春の潮
伊藤左千夫



      一


 隣の家から嫁の荷物が運び返されて三日目だ。省作は養子にいった家を出てのっそりもどってきた。婚礼をしてまだ三月と十日ばかりにしかならない。省作も何となし気がとがめてか、浮かない顔をして、わが家の門をくぐったのである。

 家の人たちは山林の下刈りにいったとかで、母が一人ひとり大きな家に留守居していた。日あたりのよい奥のえん側に、居睡いねむりもしないで一心にほぐしものをやっていられる。省作は表口からは上がらないで、内庭からすぐに母のいるえん先へまわった。

「おッさん、追い出されてきました」

 省作は笑いながらそういって、えん側へ上がる。母は手の物を置いて、眼鏡越めがねごしに省作の顔をつめながら、

「そらまあ……」

 驚いた母はすぐにあとのことばが出ぬらしい。省作はかえって、母にったら元気づいた。これで見ると、省作も出てくるまでには、いくばくの煩悶はんもんをしたらしい。

「おッ母さん、着物はどこです、わたしの着物は」

 省作は立ったまま座敷の中をうろうろ歩いてる。

「おれが今見てあげるけど、お前なにか着替も持って来なかったかい」

「そうさ、また男が風呂敷包ふろしきづつみなんか持って歩けますかい」

「困ったなあ」

 省作は出してもらった着物を引っ掛け、兵児帯へこおびのぐるぐる巻きで、そこへそのまま寝転ねころぶ。母は省作の脱いだやつを衣紋竹えもんだけにかける。

「おッ母さん、茶でも入れべい。とんだことした、菓子買ってくればよかった」

「お前、茶どころではないよ」

と言いながら母は省作の近くにすわる。

「お前まあよく話して聞かせろま、どうやって出てきたのさ。お前にこにこ笑いなどして、ほんとに笑いごっちゃねいじゃねいか」

 母にしかられて省作もねころんではいられない。

「おッ母さんに心配かけてすまねいけど、おッ母さん、とてもしようがねんですよ。あんだっていやにあてこすりばかり言って、つまらん事にも目口めくちを立てて小言こごとを言うんです。近頃はあいつまでが時々いやなそぶりをするんです。わたしもうしゃくさわっちゃったから」

「困ったなあ、だれが一番悪くあたるかい。おつねも何とか言うのかい」

「女親です、女親がそりゃひどいことを言うんです。つねのやつは何とも口には言わないけれど、この頃失敬なふうをすることがあるんです。おッ母さん、わたしもう何がなんでもいやだ」

「おッ母さんもね、内々ないない心配していただよ。ひどいことを言うって、どんなこと言うのかい。それで男親は悪い顔もしないかい」

「どんなことって、ばかばかしいこってす。おとっさんの方は別に悪くもしないです」

「ウムそれではひどいこっちはおとよさんの事かい、ウム」

「はあ」

「ほんとに困った人だよ。実はお前がよくないんだ。それでは全く知れっちまたんだな。おッ母さんはそればかり心配でなんなかっただ。どうせいつか知れずにはいないけど、少しなずんでから知れてくれればどうにか治まりがつくべいと思ってたに、今知れてみると向うで厭気いやけがさすのも無理はない」

 母はこういってしばらく口を閉じ、深く考えつつ溜息ためいきをつく。暢気のんきそうに、笑い顔している省作をつくづくとつめて、老いの眼に心痛の色があふれるのである。やがてまた思いにえないふうに、

「お前はそんな暢気な顔をしていて、この年寄の心配を知らないのか」

 そういわれて省作はにわかに居ずまいを直した。そうして、

「おッ母さん、わたしだってそんなに暢気でいやしませんよ。年寄にそう心配さしちゃすまないですが、実はおッ母さん、あの家はむこうで置いてくれてもわたしの方でいやなんです。なんのかんの言ったって、わたしがいる気で少し気をつければ、わけはないですけど、なんだか知らんが、わたしの方でいやになっちまったんでさ。それだからおッ母さん心配しないでください」

 これは省作の今の心の事実であるが、省作の考えでは、こういったら母の心配をいくらかなだめられると思うたのである。ところがそう聞いて母の顔はいよいよむずかしくなった。老いの眼はもう涙にうるおってる。母はずっと省作にすり寄って、

「省作、そりゃおまえほんとかい。それではお前、あんまり我儘わがままというもんだど。おッ母さんはただあの事が深田へ知れては、お前も居づらいはずだと思うたに、今の話ではお前の方から厭になったというのだね。それではおまえどこが厭で深田にいられない、深田の家のどいうところが気に入らないかえ。おつねさんだって初めからお互いに知り合ってる間柄だし、おつねさんがいやなわけはあるまい。その年をしてただわけもなく厭になったなどというのは、それは全く我儘わがままというものだ。少しは考えてもみろ」

 省作はだまってうつむいている。省作は全く何がなし厭になったが事実で、ここがこうと明瞭めいりょうに意識した点はない。深田の家に別に気に入らないというところがあるのではない。つまるところ省作の頭には、おとよの事が深く深くみこんでいるから、わけもなく深田に気乗りがしない。それにこの頃おとよと隣との関係も話のきまりが着いて、いよいよおとよもほかに関係のない人となってみると、省作はなにもかにもばからしくなって、にわかに思いついたごとく深田にいるのが厭になってしまった。しかしそれをそうとっつけに母にも言えないから、母に問い詰められてうまく返答ができない。口下手くちべたな省作にはもちろん間に合わせことばは出ないから、黙ってしまった。母も省作のおちつかぬはおとよゆえと承知はしているが、わざとその点を避けて遠攻めをやってる。省作がおつねになずみさえすれば、おとよの事は自然忘れるであろうと思いこんで、母はただ省作を深田の方へやって置きたいのだ。

「お前も知ってのとおり深田はおらうちなどよりか身上しんしょうもずっとよいし、それで旧家ではあるし、おつねさんだって、あのとおり十人並み以上な娘じゃないか。女親が少しむずかしやだという評判だけど、そのむずかしいという人がたいへんお前を気に入ってたっての懇望こんもうでできた縁談だもの、いられるもいられないもないはずだ。人はみんな省作さんは仕合せだ仕合せだと言ってる、何が不足で厭になったというのかい。我儘いうもほどがある、親の苦労も知らないで……。お前は深田にいさえすれば仕合せなのだ。おッ母さんまで安心ができるのだに。どういう気かいお前は、いつまでこの年寄に苦労をかける気か」

 母は自分で思いをつめて鼻をつまらせた。省作は子供の時から、随分母に苦労をかけたのである。省作が永くわずらった時などには、母は不動尊に塩物断しおものだちの心願しんがんまでして心配したのだ。ことに父なきあとの一人ひとりの母、それだから省作はもう母にかけてはばかに気が弱い。のみならず省作は天性あまり強くを張るたちでない。今母にこう言いつめられると、それでは自分が少し無理かしらと思うような男であるのだ。

「おッ母さんに苦労ばかりさせて済まないです。なるほどわたしの我儘に違いないでしょう、けれどもおッ母さん、わたしの仕合せ不仕合せは、深田にいるいないに関係はないでしょう。あの家にいても、面白くなくいては、やっぱり不仕合せですからねイ。またよしあそこを出たにしろ、別に面白く暮す工夫くふうがつけば、仕合せは同じでありませんか。それでもあの家にいさえすればわたしの仕合せ、おッ母さんもそれで安心だと思うなら考えなおしてみてもえいけれど、もうこうなっちゃっては仕方がなかありませんか」

 母は少し省作をにらむように見て、

「別に面白く暮す工夫て、お前どんな工夫があるかえ。お前心得違いをしてはならないよ。深田にいさえすればどうもこうも心配はいらないじゃないか。いやと思うのも心のとりよう一つじゃねいか。それでお前は今日きょうどういって出てきました」

「別にむずかしいこと言やしません。家へいってちょっと持ってくるものがあるからって、あやつにそう言って来たまでです」

「そうか、そんなら仔細しさいはないじゃないか。おらまたお前が追い出されて来ましたというから、物言いでもしてきた事と思ったのだ。そんなら仔細はない、今夜にも帰ってくろ。お前の心さえとりなおせば向うではきっと仔細はないのだよ。なあ省作、今お前に戻ってこられるとそっちこちに面倒が多い事は、お前も重々じゅうじゅう承知してるじゃねいか」

 省作はまただまってる。母もしばらく口をあかない。省作はようやく口重く、

「おッ母さんがそれほど言うなら、とにかく明日あすは帰ってみようけれど、なんだかわたしの気が変になって、厭な心持ちでいたんだから、それで向うでも少し気まずくなったわけだとすると、わたしは心をとりなおしたにしろ、向うで心をなおしてくんねば、しようがないでしょう」

「そりゃおまえ、そんな事はないよ。もともと懇望されていったお前だもの、お前がその気になりさえすりゃ、わけなしだわ」

 話は随分長かったが、要するに覚束おぼつかない結局に陥ったのである。これからどうしてもおとよの話に移る順序であれど、日影はいつしかえん側をかぎって、表の障子をがたぴちさせいっさんに奥へ二人ふたりの子供が飛びこんできた。

「おばあさんただいま」

「おばあさんただいま」

 顔も手も墨だらけな、八つと七つとの重蔵しげぞう松三郎が重なりあってお辞儀じぎをする。二人はちさまに同じように帽子をほうりつけて、

「おばあさん、一銭おくれ」

「おばあさん、おれにも」

 二人は肩をおばあさんにこすりつけてせがむのである。

「さあ、おじさんが今日はお菓子を買ってやるから、二人で買ってきてくれ、お前らに半分やる」

 二童ふたりは銭を握って表へ飛び出る。省作は茶でも入れべいとった。


      二


 翌朝、省作はともかくも深田に帰った。帰ったけれども駄目だめであった。五日ばかりしてまた省作は戻ってきた。今度はこれきりというつもりで、朝早く人顔の見えないうちに、深田の家を出たのである。

 母は折角せっかく言うていったんは帰したものの、初めから危ぶんでいたのだから、再び出てきたのを見ては、もうあきらめて深く小言こごとも言わない。兄はただ、

「しようがないやつだなあ」

 こう一言ひとこと言ったきり、相変らず夜は縄をない昼は山刈りと土肥作りとに側目わきめも振らない。弟を深田へ縁づけたということをたいへん見栄みえに思ってたあによめは、省作の無分別をひたすら口惜くやしがっている。

「省作、お前あの家にいないということがあるもんか」

 何べん繰り返したかしれない。ころは旧暦の二月、田舎いなかでは年中最も手すきな時だ。問題に趣味のあるだけ省作の離縁話はいたるところに盛んである。某々がたいへんよい所へ片づいて非常に仕合せがよいというようなうわさは長くは続かぬ。しかしそれが破縁して気の毒だという場合には、多くの人がさも心持ちよさそうに面白く興がって噂するのである。あんまり仕合せがよいというので、小面憎こづらにくく思ったやからはいかにも面白い話ができたように話している。村の酒屋へ瞽女ごぜを留めた夜の話だ。瞽女のうたが済んでからは省作の噂で持ち切った。

「省作がいったいよくない。一方の女を思い切らないで、人の婿になるちは大の不徳義だ、不都合きわまった話だ。婿をとる側になってみたまえ、こんなことされてたまるもんか」

 こう言うのは深田贔屓びいきの連中だ。

「そうでないさ、省作だって婿になると決心した時には、おとよの事はあきらめていたにきまってるさ。第一省作が婿になる時にゃ、おとよはまだ清六の所にいたじゃないか。深田も懇望してもらった以上は、そんな過ぎ去った噂なんぞに心動かさないで大事にしてやれば、省作は決して深田の家を去るのではない。だからありゃ深田の方が悪いのだ。何も省作に不徳義なこたない」

 これは小手贔屓びいきの言うところだ。

「えいも悪いもない、やっぱり縁のないのだよ。省作だって、身上しんしょうはよし、おつねさんはにくくなかったのだから、いたくないこともなかったろうし、向うでも懇望したくらいだからもとより置きたいにきまってる、それが置けなくなりいられなくなったのだから、縁がないのさ」

 こんなこというは婆と呼ばれる酒屋の内儀おかみだ。

「みんな省さんが悪いんさ、ほんとに省さんは憎いわ。省さんはあんなえい人だからおとよさんがどうしてもあきらめられない、おとよさんがあきらめねけりゃ、省さんは深田にいられやしない。深田のおッ母さんはたいへんおとよさんを恨んでるっさ。おつねさんもね、実は省さんを置きたかったんだって、それだから、省さんが出たあとで三日寝ていたっち話だ。わたしゃほんとにおつねさんがかわいそうだわ、省さんはほんとに憎いや」

