂も庫裡も荒れ放題。いずれ旧藩中ばかりの石碑だが、こけかねば、紋も分らぬ。その墓地の図面と、過去帳は、和尚が大切にしているが、あいにく留守。……

 墓参のよしを聴いて爺さんが言ったのである。

「ほか寺の仏事の手伝いやら托鉢たくはつやらで、こちとら同様、細い煙を立てていなさるでなす。」

 あいにく留守だが、そこは雲水、風の加減で、ふわりと帰る事もあろう。

「まあ一服さっせえまし、和尚様とは親類づきあい、渋茶をいれて進ぜますで。」

 とにかく、いい人に逢った。爺さんは、旧藩士ででもあんなさるかと聞くと、

「孫八とこいて、いやはや、若い時から、やくざでがしての。縁は異なもの、はッはッはッ。お前様、曾祖父様ひいじいさまや、祖父様の背戸畑で、落穂を拾った事もあんべい。──鼠棚ねずみだな捜いて麦こがしでも進ぜますだ。」

 ともなわれて庫裡にる──奥州片原の土地の名も、この荒寺では、鼠棚がふさわしい。いたずらものが勝手に出入ではいりをしそうな虫くい棚の上に、さっきから古木魚が一つあった。音も、形も馴染なじみのものだが、仏具だから、俗家の小県は幼いいたずら時にもまだ持って見たことがない。手頃なのは大抵想像は付くけれども、かこみほとんど二尺、これだけの大きさだと、どのくらい重量めかたがあろうか。普通は、本堂に、香華こうげの花と、香のにおいと明滅する処に、章魚たこ胡坐あぐらで構えていて、おどかして言えば、海坊主の坐禅のごとし。……辻の地蔵尊の涎掛よだれかけをはぎ合わせたような蒲団ふとんが敷いてある。ところを、大木魚の下に、ヒヤリと目に涼しい、薄色の、一目見てまがう方なき女持ちの提紙入ハンドバックで。白い桔梗ききょうと、水紅色ときいろ常夏とこなつ、と思ったのが、その二色ふたいろの、花の鉄線かずらを刺繍ししゅうした、銀座むきの至極当世な持もので、花はきりりとしているが、葉もつるも弱々しく、中のものも角ばらず、なよなよと、木魚の下すべりに、優しい女の、帯の端を引伏せられたように見えるのであった。

 はじめ小県が、ここの崖を、墓地へ下りる以前に、寺の庫裡をのぞいた時、人気ひとけも、火の気もない、炉のそばに一段高く破れ落ちた壁の穴の前に、この帯らしいものを見つけて、うつくしい女の、その腰は、袖は、あらわな白い肩は、壁外にさかさになって、蜘蛛くもの巣がらみに、蒼白あおじろくくくられてでもいそうに思った。

 瞬間の幻視である。手提てさげはすぐ分った。が、この荒寺、思いのほか、陰寂な無人ぶじん僻地へきちで──頼もう──を我が耳で聞返したほどであったから。……

私の隣の松さんは、熊野へ参ると、髪うて、

熊野の道で日が暮れて、

あと見りゃおそろしい、先見りゃこわい。

先の河原で宿取ろか、跡の河原で宿取ろか。

さきの河原で宿取って、なまずが出て、押えて、

手で取りゃ可愛いし、足で取りゃ可愛いし、

杓子しゃくしですくうて、線香せんこになって、燈心でくくって、

仏様のうしろで、一切ひときれ食や、うまし、二切食や、うまし……

 紀州の毬唄まりうたで、隠微な残虐ざんぎゃくの暗示がある。むかし、熊野もうでの山道に行暮れて、古寺に宿を借りた、若い娘が燈心で括って線香で担って、鯰を食べたのではない。鯰の方が若い娘を、……あとは言わずともかろう。例証は、遠く、今昔物語、詣鳥部寺女のはなしにある、と小県はかねて聞いていた。

 紀州を尋ねるまでもなかろう。

……今年はじめて花見に出たら、寺の和尚に抱きとめられて、

高い縁から突落されて、こうがい落し、小枕こまくら落し……

 古寺の光景は、異様な衝動でかれを打った。

 普通、草双紙なり、読本なり、現代一種の伝奇においても、かかる場合には、たまたまきたって、騎士ナイトがかの女を救うべきである。が、こしらえものより毬唄の方が、現実を曝露ばくろして、──女はすみやかしえたげられているらしい。

 同時に、愛惜あいじゃくの念に堪えない。ものあわれな女が、一切食われ一切食われ、木魚におさひしがれた、……その手提に見入っていたが、腹のすいたおおかみのように庫裡へ首を突込つっこんでいていものか。何となく、心ゆかしに持っていた折鞄おりかばんを、縁側ずれに炉の方へ押入れた。それから、卵塔の草を分けたのであった。──一つは、鞄を提げて墓詣はかまいりをするのは、事務を扱うようで気がさしたからであった。

 今もある。……木魚の下に、そのままの涼しい夏草と、ちょろはげの鞄とを見較みくらべながら、

「──またその何ですよ。……待っていられては気忙きぜわしいから、帰りは帰りとして、自然、それまでにほかの客がなかったらお世話になろう。──どうせひまだからいつまでも待とうと云うのを──そういってね、一旦いったん運転手に分れた──こっちの町尽頭はずれの、茶店……酒場バアか。……ざっとまあ、饂飩屋うどんやだ。それからは、見た目にも道わるで、無理に自動車を通した処で、歩行あるくより難儀らしいから下りたんですがね──饂飩酒場うどんバアの女給も、女房かみさんらしいのも──その赤い一行は、さあ、何だか分らない、と言う。しかし、お小姓に、太刀のように鉄砲を持たしていれば、大将様だ。大方、魔ものか、変化にでも挨拶あいさつくのだろう、と言うんです。

