新版 放浪記
林芙美子



     第一部


     放浪記以前


 私は北九州の或る小学校で、こんな歌を習った事があった。


更けゆく秋の夜 旅の空の

わびしき思いに 一人なやむ

恋いしや古里 なつかし父母


 私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない。父は四国の伊予の人間で、太物ふとものの行商人であった。母は、九州の桜島の温泉宿の娘である。母は他国者と一緒になったと云うので、鹿児島を追放されて父と落ちつき場所を求めたところは、山口県の下関と云うところであった。私が生れたのはその下関の町である。──故郷に入れられなかった両親を持つ私は、したがって旅が古里であった。それ故、宿命的に旅人たびびとである私は、この恋いしや古里の歌を、随分侘しい気持ちで習ったものであった。──八つの時、私の幼い人生にも、暴風が吹きつけてきたのだ。若松で、呉服物の糶売せりうりをして、かなりの財産をつくっていた父は、長崎の沖の天草あまくさから逃げて来た浜と云う芸者を家に入れていた。雪の降る旧正月を最後として、私の母は、八つの私を連れて父の家を出てしまったのだ。若松と云うところは、渡し船に乗らなければ行けないところだと覚えている。

 今の私の父は養父である。このひとは岡山の人間で、実直過ぎるほどの小心さと、アブノーマルな山ッ気とで、人生の半分は苦労で埋れていた人だ。私は母の連れ子になって、この父と一緒になると、ほとんど住家と云うものを持たないで暮して来た。どこへ行っても木賃宿きちんやどばかりの生活だった。「お父つぁんは、家を好かんとじゃ、道具が好かんとじゃ……」母は私にいつもこんなことを云っていた。そこで、人生いたるところ木賃宿ばかりの思い出を持って、私は美しい山河も知らないで、義父と母に連れられて、九州一円を転々と行商をしてまわっていたのである。私がはじめて小学校へはいったのは長崎であった。ざっこく屋と云う木賃宿から、その頃流行のモスリンの改良服と云うのをきせられて、南京ナンキン町近くの小学校へ通って行った。それを振り出しにして、佐世保、久留米、下関、門司、戸畑、折尾おりおと言った順に、四年の間に、七度も学校をかわって、私には親しい友達が一人も出来なかった。

「お父つぁん、俺アもう、学校さ行きとうなかバイ……」

 せっぱつまった思いで、私は小学校をやめてしまったのだ。私は学校へ行くのがいやになっていたのだ。それは丁度、直方のうがたの炭坑町に住んでいた私の十二の時であったろう。「ふうちゃんにも、何か売らせましょうたいなあ……」遊ばせてはモッタイナイ年頃であった。私は学校をやめて行商をするようになったのだ。



 直方の町は明けても暮れてもすすけて暗い空であった。砂でした鉄分の多い水で舌がよれるような町であった。大正町の馬屋と云う木賃宿に落ちついたのが七月で、父達は相変らず、私を宿に置きっぱなしにすると、荷車を借りて、メリヤス類、足袋、新モス、腹巻、そういった物を行李こうりに入れて、母が後押しで炭坑や陶器製造所へ行商に行っていた。

 私には初めての見知らぬ土地であった。私は三銭の小遣いを貰い、それを兵児帯へこおびに巻いて、毎日町に遊びに出ていた。門司のように活気のある街でもない。長崎のように美しい街でもない。佐世保のように女のひとが美しい町でもなかった。骸炭がいたんのザクザクした道をはさんで、煤けた軒が不透明なあくびをしているような町だった。駄菓子屋、うどんや、屑屋くずや、貸蒲団屋、まるで荷物列車のような町だ。その店先きには、町を歩いている女とは正反対の、これは又不健康な女達が、とがった目をして歩いていた。七月の暑い陽ざしの下を通る女は、汚れた腰巻と、袖のない襦袢じゅばんきりである。夕方になると、シャベルを持った女や、空のモッコをぶらさげた女の群が、三々五々しゃべくりながら長屋へ帰って行った。

 流行歌のおいとこそうだよの唄が流行はやっていた。


 私の三銭の小遣いは双児美人の豆本とか、氷饅頭まんじゅうのようなもので消えていた。──間もなく私は小学校へ行くかわりに、須崎町のあわおこし工場に、日給二十三銭で通った。その頃、ざるをさげて買いに行っていた米が、たしか十八銭だったと覚えている。夜は近所の貸本屋から、腕の喜三郎横紙破りの福島正則不如帰なさぬ仲渦巻などを借りて読んだ。そうした物語の中から何を教ったのだろうか? メデタシ、メデタシの好きな、虫のいい空想と、ヒロイズムとセンチメンタリズムが、海綿のような私の頭をひたしてしまった。私の周囲は朝から晩まで金の話である。私の唯一の理想は、女成金になりたいと云う事だった。雨が何日も降り続いて、父の借りた荷車が雨にさらされると、朝も晩も、かぼちゃ飯で、茶碗を持つのがほんとうに淋しかった。



 この木賃宿には、通称シンケイ(神経)と呼んでいる、坑夫上りの狂人が居て、このひとはダイナマイトで飛ばされて馬鹿になった人だと宿の人が云っていた。毎朝早く、町の女達と一緒にトロッコを押しに出かけて行く気立の優しい狂人である。私はこのシンケイによくしらみを取ってもらったものだ。彼は後で支柱夫に出世したけれど、外に、島根の方から流れて来ている祭文語さいもんかたりの義眼いれめの男や、夫婦者の坑夫が二組、まむし酒を売るテキヤ、親指のない淫売婦、サーカスよりも面白い集団であった。

「トロッコで圧されて指を取った云いよるけんど、嘘ばんた、誰ぞに切られたっとじゃろ……」

 馬屋のおかみさんは、片眼で笑いながら母にこう云っていたものだ。或る日、この指のない淫売婦と私は風呂に行った。ドロドロのこけむした暗い風呂場だった。この女は、腹をぐるりと一巻きにして、へそのところに朱い舌を出した蛇の文身いれずみをしていた。私は九州で初めてこんなすごい女を見た。私は子供だったから、しみじみ正視してこの薄青いこわい蛇の文身を見ていたものだ。

 木賃宿に泊っている夫婦者は、たいてい自炊で、自炊でない者達も、米を買って来て炊いてもらっていた。

 ほうろくのように焼けた暑い直方の町角に、そのころカチュウシャの絵看板が立つようになった。異人娘が、頭から毛布をかぶって、雪の降っている停車場で、汽車の窓を叩いている図である。すると間もなく、頭の真ん中を二つに分けたカチュウシャの髪が流行って来た。


カチュウシャ可愛や 別れの辛さ

せめて淡雪 とけぬ間に

神に願いを ララかけましょうか。


 なつかしい唄である。この炭坑街にまたたく間に、このカチュウシャの唄は流行してしまった。ロシヤ女の純情な恋愛はよくわからなかったけれど、それでも、私は映画を見て来ると、非常にロマンチックな少女になってしまったのだ。浮かれ節(浪花節なにわぶし)よりほかに芝居小屋に連れて行ってもらえなかった私が、たった一人で隠れてカチュウシャの映画を毎日見に行ったものであった。当分は、カチュウシャで夢見心地であった。石油を買いに行く道の、白い夾竹桃きょうちくとうの咲く広場で、町の子供達とカチュウシャごっこや、炭坑ごっこをして遊んだりもした。炭坑ごっこの遊びは、女の子はトロッコを押す真似をしたり、男の子は炭坑節を唄いながら土をほじくって行くしぐさである。



 そのころの私はとても元気な子供だった。

 一カ月ばかり勤めていた粟おこし工場の二十三銭也にもさよならをすると、私は父が仕入れて来た、扇子や化粧品を鼠色の風呂敷に背負って、遠賀おんが川を渡り隧道を越して、炭坑の社宅や坑夫小屋に行商して歩くようになった。炭坑には、色々な行商人が這入はいり込んでいるのだ。

「暑うしてたまらんなア。」この頃私には、こうして親しく言葉をかける相棒が二人ばかりあった。「松ちゃん」これは香月かつきから歩いて来る駄菓子屋で、可愛い十五の少女であったが、間もなく、青島チンタオへ芸者に売られて行ってしまった。「ひろちゃん」干物屋の売り子で、十三の少年だけれど、彼の理想は、一人前の坑夫になりたい事だった。酒が呑めて、ツルハシを一寸ちょっと高く振りかざせば人が驚くし、町の連鎖劇は無料でみられるし、月の出た遠賀川のほとりを、私はこのひろちゃんたちの話を聞きながら帰ったものだった。──その頃よく均一と云う言葉が流行っていたけれど、私の扇子も均一の十銭で、鯉の絵や、七福神、富士山の絵が描いてある。骨はがんじょうな竹が七本ばかりついている。毎日平均二十本位はかたづけていった。緑色のペンキのはげた社宅の細君よりも、坑夫長屋をまわった方がはるかに扇子はさばけていった。外にラッパ長屋と云って、一棟に十家族も住んでいる鮮人長屋もあった。アンペラの畳の上には玉葱たまねぎをむいたような子供達が、裸で重なりあって遊んでいた。

 烈々とした空の下には、掘りかえした土が口を開けて、雷のように遠くではトロッコの流れる音が聞えている。昼食時になると、ありの塔のように材木を組みわたした暗い坑道口から、あわのようにいて出る坑夫達を待って、幼い私はあっちこっち扇子を売りに歩いた。坑夫達の汗は水ではなくて、もう黒いあめのようであった。今、自分達が掘りかえした石炭土の上にゴロリと横になると、バクバクまるで金魚のように空気を吸ってよく眠った。まるでゴリラの群のようだった。

 そうしてこの静かな景色の中に動いているものと云えば、棟を流れて行く昔風なモッコである。昼食が終るとあっちからもこっちからもカチュウシャの唄が流れて来ている。やがて夕顔の花のようなカンテラの灯が、薄い光で地を這って行くと、けたたましい警笛サイレンの音だ。国を出るときゃ玉の肌……何でもない唄声ではあるけれど、もうもうとした石炭土の山を見ていると何だか子供心にも切ないものがあった。


 扇子が売れなくなると、私は一つ一銭のアンパンを売り歩くようになった。炭坑まで小一里の道程を、よく休み休み私はアンパンをつまみ食いして行ったものだ。父はその頃、商売上の事から坑夫と喧嘩けんかをして頭をグルグル手拭で巻いて宿にくすぼっていた。母は多賀神社のそばでバナナの露店を開いていた。無数に駅からなだれて来る者は、坑夫の群である。一山いくらのバナナは割によく売れて行った。アンパンを売りさばいて母のそばへ籠を置くと、私はよく多賀神社へ遊びに行った。そして大勢の女や男達と一緒に、私も馬の銅像に祈願をこめた。いい事がありますように。──多賀さんの祭には、きまって雨が降る。多くの露店商人達は、駅のひさしや、多賀さんの境内を行ったり来たりして雨空を見上げていたものだった。


 十月になって、炭坑やまにストライキがあった。街中は、ジンと鼻をつまんだように静かになると、炭坑から来る坑夫達だけが殺気だって活気があった。ストライキ、さりとは辛いね。私はこんな唄も覚えた。炭坑のストライキは、始終の事で坑夫達はさっさと他の炭坑へ流れて行くのだそうだ。そのたびに、町の商人との取引は抹殺まっさつされてしまうので、めったに坑夫達には品物を貸して帰れなかった。それでも坑夫相手の商売は、てっとり早くてユカイだと商人達は云っていた。



「あんたも、四十過ぎとんなはっとじゃけん、少しは身を入れてくれんな、仕様がなかもんなァた……」

 私は豆ランプの灯のかげで、一生懸命探偵小説のジゴマを読んでいた。裾にさしあって寝ている母が父に何時いつもこうつぶやいていた。外はながい雨である。

「一軒、家ちゅうもんを、定めんとあんた、こぎゃん時に困るけんな。」

「ほんにヤカマシかな。」

 父が小声で呶鳴どなると、あとは又雨の音だった。──そのころ、指の無い淫売婦だけは、いつも元気で酒を呑んでいた。

「戦争でも始まるとよかな。」

 この淫売婦の持論はいつも戦争の話だった。この世の中が、ひっくりかえるようになるといいと云った。炭坑にうんと金が流れて来るといいと云っていた。「あんたは、ほんまによか生れつきな」母にこう云われると、指の無い淫売婦は、

「小母っさんまで、そぎゃん思うとんなはると……」彼女は窓から何か投げては淋しそうに笑っていた。二十五だと云っていたが、労働者上りらしいプチプチした若さを持っていた。


 十一月の声のかかる時であった。

 黒崎からの帰り道、父と母と私は、大声で話しながら、軽い荷車を引いて、暗い遠賀川の堤防を歩いていた。

「おっかさんも、お前も車へ乗れや、まだまだ遠いけに、歩くのはしんどいぞ……」

 母と私は、荷車の上に乗っかると、父は元気のいい声で唄いながら私達を引いて歩いた。

 秋になると、星が幾つも流れて行く。もうじき街の入口である。後の方から、「おっさんよっ!」と呼ぶ声がした。渡り歩きの坑夫が呼んでいるらしかった。父は荷車を止めて「何ぞ!」と呼応した。二人の坑夫が這いながらついて来た。二日も食わないのだと云う。逃げて来たのかと父が聞いていた。二人共鮮人であった。折尾まで行くのだから、金を貸してくれと何度も頭をさげた。父は沈黙だまって五十銭銀貨を二枚出すと、一人ずつに握らせてやった。堤の上を冷たい風が吹いて行く。茫々とした二人の鮮人の頭の上に星が光っていて、妙にガクガク私たちはふるえていたが、二人共一円もらうと、私達の車の後を押して長い事沈黙って町までついて来た。

 しばらくして父は祖父が死んだので、岡山へ田地を売りに帰って行った。少し資本をこしらえて来て、唐津からつ物の糶売せりうりをしてみたい、これが唯一の目的であった。何によらず炭坑街で、てっとり早く売れるものは、食物である。母のバナナと、私のアンパンは、雨が降りさえしなければ、二人の食べる位は売れて行った。馬屋の払いは月二円二十銭で、今は母も家を一軒借りるよりこの方が楽だと云っていた。だが、どこまで行ってもみじめすぎる私達である。秋になると、神経痛で、母は何日も商売を休むし、父は田地を売ってたった四十円の金しか持って来なかった。父はその金で、唐津焼を仕入れると、佐世保へ一人で働きに行ってしまった。

「じき二人は呼ぶけんのう……」

 こう云って、父は陽に焼けた厚司あつし一枚で汽車に乗って行った。私は一日も休めないアンパンの行商である。雨が降ると、直方の街中を軒並にアンパンを売って歩いた。

 このころの思い出は一生忘れることは出来ないのだ。私には、商売は一寸も苦痛ではなかった。一軒一軒歩いて行くと、五銭、二銭、三銭と云う風に、私のこしらえた財布には金がたまって行く。そして私は、自分がどんなに商売上手であるかを母に賞めてもらうのが楽しみであった。私は二カ月もアンパンを売って母と暮した。或る日、街から帰ると、美しいヒワ色の兵児帯を母が縫っていた。

「どぎゃんしたと?」

 私は驚異の眼をみはったものだ。四国のお父つぁんから送って来たのだと母は云っていた。私はなぜか胸が鳴っていた。間もなく、呼びに帰って来た義父と一緒に、私達三人は、直方を引きあげて、折尾行きの汽車に乗った。毎日あの道を歩いたのだ。汽車が遠賀川の鉄橋を越すと、堤にそった白いみちが暮れそめていて、私の目に悲しくうつるのであった。白帆が一ツ川上へ登っている、なつかしい景色である。汽車の中では、金鎖や、指輪や、風船、絵本などを売る商人が、長い事しゃべくっていた。父は赤い硝子ガラス玉のはいった指輪を私に買ってくれたりした。


(十二月×日)


さいはての駅に下り立ち

雪あかり

さびしき町にあゆみ入りにき


 雪が降っている。私はこの啄木たくぼくの歌をっと思い浮べながら、郷愁のようなものを感じていた。便所の窓を明けると、夕方の門燈あかりが薄明るくついていて、むかし信州の山で見たしゃくなげのあかい花のようで、とても美しかった。


やアお嬢ちゃんおんぶしておくれッ!」

 奥さんの声がしている。

 あああの百合子と云う子供は私には苦手だ。よく泣くし、先生に似ていて、神経が細くて全く火の玉を背負っているような感じである。──せめてこうして便所にはいっている時だけが、私の体のような気がする。

(バナナにうなぎ、豚カツに蜜柑みかん、思いきりこんなものが食べてみたいなア。)

 気持ちが貧しくなってくると、私は妙に落書きをしたくなってくる。豚カツにバナナ、私は指で壁に書いてみた。

 夕飯の支度の出来るまで赤ん坊をおぶって廊下を何度も行ったり来たりしている。秋江しゅうこう氏の家へ来て、今日で一週間あまりだけれど、先の目標もなさそうである。ここの先生は、日に幾度も梯子はしご段を上ったり降りたりしている。まるで二十日鼠のようだ。あの神経には全くやりきれない。

「チャンチンコイチャン! よく眠ったかい!」

 私の肩をのぞいては、先生は安心をしたようにじんじんばしょりをして二階へ上って行く。

 私は廊下の本箱から、今日はチエホフを引っぱり出して読んだ。チエホフは心の古里だ。チエホフの吐息は、姿は、みな生きて、黄昏たそがれの私の心に、何かブツブツものを言いかけて来る。柔かい本の手ざわり、ここの先生の小説を読んでいると、もう一度チエホフを読んでもいいのにと思った。京都のお女郎の話なんか、私には縁遠い世界だ。

 夜。

 家政婦のお菊さんが、台所で美味おいしそうな五目寿司をこしらえているのを見てとても嬉しくなった。

 赤ん坊を風呂に入れて、ひとしずまりすると、もう十一時である。私は赤ん坊と云うものが大嫌いなのだけれど、不思議な事に、赤ん坊は私の背中におぶさると、すぐウトウトと眠ってしまって、家の人達が珍らしがっている。

 おかげで本が読めること──。年を取って子供が出来ると、仕事も手につかない程心配になるのかも知れない。反感がおきる程、先生が赤ん坊にハラハラしているのを見ると、女中なんて一生するものではないと思った。

 うまごやしにだって、可憐かれんな白い花が咲くって事を、先生は知らないのかしら……。奥さんは野そだちな人だけれど、眠ったようなひとで、この家では私は一番好きなひとである。


(十二月×日)

 ひまが出るなり。

 別に行くところもない。大きな風呂敷包みを持って、汽車道の上に架った陸橋の上で、貰った紙包みを開いて見たら、たった二円はいっていた。二週間あまりも居て、金二円也。足の先から、冷たい血があがるような思いだった。──ブラブラ大きな風呂敷包みをさげて歩いていると、何だかザラザラした気持ちで、何もかも投げ出したくなってきた。通りすがりにあお瓦葺かわらぶきの文化住宅の貸家があったので這入ってみる。庭が広くて、ガラス窓が十二月の風に磨いたように冷たく光っていた。

 疲れて眠たくなっていたので、休んで行きたい気持ちなり。勝手口を開けてみると、びた鑵詰かんづめかんからがゴロゴロ散らかっていて、座敷の畳が泥で汚れていた。昼間の空家は淋しいものだ。薄い人の影があそこにもここにもたたずんでいるようで、寒さがしみじみとこたえて来る。どこへ行こうと云うあてもないのだ。二円ではどうにもならない。はばかりから出て来ると、荒れ果てた縁側のそばへ狐のような目をした犬がじっと見ていた。

「何でもないんだ、何でもありやしないんだよ。」

 言いきかせるつもりで、私は縁側の上へきっとつったっていた。

(どうしようかなア……、どうにもならないじゃないのッ!)


 夜。

 新宿の旭町あさひまちの木賃宿へ泊った。石崖いしがけの下の雪どけで、道があんこのようにこねこねしている通りの旅人宿に、一泊三十銭で私は泥のような体を横たえることが出来た。三畳の部屋に豆ランプのついた、まるで明治時代にだってありはしないような部屋の中に、明日の日の約束されていない私は、私を捨てた島の男へ、たよりにもならない長い手紙を書いてみた。


みんな嘘っぱちばかりの世界だった

甲州行きの終列車が頭の上を走ってゆく

百貨店マーケットの屋上のように寥々りょうりょうとした全生活を振り捨てて

私は木賃宿の蒲団に静脈を延ばしている

列車にフンサイされた死骸を

私は他人のように抱きしめてみた

真夜中に煤けた障子を明けると

こんなところにも空があって月がおどけていた。


みなさまさよなら!

私はゆがんだサイコロになってまた逆もどり

ここは木賃宿の屋根裏です

私は堆積たいせきされた旅愁をつかんで

飄々ひょうひょうと風に吹かれていた。


 夜中になっても人が何時までもそうぞうしく出はいりをしている。

「済みませんが……」

 そういって、ガタガタの障子をあけて、不意に銀杏返いちょうがえしに結った女が、乱暴に私の薄い蒲団にもぐり込んで来た。すぐそのあとから、大きい足音がすると、帽子もかぶらない薄汚れた男が、細めに障子をあけて声をかけた。

「オイ! お前、おきろ!」

 やがて、女が一言二言何かつぶやきながら、廊下へ出て行くと、パチンと頬を殴る音が続けざまに聞えていたが、やがてまた外は無気味な、汚水のような寞々ばくばくとした静かさになった。女の乱して行った部屋の空気が、仲々しずまらない。

「今まで何をしていたのだ! 原籍は、どこへ行く、年は、両親は……」

 薄汚れた男が、また私の部屋へ這入って来て、鉛筆をめながら、私の枕元に立っているのだ。

「お前はあの女と知合いか?」

「いいえ、不意にはいって来たんですよ。」

 クヌウト・ハムスンだって、こんな行きがかりは持たなかっただろう──。刑事が出て行くと、私は伸々と手足をのばして枕の下に入れてある財布にさわってみた。残金は一円六十五銭也。月が風に吹かれているようで、歪んだ高い窓から色々な光のにじが私には見えてくる。──ピエロは高いところから飛び降りる事は上手だけれど、飛び上って見せる芸当は容易じゃない、だが何とかなるだろう、食えないと云うことはないだろう……。


(十二月×日)

 朝、青梅おうめ街道の入口の飯屋へ行った。熱いお茶を呑んでいると、ドロドロに汚れた労働者が駈け込むように這入って来て、

「姉さん! 十銭で何か食わしてくんないかな、十銭玉一つきりしかないんだ。」

 大声で云って正直に立っている。すると、十五六の小娘が、

「御飯に肉豆腐でいいですか。」と云った。

 労働者は急にニコニコしてバンコへ腰をかけた。

 大きな飯丼めしどんぶりねぎと小間切れの肉豆腐。濁った味噌汁。これだけが十銭玉一つの栄養食だ。労働者は天真に大口あけて飯を頬ばっている。涙ぐましい風景だった。天井の壁には、一食十銭よりと書いてあるのに、十銭玉一つきりのこの労働者は、すなおに大声で念を押しているのだ。私は涙ぐましい気持ちだった。御飯の盛りが私のより多いような気がしたけれども、あれで足りるかしらとも思う。その労働者はいたって朗かだった。私の前には、御飯にごった煮にお新香が運ばれてきた。まことに貧しき山海の珍味である。合計十二銭也を払って、のれんを出ると、どうもありがとうと女中さんが云ってくれる。お茶をたらふく呑んで、朝のあいさつを交わして、十二銭なのだ。どんづまりの世界は、光明と紙一重で、ほんとに朗かだと思う。だけど、あの四十近い労働者の事を思うと、これは又、十銭玉一ツで、失望、どんぞこ、墜落との紙一重なのではないだろうか──。


 お母さんだけでも東京へ来てくれれば、何とかどうにか働きようもあるのだけれど……沈むだけ沈んでチンボツしてしまった私は難破船のようなものだ。飛沫しぶきがかかるどころではない、ザンブザンブ潮水を呑んで、結局私も昨夜の淫売婦と、そう変った考えも持っていやしない。あの女は三十すぎていたかも知れない。私がもしも男だったら、あのまま一直線にあの夜の女におぼれてしまって、今朝はもう二人で死ぬる話でもしていたかもしれない。

 昼から荷物を宿屋にあずけて、神田の職業紹介所に行ってみる。


 どこへ行っても砂原のように寥々とした思いをするので、私は胸がつまった。

(お前さんに使ってもらうんじゃないよ。)

 おたんちん!

 ひょっとこ!

 馬鹿野郎!

 何と冷たい、コウマンチキな女達なのだろう──。

 桃色の吸取紙のようなカードを、紹介所の受付の女に渡すと、

「月給三十円位ですって……」

 受付女史はこうつぶやくと、私の顔を見て、せせら笑っているのだ。

「女中じゃいけないの……事務員なんて、女学校出がうろうろしているんだから駄目よ、女中なら沢山あってよ。」

 後から後から美しい女の群が雪崩れて来ている。まことにごもっともさまなことです。

 少しも得るところなし。

 紹介状は、墨汁会社と、ガソリン嬢と、伊太利イタリア大使館の女中との三つだった。私のふところには、もう九十銭あまりしかないのだ。夕方宿へ帰ると、芸人達が、植木鉢みたいに鏡の前に並んで、鼠色の白粉おしろいを顔へ塗りたくっている。

「昨夜は二分しか売れなかった。」

藪睨やぶにらみじゃア買手がねえや!」

「ヘン、これだっていいって人があるんだから……」

「ハイ御苦労様なことですよ。」

 十四五の娘同士のはなしなり。


(十二月×日)

 こみあげてくる波のような哀しみ、まるで狂人になるような錯覚がおこる。マッチをすって、それで眉ずみをつけてみた。──午前十時。麹町こうじまち三年町の伊太利大使館へ行ってみた。

 笑って暮らしましょう。でも何だか顔がゆがみます。──異人の子が馬に乗って門から出てきた。門のそばにはこわれた門番の小屋みたいなものがあって、綺麗きれいな砂利が遠い玄関までつづいている。私のような女の来るところではないように思えた。地図のある、赤いジュウタンの広い室に通された。白と黒のコスチュウム、異人のおくさんって美しいと思う。遠くで見ているとなおさら美しい。さっき馬で出て行った男の子が鼻を鳴らしながら帰って来た。男の異人さんも出て来たけれど、大使さんではなく、書記官だとかって云う事だった。夫婦とも背が高くてアッパクを感じる。その白と黒のコスチュウムをつけた夫人にコック部屋を見せてもらった。コンクリートの箱の中には玉葱がゴロゴロしていて、七輪が二つ置いてあった。この七輪で、女中が自分の食べるのだけ煮たきをするのだと云うことだ。まるで廃屋のような女中部屋である。黒い鎧戸よろいどがおりていて石鹸せっけんのような外国の臭いがしている。

 結局ようりょうを得ないままで門を出てしまった。豪壮な三年町の邸町を抜けて坂を降りると、吹きあげる十二月の風に、商店の赤い旗がヒラヒラしていて心にしみた。人種が違っては人情も判りかねる、どこか他をさがしてみようかしら。電車に乗らないで、堀ばたを歩いていると、何となく故郷へ帰りたくなって来た。目当もないのに東京でまごついていたところで結局はどうにもならないと思う。電車を見ていると死ぬる事を考えるなり。

 本郷の前の家へ行ってみる。叔母さんつめたし。近松氏から郵便が来ていた。出る時に十二社じゅうにそうの吉井さんのところに女中が入用だから、ひょっとしたらあんたを世話してあげようと云う先生の言葉だったけれど、その手紙は薄ずみで書いた断り状だった。

 文士って薄情なのかも知れない。

 夕方新宿の街を歩いていると、何と云うこともなく男の人にすがりたくなっていた。(誰か、このいまの私を助けてくれる人はないものなのかしら……)新宿駅の陸橋に、紫色のシグナルが光ってゆれているのをじっと見ていると、涙でまぶたがふくらんできて、私は子供のようにしゃっくりが出てきた。

 何でも当ってくだけてみようと思う。宿屋の小母さんに正直に話をしてみた。仕事がみつかるまで、下で一緒にいていいと言ってくれた。

「あんた、青バスの車掌さんにならないかね、いいのになると七十円位這入るそうだが……」

 どこかでハタハタでも焼いているのか、とても臭いにおいが流れて来る。七十円もはいれば素敵なことだ。とにかくブラさがるところをこしらえなくてはならない……。十しょくの電気のついた帳場の炬燵こたつにあたって、お母アさんへ手紙を書く。

 ──ビョウキシテ、コマッテ、イルカラ、三円クメンシテ、オクッテクダサイ。

 この間の淫売婦が、いなりずしを頬ばりながらはいって来た。

「おとついはひどいめに会った。お前さんもだらしがないよ。」

「お父つぁん怒ってた?」

 電気の下で見ると、もう四十位の女で、乾いたような崩れた姿をしていた。

「私の方じゃあんなのをふくろうと云って、色んな男を夜中に連れ込んで来るんだが、あんまり有りがたい客じゃあないんですよ。お父つぁん、油をしぼられてプンプン怒ってますよ。」

 人の好さそうな老けたお上さんは、茶をれながらあの女の事を悪く云っていた。

 夜、お上さんにうどんを御馳走になる。明日はここの小父さんのくちぞえで青バスの車庫へ試験をうけに行ってみよう。暮れぢかくになって、落ちつき場所のない事は淋しいけれど、クヨクヨしていても仕様のない世の中だ。すべては自分の元気な体をたのみに働きましょう。電線が風ですさまじく鳴っている。木賃宿の片隅に、この小さな私は、汚れた蒲団に寝ころんで、壁に張ってある大黒さんの顔を見ながら、雲の上の御殿のような空想をしている。

(国へかえってお嫁にでも行こうかしら……)


        *


(四月×日)

 今日はメリヤス屋の安さんの案内で、地割りをしてくれるのだと云う親分のところへ酒を一升持って行く。

 道玄坂の漬物屋の路地口にある、土木請負の看板をくぐって、綺麗ではないけれど、拭きこんだ格子を開けると、いつも昼間場所割りをしてくれるお爺さんが、火鉢の傍で茶をすすっていた。

「今晩から夜店をしなさるって、昼も夜も出しゃあ、今に銀行くらが建ちましょうよ。」

 お爺さんは人のいい高笑いをして、私の持って行った一升の酒を気持ちよく受取ってくれた。

 誰も知人のない東京なので、恥かしいもくそもあったものではない。ピンからキリまである東京だもの。裸になりついでにうんと働いてやりましょう。私はこれよりももっと辛かった菓子工場の事を思うと、こんなことなんか平気だと気持ちが晴れ晴れとしてきた。

 夜。

 私は女の万年筆屋さんと、あてのない門札を書いているお爺さんの間に店を出さして貰った。蕎麦そば屋で借りた雨戸に、私はメリヤスの猿股さるまたを並べて「二十銭均一」の札をさげると、万年筆屋さんの電気に透して、ランデの死を読む。大きく息を吸うともう春の気配が感じられる。この風の中には、遠い遠いおもい出があるようだ。鋪道ほどうは灯の川だ。人の洪水だ。瀬戸物屋の前には、うらぶれた大学生が、計算器を売っていた。「諸君! 何万何千何百何に何千何百何十加えればいくらになる。皆判らんか、よくもこんなに馬鹿がそろったものだ。」

 沢山の群集を相手に高飛車に出ている、こんな商売も面白いものだと思う。

 お上品な奥様が、猿股を二十分もひねっていて、たった一ツ買って行った。お母さんが弁当を持って来てくれる。暖かになると、妙に着物の汚れが目にたってくる。母の着物も、ささくれて来た。木綿を一反買ってあげよう。

「私が少しかわるから、お前は、御飯をお上り。」

 お新香に竹輪ちくわの煮つけが、瀬戸の重ね鉢にはいっていた。鋪道に背中をむけて、茶も湯もない食事をしていると、万年筆屋の姉さんが、

「そこにもある、ここにもあると云う品物ではございません。お手に取って御覧下さいまし。」

 と大きい声で言っている。

 私はふっと塩っぱい涙がこぼれて来た。母はやっと一息ついた今の生活が嬉しいのか、小声で時代色のついた昔の唄を歌っていた。九州へ行っている義父さえこれでよくなっていたら、当分はお母さんの唄ではないが、たったかたのただろう。


(四月×日)

 水の流れのような、薄いショールを、街を歩く娘さん達がしている。一つあんなのを欲しいものだ。洋品店の四月の窓飾りは、金と銀と桜の花で目がくらむなり。


空に拡がった桜の枝に

うっすらと血の色が染まると

ほら枝の先から花色の糸がさがって

情熱のくじびき


食えなくてボードビルへ飛び込んで

裸で踊った踊り子があったとしても

それは桜の罪ではない。


ひとすじの情

ふたすじの義理

ランマンと咲いた青空の桜に

生きとし生ける

あらゆる女の

裸の唇を

するすると奇妙な糸がたぐって行きます。


貧しい娘さん達は

夜になると

果物のように唇を

大空へ投げるのですってさ


青空を色どる桃色桜は

こうしたカレンな女の

仕方のないくちづけなのですよ

そっぽをむいた唇の跡なのですよ。


 ショールを買う金をめることを考えたら、仲々大変なことなので割引の映画を見に行ってしまった。フイルムは鉄路の白バラ、少しも面白くなし。途中雨が降り出したので、小屋から飛び出して店に行った。お母さんは茣蓙ござをまとめていた。いつものように、二人で荷物を背負って駅へ行くと、花見帰りの金魚のようなお嬢さんや、紳士達が、夜の駅にあふれて、あっちにもこっちにものようにただよい仲々にぎやかだ。二人は人を押しわけて電車へ乗った。雨が土砂どしゃ降りだ。いい気味だ。もっと降れ、もっと降れ、花がみんな散ってしまうといい。暗い窓に頬をよせて外を見ていると、お母さんがしょんぼりと子供のようにフラフラして立っているのが硝子窓に写っている。

 電車の中まで意地悪がそろっているものだ。

 九州からの音信なし。


(四月×日)

 雨にあたって、お母さんが風邪を引いたので一人で夜店を出しに行く。本屋にはインキの新らしい本が沢山店頭に並んでいる。何とかして買いたいものだと思う。泥濘ぬかるみにて道悪し、道玄坂はアンコを流したような鋪道だ。一日休むと、雨の続いた日が困るので、我慢して店を出すことにする。色のベタベタにじんでいるような街路には、私と護謨靴ごむぐつ屋さんの店きりだ。女達が私の顔を見てクスクス笑って通って行く。頬紅が沢山ついているのかしら、それとも髪がおかしいのかしら、私は女達を睨み返してやった。女ほど同情のないものはない。

 いいお天気なのに道が悪い。昼から隣にかもじ屋さんが店を出した。場銭ばせんが二銭上ったと云ってこぼしていた。昼はうどんを二杯たべる。(十六銭也)学生が、一人で五ツも品物を買って行ってくれた。今日は早くしまって芝へ仕入れに行って来ようと思う。帰りに鯛焼たいやきを十銭買った。


「安さんがお前、電車にしかれて、あぶないちゅうが……」

 帰ると、母は寝床の中からこう云った。私は荷物を背負ったまま呆然としてしまった。昼過ぎ、安さんの家の者が知らせに来たのだと、母は書きつけた病院のあて名の紙をさがしていた。

 夜、芝の安さんの家へ行く。若いお上さんが、眼を泣きらして病院から帰って来たところだった。少しばかり出来上っている品物をもらってお金を置いて帰る。世の中は、よくもよくもこんなにひびだらけになっているものだと思う。昨日まで、元気にミシンのペタルを押していた安さん夫婦を想い出すなり。春だと云うのに、桜が咲いたと云うのに、私は電車の窓にもたれて、赤坂のおほりの燈火をいつまでも眺めていた。


(四月×日)

 父より長い音信が来る。長雨で、飢えにひとしい生活をしていると云う。花壺へ貯めていた十四円の金を、お母さんが皆送ってくれと云うので為替にして急いで送った。明日は明日の風が吹くだろう。安さんが死んでから、あんなに軽便な猿股も出来なくなってしまった。もう疲れきった私達は、何もかもがメンドくさくなってしまっている。

 十四円九州へ送った。

「わし達ゃ三畳でよかけん、六畳は誰ぞに貸さんかい。」

 かしま、かしま、かしま、私はとても嬉しくなって、子供のように紙にかしまと書き散らすと、鳴子坂なるこざかの通りへそれを張りに出て行った。寝ても覚めても、結局は死んでしまいたい事に話が落ちるけれど、なにくそ! たまには米の五升も買いたいものだと笑う。お母さんは近所の洗い張りでもしようかと云うし、私は女給と芸者の広告がこのごろめについて仕方がない。縁側に腰をかけて日向ひなたぼっこをしていると、黒い土の上から、モヤモヤとかげろうがのぼっている。もうじき五月だ。私の生れた五月だ。歪んだガラス戸に洗った小切れをベタベタ張っていたお母さんは、フッと思い出した様に云った。

「来年はお前の運勢はよかぞな、今年はお前もお父さんも八方ふさがりだからね……」

 明日から、この八方塞りはどうしてゆくつもりか! 運勢もへちまもあったものじゃない。次から次から悪運のつながりではありませんかお母さん!

 腰巻も買いたし。


(五月×日)

 家のかしまはあまり汚ない家なので誰もまだ借りに来ない。お母さんは八百屋が貸してくれたと云って大きなキャベツを買って来た。キャベツを見るとフクフクと湯気の立つ豚カツでもかぶりつきたいと思う。がらんとした部屋の中で、寝ころんで天井を見ていると、鼠のように、小さくなって、色んなものを食い破って歩いたらユカイだろうと思った。夜、風呂屋で母が聞いて来たと云って、派出婦にでもなったらどんなものかと相談していた。それもいいかも知れないけれど、根が野性の私である。金持ちの家風にペコペコ頭をさげる事は、腹を切るより切ない事だ。母のわびし気な顔を見ていたら、涙がむしょうにあふれてきた。

 腹がへってもひもじゅうないとかぶりを振っている時ではないのだ。明日から、今から飢えて行く私達なのである。あああの十四円は九州へとどいたかしら。東京がいやになった。早くお父さんが金持ちになってくれるといい。九州もいいな、四国もいいな。夜更け、母が鉛筆をなめなめお父さんにたよりを書いているのを見て、誰かこんな体でも買ってくれるような人はないかと思ったりした。


(五月×日)

 朝起きたらもう下駄が洗ってあった。

 いとしいお母さん! 大久保百人町の派出婦会に行ってみる。中年の女の人が二人、店の間で縫いものをしていた。人がたりなかったのであろうか、そこの主人は、添書のようなものと地図を私にくれた。行く先の私の仕事は、薬学生の助手だと云うことである。──道を歩いている時が、私は一番愉しい。五月のほこりをあびて、新宿の陸橋をわたって、市電に乗ると、街の風景が、まことに天下タイヘイにござ候と旗をたてているように見えた。この街を見ていると苦しい事件なんか何もないようだ。買いたいものが何でもぶらさがっている。私は桃割れの髪をかしげて電車のガラス窓で直した。本村町ほんむらちょうで降りると、邸町になった路地の奥にそのうちがあった。

「御めん下さい!」

 大きな家だな、こんな大きい家の助手になれるかしら……、戸口で私は何度かかえろうと思いながらぼんやり立っていた。

「貴女、派出婦さん! 派出婦会から、さっき出たって電話がかかって来たのに、おそいので坊ちゃん怒ってらっしゃるわ。」

 私が通されたのは、洋風なせまい応接室だった。壁には、色褪いろあせたミレーの晩鐘の口絵が張ってあった。面白くもない部屋だ。腰掛けは得たいが知れない程ブクブクして柔かである。

「お待たせしました。」

 何でもこのひとの父親は日本橋で薬屋をしているとかで、私の仕事は薬見本の整理でわけのない仕事だそうだ。

「でもそのうち、僕の仕事が忙しくなると清書してもらいたいのですがね、それに一週間程したら、三浦三崎の方へ研究に行くんですが、来てくれますか。」

 この男は二十四五位かとも思う。私は若い男の年がちっとも判らないので、じっと背の高いその人の顔を見ていた。

「いっそ派出婦の方をして、毎日来ませんか。」

 私も、派出婦のようないかにも品物みたいな感じのするところよりその方がいいと思ったので、一カ月三十五円で約束をしてしまった。紅茶と、洋菓子が出たけれど、まるで、日曜の教会に行ったような少女の日を思い出させた。

「君はいくつですか?」

「二十一です。」

「もう肩上げをおろした方がいいな。」

 私は顔が熱くなっていた。三十五円毎月つづくといいと思う。だがこれもまた信じられはしない。──家へ帰ると、母は、岡山の祖母がキトクだと云う電報を手にしていた。私にも母にも縁のないお祖母ばあさんだけれどたった一人の義父の母だったし、田舎でさなだ帯の工場に通っているこのお祖母さんが、キトクだと云うことは可哀想だった。どんなにしても行かなくてはならないと思う。九州の父へは、四五日前に金を送ったばかりだし、今日行ったところへ金を借りに行くのも厚かましいし、私は母と一緒に、四月もためているのに家主のところへ相談に行ってみた。十円かりて来る。沢山利子をつけて返そうと思う。残りの御飯を弁当にして風呂敷に包んだ。──一人旅の夜汽車は侘しいものだ。まして年をとっているし、ささくれた身なりのままで、父の国へやりたくないけれど、二人共絶体絶命のどんづまり故、沈黙だまって汽車に乗るより仕方がない。岡山まで切符を買ってやる。薄い灯の下に、下関行きの急行列車が沢山の見送り人を呑みこんでいた。

「四五日内には、前借りをしますから、そしたら、送りますよ。しっかりして行っていらっしゃい。しょぼしょぼしたら馬鹿ですよ。」

 母は子供のように涙をこぼしていた。

「馬鹿ね、汽車賃は、どんな事をしても送りますから、安心してお祖母さんのお世話をしていらっしゃい。」

 汽車が出てしまうと、何でもなかった事が急に悲しく切なくなって、目がぐるぐるまいそうだった。省線をやめて東京駅の前の広場へ出て行った。長い事クリームを顔へ塗らないので、顔の皮膚がヒリヒリしている。涙がまるで馬鹿のように流れている。信ずる者よ来れしゅのみもと……遠くで救世軍の楽隊が聞えていた。何が信ずるものでござんすかだ。自分の事が信じられなくてたとえイエスであろうと、お釈迦しゃかさまであろうと、貧しい者は信ずるヨユウなんかないのだ。宗教なんて何だろう! 食う事にも困らないものだから、あの人達は街にジンタまで流している。信ずる者よ来れか……。あんな陰気な歌なんか真平だ。まだ気のきいた春の唄があるなり。いっそ、銀座あたりの美しい街で、こなごなに血へどを吐いて、華族さんの自動車にでもしかれてしまいたいと思う。いとしいお母さん、今、貴女は戸塚、藤沢あたりですか、三等車の隅っこで何を考えています。どの辺を通っています……。三十五円が続くといいな。お濠には、帝劇の灯がキラキラしていた。私は汽車の走っている線路のけしきを空想していた。何もかも何もかもあたりはじっとしている。天下タイヘイで御座候だ。


        *


(十一月×日)

 浮世離れて奥山ずまい、こんなヒゾクな唄にかこまれて、私は毎日玩具おもちゃのセルロイドの色塗りに通っている。日給は七十五銭也の女工さんになって今日で四カ月、私が色塗りをした蝶々のおげ止めは、懐かしいスヴニールとなって、今頃はどこへ散乱して行っていることだろう──。日暮里にっぽり金杉かなすぎから来ているお千代さんは、お父つぁんが寄席の三味線ひきで、妹弟六人の裏家住いだそうだ。「私とお父つぁんとで働かなきゃあ、食えないんですもの……」お千代さんは蒼白あおじろい顔をかしげて、侘しそうに赤い絵具をベタベタ蝶々に塗っている。ここは、女工が二十人、男工が十五人の小さなセルロイド工場で、鉛のように生気のない女工さんの手から、キュウピーがおどけていたり、夜店物のお垂げ止めや、前芯まえしん帯や、様々な下層階級相手の粗製品が、毎日毎日私達の手から洪水の如く市場へ流れてゆくのだ。朝の七時から、夕方の五時まで、私達の周囲は、ゆでイカのような色をしたセルロイドの蝶々や、キュウピーでいっぱいだ。文字通り護謨臭い、それ等の製品に埋れて仕事が済むまで、私達はめったに首をあげて窓も見られないような状態である。事務所の会計の細君が、私達の疲れたところを見計らっては、皮肉に油をさしに来る。

「急いでくれなくちゃ困るよ。」

 フンお前も私達と同じ女工上りじゃないか、「俺達ゃ機械じゃねえんだよっ。」発送部の男達がその女が来ると、舌を出して笑いあっていた。五時になると、二十分は私達の労力のおまけだった。日給袋のはいったざるが廻って来ると、私達はしばらくは、激しい争奪戦そうとうを開始して、自分の日給袋を見つけ出す。──夕方、たすきを掛けたまま工場の門を出ると、お千代さんが、後から追って来た。

「あんた、今日市場へ寄らないの、私今晩のおかずを買って行くのよ……」

 一皿八銭の秋刀魚さんまは、その青く光った油と一緒に、私とお千代さんの両手にかかえられて、サンゼンと生臭い匂いを二人の胃袋に通わせてくれるのだ。

「この道を歩いている時だけ、あんた、楽しいと思った事ない?」

「本当にね、私ほっとするのよ。」

「ああ、でもあんたは一人だからうらやましいと思うわ。」

 美しいお千代さんの束ねた髪に、白く埃がつもっているのを見ると、街の華やかな、一切のものに、私は火をつけてやりたいようなコウフンを感じてくる。


(十一月×日)

 なぜ?

 なぜ?

 私達はいつまでもこんな馬鹿な生き方をしなければならないのだろうか? いつまでたっても、セルロイドの匂いに、セルロイドの生活だ。朝も晩も、ベタベタ三原色を塗りたくって、地虫のように、太陽から隔離されたゆがんだ工場の中で、コツコツ無限に長い時間と青春と健康を搾取されている。若い女達の顔を見ていると、私はジンと悲しくなってしまう。

 だが待って下さい。私達のつくっている、キュウピーや蝶々のお垂げ止めが、貧しい子供達の頭をお祭のように飾る事を思えば、少し少しあの窓の下では、微笑ほほえんでもいいでしょう──。


 二畳の部屋には、土釜どがまや茶碗や、ボール箱の米櫃こめびつ行李こうりや、そうして小さい机が、まるで一生の私の負債のようにがんばっている。ななめにしいた蒲団の上には、天窓の朝陽がキラキラ輝いていて、埃が縞のようになって私の顔の上へ流れて来る。いったい革命とは、どこを吹いている風なのだ……中々うまい言葉を沢山知っている、日本の自由主義者よ。日本の社会主義者は、いったいどんなお伽噺とぎばなしを空想しているのでしょうか?

 あの生れたての、玄米パンよりもホヤホヤな赤ん坊達に、絹のむつきと、木綿のむつきと一たいどれだけの差をつけなければならないのだろう!

「あんたは、今日は工場は休みなのかい?」

 叔母さんが障子を叩きながら呶鳴どなっている。私は舌打ちをすると、妙に重々しく頭の下に両手を入れて、今さら重大な事を考えたけれど、涙が出るばかりだった。

 母の音信一通。

 たとえ五十銭でもいいから送ってくれ、私はリュウマチで困っている。この家にお前とお父さんが早く帰って来るのを、楽しみに待っている。お父さんの方も思わしくないと云うたよりだし、お前のくらし向きも思う程でないと聞くと生きているのが辛いのです。──たどたどしいカナ文字の手紙である。最後に上様ハハよりと書いてあるのを見ると、母を手で叩きたい程可愛くなってくる。

「どっか体でも悪いのですか。」

 この仕立屋に同じ間借りをしている、印刷工の松田さんが、遠慮なく障子を開けてはいって来た。背丈が十五六の子供のようにひくくて髪を肩まで長くして、私の一等厭なところをおし気もなく持っている男だった。天井を向いて考えていた私は、クルリと背をむけると蒲団を被ってしまった。この人は有難い程親切者である。だが会っていると、憂鬱なほど不快になって来る人だ。

「大丈夫なんですか!」

「ええ体の節々が痛いんです。」

 店の間では商売物の菜っ葉服を小父さんが縫っているらしい。ジ……と歯をむようなミシンの音がしている。「六十円もあれば、二人で結構暮せると思うんです。貴女の冷たい心が淋しすぎる。」

 枕元に石のように坐った松田さんは、こけのように暗い顔を伏せて私の顔の上にかぶさって来る。激しい男の息づかいを感じると、私は涙が霧のようにあふれて来た。今までこんなに、優しい言葉を掛けて私を慰めてくれた男が一人でもあっただろうか、皆な私を働かせて煙のように捨ててしまったではないか。この人と一緒になって、小さな長屋にでも住って、世帯を持とうかしらとも思う。でもあんまりそれも淋しすぎる話だ。十分も顔を合せていたら、胸がムカムカして来る松田さんだった。

「済みませんが、私は体の工合が悪いんです。ものを言うのが、何だかおっくうですの、あっちい行ってて下さい。」

「当分工場を休んで下さい。その間の事は僕がしますよ。たとえ貴女が僕と一緒になってくれなくっても、僕はいい気持ちなんです。」

 まあ何てチグハグな世の中であろうと思う──。

 夜。

 米を一升買いに出る。ついでに風呂敷をさげたまま逢初あいぞめ橋の夜店を歩いてみた。剪花きりばな屋、ロシヤパン、ドラ焼屋、魚の干物屋、野菜屋、古本屋、久々で見る散歩道だ。


(十二月×日)

 ヘエ、街はクリスマスでございますか。救世軍の慈善鍋じぜんなべも飾り窓の七面鳥も、新聞も雑誌も一斉に街に氾濫はんらんして、ビラも広告旗も血まなこになっているようだ。

 暮だ、急行列車だ、あの窓の風があんなに動いている。能率を上げなくてはと、汚れた壁の黒板には、二十人の女工の色塗りの仕上げ高が、毎日毎日数字になって、まるで天気予報みたいに私達をおびやかすようになってきた。規定の三百五十の仕上げが不足の時は、五銭引き、十銭引きと、日給袋にぴらぴらテープのような伝票が張られて来る。

「厭んなっちゃうね……」

 女工はまるで、ササラのように腰を浮かせて御製作なのだ。同じ絵描きでも、これは又あまりにもコッケイな、ドミエの漫画のようではないか。

「まるで人間をごみだと思ってやがる。」

 五時の時計が鳴っても、仕事はドンドン運ばれて来るし、日給袋は中々廻りそうにもない。工場主の小さな子供達を連れて、会計の細君が、四時頃自動車で街へ出掛けて行ったのを、一番小さいお光ちゃんが便所の窓から眺めていて、女工達に報告すると、芝居だろうと云ったり、正月の着物でも買いに行ったのだろうと云ったり、手を働かせながら、女工達の間にはまちまちの論議が噴出した。


 七時半。

 朝から晩まで働いて、六十銭の労働の代償をもらってかえる。土釜を七輪に掛けて、机の上に茶碗とはしを並べると、つくづく人生とはこんなものだったのかと思った。ごたごた文句を言っている人間の横ッ面をひっぱたいてやりたいと思う。御飯の煮える間に、お母さんへの手紙の中に長い事して貯めていた桃色の五十銭札五枚を入れて封をする。たった今、何と何がなかったら楽しいだろうと空想して来ると、五円の間代が馬鹿らしくなってきた。二畳で五円である。一日働いて米が二升きれて平均六十銭だ。又前のようにカフエーに逆もどりでもしようかしらともおもい、幾度も幾度も、水をくぐって、私と一緒に疲れきっている壁の銘仙の着物を見ていると、全く味気なくなって来る。何も御座無く候だ。あぶないぞ! あぶないぞ! あぶない不精者故、バクレツダンを持たしたら、喜んでそこら辺へ投げつけるだろう。こんな女が一人うじうじ生きているよりも、いっそ早く、真二ツになって死んでしまいたい。熱い御飯の上に、昨夜の秋刀魚を伏兵線にして、ムシャリと頬ばると、生きている事もまんざらではない。沢庵たくあんを買った古新聞に、北海道にはまだ何万町歩と云う荒地があると書いてある。ああそう云う未開の地に私達の、ユウトピヤが出来たら愉快だろうと思うなり。鳩ぽっぽ鳩ぽっぽと云う唄が出来るかも知れない。皆で仲よく飛んでこいと云う唄が流行るかも知れない。──風呂屋から帰りがけに、暗い路地口で松田さんに会った。私は沈黙だまって通り抜けた。


(十二月×日)

「何も変な風に義理立てをしないで、松田さんが、折角貸して上げると云うのに、あなたも借りたらいいじゃないの、実さい私の家は、あんた達の間代を当にしているんですからねえ。」

 髪毛かみのけの薄い小母さんの顔を見ていると、私はこのままこの家を出てしまいたい程くやしくなってくる。これが出掛けの戦争だ。急いで根津ねづの通りへ出ると、松田さんが酒屋のポストの傍で、ハガキを入れながら私を待っていた。ニコニコして本当に好人物なのに、私はどうしてなのかこのひとにはムカムカして仕様がない。

「何も云わないで借りて下さい。僕はあげてもいいんですが、貴女がこだわると困るから。」

 そう云って、塵紙ちりがみにこまかく包んだ金を松田さんは私の帯の間にはさんでくれている。私は肩上げのとってない昔風な羽織を気にしながら、妙にてれくさくなってふりほどいて電車に乗ってしまった。──どこへ行く当もない。正反対の電車に乗ってしまった私は、寒い上野にしょんぼり自分の影をふんで降りた。狂人じみた口入くちいれ屋の高い広告燈が、難破船の信号みたように風にゆれていた。

「お望みは……」

 牛太郎ぎゅうたろうのような番頭にきかれて、まず私はかたずを呑んで、商品のような求人広告のビラを見上げた。

「辛い事をやるのも一生、楽な事をやるのも一生、姉さん良く考えた方がいいですよ。」

 肩掛もしていない、このみすぼらしい女に、番頭は目を細めて値ぶみを始めたのか、ジロジロ私の様子を見ている。下谷したやの寿司屋の女中さんの口に紹介をたのむと、一円の手数料を五十銭にまけてもらって公園に行った。今にも雪の降って来そうな空模様なのに、ベンチの浮浪人達は、朗かな鼾声いびきをあげて眠っている。西郷さんの銅像も浪人戦争の遺物だ。貴方あなたと私は同じ郷里なのですよ。鹿児島が恋しいとはお思いになりませんか。霧島山が、桜島が、城山が、熱いお茶にカルカンの甘味おいしい頃ですね。


 貴方も私も寒そうだ。

 貴方も私も貧乏だ。

 昼から工場に出る。生きるは辛し。


(十二月×日)

 昨夜、机の引き出しに入れてあった松田さんの心づくし。払えばいいのだ、借りておこうかしら、弱き者よなんじの名は貧乏なり。


家にかえる時間となるを

ただ一つ待つことにして

今日も働けり。


 啄木はこんなに楽しそうに家にかえる事を歌っているけれど、私は工場から帰ると棒のようにつっぱった足を二畳いっぱいに延ばして、大きなアクビをしているのだ。それがたった一つの楽しさなのだ。二寸ばかりのキュウピーを一つごまかして来て、茶碗の棚の上にのせて見る。私の描いた眼、私の描いた羽根、私が生んだキュウピーさん、冷飯に味噌汁をザクザクかけてかき込む淋しい夜食です。──松田さんが、妙に大きいセキをしながら窓の下を通ったとおもうと、台所からはいって来て声をかける。

「もう御飯ですか、少し待っていらっしゃい、いま肉を買って来たんですよ。」

 松田さんも私と同じ自炊生活である。仲々しまった人らしい。石油コンロで、ジ……と肉を煮る匂いが、切なく口を濡らす。「済みませんが、このねぎ切ってくれませんか。」昨夜、無断で人の部屋の机の引き出しを開けて、金包みを入れておいたくせに、そうして、たった十円ばかりの金を貸して、もう馴々しく、人に葱を刻ませようとしている。こんな人間に図々しくされると一番たまらない……。遠くで餅をつく勇ましい音が聞えている。私は沈黙ってポリポリ大根の塩漬を噛んでいたけれど、台所の方でも侘しそうに、コツコツ葱を刻み出しているようだった。「ああ刻んであげましょう。」沈黙っているにはしのびない悲しさで、障子を開けて、私は松田さんの庖丁ほうちょうを取った。

「昨夜はありがとう、五円を小母さんに払って、五円残ってますから、五円お返ししときますわ。」

 松田さんは沈黙って竹の皮から滴るように紅い肉片を取って鍋に入れていた。ふと見上げた歪んだ松田さんの顔に、小さい涙が一滴光っている。奥では弄花はなが始まったのか、小母さんの、いつものヒステリー声がビンビン天井をつき抜けて行く。松田さんは沈黙ったまま米をぎ出した。

「アラ、御飯はまだ炊かなかったんですか。」

「ええ貴女が御飯を食べていらっしたから、肉を早く上げようと思って。」

 洋食皿に分けてもらった肉が、どんな思いで私ののどを通ったか。私は色んな人の姿を思い浮べた。そしてみんなくだらなく思えた。松田さんと結婚をしてもいいと思った。夕食のあと、初めて松田さんの部屋へ遊びに行ってみる。

 松田さんは新聞をひろげてゴソゴソさせながら、お正月の餅をそろえて笊へ入れていた。あんなにも、なごやかにくずれていた気持ちが、又前よりもさらにすごくキリリッと弓をはってしまい、私はそのまま部屋へ帰ってきた。

「寿司屋もつまらないし……」

 外は嵐が吹いている。キュウピーよ、早く鳩ポッポだ。吹きさめ、吹き荒さめ、嵐よ吹雪よ。


        *


(四月×日)

 地球よパンパンとまっぷたつに割れてしまえと、呶鳴ったところで私は一匹の烏猫だ。世間様は横目で、お静かにお静かにとおっしゃっている。又いつもの淋しい朝の寝覚めなり。薄い壁に掛った、黒い洋傘パラソルをじっと見ていると、その洋傘が色んな形に見えて来る。今日もまたこの男は、ほがらかな桜の小道を、我々同志よなんて、若い女優と手を組んで、芝居のせりふを云いあいながら行く事であろう。私はじっと背中を向けてとなりに寝ている男の髪の毛を見ていた。ああこのまま蒲団の口が締って、出られないようにしたらどんなものだろう……。このひとにピストルを突きつけたら、この男は鼠のようにキリキリ舞いをしてしまうだろう。お前は高が芝居者じゃないか。インテリゲンチャのたいこもちになって、我々同志よもみっともないことである。私はもうあなたにはあいそがつきてしまいました。あなたのその黒いかばんには、二千円の貯金帳と、恋文が出たがって、両手を差し出していましたよ。

「俺はもうじき食えなくなる。誰かの一座にでもはいればいいけれど……俺には俺の節操があるし。」

 私は男にはとても甘い女です。

 そんな言葉を聞くと、さめざめと涙をこぼして、では街に出て働いてみましょうかと云ってみるのだ。そして私はこの四五日、働く家をみつけに出掛けては、魚のはらわたのように疲れて帰って来ていたのに……この嘘つき男メ! 私はいつもあなたが用心をしてかぎを掛けているその鞄を、昨夜そっとのぞいてみたのですよ。二千円の金額は、あなたが我々プロレタリアと言っているほど少くもないではありませんか。私はあんなに美しい涙を流したのが莫迦ばからしくなっていた。二千円と、若い女優があれば、私だったら当分は長生きが出来る。

(ああ浮世は辛うござりまする。)

 こうして寝ているところは円満な御夫婦である。冷たい接吻はまっぴらなのよ。あなたの体臭は、七年も連れそった女房や、若い女優の匂いでいっぱいだ。あなたはそんな女の情慾を抱いて、お勤めに私の首に手を巻いている。

 ああ淫売婦にでもなった方がどんなにか気づかれがなくて、どんなにいいか知れやしない。私は飛びおきると男の枕をってやった。嘘つきメ! 男は炭団たどんのようにコナゴナに崩れていった。ランマンと花の咲き乱れた四月の明るい空よ、地球の外には、颯々さつさつとして熱風が吹きこぼれて、オーイオーイと見えないよび声が四月の空にはじけている。飛び出してお出でよッ! 誰も知らないところで働きましょう。茫々としたかすみの中に私は神様の手を見た。真黒い神様の腕を見た。


(四月×日)

一度はきやすめ二度は嘘

三度のよもやにひかされて……

憎らしい私の煩悩ぼんのうよ、私は女でございました。やっぱり切ない涙にくれまする。


鶏の生胆いきぎも

花火が散って夜が来た

東西! 東西!

そろそろ男との大詰が近づいて来た。

一刀両断に切りつけた男の腸に

メダカがぴんぴん泳いでいる。


臭い臭い夜で

誰も居なけりゃ泥棒にはいりますぞ!

私は貧乏故男も逃げて行きました。


ああ真暗い頬かぶりの夜だよ。


 土を凝視みつめて歩いていると、しみじみと侘しくなってきて、病犬のようにふるえて来る。なにくそ! こんな事じゃあいけないね。美しい街の鋪道ほどうを今日も私は、私を買ってくれないか、私を売ろう……と野良犬のように彷徨ほうこうしてみた。引き止めても引き止まらない切れたがるきずなならばこの男ともあっさり別れてしまうより仕方がない……。窓外の名も知らぬ大樹のたわわに咲きこぼれた白い花には、小さい白い蝶々が群れていて、いい匂いがこぼれて来る。夕方、お月様で光っている縁側に出て男の芝居のせりふを聞いていると、少女の日の思い出が、ふっと花の匂いのように横切ってきて、私も大きな声でどっかにいい男はないでしょうかとお月様に呶鳴りたくなってきた。このひとの当り芸は、かつて芸術座の須磨子のやったと云う「剃刀かみそり」と云う芝居だった。私は少女の頃、九州の芝居小屋で、このひとの「剃刀」と云う芝居を見た事がある。須磨子のカチュウシャもよかった。あれからもう大分時がたっている。この男も四十近い年だ。「役者には、やっぱり役者のおかみさんがいいんですよ。」一人稽古をしている灯に写った男の影を見ていると、やっぱりこのひとも可哀想だと思わずにはいられない。紫色のシェードの下に、台本をくっている男の横顔が、絞って行くように、私の目から遠くに去ってしまう。


「旅興行に出ると、俺はあいつと同じ宿をとった、あいつの鞄も持ってやったっけ……でもあいつは俺の目を盗んでは、寝巻のままよその男の宿へ忍んで行っていた。」

「俺はあの女を泣かせる事に興味を覚えていた。あの女を叩くと、まるで護謨ゴムのように弾きかえって、体いっぱい力を入れて泣くのが、見ていてとてもいい気持ちだった。」

 二人で縁側に足を投げ出していると、男は灯を消して、七年も連れ添っていた別れた女の話をしている。私は圏外に置き忘れられた、たった一人の登場人物だ、茫然と夜空を見ているとこの男とも駄目だよと誰かが云っている。あまのじゃくがどっかで哄笑わらっている、私は悲しくなってくると、足の裏がゆくなるのだ。一人でしゃべっている男のそばで、私はそっと、月に鏡をかたぶけて見た。眉を濃く引いた私の顔が渦のようにぐるぐる廻ってゆく、世界中が月夜のような明るさだったらいいだろう──。

「何だか一人でいたくなったの……もうどうなってもいいから一人で暮したい。」

 男は我にかえったように、太い息を切ると涙をふりちぎって、別れと云う言葉の持つ淋しい言葉に涙を流して私を抱こうとしている。これも他愛のないお芝居なのか、さあこれから忙しくなるぞ、私は男を二階に振り捨てると、動坂どうざかの町へ出て行った。誰も彼も握手をしましょう、ワンタンの屋台に首をつっこんで、まず支那酒をかたぶけて、私は味気ない男の旅愁を吐き捨てた。


(四月×日)

 街の四ツ角で、まるで他人よりも冷やかに、私も男も別れてしまった。男は市民座と云う小さい素人劇団をつくっていて、滝ノ川の稽古場に毎日通っているのだ。


 私も今日から通いでお勤めだ。男に食わしてもらう事は、泥を噛んでいるよりも辛いことです。ていのいい仕事よりもと、私のさがした職業は牛屋の女中さん。「ロースあおり一丁願いますッ。」梯子はしご段をトントンと上って行くと、しみじみと美しい歌がうたいたくなってくる。広間に群れたどの顔も面白いフイルムのようだ。肉皿を持って、梯子段を上ったり降りたりして、私の前帯の中も、それに並行して少しずつお金でふくらんで来る。どこを貧乏風が吹くかと、部屋の中は甘味おいしそうな肉の煮える匂いでいっぱいだ。だけど、上ったり降りたりで、私はいっぺんにへこたれてしまった。「二三日すると、すぐ馴れてしまうわ。」女中頭のまげに結ったお杉さんが、物かげで腰を叩いている私を見て慰めてくれたりした。


 十二時になっても、この店は素晴らしい繁昌ぶりで、私は家へ帰るのに気が気ではなかった。私とお満さんをのぞいては、皆住み込みのひとなので、平気で残っていて客にたかっては色々なものをねだっている。

「たあさん、私水菓子ね……」

「あら私かもなんよ……」

 まるで野生の集りだ、笑っては食い、笑っては食い、無限に時間がつぶれて行きそうで私は焦らずにはいられなかった。私がやっと店を出た時は、もう一時近くで、店の時計がおくれていたのか、市電はとっくになかった。神田から田端たばたまでのみちのりを思うと、私はがっかりして坐ってしまいたい程悲しかった。街の燈はまるで狐火のように一つ一つ消えてゆく。仕方なく歩き出した私の目にも段々心細くうつって来る。上野公園下まで来ると、どうにも動けない程、山下が恐ろしくて、私は棒立ちになってしまった。雨気を含んだ風が吹いていて、日本髪の両鬢りょうびんを鳥のように羽ばたかして、私は明滅する仁丹の広告燈にみいっていた。どんな人でもいいから、道連れになってくれる人はないかと私はぼんやり広小路の方を見ていた。

 こんなにも辛い思いをして、私はあのひとに真実をつくさなければならないのだろうか? 不意にハッピを着て自転車に乗った人が、さっと煙のように目の前を過ぎて行った。何もかも投げ出したいような気持ちで走って行きながら、「貴方は八重垣町の方へいらっしゃるんじゃあないですかッ!」と私は大きい声でたずねてみた。

「ええそうです。」

「すみませんが田端まで帰るんですけれど、貴方のお出でになるところまで道連れになっていただけませんでしょうか?」

 今は一生懸命である。私は尾を振る犬のように走って行くと、その職人体の男にすがってみた。

「私も使いがおそくなったんですが、もしよかったら自転車にお乗んなさい。」

 もう何でもいい私はポックリの下駄を片手に、裾をはし折ってその人の自転車の後に乗せてもらった。しっかりとハッピのひとの肩に手を掛けて、この奇妙な深夜の自転車乗りの女は、不図ふと自分がおかしくなって涙をこぼしている。無事に帰れますようにと私は何かに祈らずにはいられなかった。

 夜目にも白く染物とかいてあるハッピの字を眺めて、吻と安心すると、私はもう元気になって、自然に笑い出したくなっている。根津の町でその職人さんに別れると、又私は飄々ひょうひょうと歌をうたいながら路を急いだ。品物のように冷たい男のそばへ……。


(四月×日)

 国からしおの香の高い蒲団を送って来た。お陽様に照らされている縁側の上に、送って来た蒲団を干していると、何故なぜだか父様よ母様よと口に出して唱いたくなってくる。

 今晩は市民座の公演会だ。男は早くから化粧箱と着物を持って出かけてしまった。私は長いこと水を貰わない植木鉢のように、干からびた熱情で二階の窓から男のいそいそとした後姿を眺めていた。夕方四谷よつやの三輪会館に行ってみると場内はもういっぱいの人で、舞台は例の「剃刀」である。男の弟は目ざとく私を見つけると目をまばたきさせて、姉さんはなぜ楽屋に行かないのかとたずねてくれる。人のいい大工をしているこの弟の方は、兄とは全く別な世界に生きているいい人だった。

 舞台は乱暴な夫婦喧嘩げんかの処だった。おおあの女だ。いかにも得意らしくしゃべっているあのひとの相手女優を見ていると、私は初めて女らしい嫉妬しっとを感じずにはいられなかった。男はいつも私と着て寝る寝巻を着ていた。今朝二寸程背中がほころびていたけれど私はわざとなおしてはやらなかったのだ。一人よがりの男なんてまっぴらだと思う。

 私はくしゃみを何度も何度もつづけると、ぷいと帰りたくなってきて、詩人の友達二三人と、暖かい戸外へ出ていった。こんなにいい夜は、裸になって、ランニングでもしたらさぞ愉快だろうと思うなり。


(四月×日)

「僕が電報を打ったら、じき帰っておいで。」と云ってくれるけれど、このひとはまだ嘘を云ってるようだ。私はくやしいけれど十五円の金をもらうと、なつかしい停車場へ急いだ。

 汐の香のしみた私の古里へ私は帰ってゆくのだ。ああ何もかもってしまってくれ、私には何にも用はない。男と私は精養軒の白い食卓につくと、日本料理でささやかな別宴を張った。

「私は当分あっちで遊ぶつもりよ。」

「僕はこうして別れたって、きっと君が恋しくなるのはわかっているんだ。只どうにも仕様のない気持ちなんだよ今は、ほんとうにどうせき止めていいかわからない程、呆然とした気持ちなんだよ。」

 汽車に乗ったら私は煙草でも吸ってみようかと思った。駅の売店で、青いバット五ツ六ツも買い込むと私は汽車の窓から、ほんとうに冷たい握手をした。

「さようなら、体を大事にしてね。」

「有難う……御機嫌よう……」

 固く目をとじて、パッとまぶたを開けてみると、せき止められていた涙が一時にあふれている。明石あかし行きの三等車の隅ッこに、荷物も何もない私は、足を伸び伸びと投げ出して涙の出るにまかせていた。途中で面白そうな土地があったら降りてみようかしらとも思っている。私は頭の上にぶらさがった鉄道地図を、じっと見上げて駅の名を一つ一つ読んでいた。新らしい土地へ降りてみたいなと思うなり。静岡にしようか、名古屋にしようか、だけど何だかそれも不安で仕方がない。暗い窓にもたれて、走っている人家の灯を見ていると、暗い窓にふっと私の顔が鏡を見ているようにはっきり写っている。


男とも別れだ!

私の胸で子供達が赤い旗を振っている

そんなによろこんでくれるか

もう私はどこへも行かず

皆と旗を振って暮らそう。

皆そうして飛び出しておくれ、

そして石を積んでくれ

そして私を胴上げして

石の城の上に乗せておくれ。


さあ男とも別れだ泣かないぞ!

しっかりしっかり旗を振ってくれ

貧乏な女王様のお帰りだ。


 外は真暗闇だ。切れては走る窓の風景に、私は目も鼻も口も硝子ガラス窓に押しつけて、塩辛い干物のように張りついて泣いていた。


 私は、これからいったい何処どこへ行こうとしているのかしら……駅々の物売りの声を聞くたびに、おびえた心で私は目を開けている。ああ生きる事がこんなにむずかしいものならば、いっそ乞食にでもなって、いろんな土地土地を流浪して歩いたら面白いだろうと思う。子供らしい空想にひたっては泣いたり笑ったり、おどけたり、ふと窓を見ると、これは又奇妙な私の百面相だ。ああこんなに面白い生き方もあったのかと、私は固いクッションの上に坐りなおすと、飽きる事もなく、なつかしくいじらしい自分の百面相に凝視みいってしまった。


        *


(五月×日)

私はお釈迦様に恋をしました

ほのかに冷たい唇に接吻すれば

おおもったいない程の

しびれ心になりまする。


もったいなさに

なだらかな血潮が

逆流しまする。


心憎いまでに落ちつきはらった

その男振りに

すっかり私の魂はつられてしまいました。


お釈迦様!

あんまりつれないではござりませぬか

はちの巣のようにこわれた


私の心臓の中に

お釈迦様

ナムアミダブツの無常を悟すのが

能でもありますまいに

その男振りで

炎のような私の胸に

飛びこんで下さりませ

俗世に汚れた

この女の首を

死ぬ程抱きしめて下さりませ

ナムアミダブツのお釈迦様!


 妙に侘しい日だ。気の狂いそうな日だ。天気のせいかも知れない。朝から、降りどおしだった雨が、夜になると風をまじえて、身も心も、突きさしそうに実によく降っている。こんな詩を書いて、壁に張りつけてみたものの私の心はすこしも愉しくはない。

 ──スグコイカネイルカ

 あおぶくれのした電報用紙が、ヒラヒラと私の頭に浮かんで来るのは妙だ。

 馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿を千も万も叫びたいほど、いまは切ない私である。高松の宿屋で、あのひとの電報を本当に受取った私は、嬉し涙を流していた。そうして、はち切れそうな土産物を抱いて、いま、この田端の家へ帰って来たはずだのに──。半月もたたないうちに又別居だとはどうした事なのだろう。私は男に二カ月分の間代を払ってもらうと、ていのいい居残りのままだったし、男は金魚のように尾をヒラヒラさせて、本郷の下宿に越して行ってしまった。昨日も出来上った洗濯物を一ぱい抱えて、私はまるで恋人に会いにでも行くようにいそいそと男の下宿の広い梯子段を上って行ったのだ。ああ私はその時から、飛行船が欲しくなりました。灯のつき始めたすがすがしい部屋に、私の胸に泣きすがったあのひとが、桃割れに結ったあの女優とたった二人で、魚の様にもつれあっているのを見たのです。暗い廊下に出て、私は眼にいっぱい涙をためていました。顔いっぱいが、いいえ体いっぱいが、針金でつくった人形みたいに固くなってしまって、切なかったけれども……。

「やあ……」私は子供のように天真に哄笑こうしょうして、切ない眼を、始終机の足の方に向けていた。あれから今日へ掛けての私は、もう無茶苦茶な世界へのかけ足だ。「十五銭で接吻しておくれよ!」と、酒場で駄々をこねたのも胸に残っている。

 男と云う男はみんなくだらないじゃあないの! 蹴散けちらして、踏みたくってやりたい怒りに燃えて、ウイスキーも日本酒もちゃんぽんに呑み散らした私の情けない姿が、こうしていまは静かに雨の音を聞きながら床の中にじっとしている。今頃は、風でいっぱいふくらんだ蚊帳の中で、あのひとは女優の首を抱えていることだろう……そんな事を思うと、私は飛行船にでも乗って、バクレツダンでも投げてやりたい気持ちなのです。

 私は宿酔ふつかよいと空腹で、ヒョロヒョロしている体を立たせて、ありったけの米を土釜に入れて井戸端に出て行った。階下の人達は皆風呂に出ていたので私はきがねもなく、大きい音をたてて米をサクサク洗ってみたのです。雨に濡れながら、只一筋にはけて行く白い水の手ざわりを一人で楽しんでいる。


(六月×日)

 朝。

 ほがらかな、よいお天気なり。雨戸を繰ると白い蝶々が雪のように群れていて、男性的な季節の匂いが私を驚かす。雲があんなに、白や青い色をして流れている。ほんとにいい仕事をしなくちゃいけないと思う。火鉢にいっぱい散らかっていた煙草の吸殻を捨てると、屋根裏の女の一人住いも仲々いいものだと思った。朦朧もうろうとした気持ちも、この朝の青々とした新鮮な空気を吸うと、ほんとうに元気になって来る。だけど楽しみの郵便が、質屋の流れを知らせて来たのにはうんざりしてしまった。四円四十銭の利子なんか抹殺まっさつしてしまえだ。私は縞の着物に黄いろい帯を締めると、日傘を廻して幸福な娘のような姿で街へ出てみた。例の通り古本屋への日参だ。

「小父さん、今日は少し高く買って頂戴ね。少し遠くまで行くんだから……」この動坂の古本屋の爺さんは、いつものように人のいい笑顔をしわの中に隠して、私の出した本を、そっと両の手でかかえて見ている。

「一番今流行はやる本なの、じき売れてよ。」

「へえ……スチルネルの自我経ですか、一円で戴きましょう。」

 私は二枚の五十銭銀貨を手のひらに載せると、両方のたもとに一ツずつそれを入れて、まぶしい外に出た。そしていつものように飯屋へ行った。

 本当にいつになったら、世間のひとのように、こぢんまりした食卓をかこんで、呑気のんきに御飯が食べられる身分になるのかしらと思う。一ツ二ツの童話位では満足に食ってはゆけないし、と云ってカフエーなんかで働く事は、よれよれにすさんで来るようだし、男に食わせてもらう事は切ないし、やっぱり本を売っては、瞬間瞬間そのときどきの私でしかないのであろう。夕方風呂から帰って爪をきっていたら、画学生の吉田さんが一人で遊びにやって来た。写生に行ったんだと云って、十号の風景画をさげて、絵の具の匂いをぷんぷんただよわせている。詩人の相川さんの紹介で知ったきりで、別に好きでも嫌いでもなかったけれど、一度、二度、三度と来るのが重なると、一寸ちょっと重荷のような気がしないでもない。紫色のシェードの下に、疲れたと云って寝ころんでいた吉田さんは、ころりと起きあがると、


瞼、瞼、薄らつぶった瞼を突いて、

きゅっとえぐって両眼をあける。

長崎の、長崎の

人形つくりはおそろしや!