 これは女側から出た声だ。

「なんだいべらぼう、ほめるんやらくさすんやら、お気の毒さま、手がとどかないや。省さんほんとに憎いや、もねいもんだ」

「そんなに言うない。おはまさんなんかかわいそうな所があるんだアな、同病相憐あいあわれむというんじゃねいか、ハヽヽヽヽヽ」

「あん畜生、ほんとにぶちのめしてやりたいな」

「だれを」

「あの野郎をさ」

「あの野郎じゃわからねいや」

「ばかに下等になってきたあな、よせよせ」

 おはまがいるから、悪口もこのくらいで済んだ。おはまでもいなかったら、なかなかこのくらいの悪口では済まない。省作の悪口を言うとおはまに憎がられる、おはまには悪くおもわれたくないてあいばかりだから、話は下火になった。政公の気焔きえんが最後にふるっている。

「おらも婿だが、昔からたとえにいう通り、婿ちもんはいやなもんよ。それに省作君などはおとよさんという人があるんだもの、清公に聞かれちゃ悪いが、百俵付けがなんだい、深田に田地が百俵付けあったってそれがなんだ。婿一人の小遣こづかい銭にできやしまいし、おつねさんに百俵付けをくくりつけたって、からだ一つのおとよさんと比べて、とても天秤てんびんにはならないや。一万円がほしいか、おとよさんがほしいかといや、おいら一秒間も考えないで……」

「おとよさんほしいというか、かかあにいいつけてやるど、やあいやあい」

 で話はおしまいになる。おはまが帰って一々省作に話して聞かせる。そんな次第だから省作は奥へ引っ込んでて、夜でなけりゃ外へ出ない。隣の人たちにもどうも工合が悪い。おはまばかり以前にも増して一生懸命に同情しているけれど、向うが身上しんしょうがえいというので、仕度にも婚礼にも少なからぬ費用を投じたにかかわらず、四月よつきといられないで出て来た。それも身から出たさびというような始末だから一層兄夫婦に対して肩身が狭い。自分ばかりでなく母までが肩身狭がっている。平生へいぜいごく人のよい省作のことゆえ、兄夫婦もそれほどつらく当たるわけではないが、省作自ら気が引けて小さくなっている。のっそり坊も、もうのっそりしていられない。省作もようやく人生の苦労ということを知りそめた。

 深田の方でも娘が意外の未練に引かされて、今一度親類の者を迎えにやろうかとの評議があったけれど、女親なる人がとても駄目だめだからと言い切って、話はいよいよ離別と決定してしまった。

 上総かずさは春が早い。人の見る所にも見ない所にも梅は盛りである。菜の花も咲きかけ、麦の青みもしげりかけてきた、この頃の天気続き、毎日長閑のどか日和ひよりである。森をもってわかつ村々、色をもって分つ田園、何もかもほんのり立ち渡るかすみにつつまれて、ことごとく春という一つの感じに統一されてる。

 はるかに聞ゆる九十九里くじゅうくりの波の音、夜から昼から間断なく、どうどうどうどうと穏やかな響きを霞の底に伝えている。九十九里の波はいつでも鳴ってる、ただ春の響きが人を動かす。九十九里付近一帯の村落にい立ったものは、この波の音をただちに春の音と感じている。秋の声ということばがあるが、九十九里一帯の地には秋の声はなくてただ春の音がある。

 人の心を穏やかに穏やかにと間断なく打ちなだめているかと思われるは、この九十九里の春の音である。幾千年の昔からこの春の音で打ちなだめられてきた上総かずさ下総しもうさの人には、ほとんど沈痛な性質を欠いている。秋の声を知らない人に沈痛な趣味のありようがない。秋の声は知らないでただ春の音ばかり知ってる両総の人の粋は温良の二字によって説明される。

 省作はその温良な青年である。どうしたって省作を憎むのは憎む方が悪いとしか思われぬ。省作は到底春の人である。慚愧ざんき不安の境涯きょうがいにあってもなお悠々ゆうゆう迫らぬ趣がある。省作は泣いても春雨はるさめの曇りであって雪気ゆきげ時雨しぐれではない。

 いやなことを言われて深田の家を出る時は、なんのという気で大手おおでを振って帰ってきた省作も、家に来てみると、家の人たちからはお前がよくないとばかり言われ、世間では意外に自分を冷笑し、自分がよくないから深田を追い出されたようにうわさをする。いつのまか自分でも妙に失態をやったような気になった。臆病おくびょう慚愧心ざんきしんが起こって、世間へ出るのがいやたまらぬ。省作の胸中は失意も憂愁もないのだけれど、周囲からやみ雲にそれがあるように取り扱われて、何となし世間と隔てられてしまった。それでわれ知らず日蔭者ひかげもののように、七、八日奥座敷を出ずにいる。家の人たちも省作の心は判然はっきりとはわからないが、もう働いたらよかろうともえ言わないで好きにさしておく。

 この間におはまは小さな胸に苦労をしながら、おとよかたに往復して二人ふたりの消息を取り次いだ。省作は長い長い二回の手紙を読み、切実でそうして明快なおとよが心線に触れたのである。

 しおれた草花が水を吸い上げて生気を得たごとく、省作は新たなる血潮が全身にみなぎるを覚えて、命が確実になった心持ちがするのである。

「失態も糸瓜へちまもない。世間のやつらが何と言ったって……二人の幸福は二人で作る、二人の幸福は二人で作る、他人ひとの世話にはならない」

 こう独言ひとりごとを言いつつ省作は感にえなくなって、って座敷じゅうをうろうろ歩きをするのである。省作はもう腹の中の一切のとどこおりがとれてしまって、胸はちゃんとまった。胸が定まれば元気はおのずから動く。

 翌朝省作は起こされずに早く起きた。

「おッ母さん仕事着は」

とどなる。

「ウム省作起きたか」

「あ、おッ母さん、もう働くよ」

「ウムどうぞま、そうしてくろや。お前に浮かぬ顔して引っ込んでいられると、おらな寿命が縮まるようだったわ」

 なかしきりの鏡戸かがみどに、ずんずん足音響かせてはや仕事着の兄がやってきた。

「ウン起きたか省作、えい加減にして土竜もぐらの芸当はやめろい。今日はな、種井たねいさらうから手伝え。くよくよするない、男らしくもねい」

 兄のことばの終わらぬうちに省作は素足で庭へ飛び降りた。

 彼岸がくれば籾種もみだねを種井の池に浸す。種浸す前に必ず種井の水をみほして掃除そうじをせねばならぬ。これはほとんどこの地の習慣で、一つの年中行事になってる。二月に入ればよい日を見て種井浚いをやる。その夜は茶飯ちゃめしぐらいこしらえて酒の一升も買うときまってる。

 今日は珍しくおはま満蔵と兄と四人手揃てぞろいで働いたから、家じゅう愉快に働いた。この晩兄はいつもより酒を過ごしてる。

「省作、今夜はお前も一杯やれい。おらこれでもお前に同情してるど、ウム人間はな、どんな事があっても元気をおとしちゃいけない、なんでも人間の事は元気一つのもんだよ」

にいさん、これでわたしだって元気があります」

「アハヽヽヽヽヽそうか、よし一杯つげ」

 省作も今日は例の穏やかな顔に活気がみちてるのだ。二つ三つ兄と杯を交換して、曇りのない笑いをたたえている。兄は省作の顔を見つめていたが、突然、

「省作、お前はな、おとよさんと一緒になると決心してしまえ」

 省作も兄の口からこの意外な言を聞いて、ちょっと返答に窮した。兄は語を進めて、

「こう言い出すからにゃおれも骨を折るつもりだど、ウン世間がやかましい……そんな事かまうもんか。おッ母さんもおきつも大反対だがな、隣の前が悪いとか、深田に対してはずかしいとかいうが、おれが思うにゃそれは足もとの遠慮というものだ。な、お前がこれから深田よりさらに財産のある所へ養子にいったところで、それだけでお前の仕合せを保証することはできないだろう。よせよせ、婿にゆくなんどいうばかな考えはよせ。はま公、今一本持ってこ」

 おはまは笑いながら、徳利を持って出た帰りしなに、そっと省作の肩をつねった。

「まあよく考えてみろ、おとよさんは少しぐらいの財産に替えられる女ではないど。そうだ、無論おとよさんの料簡りょうけんを聞いてみてからの事だ。今夜はこれでめておく。とくと考えておけ」

 兄は見かけによらずわかった人であった。まだ若年な省作が、世間的に失敗した今の境遇を、兄は深くあわれんだのである。省作の精神を大抵推知しながら先を越して弟に元気をつけたのである。省作は腹の中で、しみじみ兄の好意を謝した。省作は今が今まで、これほど解ってる人で、きっぱりとした決断力のある人とは思わなかった。省作はもううれしくてたまらない。だれが何と言ってもと心のうちで覚悟をめていた所へ、兄からわが思いのとおりの事を言われたのだから嬉しいのがあたりまえだ。省作はあらん限りの力を出して平気を装うていたけれど、それでもおはまには妙な笑いをくれられた。省作は昨日の手紙によって今夜九時にはおとよの家の裏までゆく約束があるのである。


      三


 女の念力などいうこと、昔よりいってる事であるが、そういうことも全くないものとはいわれんようである。

 おとよは省作と自分と二人ふたりの境遇を、つくづくと考えた上に所詮しょせん余儀ないものとあきらめ、省作を手離して深田へ養子にやり、いよいよ別れという時には、省作の手に涙をふりそそいで、

「こうして諦めて別れた以上は、わたしのことは思いて、どうぞおつねさんと夫婦仲よく末長く添い遂げてください。わたしは清六の家を去ってから、どういう分別になるか、それはその時に申し上げましょう。ああそうでない、それを申し上げる必要はないでしょう、別れてしまった以上は」

 ことばには立派に言って別れたものの、それは神ならぬ人間の本音ほんねではない。余儀ない事情に迫られ、無理に言わせられた表面のくちに過ぎないのだ。

 おとよは独身ひとりみになって、省作は妻ができた。諦めるとことばには言うても、ことばのとおりに心はならない。ならないのがあたりまえである。浮気の恋ならば知らぬこと、真底しんそこから思いあった間柄が理屈で諦められるはずがない。たやすく諦めるくらいならば恋ではない。

 おとよは意志の強い人だ。強い意志でわが思いをおさえている。いくら抑えてもただ抑えているというだけで、決して思いは消えない。むしろ抑えているだけ思いはかえって深くなる。一念深く省作を思うの情は増すことはあるとも減ることはない。話し合いで別れて、得心とくしんして妻を持たせながら、なおその男を思っているのは理屈に合わない。いくら理屈に合わなくとも、そういかないのが人間のあたりまえである。おとよ自身も、もう思うまいもう思うまいと、心にもがいているのだけれど、いくらもがいてもだめなのである。

「わたしはまあ、しようがないなあ、どうしたらえんだろ、ほんとにしようがないな」

 人さえいなければそういって溜息ためいきをつくのは夜ごと日ごとのことである。さりとてよそ目に見たおとよは、元気よく内外うちそとの人と世間話もする。人が笑えば共に笑いもする。胸に屈託のあるそぶりはほとんど見えない。近所隣へいった時、たまに省作のうわさなど出たとておとよは色も動かしやしない。かえっておとよさんは薄情だねいなど蔭言かげごとを聞くくらいであった。それゆえおとよが家に帰って二月たたないうちに、省作に対するおとよの噂はいつ消えるとなしに消えた。

 胸にやるせなき思いを包みながら、それだけにたしなんだおとよは、えらいものであるが、見る人の目から見れば決してわからぬのではない。

 燃えるような紅顔であったものが、ようやくあかみが薄らいでいる。白い部分は光沢を失ってやや青みをんでいる。引き締まった顔がいよいよ引き締まって、は何となし曇っている。これを心に悩みあるものと解らないようでは恋の話はできない。

 それのみならず、おとよは愛想のよい人でだれと話してもよく笑う。よく笑うけれどそれは真からの笑いではない。ただおはまが来た時にばかり、真にうれしそうな笑いを見せる。それはどういうわけかと聞かなくても解ろう。それでおはまが帰る時には、どうかすると涙を落すことがある。

