雪靈記事
泉鏡花



        一


のくらゐなことが……なんの……小兒こどものうち歌留多かるたりにつたとおもへば──」

 越前ゑちぜん武生たけふの、わびしい旅宿やどの、ゆきうもれたのきはなれて、二ちやうばかりもすゝんだとき吹雪ふゞき行惱ゆきなやみながら、わたしは──おもひました。

 おもひつゝ推切おしきつてくのであります。

 わたし此處こゝから四十あまへだたつた、おなじ雪深ゆきぶかくにうまれたので、うした夜道よみちを、十ちやうや十五ちやう歩行あるくのはなんでもないとおもつたのであります。

 が、すさまじさとつたら、まるで眞白まつしろな、つめたい、こな大波おほなみおよぐやうで、かぜ荒海あらうみひとしく、ぐわう〳〵とうなつて、──とつても五六しやくつもつたゆきを、押搖おしゆすつてくるふのです。

「あの時分じぶんは、わきしたはねでもえてたんだらう。きつうにちがひない。身輕みがるゆきうへつてべるやうに。」

 ……でなくつては、と呼吸いきけないうちおもひました。

 九歳こゝのつ十歳とをばかりの小兒こどもは、雪下駄ゆきげた竹草履たけざうり、それはゆきてたとき、こんなばんには、がらにもない高足駄たかあしださへ穿いてたのに、ころびもしないで、しかあそびにけた正月しやうぐわつの十二時過じすぎなど、近所きんじよともだちにもわかれると、たゞ一人ひとりで、しろやしろひろ境内けいだいければ、邸町やしきまちしろなが土塀どべいとほる。………ザヾツ、ぐわうとつて、川波かはなみ山颪やまおろしとともにいてると、ぐる〳〵と𢌞まは車輪しやりんごとくろずんだゆきうづに、くる〳〵とひながら、ふは〳〵とまアしてうちかへつた──ゆめではない。が、あれはゆきれいがあつて、小兒こども可愛いとしがつて、れてかへつたのであらうもれない。

「あゝ、ひどいぞ。」

 ハツと呼吸いきく。目口めくち吹込ふきこ粉雪こゆきに、ばツとけて、そのたびに、かぜ反對はんたいはう眞俯向まうつむけにつてふせぐのであります。ときは、粉雪こゆきを、ぐるみ煽立あふりたてますので、したからも吹上ふきあげ、左右さいうからも吹捲ふきまくつて、よくふことですけれども、おもてけやうがないのです。

 小兒こども足駄あしだおもしたころは、じつ穿はきものなんぞ、とう以前いぜんになかつたのです。

 しかし、御安心ごあんしんください。──ゆきなか跣足はだし歩行あることは、都會とくわいぼつちやんやぢやうさんが吃驚びつくりなさるやうな、つめたいものでないだけは取柄とりえです。ズボリと踏込ふみこんだ一息ひといきあひだは、つめた骨髓こつずゐてつするのですが、いきほひよく歩行あるいてるうちにはあたゝかります、ほか〳〵するくらゐです。

 やがて、六七ちやうもぐつてました。

 まだあひだ氣丈夫きぢやうぶでありました。まちうちですから兩側りやうがはいへつゞいてります。へんみづ綺麗きれいところで、軒下のきした兩側りやうがはを、きよなみつた小川をがはながれてます。もつとれなんぞえるやうな容易やさしつもかたぢやありません。


 御存ごぞんじのかたは、武生たけふへば、あゝ、みづのきれいなところかとはれます──みづかねきたへるのにてきするさうで、かまなべ庖丁はうてう一切いつさい名産めいさん──むかしは、きこえた刀鍛冶かたなかぢみました。いま鍛冶屋かぢやのきならべて、なかに、やなぎとともに目立めだつのは旅館りよくわんであります。

 が、目貫めぬきまちぎた、次第しだい場末ばすゑ町端まちはづれの──とふとすぐにおほきやまけはしさかります──あたりで。……まちはなれて、鎭守ちんじゆみやけますと、いまかうとする、こゝろざところはずなのです。

 それは、──其許そこは──自分じぶんくちから申兼まをしかねる次第しだいでありますけれども、わたし大恩人だいおんじん──いえ〳〵恩人おんじんで、そして、ゆめにもわすれられないうつくしいひと侘住居わびずまひなのであります。

