七宝の柱
泉鏡花



 山吹やまぶきつつじがさかりだのに、その日の寒さは、くるまの上で幾度も外套のそでをひしひしと引合ひきあわせた。

 夏草なつくさやつわものどもが、という芭蕉ばしょうの碑が古塚ふるづかの上に立って、そのうしろに藤原氏ふじわらし三代栄華の時、竜頭りゅうずの船をうかべ、管絃かんげんの袖をひるがえし、みめよき女たちがくれないはかまで渡った、朱欄干しゅらんかん瑪瑙めのうの橋のなごりだと言う、蒼々あおあおと淀んだ水の中に、馬の首ばかり浮いたような、青黒く朽古くちふるびたくいただ一つ、太く頭を出して、そのまわりに何のうおの影もなしに、かすかな波がさびしく巻く。──雲に薄暗い大池がある。

 池がある、この毛越寺もうえつじへ詣でた時も、本堂わきの事務所と言ったところに、小机を囲んで、僧とは見えない、鼠だの、茶だの、無地の袴はいた、ひまらしいのが三人控えたのを見ると、その中に火鉢はないか、かっと火の気の立つ……とそう思って差覗さしのぞいたほどであった。

 旅のあわれを、お察しあれ。……五月の中旬なかばと言うのに、いや、どうも寒かった。

 あとで聞くと、東京でもあわせ一枚ではふるえるほどだったと言う。

 汽車中きしゃちゅう伊達だて大木戸おおきどあたりは、真夜中のどしゃぶりで、この様子では、思立おもいたった光堂ひかりどうの見物がどうなるだろうと、心細いまできづかわれた。

 濃いもやが、かさなり重り、汽車ともろともにかけりながら、その百鬼夜行ひゃくきやこうの、ふわふわと明けゆく空に、消際きえぎわらしい顔で、硝子がらす窓をのぞいて、

「もう!」

 と笑って、一つ一つ、山、森、岩の形をあらわす頃から、音もせず、霧雨になって、遠近おちこちに、まばらな田舎家いなかやの軒とともに煙りつつ、仙台に着いた時分に雨はあがった。

 次第に、麦も、田も色には出たが、菜種なたねの花も雨にたたかれ、はたけに、あぜに、ひょろひょろと乱れて、女郎花おみなえしの露を思わせるばかり。初夏はおろか、春のたけなわな景色とさえ思われない。

 ああ、雲が切れた、あかるいと思うところは、

「沼だ、ああ、おおきな沼だ。」

 と見る。……雨水が渺々びょうびょうとして田をひたすので、行く行く山の陰は陰惨として暗い。……処々ところどころいわ蒼く、ぽっと薄紅うすあかく草が染まる。うれしや日が当ると思えば、つのぐむあしまじり、生茂おいしげ根笹ねざさを分けて、さびしく石楠花しゃくなげが咲くのであった。

 奥の道は、いよいよ深きにつけて、空はいやが上に曇った。けれども、こころざ平泉ひらいずみに着いた時は、幸いに雨はなかった。

 そのかわり、くるまに寒い風が添ったのである。

 ──さて、毛越寺では、運慶うんけいの作ととなうる仁王尊におうそんをはじめ、数ある国宝を巡覧せしめる。

「御参詣の方にな、おさわらせ申しはいたさんのじゃが、御信心かに見受けまするで、差支えませぬ。手に取って御覧なさい、さ、さ。」

 と腰袴こしばかまで、細いしない竹のむちを手にした案内者の老人が、硝子蓋がらすぶたを開けて、半ば繰開くりひらいてある、玉軸金泥ぎょくじくこんでいきょうを一巻、手渡しして見せてくれた。

 その紺地こんじに、清く、さらさらと装上もりあがった、一行金字いちぎょうきんじ一行銀書いちぎょうぎんしょの経である。

 俗に銀線に触るるなどと言うのは、こうした心持こころもちかも知れない。たっとい文字は、に一字ずつかすかに響いた。私は一拝いっぱいした。

清衡朝臣きよひらあそん奉供ぶぐ一切経いっさいきょうのうちであります──時価で申しますとな、ただこの一巻でも一万円以上であります。」

 たちばな南谿なんけい東遊記とうゆうきに、

これは清衡きよひら存生ぞんじょうの時、自在坊じざいぼう蓮光れんこうといへる僧に命じ、一切経書写の事をつかさどらしむ。三千日が間、能書のうしょの僧数百人を招請しょうせいし、供養し、これを書写せしめしとなり。もこの経を拝見せしに、その書体楷法かいほう正しく、行法ぎょうほうまた精妙にして──