「こんな唄を知っでいますか、白秋の詩ですよ。貴女を見ると、この詩を思い出すんです。」

 風鈴が、そっと私の心をなぶっていた。涼しい縁端に足を投げ出していた私は、灯のそばにいざりよって男の胸に顔を寄せた。悲しいような動悸どうきを聞いた。悩ましい胸の哀れなひびきの中に、しばし私はうっとりしていた。切ない悲しさだ。女のごうなのだと思う。私の動脈はこんなひとにも噴水の様なしぶきをあげて来る。吉田さんは慄えて沈黙っていた。私は油絵具の中にひそむ、油の匂いをこの時程悲しく思った事はなかった。長い事、私達は情熱の克服に努めていた。やがて、背の高い吉田さんの影が門から消えて行くと、私は蚊帳を胸に抱いたまま泣き出していた。ああ私には別れた男の思い出の方が生々しかったもの……私は別れた男の名を呼ぶと、まるで手におえない我まま娘のようにワッと声を上げて泣いているのだ。


(六月×日)

 今日は隣の八畳の部屋に別れた男の友達の、五十里いそりさんが越して来る日だ。私は何故か、あの男の魂胆がありそうな気がして不安だった。──飯屋へ行く路、お地蔵様へ線香を買って上げる。帰って髪を洗い、さっぱりした気持ちで団子坂の静栄さんの下宿へ行ってみた。「二人」と云う私達の詩のパンフレットが出ている筈だったので元気で坂をかけ上った。窓の青いカーテンをめくって、いつものように窓へもたれて静栄さんと話をした。この人はいつ見ても若い。房々した断髪をかしげて、しめっぽいひとみを輝かしている。夕方、静栄さんと印刷屋へパンフレットを取りに行った。たった八頁だけれど、まるで果物のように新鮮で好ましかった。帰りに南天堂によって、皆に一部ずつ送る。働いてこのパンフレットを長くつづかせたいものだと思う。冷たいコーヒーを飲んでいる肩を叩いて、つじさんが鉢巻をゆるめながら、讃辞さんじをあびせてくれた。「とてもいいものを出しましたね。お続けなさいよ。」飄々たる辻潤の酔態に微笑を送り、私も静栄さんも幸福な気持ちで外へ出た。


(六月×日)

 種まく人たちが、今度文芸戦線と云う雑誌を出すからと云うので、私はセルロイド玩具がんぐの色塗りに通っていた小さな工場の事を詩にして、「工女の唄える」と云うのを出しておいた。今日は都新聞に別れた男への私の詩が載っている。もうこんな詩なんかめましょう。くだらない。もっと勉強して立派な詩を書こうと思う。夕方から銀座の松月と云うカフエーへ行った。ドンの詩の展覧会がここであるからだ。私の下手な字が麗々しく先頭をかざっている。橋爪氏に会う。


(六月×日)

 雨が細かな音をたてて降っている。


陽春二三月  楊柳斉作

春風一夜入閨闥 楊花飄蕩落南家

情出戸脚無 得楊花涙沾

秋去春来双燕子 願銜楊花 窼裏


 灯の下に横坐りになりながら、白花を恋した霊太后れいたいごうの詩を読んでいると、つくづく旅が恋しくなってきた。五十里さんは引っ越して来てからいつも帰りは夜更けの一時過ぎなり。階下の人は勤め人なので九時頃には寝てしまう。時々田端の駅を通過する電車や汽車の音が汐鳴りのように聞えるだけで、この辺は山住いのような静かさだった。つくづく一人が淋しくなった。楊白花のように美しいひとが欲しくなった。本を伏せていると、焦々いらいらして来て私は階下に降りて行くのだ。

「今頃どこへゆくの?」階下の小母さんは裁縫の手を休めて私を見ている。

「割引なのよ。」

「元気がいいのね……」

 蛇の目の傘を拡げると、動坂の活動小屋に行ってみた。看板はヤングラジャと云うのである。私は割引のヤングラジャに恋心を感じた。太湖船の東洋的なオーケストラも雨の降る日だったので嬉しかった。だけど所詮しょせんはどこへ行っても淋しい一人身なり。小屋が閉まると、私は又溝鼠どぶねずみのように部屋へ帰って来る。「誰かお客さんのようでしたが……」小母さんの寝ぼけた声を背中に、疲れて上って来ると、吉田さんが紙を円めながらポッケットへ入れている処だった。

「おそく上って済みません。」

「いいえ、私活動へ行って来たのよ。」

「あんまりおそいんで、置手紙をしてたとこなんです。」

 別に話もない赤の他人なのだけれど、吉田さんは私に甘えてこようとしている。鴨居かもいにつかえそうに背の高い吉田さんを見ていると、私は何か圧されそうなものを感じている。

「随分雨が降るのね……」

 これ位白ばくれておかなければ、今夜こそどうにか爆発しそうで恐ろしかった。壁に背を凭せて、かの人はじっと私の顔を凝視みつめて来た。私はこの男が好きで好きでたまらなくなりそうに思えて困ってしまう。だけど、私はもう色々なものにこりこりしているのだ。私はおとなしく両手を机の上にのせて、灯の光りに眼を走らせていた。私の両の手先きが小さく、慄えている。一本の棒を二人で一生懸命に押しあっている気持ちなり。

「貴女は私をなぶっているんじゃないんですか?」

「どうして?」

 何と云う間の抜けた受太刀だろう。私の生々しい感傷の中へ巻き込まれていらっしゃるきりではありませんか……私は口の内につぶやきながら、このひとをこのままこさせなくするのも一寸淋しい気がしていた。ああ友達が欲しい。こうした優しさを持ったお友達が欲しいのだけれども……私は何時いつか涙があふれていた。

 いっその事、ひと思いに死にたいとも思う。かの人は私をにらみ殺すのかも知れない。生唾が舌の上を走った。私は自分がみじめに思えて仕方がなかった。別れた男との幾月かを送ったこの部屋の中に、色々な夢がまだ泳いでいて私を苦しくしているのだ。──引っ越さなくてはとてもたまらないと思う。私は机に伏さったまま郊外のさわやかな夏景色を頭に描いていた。雨の情熱はいっそう高まって来て、苦しくて仕方がない。「僕を愛して下さい。だまって僕を愛して下さい!」「だからだまって、私も愛しているではありませんか……」せめて手を握る事によってこの青年の胸がいやされるならば……。私はもう男に迷うことは恐ろしいのだ。貞操のない私の体だけども、まだどこかに私の一生を託す男が出てこないとも限らないもの。でもこの人は新鮮な血の匂いを持っている。厚い胸、青い眉、太陽のような眼。ああ私は激流のような激しさで泣いているのだ。


(六月×日)

 淋しく候。くだらなく候。金が欲しく候。北海道あたりの、アカシヤの香る並樹道を一人できままに歩いてみたいものなり。

「もう起きましたか……」

 珍らしく五十里さんの声が障子の外でしている。

「ええ起きていますよ。」

 日曜なので五十里さんと静栄さんと三人で久しぶりに、吉祥寺きちじょうじの宮崎光男さんのアメチョコハウスに遊びに行ってみる。夕方ポーチで犬と遊んでいたら、上野山と云う洋画を描く人が遊びに来た。私はこの人と会うのは二度目だ。私がおさない頃、近松さんの家に女中にはいっていた時、この人は茫々としたむさくるしい姿で、牛の画を売りに来たことがあった。子供さんがジフテリヤで、大変侘し気な風采ふうさいだったのをおぼえている。靴をそろえる時、まるで河馬かばの口みたいに靴の底が離れていたものだった。私は小さいくぎを持って来ると、そっと止めておいてあげた事がある。きっとこの人は気がつかなかったかも知れない。上野山さんは飄々と酒を呑みよく話している。夜、上野山氏は一人で帰って行った。


地球の廻転椅子に腰を掛けて

ガタンとひとまわりすれば

引きずる赤いスリッパが

片っ方飛んでしまった。


淋しいな……

オーイと呼んでも

誰も私のスリッパを取ってはくれぬ

度胸をきめて

廻転椅子から飛び降り

飛んだスリッパを取りに行こうか。


臆病な私の手はしっかり

廻転椅子にすがっている

オーイ誰でもいい

思い切り私の横面を

はりとばしてくれ

そしてはいているスリッパも飛ばしてくれ

私はゆっくり眠りたいのだ。


 落ちつかない寝床の中で、私はこんな詩を頭に描いた。下で三時の鳩時計が鳴っている。


        *


(六月×日)

 世界は星と人とより成る。エミイル・ヴェルハアレンの「世界」と云う詩を読んでいるとこんな事が書いてあった。何もかもあくびばかりの世の中である。私はこの小心者の詩人をケイベツしてやりましょう。人よ、じ難いあの山がいかに高いとても、飛躍の念さえ切ならば、恐れるなかれ不可能の、金の駿馬しゅんめをせめたてよ。──実につまらない詩だけれども、才子と見えて実にうまい言葉を知っている。金の駿馬をせめたてよか……窓を横ぎって紅い風船が飛んで行く。呆然たり、呆然たり、呆然たりか……。何と住みにくい浮世でございましょう。

 故郷より手紙が来る。

 ──現金主義になって、自分の口すぎ位はこっちに心配をかけないでくれ。才と云うものに自惚うぬぼれてはならない。お母さんも、大分衰えている。一度帰っておいで、お前のブラブラ主義には不賛成です。──父より五円の為替。私は五円の為替をひざにおいて、おありがとうござります。私はなさけなくなって、遠い故郷へ舌を出した。


(六月×日)

 前の屍室ししつには、今夜は青い灯がついている。又兵隊が一人死んだのだろう。青い窓の灯を横ぎって通夜をする兵隊の影が二ツぼんやりうつっている。

「あら! ほたるが飛んどる。」

 井戸端で黒島伝治でんじさんの細君がぼんやり空を見上げていた。

「ほんとう?」

 寝そべっていた私も縁端に出てみたけれど、もう螢も何も見えなかった。

 夜。隣の壺井夫婦、黒島夫婦遊びに見える。

 壺井さんいわく。

「今日はとても面白かったよ。黒島君と二人で市場へたらいを買いに行ったら、金も払わないのに、三円いくらのつり銭と盥をくれて一寸ドキッとしたぜ。」

「まあ! それはうらやましい、たしか、クヌウト・ハムスンの『飢え』と云う小説の中にも蝋燭ろうそくを買いに行って、五クローネルのつり銭と蝋燭をただでもらって来るところがありましたね。」

 私も夫も、壺井さんの話は一寸うらやましかった。──泥沼に浮いた船のように、何と淋しい私達の長屋だろう。兵営の屍室と墓地と病院と、安カフエーに囲まれたこの太子堂の暗い家もあきあきしてしまった。

「時に、明日はたけのこ飯にしないかね。」

「たけのこ盗みに行くか……」

 三人の男たちは路の向うの竹藪たけやぶを背戸に持っている、床屋の二階の飯田さんをさそって、裏の丘へたけのこを盗みに出掛けて行った。女達は久しぶりに街の灯を見たかったけれども、あきらめて太子堂の縁日を歩いてみた。竹藪の小路に出した露店のカンテラの灯が噴水のように薫じていた。


(六月×日)

 美しい透きとおった空なので、丘の上の緑を見たいと云って、久し振りに貧しい私達は散歩に出る話をした。かぎを締めて、一足おそく出て行ってみると、どっちへ行ったものか、夫の蔭はその辺に見えなかった。焦々して陽照りのはげしい丘の路を行ったり来たりしてみたけれど随分おかしな話である。待ちぼけを食ったと怒ってしまった夫は、私の背をはげしく突き飛ばすと閉ざした家へはいってしまった。又おこっている。私は泥棒猫のように台所から部屋へはいると、夫はいきなり束子たわしや茶碗を私の胸に投げつけて来た。ああ、この剽軽ひょうきん粗忽そこつ者をそんなにも貴方は憎いと云うのですか……私は井戸端に立ってあおい雲を見ていた。右へ行く路が、左へまちがっていたからと云っても、「馬鹿だねえ」と云う一言ですむではありませんか。私は自分の淋しい影を見ていると、小学生時代に、自分の影を見ては空を見ると、その影が、空にもうつっていたあの不思議な世界のあった頃を思い出してくるのだ。青くて高い空を私はいつまでも見上げていた。子供のように涙がきあふれて来て、私は地べたへしゃがんでしまうと、カイロの水売りのような郷愁の唄をうたいたくなった。

 ああ全世界はお父さんとお母さんでいっぱいなのだ。お父さんとお母さんの愛情が、唯一のものであると云う事を、私は生活にかまけて忘れておりました。白い前垂を掛けたまま、竹藪や、小川や洋館の横を通って、だらだらと丘を降りると、蒸汽船のような工場の音がしていた。ああ尾道おのみちの海! 私は海近いような錯覚をおこして、子供のように丘をかけ降りて行った。そこは交番の横の工場のモーターがうなっているきりで、がらんとした原っぱだった。三宿みしゅくの停留場に、しばらく私は電車に乗る人か何かのように立ってはいたけれど、おなかがすいてめがまいそうだった。

「貴女! 随分さっきから立っていらっしゃいますが、何か心配ごとでもあるのではありませんか。」

 今さきから、じろじろ私を見ていた二人の老婆が、馴々しく近よって来ると私の身体からだをじろじろ眺めている。笑いながら涙をふりほどいている私を連れて、この親切なお婆さんは、ゆるゆる歩きだしながら信仰の強さで足の曲った人が歩けるようになったことだとか、悩みある人が、神の子として、元気に生活に楽しさを感じるようになったとか、色々と天理教の話をしてくれるのであった。

 川添いのその天理教の本部は、いかにも涼しそうに庭に水が打ってあって、かえでの青葉が、爽かにへいの外にふきこぼれていた。二人の婆さんは広い神前にぬかずくと、やがて両手を拡げて、異様な踊を始めだした。

「お国はどちらでいらっしゃいますか?」

 白い着物を着た中年の神主が、私にアンパンと茶をすすめながら、私の侘しい姿を見てたずねた。

「別に国と云って定まったところはありませんけれど、原籍は鹿児島県東桜島です。」

「ホウ……随分遠いんですなあ……」

 私はもうたまらなくなって、うまそうなアンパンを一つつまんで食べた。一口むと案外固くって粉がボロボロ膝にこぼれ落ちている。──何もない。何も考える必要はない。私はつと立って神前に額ずくと、そのまま下駄をはいて表へ出てしまった。パンくずが虫歯の洞穴の中で、ドンドンむれていってもいい。只口に味覚があればいいのだ。──家の前へ行くと、あの男と同じように固く玄関は口をつぐんでいる。私は壺井さんの家へ行くと、ゆっくりと足を投げ出してそこへ寝かしてもらった。

「お宅に少しばかりお米はありませんか?」

 人のいい壺井さんの細君も、自分達の生活にへこたれてしまっているのか、私のそばに横になると、一握の米を茶碗に入れたのを持ってきて、生きる事がいやになってしまったわと云う話におちてしまっている。

「たい子さんとこは、信州から米が来たって云っていたから、あそこへ行って見ましょうか。」

「そりゃあ、ええなあ……」

 そばにいた伝治さんの細君は、両手を打って子供のように喜んでいる。ほんとうに素直な人だ。


(六月×日)

 久し振りに東京へ出て行った。新潮社で加藤武雄さんに会う。文章倶楽部クラブの詩の稿料を六円戴く。いつも目をつぶって通る神楽坂かぐらざかも、今日は素敵に楽しい街になって、店の一ツ一ツを私は愉しみに覗いて通った。


隣人とか

肉親とか

恋人とか

それが何であろう

生活の中の食うと云う事が満足でなかったら

描いた愛らしい花はしぼんでしまう

快活に働きたいと思っても

悪口雑言の中に

私はいじらしい程小さくしゃがんでいる。


両手を高くさしあげてもみるが

こんなにも可愛い女を裏切って行く人間ばかりなのか

いつまでも人形を抱いて沈黙だまっている私ではない

お腹がすいても

職がなくっても

ウオオ! と叫んではならないのですよ

幸福な方が眉をおひそめになる。


血をふいて悶死もんししたって

ビクともする大地ではないのです

陳列箱に

ふかしたてのパンがあるけれど

私の知らない世間は何とまあ

ピヤノのように軽やかに美しいのでしょう。


そこで初めて

神様コンチクショウと呶鳴りたくなります。


 長いあいだ電車にゆられていると、私は又何の慰めもない家へ帰らなければならないのがつまらなくなってきた。詩を書く事がたった一つのよき慰めなり。夜、飯田さんとたい子さんが唄いながら遊びに見えた。


俺んとこの

あの美しい

ケッコ ケッコ鳴くのが

ほしんだろう……。


 二人はそんな唄をうたっている。

 壺井さんのとこで、青い豆御飯を貰った。


(六月×日)

 今夜は太子堂のおまつりで、家の縁側から、前の広場の相撲場がよく見えるので、皆背のびをして集まって見る。「西! 前田河ア」と云う行司の呼び声に、縁側へ爪先立っていた私たちはドッと吹き出して哄笑した。知った人の名前なんかが呼ばれるととてもおかしくてたまらない。貧乏をしていると、皆友情以上に、自分をさらけ出して一つになってしまうものとみえる。みんなはよく話をした。怪談なんかに話が飛ぶと、たい子さんも千葉の海岸で見た人魂ひとだまの話をした。この人は山国の生れなのか非常に美しい肌をもっている。やっぱり男に苦労をしている人なり。夜更け一時過ぎまで花弄はなあそびをする。


(六月×日)

 萩原さんが遊びにみえる。

 酒は呑みたし金はなしで、敷蒲団を一枚屑屋に一円五十銭で売って焼酎しょうちゅうを買うなり。お米が足りなかったのでうどんの玉を買ってみんなで食べた。


平手もて

吹雪にぬれし顔を拭く

友共産を主義とせりけり。


酒呑めば鬼のごとくに青かりし

大いなる顔よ

かなしき顔よ。


 ああ若い私達よ、いいじゃありませんか、いいじゃないか、唄を知らない人達は、啄木を高唱してうどんをつつき焼酎を呑んでいる。その夜、萩原さんを皆と一緒におくって行って、夫が帰って来ると蚊帳がないので私達は部屋を締め切って蚊取り線香をつけて寝につくと、

「オーイ起きろ起きろ!」と大勢の足音がして、麦ふみのように地ひびきが頭にひびく。

「寝たふりをするなよオ……」

「起きているんだろう。」

「起きないと火をつけるぞ!」

「オイ! 大根を抜いて来たんだよ、うまいよ、起きないかい……」

 飯田さんと萩原さんの声が入りまじって聞えている。私は笑いながら沈黙っていた。


(七月×日)

 朝、寝床の中ですばらしい新聞を読んだ。

 本野もとの子爵夫人が、不良少年少女の救済をされると云うので、円満な写真が大きく新聞に載っていた。ああこんな人にでもすがってみたならば、何とか、どうにか、自分の行く道が開けはしないかしら、私も少しは不良じみているし、まだ二十三だもの、私は元気を出して飛びおきると、新聞に載っている本野夫人の住所を切り抜いて麻布あざぶのそのお邸へ出掛けて行ってみた。


 折目がついていても浴衣は浴衣なのだ。私は浴衣を着て、空想で胸をいっぱいふくらませて歩いている。

「パンをおつくりになる、あの林さんでいらっしゃいましょうか?」

 女中さんがそんな事を私にきいた。どういたしまして、パンを戴きに上りました林ですと心につぶやきながら、

一寸ちょっとお目にかかりたいと思いまして……」と云ってみる。

「そうですか、今愛国婦人会の方へ行っていらっしゃいますけれど、すぐお帰りですから。」

 女中さんに案内をされて、六角のように突き出た窓ぎわのソファに私は腰をかけて、美しい幽雅な庭に見いっていた。青いカーテンを透かして、風までがすずやかにふくらんではいって来る。

「どう云う御用で……」

 やがてずんぐりした夫人は、せみのように薄い黒羽織を着て応接間にはいって来た。

「あのお先きにお風呂をお召しになりませんか……」

 女中が夫人にたずねている。私は不良少女だと云う事がいやになってきて、夫が肺病で困っていますから少し不良少年少女をお助けになるおあまりを戴きたいと云ってみた。

「新聞で何か書いたようでしたが、ほんのそう云う事業に手助けをしているきりで、お困りのようでしたら、九段の婦人会の方へでもいらっして、仕事をなさってはいかがですか……」

 私は程よくほこりのように外に出されてしまったけれど、──彼女が眉をさかだててなぜあの様な者を上へ上げましたと、いまごろは女中を叱っているであろう事をおもい浮べて、ツバキをひっかけてやりたいような気持ちだった。ヘエー何が慈善だよ、何が公共事業だよだ。夕方になると、朝から何も食べていない二人は、暗い部屋にうずくまってあてのない原稿を書いた。

「ねえ、洋食を食べない?」

「ヘエ?」

「カレーライス、カツライス、それともビフテキ?」

「金があるのかい?」

「うん、だって背に腹はかえられないでしょう、だから晩に洋食を取れば、明日の朝までは金を取りにこないでしょう。」

 洋食をとって、初めて肉の匂いをかぎ、ずるずるした油をなめていると、めまいがしそうに嬉しくなってくる。一口位は残しておかなくちゃ変よ。腹が少し豊かになると、生きかえったように私達は私達の思想に青い芽をやす。全く鼠も出ない有様なのだから仕方もない──。

 私は蜜柑みかん箱の机にもたれて童話のようなものをかき始める。外は雨の音なり。玉川の方で、絶え間なく鉄砲を打つ音がしている。深夜だと云うのに、元気のいい事だ。だが、いつまでこんな虫みたいな生活が続くのだろうか、うつむいて子供の無邪気な物語を書いていると、つい目頭が熱くなって来るのだ。

 イビツな男とニンシキフソクの女では、一生たったとて白い御飯が食えそうにもありません。


        *


(七月×日)

 胸にしみるようなわびしさだ。夕方、頭の禿げた男の云う事には、「俺はこれから女郎買いに行くのだが、でもお前さんが好きになったよ、どうだい?」私は白いエプロンをくしゃくしゃに円めて、涙を口にくくんでいた。

「お母アさん! お母アさん!」

 何もかも厭になってしまって、二階の女給部屋の隅に寝ころんでいる。鼠が群をなして走っている。暗さが眼に馴れてくると、雑然と風呂敷包みが石塊のように四囲に転がっていて、寝巻や帯が、海草のように壁に乱れていた。煮えくり返るようなそうぞうしい階下の雑音の上に、おばけでも出て来そうに、女給部屋は淋しいのだ。ドクドクと流れ落ちる涙と、ガスのように抜けて行く悲しみの氾濫はんらん、何か正しい生活にありつきたいと思うなり。そうして落ちついて本を読みたいものだ。


しゅうねく強く

家の貧苦、酒の癖、遊怠あそびの癖、

みなそれだ。

ああ、ああ、ああ


切りつけろそれらに

とんでのけろ、はねとばせ

私が何べん叫びよばった事か、苦しい、

血を吐くように芸術を吐き出して狂人のように踊りよろこぼう。


 槐多かいたはかくも叫びつづけている。こんなうらぶれた思いの日、チエホフよ、アルツイバアセフよ、シュニッツラア、私の心の古里を読みたいものだと思う。働くと云う事を辛いと思った事は一度もないけれど、今日こそ安息がほしいと思う。だが今はみんなお伽話とぎばなしのようなことだ。

 薄暗い部屋の中に、私は直哉なおやの「和解」を思い出していた。こんなカフエーの雑音に巻かれていると、日記をつける事さえおっくうになって来ている。──まず雀が鳴いているところ、朗かな朝陽が長閑のどかに光っているところ、陽にあたって青葉の音が色が雨のように薫じているところ、槐多ではないけれど、狂人のように、一人居の住居が恋しくなりました。

 十方むなしく御座候だ。暗いので、私は只じっと眼をとじているなり。

「オイ! ゆみちゃんはどこへ行ったんだい?」

 階下でお上さんが呼んでいる。

「ゆみちゃん居るの? お上さんが呼んでてよ。」

「歯が痛いから寝てるって云って下さい。」

 八重ちゃんが乱暴に階下へ降りて行くと、漠々とした当のない痛い気持ちが、いっそ死んでしもうたならと唄い出したくなっている。メフィストフェレスがそろそろ踊り出して来たぞ! 昔おえらいルナチャルスキイとなん申します方が、──生活とは何ぞや? 生ける有機体とは何ぞや? と云っている。ルナチャルスキイならずとも、生活とは何ぞや? 生ける有機体とは何ぞやである。落ちたるマグダラのマリヤよ、自己保存の能力を叩きこわしてしまうのだ。私は頭の下に両手を入れると、死ぬる空想をしていた。毒薬を呑む空想をした。「お女郎を買いに行くより、お前が好きになった。」何と人生とはくだらなく朗かである事だろう。どうせ故郷もない私、だが一人の母のことを考えると切なくなって来る。泥棒になってしまおうかしら、女馬賊になってしまおうかしら……。別れた男の顔が、熱いまぶたに押して来る。

「オイ! ゆみちゃん、ひとが足りない事はよく知ってんだろう、少々位は我慢して階下へ降りて働いておくれよ。」

 お上さんが、声をとがらせて梯子はしご段を上って来た。ああ何もかも一切合財が煙だ砂だ泥だ。私はエプロンのひもを締めなおすと、陽気に唄を唄いながら、海底のような階下の雑沓ざっとうの中へ降りて行った。


(七月×日)

 朝から雨なり。

 造ったばかりのコートを貸してやった女は、とうとう帰って来なかった。一夜の足留りと、コートを借りて、のように女は他の足留りへ行ってしまった。

「あんたは人がいいのよ、昔から人を見れば泥棒と思えって言葉があるじゃないの。」

 八重ちゃんが白いくるぶしをきながら私を嘲笑あざわらっている。

「ヘエ! そんな言葉があったのかね。じゃ私も八重ちゃんの洋傘でも盗んで逃げて行こうかしら。」

 私がこんなことを云うと、寝ころんでいた由ちゃんが、

「世の中が泥棒ばかりだったら痛快だわ……」と云っている。由ちゃんは十九で、サガレンで生れたのだと白い肌が自慢だった。八重ちゃんが肌を抜いでいる栗色の皮膚に、窓ガラスの青い雨の影が、細かく写っている。

「人間ってつまらないわね。」

「でも、木の方がよっぽどつまらないわ。」

「火事が来たって、大水が来たって、木だったら逃げられないわよ……」

「馬鹿ね!」

「ふふふふ誰だって馬鹿じゃないの──」

 女達のおしゃべりは夏の青空のように朗かである。ああ私も鳥か何かに生れて来るとよかった。電気をつけて、みんなで阿弥陀あみだを引いた。私は四銭。女達はアスパラガスのように、ドロドロと白粉おしろいをつけかけたまま皆だらしなく寝そべって蜜豆みつまめを食べている。雨がカラリと晴れて、窓から涼しい風が吹きこんでくる。

「ゆみちゃん、あんたいい人があるんじゃない? 私そうにらんだわ。」

「あったんだけれど遠くへ行っちゃったのよ。」

「素敵ね!」

「あら、なぜ?」

「私は別れたくっても、別れてくんないんですもの。」

 八重ちゃんは空になったスプーンをめながら、今の男と別れたいわと云っている。どんな男のひとと一緒になってみても同じ事だろうと私が云うと、

「そんな筈ないわ、石鹸せっけんだって、十銭のと五十銭のじゃ随分品が違ってよ。」と云うなり。

 夜。酒を呑む。酒におぼれる。もらいは二円四十銭、アリガタヤ、カタジケナヤ。


(七月×日)

 心が留守になっているとつまずきが多いものだ。激しい雨の中を、私の自動車は八王子街道を走っている。

 もっと早く!

 もっと早く!

 たまに自動車に乗るといい気持ちなり。雨の町に燈火がつきそめている。

「どこへ行く?」

「どこだっていいわ、ガソリンが切れるまで走ってよ。」

 運転台の松さんの頭が少し禿げかけている。若禿げかしら。──午後からの公休日を所在なく消していると、自分で車を持っている運転手の松さんが、自動車に乗せてやろうと云ってくれる。田無たなしと云う処まで来ると、赤土へ自動車がこね上ってしまって、雨の降るくぬぎ林の小道に、自動車はピタリと止ってしまった。遠くの、眉程の山裾に、灯がついているきりで、ざんざ降りの雨にまじって、地鳴りのように雷鳴がして稲妻が光りだした。雷が鳴るとせいせいしていい気持ちだけれど、シボレーの古自動車なので、雨がガラス窓に叩かれるたび、霧のようなしぶきが車室にはいってくる。そのたそがれた櫟の小道を、自動車が一台通ったきりで、雨の怒号と、雷と稲妻。

「こんな雨じゃア道へ出る事も出来ないわね。」

 松つぁんは沈黙って煙草を吸っている。こんな善良そうな男に、芝居もどきのコンタンはあり得ない。雨は冷たくていい気持ちだった。雷も雨も破れるような響きをしている。自動車は雨に打たれたまま夜の櫟林にとまってしまった。

 私は何かせっぱつまったものを感じた。機械油くさい松さんの菜っぱ服をみていると、私はおかしくもない笑いがこみ上げて来て仕方がない。十七八の娘ではないもの。私は逃げる道なんか上手に心得ている。

 私がつくろって言った事は、「あんたは、まだ私を愛してるとも云わないじゃないの……暴力で来る愛情なんて、私は大嫌いよ。私が可愛かったら、もっとおとなしくならなくちゃア厭!」

 私は男の腕におおかみのような歯形を当てた。涙に胸がむせた。負けてなるものか。雨の夜がしらみかけた頃、男は汚れたままの顔をゆるめて眠っている。


 遠くで青空れいめいをつげる鶏の声がしている。朗かな夏の朝なり。昨夜の汚ない男の情熱なんかケロリとしたように、風が絹のように音をたてて流れてくる。この男があの人だったら……コッケイな男の顔を自動車に振り捨てたまま、私は泥んこの道に降り歩いた。紙一重の昨夜のつかれに、れぼったい瞼を風に吹かせて、久し振りに私は晴々と郊外の路を歩いていた。──私はケイベツすべき女でございます! すさみきった私だと思う。走って櫟林を抜けると、ふと松さんがいじらしく気の毒に思えてくる。疲れて子供のように自動車に寝ている松さんの事を考えると、走って帰っておこしてあげようかとも思う。でも恥かしがるかもしれない。私は松さんが落ちついて、運転台で煙草を吸っていた事を考えると、やっぱり厭な男に思え、ああよかったと晴々するなり。誰か、私をいとしがってくれる人はないものかしら……遠くへ去った男が思い出されたけれども、ああ七月の空に流離の雲が流れている。あれは私の姿だ。野花を摘み摘み、プロヴァンスの唄でもうたいましょう。


(八月×日)

 女給達に手紙を書いてやる。

 秋田から来たばかりの、おみきさんが鉛筆を嘗めながら眠りこんでいる。酒場ではお上さんが、一本のキング・オブ・キングスを清水で七本に利殖しているのだ。埃と、むし暑さ、氷を沢山呑むと、髪の毛が抜けると云うけれど、氷を飲まない由ちゃんも、冷蔵庫から氷の塊を盗んで来ては、一人でハリハリ噛んでいる。

「一寸! ラヴレーターって、どんな書出しがいいの……」

 八重ちゃんが真黒な眼をクルクルさせて赤い唇を鳴らしている。秋田とサガレンと、鹿児島と千葉の田舎女達が、店のテーブルを囲んで、遠い古里に手紙を書いているのだ。

 今日は街に出てメリンスの帯を一本買うなり。一円二銭──八尺求める──。何か落ちつける職業はないものかと、新聞の案内欄を見てみるけれどいい処もない。いつもの医専の学生の群がはいって来る。ハツラツとした男の体臭がしおのように部屋に流れて来て、学生好きの、八重ちゃんは、書きかけのラヴレーターをしまって、両手で乳をおさえてしなをつくっている。

 二階では由ちゃんが、サガレン時代のごうだと云って、私に見られたはずかしさに、プンプン匂う薬をしまってゴロリと寝ころんでいた。

「世の中は面白くないね。」

「ちっともね……」

 私はお由さんの白い肌を見ていると、妙に悩ましい気持ちだった。

「私は、これでも子供を二人も産んだのよ。」

 お由さんはハルピンのホテルの地下室で生れたのを振り出しに、色んなところを歩いて来たらしい。子供は朝鮮のお母さんにあずけて、新らしい男と東京へ流れて来ると、お由さんはおきまりの男を養うためのカフエー生活だそうだ。

「着物が一二枚出来たら、銀座へ乗り出そうかしらと思っているのよ。」

「こんなこと、いつまでもやる仕事じゃないわね、体がチャチになってよ。」

 春夫の東窓残月の記を読んでいると、何だか、何もかも夢のようにと一言眼を射た優しい柔かい言葉があった。何もかも夢のように……、落ちついてみたいものなり。キハツで紫のえりをふきながら、「ゆみちゃん! どこへ行ってもたよりは頂戴ね。」と、由ちゃんが涙っぽく私へこんなことを云っている。何でもかでも夢のようにね……。

「そんなほん面白いの。」

「うん、ちっとも。」

「いいほんじゃないの……私高橋おでんの小説読んだわ。」

「こんなほんなんか、自分が憂鬱になるきりよ。」


(八月×日)

 よそへ行って外のカフエーでも探してみようかと思う日もある。まるでアヘンでも吸っているように、ずるずるとこの仕事に溺れて行く事が悲しい。毎日雨が降っている。

 ──ここに吾等は芸術の二ツの道、二ツの理解を見出す。人間が如何いかなる道によって進むか。夢想! 美の小さなオアシスの探求の道によってか、それとも能動的に創造の道によってかは、勿論もちろん、一部分理想の高さに関係する。理想が低ければ低いほど、それだけ人間は実際的であり、この理想と現実との間の深淵しんえんが彼にはより少く絶望的に思われる。けれども主として、それは人間の力の分量に、エネルギイの蓄積に、彼の有機体が処理しつつある栄養の緊張力に関係する。緊張せる生活はその自然的な補いとして創造、争闘の緊張、翹望ぎょうぼうを持つ──女達が風呂に出はらった後の昼間の女給部屋で、ルナチャルスキイの「実証美学の基礎」を読んでいると、こんな事が書いてあった。──ああどうにも動きのとれない今の生活と、感情の落ちつきなさが、私を苦しめるなり。私は暗くなってしまう。勉強をしたいと思うあとから、とてつもなくだらしのない不道徳な野性が、私の体中をはしりまわっている。みきわめのつかない生活、死ぬるか生きるかの二ツの道……。夜になれば、白人国に買われた土人のような淋しさでらちもない唄をうたっている。メリンスの着物は汗で裾にまきつくと、すぐピリッと破けてしまう。実もフタもないこの暑さでは、涼しくなるまで、何もかもおあずけで生きているより仕方もない。

 何の条件もなく、一カ月三十円もくれる人があったら、私は満々としたいい生活が出来るだろうと思う。


        *


(十月×日)

 一尺四方の四角な天窓を眺めて、初めて紫色に澄んだ空を見たのだ。秋が来た。コック部屋で御飯を食べながら、私は遠い田舎の秋をどんなにか恋しく懐しく思った。秋はいいな。今日も一人の女が来ている。マシマロのように白っぽい一寸面白そうな女なり。ああ厭になってしまう、なぜか人が恋しい。──どの客の顔も一つの商品に見えて、どの客の顔も疲れている。なんでもいい私は雑誌を読む真似をして、じっと色んな事を考えていた。やり切れない。なんとかしなくては、全く自分で自分を朽ちさせてしまうようなものだ。


(十月×日)

 広い食堂ホールの中を片づけてしまって初めて自分の体になったような気がした。真実ほんとうにどうにかしなければならぬ。それは毎日毎晩思いながら、考えながら、部屋に帰るのだけれども、一日中立ってばかりいるので、疲れて夢も見ずにすぐ寝てしまうのだ。淋しい。ほんとにつまらない。住み込みは辛いと思う。その内、通いにするように部屋を探したいと思うけれども何分出る事も出来ない。夜、寝てしまうのがおしくて、暗い部屋の中でじっと眼を開けていると、どぶの処だろう虫が鳴いている。

 冷たい涙が腑甲斐ふがいなく流れて、泣くまいと思ってもせぐりあげる涙をどうする事も出来ない。何とかしなくてはと思いながら、古い蚊帳の中に、樺太からふとの女や、金沢の女達と三人枕を並べているのが、私には何だか小店にさらされた茄子なすのようで侘しかった。

「虫が鳴いてるわよ。」そっと私が隣のお秋さんにつぶやくと、「ほんとにこんな晩は酒でも呑んで寝たいわね。」とお秋さんが云う。

 梯子段の下に枕をしていたお俊さんまでが、「へん、あの人でも思い出したかい……」と云った。──皆淋しいお山の閑古鳥かんこどりだ。うすら寒い秋の風が蚊帳の裾を吹いた。十二時だ。


(十月×日)

 少しばかりのお小遣いがたまったので、久し振りに日本髪に結ってみる。日本髪はいいな。キリリと元結を締めてもらうと眉毛が引きしまって。たっぷりと水を含ませた鬢出びんだしで前髪をかき上げると、ふっさりと前髪は額に垂れて、違った人のように私も美しくなっている。鏡に色目をつかったって、鏡がれてくれるばかり。こんなに綺麗に髪が結えた日には、何処どこかへ行きたいと思う。汽車に乗って遠くへ遠くへ行ってみたいと思う。

 隣の本屋で銀貨を一円札に替えてもらって田舎へ出す手紙の中に入れておいた。喜ぶだろうと思う。手紙の中からお札が出て来る事は私でも嬉しいもの。

 ドラ焼を買って皆と食べた。

 今日はひどい嵐なり。雨がとてもよく降っている。こんな日は淋しい。足が石のように固く冷える。


(十月×日)

 静かな晩だ。

「お前どこだね国は?」

 金庫の前に寝ている年取った主人が、この間来た俊ちゃんに話しかけていた。寝ながら他人の話を聞くのも面白いものだ。

「私でしか……樺太です。豊原とよはらって御存知でしか?」

「へえ、樺太から? お前一人で来たのかね?」

「ええ……」

「あれまあ、お前はきつい女だねえ。」

「長い事、函館の青柳町にもいた事があります。」

「いい所に居たんだね、俺も北海道だよ。」

「そうでしょうと思いました。言葉にあちらのなまりがありますもの。」

 啄木の歌を思い出して私は俊ちゃんが好きになった。


函館の青柳町こそ悲しけれ

友の恋歌

矢車の花。


 いい歌だと思う。生きている事も愉しいではありませんか。真実ほんとうに何だか人生も楽しいもののように思えて来た。皆いい人達ばかりである。初秋だ、うすら冷たい風が吹いている。侘しいなりにも何だか生きたい情熱が燃えて来るなり。


(十月×日)

 お母さんが例のリュウマチで、体具合が悪いと云って来た。もらいがちっとも無い。

 客の切れ間に童話を書いた。題「魚になった子供の話」十一枚。何とかして国へ送ってあげよう。老いて金もなく頼る者もない事は、どんなに悲惨な事だろう。可哀想なお母さん、ちっとも金を無心して下さらないので余計どうしていらっしゃるかと心配しています。

 と思う。

「その内お前さん、俺んとこへ遊びに行かないか、田舎はいいよ。」

 三年もこの家で女給をしているお計ちゃんが男のような口のききかたで私をさそってくれた。

「ええ……行きますとも、何時いつでも泊めてくれて?」

 私はそれまで少し金を貯めようと思う。こんな処の女達の方がよっぽど親切で思いやりがあるのだ。

「私はねえ、もう愛だの恋だの、貴郎あなたに惚れました、一生捨てないでねなんて馬鹿らしい事は真平だよ。こんな世の中でお前さん、そんな約束なんて何もなりはしないよ。私をこんなにした男はねえ、代議士なんてやってるけれど、私に子供を生ませるとぷいさ。私達が私生児を生めば皆そいつがモダンガールだよ、いい面の皮さ……馬鹿馬鹿しい浮世じゃないの? 今の世は真心なんてものは薬にしたくもないのよ。私がこうして三年もこんな仕事をしてるのは、私の子供が可愛いからなのさ……」

 お計さんの話を聞いていると、焦々した気持ちが、急に明るくなってくる。素敵にいい人だ。


(十月×日)

 ガラス窓を眺めていると、雨が電車のように過ぎて行った。今日は少しかせいだ。俊ちゃんは不景気だってこぼしている。でも扇風器の台に腰を掛けて、憂鬱そうに身の上話をしていたが、正直な人と思った。浅草の大きなカフエーに居て、友達にいじめられて出て来たんたけれど、浅草の占師に見てもらったら、神田の小川町あたりがいいって云ったので来たのだと云っていた。

 お計さんが、「おい、ここは錦町になってるんだよ。」と云ったら、「あらそうかしら……」とつまらなそうな顔をしていた。この家では一番美しくて、一番正直で、一番面白い話を持っていた。


(十月×日)

 仕事を終ってから湯にはいるとせいせいする気持ちだ。広い食堂を片づけている間に、コックや皿洗い達が洗湯をつかって、二階の広座敷へ寝てしまうと、私達はいつまでも風呂を楽しむ事が出来た。湯につかっていると、朝から一寸も腰掛けられない私達は、皆疲れているのでうっとりとしてしまう。秋ちゃんが唄い出すと、私は茣蓙ござの上にゴロリと寝そべって、皆が湯から上ってしまうまで、聞きとれているのだ。──貴方一人に身も世も捨てた、私しゃ初恋しぼんだ花よ。──何だか真実ほんとうに可愛がってくれる人が欲しくなった。だけど、男の人は嘘つきが多いな。金を貯めて呑気な旅でもしましょう。


 この秋ちゃんについては面白い話がある。

 秋ちゃんは大変言葉が美しいので、昼間の三十銭の定食組の大学生達は、マーガレットのように秋ちゃんをカンゲイした。秋ちゃんは十九で処女で大学生が好きなのだ。私は皆の後から秋ちゃんのたくみに動く眼を見ていたけれど、眼の縁の黒ずんだ、そして生活に疲れた衿首のしわを見ていると、けっして十九の女の持つ若さではないと思える。

 その来た晩に、皆で風呂にはいる時だった、秋ちゃんは侘しそうにしょんぼり廊下の隅に何時までも立っていた。

「おい! 秋ちゃん、風呂へはいって汗を流さないと体がくさってしまうよ。」

 お計さんは歯ブラシを使いながら大声で呼びたてると、やがて秋ちゃんは手拭で胸を隠しながら、そっと二坪ばかりの風呂へはいって来た。

「お前さんは、赤ん坊を生んだ事があるんだろう?」お計ちゃんがそんな事をいている。


 庭は一面に真白だ!

 お前忘れやしないだろうね。ルューバ? ほら、あの長い並木道が、まるで延ばした帯皮のように、何処までも真直ぐに長く続いて、月夜の晩にはキラキラ光る。

 お前覚えているだろう? 忘れやしないだろう?

 …………

 そうだよ。この桜の園まで借金のかたに売られてしまうのだからね、どうも不思議だと云って見た処で仕方がない……。と、桜の園のガーエフの独白を、別れたあのひとはよく云っていたものだ。私は何だか塩っぽい追憶にふけっていて、ゆがんだガラス窓の大きい月を見ていた。お計さんが甲高い声で何か云っていた。

「ええ私ね、二ツになる男の子があるのよ。」

 秋ちゃんは何のためらいもなく、乳房を開いて勢いよく湯煙をあげて風呂へはいった。

「うふ、私、処女よもおかしなものさね。私しゃお前さんが来た時から睨んでいたのよ。だがお前さんだって何か悲しい事情があって来たんだろうに、亭主はどうしたの。」

「肺が悪くて、赤ん坊と家にいるのよ。」

 不幸な女が、あそこにもここにもうろうろしている。

「あら! 私も子供を持った事があるのよ。」

 肥ってモデルのようにしなしなした手足を洗っていた俊ちゃんがトンキョウに叫んだ。

「私のは三月目でおろしてしまったのよ。だってしゃくにさわるったらないの。私は豊原の町中でも誰も知らない者がないほど華美な暮しをしていたのよ。私がお嫁に行った家は地主だったけど、とてもひらけていて、私にピヤノをならわせてくれたのよ。ピヤノの教師っても東京から流れて来たピヤノ弾き。そいつにすっかりだまされてしまって、私子供をはらんでしまったの。そいつの子供だってことは、ちゃんと判っていたから云ってやったわ。そしたら、そいつの言い分がいいじゃないの──旦那さんの子にしときなさい──だってさ、だから私口惜くやしくて、そんな奴の子供なんか産んじゃ大変だと思って辛子からしを茶碗一杯といて呑んだわよふふふ、どこまで逃げたって追っかけて行って、人の前でツバを引っかけてやるつもりよ。」

「まあ……」

「えらいね、あんたは……」

 仲間らしい讃辞がしばしまなかった。お計さんは飛び上って風呂水を何度も何度も、俊ちゃんの背中にかけてやっていた。私は息づまるような切なさで感心している。弱い私、弱い私……私はツバを引っかけてやるべき裏切った男の頭を考えていた。お話にならない大馬鹿者は私だ! 人のいいって云う事が何の気安めになるだろうか──。


(十月×日)

 と目を覚ますと、俊ちゃんはもう支度をしていた。

「寝すぎたよ、早くしないと駄目だわよ。」

 湯殿に二人の荷物を運ぶと、私はホッとしたのだ。博多帯を音のしないように締めて、髪をつくろうと、私は二人分の下駄を店の土間からもって来た。朝の七時だと云うのに、料理場は鼠がチロチロしていて、人のいい主人のいびきも平らだ。お計さんは子供の病気で昨夜千葉へ帰って留守だった。──私達は学生や定食の客ばかりではどうする事も出来なかった。止めたい止めたいと俊ちゃんと二人でひそひそ語りあったものの、みすみす忙がしい昼間の学生連と、少い女給の事を思うと、やっぱり弱気の二人は我慢しなければならなかったのだ。金が這入はいらなくて道楽にこんな仕事も出来ない私達は、逃げるより外に方法もない。朝の誰もいない広々とした食堂の中は恐ろしく深閑としていて、食堂のセメントの池には、赤い金魚が泳いでいる。部屋には灰色に汚れた空気がよどんでいた。路地口の窓を開けて、俊ちゃんは男のようにピョイと地面へ飛び降りると、湯殿の高窓から降した信玄袋を取りに行った。私は二三冊の本と化粧道具を包んだ小さな包みきりだった。

「まあこんなにあるの……」

 俊ちゃんはお上りさんのような恰好で、蛇の目の傘と空色のパラソルを持ってくる。それにたるのような信玄袋を持っていて、これはまるで切実な一つの漫画のようだった。小川町の停留所で四五台の電車を待ったけれど、登校時間だったせいか来る電車はどれも学生で満員だった。往来の人に笑われながら、朝のすがすがしい光りをあびていると顔も洗わない昨夜からの私達は、薄汚く見えただろう。たまりかねて、私達二人はそばやに飛び込むと初めてつっぱった足を延ばした。そば屋の出前持ちの親切で、円タクを一台頼んでもらうと、二人は約束しておいた新宿の八百屋の二階へ越して行った。自動車に乗っていると、全く生きる事に自信が持てなかった。ぺしゃんこに疲れ果ててしまって、水がやけに飲みたかった。

「大丈夫よ! あんな家なんか出て来た方がいいのよ。自分の意志通りに動けば私は後悔なんてしない事よ。」

「元気を出して働くわねえ。あんたは一生懸命勉強するといいわ……」

 私は目を伏せていると、涙があふれて仕方がなかった。たとえ俊ちゃんの言った事が、センチメンタルな少女らしい夢のようなことであったとしても、今のたよりない身には只わけもなく嬉しかった。ああ! 国へ帰りましょう。……お母さんの胸の中へ走って帰りましょう……自動車の窓から朝の健康な青空を見上げた。走って行く屋根を見ていた。鉄色にさびた街路樹のこずえに雀の飛んでいるのを私は見ていた。


うらぶれて異土のかたいとなろうとも

古里は遠きにありて思うもの……


 かつてこんな詩を何かで読んで感心した事があった。


(十月×日)

 秋風が吹くようになった。俊ちゃんは先の御亭主に連れられて樺太に帰ってしまった。

「寒くなるから……」と云って、八端はったんのドテラをかたみに置いて俊ちゃんは東京をたってしまった。私は朝から何も食べない。童話や詩を三ツ四ツ売ってみた所で白い御飯が一カ月のどへ通るわけでもなかった。お腹がすくと一緒に、頭がモウロウとして来て、私は私の思想にもカビを生やしてしまうのだ。ああ私の頭にはプロレタリアもブルジュアもない。たった一握りの白い握り飯が食べたいのだ。

「飯を食わせて下さい。」

 眉をひそめる人達の事を思うと、いっそ荒海のはげしいただなかへ身を投げましょうか。夕方になると、世俗の一切を集めて茶碗のカチカチと云う音が階下から聞えて来る。グウグウ鳴る腹の音を聞くと、私は子供のように悲しくなって来て、遠く明るいくるわの女達がふっとうらやましくなってきた。私はいま飢えているのだ。沢山の本も今はもう二三冊になってしまって、ビール箱には、善蔵の「子を連れて」だの、「労働者セイリョフ」、直哉の「和解」がささくれているきりなり。

「又、料理店でも行ってかせぐかな。」

 切なくあきらめてしまった私は、おきゃがりこぼしのだるまのように、変にフラフラした体を起して、歯ブラシや石鹸や手拭を袖に入れると、私は風の吹く夕べの街へ出て行った──。女給入用のビラの出ていそうなカフエーを次から次へ野良犬のように尋ねて、只食うめに、何よりもかによりも私の胃のは何か固形物を欲しがっているのだ。ああどんなにしても私は食わなければならない。街中が美味おいしそうな食物で埋っているではないか! 明日は雨かも知れない。重たい風が飄々と吹く度に、興奮した私の鼻穴に、すがすがしい秋の果実店からあんなに芳烈な匂いがしてくる。


        *


(十月×日)

 焼栗の声がなつかしい頃になった。廓を流して行く焼栗屋のにぶい声を聞いていると、妙に淋しくなってしまって、暗い部屋の中に私は一人でじっと窓を見ている。私は小さい時から、冬になりかけるとよく歯が痛んだものだ。まだ母親に甘えている時は、畳にごろごろして泣き叫び、ビタビタと梅干を顔一杯塗って貰っては、しゃっくりをして泣いている私だった。だが、ようやく人生も半ば近くに達し、旅の空の、こうした侘しいカフエーの二階に、歯を病んで寝ていると、じき故郷の野や山や海や、別れた人達の顔を思い出してくる。

 水っぽい眼を向けてお話をする神様は、歪んだ窓外の飄々としたあのお月様ばかりだ……。


「まだ痛む?」

 そっと上って来たお君さんの大きいひさし髪が、月の光りで、くらく私の上におおいかぶさる。今朝から何も食べない私の鼻穴に、プンと海苔のりの香をただよわせて、お君さんは枕元に寿司皿を置いた。そして黙って、私の目を見ていた。優しい心づかいだと思う。わけもなく、涙がにじんできて、薄い蒲団の下から財布を出すと、君ちゃんは、「馬鹿ね!」と、厚紙でも叩くような軽い痛さで、お君さんは、ポンと私の手を打った。そして、蒲団の裾をジタジタとおさえて、そっと又、裏梯子を降りて行くのだ。ああなつかしい世界である。


(十月×日)

 風が吹いている。

 夜明近く水色の細い蛇が、スイスイと地をっている夢を見た。それにとき色の腰紐が結ばれていて、妙に起るときから胸さわぎがして仕方がない。素敵に楽しい事があるような気がする。朝の掃除がすんで、じっと鏡を見ていると、あおくむくんだ顔は、生活に疲れさんで、私はああと長い溜息ためいきをついた。壁の中にでもはいってしまいたかった。今朝も泥のような味噌汁と残り飯かと思うと、支那そばでも食べたいなあと思う。私は何も塗らないぼんやりとした自分の顔を見ていると、急に焦々いらいらしてきて、唇に紅々あかあかとべにを引いてみた。──あの人はどうしているかしら、切れ掛った鎖をそっとつかもうとしたけれども、お前達はやっぱり風景の中の並樹だよ……神経衰弱になったのか、何枚も皿を持つ事が恐ろしくなっている。

 のれん越しにすがすがしい三和土たたきの上の盛塩を見ていると、女学生の群に蹴飛けとばされて、さっと散っては山がずるずるとひくくなって行っている。私がこの家に来て丁度二週間になる。もらいはかなりあるのだ。朋輩ほうばいが二人。お初ちゃんと言う女は、名のように初々しくて、銀杏返いちょうがえしのよく似合うほんとに可愛い娘だった。

「私は四谷で生れたのだけれど、十二の時、よその小父さんに連れられて、満洲まんしゅうにさらわれて行ったのよ。私芸者屋にじき売られたから、その小父さんの顔もじき忘れっちまったけれど……私そこの桃千代と云う娘と、広いつるつるした廊下を、よくすべりっこしたわ、まるで鏡みたいだったの。内地から芝居が来ると、毛布をかぶって、長靴をはいて見にいったのよ。土が凍ってしまうと下駄で歩けるの。だけどお風呂から上ると、びんの毛がピンとして、とてもおかしいわよ。私六年ばかりいたけど、満洲の新聞社の人に連れて帰ってもらったの。」

 客が飲み食いして行った後の、こぼれた酒で、テーブルに字を書きながら、可愛らしいお初ちゃんは、重たい口で、こんな事を云った。もう一人私より一日早くはいったお君さんは背の高い母性的な、気立のいい女だった。廓の出口にあるこの店は、案外しっとり落ちついていて、私は二人の女達ともじき仲よくなれた。こんな処に働いている女達は、初めはどんなに意地悪くコチコチに用心しあっていても、仲よくなんぞなってくれなくっても、一度何かのはずみで真心を見せ合うと、他愛もなくすぐまいってしまって、十年の知己のように、姉妹以上になってしまうのだ。客が途絶えてくると、私達はよくかたつむりのようにまあるくなって話した。


(十一月×日)

 どんよりとした空である。君ちゃんとさしむかいで、じっとしていると、むかあしどこかでかいだ事のある花の匂いがする。夕方、電車通りの風呂から帰って来ると、いつも呑んだくれの大学生の水野さんが、初ちゃんに酒をつがして呑んでいた。「あんたはとうとう裸を見られたんですってよ。」お初ちゃんが笑いながら鬢窓にくしを入れている私の顔を鏡越しにのぞいてこう云った。

「あんたが風呂に行くとすぐ水野さんが来て、あんたの事訊いたから、風呂って云ったの。」

 呑んだくれの大学生は、風のように細い手を振りながら、頭をトントン叩いていた。

「嘘だよ!」

「アラ! 今そう言ったじゃないの……水野さんてば、電車通りへいそいで行ったから、どうしたのかと思ってたら、帰って来て、水野さんてば、女湯をあけたんですって、そしたら番台でこっちは女湯ですよッ……て言ったってさ、そしたら、ああ病院とまちがえましたってじっとしてたら丁度あんたが、裸になった処だって、水野さんそれゃあ大喜びなの……」

「へん! 随分助平な話ね。」

 私はやけに頬紅を刷くと、大学生は薄い蒟蒻こんにゃくのような手を合せて、「怒った? かんにんしてね!」と云っている。何云ってるの、裸が見たけりゃ、お天陽てんとう様の下で真裸になって見せますよ! 私は大きな声で呶鳴どなってやりたかった。一晩中気分が重っくるしくって、私はうで卵を七ツ八ツ卓子へぶっつけてった。


(十一月×日)

 秋刀魚さんまを焼く匂いは季節の呼び声だ。夕方になると、廓の中は今日も秋刀魚の臭い、お女郎は毎日秋刀魚ばかりたべさせられて、体中にうろこが浮いてくるだろう。夜霧が白い。電信柱の細いかげが針のような影を引いている。のれんの外に出て、走って行く電車を見ていると、なぜか電車に乗っているひとがうらやましくなってきて鼻の中が熱くなった。生きる事が実際退屈になった。こんな処で働いていると、荒さんで、荒さんで、私は万引でもしたくなる。女馬賊にでもなりたくなる。


若い姉さんなぜ泣くの

薄情男が恋しいの……。


 誰も彼も、誰も彼も、私を笑っている。


「キング・オブ・キングスを十杯飲んでごらん、十円のかけだ!」

 どっかの呑気坊主が、厭に頭髪を光らせて、いれずみのような十円札を、卓子にのせた。

「何でもない事だわ。」私はあさましい姿を白々と電気の下にさらして、そのウイスキーを十杯けろりと呑み干してしまった。キンキラ坊主は呆然と私を見ていたけれども、負けおしみくさい笑いを浮べて、おうように消えてしまった。喜んだのはカフエーの主人ばかりだ。へえへえ、一杯一円のキング・オブを十杯もあの娘が呑んでくれたんですからね……ペッペッペッと吐きだしそうになってくる。──眼が燃える。誰も彼も憎らしい奴ばかりなり。ああ私は貞操のない女でございます。一ツ裸踊りでもしてお目にかけましょうか、お上品なお方達よ、眉をひそめて、星よ月よ花よか! 私は野そだち、誰にも世話にならないで生きて行こうと思えば、オイオイ泣いてはいられない。男から食わしてもらおうと思えば、私はその何十倍か働かねばならないじゃないの。真実同志よと叫ぶ友達でさえ嘲笑っている。


歌うをきけば梅川よ

しばしなさけを捨てよかし

いずこも恋にたわぶれて

それ忠兵衛の夢がたり


 詩をうたって、いい気持ちで、私は窓硝子ガラスを開けて夜霧をいっぱい吸った。あんな安っぽい安ウイスキー十杯で酔うなんて……あああの夜空を見上げて御覧なさい、絢爛けんらんな、にじがかかった。君ちゃんが、大きい目をして、それでいいのか、それで胸が痛まないのか、貴女の心をいためはせぬかと、私をグイグイ掴んで二階へ上って行った。


やさしや年もうら若く

まだ初恋のまじりなく

手に手をとりて行く人よ

なにを隠るるその姿


 好きな歌なり。ほれぼれと涙に溺れて、私の体と心は遠い遠い地の果てにずッとあとしざりしだした。そろそろ時計のねじがゆるみ出すと、例の月はおぼろに白魚の声色屋のこまちゃくれた子供が来て、「ねえ旦那! おぼしめしで……ねえ旦那おぼしめしで……」とねだっている。

 もうそんな影のうすい不具者なんか出してしまいなさい! 何だかそんな可憐かれんな子供達のささくれた白粉の濃い顔を見ていると、たまらない程、私も誰かにすがりつきたくなる。


(十一月×日)

 奥で三度御飯を食べると、主人のきげんが悪いし、と云って客におごらせる事は大きらいだ。二時がカンバンだって云っても、遊廓ゆうかくがえりの客がたてこむと、夜明けまでも知らん顔をして主人はのれんを引っこめようともしない。コンクリートのゆかが、妙にビンビンして動脈がみんな凍ってしまいそうに肌が粟立あわだってくる。酸っぱい酒の匂いが臭くて焦々する。

「厭になってしまうわ。……」

 初ちゃんは袖をビールでビタビタにしたのを絞りながら、呆然とつっ立っていた。

「ビール!」

 もう四時も過ぎて、ほんとになつかしく、遠くの方で鶏の鳴く声がしている。新宿駅の汽車の汽笛が鳴ると、一番最後に、私の番で銀流しみたいな男がはいって来た。

「ビールだ!」

 仕方なしに、私はビールを抜いて、コップになみなみとついだ。厭にトゲトゲと天井ばかりみていた男は、その一杯のビールをグイと呑み干すと、いかにも空々しく、「何だ! えびすか、気に喰わねえ。」と、捨ぜりふを残すと、いかにもあっさりと、霧の濃い鋪道ほどうへ出て行ってしまった。唖然あぜんとした私は、急にムカムカしてくると、残りのビールびんをさげて、その男の後を追って行った。銀行の横を曲ろうとしたその男の黒い影へ私は思い切りビールびんをハッシと投げつけた。

「ビールが呑みたきゃ、ほら呑まして上げるよッ。」

 けたたましい音をたてて、ビールびんは、思い切りよく、こなごなにこわれて、しぶきが飛んだ。

「何を!」

「馬鹿ッ!」

「俺はテロリストだよ。」

「へえ、そんなテロリストがあるの……案外つまんないテロリストだね。」

 心配して走って来たお君ちゃんや、二三人の自動車の運転手達が来ると、面白いテロリストはあわてて路地の中へ消えて行ってしまった。こんな商売なんて止めてしまいたいと思う……。それでも、北海道から来たお父さんの手紙には、今は帰る旅費もないから、少しでもよい送ってくれと云う長い手紙だ。寒さには耐えられないお父さん、どうしても四五十円は送ってあげなければならぬ。少し働いたら、私も北海道へ渡って、お父さん達といっそ行商してまわってみようかしらとも思う。おでん屋の屋台に首を突っ込んで、はしにつみれを突きさした初ちゃんが店の灯を消して一生懸命茶飯をたべていた。私も興奮した後のふるえを鎮めながら、エプロンを君ちゃんにはずしてもらうと、おでんをさかなに、酒を一本つけて貰った。


        *


(十二月×日)

 浅章はいい処だ。

 浅草はいつ来てもよいところだ……。テンポの早い灯の中をグルリ、グルリ、私は放浪のカチュウシャです。長いことクリームを塗らない顔は瀬戸物のように固くなって、安酒に酔った私は誰もおそろしいものがない。ああ一人の酔いどれ女でございます。酒に酔えば泣きじょうこ、しびれて手も足もばらばらになってしまいそうなこの気持ちのすさまじさ……酒でも呑まなければあんまり世間は馬鹿らしくて、まともな顔をしては通れない。あの人が外に女が出来たと云って、それがいったい何でしょう。真実ほんとうは悲しいのだけれど、酒は広い世間を知らんと云う。町の灯がふっと切れて暗くなると、活動小屋の壁にゆがんだ顔をくっつけて、荒さんだ顔を見ていると、あああすから私は勉強をしようと思う。夢の中からでも聞えて来るような小屋の中の楽隊。あんまり自分が若すぎて、私はなぜかやけくそにあいそがつきて腹をたててしまうのだ。

 早く年をとって、年をとる事はいいじゃないの。酒に酔いつぶれている自分をふいと反省すると、大道の猿芝居じゃないけれど全く頬かぶりをして歩きたくなってくる。

 浅草は酒を呑むによいところ。浅草は酒にさめてもよいところだ。一杯五銭の甘酒、一杯五銭のしる粉、一くし二銭の焼鳥は何と肩のはらない御馳走だろう。金魚のように風に吹かれている芝居小屋の旗をみていると、その旗の中にはかつて私を愛した男の名もさらされている。わっは、わっは、あのいつもの声で私を嘲笑ちょうしょうしている。さあ皆さん御きげんよう。何年ぶりかで見上げる夜空の寒いこと、私の肩掛は人絹がまじっているのでございます。他人が肩に手をかけたように、スイスイと肌に風が通りますのよ。


(十二月×日)

 朝の寝床の中でまず煙草をくゆらす事は淋しがりやの女にとってはこの上もないなぐさめなのです。ゆらりゆらり輪を描いて浮いてゆくむらさき色のけむりは愉しい。お天陽様の光りを頭いっぱい浴びて、さて今日はいい事がありますように……。赤だの黒だの桃色だの黄いろだのの、疲れた着物を三畳の部屋いっぱいぬぎちらして、女一人のきやすさに、うつらうつら私はひだまりの亀の子のようだ。カフエーだの、牛屋だの、めんどくさい事よりも、いっそ屋台でも出しておでん屋でもしようかと思う。誰が笑おうと彼が悪口を云おうと、赤い尻からげで、あら、えっさっさだ! 一ツ屋台でも出して何とかこの年のけじめをつけてみたいものだ。コンニャク、がんもどき、竹輪につみれ、辛子のひりりッとしたのに、口にふくむような酒をつかって、青々としたほうれん草のひたしですか、元気を出しましょう。だが、あるところまで来ると私はペッチャンコに崩れてしまう。たとえそれがつまらない事であっても、そんな事の空想は、子供のようにうれしくなるものだ。

 貧乏な父や母にはすがるわけにもゆかないし、と云って転々と働いたところで、月に本が一二冊買えるきりだ。わけもなく飲んで食ってそれで通ってしまう。三畳の部屋をかりて最小限度の生活はしても貯えもかぼそくなってしまった。こんなに生活方針くらしむきがたたなく真暗闇になると、ほんとうに泥棒にでもはいりたくなってくる。だが目が近いのでいっぺんにつかまってしまう事を思うと、ふいとおかしくなってしまって、冷たい壁に私のわらいがはねかえる。何とかして金がほしい。私の濁った錯覚は、他愛もなく夢におぼれていて、夕方までぐっすり眠ってしまった。


(十二月×日)

 お君さんが誘いに来て、二人は又何かいい商売をみつけようと、小さい新聞の切抜きをもって横浜行きの省線に乗った。今まで働いていたカフエーがさびれると、お君さんも一緒にそこを止めてしまって、お君さんは、長い事板橋の御亭主のとこへ帰っていたのだ。お君さんの御亭主はお君さんより三十あまりも年が上で、初めて板橋のその家へたずねて行った時、私はその男のひとをお君さんのお父さんなのかと間違えてしまっていた。お君さんの養母やお君さんの子供や、何だかごたごたしたその家庭は、めんどくさがりやの私にはちょいと判りかねる。お君さんもそんな事はだまって別に話もしない。私もそんな事を訊くのは胸が痛くなるのだ。二人共だまって、電車から降りると、青い海を見はらしながら丘へ出てみた。

「久し振りよ、海を見るのは……」

「寒いけれど、いいわね海は……」

「いいとも、こんなに男らしい海を見ていると、裸になって飛びこんでみたいわね。まるで青い色がとけてるようじゃないの。」

「ほんと! おっかないわ……」

 ネクタイをひらひらさせた二人の西洋人が雁木がんぎに腰をかけて波の荒い景色にみいっていた。

「ホテルってあすこよ!」

 目のはやい君ちゃんがみつけたのは、白い家鴨あひるの小屋のような小さな酒場だった。二階の歪んだ窓には汚点しみだらけな毛布が太陽にてらされている。

「かえりましょうよ!」

「ホテルってこんなの……」

 朱色の着物を着た可愛らしい女が、ホテルのポーチで黒い犬をあやして一人でキャッキャッと笑っていた。

「がっかりした……」

 二人共又押し沈黙って向うの寒い茫漠とした海を見ている。烏になりたい。小さいカバンでもさげて旅をするといいだろうと思う。君ちゃんの日本風なひさし髪が風に吹かれていて、雪の降る日の柳のようにいじらしく見えた。


(十二月×日)

風が鳴る白い空だ!

冬のステキに冷たい海だ

狂人だってキリキリ舞いをして

目のさめそうな大海原だ

四国まで一本筋の航路だ。


毛布が二十銭お菓子が十銭

三等客室はくたばりかけたどじょうなべのように

ものすごいフットウだ。


しぶきだ雨のようなしぶきだ

みはるかす白い空を眺め

十一銭在中の財布を握っていた。


ああバットでも吸いたい

オオ! と叫んでも

風が吹き消して行くよ。


白い大空に

私に酢を呑ませた男の顔が

あんなに大きく、あんなに大きく


ああやっぱり淋しい一人旅だ!


 腹の底をゆすぶるように、遠くで蒸汽の音が鳴っている。鉛色によどんだ小さな渦巻が幾つか海のあなたに一ツ一ツ消えて行って、うなりをふくんだ冷たい十二月の風が、乱れた私の銀杏返しのびんを頬っぺたにくっつけるように吹いてゆく。八ツ口に両手を入れて、じっと柔かい自分の乳房をおさえていると、冷たい乳首の感触が、わけもなく甘酸っぱく涙をさそってくる。──ああ、何もかもに負けてしまった。東京を遠く離れて、青い海の上をつっぱしっていると、色々に交渉のあった男や女の顔が、一ツ一ツ白い雲の間からもやもやと覗いて来るようだ。


 あんまり昨日の空が青かったので、久し振りに、古里が恋しく、私は無理矢理に汽車に乗ってしまった。そうして今朝はもう鳴門なるとの沖なのだ。

「お客さん! 御飯ぞなッ!」

 誰もいない夜明けのデッキの上に、ささけた私の空想はやっぱり古里へ背いて都へ走っている。旅の古里ゆえ、別に錦を飾って帰る必要もないのだけれども、なぜか侘しい気持ちがいっぱいだった。穴倉のように暗い三等船室に帰って、自分の毛布の上に坐っていると丹塗にぬりのはげた膳の上にはヒジキの煮たのや味噌汁があじきなく並んでいた。薄暗い燈火の下には大勢の旅役者やおへんろさんや、子供を連れた漁師の上さんの中に混って、私も何だか愁々として旅心を感じている。私が銀杏返しに結っているので、「どこからおいでました?」と尋ねるお婆さんもあれば「どこまで行きゃはりますウ?」と問う若い男もあった。二ツ位の赤ん坊に添い寝をしていた若い母親が、小さい声で旅の古里でかつて聞いた事のある子守唄をうたっていた。


ねんねころ市

おやすみなんしょ

朝もとうからおきなされ

よいの浜風ア身にしみますで

夜サは早よからおやすみよ。


 あの濁った都会の片隅で疲れているよりも、こんなにさっぱりした海の上で、自由にのびのびと息を吸える事は、ああやっぱり生きている事もいいものだと思う。


(十二月×日)

 真黄いろにすすけた障子を開けて、消えかけては降っている雪をじっと見ていると、何もかも一切忘れてしまう。

「お母さん! 今年は随分雪が早いね。」

「ああ。」

「お父さんも寒いから難儀しているでしょうね。」

 父が北海道へ行ってから、もう四カ月あまりになる、遠くに走りすぎて商売も思うようになく、四国へ帰るのは来春だと云う父のたよりが来て、こちらも随分寒くなった。屋並の低い徳島の町も、寒くなるにつれて、うどん屋のだしを取る匂いが濃くなって、町を流れる川の水がうっすらと湯気を吐くようになった。泊る客もだんだん少くなると、母は店の行燈あんどんへ灯を入れるのを渋ったりしている。

「寒うなると人が動かんけんのう……」

 しっかりした故郷と云うものをもたない私達親子三人が、最近に落ちついたのがこの徳島だった。女の美しい、川の綺麗きれいなこの町隅に、古ぼけた旅人宿を始め出して、私は徳島での始めての春秋を迎えたけれど、だけどそれも小さかった時の私である。今はもうこの旅人宿も荒れほうだいに荒れて、いまは母一人の内職仕事になってしまった。父を捨て、母を捨て、東京に疲れて帰ってきた私にも、昔のたどたどしい恋文や、ひさし髪の大きかった写真を古ぼけた箪笥たんすの底にひっくり返してみると懐しい昔の夢が段々よみがえって来る。長崎の黄いろいちゃんぽんうどんや、尾道の千光寺の桜や、ニユ川で覚えた城ヶ島の唄やああみんななつかしい。絵をならい始めていた頃の、まずいデッサンの幾枚かが、茶色にやけていて、納戸なんどの奥から出て来るとまるで別な世界だった私を見る。夜、炬燵こたつにあたっていると、店の間を借りている月琴げっきんひきの夫婦が飄々ひょうひょうと淋しい唄をうたっては月琴をひびかせていた。外は音をたててみぞれまじりの雪が降っている。


(十二月×日)

 久し振りに海辺らしいお天気なり。二三日前から泊りこんでいる浪花節なにわぶし語りの夫婦が、二人共黒いしかん巻を首にまいて朝早く出て行くと、煤けた広い台所にはいわしを焼いている母と私と二人きりになってしまう。ああ田舎にも退屈してしまった。

「お前もいいかげんで、遠くへ行くのを止めてこっちで身をかためてはどうかい。お前をもらいたいと云う人があるぞな……」

「へえ……どんなひとですか?」

「実家は京都の聖護院しょうごいん煎餅せんべい屋でな、あととりやけど、今こっちい来て市役所へ勤めておるがな……いい男や。」

「…………」

「どやろ?」

「会うてみようかしら、面白いなア……」

 何もかもが子供っぽくゆかいだった。田舎娘になって、初々しく顔を赤めてお茶を召し上れか、車井戸のつるべを上げたり下げたりしていると、私も娘のように心がはずんで来る。ああ情熱の毛虫、私は一人の男の血をいたちのように吸いつくしてみたいような気がする。男の肌は寒くなると蒲団のように恋しくなるものだ。

 東京へ行きましょう。夕方の散歩に、いつの間にか足が向くのは駅への道だ。駅の時間表を見ていると涙がにじんで来て仕方がない。


(十二月×日)

 赤靴のひもをといてその男が座敷へ上って来ると、妙に胃が悪くなりそうで、私は真正面から眉をひそめてしまった。

「あんたいくつ?」

「僕ですか、二十二です。」

「ホウ……じゃ私の方が上だわ。」

 げじげじ眉で、唇の厚いその顔は、私は何故なぜか見覚えがあるようであったが、考え出せなかった。ふと、私は明るくなって、口笛でも吹きたくなった。


 月のいい夜だ、星が高く光っている。

「そこまでおくってゆきましょうか……」

 この男は妙によゆうのある風景だ。入れ忘れてしまった国旗の下をくぐって、月の明るい町に出てゆくと、濁った息をフッと一時に吐く事が出来た。一丁歩いても二丁歩いても二人共だまって歩いている。川の水が妙に悲しく胸に来て私自身が浅ましくなってきた。男なんて皆火をいて焼いてしまえだ。私はお釈迦しゃか様にでも恋をしましょう。ナムアミダブツのお釈迦様は、妙に色ッぽい目をして、私のこの頃の夢にしのんでいらっしゃる。

「じゃアさよなら、あなたいいお嫁さんおもちなさいね。」

「ハア?」

 いとしい男よ、田舎の人は素朴でいい。私の言葉がわかったのかわからないのか、長い月の影をひいて隣の町へ行ってしまった。明日こそ荷づくりをして旅立ちましょう……。久し振りに家の前の燈火のついたお泊宿の行燈を見ていると、不意に頭をなぐられたように母がいとしくなってきて、私はかたぶいたふくろうの眼のような行燈をみつめていた。


「寒いのう……酒でも呑まんかいや。」

 茶の間で母と差しむかいで一合の酒にいい気持ちになっている。親子はいいものだと思う、こだわりのない気安さで母の顔を見た。鼠の多い煤けた天井の下に、又母を置いて去るのは、いじらしく可哀想になってしまう。

「あんなひとは厭だわねえ。」

「気立はいい男らしいがな……」

 淋しい喜劇である。ああ、東京の友達がみんな懐しがってくれるような手紙をいっぱい書こう。


        *


(一月×日)

海は真白でした

東京へ旅立つその日

青い蜜柑みかんの初なりを籠いっぱい入れて

四国の浜辺から天神丸に乗りました。


海は気むずかしく荒れていましたが、

空は鏡のように光って

人参にんじん燈台の紅色が眼にしみる程あかいのです。

島での悲しみは

すっぱり捨ててしまおうと

私は冷たい汐風しおかぜをうけて

遠く走る帆船をみました。


一月の白い海と

初なりの蜜柑の匂いは

その日の私を

売られて行く女のようにさぶしくしました。


(一月×日)

 暗い雪空だった。朝の膳の上には白い味噌汁に高野豆腐に黒豆がならんでいる。何もかも水っぽい舌ざわりだ。東京は悲しい思い出ばかりなり。いっそ京都か大阪で暮してみようかと思う……。天保山てんぽうざんの安宿の二階で、何時いつまでも鳴いている猫の声を寂しく聞きながら、私はんやり寝そべっていた。ああこんなにも生きる事はむずかしいものなのか……私は身も心も困憊こんぱいしきっている。潮臭い蒲団はまるで、魚の腸のようにズルズルに汚れていた。風が海を叩いて、波音が高い。


 からっぽの女は私でございます。……生きてゆく才もなければ、生きてゆく富もなければ、生きてゆく美しさもない。さて残ったものは血の気の多い体ばかりだ。私は退屈すると、片方の足を曲げて、鶴のようにキリキリと座敷の中をまわってみる。長い事文字に親しまない目には、御一泊一円よりと壁に張られた文句をひろい読みするばかりだった。

 夕方から雪が降って来た。あっちをむいても、こっちをむいても旅の空なり。もいちど四国の古里へ逆もどりしようかとも思う。とても淋しい宿だ。「古創ふるきずや恋のマントにむかい酒」お酒でも愉しんでじっとしていたい晩なり。たった一枚のハガキをみつめて、いつからか覚えた俳句をかきなぐりながら、東京の沢山の友達を思い浮べていた。皆どのひとも自分に忙がしい人ばかりの顔だ。

 汽笛の音を聞いていると、私は窓を引きあけて雪の夜の沈んだ港をながめている。青い灯をともした船がいくつもねむっている。お前も私もヴァガボンド。雪が降っている。考えても見た事のない、遠くに去った初恋の男が急に恋しくなって来た。こんな夜だった。あの男は城ヶ島の唄をうたっていた。沈鐘の唄もうたった。なつかしい尾道の海はこんなに波が荒くなかった。二人でかぶったマントの中で、マッチをすりあわして、お互に見あった顔、あっけない別離だった。一直線に墜落した女よ! と云う最後のたよりを受取ってもう七年にもなる。あの男は、ピカソの画を論じ、槐多の詩を愛していた。私は頭を殴りつけている強い手の痛さを感じた。どっかで三味線の音がしている。私は呆然と坐り、いつまでも口笛を吹いていた。


(一月×日)

 さあ! 素手でなにもかもやりなおしだ。市の職業紹介所の門を出ると、天満てんま行きの電車に乗った。紹介された先は毛布の問屋で、私は女学校卒業の女事務員です。どんより走る街並を眺めながら私は大阪も面白いと思った。誰も知らない土地で働く事もいいだろう。枯れた河岸の柳の木が、腰をもみながら大風にゆれている。

 毛布問屋は案外大きい店だった。奥行の深い、間口の広いその店は、何だか貝殻のように暗くて、働いている七八人の店員達は病的にあおい顔をして忙がしく立ち働いていた。随分長い廊下だった。何もかもピカピカと手入れの行きとどいた、大阪人らしいこのみのこぢんまりした座敷に、私は初めて老いた女主人と向きあって坐った。

「東京からどうしてこっちへお出やしたん?」

 出鱈目でたらめの原籍を東京にしてしまった私は、一寸ちょっとどう云っていいのかわからなかった。

「姉がいますから……」

 こんな事を云ってしまった私は、又いつものめんどくさい気持ちになってしまい、断られたら断られたまでの事だと思った。女中が、美しい菓子皿とお茶を運んで来た。久しくお茶にも縁が無く、甘いものも口にしたことがない。世間にはこうしたなごやかな家もあるなり。

「一郎さん!」

 女主人が静かに呼ぶと、隣の部屋から息子らしい落ちつきのある二十五六の男が、棒のようにはいって来た。

「この人が来ておくれやしたんやけど……」

 役者のように細々としたその若主人は光った目で私を見た。

 私はなぜか恥をかきに来たような気がして、手足がしびれて来るおもいだった。あまりに縁遠い世界だ。私は早く引きあげたい気持ちでいっぱいになる。──天保山の船宿へ帰った時は、もう日が暮れて、船が沢山はいっていた。東京のお君ちゃんからのハガキが来ている。

 ──何をくずぐずしていますか、早くいらっしゃい。面白い商売があります。──どんなに不幸な目にあっていても、あの人は元気がいい。久し振りに私もハツラツとなる。


(一月×日)

 駄目だと思っていた毛布問屋にいよいよ勤めることになった。

 五日振りに天保山の安宿をひきあげて、バスケット一つの飄々とした私は、もらわれて行く犬ののように、毛布問屋へ住み込む事になった。

 昼でも奥の間には、音をたててガスの燈火がついている。広いオフィスの中で、沢山の封筒を書きながら、私はよくわけのわからない夢を見た。そして何度もしくじっては自分の顔を叩いた。ああ幽霊にでもなりそうだ。青いガスの燈火の下でじっと両手をそろえてみていると爪の一ツ一ツが黄色に染って、私の十本の指は蚕のように透きとおって見える。三時になるとお茶が出て、八ツ橋が山盛店へ運ばれて来る。店員は皆で九人いた。その中で小僧が六人、配達に出て行くので、誰が誰やらまだ私にはわからない。女中は下働きのお国さんと上女中のお糸さんの二人きりである。お糸さんは昔の御殿女中みたいに、眠ったような顔をしていた。関西の女は物ごしが柔かで、何を考えているのだかさっぱり判らない。

「遠くからお出やして、こんなとこしんきだっしゃろ?」

 お糸さんは引きつめた桃割れをかしげて、キュキュと糸をしごきながら、見た事もないようなきれいな布を縫っていた。若主人の一郎さんには、十九になるお嫁さんがある事もお糸さんが教えてくれた。そのお嫁さんは市岡の別宅の方にお産をしに行っているとかで、家はなにか気が抜けたように静かだった。──夜の八時にはもう大戸を閉めてしまって、九人の番頭や小僧達が皆どこへ引っこむのか一人一人いなくなってしまう。のりのよくきいた固い蒲団に、伸び伸びといたわるように両足をのばして天井を見上げていると、自分がしみじみあわれにみすぼらしくなって来る。お糸さんとお国さんの一緒の寝床に高下駄のような感じの黒い箱枕がちゃんと二ツならんで、お糸さんの赤い胴抜きのしてある長襦袢ながじゅばんが、蒲団の上に投げ出されてあった。私はまるで男のような気持ちで、その赤い長襦袢をいつまでも見ていた。しまい湯をつかっている二人の若い女は笑い声一つたてないでピチャピチャ湯音をたてている。あの白い生毛のあるお糸さんの美しい手にふれてみたい気がする。私はすっかり男になりきった気持ちで、赤い長襦袢を着たお糸さんを愛していた。沈黙だまった女は花のようにやさしい匂いを遠くまで運んで来るものだ、なみだのにじんだ目をとじて、まぶしい燈火に私は顔をそむけた。


(一月×日)

 毎朝の芋がゆにも私は馴れてしまった。

 東京で吸う赤い味噌汁はなつかしい。里芋のコロコロしたのを薄く切って、小松菜を一緒にたいた味噌汁はいいものだ。新巻きざけの一片一片を身をはがして食べるのも甘味うまい。

 大根の切り口みたいな大阪のお天陽様ばかりを見ていると、塩辛いおかずでもそえて、甘味い茶漬けでも食べて見たいと、事務を取っている私の空想は、何もかも淡々しく子供っぽくなって来る。

 雪の頃になると、いつも私は足指に霜やけが出来て困った。──夕方、沢山荷箱を積んであるかげで、私は人に隠れて思い切り足をいていた。指が赤くほてって、コロコロにふくれあがると、針でも突きさしてやりたい程切なくて仕様がなかった。

「ホウえらい霜やけやなあ。」

 番頭の兼吉さんが驚いたように覗いた。

「霜やけやったら煙管きせるでさすったら一番や。」

 若い番頭さんは元気よくすぽんと煙草入れの筒を抜くと、何度もスパスパ吸っては火ぶくれしたような赤い私の足指を煙管の頭でさすってくれた。銭勘定の話ばかりしているこんな人達の間にもこんな親切がある。


(二月×日)

「お前は金の性で金は金でも、金屏風びょうぶの金だから小綺麗な仕事をしなけりゃ駄目だよ。」

 よく母がこんな事を云っていたけれど、こんなお上品な仕事はじきに退屈してしまう。あきっぽくて、気が小さくて、じき人にまいってしまって、ひとになじめない私の性格がいやになってくる。ああ誰もいないところで、ワアッ! と叫びあがりたいほど焦々するなり。

 只一冊のワイルド・プロフォンディスにも愉しみをかけて読むなり。

 ──私は灰色の十一月の雨の中をあざけり笑うモッブにとり囲まれていた。

 ──獄中にある人々にとっては涙は日常の経験の一部分である。人が獄中にあって泣かない日は、その人の心が堅くなっている日で、その人の心が幸福である日ではない。──夜々の私の心はこんな文字を見ると、まことに痛んでしまう。お友達よ! 肉親よ! 隣人よ! わけのわからない悲しみで正直に私を嘲笑う友人が恋しくなった。お糸さんの恋愛にも祝福あれ。夜、風呂にはいってじっと天窓を見ていると、沢山星がこぼれていた。忘れかけたものをふっと思い出すように、つくづく一人ぽっちで星を見上げている。


 老いぼれたような私の心に反比例して、この肉体の若さよ。赤くなった腕をさしのべて風呂いっぱいに体を伸ばすと、ふいと女らしくなって来る。結婚をしようと思う。

 私はしみじみと白粉おしろいの匂いをかいだ。眉をひき、唇紅くちべにも濃くぬって、私は柱鏡のなかの姿にあどけない笑顔をこしらえてみる。青貝色のくしもさして、桃色のてがらもかけてまげも結んでみたい。弱きものよなんじの名は女なり、しょせんは世に汚れた私でございます。美しい男はないものか……。なつかしのプロヴァンスの唄でもうたいましょうか、胸の燃えるような思いで私は風呂おけの中の魚のようにやわらかくくねってみた。


(二月×日)

 街は春の売出しで赤い旗がいっぱいひらひらしている。──女学校時代のお夏さんの手紙をもらって、私は何もかも投げ出して京都へ行きたくなっていた。

 ──随分苦労なすったんでしょう……という手紙を見ると、いいえどういたしまして、優しいお嬢さんのたよりは男でなくてもいいものだと思う。妙に乳くさくて、何かぷんぷんいい匂いがしている。これが一緒に学校を出たお夏さんのたよりだ。八年間の年月に、二人の間は何百里もへだたってしまっているはずだのに、お嫁に行かないで、じっと日本画家のお父さんのいい助手をして孝行をしているお夏さん、泪の出るようないい手紙だった。ちっとでも親しい人のそばに行って色々の話をしたいと思う。


 お店から一日ひまをもらうと、寒い風に吹かれて京都へ発って行った。──午後六時二十分京都着。お夏さんは黒いフクフクとした肩掛に蒼白い顔を埋めてむかえに出てくれていた。

「わかった?」

「ふん。」

 二人は沈黙って冷たい手を握りあった。

 私にはお夏さんの姿は意外だった。まるで未亡人か何かのように、何もかも黒っぽい色で、唇だけがぐいと強く私の目を射た。

 椿つばきの花のように素敵にいい唇だ。二人は子供のようにしっかり手をつなぎあって、霧の多い京都の街を、わけのわからない事を話しあって歩いた。京極きょうごくは昔のままだった。京極の何とかと云う店には、かつて私達の胸をさわがした美しい封筒が飾窓に出ている。だらだらと京極の街を降りると、横に切れた路地の中に、菊水と云ううどんやを見つけて私達は久し振りに明るい灯の下に顔を見合せた。私は一人立ちしていても貧乏だし、お夏さんは親のすねかじりで勿論もちろんお小遺いもそんなにないので、二人は財布を見せあいながら、狐うどんを食べた。女学生らしいあけっぱなしの気持ちで、二人は帯をゆるめてはお替りをして食べた。

「貴女ぐらい住所の変る人はないわね、私の住所録を汚して行くのはあんた一人よ。」

 お夏さんは黒い大きな目をまたたきもさせないで私を見ている。甘えたい気持ちでいっぱいなり。


 円山公園の噴水のそばを二人はまるで恋人のようによりそって歩いた。

「秋の鳥辺山とりべやまはよかったわね。落葉がしていて、ほら二人でおしゅん伝兵衛の墓にお参りした事があったわね……」

「行ってみましょうか!」

 お夏さんは驚いたように眼をみはった。

「貴女はそれだから苦労するのよ。」

 京都はいい街だ。夜霧がいっぱいたちこめた向うの立樹のところで、夜鳥が鳴いている。──下加茂のお夏さんの家の前が丁度交番になっていて、赤い燈火がついていた。門の吊燈籠つりどうろうの下をくぐって、そっと二階へ上ると、遠くの寺でゆっくり鐘を打つのが響いて来る。メンドウな話をくどくどするより沈黙っていましょう……お夏さんが火を取りに階下に降りて行くと、私は窓にもたれて、しみじみと大きいあくびをした。


        *


(七月×日)

丘の上に松の木が一本

その松の木の下で

じっと空を見ていた私です。


真蒼い空に老松の葉が

針のように光っていました

ああ何と云う生きる事のむずかしさ

食べる事のむずかしさ。


そこで私は

貧しいたもとを胸にあわせて

古里にいた頃の

あのなつかしい童心で

コトコト松の幹を叩いてみました。


 この老松の詩をふっと思い出すと、とても淋しくて、黒ずんだ緑の木立ちの間を、私はむやみに歩くのだ。──久し振りに、私の胸にエプロンもない。白粉もうすい。日傘をくるくる廻しながら、私は古里を思い出し、丘のあの老松の木を思い浮べた。──下宿にかえってくると、男の部屋には、大きな本箱が置いてあった。女房をカフエーに働かして、自分はこんな本箱を買っている。いつものように二十円ばかりの金を、原稿用紙の下に入れておくと、誰もいないきやすさに、くつろいだ気持ちで、押入れの汚れものを探してみる。

「あの、お手紙でございます。」そう云って、下宿の女中が手紙を持って来た。六銭切手をはったかなり厚い女の封書である。私は妙な気持ちで爪をみながら、只ならぬ淋しさに、胸がときめいてしまった。私は自分を嘲笑ちょうしょうしながら、押入れの隅に隠してあった、かなり厚い女の手紙の束をみつけ出したのだ。

 ──やっぱり温泉がいいわね、とか。

 ──あなたの紗和子より、とか。

 ──あの夜泊ってからの私は、とか。

 私は歯の浮くような甘い手紙に震えながらつっ立ってしまった。──温泉行きの手紙では、私もお金を用意しますけれども貴方も少しつくって下さいと書いてあるのを見ると、私はその手紙を部屋中にばらまいてやりたくなっている。原稿用紙の下にした二十円の金を袂に入れると、私はそのまま戸外に出てしまった。

 あの男は、私に会うたびに、お前は薄情だとか、雑誌にかく詩や小説は、あんなに私を叩きつけたものばかりではなかったか……。私は肺病で狂人じみている、その不幸な男の為めに、あのランタンの下で、「貴方一人に身も世も捨てた……」と、唄わなくてはならなかったのだ。夕暮れの涼しい風をうけて、若松町の通りを歩いていると、新宿のカフエーにかえる気もしなかった。ヘエ! 使い果して二分にぶ残るか、ふっとこんな言葉が思い出されるなり。


「貴方、私と一緒に温泉に行かない。」

 私があんまり酔っぱらっているので、その夜時ちゃんは淋しい眼をして私を見ていた。


(七月×日)

 ああ人生いたるところに青山ありだよ、男からびの手紙が来る。

 夜。

 時ちゃんのお母さんが裏口へ来ている。時ちゃんに五円貸すなり。チュウインガムを噛むより味気ない世の中、何もかもが吸殻のようになってしまった。貯金でもして、久し振りに母の顔でもみてこようかしらと思う。私はコック場へ行くついでにウイスキーを盗んで呑んだ。


(七月×日)

 魚屋の魚のように淋しい寝ざめなり。四人の女は、ドロドロに崩れた白い液体のように、一切を休めて眠っている。私は枕元の煙草をくゆらしながら、投げ出された時ちゃんの腕を見ていた。まだ十七で肌が桃色だ。──お母さんは雑色ぞうしきで氷屋をしていたが、お父つぁんが病気なので、二三日おきに時ちゃんのところへ裏口から金を取りに来た。カーテンもない青い空を映した窓ガラスを見ると、西洋支那料理の赤い旗が、まるで私のように、ヘラヘラ風に膨らんでいる。カフエーに勤めるようになると、男に抱いていたイリュウジョンが夢のように消えてしまって、皆一山いくらに品がさがってみえる。別にもうあの男にかせいでやる必要もない故、久し振りに古里の汐っぱい風を浴びようかしら。ああ、でも可哀想なあの人よ。


それはどろどろの街路であった

こわれた自動車のように私はつっ立っている

今度こそ身売りをして金をこしらえ

皆を喜ばせてやろうと

今朝はるばると幾十日目で又東京へ帰って来たのではないか。


どこをさがしたって買ってくれる人もないし

俺は活動を見て五十銭のうなどんを食べたらもう死んでもいいと云った

今朝の男の言葉を思い出して

私はさめざめと涙をこぼしました。


男は下宿だし

私が居れば宿料がかさむし

私は豚のように臭みをかぎながら

カフエーからカフエーを歩きまわった。


愛情とか肉親とか世間とか夫とか

脳のくさりかけた私には

みんな縁遠いような気がします。


叫ぶ勇気もない故

死にたいと思ってもその元気もない

私の裾にまつわってじゃれていた小猫のオテクサンはどうしたろう

時計屋のかざり窓に私は女泥棒になった目つきをしてみようと思いました。

何とうわべばかりの人間がうろうろしている事よ!