 侘住居わびずまひまをします──以前いぜんは、北國ほつこくおいても、旅館りよくわん設備せつびおいては、第一だいいちられた武生たけふうちでも、隨一ずゐいち旅館りよくわんむすめで、二十六のとしに、ころ近國きんごく知事ちじおもひものりました……めかけとこそへ、情深なさけぶかく、やさしいのを、いにしへ國主こくしゆ貴婦人きふじん簾中れんちうのやうにたゝへられたのがにしおふなか河内かはち山裾やますそなる虎杖いたどりさとに、さびしく山家住居やまがずまひをしてるのですから。大雪おほゆきなかに。


        二


 ながるゝみづとともに、武生たけふをんなのうつくしいところだと、むかしからひとふのであります。就中なかんづく蔦屋つたや──旅館りよくわんの──およねさん(恩人おんじんです)とへば、國々くに〴〵評判ひやうばんなのでありました。

 まだ汽車きしやつうじない時分じぶんこと。……

昨夜さくや何方どちらでおとまり。」

武生たけふでございます。」

蔦屋つたやですな、綺麗きれいむすめさんがます。勿論もちろん御覽ごらんでせう。」

 たび道連みちづれが、立場たてばでも、また並木なみきでも、ことば掛合かけあうちには、きつことがなければをさまらなかつたほどであつたのです。

 往來ゆききれて、幾度いくたび蔦屋つたやきやくつて、心得顏こゝろえがほをしたものは、およねさんのこと渾名あだなして、むつのはな、むつのはな、とひました。──いろひ、またゆき越路こしぢゆきほどに、られたとまを意味いみではないので──これ後言くりごとであつたのです。……不具かたはだとふのです。六本指ろつぽんゆび小指こゆびひだりふたつあると、たやうなうはさをしました。何故なぜか、──地方ゐなかけて結婚期けつこんきはやいのに──二十六七までえんかないでたからです。

(しかし、……やがて知事ちじおもひものつたことまへ一寸ちよつとまをしました。)

 わたしはよくつてます──六本指ろつぽんゆびなぞと、もないことです。たしかました。しかもゆきなすゆびは、摩耶夫人まやぶにんしろほそはな手袋てぶくろのやうに、まさ五瓣ごべんで、それ九死一生きうしいつしやうだつたわたしひたひそつり、かるむねかゝつたのを、運命うんめいほしかぞへるごとじつたのでありますから。──

 またで、硝子杯コツプ白雪しらゆきに、鷄卵たまご蛋黄きみかしたのを、甘露かんろそゝぐやうにまされました。

 ためにわたし蘇返よみがへりました。

冷水おひやください。」

 う、それが末期まつごだとおもつて、みづんだときだつたのです。

 脚氣かつけわづらつて、衝心しようしんをしかけてたのです。のために東京とうきやうから故郷くにかへ途中とちうだつたのでありますが、よごれくさつた白絣しろがすりを一まいきて、頭陀袋づだぶくろのやうな革鞄かばんひとけたのを、玄關げんくわんさきでことわられるところを、めてくれたのも、ほたる紫陽花あぢさゐ見透みとほしの背戸せどすゞんでた、のおよねさんの振向ふりむいたなさけだつたのです。

 みづへば、せい〴〵こめ磨汁とぎしるでもくれさうなところを、白雪しらゆき蛋黄きみなさけ。──萌黄もえぎ蚊帳かやべにあさ、……ひどところですが、およねさんの出入ではひりには、はら〳〵とほたるつて、うつし、指環ゆびわうつし、むね乳房ちぶさすかして、浴衣ゆかたそめ秋草あきぐさは、女郎花をみなへしに、はぎむらさきに、いろあるまでに、蚊帳かやかげ宿やどしました。

「まあ、あせびつしより。」

 ときたな病苦びやうく冷汗ひやあせに……そよ〳〵とかぜめぐまれた、淺葱色あさぎいろ水團扇みづうちはに、かすかつきしました。……

 大恩だいおんまをすはこれなのです。──

 おなじとしふゆのはじめ、しも緋葉もみぢみちを、さわやか故郷こきやうから引返ひつかへして、ふたゝ上京じやうきやうしたのでありますが、福井ふくゐまでにはおよびません、わたし故郷こきやうからはそれから七さきの、丸岡まるをか建場たてばくるまやすんだとき立合たちあはせた上下じやうげ旅客りよかく口々くち〴〵から、もうおよねさんの風説うはさきました。