 と言うものすなわちこれである。

 ちょっと(この寺のではない)ある案内者に申すべき事がある。君がささげて持った鞭だ。が、遠くの掛軸かけじくを指し、高いところの仏体を示すのは、とにかく、目前に近々ちかぢかと拝まるる、観音勢至かんおんせいし金像きんぞうを説明すると言って、御目おんめ、眉の前へ、今にも触れそうに、ビシャビシャと竹のさきを振うのは勿体もったいない。大慈大悲の仏たちである。大して御立腹もあるまいけれども、さくがいいだけに、またたきもしたまいそうで、さぞお鬱陶うっとうしかろうと思う。

 くるま寂然しんとした夏草塚なつくさづかそばに、小さく見えて待っていた。まだ葉ばかりの菖蒲あやめ杜若かきつばた隈々くまぐまに自然と伸びて、荒れたこの広い境内けいだいは、宛然さながら沼の乾いたのに似ていた。

 別に門らしいものもない。

 から中尊寺ちゅうそんじへ行く道は、参詣の順をよくするために、新たに開いた道だそうで、傾いたかやの屋根にも、路傍みちばた地蔵尊じぞうそんにも、一々いちいち由緒のあるのを、車夫わかいしゅに聞きながら、金鶏山きんけいざんいただき、柳のたちあとを左右に見つつ、くるまは三代の豪奢ごうしゃの亡びたる、草のこみちしずかに進む。

 山吹がいまをさかりに咲いていた。丈高たけたかく伸びたのは、車の上から、花にも葉にも手が届く。──何処どこやしきの垣根ごしに、それもたまに見るばかりで、我ら東京に住むものは、通りがかりにこの金衣きんい娘々じょうじょうを見る事は珍しいと言ってもい。田舎の他土地ほかとちとても、人家の庭、背戸せどなら格別、さあ、手折たおっても抱いてもいいよ、とこう野中のなかの、しかも路のはたに、自由に咲いたのは殆ど見た事がない。

 そこへ、つつじの赤いのが、ぽーとなって咲交さきまじる。……

 が、燃立もえたつようなのは一株も見えぬ。しもに、雪に、長くとざされた上に、風の荒ぶる野に開く所為せいであろう、花弁が皆堅い。山吹は黄なる貝を刻んだようで、つつじの薄紅うすくれない珊瑚さんごに似ていた。

 音のない水が、細く、その葉の下、草の中を流れている。それが、潺々せんせんとしていわむせんで泣く谿河たにがわよりもさみしかった。

 実際、この道では、自分たちのほか、人らしいものの影も見なかったのである。

 そのかわり、牛が三頭、こうし一頭ひとつ連れて、雌雄めすおすの、どれもずずんとおおきく真黒なのが、前途ゆくての細道を巴形ともえがたふさいで、悠々と遊んでいた、渦が巻くようである。

 これにはたじろいだ。

牛飼うしかいも何もいない。野放しだが大丈夫かい。……彼奴あいつ猛獣だからね。」

「何ともしゃあしましねえ。こちとら馴染なじみだで。」

 けれども、胸が細くなった。轅棒かじで、あのおおき巻斑まきふのあるつのを分けたのであるから。

「やあ、われ、……小僧もたっしゃがな。あい、御免。」

 あえけものにおいさえもしないで、縦の目で優しくると、両方へ黒いハート形のおもてを分けた。が牝牛めうしの如きは、何だか極りでも悪かったように、さらさらと雨のあとの露をちらして、山吹の中へ角を隠す。

 私はそれでも足を縮めた。

「ああ、やっころもせきを通ったよ。」

 全く、ほっとしたくらいである。振向いて見る勇気もなかった。

 小家こいえがちょっと両側に続いて、うんどん、お煮染にしめ御酒おんさけなどの店もあった。が、何処どこへも休まないで、車夫わかいしゅは坂の下でくるまをおろした。

 軒端のきばに草の茂った、そのなかに、古道具をごつごつと積んだ、暗い中に、赤絵あかえの茶碗、皿のまじった形は、大木の空洞うつろいばらの実のこぼれたような風情ふぜいのある、小さな店を指して、