 魔ものだの、変化だのに、挨拶は変だ、と思ったが、あとで気がつくと、女れんは、うわさのある怪しいことに、恐しくおびえていて、陰でも、退治たいじるの、生捉いけどるのとは言いはばかったものらしい。がまあ、この辺にそんなものが居るのかね。……運転手は笑っていたが、私は真面目さ。何でも、この山奥に大沼というのがある?……ありますか、お爺さん。」

「あるだ。」

 その時、この気軽そうな爺さんが、重たく点頭した。

「……阿武隈川が近いによって、阿武沼と、勿体もったいつけるで、国々で名高い、湖や、潟ほど、大いなものではねえだがなす、むかしから、それを逢魔沼おうまぬまと云うほどでの、樹木が森々しんしんとしてすごいでや、めったに人が行がねえもんだで、山奥々々というだがね。」

 と額を暗く俯向うつむいた。が、煙管きせるを落して、門──いや、門も何もない、前通りの草のこみちを、向うの原越しに、差覗さしのぞくがごとく、指をさし、

「あの山を一つ背後うしろへ越した処だで、沢山たんと遠い処ではねえが。」

 と言う。

 その向う山の頂に、杉ひのきの森に包まれた、堂、やしろらしい一地がある。

「……途中でも、気が着いたが。」

 水の影でも映りそうに、その空なるは水色に澄んで青い。

「沼は、あの奥に当るのかね。」

「えへい、まあ、その辺の見当ずら。」

 と、掌をもじゃもじゃと振るのが、枯葉が乱れて、その頂の森を掻乱かきみだすように見え、

「何かね、その赤い化もの……」

「赤いのが化けものじゃあない──お爺さん。」

「はあ、そうけえ。」

 と妙に気の抜けた返事をする。

「……だから、私が──じゃあ、その阿武沼、逢魔沼か。そこへ、あの連中は行ったんだろうか、沼には変った……何か、可恐おそろしい、可怪あやしい事でもあるのかね。饂飩酒場の女房が、いいえ、沼には牛鬼が居るとも、大蛇おろちが出るとも、そんな風説うわさは近頃では聞きませんが、いやな事は、このさきの街道──なわての中にあった、というんだよ。寺の前を通る道は、古い水戸街道なんだそうだね。」

「はあ、そうでなす。」

「ぬかるみを目の前にして……さあ、出掛けよう。で、ここへ私が来る道だ。何が出ようとこの真昼間まっぴるま、気にはしないが、もの好きに、どんな可恐おそろしい事があったと聞くと、女給と顔を見合わせてね、旦那だんな、殿方には何でもないよ。アハハハと笑って、陽気におどかす……その、その辺を女が通ると、ひとりでに押孕おっぱらむ……」

「馬鹿あこけ、あいつ等。」

 と額にびくびくとしわを刻み、痩腕やせうで突張つっぱって、爺は、彫刻のように堅くなったが、

「あッはッはッ。」

 唐突だしぬけに笑出した。

「あッはッはッ。」

 たちまち口にふたをして、

「ここは噴出す処でねえ。麦こがしが消飛けしとぶでや、お前様もやらっせえ、和尚様の塩加減が出来とるで。」

 欠茶碗にもりつけた麦こがしを、しきりに前刻さっきから、たばせた。が、さじ附木つけぎもえさしである。

「ええ塩梅あんばいだ。さあ、やらっせえ、さ。」

 い候え、と言うのである。これを思うと、木曾殿の、掻食わせた無塩ぶえん平茸ひらたけは、碧澗へきかんあつものであろう。が、爺さんの竈禿くどはげ針白髪はりしらがは、阿倍の遺臣のがいがあった。

「お前様の前だがの、女が通ると、ひとりで孕むなぞと、うそにも女の身になったらどうだんべいなす、聞かねえ分で居さっせえまし。優しげな、情合じょうあいの深い、旦那、お前様だ。」

「いや、恥かしい、情があるの、何のと言って。墓詣りは、誰でもする。」

「いや、そればかりではねえ。──知っとるだ。お前様は人間扱いに、畜類にものを言わしったろ。」

「畜類に。」

「おお、さぎによ。」

「鷺に。」

「白鷺に。なわてさ来る途中でよ。」

「ああ、知ってるのかい、それはどうも。」


       四


 ──きみ、きみ──

 白鷺に向って声を掛けた。

「人に聞かれたのではきまりが悪いね……」

 西明寺を志して来る途中、一処、道端の低いあぜに、一叢ひとむら緋牡丹ひぼたんが、薄曇る日に燃ゆるがごとく、二輪咲いて、枝のつぼみの、たわわなのを見た。──奥路に名高い、例の須賀川の牡丹園の花の香が風に伝わるせいかも知れない、汽車からながめる、目の下に近い、かど、背戸、垣根。遠くは山裾やますそにかくれてた茅屋かややにも、咲昇るあおいしのいで牡丹を高く見たのであった。が、こんなに心易い処に咲いたのには逢わなかった。またどこにもあるまい。細竹一節のかこいもない、酔える艶婦えんぷの裸身である。