 それならばおはまを捕えて、省作の話ばかりするかと見るに決してそうでもない。省作の話はむしろあまりしたがらない。いつでも少し立ち入った話になると、もうおよしと言ってしまう。直接には決して自分の心持ちを言わない。また省作の心を聞こうともせぬ。その癖、省作の事についてはわずかな事にまで想像以外に神経過敏である。深田の家は財産家であるとか、省作は深田の家の者に気に入られているとか、省作は元気よく深田の家に働いているとか、省作はあまり自分の家へ帰ってこないとか、こんなうわさを聞こうものなら、何べん同じ噂を聞いても、人の前にいられなくなって、なんとか言って寝てしまうのが常である。そりゃおとよの事ゆえ、もちろん人の目に止まるようなことはせぬ。でそういう所に意志を労するだけおとよの苦痛は一層深いことも察せられる。もとより勝ち気な女の持ち前として、おとよがかれこれ言うたから省作は深田にいないと世間から言われてはならぬと、極端に力を入れてそれを気にしていた。それであるから、姉妹きょうだいもただならぬほどむつまじいおはまがありながら、別後一度も、相思の意を交換した事はない。

 表面すこぶる穏やかに見えるおとよも、その心中には一分間の間も、省作の事に苦労の絶ゆることはない。これほどに底深く力強い思いの念力、それがどうして省作に伝わらずにいよう。

 省作は何事も敏活にはやらぬ男だ。自分の意志を口に現わすにも行動に現わすにも手間のとれる男だ。思う事があったって、すぐにそれを人に言うような男ではない。それゆえおとよの事については随分考えておっても、それをおはまにすら話さなかった。ことに以前の単純の時代と反対に、自分にはとにかく妻というものができ、一方には元の恋中こいなかの女が独身でいて、しかもどうやら自分の様子に注意しているらしく思われる境涯、年若な省作にはあまりに複雑すぎた位置である。感覚の働きが鈍ったわけではないけれど、感覚の働きがまごついているような状態にある。省作はまるで自分の体が宙に釣られてる思いがしている。こういう時には必ず他の強い勢力を感じやすい。おとよの念力が極々ごくごく細微な径路を伝わって省作を動かすに至った事は理屈に合っている。

「おとよさんは、わたしがいくとそりゃうれしがるの、いくたびにそうなの、人がいないとわたしを抱いてしまうの、それでわたしが帰る時にはどうかすると涙をこぼすの」

 おはまからこれだけの言を聞いたばかりで、省作はもう全身の神経に動揺を感じた。この時もはや省作は深田の婿でなくなって、例の省作の事であるから、それをにわかに行為の上に現わしては来ないが、わが身の進転を自らおさえる事のできない傾斜の滑道にはいってしまった。

 こんな事になるならば、おとよはより早く、省作と一緒になる目的をもって清六の家を去ればよかった。そうすれば省作も人の養子などにいく必要もなく、無垢むくな少女おつねを泣かせずにも済んだのだ。このわかり切った事を、そうさせないのが今の社会である。社会というものは意外おもいのほかばかなことをやっている。自分がその拘束に苦しみ切っていながら、依然として他を拘束しつつある。


      四


 土屋の家では、省作に対するおとよのうわさも、いつのまにか消えたので大いに安心していたところ、今度省作が深田から離縁されて、それも元はおとよとの関係からであると評判され、二人ふたりの噂は再び近村界隈かいわいの話し草になったので、家じゅう顔合せて弱ってる。おとよの父は評判のむずかしい人であるから、この頃は朝から苦虫にがむしを食いつぶしたような顔をしている。おとよの母に対しては、これからは、あのはまのあまなんぞ寄せつけてはならんぞとどなった。

 おとよはそれらの事を見ぬふり聞かぬふりで平気を装うているけれど、内心の動揺は一通りでない。省作がいよいよ深田を出てしまったと、初めて聞いた夜はほとんど眠らなかった。

 思慮に富めるおとよは早くも分別してしまった。自分にはとても省さんをあきらめられない。諦められないことは知れていながら、余儀ないはめになって諦めようとしたものの駄目だめであったのだから、もうどうしたって諦められはしない。今が思案のどきだ。ここで覚悟をきめてしまわねば、またどんな事になろうも知れない。省さんの心も大抵知れてる、深田にいないところで省さんの心も大抵知れてる。おとよはひとりでにっこり笑って、きっぱり自分だけの料簡りょうけんめて省作に手紙を送ったのである。

 省作はもとより異存のありようがない、返事は簡単であった。

 深田にいられないのもおとよさんゆえだ。家に帰ってき返ったのもおとよさんゆえだ。もう毛のさきほども自分に迷いはない。命のすべてをおとよさんに任せる。

 こういう場合に意志の交換だけで、日を送っていられるくらいならば、交換したことばは偽りに相違ない。おさえられた火が再び燃えたった時は、勢い前に倍するのが常だ。

 そのきさらぎの望月もちづきの頃に死にたいとだれかの歌がある。これは十一日の晩の、しかも月のかすかな夜ふけである。おとよはわが家の裏庭の倉のひさしに洗濯をやっている。

 こんな夜ふけになぜ洗濯をするかというに、風呂ふろの流し水は何かのわけで、洗い物がよく落ちる、それに新たに湯を沸かす手数と、まきの倹約とができるので、田舎いなかのたまかな家ではよくやる事だ。この夜おとよは下心あって自分から風呂もたててしまいの湯の洗濯にかこつけ、省作を待つのである。

 おとよが家の大体をいうと、北を表に県道を前にした屋敷構えである。南の裏庭広く、物置きや板倉がたて母屋おもやに続いて、短冊形たんざくがたに長めななりだ。裏の行きとまりに低い珊瑚樹さんごじゅ生垣いけがき、中ほどに形ばかりの枝折戸しおりど、枝折戸の外は三尺ばかりの流れに一枚板の小橋を渡して広い田圃たんぼを見晴らすのである。左右の隣家は椎森しいもりの中にかや屋根やねが見える。九時過ぎにはもう起きてるものも少なく、まことに静かに穏やかな夜だ、月は隣家の低い森の上に傾いて、倉も物置も庇から上にばかり月の光がさしている。倉の軒に迫ってしげれる梅のも、上半のこずえにばかり月の光を受けている。

 おとよは今その倉の庇、梅の根もとに洗濯をしている。うっすら明るい梅の下に真白まっしろい顔の女が二つの白い手を動かしつつ、ぽちゃぽちゃ水の音をさせて洗い物をしているのである。盛りを過ぎた梅の花も、かおりは今が盛りらしい。白い手の動くにつれて梅のかおりも漂いを打つかと思われる、よそ目に見るとも胸おどりしそうなこの風情ふぜいを、わが恋人のそれと目に留った時、どんな思いするかは、他人の想像しうる限りでない。

 おとよはもう待つ人のくる刻限と思うので、しばしば洗濯の手を止めては枝折戸の外へ気を配る。洗濯の音は必ず外まで聞えるはずであるから、省作がそこまでくれば躊躇ちゅうちょするわけはない。忍びよる人の足音をも聞かんと耳を澄ませば、夜はようやくけていよいよ静かだ。

 表通りで夜番よばん拍子木ひょうしぎが聞える。隣村となりむららしい犬の遠ぼえも聞える。おとよはもはやほとんど洗濯の手を止め、一応母屋おもやの様子にも心を配った。母屋の方では家その物まで眠っているごとく全くの寝静まりとなった。おとよはもう洗い物には手が着かない。ってうろうろする。月の様子を見て梅のかおりに気づいたか、

「おおえいかおり」

 そっと一こと言って、枝折戸しおりどの外をうかがう。外には草を踏む音もせぬ。おとよはわが胸の動悸どうきをまで聞きとめた。九十九里の波の遠音は、こういう静かな夜にも、どうーどうーどうーどうーと多くの人のねむりをゆすりつつ鳴るのである。さすがにおとよは落ちつきかね、われ知らず溜息ためいきをつく。

「おとよさん」

 一こえきわめてかすかながら紛るべくもあらぬその人である。同時に枝折戸は押された。省作はにわかに寒けだってわなわなする。おとよも同じように身顫みぶるいが出る。這般しゃはんの消息は解し得る人の推諒すいりょうに任せる。

「寒いことねい」

「待ったでしょう」

 おとよはそっと枝折戸にかぎをさし、物の陰を縫うてその恋人を用意の位置に誘うた。

 おとよは省作に別れてちょうど三月になる。三月の間は長いとも短いともいえる、悲しく苦しく不安の思いで過ごさば、わずか百日に足らぬ月日も随分長かった思いがしよう。二人にとってのこの三月は、変化多き世の中にもちょっと例の少ない並ならぬ三月であった。

 身も心も一つと思いあった二人が、全くの他人となり、しかも互いにあきらめられずにいながら、長く他人にならんと思いつつ暮した三月である。

 わが命はわが心一つで殺そうと思えば、たしかに殺すことができる。わが恋はわが心一つで決して殺すことはできない。わが心で殺し得られない恋をいて殺そうとかかってついに殺し得られなかった三月である。

 しかしながら三月の間は長く感じたところで数は知れている。人の夫とわが夫との相違は数をもっていえない隔たりである。相思の恋人を余儀なく人の夫にして近くに見ておったという悲惨な経過をとった人が、ようやく春の恵みにうて、新しき生命を授けられ、梅花月光の契りを再びする事になったのはおとよの今宵こよいだ。感きわまって泣くくらいのことではない。

 おとよはただもう泣くばかりである。恋人のひざにしがみついたまま泣いて泣いて泣くのである。おとよは省作のひざに、省作はおとよの肩に互いに頭をつけ合って一時間のその余も泣き合っていた。

 もとよりあかりのある場合ではない。頭はあげても顔見合すこともできず、ただ手をとり合うているばかりである。

「省さん、わたしはうれしい」

 ようよう一こと言ったが、おとよはまた泣き伏すのである。

「省さん、あとから手紙で申し上げますから、今夜は思うさま泣かしてください」

 しどろもどろにおとよは声をむのである。省作はとうとう一語も言い得ない。

 悲しくつらく玉の緒も断えんばかりにあやうかりし悲惨を免れてわずかに安全の地に、なつかしい人に出逢でおうた心持ちであろう。限りなき嬉しさの胸にあふれると等しく、過去の悲惨とはげしき対照を起こし、悲喜の感情相混交して激越をきわむれば、だれでも泣くよりほかはなかろう。

 相思の情を遂げたとか恋の満足を得たとかいう意味の恋はそもそも恋の浅薄なるものである。恋の悲しみを知らぬ人には恋の味は話せない。

 泣いて泣いて泣きつくして別れた二人には、またとても言い表すことのできない嬉しさを分ち得たのである。


      五


 翌晩省作からおとよのもとに手紙がとどいた。

「前略お互いに知れきった思いを今さら話し合う必要もないはずですが、何だかわたしはただおとよさんの手紙を早く見たくてならない、わたしの方からも一刻も早く申し上げたいと存じて筆を持っても、何から書いてよいか順序が立たないのです。

 昨夜は実に意外でした、どうせしみじみと話のできる場合ではないですけれど、少しは話もしたかったし、それにわたしはおとよさんをよろこばせる話も持っていたのです、たまりに溜った思いが一時に溢れたゆえか、ただおどおどしてせて胸のうちはむちゃくちゃになって、何の話もできなく、せっかくおとよさんを悦ばせようと思ってた話さえ、思いださずにしまったは、自分ながら実に意外でした、しかしながら胸いっぱいにつかえて苦しくてたまらなかった思いを、二人で泣いて一度に泣き流したのですからあとの愉快さは筆にはつくせません、これはおとよさんも同じことでしょう。昨夜おとよさんに別れて帰るさの愉快は、まるで体が宙を舞って流れるような思いでした。今でもまだ体がふわふわ浮いてるような思いでおります。わたしのような仕合せなものはないと思うと嬉しくて嬉しくて堪りません。

 これから先どういうふうにして二人が一緒になるかの相談はいずれまたっての上にしましょう。あなたをよろこばせようと申した事は、母や姉は随分不承知なようですが、肝心な兄は、「お前はおとよさんと一緒になると決心しろ」と言うてくれたのです。兄は元からおとよさんがたいへん気に入りなのです。もう私の体はたいした故障もなくおとよさんのものです。ですから私の方は、今あせって心配しなくともよいです。それに二人について今世間が少しやかましいようですから、ここしばらく落ちついて時を待ちましょう。それにしてもおとよさんにはまたおとよさんの考えがありましょう。おうちの都合はどんなふうですかそれも聞きたいし、わたしはおとよさんの手紙を早く見たい」

