春昼
泉鏡花




「おじいさん、お爺さん。」

「はあ、わしけえ。」

 と、一言ひとことぐ応じたのも、四辺あたりが静かでには誰もいなかった所為せいであろう。そうでないと、そのしわだらけなひたいに、顱巻はちまきゆるくしたのに、ほかほかと春の日がさして、とろりと酔ったような顔色がんしょくで、長閑のどかにくわを使う様子が──あのまたその下のやわらかな土に、しっとりと汗ばみそうな、散りこぼれたらくれないの夕陽の中に、ひらひらとはいってきそうな──あたたかももの花を、燃え立つばかりゆすぶってしきりさえずっている鳥のこそ、何か話をするように聞こうけれども、人の声を耳にして、それが自分を呼ぶのだとは、急に心付こころづきそうもない、恍惚うっとりとした形であった。

 こっちもこっちで、かくたちどころに返答されると思ったら、声をけるのじゃなかったかも知れぬ。

 何為なぜなら、さてあらためて言うことがめのない次第なので。本来ならこの散策子さんさくしが、そのぶらぶら歩行あるきの手すさびに、近頃買求かいもとめた安直あんちょくステッキを、真直まっすぐみちに立てて、鎌倉かまくらの方へ倒れたらじいを呼ぼう、逗子ずしの方へ寝たら黙って置こう、とそれでも事はんだのである。

 多分たぶんは聞えまい、聞えなければ、そのまま通り過ぎるぶん。余計な世話だけれども、だまりきりもちっと気になったところひびきの応ずるが如きその、(はあ、わしけえ)には、いささか不意を打たれた仕誼しぎ

「ああ、お爺さん。」

 と低い四目垣よつめがき一足ひとあし寄ると、ゆっくりと腰をのして、背後うしろへよいとこさとるように伸びた。親仁おやじとの間は、隔てる草も別になかった。三筋みすじばかりたがやされた土が、勢込いきおいこんで、むくむくとき立つような快活なにおいめて、しかも寂寞せきばくとあるのみで。勿論もちろん、根を抜かれた、肥料こやしになる、青々あおあおこなを吹いたそら豆の芽生めばえまじって、紫雲英れんげそうもちらほら見えたけれども。

 鳥打とりうちに手をかけて、

「つかんことを聞くがね、お前さんはなんじゃないかい、この、其処そこ角屋敷かどやしきうちの人じゃないかい。」

 親仁おやじはのそりと向直むきなおって、しわだらけの顔に一杯の日当り、桃の花に影がさしたその色に対して、打向うちむかうそのほうの屋根のいらかは、白昼青麦あおむぎあぶる空に高い。

「あのうちのかね。」

「その二階のさ。」

「いんえ、違います。」

 と、いうことは素気そっけないが、話を振切ふりきるつもりではなさそうで、肩をひとゆすりながら、くわを返してつちについてこっちの顔を見た。

「そうかい、いや、お邪魔をしたね、」

 これをしおに、分れようとすると、片手で顱巻はちまきかなぐり取って、

「どうしまして、邪魔も何もござりましねえ。はい、お前様まえさま、何かたずねごとさっしゃるかね。彼処あすこうち表門おもてもんしまっておりませども、貸家かしやではねえが……」

 その手拭てぬぐいを、すそと一緒に、下からつまみ上げるように帯へはさんで、指を腰の両提ふたつさげに突込つきこんだ。これでは直ぐにも通れない。

「何ね、つまらん事さ。」

「はいい?」

「お爺さんが彼家あすこの人ならそう言ってこうと思って、別に貸家を捜しているわけではないのだよ。奥の方でわか婦人おんなの声がしたもの、空家でないのは分ってるが、」

「そうかね、女中衆じょちゅうしゅうも二人ばッかいるだから、」

「その女中衆についてさ。わたしがね、今彼処あすこの横手をこの路へかかって来ると、溝の石垣のところを、ずるずるっとってね、一匹いたのさ──長いのが。」



 怪訝けげんな眉を臆面おくめんなく日にわせて、親仁おやじ煙草入たばこいれをふらふら。

「へい、」

「余り好物こうぶつほうじゃないからね、実は、」

 と言って、笑いながら、

「そのくせこわいもの見たさに立留たちどまって見ていると、なんじゃないか、やがて半分ばかり垣根へ入って、尾を水の中へばたりと落して、鎌首かまくびを、あの羽目板はめいたへ入れたろうじゃないか。羽目はめの中は、見たところ湯殿ゆどのらしい。それとも台所かも知れないが、何しろ、うちにゃわかい女たちの声がするから、どんな事で吃驚びっくりしまいものでもない、と思います。

 あれッきり、座敷へなり、納戸なんどへなりのたくり込めば、一も二もありゃしない。それまでというもんだけれど、何処どこいたにとぐろでも巻いている処へ、うっかり出会でっくわしたら難儀なんぎだろう。

 どのみち余計なことだけれど、お前さんを見かけたから、つい其処そこだし、彼処あそこうちの人だったら、ちょいと心づけてこうと思ってさ。何ね、らじゃ、蛇なんか何でもないのかも知れないけれど、」

「はあ、青大将あおだいしょうかね。」

 といいながら、大きな口をあけて、奥底おくそこもなく長閑のどかな日の舌にむかと笑いかけた。

「何でもなかあねえだよ。彼処あすこさ東京の人だからね。このあいだ一件いっけんもので大騒ぎをしたでがす。行って見てしんぜますべい。うに、はい、何処どっかずらかったも知んねえけれど、台所の衆とは心安こころやすうするでがすから、」

「じゃあ、そうして上げなさい。しかし心ない邪魔をしたね。」

「なあに、お前様、どうせ日はなげえでがす。はあ、お静かにござらっせえまし。」

 こうして人間同士がお静かに分れた頃には、一件はソレりゅうの如きもの凡慮ぼんりょの及ぶところでない。

 散策子はくびすめぐらして、それから、きりきりはたり、きりきりはたりと、にわとりうつようなおさおとしたう如く、向う側の垣根に添うて、二本ふたもとの桃の下を通って、三軒の田舎屋いなかやの前を過ぎるあいだに、十八、九のと、三十みそじばかりなのと、はたを織る婦人の姿を二人見た。

 そのわかい方は、納戸なんど破障子やぶれしょうじ半開はんびらきにして、ねえさんかぶりの横顔を見た時、かいな白くおさを投げた。その年取った方は、前庭まえにわの乾いた土にむしろを敷いて、うしろむきに機台はただいに腰かけたが、トンと足をあげると、ゆるくキリキリと鳴ったのである。

 ただそれだけを見て過ぎた。女今川おんないまがわ口絵くちえでなければ、近頃は余り見掛けない。可懐なつかしい姿、ちっ立佇たちどまってという気もしたけれども、小児こどもでもいればだに、どのうちみんな野面のらへ出たか、人気ひとけはこのほかになかったから、人馴ひとなれぬ女だち物恥ものはじをしよう、いや、この男のおもかげでは、物怖ものおじ物驚ものおどろきをしようも知れぬ。この路をあとへ取って返して、今へびったという、その二階屋にかいやかどを曲ると、左の方にの高い麦畠むぎばたけが、なぞえに低くなって、一面にさっと拡がる、浅緑あさみどりうつくし白波しらなみうっすりとなびなぎさのあたり、雲もない空に歴々ありありと眺めらるる、西洋館さえ、青異人あおいじん赤異人あかいじんと呼んで色を鬼のようにとなうるくらい、こんなふうの男はひげがなくても(帽子被シャッポかぶり)と言うと聞く。

 もっと一方いっぽうは、そんなふうに──よし、村のものの目からは青鬼あおおに赤鬼あかおにでも──ちょうの飛ぶのも帆艇ヨットかと見ゆるばかり、海水浴にひらけているが、右の方は昔ながらの山のなり真黒まっくろに、大鷲おおわしつばさ打襲うちかさねたるおもむきして、左右から苗代田なわしろだ取詰とりつむる峰のつま一重ひとえ一重ひとえごとに迫って次第に狭く、奥のかた暗く行詰ゆきつまったあたり、ぶッつけなりの茅屋かややの窓は、山が開いたまなこに似て、あたかもおおいなるひきがえるの、明けく海から掻窘かいすくんで、谷間たにまひそ風情ふぜいである。



 さればかわらかまどの、むねよりも高いのがあり、ぬしの知れぬみやもあり、無縁になった墓地もあり、しきりに落ちる椿つばきもあり、田にはおおきどじょうもある。

 あの、西南せいなん一帯の海のしおが、浮世の波に白帆しらほを乗せて、このしばらくの間に九十九折つづらおりある山のかいを、一ツずつわんにして、奥まで迎いに来ぬ内は、いつまでも村人は、むこうむきになって、ちらほらと畑打はたうっているであろう。

 ちょうどいまの曲角まがりかどの二階家あたりに、屋根の七八ななやっかさなったのが、この村の中心で、それからかいの方へ飛々とびとびにまばらになり、海手うみてと二、三ちょうあいだ人家じんか途絶とだえて、かえって折曲おれまがったこの小路こみちの両側へ、また飛々とびとびに七、八軒続いて、それが一部落になっている。

 おさを投げた娘の目も、山の方へひとみかよい、足踏みをした女房の胸にも、海の波はうつらぬらしい。

 通りすがりに考えつつ、立離たちはなれた。おもてあっして菜種なたねの花。まばゆい日影が輝くばかり。左手ゆんでがけの緑なのも、向うの山の青いのも、かたえにこの真黄色まっきいろの、わずかかぎりあるを語るに過ぎず。足許あしもと細流せせらぎや、一段いちだんさっすだれを落して流るるさえ、なかなかに花の色を薄くはせぬ。

 ああ目覚めざましいと思う目に、ちらりと見たのみ、呉織くれはとり文織あやはとりは、あたかも一枚の白紙しらかみに、朦朧もうろうえがいた二個ふたつのその姿を残して余白を真黄色に塗ったよう。二人の衣服きものにも、手拭てぬぐいにも、たすきにも、前垂まえだれにも、織っていたそのはたの色にも、いささかもこの色のなかっただけ、一入ひとしお鮮麗あざやかに明瞭に、脳中にえがいだされた。

 勿論もちろん、描いた人物を判然はっきり浮出うきださせようとして、この彩色さいしょく塗潰ぬりつぶすのは、の手段に取って、か、か、こうか、せつか、それは菜の花のあずかり知るところでない。

 うっとりするまで、眼前まのあたり真黄色な中に、機織はたおりの姿の美しく宿った時、若い婦人おんなと投げたおさの尖から、ひらりと燃えて、いま一人の足下あしもとひらめいて、輪になってひとねた、しゅ金色こんじきを帯びた一条いちじょうの線があって、赫燿かくようとしてまなこを射て、ながれのふちなる草に飛んだが、火の消ゆるが如くやがて失せた。

 赤楝蛇やまかがしが、菜種なたねの中を輝いて通ったのである。

 悚然ぞっとして、向直むきなおると、突当つきあたりが、樹の枝からこずえの葉へからんだような石段で、上に、かやぶきの堂の屋根が、目近まぢか一朶いちだの雲かと見える。むねに咲いた紫羅傘いちはつの花の紫も手に取るばかり、峰のみどりの黒髪くろかみにさしかざされたよそおいの、それが久能谷くのや観音堂かんおんどう

 我が散策子は、其処そここころざして来たのである。爾時そのとき、これから参ろうとする、前途ゆくての石段の真下の処へ、ほとんど路の幅一杯に、両側から押被おっかぶさった雑樹ぞうきの中から、真向まむきにぬっと、おおきな馬の顔がむくむくといて出た。

 ただ見る、それさえ不意な上、胴体は唯一ただひとツでない。たてがみに鬣がつながって、胴に胴が重なって、およそ五、六けんがあいだけものの背である。

 咄嗟とっさかん、散策子はステッキをついて立窘たちすくんだ。

 曲角まがりかどの青大将と、このかたわらなる菜の花の中の赤楝蛇やまかがしと、向うの馬のつらとへ線を引くと、細長い三角形の只中ただなかへ、封じ籠められた形になる。

 奇怪なる地妖ちようでないか。

 しかし、若悪獣囲繞にゃくあくじゅういにょう利牙爪可怖りげしょうかふも、蚖蛇及蝮蝎がんじゃぎゅうふくかつ気毒煙火燃けどくえんかねんも、薩陀さった彼処かしこにましますぞや。しばらくして。……