 旅の袖を、直ちに蝶の翼に開いて──狐がいたと人さえ見なければ──もっとも四辺あたりに人影もなかったが──ふわりと飛んで、花を吸おうとも、莟を抱こうとも、心のままに思われた。

 それだのに、十歩……いや、もっと十間ばかり隔たった処に、銑吉が立停たちどまったのは、花の莟を、蓑毛みのけかついだ、舞の烏帽子えぼしのようにかざして、葉の裏すく水の影に、白鷺が一羽、婀娜あだに、すっきりと羽を休めていたからである。

 ここに一筋の小川が流れる。三尺ばかり、細いが水は清く澄み、瀬は立ちながら、悠揚として、さらさらと聞くほどの音もしない。山入やまいりの水源は深く沈んだ池沼ちしょうであろう。湖と言い、滝と聞けば、末のながれのかくまでしずかなことはあるまいと思う。たとい地理にしていかなりとも。

 ──松島の道では、鼓草たんぽぽをつむ道草をも、溝をまたいで越えたと思う。ここの水は、牡丹のむらのうしろを流れて、山の根に添って荒れた麦畑の前を行き、一方は、つのぐむあし、茅の芽の漂う水田であった。

 道を挟んで、牡丹と相向う処に、亜鉛トタンこけらの継はぎなのが、ともに腐れ、屋根が落ち、柱の倒れた、以前掛茶屋か、中食ちゅうじきであったらしい伏屋の残骸ざんがいが、よもぎなかにのめっていた。あるいは、足休めの客の愛想に、道のむこう側を花畑にしていたものかも知れない。流転のあとと、栄花の夢、軒は枯骨のごとく朽ちて、牡丹のはだは鮮紅である。

 古蓑ふるみの案山子かかしになれば、茶店の骸骨も花守をしていよう。煙は立たぬが、根太を埋めた夏草の露は乾かぬ。その草の中を、あたかも、ひらひら、と、もののうつつのように、いま生れたらしい蜻蛉とんぼが、群青ぐんじょうの絹糸に、薄浅葱うすあさぎの結び玉を目にして、綾の白銀しろがねうすものを翼に縫い、ひらひら、とながれの方へ、葉うつりを低くして、牡丹に誘われたように、道を伝った。

 またあまりにはかない。土に映る影もない。が、その影でさえ、触ったら、毒気でたちまち落ちたろう。──畷道なわてみち真中まんなかに、別に、すさまじい虫が居た。

 しかも、こっちを、銑吉の方を向いて、ひげをぴちぴちと動かす。一疋七八分にして、は寸に足りない。けれども、羽に碧緑あおみどりつや濃く、赤と黄のを飾って、腹に光のある虫だから、留った土がになって、磨いたように燦然さんぜんとする。葛上亭長まめ芫青あお地胆つち、三種合わせた、猛毒、はだえあわすべき斑蝥はんみょううちの、最も普通な、みちおしえ、魔のいた宝石のように、炫燿ぎらぎらと招いていた。

「──こっちを襲って来るのではない。そこは自然の配剤だね。人が進めば、ひょいと五六尺退しさって、そこで、また、おいでおいでをしているんだ。碧緑赤黄の色で誘うのか知らん。」

 蜻蛉では勿論ない。それを狙っているらしい。白鷺が、翼を開くまでもなかった。牡丹の花の影を、きれいな水から、すっと出て、斑蝥の前へくと思うと、約束通り、前途むこう退さがった。人間に対すると、その挙動は同一おんなじらしい。……白鷺が再び、すっと進む。

 あのあしの運びは、小股こまたがきれて、意気に見える。斑蝥は、また飛びしさった。白鷺が道の中を。……

 ──きみ、──きみ──

「うっかり声を出して呼んだんだよ、つい。……毒虫だ、大毒だ。きみ、くわえてはいけないと。あの毒は大変です、その卵のくッついた野菜を食べると、血を吐いて即死だそうだ。

 現に、私がね、ただ、触られてかぶれたばかりだが。

 北国ほっこくの秋の祭──十月です。半ば頃、その祭に呼ばれて親類へ行った。

 白山宮はくさんぐうの境内、大きな手水鉢ちょうずばちのわきで、人ごみの中だったが、山の方から、さっと虫が来て頬へとまった。指のさきで払い落したあとが、むずむずとかゆいんだね。

 御手洗みたらしは清くて冷い、すぐ洗えばだったけれども、神様の助けです。手も清め、口もそそぐ。……あの手をいきなり突込つっこんだらどのくらい人をそこなったろう。──たとい殺さないまでもと思うと、今でも身の毛が立つほどだ。ほてって、顔が二つになったほど幅ったく重い。やあ、のようなつらだ、鬼のめんだ、と小児こどもたちにはやされて、泣いたり怒ったり。それでも遊びにほうけていると、清らかな、上品な、お神巫みこかと思う、色の白い、もみはかまのお嬢さんが、祭の露店に売っている……山葡萄やまぶどうの、黒いほどな紫の実を下すって──お帰んなさい、水で冷すのですよ。

 ──で、駆戻ると、さきの親類では吃驚びっくりして、頭を冷して寝かしたんだがね。客が揃って、おやじ……私の父が来たので、御馳走ごちそうぜんの並んだ隣へ出て坐った処、そこらをて、しばらくして、内の小僧は?……と聞くんだね。袖の中の子が分らないほど、つらが鬼になっていたんです。おやじの顔色が変ると、私も泣出した。あとをよくは覚えていないんだが、その山葡萄をしずくにして、塗ったり吸ったりして無事に治った……虫は斑蝥だった事はいうまでもないのです。」