 省作の手紙はどこまでも省作らしく暢気のんきなところがある。そのまた翌日おとよから省作に手紙をだした。

「わたしから先にと思いましたに、まずあなた様よりのお手紙で、わたしは酔わされてしまいました。出しては読み出しては読み、差し上げる手紙を書く料簡りょうけんもなく、昨夜ひとばんらちもなく過ごしました。先夜はほんとに失礼いたしました。ただ悲しくて泣いた事を夢のように覚えてるばかり、ほかの事は何も覚えていません。あとであんまり失礼であったと思いました。それもこれも悲しさうれしさ一度に胸にこみ合い止め度なくなったゆえとおゆるし下されたく、省さま、わたしはこのごろしょうと気が弱くなりました。あなたさまの事を思えばすぐ涙が出ますの。それにつけてもありがたいお兄様のおことば、あなたさまの方はそれで安心ができます。

 わたしの考えには深田の手前秋葉(清六の家)の手前あなたのお家にしてもわたしの家にしても、私ども二人が見すぼらしい暮しを近所にしておったでは、何分世間が悪いでしょう、して見れば二人はどうしても故郷を出退でのくほかないと思います。くわしくはお目にかかっての事ですが、東京へ出るがよいかと思います。

 それにつけてもわたしの家ですが、御承知のとおり親父おやじはまことに片意地の人ですから、とてもわたしの言うことなどは聞いてくれそうもありませぬ。それに昨今どうやらわたしの縁談ばなしがある様子に見えます。また間違いの起こらぬうちに早くというような事をちらと聞きました、なんという情けない事でしょう。省さんが一人の時分にはわたしに相手があり、わたしが一人になれば省さんに相手がある、今度ようやく二人がこうと思えば、すぐにわたしの縁談、わたしは身も世もあらぬ思い、生きた心はありません。

 けれども省様、この上どのような事があろうとわたしの覚悟は動きませぬ。体はよし手と足と一つ一つにちぎりとらるるともわたしの心はあなたを離れませぬ。

 こうは覚悟していますものの、いよいよ二人一緒になるまでには、どんな艱難かんなんを見ることかわかりませぬ。何とぞわたしの胸の中を察してくださいませ。常にも似ず愚痴ばかり申し上げ失礼いたしそうろう。こんな事申し上ぐるにも心は慰み申し候。それでも省さまという人のあるわたし、決して不仕合せとは思いませぬ」


 種まきの仕度で世間は忙しい。枝垂柳しだれやなぎもほんのり青みが見えるようになった。彼岸桜ひがんざくらの咲くとか咲かぬという事が話の問題になる頃は、都でも田舎いなかでも、人の心の最も浮き立つ季節である。

 なにがしの家では親が婿を追い出したら、娘は婿について家を出てしまった、人が仲裁して親はかえすというに今度は婿の方で帰らぬというとか、某の娘は他国からかせぎに来てる男とれ合って逃げ出す所を村界むらざかいで兄におさえられたとか、小さな村に話の種が二つもできたので、もとより浮気ならぬ省作おとよの恋話も、新しい話に入りかわってしまった。


      六


 珊瑚樹垣さんごじゅがきの根にはふきとうが無邪気に伸びて花を咲きかけている。外の小川にはところどころ隈取くまどりを作って芹生せりふが水の流れをせばめている。つばめの夫婦が一つがい何かしきりと語らいつつ苗代なわしろの上をまわっている。かぎろいの春の光、見るから暖かき田圃たんぼのおちこち、二人三人組をなして耕すもの幾組、麦冊むぎさくをきるもの菜種にこえを注ぐもの、田園ようやく多事の時である。近き畑の桃の花、垣根の端のなしの花、昨夜の風に散ったものか、苗代のまわりには花びらの小紋が浮いている。行儀よく作られた苗坪ははや一寸ばかりの厚みに緑を盛り上げている。燕の夫婦はいつしか二つがいになった、時々緑の短冊に腹をって飛ぶは何のためか。心長閑のどかにこの春光に向かわば、詩人ならざるもしばらく世俗の紛紜ふんうんを忘れうべきを、春愁堪え難き身のおとよは、とても春光を楽しむの人ではない。

 男子家にあるもの少なく、婦女は養蚕の用意に忙しい。おとよは今日の長閑のどかさに蚕籠こかごを洗うべく、かつて省作を迎えた枝折戸しおりどの外に出ているのである。抑え難き憂愁を包む身の、洗う蚕籠には念も入らず、幾度も立っては田圃の遠くを眺めるのである。ここから南の方へ十町ばかり、広い田圃の中に小島のような森がある、そこが省作の村である。木立こだちの隙間から倉の白壁がちらちら見える、それが省作の家である。

 おとよは今さらのごとく省作が恋しく、紅涙ほおに伝わるのを覚えない。

「省さんはどうしているかしら、手紙のやりとりばかりで心細くてしようがない。こうしてお家も見えているのに、兄さんは、二人一緒になると決心しろって、今でもそう思ってて下さるのかしら」

 おとよは口の底でこういって省作の家を見てるのである。縁談の事もいよいよ事実になって来たらしいので、おとよはにわかに省作にいたくなった。逢って今さら相談する必要はないけれど、苦しい胸を話したいのだ。十時も過ぎたと思うに蚕籠こかごはまだいくつも洗わない。おとよは思い出したように洗い始める。格好のよい肩に何かしらぬ海老色えびいろたすきをかけ、白地の手拭てぬぐいを日よけにかぶった、あごのあたりの美しさ。美しい人の憂えてる顔はかわいそうでたまらないものである。

「おとよさんおとよさん」

 呼ぶのはあによめお千代だ。おとよは返辞をしない。しないのではない、できないのだ。何の用で呼ぶかという事はわかってるからである。

「おとよさん、おとッつさんが呼んでいますよ」

 枝折戸しおりどの近くまで来てお千代は呼ぶ。

「ハイ」

 おとよは押し出したような声でようやくのこと返辞をした。十日ばかり以前から今日あることはわかっているから充分の覚悟はしているものの、今さらに腹の煮え切る思いがする。

「さあおとよさん、一緒にゆきましょう」

 お千代は枝折戸の外まできて、

「まあえい天気なこと」

 お千代は気楽に田圃たんぼを眺めて、ただならぬおとよの顔には気がつかない。おとよは余儀なく襷をはずし手拭をって二人一緒に座敷へ上がる。待ちかねていた父は、ひとりで元気よくにこにこしながら、

「おとよここへきてくれ、おとよ」

「ハア」

 おとよは平生へいぜいでも両親に叮嚀ていねいな人だ、ことに今日は話が話と思うものから一層改まって、畳二畳半ばかり隔てて父の前に座した。紫檀したんの盆に九谷くたにの茶器根来ねごろの菓子器、念入りの客なことは聞かなくとも解る。母も座におって茶を入れ直している。おとよは少し俯向うつむきになってひざの上の手を見詰めている。平生顔の色など変える人ではないけれど、今日はさすがに包みかねて、顔に血のが失せほとんど白蝋はくろうのごとき色になった。

 自分ひとりで勝手な考えばかりしてる父はおとよの顔色などに気はつかぬ、さすがに母は見咎みとがめた。

「おとよ、お前どうかしたのかい、たいへん顔色が悪い」

「ええどうもしやしません」

「そうかい、そんならえいけど」

 母は入れた茶を夫のと娘のと自分のと三つの茶碗ちゃわんについで配り、座についてその話を聞こうとしている。

「おとよ、ほかの事ではないがの、お前の縁談の事についてはずれの旦那だんなが来てくれて今帰られたところだ。お前も知ってるだろう、早船の斎藤さいとうよ、あの人にはお前も一度ぐらい逢った事があろう、お互いに何もかも知れきってる間だから、まことなしだ。この月初めから話があっての、向うで言うにゃの、おとよさんの事はよく知ってる、ただおとよさんが得心とくしんして来てくれさえすれば、来た日からでも身上しんしょうまかないもしてもらいたいっての、それは執心な懇望よ、向うは三度目だけれどお前も二度目だからそりゃ仕方がない。三度目でも子供がないから初縁も同じだ。一度あんな所へやってお前にも気の毒であったから、今度はわかってるが念のために一応調べた。負債などは少しもない、地所はうちの倍ある。一度は村長までした人だし、まあお前の婿にして申し分のないつもりじゃ。お前はあそこへゆけばこの上ない仕合せとおれは思うのだ。それでもう家じゅう異存はなし、今はお前の挨拶あいさつ一つできまるのだ。はずれの旦那はもうちゃんときまったようなつもりで帰られた。おとよ、よもやお前に異存はあるまいの」

 おとよは人形のようになってだまってる。

「おとよ、異存はねいだの。なに結構至極けっこうしごくな所だからきめてしまってもよいと思ったけど、お前はむずかしやだからな、こうして念を押すのだ。異存はないだろう」

 まだおとよは黙ってる。父もようやく娘の顔色に気づいて、むっとした調子に声を強め、

「異存がなけらきめてしまうど。今日じゅうに挨拶と思うたが、それも何かと思うて明日あすじゅうに返辞をするはずにした。お前も異存のあるはずがないじゃねいか、向うは判りきってる人だもの」

 おとよはようやく体を動かした。ふるえる両手をひざの前に突いて、

「おとッつさん、わたしの身の一大事の事ですから、どうぞ挨拶を三日間待ってください……」

 おとよはややふるえ声でこう答えた。さすがに初めからきっぱりとは言いかねたのである。おとよの父は若い時から一酷いっこくもので、自分が言いだしたらあとへは引かぬということを自慢にしてきた人だ。年をとってもなかなかそのしょうはやまない。おれは言いだしたら引くのはいやだから、なるべく人の事に口出しせまいと思ってると言いつつ、あまり世間へ顔出しもせず、家の事でも、そういうつもりか若夫婦のやる事に容易に口出しもせぬ。そういう人であるから、自分の言ったことが、聞かれないと執念深く立腹する。今おとよの挨拶あいさつぶりが、不承知らしいので内心もう非常に激昂げっこうした。ことに省作の事があるから一層おこったらしく顔色を変えて、おとよをねめつけていたが、しばらくしてから、

「ウム、それではきさま三日たてば承知するのか」

 おとよは黙っている。

「とよ黙っててはわかんね。三日たてば承知するかと言うんだ。なアおとよ、わが娘ながらお前はよく物のわかる女だ。こうして、おれたちが心配するのも、皆お前のためを思うての事だど」

「おとッつさんのおぼし召しはありがたく思いますが、一度わたしは懲りていますから、今度こそわが身の一大事と思います。どうぞ三日の間考えさしてください。承知するともしないともこの三日の間にわたしの料簡りょうけんめますから」

 父は今にも怒号せんばかりの顔色であるけれど、問題が問題だけにさすがに怒りを忍んでいる。

「こちから明日じゅうに確答すると言った口上に対しまた二日間挨拶を待ってくれということが言えるか。明日じゅうにわからぬことが、二日延べたとて判る道理があんめい。そんな人をばかにしたようなことを人様にいえるか、いやとも応とも明日じゅうには確答してしまわねばならん。

 おとよ、なんとかもう少し考えようはないか。両親兄弟が同意でなんでお前に不為ふためを勧めるか。先度は親の不注意もあったと思えばこそ、ぜひ斎藤へはやりたいのだ。どこから見たって不足を言う点がないではないか、生若なまわかいものであると料簡の見留みとめもつきにくいが斎藤ならばもう安心なものだ。どうしても承知ができないか」

 父はえる腹をこらえ手を握ってさとすのである。おとよはまばたきもせずひざの手を見つめたまま黙っている。父はもうたまりかねた。

「いよいよ不承知なのだな。きさまの料簡は知れてるわ、すぐにきっぱりと言えないから、三日の間などとぬかすんだ。目の前で両親をたばかってやがる。それでなんだな、きさまは今でもあの省作の野郎と関係していやがるんだな。ウヌいけふざけて……親不孝ものめが、この上にも親の面に泥を塗るつもりか、ウヌよくも……」

 おとよは泣き伏す。父はこらえかねた憤怒の眼を光らしいきなり立ち上がった。母もあわてて立ってそれにすがりつく。

「お千代やお千代や……早くきてくれ」

 お千代も次の間から飛んできて父をおさえる。お千代はようやく父をなだめ、母はおとよを引き立てて別間へ連れこむ。この場の騒ぎはひとまず済んだが、話はこのまま済むべきではない。