「あの裏に、旦那、弁慶べんけい手植てうえの松があるで──御覧になるかな。」

「いや、帰途かえりにしましょう。」

 その手植の松より、直接じかに弁慶にお目にかかった。

 樹立こだち森々しんしんとして、いささかものすごいほどな坂道──岩膚いわはだを踏むようで、泥濘ぬかりはしないがつるつるとすべる。雨降りの中では草鞋わらじか靴ででもないと上下じょうげむずかしかろう──其処そこ通抜とおりぬけて、北上川きたかみがわ衣河ころもがわ、名にしおう、高館たかだちあとを望む、三方見晴しの処(ここに四阿あずまやが立って、椅子の類、木の株などが三つばかり備えてある。)其処そこへ出ると、真先に案内するのが弁慶堂である。

 車夫わかいしゅが、笠を脱いで手にげながら、裏道を崖下がけさがりに駈出かけだして行った。が、待つと、間もなく肩に置手拭おきてぬぐいをした円髷まるまげの女が、堂の中から、扉を開いた。

「運慶の作でござります。」

 と、ちょんと坐ってて言う。誰でも構わん。この六尺等身ととなうる木像はよく出来ている。山車だしや、芝居で見るのとはわけが違う。

 顔の色が蒼白い。大きな折烏帽子おりえぼしが、妙に小さく見えるほど、頭も顔も大の悪僧の、鼻がひらたく、口が、例のくいしばった可恐おそろしい、への字形でなく、唇を下から上へ、の字を反対にしゃくって、

「むふッ。」

 ニタリと、しかし、こう、何か苦笑にがわらいをしていそうで、目も細く、目皺めじわが優しい。出額おでこでまたこう、しゃくうように人をた工合が、これでたましいが入ると、ふもとの茶店へ下りて行って、少女こおんなの肩をおおきな手で、

「どうだ。」

 とりそうな、串戯じょうだんものの好々爺こうこうやの風がある。が、歯が抜けたらしく、ゆたかな肉の頬のあたりにげっそりとやつれの見えるのが、判官ほうがん生命いのちを捧げた、苦労のほどがしのばれて、何となく涙ぐまるる。

 で、本文ほんもん通り、黒革縅くろかわおどし大鎧おおよろい樹蔭こかげに沈んだ色ながらよろいそで颯爽さっそうとして、長刀なぎなたを軽くついて、少しこごみかかった広い胸に、えもののしなうような、智と勇とが満ちて見える。かつ柄も長くない、頬先ほおさきに内側にむけた刃も細い。が、かえって無比の精鋭を思わせて、さっると、従って冷い風が吹きそうである。

 別に、仏菩薩ぶつぼさつの、とうとい古像がに据えて数々ある。

 みどりを、片袖かたそでで胸にいだいて、御顔おんかおを少し仰向あおむけに、吉祥果きっしょうかの枝を肩に振掛ふりかけ、もすそをひらりと、片足を軽く挙げて、──いいぐさはつたないが、まいなどしたまうさまに、たとえば踊りながらでんでん太鼓で、をおあやしのような、鬼子母神きしぼじんの像があった。御面おんおもては天女にひとしい。彩色いろどりはない。八寸ばかりのほのぐらい、が活けるが如き木彫きぼりである。