 のんきな馬士まごめが、に人のあるを見て、はじめて、のっそり馬の鼻頭はなづらあらわれた、真正面ましょうめんから前後三頭一列に並んで、たらたらりをゆたゆたと来るのであった。

「お待遠まちどおさまでごぜえます。」

「はあ、お邪魔さまな。」

御免ごめんなせえまし。」

 と三人、一人々々ひとりひとり声をかけて通るうち、ながれのふちに爪立つまだつまで、細くなってかわしたが、なおおおいなる皮の風呂敷に、目を包まれる心地であった。

 みち一際ひときわ細くなったが、かえってやわらかに草を踏んで、きりきりはたり、きりきりはたりと、長閑のどかはたの音に送られて、やがて仔細しさいなく、蒼空あおぞらる、石段のもとに着く。

 この石段は近頃すっかり修復が出来た。(従って、爪尖つまさきのぼりの路も、草が分れて、一筋ひとすじ明らさまになったから、もう蛇も出まい、)その時分は大破して、ちょうつくろいにかかろうという折から、馬はこの段のしたに、一軒、寺というほどでもない住職じゅうしょく控家ひかえやがある、その背戸せどへ石を積んで来たもので。

 段をのぼると、階子はしごゆれはしまいかとあやぶむばかり、かどが欠け、石が抜け、土が崩れ、足許も定まらず、よろけながらのぼった。見る見る、目の下の田畠たはたが小さくなり遠くなるに従うて、波の色があおう、ひたひたと足許に近づくのは、海をいだいたかかる山の、何処いずこも同じならいである。

 樹立こだちに薄暗い石段の、石よりもうずたか青苔あおごけの中に、あの蛍袋ほたるぶくろという、薄紫うすむらさき差俯向さしうつむいた桔梗ききょう科の花の早咲はやざきを見るにつけても、何となく湿しめっぽい気がして、しかも湯滝ゆだきのあとを踏むように熱く汗ばんだのが、さっ一風ひとかぜ、ひやひやとなった。境内けいだいはさまで広くない。

 もっとも、御堂みどうのうしろから、左右の廻廊かいろうへ、山の幕を引廻ひきまわして、雑木ぞうきの枝も墨染すみぞめに、其処そこともかず松風まつかぜの声。

 なぎさなみの雪を敷いて、砂に結び、いわおに消える、その都度つど音も聞えそう、ただ残惜のこりおしいまでぴたりとんだは、きりはたりはたの音。

 よりして見てあれば、織姫おりひめの二人の姿は、菜種なたねの花の中ならず、蒼海原あおうなばらに描かれて、浪にうかぶらん風情ふぜいぞかし。

 いや、参詣おまいりをしましょう。

 五段のきざはしえんの下を、馬が駈け抜けそうに高いけれども、欄干らんかんは影もとどめない。昔はさこそと思われた。丹塗にぬりの柱、花狭間はなはざまうつばりの波の紺青こんじょうも、金色こんじきりゅうも色さみしく、昼の月、かやりて、唐戸からどちょうの影さす光景ありさま、古き土佐絵とさえの画面に似て、しかも名工の筆意ひついかない、まばゆからぬが奥床おくゆかしゅう、そぞろに尊くなつかしい。

 格子こうしの中は暗かった。

 戸張とばりを垂れた御廚子みずしわきに、造花つくりばな白蓮びゃくれんの、気高くおもかげ立つに、こうべを垂れて、引退ひきしりぞくこと二、三尺。心静かに四辺あたりを見た。

 合天井ごうてんじょうなる、紅々白々こうこうはくはく牡丹ぼたんの花、胡粉ごふんおもかげ消え残り、くれない散留ちりとまって、あたかもきざんだものの如く、髣髴ほうふつとして夢に花園はなぞのあおぐ思いがある。

 それら、花にもうてなにも、丸柱まるばしらは言うまでもない。狐格子きつねごうし唐戸からどけたうつばりみまわすものの彼処かしこ巡拝じゅんぱいふだの貼りつけてないのは殆どない。

 彫金ほりきんというのがある、魚政うおまさというのがある、屋根安やねやす大工鉄だいてつ左官金さかんきん。東京の浅草あさくさに、深川ふかがわに。周防国すおうのくに美濃みの近江おうみ加賀かが能登のと越前えちぜん肥後ひごの熊本、阿波あわの徳島。津々浦々つつうらうら渡鳥わたりどり稲負いなおおどり閑古鳥かんこどり。姿は知らず名をめた、一切の善男子ぜんなんし善女人ぜんにょにん木賃きちん夜寒よさむの枕にも、雨の夜の苫船とまぶねからも、夢はこのところに宿るであろう。巡礼たちが霊魂たましいは時々に来てあすぼう。……おかし、一軒一枚の門札もんふだめくよ。



 一座の霊地れいちは、かれらのためには平等利益びょうどうりやくたのしく美しい、花園である。一度もうでたらんほどのものは、五十里、百里、三百里、筑紫つくしの海のはてからでも、思いさえ浮んだら、つかに来て、虚空こくう花降はなふる景色を見よう。月に白衣びゃくえの姿も拝もう。熱あるものは、楊柳ようりゅうの露のしたたりを吸うであろう。恋するものは、優柔しなやか御手みてすがりもしよう。御胸おんむねにもいだかれよう。はた迷える人は、緑のいらかあけ玉垣たまがき、金銀の柱、朱欄干しゅらんかん瑪瑙めのうきざはし花唐戸はなからど玉楼金殿ぎょくろうきんでんを空想して、鳳凰ほうおうの舞うたつ宮居みやいに、牡丹ぼたんに遊ぶ麒麟きりんを見ながら、獅子王ししおうの座に朝日影さす、桜の花をふすまとして、明月めいげつの如き真珠を枕に、勿体もったいなや、御添臥おんそいぶしを夢見るかも知れぬ。よしそれとても、大慈大悲だいじだいひ観世音かんぜおんとがたまわぬ。

 さればこれなる彫金ほりきん魚政うおまさはじめ、に霊魂のかよう証拠には、いずれも巡拝じゅんぱいふだを見ただけで、どれもこれも、女名前おんななまえのも、ほぼその容貌と、風采ふうさいと、従ってその挙動までが、朦朧もうろうとして影の如く目に浮ぶではないか。

 かの新聞で披露ひろうする、諸種の義捐金ぎえんきんや、建札たてふだひょうに掲示する寄附金の署名が写実である時に、これは理想であるといってもかろう。

 微笑ほほえみながら、一枚ずつ。

 扉の方へうしろ向けに、おおき賽銭箱さいせんばこのこなた、薬研やげんのような破目われめの入った丸柱まるばしらながめた時、一枚懐紙かいし切端きれはしに、すらすらとした女文字おんなもじ

うたゝに恋しき人を見てしより
夢てふものは頼みそめてき
──玉脇たまわきみを──

 とやさしくうつくしく書いたのがあった。

「これは御参詣で。もし、もし、」

 はッと心付くと、あさ法衣ころもそでをかさねて、出家しゅっけが一人、裾短すそみじか藁草履わらぞうり穿きしめて間近まぢかに来ていた。

 振向ふりむいたのを、莞爾にこやかにみ迎えて、

ちっとこちらへ。」

 賽銭箱さいせんばこわきを通って、格子戸に及腰およびごし

南無なむ」とあとは口のうちで念じながら、左右へかたかたとしずかに開けた。

 出家は、真直まっすぐに御廚子みずしの前、かさかさと袈裟けさをずらして、たもとからマッチを出すと、伸上のびあがって御蝋おろうを点じ、ひたいたなそこを合わせたが、引返ひきかえしてもう一枚、たたずんだ人の前の戸を開けた。

 虫ばんだが一段高く、かつ幅の広い、部厚ぶあつ敷居しきいの内に、縦に四畳よじょうばかり敷かれる。壁の透間すきま樹蔭こかげはさすが、へりなしのたたみ青々あおあおと新しかった。

 出家は、上になんにもない、小机こづくえの前に坐って、火入ひいればかり、煙草たばこなしに、灰のくすぼったのを押出おしだして、自分も一膝ひとひざ、こなたへ進め、

ちっとお休み下さい。」

 また、かさかさとたもとを探って、

「やあ、マッチはにもござった、ははは、」

 と、もひとツ机の下から。

「それではお邪魔を、ちょっと、拝借。」

 とこなたは敷居越しきいごしに腰をかけて、からも空に連なる、海の色より、よりこまやかかすみを吸った。

真個ほんとに、結構な御堂おどうですな、い景色じゃありませんか。」

「や、もう大破たいはでござって。おもりをいたす仏様に、こう申し上げては済まんでありますがな。ははは、私力わたくしちからにもおいそれとは参りませんので、行届ゆきとどかんがちでございますよ。」



随分ずいぶん御参詣はありますか。」

 先ず差当さしあたり言うことはこれであった。

 出家はうなずくようにして、机の前に座を斜めに整然きちんと坐り、

「さようでございます。御繁昌ごはんじょうと申したいでありますが、当節は余りござりません。以前は、荘厳美麗そうごんびれい結構なものでありましたそうで。

 貴下あなた、今お通りになりましてございましょう。からも見えます。この山のすそへかけまして、ずッとあの菜種畠なたねばたけあたり七堂伽藍しちどうがらん建連たてつらなっておりましたそうで。書物かきものにも見えますが、三浦郡みうらごおり久能谷くのやでは、この岩殿寺いわとでらが、土地の草分くさわけと申しまする。

 坂東ばんどう第二番の巡拝所じゅんぱいじょ、名高い霊場れいじょうでございますが、唯今ただいまではとんとその旧跡きゅうせきとでも申すようになりました。

 みょうなもので、かえって遠国えんごくしゅうの、参詣が多うございます。近くは上総かずさ下総しもうさ、遠い処は九州西国さいこくあたりから、聞伝ききつたえて巡礼なさるのがありますところ、このかたたちが、当地へござって、この近辺で聞かれますると、つい知らぬものが多くて、大きに迷うなぞと言う、お話しを聞くでございますよ。」

「そうしたもんです。」

「ははは、如何いかにも、」

 と言ってちょっと言葉が途切とぎれる。

 出家のことばは、いささか寄附金の勧化かんげのように聞えたので、少し気になったが、煙草たばこの灰を落そうとして目にまった火入ひいれの、いぶりくすぶった色あい、マッチのもえさしの突込つッこ加減かげん巣鴨辺すがもへん弥勒みろくの出世を待っている、真宗大学しんしゅうだいがくの寄宿舎に似て、余り世帯気しょたいげがありそうもないところは、おおい胸襟きょうきんを開いてしかるべく、勝手に見て取った。

 そこでまた清々すがすがしく一吸ひとすいして、山のの煙を吐くこと、遠見とおみ鉄拐てっかいの如く、

「夏はさぞすずしいでしょう。」

「とんと暑さ知らずでござる。御堂おどうは申すまでもありません、下の仮庵室かりあんじつなども至極しごくそのすずしいので、ほんの草葺くさぶきでありますが、と御帰りがけにお立寄たちより、御休息なさいまし。木葉きのはくすべて渋茶しぶちゃでも献じましょう。

 荒れたものでありますが、いや、茶釜ちゃがまから尻尾しっぽでも出ましょうなら、また一興いっきょうでござる。はははは、」

「おうらやまし御境涯ごきょうがいですな。」

 と客は言った。

「どうして、貴下あなた、さように悟りの開けました智識ちしきではございません。一軒屋の一人住居ひとりずまい心寂しゅうござってな。唯今ただいまも御参詣のお姿を、あれからお見受け申して、あとを慕って来ましたほどで。