「何と、はあ、おっかねえもんだ、なす。知らねえ虫じゃねえでがすが、……もっとも、あの、みちおしえは、誰も触らねえ事にしてあるにはあるだよ。」

「だから、つい、声も掛けようではないか。」

「鷺の鳥はどうしただね。」

「お爺さん、それは見ていなかったかい。」

「なまけもんだ、陽気のよさに、あとはすぐとろとろだ。あの潰屋つぶれやの陰に寝ころばっておったもんだでの。」

 白鷺はやがて羽を開いた。飛ぶと、宙をかける威力には、とび退しさる虫がくちばしに消えた。雪の蓑毛みのけさわやかに、もとのながれの上に帰ったのは、あと口に水を含んだのであろうも知れない。諸羽もろはねつと、ひらりと舞上る時、緋牡丹の花の影が、雪のうなじに、ぼっとみて薄紅うすくれないがさした。そのまま山のを、高く森のこずえにかくれたのであった。

「あの様子ではたしかに呑んだよ、どうもられたろうと思うがね。」

 じい股引ももひきの膝を居直って、自信がありそうに云った。

「うんや、鳥は悧巧りこうだで。」

「悧巧な鳥でも、殺生石にはおちるじゃないか。」

「うんや、大丈夫でがすべよ。」

「が、見る見るあの白い咽喉のどの赤くなったのが可恐おそろしいよ。」

「とろりとうまいと酔うがなす。」

 にたにたと笑いながら、

「麦こがしでは駄目だがなす。」

「しかし……」

「お前様、それにの、鷺はの、明神様のおつかわしめだよ、白鷺明神というだでね。」

「ああ、そうか、あの向うの山のお堂だね。」

「余り人のく処でねえでね。道も大儀だ。」

 と、なぜか中を隔てるように、さしのぞく小県の目の前で、頭を振った。

 明神の森というと──あの白鷺はその梢へ飛んだ──なぜか爺が、まだたれも詣でようとも言わぬものを、悪く遮りだてするらしいのに、反感を持つとまでもなかったけれども、すぐにも出掛けたい気が起った。黒塚のばばの納戸で、むを得ない。

「──時に、和尚さんは、まだなかなか帰りそうに見えないね。とすると、位牌いはいも過去帳も分らない。……」

「何しろ、この荒寺だ、和尚は出がちだよって、大切な物だけは、はい、町の在家の確かな蔵に預けてあるで。」

「また帰途かえりに寄るとしよう。」

 不意に立掛けた。が、見掛けた目にも、若い綺麗きれいな人の持ものらしい提紙入ハンドバックに心をかれた。またそれだけ、露骨に聞くのがくすぐったかったのを、ここで銑吉が棄鞭すてむちを打った。

「お爺さん、お寺には、おかみさん、いや、奥さんか。」

 小さな声で、

「おだいこくがおいでかね。」

「は、とんでもねえ、それどころか、檀那だんながねえで、亡者も居ねえ。だがな、またこの和尚が世棄人過ぎた、あんまり悟りすぎた。参詣の女衆おなごしゅが、忘れたればとって、預けたればとって、あんだ、あれは。」

 と、せきこんで、

「……外廻りをするにして、要心に事を欠いた。木魚をおしに置くとはあんたるこんだ。」

 と、やけに突立つったつ膝がしらに、麦こがしの椀を炉の中へ突込つっこんで、ぱっと立つ白い粉に、クシンとせたは可笑おかしいが、手向たむけの水のれたようで、見る目には、ものあわれ。

 もくりと、掻落すように大木魚を膝に取って、

「ぼっかり押孕おっぱらんだ、しかもでっかい、木魚講を見せつけられて、どんなにか、はい、女衆は恥かしかんべい。」

 その時、提紙入ハンドバックの色が、紫陽花あじさい浅葱あさぎ淡く、壁の暗さに、黒髪も乱れつつ、産婦の顔のしおれたように見えたのである。

 谷間の卵塔に、田沢氏の墓のただ一基こけの払われた、それを思え。

「お爺さん、では、あの女の持ものは、お産で死んだ記念かたみおさめものででもあるのかい。」

 べそかくばかりに眉を寄せて、

「牡丹に立った白鷺になるよりも、人間は娑婆しゃばが恋しかんべいに、産で死んで、姑獲鳥うぶめになるわ。びしょびしょぶり闇暗くらやみに、若い女が青ざめて、腰の下さ血だらけで、あのこわれ屋の軒の上へ。……わあ、なさけない。……お救い下され、南無普門品なむふもんぼん、第二十五。」

 と炉縁をずり直って、たとえば、小県に股引の尻を見せ、向うむきに円くうずくまったが、古寺の狸などを論ずべき場合でない──およそ、その背中ほどの木魚にしがみついて、もく、もく、もく、もく、と立てつけに鳴らしながら、

「南無普門品第二十五。」

「普門品第二十五。」

 小県も、ともに口のうちで。

「この寺に観世音。」

「ああ居らっしゃるとも、難有ありがたい、ありがたい……」

「その本堂に。」

「いや、あちらの棟だ。──ああ、参らっしゃるか。」

「参ろうとも。」

「おお、いい事だ、さあ、ござい、ござい。」

 と抱込んだ木魚を、もく、もくとたたきながら、足腰の頑丈づくりがひょこひょことさきへ立った。この爺さん、どうかしている。

 が、導かれて、御廚子みずしの前へ進んでからは──そういう小県が、かえって、どうかしないではいられなくなったのである。

 この庫裡くりと、わずかに二棟、隔ての戸もない本堂は、置棚の真中まんなかに、名号みょうごうを掛けたばかりで、その外の横縁に、それでもかたばかり階段が残った。以前は橋廊下で渡ったらしいが、床板の折れひしゃげたのを継合せに土に敷いてある。