 知事ちじおもひものつて、いへたのは、あきだつたのでありました。

 こゝはおさつしをねがひます。──心易こゝろやすくは禮手紙れいてがみ、たゞ音信おとづれさへ出來できますまい。

 十六七ねんぎました。──唯今たゞいま鯖江さばえ鯖波さばなみ今庄いましやうえきが、れいおときこえた、なか河内かはち芽峠めたうげ尾峠をたうげを、前後左右ぜんごさいうに、たかふかつらぬくのでありまして、汽車きしやくもうへはしります。

 あひ宿しゆくで、世事せじよういさゝかもなかつたのでありますが、可懷なつかしさあまり、途中とちう武生たけふ立寄たちよりました。

 内證ないしようで……なんとなくかほられますやうで、ですから内證ないしようで、蔦屋つたやまゐりました。

 皐月さつき上旬じやうじゆんでありました。


        三


 かど背戸せどきよながれのきたか二本柳ふたもとやなぎ、──青柳あをやぎ繁茂しげり──こゝにたゝずみ、あの背戸せど團扇うちはつた、姿すがたおもはれます。それはむかしのまゝだつたが、一棟ひとむね西洋館せいやうくわんべつち、帳場ちやうば卓子テエブルいた受附うけつけつて、蔦屋つたや樣子やうすはかはつてました。

 代替だいがはりにつたのです。──

 すこしばかり、女中ぢよちうこゝろづけも出來できましたので、それとなく、およねさんの消息せうそくきますと、蔦屋つたや蔦龍館てうりうくわんつた發展はつてんで、もち女中ぢよちうなどは、きやうからるのださうで、すこしも恩人おんじんことりません。

 番頭ばんとうんでもらつてたづねますと、──勿論もちろんころをとこではなかつたが──これはよくつてました。

 蔦屋つたやは、若主人わかしゆじん──およねさんのあに──が相場さうばにかゝつて退轉たいてんをしたさうです。およねさんにまけない美人びじんをとつて、若主人わかしゆじんは、祇園ぎをん藝妓げいしやをひかして女房にようばうにしてたさうでありますが、それもくなりました。

 知事ちじ──の三年前ねんぜんつたことは、わたし新聞しんぶんつてたのです──のいくらか手當てあてのこつたのだらうとおもはれます。當時たうじまちはなれた虎杖いたどりさとに、兄妹きやうだいがくらして、若主人わかしゆじんはうは、町中まちなか或會社あるくわいしやつとめてると、よし番頭ばんとうはなしてくれました。一昨年いつさくねんことなのです。

 ──いまわたしは、可恐おそろし吹雪ふゞきなかを、其處そここゝろざしてるのであります──

 が、さて、一昨年いつさくねんときは、翌日よくじつ半日はんにち、いや、時頃じごろまで、ようもないのに、女中ぢよちうたちのかげあやし氣勢けはひのするのがおもられるまで、腕組うでぐみが、肘枕ひぢまくらで、やがて、夜具やぐ引被ひつかぶつてまでおもひ、なやみ、幾度いくたび逡巡しゆんじゆんした最後さいごに、旅館りよくわんをふら〳〵とつて、たうとう恩人おんじんたづねにました。

 わざ途中とちう餘所よそいて、虎杖村いたどりむら憧憬あこがく。……

 みち鎭守ちんじゆがめあてでした。

 しろい、しづかな、くもつたに、山吹やまぶきいろあさい、小流こながれに、苔蒸こけむしたいしはしかゝつて、おくおほきくはありませんがふか神寂かんさびたやしろがあつて、大木たいぼくすぎがすら〳〵とすぎなりにならんでます。入口いりぐちいし鳥居とりゐひだりに、就中とりわけくらそびえたすぎもとに、かたちはついとほりでありますが、雪難之碑せつなんのひきざんだ、一石碑せきひえました。

 ゆきなん──荷擔夫にかつぎふ郵便配達いうびんはいたつひとたち、むかし數多あまた旅客りよかくも──これからさしかゝつてえようとする峠路たうげみちで、屡々しば〳〵いのちおとしたのでありますから、いづれれいまつつたのであらう、と大空おほぞらくもかさなやまつゞいたゞきそびゆるみねるにつけて、すさまじき大濤おほなみゆき風情ふぜいおもひながら、たびこゝろみて通過とほりすぎました。