 時に、どちらに御逗留ごとうりゅう?」

わたし? 私はきその停車場ステイション最寄もよりところに、」

「しばらく、」

先々月せんせんげつあたりから、」

「いずれ、御旅館で、」

いいえ一室ひとま借りまして自炊じすいです。」

「は、は、さようで。いや、不躾ぶしつけでありまするが、思召おぼしめしがござったら、仮庵室かりあんじつ御用にお立て申しまする。

 はなは唐突とうとつでありまするが、昨年夏も、お一人な、やはりかような事から、貴下あなたがたのような御仁ごじん御宿おやどをいたしたことがありまする。

 御夫婦でもよろしい。お二人ぐらいは楽でありますから、」

「はい、ありがとう。」

 と莞爾にっこりして、

「ちょっと、通りがかりでは、こういうところが、こちらにあろうとは思われませんね。真個ほんとうい御堂ですね、」

「折々御遊歩ごゆうほにおいで下さい。」

勿体もったいない、おまいりに来ましょう。」

 何心なにごころなく言った顔を、いぶかしそうに打視うちながめた。



 出家は膝に手を置いて、

「これは、貴下方あなたがたの口から、そういうことをうけたまわろうとは思わんでありました。」

何故なぜですか、」

 と問うては見たが、あらかじめ、その意味を解するにかとうはないのであった。

 出家も、ひらたくはあるが、ふっくりした頬にえみを含んで、

何故なぜと申すでもありませんがな……先ず当節のお若い方が……というのでござる。はははは、近い話がな。もっともそう申すほど、わたくしが、まだ年配ではありませんけれども、」

「分りましたとも。青年の、しかも書生しょせいが、とおっしゃるのでしょう。

 いいえ、そういう御遠慮をなさるから、それだから不可いけません。それだから、」

 とどうしたものか、じりじりと膝を向け直して、

「段々お宗旨しゅうしさびれます。こちらはなにお宗旨だか知りませんが。

 対手あいて老朽おいくちたものだけで、年紀としすくない、今の学校生活でもしたものには、とても済度さいどはむずかしい、今さら、観音かんおんでもあるまいと言うようなお考えだから不可いかんのです。

 近頃は爺婆じじばばの方が横着おうちゃくで、嫁をいじめる口叱言くちこごとを、お念仏で句読くとうを切ったり、膚脱はだぬぎうなぎくし横銜よこぐわえで題目をとなえたり、……昔からもそういうのもなかったんじゃないが、まだまだ胡散うさんながら、地獄極楽じごくごくらくが、いくらか念頭にあるうちは始末がよかったのです。今じゃ、生悟なまさとりにみんなが悟りを開いた顔で、悪くすると地獄の絵を見て、こりゃ出来がい、などと言い兼ねません。

 貴下方あなたがたが、到底対手あいてにゃなるまいと思っておいでなさる、わかい人たちが、かえって祖師そしあこがれてます。どうかして、安心立命あんしんりつめいが得たいともだえてますよ。中にはそれがために気が違うものもあり、自殺するものさえあるじゃありませんか。

 何でも構わない。途中で、ははあ、これが二十世紀の人間だな、と思うのを御覧なすったら、男子おとこでも女子おんなでもですね、唐突だしぬけ南無阿弥陀仏なむあみだぶつと声をかけてお試しなさい。すぐに気絶するものがあるかも知れず、たちどころに天窓あたまそって御弟子になりたいと言おうも知れず、ハタと手をって悟るのもありましょう。あるいはそれがもとで死にたくなるものもあるかも知れません。

 実際、串戯じょうだんではない。そのくらいなんですもの。仏教はこれから法燈ほうとうの輝く時です。それだのに、何故なぜか、貴下あんたがたが因循いんじゅんして引込思案ひっこみじあんでいらっしゃる。」

 しきりに耳を傾けたが、

「さよう、如何いかにも、はあ、さよう。いや、わたくしどもとても、堅く申せば思想界は大維新だいいしんさいで、中には神を見た、まのあたりぶつに接した、あるいはみずから救世主であるなどと言う、当時の熊本の神風連じんぷうれんの如き、一揆いっきの起りましたような事も、ちらほら聞伝ききつたえてはおりますが、いずれに致せ、高尚な御議論、御研究のほうでござって、こちとらづれ出家がおりをする、偶像なぞは……その、」

 と言いかけて、そっ御廚子みずしかたを見た。

さくがよければ、美術品、彫刻物ちょうこくものとして御覧なさろうと言う世間。

 あるいは今後、仏教はさかんになろうも知れませんが、ともかく、偶像の方となりますると……その如何いかがなものでござろうかと……同一おなじ信仰にいたしてからが、御本尊ごほんぞんに対し、礼拝らいはいと申すかたは、このさきどうあろうかと存じまする。ははは、そこでございますから、自然、貴下あたたがたには、仏教、すなわち偶像教でないように思召おぼしめしが願いたい、御像おすがたの方は、高尚な美術品を御覧になるように、と存じて、つい御遊歩ごゆうほなどと申すような次第でございますよ。」

「いや、いや、偶像でなくってどうします。御姿おすがたを拝まないで、何をわたしたちが信ずるんです。貴下あなた、偶像とおっしゃるから不可いかん。

 名がありましょう、一体ごとに。

 釈迦しゃか文殊もんじゅ普賢ふげん勢至せいし観音かんおん、皆、名があるではありませんか。」



ただ、人と言えば、他人です、何でもない。これに名がつきましょう。名がつきますと、父となります、母となり、兄となり、姉となります。そこで、その人たちを、ただ、人にして扱いますか。

 偶像も同一どういつです。ただ偶像なら何でもない、この御堂のは観世音かんぜおんです、信仰をするんでしょう。

 じゃ、偶像は、かね乃至ないし、土。それを金銀、珠玉しゅぎょくで飾り、色彩をよそおったものに過ぎないと言うんですか。人間だって、皮、血、肉、五臓ごぞう六腑ろっぷ、そんなものでつかねあげて、これにものを着せるんです。第一貴下あなた、美人だって、たかがそれまでのもんだ。

 しかし、人には霊魂れいこんがある、偶像にはそれがない、と言うかも知れん。その、貴下あなた、その貴下あなた、霊魂が何だか分らないから、迷いもする、悟りもする、あやぶみもする、安心もする、拝みもする、信心もするんですもの。

 まとがなくって弓の修業が出来ますか。軽業かるわざ手品てじなだって学ばねばならんのです。

 偶像はらないと言う人に、そんなら、恋人はだ慕う、愛する、こがるるだけで、一緒にならんでもいのか、姿を見んでもいのか。姿を見たばかりで、口を利かずとも、口を利いたばかりで、手にすがらずとも、手に縋っただけで、寝ないでも、いのか、と聞いて御覧なさい。

 せめて夢にでも、その人にいたいのが実情です。

 そら、幻にでも神仏かみほとけを見たいでしょう。

 釈迦しゃか文殊もんじゅ普賢ふげん勢至せいし観音かんおん御像おすがたはありがたいわけではありませんか。」

 出家は活々いきいきとした顔になって、目の色が輝いた。心のこもった口のあたり、ひげの穴も数えつびょう、

「申されました、おもしろい。」

 ぴたりと膝に手をついて、片手をひたいに加えたが、

「──うたゝに恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき──」

 とひと俯向うつむいた口のうちじゅしたのは、柱にしるした歌である。

 こなたも思わず彼処かしこを見た、柱なる蜘蛛ささがにの糸、あざやかなりけり水茎みずぐきの跡。

「そううけたまわれば恥入はじいる次第で、恥を申さねば分らんでありますが、うたゝの、この和歌でござる、」

「その歌が、」

 とこなたも膝の進むを覚えず。

「ええ、御覧なさい。其処中そこらじゅう、それ巡拝札じゅんぱいふだを貼り散らしたと申すわけで、中にはな、売薬や、何かの広告に使いまするそうなが、それもありきたりで構わんであります。

 またたれ何時いつのまに貼って参るかも分りませんので。ところが、それ、其処そこの柱の、その……」

「はあ、あの歌ですか。」

「御覧になったで、」

先刻さっき貴下あなたが声をおかけなすった時に、」

「お目にまったのでありましょう、それは歌のぬしが分っております。」

「婦人ですね。」

「さようで、もっと古歌こかでありますそうで、小野小町おののこまちの、」

「多分そうのようです。」

まれたは御自分でありませんが、いや、とんとそのぬしのような美人でありましてな、」

「この玉脇たまわき……とか言う婦人が、」

 と、口ではましてそう言ったが、胸はそぞろにときめいた。

「なるほど、今貴下あなたがお話しになりました、その、御像おすがたのことについて、恋人云々うんぬんのお言葉を考えて見ますると、これは、みだらな心ではのうて、かたこそ違いまするが、かすかに照らせやまの月、と申したように、観世音かんぜおんにあこがるる心を、古歌になぞらえたものであったかも分りませぬ。──夢てふものは頼みめてき──夢になりともお姿をと言う。

 真個まことに、ああいう世にまれな美人ほど、早く結縁けちえんいたして仏果ぶっかを得たためし沢山たくさんございますから。

 それを大掴おおづかみに、恋歌こいかを書き散らして参った。しからぬ事と、さ、それも人によりけり、御経おきょうにも、若有女人設欲求男にゃくうにょにんせつよくぐなん、とありまするから、一概いちがいとがめ立てはいたさんけれども。あれがために一人殺したでござります。」

 聞くものは一驚いっきょうきっした。菜の花に見た蛇のそれより。



「まさかとお思いなさるでありましょう、お話が大分唐突だしぬけでござったで、」

 出家は頬に手をあてて、うつむいてやや考え、

「いや、しかし恋歌こいかでないといたして見ますると、その死んだ人のほうが、これは迷いであったかも知れんでございます。」

「飛んだ話じゃありませんか、それはまたどうした事ですか。」

 と、こなたは何時いつか、もう御堂おどうの畳に、にじりあがっていた。よしありげな物語を聞くのに、ふところ窮屈きゅうくつだったから、懐中かいちゅう押込おしこんであった、鳥打帽とりうちぼうを引出して、かたわら差置さしおいた。

 松風がに立った。が、春の日なれば人よりも軽く、そよそよと空を吹くのである。

 出家は仏前の燈明とうみょうをちょっと見て、

「さればでござって。……

 実は先刻おはなし申した、ふとした御縁で、御堂おどうのこの下の仮庵室かりあんじつへお宿をいたしました、その御仁ごじんなのでありますが。

 その貴下あなた、うたゝの歌を、其処そこへ書きました、婦人のために……まあ、言って見ますれば恋煩こいわずらい、いや、こがれじにをなすったと申すものでございます。早い話が、」

「まあ、今時いまどき、どんな、男です。」

ちょう貴下あなたのようなかたで、」

 ? 茶釜ちゃがまでなく、這般この文福和尚ぶんぶくおしょう渋茶しぶちゃにあらぬ振舞ふるまい三十棒さんじゅうぼう、思わずしりえ瞠若どうじゃくとして、……ただ苦笑くしょうするある而已のみ……

「これは、飛んだところへ引合いに出しました、」

 と言って打笑うちわらい、

「おっしゃる事と申し、やはりこういう事からお知己ちかづきになったと申し、うっかり、これは、」

いや、結構ですとも。恋で死ぬ、本望です。この太平の世に生れて、戦場で討死うちじにをする機会がなけりゃ、おなじ畳の上で死ぬものを、こがれじにが洒落しゃれています。

 華族の金満家きんまんかへ生れて出て、恋煩こいわずらいで死ぬ、このくらいありがたい事はありますまい。恋はかなう方がさそうなもんですが、そうすると愛別離苦あいべつりくです。

 ただ死ぬほどれるというのが、かねめるよりかたいんでしょう。」

まこと御串戯ごじょうだんものでおいでなさる。はははは、」

真面目まじめですよ。真面目だけなお串戯じょうだんのように聞えるんです。あやかりたい人ですね。よくそんなのを見つけましたね。よくそんな、こがれじにをするほどの婦人が見つかりましたね。」