 明神の森が右の峰、左に、卵塔場を谷に見て、よく一人で、と思うばかり、前刻さっきたたずんだ、田沢氏の墓はその谷の草がくれ。

 向うのきざはしを、木魚があがる。あとへ続くと、須弥壇しゅみだんも仏具も何もない。白布をおおうた台に、経机を据えて、その上に黒塗の御廚子があった。

 庫裡の炉の周囲まわりむしろである。ここだけ畳を三畳ほどに、賽銭さいせんの箱が小さくすわって、花瓶はながめに雪をった一束のの花が露を含んで清々すがすがしい。根じめともない、三本ほどのチュリップも、蓮華れんげの水をぬきんでた風情があった。

 勿体ないが、その卯の花の房々したのが、おのずから押になって、御廚子の片扉を支えたばかり、片扉は、よろいの袖のたたれたようにれ下っていたのだから。

「は、」

 ただ伏拝むと、ななめ差覗さしのぞかせたまうお姿は、御丈おんたけ八寸、雪なす卯の花に袖のひだがなびく。白木一彫ひとほり、群青の御髪みぐしにして、一点の朱の唇、打微笑うちほほえみつつ、爺を、銑吉を、見そなわす。

「南無普門品第二十五。」

「失礼だけれど、准胝観音じゅんでいかんのんでいらっしゃるね。」

「はあい、そうでがすべ。和尚どのが、覚えにくい名をとなえさっしゃる。南無普門品第二十五。」

 よし、ただ、南無とばかり称え申せ、ここにおわするは、除災、延命えんみょう求児ぐうじの誓願、擁護愛愍ようごあいみん菩薩ぼさつである。

「お爺さん、ああ、それに、生意気をいうようだけれど、これは素晴らしい名作です。私は知らないが、友達に大分出来る彫刻家があるので、門前の小僧だ。少し分る……それに、よっぽど時代が古い。」

「和尚に聞かして下っせえ、どないにか喜びますべい、もっとも前藩主せんとのさまが、石州からお守りしてござったとは聞いとりますがの。」

 と及腰およびごしのぞいていた。

 お蝋燭ろうそくを、というと、爺が庫裡へ調達に急いだ──ここでみだりに火あつかいをさせない注意はもっともな事である──

「たしかに宝物。」

 はばかり多いが、霊容の、今度は、作を見ようとして、御廚子に寄せた目に、ふと卯の花の白い奥に、ものを忍ばすようにして、供物をした、二つ折の懐紙をた。備えたのはビスケットである。これはいささか稚気を帯びた。が、にれぜんのほとり、菩提樹ぼだいじゅの蔭に、釈尊にはじめて捧げたものは何であろう。菩薩の壇にビスケットも、あるいは臘八ろうはちかゆまさろうも知れない。しかしこれを供えた白い手首は、野暮なレエスから出たらしい。勿論だ。意気なばかりが女でない。同時にぷんと、なまめかしい白粉おしろいかおりがした。

 爺が居て気がつかなかったか。木魚を置いたわきに、三宝が据って、上に、ここがもし閻魔堂えんまどうだと、女人を解いた生血と膩肉あぶらみまがうであろう、生々なまなまと、滑かな、紅白の巻いた絹。

「ああ、誓願のその一、求児──子育こそだて、子安の観世音として、ここに婦人の参詣がある。」

 世に、参り合わせた時の順に、白は男、あかは女の子を授けらるる……と信仰する、観世音のたまう腹帯である。

 その三宝の端に、薄色の、折目の細い、女扇が、忘れたように載っていた。

 正面の格子も閉され、人は誰も居ない……そっと取ると、骨が水晶のように手にひやりとした。卯の花の影が、ちらちらと砂子を散らして、絵も模様も目には留まらぬさきに──せい……せい、と書いた女文字。

 今度は、覚えずまぶたが染まった。

 銑吉には、何をかくそう、おなじ名の恋人があったのである。


       五


 作者は、小県銑吉の話すまま、つい釣込まれて、恋人──と受次いだが、大切な処だ。念のため断るが、銑吉には、はやく女房がある。しかり、女房があって資産がない。女房もちのぜになしが当世色恋の出来ない事は、昔といえども実はあまりかわりはない。

 打あけて言えば、かれはただ自分勝手に、れているばかりなのである。

 また、近頃の色恋は、銀座であろうが、浅草であろうが、山の手新宿のあたりであろうが、つつしみが浅く、たしなみが薄くなり、次第に面の皮が厚くなり、恥が少くなったから、惚れたというのにはばかることだけは、まずもってないらしい。

 釣の道でも(岡)とがつくとかろんぜられる。銑吉のも、しかもその岡惚れである。その癖、夥間なかまで評判である。

 この岡惚れの対象となって、江戸育ちだというから、海津か卵であろう、築地辺の川端で迷惑をするのがお誓さんで──実は梅水という牛屋の女中ねえさん。……御新規お一人様、なまで御酒ごしゅ……待った、待った。そ、そんなのじゃ決してない。第一、お客に、むらさきだの、鍋下なべしただのと、符帳でものを食うような、そんなのも決して無い。