肺病は馬の糞汁ふんじゅうを呑むとなおるって

辛い辛い男に呑ませるのは

心中ってどんなものだろう

金だ金だ金が必要なのだ!

金は天下のまわりものだって云うけど

私は働いても働いてもまわってこない。


何とかキセキはあらわれないものか

何とかどうにか出来ないものか

私が働いている金はどこへ逃げて行くのだろう


そして結局は薄情者になり

ボロカス女になり


死ぬまでカフエーだの女中だのボロカス女になり果てる

私は働き死にしなければならないのだろうか!

病にひがんだ男は、

お前は赤い豚だと云います。


矢でも鉄砲でも飛んでこい

胸くその悪い男や女の前に

芙美子さんのはらわたを見せてやりたい。


 かつて、貴方があんまり私を邪慳じゃけんにするので、私はこんな詩を雑誌にかいて貴方にむくいた事がある。浮いた稼ぎなので、あなたは私に焦々しているのだと善意にカイシャクしていた大馬鹿者の私です。そうだ、帰れる位はあるのだから、汽車に乗ってみましょう。あの快速船のしぶきもいいじゃないの、人参燈台の朱色や、青い海、ツツンツンだ。夜汽車、夜汽車、誰も見送りのない私は、お葬式のような悲しさで、何度も不幸な目に逢って乗る東海道線に乗った。


(七月×日)

「神戸にでも降りてみようかしら、何か面白い仕事が転がっていやしないかな……」

 明石行きの三等車は、神戸で降りてしまう人たちばかりだった。私もバスケットを降ろしたり、食べ残りのお弁当を大切にしまったりして何だか気がかりな気持ちで神戸駅に降りてしまった。

「これで又仕事がなくて食えなきぁ、ヒンケルマンじゃないけれど、汚れた世界の罪だよ。」

 暑い陽ざしだった。だが私には、アイスクリームも、氷も買えない。ホームでさっぱりと顔を洗うと、生ぬるい水を腹いっぱい呑んで、黄いろい汚れた鏡に、みずひき草のように淋しい自分の顔を写して見た。さあ矢でも鉄砲でも飛んで来いだ。別に当もない私は、途中下車の切符を大事にしまうと、楠公なんこうさんの方へブラブラ歩いて行ってみた。

 古ぼけたバスケットひとつ。

 骨の折れた日傘。

 煙草の吸殻よりも味気ない女。

 私の捨身の戦闘準備はたったこれだけなのでございます。

 砂ぼこりのなかの楠公さんの境内は、おきまりの鳩と絵ハガキ屋が出ている。私は水のれた六角型の噴水の石に腰を降ろして、日傘で風を呼びながら、晴れた青い空を見ていた。あんまりお天陽様が強いので、何もかもむき出しにぐんにゃりしている。

 何年昔になるだろう──十五位の時だったかしら、私はトルコ人の楽器屋に奉公をしていたのを思い出した。ニイーナという二ツになる女の子のお守りで黒いゴム輪の腰高な乳母車に、よくその子供を乗っけてはメリケン波止場の方を歩いたものだった。──鳩が足元近く寄って来ている。人生鳩に生れるべし。私は、東京の生活を思い出して涙があふれた。

 一生たったとて、いったい何時の日には、私が何千円、何百円、何十円、たった一人のお母さんに送ってあげる事が出来るのだろうか……、私を可愛がって下さる、行商をしてお母さんを養っている気の毒なお義父とうさんを慰めてあげる事が出来るのだろうか……、何も満足に出来ない私である。ああ全く考えてみれば、頭が痛くなる話だ。「もし、あんたはん! 暑うおまっしゃろ、こっちゃいおはいりな……」噴水の横の鳩の豆を売るお婆さんが、豚小屋のような店から声をかけてくれた。私は人なつっこい笑顔で、お婆さんの親切に報いるべく、頭のつかえそうな、アンペラ張りの店へはいって行った。文字通り、それは小屋のようなところで、バスケットに腰をかけると、豆くさいけれども、それでも涼しかった。ふやけた大豆が石油かんの中につけてあった。ガラスの蓋をした二ツの箱には、おみくじや、固い昆布こんぶがはいっていて、それらの品物がいっぱいほこりをかぶっている。

「お婆さん、その豆一皿くださいな。」

 五銭の白銅を置くと、しなびた手でお婆さんは私の手をはらいのけた。

「ぜぜなぞほっときや。」

 このお婆さんにいくつですと聞くと、七十六だと云っていた。虫の食ったおヒナ様のようにしおらしい。

「東京はもう地震はなおりましたかいな。」

 歯のないお婆さんはきんちゃくをしぼったような口をして、優しい表情をする。

「お婆さんお上りなさいな。」

 私がバスケットからお弁当を出すと、お婆さんはニコニコして、口をふくらまして私の玉子焼を食べた。

「お婆さん、暑うおまんなあ。」

 お婆さんの友達らしく、腰のしゃんとしたみすぼらしい老婆が店の前にしゃがむと、

「お婆はん、何ぞええ、仕事ありまへんやろかな、でもな、あんまりぶらぶらしてますよって会長はんも、ええ顔しやはらへんのでなあ、なんぞ思うてまんねえ……」

「そうやなあ、栄町の宿屋はんやけど、蒲団の洗濯があるというてましたけんど、なんぼう二十銭も出すやろか……」

「そりゃええなあ、二枚洗うてもわて食えますがな……」

 こだわりのない二人のお婆さんを見ていると、こんなところにもこんな世界があるのかと、淋しくなった。


 とうとう夜になってしまった。港の灯のつきそめる頃はどこにも行きばのない気持ちになってしまう。朝から汗でしめっている着物の私は、ワッと泣きたい程切なかった。これでもへこたれないか! これでもか! 何かが頭をおさえつけているようで、私はまだまだへこたれるものかと口につぶやきながら、当もなく軒をひらって歩いていると、バスケット姿が、オイチニイの薬屋よりもはかなく思えた。お婆さんに聞いた商人宿はじきにわかった。全く国へ帰っても仕様のない私なのだ。お婆さんが御飯炊きならあると云ったけれど。海岸通りに出ると、チッチッと舌を鳴らして行く船員の群が多かった。

 船乗りは意気で勇ましくていいものだ。私は商人宿とかいてある行燈をみつけると、耳朶みみたぶを熱くしながら、宿代を聞きにはいった。親切そうなお上さんが帳場にいて、泊りだけなら六十銭でいいと、旅心をいたわるように、「おあがりやす」と云ってくれた。三畳の壁の青いのが変に淋しかったが、朝からの着物を浴衣にきかえると、私は宿のお上さんに教わって近所の銭湯に行った。旅と云うものはおそろしいようでいて肩のはらないものだ。女達はまるで蓮の花のように小さい湯漕ゆぶねを囲んで、珍らしい言葉でしゃべっている。旅の銭湯にはいって、元気な顔はしているのだけれど、あの青い壁に押されて寝る今夜の夢を思うと、私はふっと悲しくなってきた。


(七月×日)

 坊さんかんざし買うと云うた……窓の下を人夫たちが土佐節を唄いながら通って行く。爽かな朝風に、波のように蚊帳が吹き上っていて、まことに楽しみな朝の寝ざめなり。郷愁をおびた土佐節を聞いていると、高松のあの港が恋しくなってきた。私の思い出に何の汚れもない四国の古里よ。やっぱり帰りたいと思う……。ああ御飯炊きになっていたとこで仕様もないではありませんか。

 別れて来た男のバリゾウゴンを、私は唄のように天井に投げとばして、せいいっぱい息を吸った。「オーイ、オーイ」と船員達が窓の下で呼びあっている。私は宿のお上さんに頼んで、岡山行きの途中下車の切符を除虫菊の仲買の人に一円で買ってもらうと、私は兵庫から高松行きの船に乗る事にした。

 元気を出して、どんな場合にでも、弱ってしまってはならない。小さな店屋で、瓦煎餅かわらせんべいを一箱買うと、私は古ぼけた兵庫の船宿で高松行きの切符を買った。やっぱり国へかえりましょう。──透徹した青空に、お母さんの情熱が一本の電線となって、早く帰っておいでと私を呼んでいる。私は不幸な娘でございます。汚れたハンカチーフに、氷のカチ割りを包んで、私は頬に押し当てていた。子供らしく子供らしく、すべては天真ランマンに世間を渡りましょう。


        *


(十月×日)

 呆然として梯子はしご段の上の汚れた地図を見ていると、夕暮れの日射しのなかに、地図の上は落莫とした秋であった。寝ころんで煙草を吸っていると、訳もなく涙がにじんで、何か侘しくなる。地図の上ではたった二三寸の間なのに、可哀想なお母さんは四国の海辺で、朝も夜も私の事を考えて暮らしているのでしょう──。風呂から帰って来たのか、階下で女達のかしましい声がする。妙に頭が痛い。用もない日暮れだ。


寂しければ海中にさんらんと入ろうよ、

さんらんと飛び込めば海が胸につかえる泳げば流るる

力いっぱい踏んばれ岩の上の男。


 秋の空気があんまり青いので、私は白秋のこんな唄を思い出した。ああこの世の中は、たったこれだけの楽しみであったのだろうか、ヒイフウ……私は指を折って、ささやかな可哀想な自分の年齢を考えてみた。「おゆみさん! 電気つけておくれッ。」お上さんの癇高かんだかい声がする。おゆみさんか、おゆみとはよくつけたものなり。私の母さんは阿波あわの徳島十郎兵衛。夕御飯のおかずは、いつもの通りに、するめの煮たのに、コンニャク、そばでは、出前のカツレツが物々しい示威運動で黄いろく揚っている。私の食慾はもう立派な機械になりきってしまって、するめがそしゃくされないうちに、私は水でそれをゴクゴク咽喉のどへ流し込むのだ。二十五円の蓄音器は、今晩もずいずいずっころばし、ごまみそずいだ。公休日で朝から遊びに出ていた十子が帰って来る。

「とても面白かったわ、新宿の待合室で四人も私を待っていたわよ、私は知らん顔をして見ててやったの……」

 その頃女給達の仲間には、何人もの客に一日の公休日を共にする約束をしては一つ場所に集合をさせてすっぽかす事が流行はやっていた。

「私、今日は妹を連れて映画を見たのよ、自腹だから、スッテンテンになってしまったわ、かせがなくちゃ場銭も払えない。」

 十子は汚れたエプロンを胸にかけて、皆にお土産の甘納豆をふるまっている。

 今日は月の病気。胸くるしくって、立っている事が辛い。


(十月×日)

 折れた鉛筆のように、女達は皆ゴロゴロ眠っている、雑記帳のはじにこんな手紙をかいてみる。──生きのびるまで生きて来たという気持ちです。随分長い事会いませんね、神田でお別れしたきりですもの……。もう、しゃにむに淋しくてならない、広い世の中に可愛がってくれる人がなくなったと思うと泣きたくなります。いつも一人ぼっちのくせに、他人の優しい言葉をほしがっています。そして一寸でも優しくされると嬉し涙がこぼれます。大きな声で深夜の街を唄でもうたって歩きたい。夏から秋にかけて、異状体になる私は働きたくっても働けなくなって弱っています故、自然と食べる事が困難です。金が欲しい。白い御飯にサクサクと歯切れのいい沢庵たくあんでもそえて食べたら云う事はありませんのに、貧乏をすると赤ん坊のようになります。明日はとても嬉しいんですよ。少しばかりの稿料がはいります。それで私は行けるところまで行ってみたいと思います。地図ばかり見ているんですが、ほんとに、何の楽しさもないこのカフエーの二階で、私を空想家にするのは梯子段の上の汚れた地図ばかりなのです。ひょっとしたら、裏日本の市振いちぶりと云う処へ行くかも知れません。生きるか死ぬるか、とにかく旅へ出たいと思っております。

 弱き者よの言葉は、そっくり私に頂戴出来るんですけれど、それでいいと思います。野生的で行儀作法を知らない私は、自然へ身を投げかけてゆくより仕方がありません。このままの状態では、国への仕送りも出来ないし、私の人に対して済まない事だらけです。私はがまん強く笑って来ました。旅へ出たら、当分田舎の空や土から、健康な息を吹きかえすまで、働いて来るつもりです。体が悪いのが、何より私を困らせます。それに又、あの人も病気ですし、いやになってしまう。金がほしいと思います。伊香保の方へ下働きの女中にでもと談判をしたのですが、一年間の前借百円也ではあんまりだと思います。──何のために旅をするとお思いでしょうけれど、とにかく、このままの状態では、私はハレツしてしまいますよ。人々の思いやりのない悪口雑言の中に生きて来ましたが、もう何と言われたっていいと思います。私はへこたれてしまいました。冬になったら、十人力に強くなってお目にかかりましょう。とにかく行くところまで行きます。私の妻であり夫であるたった一ツの真黄な詩稿を持って、裏日本へ行って来ます。お体を大切に、さようなら──。


 フッツリ御無沙汰をしていてすみません。

 お体は相変らずですか、神経がトゲトゲしているあなたにこんな手紙を差し上げるとあなたは、ひねくれた笑いをなさるでしょう。私、実さい涙がこぼれるのです。いくら別れたと云っても、病気のあなたのことを考えると、侘しくなります。困った事や、嬉しかった思い出も、あなたのひねくれた仕打ちを考えると、恨めしく味気なくなります。一円札二枚入れて置きました。怒らないで何かにつかって下さい。あの女と一緒にいないんですってね、私が大きく考え過ぎたのでしょうか。秋になりました。私の唇も冷たく凍ってゆきます。あなたとお別れしてから……。たいさんも裏で働いています。


 ──オカアサン。

 オカネ、オクレテ、スミマセン。

 アキニ、ナッテ、イロイロ、モノイリガ、シテオクレマシタ。

 カラダハ、ゲンキデショウカ。ワタシモ、ゲンキデス。コノアイダ、オクッテ、クダサッタ、ハナノクスリ、オツイデノトキニ、スコシオクッテクダサイ。センジテノムト、ノボセガ、ナオッテ、カオリガヨロシイ。

 オカネハ、イツモノヨウニ、ハンヲ、オシテ、アリマスカラ、コノママキョクヘ、トリニユキナサイ。

 オトウサンノ、タヨリアリマスカ、ナニゴトモ、トキノクルマデ、ノンキニシテイナサイ、ワタシモ、コトシハ、アクネンユエ、タダジットシテイマス。

 ナニヨリモ、カラダヲ、タイセツニ、イノリマス。フウトウヲ、イレテオキマス、ヘンジヲクダサイ。


 私は顔中を涙でぬらしてしまった。せぐりあげても、せぐりあげても泣き声が止まない。こうして一人になって、こんなさんだカフエーの二階で手紙を書いていると、一番胸に来るのは、老いた母のことばかりである。私がどうにかなるまで死なないでいて下さい。このままであの海辺で死なせるのはみじめすぎると思う。あした局へ行って一番に送ってあげよう。帯芯おびしんの中には、ささけた一円札が六七枚もたまっている。貯金帳は出たりはいったりでいくらもない。木枕に頭をふせているとくるわの二時の拍子木がカチカチ鳴っていた。


(十月×日)

 窓外は愁々とした秋景色である。小さなバスケット一つに一切をたくして、私は興津おきつ行きの汽車に乗っている。土気とけを過ぎると小さなトンネルがあった。


サンプロンむかしロオマの巡礼の

知らざる穴を出でて南す。


 私の好きな万里ばんりの歌である。サンプロンは、世界最長のトンネルだと聞いていたけれど、一人のこうした当のない旅でのトンネルは、なぜかしんみりとした気持ちになる。海へ行く事がおそろしくなった。あの人の顔や、お母さんの思いが、私をいたわっている。海まで走る事がこわくなった。──三門みかどで下車する。燈火がつきそめて駅の前は桑畑。チラリホラリわら屋根が目についてくる。私はバスケットをさげたままぼんやり駅に立っていた。

「ここに宿屋がありますでしょうか?」

「この先の長者町までいらっしゃるとあります。」

 私は日在浜ひありはまを一直線に歩いていた。十月の外房州の海は黒くもりあがっていて、海のおそろしいまでな情熱が私をコウフンさせてしまった。只海と空と砂浜ばかりだ。それもあたりは暮れそめている。この大自然を見ていると、なんと人間の力のちっぽけな事よと思うなり。遠くから、犬の吠える声がする。かすり半纏はんてんを着た娘が、一匹の黒犬を連れて、歌いながら急いで来た。波が大きくしぶきすると犬はおびえたようにキリッと首をもちあげて海へ向って吠えた。遠雷のような海の音と、黒犬のうなり声は何かこわい感じだ。

「この辺に宿屋はありませんか?」

 この砂浜にたった一人の人間であるこの可憐かれんな少女に私は呼びかけてみた。

「私のうちは宿屋ではないけれど、よかったらお泊りなさい。」

 何の不安もなく、その娘は私を案内してくれた。うすむらさきのなぎなたほおずきを、器用に鳴らしながら、娘は私を連れて家へ引返してくれた。

 日在浜のはずれで、丁度長者町にかかった砂浜の小さな破船のような茶屋である。この茶屋の老夫婦は、気持ちよく風呂をわかしてくれたりした。こんな伸々と自然のままな姿で生きていられる世界もある。私は、都会のあの荒れた酒場の空気を思い出すさえおそろしく思った。天井には、何の魚なのか、魚の尻尾しっぽの乾いたのが張りつけてある。

 この部屋の電気も暗ければこの旅の女の心も暗い。あんなに憧憬あこがれていた裏日本の秋は見る事が出来なかったけれども、この外房州は裏日本よりも豪快な景色である。市振から親不知おやしらずへかけての民家の屋根には、沢庵石のようなのが沢山置いてあった。線路の上まで白いしぶきのかかるあの蒼茫そうぼうたる町、崩れたがけの上にとげとげと咲いていたあざみの花、皆、何年か前のなつかしい思い出である。私は磯臭い蒲団にもぐり込むと、バスケットから、コロロホルムのびんを出して一二滴ハンカチに落した。このまま消えてなくなりたい今の心に、じっと色々な思いにむせている事がたまらなくなって、私は厭なコロロホルムの匂いを押し花のように鼻におし当てていた。


(十一月×日)

 遠雷のような汐鳴しおなりの音と、窓を打つ瀟々しょうしょうたる雨の音に、私がぼんやり目を覚ましたのは十時頃だったろうか、コロロホルムの酢のような匂いが、まだ部屋中に流れているようで、私はそっと窓を開けた。入江になったなぎさには蒼く染ったような雨が煙っていた。しっとりとした朝である。母屋でメザシを焼く匂いがする。──昼からあんまり頭が痛むので、娘と二人で黒犬を連れて、日在浜の方へ散歩に出て見た。渚近い漁師の家では、女や子供たちが三々五々群れていて、生鰯なまいわし竹串たけぐしにつきさしていた。竹串にさされた生鰯が、むしろの上にならんで、雨あがりの薄陽がその上に銀を散らしている。娘はバケツにいっぱい生鰯を入れてもらうとその辺の雑草を引き抜いてかぶせた。

「これで十銭ですよ。」帰り道、娘は重そうにバケツを私の前に出してこう云った。


 夜は生鰯の三バイ酢に、海草の煮つけに生玉子の御馳走だった。娘はお信さんと云って、お天気のいい日は千葉から木更津にかけて魚の干物の行商に歩くのだそうである。店で茶をすすりながら、老夫婦にお信さんと雑談をしていると、水色のかにが敷居の上をゴソゴソって行く。生活に疲れ切った私は、石ころのように動かないこの人達の生活を見ていると、何となくうらやましくなって来る。風が出たのか、雨戸が難破船のようにゆれて、チエホフの小説にでもありそうな古風な浜辺の宿なり。十一月にはいると、このへんではもう足の裏がつめたい。


(十一月×日)

富士を見た

富士山を見た

赤い雪でも降らねば

富士をいい山だと賞めるには当らない


あんな山なんかに負けてなるものか

汽車の窓から何度も思った回想

とがった山の心は

私の破れた生活を脅かし

私の眼を寒々と見下ろす。


富士を見た

富士山を見た

烏よ

あの山の尾根から頂上へと飛び越えて行け

真紅まっかな口でひとつ嘲笑あざわらってやれ


風よ!

富士は雪の大悲殿だ

ビュン、ビュン吹きまくれ

富士山は日本のイメージイだ

スフィンクスだ

夢の濃いノスタルジヤだ

魔の住む大悲殿だ。


富士を見ろ

富士山を見ろ

北斎ほくさいの描いたかつてのお前の姿の中に

若々しいお前の火花を見たけれど


今は老い朽ちた土まんじゅう

ギロギロした眼をいつも空にむけているお前

なぜ不透明な雪の中に逃避しているのだ


烏よ風よ

あの白々とさえかえった

富士山の肩を叩いてやれ

あれは銀の城ではない

不幸のひそむ雪の大悲殿だ


富士山よ!

お前に頭をさげない女がここにひとり立っている

お前を嘲笑ちょうしょうしている女がここにいる。


富士山よ富士よ

颯々さっさつとしたお前の火のような情熱が

ビュンビュン唸って

ゴオジョウなこの女の首を叩き返すまで

私はユカイに口笛を吹いて待っていよう。


 私はまた元のもくあみだ。胸にエプロンをかけながら二階の窓をあけに行くと、遠い向うに薄い富士山が見えた。あああの山の下を私は幾度か不幸な思いをして行き返りした事である。でもたとえ小さな旅でも、二日の外房州のあの寥々りょうりょうたる風景は、私の魂も体も汚れのとれた美しいものにしてくれた。野中の一本杉の私は、せめてこんな楽しみでもなければやりきれない。明日から紅葉デーで、私達は狂人のような真紅な着物のおそろいだそうである。都会の人間はあとからあとから、よくもこんなはずかしくもない、コッケイな趣向を思いつくものだと思う。又新らしい女が来ている。今晩もお面のように白粉おしろいをつけて、二重な笑いでごまかしか……うきよとはよくも云い当てしものかな──。留守中、母から、さらしの襦袢が二枚送って来ていた。


        *


(一月×日)

 カフエーで酔客にもらった指輪が思いがけなく役立って、十三円で質に入れると私と時ちゃんは、千駄木の町通りを買物しながら歩いた。古道具屋で箱火鉢と小さい茶ブ台を買ったり、沢庵や茶碗や、茶呑道具までそろえると、あとは半月分あまりの間代を入れるのがせいいっぱいだった。十三円の金の他愛なさよ。

 寒い息を吐きながら、二人が重い荷物を両方から引っぱって帰った時は、丁度十時近かった。

「一寸! 前のうちねえ、小唄の師匠さんよ、ホラ……いいわね。」


傘さして

かざすやくるわの花吹雪

この鉢巻は過ぎしころ

紫におう江戸の春


 目と鼻の路地向うの二階屋から、沈んだ三味線の音〆ねじめがきこえている。細目にあけた雨戸の蔭には、お隣の灯の明るい障子のこまかいサンが見える。

「お風呂は明日にして寝ましょう、上蒲団は借りたのかしら?」

 時ちゃんはピシャリと障子を締めた。──敷蒲団はたいさんと私と一緒の時代のがたいさんが小堀さんのところへお嫁に行ったので残っていた。あの人はなべ庖丁ほうちょうも敷蒲団も置いて行ってしまった。一番なつかしく、一番厭な思い出の残った本郷の酒屋の二階を私は思い出していた。同居の軍人上りや二階でおしめを洗ったその細君や、人のいい酒屋の夫婦や。用が片づいたら、あの頃の日記でも出して読みましょう。

「どうしたかしら、たい子さん?」

「あのひとも、今度こそは幸福になったでしょう。小堀さん、とても、ガンジョウないい人だそうだから、誰が来ても負けないわ……」

「いつか遊びに連れて行ってね。」

 二人は、階下の小母さんから借りた上蒲団をかぶって寝た。日記をつける。


一、拾参円の内より

 茶ブ台 壱円。

 箱火鉢 壱円

 シクラメン一鉢 参拾五銭。

 飯茶わん 弐拾銭。 二個。

 吸物わん 参拾銭。 二個。

 ワサビヅケ 五銭。

 沢庵 拾壱銭。

 はし 五銭。 五人前。

 茶呑道具 盆つき 壱円拾銭。

 桃太郎の蓋物 拾五銭。

 皿 弐拾銭。 二枚。

 間代日割り 六円。(三畳九円)

 火箸 拾銭。

 餅網 拾弐銭。

 ニュームのつゆ杓子しゃくし 拾銭。

 御飯杓子 参銭。

 鼻紙一束 弐拾銭。

 肌色美顔水 弐拾八銭。

 御神酒 弐拾五銭。 一合。

 引越し蕎麦そば 参拾銭。 階下へ。

一、壱円拾六銭 残金


「たったこれだけじゃ、心細いわねえ……」

 私は鉛筆のしんで頬っぺたを突つきながら、つんと鼻の高い時ちゃんの顔をこっちに向けて日記をつけた。

「炭はあるの?」

「炭は、階下の小母さんが取りつけの所から月末払いで取ってやるって云ったわ。」

 時ちゃんは安心したように、銀杏いちょうがえしのびんを細い指で持ち上げて、私の背中にもたれている。

「大丈夫ってばさ、明日からうんと働くから元気を出して勉強してね。浅草をめて、日比谷あたりのカフエーなら通いでいいだろうと思うの、酒の客が多いんだって、あの辺は……」

「通いだと二人とも楽しみよねえ、一人じゃ御飯もおいしくないじゃないの。」

 私は煩雑だった今日の日を思った。──萩原さんとこのお節ちゃんに、お米も二升もらったり、画描の溝口みぞぐちさんは、折角北海道から送って来たと云う餅を、風呂敷に分けてくれたり、指輪を質屋へ持って行ってくれたりした。

「当分二人で一生懸命働こうね、ほんとに元気を出して……」

「雑色のお母さんのところへは、月に三十円も送ればいいんだから。」

「私も少し位は原稿料がはいるんだから、沈黙だまって働けばいいのよ。」

 雪の音かしら、窓に何かササササと当っている音がしている。

「シクラメンって厭な匂いだ。」

 時ちゃんは、枕元の紅いシクラメンの鉢をそっと押しやると、かんざしくしも枕元へ抜いて、「さあ寝んねしましょう。」と云った。暗い部屋の中では、花の匂いだけが強く私達をなやませた。


(二月×日)

積る淡雪積ると見れば

消えてあとなきはかなさよ

柳なよかに揺れぬれど

春は心のかわたれに……。


 時ちゃんの唄声でふっと目を覚ますと、枕元に白い素足がならんでいた。

「あら、もう起きたの。」

「雪が降ってるのよ。」

 起きると湯もわいていて、窓外の板の上で、御飯がグツグツ白く吹きこぼれていた。

「炭はもう来たのかしら?」

「階下の小母さんに借りたのよ。」

 いつも台所をした事のない時ちゃんが、珍らしそうに、茶碗をふいていた。久し振りに猫の額程の茶ブ台の上で、幾年にもない長閑のどかなお茶を呑むなり。

「やまと館の人達や、当分誰にもところを知らさないでおきましょうね。」

 時ちゃんはコックリをして、小さな火鉢に手をかざしている。

「こんなに雪が降っても出掛ける?」

「うん。」

「じゃあ私も時事新聞の白木さんに会ってこよう。童話が行ってるから。」

「もらえたら、熱いものをこしらえといて、あっちこっち行って見るから、私はおそくなることよ。」

 初めて、隣の六畳の古着屋さん夫婦にもあいさつをする。とびかしらをしていると云う階下のお上さんの旦那にも会う。皆、歯ぎれがよくて下町人らしい人達だ。

「この家も前は道路に面していたんですよ。でも火事があってねえ、こんなとこへ引っこんじゃって……うちの前はおめかけさん、路地のつきあたりは清元でこれは男の師匠でしてね、やかましいには、やかましゅうござんすがね……」

 私はおはぐろで歯をそめているお上さんを珍らしく見ていた。

「お妾さんか、道理で一寸見たけどいい女だったわよ。」

「でも階下の小母さんがあんたの事を、この近所には一寸居ない、いい娘ですってさ。」

 二人は同じような銀杏返しをならべて雪の町へ出て行った。雪はまるで、気の抜けたあわのように、目も鼻もおおい隠そうとする程、やみくもに降っている。

「金もうけは辛いね。」雪よドンドン降ってくれ、私が埋まる程、私はえこじに傘をクルクルまわして歩いた。どの窓にも灯のついている八重洲やえすの大通りは、紫や、紅のコートを着た勤めがえりの女の人達が、雪にさからって歩いている。コートも着ない私の袖は、ぐっしょり濡れてしまって、みじめなヒキがえるのようだ。──白木さんはお帰りになった後か、そうれ見ろ! これだから、やっぱりカフエーで働くと云うのに、時ちゃんは勉強をしろと云うなり。新聞社の広い受付に、このみじめな女は、かすれた文字をつらねて困っておりますからとおきまりの置手紙を書いた。

 だが時事のドアは面白いな。クルリクルリ、まるで水車のようだ。クルリと二度押すと、前へ逆もどりしている。郵便屋が笑っていた。何と小さな人間たちよ。ビルディングを見上げると、お前なんか一人生きてたって、死んだって同じじゃないかと云っているようだ。だけど、あのビルディングを売ったら、お米も間代も一生はらえて、古里に長い電報が打てるだろう。成金になるなんて云ってやったら邪けんな親類も、冷たい友人もみんな、驚くことだろう。あさましや芙美子よ、消えてしまえ。時ちゃんは、かじかんでこの雪の中を野良犬のように歩いているんだろうに──。


(二月×日)

 ああ今晩も待ちぼうけ。箱火鉢で茶をあたためて時間はずれの御飯をたべる。もう一時すぎなのに──。昨夜は二時、おとといは一時半、いつも十二時半にはきちんと帰っていた人が、時ちゃんに限ってそんな事もないだろうけれど……。茶ブ台の上には書きかけの原稿が二三枚散らばっている。もう家には十一銭しかないのだ。

 きちんきちんと、私にしまわせていた十円たらずのお金を、いつの間にか持って出てしまって、昨日も聞きそこなってしまったけれど、いったいどうしたのかしらと思う。

 蒸してはおろし蒸してはおろしするので、うむし釜の御飯はビチャビチャしていた。蛤鍋はまぐりなべの味噌も固くなってしまった。私は原稿も書けないので、机を鏡台のそばに押しやって、淋しく床をのべる。ああ髪結さんにも行きたいものだ。もう十日あまりも銀杏返しをもたせているので、頭の地がかゆくて仕方がない。帰って来る人が淋しいだろうと、電気をつけて、紫の布をかけておく。

 三時。

 下のお上さんのブツブツ云う声に目を覚ますと、時ちゃんが酔っぱらったような大きな跫音あしおとで上って来た。酔っぱらっているらしい。

「すみません!」

 あおざめた顔に髪を乱して、紫のコートを着た時ちゃんが、蒲団の裾にくず折れると、まるで駄々ッ子のように泣き出してしまった。私は言葉をあんなに用意してまっていたのだけれど、一言も云えなくなってしまって沈黙っていた。

「さようならア時ちゃん!」

 若々しい男の声が窓の下で消えると、路地口で間抜けた自動車の警笛が鳴っていた。


(二月×日)

 二人共面伏せな気持ちで御飯をたべた。

「この頃は少しなまけているから、あなたは梯子段を拭いてね、私は洗濯をするから……」

「ええ私するから、ここほっといていいよ。」

 寝ぶそくなはれぼったい時ちゃんのまぶたを見ていると、たまらなくいじらしくなって来る。

「時ちゃん、その指輪はどうして?」

 かぼそい薬指に、白い石が光って台はプラチナだった。

「その紫のコートはどうしたのよ?」

「…………」

「時ちゃんは貧乏がいやになってしまったのねえ?」

 私は階下の小母さんに顔を合せる事は肌が痛いようだった。


「姉さん! 時坊は少しどうかしてますよ。」

 水道の水と一緒に、小父さんの言葉が痛く胸に来た。

「近所のてまえがありまさあね、夜中に自動車をブウブウやられちゃあね、町内のかしらなんだから、一寸でも風評が立つと、うるさくてね……」

 ああ御もっとも様で、洗いものをしている背中にビンビン言葉が当って来る。


(二月×日)

 時ちゃんが帰らなくなって今日で五日である。ひたすら時ちゃんのたよりを待っている。彼女はあんな指輪や紫のコートに負けてしまっているのだ。生きてゆくめあてのないあの女の落ちて行く道かも知れないとも思う。あんなに、貧乏はけっして恥じゃあないと云ってあるのに……十八の彼女は紅も紫も欲しかったのだろう。私は五銭あった銅銭で駄菓子を五ツ買って来ると、床の中で古雑誌を読みながらたべた。貧乏は恥じゃあないと云ったもののあと五ツの駄菓子は、しょせん私の胃袋をさいどしてはくれぬ。手を延ばして押入れをあけて見る。白菜の残りをつまみ、白い御飯の舌ざわりを空想するなり。

 何もないのだ。涙がにじんで来る。電気でもつけましょう……。駄菓子ではつまらないと見えて腹がグウグウ辛気しんきに鳴っている。隣の古着屋さんの部屋では、秋刀魚さんまを焼く強烈な匂いがしている。

 食慾と性慾! 時ちゃんじゃないが、せめて一碗のめしにありつこうかしら。

 食慾と性慾! 私は泣きたい気持ちで、この言葉を噛んでいた。


(二月×日)

何にも云わないでかんにんして下さい。指輪をもらった人に脅迫されて、浅草の待合に居ります。このひとにはおくさんがあるんですけれど、それは出してもいいって云うんです。笑わないで下さいね。その人は請負師で、今四十二のひとです。

着物も沢山こしらえてくれましたの、貴女の事も話したら、四十円位は毎月出してあげると云っていました。私嬉しいんです。


 読むにたえない時ちゃんの手紙の上に私はこんな筈ではなかったと涙が火のようにあふれていた。歯が金物のようにガチガチ鳴った。私がそんな事をいつたのんだのだ! 馬鹿、馬鹿、こんなにも、こんなにも、あの十八の女はもろかったのかしら……目が円くふくれ上って、何も見えなくなる程泣きじゃくっていた私は、時ちゃんへ向って心で呼んで見た。

 所を知らせないで。浅草の待合なんて何なのよッ。

 四十二の男なんて!

 きもの、きもの。

 指輸もきものもなんだろう。信念のない女よ!

 ああ、でも、野百合のように可憐であったあの可愛い姿、きめの柔かい桃色の肌、黒髪、あの女はまだ処女だったのに。何だって、最初のベエゼをそんな浮世のボオフラのような男にくれてしまったのだろう……。愛らしい首を曲げて、春は心のかわたれに……私に唄ってくれたあの少女が、四十二の男よのろわれてあれだ!

「林さん書留ですよッ!」

 珍らしく元気のいい小母さんの声に、梯子段に置いてある封筒をとり上げると、時事の白木さんからの書留だった。金二十三円也! 童話の稿料だった。当分ひもじいめをしないでもすむ。胸がはずむ、ああうれしい。神さま、あんまり幸福なせいか、かえって淋しくて仕様がない。神様神様、嬉しがってくれる相棒が四十二の男に抱かれているなんて……。


 白木さんのいつものやさしい手紙がはいっている。いつも云う事ですが、元気で御奮闘御精励を祈りまつる。──私は窓をいっぱいあけて、上野の鐘を聞いた。晩はおいしい寿司でも食べましょう。


     第二部


(一月×日)

私は野原へほうり出された赤いマリ

力強い風が吹けば

大空高く

わしの如く飛びあがる


おお風よ叩け

燃えるような空気をはらんで

おお風よ早く

赤いマリの私を叩いてくれ


(一月×日)

 雪空。

 どんな事をしてでも島へ行ってこなくてはいけない。島へ行ってあのひとと会って来よう。

「こっちが落目になったけん、馬鹿にしとるとじゃろ。」

 私が一人で島へ行く事をお母さんは賛成をしていない。

「じゃア、今度島へお母さん達が行くときには連れて行って下さい。どうしても会って話して来たいもの……」

 私に「サーニン」を送ってよこして、恋を教えてくれた男じゃないか、東京へ初めて連れて行ったのもあの男、信じていていいと言ったあのひとの言葉が胸に来る。──波止場には船がついたのか、低い雲の上に、船の煙がたなびいていた。汐風しおかぜが胸の中で大きくふくらむ。

「気持ちのなくなっているものに、さっちついて行く事もないがの……サイナンと思うてお母さん達と一緒に又東京へ行った方がええ。」

「でも、一度会うて話をして来んことには、誰だって行き違いと云う事はあるもの……」

「考えてみなさい、もう去年の十一月からたよりがないじゃないかの、どうせ今は正月だもの、本気に考えがあれば来るがの、あれは少し気が小さいけん仕様がない。とり年はどうもわしはすかん。」

 私は男と初めて東京へ行った一年あまりの生活の事を思い出した。

 晩春五月のことだった。散歩に行った雑司ぞうしの墓地で、何度も何度もおなかをぶっつけては泣いた私の姿を思い出すなり。梨のつぶてのように、私一人を東京においてけぼりにすると、いいかげんな音信しかよこさない男だった。あんなひとの子供を産んじゃア困ると思った私は、何もかもが旅空でおそろしくなって、私は走って行っては墓石に腹をドシンドシンぶっつけていたのだ。男の手紙には、アメリカから帰って来た姉さん夫婦がとてもガンコに反対するのだと云っている。家を出てでも私と一緒になると云っておいて、卒業あと一年間の大学生活を私と一緒にあの雑司ヶ谷でおくったひとだのに、卒業すると自分一人でかえって行ってしまった。あんなに固く信じあっていたのに、お養父とうさんもお母さんも忘れてこんなに働いていたのに、私は浅い若い恋の日なんて、うたかたのあわよりはかないものだと思った。

「二三日したら、わしも商売に行くけん、お前も一度行って会うて見るとええ。」

 そろばんを入れていたお養父さんはこう言ってくれたりした。尾道おのみちの家は、二階が六畳二間、階下は帆布と煙草を売るとしより夫婦が住んでいる。

「随分この家も古いのね。」

「あんたが生れた頃、この家は建ったんですよ。十四五年も前にゃア、まだこの道は海だったが、埋立して海がずっと向うへ行きやんした。」

 明治三十七年生れのこのすすけた浜辺の家の二階に部屋借りをして、私達親子三人の放浪者は気安さを感じている。

「汽車から見て、この尾道はとても美しかったもんのう。」

 港の町は、魚も野菜もうまいし、二度目の尾道帰りをいつもよろこんでいて、母は東京の私へ手紙をよこしていた。帰ってみると、家は違っていても、何もかもなつかしい。行李こうりから本を出すと、昔の私の本箱にはだいぶ恋の字がならんでいる。隣室は大工さん夫婦、おかみさんはだるま上りの白粉おしろいの濃い女だった。今晩、町は、寒施行かんせぎょうなので、暗い寒い港町には提灯ちょうちんの火があっちこっち飛んでいた。赤飯に油揚げを、大工さんのお上さんは白粉くさい手にいっぱいこんなものを持って来てくれた。

「おばさんは、二三日うち島へ行きなさるな?」

「この十五日が工場の勘定日じゃけん、メリヤスを少し持って行こうと思ってますけに……」

「私のうちも船の方じゃあ仕事が日がつまんから、何か商売でもしたら云うて、繻子しゅす足袋の再製品を聞いたんじゃけど、どんなもんだろうな?」

「そりゃアよかろうがな、職工はこの頃景気がよかとじゃけん、品さえよけりゃ買うぞな、商売は面白かもん私と行ってみなさい、これに手伝わせてもええぞな。」

「そいじゃ、おばさんと一緒にお願い申しましょう。」

 船大工もこのごろ工賃が安くて人が多いし、寒い浜へ出るのは引きあわない話だそうな。

 夕方。

 ドックに勤めている金田さんが、「自然と人生」と云う本を持って来てくれる。金田さんは私の小学校友達なり。本を読む事が好きな人だ。桃色のツルツルしたメクリがついていて、表紙によしの芽のような絵が描いてあった。

 ──勝てば官軍、負けては賊の名をおわされて、降り積む雪を落花と蹴散けちらし。暗くなるまで波止場の肥料置場でここを読む。紫のひふを着た少女の物語り、雨後の日の夜のあばたの女の物語など、何か、若い私の胸に匂いを運んでくれる。金田さんは、みみずのたわごとが面白いと云っていた。十時頃、山の学校から帰って来ると、お養父さんが、弄花はなをしに行ってまだ帰らないのだと母は心配していた。こんな寒い夜でもだるま船が出るのか、お養父さんを迎えに町へ出てみると、雁木がんぎについたランチから白い女の顔が人魂ひとだまのようにチラチラしていた。いっそ私も荒海に身を投げて自殺して、あの男へ情熱を見せてやろうかしらとも思う、それともひと思いに一直線に墜落して、あの女達の群にはいってみようかと思う。


(一月×日)

 島で母達と別れると、私は磯づたいに男の村の方へ行った。一円で買った菓子折を大事にかかえていんしまといのように細い町並を抜けると、一月の寒く冷たい青い海が漠々と果てもなく広がっていた。何となく胸の焼ける思いなり。あのひととはもう三カ月も会わないのだもの、東京での、あの苦しかった生活をあのひとはすぐ思い出してくれるだろう……。丘の上は一面の蜜柑みかん山、実のなったレモンの木が、何か少女時代の風景のようでとてもうれしかった。

 牛二匹。腐れたわら屋根。レモンの丘。チャボが花のように群れた庭。一月の太陽は、こんなところにも、霧のような美しい光芒こうぼうを散らしていた。畳をあげた表の部屋には、あのひとの羽織がかけてあった。こんな長閑のどかな住居にいる人達が、どうして私の事を、馬の骨だの牛の骨だのなんかと言うのだろうか、沈黙だまって砂埃すなぼこりのしている縁側に腰をかけていると、あの男のお母さんなのだろう、煤けて背骨のない藁人形のようなお婆さんが、鶏を追いながら裏の方から出て来た。

「私、尾道から来たんでございますが……」

「誰をたずねておいでたんな。」

 声には何かトゲトゲとした冷たさがあった。私は誰を尋ねて来たかとかれると、少女らしく涙があふれた。尾道でのはなし、東京でのはなし、私は一年あまりのあのひととの暮しを物語って見た。

「私は何も知らんけん、そのうち又誰ぞに相談しときましょう。」

「本人に会わせてもらえないでしょうか。」

 奥から、あのひとのお父さんなのか、六十近い老人が煙管きせるを吹き吹き出て来る。結局は、アメリカから帰った姉さん夫婦が反対の由なり。それに本人もこの頃造船所の庶務課に勤めがきまったので、あんまり幸福を乱さないでくれと言う事だった。こんな煤けたレモンの山裾に、数万円の財産をお守りして、その日その日の食うものもケンヤクしている百姓生活。あんまり人情がないと思ったのか、あのひとのお父さんは、今日は祭だから、飯でも食べて行けと云った。女は年を取ると、どうして邪ケンになるものだろう。お婆さんはツンとして腰に繩帯を巻いた姿で、牛小屋にはいって行った。真黒いコンニャクの煮〆にしめと、油揚げ、里芋、雑魚の煮つけ、これだけが祭の御馳走である。縁側で涙をくくみながらよばれていると、荒れた水田の小道を、なつかしい顔が帰って来ている。


 私を見ると、気の弱い男は驚いて眼をタジタジとさせていた。

「当分は、一人で働きたいと云っとるんじゃから、帰ってもおこらんで、気ながに待っておって下さい。何しろあいつの姉の云う事には、一軒の家もかまえておらん者の娘なんかもらえんと云うのだから……」

 お父さんの話だ。あのひとは沈黙って首をたれていた。──どうせんじ詰めても、あんなにも勇ましいと思っていた男が沈黙っていて一言も云ってくれないのでは、私が百万べん言っても動いてくれるような親達ではない。私は初めて空漠とした思いを感じた。男と女の、あんなにも血も肉も焼きつくような約束が、こんなにたあいもなく崩れて行くものだろうかと思う。私は菓子折をそこへ置くと、蜜柑山に照りかえった黄いろい陽を浴びて村道に出た。あの男は、かつてあの口から、こんなことを云ったことがある。

「お前は、長い間、苦労ばかりして来たのでよく人をうたがうけれども、子供になった気持ちで俺を信じておいで……」

 一月の青く寒く光っている海辺に出ると、私はぼんやり沖を見ていた。

「婆さんが、こんなものをもらう理由はないから、返して来いと云うんだよ。」

 私に追いすがった男の姿、お話にならないオドオドした姿だった。

「もらう理由がない? そう、じゃ海へでもほかして下さい、出来なければ私がします。」

 男から菓子折を引き取ると、私はせいいっぱいの力をこめてそれを海へ投げ捨てた。

「とても、あの人達のガンコさには勝てないし、家を出るにしても、田舎でこそ知人の世話で仕事があるんだが、東京なんかじゃ、大学出なんか食えないんだからね。」

 私は沈黙って泣いていた。東京での一年間、私は働いてこの男に心配かけないでいた心づかいを淋しく思い出した。

「何でもいいじゃありませんか、怒って私が菓子折を海へ投げたからって、貴方に家を出て下さいなんて云うんじゃありませんもの。私はそのうち又ひとりで東京へ帰ります。」


 砂浜の汚いの上をふんで歩いていると、男も犬のように何時いつまでも沈黙って私について来た。

「おくってなんかくれなくったっていいんですよ。そんな目先きだけの優しさなんてよして下さい。」

 町の入口で男に別れると、体中を冷たい風が吹き荒れるような気がした。会ったらあれも言おう、これも言おうと思っていた気持ちが、もろく叩きこわされている。東京で描いていたイメージイが愚にもつかなかったと思えて、私はシャンと首をあげると、灰色に蜿蜒えんえんと続いた山壁を見上げた。


 造船所の入口には店を出したお養父さんとお母さんが、大工のお上さんと、もう店をしまいかけていた。

「オイ、この足袋は紙でこしらえたのかね、はいたと思ったらじき破れたよ。」

 薬で黒く色染めしてあるので、はくとすぐピリッと破れるらしい。

「おばさん! 私はもう帰りますよ。皆おこって来そうで、おそろしいもん……」大工のお上さんは、再製品のその繻子足袋を一足七十銭に売っているんだからとても押が太かった。大工の上さんが一船先へ帰ると云うので、私も連れになって、一緒に船着場へ行く。

「さあ、船を出しますで!」

 船長さんが鈴を鳴らすと、利久下駄をカラカラいわせていた大工の上さんは、桟橋と船に渡した渡し子をわたるとき、まだ半分も残っていた足袋の風呂敷包みを、コロリと海の中へ落してしまった。

「あんまり高いこと売りつけたんで、罰が当ったんだでな。」

 上さんはヤレヤレと云いながら、棒の先で風呂敷包みをすくい取っていた。

 皆、何もかも過ぎてしまう。船が私の通った砂浜の沖に出ると、灯のついたようなレモンの山が、暮色にかすんでしまっていた。三カ月も心だのみに空想を描いていた私だのに、海の上の潮風にさからって、いつまでも私は甲板に出ていた。


(一月×日)

「お前は考えが少しフラフラしていかん!」

 お養父さんは、東京行きの信玄袋をこしらえている私の後から言った。

「でもなお父さん、こんなところへおっても仕様のない事じゃし、いずれわし達も東京へ行くんだから、早くやっても、同じことじゃがな。」

「わし達と一緒に行くのならじゃが、一人ではあぶないけんのう。」

「それに、お前は無方針で何でもやらかすから。」

 御もっとも様でございます。方針なんて真面目くさくたてるだけでも信じられないじゃありませんか。方針なんてたてようもない今の私の気持ちである。大工のお上さんがバナナを買ってくれた。「汽車の中で弁当代りにたべなさいよ。」停車場の黒いさくもたれて母は涙をふいていた。ああいいお養父さん! いいお母さん! 私はすばらしい成金になる空想をした。

「お母さん! あんたは、世間だの義理だの人情だのなんてよく云い云いしているけれども、世間だの義理だの人情だのが、どれだけ私達を助けてくれたと云うのです? 私達親子三人の世界なんてどこにもないんだからナニクソと思ってやって下さい。もうあの男ともさっぱり別れて来たんですからね。」

「親子三人が一緒に住めん云うてのう……」

「私は働いて、うんとお金持ちになりますよ、人間はおそろしく信じられないから、私は私一人でうんと身を粉にして働きますよ。」


 いつまでも私の心から消えないお母さん、私は東京で何かにありついたらお母さんに電報でも打ってよろこばせてやりたいと思った。──段々陽のさしそめて来る港町をつっきって汽車は山波さんばの磯べづたいに走っている。私の思い出から、たんぽぽの綿毛のように色々なものが海の上に飛んで行った。海の上には別れたひとの大きな姿がにじのように浮んでいた。


        *


(六月×日)

 烈々とした太陽が、雲を裂き空を裂き光っている。帯の間にしまった二通の履歴書は、ぐっしょり汗ばんでしまった。暑い。新富河岸しんとみがしの橋を曲線カーヴしながら、電車は新富座に突きささりそうに朽ちた木橋を渡って行く。坂本町で降りると、汚い公園が目の前にあった。金でもあれば氷のいっぱいも呑んで行くのだけれど、ああこのジトジトした汗の体臭はけいべつされるに違いない。石突きの長いパラソルの柄に頬をもたせて、公園の汚れたベンチに私は涼風をもとめてすずんでいた。

「オイ! 姉さん、五銭ほど俺にくんないかね……」

 驚いて振り返って見ると、あかもぶれな手拭を首に巻いた浮浪者が私の後に立っていた。

「五銭? 私二銭しか持たないんですよ、電車切符一枚と、それきり……」

「じゃア二銭おくれよ。」

 三十も過ぎているだろうこのガンジョウな男が、汗ばんだ二銭を私からもらうと、共同便所の方へ行ってしまった。あの人に二銭あげてあの人はあんなに喜んで行ったんだから、私にもきっといい事があるに違いない。玩具おもちゃ箱をひっくり返したような公園の中には、樹とおんなじように埃をかぶった人間が、あっちにもこっちにもうろうろしている。

 茅場町かやばちょう交叉点こうさてんから一寸右へはいったところに、イワイと云う株屋がみつかった。薄暗い鉄格子のはまった事務室には遊び人風の男や、忙がし気に走りまわっている小僧やまるで人種の違ったところへ来た感じだった。

「月給は弁当つき三十五円でしてね、朝は九時から、ひけは四時です。ところでぎょくづけが出来ますかね。」

「玉づけって何です?」

「簿記ですよ。」

「少しぐらいは出来ようと思います。」

 まあ、月給が弁当つき三十五円なんて! 何とすばらしい虹の世界だろう──。三十五円、これだけあれば、私は親孝行も出来る。

 お母さんや!

 お母さんや!

 あなたに十円位も送れたらあんたは娘の出世に胸がはちきれて、ドキドキするでしょうね。

「ええ玉づけだって、何だってやります。」

「じゃアやって見て下さい、そして二三日してからきめましょう──」

 白い絹のワイシャツを、帆のように扇風器の風でふくらましたこの頭の禿げた男は、私を事務机の前に連れて行ってくれた。大きな、まるで岩のような事務机を前にすると、三十五円の憂鬱が身にしみて、玉づけだって何だって出来ますと云った事が、おそろしく思えてきた。小僧が持って来た大きい西洋綴りの帳面を開くと、それは複式簿記で、私の一寸知っている簿記とは、はるかに縁遠いものだった。目がくらみそうに汗が出る。生れてかつて見た事もないような、長い数字の行列、数字を毎日書き込んだり、珠算を入れるとなると、私は一日で完全に、キチガイになってしまうだろう。でも私は珠算をいかにもうまそうにパチパチはじきながら子供の頃、算術で丙ばかりもらっていた事を思い出して、胸が冷たくなるような気がした。これだけの長い数字が、どれだけ我々の人生に必要なのだろうか、ふっと頭を上げると小僧が氷あずきをおやつに持って来てくれている。私は浅ましくもうれし涙がこぼれそうだった。氷と数字、赤や青の直線、簿記棒で頭をコツコツやりながら、でたらめな数字を書き込んだのが恐ろしくなっている。


 帰ってみたら電報が来ていた。

 シュッシャニオヨバズ。

 えへだ! あんなに大きい数字を毎日毎日加えてゆかなくちゃならない世界なんて、こっちから行きたくもありませんよだ。成金になりたい理想も、あんな大きな数字でへこたれるようでは一生駄目らしい。


(六月×日)

 二階から見ると、赤いカンナの花が隣の庭に咲いている。

 昨夜、何かわけのわからない悲しさで、転々ところがりながら泣いた私の眼に、白い雲がとてもきれいだった。隣の庭のカンナの花を見ていると、昨夜の悲しみが又いて来て、熱い涙が流れる。いまさら考えて見るけれど、生活らしいことも、恋人らしい好きなひとも、勉強らしい勉強も出来なかった自分のふがいなさが、なぎの日の舟のようにわびしくなってくる。こんどは、とても好きなひとが出来たら、眼をつぶってすぐ死んでしまいましょう。こんど、生活が楽になりかけたら、幸福がズルリと逃げないうちにすぐ死んでしまいましょう。

 カンナの花の美しさは、瞬間だけの美しさだが、ああうらやましいお身分だよだ。またのよには、こんな赤いカンナの花にでも生れかわって来ましょう。昼から、千代田橋ぎわの株屋へ行ってみる。

  ──

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10

──

 これだけの数字を何遍も書かせられると、私は大勢の応募者達と戸外へ出ていった。女事務員入用とあったけれど、又、簿記をつけさせるのかしら、でも、沢山の応募者達を見ると、当分私は風の子供だ。

 明石あかしの女もメリンスの女も、一歩外に出ると、にらみあいを捨ててしまっている。

「どちらへお帰りですの?」

 私はこの魚群のような女達に別れて、銀座まで歩いてみた。銀座を歩いていると、なぜか質屋へ行くことを考えている。とある陳列箱の中の小さな水族館では、茎のような細いあゆが、何尾も泳いでいた。銀座の鋪道ほどうが河になったら面白いだろうと思う。銀座の家並が山になったらいいな、そしてその山の上に雪が光っていたらどんなにいいだろう……。赤煉瓦れんがの鋪道の片隅に、二銭のコマを売っている汚れたお爺さんがいた。人間って、こんな姿をしてまでも生きていなくてはならないのかしら、宿命とか運命なんて、あれは狐つきの云う事でしょうね、お爺さん! ナポレオンのような戦術家になって、そんな二銭のコマで停滞する事はめて下さい。コマ売りの老人の同情を強いる眼を見ていると、妙に嘲笑ちょうしょうしてやりたくなる。あんなものと私と同族だなんて、ああ汚れたものと美しいものとけじめのつかない錯覚だらけのガタガタの銀座よ……家へかえったら当分履歴書はお休みだ。


空と風と

河と樹と

みんな秋の種子

流れて 飛んで


 夜。

 電気を消して畳に寝転んでいると、雲のない夜の空に大きい月が出ている。ゆがんだ月に、指を円めてのぞき眼鏡していると、黒子ほくろのようなお月さん! どこかで氷を削る音と風鈴が聞える。

「こんなに私はまだ青春があるのです。情熱があるんですよお月さん!」両手を上げて何か抱き締めてみたい侘しさ、私は月に光った自分の裸の肩をこの時程美しく感じた事はない。壁に凭れると男の匂いがする。ズシンと体をぶっつけながら、何か口惜くやしさで、体中の血が鳴るように聞える。だが呆然ぼんやりと眼を開くと、血の鳴る音がすっと消えてお隣でやっている蓄音器のマズルカの、ピチカットの沢山はいった嵐の音が美しく流れてくる。大陸的なそのヴァイオリンの音を聞いていると、明日のない自分ながら、生きなくては嘘だと云う気持ちが湧いて来るのだった。


(六月×日)

 おとつい行った株屋から速達が来た。×日より御出社を乞う。私は胸がドキドキした。今日から株屋の店員さんだ。私は目の前が明るくなったような気がした。パラソルを二十銭で屑屋くずやに売った。

 日立商会、これが私のこれからお勤めするところなり。隣が両替屋、前が千代田橋、横が鶏肉とりにく屋、橋の向うが煙草屋、電車から降りると、私は色んなものが豊かな気持ちで目についた。荻谷文子、これが私の相棒で、事務机に初めて差しむかいになると、二人共笑ってしまった。

「御縁がありましたのねイ。」

「ええ本当に、どうぞよろしくお願いします。」

 この人ははかまをはいて来ているが、私も袴をはかなくちゃいけないのかしら……。二人の仕事はおトクイ様に案内状を出す事と、カンタンな玉づけをならって行く事だった。相棒の彼女は、岐阜の生まれで小学校の教師をしていたとかで、ネーと云う言葉が非常に強い。「そうしてねイー」二人の小僧が真似をしては笑う。お昼の弁当も美味うまし、さけのパン粉で揚げたのや、いんげんの青いの、ずいきのひたし、丹塗にぬりの箱を両手にかかえて、私は遠いお母さんの事を思い出していた。


 ニイカイ サンヤリ!