「それは見ることは誰にでも出来ます。美しいと申して、竜宮りゅうぐう天上界てんじょうかいへ参らねば見られないのではござらんで、」

「じゃ現在いるんですね。」

「おりますとも。土地の人です。」

「この土地のですかい。」

「しかもこの久能谷くのやでございます。」

「久能谷の、」

貴下あなた、何んでございましょう、今日へお出でなさるには、そのうちの前を、御通行おとおりになりましたろうで、」

「その美人の住居すまいの前をですか。」

 と言う時、はたを織ったわかい方の婦人おんなが目に浮んだ、赫燿かくようとして菜の花に。

「……じゃ、あの、やっぱり農家の娘で、」

否々いやいや大財産家だいざいさんかの細君でございます。」

「違いました、」

 と我を忘れて、つぶやいたが、

「そうですか、大財産家おおがねもちの細君ですか、じゃもうぬしある花なんですね。」

「さようでございます。それがために、貴下あなた、」

「なるほど、他人のものですね。そうして誰が見ても綺麗きれいですか、美人なんですかい。」

「はい、夏向なつむき随分ずいぶん何千人という東京からの客人で、目の覚めるような美麗びれいかたもありまするが、なかなかこれほどのはないでございます。」

「じゃ、わたしが見ても恋煩こいわずらいをしそうですね、危険けんのん危険けんのん。」

 出家は真面目に、

何故なぜでございますか。」

帰路かえりには気をけねばなりません。何処どこですか、その財産家のうちは。」



 菜種なたねにまじる茅家かややのあなたに、白波と、松吹風まつふくかぜ右左みぎひだり、其処そこに旗のような薄霞うすがすみに、しっとりとくれないさまに桃の花をいろどった、そのむねより、高いのは一つもない。

かどの、あの二階家にかいやが、」

「ええ?」

「あれがこの歌のかき住居すまいでござってな。」

 聞くものは慄然ぞっとした。

 出家は何んの気もつかずに、

もっと彼処あすこへは、去年の秋、細君だけが引越ひきこして参ったので。ちょうわたくしがお宿を致したその御仁ごじんが……お名は申しますまい。」

「それがうございます。」

ただ、客人──でお話をいたしましょう。そのかたが、庵室あんじつに逗留中、夜分な、海へ入ってくなりました。」

おぼれたんですか、」

「と……まあ見えるでございます、亡骸なきがらが岩に打揚うちあげられてござったので、怪我けがか、それとも覚悟の上か、そこはず、お聞取ききとりの上の御推察でありますが、私はぜん申す通り、この歌のためじゃようにな、」

「何しろ、それは飛んだ事です。」

「その客人が亡くなりまして、二月ふたつきばかり過ぎてから、彼処あすこへ、」

 と二階家のはるかなのを、雲の上からおおうよう、出家は法衣ころもそでを上げて、

「細君が引越して来ましたので。恋じゃ、まよいじゃ、という一騒ひとさわぎござった時分は、この浜方はまがたの本宅に一家族、……唯今ただいまでも其処そこが本家、まだ横浜にも立派なたながあるのでありまして、主人は大方おおかたそのほうへ参っておりましょうが。

 この久能谷くのやの方は、女中ばかり、まことに閑静に住んでおります。」

「すると別荘なんですね。」

「いやいや、──どうも話がいろいろになります、──ところが久能谷の、あの二階家が本宅じゃそうで、唯今の主人も、あの屋根の下で生れたげに申します。

 その頃はかすかな暮しで、屋根と申したところが、ああではありますまい。月も時雨しぐれもばらばらぶき。それでも先代の親仁おやじと言うのが、もう唯今では亡くなりましたが、それが貴下あなた、小作人ながら大の節倹家しまつやで、積年の望みで、地面を少しばかり借りましたのが、わたくし庵室あんじつ背戸せどの地続きで、以前立派な寺がありました。その住職じゅうしょく隠居所いんきょじょの跡だったそうにございますよ。

 豆を植えようと、まことにこう天気のい、のどかな、陽炎かげろうがひらひらあぜに立つ時分。

 親仁殿おやじどのくわをかついで、この坂下へって来て、自分の借地しゃくちを、ずならしかけたのでございます。

 とッ様昼上ひるあがりにせっせえ、と小児こどもが呼びに来た時分、と申すで、お昼頃でありましょうな。

 朝くから、出しなには寒かったで、布子ぬのこ半纏はんてんを着ていたのが、その陽気なり、働き通しじゃ。親仁殿は向顱巻むこうはちまき大肌脱おおはだぬぎで、精々せっせっっていたところ大抵たいてい借用分の地券面ちけんめんだけは、仕事が済んで、これからとほまちに山を削ろうという料簡りょうけん。ずかずか山のすそを、穿りかけていたそうでありますが、小児こどもが呼びに来たについて、一服いっぷくるべいかで、もう一鍬ひとくわ、すとんと入れると、急に土がやわらかく、ずぶずぶとぐるみにむぐずり込んだで。

 ずいと、引抜いたくわについて、じとじととにじんで出たのが、真紅まっかな、ねばねばとした水じゃ、」

「死骸ですか、」と切込きりこんだ。

「大違い、大違い、」

 と、出家は大きくかぶりをって、

註文ちゅうもん通り、金子かねでござる、」

「なるほど、穿当ほりあてましたね。」

穿当ほりあてました。海の中でもべに色のうろこ目覚めざましい。土を穿って出る水も、そういう場合には紫より、黄色より、青い色より、その紅色が一番見る目を驚かせます。

 はて、何んであろうと、親仁殿おやじどのが固くなって、もう二、三度穿り拡げると、がっくり、うつろになったので、山の腹へ附着くッついて、こうのぞいて見たそうにござる。」


十一


大蛇だいじゃあぎといたような、真紅まっかな土の空洞うつろの中に、づほらとした黒いかたまりが見えたのを、くわの先で掻出かきだして見ると──かめで。

 ふた打欠ぶっかけていたそうでございますが、其処そこからもどろどろと、その丹色にいろ底澄そこすんで光のある粘土ねばつちようのものが充満いっぱい

 別に何んにもありませんので、親仁殿おやじどの惜気おしげもなく打覆ぶっかえして、もう一箇ひとつあった、それも甕で、奥の方へたてに二ツ並んでいたと申します──さあ、この方が真物ほんものでござった。

 けかけた蓋をあわてておさえて、きょろきょろと其処そこみまわしたそうでございますよ。

 そばにいてのぞき込んでいた、自分の小児こどもをさえ、にらむようにして、じろりと見ながら、どう悠々ゆうゆうと、はだなぞを入れておられましょう。

 素肌すはだへ、貴下あなた嬰児あかんぼおぶうように、それ、脱いで置いたぼろ半纏ばんてんで、しっかりくるんで、背負上しょいあげて、がくつく腰を、くわつえにどッこいなじゃ。黙っていろよ、何んにも言うな、きっと誰にも饒舌しゃべるでねえぞ、と言い続けて、うちへ帰って、納戸なんど閉切しめきって暗くして、お仏壇ぶつだんの前へむしろを敷いて、其処そこへざくざくと装上もりあげた。もっとも年がって薄黒くなっていたそうでありますが、その晩から小屋は何んとなく暗夜やみよにも明るかった、と近所のものが話でござって。

 極性ごくしょうしゅでござったろう、ぶちまけたかめ充満いっぱいのが、時ならぬ曼珠沙華まんじゅしゃげが咲いたように、山際やまぎわに燃えていて、五月雨さみだれになって消えましたとな。

 ちっ日数ひかずが経ってから、親仁どのは、村方むらかた用達ようたしかたがた、東京へ参ったついでに芝口しばぐち両換店りょうがえやへ寄って、きたな煙草入たばこいれから煙草の粉だらけなのを一枚だけ、そっと出して、いくらに買わっしゃる、と当って見ると、いやつまんだつめの方が黄色いくらいでござったに、しょうのものとて争われぬ、七りょうならば引替ひきかえにと言うのを、もッと気張きばってくれさっせえで、とうとう七両一に替えたのがはじまり。

 そちこち、気長きなが金子かねにして、やがて船一そう古物ふるものを買い込んで、海から薪炭まきすみの荷を廻し、追々おいおい材木へ手を出しかけ、船の数も七艘までに仕上げた時、すっぱりと売物に出して、さて、地面を買う、店を拡げる、普請ふしんにかかる。

 土台がきまると、山の貸元かしもとになって、坐っていて商売が出来るようになりました、高利こうりは貸します。

 どかとした山の林が、あの裸になっては、店さきへすくすくと並んで、いつの間にかかねを残しては何処どこへか参る。

 そのはずでござるて。

 利のつく金子かねを借りて山を買う、木をりかけ、資本もとでつかえる。ここで材木を抵当ていとうにして、また借りる。すぐに利がつく、また伐りかかる、資本もとでつかえる、また借りる、利でござろう。借りた方は精々せっせっり出して、貸元かしもとの店へ材木を並べるばかり。追っかけられて見切って売るのを、安く買い込んでまたもうける。行ったり、来たり、家の前を通るものが、金子かねを置いては失せるのであります。

 妻子眷属さいしけんぞく一時いっときにどしどしとえて、人はただ天狗てんぐが山を飲むような、と舌を巻いたでありまするが、かげじゃ──その──くわつえ胴震どうぶるいの一件をな、はははは、こちとら、その、も一ツのかめしゅの方だって、手をおッつけりゃ血になるだ、なぞと、ひそひそばなしるのでござって、」

「そういう人たちはまた塩梅あんばい穿り当てないもんですよ。」

 と顔を見合わせて二人が笑った。

「よくしたものでございます。いくら隠していることでも何処どこをどうして知れますかな。

 いや、それについて、」

 出家は思出おもいだしたように、

「こういう話がございます。その、誰にも言うな、と堅く口留くちどめをされた斉之助せいのすけという小児こどもが、(父様とっさま野良のらへ行って、穴のない天保銭てんぽうせんをドシコと背負しょって帰らしたよ。)

 ……如何いかがでござる、ははははは。」

「なるほど、穴のない天保銭。」

「その穴のない天保銭が、当主でございます。多額納税議員たがくのうぜいぎいん玉脇斉之助たまわきせいのすけ、令夫人おみを殿、その歌をかいた美人であります、如何いかがでございます、貴下あなた、」


十二


「先ずお茶を一ツ。御約束通り渋茶でござって、ろくにお茶台ちゃだいもありませんかわりには、がらんとして自然に片づいております。おくつろぎ下さい。秋になりますると、これで町へ遠うございますかわりには、くりかきに事を欠きませぬ。からすを追って柿を取り、高音たかねを張りますもずを驚かして、栗を落してなりと差上げましょうに。

 まあ、何よりもお楽に、」

 と袈裟けさをはずしてくぎにかけた、障子しょうじ緋桃ひもも影法師かげぼうし今物語いまものがたりしゅにも似て、破目やれめあたたかく燃ゆるさま法衣ころもをなぶる風情ふぜいである。

 庵室あんじつから打仰うちあおぐ、石の階子はしごこずえにかかって、御堂みどうは屋根のみ浮いたよう、緑の雲にふっくりと沈んで、山のすその、えんに迫って萌葱もえぎなれば、あまさが蚊帳かやの外に、たれ待つとしもなき二人、けぶらぬ火鉢のふちかけて、ひらひらとちょうが来る。

御堂おどうの中では何んとなく気もあらたまります。でお茶をお入れ下すった上のお話じゃ、結構けっこう過ぎますほどですが、あの歌に分れて来たので、何んだかなごりおし心持こころもちもします。」

「けれども、石段だけも、婀娜あだ御本尊ごほんぞんへはみちが近うなってございますから、はははは。

 じつところ仏の前では、何かわたくしが自分に懺悔ざんげでもしまするようで心苦しい。でありますと大きにくつろぐでございます。

 師のかげを七しゃく去るともうなまけの通りで、困ったものでありますわ。

 そこで客人でございます。──

 日頃のお話ぶり、行為おこない御容子ごようすな、」

「どういう人でした。」

「それは申しますまい。私も、盲目めくら垣覗かきのぞきよりもそッと近い、机覗つくえのぞきで、読んでおいでなさった、書物しょもつなどの、お話もうかがって、何をなさる方じゃと言う事も存じておりますが、経文きょうもんに書いてあることさえ、愚昧ぐまい饒舌しゃべると間違います。

 故人をあやまり伝えてもなりませず、何かひょうをやるようにも当りますから、唯々ただただ、かのな、婦人との模様だけ、お物語りしましょうで。

 一日あるひ晩方ばんがた極暑ごくしょのみぎりでありました。浜の散歩から返ってござって、(和尚おしょうさん、ちっと海へ行って御覧なさいませんか。綺麗きれいな人がいますよ。)

(ははあ、どんな、貴下あなた、)

(あの松原の砂路すなじから、小松橋こまつばしを渡ると、急にむこうが遠目金とおめがねめたようにまるい海になって富士ふじの山が見えますね、)