 畷道なはてみちすこしばかり、菜種なたねあぜはひつたところに、こゝろざいほりえました。わびしい一軒家いつけんや平屋ひらやですが、かどのかゝりになんとなく、むかしのさましのばせます、萱葺かやぶき屋根やねではありません。

 伸上のびあが背戸せどに、やなぎかすんで、こゝにも細流せゝらぎ山吹やまぶきかげうつるのが、いたほたるひかりまぼろしるやうでありました。

 ゆめにばかり、うつゝにばかり、十幾年いくねん

 不思議ふしぎにこゝでひました──面影おもかげは、黒髮くろかみかうがいして、ゆき裲襠かいどりした貴夫人きふじんのやうにはるかおもつたのとは全然まるでちがひました。黒繻子くろじゆすえりのかゝつたしま小袖こそでに、ちつとすきれのあるばかり、空色そらいろきぬのおなじえりのかゝつた筒袖こひぐちを、おびえないくらゐ引合ひきあはせて、ほつそりとました。

 姿すがたをつきました。あゝ、うつくしいしろゆび結立ゆひたてのひんのいゝ圓髷まるまげの、なさけらしい柔順すなほたぼ耳朶みゝたぶかけて、ゆきなすうなじやさしくきよらかに俯向うつむいたのです。

 生意氣なまいきステツキつてつてるのが、くるめくばかりにおもはれました。

わたしは……せき……」

 とまをして、

蔦屋つたやさんのおぢやうさんに、おにかゝりたくてまゐりました。」

よねわたしでございます。」

 とかほげて、すゞしいじつました。

 わたしひたひあせばんだ。──あのいつかひたひかれた、かげばかりしろうつる。

「まあ、せきさん。──おとなにおりなさいました……」

 これですもの、可懷なつかしさはどんなでせう。

 しかし、こゝでわたし初戀はつこひかたおもひ、こひ愚癡ぐちふのではありません。

 ……すご吹雪ふゞき不思議ふしぎことあひました、のおはなしをするのであります。


        四


 そのときは、四疊半かこひではありません。が、つたちやとほされました。

 ときに、先客せんきやく一人ひとりありましてみぎました。氣高けだかいばかりひんのいゝとしとつたあまさんです。失禮しつれいながら、先客せんきやく邪魔じやまでした。それがために、いとゞつたなくちの、せんひとつも、なんにも、ものがはれなかつたのであります。

貴女あなた煙草たばこをあがりますか。」

 わたしはおよねさんが、筒袖こひぐちやさしいで、煙管きせるつのをひました。

 およねさんは、ひかへて一寸ちよつと俯向うつむきました。

何事なにごともわすれぐさまをしますな。」

 とあまさんが、のうめんがものをふやうにひました。

せきさんは、今年ことし三十五におりですか。」

 とおよねさんがさきかぞへて、わたしとしたづねました。

三碧さんぺきなう。」

 とあまさんがひました。

貴女あなたは?」

わたしひとうへ……」

四緑しろくなう。」

 とあまさんがまたひました。

 ──りやくしてまをすのですが、其處そこ案内あんないもなく、づか〳〵とはひつてて、立状たちざま一寸ちよつとわたし尻目しりめにかけて、ひだりについた一にんがあります──山伏やまぶしか、隱者いんじやか、とおも風采ふうさいで、ものの鷹揚おうやうな、わるへば傲慢がうまんな、下手へたいた、奧州あうしうめぐりの水戸みと黄門くわうもんつた、はなたかい、ひげしろい、や七十ばかりの老人らうじんでした。

これせきさんか。」

 と、いきなりひます。わたし吃驚びつくりしました。

 およねさんが、しなよくうなづきますと、

左樣さやうか。」

 とつて、これから滔々たふ〳〵べんした。べんずるのが都會とくわいけるわたしども、なかま、なかまとまをしてわたしなどは、もののかずでもないのですが、立派りつぱな、畫伯方せんせいがたんで、片端かたつぱしから、やつがとにがり、あれめ、とさげすみ、小僧こぞう、と呵々から〳〵わらひます。