 自転車で走って小僧がかえって来ると、店の人達は忙がしそうにそれを黒板に書きつけたり電話をしている。

「奥のお客さんにお茶を一ツあげて下さい。」

 重役らしい人が私の肩を叩いて奥を指差す。茶を持ってドアをあけると、黒眼鏡をかけた色の白い女のひとが、寒暖計の表のような紙に、赤鉛筆でしるしをつけていた。

「オヤ! これはありがとう、まあ、ここには女の人もいるのね、暑いでしょう……」

 黒ずくめの恰好をした女のひとは、帯の間から五十銭銀貨二枚を出すと、氷でも召し上れと云って、私の掌にのせてくれた。

 こんなお金を月給以外にもらっていいのかしら……前の重役らしい人に聞くと、くれるものはもらっておきなさいと云ってくれた。社の帰り、橋の上からまだ高い陽をながめて、こんなに楽な勤めならば勉強も出来ると思った。

「貴女はまだ一人なの?」

 袴をはいて靴を鳴らしている彼女は、気軽そうに口笛を吹いて私にたずねた。

「私二十八なのよ、三十五円くらいじゃ食えないわね。」

 私は黙って笑っていた。


(七月×日)

 大分仕事も馴れた。朝の出勤はことに楽しい。電車に乗っていると、勤めの女達が、セルロイドの円い輪のついた手垂てさげ袋を持っている。月給をもらったら私も買いたいものだ。階下の小母さんはこの頃少し機嫌よし。──社へ行くと、まだ相棒さんは見えなくて、若い重役の相良さがらさんが一人で、二階の広い重役室で新聞を読んでいた。

「お早うございます。」

「ヤア!」

 事務服に着かえながら、ペンやインキを机から出していると、

「ここの扇風器をかけて。」と呼んでいる。

 私は屑箱を台にすると、高いかもいのスイッチをひねった。白い部屋の中が泡立つような扇風器の音、「アラ?」私は相良さんの両手の中にかかえられていた。心に何の用意もない私の顔に大きい男の息がかかって来ると、私は両足で扇風器を突き飛ばしてやった。

「アッハハハハハいまのはじょうだんだよ。」

 私は梯子段を飛びおりると、薄暗いトイレットの中でジャアジャア水を出した。頬を強く押した男の唇が、まだ固くくっついているようで、私は鏡を見ることがいやらしかった。

「いまのはじょうだんだよ……」

 何度顔を洗ってもこの言葉がこびりついている。


「怒った! 馬鹿だね君は……」

 ジャアジャア水を出している私を見て、降りて来た相良さんは笑って通り過ぎた。


 昼。

 黒い眼鏡の夫人と一緒に場の中へ行ってみる。高いベランダのようなところから拍子木が鳴ると、若い背ビロの男が、両手を拡げてパンパン手を叩いている。「買った! 買った!」ベランダの下には、芋をもむような人の頭、夫人は黒眼鏡をズリ上げながら、メモに何か書きつける。

 夫人を自動車のあるところまでおくると、また、小さなのし袋に一円札のはいったのをもらう。何だかこんな幸運もまたズルリと抜けてゆきそうだ。帰ると、合百師ごうひゃくし達や小僧が丁半でアミダを引いていた。

「ねイ林さん! 私達もしない? 面白そうよ。」

 茶碗を伏せては、サイコロを振って、皆で小銭を出しあっていた。

「おい姉さん! はいんなよ……」

「…………」

「はいるといいものを見せてやるぜ。生れて初めてだわって、嬉しがる奴を見せてやるがどうだい。」

 羽二重のハッピをゾロリと着ながした一人の合百師が、私の手からペンを取って向うへ行ってしまった。

「アラ! そんないいもの……じゃアはいるわ、お金そんなにないから少しね。」

「ああ少しだよ、皆でおいなりさん買うんだってさ……」

「じゃ見せて!」

 相棒はペンを捨てて皆のそばへ行くと、大きいカンセイがおきる。

「さあ! 林さんいらっしゃいよ。」

 私も声につられて店の間へ行って見る。ハッピの裏いっぱいに描いた真赤な絵に私は両手で顔をおおうた。

「意気地がねえなア……」

 皆は逃げ出している私の後から笑っていた。


 夜。

 ひとりで、新宿の街を歩いた。


(七月×日)

「ああもしもし××のですか? こちらは須崎ですがねイ、今日は一寸行かれませんから、明日の晩いらっしゃるそうです。××さんにそう云って下さいねイ。」

 又、重役が、どっか芸者屋へ電話をかけさせているのだろう、荻谷さんのねイがビンビンひびいている。

「ねイ! 林さん、今晩須崎さんがねイ、浅草をおごってくれるんですって……」

 私達は事務を早目に切りあげると、小僧一人を連れて、須崎と荻谷と私と四人で自動車に乗った。この須崎と云う男は上州の地主で、古風な白い浜縮緬はまちりめんの帯を腰いっぱいぐるぐる巻いて、豚のように肥った男だった。

「ちんやにでも行くだっぺか!」

 私も荻谷も吹き出して笑った。肉と酒、食う程に呑む程に、この豚男の自惚うぬぼれ話を聞いて、卓子の上は皿小鉢の行列である。私は胸の中かムンムンつかえそうになった。ちんやを出ると、次があらえっさっさの帝京座だ。私は頭が痛くなってしまった。赤いけだしと白いふくらっぱぎ、群集も舞台もひとかたまりになって何かワンワン唸りあっている。こんな世界をのぞいた事もない私は、妙に落ちつかなかった。小屋を出ると、ラムネとアイスクリーム屋の林立の浅草だ。上州生れのこの重役は、「ほう! お祭のようだんべえ。」とあたりをきょろきょろながめていた。

 私は頭が痛いので、途中からかえらしてもらう。荻谷女史は妙に須崎氏と離れたがらなかった。

「二人で待合へでも行くつもりでしょう。」

 小僧は須崎氏からもらった、電車の切符を二枚私に裂いてくれた。

「さよなら、又あした。」


 家へかえると、八百屋と米屋と炭屋のつけが来ていた。日割でもらっても少しあまるし、来月になったら国へ少し送りましょう。階下でかたくりのねったのをよばれる。床へはいったのが十一時、今夜も隣のマズルカが流れて来る。コウフンして眠れず。


        *


(九月×日)

 今日もまたあの雲だ。

 むくむくと湧き上る雲の流れを私は昼の蚊帳の中から眺めていた。今日こそ十二社じゅうにそうに歩いて行こう──そうしてお父さんやお母さんの様子を見てこなくちゃあ……私は隣の信玄袋に凭れている大学生に声を掛けた。

「新宿まで行くんですが、大丈夫でしょうかね。」

「まだ電車も自動車もありませんよ。」

勿論もちろん歩いて行くんですよ。」

 この青年は沈黙って無気味な暗い雲を見ていた。

「貴方はいつまで野宿をなさるおつもりですか?」

「さあ、この広場の人達がタイキャクするまでいますよ、僕は東京が原始にかえったようで、とても面白いんですよ。」

 この生齧なまかじりの哲学者メ。

「御両親のところで、当分落ちつくんですか……」

「私の両親なんて、私と同様に貧乏で間借りですから、長くは居りませんよ。十二社の方は焼けてやしないでしょうかね。」

「さあ、郊外は朝鮮人が大変だそうですね。」

「でも行って来ましょう。」

「そうですか、水道橋までおくってあげましょうか。」

 青年は土に突きさした洋傘を取って、クルクルまわしながら雲の間から霧のように降りて来る灰をはらった。私は四畳半の蚊帳をたたむと、崩れかけた下宿へ走った。宿の人達は、みんな荷物を片づけていた。

「林さん大丈夫ですか、一人で……」

 皆が心配してくれるのを振りきって、私は木綿の風呂敷を一枚持って、時々小さい地震のしている道へ出て行った。根津の電車通りはみみずのように野宿の群がつらなっていた。青年は真黒に群れた人波を分けて、くるくる黒い洋傘をまわして歩いている。

 私は下宿に昨夜間代を払わなかった事を何だかキセキのように考えている。お天陽てんとう様相手に商売をしているお父さん達の事を考えると、この三十円ばかりの月給も、おろそかにはつかえない。途中一升一円の米を二升買った。外に朝日を五つ求める。

 干しうどんの屑を五十銭買った。母達がどんなに喜んでくれるだろうと思うなり。じりじりした暑さの中に、日傘のない私は長い青年の影をふんで歩いた。

「よくもこんなに焼けたもんですね。」

 私は二升の米を背負って歩くので、はつか鼠くさい体臭がムンムンしていやな気持ちだった。

「すいとんでも食べましょうか。」

「私おそくなるからしますわ。」

 青年は長い事立ち止って汗をふいていたが、洋傘をくるくるまわすとそれを私に突き出して云った。

「これで五十銭貸して下さいませんか。」

 私はお伽話とぎばなし的なこの青年の行動に好ましい微笑を送った。そして気持ちよく桃色の五十銭札を二枚出して青年の手にのせてやった。

「貴方はお腹がすいてたんですね……」

「ハッハッ……」青年はそうだと云ってほがらかに哄笑こうしょうしていた。

「地震って素敵だな!」

 十二社までおくってあげると云う青年を無理に断って、私は一人で電車道を歩いた。あんなに美しかった女性群が、たった二三日のうちに、みんな灰っぽくなってしまって、桃色の蹴出けだしなんかを出して裸足はだしで歩いているのだ。


 十二社についた時は日暮れだった。本郷からここまで四里はあるだろう。私は棒のようにつっぱった足を、父達の間借りの家へ運んだ。

「まあ入れ違いですよ。今日引っ越していらっしたんですよ。」

「まあ、こんな騒ぎにですか……」

「いいえ私達が、ここをたたんで帰国しますから。」

 私は呆然としてしまった。番地も何も聞いておかなかったと云う関西者らしい薄情さを持った髪のうすいこの女を憎らしく思った。私は堤の上の水道のそばに、米の風呂敷を投げるようにおろすと、そこへごろりと横になった。涙がにじんできて仕方がない。遠くつづいた堤のうまごやしの花は、兵隊のように皆地べたにしゃがんでいる。

 星が光りだした。野宿をするべく心をきめた私は、なるべく人の多いところの方へ堤を降りて行くと、とっつきの歪んだ床屋の前にポプラで囲まれた広場があった。そこには、二三の小家族が群れていた。私がそこへ行くと、「本郷から、大変でしたね……」と、人のいい床屋のお上さんは店からアンペラを持って来て、私のめに寝床をつくってくれたりした。高いポプラがゆっさゆっさ風にそよいでいる。

「これで雨にでも降られたら、散々ですよ。」

 夜警に出かけると云う、年とった御亭主が鉢巻をしながら空を見てつぶやいていた。


(九月×日)

 朝。

 久し振りに鏡を見てみた。古ぼけた床屋さんの鏡の中の私は、まるで山出しの女中のようだ。私は苦笑しながら髪をかきあげた。油っ気のない髪が、ばらばら額にかかって来る。床屋さんにお米二升をお礼に置いた。

「そんな事をしてはいけませんよ。」

 お上さんは一丁ばかりおっかけて来て、お米をゆさゆさ抱えて来た。

「実は重いんですから……」

 そう云ってもお上さんは二升のお米を困る時があるからと云って、私の背中に無理に背負わせてしまった。昨日来た道である。相変らず、足は棒のようになっていた。若松町まで来ると、ひざが痛くなってしまった。すべては天真ランマンにぶつかってみましょう。私は、罐詰かんづめの箱をいっぱい積んでいる自動車を見ると、矢もたてもたまらなくなって大きい声で呼んでみた。

「乗っけてくれませんかッ。」

「どこまで行くんですッ!」

 私はもう両手を罐詰の箱にかけていた。順天堂前で降ろされると、私は投げるように、四ツの朝日を運転手達に出した。

「ありがとう。」

「姉さんさよなら……」

 みんないい人達である。

 私が根津の権現様の広場へ帰った時には、大学生は例の通り、あの大きな蝙蝠こうもり傘の下で、気味の悪い雲を見上げていた。そして、その傘の片隅には、シャツを着たお父さんがしょんぼり煙草をふかして私を待っていたのだ。

「入れ違いじゃったそうなのう……」と父が云った。もう二人とも涙がこぼれて仕方がなかった。

「いつ来たの? 御飯たべた? お母さんはどうしています?」

 矢つぎ早やの私の言葉に、父は、昨夜朝鮮人と間違えられながらやっと本郷まで来たら、私と入れ違いだった事や、疲れて帰れないので、学生と話しながら夜を明かした事など物語った。私はお父さんに、二升の米と、半分になった朝日と、うどんの袋をもたせると、汗ばんでしっとりとしている十円札を一枚出して父にわたした。

「もらってええかの?……」

 お父さんは子供のようにわくわくしている。

「お前も一しょに帰らんかい。」

「番地さえ聞いておけば大丈夫ですよ、二三日内には又行きますから……」


 道を、叫びながら、人を探している人の声を聞いていると、私もお父さんも切なかった。

「産婆さんはお出でになりませんかッ……どなたか産婆さん御存知ではありませんか!」

 と、産婆を探して呼んでいる人もいた。


(九月×日)

 街角の電信柱に、初めて新聞が張り出された。久しぶりになつかしいたよりを聞くように、私も大勢の頭の後から新聞をのぞきこんだ。

 ──なだの酒造家より、お取引先に限り、酒荷船に大阪まで無料にてお乗せいたします。定員五十名。

 何と云う素晴らしい文字だろう。ああ私の胸は嬉しさではち切れそうだった。私の胸は空想でふくらんだ。酒屋でなくったってかまうものかと思った。

 旅へ出よう。美しい旅の古里へ帰ろう。海を見て来よう──。

 私は二枚ばかりの単衣ひとえを風呂敷に包むと、それを帯の上に背負って、それこそ飄然ひょうぜんと、誰にも沈黙だまって下宿を出てしまった。万世まんせい橋から乗合の荷馬車に乗って、まるでこわれた羽子板のようにガックンガックン首を振りながら長い事芝浦までゆられて行った。道中費、金七十銭也。高いような、安いような気持ちだった。何だか馬車を降りた時は、お尻がしびれてしまっていた。すいとん──うであずき──おこわ──果物──こうした、ごみごみと埃をあびた露店の前を通って行くと、肥料くさい匂いがぷんぷんしていて、芝浦の築港にはかもめのように白い水兵達が群れていた。

「灘の酒船の出るところはどこでしょうか?」と人にきくと、ボートのいっぱい並んでいる小屋のそばの天幕の中に、その事務所があるのがわかった。

「貴女お一人ですか……」

 事務員の人達は、みすぼらしい私の姿をジロジロ注視ていた。

「え、そうです。知人が酒屋をしてまして、新聞を見せてくれたのです。是非乗せていただきたいのですが……国では皆心配してますから。」

「大阪からどちらです。」

「尾道です。」

「こんな時は、もう仕様おまへん。お乗せしますよってに、これ落さんように持って行きなはれ……」

 ツルツルした富久娘ふくむすめのレッテルの裏に、私の東京の住所と姓名と年齢と、行き先を書いたのを渡してくれた。これは面白くなって来たものだ。何年振りに尾道へ行く事だろう。あああの海、あの家、あの人、お父さんや、お母さんは、借金が山ほどあるんだから、どんな事があっても、尾道へは行かぬように、と云っていたけれど、少女時代を過したあの海添いの町を、一人ぽっちの私は恋のようにあこがれている。「かまうもんか、お父さんだって、お母さんだって知らなけりゃ、いいんだもの?」鴎のような水兵達の間をくぐって、酒の匂いのする酒荷船へ乗り込むことが出来た。──七十人ばかりの乗客の中に、女といえば、私と取引先のお嬢さんであろう水色の服を着た娘と、美しい柄の浴衣を着た女と三人きりである。その二人のお嬢さん達は、青い茣蓙ござの上に始終横になって雑誌を読んだり、果物を食べたりしていた。

 私と同じ年頃なのに、私はいつも古い酒樽さかだるの上に腰をかけているきりで、彼女達は、私を見ても一言も声を掛けてはくれない。「ヘエ! お高く止っているよ。」あんまり淋しいんで、声に出してつぶやいてみた。


 女が少ないので船員達が皆私の顔を見ている。ああこんな時こそ、美しく生れて来ればよかったと思う。私は切なくなって船底へ降りてゆくと、鏡をなくした私は、ニッケルのしゃぼん箱を膝でこすって、顔をうつしてみた。せめて着物でも着替えましょう。井筒の模様の浴衣にきかえると、落ちついた私の耳のそばでドッポンドッポンと波の音が響く。


(九月×日)

 もう五時頃であろうか、様々な人達の物凄ものすごい寝息と、蚊にせめられて、夜中私は眠れなかった。私はそっと上甲板に出ると、ほっと息をついた。美しい夜あけである。乳色の涼しいしぶきを蹴って、この古びた酒荷船は、颯々さっさつと風を切って走っている。月もまだうすく光っていた。

「暑くてやり切れねえ!」

 機関室から上って来たたくましい船員が、朱色の肌を拡げて、海の涼風を呼んでいる。美しい風景である。マドロスのお上さんも悪くはないなと思う。無意識に美しいポーズをつくっているその船員の姿をじっと見ていた。その一ツ一ツのポーズのうちから、苦しかった昔の激情を呼びおこした。美しい夜あけであった。清水港が夢のように近づいて来た。船乗りのお上さんも悪くはない。

 午前八時半、味噌汁と御飯と香の物で朝食が終る。お茶を呑んでいると、船員達が甲板を叫びながら走って行った。

「ビスケットが焼けましたから、いらっして下さい!」

 上甲板に出ると、焼きたてのビスケットを私は両のたもとにいっぱいもらった。お嬢さん達は貧民にでもやるように眺めて笑っている。あの人達は私が女である事を知らないでいるらしい。二日目であるのに、まだ、一言も声をかけてはくれない。この船は、どこの港へも寄らないで、一直線に大阪へ急いで走っているのだから嬉しくて仕方がない。

 料理人の人が「おはよう!」と声をかけてくれたので、私は昨夜蚊にせめられて寝られなかった事を話した。

「実は、そこは酒を積むところですから蚊が多いんですよ。今日は船員室でおやすみなさい。」

 この料理人は、もう四十位だろうけれど、私と同じ位の背の高さなのでとてもおかしい。私を自分の部屋に案内してくれた。カーテンを引くと押入れのような寝室がある。その料理人は、カーネエションミルクをポンポン開けて私に色んなお菓子をこしらえてくれた。小さいボーイがまとめて私の荷物を運んで来ると、私はその寝室に楽々と寝そべった。一寸ちょっと頭を上げると枕もとの円い窓の向うに大きな波のしぶきが飛んでいる。今朝の美しい機関士も、ビスケットをボリボリかみながら一寸のぞいて通る。私は恥かしいので寝たふりをして顔をふせていた。肉を焼く美味おいしそうな油の匂いがしていた。

「私はね、外国航路の厨夫ちゅうふだったんですが、一度東京の震災を見たいと思いましてね、一と船休んで、こっちに連れて来て貰ったんですよ。」

 大変丁寧な物云いをする人である。私は高い寝台の上から、足をぶらさげて、御馳走を食べた。

「後でないしょでアイスクリームをつくってあげますよ。」本当にこの人は好人物らしい。神戸に家があって、九人の子持ちだとこぼしていた。

 船に灯がはいると、今晩は皆船底に集まってお酒盛りだと云う。料理人の人達はてんてこ舞いで忙がしい。──私は灯を消して、窓から河のように流れ込む潮風を吸っていた。フッと私は、私の足先に、生あたたかい人肌を感じた。人の手だ! 私は枕元のスイッチをひねった。鉄色の大きな手が、カーテンの外に引っこんで行くところである。妙に体がガチガチふるえてくる。どうしていいのかわからないので、私は大きなセキをした。

 やがて、カーテンの外に呶鳴どなっている料理人の声がした。

「生意気な! 汚ない真似をしよると承知せんぞ!」

 サッとカーテンが開くと、料理庖丁ぼうちょうのキラキラしたのをさげて、料理人のひとが、一人の若い男の背中を突いてはいって来た。そのむくんだ顔に覚えはないけれど、鉄色の手にはたしかに覚えがあった。何かすさまじい争闘が今にもありそうで、その料理庖丁の動く度びに、私は冷々とした思いで、私は幾度か料理人の肩をおさえた。

「くせになりますよッ!」

 機関室で、なつかしいエンジンの音がしている。手をはなしながら、私は沈黙ってエンジンの音を聞いていた。


        *


(二月×日)

 ああ何もかも犬に食われてしまえである。寝転んで鏡を見ていると、ゆがんだ顔が少女のように見えてきて、体中が妙に熱っぽくなって来る。

 こんなに髪をくしゃくしゃにして、ガランスのかった古い花模様の蒲団の中から乗り出していると、私の胸が夏の海のように泡立あわだって来る。汗っぽい顔を、畳にべったり押しつけてみたり、むき出しの足を鏡に写して見たり、私は打ちつけるような激しい情熱を感じると、蒲団を蹴って窓を開けた。──思いまわせばみな切な、貧しきもの、世にうときもの、哀れなるもの、ひもじきもの、乏しく、寒く、物足らぬ、はかなく、味気なく、よりどころなく、頼みなきもの、とらえがたく、あらわしがたく、口にしがたく、忘れ易く、常なく、かよわなるもの、せんずれば仏ならねどこの世は寂し。──チョコレート色の、アトリエの煙を見ていると、白秋のこんな詩をふっと思い出すなり、まことに頼みがいなきは人の世かな。三階の窓から見降ろしていると、川端画塾のモデル女の裸がカーテンの隙間から見える。青ペンキのはげた校舎裏の土俵の日溜ひだまりでは、ルパシカのひもの長い画学生達が、これは又野放図もなく長閑のどか角力すもう遊びだ。上から口笛を吹いてやると、カッパ頭が皆三階を見上げた。さあ、その土俵の上にこの三階の女は飛び降りて行きますよッって呶鳴ったら、皆喜んで拍手をしてくれるだろう──川端画塾の横の石垣のアパートに越して来て、今日でもう十日あまり、寒空には毎日チョコレート色のストーヴの煙があがっている。私は二十通あまりも履歴書を書いた。原籍を鹿児島県、東桜島、古里ふるさと、温泉場だなんて書くと、あんまり遠いので誰も信用をしてくれないのです、だから東京に原籍を書きなおすと、非常に肩が軽くて、説明もいらない。

 障子にバラバラ砂ッ風が当ると、下の土俵場から、画学生達はキャラメルをつぶてのように、三階へ投げてくれる。そのキャラメルの美味おいしかったこと……。隣室の女学生が帰って来る。

「うまくやってるわ!」

 私のドアを乱暴に蹴って、道具をそこへほうり出すと、私の肩に手をかけて、

「ちょいと画描きさん、もっとほうってよ、も一人ふえたんだから……」と云った。

 下からは遊びに行ってもいいかと云うサインを画学生達がしている、すると、この十七の女学生は指を二本出してみせた。

「その指何の事よ。」

「これ! 何でもないわ、いらっしゃいって言う意味にも取っていいし、駄目駄目って事だっていいわ……」

 この女学生は不良パパと二人きりでこのアパートに間借りをしていて、パパが帰って来ないと私の蒲団にもぐり込みに来る可愛らしい少女だった。

「私のお父さんはさくらあらいこの社長なのよ。」

 だから私は石鹸せっけんよりも、このあらいこをもらう事が多い。

「ね、つまらないわね、私月謝がはらえないので、学校をしてしまいたいのよ。」

 火鉢がないので、七輪に折りくずを燃やして炭をおこす。

「階下の七号に越して来た女ね、時計屋さんのめかけだって、お上さんがとてもチヤホヤしていて憎らしいったら……」

 彼女の呼名はいくつもあるので判らないのだけれど、自分ではベニがねと云っていた。ベニのパパはハワイに長い事行っていたとかで、ビール箱でこしらえた大きいベッドにベニと寝ていた。何をやっているのか見当もつかないのだけれど、桜あらいこの空袋が沢山部屋へ持ちこまれる事がある。

「私んとこのパパ、あんなにいつもニコニコ笑ってるけれど、ほんとはとても淋しいのよ、あんたお嫁さんになってくれない。」

「馬鹿ね! ベニさんは、私はあんなお爺さんは大嫌いよ。」

「だってうちのパパはね、あなたの事を一人でおくのはもったいないって、若い女が一人でゴロゴロしている事は、とてもそんだってさア。」

 三階だてのこのガラガラのアパートが、火事にでもならないかしら。寝転んで新聞を見ていると、きまって目の行くところは、芸者と求妻と、貸金と女中の欄が目についてくる。

「お姉さん! こんど常盤座ときわざへ行ってみない、三館共通で、朝から見られるわよ、私、歌劇女優になりたくって仕様がないのよ。」

 ベニは壁に手の甲をぶっつけながら、リゴレットを鼻の先で器用に唄っていた。

 夜。

 松田さんが遊びに来る。私は、この人に十円あまりも借りがあって、それを払えないのがとても苦しいのだ。あのミシン屋の二畳を引きはらって、こんな貧乏なアパートに越して来たものの、一つは松田さんの親切から逃げたい為めであった。

「貴女にバナナを食べさせようと思って持って来たのです。食べませんか。」

 この人の言う事は、一ツ一ツが何か思わせぶりな言いかたにきこえてくる。本当はいい人なのだけれども、けちでしつこくて、する事が小さい事ばかり、私はこんなひとが一番嫌いだ。

「私は自分が小さいから、結婚するんだったら、大きい人と結婚するわ。」

 いつもこう言ってあるのに、この人は毎日のように遊びに来る。さよなら! そう云ってかえって行くと、非常にすまない気持ちで、こんど会ったら優しい言葉をかけてあげようと思っていても、こうして会ってみると、シャツが目立って白いのなんかも、とてもしゃくだったりする。

「いつまでもお金が返せないで、本当にすまなく思っています。」

 松田さんは酒にでも酔っているのか、わざとらしくつっぷして溜息ためいきをしていた。さくらあらいこの部屋へ行くのはいやだけれども、自分の好かない場違いの人の涙を見ている事が辛くなってきたので、そっとドアのそばへ行く。ああ十円と云う金が、こんなにも重苦しい涙を見なければならないのかしら、その十円がみんな、ミシン屋の小母さんのふところへはいっていて、私には素通りをして行っただけの十円だったのに……。セルロイド工場の事。自殺した千代さんの事。ミシン屋の二畳でむかえた貧しい正月の事。ああみんなすぎてしまった事だのに、小さな男の後姿を見ていると、同じような夢を見ている錯覚がおこる。

「今日は、どんなにしても話したい気持ちで来たんです。」

 松田さんのふところには、剃刀かみそりのようなものが見えた。

「誰が悪いんです! 変なまねは止めて下さい。」

 こんなところで、こんな好きでもない男に殺される事はたまらないと思った。私は私を捨てて行った島の男の事が、急に思い出されて来ると、こんなアパートの片隅で、私一人が辛い思いをしている事が切なかった。

「何もしません、これは自分に言いきかせるものなのです。死んでもいいつもりで話しに来たのです。」

 ああ私はいつも、松田さんの優しい言葉には参ってしまう。

「どうにもならないんじゃありませんか、別れていても、いつ帰ってくるかも知れないひとがあるんですよ。それに私はとても変質者だから、駄目ですよ。お金も借りっぱなしで、とても苦しく思っていますが、四五日すれば何とかしますから……」

 松田さんは立ちあがると、狂人のようにあわただしく梯子はしご段を降りて帰って行ってしまった。──夜更け、島の男の古い手紙を出して読んだ。皆、これが嘘だったのかしらとおもう。ゆすぶられるような激しい風が吹く。詮ずれば、仏ならねどみな寂し。


(三月×日)

 花屋の菜の花の金色が、硝子ガラス窓から、広い田舎の野原を思い出させてくれた。その花屋の横を折れると、産園××とペンキの板がかかっていた。何度も思いあきらめて、結局は産婆にでもなってしまおうと思って、たずねて来た千駄木町の××産園。歪んだ格子を開けると玄関の三畳に、三人ばかりも女が、炬燵こたつにゴロゴロしていた。

「何なの……」

「新聞を見て来たんですけども……助手見習入用ってありましたでしょう。」

「こんなにせまいのに、ここではまだ助手を置くつもりかしら……」


 二階の物干には、枯れたおしめが半開きの雨戸にバッタンバッタン当っていた。

「ここは女ばかりてすから、遠慮はないんですのよ、私が方々へ出ますから、事務を取って戴けばいいんです。」

 このみすぼらしい産園の主人にしては美しすぎる女が、私に熱い紅茶をすすめてくれた。階下の女達が、主人と言ったのがこの女のひとなのだろうか……高価な香水の匂いが流れていて、二階のこの四畳半だけは、ぜいたくな道具がそろっていた。

「実はね、階下にいる女達は、皆素性が悪くて、子供でも産んでしまえば、それっきり逃げ出しそうなのばかりなんですよ。だから今日からでも、私の留守居をしてもらいたいんですが御都合いかが?」

 あぶらのむちむちして白い柔かい手を頬に当てて、私を見ているこの女の眼には、何かキラキラした冷たさがあった。話ぶりはいかにも親しそうにしていて、眼は遠くの方を見ている。そのはるかなものを見ている彼女の眼には空もなければ山も海も、まして人間の旅愁なんて何もない。支那人形の眼のような、冷々と底知れない野心が光っていた。

「ええ今日からお手伝いをしてもよろしゅうございますわ。」


 昼。

 黒いボアに頬を埋めて女主人が出て行った。小女が台所で玉葱たまねぎを油でいためている。

「一寸! 厭になっちゃうね、又玉葱にしょっぺ汁かい?」

「だって、これだけしか当てがって行かねえんだもの!……」

「へん! 毎日五十銭ずつ取ってて、まるで犬ころとまちがえてるよ。」

 ジロジロにらみあっているひとみを冷笑にかえると、彼女達は煙草をくゆらしながら、「助手さん! 寒いから汚ないでしょうけど、ここへ来て当りませんか!」と云ってくれた。私は何か底知れない気うつさを感じながらふすまをあけると、雑然とした三畳の玄関に、女が六人位も坐っていた。こんなに沢山の妊婦達はいったいどこから来たのかしら……。

「助手さん! 貴方はお国どこです?」

「東京ですの。」

「おやおや、そうでございますの、一寸これゃごまめだわよ。」

 女達は、あはあは笑いながら何か私のことに就いて話しあっていた。昼の膳の上は玉葱のいためたのに醤油をかけたのが出る。そのほかには、京菜の漬物に薄い味噌汁、八人の女が、猿のように小さな卓子を囲んで、はしを動かせる。

「子供だ子供だと言って、一日延ばしに私から金を取る事ばかり考えているのよ、そして栄養食ヴィタミンBが必要ですとさ、淫売奴のくせに!」

 女給が三人、田舎芸者が一人、女中が一人、未亡人が一人と云う素性の女達が去ったあと、小女が六人の女たちの説明をしてくれた。

「うちの先生は、産婆が本業じゃないのよ、あの女の人達は、前からうちの先生のアレの世話になってんですの、世話料だけでも大したものでしょう。」

 淫売奴、と云い散らした女の言葉が判ると、自分が一直線に落ち込んだような気がして急にフッと松田さんの顔が心に浮んで来た。不運な職業にばかりあさりつく私だ。もう何も言わないであの人と一緒になろうかしらとも思う。何でもない風をよそおい、玄関へ出る。

「どうしたの、荷物を持ったりして、もう帰るの……」

「ちょいと、先生がかえるまでは帰っちゃ駄目だわ……私達が叱られるもの、それにどんなもん持って行かれるか判らないし。」

 何と云うすくいがたなき女達だろう。何がおかしいのか皆は目尻に冷笑を含んで、私が消えたら一どきに哄笑こうしょうしそうな様子だった。いつの間に誰が来たのか、玄関の横の庭には、赤い男の靴が一足ぬいであった。

「見て御らんなさいな、本が一冊と雑記帳ですよ、何もりやしませんよ。」

「だって沈黙だまって帰っちゃ、先生がやかましいよ。」

 女中風な女が、一番不快だった。腹が大きくなると、こんなにも、女はひねくれて動物的になるものか、彼女達の眼はまるで猿のようだった。

「困るのは勝手ですよ。」

 戸外の暮色に押されて花屋の菜の花の前に来ると、初めて私は大きい息をついたのだ。ああ菜の花の咲く古里。あの女達も、この菜の花の郷愁を知らないのだろうか……。だが、何年と見きわめもつかない生活を東京で続けていたら、私自身の姿もあんな風になるかも知れないと思う。街の菜の花よ、清純な気持ちで、まっすぐに生きたいものだと思う。何とかどうにか、目標を定めたいものだ。今見て来た女達の、実もフタもないザラザラした人情を感じると、私を捨てて去って行った島の男がのろわしくさえ思えて、寒い三月の暮れた街に、呆然と私はたちすくんでいる。玉葱としょっぺ汁。共同たんつぼのような悪臭、いったいあの女達は誰を呪って暮らしているのかしら……。


(三月×日)

 朝、島の男より為替を送って来た。母のハガキ一通あり。──当にならない僕なんか当にしないで、いい縁があったら結婚をして下さい。僕の生活は当分親のすねかじりなのだ。自分で自分がわからない。君の事を思うとたまらなくなるが、二人の間は一生絶望状態だろう──。男の親達が、他国者の娘なんか許さないと言ったことを思い出すと、私は子供のように泣けて来た。さあ、この十円の為替を松田さんに返しましょう、そしてせいせいしてしまいたいものだ。


 オトウサンガ、キュウシュウヘ、ユクノデ、ワタシハ、オマエノトコロヘ、ユクカモシレマセン、タノシミニ、マッテイナサイ──母よりの手紙。

 せいいっぱい声をはりあげて、小学生のような気持ちで本が読みたい。

 ハト、マメ、コマ、タノシミニマッテイナサイか!

 郵便局から帰って来ると、お隣のベニの部屋には刑事が二人も来ていて何か探していた。窓を開けると、三月の陽を浴びて、画学生達が相撲を取ったり、壁にもたれたり、あんなに長閑のどかに暮らせたら愉しいだろう、私も絵を描いた事がありますよ、ホラ! ゴオガンだの、ディフィだの、好きなのですけれど、重苦しくなる時があります。ピカソに、マチイス、この人達の絵を見ていると、生きていたいと思います。

「そこのアパートに空間はありませんか?」

 新鮮な朗かな青年達の笑い声がはじけると、一せいに男の眼が私を見上げた。その眼には、空や、山や海や、旅愁が、キラキラ水っぽく光って美しかった。

「二間あいてるんですか!」

 私はベニの真似をして二本の指を出して見せた。ベニの部屋では、何か家宅捜索されているらしい。ビール箱のベッドを動かしている音がしている。

 焦心。女は辛し。生きるは辛し。


        *


(三月×日)

 階下の台所に降りて行くと、誰が買って来たのか、アネモネの花の咲いた小さな鉢が窓ぶちに置いてあった。汚い台所の小窓に、スカートをいっぱい拡げた子供のような可愛い花の姿である。もう四月が来ると云うのに、雪でも降りそうなこの寒い空、ああ、今日は何か温かいものが食べたいものなり。

「お姉さんいますか?」

 敷きっぱなしの蒲団の上で内職に白樺しらかばのしおりの絵を描いていると、学校から帰って来たベニがドアを開けてはいって来た。

「一寸! とてもいい仕事がみつかったわ、見てごらんなさいよ……」

 ベニは小さく折った新聞紙を私の前に拡げると、指を差して見せた。

 ──地方行きの女優募集、前借可……。

「ね、いいでしょう、初め田舎からみっちり修業してかかれば、いつだって東京へ帰れるじゃないの、お姉さんも一緒にやらない。」

「私? 女優って、あんまり好きな商売じゃないもの、昔、少し素人芝居をやった事があるけど、私の身に添わないのよ、芝居なんて……時に、あんたがそんな事をすれば、パパが心配しないかしら?」

「大丈夫よ、あんな不良パパ、この頃は、七号室のお妾さんにあらいこをやったりなんかしてるわ。」

「そんな事はいいけど、パパも刑事が来たりなんかしちゃいけないわね。」

 お昼、ベニの履歴書を代筆してやる。下の一番隅っこの暗い部屋を借りている大工さんの子供が、さつま芋を醤油で炊いたのを持って来てくれた。


 ベニのパパが紹介をしてくれた白樺のしおり描きはとても面白い仕事だ。型を置いては、泥絵具をベタベタ塗りさえすればいいのである。クロバーも百合ゆりもチュウリップも三色すみれも御意のままに、この春の花園は、アパートの屋根裏にも咲いて、私の胃袋を済度してくれます。激しい恋の思い出を、激しい友情を、この白樺のしおり達はどこへ持って行くのだろうか……三畳の部屋いっぱい、すばらしいパラダイスです。

 夜。

 春日町の市場へ行って、一升の米袋を買って来る。階下まで降りるのがめんどくさいので、三階の窓でそっと炊いた。石屋のお上さんは、商売物の石材のように仲々やかましくて朝昼晩を、アパートを寄宿舎のようにみまわっているのだ。四十女ときたら、爪のあかまで人のやることがしゃくにさわるのかも知れない。フン、こんな風来ふうらいアパートなんて燃えてなくなれだ! 出窓で、グツグツ御飯を炊いていると、窓下の画塾では、夜学もあるのか、カーテンのかげから、コンテを動かしている女の人の頭が見える。自分の好きな勉強の出来る人はうらやましいものだ。同じ画描きでも私のは個性のないペンキ屋さんです。セルロイドの色塗りだってそうだったし……。明日は、いいお天気だったら、蒲団を干してこのだらしのない花園をセイケツにしましょう。


(三月×日)

 昨夜、夜更けまで内職をしたので、目が覚めたのが九時ごろだった。蒲団の裾にハガキが二通来ている。病気をして入院をしていると云う松田さんのと、来る×日、万世橋駅にお出向きを乞う、白いハンカチを持っていて下さると好都合ですと云った風な私宛のハガキだった。心当りが少しもないので、色々考えた末、不図、ベニの事を思いついた。パパにも知れないように、一人者の私の名を利用したのかも知れないと思う。手に白いハンカチを持っていて下されば好都合ですか……淫売にでも叩きうられるのが関の山かも知れない。かつて、本郷の街裏で見た、女アパッシュの群達の事が胸に浮んできた。ベニは粗野で、のままの女だから、あんな風な群に落ちればすさまじいものだと思う。

 今日は風強し。上野の桜は咲いたかしら……桜も何年と見ないけれど、早く若芽がグングンえてくるといい。夕方ベニのパパが街から帰ってくる。

「林さん! 坊やはどこへ行きましたでしょうね。」

「さあ、何だか、今日は方々を歩くんだと云ってましたが……」

「しようがないな、寒いのに。」

「ベニちゃんは、もう学校を止したんですか、小父さん。」

 外套がいとうをぬぎぬぎ私のドアをあけたベニのパパは、ずるそうに笑いながら、

「学校は新学期から止さしますよ。どうも落ちつかない子供だから……」

「おしいですわね、英語なんか出来たんですのに……」

「母親がないからですよ、一ツ林さんマザーになって下さい。」

「小父さんと年をくらべるより、ベニちゃんとくらべた方が早いんですからね。いやーアよ。」

「だってお半長右衛門だってあるじゃありませんか。」

 私はいやらしいので沈黙ってしまった。こんな仕事師にかかっては口を動かすだけ無駄かも知れない。やがてベニが、鼻を真紅まっかにして帰って来る。

「お姉さん! うどんの玉、沢山買って来たから上げるわ。」

「ええありがとう、パパ早く帰って来たわよ。」

 ベニは片目をとじてクスリと笑うと、立ちあがって、壁越しに「パパ!」と呼んだ。

「ハガキが来ていてよ、白いハンカチを持ってって書いてあるわ、香水ぐらいつけて行くといいわよ……」

「あらひどい!」


 七号室ではお妾さんが三味線を鳴らしている。河のそばを子供達が、活動芝居をいましめてなんて、日曜学校の変なうたをうたって通った。仕事、二百六十枚出来る。松田さん、どんな病気で入院をしているのかしら、遠くから考えると、涙の出るようないいひとなのだけれども、会うとムッとする松田さんの温情主義、こいつが一番苦手なのだ。その内、何か持って見舞に行こうと思う。夜、龍之介の「戯作三昧ざんまい」を読んだ。魔術、これはお伽噺とぎばなしのようにセンチメンタルなものだった。印度人と魔術、日本の竹藪たけやぶと雨の夜か……。霧つよく、風が静かになる、ベニは何か唄っている。


(四月×日)

 ベニの帰らない日が続く。

「別に心配してくれるなって、坊やからハガキが来ましたが、もう四日ですからね。」

 ベニのパパは心配そうに目をしょぼしょぼさせていた。


 今日は陽気ないいお天気である。もう病院を出たかも知れないと思いながら、植物園裏の松田さんの病院へ行った。そこは外科医院だった。工場のかえり、トラックにふれたのだと云って、松田さんは肩と足を大きくほうたいをしていた。

「三週間位でなおるんだそうです。根が元気だから何でもないんです。」

 松田さんは、由井正雪ゆいしょうせつみたいに髪を長くしていて、寒気がする程、みっともない姿だった。昔昔、毒草と云う映画を見たけれど、あれに出て来るせむし男にそっくりだと思った。ちょいとした感傷で、この人と一緒になってもいいと云うことを、よく考えた事だが厭だった。外の事でも真実は返せる筈だ、蜜柑みかんをむいてあげる。

 病院から帰って来ると、ベニが私の万年床に寝ころがっていた。帯も足袋もぬぎ散らかしている。ベニははかなげに天井を見ていた。疲れているようだ。彼女は急速度に変った女の姿をしている。

「パパには沈黙っててね。」

「御飯でもたべる?」

 ベニは自分の部屋には誰もいないのに、妙に帰るのをおっかながっていた。


 夕刊にはもう桜が咲いたと云うニュースが出ていた。尾道の千光寺の桜もいいだろうとふっと思う。あの桜の並木の中には、私の恋人が大きい林檎りんごんでいた。海添いの桜並木、海の上からも、薄あかい桜がこんもり見えていた。私は絵を描くその恋人を大変愛していたのだけれど、私が早い事会いに行けないのを感違いして、そのひとは町の看護婦さんと一緒になってしまった。ベニのように、何でもガムシャラでなくてはおいてけぼりを喰ってしまう。桜はまた新らしい姿で咲き始めている。──やがてベニはパパが帰って来たので、帯と足袋を両手にかかえると、よその家へ行くようにオズオズ帰って行った。別に呶鳴り声もきこえては来ない。あのパパは、案外ケンメイなのかも知れないと思う。ベニが捨てて行った紙屑を開いてみたら、宿屋の勘定がきだった。

 十四円七十三銭也。八ツ山ホテル、品川へ行ったのかしら、二人で十四円七十銭、しかもこれが四日間の滞在費、八ツ山ホテルと云う歪んだ風景が目に浮んでくる。


(四月×日)

 ひからびた、鈴蘭すずらんもチュウリップも描き飽きてしまった。白樺のしおりを鼻にくっつけると、香ばしい山の匂いがする。山の奥深いところにこの樹があるのだと云うけれど、その葉っぱはどんなかたちをしているのかしら……粛々としたその姿を胸に描きながら、私は毎日こうして、泥絵具をベタベタ塗りたくっているのだ。

 軒一つの境いで、風景や静物や裸体を描いている画学生と、型の中へ泥絵具を流してはそれで食べている女と、──新聞を見ると、アルスの北原という人の家で女中が欲しいと出ている、勉強をさせてくれるかしらとも思う。もっとうんと叩かれたい。方針のない生活なんて、本当はたまらないのだから……、明日は行ってみよう。午後、ベニが風呂へ行った留守に、白いハンカチの男が私をたずねて来た。ベニはどんな風に云っているのかしら、階下へ降りてゆくと、頭を油で光らせて、眼鏡をかけた男がつったっていた。「私がそうですが。」部屋に通ると、背の高い男はすぐひざを組んで煙草に火をつけ出した。

「ホウ絵をお描きになるんですね。」

「いいえ内職ですのよ。」

 およそこんな男は大きらいだ。この男の眼の中には、人を莫迦ばかにしたところがある。内職をする女の姿が、チンドン屋みたいに写っているのかも知れない。

「昨日、信越の旅から来たのですか、東京はあたたかですね。」

「そうですか。」

 新劇はとてもうけると云う話だった。ベニ、外出先からすぐ帰って来る。彼女は女らしく、まるで鳴らないほおずきみたいに円くかしこまって返事をしていた。

「貴女も、芝居をなすったそうですが、芝居の方を少し手伝って戴けませんか、女優が足りなくって弱っているんです。」

「女優なんて、とても柄じゃアありませんよ。自分だけの事でもやっと生きてますのに、舞台に立つなンて私にはメンドクサクてとても出来ません。」

「仲々貴女は面白い事を言いますね。」

「そうですかね。」

「これから、しょっちゅう遊びに来させてもらいます。いいですか。」

 十七八の娘って、どうしてこうシンビ眼がないのだろう。きたない男の前で、ベニはクルクルした眼をして沈黙っているのだ。夜、ベニは私の部屋に泊ると云う、パパは帰って来ない。あまり淋しいので、チエホフの「かもめ」を読んだ……。

 ベニは寝床の中から「面白いわね。」と云っている。

「自分で後悔しなきゃ、何やってもいいけれど、取るにたらないような感傷におぼれて、取りかえしのつかない事になるのは厭ね、ベニちゃんは、とても生一本で面白い人だけれど、案外貴女の生一本は内べんけいじゃなかったの、色んな事に目が肥えるまでは用心はした方がいいと思ってよ。」

 彼女は薄っすらと涙を浮べて、まぶしそうに電気を見つめていた。

「だって逃げられなかったのよ。」

「八ツ山ホテルってところでしょう。」

「うん。」

 ベニはけげんな顔をしていた。

「男の払った勘定書を持って来るのいやだわ、赤ちゃんみたいねえ、──十四円七十三銭って、こんなもの落してみっともないわよ。」

「あの男、花柳はるみを知ってるだの何だのってでたらめばかり言うのよ、からかってやるつもりだったの……」

「貴女がからかわれたんでしょう、御馳走さま。」

 パパのいないベニは淋しそうだった。河水の音を聞いて、コドクを感じたものか、ベニは指を噛んで泣いている。


(四月×日)

 朝。

 東中野と云うところへ新聞を見て行ってみた。近松さんの家にいた事をふっと思い出した。こまめそうな奥さんが出てくる。おしゅうとめさんが一人ある由。

「別に辛い事もないけれど、風呂水がうちじゃ大変なんですよ。」

 暗い感じの家だった。北原白秋氏の弟さんの家にしては地味なかまえである。行ってみる間は何か心が燃えながら、行ってみるとどかんと淋しくなる気持ちはどうした事だろう。所詮しょせん、私と云う女はあまのじゃくかも知れないのだ。柳は柳。風は風。


 ベニのパパ、詐欺横領罪で引っぱられて行ったとの事だった。帰ってみると、一人の刑事が小さな風呂敷包みをこしらえていた。ベニは呆然としてそれを見ている。アパート中の内儀さん達が、三階のベニの部屋の前に群れてべちゃくちゃ云っている。人情とは、なぜかくも薄きものか、部屋代はとるだけ取って、別にこのアパートには迷惑も掛けていないと云うのに、あらゆる末梢まっしょう的な事を大きくネツゾウして、お上さん達は口々に何かつぶやいているのだ。刑事が帰って行くと、台所はアパートじゅうの女が口から泡を飛ばしているようだった。お妾さんは平然と三味線を弾いている。スッとした女なり。

「お姉さん! 私金沢へ帰るのよ、パパからの言伝ことづけなの、そこはねえ、皆他人なんですのよ、だってまだ見ない親類なんて、他人より困るわねえ、本当はかえりたくないのよ。」

「そうね、こっちにいられるといいのにね。」

「アパートじゃ、じき立ちのいてくれって云うし……」

 夜、ベニと貧しい別宴を張った。

「忘れないわ、二三年あっちでくらして、ぜひ東京へ来ようと思うの、田舎の生活なんて見当がつかないわ。」二人は、時間を早めに上野駅へ行く。

「桜でも見に行きましょうか?」

 二人は公園の中を沈黙って歩いている。こんなに肩をくっつけて歩いている女が、もう二時間もすれば金沢へ行く汽車の中だなんて、本当にこのベニコがみじめでありませんようにと私は神様に祈っている。私はオールドローズの毛糸の肩掛をベニの肩にかけてやった。

「まだ寒いからこれをあげるわ。」

 上野の桜、まだ初々たり。


        *


(七月×日)

 ちっとも気がつかない内に、私は脚気かっけになってしまっていて、それに胃腸も根こそぎ痛めてしまったので、食事もこの二日ばかり思うようになく、魚のように体が延びてしまった。薬も買えないし、少し悲惨な気がしてくる。店では夏枯れなので、景気づけに、赤や黄や紫の風船玉をそろえて、客を呼ぶのだそうである──。じっと売り場に腰を掛けていると、眠りが足らないのか、道の照りかえしがギラギラ目を射て頭が重い。レースだの、ボイルのハンカチだの、仏蘭西フランス製カーテンだの、ワイシャツ、カラー、店中はしゃぼんの泡のように白いものずくめである。薄いものずくめである。閑散な、お上品なこんな貿易店で、日給八十銭の私は売り子の人形だ。だが人形にしては汚なすぎるし、腹が減りすぎる。

「あんたのように、そう本ばかり読んでいても困るよ。お客様が見えたら、おあいそ位云って下さい。」

 酸っぱいものを食べた後のように、歯がじんと浮いてきた。本を読んでいるんじゃないんです。こんな婦人雑誌なんか、私の髪の毛でもありはしない。硝子ガラスのピカピカ光っている鏡の面を一寸ちょっとのぞいて御覧下さい。水色の事務服と浴衣が、バックと役者がピッタリしないように、何とまあおどけた厭な姿なのでしょう……。顔は女給風で、それも海近い田舎から出て来たあぶらのギラギラ浮いた顔、姿が女中風で、それも山国から来たコロコロした姿、そんな野生の女が、胸にレースを波たたせた水色の事務服を着ているのです。ドミエの漫画ですよこれは……。何とコッケイな、何とちぐはぐな牝鶏めんどりの姿なのでしょう。マダム・レースやミスター・ワイシャツや、マドモアゼル・ハンカチの衆愚に、こんな姿をさらすのが厭なのです。それに、サーヴィスが下手だとおっしゃる貴方の目が、いつ私をくびきるかも判らないし、なるべく、私と云う売り子に関心を持たれないように、私は下ばかりむいているのです。あまりに長いニンタイは、あまりに大きい疲れを植えて、私はめだたない人間にめだたない人間に訓練されていますのよ。あの男は、お前こそめだつ人間になって闘争しなくちゃ嘘だと云うのです。あの女は、貴女はいつまでもルンペンではいけないと云うのです。そして勇ましく戦っているべき、彼も彼女もいまはどこへ行っているのでしょう。彼や彼女達が、借りものの思想を食いものにして、強権者になる日の事を考えると、ああそんなことはいやだと思う。宇宙はどこが果てなんだろうと考えるし、人生の旅愁を感じる。歴史は常に新らしく、そこで燃えるマッチがうらやましくなった。

 夜──九時。省線を降りると、道が暗いのでハーモニカを吹きながら家へ帰った。詩よりも小説よりも、こんな単純な音だけれど音楽はいいものです。


(七月×日)

 青山の貿易店も、いまは高架線のかなたになった。二週間の労働賃銀十一円也、東京での生活線なんてよく切れたがるもんだ。隣のシンガーミシンの生徒?さんが、歯をきざむようにギイギイとひっきりなしにミシンのペタルを押している。毎日の生活断片をよくうったえる秋田の娘さんである。古里から十五円ずつ送金してもらって、あとはミシンでどうやらかせいでいる、縁遠そうな娘さんなり。いい人だ。彼女に紹介状をもらって、××女性新聞社に行く。本郷の追分で降りて、ブリキのへいをくねくね曲ると、緑のペンキの脱落した、おそろしく頭でっかちな三階建の下宿屋の軒に、ほたる程の小さい字で社名が出ていた。まるで心太ところてんを流すよりも安々と女記者になりすました私は、汚れた緑のペンキも最早何でもないと思った。

 昼。

 下宿の昼食をもらって舌つづみを打つと、女記者になって二三時間もたたない私は、鉛筆と原稿紙をもらって談話取りだ。四畳半に尨大ぼうだいな事務机が一ツ、薄色の眼鏡をかけた中年の社長と、××女性新聞発行人の社員が一人、私を入れて三人の××女性新聞。チャチなものなり。又、生活線が切れるんじゃないかと思ったけれど、とにかく私は街に出てみたのだ。訪問先は秋田雨雀うじゃく氏のところだった。この頃の御感想は……私はこの言葉を胸にくりかえしながら、雑司ぞうしの墓地を抜けて、鬼子母神きしぼじんのそばで番地をさがした。本郷のごみごみした所からこの辺に来ると、何故なぜか落ちついた気がしてくる。一二年前の五月頃、漱石そうせきの墓にお参りした事もあった……。秋田氏は風邪を引いていると云って鼻をかみながら出ていらした。まるで少年のようにキラキラした眼、やさしそうな感じの人である。お嬢さんは千代子さんと云って、初めて行った私を十年のお友達のように話して下すった。厚いアルバムか出ると、一枚一枚繰って説明して下さる。この役者は誰、この女優は誰、その中に別れた男のプロマイドも張ってあった。

「女優ってどんなのが好きですか、日本では……」

「私判らないけど、夏川静江なんか好きだわ。」

 私はいまだかつて私をこんなに優しく遇してくれた女の人を知らない。二階の秋田さんの部屋には黒い手の置物があった。高村光太郎さんの作で、有島武郎さんが持っていらっしたのだとかきいた。部屋は実に雑然と古本屋の観があった。談話取りが談話がとれなくて、油汗を流していると、秋田さんは二三枚すらすらと私のノートへ手を入れて下すった。お寿司を戴く。来客数人あり。暮れたのでおくって戴く。赤い月が墓地に出ていた。火のついた街では氷を削るような音がしている。

「僕は散歩が好きですよ。」

 秋田氏は楽し気にコツコツ靴を鳴らしている。

「あそこがすずらんと云うカフエーですよ。」

 舞台の様なカフエーがあった。変ったマダムだって誰かに聞いたことがある。秋田氏はそのまま銀座へ行かれた。

 私は何か書きたい興奮で、沈黙だまって江戸川の方へ歩いて行った。


(七月×日)

 階下の旦那さんが二日程国へ行って来ますと云って、二階の私達へ後の事を頼みに今朝上ってみえたのに、社から帰ってみると、隣のミシンの娘さんが、帯をときかけている私をふすまの間から招いた。

「あのね一寸!」

 低声なので、私もそっといざりよると、

「随分ひどいのよ、階下の奥さんてば外の男と酒を呑んでるのよ……」

「いいじゃないの、お客さんかも知れないじゃないですか。」

「だって、十八やそこいらの女が、あんなにデレデレして夫以外の男と酒を呑めるかしら……」

 帯を巻いて、ガーゼの浴衣をたたんで、下へ顔洗いに行くと、腰障子の向うに、十八の花嫁さんは、平和そうに男と手をつなぎあって転がっていた。昔の恋人かも知れないと思う。只うらやましいだけで、ミシンの娘さんのような興味もない。夜は御飯を炊くのがめんどうだったので、町の八百屋で一山十銭のバナナを買って来てたべた。女一人は気楽だとおもうなり。のりの抜けた三畳づりの木綿の蚊帳の中に、伸び伸びと手足を投げ出してクープリンの「ヤーマ」を読む。したたか者の淫売婦が、自分の好きな男の大学生に、非常な清純な気持ちを見せる。尨大な本だ、頭がつかれる。

「一寸起きてますか?」

 もう十時頃だろうか、隣のシンガーミシンさんが帰って来たらしい。

「ええまだねむれないでいます。」

「一寸! 大変よ!」

「どうしたんです。」

呑気のんきねッ、階下じゃ、あの男と一緒に蚊帳の中へはいって眠っててよ。」

 シンガーミシン嬢は、まるで自分の恋人でも取られたように、眼をギロギロさせて、私の蚊帳にはいって来た。いつもミシンの唄に明け暮れしている平和な彼女が、私の部屋になんかめったにはいって来ない行儀のいい彼女が、断りもしないで私の蚊帳へそっともぐり込んで来るのだ。そして大きい息をついて、畳にじっと耳をつけている。

「随分人をなめているわね、旦那さんがかえって来たら皆云ってやるから、私よか十も下なくせに、ませてるわね……」

 ガードを省線が、滝のような音をたてて走った。一度も縁づいた事のない彼女が、嫉妬がましい息づかいで、まるで夢遊病者のような変な狂態を演じようとしている。

「兄さんかも知れなくってよ。」

「兄さんだって、一ツ蚊帳には寝ないや。」

 私は何だか淋しく、血のようなものが胸に込み上げて来た。

「眼が痛いから電気を消しますよ。」と云うと、彼女はフンゼンとして沈黙って出て行った。やがて梯子はしご段をトントン降りて行ったかと思うと、「私達は貴女を主人にたのまれたのですよ。こんな事知れていいのですかッ!」と云う声がきこえている。切れ切れに、言葉が耳にはいってくる。一度も結婚をしないと云う事は、何と云うおそろしさだ。あんなにも強く云えるものかしら……。私は蒲団を顔へずり上げて固くまぶたをとじた。何もかもいやいやだ。


(七月×日)

──ビョウキスグカエレタノム

 母よりの電報。本当かも知れないが、また嘘かも知れないと思った。だけど嘘の云えるような母ではないもの……、出社前なので、急いで旅支度をして旅費を借りに社へ行く。社長に電報をみせて、五円の前借りを申し込むと、前借は絶対に駄目だと云う。だが私の働いた金は取ろうと思えば十五円位はある筈なのだ。不安になって来る。廊下に置いたバスケットが妙に厭になってきた。大事な時間を「借りる!」と云う事で、それも正当な権利を主張しているのに、駄目だと云われて悄気しょげてしまう。これは、こんなところでみきわめをつけた方がいいかも知れない。

「じゃ借りません! その代り止めますから今までの報酬を戴きます。」

「自分で勝手に止されるのですから、社の方では、知りませんよ。満足に勤めて下すっての報酬であって、また十二三日しかならないじゃありませんか!」

 黄色にやけたアケビのバスケットをさげて、私は又二階裏へかえって来た。ミシン嬢は、あれから階下の細君と気持ちが凍って、引っ越しをするつもりでいたらしかったが、帰って見ると、どこか部屋がみつかったらしく、荷物を運び出しているところだった。彼女の唯一の財産である、ミシンだけが、不恰好な姿で、荷車の上に乗っかっていた。全てはああむなしである──。


(七月×日)

 駅には、山や海への旅行者が白い服装で涼し気だった。下の細君に五円借りた。尾道まで七円くらいであろう。やっと財布をはたいて切符を買うと、座席を取ってまず指を折ってみた。何度目の帰郷だろうと思う。


露草の茎

粗壁かべに乱れる

万里の城


 いまは何かしらうらぶれた感じが深い。昔つくった自分の詩の一章を思い出した。何もかも厭になってしまうけれど、さりとて、自分の世界は道いまだ遠しなのだ。この生ぐさきニヒリストは腹がなおると、じき腹がへるし、いい風景を見ると呆然としてしまうし、良い人間に出くわすと涙を感じるし、困った奴なり。バスケットから、新青年の古いのを出して読んだ。面白き笑話ひとつあり──。

 ─囚人いわく、「あの壁のはりつけの男は誰ですか?」

 ─宣教師答えて、「我等の父キリストなり。」

 囚人が出獄して病院の小使いにやとわれると、壁に立派な写真が掛けてある。

 ─囚人、「あれは誰のです?」

 ─医師、「イエスの父なり。」

 囚人、淫売婦を買って彼女の部屋に、立派な女の写真を見て──

 ─囚人、「あの女は誰だね。」

 ─淫売婦、「あれはマリヤさ、イエスの母さんよ。」

 そこで囚人たんじて曰く、子供は監獄に父親は病院に、お母さんは淫売帰にああ──。私はクツクツ笑い出してしまった。のろい閑散な夜汽車に乗って退屈していると、こんなにユカイなコントがめっかった。眠る。


(七月×日)

 久し振りで見る高松の風景も、暑くなると妙に気持ちが焦々いらいらしてきて、私は気が小さくなってくる。どことなく老いて憔悴しょうすいしている母が、第一番に言った言葉は、「待っとったけん! わしも気が小さくなってねえ……」そう云って涙ぐんでいた。今夜は海の祭で、おしょうろ流しの夜だ。夕方東の窓を指さして、母が私を呼んだ。

「可哀そうだのう、むごかのう……」

 窓の向うの空に、朝鮮牛がキリキリぶらさがっている。鰯雲いわしぐもがむくむくしている波止場の上に、黒く突き揚った船の起重機、その起重機のさきには一匹の朝鮮牛が、四足をつっぱって、哀れにうなっている。

「あんなのを見ると、食べられんのう……」

 雲の上にぶらさがっているあの牛は、二三日の内には屠殺とさつされてしまって、紫の印を押されるはずだ。何を考えているのかしら……。船着場には古綿のような牛の群が唸っていた。

 鰯雲がかたくりのように筋を引いてゆくと、牛の群も何時いつか去ってゆき、起重機も腕を降ろしてしまった。月のほのかな海の上には、もう二ツ三ツおしょうろ船が流れていた。火を燃やしながら美しい紙船が、雁木がんぎを離れて沖の方へ出ていた。港には古風な伝馬てんま船が密集している。そのあいだを火の紙船が月のように流れて行った。

「牛を食ったりおしょうろを流したり、人間も矛盾が多いんですねお母さん。」

「そら人間だもん……」

 母はんやりした顔でそんな事を云っている。


        *


(八月×日)

 海が見えた。海が見える。五年振りに見る、尾道の海はなつかしい。汽車が尾道の海へさしかかると、すすけた小さい町の屋根が提灯ちょうちんのように拡がって来る。赤い千光寺の塔が見える、山は爽かな若葉だ。緑色の海向うにドックの赤い船が、帆柱を空に突きさしている。私は涙があふれていた。

 貧しい私達親子三人が、東京行きの夜汽車に乗った時は、町はずれに大きい火事があったけれど……。「ねえ、お母さん! 私達の東京行きに火が燃えるのは、きっといい事がありますよ。」しょぼしょぼして隠れるようにしている母達を、私はこう言って慰めたものだけれど……だが、あれから、あしかけ六年になる。私はうらぶれた体で、再び旅の古里である尾道へ逆もどりしているのだ。気の弱い両親をかかえた私は、当もなく、あの雑音のはげしい東京を放浪していたのだけれど、ああ今は旅の古里である尾道の海辺だ。海添いの遊女屋の行燈あんどんが、椿つばきのように白く点々と見えている。見覚えのある屋根、見覚えのある倉庫、かつて自分の住居であった海辺の朽ちた昔の家が、五年前の平和な姿のままだ。何もかも懐しい姿である。少女の頃に吸った空気、泳いだ海、恋をした山の寺、何もかも、逆もどりしているような気がしてならない。

 尾道を去る時の私は肩上げもあったのだけれど、今の私の姿は、銀杏返いちょうがえし、何度も水をくぐった疲れた単衣ひとえ、別にこんな姿で行きたい家もないけれど、とにかくもう汽車は尾道にはいり、肥料臭い匂いがしている。


 船宿の時計が五時をさしている。船着場の待合所の二階から、町の燈火あかりを見ていると、妙に目頭が熱くなってくるのだった。訪ねて行こうと思えば、行ける家もあるのだけれど、それもメンドウクサイことなり。切符を買って、あと五十銭玉一ツの財布をもって、私はしょんぼり、島の男の事を思い出していた。落書だらけの汽船の待合所の二階に、木枕を借りて、つっぷしていると、波止場に船が着いたのか、汽笛の音がしている。波止場の雑音が、フッと悲しく胸に聞えた。「因の島行きが出やんすで……」ゆがんだ梯子段を上って客引が知らせに来ると、陽にやけた縞のはいった蝙蝠こうもりと、小さい風呂敷包みをさげて、私は波止場へ降りて行った。

「ラムネいりやせんか!」

「玉子買うてつかアしゃア。」

 物売りの声が、夕方の波止場の上を行ったり来たりしている。紫色の波にゆれて因の島行きのポッポ船が白い水を吐いていた。漠々たる浮世だ。あの町の灯の下で、「ポオルとヴィルジニイ」を読んだ日もあった。借金取りが来て、お母さんが便所へ隠れたのを、学校から帰ったままの私は、「お母さんは二日程、糸崎へ行って来る云うてであった……」と嘘をついて母が、わびし気にほめてくれた事もあった。あの頃、町には城ヶ島の唄や、沈鐘の唄が流行はやっていたものだ。三銭のラムネを一本買った。


 夜。

「皆さん、はぶい着きやんしたで!」

 船員がロープをほどいている。小さな船着場の横に、白い病院の燈火が海にちらちら光っていた。この島で長い事私を働かせて学校へはいっていた男が、安々と息をしているのだ。造船所で働いているのだ。

「この辺に安宿はありませんでしょうか。」

 運送屋のお上さんが、私を宿屋まで案内して行ってくれた。糸のように細い町筋を、古着屋や芸者屋が軒をつらねている。私は造船所に近い山のそばの宿へついた。二階の六畳の古ぼけた床の上に風呂敷包みをおくと、私は雨戸を開けて海を眺めた。明日は尋ねて行ってみようとおもう。私は財布をたもとに入れると、ラムネ一本のすきばらのまま潮臭い蒲団に長く足を延ばした。耳の奥の方で、はちの様なブンブンと云う喚声があがっている。


(八月×日)

 枕元をごそごそと水色のかにっている。町にはストライキの争議があるのだそうだ。

「会いに行きなさるというても、大変でごじゃんすで、それよりも、社宅の方へおいでんさった方が……」女中がそう云っている。私は心細くかまぼこをんでいた。社員達は全部書類を持って倶楽部クラブへ集まっていると云うことだ。食事のあと、私はぼんやりと戸外へ出てみた。万里の城のように、うねうねとコンクリートの壁をめぐらしたドックの建物を山の上から見降ろしていると、旗を押したてて通用門みたいなところに黒蟻くろありのような職工の群が唸っていた。山の小道を子供を連れたお上さんやお婆さんが、点々と上って来る。八月の海は銀の粉を吹いて光っているし、もつれた樹の色は、爽かな匂いをしていた。

「尾道から警官がいっぱい来たんじゃと。」

 髪を後になびかせた若いお上さん達が、ドックを見下ろして話しあっていた。

「しっかりやれッ!」

「負けなはんな!」

「オーイ……」真昼間の、裸の職工達の肌を見ていると、私も両手をあげて叫んだ。旅の古里の言葉で、「しっかりやってつかアしゃア。」

「御亭主があそこにおってんな? うちの人は、こうなったら、もう死んでもええつもりでやる云いよりやんした。」

 私はわけもなく涙があふれていた。事務員をしたりしてあんなにつくした私の男が、大学を出ると、造船所の社員になって、すました生活をしている、ここから見ていると、あんな門位はすぐ崩れてしまうようにもろく見えているのに……。

「職工は正直でがんすけん、皆体でっつかって行きゃんさアね。」

 とうとう門が崩れた。蜂が飛ぶように黒点が散った。光った海の上を、小舟が無数に四散して行っている。


潮鳴の音を聞いたか!

茫漠と拡がった海の上の叫喚を聞いたか!


煤けたランプの灯を女房達に託して

島の職工達は磯の小石を蹴散けちら

夕焼けた浜辺へ集まった。


遠い潮鳴の音を聞いたか!

何千と群れた人間の声を聞いたか!

ここは内海の静かな造船港だ

貝の蓋を閉じてしまったような

因の島の細い町並に

油で汚れたズボンや菜っぱ服の旗がひるがえっている

骨と骨で打ち破る工場の門の崩れる音

その音はワアン、ワアンと

島いっぱいに吠えていた。


青いペンキ塗りの通用門が勢いよく群れた肩に押されると

敏活なカメレオン達は

職工達の血と油で色どられた清算簿をかかえて

雪夜の狐のようにランチへ飛び乗って行ってしまう

表情の歪んだ固い職工達の顔から

怒りの涙がほとばしって

プチプチ音をたてているではないか

逃げたランチは

投網とあみのように拡がった巡警の船に横切られてしまうと

さてもこの小さな島の群れた職工達と逃げたランチの間は

只一筋の白い水煙に消されてしまう。


歯を噛み額を地にすりつけても

空は──昨日も今日も変りのない平凡な雲の流れだ

そこで頭のもげそうな狂人になった職工達は

波に呼びかけ海に吠え

ドックの破船の中に渦をまいて雪崩なだれていった。


潮鳴の音を聞いたか!

遠い波の叫喚を聞いたか!

旗を振れッ!

うんと空高く旗を振れッ


元気な若者達が

光った肌をさらして

カララ カララ カララ

破れた赤い帆の帆綱を力いっぱい引きしぼると

海水止のせきを喰い破って

帆船は風の唸る海へ出て行った


それ旗を振れッ

勇ましく歌を唄えッ

朽ちてはいるが元気に風をはらんだ帆船は

白いしぶきを蹴って海へ出てゆく


寒冷な風の吹く荒神山の上で呼んでいる

波のように元気な叫喚に耳をそばだてよ!

可哀想な女房や子供達が

あんなにも背伸びをして

空高く呼んでいるではないか!


遠い潮鳴の音を聞いたか!

波の怒号するのを聞いたか

山の上の枯木の下に

枯木と一緒に双手もろてを振っている女房子供の目の底には

火の粉のように海を走って行く

勇ましい帆船がいつまでも眼に写っていたよ。


 宿へ帰ったら、あおざめた男の顔が、ぼんやり煙草を吸って待っていた。

「宿の小母さんが迎いに来て、ビックリしちゃった。」

「…………」

 私は子供のように涙があふれた。何の涙でもない。白々とした考えのない涙が、あとからあとからあふれて、沈黙だまってしきいの所に立って長いこと泣いていた。

「ここへ来るまでは、すがれたらすがってみようと思って来たけれど、宿の小母さんの話では、奥さんも子供もあるって聞きましたよ。それに、町のストライキを見たら、どうしても、貴方に会って、はっきりとすがらなくてはいけないと思いました。」

 沈黙っている二人の耳に、まだ喚声が遠く聞えて来る。

「今晩町の芝居小屋で、職工達の演説があるから、一寸覗いてみなくては……」男は、自分の腕時計を床の上に投げると、そそくさと町へ出てしまった。私は、ぼんやりと部屋で、しゃっくりを続けながら、高価な金色の腕時計をそっと自分の腕にはめてみた。涙があふれた。東京で苦労した事や、裸で門を壊していた昼間の職工達の事が、グルグルしていて、時計の白い腹を見ていると目が廻りそうだった。


(八月×日)

 宿の娘と連れだって浜を歩いた。今日でここへ来て一週間にもなる。

「くよくよおしんさんな。」私は何もかもつまらなくなって呆然としていると、宿の娘は私を心配してくれている。何も考えてやしない。何も考えようがないのだ。昨日は高松のお母さんへ電報ガワセを送ったし、私はこうして海の息を吸っているし、男がハラハラしようとしまいと、それはお勝手なのだ。私から何もかもむさぼり取ったひとなのだから、この位の事がいったい何だろうと思う。──尾道の海辺で、波止場の石垣に、おなかを打ちつけては、あのひとの子供を産む事をおそれていたけれど、今はそれもいじらしいお伽話とぎばなしになってしまった。昨日の電報ガワセで義父や母が一息ついてくれればいいと思うなり。浜辺を洗髪をなびかせながら歩いていると、町で下駄屋をしているあのひとの兄さんが、私をオーイオーイと後から呼びかけて来た。久し振りに見る兄さん、尾道の私の家に、枝になった蜜柑みかんや、オレンジを持って来てくれたあの姿そのままで笑いかけている。

「わしに、何も言わんもんじゃけん、苦労させやした。」

 海が青く光っている。宿の娘をかえして、兄さんと二人で町はずれの兄さんの家へ歩いて行った。海近くまで、田が青々していて蜜柑山がうっそうと風に鳴っていた。

「あいつが気が弱いもんじゃけん。」

 陽にやけた侘し気な顔をして兄さんは私をなぐさめてくれるなり。家ではねえさんが、米をついていた。牛が一匹優しい眼をして私を見ている。私は、どうしてもはいりたくなかったのだ。何だか、こんなところへ来た事さえも淋しくなっている。白い道のつづいている浜路を、私はあとしざりをするように、宿へ帰って行った。


(八月×日)

 朝風をあびて、私は島へさよならとハンカチを振っている。どこへ行っても、どこにも仕様のない事だらけなのだ。東京へ帰ろう。私の財布は五六枚の十円札でふくらんでいた。兄さんの家でもらったお金とデベラの青籠と、風呂敷包みをかかえて、私は板子を渡って尾道行きの船へ乗った。

「気をつけてのう……」

「ええ! 兄さん、もうストライキはすんだんですか。」

「職工の方が折れさせられて手打ちになったが、太いもんにゃかなわないよ。」

 あのひとも寝ぶそくな目をさせて波止場へ降りてきてくれていた。「体が元気だったら、又いつか会えるからね。」そんなことを小さい声で云った。船の中には露に濡れた野菜がうずたかく積んであった。


 ああ何だか馬鹿になったような淋しさである。私は口笛を吹きながら遠く走る島の港を見かえっていた。岸に立っている二人の黒点が見えなくなると、静かなドックの上には、ガアン、ガアンと鉄を打つ音がひびいていた。尾道についたら半分高松へ送ってやりましょう。東京へかえったら、氷屋もいいな、せめて暑い日盛りを、ウロウロと商売をさがして歩かないように、この暮は楽に暮したいものだ。私は体を延ばして走る船の上から波に手をひたしていた。手を押しやるようにして波が白くはじけている。五本の指にがもつれた糸のようにからまって来る。

「こんどのストライキは、えれえ短かかったなあ──」

「ほんまに、どっちも不景気だけんな。」

 船員達が、ガラス窓を拭きながら話している。私はもう一度ふりかえって、青い海の向うの島を眺めていた。


        *


(四月×日)

──その夜

カフエーの卓子テーブルの上に

盛花のような顔が泣いた

何のその

樹の上にカラスが鳴こうとて


──夜は辛い

両手に盛られた

わたしの顔は

みどり色の白粉おしろいに疲れ

十二時の針をひっぱっていた。


 横浜に来て五日あまりになる。カフエー・エトランゼの黒い卓子の上に、私はこんな詩を書いてみた。「俺くらいだよ、お前と一緒にいるのは……誰がお前のようなすさんでボロボロに崩れるような女を愛すものか。」

 あの東京の下宿で、男は私に思い知れ、思い知れと云う風な事を云うのです。泊るところも、たよる男も、御飯を食べるところもないとしたら、……私は小さな風呂敷包みをこしらえながら、どこにも行き場のない気持ちであった。そう云って別れてしまった男なのに、「お前が便利なように云ってやったんだよ、俺から離れいいようにね。」男は私を抱き伏せると、お前も俺と同じような病気にしてやるのだ。そう云って、肺の息をフウフウ私の顔に吐きかけてくる。あの夜以来、私は男の下宿代をかせぐために、こんなところへまで流れて来たのです。

「国へかえってみましょう、少し位は出来るかも知れませんから……」

 こんなことをして金をこしらえる事を私は貞女だとでも思っているのでしょうか神様!

「もう店をしまって下さい。」

 マダム・ロアの鼻の頭が油で光っている。ここは十二時にはカンバンにするのであるらしい。桃割れに結ったお菊さんと、お君さんと私、バラックの女給部屋には、重い潮風が窓から吹きこんでくる。

「ね、東京にかえりたくなったわ。」

 お君さんは子供の事を思い出したのか、手拭で顔をふきながら、大きい束髪に風を入れていた。──ここのマダム・ロアは、独逸ドイツ人で、御亭主は東京に独逸ビールのオフィスを持っている人だった。何時いつも土曜日には帰って来るのだそうである。一度チラとやせた背の高い姿を見たきり。マダム・ロアは、古風なスカートのように肥って沈黙った女だった。私はお君さんの御亭主の紹介で来たものの、ここはあまり収入もないのだ。コックも日本人なので、外人客は料理は食べないで、いつもビールばかり呑んで行った。

「私、あんたんとこの人に紹介されて来たので、本当は東京へ帰りたいんだけれど、遠慮をしていたのよ。」

「浜へ行ったら金になるなんて云って、結局はあの女と一緒になりたかったからでしょうよ。」

 お君さんの御亭主は、お君さんと親子ほども年が違っているのにめかけを持っていた。

「実際、私達は男の為めに苦労して生きてるようなものなのね。」

 お君さんは波止場の青い灯を見ながら、着物もぬがないでぼんやり部屋に立っている。私はふっと、去年のいまごろ、寒い日にお君さんと、この浜へ来た事を思い出した。あれから半年あまり、もうお君さんとは会えないと思いながら、どっちからともなく尋ねあって行き来している事を思うと、ほほ笑ましくなって来る。──十三の時に子供を産んだと云うお君さんは、「私はまだほんとうの恋なんてした事がないのよ。」と云うなり。いまは二十二で、九つの子供のあるお君さんは、子供が恋人だとも言っていた。ふしあわせなお君さんである。養母の男であったのが、今の御亭主になって十年もお君さんはその男の為めに働いて来たのだと云う。十年も働きあげたと思うと、カフエーの女給を妾に引き入れてみたり、家の中は一人の男をめぐって、彼女に妾に養母さんと云った不思議な生活だった。彼女は、「私、本当に目をおおいたくなる時があってよ。」と涙ぐむ時がある。どんなにされても、一人の子供の為めに働いているお君さんの事を考えると、私の苦しみなんて、彼女から言えばコッケイな話かも知れない。


「電気を消して下さい!」

 独逸人はしまり屋だと云うけれど、マダム・ロアが水色の夜の着物を着て私達の部屋を覗きにくるのだ。電気の消えたせまい部屋の中で、私はまるでお伽話のようなかえるの声を聞いた。東京の生活の事、お母さんの事、これからさきの事、なかなか眠れない。


(四月×日)

 九つになるお君さんの上の子供が一人でお君さんをたずねて来た。港では船がはいって来たのか、自動車がしっきりなしに店の前を走って行く。

 朝。

 マダム・ロアは裏のペンキのはげたポーチで編物をしていた。「お菊さんに店をたのんで一寸波止場へ行ってみない? 子供に見せたいのよ。」冷たいスープを呑んでいる私の傍で、お君さんは長い針を動かせて、子供の肩上げをたくし上げては縫ってやっていた。

「お君さんの弟かい!」

 船乗り上りの年をとったコックが、煙草を吸いながら、子供をみていた。

「ええ私の子供なのよ……」

「ホー、いくつだい? よく一人で来られたね。」

「…………」

 歯のしろい少年は、沈黙って侘し気に笑っていた。私たち三人は手をつなぎあって波止場の山下公園の方へ行ってみる。赤い吃水線きっすいせんの見える船が、沖にいくつも碇泊ていはくしていた。インド人が二人、んやり沖を見ている。あおい四月の海は、西瓜すいかのような青い粉をふいて光っていた。

「ホラ! お船だよ、よく見ておおき、あれで外国へ行くんだよ。あれは起重機ね、荷物が空へ上って行ったろう。」

 お君さんの説明をきいて、板チョコを頬ばりながら、子供はかすんだような嬉しい眼をして海を見ている。桟橋から下を見ると深い水の色がきれいで、ずるずると足を引っぱられそうだった。波止場には煙草屋だの、両替店、待合所、なんかが並んでいる。

「母さん、僕、水のみたい。」

 ひざ小僧を出したお君さんの子供が、白い待合所の水道の方へ走って行くと、お君さんはたもとからハンカチを出して子供のそばへ歩いて行く。

「さあ、これでお顔をおふきなさい。」

 ああ何と云う美しい風景だろう、その美しい母子風景が、思い思いな苦しみに打ちのめされてはきりっと立ちあがっては前進してゆくのだ。少年が母をたずねて、この浜辺までひとりで辿たどって来た情熱を考えると、泣き出したいだろうお君さんの気持ちが胸に響くなり。

「あの子と一緒に間借りでもしようかとも思うのよ、でも折角、父親がいて離すのもいけないと思って我慢はしてるのだけれど、私、働き死にをしに生れて来たようで、いやになる時があるわよ。」

「ね、小母さん! ホテルって何?」

 フッと見ると波止場のそばの橋の横に、何時か見たホテルと云う白い文字が見えた。

「旅をする人が泊るところよ。」

「そう……」

「ね、坊や! 皆うちにまだいるの?」

「うん、お父さん家にいるよ、お婆ちゃんも、小母ちゃんも銀座の方にこの頃通って、とても夜おそいの、だから僕だの父ちゃんが、かわりばんこに駅へむかいに行くんだよ……」

 お君さんはおこったように沈黙って海の方を見ていた。


 昼は伊勢佐木町に出て、三人で支那蕎麦そばを食べた。

「ね、あんた、私、写真を取りたいのよ、一緒に写ってくれない。」

「私もそう思ってたの、いつまた離ればなれになるかも判らないんですもの、丁度いいわ、坊やも一緒に取りましょう。」

 支那の軍人の制服のような感じの電車に乗って、浜近い写真館に行った。

「三人で取ると、誰かが死ぬんだって、だから犬ころでもいいから借りましょうよ。」

 お君さんが、不恰好なはり子の犬をひざに抱いて、坊やと私とが立っている姿を撮ってもらう。バックは、波止場の桟橋、林立した古風な帆柱が見えます。

「坊や! 今日は母ちゃんとこへ寝んねしていらっしゃいね。」

「一緒に帰るの……」


 お君さんは淋しそうに、一人でスヴニールのレコードをかけていた。マダム・ロアは今日は東京へ外出していない。椅子を二つ並べてコックはぐうぐう眠っている。もらい一円たらず、私も坊や達と東京へ帰ろうと思う。


(四月×日)

「こんな旅が一生続いたらユカイよ。」

 エトランゼの裏口から、一ツずつ大きい荷物を持った私たち二人の女を、マダム・ロアは気の毒そうにみて、一週間あまりしかいない私達へ給料を十円ずつ封筒へ入れてくれた。

「また来て下さい、夏はいいんですよ。」

 お君さんと違って家のない私は、又ここへ逆もどりしたいなつかしい気持ちで、マダム・ロアを振り返った。沈黙った女ってしっかりしているものだ。背広を着た彼女が、二階から私達を何時までも見送ってくれていた。

「よかったら家へいらっしゃいよ。雑居だけどいいじゃないの……そしてゆっくりさがせば。」

 駅でバナナをむきながら、お君さんがこう言ってくれた。東京へ行ったところで、ひねくれたあの男は、私を又殴ったり叩いたりするのかも知れない。いっそお君さんの家にでもやっかいになりましょう。サンドウイッチを買って汽車に乗った。汽車の中には桜のマークをつけたお上りさんの人達がいっぱいあふれていた。

「桜時はこれだから厭ね……」

 一つの腰掛けをやっとみつけると、三人で腰を掛ける。

「子供との汽車の旅なんて何年にもない事だわ。」


 夕方、お君さんの板橋の家へ着いた。

「随分、一人でやるのは心配したけれど、一人で行きたいって云うから、あたしがやったんだよ。」

 髪を蓬々させたお婆さんが寝転んで煙草を吸っていた。

「この間は失礼しました、今日は何だか一緒にかえりたくなってついて来ましたのよ。」

 長屋だてのギシギシした板の間をふんで、お君さんの御亭主が出て来た。

「こんなところでよければ、いつまででもいらっしゃい。またそのうちいいところがありますよ。」と云ってくれる。

 部屋の中には、若い女の着物がぬぎ散らかしてあった。


 夜更け。フッと目が覚めると、

「子供なんかを駅へむかいにやる必要はないじゃありませんか、貴方が行っていらっしゃい、貴方が厭だったら私が行って来ます。」

 お君さんのかん走った声がしている。やがて、土間をあける音がして、御亭主が駅へ妾さんをむかいに出て行った。

「オイお君! お前もいいかげん馬鹿だよ、なめられてやがって……」

 向うのはじに寝ていたお婆さんが口ぎたなくお君さんをののしっている。ああ何と云う事だろう、何と云う家族なのだろうと思う。硝子窓の向うには春の夜霧が流れていた。一緒に眠っている人達の、思い思いの苦しみが、夜更けの部屋に満ちていて、私はたった一人の部屋がほしくなっていた。


(四月×日)

 雨。終日坊やと遊ぶ。妾はお久さんと云って頬骨の高い女だった。お君さんの方がずっと柔かくて美しいひとだのに、縁と云うものは不思議なものだと思う。男ってどうしてこんななのだろう……。

「フンそんなに浜は不景気かね。」

 肌をぬいで、髪に油を塗りながら、お久さんは髪をすいていた。

「何だよお前さんのその言いかたは……」

 お婆さんが台所で釜を洗いながらお久さんに怒っていた。雨が降っている。うっとうしい四月の雨だ。路地のなかの家の前に、雨に濡れながら野菜売りが車を引いて通る。

 神様以上の気持ちなのか、お君さんは笑って、八百屋とのんびり話をしていた。

「いまは丁度何でも美味おいしい頃なのね。」と云っている。

 雨の中を、夕方、お久さんと御亭主とが街へ仕事に出て行った。婆さんと、子供とお君さんと私と四人で卓子を囲んで御飯をたべる。

「随分せいせいするよ、おしめりはあるし、二人は出て行ったし。」

 お婆さんがいかにもせいせいしたようにこんなことを云った。


(五月×日)

 新宿の以前いた家へ行ってみた。お由さんだけがのこっていて古い女達は皆いなくなってしまっていた。新らしい女が随分ふえていて、お上さんは病気で二階にせっていた。──又明日から私は新宿で働くのだ。まるで蓮沼はすぬまに落ちこんだように、ドロドロしている私である。いやな私なり、牛込うしごめの男の下宿に寄ってみる。不在。本箱の上に、お母さんからの手紙が来ていた。男が開いてみたのか、開封してあった。養父の代筆で、──あれが肺病だって言って来たが本当か、一番おそろしい病気だから用心してくれ、たった一人のお前にうつると、皆がどんなに心配するかわからない、お母さんはとても心配して、この頃は金光こんこう様をしんじんしている、一度かえって来てはどうか、色々話もある。──まあ! 何と云う事だろう、そんなにまでしなくても別れているのに、古里の私の両親のもとへ、あの男は自分が病気だからって云ってやったのかしら……よけいなおせっかいだと思った。宿の女中の話では、「よく女の方がいらっしてお泊りになるんですよ。」と云っている。ブトウ酒を買って来た、いままでのなごやかな気持ちが急にくらくらして来る。苦労をしあった人だのに何と云うことだろう。よくもこんなところまで辿って来たものだと思う。街を吹く五月のすがすがしい風は、秋のように身にしみるなり。


 夜。

 ここの子供とかるめらを焼いて遊ぶ。


        *


(五月×日)

 六時に起きた。

 昨夜の無銭飲食の奴のことで、七時には警察へ行かなくてはならない。眠くって頭のしんがズキズキするのをこらえて、朝の街に出てゆくと、汚い鋪道ほどうの上に、散しの黄や赤が、露にベトベト濡れて陽に光っていた。四谷よつやまでバスに乗る。窓硝子ガラスの紫の鹿を掛けた私の結い綿の頭がぐらぐらしていて、まるでお女郎みたいな姿だった。私はフッと噴き出してしまう。こんな女なんて……どうしてこんなに激しくゆられ、ゆすぶられても、しがみついて生きていなくてはならないのだろう! 何とコッケイなピエロの姿よ。勇ましくて美しい車掌さん! 笑わないで下さいね。なまめかしく繻子しゅす黒襟くろえりを掛けたりしているのですが、私だって、貴女みたいにピチピチした車掌さんになろうとした事があったんですよ。貴女と同じように、植物園、三越、本願寺、動物園なんて試験を受けた事があるんです。近眼ではねられてしまったんだけれど、私は勇ましい貴女の姿がうらやましくて仕方がない。──神宮外苑がいえんの方へ行く道の、一寸高い段々のある灰色の建物が警察だった。八ツ手の葉にいっぱいほこりがかぶさったまま露がしっとりとしていて、洞穴のような留置場の前へはいって行くと、暗い刑事部屋には茶を呑んでいる男、何か書きつけている男、疲れて寝ころんでいる男、私はこんなところへまで、昨夜の無銭飲食者に会いにこなければならないのかしらといやな気持ちだった。ここまで取りに来なければ十円近くの金は、私が帳場に立て替えなければならないし、転んでも只では起きないカフエーのからくりを考えると厭になる。結局は客と女給の一騎打ちなのだ。ああ金に引きずりまわされるのがとても胸にこたえてくる。店の女達が、たかるだけたかっておいて、勘定になると、裏から逃げ出して行った昨夜の無銭飲食者の事を思うと、わけのわからないおかしさがこみ上げて来て仕方がなかった。

「代書へ行って届書をかいて来い、アーン!」

 あぶくどもメ! 昨夜の無銭飲食者が、ここではすばらしい英雄にさえ思える。

 代書屋に行って書いてもらったのが一時間あまりもかかった。茶が出たり塩せんべいが出たり、金を払うだんになると、二枚並べた塩せんべいの代金まではいっている。全く驚いてしまった。届書を渡して、引受人のような人から九円なにがしかをもらって外に出ると、もうお昼である。規律とか規則とかと云うものに、私はつばきを引っかけてけいべつをしてやりたくなった。

 帰って帳場に金を渡して二階へ上ると、皆はおきて蒲団をたたんでいる処だった。掃除をすっぽかして横になる。五月の雲が真綿のように白く伸びて行くのに、私は私の魂を遠くにフッ飛ばして、棒のように石のように私は横になって目をとじているのだ。悲しや、おいたわしや、お芙美さん、一ツ手拍子そろえて歌でも唄いましょう。


陸の果てには海がある。

白帆がゆくよ。


(五月×日)

 時ちゃんが、私に自転車の乗りかたを教えてくれると云うので、掃除が済むと、店の自転車を借りて、遊廓ゆうかくの前の広い道へ出て行った。朝の陽をいっぱい浴びて、並んだ女郎屋の二階のてすりには、蒲団の行列、下の写真棚には、お葬式のビラのような初店の女の名前を書いた白い紙がビラビラ風に吹かれていた。朝帰りの男の姿が、まるで雨の日のこうもりがさのようだと、時ちゃんは冷笑しながら、勇ましく大通りで自転車を乗りまわしている。桃割れにゆった女が自転車でくるわの道を流しているので、男も女も立ちどまっては見て行くなり。

「さあ、ゆみちゃんお乗りよ、後から押してやるから。」

 馬鹿げた朗かさで、ドン・キホーテの真似をする事も面白い。二三回乗っているうちにペタルが足について来て、するするとハンドルでかじが取れるようになった。


キング・オブを十杯呑ませてくれたら

私は貴方に接吻を一ツ投げましょう

おお哀れな給仕女よ


青い窓の外は雨の切子きりこ硝子

ランタンの灯の下で

みんな酒になってしまった


カクメイとは北方に吹く風か!

