天文と俳句
寺田寅彦



 俳句季題の分類は普通に時候、天文、地理、人事、動物、植物といふ風になつて居る。此等のうちで後の三つは別として、初めの三つの項目中に於ける各季題の分け方は現代の科學知識から見ると、決して合理的であるとは思はれない。

 今日の天文學アストロノミーは天體、即、星の學問であつて氣象學メテオロヂーとは全然其分野を異にして居るにも拘らず、相當な教養ある人でさへ天文臺と氣象臺との區別の分らないことが屡々ある。此れは俳諧に於てのみならず昔から支那日本で所謂天文と稱したものが、昔のギリシャで「メテオロス」と云つたものと同樣「天と地との間に於けるあらゆる現象」といふ意味に相應して居たから、其因習がどうしても拔け切らないせゐであらう。それでかういふ混雜の起るやうになつた事の起りの責任は、或は寧ろ天文といふ文字を星學の方へ持つていつた人にあるかも知れない。

 其れは兎に角、俳句季題の中で今日の意味での天文に關するものは月とか星月夜とか銀河とかいふ種類のものが極めて少數にあるだけで、他の大部分は殆ど皆今日の所謂氣象學的現象に關するものばかりである。

 さうかと思ふと又季題で「時候」の部にはいつて居る立春とか夏至とかいふのは解釋のしやうによつては星學上の季節であり、又考へ方によつては氣象學上の意味をも含んで居る。又一方で餘寒とか肌寒とか、涼しとか暑しとかいふのは當然氣象學上の事柄である。

 又一方では通例「地理」の部にはいつて居るものゝうちでも雪解とか、水温むとか、凍てるとか、水涸るとかいふのは當然氣象であり、汐干や初汐などは考へ方によつては寧ろ天文だとも云はゞ云はれなくはない。

 併しかういふ季題分類法に關する問題は、此講座では自分の受持以外の事であるから、此處で詳論するつもりはない。唯此の一篇の主題としての「天文」を、從來の分類による天文だけに限らず、時候及地理の一部分も引くるめた、メテオロスの意味に解釋することにしたいと思ふのである。

 季節の感じは俳句の生命であり第一要素である。此れを除去したものは最早俳句ではなくて、それは川柳であるか一種のエピグラムに過ぎない。俳句の内容としての具體的な世界像の構成に要する「時」の要素を決定するものが、此の季題に含まれた時期の指定である。時に無關係な「不易」な眞の宣明のみでは決して俳諧になり得ないのである。「流行」する時の流の中の一つの點を確實に把握して指示しなければ具象的な映像は現はれ得ないのである。

 時に對立する空間的要素が、少くも表面上、何處にも指定されて居ないやうな俳句は可能である。例へば「時鳥ほとゝぎすとて明けにけり」といふやうなものでも矢張發句であり得るのである。勿論此れとても句の裏面には殘燈の下に枕を欹てゝ居る作者の居室の光景の潜在像は現在して居て、それがなければ此等の句は全然無意味な譫語に過ぎないのであらう。

 併し、此のやうに、兎も角も表面上では場所の空間の表象を省略することが許されるに拘らず、時の要素の明瞭な表面が絶對必要とされるのは何故か。此れには深い理由があり、此事が又あらゆる文學中で俳句といふものに獨自な地位を決定する根本義とも連關して居ると思はれる。此に就て此處で詳しく述べて居る餘裕はないが、無常な時の流れに浮ぶ現實の世界の中から切り取つた生きた一つの斷面像を、その生きた姿に於て活々と描寫しようといふ本來の目的から、自然に又必然に起つて來る要求の一つが此の「時の決定」であることは、恐らく容易に了解されるであらうと思はれる。花鳥風月を俳句で詠ずるのは植物動物氣象天文の科學的事實を述べるのではなくて、具體的な人間の生きた生活の一斷面の表象として此等のものが現はれるときに始めて詩になり俳句になるであらう。