 これは御存じでございましょう。」

「知っていますとも。毎日のように遊びに出ますもの、」

「あの橋の取附とッつきに、松の樹で取廻とりまわして──松原はずッと河を越して広いの林になっておりますな──そして庭を広く取って、大玄関おおげんかんへ石を敷詰しきつめた、素ばらしい門のあるやしきがございましょう。あれが、それ、玉脇たまわき住居すまいで。

 実はあのほうを、東京のかたがなさる別荘を真似まねて造ったでありますが、主人が交際つきあいずきでしきりと客をしまするところ、いずれ海が、何よりの呼物よびものでありますに。この久能谷くのやの方は、ちっ足場あしばが遠くなりますから、すべて、見得装飾みえかざりを向うへ持って参って、小松橋こまつばしが本宅のようになっております。

 そこで、去年の夏頃は、御新姐ごしんぞ。申すまでもない、そちらにいたでございます。

 でその──小松橋を渡ると、急に遠目金とおめがねのぞくようなまるい海の硝子がらすへ──ぱっと一杯にうつって、とき色の服の姿がなみの青いのと、いただきの白い中へ、薄いにじがかかったように、美しくなびいて来たのがある。……

 と言われたは、すなわち、それ、玉脇の……でございます。

 しかし、その時はまだ誰だか本人も御存じなし、聞く方でも分りませんので。どういう別嬪べっぴんでありました、と串戯じょうだんにな、団扇うちわあおぎながら聞いたでございます。

 客人は海水帽を脱いだばかり、まだ部屋へもあがらず、その縁側えんがわに腰をかけながら。

誰方どなたか、とうといくらいでした。)」


十三


大分だいぶ気高く見えましたな。

 客人が言うには、

(二、三げんあいを置いて、おなじような浴衣ゆかたを着た、帯を整然きちんと結んだ、女中と見えるのが附いて通りましたよ。

 ただすれ違いざまに見たんですが、目鼻立ちのはっきりした、色の白いことと、唇のあかさったらありませんでした。

 盛装という姿だのに、海水帽をうつむけにかぶって──近所の人ででもあるように、無造作に見えましたっけ。むこう、そうやって下を見て帽子のひさしで日をけるようにして来たのが、真直まっすぐに前へ出たのと、顔を見合わせて、両方へける時、濃い睫毛まつげからひとみを涼しくみひらいたのが、雪舟せっしゅうの筆を、紫式部むらさきしきぶすずりに染めて、濃淡のぼかしをしたようだった。

 何んとも言えない、美しさでした。

 いや、こういうことをお話します、わたし鳥羽絵とばえているかも知れない。

 さあ、御飯ごはんを頂いて、柄相応がらそうおうに、月夜の南瓜畑とうなすばたけでもまた見に出ましょうかね。)

 爾晩そのばん貴下あなたただそれだけの事で。

 翌日また散歩に出て、同じ時分に庵室あんじつへ帰って見えましたから、わたくし串戯じょうだんに、

(雪舟の筆は如何いかがでござった。)

(今日は曇った所為せいか見えませんでした。)

 それから二、三日って、

(まだお天気が直りませんな。と涼しすぎるくらい、御歩行おひろいにはよろしいが、やはり雲がくれでござったか。)

いや源氏げんじの題に、小松橋こまつばしというのはありませんが、今日はあの橋の上で、)

(それは、おめでたい。)

 などと笑いまする。

(まるで人違いをしたようにいきでした。わたしがこれから橋を渡ろうという時、向うのたもとへ、十二、三をかしらに、十歳とおぐらいのと、七八歳ななやッつばかりのと、男のを三人連れて、その中の小さいのの肩を片手でたたきながら、上からのぞき込むようにして、莞爾にっこりして橋の上へかかって来ます。

 どんな婦人おんなでもうらやましがりそうな、すなおな、ふっさりした花月巻かげつまきで、うす納戸地なんどじに、ちらちらとはだいたような、何んの中形ちゅうがただか浴衣ゆかたがけで、それで、きちんとした衣紋附えもんつき

 でしょう、空色と白とを打合わせの、模様はちょっと分らなかったが、お太鼓たいこに結んだ、白い方が、腰帯に当って水無月みなづきの雪をいたようで、見る目に、ぞッとしてれ違う時、その人は、忘れたなりに手を垂れた、その両手は力なさそうだったが、かすかにぶるぶると肩が揺れたようでした、そばを通った男のに襲われたものでしょう。

 とおすがると、どうしたのか、我を忘れたように、わたしは、あの、低い欄干らんかんへ、腰をかけてしまったんです。抜けたのだなぞと言っては不可いけません。下は川ですから、あれだけの流れでも、おっこちようもんならそれっきりです──ふちや瀬でないだけに、救助船たすけぶねともわめかれず、また叫んだところで、人は串戯じょうだんだと思って、笑って見殺しにするでしょう、およぎを知らないから、)

 と言って苦笑にがわらいをしなさったっけ……それが真実まことになったのでございます。

 どうしたことか、この恋煩こいわずらいに限っては、はたのものは、あはあは、笑って見殺しにいたします。

 わたくしはじめ串戯じょうだん半分、ひやかしかたがた、今日こんにちは例のは如何いかがで、などと申したでございます。

 これは、貴下あなたでもさようでありましょう。」

 されば何んと答えよう、んでた煙草たばこの灰をはたいて、

「ですがな……どうも、これだけは真面目まじめ介抱かいほうは出来かねます。娘がわずらうのだと、乳母うばが始末をする仕来しきたりになっておりますがね、男のは困りますな。

 そんな時、その川で沙魚はぜでも釣っていたかったですね。」

「ははは、これはおかしい。」

 と出家はきょうありげにハタと手を打つ。


十四


「これはおかしい、つりといえばちょうどその時、向うづめの岸にしゃがんで、ト釣っていたものがあったでござる。橋詰はしづめ小店こみせ、荒物をあきなう家の亭主で、身体からだせて引緊ひっしまったには似ない、ふんどしゆるい男で、因果いんがとのべつ釣をして、はだけていましょう、まことにあぶなッかしい形でな。

 渾名あだな一厘土器いちもんかわらけと申すでござる。天窓あたまの真中の兀工合はげぐあいが、宛然さながらですて──川端の一厘土器いちもんかわらけ──これが爾時そのときも釣っていました。

 庵室あんじつの客人が、唯今ただいま申す欄干らんかんに腰を掛けて、おくれ毛越げごしにはらはらとなびいて通る、雪のような襟脚えりあしを見送ると、今、小橋こばしを渡ったところで、中の十歳とお位のがじゃれて、その腰へき着いたので、白魚しらおという指をらして、軽くその小児こどもの背中を打った時だったと申します。

(おぼっちゃま、お坊ちゃま、)

 と大声で呼び懸けて、

手巾ハンケチが落ちました、)と知らせたそうでありますが、くだん土器殿かわらけどのも、えさ振舞ふるまう気で、いきな後姿を見送っていたものと見えますよ。

(やあ、)と言って、十二、三の一番上のが、駈けて返って、橋の上へ落して行った白い手巾ハンケチを拾ったのを、懐中ふところ突込つッこんで、黙ってまた飛んで行ったそうで。小児こどもだから、辞儀じぎ挨拶あいさつもないでございます。

 御新姐ごしんぞが、礼心れいごころで顔だけ振向いて、肩へ、おとがいをつけるように、唇を少し曲げて、そのすずしい目で、じっとこちらを見返ったのが取違えたものらしい。わたくしとこの客人と、ぴったり出会ったでありましょう。

 引込ひきこまれて、はッと礼を返したが、それッきり。御新姐ごしんぞの方は見られなくって、わきを向くと貴下あなた一厘土器いちもんかわらけ怪訝けげん顔色かおつき

 いやもう、しっとり冷汗ひやあせを掻いたと言う事、──こりゃなるほど。きまりがよくない。

 局外はたのものが何んの気もなしに考えれば、愚にもつかぬ事なれど、色気があって御覧ごろうじろ。第一、野良声のらごえの調子ッぱずれの可笑おかしところへ、自分主人でもない余所よそ小児こどもを、坊やとも、あのとも言うにこそ、へつらいがましい、お坊ちゃまは不見識の行止ゆきどまり、申さば器量きりょうを下げた話。

 今一方いまいっぽうからは、右の土器殿かわらけどのにも小恥こっぱずかしい次第でな。他人のしんせつで手柄をしたような、変な羽目になったので。

 御本人、そうとも口へ出して言われませなんだが、それから何んとなくふさぎ込むのが、傍目よそめにも見えたであります。

 四、五日、引籠ひきこもってござったほどで。

 のちに、何もも打明けてわたくしに言いなさった時の話では、しかしまたその間違まちがいえんになって、今度出会った時は、何んとなく両方で挨拶あいさつでもするようになりはせまいか。そうすれば、どんなにかうれしかろう、本望ほんもうじゃ、と思われたそうな。迷いと申すはおそろしい、なさけないものでござる。世間大概たいがいの馬鹿も、これほどなことはないでございます。

 三度目には御本人、」

「また出会ったんですかい。」

 と聞くものも待ち構える。

「今度は反対に、浜の方から帰って来るのと、浜へ出ようとする御新姐ごしんぞと、例の出口の処で逢ったと言います。

 大分もう薄暗くなっていましたそうで……土用どようあけからは、目に立って日がつまりますところへ、一度は一度と、散歩のお帰りが遅くなって、蚊遣かやりでも我慢が出来ず、わたくし蚊帳かやを釣って潜込もぐりこんでから、帰って見えて、晩飯ばんめしももう、なぞと言われるさえ折々の事。

 爾時そのときも、早や黄昏たそがれの、とある、人顔ひとがおおぼろながら月が出たように、見違えないその人と、思うと、男が五人、中に主人もいたでありましょう。婦人おんなただ御新姐ごしんぞ一人、それを取巻く如くにして、どやどやと急足いそぎあしで、浪打際なみうちぎわの方へ通ったが、その人数にんずじゃ、空頼そらだのめの、余所よそながら目礼どころの騒ぎかい、貴下あなた、その五人の男というのが。」


十五


「眉の太い、いかばなのがあり、ひたいの広い、あごとがった、下目しためにらむようなのがあり、仰向あおむけざまになって、頬髯ほおひげの中へ、煙も出さず葉巻を突込つッこんでいるのがある。くるりと尻を引捲ひんまくって、扇子せんすで叩いたものもある。どれも浴衣ゆかたがけの下司げすいが、その中に浅黄あさぎ兵児帯へこおび結目むすびめをぶらりと二尺ぐらい、こぶらのあたりまでぶら下げたのと、緋縮緬ひぢりめん扱帯しごきをぐるぐる巻きに胸高むなだか沙汰さたかぎり。前のは御自分ものであろうが、扱帯しごきの先生は、酒の上で、小間使こまづかいのを分捕ぶんどりの次第らしい。

 これが、不思議に客人の気を悪くして、入相いりあいの浪も物凄ものすごくなりかけた折からなり、あの、赤鬼あかおに青鬼あおおになるものが、かよわい人を冥土めいど引立ひきたててくようで、思いなしか、引挟ひきはさまれた御新姐ごしんぞは、何んとなく物寂ものさびしい、こころよからぬ、滅入めいった容子ようすに見えて、ものあわれに、命がけにでも其奴そいつらの中から救ってりたい感じが起った。家庭の様子もほぼ知れたようで、気がめる、と言われたのでありますが、貴下あなた、これは無理じゃて。

 地獄の絵に、天女が天降あまくだったところを描いてあって御覧なさい。餓鬼がきが救われるようでとうとかろ。

 蛇が、つかわしめじゃと申すのを聞いて、弁財天べんざいてんを、ああ、お気の毒な、さぞお気味が悪かろうと思うものはありますまいに。迷いじゃね。」

 散策子はここに少しく腕組みした。

「しかし何ですよ、女は、自分のれた男が、別嬪べっぴんの女房を持ってると、嫉妬やくらしいようですがね。男は反対です、」

 といささか論ずる口吻くちぶり

「ははあ、」

「男はそうでない。惚れてる婦人おんなが、小野小町花おののこまちのはな大江千里月おおえのちさとのつきという、対句ついく通りになると安心します。

 唯今ただいまの、その浅黄あさぎ兵児帯へこおび緋縮緬ひぢりめん扱帯しごきと来ると、と考えねばならなくなる。耶蘇教やそきょうの信者の女房が、しゅキリストと抱かれて寝た夢を見たと言うのを聞いた時の心地こころもちと、回々教フイフイきょう魔神ましんになぐさまれた夢を見たと言うのを聞いた時の心地こころもちとは、きっとそれは違いましょう。