酒はぶちまけてしまったんです。

卓子の酒の上に真紅まっかな口を開いて

火を吐いたのです


青いエプロンで舞いましょうか

金婚式、それともキャラバン

今晩の舞踏曲は……


さあまだあと三杯もある

しっかりしているかって

ええ大丈夫よ

私はお悧巧りこうな人なのに

本当にお悧巧なひとなのに

私は私の気持ちを

つまらない豚のような男達へ

おし気もなく切り花のように

ふりまいているんです

ああカクメイとは北方に吹く風か──


 さてさてあぶない生胆いきぎも取り、ああ何もかも差しあげてしまいますから、二日でも三日でも誰か私をゆっくり眠らせて下さい。私の体から、何でも持って行って下さい。私は泥のように眠りたい。石鹸のようにとけてなくなってしまって、下水の水に、酒もビールも、ジンもウイスキーも、私の胃袋はマッチの代用です。さあ、私の体が入用だったらタダで差し上げましょう。なまじっかタダでプレゼントした方があとくされがなくてせいせいするでしょう。酔っぱらって椅子と一緒に転んだ私を、時ちゃんは馬のように引きおこしてくれた。そうして耳に口をつけて言った事は、

「新聞を上からかぶせとくから、少しつっぷして眠んなさい、酔っぱらって仕様がないじゃないの……」

 私の蒲団は新聞で沢山なのですよ、私は蛆虫うじむしのような女ですからね、酔いだってさめてしまえばもとのもくあみ、一日がずるずると手から抜けて行くのですもの、早く私のカクメイでもおこさなくちゃなりません。


(六月×日)

 太宗寺で、女給達の健康診断がある日だ。雨の中を、お由さんと時ちゃんと三人で行った。古風な寺の廊下に、紅紫とりどりの疲れた女達が、背景と二重写しみたいに、そぐわないモダンさで群れている。一寸ちょっとした屏風びょうぶがたててあるのだけれども、おえんま様も映画の赤い旗もみんなまる見えだ。上半身をさらして、たなざらしのお役人の前に、私達は口をあけたり胸を押されたりしている。匂いまで女給になりきってしまった私は、いまさら自分を振りかえって見返してみようにもみんな遠くに飛んでしまっている。お由さんは肺が悪いので、診てもらうのを厭がっていた。時ちゃんを待ちながら、寺の庭を見ているとねむの花が桃色に咲いて、旅の田舎の思い出がふっと浮んできた。

 夜、鼠花火を買って来て燃やす。

 チップ一円二十銭也。


(六月×日)

 昼、浴衣を一反買いたいと思って街に出てみると、肩の薄くなった男に出会う。争って別れた二人だけれども、偶然にこんなところで会うと、二人共沈黙だまって笑ってしまう。あのひとはうなぎがたべたいと云う。二人で鰻丼うなどんをたべにはいる。何か心楽し。浴衣の金を皆もたせてやる。病人はいとしや。──母より小包み来る。私が鼻が悪いと云ってやったので、ガラガラにしてあるせんじ薬と足袋と絞り木綿の腰巻を送って来た。カフエーに勤めているなんて云ってやろうものなら、どんなにか案じるお母さん、私は大きいお家の帳場をしていると嘘の手紙を書いて出した。


 夜。

 お君さんが私の処へたずねて来た。これから質屋に行くのだと云って大きい風呂敷包みを持っていた。

「こんな遠い処の質屋まで来るの?」

「前からのところなのよ。板橋の近所って、とても貸さないのよ……」

 相変らず一人で苦労をしているらしいお君さんに同情するなり。

「ね、よかったらお蕎麦そばでも食べて行かない、おごるわよ。」

「ううんいいのよ、一寸人が待っているから、又ね。」

「じゃア質屋まで一緒に行く、いいでしょう。」

 その後銀座の方に働いていたと云うお君さんには若い学生の恋人が出来ていた。

「私はいよいよ決心したのよ、今晩これから一寸遠くへ都落ちするつもりで、実は貴女の顔を見に来たの。」

 こんなにも純情なお君さんがうらやましくて仕方がない。何もかも振り捨てて私は生れて初めて恋らしい恋をしたのだわ。ともお君さんは云うなり。

「子供も捨てて行くの?」

「それが一番身にこたえるんだけれども、もうそんな事を言ってはおられなくなってしまったのよ。子供の事を思うと空おそろしくなるけれど、私とても、とても勝てなくなってしまったの。」

 お君さんの新らしい男の人は、あんまり豊かでもなさそうだったけれど、若者の持つりりしい強さが、あたりを圧していた。

「貴女も早く女給なんておしなさい、ろくな仕事じゃアありませんよ。」

 私は笑っていた。お君さんのように何もかも捨てさる情熱があったならば、こんなに一人で苦しみはしないとおもう。お君さんのお養母さんと、御亭主とじゃ、私のお母さんの美しさはヒカクになりません。どんなに私の思想の入れられないカクメイが来ようとも、千万人の人が私に矢をむけようとも、私は母の思想に生きるのです。貴方達は貴方達の道を行って下さい。私はありったけの財布をはたいて、この勇ましく都落ちする二人に祝ってあげたい。私のゼッタイのものが母であるように、お君さんの唯一の坊やを、私は蔭で見てやってもいいと思えた。

 街では星をいっぱい浴びて、ラジオがセレナーデを唄っている。

 私のたもとには、エプロンがまるまってはいっている。

 夜の曲。都会の夜の曲。メカニズム化したセレナーデよ、あんなに美しい唄を、ラジオは活字のように街の空でうなっている。騒音化した夜の曲。人間がキカイに食われる時代、私は煙草屋のウインドウの前で白と赤のマントを拡げたマドリガルと云う煙草が買いたかったのだ。すばらしい享楽、すばらしい溺酔できすい、マドリガルの甘いエクスタシイ、嘘でも言わなければこの世の中は馬鹿らしくって歩けないじゃありませんか──。さあ、みんなみんな、私は何でもかでもほしいんですよ。


 時ちゃんは文学書生とけんかをしていた。

「何だいドテカボチャ、ひやけの茄子なす もう五十銭たしゃ横町へ行けるじゃあないか!」

 酔っぱらった文学書生がキスを盗んだというので、時ちゃんが、ソーダ水でジュウジュウ口をすすぎながら呶鳴どなっていた。お上さんは病気で二階に寝ている。何時いつも女給達の生血を絞っているからろくな事がないのよ。しょっちゅう病気してるじゃないの……こう言ってお由さんはお上さんの病気を気味良がっていた。


(六月×日)

 お上さんはいよいよ入院してしまった。出前持ちのカンちゃんが病院へ行って帰ってこないので、時ちゃんが自転車で出前を持って行く。べらぼうな時ちゃんの自転車乗りの姿を見ていると、涙が出る程おかしかった。とにかく、この女は自分の美しさをよく知っているからとても面白い。──夕方風呂から帰って着物をきかえていると、素硝子の一番てっぺんに星が一つチカチカ光っていた。ああ久しく私は夜明けと云うものを見ないけれど、田舎の朝空がみたいものだ。表に盛塩もりじおしてレコードをかけていると、風呂から女達が順々に帰って来る。

「もうそろそろ自称飛行家が来る頃じゃないの……」

 この自称飛行家は奇妙な事に支那そば一杯と、老酒ラオチューいっぱいで四五時間も駄法螺だぼらを吹いて一円のチップをおいて帰って行く。別に御しゅうしんの女もなさそうだ。

 三番目。

 私の番に五人連のトルコ人がはいって来た。ビールを一ダース持って来させると、順々に抜いてカンパイしてゆくあざやかな呑みぶりである。白い風呂敷包みの中から、まるでトランクのように大きい風琴ふうきんを出すと、風琴のひもを肩にかけて鳴らし出す。秋の山の風でも聞いているような、風琴の音色、皆珍らしがってみていた。ボクノヨブコエワスレタカ。何だと思ったらかごの鳥の唄だった。帽子の下に、もう一つトルコ帽をかぶって、仲々意気な姿だった。

「ニカイ アガリマショウ。」

 若いトルコ人が私をひざに抱くと、二階をさかんに指差している。

「ニカイノ アルトコロコノヨコチョウデス。」

「ヨコチョウ? ワカラナイ。」

 私達を淫売婦とでもまちがえているらしい。

「ワタシタチ トケイヤ。」

 若いのが遠い国で写したのか、珍らしい樹の下で写した小さい写真を一枚ずつくれるなり。

「ニカイ アガリマショウ、ワタシ アヤシクナイ。」

「ニカイアリマセン。ミンナ カヨイデス。」

「ニカイ アリマセン?」

 またビール一ダースの追加、一人がコールドビーフを註文ちゅうもんすると、お由さんが気に入っていたのか、何かしきりに皿を指さしている。

「困ったわ、私英語なんか知らないんですもの、ゆみちゃん何を言ってんのか聞いてみてよ……」

「あの、飛行機屋さんにおききなさいよ、知ってるかも知れないわ。」

「冗談じゃない、発音がちがうから判らないよ。」

「あら飛行機屋さんにも判らないの、困っちゃうわね。」

「ソースじゃなさそうね。」

 何だか辛子からしのようにも思えるんだけれど、生憎あいにく、からしかとく事を知らない私は、

「エロウ・パウダ?」

 顔から火の出る思いで聞いてみた。

「オオエス! エス!」

 辛子をキュウキュウこねて持って行くと、みんな手の指を鳴らして喜んでいた。

 自称飛行家はコソコソ帰っていった。

「トルコの天子さん何て言うの?」

 時ちゃんが、エロウ・パウダ氏にもたれて聞いている。

「テンシサンなんて判るもんですか。」

「そう、私はこの人好きだけど通じなきゃ仕方がないわ。」

 酒がまわったのか、風琴は遠い郷愁を鳴らしている。ニカイ アガリマショウの男は、盛んに私にウインクしていた。日本人とよく似た人種だと思う、トルコってどんなところだろう。私は笑いながら聞いた。

「アンタの名前、ケマルパシャ?」

 五人のトルコ人は皆で私にエスエスと首を振っていた。


        *


(九月×日)

 古い時間表をめくってみた。どっか遠い旅に出たいものだと思う。真実のない東京にみきりをつけて、山か海かの自然な息を吸いに出たいものなり。私が青い時間表の地図からひらった土地は、日本海に面した直江津なおえつと云う小さい小港だった。ああ海と港の旅情、こんな処へ行ってみたいと思う。これだけでも、傷ついた私を慰めてくれるに違いない。だけど今どき慰めなんて言葉は必要じゃない。死んでは困る私、生きていても困る私、酌婦にでもなんでもなってお母さん達が幸福になるような金がほしいのだ。なまじっかガンジョウな血の多い体が、色んな野心をおこします。ほんとに金がほしいのだ!

 富士山──暴風雨

 停車場の待合所の白い紙に、いま富士山は大あれだと書いてある。フン! あんなものなんか荒れたってかまいはしない。風呂敷包み一つの私が、上野から信越線に乗ると、朝の窓の風景は、いつの間にか茫々とした秋の景色だった。あたりはすっかり秋になっている。窓を区切ってゆく、玉蜀黍とうもろこしの葉は、骨のようにすがれてしまっていた。人生はすべて秋風万里、信じられないものばかりが濁流のように氾濫はんらんしている。爪のあかほどにも価しない私が、いま汽車に乗って、当もなくうらぶれた旅をしている。私は妙に旅愁を感じるとまぶたが熱くふくらがって来た。便所臭い三等車の隅ッこに、銀杏返いちょうがえしのびんをくっつけるようにして、私はぼんやりと、山へはいって行く汽車にゆられていた。


古里のうまやは遠く去った

花がみんなひらいた月夜

港まで走りつづけた私であった


おぼろな月の光りと赤い放浪記よ

首にぐるぐる白い首巻をまいて

汽船を恋した私だった。


 一切合切が、何時も風呂敷包み一つの私である。私は心に気弱な熱いものを感じながら、古い詩稿や、放浪日記を風呂敷包みから出しては読みかえしてみた。体が動いているせいか、瞼の裏に熱いものがこみあげて来ても、詩や日記からは、何もこみ上げて来る情熱がこない。たったこれだけの事だったのかと思う。馬鹿らしい事ばかりを書きつぶしておぼれている私です。

 汽車が高崎に着くと、私の周囲の空席に、旅まわりの芸人風な男女が四人で席を取った。私はボンヤリ彼等を見ていた。彼達は、私とあまり大差のないみすぼらしい姿である。上の網棚には、木綿の縞の風呂敷でくるんだ古ぼけた三味線と、すすけたバスケットが一つ、彼達の晒された生活を物語っていた。

姐御あねごはこっちに腰掛けたら……」

 同勢四人の中の、たった一人の女である姐御と呼ばれた彼女は、つぶしたような丸髷まるまげに疲れた浴衣である。もう三十二三にはなっているのだろう、着崩れた着物の下から、何かあだめいた匂いがしてやつれた河合武雄と云ってもみたい女だった。その女と並んで、私の向う横に腰かけたつれの男は額がとても白い。紺縮みの着物に、手拭のように細いくたびれた帯をくるくる巻いて、かんしょうに爪をよくんでいた。

「ああとてもひでえ目にあったぜ。」

 目玉のグリグリした小さい方が、ひとわたり周囲をみまわして大きい方につぶやくと、汽車は逆もどりしながら、横川の駅に近くなった。この芸人達は、寄席芸人の一行らしいのだ。向うの男と女は、時々思い出したようにボソボソ話しあっていた。「アレ! 何だね、俺ァ気味が悪いでッ。」突然トンキョウな声がおこると、田舎者らしい子供連れのお上さんが、網棚の上を見上げた。お上さんの目を追うと、芸人達の持ちものである網棚のバスケットから、黒ずんだ赤い血のようなものがボトボトしたたりこぼれていた。

「血じゃねえかね!」

「旅のお方! お前さんのバスケットじゃねえかね。」

 背中あわせの、芸人の男女に、田舎女の亭主らしいのが、大きい声で呶鳴どなると、ボンヤリと当もなく窓を見ていた男と女は、あたふたと、恐れ入りながら、バスケットを降ろして蓋をあけている。──ここにもこれだけの生活がある。私は頬の上に何か血の気の去るのを感じる思いだった。そのバスケットの中には、ふちのかけた茶碗や、朱のはげた鏡や、白粉おしろいくしや、ソースびんが雑然と入れてあった。

「ソースの栓が抜けたんですわ……」

 女はそう一人ごとを言いながら、自分の白い手の甲にみみずのように流れているソースの滴をなめた。その侘し気なバスケット物語が、トヤについたこの人達の幾日かの生活をものがたっている。女のひとはバスケットを棚へ上げると、あとは又汽車の轟々ごうごうたる音である。私の前の弟子らしい男達は、眠ったような顔をしていた。

「ああ俺アつまらねえ、東京へ帰って、いまさんの座にでもへえりていや、いつまでこうしてたって、寒くなるんだしなア……」

 弟子たちのこの話が耳にはいったのか、紺縮みの男は、キラリと眼をそらすと、

「オイ! たんちゃん、横川へついたら、電報一ツたのんだぜ。」

 と、云った。四人共白けている。夫婦でもなさそうな二人のものの言いぶりに、私はこの男と女が妙に胸に残っていた。

 夜。

 直江津の駅についた。土間の上に古びたまま建っているような港の駅なり。火のつきそめた駅の前の広場には、水色に塗った板造りの西洋建ての旅館がある。その旅館の横を切って、軒の出っぱった煤けた街が見えている。嵐もよいの湫々しゅうしゅうとした潮風が強く吹いていて、あんなにあこがれて来た私の港の夢はこっぱみじんに叩きこわされてしまった。こんなところも各自の生活で忙がしそうだ。仕方がないので私は駅の前の旅館へひきかえす。硝子戸に、いかやと書いてあった。


(九月×日)

 階下の廊下では、そうぞうしく小学生の修学旅行の群がさわいでいた。

 洗面所で顔を洗っていると、

「俺ァいわしをもういっぺん食べてえなア。」

 山国の小学生の男の子達が魚の話を珍らしげに話していた。私は二円の宿代を払って、外へ散歩に出てみた。雲がひくくかぶさっている。街をゆく人達は、家々の深いひさしの下を歩いている。芝居小屋の前をすぎると長い木橋があった。海だろうか、河なのだろうか、水の色がとても青すぎる。ぼんやり立って流れを見ていると、目の下を塵芥じんかいに混って鳩の死んだのがまるで雲をちぎったように流れていっていた。旅空で鳩の流れて行くのを見ている私。ああ何もこの世の中からもとめるもののなくなってしまったいまの私は、別に私のために心を痛めてくれるひともないのだと思うと、私はフッと鳩のように死ぬる事を考えているのだ。何か非常に明るいものを感じる。木橋の上は荷車や人の跫音あしおとでやかましく鳴っている。静かに流れて行く鳩の死んだのを見ていると、幸福だとか、不幸だとか、もう、あんなになってしまえばくうくうだ。何もなくなってしまうのだと思った。だけど、鳥のように美しい姿だといいんだが、あさましい死体を晒す事を考えると侘しくなってくる。駅のそばで団子を買った。

「この団子の名前は何と言うんですか?」

「ヘエ継続だんごです。」

「継続だんご……団子が続いているからですか?」

 海辺の人が、何て厭な名前をつけるんでしょう、継続だんごだなんて……。駅のゆがんだ待合所に腰をかけて、白い継続だんごを食べる。あんこをなめていると、あんなにも死ぬる事に明るさを感じていた事が馬鹿らしくなってきた。どんな田舎だって人は生活しているんだ。生きて働かなくてはいけないと思う。田舎だって山奥だって私の生きてゆける生活はあるはずだ。私のガラスのような感傷は、もろくこわれやすい。田舎だの、山奥だの、そんなものはお伽噺とぎばなしの世界だろう。煤けた駅のベンチで考えた事は、やっぱり東京へかえる事であった。私が死んでしまえば、誰よりもお母さんが困るのだもの……。

 低迷していた雲が切れると、灰をかぶるような激しい雨が降ってきた。しおくさい旅客と肩をあわせながら、こんなところまで来た私の昨日の感傷をケイベツしてやりたくなった。昨夜の旅館の男衆がこっちを見ている。銀杏返しに結っているから、酌婦かなんかとでも思っているのかも知れない。私も笑ってやる。

 長い夜汽車に乗った。


(九月×日)

 又カフエーに逆もどり。めちゃくちゃに狂いたい気持ちだった。めちゃくちゃにひとがこいしい……。ああ私は何もかもなくなってしまった酔いどれ女でございます。叩きつけてふみたくって下さい。乞食と隣りあわせのような私だ。家もなければ古里も、そしてたった一人のお母さんをいつも泣かせている私である。誰やらが何とか云いましたって……、酒を飲むと鳥が群れて飛んで来ます。樹がざわざわ鳴っているような不安で落ちつけない私の心、ヘエ! 淋しいから床をって、心臓が唄います事に、りどころなきうすなさけ、ても味気ないお芙美さん……。誰かが、めちゃくちゃに酔っぱらった私の唇を盗んで行きました。声をたてて泣いている私の声、そっと眼を挙げると、女達の白い手が私の肩に鳥のように並んでいました。

「飲みすぎたのね、この人は感情家だから。」

 サガレンのお由さんが私のことを誰かに言っている。私は血ののぼるようなみっともなさを感じると、シャンと首をもたげて鏡を見に立って行った。私の顔が二重に写っている鏡の底に、私をにらんでいる男の大きい眼、私は旅から生きてかえった事がうれしくなっている。こんな甘いものだらけの世の中に、自分だけが真実らしく死んで見せる事は愚かな至りに御座候だ。継続だんごか! 芝居じみた眼をして、心あり気に睨んでいる男の顔の前で、私はおばけの真似でもしてみせてやりたいと思う。……どんな真実そうな顔をしていたって、酒場の男の感傷は生ビールよりはかないのですからね、私がたくさん酒を呑んだって帳場では喜んでいる、蛆虫メ!

「酔っぱらったからお先に寝さしてもらいます。」

 芙美子は強し。


(十月×日)

 秋風が吹く頃になりました。わたしはアイーダーを唄っています。

「ね! ゆみちゃん、私は、どうも赤ん坊が出来たらしいのよ、厭になっちまうわ……」

 沈黙だまって本を読んでいる私へ、光ちゃんが小さい声でこんな事を云った。誰もいないサロンの壁に、薔薇ばらの黄いろい花がよくにおっていた。

「幾月ぐらいなの?」

「さあ、三月ぐらいだとおもうけど……」

「どうしたのよ……」

「いま私んとこ子供なんか出来ると困るのよ……」

 二人はだまってしまった。おでんを食べに行った女達がぞろぞろかえって来る。

 私のいやな男が又やって来る。えてして芝居もどきな恰好で、女を何とかしようと云うものに、ろくなのはいない。こんなお上品な男の前では、大口をあけて、何かムシャムシャ食べているに限ります。私はうで玉子を卓子の角で割りながら、お由さんと食べる。

「おゆみさんいらっしゃいよ。」

 酔いどれ女の芸当がまた見たいんですか、私は表に出てゆくと、街を吹く秋の風を力いっぱい吸った。エプロンをはずして、私もこの人混の中にはいってみたいと思った。露店が雨のようにならんでいる。

「一寸おたずねしますが、お宅は女給さんらないでしょうか?」

 昔のスカートのように、いっぱいふくらんだ信玄袋を持った大きい女が、人混から押されて私の前に出て来た。

「さあ、いま四人もいるのですけれど、まだ入ると思いますよ、聞いてあげましょうか、待っていらっしゃい。」

 ドアを押すと、あの男は酔いがまわったのか、お由さんの肩を叩いて言っていた。

「僕はどうも気が弱くてね。」

 御もっとも様でございますよ。──連れて来てごらんと云うお上さんの言葉で、台所からまわって、私は信玄袋の女をまねくと、急に女は泣き出して言った。「私は田舎から出て来たばかりで、初めてなんですが、今晩行くところがないから、どうしてもつかって下さい、一生懸命働きます。」と云っている。うすら冷たい風に、メリンスの単衣ひとえがよれよれになって寒そうだった。どうせ、こんなカフエーなんて、女でありさえすればいいのだもの、この女だって、信玄袋をとれば鏡をみつめ出すにわかっています。

「お上さん、とても店には女がたりないんですからおいてあげて下さいよ。」

 上州生れで、まゆのように肥った彼女は、急な裏梯子うらばしこから信玄袋をかついで二階の女給部屋に上って行った。「お蔭様でありがとうございます。」暗がりにうずくまっている女の首が太く白く見えた。

「あなた、いくつ?」

「十八です。」

「まあ若い……」

 女が着物をぬいで不器用な手つきで支度をしているのをそばでじっと見ていると、私は何かしら眼頭が熱くなって来た。ああ暗がりって、どうしてこんなにいいものなのだろう、埃のいっぱいしている暗い燈の下で、唇を毒々しくルウジュで塗った女達が、せいいっぱいな唄をうたっている。おお神様いやなことです。

「ゆみちゃん! あの人がいらっしゃってよ。」

 いつまでもこの暗がりで寝転がっていたいのに、由ちゃんが何か頬ばりながら二階へ上ってきた。新らしくきた女のひとにエプロンを貸してやる。妙にガサガサ荒れた手をしていた。

「私、一度世帯を持った事がありましてね。」

「…………」

「これから一生懸命働きますから、よろしくお願いいたします。」

「ここにいる人達は、皆同じことをして来た人達なんだから、皆同じようにしていりゃいいのよ。場銭ばせんが十五銭ね、それから、店のものはこわさないようになさい、三倍位には取られてしまうのよ、それから、この部屋で、お上さんも旦那も、女給もコックも一緒に寝るんだから、その荷物は棚へでもあげておおきなさい。」

「まあこんなせまいところにねるのですか。」

「ええそうなのよ。」

 階下へ降りると、例の男がよろよろ歩いて来て私にいった。

「どっか公休日に遊びに行きませんか!」

「公休日? ホッホホホホ私とどっかへ行くと、とても金がかかりますよ。」

 そうして私は帯を叩いて言ってやった。

「私赤ん坊がいるから当分駄目なんですよ。」


        *


(十二月×日)

「飯田がね、こてでなぐったのよ……厭になってしまう……」

 飛びついて来て、まあよく来たわね、と云ってくれるのを楽しみにしていた私は、長い事待たされて、暗い路地の中からしょんぼり出て来たたい子さんを見ると、不図ふと自動車や行李こうりや時ちゃんが何か非常に重荷になってきてしまって、来なければよかったんじゃないかと思えて来た。

「どうしましょうね、今さらあのカフエーに逆もどりも出来ないし、少し廻って来ましょうか、飯田さんも私に会うのはバツが悪いでしょうから……」

「ええ、ではそうしてね。」

 私は運転手の吉さんに行李をかついでもらうと、酒屋の裏口の薬局みたいな上りばなに行李を転がしてもらって、今度は軽々と、時ちゃんと二人で自動車に乗った。

「吉さん! 上野へ連れて行っておくれよ。」

 時ちゃんはぶざまな行李がなくなったので、陽気にはしゃぎながら私の両手を振った。

「大丈夫かしら、たい子さんって人、貴女の親友にしちゃあ、随分冷たい人ね、泊めてくれるかしら……」

「大丈夫よ、あの人はあんな人だから、気にかけないでもいいのよ、大船に乗ったつもりでいらっしゃい。」

 二人はお互に淋しさを噛み殺していた。

「何だか心細くなって来たわね。」

 時ちゃんは淋しそうに涙ぐんでいる。


「もうこれ位でいいだろう、俺達も仕事しなくちゃいけないから。」

 十時頃だった、星が澄んで光っている。十三屋の櫛屋のところで自動車を止めてもらうと、時ちゃんと私は、小さい財布を出して自動車代を出した。

「街中乗っけてもらったんだから、いくらかあげなきゃあ悪いわ。」

 吉さんは、私達の前に汚れた手を出すと、

「馬鹿! 今日のは俺のセンベツだよ。」と云った。

 吉さんの笑い声があまり大きかったので、櫛屋の人達もビックリしてこっちを見ている。

「じゃ何か食べましょう、私の心がすまないから。」

 私は二人を連れると、広小路のお汁粉屋にはいった。吉さんは甘いもの好きだから、ホラお汁粉一杯上ったよ! ホラも一ツ一杯上ったよ! お爺さんのトンキョウな有名な呼び声にも今の淋しい私には笑えなかった。「吉さん! 元気でいてね。」時ちゃんは吉さんの鳥打帽子の内側をかぎながら、子供っぽく目をうるませていた。──歩いて私達が本郷の酒屋の二階へ帰って行った時はもう十二時近かった。夜更けの冷たい鋪道の上を、支那蕎麦屋の燈火が通っているきりで、二人共沈黙って白い肩掛を胸にあわせた。


 酒屋の二階に上って行くと、たいさんはいなくて、見知らない紺がすりの青年が、火の気のない火鉢にしょんぼり手をかざしていた。何をする人なのかしら……私は妙に白々としたおもいだった。寒い晩である。歯がふるえて仕方がない。

「たい子さんと云うひとが帰らなければ私達は寝られないの?」

 時ちゃんは、私の肩にもたれて、心細げに聞いている。

「寝たっていいのよ、当分ここにいられるんだもの、蒲団を出してあげましょうか。」

 押入れをあけると、プンと淋しい女の一人ぐらしの匂いをかいだ。たい子さんだって淋しいのだ。大きなアクビにごまかして、袖で眼をふきながら、蒲団を敷いて時ちゃんをねせつけてやる。

「貴女は林さんでしょう……」

 その青年はキラリと眼鏡を光らせて私を見た。

「僕、山本です。」

「ああそうですか、たいさんに始終聞いていました。」

 なあんだ、私がしびれの切れた足を急に投げだすと、寒いですねと云う話から、二人の気持ちはほぐれて来た。色々話をしていると、段々この青年のいい所がめについて来る。私は一生懸命あいつを愛しているんですがと云って、山本さんは涙ぐんでいる。そして、火鉢の灰をじっとかきならしていた。

 たい子さんは幸福者だと思う。私は別れて間もない男の事を考えていた。あんなに私をなぐってばかりいたひとだったけれど、このひとの純情が十分の一でもあったらと思う。時ちゃんはもういびきをかいて眠っていた。「では僕は帰りますから、明日の夕方にでも来るように云って下さいませんか。」もう二時すぎである。青年は下駄を鳴らして帰って行った。たい子さんは、あの人との子供の骨を転々と持って歩いていたけれど、いまはどうしてしまったかしら、部屋の中には折れた鏝が散乱していた。


(十二月×日)

 雨が降っている。夕方時ちゃんと二人で風呂に行った。帰って髪をときつけていると、飯田さんが来る。私は袖のほころびを縫いながら、このごろおぼえた唄をフッとうたいたくなっていた。ああ厭になってしまう。別れてまでノコノコと女のそばへ来るなんて、飯田さんもおかしい人だと思う。たい子さんは沈黙っている。

「こんなに雨が降るのに行くの?」

 たい子さんは侘しそうに、ふところ手をして私達を見ていた。


 二人で浅草へ来た時は夕方だった。激しい雨の降る中を、一軒一軒、時ちゃんの住み込みよさそうな家をさがしてまわった。やがてきまったのはカフエー世界と云う家だった。

「どっかへ引っ越す時は知らしてね、たい子さんによろしく云ってね。」

 時ちゃんはほんとうに可愛い娘だ。野性的で、行儀作法は知らないけれども、いいところのある女なり。

「久し振りで、二人で、別れのお酒もりでもしましょうか……」

「おごってくれる?」

「体を大事にして、にくまれないようにね。」

 浅草の都寿司にはいると、お酒を一本つけてもらって、私達はいい気持ちに横ずわりになった。雨がひどいので、お客も少いし、バラック建てだけれども、落ちついたいい家だった。

「一生懸命勉強してね。」

「当分会えないのね時ちゃんとは……私、もう一本呑みたい。」

 時ちゃんはうれしそうに手を鳴らして女中を呼んだ。やがて、時ちゃんをカフエーに置いて帰ると、たい子さんは一生懸命何か書きものをしていた。九時頃山本さんみえる。

 私は一人で寝床を敷いて、たい子さんより先に寝ついた。


(十二月×日)

 フッと眼を覚ますと、せまい蒲団なので、私はたい子さんと抱きあってねむっていた。二人とも笑いながら背中をむけあう。

「起きなさい。」

「私いくらでも眠りたいのよ……」

 たい子さんは白い腕をニュッと出すと、カーテンをめくって、陽の光りを見上げた。──梯子段を上って来る音がしている。たい子さんは無意識に、手を引っこめると、

「寝たふりをしてましょう、うるさいから。」と云った。

 私とたいさんは抱きあって寝たふりをしていた。やがてふすまがあくと、寝ているの? と呼びかけながら山本さんはいって来る。山本さんが私達の枕元になれなれしく坐ったので、私は一寸不快になる。しかたなく目をさました。たい子さんは、

「こんなに朝早くから来てまだ寝てるじゃありませんか。」

「でも勤め人は、朝か夜かでなきゃあ来られないよ。」

 私はじっと目をとじていた。どうしたらいいのか、たいさんのやり方も手ぬるいと思った。厭なら厭なのだと、はっきりことわればいいのだ。


 今日から街はりょうあんである。昼からたい子さんと二人で銀座の方へ行ってみた。

「私はね、原稿を書いて、生活費位は出来るから、うるさいあそこを引きはらって、郊外に住みたいと思っているのよ……」

 たいさんは茶色のマントをふくらませて、電気スタンドの美しいのをショーウインドウに眺めながら、そのスタンドを買うのが唯一の理想のように云った。歩けるだけ歩きましょう。銀座裏の奴寿司で腹が出来ると、黒白の幕を張った街並を足をそろえて二人は歩いていた。朝でも夜でも牢屋ろうやはくらい、いつでも鬼メが窓からのぞく。二人は日本橋の上に来ると、子供らしく欄干に手をのせて、飄々ひょうひょうと飛んでいる白いかもめを見降ろしていた。


一種のコウフンは私達には薬かも知れない

二人は幼稚園の子供のように

足並をそろえて街の片隅を歩いていた。

同じような運命を持った女が

同じように眼と眼とみあわせて淋しく笑ったのです。

なにくそ!

笑え! 笑え! 笑え!

たった二人の女が笑ったとて

つれない世間に遠慮は無用だ

私達も街の人達に負けないで

国へのお歳暮せいぼをしましょう。


たいはいいな

甘い匂いが嬉しいのです

私の古里は遠い四国の海辺

そこには父もあり母もあり

家も垣根も井戸も樹木も


ねえ、小僧さん!

お江戸日本橋のマークのはいった

大きな広告を張って下さい

嬉しさをもたない父母が

どんなに喜んで遠い近所にふいちょうして歩く事でしょう

──娘があなた、お江戸の日本橋から買って送ってれましたが、まあ一ツお上りなして

ハイ……。


信州の山深い古里を持つかの女も

茶色のマントをふくらませ

いつもの白い歯で叫んだのです。

──明日は明日の風が吹くから、ありったけの銭で買って送りましょう……。

小僧さんの持っている木箱には

さつまあげ、さけのごまふり、鯛の飴干あめぼ


二人は同じような笑いを感受しあって

日本橋に立ちました。


日本橋! 日本橋!

日本橋はよいところ

白い鴎が飛んでいた。


二人はなぜか淋しく手を握りあって歩いたのです。

ガラスのように固い空気なんて突き破って行こう

二人はどん底の唄をうたいながら

気ぜわしい街ではじけるように笑いあいました。


 私はなつかしい木箱の匂いを胸に抱いて、国へのお歳暮を愉しむ思いだった。


(十二月×日)

「今夜は、庄野さんが遊びに来てよ、ひょっとすると、貴女の詩集位は出してくれるかもわからないわね。新聞をやっているひとの息子ですってよ……」

 たいさんがそんなことを云った。たいさんと二人で夕飯を食べ終ると、二人は隣の部屋の、軍人上りの株屋さんだと云う、子持ちの夫婦者のところへまねかれて遊びに行く。「貴女達は呑気ですね。」たいさんも私もニヤニヤ笑っている。お茶をよばれながら、三十分も話をしていると庄野さんがやって来た。インバネスを着て、ぞろりとした恰好だ。この人は酔っぱらっているんじゃないかと思う程クニャクニャしたからだつきをしていた。でも人の良さそうな坊ちゃんである。こんな人に詩集を出して貰ったって仕様がない。私は菓子を買って来た。炬燵こたつにあたって三人で雑談をする。やがて、飯田さんと山本さん二人ではいって来る、ただならない空気だ。

 飯田さんがたい子さんにおこっている。飯田さんは、たい子さんの額にインキ壺を投げつけた。唾が飛ぶ。私は男への反感がむらむらと燃えた。「何をするんですッ。又、たい子さんもどうしたのッ、これは……」たいさんは、流れる涙をせぐりあげながら話した。「飯田にいじめられていると、山本のいいところが浮んで来るの、山本のところへ行くと、山本がものたりなくなるのよ。」「どっちをお前は本当に愛しているのだ?」私は二人の男がにくらしかった。

「何だ貴方達だって、いいかげんな事をしてるじゃないのッ!」

「なにッ!」

 飯田さんは私を睨む。

「私は飯田を愛しています。」

 たい子さんはキッパリ云い切ると、飯田さんをジロリと見上げていた。私はたいさんが何故なぜか憎らしかった。こんなにブジョクされてまでもあんなひとがいいのかしら……山本さんはどぶへ落ちた鼠のようにしょんぼりすると、蒲団は僕のものだから持ってかえると云い出した。すべてが渦のようである。──やがて何時の間にか、たい子さんはいち早く山田清三郎氏のところへ逃げて行った。私はブツブツ云いながら三人の男たちと外に出た。カフエーにはいって、酒を呑む程に酔がまわる程に、四人はますますくだらなく落ちこんで来る。庄野さんは私に下宿に泊れと云った。蒲団のない寒さを思うと、私は何時の間にか庄野さんと自動車に乗っていた。舌たらずのギコウにまけてなるものか。私は酒に酔ったまねは大変上手です。二人はフトンの上に、二等分に帯をひっぱって寝た。

「山本君だって飯田君だってたいさんだって、あとで聞いたら関係があると云うかも知れないね。」

「云ったっていいでしょう。貴方も公明正大なら、私も公明正大ね、一夜の宿をしてくれてもいいでしょう。蒲団がなけりゃ仕様がないもの。」

 私は、私に許された領分だけ手足をのばして目をとじた。たいさんも宿が出来たかしら……目頭に熱い涙がいてくる。

「庄野さん! 明日起きたら、御飯を食べさせて下さいね、それからお金もかしてね、働いて返しますから……」

 私は朝まで眠ってはならないと思った。男のコウフン状態なんて、政治家と同じようなものだ、駄目だと思ったらケロリとしている。明日になったら、又どっかへ行くみちをみつけなくてはいけないと思う。


(十二月×日)

 ゆかいな朝である。一人の男に打ち勝って、私は意気ようようと酒屋の二階へ帰ってきた。たいさんも帰っていた。畳の上では何か焼いた跡らしく、点々と畳が焦げていて、たいさんの茶色のマントが、見るもむざんに破られていた。

「庄野さんとこへ昨夜泊ったのよ。」

 たいさんはニヤリと笑っていた。いやな笑いかたである。思うように思うがいいだろう。私はもう捨てばちであった。たいさんはいいひとが出来たと云った。そして結婚をするかも知れないと云っている。うらやましくて仕様がない。今は只沈黙っていたいと云っていた。淋しかったが、たいさんの顔は何か輝いていて幸福そうだ。みじめな者は私一人じゃないか。私はくず折れた気持ちで、片づけているたい子さんの白い手をんやりながめていた。


        *


(二月×日)

 黄水仙の花には何か思い出がある。窓をあけると、隣の家の座敷に燈火がついていて、二階から見える黒い卓子の上には黄水仙が三毛猫のように見えた。階下の台所から夕方の美味おいしそうな匂いと音がしている。二日も私は御飯を食べない。しびれた体を三畳の部屋に横たえている事は、まるで古風なラッパのようにほこりっぽく悲しくなってくる。生唾なまつばが煙になって、みんな胃のふへ逆もどりしそうだ。ところで呆然としたこんな時の空想は、まず第一に、ゴヤの描いたマヤ夫人の乳色の胸の肉、頬の肉、肩の肉、酸っぱいような、美麗なものへ、豪華なものへの反感が、ぐんぐん血の塊のように押し上げて来て、私の胃のふは旅愁にくれてしまった。いったい私はどうすれば生きてゆけるのだ。

 外へ出てみる。町には魚の匂いが流れている。公園にゆくと夕方の凍った池の上を、子供達がスケート遊びをしていた。固い御飯だってかまいはしないのに、私は御飯がたべたい。荒れてザラザラした唇には、上野の風は痛すぎる。子供のスケート遊びを見ていると、妙に切ぱ詰った思いになって涙が出た。どっかへ石をぶっつけてやりたいな。耳も鼻も頬もあかくした子供の群れが、束子たわしでこするようにキュウキュウ厭な音をたてて、氷の上をすべっていた。──一縷いちるの望みを抱いて百瀬さんの家へ行ってみる。留守なり。知った家へ来て、寒い風に当る事は、腹がへって苦しいことだ。留守居の爺さんに断って家へ入れて貰う。古呆けて妖怪じみた長火鉢の中には、突きさした煙草の吸殻がねぎのように見えた。壁に積んである沢山の本を見ていると、なぜだか、舌に唾が湧いて来て、この書籍の堆積たいせきが妙に私を誘惑してしまう。どれを見ても、カクテール製法の本ばかりだった。一冊売ったらどの位になるのかしら、支那蕎麦そばに、てんどんに、ごもく寿司、盗んで、すいている腹を満たす事は、悪い事ではないように思えた。火のない長火鉢に、両手をかざしていると、その本の群立が、大きい目玉をグリグリさせて私をわらっているように見える。障子の破れが奇妙な風の唄をうたっていた。ああ結局は、硝子ガラス一重さきのものだ。果てしもなく砂におぼれた私の食慾は、風のビンビン吹きまくる公園のベンチに転がるより仕ようがない。へへッとにかく、二々が四である。たった一枚のこっている、二銭銅貨が、すばらしく肥え太ったメン鶏にでも生れかわってくれないかぎり、私の胃のふは永遠の地獄だ。歩いていけはたから千駄木町に行った。恭ちゃんの家に寄ってみる。がらんどうな家の片隅に、恭ちゃんも節ちゃんも凸坊も火鉢にかじりついていた。うような気持ちで御飯をよばれる。口一杯に御飯を頬ばっている時、節ちゃんが、何か一言優しい言葉をかけてくれたのでやみくもに涙があふれて困ってしまった。何だか、胸を突き上げる気持ちだった。口のなかの飯が、古綿のように拡がって、火のような涙が噴きこぼれてきた。塩っぱい涙をくくみながら、声を挙げて泣き笑いしていると、凸坊が驚いて、玩具おもちゃをほおり出して一緒に泣き出してしまった。

「オイ! 凸坊! おばちゃんに負けないでもっともっと大きい声で泣け、遠慮なんかしないで、汽笛の様な大きな声で泣くんだよ。」

 恭ちゃんが凸坊の頭を優しく叩くと、まるで町を吹き流してくるじんたのクラリオネットみたいに、凸坊は節をつけて大声をあげて泣いた。私の胸にはおかしく温かいものが矢のように流れてくる。


「時ちゃんて娘どうして?」

「月初めに別れちゃったわ、どこへ行ったんだか、仕合せになったでしょう……」

「若いから貧乏に負けっちまうのよ。」

 私は赤い毛糸のシャツを二枚持っているから、一枚を節ちゃんに上げようと思った。節ちゃんの肌が寒そうだった。寝転んで、天井をにらんでいた恭ちゃんがこの頃つくった詩だと云って、それを大きい声で私に朗読してくれた。激しい飛び散るようなその詩を聞いていると、私一人の飢えるとか飢えないとかの問題が、まるでもう子供の一文菓子のようにロマンチックで、感傷的で、私の浅い食慾を嘲笑ちょうしょうしているようである。まさしく盗む事も不道徳ではないと思えた。帰って今夜はいいものを書こう。コウフンしながら、楽しみに私は夜風の冷たい町へ出て行った。


星がラッパを吹いている。

突きさしたら血が吹きこぼれそうだ

破れ靴のように捨てられた白いベンチの上に

私はまるで淫売婦のような姿態で

無数の星の冷たさを眺めている。

朝になれば

あんな光った星は消えてしまうじゃありませんか

誰でもいい!

思想も哲学もけいべつしてしまった、白いベンチの女の上に

臭い接吻でも浴びせて下さいな

一つの現実は

しばし飢えを満たしてくれますからね。


 家に帰る事が、むしょうに厭になってしまった。人間の生活とは、かくまでも侘しいものなのか! ベンチに下駄をぶらさげたまま横になっていると、星があんまりまぶしい。星は何をして生きているのだろう。

 星になった女! 星から生まれた女! 頭がはっきりする事は、風が筒抜けで馬鹿のように悲しくなるだけだ。夜更け、馬に追いかけられた夢を見た。隣室の唸り声頭痛し。


(二月×日)

 朝から雪混りの雨が降っている。寝床で当にならない原稿を書いていると、十子が遊びに来てくれた。

「私、どこへも行く所がなくなったのよ、二三日泊めてくれない?」

 羽根のもげたこおろぎのような彼女の姿態から、押花のような匂いをかいだ。

「二三日泊めることは安いことだけれど、お米も何もないのよ、それでよかったら何日でも泊っていらっしゃい。」

「カフエーのお客って、みんなジュウみたいね、鼻のさきばかり赤くしていて、真実なんかと云うものは爪のあかほどもありやしないんだから……」

「カフエーのお客でなくったって、いま時、物々交換でなくちゃ……この世の中はせち辛いのよ。」

「あんなところで働くのは、体より神経の方が先に参っちゃうわね。」

 十子は、帯を昆布こぶ巻きのようにクルクル巻くと、それを枕のかわりにして、私の裾に足を延ばして蒲団へもぐり込んで来た。「ああ極楽! 極楽!」すべすべと柔かい十子のふくらはぎに私の足がさわると、彼女は込み上げて来る子供の様な笑い声で、何時いつまでもおかしそうに笑っていた。

 寒い夜気に当って、硝子ガラス窓が音を立てている。家を持たない女が、寝床を持たない女が、可愛らしい女が、安心して裾にさしあって寝ているのだ。私はたまらなくなって、飛びおきるなり火鉢にドンドン新聞をまるめていた。

「どう? 少しは暖かい?」

「大丈夫よ……」

 十子は蒲団を頬までずり上げると、静かに息を殺して泣き出していた。

 午前一時。二人で戸外へ出て支那そばを食べた。朝から何もたべていなかった私は、その支那そばがみんな火になってしまうようなおいしい気持ちがした。炬燵がなくても、二人で蒲団にはいっていると、平和な気持ちになってくる。いいものを書きましょう、努力しましょう……。


(二月×日)

 朝六枚ばかりの短篇を書きあげる。この六枚ばかりのものを持って、雑誌社をまわることは憂鬱になって来た。十子は食パンを一斤買って来てくれる。古新聞を焚いて茶をわかしていると、暗澹あんたんとした気持ちになってきて、一切合切が、うたかたのあわよりはかなく、めんどくさく思えて来る。

「私、つくづく家でも持って落ちつきたくなったのよ、風呂敷一ツさげて、あっちこっち、カフエーやバーをめがけて歩くのは心細くなって来たの……」

「私、家なんかちっとも持ちたくなんぞならないわ。このまま煙のように呆っと消えられるものなら、その方がずっといい。」

「つまらないわね。」

「いっそ、世界中の人間が、一日に二時間だけ働くようになればいいとおもうわ、あとは野や山に裸で踊れるじゃないの、生活とは? なんて、めんどくさい事考えなくてもいいのにね。」

 階下より部屋代をさいそくされる。カフエー時代に、私に安ものの、ヴァニティケースをくれた男があったけれど、あの男にでも金をかりようかしらと思う。

「あああの人? あの人ならいいわ、ゆみちゃんに参っていたんだから……」

 ハガキを出してみる、神様! こんな事が悪い事だとお叱り下さいますな。


(二月×日)

 思いあまって、夜、森川町の秋声しゅうせい氏のお宅に行ってみた。国へ帰るのだと嘘を言って金を借りるより仕方がない。自分の原稿なんか、頼む事はあんまりはずかしい気持ちがするし、レモンを輪切りにしたような電気ストーヴが赤く愉しく燃えていて、部屋の中の暖かさは、私の心と五百里位は離れている。さいと云う雑誌の同人だと云う、若い青年がはいって来た。名前を紹介されたけれども、秋声氏の声が小さかったので聞きとれなかった。金の話も結局駄目になって、後で這入って来た順子さんの華やかな笑い声に押されて、青年と私と秋声氏と順子さんと四人は戸外に散歩に出て行った。

「ね、先生! おしるこでも食べましょうよ。」

 順子さんが夜会巻き風な髪に手をかざして、秋声氏の細い肩にもたれて歩いている。私の心は鎖につながれた犬のような感じがしないでもなかったけれど、非常に腹がすいていたし、甘いものへの私の食慾はあさましく犬の感じにまでおちこんでしまっていたのだ。誰かに甘えて、私もおしる粉を一緒に食べる人をさがしたいものだ。四人は、燕楽軒えんらくけんの横の坂をおりて、梅園と云う待合のようなおしる粉屋へはいる。黒い卓子について、つまみのしその実を噛んでいると、ああ腹いっぱいに茶づけが食べてみたいと思った。しる粉屋を出ると、青年と別れて私達三人は、小石川の紅梅亭と云う寄席よせに行った。賀々寿々かがすずの新内と、三好さんこうの酔っぱらいに一寸ちょっと涙ぐましくなっていい気持ちであった。少しばかりの金があれば、こんなにも楽しい思いが出来るのだ。まさか紳士と淑女に連れそって来た私が、お茶づけを腹いっぱい食いたい事にお伽噺とぎばなしのような空想を抱いていると、いったい誰が思っているだろう。順子さんは寄席も退屈したと云う。三人は細かな雨の降る肴町さかなまちの裏通りを歩いていた。

「ね、先生! 私こんどの女性の小説の題をなんてつけましょう? 考えて見て頂戴な。流れるままには少しチンプだから……」

 順子さんがこんな事を云った。団子坂のエビスで紅茶を呑んでいると、順子さんは、寒いから、何か寄鍋よせなべでもつつきたいと云う。

「あなた、どこか美味いところ知ってらっしゃる?」

 秋声氏は子供のように目をしばしばさせて、そうねとおっしゃったきりだった。やがて、私は、お二人に別れた。二人に別れて、やがて小糠雨こぬかあめを羽織に浴びながら、団子坂の文房具屋で原稿用紙を一じょう買ってかえる。──八銭也──体中の汚れた息を吐き出しながら、まるで尾を振る犬みたいな女だったと、私は私を大声あげて嘲笑あざわらってやりたかった。帰ったら部屋の火鉢に、切り炭がはじけていて、カレーの匂いがぐつぐつあわをふいていた。見知らない赤いメリンスの風呂敷包みが部屋の隅に転がっていて、新らしい蛇の目の傘がしっとりと濡れたまま縁側に立てかけてあった。隣室では又今夜も秋刀魚さんまだ。十ちゃんの羽織を壁にかけていると、十ちゃんが笑いながら梯子はしご段を上って来て、「お芳ちゃんがたずねて来てね、二人でいま風呂へ行ったのよ。」と云った。皆カフエーの友達である。この女はどこか、はなぶさ百合子に似ていて、肌の美しい女だった。「十ちゃんも出てしまうし、面白くないから出て来ちゃったわ、二日程泊めて下さいね。」まるで綿でも詰っているかの様に大きなまげなしの髪をセルロイドのくしでときつけながら、「女ばかりもいいものね……時ちゃんにこの間逢ってよ。どうも思わしくないから、又カフエーへ逆もどりしようかって云ってたわ。」お芳さんが米も煮えているカレーも買ってくれたんだと云って、十子がかいがいしく茶ブ台に茶碗をそろえていた。久し振りに明るい気持ちになる。敷蒲団がせまいので、昼夜帯ちゅうやおびをそばに敷いて、私が真中、三人並んで寝る事にした。何だか三畳の部屋いっぱいが女の息ではち切れそうな思いだった。高いところからおっこちるような夢ばかり見るなり。


(二月×日)

 新聞社に原稿をあずけて帰って来ると、ハガキが一枚来ていた。今夜来ると云う、あの男からの速達だった。十ちゃんも芳ちゃんも仕事を見つけに行ったのか、部屋の中は火が消えたように淋しかった。あんな男に金を貸してくれなんて言えたものではないではないか……、十ちゃんに相談をしてみようかと思う……、妙に胸がさわがしくなってきた。あのヴァニティケースだってほてい屋の開業日だって云うので、物好きに買って来た何割引かのものなのだ。そうして、偶然に私の番だったので、くれたようなものであろう。路傍の人以外に何でもありはしないではないの。あんなハガキ一本で来ると云う速達をみて気持ち悪し。その人はもうかなりな年であったし、私は歯がズキズキする程胸さわがしくなってしまった。夜。──あられまじりの雪が降っていた。女達はまだ帰って来ない。雪を浴びた林檎りんごの果実籠をさげて、ヴァニティケースをくれた男が来る。神様よ笑わないで下さい。私の本能なんてこんなに汚れたものではないのです。私は沈黙だまって両手を火鉢にかざしていた。「いい部屋にいるんだね。」この男は、まるでめかけの家へでもやって来たかの如く、オーヴァをぬぐと、近々と顔をさしよせて、「そんなに困っているの……」と云った。

「十円位ならいつでも貸してあげるよ。」

 暗いガラス戸をかすめて雪が降っている。私の両手を、男は自分の大きい両手でパンのようにはさむと、アイマイな言葉で「ね!」と云った。私はたまらなく汚れた憎しみを感じると、涙を振りほどきながら、男に云ったのだ。

「私はそんなンじゃないんですよ。食えないから、お金だけ貸してほしかったのです。」

 隣室で、細君のクスクス笑う声が聞えている。

「誰です! 笑っているのは……笑いたければ私の前で笑って下さい! かげでなぞ笑うのはして下さい!」

 男の出て行った後、私は二階から果物籠を地球のように路地へほうり投げてしまった。


        *


(二月×日)

 私は私がボロカス女だと云うことに溺れないように用心をしていた。街を歩いている女を見ると、自分のみっともなさを感じないけれども、何日も食えないで、じっと隣室の長閑のどかな笑い声を聞いていると、私は消えてなくなりたくなるのだ。死んだって生きていたって不必要な人間なんだと考え出してくると、一切合切がグラグラして来て困ってしまう。つかみどころなき焦心、私の今朝の胃のふが、菜っぱ漬けだけのように、私の頭もスカスカとさみしい風が吹いている。極度の疲労困憊こんぱいは、さながら生きているミイラのようだ。古い新聞を十度も二十度も読みかえして、じっと畳に寝ころんでいる姿を、私はそっと遠くに離れて他人ひとごとのように考えている。私の体はいびつ、私のこころもいびつなり。とりどころもない、燃えつくした肉体、私はもうどんなに食えなくなってもカフエーなんかに飛び込む事はめましょう。どこにも入れられない私の気持ちに、テラテラまがいものの艶ぶきをかけて笑いかける必要はないのだ。どこにも向きたくないのなら、まっすぐ向うを向いていて飢えればいいのだ。


 夜。

 利秋君が、富山の薬袋に米を一升持って来てくれる。この男には、何度も背負い投げを食わしたけれど、私はこんなアナキストは嫌いなのだ。「貴女が死ぬほど好きだ。」と言ってくれたところで、大和館でのように、朝も晩も朝も晩も遠くから私を監視している状態なんて、私の好かないところです。

「もう当分御飯を食べる事を休業しようかと思っていますのよ。」

 私は固く扉を閉ざしてかぎをかけた。少しばかり腹を満たしたいために、不用な渦を吸いたくなかった。頭の頂天まで飢えて来ると鉄板のように体がパンパン鳴っているようで、すばらしい手紙が書きたくなってくる。だが、私はやっぱり食べたいのです。ああ私が生きてゆくには、カフエーの女給とか女中だなんて! 十本の指から血がほとばしって出そうなこの肌寒さ……さあカクメイでも何でも持って来い。ジャンダークなんて吹っ飛ばしてしまおう。だがとにかく、何もかもからっぽなのだ。階下の人達が風呂へ行ってる隙に味噌汁を盗んで飲む。神よわらい給え。あざけり給えかし。

 あああさましや芙美子消えてしまえである。

 働いていても、自分には爪の垢ほども食べるたしにはならないなんて、今までの生活くらしむきは、細く長くだった。ああ一円の金で私は五日も六日も食べていった事があった。死ぬる事なんていつも大切に取っておいたのだけれど、明日にも自殺しようかと考えると、私はありったけのぼろくずを出して部屋にばらまいてやった。生きている間の私の体臭、なつかしやいとしや。疲れてドロドロに汚れた黒いメリンスのえりに、垢と白粉おしろいが光っている。私は子供のように自分の匂いをかぎました。この着物で、むかし、私はあのひとに抱かれたのです。あの思い! この思い! あおざめて血の上って来る孤独の女よ、むねを抱いた両手の中には、着物や帯や半衿のあらゆる汚れから来る体臭のモンタージュなり。

 私はこのすばらしいエクスタシイを前にして、誰に最後の嘲笑ちょうしょうさるべき手紙を書こうかと思った。Aにか、Bにか、Cにか……。シャックリの出る私の人生観を一寸匂わしてね。面白い興奮だと思う。「ね、こんなに、私は貴方を愛しているのに……」古新聞の上に散らかった広告の上には、一寸面白いサラダとビフテキのような名前がのっていた。三上於菟吉おときちなんて一寸エネルギッシュでビフテキみたいたが、これも面白い。吉田絃二郎げんじろうなんて、菜っぱと小鳥みたいなエトランゼ。私は二人へ同じ文章を書いてみようと思った。


海ぞいの黍畑きびばたけ

何の願いぞも

固き葉の颯々さっさつと吹き荒れて

二十五の女は

真実命を切りたき思いなり

真実死にたき思いなり


伸びあがり伸び上りたる

玉蜀黍とうもろこしはかなや実が一ツ


 ああこんな感傷を手紙の中にいれる事は止めましょう。イサベラ皇后様がコロンブスを見つけた興奮で、私のペン先はもうしどろもどろなのだ。ああソロモンの百合の花に、ドブドブと墨汁をなすりつけ給え!


(二月×日)

 朝、冷たい霧雨が降っていた。晩あたりは雪になるかも知れない。久しく煙草も吸わない。この美しい寝ざめを、ああ石油の匂いのプンプンする新らしい新聞が読みたいものだと思う。

 隣室のにぎやかな茶碗の音、我に遠きものあり。昨夜書いた二通の手紙、私は薄っすりとした笑いを心に感じると、何もかも、馬鹿くさい気がしてしまった。だけどまあ、人生なんてどっちを見ても薄情なものだ。真実めかして……ところで、問題は私の懐中に三銭の銅貨があることである。この三銭のお金にセンチメンタルを送ってもらうなんて事は、向う様に対してボウトクだけれど、十銭玉で七銭おつりを取るヨユウがあったら、私はこの二通の手紙を書かないで済んだかも知れないのだ──。日本綴りのボロボロになった「一茶句集」を出して読むなり。


きょうの日も棒ふり虫よ翌日あすも又

故郷ははえまで人をさしにけり

思うまじ見まじとすれど我家かな


 一茶は徹底した虚無主義者だ。だけど、いま私は飢えているのです。この本がいくらにでも売れないかしら。──寝たっきりなので、体をもち上げるとポキポキ骨が鳴ってくる。指で輪をこしらえて、私の首を巻いてみると、おいたわしや私の動脈は別に油をさしてやらないのに、ドクドク澄んだ音で血が流れを登っている。尊しや。


 二通の手紙。ドッチヲサキニダシマショウカ。何と他愛もない事なのだろう。吉田氏へ手紙を出す事にきめる。さて、音のしなくなった足をふみしめて街に出てみるなり。

 湯島天神に行ってみた。お爺さんが車をぶんぶんまわして、桃色の綿菓子をつくっていた。あるかなきかの桃色の泡が真鍮しんちゅうおけの中からいて出てくると、これが霧のような綿菓子になる。長い事草花を見ない私の眼には、まるでもう牡丹ぼたんのように写ります。「おじいさん! 二銭頂戴。」子供の頭ぐらいの大きい綿菓子を私はそっと抱いた。誰もいない石のベンチでこれを食べよう。綿菓子を頬ばって、思うまじ見まじとすれど我家かな、漠然とこんな孤独を愛する事もいいではありませんか。

「おじいさん、三銭下さいな。」

 あえなくも菜っぱと小鳥の感傷が、桃色の甘い綿菓子に変ってしまった。何と愛すべき感傷であろう。私の聯想れんそうは舌の上で涙っぽい砂糖に変ってしまった。しっかりと目をつぶって、切手をはらない吉田氏への手紙をポストに投げる。新潮社気付で送ったけれど、一笑されるかもしれない。三上氏への手紙は破る。とても華やかに暮している人に、こんな小さな現実なんて、消えてなくなるかも知れないもの──。身近にある人の事なんか妙にかすんでしまってくる。綿菓子のじいさんは、この寒空に雨が煙っているのに、何時までもガラガラと真鍮の車をまわしていた。ベンチに腰をかけて雨を灰のようにかぶって綿菓子をなめている女、その女の眼には遠い古里と、お母さんと男のことと、私のかんがえなんて、こんなくだらない郷愁しかないのだ!


(三月×日)

 昼夜帯と本を二三冊売って二円十銭つくる。本屋さんが家までついて来て云う事には、「お家さえ判っておりませば、又頂きに上ります。」どういたしまして、私の押入れの中はマニア作家の頭のように、がらくたばかりですよ。

 昼。

 浅草へ行った。浅草はちっぽけな都会心から離れた楽土です。そんなことをどっかの屋根裏作家が云いました。浅草は下品で鼻もちがならぬとね。どのお方も一カ月せっせと豚のように食っているものだから、頭ばかり厖大ぼうだいになって、シネマとシャアローとエロチックか、顔を鏡にてらしあわせてとっくりとよくお考えの程を……ところで浅草のシャアローは帽子を振って言いました。「地上のあらゆるものを食いあきたから、こんどは、空を食うつもりです。」浅草はいいところだと思うなり。灯のつき始めた浅草の大提灯おおぢょうちんの下で、私の思った事は、この二円十銭で朗かな最後をつくしましょう。と云うことだ……何だか春めかしい宵なり、線香と女の匂いが薫じて来ます。雑沓ざっとうの流れ。──公園劇場の前に出てみると、水谷八重子の一座の旗の中に、別れたひとの青い旗が出ている。これは面白い。他人よりも上品にかぎの締ったあの男と私の間、すべてはお静かにお静かにと永遠に歳月が流れています。裏口からまわって、楽屋口の爺さんに尋ねてみるとつんけんした面がまえだった。廊下はいっぱい食物の皿小鉢で、お姫様も女学生も雑居のありさまなり。ゆがんだ硝子窓に立てかけた鏡が二ツ、何年か前の見覚えのある黒いかばんが転がっていた。

「ヤア!」

 楽屋へ坐っていると、下男風な丁髷ちょんまげをのっけた男がはいって来た。

「随分御無沙汰しています。」

「お元気でしたか。」

 浅草の真中の劇場の中で久し振りに、私は別れた男の声を聞いた。

「芝居でも見ていらっしゃい、一役すんだら私のは済むんだからお茶でも飲みましょう!」

「ええ、ありがとう、奥さんもいま一緒に何かっているんですか?」

「あああれ! 死にましたよ、肺炎で。」

 あんなにも憎しみを持って別れた女優の顔が、遠くに浮んで、私はしばらくは信じられなかった。この男はとても真面目な顔をして嘘をついたから……。

「嘘でしょう。」

「貴女に嘘なんかついたって仕様がないもの、前々から体は弱かったのね。」

「本当ですか? 気の毒な……顔をつくって下さいな、私初めて貴方の楽屋を見たの。楽屋の中って随分淋しいもんね。」

 男と話していると、背の高い若侍が、両刀をたばさんではいって来る。

「ああ紹介しましょう、この人は宮島資夫すけお君の弟さんでやっぱり宮島さんと云うひとです。」

 このひとはきっちりと肉のしまった、青年らしい肩つきをしていた。──随分、この男も年をとったとも思えるし、鞄の中から詩稿なぞを出しているのを見ると、この人が役者である事が場違いのような気がして仕方がない。体だって肥っているし、それに年をとって、若い渋味のない声だし、こんな若い人達ばかりの間に混って芝居なんかしているのが、気の毒に思えて仕方がなかった。私はこの男と田端に家を持った時、初めて肩上げをおろしたのを覚えている。「僕の芝居を見て下さい、そして昔のように又悪口たたかれるかな。」私は名刺をもらうと楽屋口から外へ出た。今さらあの男の芝居を見たところでしようがないし、だが、大きな雨がひとしずく私の頬にかかってきたので、あわてて小屋へはいるなり。舞台はバテレン信徒を押し込めてある牢屋ろうやの場面で、八重子の華魁おいらんや、牢番や、侍が並んでいる。桜がランマンと舞台に咲いている。そして舞台には小鳥が鳴いていた。長い愚にもつかない芝居である。私は舞台を眺めながら色んな事を考えていた。「バテレンよゼウスよ!」あのひとは一寸声が大きすぎる。私は耳をふさいであの男の牢屋の中の話を聞いていた。八重子の美しい華魁が牢の外に出ると、観客は湧き立って拍手を送っていた。美しい姿ではあるけれども、何か影のない姿である。私は退屈して外へ出てしまった。あのひとは「お茶でも一緒に飲みましょう。」と言ったけれど、縁遠いものをいつまでも見ていなくてはならないなんて、渦は一切吸わぬ事だ──。薬屋をみつけては、小さいカルモチンの箱を一ツずつ買う。死ねないのならば、それでもいいし、少し長く眠れるなんて、幸福な逃げ道ではないか、すべては直線に朗かに。


(三月×日)

 五色のテープがヒラヒラ舞っていた。

 どこかで爆竹の弾ける音がすさまじく耳のそばでしている。飛行機かしら、モータボートかしら……私の錯覚から、白い泡を飛ばしている海の風景が空の上に見えてきました。銀色の燈台が限の底に胡麻粒ごまつぶ程に見えたかと思うと、こんどはまるで象の腹のようなものが眼の中じゅうに拡がって、私はずしんずしん地の底に体をゆりさげられているようだった。十子が私の裸の胸に手拭を当ててくれている。私はどうしても死にたくないと思った。眼をあけると、まぶたに弾力がなくて、扇子をたたむようにくぼんで行く。私は死にたくない……。「若布わかめかまぼこのてんぷらと、お金が五円きていますよ。」私は瞼を締める事が出来なかった。耳の中へゴブゴブ熱い涙がはいって行く。枕元で、はさみをつかいながら十子が、母さんのところから送って来た小包をあけてくれた。お母さんが五円送ってくれるなんて、よっぽどの事だと思う。階下の叔母さんがかゆをたいて持って来てくれた。気持ちがよくなったら、この五円を階下へあげて、下谷の家を出ようと思う。

「洗濯屋の二階だけれどいいところよ、引越さない?」

 私は生きていたい。死にそくないの私を、いたわってくれるのは男や友人なんかではなかった。この十子一人だけが、私の額をなでていてくれている。私は生きたい。そして、何でもいいから生きて働く事が本当の事だと思う──。


 私は生きる事が苦しくなると、故郷というものを考える。死ぬる時は古里で死にたいものだとよく人がこんなことも云うけれども、そんな事を聞くと、私はまた故郷と云うものをしみじみと考えてみるのだ。

 毎年、春秋になると、巡査がやって来て原籍をしらべて行くけれど、私は故郷というものをそのたびに考えさせられている。「貴女のお国は、いったいどこが本当なのですか?」と、人にかれると、私はぐっと詰ってしまうのだ。私には本当は、古里なんてどこでもいいのだと思う。苦しみや楽しみの中にそだっていったところが、古里なのですもの。だから、この「放浪記」も、旅の古里をなつかしがっているところが非常に多い。──思わず年を重ね、色々な事に旅愁を感じて来ると、ふとまた、本当の古里と云うものを私は考えてみるのだ。私の原籍地は、鹿児島県、東桜島、古里温泉場となっています。全く遠く流れ来つるものかなと思わざるを得ません。私の兄弟は六人でしたけれど、私は生れてまだ兄達を見た事がないのです。一人の姉だけには、辛い思い出がある。──私は夜中の、あの地鳴りの音を聞きながら、提灯をさげて、姉と温泉に行った事を覚えているけれど、野天の温泉は、首をあげると星がよく光っていて、島はカンテラをその頃とぼしていたものだ。「よか、ごいさ。」と、云ってくれた村の叔母さん達は、皆、私を見て、他国者と結婚した母を蔭でののしっていたものだ。もうあれから十六七年にはなるだろう。

 夏になると、島には沢山青いゴリがなった。城山へ遠足に行った時なんか、弁当を開くと、裏で出来た女竹めたけの煮たのが三切れはいっていて、大阪の鉄工場へはいっていた両親を、どんなにか私は恋しく思った事です。──冬に近い或る夜。私は一人で門司まで行った記憶もあります。大阪から父が門司までむかいに来てくれると云う事でしたけれど、九ツの私は、五銭玉一ツを帯にくるくる巻いてもらって、帯に門司行きの木札をくくって汽車に乗ったものです。

 肉親とはかくもつれなきものかな! 花が何も咲いていなかったせいか、私は門を出がけに手にさわったひいらぎの枝を折って、門司まで持って行ったのを覚えています。門司へ着くまで、その柊の枝はとても生々していました。門司から汽船に乗ると、天井の低い三等船室の暗がりで、父は水の光に透かしては、私の頭のしらみを取ってくれた。鹿児島は私には縁遠いところである。母と一緒に歩いていると、時々少女の頃の淋しかった自分の生活を思い出して仕方がない。

「チンチン行きもんそかい。」

「おじゃったもはんか。」

 などと云う言葉を、母は国を出て三十年にもなるのに、東京の真中で平気でつかっているのだ。──長い事たよりのなかった私達に、姉が長い手紙をくれて言う事には、「母さん! お元気ですか、いつもお案じ申しています。私はこの春、男の子を産みましたけれど、この五月は初のせっくです、華やかに祝ってやりたくぞんじます。」私はその手紙を見て、どんなにか厭な思いであった。そうして私の心は固く冷たかった。「お母さん! 義理だとか人情だとか、そんな考えだけは捨てて下さい。長い間、私達はどれだけの義理にすがって生きていたのでしょうか、人情にすがっていたのでしょうか、いつも蹴とばされ、はねられどおしで三人はこれまで来たのですよ。私は赤ん坊に祝ってやる事をおしんでいるのではないのですけれども、覚えていますかお母さん!」困って、最後に、りすがった気持ちで、私は昔姉に借金の手紙を出した事がある。すると姉からの返事は、私はお前を妹だとは思ってやしない。私をそだててくれもしない母親なんてありようがないのだし、私はお前にどんな事をする義務があるのです。遠い旅空で、たった十円ばかりの金に困る貴女達親子の苦しみは、それは当り前のことですよ。故郷や、子供を捨てて行く親の事を思うと、私は鬼だと思っているくらいです。以後たよってはくれぬように──。それ以後、この世の中はお父さんとお母さんと私の三人きりの世界だと思った。どんなに落ちぶれ果てても、幼い私と母を捨てなかったお父さんの真実を思うと、私はせいいっぱいの事をして報いたく思っている。姉の気持ち、私の気持ち、これを問題にするまでもなく数千里の距離のある事だ。だのに、華やかに赤ん坊を祝ってほしい何年ぶりかの姉の手紙をみて、母は何か送って祝ってやりたいようであった。──だが私は今でもあの姉の手紙を憎んでいる。どんなにか憎まずにはいられないのだ。本当に憎んでいるのだ。──いまだかつて温かい言葉一つかけられなかった古里の人たちに、そうして姉に、いまの母は何かすばらしい贈物をしておどろかせたいと思っているらしい。「お母さん! この世の中で何かしてみせたい、何か義理を済ませたいなんて、必要ではないではありませんか。」と私はおこっているのであった。ああだけど、母のこの小さな願いをかなえてやりたいとも思う。私は何と云うひねくれ者であろうか、長い間のニンタイが、私を何も信じさせなくしてしまいました。肉親なんて犬にでも喰われろと云った激しい気持ちになっている。


ああ二十五の女心の痛みかな

遠く海の色透きて見ゆる

黍畑きびばたけに立ちたり二十五の女は

玉蜀黍とうもろこしよ、玉蜀黍

かくばかり胸の痛むかな

二十五の女は海を眺めて只呆然となり果てぬ。


一ツ二ツ三ツ四ツ

玉蜀黍の粒々は、二十五の女の侘しくも物ほしげなる片言なり

蒼い海風も

黄いろなる黍畑の風も

黒い土の吐息も

二十五の女心を濡らすかな。


海ぞいの黍畑に立ちて

何の願いぞも

固き葉の颯々と吹き荒れるを見て

二十五の女は

真実命を切りたき思いなり

真実死にたき思いなり


伸びあがり伸びあがりたる

玉蜀黍は儚なや実が一ツ

ここまでたどりつきたる二十五の女の心は

真実男はいらぬもの

そは悲しくむずかしき玩具ゆえ


真実世帯に疲れるとき

生きようか、死のうか

さても侘しきあきらめかや

真実友はなつかしけれど一人一人の心故……


黍の葉の気ぜわしいやけなそぶりよ

二十五の女心は

一切を捨て走りたき思いなり

片眼をつむり片眼をひらき

ああすべもなし男も欲しや旅もなつかし

ああもしようと思い

こうもしようと思う……

おだまきの糸つれづれに

二十五の呆然と生き果てし女は


黍畑の畝に寝ころび

いっそ深々と眠りたき思いなり


ああかくばかりせんもなき

二十五の女心の迷いかな。


 これだけがせいいっぱいの、私のいまの生きかたなのです、そしてこの頃の私は、火のような懊悩おうのうが、心を焼いている。さあ! もっと殴って、もっと私をぶちのめして下さい。私は土の崩れるような大きな激情がよせて来ると、何もかもが一切むなしくなりはてて、死ぬる事や、古里の事を考え出してくる。だけど、ナニクソ! たまには一升の米も買いたいと言っていたあの頃の事を考えると、私は自分をほろぼすような悪念を克服してゆく事に努力をしなければなりません。この「放浪記」は、私の表皮にすぎない。私の日記の中には、目をおおいたい苦しみがかぎりなく書きつけてある。


 これからの私は、私の仕事に一生懸命に没入しようと思っている。子供のような天真な心で生きて行きたいと思うけれども、この四五年の私の生活は、体の放浪や、旅愁なんかと云うなまやさしいものではなかった。行くところもないようないまだに苦しい生活の連続でした。私はうんうん唸ってすごして来ました。どこまでが真実なのか、どこまでが嘘なのか、見当もつかない色々なからくりを見て、むかしの何か愉しいものが、もういまは、ほんとうに何もなかったのだと云う淋しさ……。空へのあこがれ、土へのあこがれ、沈黙って遠い姉にも、何か祝ってやってもいいではないかとも思っています。母の弱い気持ちもなごむにちがいないのです。愚にもつかない私のひねくれた気持ちを軽蔑けいべつするがいい。黍畑のあぜに寝ころび、いっそ深々と眠りたき思いなりです。そこで、この頃の私はじっと口をつぐんで、しっかり自分の仕事に没入してゆきたい事がたった一ツの念願であり、ただ一筋の私の行くべき道だと思うようになりました。


 林芙美子と云う名前は、少々私には苦しいものになって来ました。甘くて根気がなくて淋しがりやで。私は一度、この名前をこの世の中からほんとうになくしてしまいたいとさえ考えています。道を歩いている時、雑誌のポスターの中に、「林芙美子」と云う文字を見出す時がある。いったい林芙美子とはどこの誰なのだろうと考えています。街を歩いている私は、街裏の女よりも気弱で、二三年も着古した着物を着て、石突きの長い雨傘を持って、ポクポク道を歩いている。昔の私は、着る浴衣もなくて、紅い海水着一枚で蟄居ちっきょしていた事もある。少しばかり原稿がうれだして来ると、「三万円もたまりましたか?」と訊くひとが出て来たけれども、全くこれは動悸どうきのする話でした。私の家の近くにあぶらやと云う質屋があるけれども、ここのおやじさんだけは、林芙美子と云うのは案外貧乏文士だねと苦笑しているに違いない。

 小都会の港町に生れた赤毛の娘は、そのおいたちのままで、労働者とでも連れ添っていた方が、私にはどんなにか幸福であったかも知れない。今の生活は、私と云うものを、広告のようにキリキザンで方々へ吹き飛ばしているようなものでしょう。生活がまるで中途半端であり、生活が中途半端だからよけいに苦しい。──少しばかり生活が楽になった故、義父も母も呼びよせてはみたけれども、貧しく、あのように一つに共同しあっていた者達の気持ちが、一軒の家に集まってみると、一人一人の気持ちが東や西や南へてんでに背を向けているのでした。皆、円陣をつくって、こちらへ向いて下さいと願っても、一人一人が一国一城のあるじになりすぎているのです。かわやへなぞ這入っていると、思わず涙が溢れる事がある。長い間親達から離れていると、血を呼ぶ愛情はあっても、長い間一ツになって生活しあわないせいか、その愛情と云うものが妙に薄くなってしまっているのを感じている。

 放牧の民のようであった私の一族と云うものが、いまは、一定の土地に落ちついて、私の云う、半安住生活に落ちついている異民族的な集りになりましたけれど、そして、皆々東や西や南へ向って行く気持ちは解るのだけれども、そこに暗雲が渦をなして流れて行くのは、何としてもいなみがたい事だろうと思える。私はなるたけいい生活をして行きたいと思いました。善良な人達である故に、その善良な人達を苦しめたくないと思い、この二三年、幾度となく離れたり集まってみたりもしてみました。打ち割って云えば、母と二人だけで簡素な生活に這入れる事が、ほんとうは一番の理想なのだけれども、仲々そうもゆかない。私の母はフィリップ型の女で、気弱なくせに勝気でその日その日だ。私は長い間、この母親の姿だけを恋い求めていたようです。義父は母よりも若いひとで、色々な曲折はあったけれども二十年もこの養父は母と連れ添っていました。私は自分の作品の中に、この義父の事を大変思いやり深くは書いているけれども、十七八の頃は、この義父をあまり好かなかったようです。だけど、いまは、私もあれから十年も年齢をとりました。私もひとかどの分別がついて来ると、好きとか嫌いと云うよりもまずこの父を気の毒な人であったと思い始め、養父に就いてそんなに心苦しくも思わないのだけれども、母親に対するような愛情のないのは何としても仕方がないと思っています。私は十二三歳の頃から働いていました。両親に送金を始めたのは十七八歳の頃からであったでしょう。不思議にキモノ一つ欲しいとも思わなかったせいか、働くことはあたりまえの事だと思ってわずかながらも私は送金をしていました。

 現在になって、私はどうやら両親を遊ばせておける位になったのだけれども、その日その日を働いて日銭をもうけて来ている人達なので、仲々私につきそって隠居をして来ようとはしない。私から商売の資本を貰っては、今だに小商売を始めて、四五日とたたないですぐ失敗をしているのです。私はこんなことにくたびれ始めました。隠居をして草でもむしっていてくれている方が、私にはうれしいのだけれども、何としても仕方がないのです。皆が別な意味で私をたよりきっているとも云えます。収入と云えば私の「書く」と云う事だけのことで、別にしっかりした安定もないのだ。世に知れている私と云うものは、ふてぶてしくあるかも知れない。酒呑みのようにきこえているかも知れない。だが、私はほんとうは酒も煙草もきらいだ。酒をのむことで気持ちを誤魔化していられるうちは楽だけれども、いまはそんなもので誤魔化しきれなくなってしまいました。皆々あまり善良すぎる人達故に。──私はまた七年前にひそやかながら現在の夫と結婚をしている。義父にはまだ母親がいるし、私から云えば義理の祖母なのだけれども、この祖母の持論は、「お前のお母さんの為めに、私の息子が二十年間も子供もなく、男の一生がだいなしになってしまった。」と云うのであった。だから、結局は恩と云うものを忘れてくれるなと云う事なのだろうけれども、この祖母には月々わずかながら隠居費と云うものも私は送っている。妙に私と云うものが固く皆にたよられているのです。やりきれないとは思いながら、私は自分に出来る間はとも考えて弱くなっています。けれど、私の仕事はマッチ箱をるのやミシンの内職とも違うし、机の前に坐ってさえおれば原稿が金にでもなるようにも思っているらしい家族達に、私のいまの気持ちを正直に云ったところでどうにも始まった事でもないだろうと思います。いっそ、ミシンのペタルでも押して内職した方が楽しみかも知れないのだけれど……。長い間不幸な境遇にあった人達であっただけに、私はこの人達を愛してゆこうと思いました。そうして愛していました。だけど、一旦この小家族の中で波がおきると、母は父の方へよりそって行ってしまって、私はまるであってもなくてもいい存在になってしまう。思いあうよりもまず憎みあう気持ちを淋しく考えます。頭が痛いと云えば薬を飲めばなおってしまうと思っている人達である。

 朝起きて、小さな女中を相手に食膳をととのえ、昼は昼、夜は夜の食事から、米味噌の気づかい、自分の部屋の掃除、洗濯、来客、仲々私の生活も忙がしい。その間に自分のものも書いて行かなければならないのです。自分の作品の批評についても、私は仲々気にかかるし、反省もし、勉強も続けてはいるけれども、時々空虚なものが私を噛みます。梅雨時はとくにうっとうしいせいか、思いきりよく果ててしまいたい気も時にするときがあります。このまま消えてしまったならばせいせいするだろうと云った気持ちが切なのです。だけど、私がいなくなってしまえば、たこの糸が切れたように、家族の者達がキリキリ舞いをしてしまう事を考え始めるとそれも出来ないような思いである。目標を定めたいと思って、頃日けいじつ禅と云うものをやりだしたのだけれども、まだそれも未詳の境地で、自分だけのほんとうの悟りを開くには仲々前途はるかなものがあります。この頃の心のやりばにして、私はウォルター・ペイターを読んでいます。「ウォルター・ペイターは少数の中の特異な芸術家で、我々は彼の生活の中に芸術に対する芸術家の生活の極度の謙譲の例を見出す。彼の生活は、あたかも多量の潮をれるために平かになった満潮時の海のように心の経験が深くなればなる程かえって静まった。」と云う一節があったけれども、心の経験がペイターの日蔭であるならば、ペイターも案外ロマンチストに違いない。だが、そんなところが魅力なのか、ペイター研究は仲々愉しい。ペイターは、また美しく大きな仕事を残して早世した人達を愛し同情していたと云う事でもあるけれど、それにはひどく同感だ。

 何の雑誌であったか、最近松井須磨子の写真を見ました。実に美しかった。精練の美がにじみ出ていた。このひとの老いた顔を、この写真から想像する事は出来ない。霜のように烈々とした美しい写真であった。天才肌のこの様な女の死はひどく勿体もったいなさを感じるけれど、仲々悧巧りこうなひとであったとも考えられる。とくにこのひとが女優であるが故に。──私は、松井須磨子のような美貌も持っていなければ、まして天才でもないのだ。だけど、私は、何かしら老いて行く事をひどく恐れはじめています。肉体のおとろえもさる事ながら、作品の上のおとろえはこれは敗惨と云うにはあまりに辛すぎる気持ちでしょう。

 私はまた一面には台所をたいへん愛しています。家族の者達を愛していることは勿論もちろん。そうして自らこの中で安心して老い朽ちて行く自分を私は瞼をとじて観念しているのだ。

「お前の仕事なぞ大したもンじゃないじゃないか。」言葉の行きがかりで夫の口から時にこの様なことも聞くけれど、あんまり当り過ぎている事を、あまり身近な人間からきかされるので、痛いと云うよりも冷汗が出る思いでした。私の仕事と云えば、色々な夾雑物きょうざつぶつばかりのもので、本当はこれとして澄んだものが一つもない。実際ここまでは来たけれど、ここから道が切れてしまった感じなのです。

 過去に、私はまた一つの恋愛を持っていたこともあるけれど、これにはプレイトニズムではないけれど、私の芸術の中に、「恋をするもののひそかな気息であり、天上の星の音楽である。」と云う言葉のようなものがありました。実に一瞬ではあったけれど、私の絶々たえだえな気持ちによくむち打ってくれるものがありました。その恋愛は、私との愛情がまだ終りをつげないうちにほろんで亡くなってしまいました。この恋愛に破れた時は、生きる自信がなくなってしまったような気持ちでした。だけど、その小さな事件もまた私の過去の月日の中へ流れて行ってしまいましたけれども、私はチエホフの可愛い女のように、何かに寄りすがらなければ生きて行けない女であるらしい。──私は肉親と云うものには信を置かない。他人よりも始末が悪いからだ。働きものだと云うので愛されている事は苦しいことである。苦しいはずだのに、結局はこの人達によりそって大根を刻み人参にんじんを刻んでいるのです。私は最近本を三四冊出しました。一冊は本屋がつぶれて半分しか印税がもらえず、あと三冊の印税は、これで少し雑文を止めて一年位は勉強をしなおすために取っておこうと考えているのだけれども、外国時代の借金や、「これが最後だから」と云う義父の言葉に、小喫茶店位は出せる程のものを分けていたら、またそろそろ私は机の前に坐らなければならなくなりました。税務署からは税金のお達しも来ました。仲々忙がしい私です。自分でもこの気持ちや生活を排斥していながら、死にでもしなければ改正出来そうもないありさまにあきれている。嫌な女の部類です。生活が中途半端だけでなく、心までが中途半端で、自分で自分の気持ちにやりきれなくなる時がある。いまは馬鹿馬鹿しく大きい家にいますけれども、これも私の或る一面の気持ちかも知れません、少し清算して奥床しい家に引越したいものとも考えています。

 私は、書けるだけ書こう。体は割合丈夫だ。その丈夫さがいとわしいのだけれど、仕事をするには、体が健全でなければならないと思っています。果てる時は果てる時だと思っている。大熊長次郎と云う人の歌にこの様なのがある。


静にぞねむらせたまえ

人間の

命死にゆく時のおわりに


 これは、ほのぼのとした歌で、強がっている私を妙に悲しがらせる。実際悲しい時がある。勉強も字を書く事も嫌になってしまう時がある。芝居や映画も久しく疎縁だ。白々しい時は、唇に両手をあててじっとしているに限る。媒介物によって身を終ってしまいたいような、そんな焦々いらいらした日も多いのだけれども、ほんとうはこれからいい仕事をしたいと思っています。「大した仕事じゃないじゃないか。」と云う、その私の大した事でもない仕事に、私はいまなお拘泥して生きているのです。何も大道の真中を行くのばかりが小説でもないと思っている。片隅の小道を通るような、私なりに小さくつつましいものが書きたいと思います。

 どうも、私はこの頃恐怖症にかかっているのかも知れない。人がみなおそろしく思える。訪ねてくれる人より外、私は私の方からは誰も訪ねて行かない。夢をみてもおそろしい。うつつでいても時に後に誰か立っているような錯覚をおこしている。大きな心でいたわりあってくれるものと云えば、もう犬ぐらいのものです。月夜、石の段々に腰をかけていると、犬だけが、私によりそって来ている。私の手からはもう何もなくなってしまいました。本当は月夜の自分の影さえもなつかしいのだけれど……。私の頭の中はいま真空だ。危急なものが流れこんで来そうに思える。その危急なものをまとめてみたいと日夜考えているのだけれども、その正体をつかむまでに至らない。ここまで書いて来て、何度となくこの様なぶちまけを書く事に私は嫌悪をもよおして来たのだけれど……。まアいいとしましょう。

 人にあれこれ云われなくても反省しすぎる位、反省して私は自分の事をさらけだしているつもりだ。この上何の思い出だろう。過去の事は、いじめられる笞にしかすぎない。

 今は、両親とも別居してしまいました。広い家には私は女中と二人で気抜けしたように呆んやりしているけれど、愛してほしいと云う気持ちの母親が、まるで子供みたいに遠く離れていっていますし。──新聞を見ると毎日身上相談と云うものがある。実際女と云うものの身上が、いかに大根おおねがなくて弱々しいのかと笑っていたけれども、私も段々笑えなくなり始めました。

 只、力を出して仕事に熱中し努力したいと思っています。それより他には私には何もなくなったのだ。何かもっと云いたい気もするけれども、心が鬱々としている時、何かはっきり云えない気持ちなのです。──静かな観照、素材の純化、孤独な地域、この様な作品を長年おもっています。そして私の反省は死ぬまで私を苦しめることでしょう。


     第三部


(三月×日)

からすが光る

都会の上にも光る

烏が白く光る

花粉の街 電信柱のいただき

ゆれますよ ゆれてるよ

停るところがない

肺が歌う 短い景色の歌なの。


茶色の雨の中を

私は耳をおさえて歩く

耳が痛い 痛いのよ

雨中の烏が光る

もがきながら飛ぶ

はるかな荒野の風の夢

肺が歌う 短い景色の歌なの。


私は何故歩くのだろう

烏の命数だ

烏のようにどこかで私は生れた

停るところのない夜

光って飛ぶ

自分が光るのではない

四囲の光線がわっと笑うのだ

私の肺が歌う それだけなの……。


独り住いの猫 独り住いの犬

誰もいないみちの石ころ

露が消える

烏の空 光る烏

くぎを抜くようなすべっこい光

よろめき よろめき 只光る烏

肺が歌う 肺だけが歌うだけなのよ。


 二つの肺の袋だけが私のような気かする。郵便がもどって来たので、ああそうかと思う。

 読売新聞に送った「肺が歌う」と云う詩、清水さんと云うお方が長くて載せられぬと云う手紙だ。花柳病の薬の広告はいやにでっかく出ているけれども、貧乏な女の詩は長くて新聞には載せられないのだ。

 たった八頁の新聞は馬鹿な詩なぞよちがないのだ。

 ピアレスベッドの広告が出ている。私はこんな丈夫な、ハイカラなベッドに一度も寝たことがない。タイガー美人女給募集。白いエプロンをかけて、長いひもを蝶々のように背中で結んで、ビールの栓抜きに鈴をつけた洒落しゃれた女給さんが眼に浮ぶ。新聞を見ていると、どろんこのわだちの中へ、牛のふんをにじりつけたような気持ちの悪さになって来る。

 さて、どっこいしょ!