 時の流れを客觀的に感ずるのは何等かの環境の流動變化にたよる外はない。年々の推移を「感ずる」のは春夏秋冬の循環的再歸によるのである。南洋の孤島のうちに、もしも、年中同じやうな氣候ばかり持續して居る處があるとすれば、其島の人には季節といふのは唯の言葉に過ぎないであらう。さういふ、春風もなければ秋風もない國では、季節の感じはありやうはなく、從つて俳句も生れ得ないであらう。それは、氣候の循環によつて示される尺度によつて、吾々人間生活の中に起りつゝある變轉の進路に一里塚の道標を打込むといふことが出來ないので、從つて四月の風も九月の風も、名前がちがふだけの恆信風であつて、嬉しさや淋しさの連想を伴ふ春風秋風では決してあり得ないのである。

 實際、季節風(Monsoon)といふものゝない西洋には、「春風」もなければ「秋風」もない。少くも日本の俳人の感ずる春風秋風は存在しない。それだから、西洋だけしか知らない西洋人に春風秋風の句の味が正當に分かる筈はないと私には思はれる。

 大陸と大洋との境に細長い瑤珞のやうに連なる島環國日本は一つには又其複雜多樣な地質地形のおかげて短距離の間に樣々な風俗人情の變化を示すと同時に、又さまざまな氣候風土の推移を見せて居る。此れが爲に色々な天文の季題の背後には數限りもない風土民俗の連想のモザイクのやうな世界が包藏されて居るのである。

 雨の降り方だけ考へて見ても、日本では實に色々な降り方がある。所謂五月雨のやうなものは日本の中でも北海道にはもうない位の特産物である。時雨でも我邦のと同じやうなものが西洋にあるかどうか疑はしい。夕立に似た雨はあつても、「日本の夏」を知らない西洋の驟雨は決して「夕立」の句を生み出し得ないであらうと思はれる。

 此のやうな自然界の多種多樣な現象の分化は、自ら此れ等の微細な差別のニュアンスに對する日本人の感覺を鋭敏にしたであらうと想像される。芭蕉が「乾坤の變は風雅のたね也」と云つたといふのにも、いくらか此の意味がありはしないかと思はれる。實際滿洲とか西比利亞とか露西亞とか、あゝいつたやうな單調な風土氣候をもつた國の住民の中から當然ニヒリズムや、マルキシズムは生れても俳句が生れようとはどうにも想像されにくいことである。

 人事、動物、植物の季題でもそれが所謂季題である限り矢張其の背後に隱れた天文の背景をもつて居ることは勿論である。それ故に飯を食ふことや散歩することは季題にならず、鴉や松は季題にはならないのである。

 俳句に取つてそれ程に大事な季節を直接に指定する天文の季題の句にどんなものがあるかを點檢して見る。實際に統計して見た譯ではないが、兎も角も、私の此處で所謂天文に關する句の多數なことは明白な事實である。尤も、さういふ季題でも、一般の人々に實感の少ない特殊なもの、例へば虎が雨とか黄雀風とか云つたものは稀であるが、誰にでも濃厚な實感のある春雨とか秋風とかには古今を通じて非常に多數な句がある。此れは前述の理由から當然のことである。即ち季節の感じの最直接なものであり、あらゆる季節的連想の背景となりセットとなるものだからである。

 併し注意すべきことは、さういふ句のうちで、他の景物を配することなしに單に此等の天文の季題そのものを諷詠し敍述したものは比較的に少數で佳句は猶更少ないといふことである。「いなづまやきのふは東けふは西」(其角)とか「春の雨霽れんとしては烟るかな」(漱石)といつたやうなのは極めて稀である。それ程でなくても季題自身を主題として此れに他の景物を配し、その配合の效果を借りて此を描寫したものでさへも割合に少數である。「白雨にしばらく土の匂ひ哉」(徳圃)とか、「五月雨の折々くわつと野山かな」(鳴雪)といふ種類のものである。併し此れに反して、天文の季題が他の景物の背景として取合せの材料として使はれて居るものは非常に多數である。例へば春風といつたやうな季題だと實際大概のものを持つて來て配合すればどうやら俳句のやうなものが出來易い。併し、それだけに本當に「動かない」春風の句を作るのは容易でないのであつて、例へばいゝ加減な句集の中で春風を秋風で置換へても大した差しつかへのないやうなものを物色すれば一頁に二三はすぐに見付かる位である。併し「秋風や白木の弓に弦はらん」(去來)や、「日の入や秋風遠く鳴つて來る」(漱石)や、「あかあかと日はつれなくも秋の風」といつたやうなのでは、どうにも春風の代へ玉では間に合はなくなるのである。