 梅水は、以前築地一流の本懐石、江戸前の料理人が庖丁をびさせない腕をみがいて、吸ものの運びにも女中のすそさばきをにらんだ割烹かっぽう。震災後も引続き、黒塀の奥深く、竹も樹も静まり返って客を受けたが、近代のある世態では、篝火船かがりぶねの白魚より、舶来の塩鰯しおいわしが幅をする。正月飾りに、魚河岸に三個みッつよりなかったという二尺六寸の海老えびを、緋縅ひおどしよろいのごとく、黒松の樽に縅した一騎がけの商売ではいくさが危い。家の業が立ちにくい。がらりと気を替えて、こうべ肉のすき焼、ばた焼、お望み次第に客を呼んで、抱一ほういつ上人の夕顔を石燈籠いしどうろうの灯でほの見せる数寄屋すきやづくりも、七賢人の本床に立った、松林の大広間も、そのままで、びんちょうの火をうずたかく、ひれのあぶらる。

 この梅水のお誓は、内の子、娘分であるという。来たのは十三で、震災の時は十四であった。繰返していうでもあるまい──あの炎の中を、主人のうちを離れないで、勤め続けた。もっとも孤児みなしご同然だとのこと、都にしかるべき身内もない。そのせいか、沈んだ陰気なたちではないが、色の、抜けるほど白いのに、どこか寂しい影が映る。はだをいえば、きめがこまかく、実際、手首、指のさきまで化粧をしたように滑らかに美しい。細面で、目は、ぱっちりと、大きくないがはりがあって、そして眉が優しい。しまった口許くちもとが、莞爾にっこりする時ちょっとうけ口のようになって、その清い唇の左へ軽く上るのが、笑顔ながらりんとする。総てが薄手で、あり余る髪の厚ぼったく見えないのは、癖がなく、細く、なよなよとしているのである。も紅も似合うものを、浅葱だの、白の手絡てがらだの、いつも淡泊あっさりした円髷まるまげで、年紀としは三十を一つ出た。が、二十四五の上には見えない。一度五月の節句に、催しの仮装の時、水髪の芸子島田に、青い新藁しんわらで、五尺の菖蒲あやめもすそいた姿を見たものがある、と聞く。……貴殿はいい月日の下に生れたな、と言わねばならぬように思う。あるいは一度新橋からお酌で出たのが、都合で、梅水にかわったともいうが、いまにおいてはつまびらかでない。ただ不思議なのは、さばかりの容色きりょうで、その年まで、いまだ浮気、あらわに言えば、旦那があったうわさを聞かぬ。ほかは知らない、あのすなおな細い鼻と、口許がうそを言わぬ。──お誓さんは処女だろう……(しばらく)──これは小県銑吉の言うところである。

 十六か七の時、ただ一度──場所は築地だ、家は懐石、人も多いに、台所から出入りの牛乳屋ちちやの小僧が附ぶみをした事のあるのを、最も古くから、お誓を贔屓ひいきの年配者、あたまのきれいにげた粋人が知っている。梅水の主人夫婦も、座興のように話をする。ゆらの戸の歌ではなけれど、この恋の行方は分らない。が、対手あいてが牛乳屋の小僧だけに、天使と牧童のお伽話とぎばなしを聞く気がする。ただその玉章たまずさは、お誓の内証ないしょの針箱にいまも秘めてあるらしい。……

「……一生のねがいに、見たいものですな。」

「お見せしましょうか。」

「恐らく不老長寿の薬になる──近頃はやる、性の補強剤に効能のまさること万々だろう。」

「そうでしょうか。」

 その頬が、白く、涼しい。

「見せろよ。」

 低い声の澄んだ調子で、

「ほほほ。」

 と莞爾にっこり

 その口許の左へ軽くしまるのを見るがいい。……座敷へ持出さないことは言うまでもない。

 色気の有無ほどが不可解である。ある種のうつくしいものは、神がおしんで人に与えない説がある。なるほどそういえば、一方円満柔和な婦人に、菩薩相ぼさつそうというのがある。続いて尼僧顔がないでもあるまい。それに対して、お誓の処女づくって、血の清澄明晰せいしょうめいせきな風情に、何となく上等の神巫みこ麗女たおやめの面影が立つ。

 ──われ知らず、銑吉のかくれた意識に、おのずから、毒虫の毒から救われた、うつくしい神巫おみこの影が映るのであろう。──

 おお美わしのおとめよ、と賽銭さいせんに、二百金、現に三百金ほどを包んで、袖にていするものさえある。が、お誓はいつも、そのままお帳場へ持って下って、おかみさんの前で、こんなもの。すぐ、おかみさんが、つッと出て、お給仕料は、おきまりだけ御勘定の中に頂いてありますから。……これでは、玉の手を握ろう、もみはかまを引こうと、乗出し、泳上る自信のやからこうべを、幣結しでゆうたさかきをもって、そのあしきを払うようなものである。

 いわんや、銑吉のごとき、お月掛なみの氏子うじこをや。

 その志を、あわれむ男が、いくらかおもいを通わせてやろうという気で。……

「小県の惚れ方は大変だよ。」

「…………」

「嬉しいだろう。」

「ええ。」

 目で、ツンと澄まして、うけ口をちょっとしめて、莞爾にっこり……

「嬉しいですわ。」

 しかも、銑吉が同座で居た。

 余計な事だが──一説がある。お誓はうまれが東京だというのに「嬉しいですわ。」は、おかしい。この言葉づかいは、銀座あるきの紳士、学生、もっぱら映画の弁士などが、わざと粋がって「避暑に行ったです。」「アルプスへ上るです。」と使用するが、元来はなまりである。恋われて──いやな言葉づかいだが──挨拶あいさつをするのに、「嬉しいですわ。」は、嬉しくない、と言うのである。