 いやにからだが重たいな。バナナのたたき売りが一山十銭。ずるずるにくさりかけたのを食べたせいか躯中に虫がわいたようになる。朝っぱらから、何処どこかで大正琴を無茶苦茶にかきならしている。

 肺が歌うなぞと云う、たわけた詩が金になるとは思わないけれども、それでも、世間には一人位はものずきな人間がありそうなものだ。

 寝床をかたづけて髪結いに行く。

 金鶴香水を一びんもつけたような、大柄な女が髪を結ってもらっていた。あんまり匂いがはげしいので、袖で鼻をおさえていたいような気がする。頭が痛くなる。奥では髪結さん一家が、そうがかりで桜の造花つくりの内職だ。眼がさめるようだ。

 もうじき花見なのだ。

 桃割れに結って貰う。安いかもじなので、どうにも工合が悪く、眉も眼尻もりあがるほどだ。二階で、急に、女の声で、「助平だねえッ」と云った。みんなびっくりして、天井をみあげる。

「また昼間っからやってるよ。どったんばったん角力すもうばかりやってンですよ。──なあにね、酔っぱらって、おかみさんをいじめるのが癖なンで……」

 髪結さんがびんまどに、筋槍をつきたてながらくすくす笑っている。みんなも笑った。御亭主は株屋で、細君は牛屋ぎゅうやの女中だそうだ。朝から酒を飲んで、寝床をたたんだ事がないと云う夫婦だそうだ。

 白いたけながをかけてもらう。結い賃が三十銭、たけながが二銭、三十五銭払う。

 まるで頭の上は果物籠をのっけたような感じ、十五日ぶりでさっぱりとする。

 肺が歌うがつっかえされたのだから、今度は品をかえて童話を持って行く事にする。

 茅町かやちょうから上野へ出て、須田町行きの電車に乗る。ほこりがして、まるで夕焼みたいな空。何だか生きている事がめんどうくさくなる。黒門町からピエロの赤い服を着たちんどん屋の連中が三人乗り込んで来る。車内はみんなくすくす笑い出した。若いピエロが切符を切って貰っている。青と紅のだんだら縞の繻子しゅすの服で、顔だけは化粧をしていないので、なおさら妙だ。

 あんなかっこうをして生きてゆく人もある。日当はいくら位になるのかしら……。私は知らん顔をして窓の外を見ていたけれど、段々、むちゃくちゃになってもいいような気がしてきた。一人位、私と連れ添う男はないものかと思う。

 私を好きだと云うひとは、私と同じようにみんな貧乏だ。風に吹かれる雨戸のようにふわふわしている。それっきりだ。

 銀座へ出て滝山町の朝日新聞に行く。中野秀人と云うひとに逢う。花柳はるみと云う髪をったはいからな女のひとと暮しているひとだと風評にきいていたので、胸がどきどきした。世間のひとと云うものは、なかなかひとの貧乏な事情なぞ判ってはもらえない。詩をそのうち見ていただきますと云って戸外へ出る。

 中野さんの赤いネクタイが綺麗きれいだった。

 紹介状も何もない女の詩なんか、どこの新聞社だって迷惑なのだ。銀座通りを歩く。

 広告に出ていたタイガーと云う店があった。並んで松月と云う店もある。みとれるように綺麗なひとがきどった小さい白まえだれをしてのぞいている。胸まであるエプロンはもう流行はやらないのかしら。

 砂まじりの強い風が吹いた。

 四丁目で、コック風な男が、通りすがりの人に広告マッチを一つずつくれている。私も貰った。後がえりして二つも貰った。

 ものを書いて金にしようなぞと考えた事が、まるで夢みたいに遠い事に思える。表通りの暮しは、裏通りの生活とはまるきり違うのだ。十銭の牛飯も食えないなんて……。


(三月×日)

 ハイネとはどんな西洋人か知らない。

 甘い詩を書く。

 恋の詩も書く。ドイツのお母さんの詩も書く。そして詩が売れる。生田春月と云うひとはどんなおじさんかな……。ホンヤクと云う事は飯を煮なおして、焼飯にする事かな。ハイネと生田春月はどんなカンケイなのか知らないけれど、本屋の棚にハイネが生れた。ぽつんと立っている。

 私は無政府主義者だ。

 こんなきゅうくつな政冶なんてまっぴらごめんだ。人間と自然がたわむれて、ひねもす生殖のいとなみ……それでよいではございませんか。猫も夜々を哀れにないて歩いている。私もあんなにして男がほしいと云って歩きたい。

 ほうきで掃きすてるほど男がいる。

 婆羅門バラモン大師の半偈はんげの経とやら、はんにゃはらみとは云わないかな……。

 うじくのだ。私の躯に蛆が湧くのだ。

 朝から水ばかり飲んでいる。盗人にはいる空想をする。どなたさまも戸締りに御用心。いまのところ、私は立派な無政府主義者を自任している。ひどいことをしてみせようと思っている。

 夜。牛めしを食べて、ロート眼薬を買う。


(五月×日)

 夜、牛込の生田長江ちょうこうと云うひとをたずねる。

 このひとはらい病だと聞いていたけれど、そんな事はどうでもいい。詩人になりたいと云ったら、何とか筋道をつけてくれるかもしれない。

 私はもう七十銭しか持っていないのだ。

 蒼馬あおうまを見たりと云う題をつけて、詩の原稿を持ってゆく。古ぼけた浪人のいるような家だ。電燈が馬鹿にくらい。どんなおばけが出て来るかと思った。

 部屋の隅っこに小さくなっていると、生田氏がすっと奥から出て来た。何の変哲もない大島の光った着物を着ている、せた人だった。顔の皮膚がばかにてらてら光っている。

 声の小さい、優しいひとであった。

 何も云わないで、原稿を見ていただきたいと云ったら、いま、すぐには見られないと云う。

 私は七十銭しか持っていないので、躯中がかあと熱くなる。

「どんなひとの詩を読みましたか?」

「はい、ハイネを読みました。ホイットマンも読みました」

 高級な詩を読むと云う事を、云っておかないと悪いような気がした。だけど、本当はハイネもホイットマンも私のこころからは千万里も遠いひとだ。

「プウシュキンは好きです」

 私はいそいで本当の事を云った。

 あなたも御病気で悲惨のきわみだけれど、私も貧乏で、悲惨のきわみなのです。四百四病の病より、貧よりつらいものはないと、うちのおっかさんが口癖に云います。だから、私はころされた大杉さかえが好きなのです。

 広い部屋。暗い床の間に切り口の白い本が少し積み重ねてある。シタンの机が一つ。暑くるしいのに障子が閉めてある。傘のない電燈が馬鹿にくらい。

 遠くに離れて坐っているので、生田さんは馬鹿に細っこく見える。四十位のひとだと思う。

 何と云う事もなく、生田春月と云うひとを尋ねるべきだったと思う。婆やさんみたいなひとがお茶を持って来たので、私はがぶりと飲んだ。

 病気のひとをぶじょくしてはいけないと思った。

 詩の原稿をあずけて帰る。

 どうにかなるだろう。どうにもならないでもそれきり。

 上野広小路のビールのイルミネーションが暗い空にあわを吹いている。宝丹の広告燈もまばゆい。

 おしる粉一ぱいあがったよのだみ声にさそわれて、五銭のおしる粉を食べた。夜店がにぎやかだ。

 水中花、ナフタリンの花、サスペンダー、ロシヤパン、万能大根刻み、玉子の泡立器、古本屋の赤い表紙のクロポトキン、青い表紙の人形の家。ぱらぱらと頁をめくると、松井須磨子の厚化粧の舞台姿の写真が出て来る。

 福神漬屋の酒悦しゅえつの前は黒山のような人だかり。インド人がバナナのたたきうりをしている。

 十三屋の櫛屋くしやの前に、艶歌師がヴァイオリンを弾いていた。みどりもふかきはくようの……ほととぎすの歌だ。随分古めかしい歌をうたっている。

 いっとき立ちどまってきく。年増としまのいちょうがえしの女がそばに立っていた。昔、佐世保にいた頃、私はこの歌をきいた事がある。誘われるようななつかしさを感じる。

 艶歌師がうたってくれるようないい小説が書きたい。だけど、小説は長ったらしくてめんどうくさい。ルパシカを着て、紐を前で長く結んでいる艶歌師の四角い顔が、文章倶楽部クラブの写真で見た、室生犀星むろうさいせいと云うひとに似ている。

 路地をはいってゆくと、湯がえりの階下のおばさんに逢った。おばさんは洗濯物を夜干していた。

「部屋代、何とかして下さいよ。本当に困るンですからね……」

 はいはい、私だって本当に困るンですよ。じっさいのところ、私だって苦労しつづけたのですよと云いたかった。

 明日は玉の井に身売りでもしようかと思う。


(五月×日)

 地虫が鳴いている。

 ぷちぷち音をたてて青葉がえてゆくような気がする。夜中だ。おいなりさんを売りに来る。声が近くになり、また遠くなってゆく。狐寿司はうまいだろうな。甘辛い油揚げの中にいっぱいつまった飯、じとじと汁がたれそうなかんぴょうの帯。

 階下ではばくちが始っている。


魚の骨の骨

水流にしたたる岸辺の草

魚の骨の骨

蕨色わらびいろの雲間に浮ぶ灰

今日こんちはと河下のあいさつ

もんと云う字 女の字

悶はまたの中にある

嫋々じょうじょうと匂う股の中にある

悶と云う字よ。


魚の骨の骨

弓をひいて奉る一筆

魚の骨の骨

またかえってくる情愛

しゅうと云う字 その字

天下の人々が口にする

はらわたのなかにある

愁いの海に沈む舟よ。


一切無我!


   ○


この街にいろいろな人が集ってくる

飢えによる堕落の人々

萎縮いしゅくした顔 病める肉体の渦

下層階級のはきだめ

天皇陛下は狂っておいでになるそうだ

患っているもののみの東京!


一層おそろしい風が吹く

ああ、何処どこから吹く風なのだ!

情事ははびこる かびが生える

美しい思想とか

善良な思想と云うものがない

おびえて暮している

みんな何かにおびえている。


隙間から見えるあおざめたる天使

不思議な無限……

神秘なことには陛下は狂っておいでになると云う。

貧弱な行為と汎神論はんしんろん者のなべ

りくぞくと集ってくる人々

何かを犯しに来る人々の群

街の大時計も狂いはじめた。


(五月×日)

 雨。

 ユーゴーの惨めな人々を読む。

 ナポレオンは英雄で、ワーテルローの背景をすぐ眼に浮べるほど立派なおかたと思っていたのだけれど、共和制をくつがえして、ナポレオン帝国をたてた矛盾が、変に気にかかって来る。こうした世の中で、たった一片のパンを盗んだ男が十九年もろうへはいっている事も妙だ。

 たった一片のパンで、十九年の牢獄生活に耐えてゆく、人間も人間。世の中も世の中なりか。

 駄菓子屋へ行って一銭の飴玉あめだまを五ツ買って来る。

 鏡を見る。愛らしいのだが、どうにもならぬ。

 急に油をつけて髪をかきつけてみる。十日あまりも髪を結わないので、頭の地肌がのぼせて仕方がない。

 脚がずくずくにふくらんできた。穴があく。麦飯をどっさりたべるといい。どっさり食べると云う事が問題だ。どっさりとね……。

 ナポレオンのような戦術家が生れて、どいつにもこいつにも十年以上の牢獄を与える。人民はまるでそろばん玉みたいだ。不幸な国よ。朝から晩まで食べる事ばかり考えている事も悲しい生き方だ。いったい、私は誰なの? 何なのさ。どうして生きて動いているんだろう。

 うで玉子飛んで来い。

 あんこの鯛焼たいやき飛んで来い。

 いちごのジャムパン飛んで来い。

 蓬莱軒ほうらいけんのシナそば飛んで来い。

 ああ、そばやのゆで汁でもただ飲みして来ようか。ユーゴー氏を売る事にきめる。五十銭もむつかしいだろう……。

 良心に必要なだけの満足をみ取りか、食慾に必要なだけの金を工面して生きてゆくことにも閉口トンシュでございます。

 ナポレオン帝政下の天才について。

 或る薬屋が軍隊のために、ボール紙の靴底を発明し、それを革として売出して四十万リーブルの年金を得たのだそうだ。或る僧侶そうりょが、只、鼻声だと云うために大司教となり、行商人が金貸しの女と結婚して、七八百万の金を産ませた。十九世紀のさなかにある、フランスの修道院は、日に向っているふくろうに過ぎないなんて……三度の革命を経てパリーはまた喜劇のむしかえし。

 私は今日はこれから、この偉大なユーゴーの「みぜらぶる」と別れなければならない。

 天才とは……ちっぽけな日本にはございません。気違いがいるだけ。だあれも、天才なんて見たことがない。天才とはぜいたく品みたいなものだ。日本人は狂人ばかりを見馴れて葬ることしか出来ない。

 おいたわしや、気が狂ったと云う陛下も、本当は天才なのかもしれない。くるくるとおちょくごをお巻きになって、眼鏡にして臣下をごらんになったと云う伝説ごとだけれど、哀れな陛下よ。あなたはかなしいばかりに正直な天才です。

 終日雨なり。飴玉と板昆布いたこんぶで露命をつなぐ。


(五月×日)

 蒼馬を見たりを生田氏より送りかえして貰う。日光にさらす。陽にあたると、紙はすぐくるりとねあがる。

 詩は死に通じると云うところでしょうね。ええ御返事がないところはひきょうみれん……。

「少女」と云う雑誌から三円の稿料を送って来る。半年も前に持ちこんだ原稿が十枚、題は豆を送る駅の駅長さん。一枚三十銭も貰えるなんて、私は世界一のお金持ちになったような気がした。──詩集なぞ誰だってみむきもしない。

 間代二円入れておく。

 おばさんは急に、にこにこしている。手紙が来て判を押すと云う事はお祭のように重大だ。三文判の効用。生きていることもまんざらではない。

 急にせっせと童話を書く。

 みかん箱に新聞紙を張りつけて、風呂敷をびょうでとめたの。箱の中にはインクもユーゴー様も土鍋も魚も同居。あいなめ一尾買う。米一升買う。風呂にもはいる。

 豚の王様、あかい靴、どっちも六枚ずつ。風呂あがりのせいか、安福せっけんの匂いが、肌にぷんぷん匂う。何と云う事もなく、せっけんの匂いをかいでいたら、フランスと云う国へ行ってみたいなと思う。

 日本よりは住み心地のいいところではないかしら……。夢にみるほど恋いこがれてみたところで仕方がない。猫が汽車に乗りたいと思うようなものだ。

 私のペンは不思議なペン。

 私は地図のようなものを書いてみる。まず、朝鮮まで渡って、それから、一日に三里ずつ歩けば、何日目には巴里パリーに着くだろう。その間、飲まず食わずではいられないから、私は働きながら行かなければならない。

 一寸ちょっと疲れて来る。

 夜、あいなめを焼いて久しぶりに御飯をたべる。涙があふれる。平和な気持ちになった。


(五月×日)

なまぐさい風が吹く

緑が萌え立つ

夜明のしらしらとした往来が

石油色に光っている

森閑とした五月の朝。


多くの夢が煙立つ

頭蓋骨ずがいこつが笑う

囚人も役人も 恋びとも

地獄の門へは同じ道づれ

みんないじめあうがいい

責めあうがいい

自然が人間の生活をきめてくれるのよ

ねえ そうなんでしょう?


 夢の中で、わけもわからぬひとに逢う。宿屋の寝床で白いシーツの上に、頭蓋骨の男が寝ている。私をみるなり手をひっぱる。私はちっとも怖わがらないで、そばへ行って横になった。私は、なまめかしくさえしている。

 眼がさめてからいやな気持ちだった。

 寝床の中で詩を書く。

 納豆売りのおばさんが通る。あわてて納豆売りのおばさんを二階から呼びとめて、階下へ降りてゆくと、雨あがりのせいか、ぱあっと石油色に道が光っている。まだあまり起きている家もない。雀だけがわしそうに石油色の道におりて遊んでいる。何処からか、鳩も来ている。栗の花が激しく匂う。

 納豆に辛子をそえて貰う。

 私はこのごろ、もう自分の事だけしか考えない。家族のある、あたたかい家庭と云うものは、何万里もさきの事だ。

 こころのなかで、ひそかに、私は神様を憎悪する。こころやすく死んでしまいたいとくちにするような女がいる。それが私だ。本当に死にたいなんて考えないのだけれど、私はまるで、兎がひとねむりするみたいに、死にたいと云うことをこころやすく云ってみる。それで、何となく気が済むのだ。気が済むと云う事は一番金のかからない愉しみだ。

 死ぬと云えば、すぐ哀しくなってきて、何となくやりきれなくなる。

 何でも出来るような気がしてくる。勇気で頭が風船のようにふくらんで来る。

 昼から万朝報に行く。

 まだ係りのひとが来ていないと云うので、社の前の小さいミルクホールで牛乳を一杯飲む。人力車が行く。自動車が行く。自転車が行く。お昼なので、赤い塗りの箱を山のように肩にかついで、そばやが行く。かあっと照りつける往来を見ていると、肺が歌うなぞと云う詩を持ちあるいている自分が厭になって来た。誰も知らないところで、一人でもがいている必要はない。第一、大した駄作で、いまどき、肺のことなぞ誰も考えているものか……。空気を吸うことなぞどうでもいいのだ。

 ああ、金さえあれば、千頁の詩集を出版してやりたい。友達もない、金もない、只、亀の子のように、のこのこ日向ひなたを歩きまわっている。まるで私は乞食のような哀れさだ。だれもめぐんでなんかくれない。はなもひっかけやしない。ああ、わっと云うような景色のなかからお札は降って来ないかな。千頁の詩集を出してやる! 題は男の骨、もっとむざんな題でもいい。

 名もない女の詩なぞ買ってもらわなくてもいい。いまに千頁の詩集を出版しましょう。まるで仏壇のような金ピカ詩集! でこんでこんに塗りたくって、美しい絵を入れて、もう一つおまけに、詩集用のオルゴオルもつけてね、まず、きれいな音の中から、詩が飛び出して来るやつ……奇想天外詩集と云うものを出したい。どこかに、色気の深い金持ちの紳士はいないものかしら。千貢の詩集を出してくれれば、私は裸になってさかだちをしてみせてもいい。

 私はいつも、新聞社のかえり、悲しくなる。広い沙漠に迷いこんだみたいに頼りどころがないのだ。ぴゅうぴゅうと風の吹くなかを、私一人が歩いているような気がする。

 鬼でもいいから逢いたいものだ。ふるえてくる。歩きながら泣いている。涙と云うものは妙なものだ。ただの水、なまぬるい水、ぞっこん心がしびれてくる水、人の情のようになぐさめてくれる水、誇張の水、歩きながら泣くのはまことに工合がいい。風がすぐ乾かしてくれる。ハンカチもいらない。たもとも汚れない。

 鍋町の文房具屋でハトロンの封筒も買って、郵便局で封を書いて、肺は歌うを朝日新聞に送る。何とかなるだろうと云う空想だけの勇気だ。

 泣きながら歩いたので頬がつっぱるような気がする。匂いのいい文学的なクリームと云うやつはないかな。長い事、クリームもおしろいも塗った事がない。

 果物屋は桜んぼうの出さかり、皿に盛って金十銭。

 浅草に行く。

 やたらに食物店ばかりが眼につく。ひょうたん池のところで、で玉子を二つ買って食べる。ハムスンの飢えと云う小説を思い出した。昼間からついているイルミネーションと楽隊、色さまざまなのぼりのにぎわい。三館共通十銭也で、オペラに、活動に、浪花節なにわぶし。ここだけは大入満員のセイキョウだ。

 私は急に役者になりたいと思った。

 白いマントを着たイヴァン・モジュウヒン。なかなかよい男だ。泥絵具で、少々、イヴァン・モジュウヒンはにやけている。活動は久しくみた事がない。

 玉子のげっぷが出る。

 郵便局から出した詩はまだとどかないだろう。取りかえしに行きたくなった。詩を書くと云う事が、人生に何の必要があるのだろう……。早くかたづきそうらえ。何も云う事これなく候。ぽおっといつまでも明るい空。私は夜が好きだ。私は夜のように早く年をとりたい。早く三十になりたい。葬儀屋の女房になって、線香くさい飯を食うようになっているかもしれない。それとも、私は貧乏な外科医の若い学生と同棲どうせいして、もう生きたまま解剖してもらってもいい。私はねえ、この世が辛くなってしまったのよ。腹のなかを十文字に割って腸をつかみ出したら、蛆が行列していたって。私はどうせ、どぶのなかから誕生したのです。哀れまれる事はないのよ。何処にでもいる女なのよ。つまみぐいが好きで、悲劇が好きで、きどってる人間がしんからきらいで……だって、きどってる人間だって、女とも寝てるじゃないの。同じような事なんだけど、衣食住が足りれば、第一、品と云うものが必要になる。

 浅草はいいところだ。

 みんなが、何となくのぼせかえっている。躯じゅうでいきいきしている。イルミネーションが段々はっきりして来る。

 誰にでもある共通な、自然なこころの置場なのよ。三角の山盛りで、黄色に塗った五銭のアイスクリン。エエひやっこいアイスクリン! その隣りが壺焼。おでん屋は皿ほどもあるがんもどきをつまみあげている。

 十字の切りかたは知らないけれど、ああ神様と祈りたくなります。

 全心全霊をかたむけてエホバよ。

 プウシュキンは品のいい詩ばかりお書きになっていた。そして、人の魂をとろかすもの。私ときたら鼻もちならぬ。

 みんな自分が可愛いのだ。どなたさまも自分にれすぎている。人の事はみえない。だから、私が、いくら食べたいと云う詩を書いても駄目なの。疲れてへとへとで、洗濯せっけんもないのよ。

 家へかえりたくない。

 一晩じゅう浅草を歩いていたい。

 鐘撞堂かねつきどうの後に、小さい旅館が沢山並んでいる。「あんた貫一さんはないのかい?」一人てんやり歩いている私に、旅館の番頭が声をかける。

「十七、八となってるかな?」

 私はおかしくなった。浅草に夜が来た。みんな活々と光る。楽隊は鳴りひびく。風はまことに涼やかで、私のおっぱいが一貫目もあるほど重い。感性の気違い。一目みただけで、この娘、売物と云う表情をしている、安来節やすきぶしの看板にもたれて休む。何とも陽気な只ならぬ気配で、床をふみならす音、口笛を吹きたてる群集。あらえっさっさアのソプラノ合唱。日本の歌は原始的で、肉体的だ。のぼせあがっている。何もかもすべて、すべてがのぼせあがっている。

 鯉のぼりのようなのぼせかただ。たしなみのいいずぼんをはく事がきらいで、下帯一つで歩いている。もともとは原始民族なのだけど、一寸かぶれて火ぶくれをおこして来たのだ。

 かんたんな火ぶくれなのよ、ねえ、塗り薬でかためて調法であろう……。苦悩を売りものにしてみたところで、もともと偽の文明。第一イルミネーションの光りの方がむじひだ。皮をいだ、底の底まで見透せる妙な光りかたである。美人が少しも美人にはみえない。光りの空、息苦しい光彩の波の中に、人はひしめきあっている。私もひしめきあっている。

 なるほど、日本は黄金島!


        *


(七月×日)

 山のように厚いノートはないものか、枕のようにでっかいノート。

 頭のなかにたまっている、何もかも、きっちりはさんで逃げないようにしておきたい。

 オカアサマ、私生児はへこたれませんよ。もうめんどうなことは考えないでいましょう。どんなに家柄がいいと云ったところで落ちぶれてどろどろになる貴族もいます。貴族とは紋のような紋。あおいの紋は立派だそうだけれど、私はやっぱり菊や桐の紋が好きです。

 私は折れた鉛筆のようにごろりと眠る。

 世の中はいろんなもので賑やかだ。

 十二社じゅうにそうの鉛筆工場の水車の音が、ごっとんごっとん耳に響く。爽やかな風が吹いているのに私は畳に寝ころんでいる。只、呆んやりと哀しくなるばかり。本当はちっとも死にたくはないのに、私はあのひとに、死ぬかもしれないと云う手紙を書きたくなった。

 少しも死にたくはないのに、死にたいと思うこともある。空想が象のようにふくらんで来る。象が水ぶくれになってよたよたといまわって来る。

 何処かでさけを焼く匂いがしている。

 あのひとが走って来てくれるような、長い手紙を書きたかったけれど、紙もインクもない。新宿の甲州屋の陳列のなかの万年筆が、電信柱のようににゅっと眼に浮ぶ。二円五十銭だったかな。紙はつるつるしたのが自由自在だけれど、こちらは素かんぴん。ああどうよくではござりませぬか。

 森々とよくせみきたてている。

 部屋の中を見まわしてみる。かび臭い。床の間もなければ、棚も押入もない。この暑いのに、オッカサンはまだネルの着物を着ている。洗いざらしたネルの着物で、ことことさっきからキャベツを刻んでいる。部屋の隅に板切を置いて、まことにきれいな姿なり。

 私たちはキャベツばっかり食べている。ソースをかけて肉なしのキャベツをたべる。それはねえ、ただ、まぼろしの料理。夢のなかの出来事さ。粉挽こなひきも見た事がない。魚はもちろん、魚屋の前は眼をつぶって、息を殺して通る。あいなめに、鯛に、さばに、いさき、かつおの紳士。──フランセ・ママイといってね、時々私のところ夜噺よばなしに来る笛吹きの爺さんが、ああドーデーと云う方は金に困らぬ小説家なのであろう。風車小屋だよりは、ぜいたく至極な物語りで、十二社の汚ない風車小舎ごやとはだいぶおもむきが違うのであろう。俳句でもつくってみたくなるけれど、どうも、川柳もどきになってしまう。風に吹かれただけで俳句がつくりたくなる。蝉の声をきいただけで、ああと溜息ためいきまじり。

 さあ、そろそろ時間が来ました。

 神楽坂かぐらざかに夜店を出しに行く。藁店の床屋さんから雨戸を借りて、鯛焼き屋の横に店をひろげる。


(七月×日)

 朝から雨。

 仕方がないからオッカサンと風呂に行く。着物をぬぐと私は元気になって来る。富士山のペンキ絵がべろんと幕を張ったよう。松が四五本あって、その横に花王せっけんの広告。

 おなかの大きい不器量なおかみさんが一人、鏡の前で鼻唄をうたっている。どうして、あんなにむやみにおなかがふくれるのか私にはわからない。どうしたはずみで、あんなおなかになるのだろう。それでも、見ているととても愛らしい。何度も、まあるいおなかに湯をかけている。

 窓の外を誰か口笛をふいて通っている。養父さんは北海道へ行ってそれっきり。仲々思わしい仕事もないのであろう。私も口笛を吹いてみる。

 ああ、そはかのひとか、うたげのなかに、女学校時代のことがふっとなつかしく頭に浮んで来る。宝塚の歌劇学校へ行ってみたいと思った事もあった。田舎まわりの役者になりたいと思った事もあった。初恋のひとは、同級の看護婦といっしょになってしまった。

 ここから尾道は何百里も遠い。まるで、虫けらみたいな生きかただ。東京には、いっぱい、いい事があると思ったけれど何もない。

 裸になっている時が一等しあわせだ。

 オッカサンは流しの隅っこで円くなって洗濯をしている。私は風呂の中であごまでつかって口笛を吹く。知っているうたをみんな吹いてみる。しまいには出たら目な節で吹く。出たら目な節の方がよっぽど感じが出て、しみじみと哀しくなって来る。昨夜読んだ、ユジン・オニイルの「長いかえりの船路」の中の、イヴン、てめえ、娘っ子に会いたいってうなってたんだぜ、そのくせ、娘っ子がやって来ると、てめえ、豚小舎の豚のようにのどをならしてやがるんだと云うところを思い出した。

 私はもう娘ではないけれど、何だか、娘さんみたいな気持ちになって来る。

 夜、ひどい吹き降りになった。

 電気をひくくさげて、小さいそろばんをはじく。いくらそろばんをはじいたところで、金が出て来るものでもない。オッカサンは鉛筆をなめなめ帳面づけ。いくらそろばんをはじいても、根が呆んやりと、うわのそらでいるせいか、いっこうに勘定に身がはいらない。まちがえてばかりいる。それでも只ひとりの肉親がそばにいる事はにぎやかでいいものだ。

 花ちゃんやア、はあい……私はろくろ首の女だ。どこへでも首がのびて自由自在。油もなめに行く。男もなめにゆく。


(八月×日)

 万世まんせい橋の駅に行く。

 赤レンガの汚れた建物。広瀬中佐が雨に濡れている。

 万惣まんそうの果物店で、西瓜すいかがまっかに眼にしみる。私は駅の入口に立って白いハンカチを持って立っている事になっている。どんな男が肩を叩くのかは知らない。双葉劇団支配人と云うのは、どんなかっこうで電車から降りて来るのだろう。

 古池やかわず飛び込む水の音。私はその蛙さんなのよ。仕方がないから古池へどぼんと飛び込むのさ。むつかしい事なんか考えちゃいない。只、どぼんと飛びこむだけのこと。

 眼鏡をかけた背の高い男が私の前を通って、またふっと後がえりして立った。充分自信のあるいでたち。「広告を見たひと?」「ええそうです」その男は歩き出した。私も、犬のようにその男の後からついて行った。まさか、私が、夜店を出しているしがない女とは思うまい。私は今日は、びっくりするほど、おしろいを白くつけて来たのだ。田舎娘上京の図である。

 雨の中を須田町まであるいて、小さいミルクホールへはいる。この男も、あまり金があるのでもあるまい。

 双葉劇団と云うのは田舎まわりの芝居なのだそうだ。女優が少ないので、もうすぐからでもけいこにかかってもいいと云った。

 白いハンカチが胸ポケットからはみ出ている。何だか忘れそうな影のうすい顔だ、いやらしいものが直感で胸に来る。どんな事でもがまんはするけれど、こんな男にだまされるのはいやだ。サラリーは働き次第だと云う事だけれど、私は戸外の雨ばかり見ていた。

 五銭の牛乳を二杯御ちそうして貰う。私は牛乳をわざわざ飲みたいとは思わない、揚げたてのカツレツがたべたいのだもの。

 私が履歴書を出すと、その男は煙草で汚れた指で、ざっと拡げて、履歴書をポケットへしまった。履歴書よりも、この男は私の躯が必要なのかも知れない。

 ボイルの浴衣に雨傘を持ったよれよれの女の姿はこの男にはかえって好都合なのだろう。神田の三崎町のホテルに事務所があると云うのでついて行ったけれど、出て来た女中は始めての客のような顔をしている。

 事務所と云うのは空想の事務所。何もない部屋のすがたは妙に落ちつきがない。

 その男は嘘ばかり云うので、私も嘘ばかり云う。世の中は味なものではございませんか。

 鉛筆工場の水車の音がごっとんごっとん耳について来る。どんな芝居をやってみたいかと云うので、皿屋敷の菊と云う役、どんどろ大師のお弓、それからカチュウシャのようなのとならべたててみる。きれいな幕が見える。お客さんが手を叩く。なんなら、二階から手紙を読むお軽もいい。菊次郎と云う女形の美しい姿をおぼえているので、私の空想は自由自在だ。菊次郎も松助も、左団次もこの男は何も知らない。

 いっしょに遊びたいと云ったけれど、私はもう、芝居者のような気持ちで、気が浮かないから厭だと云って立ちあがった。

 急に遊びたいなんておかしいじゃないのとさっさと階下へ降りると、女中が「あら、おそばが来ましたよ」と云った。ざるそばの赤うるしのまるいざるが重ねてあったが、にっこり笑って戸外へ出た。傘をさすのも忘れて雨の中を歩く。ごうごうと電車の音ばかり。四方八方電車の唸りだ。

 いやに、赤うるしのざるそばの重ねたのが眼についてはなれない。四つもあの男はそばを食べるのかしら……。そばが食べたいな。

 ちまたに雨の降るごとく、何処かの誰かがうたった。重たい雨。厭な雨。不安になって来る雨。リンカクのない雨。空想的になる雨。貧乏な雨。夜店の出ない雨。首をくくりたくなる雨。酒が飲みたい雨。一升位ざぶざぶと酒が飲みたくなる雨。女だって酒を飲みたくなる雨。昂奮こうふんしてくる雨。愛したくなる雨。オッカサンのような雨。私生児のような雨。私は雨のなかをただあてもなく歩く。


(八月×日)


うれいひめたるくちうたは

うたともなりぬ けむりとも


 長い行列のなかに立っていると、女と云うものは旗のように風まかせになって来る。早いはなしが、この長い行列の女たちだって。ただいい暮しさえあれば、こんな行列には立たなくても済むのだ。何か職がほしいと云う事だけでしばられているにすぎない。

 失業は貞操のない女のようにすさんでむちゃくちゃになって来る。たった三十円の月給が身につかないとは何とした事であろう。五円もあれば、秋田米のぱりぱりが一斗かえる。ほっこりとたきたてに、沢庵たくあんをそえてね。それだけの願いなのよ。何とかどうにかなりませんか。

 行列は少しずつちぢまり、笑って出て来るもの、失望して出て来るもの、扉の前に立っている私達は、少しずついらいらとして来る。

 菜種問屋の、たった二人ばかり入用の女事務員がざっと百人あまりも並んでいる。やっと私の番になった。履歴書と引きくらべて、まず、人品骨柄、器量がいいか悪いかできまる。しばらくさらしものになって、ハガキで通知をしますと云う返事。こんなのは毎度のことで馴れてはいるけれど何とも味気ない。ふしあわせな生れつきだと思う。飛びきりに美しいと云う事は、それだけでもけっこうな事であろう。私には何もない。ただ丈夫な身体があると云うだけ。

 生きていて、まず、何とか生活してゆくと云う人間の大切ないとなみが、いつも失敗むざんだ。堕落してゆくに都合のいいレディーメイド。やとい主は烱眼けいがんむるいだ。こんな女なぞはやとってくれない。

 だけど、もし、やとってもらって、三十円も月給を貰えたら、私は血へどを吐くほど一生懸命働きたいのだけど……。もう、お天気の日を選んで夜店を出すのは厭になった。

 ほんとに厭な事だ。土ぼこりをいっぱい吸って眼の前に立ちどまる人をそっと見上げて笑うしぐさにあきあきした。卑屈になって来る。私はまず何としても広いロシヤへ行きたいね。旦那バーリン旦那バーリン。ロシヤは日本よりか広いに違いない。女の少ない国だったらどんなにいいだろう。


インキを買ってかえる。

何とかしておめもじいたしたく候。

お金がほしく候。

ただの十円でもよろしく候。

マノンレスコオと、浴衣と、下駄と買いたく候。

シナそばが一杯たべたく候。

雷門かみなりもん助六をききに行きたく候。

朝鮮でも満洲へでも働きに行きたく候。

たった一度おめもじいたしたく候。

本当にお金がほしく候。


 手紙を書いてみるがどうにもならぬ。あのひとにはもうお嫁さんがあるのだ。ただ、なぐさみに歌の文句を書いてみるだけ。

 夜。

 眠れないので、電気をつけて、ぼろぼろのユジン・オニイルを読む。家主の大工さんが、夜どおし、ろくろをまわして、玩具おもちゃのコマをつくっている。どのひとも、夜も日もなく働かねば食えない世の中なり。蚊がうるさいけれど、蚊帳のない暮しむきなので、皿におがくずを入れていぶす。へやの中がいぶる。それでも蚊がいる。丈夫な蚊だ。うるさい蚊だ。オッカサンに浴衣を買ってやりたいと思うけど仕方がない。


(八月×日)

 爽やかな天気だ。まばゆいばかりの緑の十二社。池のまわりを裸馬をつれた男が通っている。馬がびろうどのような汗をかいている。しいんしいんと蝉が鳴きたてている。

 氷屋の旗がびくともしない。

 オッカサンも私も背中に雑貨を背負って歩いている。全く暑い。東京は暑いところだ。

 新宿までの電車賃をけんやくして、鳴子坂の三好野で焼団子を五くし買ってたべる。お茶は何度でもおかわりして、ああ一寸だけしあわせ。

 オニイルは名もない水夫で、放浪ばかりしていて、子供の時は手におえぬ悪童で、大きくなって、ボナゼアリス行きの帆船に乗りこんで粗暴な冒険にみちた生活をしたのだそうだ。偉くなってしまえば、こんな身上話もああそうなのかと思う。私も芝居を書いてみようかな。きそう天外な芝居。それとも涙もなくなる奴。オニイルだって、いつも悲愴ひそうな時ばかりではなかったであろう。

 時には鼻唄まじりにいいごきげんな時もあったに違いない。

 よろよろと荷をかついで、小さいべっぴんさんは暑い街を歩く。どうでもいいのだ。もうやぶれかぶれなのだ。はっきりと路の上にうつした影はひきがえるのようにっている。

 哀れなオッカサンが何故なぜ私を生んだのだろう。私生児と云う事はどうでもいい事だけれど、オッカサンには罪はない。何のとがめる事があろう。世界のどこかのおきさきさまだって私生児を生む事もある。世の中と云うものはそんなものだ。女は子供をうむために生きている。むずかしい手つづきをふむことなんか考えてはいない。男のひとが好きだから身をまかせてしまうきりなのだ。

 神楽坂の床屋さんで水をのませて貰う。

 今日は縁日で夕方から賑やかなのだそうだ。

 きれいな芸者が沢山歩いている。しのぶ売りも金魚屋も出ている。今日は水中花を売るおばさんの隣りに場所割りがきまる。

 店を出して、私は雨傘を出してゴザの上に坐る。何とも暑い夕陽だ。夕陽は何処から来るのだろう。じりじりと照りつけるなぎのような暑さ。人通りが馬鹿に多いけれど、パンツも沓下くつしたもステテコもなかなか売れそうにもない。オッカサンは下谷までお使い。

 市松の紙の屋根を張った虫売りが前の金物屋の店さきに出た。じょうさい屋が通る。

 みがきこんだおかもちをさげたてぬぐい浴衣の男が、自転車に片足かけて坂をすべってゆく。

 華やかな町の姿だ。一人だって、雨傘をさしてしゃがんでいる女には気にもとめない。


おえんまさまの舌は一丈

まっかな夕陽

煮えるような空気の底


哀しみのしみこんだ鼻のかたち

その向うに発射する一つのきらめき

別に生きようとも思わぬ

たださらさらと邪魔にならぬような生存


おぼつかない冥土めいどの細道から

あるかなきかのけぶり けぶり

推察するようなただよいもなく

私の青春は朽ちて灰になる、


本当の事を云って下さい

只それが知りたいだけだ

人非人と同様の土ぼこりの中に

視力の近いにじの世界が

いっぱい蝸牛かたつむりをふりおとしている

一つ一つ転げおちて草の葉の露と化して

ぼうの世界に消えてゆく

悪企みは何もないもろい生き方

血と匂いを持たぬ蝸牛の世界


ああ夢の世界よ

夢の世のぜいたくな人達をのろ

何のきっかけもない暑い夕陽の怖ろしさ。


 私はぱりぱりに乾いてゆく傘の下で、じいっと赤い夕陽を眺めていた。


        *


(九月×日)

 飲食店にはいって、ふっと、箸立はしたての汚ない箸のたばを見ると、私には卑しいものしかないのを感じる。人の舌に触れた、はげちょろけの箸を二本抜いて、それで丼飯どんぶりめしを食べる。まるで犬のような姿だ。汚ないとも思わなくなってしまっている。人類も何もあったものではない。只、モウレツに美味うまいと云う感覚だけでいわしの焼いたのにかぶりつく。小皿のなかの水びたしの菜っぱの香々。

 いつまでも私は不安だ。卑しくて犬のように這いずりまわっているくせに、もう、死んでしまいたいと思うくせに、誰かをだましてやろうと思っているくせに、私には何の力もない。袖口も、えりもともあかでぴかぴか光っている。いっそ裸で歩きたい位だ。

 食堂を出て動坂どうざかの講談社に行く。おんぼろぼろの板塀いたべいのなかにひしめく人の群をみていると、妙にはいりそびれてしまう。講談社と云うところはのみの巣のようだと思う。文明も何もない。只、汚ないぼろぼろの長い板塀にかこまれている。昨夜一晩で書きあげた鳥追い女と云う原稿が金に替るとは思われなくなってくる。浪六なみろくさんのようなものを書くにはよほど縁の遠い話だ。

 私はねえ、下宿料が払えないのよ。この二三日、遠慮して下宿の御飯をなるべく食べないようにしているのよ。講談なんて書けもしないくせに、浪六さんを手本にして、眼を真赤にして書いてみたけれど、結局は一文にもならぬ。赤い郵便自動車が行く。とても幸福そうだ。あのなかには、沢山沢山為替がはいっているに違いない。何処から誰に送る為替か知らないけれど、一枚や二枚、ひらひらと舞い落ちて来ないものかしら。

 小石川の博文館へ行く。

 どうれと、玄関番が出て来そうだ。おばけ屋敷のようだ。田舎医者の待合室みたいな畳敷きの待合室に通される。いかにも疲れたような人達が思い思いに待っている。そのひとたちがじろじろと私を見ている。まるで子守っ子のような肩あげのある私を不思議そうに見ている。まさか鳥追い女と云う講談を書いているとは思うまい。

 私は一葉いちようと云う名前がとてつもなく気に入っている。尾崎紅葉もいい。小栗風葉もいい。みんな偉いひとには「葉」の字がつくので、私も講談を書くときは五葉位にしてみようかと考えた。色あせた夏羽織を着た背の高いひとが出て来た。私は胸がどきどきしてくる。来なければよかったと思う。

 いずれ見てからお返事をしますと云う事で、私のみっともない原稿はみもしらぬ人の手に渡ってしまった。急いで博文館を出て、深呼吸をする。これでもまだ私は生きてるのだからね。あんまりいじめないで下さい。神様! 私は本当は男なんかどうでもいいのよ。お金がほしくってたまらないのよ。高利貸と云う人間はどこの町に住んでいるのだろう。植物園のなかにはいって行く。

 きれいな夕陽。つるべ落しの空あい。私もはずみを食ってまっさかさま。憂鬱な空想の花火。ああ講談なんて馬鹿なことを考えたものだ。

 木蔭こかげで、麦藁むぎわら帽をかぶった、年をとった女のひとが油絵を描いている。仲々うまいものだ。しばらく見とれている。芳烈な油の匂いがする。このひとは満足に食べられるのかしら。芝生に子供が遊んでいる絵だ。四囲には人っ子一人いないけれど、絵のなかでは、二人の子供がしゃがんでいる。絵描きになりたいと思う。

 白いはぎの花の咲いているところで横になる。草をむしりながらんでみる。何となくつつましい幸福を感じる。夕陽がだんだん燃えたって来る。

 不幸とか、幸福とか、考えた事もない暮しだけれど、この瞬間は一寸いいなと思う。しみじみと草に腹這っていると、眼尻に涙があふれて来る。何の思いもない、水みたいなものだけれど、涙が出て来るといやに孤独な気持ちになって来る。こうした生きかたも、大して苦労には思わないのだけれど、下宿料が払えないと云う事だけはどうにも苦しい。無限に空があるくせに、人間だけがあくせくしている。

 夕焼の燃えてゆく空の奇蹟きせきがありながら、ささやかな人間の生きかたに何の奇蹟もないと云うことはかなしい。別れた男の事をふっと考えてみる。憎い奴だと思った事もあったけれど、いまはそうでもない。憎いと思うところはみんな忘れてしまった。

 いまは眼の前に、なまめかしい、白い萩が咲いているけれど、いまに冬が来れば、この花も茎もがらがらに枯れてしまう。ざまをみろだ。男と女の間柄もそんなものなのでしょう。不如帰ほととぎすの浪子さんが千年も万年も生きたいなんて云ってるけれど、あまりに人の世を御ぞんじないと云うものだ。花は一年で枯れてゆくのに、人間は五十年も御長命だ。ああいやな事だ。

 私は天皇さまにジキソをしてみる空想をする。ふっと私をごらんになって、馬鹿に私が気に入って、いっしょにいいところにおいでとおっしゃるような夢をみる。夢は人間とっておきの自由だ。天皇さまに冷酒とがんもどきのおでんをさしあげたら、うまいものだねとおっしゃるに違いない。私はなぜ日本に生れたのだろう。シチリヤ人と云うのがあるそうだ。音楽が大変好きなのだそうだ。私はシチリヤ人がどんな人種なのか見たことがない。

 不意にカナカナが啼きたてた。夕焼がだんだん妙な風にあおずんで来ている。


(九月×日)

 夜が明けかけて来たけれど、どうにもならない。

 昨夜は蒲団を売る事にきめて安心して眠ったのだけれど、こう涼しくては蒲団を売るわけにもゆかない。葛西かさい善蔵と云うひとの小説みたいにどうにもならなくなりそうだ。私は別に酒が飲みたいよくもないけれど、生きようがないではありませんか。

 らっきょうと、甘いうずら豆が食べたい。キハツ油も買いたい。朝がえりの学生があると見えて、スリッパを鳴らして二階へ上ってゆく足音がする。ここから吉原まではさほどの道のりでもあるまい。吉原では女をいくら位で買ってくれるものかと思案してみる。

 さて、朝になれば、いよいよまた活動出発の用意。雀がよく鳴いている。上々の天気。硝子ガラス窓から柿の葉がのぞいている。台所の方で小さい唄声がきこえる。私はふっと思いついて、この下宿の女中になれぬものかと思う。客部屋から女中部屋に転落してゆくだけだ。給料はいらない。ただ食べさせてもらって雨露をしのげればいい。この部屋の先住の英文科の帝大生が壁にナイフで落書をしている。エデンの園とは? 私も知らない。この気取りやさんは、落第をして郷里に戻って行ったのだそうだけれども、私には戻ってゆく故郷もない。

 ダダイズムの詩と云うのが流行はやっている。つまらない子供だましみたいな詩。言葉のあそび。血が流れていない。捨身で正直なことが云えない。只、やぶれかぶれだけ。だから私も作ってみようと眼をつぶって、蝙蝠傘こうもりがさからすと云う詩をつくってみる。眼をつぶっていると、黒いものからぱっぱっと聯想れんそうがとぶ。おかしなことばかり考える。まず、第一に匂いの思い出が来る。それから水っぽい涙が鼻をならしに来る。わにに喰いつかれたような、声も出ない悲鳴が出て来る。私の乳房が千貫の重さで、うどん粉の山のようにのしかかっている。手の爪に白い星が出ている。いい事があるのだそうだけれど信じない。シーツなぞ長いこと敷いたことのない敷蒲団に、私はなまぐさく寝ている。これが本当のエデンの園です。蒲団は芝居ののぼりでつくった、まことにしみじみとするカンヴァスベッド。


感化院出の誰の誰

許して下さいと云う言葉を日にいくど

頂戴とか下さいとか

雨のなかに立って物乞う姿

不安な呻吟しんぎん

世の誰とも連絡がない。


感化院出の芙美子さん

人間ではない氷のかたまり

十九世紀の日本語のあめ

眼がまわりますね

道中があぶない?

何をおっしゃいますやら。


感化院は官立

帝国大学も官立さ

ただそれだけの違いだよ。


 ふすまが一寸ほど開いた。若い男がのぞいている。だれ? あわてて襖がしまる。ここは郵便局じゃございませんだ。

 私と寝たいのならさっさと這入っていらっしゃい。

 起きるなり、顔も洗わないで戸外へ出る。黄いろいペンキ車をひいて、意気な牛乳屋さんが通る。苦学生にしてはいやに清潔だ。西片町に出る。そろそろ暑い陽がのぼりはじめてきた。運送屋さんの前の共同水道で、顔を洗って、ついでに水をがぶがぶと飲んで満腹のほうえつ。ついでに、髪にも水をつけて手でなでつける。根津ねづへ戻って恭次郎さんの家へ行ってみようかとも思うけれど、節ちゃんにまた泣きごとを云いそうなのでやめる。朝の新鮮な空気の中を只むしょうに歩く。大学の前へ行ってみる。果物屋ではリンゴにみがきをかけている男がいる。何年にも口にしたことのないリンゴの幻影が、現実ではぴかぴかと紅くまるい。柿も、ぶどうも、いちじくも、翠滴すいてきがしたたりそうな匂い。──さいやんかね、だっさ、さいやんかねえ、おんだぶってぶって、おんだ、らったんだりらああおお……タゴールの詩だそうだけれど、意味も判らずに、折にふれては私はつまらない時に唄う。

 高橋新吉はいい詩人だな。

 岡本潤も素敵にいい詩人だな。

 壺井繁治が黒いルパシカ姿で、うなぎの寝床のような下宿住い、これも善良ムヒな詩人。はちみたいなだんだらジャケツを着た萩原恭次郎はフランス風の情熱の詩人。そしてみんなムルイに貧しいのは、私と御同様……。

 根津のゴンゲン様の境内で休む。

 ゴンゲン様は何様をおまつりしてあるのかしらない。ただあらたかな気がする。気がやすまる。鳩がいる。震災の時、ここで野宿をした事を思い出す。

 根津のゴンゲン裏にかつぶしを売っている大きい店がある。ここの息子が根津なにがしとか云う活動役者だそうだ。まだ一度も見たことがないけれど、定めしよい男なのであろう。千駄木町へ曲る角に、小さい時計屋さんがある。恭ちゃんの家の前を通って医専の方へ坂を上ってゆく。夜になるとここはお化けの出る坂。


昼の霧 香ばしき昼の霧

わがははの肩のあたりの霧

爪は語らず

陽もまばゆくて昼の霧よ

五里霧中のなかに泳ぐ

女だるまのすすりなく霧。


ああさんたまりあ

裸馬の肌えに巻く霧

昼の霧はバットの銀紙

すさのおのみことの恋の霧

金もなき日の埃の綿

つむぎ車のくりごとよ

昼の霧 哀しき昼の霧。


 急に四囲の草木が葉裏をかえしたような妙な空あいになり、霧のようなものが立ちこめてみえる。坂の途中の電信柱にもたれてみる。しんしんと四囲に湯茶の煮えるような音がする。真昼の妖怪ようかいかな。私はおなかが空いたのよ。

 急に体じゅうがふるえて来る。どうして生きていいのか腹が立って来る。声をたてて泣きたくなる。

 八重垣町の八百屋で唐もろこしを二本買って下宿へ帰る。ダットのいきおいで部屋へ行き、唐もろこしの皮をむく。しめった唐もろこしの茶色のひげの中から、ぞうげ色の粒々が行列して出て来る。焼きたいな。こつこつと焼いて醤油をつけて食べたい。

 下宿の箱火鉢に紙屑かみくずを燃やして根気よく唐もろこしを焼く。


(九月×日)

 ははより十円の為替が来る。

 ありがたや、かたじけなや。何もかもなむあみだぶつの心持ちなり。

 どしゃぶりの雨。下宿に五円入れる。昼飯が運ばれる。切り昆布に油揚げの煮たのにのすまし汁。小さいおひつに過分な御飯。雨を見ながら一人しずかに食事をする愉しさ。敵は幾万ありとてもわが仕事これより燃ゆると意気ごんでみる。食事のあと、静かに腹這い童話を書く。いくつでも出来そうな気がして仲々書けない。

 どしゃぶりの雨は西むきの硝子窓の敷居の中にまでいっぱい吹きこんで川のようにたまる。

 夜も下宿の飯。

 コンニャクとコロッケととろろ昆布のすまし汁。のこりの飯は握り飯にしておく。夜ふけて、野村吉哉さんが尻からげで遊びに来る。全身ずふぬれ。唇が馬鹿に紅い。中央公論に論文を書いたと云う。中央公論ってどんなのさ。千葉亀雄がおじさんだとかで、この人の紹介だそうだ。別にえらいとも思わないけれど、尊敬しなければ悪いのだと思って、感心してみせる。馬鹿に煙草を吸うひとだ。四畳半はもうもう。二階でマンドリンの音がしている。学生は金持ちでひま人ぞろいだ。吉原に行く学生もある。玉突きに行く学生もある。下宿で大事がられる学生は、いつも金だらいをさげて風呂に行っている。

 野村さんと握り飯を分けあって食べる。三角の月とか星とかの詩を読んでくれたけれども、さっぱり判らない。詩を書くには泣くことも笑うことも正直でなければならない。貧乏してまで言葉の嘘を書く必要はない。白秋が好きだと云ったら野村さんは笑った。白秋はおぼれる詩人。人にうたわれる詩人だ。雀の好きな詩人。みみずくの家を持った詩人。九州の土から生れた詩人。

 十二時ごろ、恭ちゃんのところへ行くと云って野村さんまた尻からげで帰る。そっと襖を開けて廊下をうかがうあたり、うれしくなってしまう。馬鹿に脚の白いひとなり。


(十月×日)

 渋谷の百軒店ひゃっけんだなのウーロン茶をのませる家で、詩の展覧会なり。

 ドン・ザッキと云う面白い人物にあう。おかっぱで、椅子の間を踊り歩く。紙がないので、新聞紙に詩を書いて張る。


おそれながら申しあげます

わたしはただ息をしている女

百万円よりも五十銭しか知らない

牛めしは十銭

ねぎと犬の肉がはいってるのね

小さくてだるまみたいで

よく泣いているおこりんぼ。


いいえもういいのよ

男なんかどうでもいいの

抱きあって寝るだけのこと

十五銭のコップ酒

皿においてるけど

馬鹿に尻だかで世間をごまかす

酔えばいい気持ち

千も万も唄いたくなるのよ。


いずくにか

わがふるさとはなきものか

葡萄ぶどうの棚下に寄りそいて

寄りそいて

一房の青き実をはみ

君と語ろう ひねもす

ひねもす……。


 かえり十時。道玄坂の古本屋で、イバニエスのメイ・フラワア号を買う。四十銭也。駅の近くの居酒屋で赤松月船と酒を飲む。昆布巻き二つとコップ酒。馬鹿に勇ましくなる。

 下宿へ御きかん十二時。森とした玄関に大きい金庫が坐っている。あの中に何かあるのだろう。洗面所へ行って水を飲む。冷々としている。こおろぎがないている。ふっとつまらなくなる。一日一日が無為なり。いったいどうなるのか判らぬ。一度、田舎へかえりたいと思う。下宿を出る必要がある。夜逃げをするには、逃げこむさきを考えねばならぬ。

 寝ころんで、メイ・フラワア号を読む。破船の酒場が馬鹿に気に入った。


(十月×日)

 詩人は共喰いの共産党だ。持ってるものは平等につかう。借金もそれ相当なもの。手近な目的はただ食べる事に追われるばっかり。人命終熄しゅうそくの一歩手前でうろうろしているばかりなり。天才は一人もいない。自分だけが天才と思っているからよ。それ故、私たちはダダイスト。只何となく感じやすく、激しやすく、信念を口にしやすい。何もないくせに、まずここんところから出発してゆくより仕方がない。

 風が吹くので、いろいろな男のことを考える。誰のところに逃げこんで行ったらいいのかと考える。だけど考える事は何もならない。勇気だけだ。何しろ、相手を驚かせる戦術なのだからはずかしい。またマンドリンがきこえて来る。籠の鳥の方がよっぽどうらやましい。ああ狂人になりそうだ。

 こんなに童話を書き、講談を書いても一銭にもならないなんて。インキだって金がかかるのよ。

 昼から風の中を仕事さがしに歩く。

 何もない。人があまっている。美人はざくざく。只若いだけではどうにもならない。神田の古本屋でイバニエスを売る。二十銭にうれる。四十銭が二十銭に下落してしまった。九段下の野々宮写真館のとなりの造花問屋で女工募集をしている。何しろ手さきが不器用だから……薔薇ばらもチュウリップもまちがえて造りそうだ。日給八十銭は悪くない。不安の前には妙に嘔気はきけが来る。嘔くものもない妙な不安な状態。やすくに神社はあらたか。まずていねいにおじぎをして一口坂の方へ歩く。

 あまてらすおおみかみの頃には、こんなに人もあまってはいなかったのだろう。美人もうようよいなかったのだろう。あまてらすおおみかみさまは裸で岩戸からのぞいておいでになる。かがみや、たまや、みつるぎは、どこでおもとめになったのか不思議だ。にわとりはどこで生れたのだろう。ああ昔はよかったに違いない。

 そのじせつになるとちゃんと秋の風が吹く。魚屋はみとれるほどの美しさ。しけであろうと嵐であろうと、魚は陸へどしどしあがって来る。胸に黄いろいあばらのついた軍服で、近衛このえの騎馬隊が、三角の旗を立てて風の中を走ってゆく。馬も食っている。騎馬隊の兵隊さんも食っているのだ。何処かで琴の音がしている。豆腐屋では大鍋いっぱい油をはって油揚げを揚げている。荷車いっぱいにおからをバケツで積みこんでいる人夫がいる。酒屋の店さきの水道の水は出っぱなしで、小僧が一升徳利を洗っている。味噌だるがずらりと並び、味の素や福神漬や、牛鑵ぎゅうかんがずらりと並んで光っている。一口坂の停留場前の三好野では、豆大福が山のようだ。三好野へはいって一皿十銭のおこわと豆大福を二つ買って、たっぷりと二杯も茶をのんで、私は壁の鏡をのぞいている。

 おたふくさまそっくりで、少しも深刻味がない。髪の毛はまるでかもじ屋の看板のように房々として、びんがたりないので、まげがほどけかけている。世紀がふくらむごとに、大量に人がふえてゆく。悲劇の巣は東京ばかりでもあるまい。田舎の女学校では、ピタゴラスの定理をならい、椿姫つばきひめの歌をうたい、弓張月を読んだむすめが、いまはこんな姿で、悄然しょうぜんと生きている。大福の粉が唇いっぱいにふりかかり、まるで子守女のつまみぐいの図だ。

 夜。また気をとりなおして童話の続きにかかる。風はますますひどくなって来た。酔っぱらいの学生が二階の廊下で女中をからかっている。時々声が小さくなる。誰かが二階から中庭へむけて小便をしていると見えて、女中がいけませんよッと叱っている。


罌粟けしは風に狂う

乾草ほしくさひつぎのなかに腹這う哀愁

おとがいの下に笑いを締め出して

じいと息を殺してみるのが人生

山の彼方かなたには雲ばかり

気の毒なやせ馬の雲に乗って

幸福なんか来ると思うのがまちがい

地獄におちよ生きながら

地獄におちて這いまわる

罌粟の範囲で散りかかる

強迫善意のごうもん台

運命のなかでの交渉

とげだらけの青春

男が悪いのではない

みんな女が不器用だからだ

やたらに自由なぞあるものか

勝手にいじめぬく好奇心の勧工場

安物の手本ばかりが並んでいる


 夜が更けて来るにつれて風もしずかになり、あたり一面平野の如し。童話のなかの和製ハンネレが少しも動いてこない。第一、私はハンネレのような淋しい少女はきらい。それでも和製ハンネレを書かないことには、本屋さんはみとめてくれないのだ。一枚三十銭の原稿料とはいい気なものだ。十枚書いてまず三円。十日は満足に食べられます。

 えらい童話作家になろうとは思わぬ。死ぬまで詩を書いてのたれ死にするのが関の山。おかあさんごめんなさい。芙美子さんはこれきりなのよ。これきりで死んでしまうのよ。誰が悪いのでもない。なまける心はさらさらないのだけれど、どうにも一人だちの出来ぬ生れあわせです。貧乏は平気だけれど、死ぬのは痛いのよ。首をつるのも、汽車にひかれるのも、水に飛び込むのもみんな痛い。それでも死ぬ事を考えています。

 たった一度でいいから、おかあさんに、四五十円も送れる身分にはなりたいと空想して泣く事もあります。

 いろはと云う牛肉店の女中になろうかと思います。せめて、手紙の中へ、十円札の一枚も入れて送ってあげましょう。

 下宿住いはこりごり。収入の道もないのに、小さいお櫃の御飯がたべたいばっかりに下宿住いをしたら、こういん矢の如し。すぐ月日がたってゆくのには閉口頓首とんしゅ

 第一、何かものを書こうなぞとは妙なことです。でもね、私は小説と云うものを書いてみたいと思います。島田清次郎と云うひとも、あっと云うような長いものを書いたのだそうです。小説はむつかしいとは思いますけれど、馬がいななくような事を書けばいいのよ。一生懸命息はずませてね。

 おかあさん元気ですか。もう、じき住所はかえます。また、誰かといっしょになろうと思います。仕方がないんですよ。靴がやぶけて水がずくずくとはいって来るような厭な気持ちなのです。小説を書いたところでひょっとしたら大した事ではないかもしれません。いつも、何だって、つっかえされてがっかりすることばかりですからね。一人でいると張合いがないのです。

 自分で正しいと思う判断がまるきりつかない。自信がなくなると、人間はぼろくずのようになってしまう。はっきりと、これが恋だと思うような事をしたこともない。ただ、詩を書いている時だけが夢中の世界。

 下宿住いと云うものは、人間を官吏型にしてしまう。びくびくと四囲をうかがう。大した人間にはなれない。月末には蒲団を干して、田舎から来た為替を取りに行く。たったそれだけで下宿の月日は過ぎて行くのでしょう。私のことじゃないのよ。ここにいる学生達の事なの……。ハイネ型もいなければ、チエホフ型もいない。ただ、自分を見失ってゆくくんれんを受けるだけ。

 童話を書きあげて夜更け銭湯へ行く。


        *


(十月×日)

宵あかり 宵の島々静かに眠る

海の底には魚の群落

ひそやかに語るひめごと

魚のささやき魚のやきもち。

遠いところから落日が見える

地の上は紙一重の夜の前ぶれ

人間はうめきながら眠っている

宵の島々 宵あかり

兵隊は故郷をはなれ

学生は故郷へかえる。

人ごとならずとささやきながら

人々は呻きながら生きる

この世に平和があるものか

岩おこしのべとべとの感触だ

人生とは何でしょう……

拷問のつづきなのよ

人間はいじめられどおし。

いつかはこの島々も消えてゆくなり

牛と鶏だけが生きのこって

この二つの動物がまじりあう

羽根のはえた牛

とさかをもった牛

角のはえた鶏

尻尾しっぽのある鶏。

永遠なんぞと云うものがあるものか

永遠は耳のそばを吹く風なり

宵あかり 只島々は浮いている

乳母車のようにゆれている

考古学者もほろびてしまう……。


 律法おきてなくば罪は死にたるものなり。ああアブラハムもダビデも如何いかにも遠い神である。小説とはどんな形で書くのかわからない。只、ひたすら空想するばかりだけでもないのだろう。罪を書く。描く。善は馬鹿々々しいと鼻をかむ。悪徳だけに心をもやす……。月日がたてば忘れられ消えてゆく罪。じっと眼をすえていると、何のまとまりもなく頭が痛くなって来る。私の肉体は、だんだん焼かれる魚のようにこうふんして来る。誰かと夫婦にならなければ身のおさまりがつかなくなってしまう。

 下宿屋は男の巣でありながら、まことに落書のエデンの園の如く、森々とこの深夜を航海している。

 小説を書きたいと思いながら、何もかも邪魔っけでどうにもならない。かりが鳴いている。私は本当に詩人なのであろうか? 詩は印刷機械のようにいくつでも書ける。只、むやみに書けると云うだけだ。一文にもならない。活字にもならない。そのくせ、何かをモウレツに書きたい。心がそのためにはじける。毎日火事をかかえて歩いているようなものだ。

 文字を並べて書く。形になっているのかどうかはぎもんだ。これが詩と云うものであろうか。──恋草を力車に七車、積みて恋うらく、わが心はも。昔のえらい額田ぬかだなにがしと云う女のひとがうたった歌も出鱈目でたらめなのであろうか……。私はかいこのように熱心に糸を吐く。只、何のぎこうもなく、毎日毎日糸を吐く。胃のなかがからっぽになるまで糸を吐いて死ぬ。

 一文にもならぬ事が、ふしあわせでもなければ、運の悪い者ときめてかかる事もない。希望のない航海のようなものだけれども、どこかに浮島がみえはしないかとあせるだけだ。

 オニイルの鯨取りの戯曲を読んで淋しくなった。

 本を読めば、本がすべてを語ってくれる。人の言葉はとらえどころがないけれども、本の中に書かれた文字は、しっかりと人の心をとらえてはなさない。


もうじき冬が来る

空がそう云った

もうじき冬が来る

山の樹がそう云った。

小雨が走って云いに来た

郵便屋さんがまるい帽子を被った。


夜が云いにきた

もうじき冬が来る

鼠が云いに来た

天井裏で鼠が巣をつくりはじめた。

冬を背負って

人間が田舎から沢山やって来る。


 童謡をつくってみた。売れるかどうかは判らない。当にする事は一切やめにして、ただ無茶苦茶に書く。書いてはつっかえされて私はまた書く。山のように書く。海のように書く。私の思いはそれだけだ。そのくせ、頭の中にはつまらぬ事も浮んで来る。

 あのひとも恋しい。このひともなつかしや。ナムアミダブツのおしゃか様。

 首をくくって死ぬる決心がつけばそれでよろしい。その決心の前で、私は小説を一つだけ書きましょう。森田草平の煤煙ばいえんのような小説を書いてみたい。

 夜更けて谷中やなかの墓地の方へ散歩をする。

 きらめくばかりの星屑の光。なんの目的で歩いているのかはわからないけれども、それでも私は歩く。按摩あんまさんが二人、笛を吹いては大きく笑いながら行く。下界は地とすれすれに、もやが立ちこめて秋ふけた感じだ。

 石屋の新しい石の白さが馬鹿に軽そうに見える。私は泣いた。行き場がなくて泣いた。石に凭れてみる。いつかは、私も墓石になるときが来る。何時いつかは……。私はお化けになれるものだろうか……。お化けは何も食べる必要がないし、下宿代にせめられる心配もない。肉親に対する感情。恩返しをしなければならないと云うつまらぬ苛責かしゃく。みんな煙の如し。

 雨戸の奥で、石屋さんの家族の声がしている。まだ無縁な、誰の墓石になるとも判らない、新しい石に囲まれて、石屋さんは平和に眠っている。朝になれば、またつちをふるって、コツコツと石を刻んで金に替えるのだ。

 いずれの商売も同じことだ。

 石に腰をかけていると、お尻がしんしんと冷い。わざと孤独に身を沈めたかっこうでいると、涙があとからあとから溢れこぼれる。

 平和に雨戸を閉ざした横町が奥深くつづいている。省線の音がする。匂いのいい花の香がただようている。私はいつもおなかが空いている。少しでも金があれば、私は尾道へかえってみたいのだ。

 私は多摩川にいる野村さんと一緒になろうかと思う。

 どうにも、独りではやりきれないのだ。

 誰も通らない星あかりのくらい通りを、墓地の方へ歩いてみる。おそろしい事物には、わざと突きすすんでふれてみたいような荒びた気持ちだ。おかしくなければ、私は尻からげになって、四つん這いになって石道を歩きたい位だ。狂人みたいだと云うのは、こんな気持ちをさして云うのであろう……。

 結局はいったい、自分は何を求めているのだろうと考えてみる。金がほしい。ほんのしばらくの落ちつき場所がほしい。

 知らない路地から路地を抜けて歩く。まだ起きて賑やかに話しあっている家もある。ひっそりと眠っている家もある。


(十月×日)

 団子坂の友谷静栄さんの下宿へ行く。「二人」と云う同人雑誌を出す話をする。十円の金の工面も出来ない身分で、雑誌を出す事は不安なのだけれども、友谷さんが何とかしてくれるのに違いない。豊かな暮しむきでいる人の生活は不思議とも何とも云いようがない。

 友谷さんに誘われて、二人で銭湯へ行く。二人の小さい裸体が朝の鏡に写っている。マイヨールの彫刻のような二人の姿が、二匹の猫がたわむれているようだ。何と云う事もなく、私は外国へ行きたくなった。バナナをいっぱい頭にのせたインド人のいる都でもいい。何処どこか遠くへ行きたい。女の船乗りさんにはなれないものかな。外国船のナースみたいな職業と云うものはないかな。

 詩を書いていたところで、一生うだつがあがらないし、第一飢えて干乾ひぼしになるより仕方がない。私が、栗島澄子ほどの美人であるならば、もっとしあわせな生き方もあったであろう……。友谷さんもきれいな御婦人だ。このひとには全身に自信がみなぎっている。浅黒い肌ではあるけれども、その肌の色は野性の果物の匂いがしている。私の裸は金太郎そっくり。只、ぶくぶくと肥っている。お尻の大きいのは、下品なしょうこだ。うまいものを食べている訳ではないけれど、よくふとってゆく。ぶくぶくによく肥る。

 友谷さんはかたねりの白粉おしろいを首筋につけている。浅黒い肌が雲のように淡く消えてゆく。久しく、白粉をつけた事がないので、私は男の子のように鏡の前に立って体操をしてみる。ふっと、このままはしって電車道まで歩いたらおかしいだろうなと思う。

 裸で道中なるものか……何かの唄にあったけれども、誰も好きだと云ってくれなければ、私はその男のひとの前で、裸で泣いてみようかと思う……。

 風呂のかえり、友谷さんと、団子坂の菊そばに寄る。ざるそばの海苔のりの香が素敵。空もからりとして好晴なり。庭の大輪の白い菊の花が、そうめんのように、白い紙の首輪の上に開いている。不具者のような大輪の菊の花なり。──湯上りにそばを食べるなぞとは幸福至極。「二人」は五百部ばかりで、十八円位で出来る由なり。八頁で、紙は素晴しくいいのを使ってくれるそうだ。私は銘仙の羽織を質におく事を考える。四五円は貸してくれるに違いない。

 書く。ただそれだけ。捨身で書くのだ。西洋の詩人きどりではいかものなり。きどりはおあずけ。食べたいときは食べたいと書き、れている時は、惚れましたと書く。それでよいではございませんか。