 どっちみちうれしくない事は知れていますがね、前のは、ず先ずと我慢が出来る、あとのは、堪忍かんにんがなりますまい。

 まあ、そんな事はいて、何んだってまた、そう言う不愉快な人間ばかりがその夫人を取巻いているんでしょう。」

「そこは、玉脇たまわきがそれくわつかつえいて、ぼろ半纏ばんてんひっくるめの一件で、ああって大概たいがいな華族も及ばん暮しをして、交際にかけては銭金ぜにかねおしまんでありますが、なさけない事には、遣方やりかた遣方やりかたゆえ、身分、名誉ある人はよッつきませんで、悲哉かなしいかなその段は、如何いかがわしい連中ばかり。」

「お待ちなさい、なるほど、そうするとその夫人と言うは、どんな身分の人なんですか。」

 出家はあらためて、打頷うちうなずき、かつしわぶきして、

「そこでございます、御新姐ごしんぞはな、年紀としは、さて、たれが目にも大略たいりゃくは分ります、先ず二十三、四、それとも五、六かと言うところで、」

「それで三人の母様おっかさん? 十二、三のがかしらですかい。」

いいえ、どれも実子じっしではないでございます。」

「ままッですか。」

「三人とも先妻が産みました。この先妻についても、まず、ひとくさりのお話はあるでございますが、それは余事よじゆえに申さずともよろしかろ。

 二、三年前に、今のを迎えたのでありますが、でありますよ。

 何処どこの生れだか、育ちなのか、誰の娘だか、妹だか、皆目かいもく分らんでございます。貸して、かたに取ったか、出して買うようにしたか。落魄おちぶれた華族のお姫様じゃと言うのもあれば、分散した大所おおどこ娘御むすめごだと申すのもあります。そうかと思うと、はくのついた芸娼妓くろうとに違いないと申すもあるし、えらいのは高等淫売いんばいあがりだろうなどと、はなはだしい沙汰さたをするのがござって、とんと底知れずの池にむ、ぬしと言うもののように、素性すじょうが分らず、ついぞ知ったものもない様子。」


十六


「何にいたせ、わたくしなぞが通りすがりに見懸けましても、何んとも当りがつかぬでございます。勿論また、坊主に鑑定の出来ようはずはなけれどもな。その眉のかかり、目つき、愛嬌あいきょうがあると申すではない。口許くちもとなどもりんとして、世辞せじを一つ言うようには思われぬが、ただ何んとなく賢げに、恋も無常も知り抜いたふうに見える。身体からだつきにも顔つきにも、なさけしたたると言ったさまじゃ。

 恋い慕うものならば、馬士うまかたでも船頭でも、われら坊主でも、無下むげ振切ふりきって邪険じゃけんにはしそうもない、仮令たとえ恋はかなえぬまでも、しかるべき返歌はありそうな。帯の結目むすびめたもとはし何処どこへちょっとさわっても、なさけの露は男の骨を溶解とろかさずと言うことなし、と申す風情ふぜい

 されば、気高いと申しても、天人神女てんにんしんにょおもかげではのうて、姫路ひめじのお天守てんしゅはかまで燈台の下に何やら書をひもどく、それ露がしたたるように婀娜あでなと言うて、水道の水で洗い髪ではござらぬ。人跡じんせき絶えた山中の温泉に、ただ一人雪のはだえを泳がせて、たけに余る黒髪を絞るとかの、それにまして。

 慕わせるより、なつかしがらせるより、一目見た男をする、ちから広大こうだいすくなからず、地獄、極楽、娑婆しゃばも身に附絡つきまとうていそうな婦人おんなしたごうて、罪もむくいも浅からぬげに見えるでございます。

 ところへ、迷うた人の事なれば、浅黄あさぎの帯に扱帯しごきが、牛頭ごず馬頭めず逢魔時おうまがとき浪打際なみうちぎわ引立ひきたててでもくように思われたのでありましょう──わたくしどもの客人が──そういう心持こころもちで御覧なさればこそ、その玉脇たまわきやしきの前をとおりがかり。……

 浜へく町から、横に折れて、背戸口せどぐちを流れる小川の方へ引廻ひきまわした蘆垣あしがきかげから、松林の幹と幹とのなかへ、えりから肩のあたり、くっきりとした耳許みみもと際立きわだって、帯もすそも見えないのが、浮出うきだしたように真中へあらわれて、後前あとさきに、これも肩から上ばかり、爾時そのときは男が三人、ひとならびに松の葉とすれすれに、しばらく桔梗ききょう刈萱かるかやなびくように見えて、段々だんだん低くなって隠れたのを、何か、自分との事のために、離座敷はなれざしきか、座敷牢ざしきろうへでも、送られてくように思われた、後前あとさき引挟ひっぱさんだ三人のおとこの首の、兇悪なのが、たしかにその意味を語っていたわ。もうこれきり、未来までえなかろうかとも思われる、と無理なことを言うのであります。

 さ、これもじゃ、玉脇の家の客人だち、主人まじりに、御新姐ごしんぞが、庭の築山つきやまを遊んだと思えば、それまででありましょうに。

 とうとう表通りだけでは、気が済まなくなったと見えて、まえ申した、その背戸口せどぐち搦手からめてのな、川を一つ隔てた小松原の奥深くり込んで、うろつくようになったそうで。

 玉脇の持地もちじじゃありますが、この松原は、野開のびらきにいたしてござる。中には汐入しおいりの、ちょっと大きな池もあります。一面に青草あおぐさで、これに松のみどりがかさなって、唯今頃ただいまごろすみれ、夏は常夏とこなつ、秋ははぎ真個まこと幽翠ゆうすいところと行らしって御覧ごろうじろ。」

「薄暗い処ですか、」

やぶのようではありません。真蒼まっさおな処であります。本でも御覧なさりながらお歩行あるきには、至極よろしいので、」

「蛇がいましょう、」

 と唐突だしぬけに尋ねた。

「お嫌いか。」

「何とも、どうも、」

いえ、何の因果か、あのくらい世の中に嫌われるものも少のうござる。

 しかし、気をつけて見ると、あれでもしおらしいもので、路端みちばたなどをわれがおしてるところを、人が参って、じっながめて御覧なさい。見返しますがな、極りが悪そうに鎌首かまくびを垂れて、向うむきに羞含はにかみますよ。憎くないもので、ははははは、やはり心がありますよ。」

「心があられてはなお困るじゃありませんか。」

いえ、塩気を嫌うと見えまして、その池のまわりにはちっともおりません。やしきにはこの頃じゃ、そのするような御新姐ごしんぞ留主るすなり、あなはすかすかと真黒まっくろに、足許にはちの巣になっておりましても、かに住居すまい、落ちるような憂慮きづかいもありません。」


十七


「客人は、その穴さえ、白髑髏されこうべの目とも見えたでありましょう。

 池をまわって、川に臨んだ、玉脇の家造やづくりを、何か、御新姐ごしんぞのためには牢獄ででもあるような考えでござるから。

 さて、しおのさしひきばかりで、流れるのではありません、どんより鼠色ねずみいろよどんだ岸に、浮きもせず、沈みもやらず、末始終すえしじゅうは砕けてこいふなにもなりそうに、何時頃いつごろのか五、六本、丸太がひたっているのを見ると、ああ、切組きりくめば船になる。繋合つなぎあわせばいかだになる。しかるに、綱もさおもない、恋のふちはこれで渡らねばならないものか。

 生身いきみでは渡られない。霊魂たましいだけなら乗れようものを。あの、樹立こだちに包まれた木戸きどの中には、その人が、と足を爪立つまだったりなんぞして。

 ちょうの目からも、余りふわふわして見えたでござろう。小松の中をふらつく自分も、何んだかその、肩から上ばかりに、すそも足もなくなった心地、日中ひなかみょう蝙蝠こうもりじゃて。

 懐中かいちゅうから本を出して、

蝋光高懸照紗空ろうこうたかくかかりしゃをてらしてむなし、    花房夜搗紅守宮かぼうよるつくこうしゅきゅう

象口吹香毾㲪ぞうこうこうをふいてとうとうあたたかに、    七星挂城聞漏板しちせいしろにかかってろうばんをきく

寒入罘罳殿影昏さむさふしにいってでんえいくらく、    彩鸞簾額著霜痕さいらんれんがくそうこんをつく

 ええ、何んでもは、けら鉤闌こうらんの下に月に鳴く、文帝ぶんていちょうせられた甄夫人けんふじんが、のちにおとろえて幽閉されたと言うので、鎖阿甄あけんをとざす。とあって、それから、

夢入家門上沙渚ゆめにかもんにいってしゃしょにのぼる、    天河落処長洲路てんがおつるところちょうしゅうのみち

願君光明如太陽ねがわくばきみこうみょうたいようのごとくなれ

 しょうはなて、そうすれば、うおし、波をひらいて去らん、というのを微吟びぎんして、思わず、えりにはらはらと涙が落ちる。目をみはって、その水中の木材よ、いで、浮べ、ひれふって木戸に迎えよ、とにらむばかりにみつめたのでござるそうな。尋常事ただごとでありませんな。

 詩は唐詩選とうしせんにでもありましょうか。」

「どうですか。ええ、何んですって──夢に家門かもんに入って沙渚しゃしょのぼる。たましい沙漠さばくをさまよって歩行あるくようね、天河落処長洲路てんがおつるところちょうしゅうのみち、あわれじゃありませんか。

 それを聞くと、わたしまで何んだか、その婦人が、幽閉されているように思います。

 それからどうしましたか。」

「どうと申して、段々おとがいがこけて、日に増し目がくぼんで、顔の色がいよいよ悪い。

 或時あるとき、大奮発じゃ、と言うて、停車場ていしゃば前の床屋へ、顔をりにかれました。その時だったと申す事で。

 頭を洗うし、久しぶりで、ちと心持こころもちさわやかになって、ふらりと出ると、田舎いなかには荒物屋あらものやが多いでございます、紙、煙草たばこ蚊遣香かやりこう、勝手道具、何んでも屋と言った店で。床店とこみせ筋向すじむこうが、やはりその荒物店あらものみせでありますところ戸外おもてへは水を打って、のき提灯ちょうちんにはまだ火をともさぬ、溝石みぞいしから往来へ縁台えんだいまたがせて、差向さしむかいに将棊しょうぎっています。はし附木つけぎ、おさだまりの奴で。

 用なしの身体からだゆえ、客人が其処そこへ寄って、路傍みちばたに立って、両方ともやたらに飛車ひしゃかく取替とりかえこ、ころりころり差違さしちがえるごとに、ほい、ほい、と言う勇ましい懸声かけごえで。おまけに一人の親仁おやじなぞは、媽々衆かかしゅう行水ぎょうずいの間、引渡ひきわたされたものと見えて、小児こどもを一人胡坐あぐらの上へ抱いて、雁首がんくび俯向うつむけにくわ煙管ぎせる

 でくわえたまんま、待てよ、どっこい、と言うたびに、煙管きせる打附ぶつかりそうになるので、抱かれたは、親仁より、余計にひたいしわを寄せて、雁首がんくびねらって取ろうとする。火は附いていないから、火傷やけどはさせぬが、夢中で取られまいと振動ふりうごかす、小児こどもは手を出す、飛車をげる。

 よだれを垂々たらたらと垂らしながら、しめた! とばかり、やにわに対手あいて玉将たいしょう引掴ひッつかむと、大きな口をへの字形じなりに結んで見ていたあかがおで、脊高せいたかの、胸の大きい禅門ぜんもんが、鉄梃かなてこのような親指で、いきなり勝った方の鼻っぱしらをぐいとつかんで、えらいぞ、と引伸ひんのばしたとおぼし召せ、ははははは。」


十八


「大きな、ハックサメをすると煙草たばこを落した。おでここッつりで小児こどもは泣き出す、負けた方は笑い出す、よだれと何んかと一緒でござろう。鼻をつまんだ禅門ぜんもん苦々にがにがしき顔色がんしょくで、指を持余もてあました、塩梅あんばいな。