 わたしは五六しやく飛退とびさがつて叩頭おじぎをしました。

汽車きしや時間じかんがございますから。」

 およねさんが、おくつてました。花菜はなななかなかばときわたしむせんで、なみだぐんだこゑして、

「おさびしくおいでなさいませう。」

 と精一杯せいいつぱいつたのです。

「いゝえ、あに一緒いつしよですから……でも大雪おほゆきなぞは、まちからみちえますと、こゝにわたし一人ひとりきりで、五日いつか六日むいかくらしますよ。」

 とほろりとしました。

のかはりなつすゞしうございます。避暑ひしよらつしやい……お宿やどをしますよ。……時分じぶんには、るやうにほたるんで、みづには菖蒲あやめきます。」


 夜汽車よぎしやが、芽峠めたうげほたるんで、まどには菖蒲あやめいたのです──ゆめのやうです。………あの老尼らうには、およねさんの守護神まもりがみ──はてな、老人らうじんは、──知事ちじ怨靈をんりやうではなかつたか。

 そんなことまでおもひました。

 圓髷まるまげつて、筒袖こひぐちひとを、しかし、その二人ふたりかへつて、およねさんを祕密ひみつかすみつゝみました。

 三十路みそぢえても、やつれても、いまそのうつくしさ。片田舍かたゐなか虎杖いたどりになぞにあるひととはおもはれません。

 ために、音信おとづれおこたりました。ゆめところがきをするやうですから。……とはへ、ひとつは、し、不思議ふしぎいろ右左みぎひだりひとはゞかつたのであります。

 音信おとづれして、恩人おんじんれいをいたすのに仔細しさいはないはず雖然けれども下世話げせわにさへひます。慈悲じひすれば、なんとかする。……で、恩人おんじんふ、おんじやうじ、なさけ附入つけいるやうな、いやしい、あさましい、卑劣ひれつな、下司げすな、無禮ぶれいおもひが、うしてもこゝろはなれないものですから、ひとり、みづかはゞかられたのでありました。

 わたしいま其處そこへ──


        五


「あゝ、彼處あすこ鎭守ちんじゆだ──」

 吹雪ふゞきなかの、雪道ゆきみちに、しろつゞいたみやを、さながらみねきづいたやうに、たか朦朧もうろうあふぎました。

「さあ、一息ひといき。」

 が、いきけません。

 眞俯向まうつむけにおもかぜなかを、背後うしろからスツとかるおそつて、すそかしらをどツと可恐おそろしいものが引包ひきつゝむとおもふと、ハツとひきいきとき、さつとけて、まへ眞白まつしろおほきかげあらはれます。とくる〳〵と𢌞まはるのです。𢌞まはりながらいて、き〳〵卷込まきこめるとると、たちますさまじいうづつて、ひゆうとりながら、舞上まひあがつてんでく。……くといなや、つゞいて背後うしろからいてます。それが次第しだいはげしくつて、かぞへてなゝツ、身體からだ前後ぜんごれつつくつて、いてはび、いてはびます。いはにもやまにもくだけないで、みな北海ほくかい荒波あらなみうへはしるのです。──うづがこんなにくやうにりましてはへられません。うづ湧立わきたところは、あとあなつて、其處そこからゆきはしらゆきひと雪女ゆきをんな雪坊主ゆきばうずあやしいかたちがぼツとちます。つてたふれるのが、そのまゝゆきをかのやうにる……それが、みぎり、ひだりり、よこつもり、たてきます。ところところへ、ひとのからだをつてつて、仰向あをむけにも、俯向うつむかせにもたゝきつけるのです。

 ──雪難之碑せつなんのひ。──みねとがつたやうな、其處そこ大木たいぼくすぎこずゑを、睫毛まつげにのせてたふれました。わたしゆきうもれてく………身動みうごきも出來できません。くひしばつても、ぢても、目口めくち粉雪こゆきを、しかし紫陽花あぢさゐあを花片はなびらふやうにおもひました。

 ──「菖蒲あやめきます。」──

 ほたるぶ。

 わたしはおよねさんの、きよあたゝかはだおもひながら、ゆきにむせんでさけびました。

さまたげる、天狗てんぐわざだ──あの、あまさんか、あやしい隱士いんしか。」

底本:「鏡花全集 卷二十一」岩波書店

   1941(昭和16)年930日第1刷発行

   1975(昭和50)年72日第2刷発行

入力:土屋隆

校正:門田裕志

2005年111日作成

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