 空が美しいとか、皿がきれいだとか、「ああ」と云う感歎詞ばかりでごまかさない事だ。いまに私は本格的なダダイズムの詩を書きましょう。

 帰りの坂道で五十里いそり幸太郎さんにう。この涼しいのに尻からげ。セルの着物に角帯。私は下宿にもどる気もしないので、動坂へ出て、千駄木町の方へ歩く。涼やかな往来を楽隊が行く。逢初あいぞめから一高の方へ抜けてみる。帝大の銀杏いちょうが金色をしている。燕楽軒の横から曲ってみる。菊富士ホテルと云う所を探す。宇野浩二と云うひとが長らく泊っている由なり。小説家は詩人のようでないから一寸ちょっと怖ろしい。鬼のような事を云いだされてはこっちが怖い。そのくせ何となく逢ってみたい気もする。

 小説を寝て書く人だそうだ。病人なのかな。寝て書くと云う事はむつかしい事だ。ホテルはすぐ判った。おっかなびっくりで這入はいって行くと、女中さんはきさくに案内してくれる。宇野さんは青っぽい蒲団の中に寝ていた。なるほど寝て書くひとに違いない。スペイン人のようにもみあげの長いひと。小説を書いている人は部屋のなかまで何となく満ちたりた感じだった。「話をするように書けばいいでしょう」と言った。仲々そうはいきませんねと心で私はこたえる。散らかった部屋。誰かがたずねて見えた由にて、早々に引きあげる。ああ、宇野浩二までに行くには前途はるかなりだ。宇野浩二とはいい名前なり。寝て書けると云う事は大したものだと思う。話をするように書くと云う事が問題だ。あのね、私はねと書いてみた所でどうにもなるものではない。

 作家の部屋と云うものは、なんとなく凄味すごみがあって気味が悪い。歩きながら、女子美術の生徒のむらさきのはかまの色の方が、ふくいくとしていると考える。小説とはつまらないものかも知れない。人々は活々と歩き、話し、暮している。街を歩いている方が、小説よりも面白い。

 夕方、下宿へ戻る。

 野村さん、日曜日には遊びにいらっしゃいと云う置手紙あり。がらんとした部屋の中に坐ってみる。落ちつかない。寝ている宇野浩二の真似でもしてみようかと思うけれども、ふとっているので、すぐ、両肘りょうひじがしびれて来るに違いない。夕飯ごろの下宿は賑やかだ。みんな金を払っているから、煮物の匂いもうらやましい。


        *


(十二月×日)

 朝から降りまない雪のなかを、子供をおぶった芳ちゃんと出かける。積もるとみせかけて、牡丹雪ぼたんゆきは案外なところで消えてゆく。寛永寺坂の途中で、恭次郎さんに逢う。友人のところに泊ったのだと云って、見知らぬ二人連れの男のひとと並んで、寒い逢初の方へ降りて行った。

 恭次郎さんはいい男だな。あのひとは嘘を云わない。だけど、私は恭次郎さんの詩は一向に判らない。恭次郎さんを見ると、私はすぐ岡本さんのことを思い出す。私は岡本さんが好きだ。友谷さんの旦那さんだと云うことがめざわりで仕方がない。だけど、男のひとと云うものは、私のような女は一向に眼中にはいれてくれない。

 あんまり寒いので、坂の途中の寺の前のたいやき屋で、たいやきを十銭買う。芳ちゃんと歩きながら食べる。のこりの二つを一つずつ分けて、二人ともあったかい奴を八ツ口の間から肌へじかにつけてみる。

「おおあついッ」

 芳ちゃんが笑った。私はたいやきを胃のあたりへ置いてみる。きいんと肌が熱くていい気持ちだ。かいろを抱いているみたいだ。我慢のならない淋しさが胃のなかにこげつきそうになって来る。雪が降る寛永寺坂。登りつめると、うぐいすだにの駅にかかった陸橋。橋を越して合羽かっぱ橋へ出て、頼んでおいた口入くちいれ所へ行く。稲毛の旅館の女中と、浅草の牛屋の女中の口が一番私にはむいている。

 お芳さんは、子供づれで稲毛へ行くと云うし、私は浅草がいいときめた。何も遠い稲毛の旅館の女中にならなくてもいい筈だと思うのだけれど、お芳さんは、馬鹿に稲毛が気にいっている。子供が小児ぜんそくと云うので、海辺で働いている方が子供の為にいいと云うのだ。子供は私生児で、その父親は代議士なのだそうだけれども、それも本当なのか嘘なのか私には判らない。ぶきりょうなお芳さんに、そんな男があるとも思えなかったし、第一、それが本当ならば、何も稲毛まで行く事もあるまい。

 私は三円の手数料を払って損をしたような気がした。保証人がいらないと云うのが何よりの仕合せだ。

 浅草の古本屋で、文章倶楽部クラブの古いのをみつけて買う。黄いろい色頁の広告に、十九歳の天才、島田清次郎著「地上」と云う広告が眼につく。十九歳と云う年頃は天才と云うにはふさわしい年頃かもしれない。──私だって天才位はいつも夢にみているのだけれども、この天才はひもじいと云う事にばかり気をとられて凡才に終りそうだ。

 いったい、どこに行ったら平和に飯が食えるのだ。飢えていては何を愛する気にもなれない。第一、こう寒くては何もかもちぢかんでしまう。単衣ひとえの重ね着で、どろどろに汚れているメリンスの羽織と云うていたらくでは、尋常な勤め口もありよう筈がない。

 浅草へ行く。公園のなかで、うどんを一杯ずつ食べて、ついでに腹の上で冷くなった、たいやきも出して食べる。うどん屋の天幕の裾から、小雪まじりの冷い風が吹きぬけて来る。二ツの七輪から火の粉がさかんにぜている。さかんな火勢だ。熱い茶を何杯も貰う。おぶいばんてんをほどいて、お芳さんは子供に乳をふくませ、おしめをあてかえてやっているけれど、ずっくりと濡れたおしめの匂いが何となく不快で仕方がなかった。女だけがびんぼうなくじを引いていると云った姿なり。一生子供なンかほしくないと思う。子供は何度も可愛いくしゃめをしている。

 八銭で買った足袋にも穴があいている。私は若いのに、かさかさに乾いている。ずんぐりむっくりだ。今戸焼のたぬきみたいだ。どうせそんなものよ。ねえ、カンノン様。私はあんたなんか拝む気はないのよ。もっといじめて下さい。御利益と云うものは金持ちに進上して下さい。

 うどんのげっぷが出る。いやらしくて仕方がない。うどんに何の哲学があるのよ。天才はカステイラを食べているンでしょう? うどんの人生。そのくせ、私は、高尚だとか、文学だとか、音楽や、絵画と云うものに無関心ではいられない。──ポオルとヴィルジニイなんて、可愛らしい小説じゃあないの──。オブロモフもこの世にはいます。オネーギン様、あらあらかしこだ。いっぺんでいいから私と恋を語るひとはないものかしら……。明日から牛屋の女中だなんて悲しい。牛殺しがいっぱいやって来る。地獄のなべに煮てやる役はさしずめ鬼娘。ああ味気ない人生でございます。

 私は女優になりたい。

 浅草は人の波、ゆくえも知らぬさすらい人の巷なりけり。


(十二月×日)

 駒形こまがたのどじょう屋の近く、ホウリネス教会の隣りの隣り、ちもとと云う店。まず家の前を二三度行ったり来たりして様子をうかがってみる。昨夜の塩の山が崩れてみじん。薄陽の射した板塀。他人様の家は怖い。牛と云う文字が、急に眼の中に寄って来て、ひしめくと云う文字に見えて来る。ああ私には絶好の機会と云うものがない。私は若い、若いから機会をつかみたいのだ。

 ちもとの裏口からはいって行く。台所の若い男がくすりと笑った。逆毛をたてた大きい耳かくしの髪がおかしいのかも知れない。流行と云うものは私には少しも似合わないのだけれども、やっぱり当世の真似はしてみたくなる。

 女中部屋からのぞいている顔。猿のようにしわだらけのお上さんが、可もなし不可もなしと云った顔つきで、「まア、働いてごらん」と至極あっさりしている。

 持ちものは風呂敷包み一つ。まず朝食に、どんぶりいっぱいの御飯にがんもどきの煮つけ一皿。ああ嬉しくて私はひざをつきそうにあわててしまう。


恋などとはたかのしれたものだ

散る思いまことにたやすく

一椀の飯に崩折れる乞食の愉楽

洟水はなみずをすすり心を捨てきる

この飯食うさまの安らかさ

これも我身なり真実の我身よ

哀れすべてを忘れ切る飢えの行

尾を振りて食う今日の飯なり。

無宿者の歩みつく道

一面の広野と化した巷の風

ああ無情の風となげく我身なり。


 脂の浮いた、どろどろにみついた牛肉の匂い。吐気が来そうだ。女中達は全部そろえば八人になるのだそうだけれど、五人が通いで、ここに住み込んでいるのは三人。みなどの顔も大したことではない。耳かくしはおかしいと云うことで、さっそく髪結さんに連れて行って貰う。いちょうがえしに結うのだそうだ。私はまだ桃割れの似合う若さだのに、いちょうがえしでなければならないときいてがっかりしてしまう。

 かたねりの白粉も買わなければならない。何しろ、お風呂へ行って、首だけ白くつけると云う不思議さ。一緒に風呂へ行った澄さんと云うのが、御園白粉が一番いいと教えてくれたけれど、もういちょうがえしに結って、金はみんな出してしまったので、白粉は二三日借りる事にする。

 夕方から女中部屋は大変なにぎわいなり。

 赤ん坊に乳を呑ませている女もいる。みんな二十五六にはなっていそうな女ばかり。私が肩あげをしていると云うので、こそこそと笑いものになる。お芳さんから借りた着物のゆきが長いので、その説明をしようと思ったけれどめんどう臭くなってやめる。どんぐりの背くらべの身すぎ世すぎでいて、この仲間の意地の悪さに腹が立つ。

 朝、私をみてくすりと笑った料理番はヨシツネさんと云った。料理場へ火さげを持って火を取りに行くと、「お前さん、西洋まげより、その髪の方がずっといいよ」と云ってくれた。そして、「ほい、みかん食べな」と云って小さいみかんを二つ投げてくれる。

 ヨシツネさんは定九郎さだくろうみたいな感じ、与市兵衛よいちべえを殺しそうな凄味のある顔をしている。

 二三日は座敷へも出ないで使いやっこだ。火を運ぶ。下足も取る。ビールや酒も運ぶ。十二時がかんばん。足がつっぱって来る程、へとへとに疲れてしまう。枯れすすきや、かごの鳥の唄がにぎやかだ。ああ、これでは私の行末は牛の犇きと少しも変らない。

 一行の詩一つ書く気力も失せそうだ。あんなに飯をたべたいと望みながら……。夕食は、丼いっぱい山盛りの飯に、いかの煮つけ。ありがたやと食べながら、パンのみに生きるに非ずの思いが湧く。

 誰も私の存在なぞ気にかけてくれる人もないだけに安楽な生活なり。ヨシツネさんは馬鹿に親切なり。

「お前さん、こんなとこ始めてかい?」

「ええ……」

「亭主はあるのかい?」

「いいえ」

「生れは何処だ?」

「丹波の山の中です」

「ほう、丹波たア何処だい?」

 さア、私も知らない。黙って煮込場を出て行く。まず、一カ月がせいぜいと云った勤め場所なり。

 夜、女中部屋へ落ちついたのが二時すぎ。私は呆んやりしてしまう。汚れた箱枕をあてがわれて、それに生がわきの手拭をあてて横になる。女達は、寝ながら賑やかに正月のやりくり話をしている。

 どの男から何をせしめて、この男から何を工面してもらって、ああ、こんなひとたちにも男のひとがいるのかと妙な気がして来る。お芳さんは今日は子供を連れて稲毛へ行ったかしら……。私はここにいられるだけいて、その上で、多摩川の野村さんのところへお嫁に行こうかと思う。考えてみたところで、あそこよりほかに行く当もない。


(十二月×日)

 ヨシツネさんが話があると云う。なんの話かと、ヨシツネさんについて、朝の街を歩く。

 泥んこに掘りかえされた駒形の通りから、ぶらぶらと公園の方へ行く。六区の中の旗の行列。立ちんぼうがぶらついているひょうたん池のところまで来ると、ヨシツネさんは、紙に包んだ薄皮まんじゅうを出して三つもくれた。

「お前いくつだ」

「二十歳……」

「ほう、若く見えるなア、俺は十七八かと思った」

 私が笑ったので、ヨシツネさんも頭をかいて笑った。筒っぽの厚司あつしを着て汚れた下駄をはいているところは大正の定九郎だ。

 話があると云って、なかなか話がない。ああそうなのかと思う。まんざら嬉しくなくもないけれど、何となくあんまり好きな人でもない気がして来る。朝のせいか、すきすきと池のまわりは汚れて寒い。ヨシツネさんはうで玉子を四ツ買った。塩が固くくっついているのが一ツ五銭。歯にしみとおるように冷いうで玉子を、池を向いて食べる。枯れた藤棚の下に、ぼろを着た子供が二人でめんこをして遊んでいる。

「俺、いくつ位にみえる?」

 背の高いヨシツネさんが、大きい唇に、玉子を頬ばりながらいた。

「二十五ぐらい?」

「冗談云っちゃいけないよ。まだ検査前だぜ……」

 へえ、そうなのかと吃驚びっくりしてしまう。男の年は少しも判らない。ああそんなに若いのかと、急に楽々した気持ちで、

「あんた生れは何処?」

 と、訊いてみた。

「横浜だよ」

 ああ海の見えるところだなと思う。

「どうして、あんな牛屋なンかにいるの?」

「不景気でどこにも一人前の口がないからよ。検査が済んだら、さきの事を考えるつもりだ」

 汚ない池の水の上に、放った玉子のからがきらきら反射している。別に話もない。物憂そうな楽隊の音がしている。石道は昨日の雪どけでべとついている。寒い。カンノン様を拝んで仲店なかみせへ出る。ヨシツネさんがふっと小さい声で、

「俺のとこへ来ないか?」

 と、云った。

「何処?」

「松葉町に、おふくろと二階借りしてるンだよ。おふくろはよその家へ手伝いに出掛けていまいない」

 私はヨシツネさんがあんまり若いので行く気がしない。子供のくせにとおかしくてたまらない。

「どうだ?」と訊かれて、私は、「いやだわ」と云った。ヨシツネさんはまた歩き出す。私も歩く。只、寒いのでやりきれない。歩いているのは平気だけれど、私は恋をするなら、もう、心の重たくなるような男がいい。ヨシツネさんの二階借りに行く気はさらさらないのだ。

 仲店で、ヨシツネさんはつまみ細工の小さいかんざしを一つ買ってくれた。一足さきに私は店へかえる。

 まだ、通いの人達は来ていない。小さい簪が馬鹿に美しい。澄さんの鏡をかりて髪に差してみる。変りばえもしない顔だちだけれども、首の白いのが妙に哀れに思える。何だか玉の井の女になったような寒々しい気になって来るけれども、何とない自信も湧いて来る。


馬がかんざしを差した

よろけながら荷をひく馬

一斗も汗を流して

ただ宿命にひかれてゆく馬


たづなに引かれてゆく馬

時々白い溜息ためいきを吐いてみる

誰もみるものはない

時々激しい勢でいばりをたれ

尻っぺたにむちが来る

坂を登る駄馬


いったいどこまで歩くのだ

無意味に歩く

何も考えようがない。


 退屈なので、鉛筆をなめながら詩を書く。女達はあれこれとやりくり話をしている。誰かが私の簪をみて、

「あら、いいのを買ったじゃアないの」

 と、云った。私はみんなにみせびらかしているような気がしてきた。

 文章倶楽部を読む。生田春月選と云う欄に、投書の詩が沢山のっている。

 夜。ヨシツネさんがまたみかんをくれた。だんだんこの店も師走いっぱいわしい由なり。煮方の料理番が、私がヨシツネさんにみかんを貰っているのを見て冷かしている。

 漂いながら夢のかずかずだ。淋しい時は淋しい時。ヨシツネさんと云うのは、義経と書くのだそうだ。

 ヨシツネさんは善良そのものに見えるけれど、どうにも話が合いそうにもない。私がこのひとの二階へ行って寝たところで、私の人生に大したこともなさそうだ。このひとと一緒になったところで、私はすぐ別れてしまうに違いない。ヨシツネさんは平和なひとだ。


(十二月×日)

 歳末売出しの景気だけは馬鹿にそうぞうしい。──私はやっと客の前へ出るようになった。チップはかなりあるけれど、時々女たちに意地悪をされて取られてしまう事もある。ヨシツネさんが云った。

「お前、馬鹿に本を読むのが好きだな。あんまり読むと近眼になるよ」

 私はおかしくて仕方がない。もう、とっくに近眼になっているのだもの。稲毛のお芳さんから手紙。思わしくないので、正月前に、また東京へ戻りたい由。子供は風邪ばかり引いて、百日ぜきのひどいのにかかっている。お芳さんは大工さんと夫婦になる由なり。どうにもくってゆけないので、連子でいいと云われたのをさいわい、大工さんと一緒になって住むから、勉強するのだったら、一部屋位は貸して上げると景気のいい話だ。

 私は、正月には野村さんのところへ行きたい。野村さんは、早く一緒になろうと云ってくれている。あのひとも貧乏な詩人。

 ここで始めて紫めいせんを二反買う。金五円也。暮までには、裾まわしと、羽織の裏が買えそうだ。

 今日は髪結さんのかえり、ヨシツネさんに逢った。また話があると云う。ヨシツネさんは突然「これはプラトニックラブだよ」と云った。私はおかしくなって、くすくす笑いこける。

「プラトニックラブってなによ?」

「惚れてると云うことだろう……」

 私は何と云うこともなく、何も、野村さんでなくてもいいと思った。ヨシツネさんと一緒になってもいいような気がした。寒いのでミルクホールにはいる。

 大きなコップに牛乳を波々とついで貰う。ヨシツネさんは紅茶がいいと云う。今日は私が御馳走する。ケシの実のついたアンパンを取って食べる。紫色のあんこが柔らかくて馬鹿にうまい。金二十銭也を払う。

 ヨシツネさんは、月々五六十円位にはなるのだそうだ。子供が出来てもやってゆけない事はないと云う。私は、お芳さんの汚ない子供を思い出してぞっとしてしまう。

「私は、お嫁さんになる気はないのよ。勉強したいのよ。ヨシツネさんはもっと若い、十七八のお嫁さんがいいでしょう……」

 ヨシツネさんは黙っていた。しばらくして、「何の勉強だ」と訊く。

 何の勉強だと云われて私は困る。

「私は女学校の先生になりたいのよ」

 ヨシツネさんは妙な顔をしていた。私も妙な気がした。何だか、罪を犯したようなやましい気になる。

 夕方から雨。ヨシツネさんは馬鹿にていねいだ。プラトニックラブと云った顔が、急に中学生のように見えて来る。

 澄さんの客に呼ばれて、随分酒をのまされた。少しも酔わない。客は帝大の学生ばかり。ヨシツネさんと同じ位だけれど、馬鹿に子供子供してみえる。

「このひとは、本ばかり読んでいるのよ」と、澄さんが云った。

「何の本を読んでいるンだ?」

 ずんぐりした、小さい学生が私に杯をさしながら尋ねた。私は「猿飛佐助よ」と大きい声で云った。みんなわアっと笑った。猿飛佐助がどうしておかしいのか私には判らない。酔ったまぎれに、紺屋高尾こんやたかおうなってみせる。みんな驚いている。

 学生とはそんなものだ。あんまり酔ったので、女中部屋へ引っこんだのだけれど、苦しくてもどしそうになる。ヨシツネさんがのぞきに来たのを幸い、洗面器を持って来て貰った。酢っぱいものがみんな出る。すべてを吐く。

「ヨシツネさん!」

「何だよ……」

「そこへつっ立ってないで、塩水でも持って来てよ」

 ヨシツネさんはすぐ塩水をつくって来てくれた。帯をとくと、五十銭玉がばらばらと畳にこぼれる。

「無理して飲む奴はないよ」

「うん、プラトニックラブだから飲んだのよ。あんた、そう云ったじゃないの……」

 ヨシツネさんが急にかがみこんで、私の背中をいつまでもなでてくれた。


        *


(十二月×日)

 火を燃やしたくなったので、からになった炭俵や、枯葉をあつめてどんどを燃やす。私はこうした条件のなかで生きる元気がない。少しもない。大切なものを探し出して燃やしてやりたくなる。部屋のなかへはいって、大切なものを探してみる。野村さんの詩の原稿を三枚ばかり持ち出して火の上にあぶってみる。焼けてしまえばこの詩は灰になるのだと思うと、憎さも憎しだけれども、何となく気おくれして、いけない事だと思い、またもとのところへしまう。

 私は何も出来ない。勇気のない女になりさがってしまっている。今朝、私たちは命がけであらそった。そして、男はしたいだけの事をして街へ行ってしまった。あとかたづけをするのは私なのだ。障子は破れ、カーテンは引きちぎれ、皿も茶碗も満足なのはない。貧乏をすると云う事が、こんなに私達の心身を食い荒してしまうのだ。残酷なほどむき出しになるのだ。私は男をこんなに憎いと思ったことはない。私は足蹴あしげにされ、台所の揚け板のなかに押しこめられた時は、このひとは本当に私を殺すのではないかと思った。私は子供のように声をあげて泣いた。何度も蹴られて痛いと云う事よりも、思いやりのない男の心が憎かった。

 毎日のように、私は男の原稿を雑誌社に持って行った。少しも売れないのだ。何だかもう行きたくなくなったのよと冗談に云った事が、そんなに腹立たしいのだろうか……。私は、どんなに辛い時だってにこにこしている事なんかやめようと思う。どうしても行きたくない事も時にはある。わけのわからぬところへ使いに行くのはがまんがならないのだ。自分で行ってくればいいのだ。私はもう、そんな辛い使いにはあきあきした。

 飯も食えないのに一人前の事を云うなッと怒った。飯が食えないと云って、物乞いのような気持ちには私はなれないのだ。

 火を燃やしながら、私は今度こそ別れようと思う。そのくせ、一銭も持たないで家を飛び出した男の事を考えて無性に泣けて来る。どうしているかと哀れなのだ。

 道の下の鯉の池が、石油色に光っている。大家さんの女中さんらしいのがかれすすきの唄をうたって横の道を通っている。大家さんは宮武骸骨さんと云う人なのだそうだ。家からずっと離れた丘の上に邸があるので、ここの人達を見た事がない。私の家は六畳一間に押入れに台所。土壁のないバラックで、昔は物置であったのかもしれない。私はここへ引越して来ると、新聞紙を板壁に二重に張った。蒲団は野村さんので充分だと云うので、下宿屋の払いの足しに売り払って、三円ばかし残しておいたので、私はカーテンや米を買ってお嫁入りして来たのだけれども……。火を燃やしながら、私はいろいろな事を考える。もう、これが私の人生の終りなのかもしれない。私は死にたいと思う。もう、こんな風な生きかたがめんどうくさいのだ。独りでいるには淋しいし、二人になればもっと辛いのだと思うと、世の中が妙にはかなくなって来る。

 夜、破れたカーテンを繕いながら、いろいろな空想をする。火の気のない凍るような夜ふけ。あしおとがする度、きき耳をたてる。遠くで多摩川電車のごうごうと云う音がする。あんまり静かなので、耳の中がしんしんと鳴る。行末はどんなになるのか見当がつかない。どうにかなるだろうと思ってもみる。朝から飯をたべていないので、からだじゅうがすごんで来る。虎のようにのそのそと這いまわりたいような烈しい気持ちになる。

 部屋の中を綺麗きれいにかたづけて寝床を敷く。ここにも敷布のない寝床。寝巻きがないので裸で私はおやすみ。水へ飛びこむような冷たさ。こっぽりと着物を蒲団の上にかける。着物の匂いがする。時々、枕もとで鯉がはねる。夜更けの街道をトラックが地響きをたてて坂を降りて行く。


冒涜ぼうとくはおつつしみ下され

私には愚痴や不平もないのだ

ああ百方手をつくしても

このとおりのていたらく

神様も笑うておいでじゃ

折も折なれば

私はまた巡礼に出まする


時は満てり神の国は近づけり

なんじら悔い改めて福音を信ぜよ

ああ女猿飛佐助のいでたちにて

空を飛び火口を渡り

血しぶきをあげて私は闘う

福音は雷の音のようなものでしょうか

一寸おたずね申し上げまする


 どうにも空腹にたえられないので、私はまた冷い着物に手を通して、七輪しちりんに火をおこす。湯をわかして、竹の皮についたひとなめの味噌を湯にといて飲む。シナそばが食べたくて仕方がない。十銭の金もないと云う事は奈落の底につきおちたも同じことだ。トントンきの屋根の上を、小石のようなものがぱらぱらと降っている。ここは丘の上の一軒家。変化へんげが出ようともかまわぬ。鏡花きょうかもどきに池の鯉がさかんにはねている。味噌湯をすする私の頭には、さだめし大きな耳でも生えていよう……。狂人になりそうだ。どうにもならぬと思いながら、夜更けの道を、あのひとがあんぱんをいっぱいかかえてかえりそうな気がして来る。かすかにあしおとがするので、私ははだしで外へ出て見る。雪かと思うほど、四囲は月の光りで明るい。関節が痛いほど寒い。ぱったりと戸口で二人が逢えばどんなに嬉しかろう……。

 遠いあしおとは何処かで消えてしまった。硝子戸ガラスどを閉ざして、また七輪のそばに坐る。坐ってみたところで、寒いのだけれども、横になる気もしない。何か書いてみようと、机にむいてみるのだけれども膝小僧が破れるように寒くてどうにもならない。少し書きかけてやめる。かんぴょうでもいいから食べたい。


(十二月×日)

 朝。思いがけなく母がまっかな顔をしてたずねて来る。探し探しして来たのだと云って小さい風呂敷包みをふりわけにかついで、硝子戸のそとに立っていた。私はわっと声をあげた。ああ、何と云うことでございましょう。浜松で買ったと云う汽車のべんとうの食い残しの折りが一ツ。うで玉子が七ツ。ネーブルが二ツ。まことにまことにこれこそ神の国の福音のような気がする。私へのネルの新しい腰巻きに包んだちりめんじゃこ。それに、母の着がえと髪の道具。顔も洗わないで、私は木の香のぷんと匂うべんとうを食べる。薄く切ったあかいかまぼこ、梅干、きんぴらごぼう。糸ごんにゃくと肉の煮つけ、はりはり、じゅうおうむじんに味う。

 田舎も面白いことがない由なり。不景気は底をついとるぞなと母は歎く。いくら持っているのと聞くと、六十銭より持っておらぬと云う。どうするつもりなのと叱ってみる。四五日泊めて貰えれば、お父さんも商売の品物を持って来ると云う。

 霜のきつい朝だったのだけれど、ぽかぽかとした陽が部屋いっぱいに射し込む。泊めたくても蒲団がないのよと云ってはみたものの、このまま何処へこのひとを追い出せると云うのだろう……。三枚の座蒲団をつないで大きい蒲団を一枚ずつ分けて何とか工夫をして寝て貰うより仕方がない。

 陽のあたる処へ蒲団を引っぱって来て母に横になって貰う。母はもう部屋の様子で、私の貧しい事を察したとみえて、何も云わないで、水ばなをすすりながら羽織をぬいで、寝床の中へはいった。私は小さい火鉢に、昨日のどんど焼きの灰を入れて火を入れる。やがて、湯がしゅんしゅんとわく。茶の葉もないので、べんとうの梅干を入れて熱い湯を母へ飲ませる。

 父は輪島塗りの安物を仕入れたので、それを東京で売るのだそうだ。東京には百貨店と云う便利なものがあるのを知らないのだ。夜店で並べて売ったところで、いくらも売れるものではない。私は困ってしまう。うで玉子を一つむいて食べる。あとは男へ食べさせてやりたい。

「東京も不景気かの?」

「とても不景気ですよ」

「どこも同じかのう……」

 梅干をしゃぶりながら母が心細い顔つきをしている。今度の男さんは、どのような人柄で、何の商売かとも母は聞かない。非常に助かる。聞かれたところでどうしようもないのだ。母はからの茶筒に手拭をあて、しばらく眠った。口を開けて気持ちよさそうに眠っている。昼過ぎになって野村さん戻って来る。

 母を引きあわせようとする間をすりぬけて、机へ向いて本を読み始める。母と私は台所の板の間に座蒲団を敷いて坐った。湯をわかしてうで玉子を四つにネーブルを二つ、机のそばへ持って行って、おみやげですよと云うと、只、ほしくないよッときつく云って、みむきもしない。私はかあっとして、うで玉子を男の頭にぶちつけてやりたい気になった。何と云うひねくれたひとであろうかとやりきれなくなって来る。まだこのひとは怒っているのだろうか……。このえこじな、がんこなところが私には不安なのだ。私の書きかけの詩の原稿がくしゃくしゃにまるめられて部屋のすみに放ってある。私はそれを拾ってしわをのばしているうちに、何とも切なくなってきて、誰にもきこえないように泣いた。どうしたらいいのか自分でもわからない。母は息をころしたように台所の七輪のそばにうずくまっている。泣くだけ泣くと、すぐからりと気持ちが晴れて、私はもうどうでもいいと云う思いにつきあたって気が軽くなった。母がしょんぼりしたかっこうで、私を見るので、私はにゅっと舌を出してみせた。涙がこぼれぬ要心のために、舌を出していると、こめかみと鼻のしんがじいんと痛くなる。

 台所の土間へ降りて、縁の下にかくしてある風呂敷の中に、しわをのばした原稿をしまう。見られては悪いものばかりはいっている。長い間書きためた愚にもつかないものばかりだけれども、何となく捨てかねて持ち歩いている私の詩。これこそ一文にもならぬものだ。焼いてしまいたいと何度か思いながら、十年もたったさきへ行って、こんなこともあった、あんなこともあったと思うのも無駄ではないとも思える。

 どうにもやりきれないので、外出をする支度をする。何処と云って行くあてはないのだけれども、一応母を連れ出してよく話をしなければならぬ。私は粉炭こなずみを火鉢の中に敷いて、火をこっぽりと埋めて、やかんをかけておいた。二つある玉子を母にもむいてやる。母は音もさせないで玉子をのみこむように食べた。

「一寸、そとへお母さんと出て来ます」

 と、机のそばへ行ったのだけれど、男は相変らずみむきもしない。二人で外へ出た時は、腹の底から溜息が出た。私は何度も深呼吸をした。私がそんなにいやな女なのだろうかと思う。まるで自信がなくなってしまう。ごみくずのような気がして来る。只、私は若すぎると云うだけだ。何も知らないのかも知れない。それでも自分には何の悪気もないのよとべんかいめいた気持ちにもなるのだ。

 たまにささやかな金がはいって、五銭で豆腐を買い、三銭でめざしを買い、三銭でたくあんを買って、三色も御ちそうが出来たと云うと、つまらんことを自慢にすると小言が出るし、たまに風呂へ行って、よその女のように首へおしろいを塗って戻ると、君の首はいくびだから太くみえてみにくいのだと云う。どうしたらいいのか私にはわからない。この男と一生連れそってゆくうちには、はがねのようにきたえられて、泣きも笑いもしない女に訓練されそうな気がして来る。私はふところへいれて来た玉子をむいて、母へもう一つ食べなさいと口のそばへ持って行ってやった。もうほしゅうないと云うので厭な気持ち。むりやり食べさせる。

 私は歩きながら、ふっと、前に別れた男のところへ行って十円程金をかりようかと思った。芝居をしていたひとなので、旅興行にでも出ていたらおしまいだと思ったけれども、運を天に任せて渋谷へ出て、それから市電で神田へ出てみる。街は賑やかで、何処も大売出し。明るい燈火が夜空にほてっている。停留所のそばには、団扇うちわだいこを叩いてゆく人達がいた。レディメイドの洋服屋が軒なみに並んでいる。母は茶色のコオールテンの上下十五円の服を手にして、お父さんに丁度よかねと、いっとき眺めていた。金さえあれば何でも買えるのだ。金さえあればね。

 私は洋服を見たり、賑やかな神保町じんぼうちょうの街通りを見たりして、仲々考えがさだまらなかった。やっとの思いで母を通りに待たせて、そのひとの家へ行ってみる。路地をはいると魚を焼く匂いがしていた。台所口からのぞくと、そのひとのお母さんがびっくりして私を見た。お母さんはあわてた様子でどもりながら、風呂へ行っているよと云った。私はすうっとあきらめの風が吹いた。どうでもいいと思った。急いでさよならをして路地を出ようとすると、そのひとが手拭をさげて戻って来た。私は逢うなり十円貸して下さいと云った。もやの深い路地の中に、男は当惑した様子で、家へ戻って行った。そしてすぐ何か云いながら五円札を持って来て、これだけしかないと云って、私の手にくれるのだ。私は息が出来ないほど体が固くなっていた。罪を犯しているような気がした。あなたの平和をみだしに来たのではないのよ。美しいおくさんと仲良くお暮し下さいと云いたかった。私はまるで雲助みたいな自分を感じる。芝居に出て来るごまのはいのような厭な厭な気がして来た。走って路地を出ると、洋服屋の前で母はしょんぼり私を待っていた。私の顔を見るなり母は、「何処か便所はなかとじゃろか? どうしようかのう、冷えてしもて、足がつっぱって動けん」と云う。私は思いきって母をおぶい、近くの食堂まで行った。食堂の扉を開けると、むっとするほどゆげがこもって、石炭ストーヴがかっかっと燃えてあたたかい部屋だった。母を椅子にもおろさないで、私はすぐ、はばかりを借りて連れて行った。腰が曲らないと云うので、男便所の方で後むきに体をささえてやる。何と云う事もなく涙があふれて仕方がないのだ。涙がとまらないのだ。男達の残酷さが身にこたえて来るような気がした。別に、どの人も悪いのではないのだけれども、こうした運命になる自分の身の越度おちどが、あまりに哀れにみじめったらしくてやりきれなくなるのだ。

 私は今日から、ものを書く男なぞ好きになるのはやめようと心にきめる。俥夫しゃふでも大工でもいいのだ。そんな人と連れ添うべきだ。私も、もう、今日かぎり詩なぞ書くのはふっつりやめようときめる。私の詩を面白おかしく読まれてはたまらない。ダダイズムの詩と人は云う。私の詩がダダイズムの詩であってたまるものか。私は私と云う人間から煙を噴いているのです。イズムで文学があるものか! 只、人間の煙を噴く。私は煙を頭のてっぺんから噴いているのだ。

 母をストーヴのそばの椅子に腰かけさせる。座蒲団を借りて、腰を高くして楽にしてやる。

「御飯に、よせなべに、酒を一本頂戴」

 酒が十五銭、よせなべが二人前六十銭。飯が一皿五銭。私は熱い酒を母のチョコと私のチョコについだ。酒が泡を吹いている。さかずきがまた涙でくもってぼおっと見えなくなる。私はたてつづけに三四杯飲む。酒が胸に焼けつくようだ。壁の鏡のそばで、学生が二人夕刊を読みながら、焼飯を食べている。母も眼をつぶって盃を口へ持って行っている。二本目の酒を註文ちゅうもんして、また独りで飲む。心の中がもうろうとして来る。母はよせなべのつゆを皿盛りの御飯にかけてうまそうに食べている。

 空腹に酒を飲んだせいか、馬鹿に御めいてい。私は下駄をぬいで椅子に坐った。両手の中に顔を伏せていると部屋のなかがシーソーのようにゆらゆらとゆれる。何も思う事はない。只、ゆらりゆらり体がゆれているきり。不ざまな卑しい女は私なのよ。ええ、そうなの……まことにそうなンです。うじが降りかかって来そうだ。

 盃に浮いた泡をふっと吹く。煮えたぎった酒。おっかない酒。しどろもどろの酒。千万の思いがふうっと消えてなくなってゆく酒。背中をなでて貰いたい酒。若い女が酒を飲むのを、妙な顔で学生が見ている。世間から見ればおかしなものに違いない。だいぶあたたまったのか、母も椅子の上にちょこんと坐った。私はおかしくてたまらない。

「大丈夫かの?」

 母は金の事を心配している様子。私は現在のここだけが安住の場所のような気がして仕方がない。何処へも行きたくはない。

 しめて一円四銭の払いなり。四銭とはお新香だそうだ。京菜の漬けたのに、たくあんの水っぽいのが二切れついている。

 あかね射す山々、サウロ彼の殺されるをよしとせり。その日エルサレムに在る教会にむかいて大いなる迫害おこる……。ああ、すべては今日より葬れ。今日よりすべてを葬るべし。

 瀬田へ戻ったのが十時。湯気のたっている熱いシュウマイをまず主にささげん。──野村さんはもう蒲団の中に寝ていた。机の横に、私の置いたままのかっこうで、玉子とネーブルがまだ生きている。私は部屋に立ったまま恐怖を感じる。足もとが震えて来る。壁の方をむいたまま動かない人を見てはもうろうとした酔いもさめ果てる。私は破れた行李こうりを出して、その中に座蒲団を敷き母をその中に坐らせる。早く夜明けが来ればいいのだ。七輪に木切れをき部屋をあたためる。

 新聞紙を折りたたんで、母の羽織の下に入れてやる。膝にも座蒲団をかけ、私も行李の蓋の中へ坐る。まるで漂流船に乗っているようなかっこうだ。

 七輪の生木がぱちぱちと弾けて、何とも云えない優しい音だ。来年は私も二十一だ。はやく悪年よ去れ! 神様、いくらでも私をこらしめて下さい。もっとぶって、打ちのめして下さい。もっと、もっと、もっと……。私は手が寒いので、羽織の肩あげをぷりぷりと破って袖口で手を包んだ。血へどを吐いてくたばるまで神様、ぶちのめして下さい。

 明日はカフエーでも探して、母を木賃宿きちんやどにでも連れて行こうと思う。あったかいシュウマイを風呂敷に包んで母の下腹に抱かせる。しんしんと寒いので、私は木切れを探しては燃やす。涙の出るほどけぶい時もある。駅の待合所にいるつもりになれば何でもないのだ。寝ているひとは死人のように動かない。全身で起きていて、あのひとも辛いのに違いないと思う。辛いからなおさら動けないのだ。


(十二月×日)

 夕焼のような赤い夜明け。炭がないので、私は下の鯉屋の庭さきから、木切れを盗んで来る。七輪にやかんをかけて湯をわかす。机のそばのネーブルを一つ取って来て、母へミカン汁をしぼってそれに熱い湯をさして飲ませる。

 さて、私もいよいよ昇天しなければならぬ。駅の近くの荒物屋へ行って、米を一升買う。雨戸がまだ一枚しか開いていない。暗い土間にはいって行くと、台所の方で賑やかな子供達のさわぐ声がして、味噌汁の香りが匂う。人々のだんらんとはかくも温く愉しそうなものかと羨ましい気持ちなり。男の為にバットを二箱買う。福神漬を五十匁買う。

 帰ってみると、母は朝陽の射している濡れ縁のところで手鏡をたてて小さい丸髷まるまげをなでつけていた。男は、べっとりと油ぎった顔色の悪さで、口を開けて眠っている。


        *


(一月×日)

 侮辱拷問も……何もかも。黙って笑っている私の顔。顔は笑っている。つまんで捨てるような、ごみくその、万事がうすのろの私だけれども、心のなかでは鬼のような事を考えている。あのひとを殺してしまいたいと云う事を考えている。私の小さい名誉なぞもう、ここまでにいたれば恢復かいふくの余地なしだ。

 奇怪な悶絶もんぜつしそうな生きかた! そして一文の金もないのだ。

 獰猛どうもうな、とどろくような思いが胸のなかに渦巻く。今夜の雪のように。雪よ降れッ。降りつもって、この街をうめつくして、ちっそくするほど降りつもるがいい。今夜も、この雪の夜も、どこかで子供を産んでいる女がいるに違いない。

 雪と云うものはいやらしいものだ。そして、しみじみと悲しいものだ。泥んこの穴蔵のなかの道につらなる木賃宿の屋根の上にも雪が降っている。さんで眼のたまをぐりぐりぐりぐりと鳴らしてみたいすごんだ気持ちだ。

 只、男のそばから逃げ出したと云う事だけがかっさい拍手。いったい、神様、私にどうしろとあなたは云うのよ。死ねばいいの? 生きてどうしようもない風に追いこむなんてつれないではございませんか! 追込み部屋の暗い六畳の部屋。まず、ごみ箱のような匂いがする。がいこつのようなよぼよぼの爺さんが一人と、四人の女。私だけが肩あげをして若い。只、若いと云うのは名ばかり。女の値打ちなぞ一向にありませんとね……。一升ばかり飲んで酔っぱらって、雪の街を裸で歩いてみたいものだ……。ええ飲まして下さるなら、一升でも二升でも飲んでみせます。

 私は、じいっと台の上の豆らんぷを頼りに、自分の詩を読んでみる。

 みんな本当の、はらわたをつかみ出しそうな事を書いているのに一銭にもならない。どんな事を書けば金になるのだッ。もう、殴る事なンかしない優しい男はいないのだろうか? 下手くそな字で、何がどうしたとか書いたところで、誰もああそうなのと云ってくれる者は一人もない。

 さばのくさったのを食べてげろを吐いたようなもンだ……。おっかさんは私に抱きついてすやすやおやすみだ。時々、雪風が硝子戸に叩きつけている。シナそば屋のチャルメラの音色がかすかにしている。ものを書いてみようなぞとは不思議せんばん。お前のようなうすのろに何が出来るのだ。

 明日は場末のカフエーにでも住み込んで、まずたらふくおまんまを食べなければならぬ。まず食べる事。それから、いくばくかの金をつくる事。拷問! 拷問! 私にもそれ位の生きる権利はあろう……。

 みんなしたり顔で生きている。

 お爺さんが起きて、煙管で煙草を吸いはじめた。寒くておちおち眠っていられないとこぼしている。問わずがたりのお爺さんの話。二日ほど前までは四谷の喜よしと云う寄席の下足番をしていたのだそうだ。心がけが悪くて子供は一人もない由なり。時には養老院にはいる事も考えるけれど、何と云ってもしゃばの愉しみはこたえられぬ。一日や二日は食わいでも、しゃばの苦労は愉しみだと爺さんが面白い事を云う。もう六十五歳だそうだ。私の半生はあんけんさつ続きで、芽の出ないずくめだと笑っていた。あんけんさつとは何なのか判らん。卑劣な生きかたとは違うらしい。さしずめ、私達はさんりんぼうの続きをやっていると云うものだろう。毎日、心の中で助けてくれッ、助けてようと唄のようにうなってばかりいる。電気ブランを飲んでるような唸りかたなり。

「お爺さん、玉の井って知ってる?」

「ああ知ってるよ」

「前借さしてくれるかしら?」

「ああ、それゃアさしてくれるねえ」

「私のようなものにもさしてくれるかしら?」

「ああ、さしてくれるとも……お前さん行く気かい?」

「行ってもいいと思ってるのよ。死ぬよりはましだもン」

 爺さんは両手で禿げた頭を抱えこむようにさすりながら黙っていた。


(一月×日)

 からりとした上天気。眼もくらむような光った雪景色。四十年配のいちょうがえしの女が、寝床に坐ってバットを美味おいしそうに吸っている。敷布もない木綿の敷蒲団が垢光あかびかりに光っている。新聞紙を張った壁。飴色あめいろの坊主畳。天井はしみだらけ。といを流れる雪解け。じいっと耳を澄ましていると、ととん、とんとん、ととんと初午はつうまたいこのような雪解けの音がしている。皆は起き出してそれぞれ旅人の身づくろい。私は窓を開けて屋根の雪をつかんで顔を洗った。レートクリームをつけて、水紅を頬へ日の丸のようになすりつける。髪にはさか毛をたてて、まるでまんじゅうのような耳かくしにゆう。耳がかゆくて気持ちが悪い。

 からすいている。省線がごうごうと響いている。朝の旭町あさひまちはまるでどろんこのびちゃびちゃな街だ。それでも、みんな生きていて、旅立ちを考えている貧しい街。

 私のそばに寝た三十年配の女は、銀の時計を持っている。昔はいい暮しをしていたと昨夜も何度か話していたけれど、紫のべっちん足袋は泥だらけだ。

 役にもたたぬ風呂敷包みを私達は三つも持っている。別にどうと云うあてもなく、多摩川を逃げ出して来て、この木賃宿だけが楽天地のパレルモなり。

 洋々たり万里のひかりだ。曖昧あいまいなものは何一つない。只、雪解けの泥々道を行く気持ちが心に重たい。せた十字架の電信柱が陽に光っている。堕落するには都合のいい道づればかりだ。裸の生活はあきあきした。華族さんの自動車にでもぶちあたって、おお近うよれと云うようなしぎには到らぬものか。若いと云う事は淋しい事だ。若いと云う事は大した事でもないのだもの……。私の手はまんじゅうのようにふくれあがっている。短い指のつけ根にえくぼがある。女学校のころ、ディンプル・ハンドだと先生に云われた。笑った手。私の手は今だに笑っている。

 山出しの女中さんよろしくの姿では誰も相手にしようがあるまい。玉の井で前借もむつかしいに違いあるまい。

 まず、おっかさんを宿へ残して、角筈つのはずを振り出しに朝の泥んこ道を、カフエーからカフエーへ歩いてみる。朝のカフエーの裏口は汚なくて哀しくなってしまう。勇気を出せ、勇気を出せと唸ってみたところでどうしようもない。金の星と云う店に勤める事にする。金の星とは名ばかり、地獄の星とでも云いたいような貧弱な店。まず、ここから花火をどおんと打ちあげる事につかまつる。お女郎屋が軒なみなので、客は相当ある由なり。台所で女の子が、私に塩せんべいを一枚くれた。ふっと涙があふれそうになる。ほてい屋で、十五銭の足袋を一足買う。

 宿賃は一人三十五銭。当分は二人七十銭の先払いでこの宿が安住の場所。本郷バアでカキフライと、ホワイトライスを一人前取っておっかさんと私の昼飯とする。

 夕方、金の星に御出勤。女は私を入れて三人。私が一番若い。ネフリュウドフはみつからぬものかと思う。心配なしに表情だけで「ねえ」と云ってみなければならぬとなれば、少々下ぶくれであっても、ひとかどの意地の悪さでチップをかせがねばならぬ。ああ、チップとは何でしょうかね。お乞食さんと少しも変らない。全身全力で「ねえ」と云わなければならぬ商売。ものを書いてたつきとなるなぞ、ああ遠い。もう眼がみえませぬと臭い便所の中で舌を出してやる。ものを書くなぞと云う希望なぞはない。何も出来っこはない。詩を書くなぞとは愚の骨頂だ。ボオドレエルが何だって? ハイネのぶわぶわネクタイは飾りものなのよ。全く、あのひと達は何で食べていたのかしら……。

 ヌウザボン、ブウサベエだ。パルドン、ムッシュウ。ちょいとごめんなさいねと云う言葉だそうですね。

 おかみさんに、羽織をかたにして二円借りる。一円五十銭をおっかさんにやって、電車道の富の湯へ行く。大きい鏡にうつったところはまず健康児。少しも大人らしくない、くりくりとした桃色の裸。首から上だけがおかまをかぶったようないでたち。女給さんがうようよとはいっている。しゃべっている。三助がわしそうに女の肩をぽんぽんと叩いている。滝のあるペンキ絵。白粉おしろいや産院の広告が眼につく。何日ぶりで湯にはいったのかとおかしくなる。

 街は雪解けで仄明ほのあかるい街のネオンサインが間抜けてみえる。かりの名をまず淀君よどぎみとしようか。蝙蝠こうもりのお安さんとしようか……。左団次の桐一葉きりひとはの舞台がまぶたに浮かぶ。ああ東京はいろんな事があったと思う……。辛いことばかりのくせに、辛い事は倖せな事にはみんな他愛なく忘れてしまう。どんどろ大師の弓ともじって、弓子さんと云う名にする。弓は固くてせめてもの慰めだ。はっしとまとを射て下さい。

 わけのわからぬ客を相手に、二円の収入あり。まず大慶至極。泥んこ道の夜店の古本屋で、チエホフとトルストイの回想を五十銭で買う。大正十三年三月十八日印刷。ああいつになったら、私もこんな本がつくれるかしら……。

《誰でも物を書いた時は、始めと終りとを削らなければならないと思いますよ。そこで、我々小説家は、嘘を云い勝ちですからね。そして短かく書かなければいけません。出来るだけ短かく……》

 チエホフがこんな事を云っている。

 十一時頃客が一寸ちょっと途絶える。店の隅っこで本を読んでいると、勝美さんと云う大きい女が、「あんた近眼なのね」と云った。もう一人はお信さん。子供が二人もあって、通いなのだそうだ。勝美さんは色が黒いので、オキシフルを綿につけては顔を拭いている。私は白粉をつけない事にする。顔をいじくる気はもうとうないのだ。勝美さんだけが住み込みでいる。朝、塩せんべいをくれた女の子が、メリンスのちゃんちゃんこを着て店へ出て来た。痩せた病身な子供だ。

 明日は太宗寺にサーカスがあるから一緒に行こうと私に云う。ろくろ首のみせものもあるのだそうだ。

 旭町へ戻ったのが二時。くたくたに疲れる。今夜も同じ顔ぶれ。

 何だか少しも眠れないので、豆ランプを枕もとに置いて読書。


(一月×日)

 まア驚いた。トルストイと云う作家は、伯爵だったンだ。──いわゆるトルストイの無政府主義と呼ばれるものは、主要的にかつ基礎的に、我々スラヴの反国家主義を表現しているものであり、それは真実の国民的特徴であり、往時から我々の肉の中にみこみ、漂浪的に散ろうとする我々の慾望でもあります。──ロシヤの歴史の雄なる作家トルストイが、伯爵さまであったとは今日の日まで私は知らなかった。伯爵さまでものたれ死にをするのだ。

 おかあさん、ロシヤ人のトルストイは華族さんなんですよ。驚いたものだ。私は妙な気がして躯じゅうがぞおっと寒くなった。

「えらい勉強だね」

 銀時計のおばさんが髪をかきつけながら笑っている。

 まことに御勉強ですとも……。トルストイが華族の出だって事は始めて知った事なンだもの、吃驚びっくりしてしまう。私はトルストイの宗教的なくさみは判りたくないけれども、トルストイの芸術は美しく私の胸をかきたてる。あなたは、かげではひそかに美味うまいものを食っていたンでしょう? アンナ・カレニナ、復活、ああどうにもやりきれぬおおきさ……。

 しおしおとして金の星に御出勤。

 別れた人なぞははるかにごま粒ほどの思い出となり果てた。せめて三十円の金があれば、私は長いものを書いてみたいのだ。天から降って来ないものかしら……。一晩位は豚小舎のような寝かたをしてもかまいません。三十円めぐんでくれる人はないものか……。

 卓子テーブルを拭き、椅子の脚を拭く。ああ無意味な仕事なり。水を流し、ドアのシンチュウをみがく。やりきれなくなって来る。手が紫色にはれあがって来る。泣いているディンプル・ハンド。女の子が鳩笛を吹いている。お女郎が列をなして店の前を通っている。みんなあおい顔をして首にだけ白粉を塗った妙ないでたち。島田にかのこの房のさがったような髪かたち。身丈みたけの長い羽織なので、田舎風に見える。暗い冬の荒れ模様の空の下を奇妙な列が行く。誰も何とも思わない。こうした行列を怪しむものは一人もないのだ。

 今日はレースのかざりのあるエプロンを買う。女給さんのマークだ。金八十銭也。

 東京の哀愁を歌うにふさわしい寒々とした日。足が冷いので風呂をやめて、椅子に坐って読書。全く寒い。新しいエプロンののりの匂いがいやになる。

 夜。

 四五人の職人風の男が私の番になる。

 カツレツ、カキフライ、焼飯、それに十何本かの酒。げろを吐いて泣くのもおれば、怒ってからむのもいる。じいっと見ていると仲々面白い。一時間ほどして女郎屋へ出征との事だ。

 ああ世の中は広いものだと思う。どんな女がこの男達のあいてになるのかと気の毒になって来る。玉の井に行かなくてよかったと思う。在所から売られて来た娘の、今日の行列のさまざまが思い出されて来る。

 勝美さんはもう、相当酔っぱらって歌をうたい始めた。客は二人。二人ともインバネスを着た相当ないでたち。お信さんは時々レコードをかけながらするめをしゃぶっている。今夜は商売繁昌なので、やっと奥から火鉢が出る。

 勝美さんの客は、私にも酒を差してくれた。美味しくも何ともない。五六杯あける。少しも酔わない。年をとった眼鏡の男の方が、お前は十七かと尋ねる。笑いたくもないのに笑ってみせる。ここのところが自分でも何ともいやらしい。

 夕飯を八時頃食べる。いかの煮つけを食べながら、あのひとはいまごろ、何を食べているのだろうかと哀れになって来る。欠点のない立派なひとにも考えられる。お互いの気まずさは別れて幾日もしないうちに消えてきれいになるものだ。惚々ほれぼれとするような手紙でも書いて、ほんの少しの為替でも入れてやりたいような気がして来る。

 一時のかんばん過ぎにも客があった。

 勝美さんはすっかり酔っぱらって、何処どこから私は来たのやら、何時いつまた何処へかえるやらと妙な唄をうたっている。狭い店の中は煙草の煙でもうもう。流しや花売りが何度も這入はいって来る。わあっと狂人のように叫びたくなって来る。勝美さんは酔って火鉢の中へ、焼飯をあけている。油のいぶる厭な匂いがする。

 かえり二時半。

 今夜はお爺さんはいないかわりに子供づれの夫婦者が寝ている。収入三円八十銭也。足袋がまっくろで気持ちが悪い。

 豆ランプを引きよせて読書。ますます眠れない。

 みんなが単純なことを書かなければならぬ。いかにして、ピータア・セミョノヴィッチが、マリイ・イワノヴナと結婚したか、それだけで充分です。そしてまた、なぜ、心理的研究、様子、珍奇などと小見出しを書くのでしょう。みんな単なる偽りです。見出しは出来るだけ簡単に、あなたの心の浮かんだままがよく、外のものはいけません。括弧やイタリックや、ハイフンも出来るだけ少く使うこと、みんな陳腐です。──なるほどね。私もそう思いますが、若い気持ちの中には、仲々そうはゆかない珍奇さに魅力を持つものです。でも、いまに何時いつか私もチエホフの峠にかかりましょう。いまに……。

 思いだけが渦をなして額の上を流れる。ごうごうと音をたてて流れて行く。そしてせんじつめるところは焦々いらいらとして何も書けないと云うこと。このままでは何も出来やしない。まさか、年を取ってからもカフエーの女給さんでいようとは思わない。何とか神様にお助けを願いたいものだ。ノートを出して何か書こうと鉛筆を握ってはみるけれども何一つとして言葉が浮かんで来ない。別れたひとの事が気にかかるだけだ。

 さきの事は一切夢中。あのねえ、私はこんな事考えるのよと云うような小説でも書けないものかと思う……。

 田舎へ帰りたくなったとおっかさんは云う。ごもっともな事です。私だって、田舎へ行って、久しぶりに、晴々とした田舎の空気を吸いたいのだけれども、こんなしがない小銭をかせいでいてはどうにもなるものではない。


        *


(二月×日)

朝霧は船より白く

遠き涙の硝子石

酷い土中のなかの石

かんの花も凍るよと

つれなき肌の一色は

高き声してちまたの風に

独りは歩く只歩く。


汚水の底のどろどろと

この胃袋の衰弱を

笑いも出来ぬ人ばかり

おのが思いも肩掛けに

はかなき世なりと神に問う。


人の世は灰なりとこそ

こもれる息もうたかたの

そのうたかたの浮き沈み

男こいしと唄うなり

地獄のほむら音たてて

荒く息するかたりあい。


せめてと頼むひともなく

いつかと待てど甲斐かいもなく

うき世の豆のぜかえり

はかなきは土中の硝子

吹かれて光る土中の硝子。


 善悪貴賤きせん、さまざまの音響のなかに私はひっそり閑と生きている一粒のアミーバアなり。母を田舎へ戻して二日。もう、何事もここまでで程よい生き方なりと心にきめる。死ぬのはどうしても厭! それなのにどうしても生きてゆかなければならない人間の慾。──野村さんよりハガキが来る。表記に越した。どうやら活気のある生活をとり戻した。一度来られたし。先日の手紙ありがとう。金はたしかに受取った。

 やにわに、ただ心だけが走る。牛込の肴町で市電を降りて、牛込の郵便局の方へ歩く。昼夜銀行の横を曲って、泡盛あわもり屋の前をはいった紅殻べんがら塗りの小さいアパート。二階の七番と教えられて扉を叩く。何もないがらんとした部屋なり。

 何処かへ出掛けるところとみえてあのひとが帽子をかぶって立っていた。私はやみくもに笑った。あのひともにやにや笑った。とてもいいところへ引越したのねと云うと、詩集を一冊出したので、これからは大変景気がよくなるだろうと云う。それにしても、部屋の中はがらんとしている。野村さんは、これから食堂へ飯を食いに行くのだが、五十銭貸してくれと云う。一緒に戸外へ出る。

 泡盛屋の前で、はんてん着のお爺さんが酔ってたおれている。繩のれんの中にはひしめくような人だかり。銭湯のような繁昌ぶりだ。

 飯田橋まで歩いて、松竹食堂と云うのにはいる。卓子は砂ぼこり。丼飯にしじみ汁、鯖の煮つけで、また、夫婦のよりが戻ったような気になる。このひとといることは身のつまる事だと思いながら、私はまた陽気な気持ちになり、うんうんといい返事ばかりしてみせる。このひとといて泣く事ばかりだったと云う事はみんな忘れてしまう。

 このごろは詩の稿料も幾分かよくなったよと野村さんの話なり。新潮社と云うところは詩一つに就いて六円もくれるのだそうだ。うらやましい話だ。食堂を出て、また牛込まで歩く。郵便局のところで、野村さんは、とてもひげの濃いずんぐりした男のひとと丁寧なあいさつをした。佐々木俊郎と云うひとで、新潮社にいるひとだそうだ。ああそれで、あんなに丁寧なあいさつをしなければならなかったのかと思う。

 私は心のうちでごおんと鐘の鳴るような淋しい気持ちになった。ものを書くと云うことはみじめなものだと思った。一年に一度位六円の稿料を貰っては第一食べてはゆけないではないのと云うと、あのひとは、むっとしたそぶりで、風のなかへぺっぺっとつばきを吐いた。

 アパートの前でさよならと云うと、あのひとは私なぞみむきもしないでさっさと二階へ上って行った。私はどうしたらいいのか途方にくれる。朝ぎりや、二人起きたる台所。多摩川にいた頃の二人のわびしい生活を思い出して、私は下駄をにぎったまま二階へ上って行く。扉を開けると、野村さんは、帽子をかぶったまま本を読んでいる。私は、本当にこの人が好きなのかきらいなのか自分でも判らなくなっている。じいっと坐っているとカフエーに帰りたくて仕方がない。「じゃア、帰ります。またそのうち来ます」と云うと、あのひとはそばにあったナイフを私に放りつける。小さいナイフは畳に突きささった。私はああと心のなかに溜息ためいきが出る。まだこのひとは、この厭な癖が抜けないのだ。瀬田の家でも、私は幾度かナイフを投げつけられた。このまま立ちあがると、野村さんは私の躯を足で突き飛ばすに違いないので身動きもならない。寒々とした雨もよいの空がぼんやり眼にうつる。

 誰かが扉をノックしている。私は立ちあがって、扉を開けた。見知らぬ若い男のひとが立っている。私はそのひとを救いの神のように思い、どうぞおはいり下さいと云って、そっと下駄をつかんで廊下へ出て行った。野村さんが何か云って廊下へ出て来たけれども、私は急いで表へ出て行った。風邪をひきそうに頭の痛い気持ちだった。

 横寺町の狭い通りを歩きながら、私は浅草のヨシツネさんの事をふっと思い浮べた。プラトニックラブだよと云ったヨシツネさんの気持ちの方がいまの私にはありがたいのだ。

 独りでいると粗暴な女になる。

 夜。

 酔っぱらって唄をうたっているところへ、にゅっと野村さんが這入って来た。私は客の前で唄をうたっていた唇をそっとつぼめて、黙ってしまった。私の番ではなかったけれども、あのひとに金のない事は判りきっている。胸のなかが酢っぱくなって来る。

 勝美さんがほおずきを鳴らしながら酒を持って行った。私は腰から下がふわふわとして来る。そっと勝美さんを裏口へ呼んで、あのひとは私の知ってるひとで金がないのだからと云うと、勝美さんはのみこんで表へ出て行った。私はそのまま遊廓ゆうかくの方へ歩いて行く。畳屋のかんさんに逢う。何処へ行くンだと云うから、煙草買いに行くンだと云うと、管さんは、寿司をおごろうと云って、屋台寿司に連れて行ってくれた。管さんは新内のうまいひとだ。西洋洗濯屋の二階に、おめかけさんを置いていると云う風評だった。

 ゆっくり時間をとって、帰ってみると、まだ野村さんはいた。そばへ行って話す。酒を飲み、焼飯を食って、平和な表情だった。私は、どんな犠牲もかまわないと思った。

 十時頃野村さん帰る。

 土のなかへめりこんで行きそうな気がした。愛情なぞと云うものはありようがないのだと自分で気づく。


(二月×日)

 朝、大久保まで使いに行く。家賃をとどけに行くのだ。いくらはいっているのか知らないけれど、ふくらんだ封筒を見ると、これだけあれば一二カ月は黙って暮らせるのだと思う。大久保の家主は大きい植木屋さん。帳面に受取りの判こを貰って、お茶を一杯よばれて帰る。

 新宿の通りはがらんとしている。花屋のウインドウに三色すみれや、ヒヤシンスや、薔薇ばらが咲き乱れている。花はいたって幸福だ。電車通りのムサシノ館はカリガリ博士。久しく活動もみないので、みたいなと思う。街を歩きながらうとうととした気持ちなり。平和な気配。森閑と眠りこけている遊廓のなかを通ってみる。どの家の軒にも造花の桜が咲いている。


裏町の黄色い空に

のこぎりの目立ての音がしている

売春の町にほのめく桜 二月の桜

水族館の水に浮く金魚色の女の写真

牛太郎が蒲団を乾している

はるばると思いをめぐらした薄陽に

二階の窓々に鏡が光る。


売春はいつも女のたそがれだ

念入りな化粧がなおさら

犠牲は美しいと思いこんでいる物語

あぶみのない馬 汗をかく裸馬

レースのたびに白い息を吐く

ああこの乗心地

騎手は眼を細めてももで締める

不思議な顔で

のぼせかえっている見物客

遊廓で馬の見立てだ。


 雑貨屋で大学ノート二冊買う。四十銭也。小さいあみ目のある原稿用紙はみるのもぞっとしてしまう。あのひとを想い出すからだ。あのひとは小さいあみ目の中に、月が三角だと書き、星が直線だと書く。生きて血を噴くものにおめにかかりたいものだ。ふわふわと鼻をふくらませて第一に息を吸うこと。口にいっぱいうまいものを頬ばること第二。千松は厭で候。誰とでも寝るために女は生きている。今はそんな気がする。

 ふっと気が変って、また牛込へ尋ねてゆく。野村さんは不在。神楽坂の通りをぶらぶら歩く。古本屋で立読み。このぐらいの事は書けると思いながら、古本屋の軒を出ると、もう寒々と心の中が凍るように淋しくなる。何も出来ないくせに、思う事だけは狂人のようだ。また本屋に立ち寄ってみる。手あたり次第にぱらぱらと頁をめくる。何となく気が軽くなる。そしてまた戸外へ出ると心細くなって来る。歩いていることがつまらなくなって来る。すべては手おくれになった手術のようで、死を待つばかりの心細さ……。

 店へ戻ると、もう掃除は出来ていた。

 医学生が三人で紅茶を飲んでいる。二階へあがって畳に腹這いごろごろと転ぶ。口のなかからかいこの糸のようなものを際限もなく吐き出してみたくなる。悲しくもないのに涙があふれる。


(二月×日)

 雨。風呂のかえり牛込へ行く。

 えりおしろいをつけているので、如何いかにも女給らしいと野村さんが叱る。はい、私は女給さんなのだから仕方がないでしょうと云う。女給さんがどうして悪いのよ。何でもして働かなくちゃ、他人さまは食わしてくれないのだもの……。もう、私の働いている場所へ来ないで下さいねと云うと、野村さんは灰皿を取って、私の胸へ投げつけた。眼にも口にも灰がはいる。肺の骨がピシッと折れたような気がした。扉口へ逃げると、野村さんは私の頭の毛をつかんで畳へ放り出した。私は死んだ真似をしていようかと思った。眼がりあがって、猫にくいつかれた鼠のような気がした。何か二人の間にはまちがい事があるのだと思いながら、男と女の引力がつながっている。腹の上を何度か足で蹴られた。もう、金なぞビタ一文も持って来るものかと思う。

 千葉亀雄さんが親類だと云うのだから、あのひとに話してみようかと思ったりする。私は動けないので、羽織を足へかけて海老えびのように曲って眠る。

 夕方になって眼が覚める。あのひとはむこうむきで机へ向いている。何か書いている。金だらいの手拭を取ると手拭がかちかちに凍っている。んやりと裸電気を見ていると、お母さんのところへ帰りたくなった。

 肺の骨がどうにも痛い。灰皿は破れたまま散らかっている。

 早く店へ戻りたいとも思わない。このまま朝まで眠っていたいのだ。寒さで、躯がぶるぶる震えている。風邪を引いたのか、馬鹿に頭のしんがずきずきと音をたてている。

 そっと起きて髪を結いなおす。

 その夜、起きられないので、財布を出して、あのひとに、カレーなんばんを二つ取って来て貰って二人で食べた。何も話がないので二人で仲よく寝てしまう。


(二月×日)

 朝、まだ雨が降っている。みぞれのような雨。酒でも飲みたい日だ。寝床のなかで、いつまでもあれこれと考えている。野村さんは紅い唇をして眠っている。肺病やみの唇だ。肺病は馬のふん煮〆にしめた汁がいいと誰かに聞いた事がある。このひとの気性の荒さは、肺病のせいなのだと思うとぞっとして来る。多摩川で一度血を吐いた事がある。一つしかない手拭を、私が熱湯で消毒したのを見て、野村さんはとても怒った事がある。

 もう、これが最後で、本当にお別れだと思う。何処からか味噌汁の匂いがする。むらさきのさむるも夢のゆくえかな。誰かの句をふっと思い出した。何となく、外国へ行ってみたくなる。インドのような暑い国へ行ってみたいのだ。タゴールと云う詩人もインドのひとだそうだ。

 野村さんは、通いにして、また一緒に住めばいいと云ってくれたのだけれど、私は心のなかにそんな気のない事をはっきりと自覚している。私は殴られる相手として薄馬鹿な顔をしているのは沢山だ。楽天家ぶっているのには閉口。あなたが、殴りさえしなければ戻って来たいのよと嘘を云う。

 店へ戻ったのがお昼。がんもどきの煮つけと冷飯。息をもつかずのどを通る。近所の薬屋で桜膏さくらこうを買って来てこめかみへ張る。胸の骨が痛いので、胸にも桜膏をいく枚も張りつける。


あわれこもりいのヒヤシンス

むらさきのはなびら

うす紅のべん

におう におう

尼ぼとけの肩。


うなばらにただよう屍

根株のひげ根の波よせて

におう におう

しおざいの遠鳴り

波がしらみな北にむく。


伏せていこうはは

屍の炬燵こたつ

ほのかににおう

うつつ世のつかれ念仏

あくびまじりの或日の太陽。


 自由に作曲が出来たら、こんな意味をうたいたい。


(三月×日)

 うららかな好晴なり。ヨシツネさんを想い出して、公休日を幸い、ひとりで浅草へ行ってみる。なつかしいこまん堂。一銭じょうきに乗ってみたくなる。石油色の隅田川、みていると、みかんの皮、木裂こっぱ、猫のふやけたのも流れている。河向うの大きい煙突からもくもくと煙が立っている。駒形橋のそばのホウリネス教会。あああすこはやっぱり素通りで、ヨシツネさんには逢う気もなく、どじょう屋にはいって、真黒い下足の木札を握る。籐畳とうだたみに並んだ長いちゃぶ台と、木綿の薄べったい座蒲団。やながわに酒を一本つけて貰う。隣りの鳥打帽子の番頭風な男がびっくりした顔をしている。若い女が真昼に酒を飲むなぞとは妙な事でございましょうか? それにはそれなりの事情があるのでございます。久米くめ平内へいない様は縁切りのかみさんじゃなかったかしら……。酒を飲みながらふっとそんな事を思う。鳥打帽子の男、「いい気持ちそうだね」と笑いかける。私も笑う。

 ささくれた角帯に、クリップで小さい万年筆の頭がのぞいている。その男もお酒を飲んでいる。店さきにずらりと自転車が並び、だんだん客がふえて来る。まるで天井にかげろうがまっているような煙草のもうもうとした煙。少しの酒にいい気持ちになって来る。どじょう鍋になまずのみそ椀、香のものに御飯、それに酒が一本で八十銭。何が何だってとたんかの一つもきりたいようないい気持ちで戸外へ出る。広い道をふらふらと歩く。二天門の方へまわってみる。ごたごたと相変らずの人の波だ。裸の人形を売っている露店でしばらく人形を眺めてみる。やっぱりきりょうのいいのから売れてゆく。昼間のネオンサインがうららかな昼の光りに淡く光っている。鐘つき堂の所から公園のなかへぶらぶら歩く。

 誰一人知った人もない散歩でございます。少々は酔い心地。まことに、なつかしい浅草の匂い。淡嶋あわしまさまの、小さい池の上の橋のところに出て少し休む。鳩が群れている。線香屋さんの線香の匂いがする。ああ何処を向いても他国のお方だ。ほこりっぽい風が吹いている。あらゆる音がジンタのように聞えて来る。

 池の石の上に、甲羅の乾いた亀がもそもそと歩いている。いまにいいことがあるぞと云ってくれているのではないかと、にゅっと首をあげている亀の表情をじいっとあきずに眺めている。少しはねえ、いいことがあるように、私のことも考えて下さいなと亀に話しかけてみる。慾ばってはいかん。はい、承知いたしました。何が慾しい? はい、お金がどっさりほしいです。毎日心配なく御飯がたべられるほどお金がほしいです。男はいらぬか? はい、男はいりません。当分いりません。それは本当かね? はい、本当の事でございます。男はやっかいなものです。辛くて一緒にはおられません。私は何をしたら一番いいでしょう? それは知らん。あんまり薄情な事は云わないで下さい。──亀と話をしているのは面白い。一人で私はぶつくさと亀と話をしている。

 足もとの小石を拾って、汚れた池へどぽんと投げる。亀の首が縮む。その縮みかたが何だかいやらしい。わあっと笑い出したくなって来る。

 こんなに賑やかなところにいて、亀も私も到って孤独だ。かんのん様が何だよと呶鳴どなりたくなる。巨きなお堂のなかへ土足でがたがたと這入る。暗い奥に燈がいさり火のようにゆらゆらと光っている。

 夕方新宿へ帰る。行くところもないので店へ戻る。二階で勝ちゃんが大きな声で浪花節なにわぶしを歌っている。電気もつけないで薄暗い所で歌をうたっている。あああれがけいせいけいこくと云い、金さえあれば自由になるものか、わしもやっぱり人の子じゃア……。気持ちの悪い声なり。

 疲れたので、毛布を出して横になる。

 ああこれでは一生このままで終ってしまう。どうにもならぬ。ぱっとした事はないのだろうか……。何かがバクハツするような事はないのでしょうかね、神様……。毛布が馬鹿に人間臭い。暗い戸外を、「別嬪べっぴんさん」と男がどこかの女を呼んでいる声がしている。今日は主人夫婦は子供を連れて成田さんにお参り。おかみさんのおふくろさんが留守番に来ている。コックの大さんと云う爺さんが、私達にいりめしをつくってくれている。

 勝ちゃんが階下からウイスキーを盗んで来た。私製ジョニオーカア。暗がりで二人でウイスキーをビンの口から飲みあう。一丈位も躯がのびたような気がする。文明人のする事ではないでしょうけれど、まあ、この女達を哀れにおぼしめして下さい。私は酔うと鼻血の出るような勇ましい気になる。


        *


(六月×日)

肥満ふとった月が消えた

悪魔にさらわれて行った

帽子も脱がずにみんな空を見た。

指をなめる者

パイプをくわえるもの

声を挙げる子供たち

暗い空に風が唸る。


咽喉笛のどぶえに孤独のせきが鳴る

鍛冶屋かじやが火を燃やす

月は何処かへ消えて行った。

さじのようなあられが降る

いがみあいが始まる。


け金で月を探しに行く

何処かの煖炉だんろに月が放り込まれた

人々はそう云って騒ぐ。

そうして、何時の間にか

人間どもは月も忘れて生きている。


 スチルネルの自我経。ヴォルテエルの哲学。ラブレエの恋文。みんな人生への断り状だ。生きていることが恥かしいのだ。労働は神聖なり、誰かがおだてて貧乏人にこんな美名をなすりつける。鼻もちもならぬほど、貧民を軽蔑けいべつし、無学文盲をあなどりたいために、いろんな規則ががんじがらめに製造される。貧民は生れながらの私生児のようなものに落ちこんで行く。

 幸福の馬車は、いちはやくこうした徒輩の間を一目散に走り去ってゆく。みんな見送る。ただ、ぼんやりとわめき散らす。月が盗まれたような気がして来る。虚空に浮いている幸福な金貨のような月の光りは消えた。月さえも万人の所有物ではないのだ。──私は貴族は大嫌い。皮膚に弾力のない不具者だ。

 今日も南天堂は酔いどれでいっぱい。辻潤つじじゅん禿頭はげあたまに口紅がついている。浅草のオペラ館で、木村時子につけて貰った紅だと御自慢。集まるもの、宮島資夫すけお五十里いそり幸太郎、片岡鉄兵、渡辺渡、壺井繁治、岡本潤。

 五十里さん、俺の家には金の茶釜がいくつもあると呶鳴っている。

 なにかはしらねど、心わあびて……渡辺渡が眼を細くして唄っている。私はお釈迦しゃか様の詩を朗読する。人間、やぶれかぶれな気持ちになると云うものは全く気持ちのいいものだ。やぶれかぶれの気持ちの中から、いろいろな光彩が弾ける。黒いルパシカを着た壺井繁治と、角帯を締めた片岡鉄兵がにやにや笑っている。

 辻潤訳のスチルネルがいくら売れたところで、世の中は大した変りばえもしない。日本と云うところはそう云ったところだ。がんじがらめの王国。──帰り、カゴ町の若月紫蘭邸へ寄る。東儀鉄笛の芝居の話あり。

 岸輝子さん黒い服を着ている。私はこのひとの音声が好きだ。──俳優とは如何なるものであろうか……。私には何の自信もないのだけれども、只、こうして通って来るだけだ。そして、ヨカナアンを覚え、オフェリヤを猿真似のように私は朗読する。詩人にもなってみたい、俳優にもなってみたい、そして、絵描きにもなってみたい。

 若い周囲には、魔法のように様々な本能がおそれ気もなくうごめいている。この、若い人達の中から、どれだけの名優が生れて来るのかは判らないけれども、この座に坐っている時だけは幸福の門の前に立っているような気がする。紫蘭邸を一歩外へ出ると、何とない自分の将来に対して幻滅を感じるのだけれども、朗読をしている間は倖せな思いがする。

 今夜はストリンドベリイの稲妻に就いての講義あり。

 帰り、カゴ町の広い草っぱらでほたるが飛んでいた。かえり十二時。白山はくさんまで長駆して歩いてかえる。

 炭屋の二階四畳半が当座の住居。部屋代は四円。自炊するのには一山二十銭の炭を買って燃料にはことかかない。蜜柑みかん箱の机に向ってまた仕事。童話をいくつ書けば、いったいものになるのか判らない。シンデレラめいたもの、イソップめいたもの、そのどれもこれもが一向に何の反響もない。

 四囲がわあっと炭臭い。炭臭くてどうにもならない。──神様、神様と云うもの……。まるい、ふわふわ、三角のとげとげ、どんな形をしているのだ、貴方あなたは? ひげをはやして眼をつぶって、白い羽根をシダのように垂れさげているのですかね。もやもやの真空なのか? 神よ! いったい、貴方は、本当に私のまわりにも立っているのか云って下さい。きっと、私のようなもののところには来ないのでしょう? 神様! 本当に貴方は人間のところに存在しているのですかどうですか? 神様よ。私には一向に見えない。そのくせ、私は見えない貴方に手を合わせる。誰も見ていないから、甘ったれ、涙を流して、じいっと、貴方に祈る。何とかして、このイソップが明日の糧になりますように。あの編輯者へんしゅうしゃの咽喉もとを締めつけてやって下さい。パイプを咥えて気取って、二時間も、あの暗い狭い玄関に待たされる。下手くそな、自分の童話を巻頭に乗せて威張っているようなあの編輯者をこらしめて下さい。たまに買ってくれれば上前をはねてしまう。一日じゅうお椀のようなナイトキャップをかぶって、パイプを咥えているのがハイカラだと思っている男。

 あまり無名なものの作品は載せたくないんだと云う。読者の子供が、無名も有名も知った事ではない筈だ。一生懸命に書いてみたンですけど駄目でしょうかと必死になる。私は何時間も待たされてなぶり者になってしまう。一枚三十銭でなくてもいい、二十銭でもいいから取って下さいと頼んでみる。では特別ですよとこの間も十枚で一円五十銭くれて、まアよく勉強するンだな。アンデルゼンでも読み給え。はい、アンデルゼンを読みます。玄関を出るなりわっと割れるような息をする。

 あの編輯者メ、電車にはねられて死なないものかと思う。雑誌も送って来やしない。本屋で立読みをすると、私の童話が、いつの間にか彼の名前で、堂々と巻頭を飾っている。頭も尻尾しっぽも書きかえられて、私の水仙と王子がちゃんと絵入りで出ている。

 次の原稿を持って行く時は、私は、そんなものは何も知らない顔で、にこにこと笑って行かなければならない。また二時間も待たされて、笑顔をつづけている事にくたびれてしまう。ああ、厭な仕事だと溜息が出る。神様! これでも悪人をはびこらせておくのですか。

 童話が厭になると詩を書く。だけど、詩もてんから売れやしない。見ておきましょうと云って、みんなかすみのように忘れられてしまう。

 神様よ。いったい、どうして生きてゆけばいいのか私は判らない。貴方は何処に立っているんですか。


(六月×日)

 朝、重い頭をふらふらさせて、本郷森川町の雑誌社へ行く。電車道でナイトキャップの男に会う。笑いたくもないのに丁寧に笑って挨拶をする。その男は社へ行く道々も、詩集のようなものを読みながら歩いている。

 玄関の暗い土間のところに、壁にもたれてまた待つ用意をする。小さい女の子が出て来て、厭な眼つきをして私を見ては引っこむ。

「赤い靴」と云う原稿を拡げて、私はいつまでも同じ行を読んでいる。もう、これ以上手を加えるところもないのだけれども、何時までも壁を見て立っているわけにはゆかないのだ。

 ああ、やっぱり芝居をしようと思う。

 時計は十二時を打っている。二時間以上も待った。いろんな人の出入りに、邪魔にならぬように立っていることがつまらなくなって、戸外へ出る。何だって、あの男は冷酷無情なのかさっぱり判らない。無力なものをいじめるのが心持ちがいいのかも知れない。