 紳士、学生、あえて映画の弁士とは限らない。梅水の主人は趣味があまねく、客が八方に広いから、多方面の芸術家、画家、彫刻家、医、文、法、理工の学士、博士、俳優、いずれの道にも、知名の人物が少くない。揃った事は、婦人科、小児科、歯科もある。申しおくれました、作家、劇作家も勿論ある。そこで、この面々が、年齢の老若にかかわらず、東京ばかりではない。のみならず、ことさらに、江戸がるのを毛嫌いして「そうです。」「のむです。」をる名士が少くない。純情無垢むくな素質であるほど、ついそのなまりがお誓にうつる。

 浅草寺の天井の絵の天人が、蓮華のたらいで、肌脱ぎの化粧をしながら、「こウ雲助どう、こんたア、きょう下界へでさっしゃるなら、京橋の仙女香を、とって来ておくんなんし、これサ乙女や、なによウふざけるのだ、きりきりきょうでえをだしておかねえか。」(○註に、けわいざか──実は吉原──近所だけか、おかしなことばが、うつッていたまう、)と洒落しゃれつつ敬意を表した、著作の実例がある。遺憾いかんながら「嬉しいですわ。」とはかいてない。けれども、その趣はわかると思う。またそれよりも、真珠の首飾見たようなものを、ちょっと、脇の下へずらして、乳首をかくしたはだを、お望みの方は、文政壬辰みずのえたつ新板、柳亭種彦作、歌川国貞えがく──奇妙頂礼きみょうちょうらい地蔵の道行──を、ご一覧になるがいい。

 通り一遍の客ではなく、梅水の馴染なじみで、昔からの贔屓ひいき連が、六七十人、多い時は百人に余る大一座で、すき焼で、心置かず隔てのない月並の会……というと、俳人には禁句らしいが、そこらは凡杯で悟っているから、一向に頓着とんじゃくしない。先輩、また友達に誘われた新参で。……やっと一昨年の秋頃だから、まだ馴染も重ならないのに、のっけから岡惚れした。

「お誓さん。」

「誓ちゃん。」

「よう、誓の字。」

 いや、どうも引手あまたで。大連が一台ずつ、黒塗り真円まんまるな大円卓を、ぐるりと輪形に陣取って、清正公には極内ごくないだけれども、これを蛇の目の陣ととなえ、すきを取って平らげること、焼山越やけやまごえ蠎蛇うわばみの比にあらず、朝鮮蔚山うるさんの敵軍へ、大砲を打込むばかり、油の黒煙を立てるなかで、お誓を呼立つること、矢叫びに相斉あいひとしい。名を知らぬものまで、白く咲いてとした花には騒ぐ。

 巨匠にして、超人と称えらるる、ある洋画家が、わが、名によって、お誓をひき寄せ、銑吉をかたわらにして、

「お誓さんに是非というのだ、この人に酌をしておあげなさい。」

「はい。」

 が、また娘分に仕立てられても、奉公人の謙譲があって、出過ぎた酒場バアの給仕とは心得が違うし、おなじ勤めでも、芸者より一歩退さがって可憐しおらしい。

「はい、お酌……」

「感謝します、本懐であります。」

 景物なしの地位ぐらいに、句が抜けたほど、嬉しがったうちはいい。

 少し心安くなると、蛇の目の陣におそれをなし、山のの霧に落ちて行く──上﨟じょうろうのような優姿やさすがたに、野声のごえを放って、

「お誓さん、お誓さん。姉さん、あねご、大姐ご。」

 立てごかしに、手繰りよせると、酔った赤づらの目が、とろんこで、

「お酌を頼む。是非一つ。」

 このねだりものの溌猴わるざる、魔界の艶夫人に、芭蕉扇を、貸さずば、奪わむ、とする擬勢をあらわす。……博識にしてお心得のある方々は、この趣を、希臘ギリシア羅馬ロオマの神話、印度の譬諭経ひゆきょうにでもお求めありたい。ここでは手近な絵本西遊記でらちをあける。が、ただ先哲、孫呉空は、蟭螟虫ごまむしと変じて、夫人の腹中に飛び込んで、痛快にその臓腑ぞうふえぐるのである。末法の凡俳は、咽喉のどまでも行かない、唇に触れたら酸漿ほおずきたねともならず、とろけちまおう。

 ついでに、おかしな話がある。六七人と銑吉がこの近所の名代の天麸羅てんぷらで、したたかにくらい且つ飲んで、腹こなしに、ぞろぞろと歩行あるき出して、つい梅水の長く続いた黒塀に通りかかった。

 盛り場でもともしびを沈め、塀の中は植込でしんと暗い。処で、相談を掛けてみたとか、掛けてみるまでもなかったとかいう。……天麸羅のあとで、ヒレの大切れのすき焼は、なかなか、幕下でも、前頭でも、番附か逸話に名の出るほどの人物でなくてはあしらい兼ねる。素通りをすることになった。遺憾さに、内は広し、座敷は多し、程は遠い……