      七


 おとよの父は平生へいぜいことにおとよを愛し、おとよが一番よく自分の性質を受け継いだ子で、女ながら自分の話相手になるものはおとよのほかにないと信じ、兄の佐介さすけよりはかえっておとよを頼もしく思っていたのである。おとよも父とはよく話が合い、これまでほとんど父の意に逆らった事はなかった。おとよに省作とのうわさが立った時など母は大いに心配したに係らず、父はおとよを信じ、とよに限って決して親に心配を掛けるような事はないと、人の噂にも頓着とんじゃくしなかった。はたして省作は深田の養子になり、おとよも何の事なく帰ってきたから、やっぱり人の悪口が多いのだと思うていたところ、この上もない良縁と思う今度の縁談につき、意外にもおとよが強固に剛情な態度を示し、それも省作との関係によると見てとった父は、自分の希望と自分の仕合せとが、根柢こんていより破壊せられたごとく、落胆と憤懣ふんまん慚愧ざんきと一時に胸にき返った。

 さりとて怒ってばかりもおられず、憎んでばかりもおられず、いまいましく片意地に疳張かんばった中にも娘を愛する念もまじって、賢いようでも年が若いから一筋に思いこんで迷ってるものと思えば不愍ふびんでもあるから、それを思い返させるのが親の役目との考えもないではない。

 夕飯過ぎた奥座敷には、両親と佐介と三人火鉢ひばちを擁していても話にはずみがない。

「困ったあまっ子ができてしまった」

 天井を見て嘆息するのは父だ。

「おとよはおとッつさんの気に入りっ子だから、おとッつさんの言うことなら聞きそうなものだがな」

「お前こんな話の中でそんなこと言うもんじゃねいよ」

「とよは一体おれの言うことに逆らったことはないのに、それにこの上ないえい嫁の口だと思うのに、あんなふうだから、そりゃ省作の関係からきてるに違いない。お前女親でいながら、少しも気がつかんということがあるもんか」

「だってお前さん、省作が深田を出たといってからまだ一月ぐらいにしかならないでしょう。それですからまさかその間にそんな事があろうとは思いませんから」

「おッさん、人のうわさでは省作が深田を出たのはおとよのためだと言いますよ」

「ほんとにそうかしら」

「実にいまいましいやつだ。婿にももらえず嫁にもやれずという男なんどに情を立ててどうするつもりでいやがるんだろ、そんなばかではなかったに。惜しい縁談だがな、断わっちまう、明日早速さっそく断わる。それにしてもあんなやつ、外聞悪くて家にゃ置けない、早速どっかへやっちまえ、いまいましい」

「だってお前さん、まだはっきりいやだと言ったんじゃなし、明日じゅうに挨拶あいさつすればえいですから、なおよくあれが胸も聞いてみましょう。それに省作との関係もです、嫁にやるやらぬは別としてもたださずにおかれません」

「なあにだめだだめだ、あの様子では……人間もばかになればなるものだ、つくづくあきれっちまった。どういうもんかな、世間の手前もよし、あれの仕合せにもなるし、向うでは懇望なのだから、残念だなあ」

 父はよくよく嘆息する。

「だから今一応も二応も言い聞かせてみてくださいな」

「おとよの仕合せだと言っても、おとよがそれを仕合せだと思わないで、たっていやだと言うなら、そりゃしようがないでしょう」

「だれの目にも仕合せだと思うに、それをいわれもなく、両親の意に背くような、そんな我儘わがままはさせられないよ」

「させられないたって、おッ母さんしようがないよ」

「佐介、ばかいいをするな、おまえなどまでもそんな事いうようだから、こんな事にもなるのだ」

「わが身の一大事だから少し考えさせてくださいと言うのを、なんでもかでもすぐ承知しろと言うのはちっとひどいでしょう」

「それでは佐介、きさまもとよを斎藤へやるのは不同意か」

「不同意ではありませんけれど、そんなに厭だと言うならと思うんです。おとよの肩を持って言うんじゃありません。おとッつさんのは言い出すとすぐ片意地になるから困る」

「なに……なにが片意地なもんか。とよのやつの厭だと言うにゃいわくがあるからだ、厭だとは言わせられないんだ」

「佐介、もうおよしよ、これでは相談にはなりゃしない。ねいおまえさん、お千代がよくあれの胸を聞くはずですから、この話は明日にしてください。湯がさめてしまった、佐介、茶にしろよ」

 父はますますむずかしい顔をしている。なるほど平生へいぜいおれに片意地なところはある、あるけれども今度の事は自分に無理はない、されば家じゅうよろこんで、滞りなくまとまる事と思いのほか、本人の不承知、佐介も乗り気にならぬという次第で父はごうが煮えて仕方がない、知らず知らず片意地になりかけている。あきれっちまった、どうしてあんなにばかになったか、もう駄目だめだ、断わってしまう、こう口には言っても、自分の思い立った事を、どんな場合にもすぐあきらめてよすような人ではない。いろいろ理屈をひねくって根気よく初志を捨てないのがこの人の癖である、おとよはこれからつらくなる。

 お千代はそれほど力になる話相手ではないが悪気わるぎのない親切な女であるから、よめ小姑こじゅうとの仲でも二人は仲よくしている。それでお千代は親切に真におとよに同情して、こうなって隠したではよくないから、包まず胸を明かせとおとよに言う。おとよもそうは思っていたのであるから、省作との関係も一切明かしたうえ、

「わたしは不仕合せに心に染まない夫を持って、言うに言われないよくよくいやな思いをしましたもの、懲りたのなんのって言うも愚かなことで……なんのために夫を持ちます、わたしは省作という人がないにしても、心のわからない人などの所へ二度とゆく気はありません。この上わたしが料簡りょうけんを換えて外へ縁づくなら、わたしのした事はみんな淫奔いたずらになります。わたしのためわたしのためと心配してくださる両親の意に背いては、まことに済まない事と思いますけれど、こればかりは神様の計らいに任せて戴きたい、ねえさんどうぞ堪忍かんにんしてください、わたしの我儘わがままには相違ないでしょうが、わたしはとうから覚悟をきめています。今さらどのような事があろうと脇目わきめを振る気はないんですから」

 お千代はわけもなくおとよのために泣いて、真からおとよに同情してしまった。その夜のうちにお千代は母に話し母は夫に話す。燃えるようなおとよのことばも、お千代の口から母に話す時は、大半熱はさめてる、さらに母の口から父に話す時は、全く冷静な説明になってる。

「なんだって……ここで嫁に出れば淫奔いたずらになるって……。ばかばかしい、てめいのしてる事が大の淫奔いたずらじゃねいか、親不孝者めが、そのままにしちゃおけねい」

 とにかく明日の事という事でこの夜はおしまいになった。


      八


 朝飯になるというにおとよはまだ部屋へやを出ない。お千代が一人で働いて、家じゅうにぜんをたべさせた。学校へゆく二人ふたり兄妹きょうだいに着物を着せる、座敷を一通り掃除そうじする、そのうちに佐介はくわを肩にして田へ出てしまう。お千代はそっとおとよの部屋へはいって、

「おとよさん今日きょうはゆっくり休んでおいでなさい、蚕籠こかごは私がこれから洗いますから」

 そういわれても、おとよはさすがに寝てもいられず部屋を出た。一晩のうちにもせが目につくようである。父は奥座敷でぽんぽん煙草たばこを吸って母と話をしている。おとよは気が引けるわけもないけれども、今日はまた何といわれるのかと思うと胸がどきまぎして朝飯につく気にもならない、手水ちょうずをつかい着物を着替えて、そのままお千代が蚕籠を洗ってる所へ行こうとすると、

「おとよ」

と呼ぶのは母であった。おとよは昨日とやや同じ位置に座につく。

「おはようございます」

とかすかに言って、両親のことばをまつ。わが親ながら顔見るのもおそろしく、俯向うつむいているのである。罪人が取り調べを受ける時でも、これだけの苦痛はなかろうと思われる。おとよは胸で呼吸いきをしている。

「おとよ……お前の胸はお千代から聞いて、すっかりわかった。親の許さぬ男と固い約束のあることもわかった。お前の料簡りょうけんは充分に判ったけれど、よく聞けおとよ……ここにこうして並んでる二人ふたりは、お前を産んでお前を今日まで育てた親だぞ。お前の料簡にすると両親は子を育ててもその子の夫定つまさだめには口出しができないと言うことになるが、そんな事は西洋にも天竺てんじくにもあんめい。そりゃ親だもの、かわいの望みとあればできることなら望みを遂げさしてやりたい。こうしてお前を泣かせるのも決して親自身のためでなくみんなお前の行く末思うての事だ。えいか、親の考えだから必ずえいとは限らんが、親は年をとっていろいろ経験がある、お前は賢くても若い。それでわが子の思うようにばかりさせないのは、これも親として一つの義務だ。省作だって悪い男ではあんめい、悪い男ではあんめいけど、向うも出る人おまえも出る人、事が始めから無理だ。許すに許されない二人のないしょ事だ。いわば親の許さぬ淫奔いたずらというものでないか、えいか」

 おとよはこの時はらはらと涙をひざの上に落とした。涙の顔をぬぐおうともせず、くちびるを固く結んで頭を下げている。母もかわいそうになってうるんでいる。

「省作のいえにしろうちにしろ、深田への手前秋葉への手前、お前たちの淫奔いたずらを許しては第一家の面目めんぼくが立たない。今度の斎藤に対しても実に面目もない事でないか。お前たち二人は好いた同士でそれでえいにしても、親兄弟の迷惑をどうする気か、おとよ、お前は二人さえよければ親兄弟などはどうでもえいと思うのか。できた事は仕方ないとしても、どうしてそれが改めてくれられない。省作への義理があろうけれど、それは人をもって話のしようはいくらもある。これまでは親兄弟に対してよく筋道の立ってたお前、このくらいの道理の聞きわからないお前ではなかったに、どうもおれには不思議でなんねい。おれはよんべちっとも寝なかった」

 こう言って父も思い迫ったごとく眼に涙を浮かべた。母はとうから涙をぬぐうている。おとよはもとより苦痛に身をささえかねている。

「それもこれもお前が心一つを取り直しさえすれば、おまえの運はもちろん、家の面目もつぶさずに済むというものだ。省作とてお前がなければまたえい所へも養子に行けよう。万方ばんぼう都合よくなるではないか。ここをな、おとよとくと聞き別けてくれ、理のわからぬお前でないのだから」

 父のことばがやさしくなって、おとよのつらさはいよいよせまる。おとよも言いたいことが胸先につかえている。自分と省作との関係を一口に淫奔いたずらといわれるは実に口惜くやしい。さりとて両親の前に恋を語るような蓮葉はすっぱはおとよには死ぬともできない。

「おとッつさんのおっしゃるのは一々ごもっともで、重々わたしが悪うございますが、おとッつさんどうぞお情けに親不孝な子を一人ひとり捨ててください」

 おとよはもう意地も我慢がまんも尽きてしまい、声を立てて泣き倒れた。気の弱い母は、

「そんならお前のすきにするがえいや」

「ウム立派に剛情を張りとおせ。そりゃつらいところもあろう、けれども両親が理を分けての親切、少しは考えようもありそうなもんだ、理も非もなくどこまでも、我儘わがままをとおそうという料簡りょうけんか、よしそんなら親の方にもまた料簡がある」

 こういい放って父は足音荒くって出てしまう。無論縁談は止めになった。

 省作というものがなくて、おとよがただ斎藤の縁談を避けたのみならば、片意地な父もそうまで片意地を言うまいが、人の目から見れば、どうしてもおとよが、好きな我儘をとおした事になるから、後の治まりがむずかしい。父はその後も幾度か義理づめ理屈づめでおとよを泣かせる。殺してしまうと騒いだのも一度や二度でなかった。たださえ剛情に片意地な人であるに、この事ばかりは自分の言う所が理義明白いささかも無理がないと思うのに、これが少しも通らぬのだから、一筋に無念でならぬのだ。これほど明白にわかり切った事をおとよが勝手かって我儘わがまま私心わたくしごころ一つで飽くまでも親の意に逆らうと思いつめてるからどうしても勘弁ができない。ただ何といってもわが子であるから仕方がなく結末がつかないばかりである。