 歩いて根津権現裏の萩原恭次郎のところへ行く。

 節ちゃんは洗濯。坊やが飛びついて来る。

 朝も昼も食べないので、からだじゅうが空気が抜けたように力がない。坊やに押されると、すぐ尻餅をついてしまう。恭ちゃんのところも一銭もないのだと云う。恭ちゃんは前橋へ金策の由なり。

 銀座の滝山町まで歩く。昼夜銀行前の、時事新報社で出している、少年少女と云う雑誌は割合いいのだと聞いたので行ってみる。

 係の人は誰もいないので、原稿をあずけて戸外へ出る。四囲いちめん食慾をそそる匂いが渦をなしている。木村屋の店さきでは、出来たてのアンパンが陳列の硝子をぼおっとくもらせている。紫色のあんのはいった甘いパン、いったい、何処のどなたさまの胃袋を満すのだろう……。

 四丁目の通りには物々しくお巡りさんが幾人も立っている。誰か皇族さまのお通りだそうだ。皇族さまとはいったいどんな顔をしているのだろう。平民の顔よりも立派なのかな。ゆっくり歩いてカフエーライオンの前へ行く。ふっと見ると、往来ばたの天幕小屋に、広告受付所、都新聞と云うビラがさがって、そのそばに、小さく広告受付係の婦人募集と出ている。天幕の中には、卓子が一つに椅子が一つ。そばへ寄って行くと、中年の男のひとが、「広告ですか?」と云う。受付係に雇われたいのだと云うと、履歴書を出しなさいと云うので、履歴書の紙を買う金がないのだと云うと、その男のひとは、吃驚した顔で、「じゃア、これへ簡単に書いて下さい。明日から来てみて下さい」と親切に云ってくれた。ざらざらの用紙に鉛筆で履歴を書いて渡す。

 この辺はカフエーの女給募集の広告が多いのだそうだ。皇族がお通りだと云うので街は水を打ったように森閑となる。どの人もうつむいて動かない。巡査のサアベルが鳴る。

 人々の列の向うをざわざわと自動車が通る。自動車の中の女の顔が面のように白い。ただそれだけの印象。さあっと民衆は息を吹きかえして歩きはじめる。ほっとする。

 明日から来てごらんと云われて、急に私は元気になった。日給で八十銭だそうだけれども、私には過分な金だ。電車賃は別に支給してくれる由なり。その男のひとの眼尻のいぼが好人物に見える。

「明日早く参ります」と云って歩きかけると、そのひとが天幕から出て来て、私に何も云わないで十銭玉を一つくれた。おじぎをするはずみに涙があふれた。神様がほんの少しばかりそばへ寄って来たような温い幸福を感じる。執念深い飢がいつもつきまとっている私から、明日から幸福になる前ぶれの風が吹いて来たような気がする。今朝、私は米屋で貰ったぬかを湯でといて食べた事がおかしくなって来る。躯を張って働くより道はないのだと思う。売れもせぬ原稿に執念深く未練を持つなんて馬鹿々々しい事だ。「赤い靴」の原稿は、あのままでまた消えてゆくに違いないのだ。

 あの皇族の婦人はいかなる星のもとに生れ合せたひとであろうか? 面のように白い顔が伏目になっていた。どのようなものを召上り、どのようなお考えを持たれ、たまには腹もおたてになるであろうか。あのような高貴の方も子供さんを生む。只それだけだ。人生とはそんなものだ。

 夕方から雨。

 傘がないので、明日の朝の事を考えると憂鬱になって来る。

 夜更まで雨。どこかであやめの花を見たような紫色の色彩の思い出が瞼の中を流れる。


(六月×日)

 前はライオンと云うカフエーで、その隣りは間口一間の小さいネクタイ屋さん。すだれのようにネクタイが狭い店いっぱいにさがっている。

 今日で四日目だ。

 三行広告受付で忙がしい。一行が五十銭の広告料は高いと思うけれども、いろんな人が広告を頼みに来る。──芸妓募集、年齢十五歳より三十歳まで、衣服相談、新宿十二社何家と云う風に申込みの人の註文ちゅうもんを三行に縮めて受付けるのだ。浅草、松葉町カフエードラゴン、と云うのが麗人求むなのだから、私は色々な事を空想しながら受付ける。

 かんかんと陽の照る通りを、美しい女達が行く。私はまだ洗いざらしたネルを着ている。暑くて仕方がないけれど、そのうち浴衣の一反も買いたいと思う。

 眼の前のカフエーライオンでは眼の覚めるような、派手なメリンスを着た女給さんが出たりはいったりしている。世の中には、美しい女達もあるものだと思う。まるで人形のようだ。第一等の美人を募集するのに違いない。

 こうした賑やかな通りは、およそ、文学と云うものに縁がない。金さえあれば、いかなる享楽もほしいままなのだ。その流れの音を私は天幕の中でじいっとみつめている。たまには乞食も通る。神様らしきものは通らない。そのくせ、昼食時のサラリーマンの散歩姿は、みんな妻楊枝つまようじを咥えて歩いている。ズボンのポケットに一寸手をつっこんで、カンカン帽子をあみだにかぶり、妻楊枝をガムのようにんでいる。

 私は天幕の中で色々な空想をする。卓子のひき出しの中には、ギザギザの大きい五十銭銀貨がたまってゆく。これを持って逃げ出したらどんな罪になるのだろう……。広告主はみんな受取を持って来るから、広告がいつまでたっても出ないとなれば呶鳴りこんで来るかもしれない。これだけの金があれば、どんな旅行だって出来る。外国にだって行けるかも知れない。これだけの金を持って何処かへ行く汽車に乗る。そして、それが罪になって、手をしばられてカンゴクへ行く。空想をしていると、頭がぼおっとして来る。この半分を母へ送ってやれば、どんないいひとがみつかったのかと田舎では驚くかもしれない。あのひと達を二人そろって呼びよせる事も出来る。

 理想的な同人雑誌を出す事も出来るし、自費出版で美しい詩集を出す事も出来る。卓子のかぎをじいっとみつめていると、心がわくわくして来る。ひき出しをあけて金を数える。百円以上もたまっている。大したものだ。銀貨の重なった上に掌をぴたりとあててみる。気が遠くなるような誘惑にかられる。私以外にはここには誰もいない。四時になれば、あの眼尻にいぼのあるひとが金を取りに来る。

 罪人になる奇蹟きせき

 何と云う罪になり、どの位カンゴクにはいるものだろう……。

 神様がこんな心を与えるのだ。神がね。

「朝から夜中まで」の銀行員の気持ちにもなる。

 プロシャのフレデリックは「誰でも、自分自身の方法で自分を救わなければならぬ」と云ったそうだ。ああ、誰かが金を持って、この天幕を訪れる。私は鉛筆をなめながら、註文主の代筆で三行の文章を綴る。みんな美しい奴隷を求める下心だ。その下心を三行に綴るのが私の仕事。もう、私の頭の中には詩も童話も何もない。

 長い小説を書きたいと想う事があっても、それは只、思うだけだ。思うだけの一瞬がさあっと何処かへ逃げてゆく。

 花柳病院の広告を頼みに来る医者もいる。まことに、芸妓募集、花柳病院とは充実したものだ。私は皮肉な笑いがこみあげて来る。あらゆるファウストは女に結婚を約束して、それからすぐ女を捨てる。三行広告にもいろいろな世相が動いている。

 それが証拠には、産婆の広告も毎日やって来る。子供やりたしとか、貰いたしとか、いかようにも親切に相談とか。広告を書きながら、私は私生児を産みに行く女の唸り声を聞くような気がする。

 そして、私は、毎日、いぼさんから八十銭の日給を頂戴してとことこ本郷まで歩いて帰るのだ。

 感化院。養老院。狂人病院。警察。ヒミツタンテイ。ステッキガール。玉の井。根津あたりの素人淫売宿。あらゆる世相が都会の背景にある。

 或る作家いわく、三万人の作家志望者の、一番どんじりにつくつもりなら、君、何か書いて来給え……。ああ、怖るべき魂だ。あの編輯者が、私を二時間も待たせる根性と少しも変りはない。

 私は生涯、この歩道の天幕の広告取りで終る勇気はない。天幕の中は六月の太陽でむれるように暑い。ほこりを浴びて、私はせいぜい小っぽけな鉛筆をくすねるだけで生きている。

 北海道の何処かの炭坑が爆発したのだそうだ。死傷者多数ある見込み……。銀座の鋪道ほどうはなまめかしくどろどろに暑い。太陽は縦横無尽だ。新聞には、株で大富豪になった鈴木某女の病気が出ている。たかが株でもうけた女の病気がどうであろうと、犯罪は私の身近にたたずんでいる。

 株とは何なのか私は知らない。濡手であわのつかみどりと云う幸運なのであろう。人間は生れた時から何かの影響に浮身をやつしている。

 三万人の尻っぽについて小説を書いたところで、いったい、それが何であろう、運がむかなければどうにも身動きがならぬ。

 夜、独りで浅草に行く。ジンタの音を聴くのは気持ちがいい。誰かが日本のモンマルトルだと云った。私には、浅草ほど愉しいところはないのだ。八ツ目うなぎ屋の横町で、三十銭のちらし寿司をふんぱつする。茶をたらふく飲んで、店の金魚をしばらく眺めて、柳さく子のプロマイドをエハガキ屋でいっとき眺める。

 どの路地にもしめった風が吹いている。

 ふっと、詩を書きたくなる一瞬がある。歩きながら眼を細める。何処からも相手にされない才能、あの編輯者のことを考えるとぞおっとして来る。まんまと人の原稿をすり替えた男。この不快さは一生忘れないぞと思う。私にだって憎悪の顔がある。何時も笑っているのではありません。笑顔で窒息しそうになる気持ちを幸福な人間は知るまい。私は、そんな人間の前で笑っていると、胸の中では呼吸のとまりそうな窒息感におそわれる。

 一つの不運がそうさせるのだ。

 残酷な人の心。チエホフの、アルビオンの娘みたいなものだ。

 寿司屋では茶柱が二本も立ったので、眼をつぶってその辻占つじうらをぐっと呑みこんでしまった。だから、お前はいやしいと云うのだ。ほんの少しの事にでもキタイを持ちたがる。たかが広告取りの女に、誰が何をしてくれると云うのだねと、神様みたいなものがささやきかける。また、あの糠。いやな、日向ひなた臭い糠──。帰り合羽橋へ抜けて、逢初町の方へ出るところで、辻潤の細君だと云うこじまきよさんに逢う。

 逢初の夜店で、ロシヤ人が油で揚げて白砂糖のついたロシヤパンを売っていた。二つ買う。

 現実に戻ると、日給の八十銭は仲々ありがたい。


        *


(七月×日)

薄曇り四年にわたる東京の

隙間をもれて

思い出はこの空気の濁り

午後にやむ雨

せみの声網目の如し

胸のとどろ小止おやみめぐる血

西片町のとある垣根の野薔薇のいばら

其処そこここにとらわれる風


小さき詩人よ

所在ありかなくさまよう詩人

窮して舞う銭なしの詩人

寂寞の重さにひしがれ

彷徨さまようは旅の夢跡

何処どこやらに琴のきこゆる

消える音 消える夢


西片町の静かなる朝

金魚屋のいこう軒

浸み渡るえんの水

赤い尾ひれのたまゆらの舞い


咽喉のどがかわく

真白な歯は水くぐる

歓びは枇杷びわの果のしたたり

盗みて食う庭かげ

酢くしわめる舌は

英吉利イギリス語の如し


不愉快なバイブルの革表紙

しめって臭く犬の皮むけ

西片町の邸の匂い

枇杷の実はくさったまま

木もれびの下のキジ猫

森閑と静もれる西片町


金魚屋のバッカン帽子が呟く

詩人もしゃがむ

円にうつす水鏡

雲に浮く金魚の合唱

生死のほどはいまもわからぬ

ただこの姿あるうちに召しませ


西洋洗濯のペンキ車

白い陶の表札と呼鈴

時間のとどまる一瞬の朝

この家々が澄まして悪を憎む

ペンキ車は後追う詩人

どこやらでうその鳴き声

世に叫ぶ何ものも持たざる詩人

開闢かいびゃくとは今日のことなり

昨日はもうすでに消え

あるは今日のみ今の現実

明日が来るのか……

明日があるのか詩人は知らぬ


(七月×日)

斑々まだらまだらに立つ斑々

人生の青さの彼方かなた

重く軽く生きる斑々

燈火によるかげろう

只ひきずられて生きる

忽然こつぜんと消えるも知らず

希望らしげな斑々の顔

悪念怨恨えんこんその日暮し

どうせ死ぬ日があるまでは

ムイシュキン様の憤怒ふんぬ絶望。


よりにもよって暗い顔

楽しい月日の人生なぞとは

あわあわとたわけたことだ

辛抱強くよくも飽きずに

Mボタンをはずしたり閉めたり

ひらめき吹きあげるほのおの息


斑々の辛抱強さの厚顔

しきりと雷同する斑々

時々はあじさいの地位名誉

下碑が鍋尻を洗う容貌きりょう


軽く重く衝突する斑々

床の間には忠孝

欄間には洗心

壁間には欲張った風流

ああ私は下婢となって

毎日毎日鍋尻を洗うのだ

斑々の偽善!


 自分が何故こんなところにいるのか判らない。只、何となく家庭らしさをあこがれて来たようなあいまいな気持ちばかり。五円のおてあてではどうにもならぬ。──旦那さまは大学の先生だと云う。何を教えているのかさっぱり判らない。英国へ行っていたけいれきはあるのだそうだ。毎朝パン食。牛乳が一本。ひげをそって、水色裏の蝙蝠傘こうもりがさを持って御出勤になる。大学までは、ほんの眼と鼻のところだのに、蝙蝠傘の装飾が入用なのだ。暑くても寒くても動じぬ人柄なり。歴史を語るのだそうだけれども、私は一度も講義を聞いたことはない。奥さんは年上で、もう五十位にはなっているのだろう。彫の深い面のような顔、表札の陶に似た濃化粧だ。奥さんのめいが一人。赤茶色のつやのない髪を耳かくしに結って鏡ばかり見ている。額が馬鹿に広くて、眼の小さいところがメダカに似ている。三十を過ぎたひとだそうだけれども、声が美しい。この暑いのにいつも足袋をはいたかたくるしさ。私は、この民子さんの素足を見た事がない。

 喜びにつけ、悲しみにつけ、私は私の人生に倦怠けんたいを感じはじめた。偶然からいて来る体験、そンなものにほとほと閉口頓首とんしゅ、男といっしょにいるのもいや、夜の酒場勤めも長続きするものではないとなれば、結局は女中にでもなるより仕方がないけれど、これも私の柄にはあわない。今日で三日になるけれど、何となく居辛い。ここの雨戸の開閉がむずかしいように、何とも不馴れなことばかりなり。

 己惚うぬぼれの強さがくじけてしまう。何とも楽なことではないけれども、楽をしようなぞとは思わぬかわりに、ほんの少々のひまがほしい。女中ふぜいが、深夜に到るまで本を読んでいるなぞとは使いづらいに違いない。こちらも気の引けることだけれども、今夜こそは早く電気を消して眠りにつこうと思いながら、暗いところではなおさらさえざえとして頭がはっきりして来る。越し方、行末のことがわずらわしく浮び、虚空を飛び散る速さで、まぶたのなかを様々な文字が飛んてゆく。

 速くノートに書きとめておかなければ、この素速い文字は消えて忘れてしまうのだ。

 仕方なく電気をつけ、ノートをたぐり寄せる。鉛筆を探しているひまに、さっきの光るような文字は綺麗に忘れてしまって、そのひとかけらも思い出せない。また燈火を消す。するとまた、赤ん坊の泣き声のような初々しい文字が瞼に光る。段々疲れて来る。いつの間にかうとうとと夢をみる。天幕のなかで広告とりをしていた夢、浅草の亀。物柔らかな暮しと云うものは、私の人生からはすでに燃えつくしている。自己錯覚か、異様な狂気の連続。ただ、落ちぶれて行く無意味な一隅。ハムスンの飢えのなかには、まだ、何かしらたくらみを持った希望がある。自分の生きかたが、無意味だと解った時の味気なさは下手な楽譜のように、ふぞろいな濁った諧音かいおんで、いつまでも耳の底に鳴っているのだ。


(七月×日)

 暑いので、胸や背中にあせもが出来る。帯をしっかり結んでいるので、何とも暑い。蝉がジンヤジンヤときたてている。台所で水を何杯も飲む。窓にかぶさっている八ツ手の葉が暑っくるしい。明日は一応ひまを取って、千駄木へ帰ろうと思う。

 こうしていてはどうにもならないのだ。五円の収入では田舎へ仕送りも出来ない。心のこもった美しい世界は何処にもない。自分で自分を卑しむ事ばかりだ。己惚れと云うものが、第一に自分を不遇のなかに追いこんでいるのだ。ものを書きたい気持ちなぞ何もなるものではないくせに、奇抜なことばかり考えては、自分で自分をあざけり笑うのみ。人には云えないけれど、自分がおかしい。何もまともなものは書けもしないくせに、文字が頭の芯にいつも明滅していると云う事はおかしい事なのだ。たかが田舎者のくせに、いったい文学とは何事なのでございましょうか? 神様よ。屡々しばしば、異様な人生が私にはある。そして、それに流されている。何かをやってみる。そして、その何かがすぐ不成功に終る。自信がなくなる。

 失敗は人をおじけさせてしまう。男にも、職業にも私はつまずいてばかりいる。別に、誰が悪いと恨むわけではないのだけれども、よくもこんなに、神様は私と云うとるにたらぬ女をおいじめになるものだ。神様と云うものは意地の悪いものだ。あなたは、戦慄せんりつと云う事を感じた事はないのだろう……。

 やかましい音をたててジョウサイ屋が路地口に来る。物売りの男を見るたびに、行商をしている義父の事を思い出す。たまには五十円位もぽんと送ってやれないものかと思う。隣家の垣根に、ひまわりが丈高く後むきに咲いているのが見える。

 来世は花に生まれて来たいような物哀しさになる。ひまわりの黄は、寛容な色彩。その色彩の輪のなかに、自然だけが何とない喜びをただよわせている。人間だけが悩み苦しむと云ういわれを妙な事だと思う。──奥さんは近いうち新潟へ帰郷の由。早くこの家を出なければならぬ。

 夕方、八重垣町の縫物屋へ奥さんの夏羽織の仕立物を取りに行く。戸外を歩いているとほっとする。どの往来も打水がしてある。今日は逢初の縁日だと、とある八百屋の店先きで人が話しあっている。バナナがうまそうだし、西瓜も出ている。久しく西瓜も食べた事がない。

 ふっと、田舎へ帰りたい気がする。赤いはかまをはいた交換手らしい女が三四人で私の前をはしゃぎながら行く。大正琴の音色がしている。季節らしさのこもった夕暮なり。金さえあれば旅行も出来よう、この季節らしさが口惜しくなって来る。いつまでも、仕事探しで、よろよろと、二十歳の私の青春は朽ちてゆくのかもしれない。漂うに任せての生活にも本当に厭になってしまう。自分らしい落ちつき場所と云うものは仲々みつからぬものだ。

 人生と云うものはこんなに何かしらごちゃごちゃと寄り添っていながら、わざと濁った方へ、苦しい方へ、退屈な方へ流されて行ってしまっている。そして、人々は不用意に風邪を引く。何処で引いたのかは気がつかない。夜、メダカ女史が泣いていた。どのような原因なのかは知らないけれども、取りみだして泣いている。白いカバーのかかった座蒲団の重ねてある暗いところで泣いている。書斎は森閑としている。

 台所で一人で食事。来る日も来る日も、なまぬるい味噌汁と御飯。ぬか漬の胡瓜きゅうりを一本出してそっと食べる。ああ、たまにはジャムつきのパンが食べたい。

 奥さんが、小さい声で叱っている声がする。恩をあだで返されたようなものよと云う声がする。学者の家と云えどもいろいろな事あり。──メダカ女史の見栄坊がねこそぎ失脚してしまった。その後は声をたてて泣く。女の泣き声が美しいのに心が波立つ。やぶれかぶれで、またぬか漬けの茄子なすを出して食べる。

 酢っぱい汁が舌にあふれる。

 なぎに近い暑さ。風鈴が時々ものうく鳴る。明日はこの家を出たいものだ。何しろ、蚊が多いのはやりきれない。台所をかたづけて、水道で躯を拭いていると、ひどい藪蚊やぶかにさされる。皮膚が弱いのですぐぷっとふくれる。浴衣を水洗いして夜干しをして置く。いい月夜なり、写真のような白と黒の影で、狭い庭のそこここに白い人が立っているような錯覚がする。


(七月×日)

 濁った水を走る、小さい魚の眼にも、澄んだ真夏の空が光っている。およそ、模範的だなぞと云う人間ぐらい厭なものはない。歩いている人間がみんなそうだ。二本の足をかわりばんこに動かして、まるで、目の前に希望がぶらさがっているような、あくせくした行進だ。

 この世の中にどんな模範があるのだろう。人いじめで、いやらしくて、大嘘つきで、自分ばかりをおたかく考えている人間。口に人類だの人道主義だなぞと云って、あのメダカ女史をうまいことだましたに違いない。その恋人は一生足袋をはいて暮さなければ格が落ちるとでも教育されたのに違いない。

 女には反抗する姿勢がないのだ。すぐ、じめじめと泣き出す。

 夜、上野の鈴本へ英子さんと行く。

 猫八の物真似、雷門助六のじげむの話面白し。ああすまじきものは宮づかえ、千駄木へ戻って、井戸で水を浴びる。

 物干に出て涼んでいると、星が馬鹿に綺麗だ。地虫が啼いている。蚊が唸っている。夜更けまで、何処かで木魚を叩くような音がしている。長い月日を西片町で暮していたような気がする。英子さんは、二三日して大阪へ戻る由なり。その後のことはまた考えればいいのだ。せめて、二三日、黙ってぐっすり眠りたいものなり。


(七月×日)

 昼近く、読売新聞に行き、清水さんに面会に行くが、とうとう詩を返される。帰り、恭ちゃんのところへ寄る。ここも、不如意な暮しむきなり。節ちゃんと縁側で昼寝。氷水を十杯も飲みたい気持ちで眼が覚める。節ちゃんは子供を柱へくくりつけて洗濯。

 何処へも行き場のない、行きくれた気持ちで縁側で足をぶらぶらさせていると、路地の外をものうい唄をうたってジンタが通る。籠の鳥でもちえある鳥は、人目しのんで逢いに来る。……何だかその唄が身につまされて心のなかが味気なくなって来る。庭のすみに、小さい朝鮮朝顔の桃色の花がいっぱい咲いている。久しぶりで、しみじみと花の咲いたのをみた。恭次郎さん仲々戻らない。財布をはたいて、釜あげうどんを二つとって節ちゃんと食べる。金は天下のまわりもの、いずれは、のろのろとした速度で、また金のはいる事もありましょう。


逢初の縁日は

香具師やしがいっぱい

粉だらけの白い朝鮮あめ

螢売ほたるうりに虫売り

大道手品は喝采かっさいでいっぱい

カーチンメンドの冷し飴

臆病者の散歩

カアバイトの臭い燈火

バナナ屋のねじり鉢巻

ええあの太いのがくさるのよ


ゴム管で聴く蓄音機

ホーマーの詩でもあるのかな

深山の薄雪草にも似た宵

綿の水を吸って絹糸草が青い

水中花はコップの中で一叢ひとむら

アルペンの高山植物らしく

男を売る店は一軒もない

乾いた海ほうずきの紅色

心臓が黙って歩いている


ああ五時間もすれば

またどんな人生がやって来るのだろう

不可能のなかに後退してゆく脚

少しずつ思いの色が変化する

ゴマ入りの飴玉をしゃぶる

縁にはひものない玉手箱。


(七月×日)

 英子さんが一緒に大阪へ行かないかと云う。大阪へ行く気はしないけれど、岡山へは帰りたい。久しぶりに、母にも逢いたいものなり。英子さんの旦那さんより十円かりる。岡山まで行きさえすれば、帰りは何とかなるだろう。昼、西片町に荷物を取りに行く。メダカ女史が荷物と、五十銭玉六つくれる。この本は、貴女のではないでしょうと云って、伊勢物語を出して来る。はい、私のですと云うと、いいえ、これはうちの本ですと云う。何だかシャクゼンとしないので、これは、私が夜店で買ったのだからと、台所にいつまでも立っていた。メダカ女史しらべて来ると云って引っこんでいったけれど、しばらくして黙って、「勉強家ね」と云って持って来る。本と云うものは女中風情の読むものではないと思っていたのに違いない。ありましたかと尋ねると、メダカ女史は返事もしない。ああやれやれだ。昔男ありけりだ。大した事でもない。

 夜、英子さんと、英子さんの子供と三人で東京駅へ行く。汽車へ乗る事も久しぶりだけれども、何となく東京へなごりおしい気持ちなり。別れた人が急になつかしくなって来る。八十銭のボイルの浴衣がお母さんへの土産。

 プラットホームはひっそりとして、洋食の匂いがしている。見送りの人もまばら。ホームを涼しい風が吹いている。流暢りゅうちょうな東京言葉にもお別れ。横浜を過ぎる頃から車内がひっそりして来る。山北のあゆ寿司を英子さんが買う。半分ずつ食べる。英子さんの旦那さんは大工さんだが無類にいいひとなり。

 何ものにもとらわれる事なく、何時までも汽車旅をつづけていたいようなのんびりさだ。汽車に乗って、岡山へ帰るなぞとは昨日まで考えつかなかった事だけに愉しくて仕方がない。さきの事はさきの事で、また、何とか、人生のおもむきは変ってゆくであろう。譜面台のない人生が未来にはある。私はそう思う。自分の運命なンか少しも判ってはいないけれども、運命の神様が何とかお考えになっているのには違いない。ぞっとするような事も度々だけれど、この汽車に乗れる幸福はまことに有難いことだ。東京へ再び来る事があったら十円は身を粉にしても返さなければならない。西片町はさよなら。

 何事もおぼしめしのままなる人生だ。えらそうな事を考えてみたところで、運命には抗しがたい。昔男ありけりではないが、ああ、あんな事もあった、こんな事もあったと、暗い窓を見ていると、田園の灯がどんどん後へ消えてゆく。少しも眠れない。一つのささやかな遍歴の試みが、私をますます勇気づけてくれる。何でも捨身になって働くにかぎる。詩なぞはもうこんりんざい書くまい。詩を書きたい願望や情熱は、ここのところどうにもならない。大詩人になったところで、人は何とも思わぬ。狂人のようになれぬ以上は、このみじめな環境から這い出すべしだと思う。夜の雲がはっきりみえる。


        *


(八月×日)

 岡山の内山下へ着いたのが九時頃。橋本では、まだみんな起きて涼んでいた。一カ月程前に、お義父とうさんもお母さんも尾道へ戻っていると云うので、私はがっかりする。一晩やっかいになって、明日の早い汽車で尾道へ行くことにする。橋本は、義父の姉の家なり。女学校へ行っている娘が二人。小さい時に逢ったきりだったので、久しぶりに会ったせいか、二人とも背の高い娘になっていた。

 姉娘の清子と銭湯に行き、風呂から上って、銀行のそばの屋台でショウガ入りの冷し飴を飲む。金がないと云う事が何としても辛い。尾道までの汽車賃を明日朝云い出す事にする。

 何をして働いているのか、誰も尋ねてはくれない。それも助かる。岡山は静かな街だとおもう。どおんとしたなぎ。むし暑くて寝る気がしない。いつでも、屠殺とさつされる前の不安な状態が胸を締めつける。金の百円も持って帰ったのなら、こんな白々しい人達ではあるまいと思える。

 女学校二年の光子が、二階で遅くまで英語の歌をうたっていた。トィンクル、トィンクル、リトルスター、ハオアイ、ワンダア、ホアツユウアール、ホエン、アップアバウト、インザスカイ。私もこの歌はならった事がある。何だか、遠い昔のことのような気がして来る。義父が岡山の鶴の卵と云う菓子を買って来てくれた事を思い出した。

 朝。台所で朝飯をよばれたけれど、金の話を云い出しそびれる。折角来たのだから、友達を尋ねると云って戸外へ出る。

 学校時代の友達に逢いに行ったところで、別にもてなして貰えると云うあてもない。暑い街の反射で汗びっしょりになって、賑やかな街に出る。狭い商店街の通りには天幕がずっと張り渡されて、くらい涼しい影をつくっていた。どの店も奥深い感じなり。青木と云う西洋食器店を何となく探してみる。転落して無一文となり果てた級友の訪問ぐらい迷惑な事はあるまいと思える。

 ふっと、青木と云うハイカラな西洋食器店をみつけた。暫く陳列の前に立って、コオヒイ茶碗や、アヒルの灰皿や、スカートを拡げた西洋人形の辛子入れなぞを眺めている。緑のペンキ塗りの陳列のなかのぴかぴか光る金色、赤、コバルト、陶の涼しさ。メリンスの着物に白いエプロンをした美しい子供が店さきに出て来たので、中根慶子さんはいますかと聞いてみる。

 子供はすぐ奥へはいって行った。私は陳列の硝子に顔をうつしてみる。水の底の昏い皿の上に私のむくんだ顔がのっている。髪はちぢれた耳かくし。おお暑い、暑いだ。水車の音が耳に来る。洗いざらした鳴戸ちぢみの飛白かすりたもとはよれよれでござんす。帯は赤と白のナッセンのメリンス。洗うと毛羽だってむくむくと溶けてしまいそうな安物。足袋と下駄は英子さんに大阪の梅田駅で貰ったもの。

 中根さん出て来るなり、ンまアと云って驚く。尾道の学校を出て四年。一度も相逢うことなく今日に到る。紺飛白を着てきちんとした姿。何とも落ちぶれた姿の自分が、荷車にひかれた昆布のような気持ちなり。中根さん、地味な色のさめた柄の長いパラソルを持って出て来る。公園へ行こうと云う。

 日本でも有名な公園の由なり。公園になぞ行く気はないのだけれども仕方なく、公園へついて行く。中根さんは無口なひとなり。まだかたづかない由にて、私に小説を書いているのかと聞く。小説の話なぞは、夢のような事なのでやめる。東京での様々を打明けたらこのひとは驚くであろう。

 公園は暑くてつまらないところであった。

 景色を眺める事に何の興味もない。若いせいかも知れないけれども、蝉のあぶられるようなそうぞうしさ。池のほとりを高等学校の生徒が灰色の服を着て下駄ばきで歩いている。みんなりりしく見える。中根さん、カインの末裔まつえいを読んだかと云う。私は東京の生活が荒れているので、そんな静かなものは読んではいられない。

 赤松の樹蔭こかげに茶店がある。中根さんはそこへ這入る。水潰けになっているラムネを二本註文する。みぞれをかいてもらって、それへラムネをかけて飲む。舌の上がぴりぴりとしてその醍醐味だいごみ蒼涼そうりょう。蝉取りの少年が沢山遊んでいる。どおんと眠ったような公園の景色なり。

 締め合わせられる、つなぐ、断れる。心がきれぎれで、ラムネのびんの玉を、からからとゆすぶっているだけ。尾道へ行く旅費。二円五十銭もあれば、羊かんも買って帰れる。きらきらと向うは陽が射している。こちらは深い蔭になって、長い縁台に眼鏡をかけた男が口を開けて昼寝をしている。氷の旗のゆれる色彩。眼をこらして四囲をみているのだけれども、この景色も、汽車の中では忘れてしまうに違いない。袂の中へがまぐちを落して、ひそかに氷とラムネ代を勘定する。

 中根さんも東京へ行きたいとぽつりぽつり話しているけれども、私はうわのそらで、銅貨を数える。昔は仲が良かったと云うだけで、意味もなく公園の景色なぞを眺めていなければならないつまらなさに哀しくなって来る。

 氷とラムネ代を払って、四銭残る。みえ坊で嘘つきで、ていさいのいいことばかりで、中根さんに旅費を借りる事を断念。──昼前に橋本へ帰り、勇気を出して、借銭を申し込んで二円五十銭おばさんより借りる。二人の女学生は急に軽蔑けいべつしたような眼で私を見ている。この眼が一等いやなのだ。私はまるで犯罪人になったようなうらぶれた気持ちで昼の駅へ行く。

 羊かんを買わないで、弁当を買う。三等の待合室で弁当を食べる。売店で青いバナナを二本買う。五銭也。

 少しばかりの金が、こんなに勇気づけてくれる。公園でのびのびとラムネを飲めばよいものを、銭勘定をしながらびくびくして飲んだ事に腹立たしくなる。中根さんは別に厭な女でもないのに、吐気がする程厭に思えて来る。御馳走をした上に、びくびくして、中根さんにへりくだってものを云っている自分にやりきれなくなっていた。小説はうれるの? いいえ売れないのよ。どんなものを書いているの? どんなものって、童話みたいなものよ。一々あやまって返事をしていたようなみじめさが話していながら、ああ駄目だ駄目だと中根さんに押されて来る。奴隷根性。いつもぺこぺこ。何とかして貰うつもりもないのに笑顔をつくってへりくだってみせる。

 詩や小説を書くと云う事は、会社勤めのようなものじゃありませんのよと心の中でぶつくさ云いわけしている。

 尾道へ着いたのが夜。

 むっと道のほてりが裾の中へはいって来る。とんかん、とんかん鉄を打つ音がしている。汐臭い匂いがする。

 少しもなつかしくはないくせに、なつかしい空気を吸う。土堂の通りは知ったひとの顔ばかりなので、暗い線路添いを歩く。星がきらきら光っている。虫が四囲いちめん鳴きたてている。鉄道草の白い花がぼおっと線路添いに咲いている。神武天皇さんの社務所の裏で、小学校の高い石の段々を見上げる。右側は高い木橋。この高架橋を渡って、私ははだしで学校へ行った事を思い出す。線路添いの細い路地に出ると「ばんよりはいりゃせんかア」と魚屋が、平べったいたらいを頭に乗せて呼売りして歩いている。夜釣りの魚を晩選ばんよりと云って漁師町から女衆が売りに来るのだ。

 持光寺の石段下に、母の二階借りの家をたずねる。びちょびちょの外便所のそばに夕顔が仄々ほのぼのと咲いていた。母は二階の物干で行水ぎょうずいをしていた。尾道は水が不自由なので、にないおけ一杯二銭で水を買うのだ。

 二階へ上って行くと母は吃驚びっくりしていた。

 天井が低く、二階のひさしすれすれの堤の上を線路が走っている。黄いろい畳が熱い位ほてっている。見覚えのある蓋のついた本箱がある。本箱の上に金光こんこう様がまつってある。行水から出て来ると、たらいの水に洗濯物を漬けながら、母は首でもくくりたいと云う。

 義父は夜遊びに行って留守。ばくちに夢中で、この頃は仕事もそっちのけで、借銭ばかりで夜逃げでもしなければならぬと云う。

 私は、帯をといて、はだかで熱い畳に腹這う。上りの荷物列車が光りながら窓のさきを走っている。家がゆれる。

 押入れも何もない汚ない部屋。


(八月×日)

 愛する者よ。なんじらこの一事を忘るな。主の御前には一日は千年のごとく、千日は一日のごとし。壁に張りつけてある古い新聞紙にこんな宗教欄がある。愛する者よ。か、汚穢おえにまみれ、いっこうにぱっとしない人生、き砕かれた心が、いま、この天井の低い部屋の中で眼をさます。一晩中、そして朝も、休みなく汽車が走っている。魚の町と云う小説を書きたくなる。階下の親爺おやじさんと義父は連れだって出たまま今朝も戻っては来ない。

 朝日が北の壁ぎわにまで射し込んで暑い。線路の堤にいちめんの松葉ぼたんの花ざかり。りつくように蝉が鳴きたてている。

 昼過ぎの汽車で宮様が御通過になる由にて、線路添いの貧民くつの窓々は夜まで開けてはならぬ、と云うお達しが来る。干し物も引っこめるべし、汚れものを片づけるべし。母は物干台を片づけ、ぞうりをはいて屋根瓦の掃除をしている。宮様とはいったい何者なのか私達は知らない。何も知らないけれども尊敬しなければならないのだ。昼頃から、線路の上を巡査が二人みまわっている。

 障子を閉めて、はだかで、チエホフの退屈な話を読む。あまり暑いので、梯子はしご段の板張りに寝転んで本を読む。風琴ふうきんと魚の町、ふっとこんな尾道の物語りを書いてみたくなる。

 母は掃除を済ませて、白い風呂敷包みの大きい荷物を背負って商売に出掛ける。

 階下のおばさんが、辛子のはいったところてんを一杯ごちそうしてくれる。そろそろ、宮さんがお通りじゃンすでエ……近所の女衆が叫んでいる。

 轟々ごうごうと地ひびきをたててお召列車が通る。障子の破れからのぞくと、窓さきの堤の上に巡査が列車に最敬礼をしている。巡査の肩に大きいトンボがとまっている。羽根が白く透けてふるえている。汽車の窓の中に白いカヴァがちらちらして、あかい顔の男が本を読んでいたのがすっと過ぎ去る。

 真実な一つのフイルムが、線路をすっとかき消えて行く。巡査が頭を挙げる。すばやく障子の破れから私は頭を引っこめる。

 忍耐づよい貧民。力が抜ける。それきりの為に、また固く障子を閉めておく。負担になってもにこにこ笑って土下座している。只、それきりの生き方。何の違いが、一瞬の宮様にあるのだろう……。宮様は涼しい汽車で本を読んでいる。私は暑い部屋の中で、チエホフの退屈な話を読んでいるだけだ。

 本箱の中に、古い私のノートあり。学生の頃の日記。大した事もなし。エルテルにのぼせあがっている感想。伊藤白蓮びゃくれんかけおちをノラの如しと書いている。

 当分はこのままで必死に小説を書いてみようと思う。

 夕方より雨。母が、油紙を頭からかぶって戻って来る。手籠に、いちじくのはじけたのを土産に買って来てくれる。尾道では、いちじくの事をとうがきと云うなり。

 義父帰らず。

 母は警察へあげられたのではないかと心配している。雨で涼しいのでノートに少しばかり小説めいたものを書きつけてみるけれども、すぐ厭になってしまう。大した事もないのだ。伊勢物語読了。

 ものを書いて暮すなぞと云う事はあきらめる方がいい。どうにもものにはならぬ。作曲家が耳のないのを忘れていて、音色を空想するだけ……。孤独に流されているだけでは、一字も言葉は生れて来ない。海辺の町へ戻って、まだ私は海を見ない。

 夜更けて義父が戻って来た。

 クレップシャツの上に毛糸の腹巻きをしている風采ふうさいがどうもいやらしい。金もないくせに敷島をぷかぷかふかしていた。

 東京は景気はどうかの。東京は不景気です。俺も今度こそ、何とかしようとは思うンじゃが、うまくゆかん……。

 あんまり暑いので、母と夜更けの浜へ涼みに行き、多度津たどつ通いの大阪商船の発着所の、石段のところで暫く涼む。露店で氷まんじゅうや、冷し飴を売っている。暑いので腰巻一つで、海水へはいる。浮きあがる腰巻きのはじに青いりんがぴかぴか光る。思い切って重たい水の中へすっとおよいでみる。胸が締めつけられるようでいい気持ちだ。

 暗い水の上に、小舟が蚊帳を吊って、ランプをとぼしているのが如何いかにも涼しそうだ。雨あがりのせいか、海辺はひっそりしている。

 千光寺の灯が、山の上で木立の中にちらちらゆれて光っている。


(八月×日)

 風琴と魚の町少しはかどる。

 小説と云うものはどんな風に書くものかは知らない。只、だらだらと愚にもつかぬ事をノートに書きながら自分で泣いているのだからいやらしくなって来る。蚊が多いので夜は一切書けない。第一、小説と云うものを書く感情は存在していないのだ。すぐ詩のようなうたいかたになってしまう。物事を解剖してゆく力がない。あわれむがよい。只、それきりだ。観察が甘く、まるで童話的だ。

 東京へ帰るには、二十円も工面しなければならぬと云う事が頭にちらつく。人よりに非ず、人にるに非ず、イエス・キリスト及びこれを死人の中よりよみがえらせ給いし父なる神に由りて使徒となれるパウロ。小説を書く筆者の琴線がたかなることなくしては、神は人のうわべをとり給わずである。自分にそのような才能があるとは思えない。書いても、書いても突き戻されていることに赤面しないあつかましさ。しりめつれつな心理の底をくぐる。小さい魚の影を追うようなものだ。まことしやかに活字が並ぶ。血へどを吐いたものはみるにも読むにもたえぬ。警察の眼も光る。無政府主義とは唄ではないのだ。それを願う願いは、この世の何処かにあるのだけれども……。おとぎの世界をねらう平和な獣だけの理想の天地。宮様がお通りになるからと云って、一日じゅう障子を閉ざして息を殺していなければならぬ私は階級なのだ。そして、宮様は一瞬にして雲の彼方かなたに消えてゆく人である。どうして、そのような人を尊敬しなければ生きてゆけないのだろう。

 警備の巡査も生きている。肩にとまったトンボも生きている。障子の中には、無作法なはだかで、チエホフをぶらさげている女が立っている。

 尾道へ戻った事を後悔する。

 ふるさとは遠くにありて想うものなり。たとい異土いど乞食かたいとなろうともふるさとは再び帰り来る処に非ずの感を深くするなり。

 死にたくもなし、生きたくもなしの無為徒然の気持ちで、今日もノートに風琴と魚の町のつづきを書く。

 母も、もう一度、東京へ出て夜店を出したいと云う。義父と別れてさえくれれば、私はどんなに助かるだろうと思うけれども、母はこれもなりゆきの事故、いましばらく辛抱しなさいと云う。義父はまた今朝からばくちに出掛けてゆく。母だけが、躯をすりへらしてこっぱみじんの働きぶりなり。

 只、母も私も、長い苦痛の連続のみにすがって生きているようなものなり。せめて、私が男に生れていたならばと思う。母の働いた金はみんな父のばくちのもとでに消えてしまう。

 夜は母と二人で、夜の浜辺へ出て、露店でうどんを食べて済ませる。家にいると借金取りがうるさいと云うので、また、暗い海水浴。

 海水は汚れてどろどろ、葬式の匂いがする。そのうち、ええこともあろうぞ……母がふっとそんな事を云う。私はさんばしの方までおよぐ。燐が燃える。向島のドックで、人の呼んでいる声がしている。こんなことでは、何の運命もない、風琴と魚の町の原稿を東京へ持って行ったところで、ぱっと華咲くようないい日が来るとは信じられぬ。いまひといき、いまひといきと暗い冷い水の方へおよいで行く。

 やがて、石段に戻って、素肌にぬるい着物を着る。濡れたものをしぼっていると、うどんのげっぷが出て来る。肌がぴいんとしまって来た気がする。自然な温かい気持ちになり、モウレツに激しい恋をしてみたくなる。いろんな記憶の底に、男の思い出がちらちらとする。

 家へ戻ると、階下はみんな出掛けて留守。階下のおばさんも、このごろは昆布巻きの内職をなまけて遊び歩いているとの事なり。

 荒破屋あばらや同然の二階。裸電気の下で、母と私ははだかになって涼む。燈火の賑やかな上り列車が走って行く。うらやましい。

 どうしても東京へ行きたいのだけれども、いまがいま、二十円の金つくりは出来かねると母はしょげている。十円でも出来ればいいのだと思う。蚊いぶしを燃やして、小さい茶餉台ちゃぶだいにノートを拡げる。もう、あとを続けて書くより仕方がない。甘くてどうにも妙な小説だ。幻影だけでまとまりをつけようとするプロット。暑いせいかも知れない。たらふく食わないせいかも知れない。頭の上にさしせまった思いがあるせいかも知れない。風琴と魚の町と云うタイトルだけのものだ。生活の疲労に圧倒されて、かえって幻影だけがもやもやと眼の先をかすめるプロット。

 どうして、いつまでも、こんな暮しなのかと思う。母はエンピツをなめながら帳面をつけている。別に大した金高でもないのに、帳面をつけているかっこうは大真面目なもの。粘土に足をとられて、身動きもならぬ暮しだ。──別れなさいよ。うん、別れようかのう。別れなさいよ。そして、二人で東京へ行って、二人で働けば、毎日飯が食べられる。飯を食う事も大切じゃが、義父さんを捨ててゆくわけにもゆくまい。別れなさいよ。もう、いい年をして、男なぞはいらないでしょう……。お前は小説を書いておってむごかこつ云う女子じゃのう……。私は、黙ってしまう。心配も愉しみの一つで、今日まで連れ添って来た母と義父とのつながりを自分にあてはめて考えてみる。母は倖せな人なのだ。

 一生懸命、ノートに私ははかない事を書きつけている。もう、誰も頼りにはならぬのだ。自分の事は自分で、うんうんと力まなければ生きてはゆけぬ。だが、東京で有名な詩人も、尾道では何のあとかたもない。それでよいのだと思う。私は尾道が好きだ。ばんよりはいりゃんせんかのう……魚売りの声が路地にしている。釣りたてのぴちぴちした小魚を塩焼きにして食べたい。

 その夜、義父たちは、階下の親爺さんもいっしょに警察へあげられた。夜更けてから、母は階下のおばさんと、何処かへひそかに出掛けて行った。


        *


(十一月×日)

 百舌鳥もずが、けたたましくほりの向うで鳴いている。四谷見附から、溜池ためいけへ出て、溜池の裏の竜光堂という薬屋の前を通って、豊川いなり前の電車道へ出る。電車道の線路を越して、小間物屋の横から六本木の通りへ出て、池田屋干物店前で池田さんに声をかける。

 池田さんがぱアと晴れやかな顔で出て来る。今日は珍らしく夜会巻きで仲々の美人なり。店さきには、たらこや、さけ、棒だらなぞの美味おいしそうなものがぎっしり並んでいる。

 二人は足袋屋の横町を曲って、酒井子爵邸の古色蒼然そうぜんとした門の前を歩く。

 今日は新富座で寿美蔵の芝居がある由なり。いかにも江戸ッ子らしい池田さんの芝居ばなし。今日は寿美蔵が手拭を撤く日だから、どうしても、早い目に社を出て行くのだと大いに張りきっている。赤坂の聯隊れんたいが近いのだということで、会社へ着くころには、いつも喇叭らっぱが鳴りひびいている。

 小学新報社というのが私たちの勤めさき。旧館の二階の日本間に、机を八ツ程あわせて、私たちは毎日せっせと帯封書きだ。今日は、鹿児島と熊本を貰う。まだ時間が早いので、窓ぎわで池田さんと、宮本さんと三人で雑談。日給をなんとかして月給制度にして貰いたいと話しあう。日給八十銭ではなんとしてもやってゆけないのだ。四谷見附から市電の電車賃を倹約してみたところで、親子三人では仲々食べてはゆけない。池田さんは親がかりなので、働いた分がみんな小遣いの由なり。羨しい話だ。八時十分前、みんな集る。私は例によって、一番暗い悪い席に坐る。頭株の富田さんが指図をするので、窓ぎわの席へは仲々坐れない。

 小学校便覧の活字も小さいので、眼の近い私には、人の二倍はかかってしまう。眼鏡を買いたくても、八十銭の日給では、その日に追われて眼鏡を買うどころのさわぎではない。

 もうじき一のとりが来る。

 富田さんは今日はいちょう返しに結っている。このひとは大島伯鶴はっかくというのが好きだとかで、飽きもせずに寄席の話ばかりしている。

 宛名を書くのがめんどう臭くなって来る。ぼんやりとしてしまう。ふっと横の砂壁にちらちらと朝の陽が動いている。幻燈のようなり。池田さんも、富田さんも大島の羽織で、日給八十銭の女事務員には見えない。池田さんは眼は細いけれども芸者にしてみたいような美人なり。干物屋の娘のせいか、いつもにきびがどこかに出来ている。

 何という事もなく、夫婦別れというものは仲々出来ぬものなのかと思う。夫婦というものが、妙なつながりのように考えられて来る。昨夜も義父と母は、あんなに憎々しく喧嘩けんかをしあっていたくせに、今朝は、案外けろりとしてしまっていた。義父と母が別れてさえくれたなら、私は母と二人きりで、身を粉にしても働くつもりなのだけれども、私は、義父が本当はきらいなのだ。いつも弱気で、何一つ母の指図がなければ働けない義父の意気地のなさが腹立たしくなって来る。義父は独りになって、若い細君を持てば、結構、自分で働き出せる人なのであろう……。母の我執の強さが憎くなって来るのだ。

 また琵琶びわの音が聴える。別にこの仕事に厭気がさしているわけではないけれども、長く続けてゆける仕事ではないと思う。それにしても、このあたりの森閑とした邸のかまえは、いかなる幸運な人々の住居ばかりなのかと不思議に思える。朝から琵琶を鳴らし、ピヤノを叩いているひっそりした階級があるのだと思うと、生れながらの運命をつかんでいる人達なのであろう。──昼から新聞の発送。

 新聞の青インクが生かわきなので、帯封をするたびに、腕から手がいれずみのように青くなる。大正天皇と皇太子の写真が正面に出ている。大正天皇は少々気が変でいらっしゃるのだという事だけれども、こうしてみると立派な写真なり。胸いっぱいに、菊の花のようなクンショウ。刷りが悪いので、天皇さまも皇太子も顔じゅうにひげをはやしたような工合に見える。

 のりをつけるもの、帯封を張るもの、県別に束ねるもの、戸外へ運び出すもの、四囲はほこりがもうもうとして、みな、たすきがけで、手拭の姉様かぶり。発送が手間取って、全部済んだのが五時過ぎ。そばを一杯ずつふるまわれてくらい街へ出る。池田さんは芝居に遅れたとぷりぷりして急いで戻って行った。

 四谷の駅ではとっぷり暗くなったので、やぶれかぶれで、四谷から夜店を見ながら新宿まで歩く。

 家へ帰る気がてんでしないのだ。家へ帰って、夫婦喧嘩をみせられるのはたまらない。二人とも貧乏で小心なのだけれども、悪人よりも始末が悪いと思わないわけにはゆかない。夜店を見て歩く。焼鳥の匂いがしている。夜霧のなかに、新宿まで続いた夜店の灯がきらきらと華やいで見える。旅館、写真館、うなぎ屋、骨つぎ、三味線屋、月賦の丸二の家具屋、このあたりは、昔は女郎屋であったとかで、家並がどっしりしている。太宗寺にはサアカスがかかっていた。

 行けども行けども賑やかな夜店のつづき、よくもこんなに売るものがあると思うほどなり。今日は東中野まで歩いて帰るつもりで、一杯八銭の牛丼を屋台で食べる。肉とおぼしきものは小さいのが一きれ、あとは玉葱たまねぎばかり。飯は宇都宮の吊天井つりてんじょうだ。

 角筈のほてい屋デパートは建築最中とみえて、夜でも工事場に明るい燈がついている。新宿駅の高い木橋を渡って、煙草専売局の横を鳴子坂なるこざかの方へ歩く。しゅうしゅうと音をたてて夜霧が流れているような気がする。南部修太郎という小説家の夜霧という小説をふっと思い出すなり。

 家へ帰ったのが九時近く。義父は銭湯へ行って留守。台所で水をがぶがぶ飲む。母は火鉢でおからを煎りつけていた。別に遅かったねと云うわけでもない。自分の事ばかり考えている人なり。鼻を鳴らしながらおからを煎っている。鍋をのぞくと、黒くいりついている。何をさせても下手な人なり。葱も飴色になっている。強烈な母の我執が哀れになる。部屋の隅にごろりと横になる。谷底に沈んで行きそうな空虚な思いのみ。卑屈になって、何の生甲斐いきがいもない自分の身の置き場が、妙にふわふわとして浮きあがってゆく。胴体を荒繩でくくりあげて、空高く起重機で吊りさがりたいような疲れを感じる。お父さんとは別れようかのと母がぽつんと云う。私は黙っている。母は小さい声でこんななりゆきじゃからのうとつぶやくように云う。私は、男なぞどうでもいいのだ。もっとすっきりした運命と云うものはないのかと思う。義父の仕入れた輪島塗りの膳が、もういくらも残ってはいない。これがなくなれば、また、別のネタを仕入れるのだろう。

 次から次から商売を替えて、一つの商売に根気のないと云う事が、義父と母を焦々いらいらさせているのであろう。十二円の家賃が始めから払えもしないで、毎日鼻つきあわせてごたごたしている。第一、まともに家なぞ借りたがるよりも、田舎へ帰って、木賃宿で自炊生活をして、二人で気楽に暮した方がよさそうに思える。折角、どうにか、私が私一人の暮しに落ちつきかけると、二人は押しかけて来て、いつまでも同じ事のくりかえしなのである。東京で別れたところで、お義父さんはさしずめその日から困るンじゃからのうと、また、ぽつりと母が云う。私は煎りついて臭くなってきた鍋を台所へ持って行った。母は呆気あっけにとられている。何をさせても無駄づくりみたいな母の料理が気に入らない。私は火鉢のかっかっとおこった火に灰をかぶせて、瀬戸引きのやかんをかける。

「何を当てつけとるとな、お前の弁当のおかずをつくってやろうと思うていとるんじゃが……」

 私はそんな真黒いおからのおかずなんかどうでもいいのだ。黙って寝転んで、袖の中へすっぽりと頭も顔もつっこんでいると、母は急に鼻を荒くすすりながら、わし達が邪魔なら、今夜にでも荷造りをして帰ると云い始めた。木綿裏の袂の中に秋の匂いがする。おおこの匂い。季節の匂い、慰めの匂い。袂の中で眼を開けると、真岡絣もうかがすりの四角い模様が灯に透いてみえる。お前はお父さんをどうして好かんとじゃろか? と母が泣きながら云う。あンたよりも二十歳も若い男をお父さんなぞと云わせないでよとはんぱくする。母はうなってつっぷしてしまう。お前じゃとてなりゆきと云うものがあろうがの……。男運が悪いのはお前も同じことじゃないかのと云う。

「お前は八つの時から、あの義父さんに養育されたンじゃ。十二年も世話になって、いまさらお父さんはきらいとは云えんとよ」

「いいや、私はそだてられちゃいないッ」

「女学校にも上がっつろがや……」

「女学校? 何を云うとるンな、学校は、私が帆布の工場に行きながら行ったンを忘れんさったか。夏休みには女中奉公にも出たり、行商にも出たりして、私は自分で自分の事はかせいだンよ。学校を出てからも、少しずつでも送っとるのは忘れてしもうたンかな?」

 云わでもの事を、私は袂の中で呶鳴どなる。

「お前はむごい子じゃのう……」

「ああ、もう、こう、ごたごたするンじゃ、親子の縁を切って、あんたはお義父さんと何処へでも行きなさいッ。私は、明日からインバイでも何でもして自分のことは自分で始末つけるもン」

 袂の中で涙が噴きあげる。父の下駄の音がしたので、私はぷいと裏口から川添の町を歩く。白い乳色のもやが立ちこめて、畑のあっちこっちにちらちらと人家の灯がまたたく。川添町と云ったところで、東京もここは郊外の郊外、大根畑の土の匂いが香ばしく匂う。

 何処へ行くと云うあてもない。

 東中野のボックスのような小さい駅へ出て、釣り堀のやぶの道の方へ歩く。駅前の大きな酒屋だけが明るい燈火を夜霧の中に反射している。星がちかちかとまばたいている。辛抱強く。何事も辛抱強くだ。いざという時には、甲府行きの汽車にひかれて死ぬ事も賑やかな甘酢っぱい空想。だが、神様、いまのところはこのままでは死にきれぬ。


(十一月×日)

 豪雨。土肌を洗い流す程の大雨なり。尻からげになって会社へ行く。池田さんは、紺飛白のビロードえりのかかった雨ゴートを着て来る。仲々意気な雨ゴートなり。今日は弁当なし。昼は雨の中を、六本木まで出て、そば屋でそばを食べて、ふんだんにそばづゆを貰って飲む。どろりとしたそばづゆに、唐辛子を浮かしてすする。

 六本木の古本屋で、大杉栄の獄中記と、正木不如丘まさきふじょきゅう編輯へんしゅうの四谷文学という古雑誌と、藤村の浅草だよりという感想集三冊を八十銭で求める。獄中記はもうぼろぼろなり。

 富田さん、麻布あざぶのえち十と云う寄席へ行かないかとみんなを誘うけれど、私は雨なので断って早く家に帰る。沛然はいぜんとした雨が終日つづく。この雨があがれば、いよいよ冬の季節にはいるのであろう。足袋を洗い、火鉢にかざしてあぶる。義父も母も雨音をきいてつくねんとしている。


左右いずれとも決しがたき宿命

悲劇は只の笑い話なり

御返事を待つまでもなく

只今は響々の雨

雨量はますではかりがたく

ただ手をつかねてなりゆきを見るのみ。


犠牲は払っているわけではない

不可能の冬の薔薇

孤独と神秘を頼みとする貧乏暮し

人は革命の書をつくり

私はあははと笑う

只、何事もおかしいのだ

真面目に苦しむ事の出来ぬ性分。


自分の運命を切りひらけと云われたところで

運命は食パンではないのです。

どこからナイフをあててよいのか

人生の狩猟は力のかぎり盛大に

鼻うごめかし

涙をすすり

つばを飲み

脚をふんばりだ。


秩序の目標はブルウブラック

仮説の中でひっそりと鼠を食う

その霊妙なる味と芳香

ああロマンスの仮説

誰にも黙殺されて自分の生血をすする

少しずつ少しずつの塩辛い血。


革命とは水っぽい艶々の羊かん

かんてん かんてん かんてんの泥

人間一人が孤独で戦う

群勢はいりません

家柄やお国柄では飯は食えぬ。


 講談を書こうと思い始める。漱石調で水戸黄門。藤村調で唐犬ゴンベエ。鴎外調で佐倉ソウゴロ。はっしはっしと切り結ぶと云う陰惨ごとはどうにも性分にはあわないながら、売りものには花をそえて、変転自在でなければならぬ。芥川の影燈籠かげどうろうも一つの魅力なり。

 今夜からは、寒いので、親子三人どうしても一つの寝床にはいらねばならぬ。蒲団の後からぬっと脚をさしこむ気がしない。ああ、せめて二枚の蒲団よ、どこからか降って来ないものか。しんしんと冷える。母と義父はもう寝床で背中あわせに高いびきなり。

 電気をひくくさげて、ペン先きにたっぷりとインキをふくませて、紙の上にタプタプとおとしてみる。いい考えも湧いて来そうな気がしていながら、仲々神霊は湧いて来ない。

 行きくれた、この貧しい老夫婦の寝姿を横にしては胸もつまってしまう。壁ぎわに電気を吊りかえて、小さい茶餉台に向う。

 二三頁も詩ばかり書きつらねて、講談は一行も書けない。トタン屋根にそうぞうしくあたる雨脚に、頭はこっぱみじんに破れそうなり。運命尽きぬオタアロオなり。

 お前もわしも男運がないと云った母の言葉を想い出して、ふっと「男運」と云う小説らしきものを書いてみたき気持ちがするけれども、それもものうく馬鹿馬鹿しく、やめてしまう。

 根が雑草の私生子で、男運などとは口はばたきいいなり。伊勢物語ではないけれども、昔男ありけり、性猛々たけだけしく、乞食を笑いつつ乞食よりもおとれる貧しき生活をすとて、女に自殺せばやと誘う。女、いなとよと叫び、畳をにじりて、ともに添寝せばやと、せめてその事のみに心はぐらかさんものとたくらみ、ひもと云う紐、刃物と云う刃物とりあげてたくみたり……。

 雨は少々響々の鳴りをひそめる。


(八月×日)

 高架線の下をくぐる。響々と汽車が北へ走ってゆく。

 息せき切って、あの汽車は何処へ行くのかしら、もう、私は厭だ。何もかも厭だ。なまぬるい草いきれのこもった風が吹く。お母さんが腹が痛くなったと云う。堤に登って、しばらくやすみなさいと云ってみる。征露丸を飲みたいと云うけれど、大宮の町には遠い。

 じりじりと陽が照る。

 よくもこんなに日が照るものだと思う。何処かで山鳩が啼いている。荷物にもたれて、暫く休む。今夜は大宮へ泊りたいのだけれども、我まんして帰れば帰れない事もないのだが、何しろ商売がないのには弱ってしまう。眼をつぶっていると、にじのような疲れかたで、きりきりと額が暑い。手拭を顔へかぶる。お母さんは、少ししゃがんでいきんでみようかと云う。三日もべんぴしているのだそうで、どうも頭が割れるようでのうと云う。

「おおげさな事を云うてるよ。少しそのへんでゆっくりしゃがんでなさい」

「うん、何か紙はないかの」

 私は荷物の中から新聞紙を破ってお母さんへ渡した。よわりめに、たたりめ。幽霊みたいな運命の奴にたたられどうしだ。いまに見よれ。そんな運命なんか叩き返してみせる。あんまりいじめるなよ、おい、ぞうもく野郎! 私は青い空に向って男のように雑言を吐いてみる。私は、こんな生きかたは厭なんだよ。みずみずしい風が吹く。それもしみったれて少しずつ吹いている。

 お母さんは裾をくるりとまくって、草の中へしゃがんだ。握りこぶし程に小さい。死んじまいなよ。何で生きてるんだよ。何年生きたって同じことだよ。お前はどうだ? 生きていたい。死にたくはござらぬぞ……。少しは色気も吸いたいし、飯もぞんぶんに食いたいのです。

 せみきたてている。まあ、こんなに、畑や田んぼが広々としているというのに、誰も昼寝の最中で、行商人なぞはみむきもしない。草に寝転んでいると、躯ごと土の中へ持ってゆかれそうだ。堤の上をまた荷物列車が通る。石材を乗せて走っている。材木も乗っている。東京は大工の書きいれ時だ。あんな石なんかを走らせて、あの石の上に誰が住むのだろう。

 寝ながら口笛を吹く。

「まだかね?」

 時々、お母さんへ声をかけてやる。人間がしゃがんでいるかっこうというものは、天子様でも淋しいかっこうなんだろう。皇后さまもあんな風におしゃがみなのかねえ。金のはしはさんで、羽二重の布に包んで、綺麗な水へぽちゃりとやるのかもしれない。

 俺とお前は枯れすすき、花の咲かない枯れすすき……。大きい声で唄う。全く惚々ほれぼれするような声なり。おいたわしやのこの人なき真昼。窒息しそうだなぞと云っても、こんなに沢山空気があっては陽気にならざるを得ない。只、空気だけが運命のおめぐみだ。

 絶世の美人に生んでくれないのがあなたの失策さ……。何処にでもあるような女なんか、世の中はみむいてもくれないのさ。

「ああ、やっと出た」

「沢山かね?」

「沢山出たぞ」

 お母さんは立ちあがって、ゆっくり裾をおろした。

「えらい見晴しがいいのう」

「こんなところへ、小舎をたてて住んだらいいね」

「うん。夜は淋しいぞ……」

 用を達して気持ちがいいのか、母は私の横へ来て、セルロイドの歯のかけたくしで髪をときつける。

 大宮の町へ行って銭湯にはいりたくなった。下駄をぬぐと、鼻緒のところをのこして、象の足のように汚れた足。若い女の足とも思えぬ。爪はのび放題。指のまたにごみがたまっている。私も用を達しに行く。またの中へすうすうと風がはいって来る。裸の脚はいい気持ちだ。ふとってふとって、まず、この両のももで五貫匁かんめというところかな。眼の下を自転車が走ってゆく。玄米パンのほやほや売りだ。私が股を拡げているのも気がつかないで、玉転がしのように往かんを走って行ってしまった。草が濡れてゆく。

 また、背中を汽車が来る。地響きが足の裏にぶきみだ。

 大宮の町へ出たのは三時。どおんと暑い。八百屋の店先きに胡瓜の山。美味うまそうなのを二本買って、母と二人でかじる。塩があればもっと美味いだろう。二人で、手分けして、両側を軒並みに声をかけて行く。

「クレップの襯衣シャツと、すててこはいりませんか、お安くしときますけどね」

 何処も返事もしてくれない。母が建具屋さんの店先きに腰を掛けている。何か買ってくれるらしい。三十軒も歩いた。やっと、製材所で見せてみなと云われる。

 ねじり鉢巻きの男が三人、汗を拭きながら寄って来る。私は手早く材木の上へ荷物をひろげた。おがくずの匂いが涼しい。

「大阪から仕入れてるんでとても安いんですよ。輸出の残りなンですよ」

「ねえさんは、美味そうにふとってるな。旦那もちかい?」

 私は心のうちでえっへ、と笑う。何持ちなんだか、さっぱり自分で自分の生態がわからないですとね。上下三円五十銭を五十銭もまけさせられて、三組売る。一寸ちょっと、神様に感謝する。犬も歩けば棒にあたるだ。また荷を背負って町角を曲る。お母さんは影もかたちも見えぬ。どうせ大宮の駅で逢えばいいのだ。

 大宮は少しも面白くない町なり。

 東京へ戻ったのが七時頃。雨が降っていた。

 ざんざ降りのなかを金魚のようにゆられて川添いに戻る。今日は十五日。豆ローソクのお光りをあげる。かえるが啼いている。炭がないので、近所の炭屋で一山二十銭の炭を買って来て飯を焚く。隣りの駄菓子屋の二階の学生が大正琴たいしょうごとをかきならしている。何処からともなく蕎麦そばだしを煮出している匂いがする。胃袋がぶるぶるふるえて仕方がない。この世の中に奇蹟きせきはないのだ。皇族に生れて来なかったのが身のあやまり……。私は総理大臣にラブレターを出してみようかと思う。夜、ゴオゴリの鼻を読む。鼻が外套がいとうを着てさすらってゆく。そして、しょうことなく、だらしなく読者にこびを呈して、嘘をとりまぜた考えが虚空に消えてゆく。

 苦しめば苦しむほど、生甲斐のある何かだ。ほっとする人生を得たいために、時には厭なこともやりかねない。このままな無頓着ではいられない。私にだって、そんな馬鹿馬鹿しい程の時がめぐって来るのだろうか……。このまま何でもなく通りすぎる貧窮のつづきかな。金さえあれば、もっと、どうにかなるのか、浅はかな世の中だ。──その癖、何を考えているのか。自分で自分がさっぱり判らない。正直で誠実で、人情深くて、それが貧乏人のけちな根性さね……。何もないから、せめて正直で、おずおずして、銭勘定ばかりしている。隣りの大学生は大正琴を弾きながら、親から金が送って来て、肉屋の女と恋をしている。結構な生れあわせだ。

 上月の夜に小菜こなの汁に米の飯、べんけいさんは理想が小さい。ねえ、それなのに、私はべんけいさんの理想も途方もないぜいたくに思ってます。他人さまとは縁も由縁ゆかりもないのよ。私は私こっきりの生きかた。五貫匁もある重い腿をぶらさげて、時には男の事も考える。誰かいいひとはいないかしら、せめて、十日も満足に食わせてくれる男はいないものかと考える。だって、ねえ、こんなに貧乏して、からだじゅうをのみに食わしているンじゃアやりきれない。全く、私は生れなきゃよかった部類の女なンだから……。私は馬と夫婦になったっていいと思う。全く邪魔っけな重たい躯なンて不用そのもの、鼻だけで歩きたい位のものだ。ゴオゴリもこんな気持ちで長ったらしい小説なんかでかきくどいたのに違いない。


何時寝るともなく

静かに眠り夢をみる

ただ食べる夢男の夢

特別残酷な笑い事の夢

耳の奥で調子を取る慾

びいんびいんと弓を鳴らす

茶碗つぎの中国人の夢


走って行って追いかえされて

けろりとしてからすのように啼く

太々しいくせに時には泣きたくなる

み傷一つ誰にもつけた事のない

よぼよぼの鼠のくりごと

畸形きけいで、男と寝たがる意地ぎたなさ

その日その日が食ってゆければ

まず学者は論文を書く

そんなものなのだろうけれど


私は陳列を見ているといいのだ

みんな手に取ってみせる力が湧く


(八月×日)

 下谷の根岸に風鈴を買いに行き、円い帽子入れに風鈴を詰めて貰って、大きなかさばった荷物を背負って歩く。薄い硝子ガラスの玉に、銀のメッキをしたのがダースで八十四銭。馬鹿馬鹿しい話なンだけど、これを草しのぶの下に吊して、色紙のタンザクをつけて売るにはね。汗びっしょりで、何とも気持ちが悪い。からりと晴れた空。まるで、コオボウ大師を背中にしょってるような暑さなり。

 夜、一銭なしで、義父上京。

 広島も岡山も商売は不景気な由なり。

 私はこの人達から離れて暮したいと思う。一緒に暮していると、べとべとにくさってしまいそうだ。心のなかでは、何時でも気紛れな殺人を考えている。少しずつ犯人になった恐怖におそわれる。自分も死んでしまえばいいと思いながら、人間はこうしたれな心理のなかには仲々飛び込めないものだと思う。穏かに暮してゆくには、日々の最少の糧がなくては生きてゆけない。頻繁ひんぱんに心理的なしゃっくりになやまされる。考える果ては金が欲しい事だ。金さえあれば、単純な生き方が何年かは続けられる。このさきざき、珍らしい事が起きようとは思わない。充分満足する心が与えられない。前の荷馬車屋で酔っぱらいの歌がきこえる。火の粉のように爆発したくなる。もう一度、あの激しい大地震はやって来ないものだろうか。何処を歩いても、美味そうなパンが並んでいる。食べた事もないふわふわなパンの顔。白い肌、触れる事も出来ないパン。

 夜更けて、ハムスンの「飢え」を読む。まだまだこの飢えなんかは天国だ。考える事も自由に歩く事も出来る国の人の小説だ。進化エヴオリュウションと、革命という言葉が出て来る。私にはそんな忍耐もいまはない。泥々で渇望の渦のなかに、何も考えないで生きているだけだ。窒息から、かろうじて生きているだけだ。口惜しくなると、そこいらへ小刀で落書きをしたくなる生き方を神様よ御ぞんじですか……。只、こうして手をつかねて風鈴をしのぶ草にくくりつけている。馬鹿に涼しそうだと云って買ってゆく人間の顔が眼に浮ぶ。いまに何とか人生を考えなければなるまい。

 夜更けの川添の町を心をすくめて私は歩く。尻からげで、只、黙って歩いている。星なんぞは眼にもはいらない。星なんか、みんな私は私の眼から流してしまう。それきりだ。私が尻からげをして歩いているので、狂人女かと、歩く人が、そっとよけて通ってゆく。私はにやにや笑う。男が来ると、わざと、その方へすたすたと歩いてみる。男は大股に、私の方から逃げてゆく。心のなかでは、疾風怒濤どとうが吹きつけていながら、生きて境界のちがう差異が私には判って来る。自分以外の人間が動いていて、その人間たちが、みんな、それぞれに陰鬱にみえる。

 私は、いつでも、売春的な、いやらしい自分の心のはずみに驚く。何も驚く事はないくせに、一寸した動機で、何時でも自分をやけくそに捨ててしまえる根ざしはあるものなり。暑いせいか、私はますます原始的になり、せめて、今夜だけでも平凡ではいられないと苛々いらいらして来る。迷惑は何処にもころがっていると思いながら、窓の燈を見ると、石を投げたくなるのはどうした事だろう。

 小さい制限のなかで生きているだけなのよ。そこから、出る事も引っこむ事も出来ない。イエス・キリストのたまわくだ。キリストがベツレヘム生れだなんて怪しいものだ。いったい、イエス・キリストなんて、大昔に生きていましたのかね。誰も見た人はないし、誰も助けられたものはない。おシャカ様にしたって怪しいものだ。

 太陽や月を神様にしている孤島の人種の方がはるかに現実的で、真実性があるのに、神様だなんて、たかが人間の形をしているだけの喜劇。この環境の息苦しさを誰一人怪しむものもない。


(八月×日)

 今日はさんりんぼうで、商売に出ても、大した事もないと、お母さんも義父も朝寝。みいんみいんと暑くるしく蝉が啼きたてている。前の牛小舎では、荷車に山のように白い豆腐のおからが盛りあげて、はえがゴマのようにはじけている。おからが食べたくなる。葱を入れて油でいったら美味いな。

 家にいるのが厭なので、また、荷物を背負って一人で出掛ける。別に大した事もないけれど、何時もさんりんぼうのような暮しで、今日のようないい天気をとりにがすのも変な話だと、大久保へ出て、浄水から、煙草専売局へ出て、新宿まで歩く。油照りのかあっとした天気だ。抜弁天ぬけべんてんへ出て、一軒一軒歩いてみるが、クレップの襯衣なぞ買ってくれる家もない。

 余丁よちょう町の方へ出て、暑い陽射しのなかに、ぶらぶら歩く。亀が這っているような自分の影が何ともおかしい。三宅やす子さんの家の前を通る。偉い女の人に違いない。門前の石段に一寸腰を降して休む。三宅さんは、朝飯も食べない女が、自分の門前に腰をかけているとも思うまい。門の中で、男の子供が遊んでいる。頭のでっかい子供だ。

 若松町へ出て、また、わけもわからずに狭い路地の中を歩いてみる。腹がへって、どうにも歩けやしない、漠然とした考えにとらわれる。第一、暑いので、気が遠くなりそうだ。ところてんでも食べたいものだ。

 背中は汗びっしょり、脚の方へ汗が滴になって流れる。下宿屋をのぞいてみるが、学生はみんな帰省していてひどく閑散。

 何の為に、こんなとこへまで歩いて来たのかさっぱり判らない。真実を云えば、商売をする事よりも、只、己れのセンチメンタルに引きずられて歩いていたい下心なのかも知れない。歩いて、いい事もないとなれば、それがまた、自分を悲しくやるせなくしていると、私は甘くなって、下駄を引きずりながら歩く。家にいて、親の顔なぞ見たくもないと云う、そんなわけと云うものなり。一つ蒲団に何時までも抱きあって寝ている親の姿はいやらしい。上品になりたくても上品にはなれない。親の厄介さがたまらない。何処かへ一人で行って、たった一人で暮したい。ああ、そんな事を考えて歩くと、また、べたべたと涙が溢れる。塩っぱい涙を舌のさきでなめているかと思うと、もう、けろりとして、また背中の荷物をゆすぶりあげて歩く。蝸牛かたつむりのような私のずんぐりむっくりした影。風呂へはいって、さっぱりと髪を洗う夢想。首筋から、胸へかけて、ぶつぶつとあせものかさぶたではどうにもなりません。

 小石川の博文館に、いつか小説を持って行ったが、懸賞小説はいまやっていないと断わられてしまったが、島田清次郎は、どんなに工合のいい頭をしているのかしら……。行商も駄目、書く事も駄目となれば、玉の井に躯を売り込むより仕方がないね。三好野で、三角の豆餅を一皿取って食べる。ぬるい茶がごくごくと咽喉のどを通る。

 相変らずの下等な趣味。臆病で、弱気で、そのくせ、何かのほどこしを待っているこの精神だ。ほどこしを受けたい一心で生きているようなものだ。ねえ、私は、ねえと云う小説を書きたし。ウエルテルの嘆きと少しも変らぬ、そんなものだ。快適な地すべりをして、ウエルテルの文字は流れている。甘い事この上なしの惚れぶみなり。私はもっと、憎悪を持って、男の事を考える。嘘ばかりで、文学が生れている。みせかけの図々しさで、作者は語る。淫蕩いんとうで、仁慈のあるスタイルで、田舎者の読者をたぶらかす。厭じゃありませんか。

 いっその事、神田の職業紹介所まで行って、また、あの桃色カードの女になってみようかと思う。月三十円もあれば、また、静かに書きものは出来る。畳に腹ばって、二十枚八銭の原稿紙を書きつぶす快味。たまには電気ブランの一杯もかたむけて、野宿の夢を結ぶジオゲネスの現実。面白くもないこの日常から、きりきりと結びあげたい気にもなる。

 蒸気をシュッシュッと吐いて生きなければなりませんとも……。おてんとうさまよ。どうして、そんなに、じりじりと暑く照りつけて苦しめるのですか? 暑い。全く、暑くて悶死もんししそうだ。どっかに、おおきな水たまりはありませんかね。鯨の如く汐を噴いてみたいのですよ。

 一銭の商売にもありつけず、夕方御きかん。

 キャベツにソースをふりかけて、麦飯にありつく。義父はしのぶ売りに出掛けて留守。お母さんは腰巻一枚で洗濯。私も裸になって、井戸水をかぶる。

 少女画報から、原稿返っている。

 舌を出して封を切る。

 奇蹟の森なぞと気取った題をつけても、原稿は案外戻って来る。何も、奇蹟なぞありようがない。信心家の貧しい少女が、パレスチイナでの地を支配する物語なぞ、犬に食われてしまうのは必定、のぼせあがって、世界一の作文なぞに思った事もつか。ああ、この心のほこりも蝶の如く雨の中にかきつけられてしまいましたである。

 井戸水を浴びて、かっかっと火照ほてる躯で畳に腹這い、多少なりとも先途の事を考える。燈をしたって、やかなぶんぶんが飛んで来る。何よりもうるさいのは蚊軍の責め苦なり。

 古い文章倶楽部を出して読む。相馬泰三の新宿遊廓ゆうかくの物語り面白し。細君はとり子さんと云うのだそうだが、文章では美人らしい。

 ああ、世の中は広いものだ。毎日、何とか、美味いものを食って、夫婦でのんびり夜店歩きの世界もある。

 あれもこれも書きたい。山のように書きたい思いでありながら、私の書いたものなぞ、一枚だって売れやしない。それだけの事だ。名もなき女のいびつな片言。どんな道をたどれば花袋かたいになり、春月になれるものだろうか、写真屋のような小説がいいのだそうだ。あるものをあるがままに、おかしな世の中なり。たまには虹も見えると云う小説や詩は駄目なのかもしれない。食えないから虹を見るのだ。何もないから、天皇さんの馬車へ近よりたくもなろう。陳列箱にふかしたてのパンがある。誰の胃袋へはいるだろう。

 裸でころがっているといい気持ちだ。蚊にさされても平気で、私はうとうと二十年もさきの事を空想する。それでも、まだ何ともならないで、行商のしつづけ。子供の五六人も産んで、亭主はどんな男であろうか。働きもので、とにかく、毎日の御飯にことかかぬひとであればさいわいなり。

 あんまり蚊にさされるので、また、汗くさいちぢみに手を通して、畳に海老えびのようにまるまって紙に向う。何も書く事がないくせに、いろんな文字が頭にきらめきわたる。二銭銅貨と云う題で詩を書く。


青いカビのはえた二銭銅貨よ

牛小舎の前でひらった二銭銅貨

大きくて重くてなめると甘い

蛇がまがりくねっている模様

明治三十四年生れの刻印

遠い昔だね

私はまだ生れてもいない。


ああとても倖せな手ざわり

何でも買える触感

うす皮まんじゅうも買える

大きな飴玉が四ツね

灰で磨いてぴかぴか光らせて

歴史のあかを落して

じいっと私は掌に置いて眺める


まるで金貨のようだ

ぴかぴか光る二銭銅貨

文ちんにしてみたり

裸のへその上にのせてみたり

仲良く遊んでくれる二銭銅貨よ。

底本:「新版 放浪記」新潮文庫、新潮社

   1979(昭和54)年930日初版発行

   1983(昭和58)年730日9刷

底本の親本:「林芙美子作品集第一巻」新潮社

   1955(昭和30)年12月初版発行

初出:「女人藝術」

   1928(昭和3)年10月号~1930(昭和5)年10月号

※底本の二重山括弧は、ルビ記号と重複するため、学術記号の「《」(非常に小さい、2-67)と「》」(非常に大きい、2-68)に代えて入力しました。

入力:任天堂株式会社

校正:松永正敏

2008年68日作成

青空文庫作成ファイル:

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