 此のやうに、季題そのものを描寫した句が少なくて他の景物を配合したものゝ多いといふことは必しも天文の季題に限らないことであつて、例へば任意の句集を繙いて櫻とか雁とかの題下に並んだ澤山の句を點檢してもすぐに分かることである。此の事實は併し俳句といふものゝ根本義から考へて寧ろ當然なことと云はなければならない。

 芭蕉が説いたと云はるゝ不易流行の原理は實はあらゆる藝術に通ずるものであらうと思はれる。此れに就ては他日別項で詳説するつもりであるから茲では略するが、要するに俳句は抽象された不易の眞の言明だけではなくて具體的な流行の姿の一映像でなければならない。其れが爲めには一見偶然的な他物との配合を要する、しかも其配合物は偶然なやうであつても、其配合によつて其處に或必然な決定的の眞の相貌を描出しなければならないのである。芭蕉が「發句は物をとり合すれば出來る物也。夫をよく取合するを上手といひ、あしきを下手といふなり」と云つたといふ。此れは俳句が所謂モンタージュの藝術であることを明示する。併し何でも取合はせればいゝのではない。單にいゝかげんに「物二つ三つとりあつめて作るものにあらず、こがねを打のべたるやうにありたし」である。

 かういふ標準に照らして見るときに澤山な句集の中で佳句と稱すべきものゝ少ない事は怪しむに足りないわけであらう。

 俳句の一般的な理論的考察は他日に讓るとして、茲では與へられた「天文と俳句」の題目の下に若干の作例を取上げて、前述の如き自己流の見地から少しばかり評釋を試み度いと思ふ。例句は何等の系統も順序もなく唯手近な句集を開いて眼に觸るゝままに取上げたのに過ぎないのである。

あか〳〵と日はつれなくも秋の風     芭蕉

といふ句がある。秋も稍更けて北西の季節風が次第に卓越して來ると本州中部は常に高氣壓に蔽はれて空氣は次第に乾燥して來る。すると氣層は其透明度を増して、特に雨のあとなど一層さうである。それで乾燥した大氣を透して來る紫外線に富んだ日光の、乾燥した皮膚に對する感觸には一種名状し難いものがある。さうして其れに習々たる秋風の感觸の加はつた場合に此等のあらゆる實感の複合系コムプレキスを唯十七字で云ひ盡くせと云はれたとして巧に此れを仕遂げ得る人は稀であらう。それをすら〳〵と云ひおほせたのが此句であると思ふ。それだから、凡ての佳い句がさうであるやうに、此句も亦一方では科學的な眞實を正確に捕へて居る上に、更に散文的な言葉で現はし難い感覺的な心理を如實に描寫して居るのである。此の句の「あか〳〵」は決して「赤々」ではなくて、から〳〵と明かるく乾き切り澄み切つて「つれない」のである。しかも「つれない」のは日光だけでもなく又秋風だけでもなく、此處に描出された世界全體がつれないのである。かういふ複雜なものを唯十七字に「頭よりずら〳〵と云ひ下し來」て正に「こがねを打のべたやう」である。ところが正岡子規は句解大成といふ書に此句に對して引用された「須磨は暮れ明石の方はあかあかと日はつれなくも秋風ぞ吹く」といふ古歌があるからと云つて、芭蕉の句を剽竊であるに過ぎずと評し、一文の價値もなしと云ひ、又假りに剽竊でなく創意であつても猶平々凡々であり、「つれなくも」の一語は無用で此句のたるみであると云ひ、むしろ「あか〳〵と日の入る山の秋の風」とする方が或は可ならんかと云つて居る。併し自分の考は大分ちがうやうである。此の通りの古歌が本當にあつたとして、此れを芭蕉の句と並べて見ると、「須磨」や「明石」や「吹く」の字が無駄な蛇足であるのみか、此等がある爲に却つて芭蕉の句から感じるやうな「さび」も「しをり」も悉く拔けてしまつて殘るものは平凡な概念的の趣向だけである。此の一例は、俳句といふものが映畫で所謂カッティングと同樣な藝術的才能を要するといふことの適例であらう。平凡なニュース映畫の中の幾呎かを適當に切取ることによつて、それは立派な藝術映畫の一つのショットになり得る。一枝の野梅でもそれを切取つて活ける活け方によつて、それが見事ないけ花になるのと一般である。

