祖母そぼ
楠山正雄



      一 青めがね


 一雄かずおは小学校へ行くようになって、やっと一月立つか立たないうちに、ふと眼病をわずらって、学校を休まなければならなくなりました。

 それから毎日、一雄はお医者さまからくれた青い眼がねをかけて、おばあさんと二人──まだ電車のない時分でしたから──合乗あいのり人力じんりきで、眼科の病院へ通いました。

「食べものに気をつけて上げて下さい。この子の眼は大たい胃腸のわるいせいなのだから。」

 お医者さまはこうおばあさんにいいました。

「白い身の魚ぐらいに、なるべくおかゆがよろしい。」

 二三日はお粥もめずらしかったし、おばあさんが三度々々小さなおなべてくれるはんぺんやおいもがどんなにおいしかったでしょう。青い眼がねをかけて食べると、何もかも青く青く見えました。

「青いな、青いな、何を食べても青いや。」

 一雄はおもしろがって、おぜんの上をはしで突ッつきまわしていました。ちょうど梅雨つゆの時分で、お天気のわるい日がよくつづきました。そのうち毎日雨ばかり降るようになりました。

 一雄の気分がだんだん重苦しくなって、眼の奥がしくしく痛む日がつづきました。青い眼がねで何かを見るのが、うっとうしく、じれったくって、悲しくなるほど不愉快でした。

 食物たべものききらいをいう、というよりは、あれもいや、これもいや、のべつに「いや、いや」とばかり、一雄はいいつづけていました。

「僕、何でも青くって食べてもうまくないんだもの。」

「じゃあ御膳ごぜんの時だけ眼がねをお取り。」とおばあさんはいいました。

 眼がねを取っても、しばらくはやはり何かが青く見えました。やっと白い光に慣れると、こんどはまぶしくって、眼にしみるようなはげしい痛みを感じました。

「やはり眼がねをかけなければだめなんだよ、おばあさん。」

 あんまり一雄が何も食べないので、おばあさんは心配して、瀬戸物やから小さな瀬戸物の玉子焼鍋たまごやきなべを買って来ました。

 このお鍋の形が大へん一雄を喜ばせました。

「これなんにするの、おばあさん。」

「玉子をやくのだよ。」

「こんなもので焼くの、おもしろいなあ。」

「これで玉子焼をこしらえてあげるが、食べるかい。」

「ああ。」

 いつもになく一雄が食べたそうな様子をしているので、おばあさんはどんなに喜んだでしょう。

 その日の夕方ゆうがた、一雄が茶の間のすみっこで、いつまでかかってもほんとうに出来ない積木細工つみきざいくのおうちを建てたり、こわしたりしているに、おばあさんはせっせと玉子焼のしたくにかかっていました。

 明りがついて、お膳が出ると新調の可愛かあいらしい玉子焼のお鍋が、一雄の小さなお膳の上にのっていました。

「ほら、あけてごらん、それはおいしそうに出来たから。」

 一雄が瀬戸物のふたをあけると、ぷんとやわらかな少し焦げくさい、旨そうなにおいが立ちました。

「まだあついかしら。」

 こういいながら、めずらしくにっこりして、一雄は玉子焼の中に箸を突ッ込みました。

 おばあさんもにこにこしながら、

「ああ、ゆっくり、たんとおあがりよ。」といいました。

 でも一口ひとくち、玉子焼を口にほおばると、一雄は急にいやな顔をして、すぐはき出してしまいました。

「ああ、臭い、僕いやだこれ、お酒くさいから。」

 一雄は泣き出しそうな顔をしていました。

「おし、おし。いやなら上げないから。」

 おばあさんはこういって、いきなり玉子焼のお鍋をとり上げて、中身をそっくりお庭に投げててしまいました。ちょうど通りかかったポチが見つけてみんな食べてしまいました。

 なぜおばあさんがこんなにおこったのか、一雄にはわかりませんでした。おばあさんもなぜそんなに腹が立つのか、自分でもわかりませんでした。

 二人はお互いにがっかりして、気の毒になって、このおばあさんと、孫とは、別々の心持でしくしく泣き出しました。

 二人の半日楽しみにして待設まちもうけた晩御飯はめちゃめちゃになりました。

 おばあさんはお酒の好きな人でした。せっかく孫の口をうまくしようと思って入れた幾滴かのお酒が、まるっきり予期しない反対の結果を生んだのでした。それを知って、一雄は余計悲しくなりました。


      二 花ガルタ


 一雄の家に奉公していた小僧で、器用にをかく子がありました。

 ある日この子は大きなとりの紙をどこからか買って来て、綺麗きれいにボール紙にりつけて、四十八に割った細いけい縦横たてよこに引いて、その一つ一つの目に、十二カ月の花や木の細かい画を上手じょうずにかきはじめました。

 一雄はどんなにそれが欲しかったでしょう。

貞吉ていきち、貞吉、出来たらおくれ、ね。」

 貞吉というのは、小僧の名でした。

「でもこれはまだほんとうに出来上できあがっていないんですからね、すっかり出来あがったら上げましょう。」

「だっていつのことだか知れないじゃないか、いいからそれをおくれよ。」

「だめですよ、まだ彩色さいしきもしてないし……」

「いいよ、彩色なんか僕自分でするから。」

「そんなわがままをおっしゃってはいけません。あなたに彩色ができるものですか。」

「できらい、できらい。おくれってばよう。」

 貞吉はそれでも手離そうとはしませんでした。書きのこした桜の花や、鳥のの手入れに夢中になっていました。一雄は、とてもだめだと思うと、おどかしの積りでしくしくしました。そのうちほんとうに悲しくなって、おいおい泣きながらお茶の間へけ込んで行きました。

「どうしたの。」

 おばあさんはもう目の色を変えていました。

「貞吉が、貞吉が……くれないんだ。」

 貞吉は茶の間へ呼ばれて、さんざんしかられて、理由わけはなしに、丹精した花ガルタの画を、半できのまま取上げられてしまいまいた。美しくえがかれた梅や牡丹ぼたんや菊や紅葉もみじの花ガルタは、その晩から一雄の六いろの色鉛筆で惜しげもなくいろどられてしまいました。

 明くる日の朝、赤や青や黄に醜く塗りつぶされて見るかげもなくなっている貞吉の花ガルタは、もう一度一雄のはさみでめちゃめちゃに切りこまざかれて、縁側から庭に落ち散っていました。

「まあこんなに紙屑かみくずをお出しになって、ぼつちゃんはいけませんね。」

 その昼すぎ、女中のきよはぶつぶついいながら、掃き出していました。たった一枚松につるの絵のカルタが、縁先の飛石とびいしの下にはさまったまま、そののちしばらく、雨風にさらされていました。一雄はその日からもう花ガルタのことを思い出しませんでした。

 十日ばかりあとのことでした。一雄は縁先で遊んでいる内ふと見る気もなしに石の間に挿まって、皮がげてボール紙ばかりになっているカルタを一枚見つけました。急に花ガルタが惜しくなって来ました。

 貞吉はおこっているに違いない、貞吉に悪かった、一雄はそう思って何だか悲しくなりました。

底本:「赤い鳥傑作集 坪田譲治編」新潮文庫、新潮社

   1955(昭和30)年625日発行

   1974(昭和49)年91029刷改版

   1984(昭和59)年101044

初出:「赤い鳥」大正103月号

入力:鈴木厚司

校正:林 幸雄

2001年328日公開

2001年42日修正

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