「戸を開けて拝んでは悪いんでしょうか。」

 置手拭おきてぬぐいのが、

「はあ、其処そこは開けません事になっております。けれども戸棚でございますから。」

「少々ばかり、御免下さい。」

 と、網の目の細い戸を、一、二寸開けたと思うと、がっちりとつかえたのは、亀井六郎かめいろくろうが所持と札を打ったおいであった。

 三十三枚のくしとうの鏡、五尺のかつら、くれないはかまかさねきぬおさめつと聞く。……よし、それはこの笈にてはあらずとも。

「ああ、これは、きずをつけてはなりません。」

 棚が狭いのでつかえたのである。

 そのまま、鬼子母神を礼して、ソッと戸をてた。

 つれの家内が、

いき御像おすがたですわね。」

 と、ともに拝んで言った。

「失礼な事を、──時に、御案内料は。」

「へい、五銭。」

「では──あとはどうぞお賽銭さいせんに。」

 そこで、よろいたたのもしい山法師に別れて出た。

 山道、二町ばかり、中尊寺はもう近い。

 おおきな広い本堂に、一体見上げるような釈尊しゃくそんのほか、寂寞せきばくとして何もない。それが荘厳であった。日の光がかすかれた。

 裏門の方へ出ようとするかたわらに、寺のくりやがあって、其処そこで巡覧券を出すのを、車夫わかいしゅが取次いでくれる。巡覧すべきは、はじめ薬師堂やくしどう、次の宝物庫ほうもつこ、さて金色堂こんじきどう、いわゆる光堂ひかりどう。続いて経蔵きょうぞう弁財天べんざいてんと言う順序である。

 皆、参詣の人を待って、はじめて扉を開く、すぐまたあとをとざすのである。が、宝物庫ほうもつぐらには番人がいて、経蔵には、年紀としわかい出家が、火の気もなしに一人経机きょうづくえむかっていた。

 はじめ、薬師堂に詣でて、それから宝物庫ほうもつぐらを一巡すると、ここの番人のお小僧が鍵を手にして、一条ひとすじ、道を隔てた丘の上に導く。……きざはしの前に、八重桜やえざくらが枝もたわわに咲きつつ、かつ芝生に散って敷いたようであった。

 桜は中尊寺の門内にも咲いていた。ふもとからあがろうとする坂の下の取着とッつきところにも一本ひともと見事なのがあって、山中心得さんちゅうこころえ条々じょうじょうを記した禁札きんさつ一所いっしょに、たしか「浅葱桜あさぎざくら」という札が建っていた。けれども、それのみには限らない。処々ところどころ汽車の窓からた桜は、奥が暗くなるに従って、ぱっとさえを見せて咲いたのはなかった。薄墨うすずみ鬱金うこん、またその浅葱あさぎと言ったような、どの桜も、皆ぽっとりとして曇って、暗い紫を帯びていた。雲が黒かったためかも知れない。

 きざはしの前の花片はなびらが、折からの冷い風に、はらはらとさそわれて、さっと散って、この光堂の中を、そらざまに、ひらりと紫に舞うかと思うと──羽目はめ浮彫うきぼりした、孔雀くじゃくの尾に玉を刻んで、緑青ろくしょうびたのがなおおごそかに美しい、その翼を──ぱらぱらとたたいて、ちらちらと床にこぼれかかる……と宙で、黄金きん巻柱まきばしらの光をうけて、ぱっと金色こんじきひるがえるのを見た時は、思わず驚歎のひとみみはった。

 床も、承塵なげしも、柱はもとより、たたずめるものの踏むところは、黒漆こくしつの落ちた黄金きんである。黄金きんげた黒漆とは思われないで、しかものけばけばしい感じが起らぬ。さながら、金粉の薄雲の中に立ったおもむきがある。われら仙骨せんこつを持たない身も、この雲はかつ踏んでも破れぬ。その雲をすかして、四方に、七宝荘厳しっぽうそうごん巻柱まきばしらに対するのである。美しき虹を、そのまま柱にしてえがかれたる、十二光仏じゅうにこうぶつの微妙なる種々相しゅじゅそうは、一つ一つにしきの糸に白露しらつゆちりばめた如く、玲瓏れいろうとして珠玉しゅぎょくの中にあらわれて、清くあきらかに、しかもかすかなる幻である。その、十二光仏の周囲には、玉、螺鈿らでんを、星の流るるが如く輝かして、宝相華ほうそうげ勝曼華しょうまんげ透間すきまもなく咲きめぐっている。

 この柱が、須弥壇しゅみだん四隅しぐうにある、まことに天上の柱である。須弥壇は四座しざあって、壇上には弥陀みだ観音かんおん勢至せいし三尊さんぞん二天にてん六地蔵ろくじぞうが安置され、壇の中は、真中に清衡きよひら、左に基衡もとひら、右に秀衡ひでひらかんが納まり、ここに、各一口ひとふりつるぎいだき、鎮守府将軍ちんじゅふしょうぐんいんを帯び、錦袍きんぽうに包まれた、三つのしかばねがまだそのままによこたわっているそうである。

