文學を愛づる心
折口信夫



文學を愛でゝめで痴れて、やがて一生を終へようとして居る一人の、追憶談に過ぎぬかも知れない。

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文學をめでゝ愛で痴れて、而も其愛好者の一生が、何の變化も受けなかつたものとすれば、その文學がよほど、質の違つたものだつたと考へてよい。さうでなければ、その人が變質的に隨分強靱な心を持つてゐたと言ふことになる。所謂文學の惡影響と言ふこともあるにはある。此は考へて見ねばならぬことだ。文學を愛して居ながら、ちつともわるい感化を蒙らなかつたと言ふ人は相當あつて、紳士として申し分のない生活をして居る。かう言ふ人の行き方は、堅實な態度と言はれて來て居る。

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だが、よく考へて見ると、古くから讀まれて來た書物で、ちつとも不健康な分子、有害な部分のないと言ふやうな文學は、まあ、ないやうである。經典を見たつて、欲望を唆る樣な箇處はあつて、それ〴〵昔から知られてゐる。倫理書をのぞいても、其當時々々の社會の秩序を破る思惟を誘ふ部分と謂つた處は、皆それ〴〵あるのである。其が文學としての傾向の著しいものになると、文學としての性質上、更に激しくなつて來るまでゞある。

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我々は祖先の世から、美しい次代を創りあげようとして、苦しんで來た。其爲に、幾人とも知れぬ犧牲者を出して來てゐる。さう言ふ苛烈な經驗をした人々よりも、も一つ先にのり出して、自分の書き列ねてゐる語をつきつめて行つて、どうしても逢著しなければならぬ新しい境地を、ちらつと見ると言ふ處まで達したのが文學者のある者である。

言語文章を似て、彼等は、人生の論理を追求して行つた。さうして、美しい次代の俤を、自分の文學の上に、おのづから捉へて來た訣である。

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かう言ふ新しい生活に對する豫言が、正しい文學、優れた文學の持つ、文學としての第一の資格であつた。だから謂はゞ、文學の持つ美は腕の脱落した、過去のみゆうず神の擔任する美とは、聊か樣子の違つたものである。つまり此から先の人間の生活を、思ひのまゝのいさぎよいものにする──その手はじめに、自分の生活を感情の趣くまゝにふるまうて行く。さうしてその整頓せられて出た結果が、次代の人生の規範として備る。

かう言ふ生活の、實際に現れて來るより前に、言語を以て表現する藝術に、さう言ふ未來の心ゆく姿をば、望み見ることの出來る境までは、行くことが出來るのである。

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たとへば、とるすといの樣な人──。現れたところでは、一生を氣隨にふるまつた人のやうにも見える。併し、彼自身が、人間全體の代表であつた形は、はつきりと見られてる。相應に當時の人々からも認め難く思はれて居た氣まゝな欲望を持つた彼である。だが皆次代の人生をそこまでおし擴げようとして居たものだと言ふことに、やつと人々は、後で氣がついた。

たゞ、れふ・とるすといは篤信者であつた爲に、神の過去の姿をふり返りみる習しが深かつた。それである點、彼の美は、未來へばかり向けられてゐたと言ひにくい處も出て來た訣である。

これが、文學・藝術と、宗教との違ふところである。

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文學は口説クゼツの藝術であつた。その爲に内に持たれてゐるものは、人の心へ直に論理的にはたらきかけた。だから人々は、各その人生を以て文學を受けとらうとした。それで、文學はじまつて以來、正當な批評の準據は、人生にあつた。

その文學が、人生をどう扱つてゐるか。曲つてとり扱つて居はすまいか。かう言ふ立ち場が最古い文學の時代から、その批評にはあつた。

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今の人生──と言ふよりも、今の人生の基準になつてゐる過去の人生が、だから、批評の準據として、文學の正面に立てられる。次代の美しい人生を想見してゐる文學が、其とぴつたりとして來る事は、あたり前のことである。