 おとよは心はどこまでも強固であれど、父に対する態度はまたどこまでも柔和にゅうわだ。ただ、

「わたしが悪いのですからどうぞ見捨てて……」

とばかり言ってる。悪いと知ったら、なぜ親のことばを用いぬといえば泣き伏してしまう。

「斎藤の縁談を断わったのはお前のこころを通したのだから、今度は相当の縁があったら父の意に従えと言うのだ」

 それをおとよはどうしても、ようございますといわないから、父のじょうが少しも立たない。それが無念でたまらぬのだ。片意地ではない、家のためだとはいうけれど、かんがつのってきては何もかもない、我意を通したい一路に落ちてしまう。おこってあきれてあきらめてしまえばよいが、片意地な人はいくら怒っても諦めて初志を捨てない。元来父はおとよを愛していたのだから、今でもおとよをかわいそうと思わないことはないけれど、ちょっと片意地に陥るとわが子も何もなくなる、それで通常は決して無情酷薄な父ではないのである。

 おとよはだれの目にも判るほどやつれて、この幾日というもの、晴れ晴れした声も花やかな笑いもほとんどおとよに見られなくなった。兄夫婦も母も見ていられなくなった。兄は大抵の事は気にせぬ男だけれどそれでもある時、

「おとッつさんのように、そう執念深くおとよを憎むのは一体わからない。死んでもえいと思うくらいなら、おとよの料簡りょうけんに任してもえいでしょう」

 こういうと父は、

「うむ、そんな事いってさんざん淫奔いたずらをさせろ」

 すぐそういうのだからどうしようもない。ことにお千代は極端に同情し母にも口説くどき自分の夫にも口説きしてひそかに慰藉いしゃの法を講じた。自ら進んで省作との間に文通も取り次ぎ、時には二人をわせる工夫もしてやった。

 おとよはどんな悲しい事があっても、つらい事があっても、省作の便たよりを見、まれにも省作に逢うこともあれば、悲しいもつらいも、心の底から消え去るのだから、よそ目に見るほど泣いてばかりはいない。例の仕事上手じょうずで何をしても人の二人前働いている。

 父は依然として朝飯夕飯のたびに、あんなやつを家へ置いては、世間へ外聞が悪い、早くどこかへ奉公にでもやってしまえという。母は気の弱い人だから、心におとよをかわいそうと思いながら、夫のいうことばに表立って逆らうことはできない。

「おとよを奉公にやれといったって、おとよの替わりなら並みの女二人頼まねじゃ間に合わない」

 いさくさなしの兄はただそういったなり、そりゃいけないとも、そうしようともいわない。飯が済めばさっさと田圃たんぼへ出てしまう。


      九


 世は青葉になった。豌豆えんどう蚕豆そらまめも元なりはさやがふとりつつ花が高くなった。麦畑はようやく黄ばみかけてきた。どじょうとりのかんてらが、裏の田圃に毎夜八つ九つ出歩くこの頃、蚕は二眠が起きる、農事は日を追うて忙しくなる。

 お千代が心ある計らいによって、おとよは一日つぶさに省作にうて、将来の方向につき相談をぐる事になった。それはもちろんお千代の夫も承知の上の事である。

 爾来じらいことにおとよに同情を寄せたお千代は、実は相談などいうことは第二で、あまり農事の忙しくならないうちに、玉の緒かけての恋中こいなかに、長閑のどかな一夜の睦言むつごとを遂げさせたい親切にほかならぬ。

 お千代が一緒というので無造作に両親の許しが出る。

 かねて信心しんじんする養安寺村の蛇王権現だおうごんげんにおまいりをして、帰りに北の幸谷こうやなるお千代の里へまわり、おそくなれば里に一宿いっしゅくしてくるというに、お千代の計らいがあるのである。

 その日は朝も早めに起き、二人して朝の事一通りを片づけ、互いに髪を結い合う。おとよといっしょというのでお千代も娘作りになる。同じ銀杏返いちょうがえし同じあわせ小袖こそでに帯もやや似寄った友禅縮緬ちりめん、黒の絹張りのかさもそろいの色であった。蹴出けだしにすそ端折はしおって二人が庭に降りた時には、きらつく天気に映ってにわかにそこら明るくなった。

 久しぶりでおとよも曇りのない笑いを見せながら、なお何となし控え目に内輪なるは、いささか気がとがむるゆえであろう。

 かごを出た鳥の二人は道々何を見ても面白そうだ。道ばたの家に天竺牡丹てんじくぼたんがある、立ち留って見る。霧島が咲いてる、立ち留って見る。西洋草花がある、また立ち留って見る。お千代は苦も荷もなく暢気のんきだ。

「おとよさん、これ見たえま、おとよさんてば、このきれいな花見たえま」

 お千代は花さえ見れば、そこに立ち留って面白がる。そうしてはおとよさん見たえまを繰り返す。元が暢気のんきな生れで、まだ苦労ということを味わわないお千代は、おとよをせっかくここまで連れて来ながら、おとよの胸の中は、なかなか道ばたの花などを立ち留って見てるような暢気でないことまではおもれない。お千代は年は一つ上だけれど、恋を語るにはまだまだ子供だ。

 おとよはしょうことなしにお千代のあとについて無意識に、まあ綺麗きれいなことまあ綺麗なことといいつつ、ばつを合せている。蝙蝠傘こうもりがさはすに肩にして二人は遊んでるのか歩いてるのかわからぬように歩いてる。おとよはもうもどかしくてならないのだ。

 おとよは家を出るまでは出るのがうれしく、家を出てしばらくは出たのが嬉しかったが、今は省作を思うよりほかに何のことも頭にない。お千代の暢気につれて、心にもない事をいい、面白く感ぜぬ事にも作り笑いして、うわの空に歩いている。おとよの心にはただ省作が見えるばかりだ、天竺牡丹てんじくぼたんも霧島も西洋草花も何もかもありゃしない。

「省さんは先へいったのかしら、それともまだであとから来るのかしら」

 こう思うのも心のうちだけで、うかりとしているお千代には言うてみようもなく、時々目をそらしてあとを見るけれど、それらしい人も見えない。ぶらぶら歩けばかえって体はだるい。

「おとよさん、もうわたし少しくたぶれたわ。そこらで一休みしましょうか」

 お千代の暢気は果てしがない。おとよの心は一足も早く妙泉寺へいってみたいのだ。

「でもお千代さんここは姫島のはずれですから、いえはすぐですよ。妙泉寺で待ち合わせるはずでしたねい」

 こういわれてようやくの事いくらか気がついてか、

「それじゃ少し急いでゆきましょう」

 家の子村の妙泉寺はこの界隈かいわいに名高き寺ながら、今は仁王門におうもんと本堂のみに、昔のおもかげを残して境内はちりを払う人もない。ことに本堂は屋根の中ほど脱落して屋根地の竹が見えてる。二人が門へはいった時、省作はまだ二人の来たのも気づかず、しきりに本堂の周囲を見廻みまわし堂の様子を眺めておった。省作はもとより建築の事などに、それほどの知識があるのではないけれど、一種の趣味を持っている男だけに、一見してこの本堂の建築様式が、他に異なっているに心づき、思わず念がはいって見ておったのである。

「こんな立派な建築を雨晒あまざらしにして置くはひどいなあ、近郷に人のない証拠だ、この郡の恥辱だ、随分思い切ったもんだ、県庁あたりでもどうにかしそうなもんだ、つまり千葉県人の恥辱だ、ひどいなあ」

 省作はこんなことをひとりで言って、待ち合せる恋人がそこまで来たのも知らずにおった。お千代が、ポンポンと手をたたく、省作は振り返って出てくる。

「省さん、暢気のんきなふうをして何をそんなに見てるのさ」

「何さ立派なお堂があんまり荒れてるから」

「まあ暢気な人ねい、二人がさっきからここへきてるのに、ぼんやりして寺なんか見ていて、二人の事なんか忘れっちゃっていたんだよ」

 お千代は自分の暢気は分らなくとも省作の暢気は分るらしい。省作はゆるやかに笑いながら二人の所へきた。

 思うこと多い時はかえって物はいえぬらしく、省作はおとよに物もいわない、おとよも顔にうるわしく笑ったきり省作に対して口はきかぬ。ただおとよが手に持つかさを右に左にわけもなく持ち替えてるが目にとまった。なつかしいという形のない心は、お互いのことばによって疎通そつうせらるる場合が多いが、それは尋常の場合に属することであろう。

 今省作とおとよとはっても口をきかない。お千代が前にいるからというわけでもなく、お互いにすねてるわけでもない。物を言わなくとも満足ができたのである。なつかしいという形のない心が、ことばの便たよりをからないで満足に抱合ができたからである。

 お千代と省作との間に待ったとか待たないとかいう罪のない押し問答がしばらく繰り返される。身を傾けるほどの思いはかえって口にも出さず、そんならちもなき事をいうて時間を送る、恋はどこまでももどかしく心に任せぬものである。三人はここで握り飯の弁当を開いた。


      十


「のろい足だなあ」と二、三度省作から小言こごとが出て、午後の二時ごろ三人はようやく御蛇おんじゃいけへついた。飽き飽きするほど日のながいこの頃、物考えなどしてどうかすると午前か午後かを忘れる事がある。まだ熱さに苦しむというほどに至らぬ若葉の頃は、物参りには最も愉快な時である。三人一緒になってから、おとよも省作も心の片方に落ちつきを得て、見るものが皆面白くなってきた。おのずから浮き浮きしてきた。目下の満足が楽しく、遠い先の考えなどは無意識に腹のすみへ片寄せて置かれる事になった。

 これが省作おとよの二人ふたりばかりであったらば、こうはゆかなかったかもしれない。そこにお千代という、はさまりものがあって、一方には邪魔なようなところもあるが、一面にはそれがためにうまく調子がとれて、極端に陥らなかったため、思ったよりも今日の遊びが愉快になった。初めはお千代の暢気のんきが目についたに、今は三人やや同じ程度に暢気になった。しかしながら省作おとよの二人には別に説明のできない愉快のあるはもちろんである。物の隅々にたまっていた塵屑ちりくず綺麗きれいに掃き出して掃除そうじしたように、手も足も頭もつかえて常にかがまってたものが、一切のさわりがとれてのびのびとしたような感じに、今日ほど気の晴れた事はなかった。

 御蛇おんじゃいけにはまだかもがいる。高部たかべや小鴨や大鴨も見える。冬から春までは幾千かわからぬほどいるそうだが、今日も何百というほど遊んでいる。池は五、六万坪あるだろう、ちょっと見渡したところかなり大きい湖水である。水も清く周囲のおかも若草の緑につつまれて美しい、なぎさには真菰まこもあしが若々しき長き輪郭を池に作っている。平坦へいたん北上総きたかずさにはとにかく遊ぶに足るの勝地である。鴨は真中まんなかほどから南の方、人のゆかれぬ岡の陰に集まって何か聞きわけのつかぬ声で鳴きつつある。御蛇が池といえば名は怖ろしいが、むしろ女小児おんなこどもの遊ぶにもよろしき小湖に過ぎぬ。

 湖畔の平地に三、四の草屋がある。中に水に臨んだ一小廬しょうろ湖月亭こげつていという。求むる人には席を貸すのだ。三人は東金とうがねより買い来たれる菓子果物くだものなど取り広げて湖面をながめつつ裏なく語らうのである。

 七十ばかりなあるじおきなは若き男女のために、自分がこの地を銃猟禁制地に許可を得し事柄や、池の歴史、さては鴨猟の事など話し聞かせた。その中には面白き話もあった。

「水鳥のたぐいにもみさおというものがあると見えまして、雌なり雄なりが一つとられますと、あとに残ったやもめ鳥でしょう、ほかの雌雄が組をなして楽しげに遊んでる中に、一つさびしく片寄って哀れに鳴いてるのを見ることがあります。そういうことがおりおりありまして、あああれはつれあいをとられたのだなどいうことがすぐ分ります。感心なものでございます」

 この話を聞いておとよも省作も涙の出でんばかりに感じたが、主が席を去るとおとよはたまりかね、省作と自分とのこの先に苦労の多かるべきをいいでて嘆息する。お千代も省作に向って、