 雛芥子ひなげしくれないは、美人の屍より開いたと聞く。光堂は、ここに三個の英雄が結んだ金色こんじきこのみなのである。

 つつしんで、辞して、天界一叢てんかいいっそうの雲を下りた。

 きざはしを下りざまに、見返ると、外囲そとがこいの天井裏に蜘蛛くもの巣がかかって、風に軽く吹かれながら、きらきらと輝くのを、不思議なるちりよ、と見れば、一粒いちりゅうの金粉の落ちて輝くのであった。

 さて経蔵きょうぞうを見よ。またいやが上に可懐なつかしい。

 羽目はめには、天女──迦陵頻伽かりょうびんが髣髴ほうふつとして舞いつつ、かなでつつ浮出うきでている。影をうけたつかぬきの材は、鈴と草の花の玉の螺鈿らでんである。

 漆塗うるしぬり、金の八角はちかくの台座には、本尊、文珠師利もんじゅしり、朱の獅子にしておわします。獅子のまなこ爛々らんらんとして、かっと真赤な口を開けた、青い毛の部厚な横顔がられるが、ずずッと足を挙げそうな構えである。右にこのくつわを取って、ちょっと振向いて、菩薩ぼさつにものを言いそうなのが優闐玉ゆうてんぎょく、左に一匣いっこうを捧げたのは善哉童子ぜんざいどうじ。この両側左右の背後に、浄名居士じょうみょうこじと、仏陀波利ぶっだはりひとつ払子ほっすを振り、ひとつ錫杖しゃくじょう一軸いちじくを結んだのを肩にかつぐようにいて立つ。ひたいも、目も、眉も、そのいずれも莞爾莞爾にこにことして、文珠もんじゅ微笑ほほえんでまします。第一獅子が笑う、獅子が。

 この須弥壇しゅみだんを左に、一架いっかを高く設けて、ここに、紺紙金泥こんしきんでいの一巻を半ば開いて捧げてある。見返しは金泥銀泥きんでいぎんでいで、本経ほんきょうの図解を描く。……清麗巧緻せいれいこうちにしてかつ神秘である。

 いまに来てこの経をるに、毛越寺の彼はあたかも砂金を捧ぐるが如く、これは月光を仰ぐようであった。

 の裏に、色の青白い、せた墨染すみぞめの若い出家が一人いたのである。

 私の一礼に答えて、

「ごゆるり、ご覧なさい。」

 二、三の散佚さんいつはあろうが、言うまでもなく、堂の内壁ないへきにめぐらしたやつの棚に満ちて、二代基衡もとひらのこの一切経いっさいきょう、一代清衡きよひら金銀泥一行きんぎんでいいちぎょうまぜがきの一切経、ならび判官贔屓ほうがんびいきの第一人者、三代秀衡ひでひら老雄の奉納した、黄紙宋板おうしそうばんの一切経が、みな黒燿こくようの珠玉の如くうるしに満ちている。──一切経の全部量は、七駄片馬しちだかたうまと称うるのである。

「──拝見をいたしました。」

「はい。」

 と腰衣こしごろもの素足で立って、すっと、経堂を出て、朴歯ほおば高足駄たかあしだで、巻袖まきそでで、寒くほっそりと草をく。清らかな僧であった。

「弁天堂を案内しますで。」

 と車夫わかいしゅが言った。

 向うを、墨染すみぞめで一人若僧にゃくそうの姿が、さびしく、しかも何となくとうとく、正に、まさしく彼処かしこにおわする……天女の御前おんまえへ、われらを導く、つつましく、謙譲なる、一個のお取次のように見えた。

 かくてこそ法師たるもののかいはあろう。

 世に、緋、紫、金襴きんらん緞子どんすよそおうて、伽藍がらんに処すること、高家諸侯こうけだいみょうの如く、あるいは仏菩薩ぶつぼさつの玄関番として、衆俗しゅうぞくを、受附で威張いばって追払おっぱらうようなのが少くない。