かう言ふ、批評の危がつて、人生の破壞だと憤つた其文學は、後に見ると、實は何でもないこととして、現實のことに、平靜な姿でおちついてしまつてゐる。

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「人形の家」が今も問題を提供して居るやうに見えるのは、實は錯覺である。つまり、さう言ふ女性解放を戀ひ望んだ歴史を、時々ふり返つて見る──さう謂つた一種の歴史劇と見てよいのだらう。尤、日本の國では、まだのらの家出を肯はぬ若干の人が居ることも事實である。西洋にだつて、それはない訣ではない。だからと謂つて、いまだに此國では、女性をそんな風に縛りつけてゐた過去を脱却して居ないのだ、ときめてしまふのは、どうかと思ふ。現實においては尚幾分未決算の部分を殘し乍ら、理論の上では、夙くに卒業してしまつたといふ状態に、あるのではないか。

さう言ふ風に、知識が單に知識として、早急に受けとられる。うはすべりした理會が、世間の文化を、滑らかに經過させるけれども、「實」のない人生ばかりが、社會に堆積せられて來る。さう言ふ日本の文化である。

我々は、こんなにわかりの早い人間であつてはならないのだ。もつと深い理會を──もつと根のある人生を──今はだが、國人にこれを望むだけで十分である。

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文學と、人生と、批評との關係が、さう言ふ風なのだから、我々の文學に、時としては文學を目的から逆行させよう、と言ふ──批評に行き逢ふことがある。さうして此が、とても〳〵強力に壓しかゝつて來る。

文學の愛好者としても、こんな批評を懷抱してゐる限りは、其文學を讀むことが徒らな享樂となつてしまふことが多いものである。

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日本の國で謂つても、さうだ。少くとも、源氏物語は、世界文學に伍しても、ひけ目を感じることがないと言つて來てゐる。私も、それはさうだと思ふ。だがも一つ、其然る所以を、説き明らめた人が居ない。それでは、却て源氏物語の價値を低くする樣なものである。もつと第一義的な批評が、出て來なければならぬ。

源氏を「誨淫の書」だの、「破倫の書」だのと言つて、まるで唾を吐きかけるやうな調子で、ものを言つた時代もあつた。而も、こゝ數年、そんな昔の考へ方が、くり返されて居た。如何に何でも、日本人が、日本の一流の文學を──出來れば、若い者に見せないですまさうとした態度は、よくないことである。精神力の衰へて居た證據である。そんな事でもしなければ、民族性格のだらけて來るのを、防ぐことが出來ない、と考へて居たのだと思ふと──さう言ふ世間の一員で、自分もあつたのだと思ふと、我ながら、可哀さうになつて來る。

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自分の犯した罪の爲に、何としても贖ひ了せることの出來ぬ犯しの爲に、世間第一の人間が、死ぬるまで苦しみ拔き、又、それだけの酬いを受けて行く宿命、──此が本格的な小説のてまとして用ゐられると言ふことは當然ではないか。之を咎めて、作品の價値までも沒却しようとした時代があつたのである。たとへば今一方、其境遇が、最貴い家庭に置かれてゐる點がわるいのだ、と言ふ説があるとする。それなら、愈、わるい考へ方である。さう言ふ貴い人々の間に處つて、苦惱の生涯を貫いた人を書いたればこそ、この書の特殊な價値は、益高く見える訣ではないか。

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いにしへの 生き苦しみし人びとの ひとを見るも、虚しきごとし


くるしみて この世をはりしひと人の物語せむ。さびしと思ふな

底本:「折口信夫全集 廿七卷」

   1968(昭和43)年125日発行

初出:「生活文化 第七巻第十號」

   1946年(昭和21年)11

※底本の題名の下に書かれている「昭和二十一年十一月「生活文化」第七卷第十號」はファイル末の「初出」欄に移しました。

入力:高柳典子

校正:多羅尾伴内

2003年1227日作成

青空文庫作成ファイル:

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