 同じく秋風の句で去來の「秋風や白木の弓に弦はらん」も有名であり又優れた句である。夏中に仕舞つたまゝで忘られて居た白木の弓を秋風來と共に取出して弦を張らうといふ、表面に現はれたものだけでも颯爽とした快味があるが、句の裏面に隱れた眞實にはさま〴〵のものを拾出すことが出來よう。秋風が立つてから、眼に見えて吾人の身の𢌞りのものが乾燥して來るといふ氣象學的現象の實感、同時に氣温濕度の急變から起る生理的、ひいては又精神的な變化の表現が、活々とした句の裏面から映し出されてゐる。因襲的な秋風の淋しさに囚はれずに、此の句を作つた去來が如何に頭のいゝ、獨創的な自然の觀察者であつたかを證明するものであらう。

五月雨を集めて早し最上川     芭蕉

五月雨や色紙へぎたる壁の跡     同

 前者は梅雨の雨量と、河水の運動量モーメンタムを、數字を用ゐずした數字以上に表現して居り、後者は濕度計を用ゐずして煤けた草庵の室内の濕氣を感ぜしめ、黴臭い匂ひを暗示する。前者には廣大な希望があり、後者には靜寂なあきらめがある。映畫ならば前者はロングショット、後者はクローズアップである。

 同じ雨の濕めつぽさでも

春雨や蜂の巣つたふ屋根の漏     芭蕉

には萌え出る生命の暗示を含むと同時に何處となく春の淋しさがにじんである。細みがあつて、しかも弱からず、しをりがあつてしかも感傷に陷らないのである。いくらでも作れさうで中々作れない句であらう。

市中は物のにほひや夏の月     凡兆

 夏の晴れた宵の無風状態を「物の匂ひ」で描いたものである。月は銅色をして居て、町から町へ架け渡した橋の下には堀河の淀みがあるであらう。

あれ〳〵て末は海行野分哉     猿雖

 七百三十ミリメーターの颱風中心は本邦を斜斷して大平洋へ拔けた。濱邊に打上げられた藻屑の匂を感じ、ひやひやと肌に迫る汐霧を感じるであらう。

だまされし星の光や小夜時雨     羽紅

 見方によつては厭味な所謂月並にもなり得るであらうが、時雨といふ現象の特徴をよく現はしたもので、氣象學教科書に引用し得るものであらう。古人の句には往々かういふ科學的の眞實を含んだ句があつて、理科教育を受けた今の人のに、そのわりに少ないやうに思はれるのも不思議である。昔の人は文部省流の理科を教はらないで、自分の眼で自然を見たのである。

灰色の雲垂れかゝる枯野哉     漱石

 此れも極めて平易なやうで、しかも雪空の如實な描寫であり、一幅の淡彩畫である。描寫の祕密は中七字にある。所謂落下縞ファルストライフェンを寫生したものである。


 發句でない連句中の附句の中には、天文の季題そのものを描寫した句で佳句が甚だ多いやうである。此れには理由のあることである。畢竟、附句は隣の句との取合せによつて一つの全體をなすものであるから、句自身の中での色々な取合せをさけるからであらう。併し此處ではそれに就いて述べるべき餘白がない。


 要するに此處で所謂「天文」の季題は俳句の第一要素たる「時」を決定すると同時に「天と地の間」の空間を暗示することによつて、或は廣大な景色の描寫となり、或は他の景物の背景となる。子規が天文地理の季題が壯大なことを詠ずるに適して居ると云つたのも所由のあることである。動物や植物の季題で空間的背景を暗示することは一般には困難であらうと思はれる。

 限られた紙數の爲に、擧げたいと思ふ多數の作例佳句を悉く割愛しなければならなかつたのは遺憾であるが止むを得ない次第である。

(昭和七年八月 俳句講座)

底本:「科學と文學」角川書店

   1948(昭和23)年1225日初版発行

   1949(昭和24)年920日3版発行

※底本の「「發句は…下手といふなり「」を、「「發句は…下手といふなり」」に改めました。

入力:内田明

校正:hongming

2003年117日作成

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