 そんなのは、僧侶なんど、われらと、仏神の中を妨ぐる、しゅうとだ、小姑こじゅうとだ、受附だ、三太夫だ、邪魔ものである。

 衆生しゅじょうは、きゃつばらを追払おいはらって、仏にも、祖師にも、天女にも、直接じかにお目にかかって話すがいい。

 時に、経堂を出た今は、真昼ながら、月光にい、かつらに巻かれた心地がして、乱れたままの道芝みちしばを行くのが、青く清明なるまるい床を通るようであった。

 きざはしの下に立って、仰ぐと、典雅温優てんがおんゆうなる弁財天べんざいてん金字きんじふちして、牡丹花ぼたんかがくがかかる。……いかにや、年ふる雨露あめつゆに、彩色さいしきのかすかになったのが、木地きじ胡粉ごふんを、かえってゆかしくあらわして、萌黄もえぎ群青ぐんじょうの影を添え、葉をかさねて、白緑碧藍はくりょくへきらんの花をいだく。さながら瑠璃るりの牡丹である。

 ふと、高縁たかえん雨落あまおちに、同じ花が二、三輪咲いているように見えた。

 扉がギイ、キリキリと……僧の姿は、うらに隠れつつ、見えずに開く。

 ぽかんと立ったのがきまりが悪い。

 ああ、もう彼処あすこから透見すきみをなすった。

 とそう思うほど、真白ましろき面影、天女の姿は、すぐ其処そこに見えさせ給う。

 私は恥じて俯向うつむいた。

「そのままでおよろしい。」

 壇は、下駄げたのままでとの僧が言うのである。

 なかなか。

 足袋たびの、そんなに汚れていないのが、まだしもであった。

 蜀紅しょくこうにしきと言う、天蓋てんがいも広くかかって、真黒まくろ御髪みぐし宝釵ほうさいの玉一つをもさえぎらない、御面影おんおもかげたえなること、御目おんまなざしの美しさ、……申さんは恐多おそれおおい。ただ、西のかたはるかに、山城国やましろのくに浄瑠璃寺じょうるりでら吉祥天きっしょうてんのお写真に似させ給う。白理はくり優婉ゆうえん明麗めいれいなる、お十八、九ばかりの、ほぼひとだけの坐像である。

 ト手をついて対したが、見上ぐる瞳に、御頬おんほおのあたり、かすかに、いまにも莞爾かんじと遊ばしそうで、まざまざとは拝めない。

 私は、端坐して、いにしえの、通夜つやと言う事の意味をたしかに知った。

 このままに二時ふたときいたら、微妙な、御声おこえが、あの、お口許くちもと微笑ほほえみから。──

 さて壇を退しりぞきざまに、僧のとざす扉につれて、かしこくもおんなごりさえおしまれまいらすようで、涙ぐましくまたがくを仰いだ。御堂そのまま、私は碧瑠璃へきるり牡丹花ぼたんかうちに入って、また牡丹花の裡から出たようであった。

 花の影が、おおきちょうのように草にした。

 月ある、あきらかなる時、花のおぼろなるゆうべ、天女が、この縁側えんがわに、ちょっと端居はしいの腰を掛けていたまうと、経蔵から、侍士じし童子どうじ払子ほっす錫杖しゃくじょうを左右に、赤い獅子にして、文珠師利もんじゅしりが、悠然と、草をのりながら、

「今晩は──姫君、いかが。」

 などと、お話がありそうである。

 と、ふもとの牛が白象びゃくぞうにかわって、普賢菩薩ふげんぼさつが、あの山吹のあたりを御散歩。

 まったく、一山いっさんの仏たち、おおき石地蔵いしじぞうすごいように活きていらるる。

 下向げこうの時、あらためて、見霽みはらし四阿あずまやに立った。

 伊勢、亀井かめい片岡かたおか鷲尾わしのお、四天王の松は、畑中はたなかあぜ四処よところに、雲をよろい、繇糸ゆるぎいとの風を浴びつつ、あるものは粛々しゅくしゅくとして衣河ころもがわに枝をそびやかし、あるものは恋々れんれんとして、高館たかだちこずえを伏せたのが、彫像の如くにながめらるる。