 これを機会しおに立去ろうとして、振返ると、荒物屋と葭簀よしず一枚、隣家りんかに合わせの郵便局で。其処そこ門口かどぐちから、すらりと出たのが例のその人。汽車が着いたと見えて、馬車、車がらがらと五、六台、それを見に出たものらしい、郵便局の軒下のきしたから往来を透かすようにした、目が、ばったり客人と出逢ったでありましょう。

 心ありそうに、そうすると直ぐに身を引いたのが、隔ての葭簀よしずの陰になって、顔を背向そむけもしないで、其処そこ向直むきなおってこっちを見ました。

 軒下の身を引く時、目でひきつけられたような心持ここちがしたから、こっちもまた葭簀越よしずごしに。

 爾時そのときは、総髪そうはつ銀杏返いちょうがえしで、珊瑚さんご五分珠ごぶだま一本差いっぽんざし、髪の所為せいか、いつもより眉が長く見えたと言います。浴衣ゆかたながら帯には黄金鎖きんぐさりを掛けていたそうでありますが、揺れてその音のするほど、こっちをすかすのに胸を動かした、顔がさ、葭簀よしずを横にちらちらとかすみを引いたかと思う、これにめくるめくばかりになって、思わずちょっと会釈えしゃくをする。

 向うも、伏目ふしめ俯向うつむいたと思うと、リンリンと貴下あなた、高く響いたのは電話の報知しらせじゃ。

 これを待っていたでございますな。

 すぐに電話口へ入って、姿は隠れましたが、浅間あさまゆえ、よく聞える。

(はあ、わたし。あなた、あんまりですわ。あんまりですわ。どうして来て下さらないの。うらんでいますよ。あの、あなた、も寝られません。はあ、夜中に汽車のつくわけはありませんけれども、それでも今にもね、来て下さりはしないかと思って。

 私の方はね、もうね、ちょいと……どんなに離れておりましても、あなたの声はね、電話でなくっても聞えます。あなたには通じますまい。

 どうせ、そうですよ。それだって、こんなにお待ち申している、私のためですもの……気をかねてばかりいらっしゃらなくてもよろしいわ。ちっとは不義理、いえ、父さんやお母さんに、不義理と言うこともありませんけれど、ね、私は生命いのちかけて、きっとですよ。今夜にも、寝ないでお待ち申しますよ。あ、あ、たんと、そんなことをお言いなさい、どうせ寝られないんだからうございます。うらみますよ。夢にでもお目にかかりましょうねえ、いいえ、待たれない、待たれない……)

 おみちか、おみつか、女の名前。

(……みいちゃん、さようなら、夢で逢いますよ。)──

 きりきりと電話を切ったて。」

「へい、」

 と思わず聞惚ききとれる。

「その日は帰ってから、えらい元気で、わたしはそれ、涼しさやと言ったの通り、えんから足をぶら下げる。客人は其処そこ井戸端いどばたきます据風呂すえぶろに入って、湯をつかいながら、露出むきだしの裸体談話はだかばなし

 そっちと、こっちで、高声たかごえでな。もっと隣近所となりきんじょはござらぬ。かけかまいなしで、電話の仮声こわいろまじりか何かで、

(やあ、和尚おしょうさん、梅の青葉から、湯気ゆげの中へ糸を引くのが、月影に光って見える、蜘蛛くもが下りた、)

 と大気燄だいきえんじゃ。

万歳々々ばんざいばんざい、今夜おしのびか。)

勿論もちろん、)

 と答えて、頭のあたりをざぶざぶと、あおいで天にじざる顔色かおつきでありました。が、日頃のおこないから察して、如何いかに、思死おもいじにをすればとて、いやしくもぬしある婦人に、そういう不料簡ふりょうけんを出すべきじんでないと思いました、果せるかな

 冷奴ひややっこ紫蘇しその実、白瓜しろうりこうもので、わたくし取膳とりぜんの飯をあがると、帯をめ直して、

(もう一度そこいらを。)

 いや、これはと、ぎょっとしたが、かきの外へ出られた姿は、海の方へはかないで、それ、その石段を。」

 一面の日当りながら、ちょうの動くほど、山の草に薄雲が軽くなびいて、のきからすかすと、峰の方は暗かった、余りあたたかさが過ぎたから。


十九


 降ろうも知れぬ。日向ひなたへ蛇が出ている時は、雨を持つという、来がけに二度まで見た。

 で、雲がかぶって、空気が湿しめった所為せいか、笛太鼓ふえたいこ囃子はやしの音が山一ツ越えた彼方かなたと思うあたりに、かえるすだくように、遠いが、手に取るばかり、しかも沈んでうつつの音楽のように聞えて来た。もや蝋管ろうかんの出来た蓄音器ちくおんきの如く、かつはるかに響く。

 それまでも、何かそれらしい音はしたが、極めて散漫で、何の声ともまとまらない。村々のしとみ、柱、戸障子としょうじ、勝手道具などが、日永ひながに退屈して、のびを打ち、欠伸あくびをする気勢けはいかと思った。いまだ昼前だのに、──時々牛の鳴くのが入交いりまじって──時に笑いきょうずるような人声も、動かない、静かに風に伝わるのであった。

 フト耳を澄ましたが、直ぐに出家のことばになって、

大分だいぶ町の方がにぎわいますな。」

「祭礼でもありますか。」

「これは停車場ていしゃば近くにいらっしゃるとうけたまわりましたに、つい御近所でございます。

 停車場の新築びらき。」

 如何いかにも一月ひとつきばかり以前から取沙汰とりさたした今日は当日。規模を大きく、建直たてなおした落成式、停車場ステイションに舞台がかかる、東京から俳優やくしゃが来る、村のものの茶番がある、もちく、昨夜も夜通し騒いでいて、今朝けさ来がけの人通りも、よけて通るばかりであったに、はたと忘れていたらしい。

「まったくお話しに聞惚ききとれましたか、こちらがさとはなれて閑静な所為せいか、ちっとも気がつかないでおりました。実は余り騒々そうぞうしいので、そこをげて参ったのです。しかし降りそうになって来ました。」

 出家のひたい仰向あおむけにひさしくぐって、

「ねんばり一湿ひとしめりでございましょう。地雨じあめにはなりますまい。なあに、また、雨具もござる。芝居を御見物の思召おぼしめしがなくば、まあ御緩ごゆっくりなすって。

 あの音もさ、面白可笑おもしろおかしく、こっちも見物に参る気でもござると、じっと落着いてはいられないほど、浮いたものでありますが、さてこう、かけかまいなしに、遠ざかっておりますと、世を一ツ隔てたように、寂しい、陰気な、妙な心地ここちがいたすではありませんか。」

真箇まったくですね。」

「昔、井戸を掘ると、の下にいぬにわとりの鳴く、人声、牛車ぎゅうしゃきしる音などが聞えたという話があります。それに似ておりますな。

 峠から見る、霧の下だの、やみ浪打際なみうちぎわ、ぼうとあかりうつところだの、かように山の腹を向うへ越したの裏などで、聞きますのは、おかしく人間業にんげんわざでないようだ。夜中に聞いて、狸囃子たぬきばやしと言うのも至極でございます。

 いや、それに、つきまして、お話の客人でありますが、」

 と、茶を一口急いで飲み、さしおいて、

「さて今申した通り、夜分にこの石段をのぼってかれたのでありまして。

 しかしこれはじょうに激して、発奮はずんだ仕事ではなかったのでございます。

 こうやって、この庵室あんじつに馴れました身には、石段はつい、かよ廊下ろうかを縦に通るほどな心地ここちでありますからで。客人は、堂へかれて、はしら板敷いたじきへひらひらと大きくさす月の影、海のはてには入日いりひの雲が焼残やけのこって、ちらちら真紅しんくに、黄昏たそがれ過ぎの渾沌こんとんとした、水も山もただ一面の大池の中に、その軒端のきばる夕日の影と、消え残る夕焼の雲のきれと、紅蓮ぐれん白蓮びゃくれん咲乱さきみだれたような眺望ながめをなさったそうな。これで御法みのりの船に同じい、御堂おどうえんを離れさえなさらなかったら、海におぼれるようなことも起らなんだでございましょう。

 ここ希代きたいな事は──

 堂の裏山の方で、しきりに、その、笛太鼓ふえたいこ囃子はやしが聞えたと申す事──

 唯今ただいま、それ、聞えますな。あれ、あれとは、まるで方角は違います。」

 と出家は法衣ころもでずいと立って、ひさしから指を出して、御堂みどうの山を左のかたへぐいと指した。立ち方の唐突だしぬけなのと、急なのと、目前めさきふさいだ墨染すみぞめに、一天いってんするすみを流すかと、そでは障子を包んだのである。


二十


「堂の前を左に切れると、空へ抜いた隧道トンネルのように、両端りょうはしから突出つきでましたいわの間、樹立こだちくぐって、裏山へかかるであります。

 両方たに、海のかたは、山が切れて、真中まんなかみちを汽車が通る。一方は一谷ひとたに落ちて、それからそれへ、山また山、次第に峰が重なって、段々くもきりが深くなります。処々ところどころ、山の尾が樹の根のようにあつまって、広々とした青田あおたかかえたところもあり、炭焼小屋を包んだ処もございます。

 其処そこで、この山伝いの路は、がけの上を高い堤防つつみく形、時々、島や白帆しらほの見晴しへ出ますばかり、あとは生繁おいしげって真暗まっくらで、今時は、さまでにもありませぬが、草が繁りますと、分けずには通られません。

 谷にはうぐいす、峰には目白めじろ四十雀しじゅうからさえずっているところもあり、紺青こんじょういわの根に、春はすみれ、秋は竜胆りんどうの咲くところ山清水やましみずがしとしととこみち薬研やげんの底のようで、両側の篠笹しのざさまたいで通るなど、ものの小半道こはんみち踏分ふみわけて参りますと、其処そこまでが一峰ひとみねで。それからがけになって、ぐんが違い、海のおもむきもかわるのでありますが、そのがけの上に、たとえて申さば、この御堂みどうと背中合わせに、山の尾へっかかって、かれこれ大仏だいぶつぐらいな、石地蔵いしじぞう無手むず胡坐あぐらしてござります。それがさ、石地蔵と申し伝えるばかり、よほどのあら刻みで、まず坊主形ぼうずなり自然石じねんせきと言うてもよろしい。妙に御顔おかおの尖がった処が、拝むとすごうござってな。

 堂は形だけ残っておりますけれども、勿体もったいないほど大破たいはいたして、そっと参ってもゆかなぞずぶずぶと踏抜ふみぬきますわ。屋根も柱も蜘蛛くもの巣のように狼藉ろうぜきとして、これはまた境内けいだいへ足の入場いればもなく、がけへかけて倒れてな、でも建物があった跡じゃ、見霽みはらしの広場になっておりますから、これから山越やまごしをなさるかたが、うっかり其処そこへござって、唐突だしぬけ山仏やまほとけきもつぶすと申します。

 其処そこを山続きのとまりにして、向うへ降りるみちは、またこの石段のようなものではありません。わずかの間も九十九折つづらおりの坂道、けわしい上に、なまじっか石を入れたあとのあるだけに、爪立つまだって飛々とびとびりなければなりませんが、この坂の両方に、五百体千体と申す数ではない。それはそれは数え切れぬくらい、いずれも一尺、一尺五寸、御丈おんたけ三尺というのはない、小さな石仏いしぼとけがすくすく並んで、最も長い年月ねんげつ路傍みちばたへ転げたのも、倒れたのもあったでありましょうが、さすがにまたぐものはないと見えます。もたれなりにもくしの歯のようにそろってあります。

 これについて、何かいわれのございましたことか、一々いちいち女の名と、亥年いどし午年うまどし、幾歳、幾歳、年齢とがりつけてございましてな、何時いつの世にか、諸国の婦人おんなたちが、こぞって、心願しんがんめたものでございましょう。ところで、雨露あめつゆ黒髪くろかみしもと消え、そですそこけと変って、影ばかり残ったが、おかおの細くとがったところ、以前は女体にょたいであったろうなどという、いや女体の地蔵というはありませんが、さてそう聞くと、なお気味が悪いではございませんか。

 ええ、つかぬことを申したようでありますが、客人の話について、と考えました事がござる。客人は、それ、その山路やまみちかれたので──この観音かんおん御堂みどうを離れて、」