「お誓さん。」

 黒塀を──惚れた女に洋杖ステッキは当てられない──ななめに、トンと腕で当てた。当てると、そのまくれた二の腕に、お誓のはだが透通って、真白まっしろに見えたというのである。

 銑吉の馬鹿を表わすより、これには、お誓の容色の趣をしのばせるものがあるであろう。

 ざっと、かくの次第であった処──好事魔多しというではなけれど、右の溌猴わるざるは、心さわがしく、性急だから、人さきにあいに出掛けて、ひとつ蛇の目を取巻くのに、たびかさなるに従って、自然とおなじ顔が集るが、星座のこの分野に当っては、すなわち夜這星よばいぼし真先まっさきに出向いて、どこの会でも、大抵点燈頃ひともしごろが寸法であるのに、いつも暮まえ早くから大広間の天井下に、一つ光って……いや、光らずに、ぽつんと黒く、流れている。

 勿論、ここへお誓が、天女のよそおいで、雲に白足袋で出て来るような待遇では決してない。

 その愚劣さをあわれんで、この分野の客星たちは、ほかより早く、輝いてあらわれる。輝くばかりで、やがて他の大一座が酒池肉林となっても、ここばかりは、畳にわらびが生えそうに見える。通りかかった女中に催促すると、は、とばかりで、それきり、寄りつかぬ。中でも活溌なのは、お誓さんでなくってはねえ、ビイーとれてしまう。またそのお誓はお誓で、まず、ほかほかへ皿小鉢、銚子ちょうしを運ぶと、おかどが違いましょう。で、知りませんと、鼻をつまらせ加減に、含羞はにかんで、つい、と退くが、そのままでは夜這星の方へ来にくくなって、どこへか隠れる。ついお銚子が遅くなって、巻煙草の吸殻ばかりがうずたかい。

 何となく、ために気がとがめて、というのが、会が月の末に当るので、懐中ふところ勘定によったかも分らぬ。一度、二度と間を置くうち、去年七月の末から、梅水が……これも近頃各所で行われる……近くは鎌倉、熱海。また軽井沢などへ夏季の出店でみせをする。いやどこも不景気で、大したほまちにはならないそうだけれど、差引一ぱいに行けば、家族が、一夏避暑をする儲けがある。梅水は富士の裾野すその──御殿場へ出張した。

 そこへ、お誓が手伝いに出向いたと聞いて、がっかりして、峰は白雪、ふもとは霞だろう、とそのまま夜這星の流れて消えたのが──もう一度いおう──去年の七月の末頃であった。

 この、六月──いまに至るまで、それ切り、その消息を知らなかったのである。

 もし梅水の出店をしたのが、近い処は、房総地方、あるいは軽井沢、日光──塩原ならばいうまでもない。地の利によらないことは、それが木曾路でも、ふとすると、こんな処で、どうした拍子、何かの縁で、おなじ人に、逢うまじきものでもない、と思ったろう。

 仏蘭西フランスの港で顔を見たより、瑞西スウィッツルの山で出会ったのより、思掛けなさはあまりであったが──ここに古寺の観世音の前に、紅白の絹に添えた扇子おうぎの名は、築地の黒塀を隔てた時のようではない。まのあたりその人に逢ったようで、単衣ひとえの袖も寒いほど、しみじみと、じった。


 たちまち、たいまつのごとく燃ゆる、おもほてりを激しく感じた。

 爺さんが、庫裡くりから取って来た、燈明の火が、ちらちらと、

「やあ、見るもんじゃねえ。」

 その、扇子を引ったくると、

「あなたよ、こんなものを置いとくだ。」

 と叱るようにいって、開いたまま、その薄色の扇子で、木魚を伏せた。

 きまりも悪いし、叱られたわんぱくが、ふてたように、わざとらしく祝していった。

「上へのっけられたより、扇で木魚を伏せた方が、女が勝ったようで嬉しいよ。」

「勝つも負けるも、女は受身だ。隠すにも隠されましねえ。」

 どかりと尻をつくと、鼻をすすって、しくしくと泣出した。

 青い煙の細くなびく、蝋燭の香のなかに、さっきから打ちかさねて、ものの様子が、思わぬかくし事に懐姙かいにんしたか、また産後か、おせい、といううつくしい女一人、はかなくなったか、煩ろうて死のうとするか、そのいずれか、とフト胸がせまって、涙ぐんだ目を、たちまち血の電光のごとく射たのは、林間の自動車に闖入ちんにゅうした、五体個々にして、しかもうねつながった赤色の夜叉やしゃである。渠等かれらこそ、山を貫き、谷を穿うがって、うつくしい犠牲をるらん。飛天の銃は、あの、清く美しい白鷺を狙うらしく想わるるとともに、激毒をふくんだ霊鳥は、渠等に対していかなる防禦をするであろう、神話のごとき戦は、今日のうちにも開かるるであろう。明神の晴れたる森は、たちまち黒雲におおわるるであろうも知れない。

 銑吉は、少からず、猟奇の心に駆られたのである。

 同時にお誓がうつくしき鳥と、おなじ境遇に置かるるもののように、と胸を打たれて、ぞっとした。その時、小枝が揺れて、卯の花が、しろじろと、細く白い手のように、銑吉の膝にすがった。

昭和八(一九三三)年一月

底本:「泉鏡花集成9」ちくま文庫、筑摩書房

   1996(平成8)年624日第1刷発行

底本の親本:「鏡花全集 第二十三卷」岩波書店

   1942(昭和17)年622日発行

入力:門田裕志

校正:土屋隆

2006年327日作成

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