 その高館たかだちあとをばしずかにめぐって、北上川の水は、はるばる、瀬もなく、音もなく、雲のはてさえ見えず、ただ(はるばる)と言うように流るるのである。


「この奥に義経公よしつねこう。」

 車夫くるまやの言葉に、私は一度くるまを下りた。

 帰途は──今度は高館を左に仰いで、津軽青森まで、遠く続くという、まばらに寂しい松並木の、旧街道を通ったのである。

 松並木の心細さ。

 途中で、都らしい女に逢ったら、私はもう一度車を飛下とびおりて、手もせなもかしたであろう。──判官ほうがんにあこがるる、しずかの霊を、幻に感じた。

「あれは、さけかい。」

 すれ違って一人、溌剌はつらつたる大魚おおうおげて駈通かけとおったものがある。

ますだ、──北上川で取れるでがすよ。」

 ああ、あの川を、はるばると──私は、はじめて一条ひとすじ長く細く水の糸をいて、うおとともに動くさまを目に宿したのである。

「あれは、はあ、駅長様のとこくだかな。昨日きのう一尾いっぴきあがりました。その鱒は停車場ていしゃば前の小河屋おがわやで買ったでがすよ。」

「料理屋かね。」

旅籠屋はたごやだ。新築でがしてな、まんずこの辺では彼店あすこだね。まだ、旦那、昨日はその上に、はいこい一尾いっぴき買入れたでなあ。」

其処そこへ、つけておくれ、昼食ちゅうじきに……」

 ──この旅籠屋は深切しんせつであった。

「鱒がありますね。」

 と心得たもので、

照焼てりやきにして下さい。それから酒は罎詰びんづめのがあったらもらいたい、なりたけいいのを。」

 束髪そくはつった、丸ぽちゃなのが、

「はいはい。」

 と柔順すなおだっけ。

 小用こようをたして帰ると、もの陰から、目をまるくして、一大事そうに、

「あの、旦那様。」

「何だい。」

「照焼にせいという、おあつらえですがなあ。」

「ああ。」

川鱒かわますは、塩をつけて焼いた方がおいしいで、そうしては不可いけないですかな。」

「ああ、結構だよ。」

 やがて、膳に、その塩焼と、別に誂えた玉子焼、青菜のひたし。椀がついて、蓋を取ると鯉汁こいこくである。ああ、昨日のだ。これはしかし、活きたのをりょうられると困ると思って、わざと註文はしなかったものである。

 口をこぼれそうに、なみなみと二合のお銚子ちょうし

 いい心持こころもちところへ、またお銚子が出た。

 喜多八きたはちの懐中、これにきたなくもうしろを見せて、

「こいつは余計だっけ。」

「でも、あの、四合罎しごうびん一本、よそから取って上げましたので、なあ。」

 私は膝をって、感謝した。

「よし、よし、有難ありがとう。」

 こうのものがついて、御飯をわざわざいてくれた。

 これで、勘定が──道中記には肝心な処だ──二円八十銭……二人ににん分です。

「帳場の、おかみさんに礼を言って下さい。」

 やがて停車場ステエションへ出ながらると、旅店はたごやの裏がすぐ水田みずたで、となりとの地境じざかい行抜ゆきぬけの処に、花壇があって、牡丹が咲いた。竹の垣もわないが、遊んでいた小児こどもたちも、いたずらはしないと見える。

 ほかにも、商屋あきないやに、茶店に、一軒ずつ、庭あり、背戸せどあれば牡丹がある。往来ゆききの途中も、皆そうであった。かつ溝川みぞがわにも、井戸端にも、傾いた軒、崩れた壁の小家こいえにさえ、大抵たいてい皆、菖蒲あやめ杜若かきつばたを植えていた。

 弁財天の御心みこころが、おのずから土地にあらわれるのであろう。

 たちまち、風暗く、柳がなびいた。

 停車場ステエションへ入った時は、皆待合室にいすくまったほどである。風は雪を散らしそうに寒くなった。一千年のいにしえの古戦場の威力である。天には雲と雲と戦った。

底本:「鏡花短篇集」岩波文庫、岩波書店

   1987(昭和62)年916日第1刷発行

   2001(平成13)年25日第21刷発行

底本の親本:「鏡花全集 第二十七巻」岩波書店

   1942(昭和17)年10月初版発行

初出:「人間」

   1921(大正10)年7月号

入力:門田裕志

校正:米田進、鈴木厚司

2003年331日作成

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