「なるほど、その何んとも知れない、石像の処へ、」

 と胸を伏せて顔を見る。

「いやいや、其処そこまでではありません。ただその山路へ、堂の左の、巌間いわまを抜けて出たものでございます。

 トいうのが、手に取るように、はやしの音が聞えたからで。

 きその谷間たにあいの村あたりで、騒いでいるように、トントンと山腹へ響いたと申すのでありますから、ちょっと裏山へ廻りさえすれば、足許に瞰下みおろされますような勘定かんじょうであったので。客人は、高いところから見物をなさる気でござった。

 入りくちはまだ月のたよりがございます。樹の下を、草を分けて参りますと、処々ところどころ窓のように山が切れて、其処そこから、松葉掻まつばかき、枝拾い、じねんじょ穿ほりが谷へさして通行する、下の村へ続いたみちのある処が、あっちこっちにいくらもございます。

 それへ出ると、何処どこでも広々と見えますので、最初左の浜庇はまびさし、今度は右のかやの屋根と、二、三箇処がしょ、その切目きれめへ出て、のぞいたが、何処どこにも、祭礼まつりらしい処はない。海はあかるく、谷はけぶって。」


二十一


「けれども、その囃子はやしの音は、くさ一叢ひとむら樹立こだち一畝ひとうね出さえすれば、き見えそうに聞えますので。二足ふたあし三足みあし五足いつあし十足とあしになって段々深く入るほど──まで来たのに見ないで帰るも残惜のこりおしい気もする上に、何んだか、もとへ帰るより、前へ出る方がみちあかるいかと思われて、急足いそぎあしになると、路も大分だいぶんのぼりになって、ぐいと伸上のびあがるように、思い切って真暗まっくらな中を、草をむしって、身を退いて高いところへ。ぼんやり薄明るく、地ならしがしてあって、心持こころもち、墓地の縄張なわばりの中ででもあるような、たいらな丘の上へ出ると、月は曇ってしまったか、それとも海へ落ちたかという、一方は今来たみちで向うはがけ、谷か、それとも浜辺かは、判然せぬが、そこ一面いちめんもやがかかって、その靄に、ぼうと遠方の火事のような色がうつっていて、かがりでもいているかと、そこんで赤く見える、そのあたりに、太鼓たいこが聞える、笛も吹く、ワアという人声がする。

 如何いかにもにぎやかそうだが、さて何処どことも分らぬ。客人は、その朦朧もうろうとしたいただきに立って、さかいは接しても、美濃みの近江おうみ、人情も風俗も皆違う寝物語の里の祭礼まつりを、で見るかと思われた、と申します。

 その上、宵宮よみやにしてはにぎやか過ぎる、大方本祭ほんまつり それで人の出盛でさかりが通り過ぎた、よほど夜更よふけらしい景色にながめて、しばらく茫然ぼうぜんとしてござったそうな。

 ト何んとなく、こころさびしい。みちもよほど歩行あるいたような気がするので、うっとり草臥くたびれて、もう帰ろうかと思う時、その火気かきを包んだもやが、こう風にでも動くかと覚えて、谷底から上へ、すそあがりに次第に色がうなって、向うの山かけて映る工合ぐあいき目の前で燃している景色──もっともやに包まれながら──

 そこで、何か見極みきわめたい気もして、その平地ひらち真直まっすぐくと、まず、それ、山の腹がのぞかれましたわ。

 これはしたり! 祭礼まつり谷間たにまの里からかけて、がそのとまりらしい。見たところで、薄くなって段々に下へ灯影ひかげが濃くなって次第ににぎやかになっています。

 やはり同一おんなじようなたいらな土で、客人のござる丘と、向うの丘との中にの形になった場所。

 爪尖つまさきすべらず、しずか安々やすやすと下りられた。

 ところが、の形の、一方はそれ祭礼まつりに続く谷のみちでございましょう。その谷の方に寄った畳なら八畳ばかり、油が広くにじんだていに、草がすっぺりと禿げました。」

 といいかけて、出家は瀬戸物せとものの火鉢を、えんの方へ少しずらして、俯向うつむいて手で畳を仕切った。

「これだけな、赤地あかじの出た上へ、何かこうぼんやりうずくまったものがある。」

 ト足を崩してとかくして膝に手を置いた。

 思わず、かたを見た散策子は、雲のやや軒端のきばに近く迫るのを知った。

「手を上げて招いたと言います──ゆったりと──くともなしに前へ出て、それでもあいだ二、三げんへだたって立停たちどまって、見ると、そのうずくまったものは、顔も上げないで俯向うつむいたまま、股引ももひきようのものを穿いている、草色くさいろの太い胡坐あぐらかいた膝の脇に、差置さしおいた、拍子木ひょうしぎを取って、カチカチと鳴らしたそうで、その音が何者か歯を噛合かみあわせるように響いたと言います。

 そうすると、」

「はあ、はあ、」

「薄汚れた帆木綿ほもめんめいた破穴やれあなだらけの幕がいたて、」

「幕が、」

「さよう。向う山の腹へ引いてあったが、やはりもやに見えていたので、そのものの手に、綱が引いてあったと見えます、うずくまったままで立ちもせんので。

 くぼんだ浅い横穴じゃ。大きかったといいますよ。正面に幅一けんばかり、もっとも、この辺にはちょいちょいそういうのを見懸けます。背戸せどに近い百姓屋などは、漬物桶つけものおけを置いたり、青物をけて重宝ちょうほうがる。で、幕を開けたからにはそれが舞台で。」


二十二


「なるほど、そう思えば、舞台の前に、木の葉がばらばらとちらばった中へまじって、投銭なげせんが飛んでいたらしく見えたそうでございます。

 幕がいた──と、まあ、言うていでありますが、さてただ浅い、ひらったい、くぼみだけで。何んのかざりつけも、道具だてもあるのではござらぬ。何か、身体からだもぞくぞくして、余り見ていたくもなかったそうだが、自分を見懸けて、はじめたものを、他に誰一人いるではなし、今更いまさら帰るわけにもなりませんような羽目になったとか言って、懐中かいちゅう紙入かみいれに手を懸けながら、茫乎ぼんやり見ていたと申します。

 また、陰気な、湿しめっぽいおんで、コツコツと拍子木ひょうしぎ打違ぶっちがえる。

 やはりそのものの手から、ずうと糸がつながっていたものらしい。舞台の左右、山の腹へ斜めにかかった、一幅ひとはばの白いもやが同じく幕でございました。むらむらと両方から舞台際ぶたいぎわへ引寄せられると、煙がうずまくように畳まれたと言います。

 不細工ながら、窓のように、箱のように、黒い横穴が小さく一ツずつ三十五十と一側並ひとかわならべに仕切ってあって、その中に、ずらりと婦人おんなが並んでいました。

 坐ったのもあり、立ったのもあり、片膝かたひざ立てたじだらくな姿もある。長襦袢ながじゅばんばかりのもある。頬のあたりに血のたれているのもある。縛られているのもある、一目ひとめ見たが、それだけで、遠くの方は、小さくなって、かすかになって、ただ顔ばかり谷間たにま白百合しろゆりの咲いたよう。

 慄然ぞっとして、げもならないところへ、またコンコンと拍子木ひょうしぎが鳴る。

 すると貴下あなた、谷の方へ続いた、その何番目かの仕切の中から、ふらりと外へ出て、一人、小さな婦人おんなの姿が、音もなく歩行あるいて来て、やがてその舞台へあがったでございますが、其処そこへ来ると、なみの大きさの、しかも、すらりとした脊丈せたけになって、しょんぼりした肩の処へ、こう、おとがいをつけて、じっと客人の方を見向いた、その美しさ!

 まさしく玉脇の御新姐ごしんぞで。」


二十三


寝衣ねまきにぐるぐると扱帯しごきを巻いて、しものような跣足はだし、そのまま向うむきに、舞台の上へ、崩折くずおれたように、ト膝を曲げる。

 カンと木を入れます。

 くぎづけのようになって立窘たちすくんだ客人の背後うしろから、背中をって、ずッと出たものがある。

 黒い影で。

 見物がにもいたかと思う、とそうではない。その影が、よろよろと舞台へ出て、御新姐ごしんぞと背中合わせにぴったり坐ったところで、こちらを向いたでございましょう、顔を見ると自分です。」

「ええ!」

「それが客人御自分なのでありました。

 で、わたくしへお話に、

真個ほんとうなら、其処そこで死ななければならんのでした、)

 と言って歎息たんそくして、真蒼まっさおになりましたっけ。

 どうするか、見ていたかったそうです。勿論もちろん、肉はおどり、血はいてな。

 しばらくすると、その自分が、やや身体からだじ向けて、惚々ほれぼれ御新姐ごしんぞの後姿を見入ったそうで、指のさきで、薄色の寝衣ねまきの上へ、こう山形に引いて、下へ一ツ、を書いたでございますな、三角を。

 見ている胸はヒヤヒヤとして冷汗がびっしょりになる。

 御新姐ごしんぞただ首垂うなだれているばかり。

 今度は四角、□、を書きました。

 その男、すなわち客人御自分が。

 御新姐ごしんぞの膝にかけた指のさきが、わなわなと震えました……とな。

 三度目に、○、まるいものを書いて、線のはしがまとまる時、さっと地を払って空へえぐるような風が吹くと、谷底のの影がすっきりえて、あざやかに薄紅梅うすこうばい。浜か、海の色か、と見る耳許みみもとへ、ちゃらちゃらと鳴ったのは、投げ銭との葉のれ合う音で、くるくると廻った。

 気がつくと、四、五人、山のように背後うしろから押被おっかぶさって、何時いつにかに見物が出来たて。

 爾時そのとき御新姐ごしんぞの顔の色は、こぼれかかったつややかなおくれ毛をいて、一入ひとしお美しくなったと思うと、あのその口許くちもと莞爾にっこりとして、うしろざまにたよたよと、男の足にせなかをもたせて、膝を枕にすると、黒髪が、ずるずると仰向あおむいて、真白まっしろな胸があらわれた。その重みで男も倒れた、舞台がぐんぐんずりさがって、はッと思うともとの土。

 峰から谷底へかけてどっと声がする。そこから夢中で駈け戻って、蚊帳かやに寝たわたくしすがりついて、

(水を下さい。)

 と言うて起された、が、身体中からだじゅうきずだらけで、夜露にずぶぬれであります。

 それからあかつきかけて、一切の懺悔話ざんげばなし

 翌日あくるひ一日いちにち寝てござった。ひるすぎに女中が二人ついて、この御堂みどうへ参詣なさった御新姐ごしんぞの姿を見て、私はあわてて、客人に知らさぬよう、暑いのに、貴下あなた、この障子を閉切しめきったでございますよ。

 以来、あの柱に、うたゝの歌がありますので。

 客人はあと二、三日、石の唐櫃からびつこもったように、われと我を、手足も縛るばかり、つつしんで引籠ひきこもってござったし、わたくしもまた油断なく見張っていたでございますが、貴下あなたいささか目を離しましたわずかひまに、何処どこか姿が見えなくなって、木樵きこりが来て、点燈頃ひともしごろ

わし、今、来がけに、彼処あすこさ、じゃ矢倉やぐらで見かけたよ、)

 と知らせました。

 客人はまたその晩のような芝居が見たくなったのでございましょう。

 死骸しがいは海で見つかりました。

 じゃ矢倉やぐらと言うのは、この裏山の二ツ目のすそに、水のたまった、むかしからある横穴で、わッというと、おう──と底知れず奥の方へ十里も広がって響きます。水は海まで続いていると申伝もうしつたえるでありますが、如何いかがなものでございますかな。」

 雨が二階家にかいやの方からかかって来た。音ばかりして草も濡らさず、裾があって、みちかようようである。美人たおやめれいさそわれたろう。雲の黒髪くろかみ桃色衣ももいろぎぬ菜種なたねの上をちょうを連れて、庭に来て、陽炎かげろうと並んで立って、しめやかに窓をのぞいた。

底本:「春昼・春昼後刻」岩波文庫

   1987(昭和62)年416日第1刷発行

   1999(平成11)年75日第19刷発行

底本の親本:「鏡花全集 第十卷」岩波書店

   1940(昭和15)年5

初出:「新小説」

   1906(明治39)年11

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:小林繁雄

校正:平野彩子、土屋隆

2006年718日作成

2011年227日修正

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