「省さんも御承知ではありましょうが、斎藤の一条から父はたいへんおとよさんを憎んで、いまだに充分お心が解けないもんですから、それはそれはおとよさんの苦労心配は一通りの事ではなかったのです。今だって父の機嫌きげんがなおってはいないです。おとよさんもこんなにせっちゃったんですから、かわいそうで見ていられないから、うちと相談してね、今日の事をたくらんだんです。随分あぶない話ですが、あんまりおとよさんがかわいそうですから、それですから省さん今夜は二人でよく相談してね、こうということをきめてください。おまえさんら二人の相談がこうときまれば、うちでも父へなんとか話のしようがあるというんですから、ねい省さん」

 省作も話下手はなしべたな口でこういった。

「お千代さん、いろいろ御親切に心配してくださって、いくらありがたく思ってるかしれやしません。私は晴れておとよさんの顔を見るのは四か月ぶりです。痩せた痩せたというけど、こんなに痩せたとは思わなかったです、さっき初めて妙泉寺でって私は実際驚いた。私はもう五、六日のうちに東京へいくと決心したんです、お千代さんもおとよさんも安心してください、うちの兄はこういうんですから。

 省作、おとよさんはどういう気でいる、お前の決心はどうだ。おれの覚悟はいつかも話したように、ちゃんときまってるど。お前の決心一つでおれはいつでもえい。この間おッさんにも話しておいた。

 それから私がこれこれだと話すと、うんそりゃよかろう、若いものがうんと骨折るにゃ都会がえい、おれは面目めんぼくだのなんぼくだのということは言わんがな、そりゃ東京の方が働きがいがあるさ。それじゃそうと決心して、なるたけ早く実行することにしろ。それからお前にいうておくことがある、おれにもたいした事はできんけれど、おれも村のやつらに欲が深い深いといわれたが、そのおかげで五、六年丹精たんせいの結果が千五百円ばかりできてる。これをお前にやる分にゃ先祖の財産へ手を付けんのだから、おれの勝手だ。お前もそんつもりでな、東京で何か仕事を覚えろ……おとよさんのおとッつさんが、むずかしい事をいうのも、つまりわが子可愛かわいさからの事に違いあんめいから、そりゃそのうちどうにかなるよ、心配せんで着々実行にかかるさ。

 兄はこう言うんですから、私の方は心配ないです。佐介さんにお千代さんから、よくそう申してください、おとッつさんの方も何分頼みます」

 お千代は平生へいぜい妹ながら何事も自分より上手うわてと敬しておったおとよに対し、今日ばかりは真の姉らしくあったのが、無上むしょううれしい。

「それではもうおとよさん安心だわ。これからはおとッつさん一人ひとりだけですから、うちでどうにか話するでしょう。今日はほんとに愉快であったわねい」

「ほんとにお千代さん、おとッつさんをいつまでああしておこらしておくのは、わたしは何ほどつらいかしれないわ。おとッつさんの言う事にちっとも御無理はないんだから、どうにかしておとッつさんの機嫌きげんを直したい、わたしは……」

「そりゃ私だっておとよさんの苦心は充分察してるのさ」

 省作はお千代とおとよの顔を見比べて、

「お千代さん、おとよさんは少し元のおとよさんと違ってきたね」

「どう違うの」

「元はもっと、きっぱりとしていて、今のように苦労性でなかったよ。近頃はばかに気が弱くなった、おとよさんは」

 おとよは、長くはっきりした目にみをたたえてわきを見ている。

「それも省さんがあんまりおとよさんに苦労さしたからさ」

「そんな事はねい、私はいつでもおとよさんの言いなりだもの」

「まあ憎らしい、あんなこといって」

「そんなら省さん、なで深田へ養子にいった」

 お千代はこう言ってハヽヽヽヽと笑う。

「それもおとよさんが行けって言ったからさ」

「もうやめだやめだ、こんなこといってると、かもに笑われる。おとよさん省さん、さあさあ蛇王様へまいってきましょう」

 三人はばたばた外へ出る。池の北側の小路こみちなぎさについて七、八町まわれば養安寺村である。追いつ追われつ、草花を採ったり小石を拾って投げたり、蛇がいたと言っては三人がしがみ合ったりして、池の岸を廻ってゆく。

「省さん、蛇王様はなであかぎれの神様でしょうか」

「なでだか神様のこたあ私にゃわかんねい」

「それじゃ蛇王様は皹の事ばかり拝む神様かしら」

「そりゃ神様だもの、拝めば何でも御利益ごりやくがあるさ」

「なんでも手足がなおれば、足袋たびなり手袋なりこしらえて上げるんだそうよ、ねい省さん」

「さっきのじいさんはたいへん御利益があるっていったねい」

 三人は罪のない話をしながらいつか蛇王権現だおうごんげんの前へくる。それでも三人はすこぶる真面目まじめに祈願をこめて再び池のめぐりを駆け廻りつつ愉快に愉快にとうとう日も横日よこびになった。


      十一


 東金町とうがねまちの中ほどから北後ろのおかへ、少しく経上へあがった所に一区をなせる勝地がある。三方岡をめぐらし、厚硝子ガラスの大鏡をほうり出したような三角形の小湖水を中にして、寺あり学校あり、農家も多く旅舎やどやもある。夕照りうららかな四囲の若葉をその水面に写し、湖心寂然として人世以外に別天地の意味をたたえている。

 この小湖には俗な名がついている、俗な名を言えば清地を汚すの感がある。湖水を挟んで相対している二つの古刹こさつは、東岡なるを済福寺とかいう。神々こうごうしい松杉の古樹、森高く立ちこめて、堂塔をおおうて尊い。

 桑を摘んでか茶を摘んでか、ざるかかえた男女三、四人、一隅いちぐうの森から現われて済福寺の前へ降りてくる。

 お千代は北の幸谷こうやなる里方へ帰り、省作とおとよは湖畔の一旅亭りょていに投宿したのである。

 首を振ることもできないように、身にさし迫った苦しき問題に悩みつつあった二人が、その悩みを忘れてここに一夕の緩和を得た。あらしを免れて港に入りし船のごとく、たぎつ早瀬の水が、わずかなる岩間のよどみに、余裕を示すがごとく、二人はここに一夕の余裕を得た。

 余裕をもって満たされたる人は、おもうにかえって余裕の趣味を解せぬのであろう。余裕なき境遇にある人が、僅かに余裕を発見した時に、初めて余裕の趣味を適切に感ずることができる。

 一風呂ひとふろゆあみに二人は今日の疲れをいやし、二階の表に立って、別天地の幽邃ゆうすいに対した、温良な青年清秀な佳人、今は決してあわれなかわいそうな二人ではない。

 人は身に余裕を覚ゆる時、考えは必ずわれを離れる。

「おとよさんちょっとえい景色ねい、おりて見ましょうか、向うの方からこっちを見たら、またきっと面白いよ」

「そうですねい、わたしもそう思うわ、早くおりて見ましょう、日のくれないうちに」

 おとよは金めっきの足に紅玉の玉をつけたかんざしをさし替え、帯締め直して手早く身繕いをする。ここへ二十七、八の太った女中が、茶具を持って上がってきた。茶代の礼をいうて叮嚀ていねいにお辞儀じぎをする。

出花でばなを入れ替えてまいりました、さあどうぞ……」

「あ、今おりて湖水のまわりをまわってくる」

「お二人でいらっしゃいますの……そりゃまあ」

 女中は茶をぎながら、横目を働かして、おとよの容姿をみる。おとよは女中には目もくれず、甲斐絹裏かいきうらの、しゃらしゃらする羽織はおりをとって省作に着せる。省作が下手へたに羽織のひもを結べば、おとよは物も言わないで、その紐を結び直してやる。おとよは身のこなし、しとやかで品位がある。女中は感にえてか、お愛想か、

「おうらやましいことねい」

「アハヽヽヽヽ今日はそれでも、羨ましいなどといわれる身になったかな」

 おとよは改めて自分から茶を省作に進め、自分も一つをすすって二人はすぐに湖畔へおりた。

「どっちからいこうか」

「どっちからでもおんなしでしょうが、日に向いては省さんいけないでしょう」

「そうそう、それじゃ西手からにしよう」

 箱のようなきわめて小さな舟を岸から四、五間乗り出して、りをれていた三人の人がいつのまにかいなくなっていた。湖水はさざなみも動かない。

 二人がどうして一緒になろうかという問題を、しばらくあとにまわし、今二人は恋を命とせる途中で、恋を忘れた余裕に遊ぶ人となった。これを真の余裕というのかもしれぬ。二人はひょっと人間をでて自然の中にはいった形である。

 夕靄ゆうもやの奥で人の騒ぐ声が聞こえ、物打つ音が聞こえる。里も若葉もすべてがぼんやり色をぼかし、冷ややかな湖面は寂寞せきばくとして夜を待つさまである。

「おとよさん面白かったねい、こんなふうな心持ちで遊んだのは、ほんとに久しぶりだ」

「ほんとに省さんわたしもそうだわ、今夜はなんだか、世間が広くなったような気がするのねい」

「そうさ、今まではお互いに自分で自分をもてあつかっていたんだもの、それを今は自分の事は考えないで、何が面白いの、かにが面白いのって、世間の物を面白がってるんだもの。あ、宿であかしがいた、おとよさん急ごう」

 恋は到底おろかなもの、少しささえられると、すぐ死にたき思いになる、少し満足すればすぐ総てを忘れる。思慮のある見識のある人でも一度恋に陥れば、痴態を免れ得ない。この夜二人はただうれしくて面白くて、将来の話などしないで寝てしまった。翌朝お千代が来た時までに、とにかく省作がまず一人で東京へ出ることとこの月半つきなか出立しゅったつするという事だけきめた。おとよは省作を一人でやるか、自分も一緒に行くかということについて、早くから考えていたが、つまり二人で一緒に出ることは穏やかでないと思いさだめたのである。


      十二


 はずれの旦那だんなという人は、おとよの母の従弟いとこであってあざみという人だ。世話好きで話のうまいところから、よく人の仲裁などをやる。背の低い顔の丸い中太ちゅうぷとりの快活で物のわかった人といわれてる。それで斎藤の一条以来、土屋の家では、例の親父おやじおこって怒って始末におえぬということを聞いて、どうにか話をしてやりたく思ってるものの、おとよの一身に関することは、世間晴れての話でないから、親類とてめったな話もできずにおったところ、省作の家の人たちの心持ちがすっかり知れてみると、いつまでそうしては置けまいと、お千代がやきもきして佐介を薊の方へ頼みにやった。薊は早速さっそくその晩やって来た。もとより親類ではあるし、親しい間柄だからまず酒という事になる。主人の親父とは頃合いの飲み相手だ、薊は二つめにさされた杯をおさえ、

「時に今日きょう上がったのは、少し願いがあって来たわけじゃから、あんまり酔わねいうちに話してしまうべい。おッさん、おッ母さん、あなたにもここさ来て聞いててもらべい、お千代さん、ちょっとおッ母さんを呼んでください」

 おとよの母はいろいろ御心配くだすってと辞儀じぎをしてそこにすわる。

「御両人の子についての話だから、御両人のそろった所でなけりゃ話はできない」

 薊の話には工夫がある。男親一人にがんばらせないという底意をふうしてかかる。

「時に土屋さん、今朝けさ佐介さんからあらまし聞いたんだが、一体おとよさんをどうする気かね」

「どうもしやしない、親不孝な子を持って世間へ顔出しもできなくなったから、少し小言こごとが長引いたまでだ。いや薊さん、どうもあなたに面目次第もない」

「土屋さんあなたは、よく理屈を言う人だから、薊も今夜は少し理屈を言おう。私は全体理屈は嫌いだが、相手が、理屈屋だから仕方がねい。おッ母さんどうぞおしゃくを……私は今夜は話がつかねば喧嘩けんかしても帰らねいつもりだからまあゆっくり話すべい」

 片意地な土屋老人との話はせいてはだめだと薊は考えてるのだ。

「土屋さん、あなたが私に対して面目次第もないというのが、どうも私には解んねい。斎藤との縁談を断わったのが、なぜ面目ないのか、私は斎藤から頼まれて媒妁人なこうどとなったのだから、この縁談は実はまとめたかった。それでも当の本人がいやだというなら、もうそれまでの話だ。断わるに不思議はない、そこに不面目もへちまもない」

「いやあざみ、ただ斎藤へ断わっただけなら、決して面目ないとは思わない。ないしょ事の淫奔いたずらがとおって、立派な親の考えがとおせんから面目がない。あなたも知ってのとおり、あいつは親不孝な子ではなかったのだがの」

「少し待ってください。あなたは無造作に浮奔いたずらだの親不孝だと言うが、そこがおれにゃ、やっぱりわかんねい。おとよさんがなで親不孝だ、おとよさんは今でも親孝行な人だ、私がそういうばかりではない、世間でもそういってる。私の思うにゃあなたがかえって子に不孝だ」

「どこまでも我儘わがままをとおして親のいうことに逆らうやつが親不孝でないだろか」

「親のいうことすなわち自分のいうことを、間違いないものと目安をきめてかかるのがそもそも大間違いのもとだ。親のいうことにゃ、どこまでも逆らってならぬとは、孔子こうしさまでもいっていないようだ。いくら親だからとて、その子の体まで親の料簡りょうけん次第にしようというは無理じゃねいか、まして男女間の事は親の威光でもいられないものと、神代の昔から、百里隔てて立ち話のできる今日こんにちでも変らぬ自然のおきてだ」

「なによ、それが淫奔事いたずらごとでなけりゃ、それでもえいさ。淫奔をしておって我儘をとおすのだから不埒ふらちなのだ」

「まだあんな事を言ってる、理屈をいう人に似合わず解らない老人としよりだ。それだからあなたは子に不孝な人だというのだ。生きとし生けるもの子をかばわぬものはない、あなたにはわが子をかばうという料簡がないだなあ」

「そんな事はない」

「ないったって、現にやってるじゃねいか。わが子をよく見ようとはしないで、悪く悪くと見てる、いわば自分の片意地な料簡から、おとよさんを強いて淫奔いたずらものにしてしまおうとしてる、何という意地の悪い人だろう」

 この一言には老人も少しまいった。たしかに腹ではまいっても、なるほどそうかとは、口が腐ってもいえない人だ。よほど困ったと見え、独りで酒をいで飲む手が少しふるえてる。まあ一つといってさかずきを薊にさす。

「そりゃ土屋さん、男女の関係ちは見ようによれば、みんな淫奔いたずらだよ、淫奔であるもないもただ精神の一つにあるだよ。表面の事なんかどうでもえいや、つまらん事から無造作に料簡を動かして、出たり引っこんだりするのか淫奔の親方だよ。それから見るとおとよさんなんかは、こうと思い定めた人のために、どこまでも情を立てて、親にてられてもとまで覚悟してるんだから、実際さいにも話して感心していますよ」

「飛んでもない間違いだ」

 老人は鼻汗いっぱいにかいた顔に苦しい笑いをもらした。おとよの母もここでちょっと口をあく。

あざみさん、ほんとに家のおとよは今ではかわいそうですよ。どうかおとッつさんの機嫌を直したいとばかりいってます」

「ねいおッさん、小手の家では必ず省作に身上しんしょうを持たせるといってるそうだから、ここは早く綺麗きれいに向うへくれるのさ。おッ母さんには御異存はないですな」

「はア、うちで承知さえすれば……」

「土屋さん、もう理屈は考えないで、私に任せてください。若夫婦はもちろんおッ母さんも御異存はない、すると老人一人で故障をいうことになる、そりゃよくない、さあ綺麗に任してください」

 老人はまた一人で酒をいで飲む、そうして薊にさかずきをさす。

「どうです土屋さん……省作に気に入らん所でもありますか。なかには悪口いうものもあるが、公平な目で見ればこの町村千何百戸のうちで省作ぐらい出来のえい若いものはねい。そりゃ才のあるのも学のあるのもあろうけれど、出来のえい気に入った若いものといえば、あの男なんぞは申し分がない。深田でもたいへん惜しがって、省作が出たあとで大分だいぶめたそうだ、親父おやじはなんでもかでも面倒を見ておけというのであったそうな。それもこれもつまりおとよさんのために、省作も深田にいなかったのだから、おとよさんが親にてられてもと覚悟したのは決して浮気な沙汰さたではない。現に斎藤でさえ、わたしがこの間、ったら、

 いや腹立つどころではない、僕も一人には死なれ一人には去られ、こうと思いこんで来てくれる女がほしいと思っていたところでしたから、かえっておとよさんの精神には真から敬服しています。

 どうです、それを面目ないの淫奔いたずらだのって、現在の親がわが子の悪口をいうたあ、随分無慈悲な親もあればあったもんだ。いや土屋、悪くはとるな」

 薊はことばを尽くし終わって老人の顔を見ている。煙草たばこを一服吸う。老人は一言も答えぬ。

「どうです、まだ任せられませんか、もう理屈は尽きてるから、理屈は抜きにして、それでも親のおきてかなわない子だから捨てるというなら、この薊に拾わしてください。さあ土屋さん、何とかいうてください」

「いや薊さん、それほどいうなら任せよう。たしかに任せるから、親の顔に対して少し筋道を立ててもらいたい」

「困ったなあ、どんな筋道か知らねいが、真の親子の間で、そんなむずかしい事をいわないで、どうぞ土屋さん、何にもなしに綺麗きれいに任せてください。おとよさんにあやまらせろというなら、どのようにもあやまらしょう」

「どうか旦那だんな、もう堪忍かんにんしてやってください」

「てめいが何を知る、黙ってろ」

 あざみも長い間の押し問答の、石にくぎ打つような不快にさっきからよほどごうが沸いてきてる。もどかしくて堪らず、酔った酒もめてしまってる。

「どうでも土屋さん、もうえい加減にうんといってください。一体筋道とはどういう事です」

「筋道は筋道さ、親の顔が立ちさえすればえい。親の理屈を丸つぶしにして、子の我儘わがままをとおすことは……」

 薊の顔は見る見る変ってきた。灰吹きをたたく音も際立きわだって高い。しばらく身をそらして老人を見おろしていたが、

「ウム自分の顔の事ばかりいってる。おれの顔はどうする、この薊の顔はどうするつもりだ。勝手にしろ、おッ母さん、とんだお邪魔をしました」

 薊は身をひるがえして降り口へ出る、母はあとからすがりつく、お千代も泣きつく。おとよは隣座敷にすすり泣きしている。薊はちょっと中戻ちゅうもどりしたが、

「帰りがけに今一言いっておく。親類もくそもあるもんか、懇意も糸瓜へちまもねいや、えい加減に勝手をいえ、今日限りだ、もうこんな家なんぞへ来るもんか」

 薊は手荒くおさえる人を退けて降りかける。

「薊さんそれでは困る、どうかまあおこらないでください。とよが事はとにかく、どうぞ心持ちを直して帰ってください」

 お千代はただしがみついて離さない。薊はようやく再び座に返った、老人は薊を見上げて、

「ばかに怒ったな」

「おらも喧嘩けんかに来たんじゃねいから、帰られるようにして帰せ」

 薊の狂言はすこぶるうまかった、とうとう話はきまった。おとよは省作のために二年の間待ってる、二年たって省作が家を持てなければ、その時はおとよはもう父の心のままになる、決して我意をいわない、と父の書いた書付かきつけへ、おとよは爪印つめいんを押して、再び酒の飲み直しとなった。にわかに家内の様子が変る、祭りと正月が一度に来たようであった。


      十三


 あざみが一切をみ込んで話は無造作にまとまる。二人ふたりを結婚さしておいて、省作を東京へやってもよいが、どうせ一緒にいないのだから、清六の前も遠慮して、家を持ってから東京で祝儀しゅうぎをやるがよかろうということになる。佐介さすけも一夜省作の家をうて、そのいさくさなしの気質を丸出しにして、省作の兄と二人で二升の酒を尽くし、おはまを相手に踊りまでおどった。兄は佐介の元気を愛して大いに話し口が合う。

「あなたのおとッつさんが、いくらやかましくいっても、二人を分けることはできないさ。いよいよ聞かなけりゃ、おとよさんを盗んじまうまでだ。大きな人間ばかりはかたり取っても盗み取っても罪にならないからなあ」

「や、親父おやじもちょっと片意地の弦がはずれちまえばあとはやっぱりいさくさなしさ。なんでもこんごろはおかしいほどおとよと話がもてるちこったハヽヽヽヽ」

 佐介がハヽヽヽヽと笑う声は、耳の底に響くように聞える。省作は夜の十二時頃酔った佐介を成東なるとうへ送りとどけた。

 省作は出立前十日ばかり大抵土屋の家に泊まった。おとよの父も一度省作にってからは、大の省作好きになる。無論おとよも可愛かわゆくてならなくなった。あんまり変りようがはげしいので家のものに笑われてるくらいだ。

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 省作は田植え前かいこの盛りという故郷の夏をあとにして成東から汽車に乗る。土屋の方からは、おとよの父とおとよとが来る。小手の方からは省作の母が孫二人をつれ、おはまも風呂敷包ふろしきづつみを持って送ってきた。おとよはもちろん千葉まで同行して送るつもりであったが、汽車が動き出すと、おはまはかねて切符を買っていたとみえしゃにむに乗り込んでしまった。

 汽車が日向ひゅうが駅を過ぎて、八街やちまたに着かんとする頃から、おはまは泣き出し、自分でも自分がおさえられないさまに、あたりはばからず泣くのである。これには省作もおとよもほとんど手に余してしまった。なぜそんなに泣くかといってみても、もとより答えられる次第のものではない。もっともおはまは、出立という前の夜に、省作の居間にはいってきて、一心こめた面持おももちに、

「省さんが東京へ行くならぜひわたしも一緒に東京へ連れていってください」

というのであった、省作は無造作に、

「ウムおれが身上しんしょう持つまで待て、身上持てばきっと連れていってやる」

 おはまはそのまま引き下がったけれど、どうもその時も泣いたようであった。おはまのそぶりについて省作もいくらか、気づいておったのだけれど、どうもしようのない事であるから、おとよにも話さず、そのままにしていたのだが、いよいよという今日になってこの悲劇を演じてしまった。

「あんまり人さまの前が悪いから、おはまさんどうぞ少し静かにしてください」

 強くおとよにいわれて、おはまは両手のそでを口に当てていて声を出すまいとする。おさえても抑え切れぬ悲痛の泣き音は、かすかなだけかえって悲しみが深い。省作はその不束ふつつかとがむる思いより、不愍ふびんに思う心の方が強い。おとよの心には多少の疑念があるだけ、直ちにおはまに同情はしないものの、真に悲しいおはまの泣き音に動かされずにはいられない。仕方がないから、佐倉さくらへ降りる。

 奥深い旅宿の一室を借りて三人は次ぎの発車まで休息することにした。おはまは二人の前にひれふしてひたすらにびる。

「わたしはこんなことをするつもりではなかったのであります、思わずらずこんな不束ふつつかなまねをして、まことに申しわけがありません。おとよさんどうぞ気を悪くしないでください」

というのである、おはまは十三の春から省作の家にいて、足掛け四年間のなじみ、朝夕隔てなく無邪気に暮して来たのである。おはまは及ばぬ事と思いつつも、いつとなし自分でもわからぬまに、省作を思うようになった。しかしながら自分の姉ともかしずくおとよという人のある省作に対し、決してとりとめた考えがあったわけではない。ただ急に別れるが悲しさに、われらずこの不束を演じたのだ。

 もとから気の優しい省作は、おはまの心根を察してやれば不愍で不愍でたまらない。さりとておとよにあられもない疑いをかけられるも苦しいから、

「おとよさん決して疑ってくれな、おはまには神かけて罪はないです。こんなつまらん事をしてくれたものの、なんだか私はかわいそうでならない。私のいないあとでも決して気を悪くせず、おはまにはこれまでのとおり目をかけてやってください」

 おとよはもうおはまを抱いて泣いてる。わが玉の緒の断えんばかり悲しい時に命のつえとすがった事のあるおはまである。ほかの事ならばわが身の一部をさいても慰めてやらねばならないおはまだ。

 おはまの悲しみのゆえんを知ったおとよの悲しみは小説書くものの筆にも書いてみようがない。

 三人は再び汽車に乗る、省作は何かおはまにやりたいと思いついた。

「おとよさん、私は何かはまにやりたいが、何がよかろう」

「そうですねい……そうそう時計をおやんなさい」

「なるほど私は東京へゆけば時計はいらない、これは小形だから女の持つにもえい」

 駅夫が千葉千葉と呼ぶ。二人は今さらにうろたえる。省作はきっとなって、

「二人はここで降りるんだ」

底本:「野菊の墓」集英社文庫、集英社

   1991(平成3)年625日第1

   2007(平成19)年325日第4

初出:「ホトトギス」

   1908(明治41)年4月号

入力:林 幸雄

校正:川山隆

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2008年1019日作成

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